がんの発覚。2度の再発。辛い闘病生活を支えてくれたのは家族や友人でした。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:堂前

更新日:2014.09.07

線維形成性小円形細胞腫瘍とは・・・

青年期から若年層に好発する希少ながん。線維形成性小細胞腫瘍は別名 “中皮芽細胞腫”とも呼ばれ、現在までに約200例以上が報告されている。特徴としては非常に進行が早く、再発性が高い。

 治療のこと  

岸田 治療はどんなことをしましたか? ?

堂前 抗がん剤で腹腔内に広がった腫瘍を小さくしていき、残った部分を手術で取るという方針で治療を進めていきました。進行が速く、再発性が高いという病気の特性上、手術よりも抗がん剤治療をメインで行っていきました。
現在は腫瘍の増大化を防ぎ、病変をコントロールするために分子標的薬を用いた治療を行っています。

岸田 どうやってわかったのですか? ?

堂前 初期症状は全く無し。下腹部に固く触れるものがあったため一応病院へ。下腹部に固く触れるものがあり、最初は便秘かなと思って気にしていませんでしたが、一応検査をしてもらおうと病院に行ったところ、腫瘍が確認されました。吐き気や頭痛などの症状は全くありませんでした。

岸田 宣告を受け、どうでしたか? ?

堂前 お腹の中に20センチメートル大の腫瘍があると言われた時にはショックで頭が真っ白になりました。これはがんなのかもしれないなという考えがよぎったからです。自分でもレントゲンを見て大きな黒い塊が下腹部にあるのを確認し、 自分の体の中に明らかに異物があるということにショックを受け、パニックになりました。自分が「がん」になったという事実を受け入れられなかった。それまでの自分の中でのがんのイメージは「がん=死」でした。自分はそれまですごく健康的に生きてきたつもりだったので、 がんを患ったという事実を受け入れるのに時間がかかりました。

岸田 まず始めにやったことは何ですか? 

堂前 両親を交えて話がしたいと言われ、すぐに泣きそうになりながら母親に電話をしました。病院に来てもらい、一緒に話を聞きましたが、話の内容は全く覚えていません。

家族のこと 

岸田 家族の反応はどうでしたか?

堂前 両親は僕の前では気丈に振る舞おうとしていましたが、 だいぶショックを受け、悩んでいたように思えます。僕以上にショックを受けていたかもしれません。家族は闘病を全力で支えてくれています。

学校のこと

岸田 学校はどうしましたか? ?

堂前 初発・2回目の治療の時は抗がん剤治療を行ったため、副作用がありました。治療しながらも通学している人もいるという話も聞きましたが、 副作用で身体的にも精神的にも辛かったので、休学しました。

 

岸田 今はどうしてますか? ?

堂前 僕が使っている分子標的薬はがん細胞が血管を作って栄養を取り入れて大きくなるのを防ぐため、 血管新生を阻害する効果があるということらしいです。2014年4月の再発以降飲み続けています。副作用としては僕の場合は髪の色が抜ける(白髪みたいになる)、下痢になるなど、日常生活を送れる程度のものです。治療が始まっても学校に行けていますし、抗がん剤治療中に比べ、格段に生活の質が良くなりました。4月から始めて今腫瘍が大きくなるのを防げている状況です。このまま分子標的薬で腫瘍の大きさをコントロールできるのが理想です。

辛かったこと&その克服法

岸田 がんになって肉体的に辛かったことは何ですか??

堂前 初発時の治療で強い抗がん剤を使用した時の副作用はとてもきつかったです。40度近くの高熱が出たり、吐き気があったり、口内炎ができて食事もとれなかったり、 頭痛や便秘、下痢などにも悩まされました。そして、開腹手術の影響で腸閉塞になってしまったこと…。1回目の治療が終わって寛解を迎えた後、開腹手術の合併症である、腸閉塞になってしまいました。開腹手術をした人はみんな可能性があると言われてはいましたが、本当に大変でした。手術したことで癒着を引き起こしてしまい、腸の動きが悪くなり、流れが滞ってしまったんです。入院中は鼻から腸まで管を通し、腸が動き出すまで何も食べられず、点滴で栄養をとって ベッドで過ごしていました。これまで3回腸閉塞を繰り返しています。

 

岸田 精神的につらかったことは? ?

