目次
- 【発覚から告知まで】テキスト / 動画
- 【治療から現在まで】テキスト / 動画
- 【 家族】テキスト / 動画
- 【 妊よう性】テキスト / 動画
- 【恋愛・結婚】テキスト / 動画
- 【仕事】テキスト / 動画
- 【お金・保険】テキスト / 動画
- 【辛い・克服】テキスト / 動画
- 【後遺症】テキスト / 動画
- 【反省・失敗】テキスト / 動画
- 【 医療者へ】テキスト / 動画
- 【Cancer Gift】テキスト / 動画
- 【夢】テキスト / 動画
- 【ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【今、闘病中のあなたへ】テキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:紙
岸田 ライブ配信を開始しました。紙さん、本日はよろしくお願いいたします。
今日は天気も良いですね。
紙 よろしくお願いします。天気は良いですね。
岸田 紙さんは富山から参加していただいていますよね。
紙 はい、富山から参加しています。
岸田 現在はコロナ禍ですが、オンラインでつながれることで、このような形でお話を伺えるのは大きな利点だと感じています。本日は、紙さんのお話をロングインタビュー形式で、時系列に沿って詳しく伺っていきたいと思います。
岸田 それでは、本日のゲストである紙さんをご紹介します。紙さん、自己紹介をお願いします。
紙 はい。本日はよろしくお願いします。紙雄規(かみ・ゆうき)と申します。出身は富山県で、現在も富山県に住んでいます。年齢は36歳で、職業は会社員です。
紙 6年前、30歳のときに急性骨髄性白血病を発症しました。抗がん剤治療、放射線治療、造血幹細胞移植を受け、現在は月1回の通院で経過観察を行っています。治療内容は服薬治療のみで、通院時に採血などの検査を行っています。以上です。
岸田 ありがとうございます。紙さん、今は起床直後というわけではないですよね。
紙 起床直後ではありません。髪型が整っていないだけです。
岸田 その髪型は、治療の後遺症によるものではありませんか。
紙 違います。美容院でパーマをかけています。
岸田 そうなのですね。
紙 顔を少しでも小さく見せる目的でパーマをかけています。最近、髪を短くしようと思って理容室に行ったのですが、パーマを残した状態で短くしたため、側頭部がかなり短くなっています。
岸田 確かに、かなり短くなっていますね。
紙 この状態で進めさせてください。
岸田 途中から視聴された方は、少し驚くかもしれませんが、冒頭から見ていれば経緯は分かりますね。
紙 そうですね。このまま進めていただければと思います。
【発覚から告知まで】
岸田 rinaさんからコメントをいただいています。「自覚症状がなかったのに、どの数値が異常だったのでしょうか?」という質問です。紙さん、覚えていますか。
紙 確か、血液検査の芽球(がきゅう)の数値だったと思います。その数値が基準値を大きく超えていたはずです。ただ、正直なところ少し記憶が曖昧で、はっきりした数値までは覚えていません。すみません。
岸田 ありがとうございます。補足として、初めてご覧になっている方にお伝えしますが、「がんノート」は医療情報を断定的にお伝えする番組ではありません。治療や数値については、必ず主治医の先生や、がん情報サービス、医療機関の正式な情報をご確認ください。この番組では、患者さん側の体験や、生活の中で感じたことを中心にお話ししています。
岸田 ほかにもコメントをいただいています。「どこに入院するかを決めるとき、自分のイメージも重要な要素かもしれませんね」という声や、「告知されたとき、まるで他人の話を聞いているように感じた」という共感のコメントもあります。また、先ほど話題に出た音について、「パシパシ音は確かに聞こえます」というコメントもありました。私だけではなかったようです。
紙 なるほど。
岸田 もしかすると、紙さんのパソコンのファンの音でしょうか。周りには誰もいませんよね。
紙 誰もいません。本当に一人です。見渡しても誰もいません。たぶん、このボールペンです。緊張していて、無意識にノックして音を立てていました。
岸田 それかもしれません。原因が分かりました。
紙 すみません。少し落ち着きます!笑
【治療から現在まで】
岸田
ありがとうございます。それでは次に進みましょう。次は「治療から現在まで」について振り返っていきたいと思います。2015年9月に告知を受け、その後2015年10月に抗がん剤治療である寛解導入療法が始まります。あわせて精子の保存を行い、2015年12月には地固め療法に進んでいく、という流れですね。告知を受けてから、すぐに寛解導入療法が始まったということですが、紙さん、このときはどのような治療を受けていましたか。
紙 この時期は、点滴による抗がん剤治療でした。抗がん剤は2種類使っていたと思います。1週間ずつ投与する形で治療を行っていました。
岸田 点滴の抗がん剤を1週間ずつ、2種類行っていたということですね。その治療は、やはりつらかったですか。
紙 治療が始まる前は、脱毛や吐き気といった副作用を想像していました。吐き気はそこまで強くなかったのですが、高熱が出たり、強いだるさが出たりしました。体調が悪くなるのは実感しましたね。
岸田 寛解導入療法の時点で体調がかなりつらくなると、この先の治療について不安も大きかったのではないでしょうか。
紙 正直、かなり心が折れそうになりました。最初の治療でこれだけつらいなら、この先に続く治療はどうなるのだろうと考えてしまいました。さらに想像のつかない治療が控えていると思うと、怖さはありました。
