目次

※各セクションの「動画」をクリックすると、その箇所からYouTubeで見ることができます。

インタビュアー:岸田 / ゲスト:光村

卵巣がん治療から10年-リボン作家として歩む光村さんの「今」

岸田 今日のゲストは光村さんです。よろしくお願いします!

光村 よろしくお願いします。

岸田 はい、ありがとうございます。では早速ですが、光村さんのご紹介をさせていただきます。光村さんは広島県のご出身で、現在も広島県にお住まい。そしてお仕事は「リボン作家」と伺っております。リボン作家って、僕はあまり聞き慣れないんですけれど、どういったお仕事なんでしょうか?

光村 例えば、リボンバッグの作り方を知りたい方にレッスンをしたり、私も今つけているんですが、リボンペンやブローチを作る講座をしています。それから、お客様からオーダーをいただいて、私が制作してお渡しすることもあります。レッスンと販売の両方をやっている感じですね。

岸田 ああ、なるほど!そういうことなんですね。ありがとうございます。
そんなリボン作家の光村さんですが、ご趣味に「これからバレエを習う予定」とあります。まだ習ってはいないんですね?

光村 はい、今ちょうどバレエ教室を探しているところなんです。

岸田 おお、いいですね!なぜバレエに興味を持たれたんですか?

光村 2〜3年前から外反母趾や魚の目など足のトラブルが多くて。体の歪みが原因なんだろうなと思ったんです。体幹を整えれば改善につながるし、姿勢もスッと美しくなるんじゃないかなと。将来の自分への投資として始めたいなと思い、今教室を探しているところです。

岸田 なるほど、そういう意図があったんですね。ぜひ良い教室が見つかるといいですね!

光村 はい、そうですね。

チョコレート嚢胞治療中に発覚した卵巣がん-手術・TC療法・妊娠出産までの10年

岸田 そして、がんの種類が卵巣がん。ステージは1ということで、告知を受けたのが35歳のとき。現在が45歳ですから、ちょうど10年前ほどになりますね。治療方法としては薬物療法や手術をされてきたということです。では光村さんのペイシェントジャーニーを伺っていきたいと思います。気持ちや時間の流れはこのような形になっています。真ん中が大きく凹んで、少し上がって、また下がって…という流れですね。

光村 そうですね、うん。

岸田 ではまず2012年。ご結婚という出来事から始まります。これはどのようなきっかけでパートナーの方と出会われたんですか?

光村 主人とは結婚相談所で出会いました。2012年に知り合って、その半年後には結婚式を挙げていましたね。いわゆるスピード結婚でした。

岸田 おお、そうだったんですね。とても幸せなスタートだったんですね。そこからですが、グラフが下がっていきます。寝込むほどの生理痛があった、と。相当辛かったですか?

光村 はい、痛かったですね。本当に立っていられないくらいで。もうベッドに横にならないとどうにもならないほどの痛みで、「これはちょっとおかしいな」と不安に思っていました。

岸田 なるほど。その強い生理痛と同じ頃、チョコレート嚢胞と診断され、薬での治療を始められたと。これはその痛みの原因がチョコレート嚢胞だったということですか?

光村 そうです。産婦人科で内診と超音波検査をしてもらったところ、「チョコレート嚢胞による生理痛だろう」と診断されました。そこで薬で治療を始めることになりました。

岸田 ただ、その後、薬の副作用で痺れが出て、中止されたんですね?

光村 はい。薬剤師さんから副作用で痺れが出る場合があると説明を受けていたんです。実際に痺れが出てしまって、「これは副作用だな」と思い、主治医に相談したところ「それならやめましょう」となって中止になりました。

岸田 なるほど。この時は気持ち的にはそこまで落ち込まず、むしろポジティブな赤色で表現されていますね?

光村 はい。チョコレート嚢胞は「ちゃんと治療すれば治る」とネットなどでも調べていましたし、今後大変なことになるとはその時は思っていなかったので。あまり気持ちの落ち込みはなかったです。

岸田 そうだったんですね。ありがとうございます。その後、少し気持ちが下がっていく出来事がありました。別の産婦人科で卵巣に異常が見つかったと。これは、痛みが続いたので病院を変えられた、ということでしょうか。薬を飲めなくなった時に、どうしようと考えられたそうですが?

