インタビュアー:岸田 / ゲスト:野口

【発覚〜告知】

岸田 早速ですが、ゲストの野口さん、自己紹介をお願いいたします。

野口 野口尚利と申します。脳腫瘍を患いました。ステージについては怖さもあり、自分自身も家族も詳しくは聞けておらず、分かっていません。闘病が始まったのは2010年6月、17歳で高校3年生のときでした。

岸田 まず、がんがどのようにして発覚したのか教えてください。

野口 バスケットボールをするために高校に入学しました。高校2年生の10月頃から、汗をかかなくなる症状が出てしまい、体温調節ができなくなりました。そのため部活動中は、毎回体温が38度から40度くらいまで上がっていました。いろいろと検査を受けましたが原因が分からず、そのまま時間が過ぎていき、2010年6月に脳腫瘍が発覚しました。部活が終わったあと、突然バットで叩かれるような強い頭痛があり、これは普通ではないと思って小さな病院に行きました。CTを撮ったところ、ここでは判断できないと言われ、大学病院を紹介されました。

岸田 その小さな病院では、特に何も言われなかったのですか。

野口 はい、何も言われませんでした。頭痛がずっと続いていて、ほとんど寝たきりの状態でしたし、体調もかなり悪かったです。

岸田 大学病院にはすぐ行けたのでしょうか。

野口 すぐに行きました。緊急のような対応で、「早く連れて行かないとまずい状況だ」と言われていました。

岸田 不安はなかったですか。

野口 そのときは、痛みがひどすぎて、何も考えられない状態でした。翌日にはすぐに告知があり、数日後には抗がん剤治療が始まりました。

岸田 脳腫瘍と言われたときのお気持ちはどうでしたか。

野口 親には「脳腫瘍」という言い方ではなく、「できものができた」というように、少し柔らかい表現で説明されていました。自分はずっと寝たきりでしたので、「できものができたんだ」くらいの感覚でした。当時は脳腫瘍や病名について、ほとんど理解していなかったと思います。

岸田 抗がん剤治療の説明の中で、「がん」という言葉は出ていましたか。

野口 言葉自体は出ていたと思います。ただ、深刻には受け止めていませんでした。「なぜ抗がん剤をやっているんだろう」と疑問に思っていた程度でした。

岸田 ちなみに、脳腫瘍の種類は覚えていますか。

野口 胚細胞腫瘍と言われました。

岸田 胚細胞腫瘍が脳にできた、ということですね。

野口 はい。

岸田 抗がん剤治療の後に放射線治療も受けたとのことですが、治療期間はどれくらいでしたか。

野口 2010年6月から2012年6月まで、約2年間の治療期間がありました。その間に抗がん剤治療は6クール受けています。1クールは1か月かかります。放射線と抗がん剤を併用したときは、2か月間ずっと入院していました。

【治療】

岸田 抗がん剤や放射線治療をしていたときは、かなり大変だったのではないですか。

野口 とても大変でした。例えば、味覚が変わってしまい、食べ物を口にしても変な味がするんです。ジュースを飲んでもおいしく感じませんでした。もともとトンカツが好きなのですが、治療中は胃がただれてしまい、脂っこいものが食べられなかったので、「食べたかったな」という思い出として残っています。

岸田 ほかに副作用はありましたか。

野口 吐き気がありました。かなりきつかったです。それから、よだれが普通のときとは違って、すごくねばねばしていました。

岸田 よだれが濃厚な感じだったんですね。

野口 はい。粘り気があるのがとても気持ち悪かったです。

岸田 そんなこともあったんですね。頭のどのあたりにがんができていたのですか。

野口 真ん中です。松果体という場所にできました。

岸田 抗がん剤と放射線を併用して、2か月ほど治療を続けたということですね。治療の結果はいかがでしたか。

野口 治療後、脳腫瘍はかなり小さくなり、ほぼなくなりかけていました。放射線と抗がん剤がしっかり効いたと思います。
ただ、治療後に「腫瘍がかすかに残っているかもしれない」と言われ、1~2か月後に再検査をして、その結果次第では手術をする可能性があると言われました。
その後、MRIで再検査をしたところ、かすかに残っていた腫瘍が消えており、手術は不要だと言われました。現在は治療自体は行っていません。

