「死はいつ誰に訪れるかわからない。そう思うと、今日という限られた人生の一日が、貴重なものに思えてくる」そう本に綴った阿南さんのお話です。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:阿南

更新日:2015年03月07日

【発覚・告知】

 

岸田 子宮頸がんだとわかったときのことを教えてください。

阿南 最初の就職先が大企業だったので健康診断とかがけっこうしっかりしていて、子宮頸がん検診もちゃんと受けてたんですけど、検診の半年後に出血があって、病院に行ったらかなり進んでいる子宮頸がんが見つかってしまったという感じです。

岸田 子宮頸がんが見つかったときって、さらっと告知されたんですか?

阿南 病院で内診を受けたんですけど その先生が看護師さんに「すぐ医院長を呼んできて」っておっしゃったので、悪い病気だな、みたいなのがあって。院長が来たときに、「先生、私大丈夫です、なんでも受けとめるので言ってください」って言ったら、「子宮頸がんがかなり進んでいます」っていうふうに。

岸田 聞いたときどう思いました?

阿南 子宮頸がんというものが、まだメジャーじゃなかったので、よくわからなくて。「子宮頸がんの『頸』ってなんだろう?」みたいな。

岸田 ですよね。とりあえず子宮らへんのやつじゃないかっていう感じですよね。

阿南 そう。それぐらいしか知識がなくて、すぐ両親を呼んでくださいって言われました。両親もたぶん子宮頸がんを知らなくて、みんなが個別に情報を探すんですよ。当時ものすごく間違った情報もたくさんあって、お母さんがその中で、「性的な活動が盛んな人がなる」みたいな情報にアクセスしてしまって。お母さんに「あんたはそういう経験が多いのか」と言われて、私もそもそも知識がないから誰でもなるっていうのがわからなかったし、何も言い返せなくって。でもその情報を見たときのお母さんもすごい傷ついただろうなとか、そういう状況で。 もうなんかゴチャゴチャでしたね、いろいろ。

岸田 じゃあ阿南さんとしてはとりあえず「子宮頸がんの『頸』って何?」って いうところから始まって。

阿南 治療を進めていくにつれて、その大変さがわかってくるというか。がんって言われても身近にがんになった人がいなくて、全然ピンとこないし。それまで医療の限界っていうのもまったくわからなかったので、がんというものが治らないこともある病気だということさえ、たぶんわかってなかったと思います。

【治療】

岸田 子宮頸がんかもしれないです、となって、そこから。

阿南 そこから大きい病院に行ったらそこの先生が、私の実家が大阪にあるので大阪に帰りなさいって言って。私はそのときすごい反対したんですよ。どうしても残りたい、東京での仕事がすごい楽しかったから。「自分の身の回りの世話は自分でするので東京でやってください」 って言ったけど、そのときに先生から「治療がどれくらい長引くかわからない」 って言われて。もう本当に深刻な状況だっていうので、その次の週に大阪に戻ってきたっていう感じですね。

岸田 そこから大阪で治療が始まるっていう感じですかね。

阿南 そうです。がんが大きくなりすぎていて、子宮全摘出は結局変わらないと言われて。でもその子宮全摘出の手術がもう危険で、抗がん剤でがんを小さくしてから子宮全摘出して、放射線治療っていうことになったんですけど。おなかを開けてみて転移がひどかったらそのまま中断しますって言われた状況で抗がん剤が始まっていく感じでしたね。髪の毛が抜けてきて、剃りに行ったんですけど、 もうそのショックが大きすぎて。おしゃれが大好きだったから。

岸田 そうですよね……。

阿南 いちばん調子に乗ってたくらいのころで、ハイヒールを履いて「私は都会のOLよ」みたいなときだったから、髪が抜けていくのが精神的に耐えられなくて、美容院を探して剃ってくださいって。

岸田 美容院で剃ったんですか。僕理髪店で剃りました。

阿南 本当はそう。美容院は剃刀が使えないらしくて。でもちょうど入ったところが、前まで理髪店をやってたとかで剃ってくれた。

岸田 そうなんですね。

阿南 髪を剃ってから、私ずっと帽子を かぶってたんですよ、坊主の頭を見せることができなくてかつら屋さんに行けなくて。帽子をかぶってると、それまで着ていたきれいめの洋服が全部似合わなく なって、おしゃれができなくなった。ジーパン、Tシャツ、トレーナーに帽子、みたいになってから元気がなくなっていって、お母さんがウィッグを買ってきてくれたんです。

【家族】

岸田 家族の話というのをお聞きしたいなと思います。

阿南 お母さんがとにかくいちばん大きな支えだった。でもそれってすごい意外で、私本当にお母さんと仲が悪くて、本当に逃げ出すように上京したんですね。もう口も利かなかったし電話がかかってきても出ないし、という状況だったんですけど、すごく不思議なんですけど、がんがわかったとき最初に電話をしたのはお母さんだった。それから、お母さんとの心の絆みたいなのがすごく強くなっていったんですね。

岸田 けっこうヤンチャしてたんですよね、昔。

阿南 もうひどかったね、お母さんがノイローゼになってお父さんが円ハゲになって。すごい厳しい親だったから、もう本当に怖くて家に帰りたくなくて。それが中学生ぐらいで爆発してしまったと いうか……。

岸田 がんになって、その距離は縮まってきた?