岸田 この時期は、ずっと入院しながらの治療だったんですよね。
紙 はい。ずっと入院していました。無菌室での生活が続いていました。
岸田 その後、精子保存も行っていますね。これは妊孕性、つまり将来子どもを持つ可能性を残すための選択だったと思います。この点については、後ほど詳しく伺いたいと思います。そして次が地固め療法です。寛解導入療法と地固め療法は、どう違うと理解していましたか。
紙 寛解導入療法は、がん細胞をいったんゼロに近づけるための治療だと理解していました。地固め療法は、その状態を維持し、再発を防ぐための治療で、移植や放射線治療に進む前の重要な段階だったと思います。
岸田 地固め療法も抗がん剤治療ですよね。
紙 はい。ただ、使う抗がん剤は寛解導入療法とは別のものでした。1回目、2回目、3回目と、それぞれ異なる抗がん剤を使っていた記憶があります。
岸田 その地固め療法は、どのくらいの期間行っていたのでしょうか。
紙 地固め療法も、期間としては1週間程度だったと思います。5日間だったかもしれませんが、体感としてはおおよそ1週間でした。治療はやはりつらかったです。何回目の抗がん剤だったかは覚えていませんが、見た目が非常に特徴的な抗がん剤もありました。赤色など、明らかに強そうな色の薬で、「これを体に入れて本当に大丈夫なのか」と思ったのを覚えています。体が赤くなったり、青くなったりするのではないかと不安になりました。ただ、あの見た目を見て、抗がん剤とはこういうものなのだと実感しました。強い薬を使っているのだと、視覚的にも感じました。
岸田 その地固め療法を終えて、数値としては目標としていた状態まで改善していったのでしょうか。
紙 はい。検査の数値は、当初の目標としていたところまで下がっていきました。その次の段階として進んだのが、放射線治療です。12グレイの放射線治療を受けることになりました。

岸田 放射線治療についてですが、紙さんにとっては、かなり厳しい治療だったと伺っています。放射線治療はどの部位に行ったのでしょうか。
紙 はい。私にとって放射線治療は、かなりつらい治療でした。血液のがんだったため、放射線は全身に照射しました。治療期間は確か5日間だったと思います。
紙 放射線治療の1日目が特にきつくて、治療が終わったその日の夜に40度の高熱が出ました。その後も、治療期間中はずっと高熱が続きました。夜は眠れないほどではありませんでしたが、氷を脇や鼠径部に当てながら、無理に眠るような状態でした。体力的にも精神的にも、この治療が一番つらかったです。
岸田 5日間ずっと高熱が続いていたということですね。高熱が出ると、精神的にもかなり消耗しますよね。
紙 そうですね。高熱が続くと、物事を考える余裕がなくなります。解熱剤を使っても、一時的にしか熱は下がらず、またすぐに上がる。その繰り返しでした。大量に汗をかき、食事もほとんど取れない状態でした。
岸田 放射線治療が終わった後は、体調は少しずつ回復していきましたか。
紙 少しずつは回復しましたが、無気力な状態がしばらく続きました。
岸田 その後、間を置かずに末梢血幹細胞移植に進んだんですよね。
紙 はい。放射線治療が終わってから、比較的すぐに移植に進みました。骨髄移植ではなく、末梢血幹細胞移植です。
岸田 ドナーはご兄弟だったと伺っています。
紙 はい。弟がドナーになってくれました。兄弟間での適合率は25%、4分の1と言われていますが、幸いにも適合しました。
岸田 もし適合しなかった場合は、ドナー検索や別の移植方法になることもありますよね。
紙 そうですね。臍帯血移植など、他の選択肢もあると思います。
岸田 移植そのものは、どのような流れでしたか。
紙 移植自体は1日で終わりました。特別な機械を使うというより、点滴や注射に近い形で、血液を体に戻すような方法でした。
岸田 移植自体は1日で終わったとのことですが、その後は大変ではなかったでしょうか。資料を見ると、移植後の2017年2月や9月に、発熱や肺炎の疑いで入院されています。この時期のことを教えてください。
紙 移植後はいったん退院して、自宅療養をしていました。2017年2月は寒い時期で、体力も落ちていたため、風邪のような症状が出て発熱しました。熱は39度まではいっていなかったと思いますが、移植後初めての発熱だったので、念のため入院することになりました。移植からこの発熱までの約1年間は、通院はしていましたが、入院が必要になるような大きなトラブルはありませんでした。このときの入院では、抗菌薬の点滴を行い、1週間ほどで退院しています。
岸田 その後、同じ年の9月にも肺炎の疑いで入院していますが、このときは症状は強かったのでしょうか。
紙 症状はそれほど重くはありませんでした。発熱があり、レントゲンを撮ったところ、肺が少し白く写っていたため、念のため入院しました。結果的に大きく悪化することはなく、比較的早く回復しました。
岸田 2018年に入ると、横紋筋融解症で入院とあります。これはどのような症状だったのでしょうか。
紙 特別な運動をしていないのに、全身が強い筋肉痛のような状態になりました。特に腕や足が痛く、普通に歩くことも難しいほどでした。最初は単なる筋肉痛だと思っていましたが、2週間ほど経っても痛みが引かなかったため、病院を受診しました。採血をしたところ、CKという筋肉由来の数値が非常に高く、すぐに入院となりました。
岸田 その横紋筋融解症は、入院して治療すれば改善したのでしょうか。
紙 はい。入院して点滴や薬の治療を行い、回復しました。ステロイドの点滴を使ったと思います。
岸田 続いて2018年10月、GVHDで入院しています。筋炎や発熱とありますが、このときはどのような状態でしたか。
