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インタビュアー:岸田 / ゲスト:木崎
「スキンヘッドからウィッグまで」治療後の記念撮影とエルモ声真似|木崎さんのユニークな自己紹介
岸田 木崎くんの自己紹介こちらになります。はいね、もうこの写真のインパクトがね大きすぎるっていう風なところかと思うねんけど、まずこの写真はどういう意図での写真なん木崎くん。
木崎 なんかこの写真は、その私が白血病の治療がある程度終わった後に、その大阪でがん患者さん専門で撮られてるフォトグラファーの方がいらっしゃったので、まあそこで治療が終わって、記念として撮影していただいたものとなっております。
岸田 はい。その撮影してもらった写真なんですけれども、木崎くんこれスキンヘッドやんな、たぶん。
木崎 あ、はい、そうですね。
岸田 木崎くん今もスキンヘッドなのね。
木崎 はい、今もスキンヘッドで今回ちょっとウィッグで参加させていただいております。ただ、やっぱああいう写真を撮っているときに、結構その坊主でもまあかっこいいみたいな感じで言ってくださる方が結構いらっしゃったので、まあこういう撮影の時とかこれ一応被ってるんですけど。まあ、普段外とかで歩くときは、もう初めからのつるっとした髪型で歩いていることが多いです。
岸田 おお、坊主がかっこええやんって言われても、撮影の時はウィッグを着るってことね。
木崎 そうですね。なんか一生残るんだなって考えた時にちょっと。一応念のためになんか今後多分、僕は髪また伸びていくんで。
岸田 ああ、そっかそっか、髪あるバージョンでね。撮影はしていこうかと。
木崎 あと最近寒いんで冬になるとスキンヘッドはちょっとキツくなって。
岸田 ニット帽代替わりなってるやん。
木崎 二ット帽よりも人間味があるなって思って、はい。
岸田 いいと思います。なんかすごい似合ってるよね、そのウィッグ。
木崎 そうなんですかね。やっぱり自分ではあんまわかんないんですけど、なんか久しぶりに友達とか会うときに、最初スキンヘッドで行って、でトイレに行って、かぶって戻ってくるとかもやったりしてるんですよ。そういう時はやっぱりこっちの髪型の方が、その昔の木崎くんっぽいよねみたいな感じで。
岸田 ああ、はいはい(笑)
木崎 っていただける感じがやっぱあります。
岸田 えっ途中で着ていくって、もう完全にドッキリやんもう(笑)
木崎 いやでもなんていうんだろう。やっぱりその初めからこれで行くとちょっと気まずくなる時とかあったんですよ。
岸田 はいはい、違和感感じるのか。
木崎 そうだからなんかそういう空気になってきた時は、ちょっと行ってかぶって戻ってくるみたいなやったりしていきます。
岸田 空気をね、考えてね。
木崎 初めからかぶってけっていう話なんですけど。
岸田 いやいや。ありがとうございます。そんな木崎くんですけれども大阪の出身で、今大学院生されています。で趣味をキャラクターの声真似ってあんねんけど、もうこれ完全にあれやん。もう、キャラクターの声真似。もう完全にこれフラな絶対もうスルーしたら絶対怒られるやつやん。
木崎 まあ、でも僕の結構声まねとかって、そのシラフでやったらしーんってなるけど、なんか酔っ払ってる時にやったらすごいわあって盛り上がる感じなんで、もしかしたらちょっとこれ見てる方でシラフの方だったらすごいなんかおもんないみたいな感じで、次の動画に飛ばされるとかあるかもしれないんですけど。
岸田 視聴率が下がるやつを(笑)
木崎 再生率がなんかそれで回らなくなったりとかするかもしれないけど(笑)
岸田 あのみんな見てくださってる方、みんな温かい温かくあのはぁっていう感じで見てくれると思うから大丈夫、大丈夫。
木崎 似てるか似てないかだけ、なんかコメント欄とかになんかあのコメントしてみたら、今後の参考にするんで。