阿南 でも、手術の直前に家出したんですよ。

岸田 怖くなってですよね。

阿南 手術入院の日が決まっていて、その前日ぐらいに家出をして、東京のアパートを借りたままにしていたので東京に行って、ひたすら泣いた。「子宮がなくなる」っていう、人生が変わってしまう恐怖を納得しなきゃいけないっていうプレッシャーがあって。でも「帰るからって伝えなきゃ心配してるよな」と思って お母さんにメールを送って。本当はもっといろいろと書きたかったの。「私がなんでこんな目に遭わなあかんの」とか、 いろいろ書いては消して。結局「とにかく帰るから1人にして」っていうメール しか送れなくて。当時、お母さんはメールとかいっさいできない人だったのに、 2時間後に長いメールが来て。「子宮を失うとかどうこうじゃなくて、とにかく生きなさい」、「子どもが産めなくなっても、それはそれで生きていく道があるとお母さん思います」っていうメールが来て、覚悟が決まった、生きなきゃいけないんだっていう。そこからすごくお母さんというのが大きな存在になりました。

【仕事】

岸田 仕事の話をお聞きしたいんですけども。当時、不動産営業をしていたんですよね。

阿南 最初は大手自動車メーカーに勤務したあと、ものすごい勢いのあるベンチャーの不動産会社に転職して、営業を始めて1か月で出血が始まりました。

岸田 1か月ですか……。そこで1か月働いて、出血が止まらなくなって、がんになって。

阿南 治療が終わったら絶対戻ろうって思って。「戻れる」って思いながら治療をがんばりました。

岸田 わかります。そういう戻る場所があるのは、すごく支えになりますよね。

阿南 ところが全部治療が終わってみると、あまりに体力がなくなりすぎてて、営業なんてできるような体力じゃなかった。本当にすぐ疲れるから、こんなんで戻れないよなっていうのと、あと髪がなくなってたでしょ。

岸田 スキンヘッドで営業。

阿南 いやあ。

岸田 いやあ、きついですよね。

阿南 そうそう。「事務職に移りますか」 って声をかけてもらったけど、がんになる直前、いちばん輝いていた調子に乗ってた時期の自分があるから、体力がなくなって髪の毛なくなってっていうのを、 その職場で見せることがどうしてもできなくって。「辞めます」って言って。会社は待っててくれたんですけど戻れなか った。アルバイトとかしても、もう家賃ぐらいしか稼げないじゃん。それでもう泣く泣く引き払って大阪に戻ってきた感じなんですよね。

岸田 じゃあ今は大阪の実家に?

阿南 実家で暮らしながら週3日とかからアルバイトを始めて。パソコンスクールの受付みたいな仕事だったので、それを徐々に増やしていって、1年経ったときにもう1回東京に戻りたいと思って正社員試験を受けたんですね。

岸田 体力的にどうでした?

阿南 普通に生活するぐらいには慣れてたけども、後遺症のことを考えてなかった。お医者さんから「足がむくみますよ」って言われていて、「じゃあ気を付けます」ぐらいの感覚でしかなくって。 後遺症やがん治療のことを採用試験で言えなかった。面接官から「健康ですか」 って聞かれて、「はい」って噓をついて入ってしまっているので、忙しくなってきたときにセーブできない。それをやると後遺症が出始めて。足がもう本当にすごいむくむんですよ。むくむぐらいなら別にいいけど、熱が出るんですよね。毎月毎月高熱が出るようになって。入ったばかりなのに、休みを取らなきゃいけなくなって、上司に言ったんですよ、全部。

岸田 どうでした? 上司の反応は。

阿南 私もクビを覚悟で言ったんですよ。 会社に入るときに噓をついて入っているので。でもその人はすごくいい人で、 「大変だったね、もう無理しなくていいから、残業もしなくていいし、休日出勤もしなくていいから」って。でも他の周りの人は私がそんな状況っていうのを知らないわけじゃないですか。「なんで阿南さんだけ早く帰れるんですか」っていう声があがってきて、当時の会社の全員に「じつは23歳で子宮頸がんになって子宮を取りました、こういう後遺症があります」っていうことを伝えて。それでもやっぱり、みんなが忙しくなってきた時期に同じように無理をすると、熱が出るのね。「みんなが忙しくなってきた時期にあの人いつも休むよね」みたいな声が一部の人からあがっているっていうのを聞いたときに、当時25歳くらいで、なんのキャリアも専門的なスキルもない自分が、残業できません、休日出勤できませんっていうので、もう自分の居場所がなくなってしまって。