光村 はい。そこで、以前独身の頃に通っていた産婦人科の先生のことを思い出したんです。その先生は漢方専門医だったので、「漢方薬であれば大丈夫だろう」と思って、その先生のところへ行くことにしました。

岸田 なるほど。そこで卵巣の異常が発見されたんですね。

光村 そうなんです。本当にびっくりしました。超音波検査をしていただいた時に、先生の手がふっと止まって。「これはちょっと悪いことになっているかもしれない」と言われたんです。あの瞬間は本当に驚きましたね。「悪いことって何?」と頭が真っ白になりました。

岸田 先生の動きが止まる瞬間って、なんとなく不安になりますもんね。

光村 そうですね。「何かあるのかな」と直感しました。

手術、がん告知、そして治療選択──「やらなかったことを後悔したくない」TC療法への決断

岸田 その後、手術を受けることになったんですね。

光村 はい。異常が見つかってから手術までは本当に早かったです。診てくださった先生が紹介状を書いてくださって、その先生の後輩がいる総合病院を紹介してくれました。「僕の後輩だからしっかり伝えておくよ」と言ってくださって。そのおかげで1ヶ月後には手術を受けることができました。

岸田 スムーズに繋げてもらえたんですね。ただ、手術前は怖くなかったですか?

光村 説明を受けた時点で「どうなるんだろう」と不安でいっぱいでした。前日もなかなか眠れなかったですね。

岸田 手術時間はどれくらいでしたか?

光村 1時間半ほどで終わりました。

岸田 右卵巣を残されたんですよね。それは希望を伝えていたんですか?

光村 はい。診断してくださった先生が「お子さんは望まれますか?」と聞いてくださったんです。私は「できれば子どもは欲しい」と伝えたところ、その先生が紹介状に「右卵巣は残せるなら残してください」と書いてくださって。結果的に左卵巣だけにがんがとどまっていたので、右は残すことができました。

岸田 なるほど。先生の配慮があったんですね。ありがとうございます。その後、ブログを始められていますが、これは気持ち的にはネガティブな赤で表されています。どういうお気持ちだったのでしょう?

光村 手術を終えて体も辛く、これからどうなるのか先が見えない不安でいっぱいでした。そんな中で「同じように卵巣がんの治療をしている方や経験者の方と繋がりたい」という気持ちが強くなったんです。自分の気持ちを備忘録のように残す意味もあり、辛さをぶつける場所としてブログを始めました。

岸田 なるほど。まずはそこでスタートされたんですね。そしてその後、正式にがんの告知を受けられたと。

光村 はい。9月に手術を受けて、その時の病理迅速診断で「おそらくがんだろう」と言われていました。その後、正式な病理検査の結果が10月に出て、卵巣がんと告知を受けました。

岸田 1ヶ月後の告知だったんですね。ではその時のお気持ちはどうでしたか?手術を終えた直後でもありますし…。

光村 やっぱり「そうだったんだ」という気持ちでしたね。ただ、ステージが1と告げられたので、「たぶん大丈夫なのかな」という前向きな気持ちも少しあって。不安と希望が入り混じっている状態でした。

岸田 その告知は一人で受けられたんですか?

光村 いえ、主人が一緒にいてくれました。主治医の先生と私と主人に加えて、がんの認定看護師さんも同席してくださって。告知の後に、その看護師さんと主人と私の3人で話す時間をいただけたんです。その場で「抗がん剤治療をするかしないか、ご家族と一緒に考えてくださいね」とお話しがありました。

岸田 主治医とのやりとりとは別に、看護師さんと話す時間があったんですね。

光村 そうなんです。やっぱり主治医の先生との会話は情報を受け止めるだけで精一杯で…。看護師さんとの時間では、自分の気持ちを整理して「私はこう思う」と言葉にできる場をいただけて、本当にありがたかったです。

岸田 確かに診察室の短い時間だと、頭が真っ白になってしまいますもんね。

光村 はい。どうすればいいのか言葉も出なくなってしまうので…。別の場でゆっくり話せる時間があったのはとても良かったです。

岸田 本当にそうですよね。病院側も、そういうフォローの時間をもっと設けてほしいと思います。では、その後は抗がん剤治療「TC療法」を受けられたんですよね?

