手術が終わり、口から出た言葉は「殺してくれ」。そんな絶望から救ってくれたのは、同じがん患者の集まりだという柿本さんから話をうかがいました。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:柿本

更新日:2018.08.06

発覚・宣告

岸田 今日は、大腸がんと直腸肛門がん、どちらもやっているというお話を聞きたいと思っています。

柿本 はい。今年で35歳になりますが、がんなったのは27歳のときなので今から7年前です。肛門から1センチ未満のとこにがんがある、という病気になってしまって。肛門を全摘して、いま人工肛門になっています。しかも、なったのは直腸肛門がんでステージ4の末期がんで。医者からはもう「30歳まで生きられないだろう」と、「ちょっとキビシイから今のうちにやりたいことをやっとけ」という話をされました。30歳を越えたときに「ああ、越えてよかったな」と思ったら、大腸がんがまた再発してしまって、そこからの闘病生活。もう毎年検査をするたびに大腸がんが出てる。それ以外にもちょこちょこと左鼠径リンパ節とかにがんがあったりという状況の中で、今、がん患者支援の活動など、いろいろな活動をしています。

岸田 はいありがとうございます。いろいろと活動をされている中で柔道もされていますよね?

柿本 6年生のときに柔道を始めたんですが、今はもう現役を終えて、指導者として地元の小中学生を中心に柔道を教えています。

岸田 ちなみに、お仕事は何ですか?

柿本 それはもう、ずっと介護士。

岸田 介護士をされつつ健全に過ごしていた、ということなんですね。

柿本 そうですね。

柿本 当時は柔道の国体予選とか試合にバリバリに出ていて。強化指定の、指定に入る・入らないっていうところのレベルで柔道をやっていたんですけども。

岸田 じゃけっこうバリバリ?

柿本 もうバリバリです。だから、タバコも吸わない、まあ酒は付き合い程度で。それで柔道の試合は端から出てる、と健康的に過ごしていたはずなんですけど……。じつは毎年5月・6月に体温上昇を起こすんですよね。39度くらいの熱は出るんですが、いつも1週間とか2週間で下がっていたのに今回は下がらない。体調もおかしい、ということで医者へ行って検査したら「何かおかしい」と。抗生物質を飲んでも治らない。じゃあレントゲン撮るか、と撮ってみたら下腹部がおかしい、じゃあ触診するかと触診をしたらがんが見つかった、というところですね。

岸田 触診で。えっ、じゃあ検査ではわからなかった、ということですか?

柿本 そうです。普通ね、大腸がんは、特に直腸肛門がんというと血便が出たりとかするんですけども、それもほとんどなかった状態だったので「まさか?」と。レントゲン撮ったら下腹部に何かモヤがあるからと言われて、そこでCT検査をした、輪切りになったらやはりお尻の方に何かがある。27歳のときだったので、そこの医者もそうですし、私もまさかなるなんて、そんなのがあるなんて思わないから。医者は最初「痔瘻か何かじゃねえか?」と。それで四つん這いになって、生まれて初めてお尻の穴に人に指を突っ込まれて(笑)。入れた瞬間に飛び上がるほど激痛だったんです。それで医者も「ん?」という顔をして、すぐにカメラを入れると。カメラを入れるための下剤を飲まずに緊急でやる、と。そしたらもう肛門のすぐ付近にがん細胞があると。

岸田 そのときにそのがんが……。「大腸がん」「直腸肛門がん」と言いますけど、それは一緒?

柿本 けっきょく一緒なんですよね。大腸というのは全部、直腸肛門の付近までを含めてが大腸なので。いちおう大腸がんの中の、でもっと部類を細かくいうと直腸肛門がん。直腸がんの中のもっと細かくいったもの、それが肛門にあるから肛門がんだ、というふうに。

岸田 肛門がん、本当に肛門の肛門にある感じ? がんが。

柿本 そうですね。本来だったらその直腸の管があってそこにがんがあるので、便が細くなったりするんですけれど。私の最初はその、なぜか知らないですけども、普通だったら直腸がストレートになっているのが、横に膨らんでバイパスができちゃってる。がんに押されたとか何かで。だもんで普通に便も通っちゃってた、という。