岸田 それはけっこうきつい。精神的にきますよね。

阿南 そうしたらもうずっとその繰り返し。採用試験のときに言えない、後遺症が出る、言ってもやっぱりまた迷惑をかけるんだなとか思うと「辞めます」っていうそれの繰り返しで。途中からアルバイトのかけもちとかもやってたけど、でも何がつらいって、同級生たちがみんなちゃんと普通に就職してキャリアを積んで恋愛して結婚して出産してっていうラッシュが20代後半に本当にきれいに来るんですよね。その一方私は仕事も全然安定せず、子どもが産めないということで やっぱり恋愛結婚に悩み、もうなんのために生きてるのかがわからない。本当にそんなことばかり考えていました。

 

 

 

【後遺症】

岸田 妊孕性(※1)とかは?

阿南 私は卵巣を残して子宮だけ取っているんです。卵巣って放射線が当たってしまうと、卵巣機能がなくなってしまうので、子宮全摘出のときに卵巣の位置をちょっと上に上げるんですよね。

岸田 上に上げるとかできるんですか。

阿南 違う場所にクリップで留める。

岸田 すごい。卵巣をクリップで。「ちょっと胃の下にしとこう」とか?

阿南 そう。放射線がそのあと当たらない位置に。

岸田 その卵巣の保存をされて、卵子の保存は。

阿南 卵子の凍結をしたいっていうその前に、じつは卵巣を残していても、抗がん剤の影響なのか、あるいは放射線が若干かかったのか、まだ証明されていないので原因は特定できないんですけど、多くの人が早発閉経になるんですよ。

岸田 早めに閉経するていう?

阿南 数値を計ったら私ももうすぐなんですよ。あとおそらく2年か3年ぐらい。 これは私が使った抗がん剤の中に含まれる成分によって排卵のスピードが早まって、どんどん排卵されて卵子がなくなってしまうんです。乳がんや白血病の患者さんでもそういうのがあって。だからもう近々閉経するぐらいの数値です。それで卵子を凍結したいと言っても、私はもう子宮を取ってしまっているので、卵子を使うには代理出産が必要になるんですね。それが今国内で認められていないので、子宮がない人の卵子を取ることができないんですよ。倫理的に許されない。 だから卵子凍結はできないんです。

岸田 日本では。

阿南 そう。だからみんな海外に行ってる。

岸田 え、じゃあ阿南さんはどうされたんですか?

阿南 卵子を取ってない。そのまんま。 じつはそれほど自分の遺伝子にこだわっていなくって、選択肢があるんなら残しておきたいんだけど、私は養子縁組のほうをすごく前向きに考えていて。

岸田 いろいろ調べたりとかしてるんですか?

阿南 23歳のときに電話したんですよ。 養子縁組ってどうやってやるんですかって言ったら、「健康」っていう条件があって。

岸田 なんと。

阿南 完全にアウトだな、みたいな。そのときに打ちのめされました。地域によってすごいバラつきがあるみたいで、大阪は厳しいってそのときに言われて。今は変わってるのかもしれないけど、結婚して何年とか、収入がいくらとかいう条件があって。子どもが産めないということが、ただ出産できないっていうだけじゃなくて、やっぱり恋愛・結婚に影響してくるわけですよ。そうすると、結婚が難しければ子どもを持てないの、とか。まだまだ解決できてないですね、私の人生の中で。

【恋愛】

岸田 恋愛についてはどうですか?

阿南 普通に恋愛をできないよね。

岸田 できないですか。

阿南 どのタイミングで自分は子どもを産めませんっていうのを伝えたらいいのかがわからないっていうのがずっとあって。

岸田 阿南さん、けっこう最初に言っちゃいそうな感じはするんですよね。

阿南 でも、誰と恋愛関係になるかわからないわけじゃないですか。男の人みんなに「私子ども産めないんです」って言えるわけじゃないし。

岸田 そっか……。

阿南 なんかその人を好き、いい感じになったところで言うのが卑怯な気がして。

岸田 そこらへんはヤンチャじゃないんですね。

阿南 子どもを産めないというので自分がすごいつらい思いをしてきたわけで、 その子どもを産めないというその寂しさを、結婚したいほど大好きな人にもさせてしまうのかなとか……考えるほど難しいですよね。

岸田 そうですよね。

阿南 あと、「彼の親に反対されたらど うしよう」とか。

岸田 そうですよね。子どもを産めないってなったら。だけど、子宮を摘出したあとにお付き合いされた方はいらっしゃったんですよね。

阿南 います。

岸田 そのときはどうされました?