堂前 これまでに2度再発を経験しているのですが、1度目の再発がものすごく精神的にこたえました。がんばって抗がん剤治療して手術をして治療が終わり、これからまたがんばろうというところでがんが再発し、出鼻をくじかれたみたいに感じました。ショックは大きかったです。再発の可能性があるのは知っていたけど、考えないようにしていたので… 2度目の再発の時もショックでしたが、1度目の経験もあったので、落ち着いて受け止めることができました。

岸田 どう乗り越えた??

堂前 がんと共に生きていく覚悟をしました。正直、僕のがんの特性上、完全に治るということは望めないのではないかと考えています。薬をうまく使って何とかがんと共存していけたらなと思っています。2度の再発を経て、この考えを持てるようになりました。

反省

岸田 あの時こうしとければよかったということはありますか? ?

堂前 最初の発覚の時、下腹部に異変を感じていたのは病院に行く2~3週間前くらい前から感じていましたが、 特に気にせず、ましてやがんだとは全く考えず過ごしていました。異変を家族にも言っていなくて、自分で大丈夫だと勝手に判断してしまったので、もう少し早めに話をして病院に行ったら、 腫瘍がそこまで大きくなる前で治療方法も違うものだったかもしれない、と後悔しています。もっと早く病院に行っておけば良かったです。

 キャンサーギフト 

岸田 キャンサーギフトは何ですか? ?

堂前 辛い闘病生活を一緒に乗り越えてくれた両親、がんであることを知っていて、気を遣うでもなくいつもどおりに接してくれ、一緒に過ごしてくれた友達、その他にもたくさんの人にお世話になりました。そういった人達のおかげで、自分は今、治療中ではありますが、元気に日々を過ごすことができています。たくさんの人に支えられて生きているということを、身を持って感じることができたのがすごく良かったと考えています。お世話になった人たちへの感謝の気持ちを忘れずに生きていきます。がんになったことで得られたたくさんの出会い。がん患者団体STAND UP!!に所属することで、同年代の闘病している仲間たちに出会うことができました。そこでのつながりは、自分にとってとても大きなものとなっています。病気の悩みは体験した人にしか分からない部分があると思うので、 そういうことを話し合える友達が増えたというのがすごくよかったと考えています。自分より上の年代の方々、年下の方々との交流も増え、がんと闘ったという共通点を持つ人達と色々な話ができ、自分にとって刺激になっています。

 今、治療を頑張っているがんサバイバーへ。

堂前 病気になって金銭面、精神面などで両親に負担をかけてしまっていて申し訳ないという気持ちや、友達や看護師さんなど、自分のことを支えてくれている人たちに負担をかけてしまっているんじゃないかという気持ちをどうしても持ってしまう時期がありました。そんな時に高校の友人達からもらったメッセージにあったこの言葉を見つけ、感銘を受けました。この言葉によって、辛い状況の中で、思い切って甘えたり、頼ることも1つの愛情であるということに気づかされました。この言葉を意識するようになってから、自分を支えてくれている人に対して、それまでは申し訳なさから「ごめんね」という言葉を多く使っていたと自分で振り返っても思いますが、それよりも先に「ありがとう」という言葉が言えるようになったと感じています。自分が病気であることで周りの人に様々な負担をかけてしまうこともあると思いますが、そこで思い切って甘えたり、頼ることも、信頼する、愛する、ということに繋がるということを伝えたいです。

※本ページは、あくまで経験者の情報を扱っております。そのため、あくまでその方のケースはそうだったということを念頭においてください。そのため、医療情報に関しては主治医や、行きつけの病院、またはしっかり科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。

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