岸田 それは本当によかったですね。この治療期間中や退院後に、大変だったことはありますか。

野口 治療期間が長かったので、その間に友達は高校を卒業して、就職したり、大学に進学したりしていきました。
SNSで友達が楽しそうな写真を投稿しているのを見ていると、自分は病院にいて、強い孤独を感じました。

岸田 周りとのギャップや比較は、かなりつらいですよね。

野口 つらかったです。

岸田 それでも、FacebookやTwitterは見ていたのですか。

野口 最初の頃は見ていましたが、途中から見るのをやめました。人と比較しないようにしようと思ったからです。

岸田 その後、2015年4月に日本大学へ入学されていますね。2015年ということは。

野口 高校卒業から4年間、期間が空いています。約2年間治療をして、その後もう一度勉強をし直し、さらに2年間勉強してから大学に入学しました。

岸田 世間的には、2浪のようなイメージになりますね。

野口 そうですね。

岸田 大学入学後、2015年10月にハンドリングプロジェクトを設立されていますが、これはどのような活動ですか。

野口 簡単に言うと、病気のときに自分が強い孤独を感じたので、入院している人や闘病中の人たちに、「孤独じゃないよ」というメッセージを何らかの形で伝えたいと思ったのがきっかけです。
すべての治療が終わったとき、副主治医の先生があいさつに来てくださり、「よく頑張ったね。握手しよう」と言われました。

 自分は治療がつらかったので、そっと優しく握手をしたのですが、先生はぎゅっと強く握手してくれました。そのときに、ものすごいパワーをもらったように感じました。

 さらに「握るから、握手なんだよ」という言葉をかけてもらい、その瞬間、胸がじんとしました。その後、大学に入ってから、「自分も何か社会貢献をしたい。でも大学生だから、面白い形でやりたい」と考えるようになりました。
そんなときに『ドラゴンボール』を読んでいて、孫悟空が「みんな、力を分けてくれ」と呼びかけるシーンを見て、ひらめいたんです。

 自分は握手で元気をもらった。だから、いろいろな人と握手をして元気を集め、それを“元気玉”というボールにして、今まさに病気と闘っている子どもたちや人たちに届けたい。そう思って、この活動を始めました。

岸田 このプロジェクトを設立して、第1号として2017年8月に筑波大学附属病院へ「元気玉」1号をプレゼントされたと伺っていますが、どのような反応をもらえましたか。

野口 休憩室にボールとメッセージを添えて置かせていただいたのですが、「患者さんが結構見てくれています」といった声をいただきました。

岸田 しっかり届いている、ということですよね。現在、何号まで寄贈できているのですか。

野口 今のところ、まだ1号だけです。これから、たくさん届けていきたいと思っています。

岸田 2017年には世界一周をされて、1,000人以上の方と握手をし、写真に収めたとありますね。これは、1号を寄贈したあとに世界一周に行き、世界中の人たちと握手をして回った、という理解でよいでしょうか。

岸田 その世界一周では、何か国くらい訪れたのですか。

野口 22か国か23か国ほど回りました。

岸田 そんな世界一周も経験された野口さんから、ここで写真をいただいています。

岸田 これ、すごいですね。これは何の写真ですか。

野口 抗がん剤治療の2クール目のときの写真です。治療が終わった直後に、バスケットボール部の仲間が、何の連絡もなく急に来てくれました。
そのときは元気に振る舞えなかったので、「会いたくない」と言っていたのですが、「みんな、どうしても会いたがっているよ」と言ってくれて、病室に万羽鶴を持ってきてくれました。

岸田 千羽鶴ではないんですね。

野口 はい。同級生が、僕が病気になったときに「尚利に千羽鶴を作ろう」と言ってくれたんです。すると、そのときのクラス担任の先生が、「千じゃ足りないぞ」と言ってくださって。