阿南 そのときはその人には最初から言ってたんです。でも結局その人に結婚願望がなかった。

岸田 複雑……。

阿南 そう、今までなかなかうまくいかなかったですね。

岸田 阿南さんはそこから今一応、立ち直って。

阿南 立ち直って。でも結婚できてないですからね。今ねらってるのはバツイチの子持ち。

岸田 おお、リアルですね。

阿南 いちばんねらってるところ。ピンポイントでそこをねらってる。そうしたらプレッシャーもないし。

岸田 ちなみに子宮頸がんの方でパートナーがもしできたときに、夜の営みとかってできるんですか。

阿南 できますね。できない人もいるし、できる人もいる。膣のほうまで浸潤(※ 2)してて、切ってると性交渉が難しい人もいます。

岸田 同じ子宮頸がんの方でもできる方とできない方がいらっしゃるということなんですね。

【辛いこと・克服】

岸田 肉体的につらかったときどう克服したかっていうのをうかがいたいんです けども。肉体的につらかったのはやっぱり手術後ですか?

阿南 いや、やっぱり社会復帰に困ったその後遺症ですね。

岸田 むくみ。

阿南 はい。あの影響さえなければ普通に戻れたのにな、ってやっぱり思います。 でも講演活動を始めたのがきっかけで3年前ぐらいに日本対がん協会に入ったんですけど、それから自分の体調を優先した勤務ができるようになって、後遺症が出るという回数はだいぶ減りました。

岸田 じゃあ、そこでようやく自分のペ ースに合わせた仕事ができるようになったんですね。今も一応後遺症はあるんですか?

阿南 今も結局、忙しくなれば出るし。もう一生自分でコントロールしていくし かないです。長時間立ちっぱなしとか、休みがないとかけっこうきつくて。あと飛行機の移動が続いたりとか。

岸田 じゃあ、長時間そういうふうにならないように気をつけて……。

阿南 前までバリバリ働いていた自分がいるから、そういう体になったというのを受け入れるのに時間がかかりました。 私はこんなんじゃない、みたいな。もっとやれるのに体がついてこないことがすごくショックでした。後遺症って明確に何時間こうしたらこうなりますよ、みたいなのじゃないので、失敗を重ねて限界を知っていくしかないんですよね。

岸田 そうですよね。だから本当に体との対話っていうのが必要になってきますよね。

阿南 そうです。

岸田 精神的につらかったのは、やっぱり妊孕性のことですか?

阿南 そうですね。

岸田 徐々に時が癒してくれた感じなん ですか?

阿南 家族の存在が大きかったですね。 抗がん剤で髪が抜けたあとって、しばらく誰にも会わなかったんですよ。でもそのときも家族にだけは姿を見せれるから、 当時接するのって本当に家族だけだった時期があって。

岸田 だけど、お母さんが買ってきてくれたウィッグで、人に会えるようになった。妊孕性の悩みはバツイチの子どもを持つっていうことで。

阿南 そうです、そうです。

岸田 そういう、見通しというか、次にこういう感じでっていうのが描けたら気持ちが楽になってきたりしますよね。

【キャンサーギフト】

岸田 阿南さんにとってがんになって得たこと、キャンサーギフトって何ですか?

阿南 価値観がものすごい変わったっていうのが、本当にキャンサーギフト。ベンチャーで働いていたときは、どっちかって言うとお金とか見た目とか地位とかが重要でした。でも、たとえばお金を払って子宮摘出やめてくださいって言ってもできないわけじゃないですか。がんをなかったことにしてくださいって言って もできないわけじゃないですか。本当にもうどうしようもないときに、救ってくれるのって人なんだって気付けたことが、 ものすごい大きかったですね。

岸田 人ですよね、最終的には。

阿南 あのままもしがんになってなかったら、たぶんろくでもない人になってたんじゃないかと思うぐらいです。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 今闘病をがんばっているがんサバイバーへ一言。

阿南 「現実的にあきらめなくてはいけないことはあっても、人生はあきらめないで」。

岸田 これもまた深い話。

阿南 20代はあきらめることだらけだったの。仕事も恋愛も、おしゃれも、傷ができたりとかね。そうなったときに、本当に5年、6年くらい人生をあきらめてた。なんで生きているのかわからないし、 いったいこの人生がいつまで続くんだろうって思ってるときって、自分を大事にできないんですよね。だからあきらめなきゃいけないことはたくさんあっても、 人生は自分で変えられるんだっていうのを伝えたいですね。

 

 

※1 妊孕性……妊娠のしやすさ。

※2 浸潤……がんが周りに広がっていくこと。

活動情報 書籍『神様に生かされたわけ、23歳で子宮頸がんを宣告されて』発売元/合同出版

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