耕し方で、土が腐るか芽が出るかって変わってくるから、今闘病しててすごいつらくても、その時間は必ず終わりがくるから、その時に向けて記憶を大切にして

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:より子

更新日:2018.08.06

宣告

岸田 今日のゲストは、より子さんです。

より子 ありがとうございます。シンガーソングライターをしております、より子と申します。私は、2歳から5歳まで小児がんを患っていまして、12歳まで外来に通っていました。22歳の時にもう一度卵巣腫瘍になりまして、2回の病気を経験しています。現在31歳です。

岸田 より子さんの闘病に関しては超有名な本も出てます。

より子 そうですね。「天使の歌声」っていう本です。ドラマにもなりましたね。その後に本を出して、実はマンガも出てるんです。専門誌で、病気をした人がこうやって乗り越えていったよっていうのをフィーチャーした雑誌みたいなのですけど。そうやってインディーズの時に色んなところから出て。メジャーデビューして、すぐその後にまた、卵巣腫瘍になってしまい、闘病してツアー中止と。いろいろ、お騒がせをしてしまいました。

岸田 どういう風に発覚して闘病していったかっていうところをお話いただけますか。

より子 発覚の時は2歳だったんですけど、お腹が妊娠しているくらいに大きくなって、病院に運ばれてすぐに緊急手術をしました。当時、私のところには詳しい情報は一切告知されていませんでした。子供だから、いろいろあったと思うんですよ、言っても分からないだとかね。でも、言ってほしかったですね。ずっと知らないまま、小学校5年生の時に宣告を初めて受けて。

岸田 そこまでいくんですね。

より子 時が経つんですよ。小児がんの親御さんって、すごく勇気が要るんですよね。子どもに、あなたはがんだったんだよ、って言うことに。実は、子供側はもう覚悟ができてるんですよ。できてるんですけど、たぶん親御さんの覚悟が出来たときに告知をされるんですね。そういうタイミングなのかなと。私はずっと、闘病仲間に手紙を書いてたんです。そしたらある日、お母さんから、「ごめんね、」って、「実はあなたが退院した後に友達は亡くなっちゃってたのよ」って言われました。それまで私が出し続けてた手紙が全部タンスにしまってあって。「あなたは卵巣腫瘍だったのよ」っていう告知を受けて。その時に、なんで私だけ生き残っちゃったんだろうと思いましたね。

岸田 告知を受けた時はどんな感じでした?

より子 小児病棟ってすごい不思議な連帯感があるんですよ。どうして一緒に死ねなかったんだろうっていう罪悪感がありました。なんで生き残っちゃったんだろうっていう罪悪感、次に、じゃあ何で生き残ったんだろう、何か生きてたっていうことのメッセージを残してほしい、発信して欲しいって言われている気がして。それで、私は音楽とかものづくりが得意だから、よし、これで発信していこう、って決めました。

治療

岸田 治療で何をどうやったかっていうのはわかりますか。

より子 治療もね、薬とか何を使っているかっていうのは本当に全然説明が無かったんですよ。渡されたものを摂取するっていう感じで。私はオレンジ色の抗がん剤を使ってた。ものすっごい色の抗がん剤。それでもう最後は見ただけで吐くようになっちゃって。かなりの吐き気を催したやつなんですよ。髪は一瞬にしてフワッ、フワフワッって無くなるし(笑)。昔は薬が少なかったのもあって、副作用がとにかくすごいけど、耐えるのが当たり前だった。何で私がこんな目にっていう概念すら無かったんですよね、幼すぎて。だから耐えるのが当たり前、以上、っていう感じ。抗がん剤とヤクルトをドロドロにしたような変な薬と白い粉を飲まされたんですけど。途中でやめてましたね、こっそり。飲んでなかった(笑)。本当は飲まないといけないんですよ。後から聞いたら、肺炎にならないようにするための薬なんですけど。それを20数年経って、お医者さんにいっぱい会う現場があったから言ったんですよ。そうしたら、「よく生きてたね。」って言われて(笑)。飲まないとどうなるかっていうことを、ちゃんと言ってもらえれば飲んだと思いますよ。もう少し説明が欲しかったですよね。ちっちゃいから分からないって、ダメですよ。言われれば、それなりには考えるから。しかも命に関わってくることなので。

岸田 より子さんの闘病歴は、2歳から5歳まで、卵巣腫瘍。

より子 これは悪性ですね。片方を全摘しています。

岸田 12歳まで外来に通ってたんですよね。このとき、どのくらいのペースで通ってたかってわかります?

