インタビュアー:岸田 / ゲスト:クルーグ

【宣告・治療】

岸田 クルーグ絵里香さんをご紹介します。まずは自己紹介をお願いします。

クルーグ クルーグ絵里香と申します。卵巣がんの中でも、胚細胞腫瘍というがん種で、当時のステージはⅡBでした。2018年1月にがんが発覚し、現在は経過観察中です。

岸田 どのようなきっかけで、がんが見つかったのでしょうか。

クルーグ 当時、左上腹部に強い痛みを感じ、CT検査を受けに行ったことがきっかけでした。検査の結果、子宮のあたりに影があると言われ、「子宮筋腫かもしれません」と説明を受け、レディースクリニックへの紹介状を書いてもらいました。

 ただ、子宮筋腫は良性のことが多いですし、もともと通っている病院もあったため、「そちらの定期健診で診てもらえばいいかな」と思い、その時点では特に何もせずに過ごしていました。これは、2017年11月頃の出来事です。その後、翌年の1月に婦人科を受診しようと思い、定期健診に行ったところ、レディースクリニックの先生から「何か腫れているものがあるので、改めてCT検査を受けてきてください」と言われました。

クルーグ レディースクリニックから大きな病院の紹介状をもらい、2日ほど後に受診しました。その病院では、「この時点で画像だけでは確定できない」と言われ、1週間以内にMRIとPET-CTを受けることになりました。その結果、「おそらくがんの可能性が高いので、手術をしましょう」と説明を受け、2月中に手術が決まりました。

岸田 大きな病院というのは、ご自身で「この病院にしてください」とリクエストされたのですか。

クルーグ 最初に「どこの病院がいいですか」と聞かれました。ただ、その時点では「悪いものかもしれない」と言われていて、しかも一人で受診していたので、冷静に判断できる状態ではありませんでした。私自身23歳と若かったこともあり、先生もとても心配してくださって、「知り合いもいるし、卵巣がんの症例数が一番多い病院だから、そこにしましょう」と勧めてくださり、その病院を選びました。その時点で、いわゆる“プチ告知”を受けた形です。

岸田 その病院では、手術までスムーズに進みましたか。

クルーグ はい。受診してから2日後くらいに検査の予約が取れて、その検査の中で正式に告知を受けました。手術までは2〜3週間ほどで、今振り返ると、その期間はちょうどよかったと思っています。

岸田 それは、気持ちの整理という意味でですか。

クルーグ そうですね。心の整理もそうですし、身辺整理という意味もありました。当時は仕事をしていたので、上司に報告をして、どのように休みを取るかなどを相談する時間として、ちょうどよい期間でした。

岸田 プチ告知を何度か受けていると思いますが、そのときはやはり頭が真っ白になりましたか。

クルーグ なりました。特に最初のプチ告知のときが一番、頭が真っ白になりました。最初は「子宮筋腫かもしれない」と言われていたのに、そこから「卵巣がんの可能性がある」となったので、余計に衝撃が大きかったです。

岸田 手術はいかがでしたか。

クルーグ 手術は、両側の卵巣と子宮を摘出するものでした。子宮を残せるかどうかは、「実際に開けてみないと分からない」と言われていました。

岸田 手術時間はどれくらいでしたか。

クルーグ 朝9時頃に手術が始まり、もし転移があれば夕方4時頃までかかると言われていました。ただ、目が覚めたときには13時半頃だったので、「転移はなかったんだ」と分かりました。

岸田 入院期間はどれくらいでしたか。

クルーグ 手術後、10日ほどで退院しました。

岸田 手術は無事に終わったのですね。

クルーグ はい。手術で腫瘍はすべて取り切れました。ただ、術後の病理検査でステージⅡBと分かり、ガイドライン上、抗がん剤治療を行うことが決まっていると説明を受けました。私自身も再発がとても不安だったので、BEP療法による抗がん剤治療を3クール受けました。

岸田 抗がん剤治療中、つらかったことや大変だったことはありましたか。

クルーグ 副作用を抑える薬がとてもよく効いてくれて、嘔吐は一度もありませんでした。「少し気持ち悪いかな」という程度で過ごせていたと思います。ただ、脱毛については、やはりつらいと感じることはありました。