岸田 直腸の横に、バイパスで? すごいですね。

柿本 そう、そんなとこまで体、対応しなくていいのに、とか思った(笑)。

岸田 じゃあ、その行った病院・検査してもらったところで宣告を受けたわけですよね。

柿本 そうですね。そのとき最初一人で行ったんです、で、おふくろが呼ばれて。まあ地元の風邪とかでよく行く主治医の先生だったので。触診されたときに「親を呼べ」と言われて。で、検査してる間に親が来たんですね。それで検査終わって診察室に行ったら、おふくろがいたんです。おふくろが泣いているんですよね。何事かと思ったら「十中八九大腸がん」と。それですぐ地元の大学病院の方に行けと。ちょうど検査した次の日が専門の先生の受診日だったので紹介状書いてもらって、次の日にはそこの病院に行って。検査・治療がスタートしましたね。

岸田 じゃあ、けっこうスピーディに進んでいったということですよね?

柿本 うん、よくよく検査して言われたのが、「放っといたら、たぶんがんが肛門から飛び出してただろう」と。

治療

岸田 それで、どんな治療を?

柿本 要はもう「肛門を取るしかない」という選択肢。検査をしていくうちにわかったのが、右の鼠径リンパ節、腸骨リンパ節にも転移がある、なのでそこに関しては……、

岸田 右の鼠径リンパ節? ということは右の、足の付け根のところということですよね。

柿本 と、腸骨リンパ節っていう。

岸田 腸骨?

柿本 要は骨盤の中に入っているリンパ節、骨盤がこうあるとその中に横長というか、入ってるリンパ節。そこも転移している。なので切る以外の選択肢が示されなかった。もともと大腸がんというもの自体が、動く臓器なので放射線が使いづらい、というか使えないと。止まってる臓器であれば放射線を当てることはできるんですけど、常に動いているものに放射線をピンポイントで当てることができない、ということで。ただ今は直腸も放射線はやるらしいですけど、当時は切る以外の選択肢がなかった。このまま放っといたら、死ぬ云々じゃなくまず排便ができなくなると。だからもう取って人工肛門にするしかない、という選択肢しかなかったですね。

岸田 じゃあ、もう「切ってください」と言うしかないという……。

柿本 そう。で、介護の仕事をしていたので、「人工肛門」というものに対してのある程度の初期の知識は持っていたんですね。実際、人工肛門の方のケアもさせていただいていたので。じゃあしょうがないし。まあ正直「舐めてかかってた」というのが本音ですね。そこで14時間の外科手術をして、そのあとに抗がん剤、点滴と内服と、という治療が始まりました。

岸田 ああ、じゃあ手術をして人工肛門になってから抗がん剤をやったんですね。

柿本 それが、その抗がん剤をやっている最中も困ったことがあって。点滴で抗がん剤を入れている病院での1時間の間に死にかけまして……。

岸田 えっ?

柿本 喘息持ちなんですよ。で、そこで大発作を起こして。血中酸素のサチュレーションが60台まで、

岸田 け、血中サチュレーション?

柿本 よくあの、血中酸素を測る、要は酸素量というのが「サチュレーション」というんですけども。それが普通の人だったら90以上なんですけどね。そのときに60以下に落ちて、チアノーゼといって唇が紫になって、呼吸困難を起こして。看護師さんが見たときに、もう青ざめて死にかけてらしくて(笑)。要は抗がん剤の副作用で喘息の大発作を起こしちゃって大変な思いを。そのあとの抗がん剤は点滴が終わったあと、今度は内服に切り替わって。けっきょく「術後の予後の再発を防ぐための内服」というところでずっと治療をしてたんですね。いちおうそれが終わって全部、手術してからここまでが1年で終わり、とりあえずは。

岸田 抗がん剤は、4か月?

柿本 4か月と半年。4か月点滴をやってそのあと半年間は内服。

岸田 それで1年間。ぶっちゃけ言うと、効果ありました?