より子 3ヶ月おきくらい。まだ体が弱かったですね。だんだん強くなっていったんですけど、幼稚園の時なんて、1,2週間ずっと熱出してるとかありました。

岸田 そうなんですね。数ヶ月に1回外来に通って、12歳で通わなくてよくなった。その後に22歳で卵巣腫瘍。再発ではなく?

より子 新規の卵巣腫瘍で、こちらは良性でした。でも細胞を取ってみないとわからないから、開いて取って。この時、3000グラム入ってたんですよ。だから病院に行ったとき、妊婦さんに間違われたんです。フウフウ言ってるし(笑)。胃まで圧迫してたので、これだけ大きくなるともう全摘です、だからもう子供産めませんって言われてて。ああそうか、と。どこかで覚悟してたので、「じゃあもういいです、すぐ取って下さい」って言って、特に迷いは無く。それで目が覚めたら、先生から「ちょっと残せる所があったから残しといたよ。」って言われて、「ええっ!」って。しかも卵巣が伸び切ってたんですって、肥大しすぎて。伸びてたけど、切って残せるところを丸めて入れといた、って言われて(笑)。これ本当ですよ。丸めて入れてるってどういう状況?って思っていましたが、実は細胞を残しておけば、元の形に戻ろうとするんですよ。

岸田 マジで。

より子 そうしたら2年かけて本当に普通の卵巣の形に戻って、ちゃんと生理が来ました。

岸田 すげえ。

より子 本当に人の再生能力ってすごいなって。ただ、その後更年期障害になってしまいました。22歳にして。

岸田 更年期障害って、男性は分かんないんですけど。どういうものなんですか?

より子 更年期障害、私もなってみて、はっ、これか、と思ったんですけど。本当に鬱になったり、わけもなく悲しくなったり、精神面であるんですよ。あとは、ホットフラッシュっていう、体がブワーって熱くなる倦怠感。けっこう、体への負荷、精神的な負荷がすごいです。熱くなったり、すごい冷えたりとか、滅茶苦茶。更年期障害になっていても気がつかないっていう人もいますけどね。私の場合は血液検査とかいろいろ調べてみたら数値的に更年期障害で。漢方薬を処方されていました。それから、不眠症にもなって。これは今なお現在進行形です。ずっと睡眠導入剤を使って寝るようにしています。

岸田 じゃあ10年近く睡眠導入剤を使って。

より子 それに更年期障害もたまに波があって。

岸田 生理は普通に来るんですよね?

より子 生理は来るんですけど、すごい来るのが早いんですよ。2週間おきに来たりとかね。18日周期とか、22日周期とか。すっごい疲れるんですよ、生理って。体がそれだけ毎回変わってるわけで、毎回毎回、すごい負荷がかかるんです。

岸田 小児のがんになった人や、婦人科系のがんになった人とかは、更年期障害で悩む人も多いと思います。今は大丈夫?

