インタビュアー:岸田 / ゲスト:矢方
【オープニング】
岸田 本日は、タレントであり声優としても活動されている矢方さんにお越しいただいています。まずは自己紹介をお願いします。
矢方 矢方美紀です。私は2018年1月に乳がんが発覚し、4月に手術を受けました。その後、5月からさまざまな治療を始め、現在は大きな治療はいったん終わりましたが、継続的に治療を続けている状況です。
岸田 当時はステージⅢBで、25歳のときにがんを経験され、現在はホルモン療法中ということですね。
矢方 そうなんです。最初は手術前の段階でステージⅡBと言われていましたが、実際に手術をしてみるとステージⅢAであることが分かりました。そこからいろいろな治療を経て、抗がん剤治療も経験しました。抗がん剤は大変でしたが、今は髪の毛もちゃんと生えてきて、こうして元気に活動できています。
岸田 矢方さんのバックグラウンドについても、初めてご覧になる方のために教えていただけますか。
矢方 17歳のときに、名古屋を拠点に活動していたSKE48というアイドルグループのオーディションに合格し、約7年半、アイドルとして活動していました。その後グループを卒業し、現在は名古屋を拠点にタレント活動をしながら、声優という夢に向かって活動しています。
そんな矢先に病気が分かり、最初は「仕事や夢のことなんて、もう考えられない」と思いました。ただ、治療を続ける中で、「病気と二人三脚であれば、続けていけるのではないか」と思えるようになり、治療と並行して仕事も継続してきました。そして、病気を公表したことが一つの大きなきっかけとなり、こうして今日、がんノートに出演させていただくことができました。

岸田 では早速ですが、まずはどのように気付いたのか教えてください。
矢方 気付いたきっかけは、乳がんのセルフチェックでした。正直に言うと、当時はセルフチェックの方法もよく知らなかったんです。知るきっかけになったのは、ある芸能人の方が乳がんで亡くなったというニュースでした。それを見て、「セルフチェックってどうやるんだろう」と思い、自分でネットで調べました。若いし、自分は病気にはならないだろうと思っていましたが、「一度やってみるのもいいかな」という軽い気持ちで、お風呂のときに胸を触って確認するセルフチェックをしてみました。
そのとき、左胸に「何だろう、この硬い石みたいなものは」と感じるしこりを見つけました。それが最初の発見です。ただ、その時点では、がんだとはまったく思っていませんでした。というのも、がんは痛みがあるとか、出血するとか、皮膚が赤黒く変色するといったイメージを勝手に持っていたからです。でも、そのしこりには痛みもなく、見た目の変化もありませんでした。
「だったら、痛くなってから病院に行けばいいかな」と思っていたのですが、知り合いに相談したところ、「それはちゃんと病院に行って、良いものか悪いものかを検査してから判断しなさい」と言われました。病院は正直あまり好きではありませんでしたが、「じゃあ行こうか」と思い、まず産婦人科に行こうとしました。
ただ、乳がんの診察は産婦人科ではなく乳腺外科だと分かり、あらためて乳腺外科を受診しました。検査を進めた結果、2018年1月に乳がんであることが分かりました。
岸田 セルフチェックのとき、「乳がんは硬いもの、痛いものだと思っていた」と話されていましたが、実際はどうだったのでしょうか。
矢方 本当に硬かったです。よく例えで「レモンの種くらいの硬さ」と言われますが、まさにそんな感じでした。それがずっと同じ場所に固定されているような感覚でした。大きさも結構あって、ビー玉くらいはありました。左胸の上の方にあって、右には何もありませんでした。
最初は、胸の真ん中あたりにある硬さと同じものだと思って、「胸の組織かな」と勘違いしていました。でも、左側のしこりは明らかに違う硬さで、「これはおかしいな」と感じました。その後も大きさや硬さが変わらず、そのまま存在し続けていたので、「やっぱり何か変だな」と思いました。とにかく、硬さが印象的でした。
岸田 形は丸かったですか。
矢方 はい。ぽっこりと小さな山ができているような感じでした。
岸田 それに気付いて相談し、病院へ行くことになり、最初は産婦人科を受診されたんですね。
矢方 はい。産婦人科に行きました。受付の方がとても親切で、「近くに乳腺外科がありますよ。開いているか聞いてみますね」と確認してくださり、ちょうど診療していたので、「すぐ行ってみてください」と言ってもらえました。
岸田 そのまま、すぐに行かれたんですか。
矢方 はい。すぐでした。本当に近かったので、その足で行きました。そこでいろいろ診ていただきました。女性が乳がん検診をためらう理由の一つに、マンモグラフィーがあると思います。胸を強く挟まれて痛い、というイメージがありますよね。私は胸が大きいほうではないので、「大きい人が痛いのかな」と思っていましたが、実際には胸の大きさに関係なく、人それぞれだそうです。
岸田 実際、痛かったですか。
矢方 私は痛くなかったです。感覚としては、「大きなハサミでつねられている」ような感じでした。痛みよりも、セッティングのほうが大変でしたね。検査が終わって、「すぐ結果が分かるのかな」と思っていたのですが、最初の検査ではグレー判定でした。そのため、「もう一度、細胞診をして詳しく調べましょう」と言われ、追加検査を行った結果、がんだということが分かりました。