岸田 参考になります。はいじゃお願いします。
木崎 はい、行きます。えっと。エルモ、あの赤いキャラクターのエルモの声真似をさせていただきます。
木崎(え〜エルモだよ。)以上です。
岸田 やばいそっか、俺、原型のエルモをあんまよくわかってないかもしれない。
木崎 結構こうなるんですよ。その元のエルモの、声を知らない人が結構多いからなんか。
岸田 そっか元のエルモ。
木崎 こういうなんか特技とかでやってもなんか受けもせず、あ、そういう声なんだみたいな感じで終わるっていうの結構あるから、ちょっとキャラクター変えなあかんなって。
岸田 いやいやいや、けど、めっちゃあの分かる人にはめっちゃ分かってくださってると思うんで、めっちゃ。
木崎 多分USJ好きの方だったら今多分うわ〜って多分、思ってるのではいコメントしてみてください。似てるかどうか。
岸田 わかるよ、あの赤いね、もじゃもじゃのキャラクターよね。
木崎 逆にでもエルモの声知らないのって、なんで知らないんだろうって思ったりするんですよね。めっちゃ有名なのに。
岸田 すみません(笑)
木崎 怒ってるわけじゃなくて、なんか全然不思議というか(笑)
岸田 はい、ありがとうね。こんなね、すごいやりづらい中やってくれてすごいさすが、関西人やなっていうのを。戻ってきましたと言ったところで、じゃあえっとここからですね。はい。がんの種類が急性骨髄性白血病、そして告知年齢は22歳。現在は25歳ということで、治療法が薬物療法、手術、移植をされてきたと。
22歳で急性骨髄性白血病と診断された大学院生の3年間|合併症の連鎖を乗り越えた軌跡
木崎さんのペイシェントジャーニーを伺っていきたいなと思っております。ペイシェントジャーニーは気持ちや時間、吹き出しなどはこんな形となっております。木崎さんのペイシェントジャーニーこちらになっております。はい、木崎さんのね。あの真ん中のところはこうちょっと上がっていてというふうな形であとは下がっているところはね多いかと思うんですけれども、まず最初の一つ目どうだったかというと、大学卒業ということになります。はい、今、大学院ですよね。ここから卒業して院に行ったってこと?
木崎 そうです。おっしゃる通りです。
岸田 ちなみに大学院では何学んでるの?
木崎 大学院ではえっと大学の専攻が工学部だったんですけど、まあ、それに加えて経営もやるっていう技術経営に関して勉強をしています。
岸田 おお、かっけえ。はい、そんな木崎さんが次どうなっていくかというと、40度の発熱でトイレで倒れるということですが、これは何が起こったんでしょうか。
木崎 なんか結構卒業旅行とか行っててすごい遊びまくってたんで、当時は結構疲れがたまって、まあ熱が出ちゃったのかなって思ってたんですけど、まあ、その熱がなかなか下がらずに1週間ぐらい寝込んで、ふとした時にトイレに行って、トイレが終わってこう起き上がった瞬間に、ユニットバスだったんですけど、そのユニットバスのバスの方にこうお尻からこうすぽってはまり込む形で倒れて。
岸田 ええ、危な。
木崎 救急隊の方になんでこんなハマってるんですかみたいな感じで言われました。どういう倒れ方したんですか?みたいな。
岸田 え、救急隊来たんや。
木崎 きました。もうなんか、もう母親が一人で来てたんですけど、家に。もう僕60キロぐらいあるんでもうひっこ抜けないんで、もう救急隊で多分3人ぐらいかかってて足掴んでこうスポンて引っこ抜いてもらって救急車乗るみたいな。
岸田 ユニットバスのバスの方にやんな。
木崎 あのトイレとバスが隣にあったんで、起き上がって
岸田 ふらっとしたらこうバスで
木崎 気づいたら浴槽にハマってしまっていたみたいな。
岸田 はい、そんな状態でやって、そこから運ばれていくんですよね。おそらく。
木崎 はい。
岸田 で運ばれて、そっからどうなっていくかっていうと。病院で検査。大学病院へ。そのまま検査受けんの?