より子 今は定期検診が1年に1回でよくなったんですけど、けっこう私って生理周期とかいろいろなことが起こったりするので、結局年に2、3回は病院に行ってます。

仕事

岸田 音楽をやることになったお話も聞きたいなと思っていて。

より子 音楽をやるきっかけ。ちょうどファミコンが出た時代で。ファミコンで聞いた曲をそのまま耳コピで弾いて、それをやり続けていったらそのうち自分で曲を作るようになって。その頃、RPGツクールという、自分でRPGを作れるゲームソフトが発売されたんですよ。これと出会って、あ、私のやりたいことがこれで全部できると。私、絵も描くんですけど、自分でアニメーションも作ってストーリーも作ってゲームの曲も付けてやってたんですよ。私はいつかRPGツクールの人たちと一緒に仕事するんだ、って決めたのが、小5のときだったんです。告知とともに、自分は音楽で伝えていくんだっていうのがピタッと合わさって、そのまま私は絶対こっちの道に行くんだ、って。そうしたら中学校上がった時に、芸能人がいたんですよ、クラスの中に。「モーニング娘。」の子がいたんですよ、たまたま。私はその子をモーニング娘。だって知らずに、その子も曲を作るから、仲間だー!って言ってお互い喜んで、一緒に曲とかを作っていたら、ある日、その子がテレビで「モーニングコーヒー」歌ってたんですよ。それで、あれ、これ福田さんじゃね!?って思って(笑)、翌日、「福田さん、モーニング娘。なの?」っていう微妙な会話があって。福田さんていつも囲まれて大人気だったから、学校の中で人気なんだなと思ってたわけ。それで、「ごめんなさい、私、福田さんが「モーニング娘。」だって知らなかったんだ」って。「あ、良いよ別に。」とかいって、これが登下校の思い出(笑)。その後、福田さんがマネージャーに「今、より子さんっていう子と遊んでるんだけど、自分で曲も作って歌も歌えて絵も描くし面白い子なんだ」っていう話をしたら、そのマネージャーからスタジオに来なさいって呼ばれたんですよ。それでスタジオに行って、その場で歌ったんですよ、椎名林檎を。そうしたらスカウトされた。

岸田 すごいですね、シンデレラストーリーというか。

より子 ただし私は、スクエアエニックスというところに就職したくって。ゲームの曲を作りたいんです、って言ったんですよ。そうしたら、「大丈夫、成功したら何でも好きなことが出来るようになるから」って言われて。15の私は、そっかー!と思って。そのまま入ったわけですよね。まあシンガーソングライターにはなれましたけど。でもその後本当に、RPGツクールのプロデューサーから連絡をもらって、コラボできたんで、夢が叶いましたね。

岸田 すごいね。本当に。ご縁がつながって、一歩踏み出したより子さんだからこそ、できたんじゃないかな。

家族

岸田 闘病中、家族とのコミュニケーションはどうだったのか、家族にまつわることをお聞きしても良いでしょうか。

より子 はい、私は2歳から5歳まではお母さんと入院してたんですよね。それなりに年齢が大きくなると一人で入院になるんですけど、私の場合はすごくちっちゃかったので、毎日ずっとつきっきりで。家にはお父さんとおばあちゃんとおじいちゃんとお姉ちゃん。病院は私とお母さん、と離れ離れになっちゃったんです。離れ離れになるって、やっぱり良くないんですよね。今でこそいろんな施設があるじゃないですか、家族が一緒に過ごせるドナルド・マクドナルド・ハウスとかペアレンツハウスとかパンダハウスとか。

岸田 あとチャイルドケモハウスもありますね。

より子 そうそう、そうやって小児がんの子が家族と一緒に一時退院を過ごせる施設が無かったんで、本当に離れ離れで。すごく溝ができるしお互い傷つくし距離ができるし。やっぱり家族って一個でいることが良い。特にちっちゃい子のときは、絶対に一緒にいた方が良いと思う。私はお母さんがお父さん役もやってしまったんで、うちはお父さんの存在感が、もう空気みたいな。お母さんがオーラがありすぎて。

岸田 そうね、より子さんのお母さんの話は出てくるけどね、お母さんと一緒に本書いたりとか。

より子 私、お父さんとの触れ合いも少なかったの。すごい忙しい人で、夜遅くまで働いて早朝に出ていって、っていう仕事だったんで。日曜日くらいしかまともに会ってなかったのかな。お姉ちゃんはずっと触れ合いの時間があるから、私とは違う感覚でお父さんを見てるんですけど、私の場合は完全にお医者さん、主治医がお父さんになっちゃってたんで、お父さんに会った時に、第2のお父さんになっちゃったわけですよ。これ、残念なお話ですけど。お父さんはすごい寂しいですよね。でもやっぱりそういうふうになっちゃう。ちょっとずつ、退院してからコミュニケーションを繰り返して、普通にお父さんになっていったんですけど。昔は何かね、時々会えるすごい優しい人。そうなっちゃいますよ、子供は。

岸田 どこら辺からお父さんの認識って出てきました?