岸田 においに敏感になったり、食べ物が食べられなくなったりといった症状はありませんでしたか。

クルーグ そういった症状は特にありませんでした。倦怠感もあまり強くなく、吐き気を抑えるために少し強めの薬を飲んでいたので、その影響で眠くなり、日中に寝てしまうことはありましたが、抗がん剤治療中でも元気にお菓子を食べながらおしゃべりできるくらいの状態でした。

岸田 3クールの治療を終えて、6月に治療が終了。その後は経過観察とのことですが、現在はいかがですか。

クルーグ 現在は、2カ月に1回ほど通院しています。血液検査と内診を受けています。

岸田 7月には職場復帰されたのですね。

クルーグ はい。6月の半ばには白血球の数値も回復して、「もう大丈夫」という状態になったので、すぐに職場復帰しました。

岸田 復帰後は、結構大変ではなかったですか。

クルーグ 体力がかなり落ちていて、会社に行くまでの途中で、一度カフェで休憩をしないと通勤できないほどでした。

岸田 こちらが、抗がん剤治療前のお写真になります。

クルーグ こちらは、ウィッグを試着しているときの写真です。ウィッグについては、すごくこだわりたいと思っていて、医療用のウィッグだけでなく、ファッション用のものも含めて、たくさんのお店を回りました。

岸田 次に映っている写真は、ウィッグを実際につけているときのものですね。「抗がん剤治療中」と書いてありますが、これは治療中に外出されていたということですか。

クルーグ はい。このときは外出届を出して外に出ていました。気分転換のためです。病院にいるのがつらくて、できるだけ早く外に出たかったのですが、白血球の数値が下がっていて人混みには行けなかったため、なるべく人の少ない場所に行こうと思いました。そこで、バラ園に行くことにしました。母が車で送り迎えをしてくれていて、移動時間も1時間かからないくらいでした。

岸田 電車などは、白血球の数値の関係で、感染症のリスクも高くなりますよね。

クルーグ その点が不安だったので、移動については家族の送り迎えに頼っていました。

岸田 こちらが、もう1枚、抗がん剤治療中のお写真になります。

クルーグ 抗がん剤治療中は髪の毛が抜けるため、帽子をかぶることが多くなりますよね。ただ私は、それがいかにも「がん患者」という雰囲気に見えてしまう気がして、正直とても嫌でした。それでもおしゃれはしたいと思い、どうしようかと考えたときに、「スカーフを頭に巻いたらおしゃれになるのではないか」と思いつきました。そこで、家にあったスカーフを母に持ってきてもらい、試してみたところ、自分自身の満足度はとても高かったです。

 入院していたのが婦人科だったので、周りは女性ばかりでした。同室の方からも「それ、すごくいいね」と声をかけていただき、巻き方を教えてあげたところ、とても喜んでくださいました。「こんな感じで巻くんですよ」とお伝えすると、皆さん嬉しそうで、これは本当におすすめしたいと思いました。

【家族】

岸田 次に、ご家族のことについてお伺いしたいと思います。まず、ご家族構成を教えていただけますでしょうか。

クルーグ 家族は、両親と弟、そして祖母です。父は大腸がんで亡くなっています。

岸田 それは、いつ頃のことでしたか。

クルーグ 5〜6年ほど前になります。

岸田 ご自身ががんになったとき、お母さまの反応はいかがでしたか。

クルーグ とてもショックだったと思いますし、私自身も父を看取っているので、「死」というものがかなり頭をよぎりました。

岸田 一番最初に告知を受けたとき、お母さまにはどのように伝えましたか。

クルーグ プチ告知を受けた直後に、電話で伝えました。

岸田 ご家族のサポートはとても心強かったと思いますが、逆に「こうしてほしかったな」と感じたことはありましたか。

クルーグ 治療中については、特に大きな不満はありません。ただ、がんが分かった当初、母から「周りにはあまり言わないほうがいい」と言われたことがありました。その考え方が、私とは少し違っていました。私は、がんは別に隠すようなことではないと思っていましたし、隠すことで自分自身がつらくなってしまうと感じました。恥じるようなことでもありませんし、犯罪を犯したわけでもありません。むしろ、言わずに隠していることで、「自分が何か悪いことをしているのではないか」という気分になってしまったんです。

【恋愛・結婚】

岸田 絵里香さんの恋愛についてもお伺いしたいと思います。がんが発覚した当時はいかがでしたか。

クルーグ 発覚した当時は、特定の相手はいませんでした。手術内容が、卵巣や子宮を摘出するものだったため、妊娠ができなくなる可能性があり、医師からは「パートナーの方には相談しましたか」と聞かれました。