木崎 えっと熱が結局あの下がったんですけど、病院に搬送されたら。その下がっても、白血球の仲間の好中球っていう値が全然上がっていかなくて。普通の人の1/3ぐらいしかなかったので、まあそれで造血器疾患を疑われて、紹介状をいただいて大学病院に行ったっていう感じです。
岸田 はい。そして大学病院へ行って、そこでがんの告知を受けていくということやねんけれども。がんの告知を受けていった時に、そのね。白血病ですよって言われた時に特にネガティブな感情じゃないのよね。あの白い枠なので。これどういうこと?
木崎 私、その当時は全然まだそういうがんとか造血器疾患に関する知識が全くなかったので、なんか白血病って言われた時に、そのどういう深刻度が全くわかんなかったんですよね。だから本当に告知の直後っていうのはなんか。あ、診断されたぐらいのメンタルでした。なのであのどちらでもない感情になってます。
岸田 はい、じゃあそうね、どちらでもない感情。まあね、その中でがんの告知を受けてくんやけれども、周りのこれは一人で告知受けた家族と一緒に。
木崎 えっと家族、母親が一人いたみたいな感じです。
岸田 家族の反応とかどうでした?
木崎 なんかあんまり自分の方にはネガティブな感情とかは多分見せてなくて、だけどその僕の範囲、視界の外で結構泣いたりとかされていたそうです。ただ、入院の準備がすごい大量にあったので、それにその準備に結構大忙しいみたいな感じででした。
岸田 そっかそっか、まあね、家族もね。結構ショックを受けるけど、そこから治療をね。もう怒涛の治療が始まっていくからね。はい、そんな始まっていた中で。木崎さんはまず薬物療法、寛解導入療法というのをされたりやとか、あと薬物療法、地固め療法というものをされていきます。これはどういうものでしょうか?
木崎 これはえっと抗がん剤で白血病に白血病細胞をまあ抑えていくっていう治療法で、基本的に無菌室で抗がん剤を入れて、副作用としては食欲不振であったり、倦怠感であったりがありました。
岸田 いや、結構どれぐらいの期間やったん?
木崎 えっと寛解導入療法が、7日間投薬して投薬すると白血球の数が下がってくるんで、それが回復するまでの待ちで。だいたい1ヶ月ぐらい1クールがあって、それを3回やったので、まあ合計3ヶ月ぐらいと認識してます。
岸田 はい、そんな中でじゃあちょっとね、こっからまだまだ下がってくんよね。その下がっていくのが。おお、こっから移植なってくんか。
木崎 なんか。
岸田 同種末梢血幹細胞移植。
木崎 はい、造血幹細胞移植、まあ俗にいう骨髄移植なんですけど。その骨髄移植の中にもある程度種類があって、ドナーさんがいるんですけど、血液を提供してくれる。まあ、そのドナーさんの骨髄から造血幹細胞をもらうのを、髄移植っていうんですけど、私の場合はドナーさんが末梢血から造血幹細胞を取って、でそれを私の血液に入れてもらうということで、末梢血の造血幹細胞移植っていうのを行いました。
岸田 結構この下がっている理由としては、なんか移植は結構大変やったから。
木崎 ああ、なんか抗がん剤治療を今までやってきてなんですけど、この移植をする時は、私の場合は抗がん剤治療に加えて放射線の治療もやる必要があったんですよね。なので、その今まで受けていた副作用に加えて、放射線の副作用がバッて入ってきたっていうのが本当にしんどくて、もう一時期は本当粘膜がだいぶただれてしまって、喋ることができずにパソコンでタイピングで医療従事者の方とコミュニケーションをとっていた時期がありました。
岸田 え、放射線もしてんのか、じゃあ。
木崎 あ、して全身に。全身にもう浴びてます。
岸田 自己紹介の時全然言ってなかったけど、放射線もあるってことね。
木崎 放射線もありました。
岸田 でもそれでじゃあタイピングで医療者とコミュニケーションとって。結構大変じゃなかったタイピングでコミュニケーションをとるって。
木崎 いやでもなんか口でしゃべる方がその時はしんどかったので、なんかそれよりもまだそのこの喉を使うより指を使ってコミュニケーション取る方がマシだたっていうのがありますね。ただ、やっぱりどうしてもしゃべる速度っていうのは遅くなっちゃうんですけど、まあ、そこはすごい柔軟に医療者の方に対応していただいてました。
岸田 はい、ということでありがとうございます。そこからちょっと上がってきます。それは何かと申し上げますと、急性GVHD、なんですか?