より子 そうですね、理想が崩れた瞬間。

岸田 なんか深いですね(笑)。

より子 あ、人間なんだなっていうか。お父さんも、ひとりの人間であって、葛藤してる人なんだなっていう、そういう人間味が見えてきた時に、ああ、お父さんだったんだ、って、思いました。

岸田 それが、小学校ぐらい?

より子 うーん、小学校高学年かなあ。

岸田 高学年。お父さんは、そういうお父さんだったと。お母さんはすごくオーラが強くて、より子さんをずっと看病してくれてた。お姉さんは?。

より子 お姉ちゃん、すごいよ。どこの家庭もそうだと思うんですけど、兄弟ってケンカがすごいじゃないですか。ちっちゃい時って。

岸田 何歳上ですか?お姉ちゃん。

より子 3つ。私はお姉ちゃん大好き過ぎて、お姉ちゃんは鬱陶しかったと思います。どこに行ってもついて来るじゃないですか、妹が。大好きだから、お姉ちゃんがやることなすこと全部真似するでしょ。たぶん鬱陶しかったと思うんですよね。しかも私、お母さん取っちゃってるから、ちっちゃいうちに。

岸田 そうですよね。

より子 すごい私はお姉ちゃんに悪いことをしたっていう罪悪感だけはあったんですよ。

岸田 お姉ちゃん小学校の時、お母さんはずっとより子さんに付きっきりですもんね。

より子 でもお姉ちゃんはお姉ちゃんで、私に対して目が離せないっていうところがあったと思うんですよ。私がバタッ、とかなった時に、最初にいるのがお姉ちゃんだったんですよね。だから、お姉ちゃんがいなかったら、たぶん私、何回か、死亡してると思います。

岸田 そのバタッとなったのは?

より子 体が単純に弱くて。例えば突然貧血で倒れるとか、突然胃痙攣みたいなのを起こしてとか、そういう程度のものですけど。必ずそういう時にはなぜかお姉ちゃんが颯爽といるんですよ、そこに。それで助けてくれる。だから、たぶんお姉ちゃんは人間じゃなくて、神。菩薩の領域。うちのお母さんは、般若、形相が(笑)。そういう感じがすごくして。だから私ができることは、もうとにかく生きることですよね。

 

 

学校

より子 私、不登校児で。小学校もほとんど休みがちでしたね。

岸田 中学校も?

より子 中学校は1学期だけ行って、あと全部行ってない。たまに、行きたい時に行く。

岸田 何で行けなかったんですか?体調的なところ?

より子 違います。学校に行く意味が分からなかったっていうか。

岸田 うーん、それ深すぎる。

より子 私はもうやりたいことがあって、音楽を作って絵を描いて物を作って、っていうスキルを上げる。自分の中で、ものをとにかく作っていくっていうことをしなきゃいけなくて。学校に行くとみんな同じことを一律でするわけじゃないですか。それがすごい窮屈で。あと女子特有のいじめだったり、なんでトイレに行ってグチグチ皆で誰かの悪口を言っているのかとか、何もかもが理解できなかったんですよ。馴染めなかったっていうのもあって、行くとすごい疲れる。本当に疲れるので、もう帰ってきて何もできない、というのも多かった。それが本格的に爆発したのが中学校でしたね。中学校で、今私に必要なのはこういうことではなくて、たぶんあと数年後にスカウトされる予感がしてならないから、今から作り貯めておかないと、対応できるようにしておかないとダメだって思っていたんですよ。それで3年間、ずーっと毎日ピアノ3時間弾いて、何かを作ってっていう事をやってた。だから学校に行かなくて。お母さんも、もういいやって言って。

岸田 すごいね。そっか、じゃあ学校の思い出ってあんまりない?