紙 このときも強い筋肉痛のような症状が出て、同時に発熱がありました。病院で血液検査をした結果、数値が良くないということで入院になりました。GVHDは、移植で入ってきたドナー由来のリンパ球が、自分の体の臓器を異物と判断して攻撃してしまう状態です。
岸田 弟さんのリンパ球が、紙さんの体を攻撃してしまうということですね。
紙 そうです。本来は正常なものですが、もともと自分の体になかったものなので、異物として反応してしまうということです。
岸田 このGVHDは、入院治療で改善しましたか。
紙 治療をして改善しました。筋炎の症状も治まりました。大量のステロイドを点滴で使用しました。
岸田 このときの入院期間はどれくらいでしたか。
紙 1カ月程度だったと思います。場合によっては、もう少し長かったかもしれません。
岸田 その後、2019年3月にも再び入院していますね。
紙 このあたりは、ほとんどがGVHDに関連した入院だったと思います。
岸田 血小板減少による入院とありますが、どのような症状が出ていましたか。
紙 腕などに点状の出血が出ていました。毛細血管が切れたような状態で、黒っぽい斑点が多数出ていました。この時点で明らかにおかしいと感じ、通院時に血液検査を行ったところ、血小板の数値が非常に低いことが分かりました。そのため入院して治療を行うことになりました。治療はこのときもステロイドが中心だったと思います。
岸田 かゆみや痛みなどの症状はありましたか。
紙 かゆみや痛みはありませんでした。ただ斑点が出ているだけでした。
岸田 見た目として斑点が出ている状態だったのですね。
紙 はい。血小板が少ないため、体のあちこちで出血が起きていたのだと思います。
岸田 このときも入院して治療すれば改善したのでしょうか。
紙 はい。安静にして点滴治療を行いました。点滴の内容は、ほとんどがステロイドでした。GVHDに関連する入院は、基本的にステロイド治療が中心でした。
岸田 その後、ご入籍されていますね。このあたりの話は後ほど詳しく伺うとして、次に2019年6月から7月、膵臓付近に影が見つかり手術をしていますが、これはどういう経緯だったのでしょうか。
紙 定期的にCT検査を行っていて、2019年6月の検査で膵臓付近に影が見つかりました。医師から呼ばれ、画像を拡大すると気になるものがあると言われました。その後、胃カメラを使って、胃の中から膵臓側に向けて生検を行いました。
岸田 胃の中から膵臓側を調べることができるのですね。
紙 結果としては悪性のものではなく、脂肪の壊死組織のようなものだと言われました。そのため7月に処置を行いました。資料には「胃にステント留置」とありますが、胃に穴を開けて、塊状のものを胃の中に流し込むために、管状のステントを留置しました。
岸田 影になっていたものを除去したということですね。
紙 そうです。その際、何度も胃カメラを行いました。
岸田 胃カメラは、つらいと感じる人も多いですが、紙さんの場合はどうでしたか。
紙 不快感はありましたが、特に問題はありませんでした。
岸田 その後、ステントはどうなったのでしょうか。
紙 取り除く予定でしたが、確認のために胃カメラを入れたところ、すでに外れて胃の中に落ちていました。特に問題は起きていませんでした。ただ、ステントを入れていた部分に穴が開いていたため、処置後は約1カ月間、飲食を控えていました。
岸田 その後、6月に復職されていますね。そして次に「離婚」とあり、富山県のAYA世代がん患者会「Colors」に入会されています。
紙 はい、そのとおりです。
岸田 ここで、闘病前・闘病中・闘病後の写真を見ていきたいと思います。紙さん、それぞれについて説明していただけますか。

紙 説明します。左側の写真が、病気になる前の私です。マスクをあごに掛けている写真ですね。この頃も今と特に変わらず、普通に生活していました。
岸田 左側が闘病前ですね。かなり活動的な印象があります。
紙 真ん中の写真が闘病中です。これは同一人物です。ちょうどGVHDの治療で、ステロイドを大量に投与していた時期の写真です。いわゆるステロイドパルス療法を行っていて、その副作用として、むくみが強く出ています。
岸田 かなりむくんでいますね。
紙 自分でも、これが本当に自分なのかと思うくらい別人のように感じました。薬の影響で、ここまで外見が変わるのかと驚きました。非常に分かりやすい比較写真だと思っています。
岸田 右側の写真はいつ頃のものですか。
紙 右側は今年の3月の写真です。ステロイドの量が減り、むくみが徐々に取れてきた状態です。
岸田 髪型の流れが違いますが、これは後遺症とは関係ありますか。
紙 後遺症と言いたいところですが、髪の流れに関しては関係ありません。単純に髪型の違いです。
岸田 いわゆるムーンフェイスと呼ばれる状態ですね。
紙 そうです。薬の影響で顔が丸くなる状態です。人は薬だけでここまで変わるのか、ということがよく分かる写真だと思います。
岸田 現在も、以前に比べると少しふっくらしていますね。
紙 そうですね。目立たないようにパーマをかけていますが、完全には隠れません。むくみは、なかなか完全には取れないですね。
岸田 それも後遺症の一つですね。ありがとうございます。では、いただいているコメントも少し読んでいきます。「ボールペンか〜い」というコメントや、「乳がんで赤色の抗がん剤を使いました」という声もあります。また、「全身放射線がイメージできない」というコメントもあります。
紙 全身放射線は、頭の先から足先まで、体全体に照射します。
岸田 照射時間は短いですか。
紙 はい。数分で終わります。逆に、部分的に行う放射線治療については、私自身は経験がないため詳しくは分かりません。

