インタビュアー:岸田 / ゲスト:三橋

【宣告】

岸田 発覚はどのような経緯だったんですか。

三橋 子どもたちが寝静まった夜に、テレビで自己触診の特集を見て、自分でもやってみようと思ったのがきっかけです。触ってみたら「あれ?」と思うところがあって。そのときは乳腺炎かなと思ったんですが、やっぱり気になって。友達に相談したら「頭の片隅に残ってるなら、すぐ病院に行って白黒はっきりさせたほうがいい」と言われて、受診しました。そこで発覚しました。

岸田 自己触診ですぐ分かりましたか。

三橋 すぐ分かりました。私は右側なんですけど、明らかに左とは違うものがあって。押さないと分からないんですけど、少し柔らかい感じでした。

岸田 病院は近くの総合病院ですか。

三橋 そうです。本当は女性の先生がいいなと思って探したんですが、近くになかなかなくて、総合病院に行きました。最初はエコー、その後に細胞診。検査が続いて、最終的に3週間後に告知されました。

岸田 その3週間は不安ではなかったですか。

三橋 怖かったです。なんでこんなに検査するんだろうと思って、悪いほうばかり考えてしまいました。

岸田 告知はご主人と一緒に?

三橋 いえ、1人で行きました。主人と行ったら確定みたいに感じてしまいそうで。でも下の子が2歳だったので、抱えて診察室に入りました。

岸田 その場で悪性と告げられた。

三橋 はい。「あまり良くないものが」と言われて、最終的に「悪性です」と。上の子が騒いでいて、ちゃんと聞き取れない自分もいたし、聞くのも怖かったです。でも頭に浮かんだのは、「私が死んだらこの子たちはどうなるんだろう」ということでした。

岸田 その後すぐ治療の話も。

三橋 はい。看護師さんから「抗がん剤は通る道だと思ってください。髪の毛も抜けます」と説明されました。でも私は「髪の毛なんて抜けていいから、できる治療は全部してください」と伝えました。

【治療】

岸田 2011年10月に発覚して、11月からすぐ抗がん剤ですか。

三橋 はい。主治医から「術前抗がん剤と術後抗がん剤がある」と言われました。私の中では、やってみないと分からないし、術前で腫瘍が小さくなるのを自分の目で確認できたらと思って、術前を選びました。

岸田 乳がんのタイプは?

三橋 ホルモン陽性です。

岸田 11月から抗がん剤をして、2012年5月に手術。これは効いたということですか。

三橋 効きました。最初2センチ弱あった腫瘍が、1センチ弱まで小さくなりました。もう一つあったものも小さくなって、脇のリンパ節にあったものも「肉眼では見えない」と言われました。

岸田 取るか取らないかの選択ですね。

三橋 先生は「今見えないものを無理に取らなくてもいい」と言われて。もし後で大きくなったらそのとき取ろう、という感じだったので、最初の手術では胸だけにしました。

岸田 全摘ではなく部分切除。

三橋 はい。小さくなったので部分切除で済みました。

岸田 その後放射線を7月から8月、夏休みに。

三橋 はい。上の子が小学生だったので、夏休みに合わせました。

岸田 その後ホルモン療法。

三橋 今も毎日飲み薬を続けています。

岸田 抗がん剤の副作用は?

三橋 髪の毛は全部抜けました。でも寝込むほどではなく、打った次の日が少ししんどいくらい。3週間に1回の通院でした。

岸田 周期はどんな感じでしたか。

三橋 打って2、3日はきつい。その後少し楽になって、2週目は比較的元気。3週目は白血球が下がるので外出は控えるように言われて、マスク生活。そしてまた次の抗がん剤、という流れでした。

岸田 そして2013年10月、脇のリンパ節。

三橋 最初に取らなかったところが大きくなりました。3カ月ごとのエコー検診で分かりました。

岸田 再発を聞いたときも1人?

三橋 1人です。その日は何食べようかなとか考えて診察に行ったので、まさか再発とは思っていなくて。

岸田 ショックですよね。

三橋 本当に怖かったです。他にも転移しているんじゃないかと思って。でもCTでは他にないと言われました。それでも泣いていたら、先生に「何泣いてるの?」と言われて。「再発っていうより再燃かな」と言ってくれて。再発と言われるより、再燃と言われたほうが少し気持ちが違いました。

岸田 言葉の違いは大きいですね。

三橋 本当にそう思います。

岸田 その後すぐ手術。

三橋 はい。子どもの預け先の手配は必要でしたが、早めに手術しました。ドレーンを付けたまま帰宅も可能と言われましたが、炎症が怖いので入院しました。外出はさせてもらいました。

岸田 退院は?

三橋 1週間弱です。とにかく短く。

岸田 その後1年、TS-1。

三橋 そうなんです。ホルモン療法をしていたのに再燃したということで、先生としては「ほかに何か要因があるかもしれない」と。一応の安心材料として、TS-1という飲む抗がん剤をやっておこう、という話になりました。

岸田 ホルモン療法だけでは不安が残るから、もう一段階、追加でということですね。TS-1はどれくらいの頻度で?