より子 学校の思い出、イベントだけ行ってたのでありますよ(笑)。

岸田 お、何すか。

より子 いろいろ、合唱祭とか体育祭とか。別に学校が嫌いなわけじゃないんですよ!学校は好きなんですけど、今私はここでこれをする意味が分からないっていうところで。急にパっと行って、先生に来ましたって言って、やることが終わったら、じゃあ帰りますって、ちゃんと先生に言って帰ってたから。先生も何か、お、おう、みたいな。来いって言わなかった。

岸田 だいたい生徒指導室に呼び出し、くらいのね。

より子 私の場合は、何してるんだって言われたら、曲を作ってますって言って。こういう風に私はなりたいんで、曲を作って準備してますって言ったら、おお、そうか、じゃあ頑張れよ、みたいな。来いってほんとにだれも言わなかったですね。言えなかったんでしょうね。定まりすぎちゃって。

岸田 そうか。イベントのときは学校行って、授業の時は自分の創作活動とかしてっていう生活だったと。

より子 そう。けっこうみんなが遊びに来てくれてましたね、うちに。こんなことがあったよとか。

岸田 友達に恵まれて。

より子 やっぱり変な子ですからね、目立ってましたから。より子んち行こうぜ、みたいなことになってましたね。

つらい・克服

岸田 精神的につらかったこと、肉体的につらかったことを、どうやって克服したかっていうところをお聞きしたいです。

より子 精神と時の部屋に入ったような気分で、全部克服しました。

岸田 ドラゴンボール用語ですから(笑)。

より子 だって、当たり前なつらさが必ずあるわけで。これで打ちのめされてたら、もう終わりじゃない。だったら、こんだけつらいってことは、こんだけ強くなれんだな、っていうことしか思わなかったね。そうやって1つ1つの事を克服してった。全部。

岸田 全部。それを思い始めたのっていつ頃ですか。

より子 ちっちゃいときから。

岸田 すごいですね。

より子 起こる事っていうのは、必ず何か意味があって、例えばすごいつらいことが起こると、それは、自分が引き寄せた、自分が起こしたことでもあり、でも相手も起こしてしまったことでもあり。誰がどう悪いとかじゃないんだ、って、そのうちだんだん分かってきて。これに対して自分がどういうふうに捉えて、消化して、克服していくのか、っていうところが問われてくるんだなって、だんだん気がついてきたの。だから、そういう思考回路になっていったんじゃない?

今、闘病中のあなたへ

岸田 今、闘病中の方へ、より子さんからメッセージをお願いします。

より子 「人生は、自分で決めてきたシナリオ」です。決めて、生まれてきてると思うんだけど。

岸田 自分でシナリオを描いて生まれてきてる?

より子 だって、生まれてくる時に私、お母さん選んで生まれてきたのを覚えてるから。そうだと思う。私の場合は。そういうふうに覚えているタイプなので、この言葉にさせていただきました。

岸田 そうか。そうなったら、もう、がんになったのもしゃあないなっていう気持ちですか?

より子 だってがんにならないと、命の、生きるっていうことを勉強できなかったし、それを歌にも出来ないわけだから。私にはやっぱり全部必要だった。周りにはすごい大変な思いをさせちゃったけど、それも一緒に乗り越えてくれる人を選んで生まれてきた、と思ってる。

岸田 本当、強いお母さんとエアーお父さんと菩薩のお姉ちゃんと。決めて、生まれてきたっていう。

より子 うん。

岸田 なので、今闘病中の人には、それは、シナリオだから。

より子 でもあれですよ。別に書き換えたって良いんですけど。

岸田 あ、良いですね、その表現。

より子 例えば自分が病気だから、病気病気っていうシナリオにしなくていいと思うのね。そういう気分になっちゃうじゃん。そうじゃなくて、やっぱり点、人生の点だから。そこをどう生かすか、どう実にするか。ネガティブな記憶とかをどう耕して行くかで変わってくると思うんだよね。記憶を耕してくの。そうすると耕し方で、土が腐るか芽が出るかって変わってくるから。今、闘病しててすごいつらくても、その時間は必ず終わりがくるから。その時に向けて記憶を大切にして欲しいなって思います。なんかちょっと、メジャーな言い方ができなくてごめんね。

岸田 いやいや、より子さんらしい。自分で書き換えてくっていう表現が僕は刺さりましたね。僕は面白い方に書き換えていきたいなって思ってます。

 

※本ページは、あくまで経験者の情報を扱っております。そのため、あくまでその方のケースはそうだったということを念頭においてください。そのため、医療情報に関しては主治医や、行きつけの病院、またはしっかり科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。

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