岸田 部分的な放射線治療の場合は、ピンポイントで照射します。体を動かさないように固定され、ベッドに横になった状態で特定の部位だけに当てるケースが多いですね。
紙 そういう形なんですね。私は全身照射だったので、ベッドに横になって、体全体に照射する形でした。
岸田 コメントで「弟さんとマッチして良かったですね」とありますが、弟さんは細胞移植について、すぐに了承してくれましたか。
紙 はい。一発で了承してくれました。
岸田 弟さん側にも検査や採取など、一定の負担がありますよね。
紙 そうですね。本当に感謝しています。
岸田 「毎年体調を崩して入院されているようですが、それ以外の期間は働いていましたか」という質問も来ています。
紙 はい。基本的には働いていました。働いて、体調を崩して入院して、また働く、というサイクルを繰り返していました。先ほどお話しした病歴の流れの中でも、そういった時期がありました。
岸田 仕事については、後ほどあらためて詳しく伺います。写真についてもコメントが多く、「貴重な資料ですね」「治療前からパーマだったんですね」といった声があります。
紙 ありがとうございます。治療前の写真でも、確かにパーマをかけています。
岸田 「治療前はジャニーズに所属していたのですか」というコメントもあります。
紙 ありがとうございます。実際は富山県出身の一般人です。
岸田 放射線治療について、「頭を固定します」というコメントも来ていますね。
紙 はい。私も覚えています。剣道の面のような固定具を作って、それを装着していました。
岸田 固定具を作ったんですね。
紙 はい。確かに作って、装着して照射を受けていました。
【 家族】
岸田 ありがとうございます。それでは次の項目に進みます。次は「家族」についてです。先ほど、弟さんやお母さまのお話が少し出てきましたが、ここでは、家族にどのタイミングでどのように病気を伝えたのか、また移植をしてくれた弟さんとの関係などについて詳しく伺いたいと思います。まず、親御さんにはどのタイミングで伝えましたか。
紙 福井で会社の健康診断に引っかかり、その後、福井の大きな病院で検査を受けました。その時は一人で行っています。ちょうどシルバーウィークで実家に帰るタイミングがあり、「健康診断で引っかかった」という話は、その時点で親には伝えていました。ただ、その時は深刻には受け取らず、「大丈夫だろう」という雰囲気でした。
その流れで、検査前日に父と一緒に登山にも行っています。父も「これだけ山に登れるなら問題ないだろう」と話していました。一方で、私はスマートフォンで検査項目について調べていて、母には「もしかすると白血病の可能性があるかもしれない」とは伝えていました。富山の病院での検査には母が付き添い、その場で病気の説明を受け、即日入院となりました。家族に対して、病気のことを隠すことは特にありませんでした。
岸田 若い世代だと、親と一緒に告知を受けるかどうか悩む方もいますが、紙さんはお母さまと一緒に聞いたということですね。ご両親の反応はどうでしたか。
紙 相当ショックは受けていたと思います。自分が思っている以上に、両親の方が精神的にきつかったのではないかと感じています。
岸田 その後の治療期間中、ご両親はどのように関わっていましたか。
紙 病院は自宅から1時間半ほどかかる場所でしたが、両親はかなり頻繁に病院に来てくれていました。通院や入院中のサポートは、ずっと受けていました。
岸田 次に弟さんとの関係について伺います。移植の話もありましたが、もともとの関係性はどうだったのでしょうか。
紙 弟との関係は、特に問題はなく、むしろ仲は良い方だと思います。昔から喧嘩をしたことはほとんどありませんし、今でも関係は変わっていません。
岸田 移植をきっかけに関係が変わったり、気まずくなったりするケースも聞きますが、そういったことはありませんでしたか。
紙 全くありません。弟は移植についてもすぐに了承してくれましたし、その後も特別な上下関係のようなものが生まれたこともありません。移植の話題自体も、今はほとんど話しません。
岸田 家族に対して、「こうしてほしかった」「もう少しこうだったら良かった」と感じたことはありますか。
紙 特にありません。今振り返っても、思い浮かぶことはないです。
岸田 それは本当に、家族の関係が安定していたということですね。
紙 そうだと思います。特に不満はありませんでした。
【 妊よう性】
岸田 ありがとうございます。次の項目に進みます。「妊孕性」についてです。妊孕性とは、子どもを持つ能力のことを指します。先ほど年表の中で「精子保存」という項目がありましたが、これは抗がん剤治療の後に行ったのでしょうか。
紙 はい、抗がん剤治療の後に精子保存を行いました。本来は治療前に行うのが一般的だと思いますが、当時は治療や保存の順序に関するガイドラインが、今ほど明確ではなかったと主治医から説明を受けました。なぜ抗がん剤の後だったのかを尋ねたところ、そのような背景があると聞き、「そういうものなのか」と受け止めました。
告知は9月30日で、抗がん剤治療は10月の初めには始まっていました。告知から初回治療までの期間が非常に短く、その間に「治療前に何を準備すべきか」を知る余裕はありませんでした。白血病になるとは思っていませんでしたし、精子保存の必要性も知りませんでした。命を守ることが最優先だったため、すぐに治療を受ける判断をしました。
岸田 では、精子保存の話は、どのタイミングで出てきたのでしょうか。
紙 1回目の抗がん剤治療中だったと思います。医療者から「結婚しているか」「子どもを持つ可能性は考えているか」という話題になり、「結婚はしていない」と答えたところ、「それなら精子保存をしておいた方がいい」という話になりました。