柿本 (笑)。このあと30歳になったときに再発をしちゃってる。最初に医者に「30までは生きられないだろう」と言われてたから、「いやあ30を越えた、よっしゃ」と思ってた矢先に、夏に検査をしたらまた再発が見つかった。まあそのときはヘコみましたね。

岸田 ですよねえ。けっこうきたんじゃないですか? ぼくも3か月前か、再発を経験してるので。まあ同じ気持ちかはわかんないですけどもけっこうきますよね……。再発は検査しててわかったんですね?

柿本 そう、要は定期検診でわかったんですね。もうその頃には人工肛門になっているので。ただたまに血便というか……。人工肛門なので常に自分の便をチェックできるような状態なんです。

岸田 ああそうか……。

人工肛門と治療

柿本 今日ちょっと持ってきたんですけども。

岸田 おっ!

柿本 いろんな種類があります、人工肛門。人工肛門とあと人工膀胱の人もいらっしゃいます。その人たちを総称して「オストメイト」というんですけど。

岸田 オストメイトね。

柿本 うん。私が使っているはこのツーピースという、2つのものを使っているんですけども。四角い方をお腹に。自分のお腹のとこに腸が出ているので、形に合わせて真ん中をハサミで切るんですよ。

岸田 あっここ、確かに「何ミリ」とか書いてある。

柿本 そう、人によってサイズが違うんですよ。丸くなってる人もいれば形がちょっとこう楕円になってる人とか、いろんな人がいるもんで自分でカットするようなのを私が作りました。この上にもう1つの袋がパチッと止められるようになっているので、固定します。下制筋がないので、腸が直接出ている状態なんですね、お腹に。なのでこの袋にどんどん溜まってくと。

岸田 出すときは?

柿本 下の口が開くのでここから絞り出したり、中にお湯を入れて。私なんかはここにちょっと、ペットボトルを常に持っているので。理想はお湯、無ければ水なんですけれど。お腹についているのを両手で、この中に下から水を入れて1回栓をして、中をジャボジャボしてちょっと綺麗にして、もう1回開けて。

岸田 いま「綺麗にして」と言いましたけど(笑)。こうジャボジャボして、出やすくするんですよね?

柿本 そうそう。なるべくだったらこの袋の中は常にカラにしておきたい、ですよね。要は常に便がここに溜まってる、

岸田 という状態は嫌なんですよね。

柿本 うん。

岸田 でもそれも人それぞれですよね?ここに入っているのは嫌だけど、ぼくみたいズボラな人は「一週間に一度くらいでいいや」くらいに思っちゃうの(笑)。

柿本 (笑)。それはね「1週間に1回」って、無理。というのは、常に食べた分だけ出るから、一日で。例えば一気に食べた日とか、簡単にこの中がパンパンになって、あふれて漏れちゃったりとか。肌が付いている部分から漏れることがあるので。常に形の良い便だったらいいんだけど、例えば食べればお腹を下して水様便だったり。やはり腸が短くなったぶん便の状態というのはそんなに良い状態ではないので。だもんでさっきの再発のときもこの中に出た便の状態が、便器に「血でも吐いたか?」というような(笑)。ドス黒い血がピャッと出たので「これは何かおかしいぞ」と検査したら、「アウトー」。

岸田 アウトという感じで(笑)。え、再発ができたところは、場所はどこなんですか? それは大腸?

柿本 大腸の中の、

岸田 同じ場所?

柿本 いや、同じ場所はもう切ってるから、その上ですよね。腸の、その出てるストーマ口からすぐの位置。一時期そのストーマのところも、がんみたいな出来物があって。よくこういうところになるイボ、それを取るじゃないですか液体窒素とかで、そう取るようにして一回凍らせてジュッて取っちゃったんですけども。やはりがんができやすいと。そこから大腸カメラをそれ以降、毎年大腸カメラを入れるたびに新しい大腸がんが見つかってる。ただそのときは初期段階なんですね。ステージで言ったらステージ1とか0とかいう段階を、早期発見・早期治療ということを繰り返しているけども。

岸田 ちなみに再発をしてからどういう治療を今されているんですか?