岸田 当時は「いません」と答えて、そのまま治療を受けられたということですね。今振り返ってみて、それで問題なかったと感じていますか。

クルーグ はい。当時も今も、パートナーはいません。私の中では、恋愛はかなり大きな課題だと感じています。発覚した頃や手術当時は、「生きるか死ぬか」しか考えられなくて、恋愛のことを周囲から言われても、「なぜ今、恋愛の話をするの」「私は死ぬかもしれないのに」と思っていました。後になって振り返ると、そうやって助言してくれていた人たちは、私の“その後”を見据えて言ってくれていたのだと思いますが、当時の私は強く反発していました。今は、妊娠ができないという事実が、自分の中で自信のなさにつながってしまい、恋愛に踏み出すことがなかなかできずにいます。

岸田 そうした状況の中で、今後パートナーになる方ができた場合、どのタイミングで伝えるかについては考えていますか。友達の段階なのか、付き合うときなのか、いろいろな段階があると思いますが。

クルーグ 正直なところ、まだ答えは見つかっていません。今も「課題」だと感じているとおりで、自分の中でどうするのがいいのかを模索している段階です。

【妊孕性】

岸田 妊孕性については、非常に大きな課題だと感じられている部分だと思います。強い葛藤もあったのではないかと思いますが、その点については、最初から説明はされていたのでしょうか。

クルーグ はい、説明は受けていました。子宮と卵巣を摘出する手術になるので、妊娠ができなくなるということは理解していました。妊孕性については、今になって改めて、とても大きな問題だと感じています。ただ、私の場合は、手術の時点で妊孕性を失うことは「生きるためには仕方のないこと」で、それ以外の選択肢がなかったので、その点については自分の中で折り合いをつけることができています。

 一方で、「恋愛をする」ということを考えたときには、やはり大きな壁になります。相手がそれをどう受け止めてくれるのかという不安があり、その部分については、まだ自分の中で完全に折り合いをつけられていない、というのが正直な気持ちです。

【仕事・転職】

岸田 病気が発覚した際、上司にはどのタイミングで伝えられましたか。また、そこからすぐにお休みはいただけたのでしょうか。

クルーグ 最初に伝えた上司が、今後の方針について話し合う場を設けてくださいました。その場で自分の状況と、どれくらいで復帰できそうかという見込みを伝えたうえで、傷病休業という形でお休みに入らせていただきました。休みに入ったのは、手術の前日です。

 それまでは、私自身の希望で通常どおり仕事をしていました。仕事をしていると気が紛れる部分があったので、「入院の前日まで働かせてほしい」とお願いし、そのように対応していただきました。

岸田 手術後の復帰については、どのようにお話しされましたか。抗がん剤治療もありましたよね。

クルーグ はい。手術の後は抗がん剤治療を行う予定だったので、「またしばらくお休みをいただきます」「復帰の希望時期は7月か8月頃ですが、どうなるかは分かりません」と正直に伝えました。上司からは「体を第一に考えて」「また連絡してね」と言っていただき、とてもありがたかったです。

岸田 復帰後のお仕事はいかがでしたか。ホテルのお仕事は体力勝負な部分もありますよね。

クルーグ 本当にそうでした。私はラウンジ勤務だったので、ウエルカムドリンクを出すのですが、小さなコップですら腕がぷるぷるして持てないほど、筋力が落ちていて、かなりショックでした。

 以前はもっと重いものを持って普通に働いていたので、「これは戻すしかない」と思い、筋トレをして体力を回復させました。その後、比較的早く元に戻すことができました。現在は転職して、出版社で働いています。

岸田 転職された理由を教えていただけますか。

クルーグ がんになって治療をする中で、時間ができ、いろいろなことを考えるようになりました。生きることや死ぬことを考える中で、「やりたいことは絶対にやるべきだ」と思うようになったんです。

 ホテルの仕事もやりたい仕事ではありましたが、それとは別に、私は昔から雑誌や本がとても好きでした。今はファッション誌に関わる仕事をしています。編集職ではありませんが、「名前の残る仕事がしたい」という思いがあり、出版社で働くことを選びました。この気持ちを抑えて今の仕事を続けるか、それとも挑戦するかを考えたときに、「挑戦しよう」と決めました。がんになったからこそ、そう思えた部分もあり、転職を決断しました。