岸田 治療中に、医療者側から提案があったということですね。保存は同じ病院で行ったのですか。
紙 いいえ、近隣の別のクリニックでした。外出の許可を取って、そこへ行きました。保存は2回行っています。
1回目は抗がん剤治療が一段落したタイミングで、脱毛も進んでいたため、帽子をかぶって行きました。レディースクリニックだったのですが、1回目は量や質の面で十分ではなかったようで、「もう一度保存しておいた方がいい」と言われました。
岸田 2回目はどのように行ったのですか。
紙 2回目は病室で採取しました。採取後、指定されたスクリュー式の容器に入れ、タオルに包んで、家族にクリニックまで届けてもらいました。説明書があり、その手順どおりに対応しました。正直、抵抗がないと言えば嘘になりますが、その段階では状況的に割り切るしかありませんでした。
岸田
結果としては、保存は問題なくできたのでしょうか。
紙 はい、2回目まで行い、「これで十分でしょう」という判断になりました。
岸田 少し踏み込んだ話になりますが、保存を行う環境についてはどうでしたか。
紙 雑誌が置いてありました。特に問題はなかったと思います。ただ、病院の中にそういう専用の部屋があること自体に、最初は驚きました。
岸田 心理的な抵抗はありましたか。
紙 ありました。レディースクリニックだったので、周囲の目が気になりましたし、帽子をかぶって入っていく自分をどう見られているのか考えると、正直、行くのがつらかったです。ただ、それでも将来の選択肢を残すために必要なことだと考えて、実施しました。
【恋愛・結婚】
岸田 婦人科に行かなければならない状況や、レディースクリニックを利用する場面。そうした中で2回採取して、精子を保存したということですね。ありがとうございます。後ほど、実際に使用したかどうかなども含めて、また伺いたいと思います。
次の項目に進みます。「恋愛・結婚」についてです。当時、妊孕性保存をした時点では奥さまはいなかったとのことですが、その頃、お付き合いしていた方はいらっしゃったのでしょうか。
紙 はい、いました。
岸田 では、がんのことをパートナーに伝える場面は、かなり悩まれたのではないですか。
紙 正直、かなり言いづらかったです。普段は比較的オープンな性格だと思いますが、このことに関しては、なかなか口に出せませんでした。
岸田 最初は、特に言わずに過ごしていた?
紙 はい。最初は「元気だよ」という感じで、はっきりとは伝えていませんでした。
岸田 では、どのタイミングで伝えたのですか。
紙 隠していても、どうしても周囲から情報が伝わってしまうんですよね。私は友人にもほとんど話していなかったのですが、入院していることや、いつも参加していた野球のチームの活動を欠席していることなどから、「何かあったのでは」と周囲が気づき始めました。
岸田 そこから、周囲経由で話が伝わっていった。
紙 そうですね。結果的に、パートナーからも「どうしたの?」と聞かれることになり、そのときに事情を説明しました。
岸田 その反応はどうでしたか。
紙 やはり、ショックは大きかったと思います。
岸田 関係がぎくしゃくすることはありませんでしたか。
紙 振り返ると、多少はあったと思います。ただ、あったか、なかったかと言われると、正直どちらとも言えないですね。今となっては、あまり細かく振り返りたくない部分でもあります。
岸田 その後、結婚されていますよね。血小板減少での入院があった2019年3月の後、同年5月に入籍されています。このタイミングで結婚しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
紙 治療や入退院を繰り返す中で、そばで支えてくれていましたし、自分自身も「そろそろ結婚したい」という気持ちがありました。そうした状況が重なった結果、このタイミングで結婚しようという話になりました。
岸田 お互いにとって、自然な流れだったということですね。
紙 はい、そうだと思います。
岸田 その後、結婚生活を経て、2020年12月に離婚という形になっています。この点について、差し支えなければ教えてください。どういった理由だったのでしょうか。
紙 大きな理由の一つは、子どものことでした。妊孕性の問題もあり、なかなか子どもを授かることができませんでした。相手には子どもを持ちたいという強い気持ちがあり、私自身もその思いはありましたが、現実的には難しい状況でした。子どもを考えるなら早い方がいいという判断もあり、お互いに何度も話し合った結果、このような結論に至りました。
岸田 ということは、先ほど妊孕性の話で出てきた、保存していた精子を使って妊活も行ったということですね。
紙 はい、行いました。
岸田 そうだったんですね。ただ、結果としてはうまくいかなかった。
紙 そうですね。結果的には、うまくいきませんでした。
岸田 現在の妊孕性については、抗がん剤や放射線治療の影響で、すでに失われている可能性が高いという状況なんですね。
紙 そうです。抗がん剤治療や全身への放射線治療の影響で、妊孕性は失われていると考えた方が正しいと思います。今も定期的に不妊治療の専門医に診てもらっていますが、「将来的に回復する可能性がゼロではない」と言われる一方で、当時の主治医からは「12グレイの全身放射線を受けている以上、回復は難しいだろう」「おそらく復活はしない」とも言われていました。
医師によって見解が異なり、正直なところ、どちらなのか分からないという状態でした。
岸田 将来どうなるかは、現時点では分からない、という状況ですね。
紙 そうですね。本当に、今後どうなるかは分からないというのが正直なところです。
岸田 ちなみに、年表の表記は2020年に修正されていますね。
紙 本当ですね。いつの間にか直っています。