柿本 再発したら取る、その度。

岸田 ああ、じゃあ内視鏡をして、もう取っていく、毎回。

柿本 毎回。ただ、なっているのが大腸の中の内側だけなんです。その30のときの再発のときはちょっと大掛かりに内視鏡でとったんですけども、それ以降の毎年のやつはもう大腸カメラでとれる、といった状況です。まあそのときもとったあとに「抗がん剤をやる?」と聞かれたんですけど、もう「抗がん剤、価値ないじゃん」と思っちゃったんですね。予後のつもりでやった抗がん剤がやはり効かなかったんかな? と思ったもんで、やらずにもう毎回取って。で今現在、何か知らないけども左の膝にしこりが出てきて。うつぶせになっただけで激痛が走る状態で。医者に行ったら「がんだぞ」と、膝に。それも30のとき。

岸田 マジですか?

柿本 マジ。それで医者に言われたのは。要は膝関節があります・その皿の間にがんがあるんだけども、柔道やって正座したりいろいろするじゃないですか。普通がん細胞が丸くなるのが潰れて、せんべいみたいにして横に広がったのが皿の上のとこに出てきた。それに関しては放射線を当てます、ただまあ本当は取ったほうがいい。でも、じゃ「取る」ってことは? と言ったら切断かな?という。

岸田 うおー。

柿本 でも、私の中では「足の切断は無理」と思って、とりあえず。それでまあ今も膝は、

岸田 がんを、

柿本 うん抱えているけども、まあ幸い成長してないと言うか、放射線をかけてかなり小っちゃくなって。

岸田 ああ放射線はかけてて。で小っちゃくして。

柿本 けども、まあちょっと定期検診をしたりはしてるんですけども、その「足を切断しなきゃいけない」とかいろいろあって、もうヤバかったと。

岸田 だって初めて聞きましたよ。がんがすり潰されてるという表現(笑)。もう正座で柔道をやられてるから、がんがそれですり潰されてて。もうがんも活動できないんじゃないですかね?

柿本 そう思いたいですね(笑)。

つらい・克服

柿本 一番つらかったのが、術後すぐのとき。親に「殺してくれ」と言った瞬間。

岸田 うーん、それは1回目の手術? 28歳のときの手術ですよね。

柿本 その「殺してくれ」と言ったときに、おふくろが結婚式の引き出物とかが入ってる紙袋を持ってきたんですよ。で、そこに千羽鶴とメッセージカードが入ってたんですよ。誰からの千羽鶴かというと、うちの教え子からの千羽鶴だったんですね。その千羽鶴には「回復」「快気」「祈り」というのが1羽1羽に書いてある、そういう千羽鶴があって。メッセージカードには「道場で待ってます」とか「先生勝ち逃げは許さねえ、戻ってきてもう一回勝負しろ」と。現役生だけじゃなく私の元から卒業していった子全員から、当時の、からのメッセージカードで。まあワーワー泣きましたね、感動して。その泣いたときも、口とかにいろんな管があってそれが逆流したりして大騒ぎになって、大変だったんですけども(笑)。そのときに。最初がんになって人工肛門になりますよ、といったら「もう柔道もできないよ」と医師に言われたので、柔道も諦めて。まあ子どもたちにも「柔道はもうできないから」という話はしたんですよね。でもそれを見たときに、「いや、もう一回柔道をやらなきゃいけない、もう1回復活しなきゃいけない」というのを強く思って。それまでは「ああもう俺死ぬんだ」という意識が強かったんですけど、もう1回柔道をやる、もう一回復活する、というふうに気持ちがプラスになったのが1回目。肉体的にもそこが一つのピークだったんですよね、やはり術後すぐで。それはそうですよね、要は肛門を取っていてお腹も開いてるもんで、1回体が貫通している状態なんですよね。そういう手術をしたのでつらかったし。

岸田 精神的につらかったことは?