木崎 GVHDっていうのは、その移植したドナーさんの細胞がちゃんと赤血球とか白血球とか血小板を自分の体の中で生み出せるようになった状態から、さらにそのドナーさんの免疫細胞リンパ球と白血球が、僕の体の中の細胞を異物とみなしてこう攻撃をするっていう自己免疫疾患に似たような疾患になっています。
岸田 急性ということはいきなり来たってこと、それが。
木崎 なんか急性と慢性でなんか二つ分かれてて、で移植してから確か3ヶ月か半年とか以内に起こるものを急性GVHDで、それ以降が慢性GVHDっていう区分けをしてたと思います。なので、結構移植をして、まあ2週間とか3週間後に、私の場合はこう体の中を攻撃させられた、攻撃されたっていう感じです。
岸田 具体的にどんなことがあったんですか、それは。
木崎 具体的にはえっと肝機能障害が出て、あのガンマGTPとかの値が300とか400まで上がったりとか、あとは皮膚障害でなんか手のひらとか足のひらがやけどした感じでヒリヒリしてるみたいな状態が2週間とか3週間ずっと続いて、その間は夜とか全然寝ることができなかったですね。
岸田 そっか、それはさあ、もうそれは治まるの待つしかないの。
木崎 免疫抑制をかけるイメージですね。その免疫力、免疫細胞が悪さをしているので、免疫抑制剤っていうのを服用して免疫力を落とすことによって、GVHDも弱めるっていう治療法が一般的かなと考えてます。
岸田 じゃあお薬とかを飲んで、それを免疫を抑制したってことか。
木崎 そうですね。免疫抑制剤をプログラフとかステロイドとかを飲んで症状を緩和させていたという感じですね。
岸田 はい、そこからええとね。ちょっと上がっていくのは何かというと、そこからを退院できるようになったということで、これ移植してから何ヶ月後ぐらい?
木崎 移植してから2ヶ月後ですかね?2ヶ月かかりましたよ。
岸田 退院していくと。
木崎 はい。多分、他の移植患者さんと比べたら、平均よりちょっと早いか遅い。ちょっと早いくらいになってるかなと。
岸田 そこからどんと下がっていくのは。突発性大腿骨壊死症。骨が、壊死症ってね、壊れたってこと。
木崎 なんか私が使ってた免疫抑制剤の中で、骨を脆くする作用がある、骨を脆くする副作用があるものがあって、その影響で股関節、大腿骨のなんか先端の骨頭っていう部分がこうぐしゃっとつぶれてしまったっていうのがあってで、それが結構歩けなくなるぐらいの股関節が、私の場合はちょっと出てしまって、なんかせっかくがん治療を頑張って乗り越えたのに、なんでその治療の薬の副作用で歩けなくなってしまうんだろうみたいな。その誰にも向けられない怒りというか、腹立たしさっていうのが、この時は本当に強かったのでもう。
岸田 いや、大腿骨壊死症、そっか。え、そのグシャってなるっていうのは、普段の生活しててぐしゃってなった。それともあの過去にね、チャリでコケたら骨がっていうふうな人はいらっしゃったりとかして。普通、普段通りにしてて、骨がもうぐしゃってなっちゃったの。
木崎 そうですね、なんかあの骨の血液、骨に血液を送る血管がこう狭くなって送れなくなっちゃうことがあるらしいんですよ。で、骨に栄養を送れなくなるので、そうすると、だんだん脆さは今本当なんか強くなっていって。ある時ぐしゃってなんかなるみたいな。私その時テニスを結構やってたんで、テニスをやってて、その今日もテニスやるぞみたいな感じで股関節をこうクルクル回してたらなんかこうゴキってなって。めっちゃ痛いって歩けなくなったっていうのが私の場合は、そんな感じでした。
岸田 あったということで、ありがとうございます。そこからも下がってて、そんな中でもう慢性のGVHD。さっき言った急性の次の慢性や。ずっとあるやつ。
木崎 あの退院してから。症状としてはえっと皮膚に皮疹が、全身に蕁麻疹ができちゃったりとか、あとはまあ涙が出にくくなるドライアイとか。あとは舌の上になんか潰瘍みたいのができて、ものを食べるときにこう滲みたりするとか、本当にいろんな臓器に結構出てきます。
岸田 わあ。で、それをどうどう付き合ってるの?今は。
木崎 今はえっとそのさっきのその先のGVHDのところで、その新薬の投与の入院をしたんですよね。
岸田 どういうこと?