岸田 切り替わった瞬間を見ていた方、さすがですね。
紙 ただ、この離婚については、お互いに話し合った上での結論でした。
岸田 納得した上で、ということですね。
紙 はい。相手を恨んでいるわけでは全くありません。むしろ、自分が一番苦しかった時期に支えてくれたことには、今でも本当に感謝しています。
相手には、これから幸せになってほしいと心から思っています。
【仕事】
岸田 そういうことですね。ありがとうございます。恋愛や結婚について、率直にお話しいただきありがとうございました。
では次に進みます。次のテーマは「仕事」です。先ほどコメントでもありましたが、治療のために仕事を休みながら働いてきたというお話でした。実際のところ、簡単に休めるものではなかったと思いますが、会社とはどのように話し合いをされたのでしょうか。
まず、白血病と分かってから、会社にどのように報告し、どのような形で休職・復職をしていったのか、教えていただけますか。
紙 最初は、健康診断で異常があったという連絡が、会社から私に直接ありました。その後、病院で検査を受けて「白血病の疑いがある」と言われたため、上司に「治療に専念したいので仕事を休みます」と伝えました。
会社からは「治療を優先してください」と言われ、有給休暇を消化し、その後は休職扱いになりました。退院後はしばらく自宅療養をして、主治医から「復職してもよい」という書面を書いてもらい、それを会社に提出しました。当時は福井に在籍していましたが、自宅近くにも支店があったため、異動させてもらい、現在に至っています。
岸田 復職したタイミングは、移植後ということですか。
紙 はい。まず移植後に復職しました。ただ、仕事を再開してからも、病歴にあったように、2017年の2月や6月など、数回の入院がありました。そのたびに、1週間から1カ月ほど休職し、復職して、また入院するという形を繰り返していました。
岸田 それはかなり大変ですよね。入院と仕事の行き来で、どうやって両立していたんですか。
紙 正直、大変でしたし、会社に迷惑をかけているという気持ちは常にありました。ただ、会社や上司がとても理解を示してくれていて、「無理せず休んでいい」と言ってくれていたのが大きかったです。
岸田 入院から戻ったあと、仕事が溜まっていて大変、という状況ではなかったんですね。
紙 そうですね。他の方がカバーしてくれていました。体調が許す範囲で、病院にいながらできることをすることもありましたが、基本的には周囲の支えに助けられていました。
岸田 かなり理解のある職場環境だったということですね。
紙 そう思います。本当に良い会社だと思っています。
岸田 現在も治療を続けながら働いていると思いますが、体調面や通院との両立は問題ありませんか。
紙 今はコロナ禍ということもあり、免疫力が低下している点を考慮してもらって、別の部屋で一人で仕事をさせてもらっています。通院については、有給休暇を使って対応しています。通院が理由で仕事に支障が出ることは、今のところありません。
岸田 個室で仕事ができる配慮があるのは大きいですね。免疫力が低い状態で感染症にかかるとリスクが高いですし。
紙 そうですね。コロナだけでなく、インフルエンザなどもありますから。
岸田 テレワークという選択肢はなかったんですか。
紙 会社が自宅から非常に近くて、テレワークにするほどの距離ではないんです。部屋の窓から会社が見えるくらいなので、「テレワークします」と言うのも少し言いづらくて。
それに、専用の仕事部屋も用意してもらっているので、今の形が一番合っていると思っています。
【お金・保険】
岸田 ありがとうございます。現在はそのような形でお仕事をされているということですね。
では次のテーマに移ります。「お金・保険」についてです。治療費をどのように工面したのか、保険に入っていたか、実際に使ったかなどをお伺いしたいと思います。これまでの治療費は、だいたいどれくらいかかりましたか。
紙 今まで全部で考えると、かなりかかっていると思います。正確には計算したことがないので分かりませんが、ざっくりで400万円くらいではないかと思います。もっとかかっているかもしれません。
岸田 かなりの金額ですね。そのお金は、どのように工面されたんですか。
紙 最初に入院したときは無菌室だったので、自分で支払いに行くこともできず、親に立て替えてもらっていました。
岸田 保険には入っていましたか。
紙 はい。がん保険に入っていました。
岸田 それは珍しいですね。告知されたときに給付は出ましたか。
紙 出ました。ただ、申請は治療が終わってからでした。
岸田 では、がん保険で治療費は賄えましたか。
紙 当時の治療費だけで考えればプラスでしたが、今までの通院や治療を全部含めると、完全には賄えていないですね。
岸田 通院分は保険が出ないんですね。
紙 出ないです。入院と、がんと診断されたときだけです。
岸田 それはきついですね。通院費は1回いくらくらいかかるんですか。
紙 一昨日は5万円でした。薬局での薬代が1万円くらいです。
岸田 かなり高いですね。
紙 2カ月に1回、免疫を補充する点滴を受けているんですが、それがかなり高いです。保険が効かないと、十数万円かかる薬だと思います。
岸田 それは大きいですね。
紙 看護師さんも分かってくれていて、点滴の残りも「もったいないから全部入れよう」と言ってくれます。「お願いします」と言って、全部入れてもらっています。
岸田 ということは、2カ月に1回、その費用がかかっているんですね。
紙 はい。
岸田 ありがとうございます。本当にお金の問題は大きいですよね。今の治療費は、すべて今のお給料の中から支払っているということですか。
紙
はい。そうです。