柿本 30になったときに再発したとき、というのはもう肉体面よりも精神的にダメージがすごくて。そこから自殺未遂を何度か。もうどうしようもない状態だったんです。それを救ってくれたのが「患者会」の存在だったんですよ。松本の病院の患者会で。そのときに本当に親にもしたことがない話「本当につらくてつらくて」、という今までの話をしたらお姉様方が一緒に泣いてくれたんです。がん種は違うんですよ、でも一緒に泣いて、「私もこうでね」という話をして、「初めて吐き出せた」というところでプラスに変われたんですよね。そこから今度は松本で「リレーフォーライフというイベントをやります、サバイバーのみなさんぜひ参加してください」というのをテレビで見て、「ああ、こういうのもあるんだ」と。リレーフォーライフにも参加して、そのあとに若年性がん患者のSTUND UP!!というとこにも出会えて。入ったら、今度そこに同世代の、本当に同い年のメンバーがいてくれた。だから、本当に精神的にそこからどんどん回復していったら、いつの間にかいろんなところでがん患者のイベントとか、今回のもそうですけどこういうところで話をするとかいう。そこからもうガラリと変わっていった。そこでちょっと克服がちょっとできたのかな? と思うんですね。

今闘病中の方へ

岸田 ありがとうございます。で「今闘病中の方へ」。

柿本 「一人じゃなかった、みんながいてくれた、だから癌晴れる」。「がん」が「晴れる」と。だからよく、我々サバイバーががんばれよ、と言われると「これ以上何をがんばれ?」と言うんですけど。私はがんが晴れるからがんばれる、と。私が活動していることとか、こういうふうにみなさんに今日出会えたこととかもそうなんですけど、いずれは絶対がんは晴れるだろうと思っているのでがんばれる。一人で悩んでる方はいらっしゃると思います。周りに同じような人もいるかもしれないです。一人で悩まずみんながいてくれて、みんながいるので。今ネットとかが普及してるのでそういうとこでも調べてもらったりしてぜひね、一人で悩まないで欲しいかな? 私は一人悩んでいて死に、

岸田 自殺未遂をしたんですよねえ。

柿本 したので、「いろんな人がいる」と。みんながいてくれた、だから私はがんばれるし、いつか「がんが晴れる」ということを信じてやってますのでみさんも。これが私からの一言、ね。

岸田 そうですね。やはり「一人で悩まない」というのは大事ですよね。なので一人で悩むことなく、がん相談のところに電話したりだとか。

柿本 そうですね、うん。

岸田 何かそこらへんにあの、ブラックユーモアですけどもイタ電しまくっても良いわけですよね?

柿本 まあね(笑)。なりふり構う必要はないと思うんですよ、もう。つらいときはやはりつらいですし。

岸田 ありがとうございます。10月は「オストメイト月間」なんですかね?

柿本 そうですね、10月3日が「ワールドオストリーデイ」という世界での、オストメイトについて知ってもらおうという。なかなかオストメイトのこと、知っているようで知られていない。

岸田 オストメイトってこの袋ことですね。

柿本 そう、こればかりじゃなく人工膀胱の人もそうなんですけども、よく高速なんかのトイレに、お腹のとこに十字がついているオストメイト用のトイレとかあるんですよね。それについても普及したり、ちょっとオストメイトのことを知ってもらい、なかなか医療従事者も知らないという方がいる、という話も。ちょうど昨日もそのイベントがあったんですけども。そういうことがわかったので。(笑)。

岸田 そうですよね。いやぼくもようやくあの多目的のお便所のほうで、あの小っちゃい水を流すやつが、

柿本 シャワーのついているやつね。

岸田 それをやっと、最近ぼく始めて知りましたね、ああコレ用なんだと。

柿本 そうですね。

岸田 あれは何か、座れない人が立ってする用のかな? くらいに思ってた。

柿本 そうですね、一般的にやはりそういう方が多いのが現状です。だからこういうオストミデイもそうですし。私なんかそういうときに、本当に今日こういうふうに、ちょっとでもみなさんに知っていただければ幸いでした。ありがとうございました。

岸田 ありがとうございました。

※本ページは、あくまで経験者の情報を扱っております。そのため、あくまでその方のケースはそうだったということを念頭においてください。そのため、医療情報に関しては主治医や、行きつけの病院、またはしっかり科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。

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