木崎 あ、えっとGVHD免疫抑制をかけて、3種類の薬使って免疫抑制かけてたんですけど、それだけじゃちょっと足りないなっていうところで、新しいお薬っていうのを投与して。でその薬を投与すると蕁麻疹とか。まあほかのGVHDの症状もまあ、徐々に徐々に弱くなっていって、今そのお薬を飲みつつ、普通に生活しているという感じになってます。
岸田 じゃあ4種類の薬今飲んでるってことね。
木崎 はい。えっと結局、タクロリムスとステロイドとセルセプトとイムブルピカっていう四つのお薬を飲むで来ているんですけど、まあそんなにでっかい病気とかにはかからずに、今のところは生活はできています。
岸田 はい、っていうことね、ありがとうございます。はい、あの見てくださってる方ね。医療情報だって薬とかに関しては、主治医の先生のね、処方に従っていただければと思います。あくまでもこれは木崎さんの経験談となっております。そんな中で、慢性GVHDをなった後、手術人工関節置換術ということで。ようやくその大腿骨を変えたってこと?
木崎 なんかその潰れているところの骨をこう切り取って、その人工のインプラントを挿入して、股関節がスムーズに回復するようにするっていう手術を受けて、サイボーグみたいなってます下半身。
岸田 サイボーグみたいに下半身がなってると。え、それってさあ、あの結構大きなやつ入れてるってこと?大腿骨やから。
木崎 そうですね、多分僕の顔よりもうちょっと長いもの入れてると思います。
岸田 え、それ飛行機乗ったらキーンって鳴らへんの?
木崎 あ、なんかその飛行機乗るときは、あの人工股関節俺付けてるぜ証みたいなのがあるんですよ。なんか印刷してなんかうん、そのピーってなった時に見せるみたいな感じでやっていくらしいです。それは私はまだ経験したことないんですけど、そこがちょっとなんか不安だなって絶対引っかかるんで、私は。
岸田 はい、そうだね。絶対ピーってなるもんな。そういうね、ちょっと大変なこともありつつの、もう今は大丈夫。じゃあそれ人工関節置換術してからは普通に歩けてる。
木崎 そうですね。なんかやっぱ筋力がちょっと落ちちゃってるので、昔のように何か走り回るとかはちょっと難しいんですけど、まあスキップとかだったらもう全然やらせてもらってます。
岸田 いけるってこと。
木崎 はい。
岸田 スキップするタイミングはなかなかね。なかなかないかもしれへんけど。あの社会人、大学院生活ね、まあごめんごめん。そんな中で大学院に対面復帰ということ。復帰していき、その起業育成プログラム、医療機器開発プログラムといったところで、これは。どういう、院に復帰して、なんか自分の中でこういうプログラムをやろうみたいな感じを思ったってこと?
木崎 そうですね、なんか。このペイシェントジャーニーこの前半から中盤部分ってやっぱりどう自分の中で振り返っても、やっぱりちょっとクソだなみたいな感じ。ちょっと思ってしまって。
岸田 まあ、クソってね、うん。
木崎 うんいやまあ、そのいや、ほんまにそりゃなんていうんだろう、移植してくださったドナーさんとか、そういう移植はやっぱりすごい感謝はしているんですけど、やっぱり全体を見た時に歩けなくなっちゃうとか、復帰までにやっぱ3年とかかかっちゃっているっていうのがちょっと。自分的にはもうちょっとなんか、こういう辛い思いする人を照らしたりなっていうのがあったので。この経験をなるべく他の人にさせないような、なんていうんだろう、ものとかサービスをもうちょっと開発していきたいなっていうところで、そういったプログラムは参加して修行中という感じです。
岸田 おお、じゃあ木崎くんがこういったものを起業したいとか、そういったところで今後患者さんを救っていくっていう感じかな。
木崎 そうですね。まあ今すぐにそんなのってできないとは思うんですけど、まあ、ちょっとずつちょっとずつ。何か今の状況よりも、もうちょっと良くなるようなものだったり、サービスっていうのは作っていって。次白血病になってしまった人が、もうちょっと楽に闘病をできるような環境とかを作っていきたいなっていうのは。恥ずかしいですね。
岸田 いや、もっと恥ずかしいのは次ね、あの上がってるのが次ね、こちらになります。はい、がんノート出演といったところでね。最大限の忖度をいただいていますので、次行きましょうか?