岸田 ありがとうございます。ここでコメントも少し紹介します。「治療費、高いですよね」「私も計算していない」という声もあります。実際、治療費は現実を見たくなくて、計算しない方も多いですよね。
紙 そうなんです。正直、現実を直視したくない気持ちもありますね。
【辛い・克服】
岸田 次はこちらです。「辛い・克服」というテーマになります。肉体的につらかったとき、精神的につらかったとき、それぞれどのように乗り越えたのかを伺いたいと思います。まず、肉体的につらかったのは、どのタイミングでしたか。やはり放射線治療のときでしょうか。
紙 そうですね。肉体的につらかったのは、放射線治療のときが一番でした。それまで経験したことのない高熱が出て、普通なら1日や2日で下がるはずの熱が、長期間続きました。このしんどさは言葉にしづらいです。忘れたくても忘れられません。
岸田 それはもう、克服しようがないというか、終わるのを待つしかない状況ですよね。
紙 そうですね。高熱に対してできたことといえば、解熱剤を使うくらいでした。克服と言えるかどうかは分かりません。
岸田 ありがとうございます。では次に、精神的につらかったのはどのタイミングでしたか。
紙 精神的につらかったのは、無菌室に入っていたときですね。他の患者さんがいれば話すこともできますが、無菌室はほぼ個室で、話し相手がいません。本当に孤独でした。しかも、私が入っていた部屋は小さな窓が一つあるだけで、外の景色もほとんど見えませんでした。
紙 そういう状況の中で、家族は病室に入ることができましたし、看護師さんや主治医の先生が話し相手になってくれました。そうした人との関わりを自分なりに頼りながら、気持ちを調整して、結果的に乗り越えることができたのだと思います。
【後遺症】
岸田 ありがとうございます。周りの人とコミュニケーションを取りながら乗り越えてこられたということですね。では次のテーマです。「後遺症」について伺います。先ほど免疫の話もありましたが、まだ話していない後遺症や、現在困っていることはありますか。
紙 ありますね。まず、体力が大きく落ちていることです。これまで普通にできていたことができなくなったと強く感じています。私は高校まで野球をしていて、運動が好きだったのですが、今は野球はできませんし、強い運動をすると、また横紋筋融解症や筋炎のような症状が出るのではないかという不安があります。
そのため、思うように体を動かせないことが、今の後遺症として一番大きいです。
岸田 今は運動はあまりされていないということですか。
紙 していないですね。激しい運動はできません。階段を上るだけでもかなりきつく感じます。体力が落ちているのだと思います。
岸田 では、意識的に控えているという感じなんですね。
紙 そうですね。無理はしないようにしています。それから、もう一つは、写真でもお話ししましたが、むくみです。
岸田 むくみも、なかなか取れないですよね。
紙 本当に取れないですね。サウナに行っても改善するようなものではありません。
岸田 サウナでは無理なんですね。
紙 サウナ活動では解決しないです。
【反省・失敗】
岸田 サウナに行っても、紙さんはサウナが好きで続けているけれど、それでもむくみは取れないということですね。ありがとうございます。では次のテーマです。「反省・失敗」について伺います。あの時こうしておけば良かったな、と思うことはありますか。
紙 強いて言うなら、仕事との向き合い方です。病気は「病は気から」と言われますが、福井にいた頃、仕事が本当に忙しくて、精神的にもかなり追い込まれていました。正直なところ、「もう体を壊してでも休みたい」と思っていた時期がありました。今振り返ると、そういう状態のまま無理を続けていたことが、結果的に今の病気につながったのではないかと感じています。
岸田 つらさを我慢し続けるのではなく、早めにブレーキをかけることも大事ですよね。
紙 本当にそう思います。「体を壊して休みたい」と思ったことが実際にあって、その後、本当に体を壊してしまった。そう考えると、無理をしているサインを無視してはいけなかったなと思います。
岸田 がむしゃらに働くことも必要な時期はあるかもしれませんが、体を大切にすることも重要ですよね。
紙 はい。体が資本だと、今ははっきり分かります。こうして振り返って話すことはできますが、実際に仕事をしていると、どうしても頑張り過ぎてしまう。それが結果的に入退院を繰り返す原因にもなっているので、そこは自分の反省点だと思っています。
【 医療者へ】
岸田 ありがとうございます。本当に、たわいもない会話に救われる瞬間ってありますよね。ふとした一言で気持ちが軽くなることもあるので、ぜひ多くの医療者の方に意識していただけたらと思います。
それでは次に進みます。「Cancer Gift」です。がんになって失ったものも多かったと思いますが、その一方で、得られたものや気づいたことについて、紙さんは何かありますか。
紙 はい。私は、がんになることで失うものも確かに多いと思いますが、同時に得られるものもあると感じています。病気を経験したからこそ、こうして「がんノート」に参加したり、患者会で活動したりする機会を得ることができました。がんの種類や治療の副作用、体の反応は人それぞれ違います。その中で、自分の経験や考えを発信することには意味があると思っています。
特に妊孕性の問題については、自分自身が後悔や葛藤を経験したからこそ、同じような思いをする人が少しでも減ってほしいという気持ちがあります。抗がん剤治療の前に妊孕性保存について知ることができる、そういう選択肢が当たり前になる社会になってほしいと思っています。その思いが、患者会に参加するきっかけにもなりました。
【夢】