光村 はい。主治医の先生からは「抗がん剤治療をせずに経過観察する方法」と「補助化学療法として抗がん剤治療をする方法」の2つの選択肢を提示されました。どちらを選ぶかは私に委ねられたんです。

岸田 そう言われても、迷いますよね…。

光村 そうなんです。「どちらがいいんでしょうか?」と逆に聞きたくなりました。でもその後、自分でネットで調べたり、ブログを通じて知り合った仲間に相談したりして…。最終的には「やらなかったことを後悔したくない」という気持ちと、「もし体に残っているがん細胞があるならしっかり治療したい」という思いから、抗がん剤治療を受けることを決めました。

岸田 ありがとうございます。実際に受けてみて、抗がん剤治療はどうでしたか?思った以上に大変でした?

光村 ああ、大変でしたね。やっぱり副作用が吐き気や脱毛などいろいろあって…。動くのもしんどくて、少し歩いただけでハァハァ息が切れるほど体力が落ちているのをすごく感じました。

岸田 そうですよね…。そんな中で抗がん剤治療を終えられたんですよね。最終的にはどれくらいの期間でしたか?

光村 11月、12月、1月の3ヶ月間、3クール治療を受けました。

感動の自然妊娠、夫のがん発見──闘病経験が家族を救った「検診の大切さ」

岸田 はい。そしてその後、気持ちが上がっていく出来事がありました。それが第1子のご出産。これは自然妊娠だったんですか?

光村 そうです、自然妊娠でした。本当にびっくりでしたけど、すごく嬉しかったですね。

岸田 よかったですね。右卵巣を残していたからこそ、出産につながったということですね。

光村 そうですね。抗がん剤治療で卵巣機能が失われるかもしれないと先生からも言われていたので…。だからこそ、授かれたことが本当に嬉しくて、皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいでした。

岸田 本当に良かったです。ありがとうございます。

岸田 そしてその後には「リボン講師の資格取得」という出来事がありますね。ここからリボン作家としての活動が始まったんですね。

光村 そうなんです。資格を取って、リボン作家として活動を始めました。

岸田 ただその後、少し下がる出来事がありました。ご主人にがんの疑いが出て、腎臓がんと診断を受けられたと。

光村 はい…。今度は主人ががんになってしまいました。

岸田 それはどういうきっかけで分かったんですか?

光村 私自身が卵巣がんになった経験もあって「検診は大事だな」と思っていたんです。主人も健康診断は受けていましたが、項目が少なくて「これで大丈夫かな」と不安に感じていて。そこで「人間ドックを受けてみたら」と何度も勧めていたんです。でも主人は「会社の健診で異常ないし、体調も悪くないから大丈夫」と言ってなかなか動かなくて…。それでも「一度だけでいいから」とお願いして、渋々受けてくれたんです。

岸田 なるほど。その人間ドックで見つかったんですね。

光村 本当にびっくりしました。「そんなことあるんだ」って思いました。

岸田 でも幸いにも、初期で見つかったんですよね?

光村 そうなんです。人間ドックの超音波検査で見つかって、すぐに病院に行けました。早い段階だったので、腎臓の一部を切除する手術だけで治療を終えることができました。

岸田 それは本当に光村さんのファインプレーでしたね。

光村 あの時、本当に私が「人間ドック受けて」と何度もお願いしなかったら、主人のがんは見つかっていなかったと思います。だからこそ、早期に発見できて本当に良かったと心から思いました。

岸田 そうですよね。腎臓がんって、国の定めるがん検診の対象には入っていませんからね。でも光村さんが旦那さんの健康を真剣に気遣って行動した、その愛情が本当に尊いなと思います。

光村 私自身がつらい経験をしたので、主人には同じ思いをしてほしくないという気持ちが強くて…。だからこそ早く見つかって良かったです。

岸田 ありがとうございます。そしてその後にあるのが「ゆうゆ」発売開始。すみません、僕は存じ上げないのですが、「ゆうゆ」とはどういったものなんでしょうか?