岸田 すごいですね。本当に熱い先生ですね。

野口 本当にめちゃくちゃ熱い先生でした。同級生たちが、僕の住んでいる市内のいろいろなお店で折り紙を買い占めて、学校の朝の登校時間に、生徒一人ひとりに折り紙を1枚ずつ配ったそうです。

岸田 学校の全生徒が作ってくれたようなものですね。すごいですね。これは病室でもらったんですか。

野口 はい。3人くらいで担いで病室まで持ってきてくれました。そのときは体調が悪くて、正直とても気持ち悪かったのですが、見た瞬間に元気をもらってしまって、「俺、下に行くわ」と言って、下に降りてみんなに会いに行きました。

岸田 そうだったんですね。本当に元気をもらえたんですね。

野口 本当に、すごく元気をもらいました。

【家族】

岸田 家族構成を教えていただけますか。

野口 父と兄がいます。母は、3年前に乳がんで亡くなりました。

岸田 ということは、現在はお父さまとお兄さまですね。闘病当時は、お母さまはいらっしゃったのですね。

野口 はい、いました。

岸田 ご家族の中で、闘病中の印象的なエピソードがあれば教えてください。

野口 最初の抗がん剤治療のときは、家族全員が集まってくれて、5日間の治療期間中ずっと寄り添ってくれました。
さらに母は、入院中、毎日欠かさず病院に来てくれていました。

岸田 家族がずっと付き添ってくれて、「ありがたかった」と思うことも多いと思いますが、逆に「こうしてほしかったな」と感じたことはありますか。

野口 特にありません。本当にありがたかったです。いつも一緒に、寄り添ってくれていました。

【学校】

岸田 学校生活もかなり大変だったと思うのですが、どのタイミングで休学し、どのように復学・卒業して、日本大学に入学されたのでしょうか。

野口 抗がん剤治療中は、学校はずっと休んでいました。抗がん剤治療が終わると、体調が良いときに学校へ行くようにしていました。
そうして単位を取得し、再び抗がん剤と放射線治療が始まると病院に戻り、体調が回復したらまた学校へ戻る、という生活を繰り返していました。土日でも学校へ行き、勉強していました。

岸田 今も同じような状況にいる患者さんがいるかもしれませんが、何かアドバイスはありますか。

野口 つらいときは、すぐに保健室へ行って、体調が良くなるまで休んでいました。回復したら、またクラスに戻って勉強する、という形でした。

岸田 クラスメートにもきちんと伝えながら、休みつつ学校に通っていたんですね。高校を卒業して、日本大学に入学するまでの勉強期間は、体調はいかがでしたか。

野口 最初の1浪目は、予備校に通っていました。
ただ、治療が終わって間もなかったので、朝起きて夜帰ってくる生活が大きなストレスになり、耐えられなくなってしまいました。
髪の毛もぼろぼろと抜け始めて、そのときは自己嫌悪というか、「なんで自分は普通の人じゃないんだろう」と思っていました。

岸田 そこから、どうされたのですか。

野口 勉強はすごくしたかったのですが、学校には通えないというジレンマがあり、それを親に相談しました。すると母が、「授業だけ行って帰ってきなさい」と言ってくれました。
それからは、授業だけ受けて、自習はせず、すぐに帰宅するという生活に切り替えました。

岸田 その形にしてみて、どうでしたか。髪の毛の状態なども変わりましたか。

野口 だいぶましになりました。当時は、一日を通して頑張ることができず、すぐに疲れてしまっていました。

野口 2年目は、自宅で勉強することにしました。予備校で一通りやり方は分かっていたので、あとは自分のペースで勉強していました。

岸田 大学生活はいかがですか。大変なことはありますか。

野口 体力的には、今は学校に通う程度であれば、まったく問題ありません。

岸田 体力はどうしても落ちてしまいますよね。そこを休み休み、ゆっくり乗り越えていった、ということですね。

【恋愛】

岸田 当時は、恋愛はしていましたか。

野口 していなかったですね。部活一本で、とりあえず頑張ろうと思っていました。部活が終わったら遊びたいな、彼女を作りたいな、とは思っていました。

岸田 治療後はいかがでしたか。

野口 彼女はできました。大学に入ってからです。ただ、自分の病気のことを伝えるのは、すごく難しかったですね。

野口 彼女に甘えていいのか、という迷いもありましたし、全部話してしまって重くならないかな、とも考えました。でも、自分としては言いたい気持ちもあって、その葛藤がありながら、一応伝えてみた、という感じでした。