岸田 転職の際、がんのことを伝えるかどうかで悩まれる方も多いと思いますが、その点はいかがでしたか。

クルーグ 私は伝えませんでした。後遺症についても、仕事をするうえで支障はありませんでしたし、勤務先がフレックスタイム制だったため、通院も問題なくできると判断しました。特別な配慮をお願いする必要がなかったこともあります。
 病気のことは、私にとってはプライバシー、個人情報の一部だと思っているので、伝える必要はないと考えました。今の職場の同僚にも、特に話してはいません。

岸田 今のお仕事は、いかがですか。

クルーグ 実は今年の5月に転職したばかりで、まだ3カ月ほどしか経っていません。探り探りな部分はありますが、とても面白いと感じています。

【お金・保険】

岸田 当時、治療費などのお金の工面については、どのようにされていましたか。

クルーグ 治療費については、親に頼らせてもらいました。傷病手当金と限度額認定証を利用して、「ここまで」という上限が決まった状態で傷病手当も受け取れていたので、それで工面しつつ、不足分は親に助けてもらう形でした。

岸田 治療費は、だいたいどれくらいかかりましたか。

クルーグ 入院中は、限度額認定の対象に食費やパジャマ代などが含まれないんですよね。そういった費用が意外とかさんでしまって。
 抗がん剤治療が3クールだったこともあり、すべてトータルすると、だいたい50万〜60万円くらいだったと思います。

岸田 保険には入っていらっしゃいましたか。

クルーグ 入っていませんでした。今振り返ると、入っておけばよかったなと思います。

岸田 ということは、保険からの給付はなく、高額療養費制度や限度額認定の制度、そして傷病手当金を利用しながらやりくりされていたということですね。

クルーグ はい、そのとおりです。

岸田 治療を乗り越えていく中で、精神的にも身体的にも、さまざまにつらいタイミングがあったのではないかと思います。

【辛い・克服】

岸田 精神的につらかったとき、また肉体的につらかったときに、どのように乗り越えてこられたのかを教えていただけますか。

クルーグ 精神的につらかった時期は、大きく分けて二度ありました。
 一度目は手術後です。手術が終わり、現実が少しずつ見えてくる中で、「死ぬ」ということしか考えられなくなってしまい、未来が全く思い描けなくなりました。ただ、家族や看護師さんの前では、あまり気にしていないように振る舞っていました。

 そんな中、看護師さんの一人が私の様子に気づいてくださり、個室に呼んで「少し話してみませんか」と声をかけてくれました。話し始めると、マイナスな言葉しか出てこなくて、自分でも驚くほど泣いてしまい、「自分はこんなにもショックを受けていたんだ」と初めて気づきました。

 そのとき、その看護師さんが「手術は終わったけれど、治療も、あなたの人生も、これからですよ」と言ってくれたんです。未来が全く考えられなくなっていたタイミングだったので、「私の人生はこれからなんだ」と思えたその言葉に、本当に救われました。

岸田 もう一つのタイミングは、どのようなときでしたか。

クルーグ 二度目は後遺症に関することです。抗がん剤治療を進める中で、副作用として耳鳴りが出ました。今も続いているのですが、いわゆるモスキート音のような音が、治療を重ねるごとにどんどん強くなっていきました。

 私はもともと音楽をずっとやっていて、音楽が自分にとって大きな心の支えでした。その音楽を楽しめなくなるかもしれない、楽しみや心の支えを失ってしまうかもしれないという不安が大きくなり、がんの告知を受けたときよりも、そのことのほうが私には強いショックでした。

岸田 肉体的につらかったときは、いかがでしたか。

クルーグ 抗がん剤治療中の吐き気もそうですが、特につらかったのは、抗がん剤で下がった白血球を上げるための注射です。あれは本当に痛くて、眠れないほどでした。

 背中がズキズキと強く痛んで、一番つらかった症状だと思います。痛み止めもあまり効かず、とにかく耐えるしかありませんでした。

【反省・失敗】

岸田 これまでを振り返って、反省点や「こうしておけばよかった」と思う失敗はありますか。

クルーグ もう少し周りの人に話していれば、自分自身ももっと楽になれたのではないかと思っています。最初に「言わない」と決めてしまっていたので、その分、自分の中で気持ちが窮屈になってしまい、悩むこともありました。今振り返ると、無理に抱え込まなくてもよかったのかな、と感じています。