木崎 これはそのもちろん岸田さんとお話しさせていただくのがすごいもう嬉しくて嬉しくて、今日この動画撮ってますけども、前日の夜とかも楽しみすぎて全く寝れないっていう。
岸田 いや、もう。全然もう楽しそうじゃなくてもなんかもうすごく言わされてるわとかじゃなくて大丈夫?
木崎 本当にでもなんかそれよりもなんか今の自分の闘病の流れとかっていうのをなんか話すことができてるっていうのが、結構個人的には嬉しいなって思ってて、やっぱり本当に治療で歩けないとか、しんどい時ってなかなか自分のこの治療歴を言うっていうのも、なかなか難しかったりはしてたので、まあなんとか受容、自分の病気の受容みたいなところは本当にできてよかったなっていうところで。書いています。
岸田 ありがとうございます。いやいや、自分の中のね。木崎くんとちょっと言っていたのは、木崎くんがね、やっぱ客観的に受容して、自分のことを客観的に捉えることができないと、やっぱこういうねあのことを俯瞰してみることができないから、自分もそういうふうになったんだなっていうことね、木崎くん言ってくれてたね。
木崎 まとめてもらってありがとうございます。
岸田 そういうのいい大丈夫、大丈夫。そんなあのもう、いつも通りフランクな感じでいいよ。もうね、ありがとうございます。本当にもうなんかなんか申し訳ない、はいじゃあ次行きたいと思います。
治療の無限ループによる絶望感-「キャリア+がん」思考法で見つけた希望
岸田 はい、そんな木崎くんの困ったことを乗り越えたどう乗り越えたかって言ったところで、大変だった困ったことって言ったところはこの二つ、合併症の治療の副作用による合併症、そして人と比較して落ち込む。それをそれぞれの方法で乗り越えてますが、木崎くん、まず困ったことどういうふうに乗り越えていきますでしょうか?
木崎 そうですね。困ったこととしては、やっぱり治療をしても、その治療の合併症でまた治療しないといけなくなったりとか、でまたその治療の副作用でまた治療しなく、いけなくなったりとかでなんか延々にループしていってる感覚っていうのが、やっぱ治療中の当時としてはあったんですよね。なのでそういったまあ、合併症とかをなってますよって言われた時とかは、やっぱなんで治療してるんやろうって思ってたんですよ。で、それを、医療者泣くっていうそういうわけなんですけど。
岸田 まあまあ。医療者に気持ちを話してね。
木崎 はい。ストレスと一緒に涙で流していくっていうところが、なんか結構なんていうんだろう。そのまだもう20なんぼにもなっている大人が泣くって、どうなんみたいな感じで最初は思ってたんですけど、それをしていくとやっぱちょっと心が楽になるとかがあったので、もし今治療受けてこの動画見てる方で治療を受けててしんどいけど、ちょっと溜めてるとかものがあったら、もうそれを医療者の方とか外の人に流すことでちょっとは軽くなるんじゃないかなっていうのは思ってます。
岸田 木崎くんはちなみにどんな医療者に聞いたの、その。
木崎 臨床心理士さんっていう方がいてで、まあ心のケアをしてくださる方なんですけど、まあ、その方に週に1回1時間ぐらいを話してもらったりとか、まあそれでもちょっと耐えきられへんになったらまあ日勤の看護師さんだったり、夜勤の看護師さんにまあ、ちょっとなんすかこれみたいなっていうちょっと言ったりは。
岸田 これってねってまたね、まあ本当にまあ、そういったところで話を聞いてもらったりとか。人と比較して落ち込むというのはどういうことですか?