岸田 細胞診は日帰りで受けられたんですか。
矢方 はい、細胞診は日帰りでした。その後に仕事の予定も入っていましたし、自分自身、時間がないという意識もありました。病院は待ち時間も長いので、正直あまり行きたくないという気持ちもありました。
そのため、「きょう細胞の検査をしますか、それとも次回にしますか」と聞かれたときも、「絶対に痛いとは思うけど、きょうやって、さっさと帰って仕事に行こう」と思い、その場で検査を受けることにしました。胸に針を刺して、しこりの細胞がどうなっているかを調べる検査でした。
岸田 その検査結果は、すぐに分かったのですか。
矢方 その結果も、実はグレー判定でした。しこり自体はあるけれど、中の組織については最初の検査でははっきり分からなかったんです。
そこで、もう一段階詳しく調べるために、太い針を使った検査を行うことになりました。あらかじめその針がスタンバイされていて、それを刺されました。正直、痛かったです。
岸田 そこまで検査しても、まだグレー判定だったわけですよね。最終的な告知は、どのタイミングだったのでしょうか。
矢方 1週間後でした。2018年1月の初めに、再び病院へ結果を聞きに行き、そのときに「乳がんのステージⅠです」と告げられました。
岸田 その時点では、ステージⅠだったんですね。
矢方 はい、最初はステージⅠでした。なので、「やった、早期発見だ」「早期治療ができる」と、かなり前向きに受け止めていました。ただ、その後さらに詳しい検査を重ねていく中で、「リンパ節にも転移があるかもしれない」ということが分かってきました。
当初は、「胸は全摘しなくても大丈夫ですよ」と言われていたんです。それが検査結果によって二転三転して、「今後の人生を考えると、全摘したほうがいい」という話になりました。その選択については、本当に悩みました。
【がんの公表】
岸田 その中で、最終的に全摘という選択をされるわけですが、治療に入るタイミングで、ヤカちゃんは病気を公表されていますよね。
矢方 はい、公表しました。
岸田 公表については、どうでしたか。公表する前の葛藤や、公表してみての反応について教えてください。
矢方 まず、自分が乳がんだと分かったときに、「胸の病気」というものを人に言うことへの抵抗がすごくありました。私はそれまでアイドルという仕事をしてきて、男性ファンの方も多かったので、「胸の病気です」と伝えることに、正直、恥じらいのような気持ちがあって、どうしようかと悩みました。
最初は事務所の方とも相談して、「言わないでおこうかな」という方向に傾いていました。病気が分かってから、実際に一度、約1か月ほど休業したんです。そのときは、「いったんお休みします。治療などがあるので少しお休みしますが、心配しないでください」という形でお伝えしました。
ただ、1か月休んでいる間に、「体の病気じゃなくて、心の病気なんじゃないか」「大丈夫なのかな」と心配してくださる方がいたり、「別の病気なんじゃないか」といった憶測が広がっているのを感じました。はっきりと理由を伝えていないことで、かえって周囲を不安にさせてしまっていることに気付いたんです。

岸田 臆測でいろいろ言われていた、ということですよね。
矢方 そうですね。憶測でいろいろ言われているのが、個人的にはすごく嫌でした。最初は、手術も治療も全部終わって、落ち着いたタイミングで話そうかなと思っていたんです。実際には、2018年1月に病気が分かって、4月に手術をしました。正直、手術後は1〜2か月は寝たきりになるだろうと思っていたのですが、10日ほどで退院できたんです。それが自分でもすごく早いと感じましたし、「もっと傷が痛くて動けないものだと思っていたのに、意外と立ってトイレにも行ける」となって、「これなら今月中に仕事復帰できるかもしれない」と思うようになりました。
そして、そのタイミングでマネージャーさんに相談しました。「病気の名前を伏せたまま仕事を続けて、あとから治療内容が変わっていくのも嫌です。最初から病気のことをお伝えして、それを前提に、皆さんに理解していただいたうえで仕事をしたいです」とお話ししました。すると、「それなら、そうしましょう」と言っていただき、公表することが決まりました。
復帰後、最初のお仕事はラジオでした。体はまだ痛みがありましたが、声は元気だったので、「まずはラジオから仕事を始めたいです」とお願いしました。正直、公表したところで、「自分のことなんて、そこまで世間の人は知らないだろう」と思っていました。ところが、実際には想像以上に大きくニュースとして取り上げられて、本当にびっくりしました。
岸田 すごく大きなニュースになりましたよね。公表して、よかったと思いますか。そのタイミングで。
矢方 それも最初は、すごく悩みました。自分の口から話すということは、真実を伝えるという意味ではよかったと思っています。間違った情報が独り歩きすることは防げると思いました。
ただ、公表したことで、「この子、死ぬんじゃないの」と書かれたり、「仕事を続けるって言ってるけど大変だよ」と言われたりもしました。自分が思っていることと、世間が抱くイメージとの間に、とても大きな壁を感じて、「どうしたらいいんだろう」と悩みました。「言わなければ、そういう言葉を投げかけられずに済んだのかな」と思ったこともあります。
岸田 今振り返ると、やはり言ってよかったと思いますか。