【医療従事者への感謝・要望】

岸田 医療者の方に対して、「ここがよかった」と感じた点や、「ここは改善してほしいな」と思った点があれば教えてください。

クルーグ よかった点として強く印象に残っているのは、婦人科病棟の看護師さんたちの関わりです。手術後は水を飲むことができなかったのですが、こまめに冷たい水でうがいをさせてくださったり、常に気にかけて声をかけてくださいました。
 そうした細やかなケアをしていただいたことが本当にうれしくて、看護師さんが身近にいてくれる存在だったことには、心から感謝しています。

岸田 では、改善してほしいと感じた点はありますか。

クルーグ 働きながら通院するというのは、想像以上に大変でした。例えば、血液検査だけでも自宅近くのクリニックと病院が提携して受けられるようになれば、通院時間の短縮につながるのに、と思うことがありました。

【キャンサーギフト】

岸田 「キャンサーギフト」という言葉がありますが、絵里香さんにとって、がんになって得たものは何でしょうか。

クルーグ 私にとっては、「挑戦する力」や「行動力」だと思います。やりたいこと、行きたい場所、食べたいものなど、「欲しい」と思った気持ちを、そのままにせず、行動に移そうというマインドになれたのは、がんを経験したからこそだと感じています。「強く思ったことは、必ずやる」と、自分の中で決められたことも、大きな変化でした。

【夢】

岸田 絵里香さんの、今後の夢を教えてください。

クルーグ まずは、今の仕事をしっかり頑張りたいと思っています。特別なことではなくても、日常が穏やかに続いていけばいいな、という願いがあります。それから、恋愛もしたいですね。明るい未来が待っていると信じています。

岸田 それではここで、ペイシェント・ジャーニーという形で、クルーグさんのこれまでの経過をグラフで振り返っていきたいと思います。

岸田 がんが発覚し、その後手術が無事に成功していきましたが、実はがんの発覚そのものよりも、精神的に一番きつかった時期がありました。先が見えなくなってしまった時期ですね。その後、少しずつ気持ちが上向いていきますが、ここで「ロールモデルの発見」とあります。これはどのようなことだったのでしょうか。

クルーグ 『がんノート』に出演されている方のインタビュー記事を読んだことがきっかけでした。がんを乗り越えて、日常生活に戻っている姿を見て、「これが自分のなりたい姿だ」と思えるロールモデルを見つけることができました。それまでは、亡くなってしまった方のブログなどを目にしてしまうことが多く、読むたびに気持ちが落ち込んでいました。でも、明るい情報の探し方が分かってきたことで、精神的にも安定してきたと感じています。

岸田 その後、抗がん剤治療で入院生活が続き、副作用についても悩まれた時期がありますね。

クルーグ はい。吐き気や胃のむかつきがあったので、薬剤師さんに相談しました。薬について説明を受ける中で、「少し光が見えた」というか、対処できるんだと感じられたことが心の支えになりました。

岸田 そうして治療を終え、会社に復帰されます。ただ、その後また気持ちが下がる時期があります。それが、仕事を続けるか、転職するかで悩んでいたタイミングですね。

クルーグ そうですね。このときは、出版に関わる仕事をしたいという気持ちがある一方で、治療中から復帰まで見守り、支えてくれた会社に対する感謝の気持ちもありました。その会社で働き続けたいという思いもあって、気持ちの中で大きな葛藤がありました。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 「闘病中のあなたへ」というメッセージを書いてきていただいています。

クルーグ あなたの人生も、これからじゃない。

クルーグ 私が精神的につらかったとき、看護師さんから「治療もそうだけれど、あなたの人生もこれからですよ」と言ってもらったことがありました。そのときは、治療のことや「もう死んでしまうのではないか」ということしか考えられず、視野がとても狭くなっていましたが、その言葉によって大切なことに気づかされました。がんを告知された方の中には、同じように先が見えなくなってしまう方も多いのではないかと思います。だからこそ、「あなたの人生も、これからだよ」ということを伝えたいです。

岸田 本当にありがとうございます。今、とても苦しい思いをされている方もいらっしゃるかもしれませんが、それを乗り越えて、ぜひ諦めずに治療やさまざまなことに挑戦していただければと思います。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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