木崎 これはその入院治療とかをしている時に。なんかインスタとかを見ると、まあ卒業した友達とかもバリバリ働いてたりとか。歩けなくなった時とかに、他の人はみんな歩いて毎日仕事とか行ってるのに、自分はなんか何もできていないというか、全くなんか世の中に貢献できていないっていうところの比較で結構落ち込んじゃってたなって振り返ると思ってます。
岸田 はい。そのね、まあ他の人と比較して、ただそれをキャリアプラスがんでできることを探すって、なんかキャリアプラスがんってどういう意味で。
木崎 これはあくまで私のアプローチになってるんですけど、そのがんの経験の中で、その何か生かせるようなところを探していくっていうところで、例えば私の場合、移植治療で結構タイピングをだいぶやったところから、まあ今大学院生の時にタイピングの速度が結構上がってたりもするんですよ。とかまあなので、その自分が今まで生きてきたところっていうのを最初に思い出してから、その中でがんになったから何か能力が上がったとか、できるようになったことって、あるんじゃないかなって探してみるっていうところを言っています。
岸田 まあ、そういう自分のタイピングが速くなったりとか、そういったところとかいろんなね。キャリアとかそういうところとがんの経験っていうのをつなげて、なんかできることっていうのを考えていくってことあってる?
木崎 そうですね。それをしているとなんかそのがんの治療期間っていうのが、その最初はクソって思ってたけど。蓋をちょっと開けてみたら何個かなんか拾えるいいものがあったりとかするかなと個人的には思います。
「治療がうまくいかない=負け」ではない|闘病に勝ち負けはない理由
岸田 ありがとうございます。はいね、そういったところで木崎くんのメッセージをいただいてますので、こちらのメッセージ、木崎くんお願いいたします。
木崎 はい、私のメッセージとしては、最初に移植をまあ、これから受ける方、受けようか迷っている方。いらっしゃると思うんですけど、私のこの移植後の治療計画っていうのはだいぶしんどい方なので。他の闘病仲間、もっとすっと社会復帰していっているので、まあそこはちょっと安心して、安心もできないと思うんですけど、まあ、治療をしていっていただきたいと思います。ただ、私は結構そういう大腿骨壊死とか、まあGVHDがまあ結構長引くっていうところをなかなか移植前に知っていなかったので、ちょっとこの治療をマジでありえへんみたいな思った時もありました。なので、これをまあ見た方はこうなる可能性もゼロではないっていうところを認識していただきたいと思ってます。で結構私の場合は、その治療がやっぱりうまくいっていないことが、まあ失敗であったり、負けっていうふうに捉えてしまっていた時期があって。その時は本当に自分が本当にダメな存在みたいな感じで思ってた時期がありました。ただ、やっぱり治療ってそんなその自分の努力でなかなかよくできる要素とかが少ないところがやっぱあるので、まあもし治療がこれ見てくださっている方で、まあ治療がうまくいってなかったとしても、なんかそのご自身がなんかよくないとか悪いとかっていうふうに下げてしまうっていうことだけはやっぱりしてほしくないなって思っています。でどうか皆さんの治療がうまくいくことを、お祈りしていることと、またこうやって治療してくださった医療者の方だったり、薬を開発している製薬会社の方、医療機器の方に本当に感謝しておりますので、これからもよろしくお願い申し上げます。以上です。
岸田 はい、ありがとうございます。木崎さん、本当ね、あのそうよね。なんか治療が成功していないから負けとかね。なんかあの闘病ってなんか病と闘うけど、じゃあ病と勝ち負けなのかっていうとそうでもないしね。
木崎 そうですね、なんか。それでいって勝ってる人はまあいいんですけど、やっぱりそれで負けた。まあ病がなかなか治らないから負けてるっていうわけではないっていうのは本当にお伝えしたくてはい。なんでもうはい、したいです。はい。
岸田 全然みんなに伝わってると思います。これにて、木崎くんのがんノートmini終了していきたいと思います。どうもありがとうございました。
木崎 ありがとうございました。頑張ってください治療。いや頑張らなくても大丈夫です。
岸田 どっちやねん。
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