光村 はい。今私が被っているこの帽子なんですけど、抗がん剤治療を受けている方や、これから受ける方に向けて「医療用帽子を作りたい」という思いから2018年に活動を始めました。竹繊維でできた帽子に、私の作ったリボンをスナップボタンで付け替えられるようにしていて、それを「ゆうゆ」という名前で発売しています。

岸田 なるほど。しかも光村さん、自ら竹繊維でタオルを作っている企業さんにアプローチして、この医療用帽子の開発につなげられたんですよね。

光村 はい。販売店契約を結ばせていただいて、帽子を仕入れてリボンを付けて販売する形をとっています。

岸田 そして今では広島大学病院の売店でも取り扱われているんですよね?

光村 はい。大学病院の売店で置いていただけるようになりました。やっぱりネット注文もいいんですけど、実際に手に取って「これが欲しい」と思った時にすぐ買えるようにしたいと思っていたので、ご縁をいただけて本当に良かったです。

副作用の辛さを分かち合う──患者同士の支え合いと家族の前向きな姿勢

岸田 はい、ありがとうございます。なので皆さんも、もし広島大学病院に行かれることがあれば、ぜひ実際に手に取ってみていただきたいなと思います。ありがとうございました。これが光村さんのペイシェントジャーニーでした。
そして次は「困ったことをどう乗り越えたか」という点についてお伺いしていきたいと思います。光村さんからは、抗がん剤治療中の副作用や不安、そしてパートナー・ご家族のがんに直面した辛さについて挙げていただいています。それをどう乗り越えられたのか、それぞれ詳しく伺っていければと思います。

光村 はい。

岸田 ではまず一つ目、副作用や不安についてはいかがでしたか?

光村 そうですね。副作用の中で一番辛かったのはやっぱり脱毛でした。私の場合、最初の1クール目は入院治療だったんです。

岸田 入院で受けられたんですね。

光村 はい。入院中にちょうど脱毛が始まったんですけど、病院のスタッフさんや患者さん、お見舞いのご家族などが頻繁に行き来する通路に洗面所があって。そこで髪を乾かしていると、抜けた髪がふわっと飛んでしまうんです。

岸田 ああ、わかります。どうしても髪が散ってしまいますよね。

光村 そうなんです。その髪を拾い集めている時に、皆さんはきっと私を見ていないし、気にもしていないと思うんですが、「みんなに見られているんじゃないか」という気持ちが込み上げてきて…。とても惨めな気持ちになってしまって、病室に戻って泣いてしまいました。

岸田 なるほど…。人の目を意識してしまって、辛さが増してしまったわけですね。

光村 はい。でもその時、同じ病室にいた年上の方に思わず打ち明けたんです。「今こんなことで泣いてしまって…」と。すると、その方が話を聞いてくださって。

さらに、その時ちょうど主人にもがんの疑いが出ていたのですが、主人は取り乱すこともなく「じゃあ次はどうしよう」と前向きに受け止めていたんです。その姿勢に私自身が励まされて、「私も乗り越えられるんじゃないか」と気持ちを切り替えることができました。

岸田 ご主人の姿勢や、同室の方とのやり取りが支えになったわけですね。

光村 そうですね。とても大きかったです。

「体調の変化がなくても検診を」──10年を経て伝えたい、早期発見の大切さ

岸田 うん、ありがとうございます。やっぱり当人がどういうふうに考えているかって、本当に大事ですよね。ありがとうございます。では最後に、光村さんからメッセージをいただきたいと思います。そのメッセージがこちらです。

光村 自分の身体は一つ、生まれてからずっと人生を共にするかけがえのない存在です。体調の変化がなくても検診を受けてください。私が今こうして生活できているのも、なるべく早く病院に行って検査を受け、治療につなげられたからだと実感しています。これからも何か体調の変化があったら、無理をせずに早めに病院に行ったり、専門機関に相談したりしようと思っています。皆さんも日々忙しいと思いますが、ぜひ無理をせず、早めに病院に足を運んでもらえたらと思います。

岸田 ありがとうございます。そうですね。ちょっと時間が空いた時にでも、お互い病院に行くようにしましょう。

光村 はい、無理をしないこと、大事ですね。健康第一。

岸田 そうです。本当に健康がなければ、何もできなくなってしまいますからね。

光村 はい。本当に今こうして生活できるのも、健康があるからこそだと思います。

岸田 はい、ありがとうございます。それでは、これにて終了したいと思います。光村さん、今日は本当にありがとうございました!

光村 ありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。

関連するみんなの経験談