矢方 はい、今は言ってよかったと思っています。公表したことで、病気に関するメディアに出演させていただく機会も増えましたし、病気がきっかけで、たくさんの方がサポートしてくださるようになりました。
この1年を振り返ると、自分自身、すごく成長できたと感じています。もし病気のことを話せていなかったら、もっと一人で抱え込んで、「どうしよう、どうしよう」と悩み続けていたと思います。今は、「私は乳がんです。でも、元気に仕事もできます」と自分の言葉で伝えられますし、その姿を見て、周りの方がどう接すればいいのかを考えて対応してくださっていると感じています。今は本当に、多くの方に支えていただいています。
【治療】

【仕事】
岸田 先ほどもお話がありましたが、かなり早くお仕事に復帰されていましたよね。確か10日ほどでしたでしょうか。
矢方 はい。去年の4月に入院と手術を行い、退院してから1週間後には、もうラジオのお仕事を再開していました。本当は退院した当日にちょうどラジオの収録があり、「参加したいです」とマネージャーさんに伝えたのですが、「それは無理です」と止められてしまいまして。ただ、どうしても現場の空気だけは見ておきたいと思いました。4月は番組改編の時期でもあり、自分が出演していた番組も収録体制に変わっていたため、現場を見ないと自分自身が不安になってしまったんです。そのため、退院日に収録現場を見学し、そのときは自分が来ていることは伏せたうえで、「来週から参加しよう」という流れになりました。
岸田 実際にお仕事へ復帰されてから、体調とのバランスはいかがでしたか。大変だったのか、それとも意外といけたのか、教えてください。
矢方 正直に言うと、抗がん剤治療と放射線治療を行っていた約5カ月間は、とても大変でした。毎日病院に通わなければならなかったですし、副作用もすぐに回復するわけではなく、私の場合は治療後2、3日寝込んでから復帰する、というサイクルでした。治療が終わってから3日間はお休みをいただき、その後に仕事を再開する、ということを繰り返していました。ただ、抗がん剤治療中は、気持ちは元気なのに体がついてこない、ということが本当に多くて。ラジオでは「ちゃんと話せている」「ちゃんと原稿を読めている」と自分では思っているのに、漢字を読み間違えたり、言葉が飛んでしまったりすることがあり、とても悔しかったですね。ただ、それも治療の終盤になると、抗がん剤を打った次の日から仕事に復帰できる日も出てきて、「人の体ってすごいな」と感じるようになりました。
岸田 体が順応してきた、という感じでしょうか。
矢方 そうですね。だんだんと「もう少しいけそうだな」という感覚を、体が覚えてきたように思います。
岸田 あくまでも矢方さんの一例ではありますので、皆さんはご自身の体調をしっかりと見ながら判断していただきたいですね。
矢方 はい。必ず自分のコンディションと相談しながら、無理のない形で進めていただければと思います。
岸田 その点を大切にしていただければと思います。
【夢】
岸田 現在取り組まれていることや、今後の夢についてお伺いしてもよろしいでしょうか。
矢方 はい。私自身が、病気になっても治療を諦めずにがむしゃらに続けてこられた理由の一つに、幼い頃からずっと「声優になりたい」という夢を持っていたことがあります。これまでアイドルとしてグループで活動してきましたが、ここからはグループではなく、一人で改めて自分の目標をかなえるチャンスがあるのであれば挑戦したい、という思いで進んできました。
病気が分かった当初は、「もう駄目だ」と思いました。年齢も25歳ですし、声優の世界ではもっと若い頃からスタートされている方も多いため、「もう終わったな」と感じたんです。しかし、ふと考えたときに、「声は全然大丈夫だな」と思えました。胸はなくなってしまいましたが、それが声優という仕事に直接関係するかといえば、関係ないと気づいたんです。その気づきが大きな希望に変わりました。
だったら諦めずに、今自分がやるべきことを一つひとつ積み上げながら、夢をかなえていきたいと思うようになりました。また、病気を経験して「人生は一度きりだ」ということを改めて強く実感しました。これまでは、「あのとき、もう少し前のめりに挑戦していればよかった」と後悔することがたくさんあったのですが、そのままにしておくのはもったいないと感じたんです。
声優という仕事についても、「かなうわけがない」「今さら遅い」といった声もあるかもしれません。それでも私は、地道に一つずつ積み重ねながら、何とか形にしていきたいと思っています。
また、応援してくださっているファンの方々は、私がずっと声優を目指していることを知ったうえで応援してくださっていました。だからこそ、実際に作品の中に「矢方美紀」という名前が載っている姿を、皆さんに見ていただきたいと思っています。それを見て喜んでいただけたら、これ以上うれしいことはありません。それが、今の私の目標であり、夢です。
すでに少しずつ動き始めてはいますので、今後はこのがんノートや自分のSNSなどでも発表していきたいと考えています。それが、誰かにとってのきっかけや希望につながればうれしいです。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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