三橋 毎日飲んでいたと思います。連日飲んで、少し休薬期間があって、また再開するという形でした。

岸田 それを1年間。

三橋 はい。1年くらい続けました。

岸田 2014年10月ごろまで治療して、現在はホルモン療法のみで経過観察中。

三橋 そうです。今はホルモン療法の飲み薬だけを続けています。

【家族】

岸田 次はご家族について伺います。ご家族構成を教えていただけますか。

三橋 パパ、私、長女、長男の4人家族です。

岸田 旦那さんにはどうやって伝えましたか。

三橋 告知を受けて、病院を出てすぐ電話しました。たぶん、旦那さんも相当てんぱっていたと思うんですけど、それを私に悟らせないように「大丈夫だよ」って何度も言ってくれて。でも後から周りに聞いたら、結構泣いていたみたいで。私は一度も見たことないです。

岸田 美香さんの前では泣かない。

三橋 はい。一回もないです。

岸田 旦那さんにしてもらって嬉しかったことはありますか。

三橋 特別に「これをしてもらってよかった」というのはないんです。私は病気だからって特別扱いされるのがあまり好きじゃなくて。それを分かっていたのか、いつも通りに接してくれました。もちろん仕事を早く切り上げてくれたりはしましたけど、変に構えたりはしなかったです。

岸田 それは大きいですね。お子さんたちはどうでしたか。

三橋 小さいので詳しくは分かっていなかったと思います。でも、上の娘は抗がん剤のとき1年生で、私が丸坊主になるのを見ているので、普通じゃないっていうのは感じていたはずです。でもそのときは何も言わず、普通に接してくれていました。

岸田 後から話したんですか。

三橋 はい。5年生になったときに改めて話したら「知ってたよ」って言われて。ずっと口にしなかったんだなって思いました。

岸田 すごいですね。

三橋 6歳のとき、私が寝込んでいると、下の子におにぎりを作ってあげたりしていました。子どもなりに察していたんだと思います。

岸田 鋭いですね。

三橋 本当に鋭いです。友達が遊びに来たときに「お母さん、髪型違くない?」って言われたりもして。ウィッグだったので、帰ってくる声が聞こえたら急いでかぶっていました。

【苦労】

岸田 子育てで大変だったことはありますか。

三橋 やっぱり幼稚園の送り迎えですね。抗がん剤のときは特に大変でした。バス停には他のママさんたちもいるし、病気のことを言っていない人もたくさんいて。なるべく分からないようにしていましたが、それが毎日のことになるとだんだん苦しくなってきました。

岸田 つらくても朝は行かないといけない。

三橋 そうなんです。家で横になりたい日もありました。でも、子どもには幼稚園に行ってほしいし、家にいると「ママ、ママ」ってなるので。とにかく送り迎えだけは絶対にやろうと思っていました。

岸田 ママさんグループには伝えていましたか。

三橋 近所の3人には伝えていました。でもウィッグで普通に行っていたので、「知らなかった」と言う人もいました。本当かなって思いましたけど。

岸田 きっと気付いても言わなかったのかもしれませんね。

三橋 かもしれないですね。でも、伝えていた近所のママさんたちは本当に支えてくれました。抗がん剤を打った直後で動けないときに家に来てくれて、洗濯物をしてくれたり、子どものご飯を作って置いてくれたり。「寝てな」って言ってくれて。

岸田 心強いですね。

三橋 本当に恵まれていたと思います。実家が遠い分、近くのお友達が家族みたいな存在でした。今でも感謝しています。

【キャンサーギフト】

岸田 美香さんのキャンサーギフトは何でしょうか。

三橋 がんを経験した仲間です。近所のママ友はいましたけど、同じ病気を経験した友達はいなかったんです。聞きたいことがあっても聞けない。でも、こうやって同じ経験をした人たちと出会えて、自分のちょっとした不安を話せたり、話を聞いてもらえるだけで、すごく安心できるんです。

岸田 安心できる仲間がキャンサーギフトなんですね。そういう方々とは、どうやって出会ったんですか。

三橋 最初はネットでした。不安の中でブログを検索していたら、同じ病気の人たちが集まる場があると知って。20〜30代で罹患した女性が10人くらいの、小さな集まりでした。思い切って参加してみたのが最初です。そこからつながりが広がって、いろんな友達ができました。

岸田 つながりがまた次のつながりを生む。

三橋 そうなんです。同じ経験をしているからこそ、言葉にしなくても分かり合える部分があって。それがすごく大きな支えになっています。

【今、闘病中のあなたへ】

三橋 一度きりの人生、悩んで泣いているより、笑って楽しく、です。最初はもちろん、私も悩んで泣いて、1年近くうじうじしていました。でも同じ境遇の友達と出会えて、不安が少しずつ取れていって。今はこうやって笑って楽しくご飯を食べたりできる。病気の存在がだんだん薄れて、楽しい気持ちのほうが勝ってくるんです。悩んで泣いていた時期も確かにあったけれど、笑っているほうが絶対にいいと思います。人生は。

岸田 でも美香さん、あまり泣いているイメージがないですよ。いつも明るく振る舞っていて。告知のときも、そんなふうに見えなかった。

三橋 1人のときは、よく泣いていました。でも子どもたちの前では絶対に泣けなかった。泣いたら、不安にさせちゃうと思って。

岸田 本当にお母さんって偉大ですね。

三橋 子どもたちに成長させてもらっています。本当にそう思います。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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