岸田 やはり妊孕性については、医療従事者の方々にも、より多く知ってもらい、適切なタイミングで説明や対応をしてほしいと感じますよね。ありがとうございます。それでは次のテーマです。「夢」についてお聞きします。今後の目標や夢はありますか。
紙 夢、ですか。あまり大きなことは考えていませんが、まずは病気になる前にできていたことを、もう一度できるようになりたいと思っています。体力がかなり落ちているので、体力を回復させて、少しずついろいろなことに挑戦していきたいです。
岸田 体力を戻して、また好きなことに挑戦していく、ということですね。以前やっていた野球も、また関われるようになるといいですよね。
紙 そうですね。自分でプレーするのは難しくても、少年野球を教える立場として関われたらいいなと思っています。それが今の夢かもしれません。
岸田 いいですね。紙少年野球チーム。
紙 野球チームですね。少し大げさですが、子どもたちに野球を教えられるようになれたら嬉しいです。
岸田 ありがとうございます。とても素敵な夢だと思います。
紙 ありがとうございます。
【ペイシェントジャーニー】
岸田 そして次はこちらです。紙さんの「ペイシェントジャーニー」ということで、これまでの闘病歴を、感情の起伏も含めて振り返っていきたいと思います。こちらになります。これまでお伺いしてきた内容を、時系列で整理しています。まず2008年、紙さんが現在お勤めの会社に入社し、その後転勤となります。この転勤が福井ですね。
紙 はい。
岸田 そこから腰痛が出てきます。最初は腰が痛くなったんですよね。
紙 そうなんです。腰が痛くなりました。以前にも軽い腰痛はあったんですが、それが関係していたのかどうかは分かりません。
岸田 その後、病院を受診して、急性骨髄性白血病の告知を受ける。そこから寛解導入療法としての薬物療法が始まり、妊孕性保存として精子保存を行います。その後、抗がん剤による地固め療法、そして先ほど一番つらかったと話してくれた放射線療法を受けています。この後、グラフが少し上がっていますが、これは末梢血幹細胞移植のタイミングですね。移植に至ったとき、なぜ気持ちが上向いたんでしょうか。
紙 兄弟間で型が合ったというのが大きかったです。ドナーがなかなか見つからない人もいると聞いていたので、身近な弟と一致したというのは、正直かなり嬉しかったですね。
岸田 ありがとうございます。そこから、発熱での入院、肺炎疑いでの入院、横紋筋融解症、GVHD、血小板減少と、退院と入院を繰り返す怒涛の時期が続きます。その後、ご入籍されますが、同時期に膵臓の影が見つかり、胃にステントを入れる治療も受けています。そして復職。これは本格的な復職という意味ですよね。以前にも一度復職はしていますよね。
紙 そうですね。復職は何度かしていますが、ここが今につながる本格的な復職という感じです。
岸田 なるほど。その後、ご離婚も経験されて、喜びとつらさの両方を味わいながら、富山県のAYA世代患者会「Colors」に参加され、現在も治療を継続されている、という流れですね。
こちらのペイシェントジャーニーについて、何か付け加えることはありますか。
紙 大丈夫です。
岸田 ありがとうございます。では、少しコメントを振り返ってから、最後の一言に移りたいと思います。Erikoさんから「妊孕性、恋愛、結婚、仕事、お金、リアルなお話をありがとうございます」とコメントをいただいています。また、「主治医に妊孕性のことを聞かれず、治療が進んでしまった」という声もありました。
紙 そういうケースも、きっとあると思います。
岸田 まだ十分に行き届いていない部分もありますよね。「命を優先」という考えは大切ですが、その後の人生を生きるのは患者自身ですから、妊孕性もとても重要だというコメントもいただいています。また、「福井県時代の倦怠感は自覚症状ではなかったのですか」という質問もありました。
紙 自分の中では自覚症状だとは思っていませんでした。ただの仕事の疲れだと思っていました。ただ、見方によっては、それも自覚症状だったのかもしれません。
岸田 本当に難しいところですよね。そして「仕事がつらくて、何かあったらいいのにと思ってしまったことがある」というコメントもありました。誰しも、追い込まれるとそういう気持ちになることはありますよね。
そんな中でも、紙さんは治療を続けながら、今も仕事をされている。
紙 はい、仕事は続けています。頑張っています。
岸田 ありがとうございます。それでは終盤に入ります。がんノートは、アフラック様、IBM様、i-TONGUE様のご協賛でお届けしています。いつもありがとうございます。また、概要欄とチャット欄にアンケートのURLを掲載しています。ご回答いただいたメッセージは、後ほど紙さんにまとめてお届けしますので、ご協力いただけると嬉しいです。それでは、まもなく締めくくりとなります。
岸田 紙さんに、次、最後、こちらのコメントをいただきたいと思っております。『今、闘病中のあなたへ』といったところで。今、入院のベッドで見てくださっている方や、通院中、そして家事をしながら見てくださっている方、いろんな方いらっしゃると思うんですけれども、闘病中の方に対してコメントいただけますでしょうか、紙さん。こちらのコメントになります。紙さん、お願いします。
紙 はい。『自分のペースで頑張り過ぎない』ということです。今、闘病中のあなたへということで、私も闘病中はもの凄くしんどかったこと、覚えています。私の場合ですけども、しんどいことばかりではなく、しんどい日々の中にも、調子が良い日ですとか、明るく過ごせる日がありました。

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