岸田 病気のことは、比較的早い段階で伝えたのですか。

野口 付き合った後ですね。

岸田 そのとき、彼女の反応はどうでしたか。

野口 正直、よく分からなかったです。普通に話を聞いてくれて、深く追及することもなかったです。

岸田 伝えてよかったと思いますか。

野口 いや、言わないほうがよかったのかな、と今でも少し思っています。

岸田 それは、どうしてですか。

野口 弱みを見せちゃいけないのかな、と思ってしまって。

岸田 なるほど。今振り返って、どうすればよかったと思いますか。

野口 分からないですね。相手次第じゃないかな、と思います。

岸田 次に彼女ができたときは、どうしたいと思いますか。

野口 相手の様子を見て、言っていいのかどうかを自分の中で判断してから、伝えようかなと思っています。どこかで、いずれは分かると思うので。

【就職】

岸田 現在、就職活動はどのようにされていますか。

野口 7月に、教員採用試験を受けようと考えています。

岸田 何の教員を目指しているのですか。

野口 英語の教員です。

岸田 中学校ですか。それとも高校ですか。

野口 高校です。

岸田 教育実習は、かなり大変だったのではないですか。病気のあとで体力も落ちていると思いますが、乗り切れましたか。

野口 正直、きつかったです。普通に授業をして、そのあとに部活動があるのですが、部活まで体力が持たないな、と感じました。

岸田 そうですよね。部活動の顧問となると、バスケットボールをやってきたとしても、できない可能性もありますよね。

野口 はい。4時、5時頃になると、かなり疲れてしまっていました。

岸田 学校の先生として働く場合でも、夕方にホームルームが終わったら、もう帰らないと体力的に厳しいこともありますよね。それでも、先生を目指そうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

野口 先ほどお話しした万羽鶴の写真のときに、担任の先生が教員を勧めてくださったことがきっかけです。
その担任の先生のことが本当に大好きで、そこから自分も先生になりたいと思うようになりました。

岸田 これから先生になっていくわけですね。ぜひ、そうなったときには、また報告してください。

【苦痛からの克服】

岸田 肉体的につらいとき、そして精神的につらいときに、どのように克服してきたのか教えてください。

野口 肉体的には、抗がん剤治療をしていた2年間が本当につらかったです。
友達と会って話をするだけでもすぐに疲れてしまうので、疲れたら無理をせず、休むという形で過ごしていました。

岸田 今は、少しずつ体力は戻ってきていますか。

野口 体力をつけようと思って、軽い運動やジョギングをしています。
以前は、朝から夜まで一日中活動することができなかったのですが、今は普通に生活できるようになっています。

岸田 精神的につらいときは、どのように乗り越えてきましたか。

野口 本を読んで、その中から自分に響く言葉をもらうようにしていました。

岸田 精神的につらかったのは、どのタイミングでしたか。

野口 治療中も大変でしたが、特に治療後がすごくつらかったです。
普通の人と同じ生活ができず、周りは元気に過ごしているのに、自分だけすぐに疲れてしまう。そのギャップに苦しみました。周囲に合わせられないことも、つらかったです。

岸田 それは、どのように克服しているのでしょうか。

野口 自分を律する、ということを意識しています。

【医療者へ】

岸田 当時の医療者への感謝や、要望があれば聞かせてください。

野口 担当医の先生には、本当にものすごく感謝しています。
一方で要望としては、僕は脳外科での治療だったのですが、看護師さんも含めて、皆さん本当に忙しそうにされていました。

野口 抗がん剤治療中は、尿をためて計量しなければならなかったのですが、そのにおいがとてもきつくて、さらに自分で機械に入れる作業が、すごくつらかったです。
本当は、排尿したあとに、すぐ看護師さんに入れてもらえたらよかったな、と思っています。

岸田 そういったことは、看護師さんに伝えたりはしましたか。

野口 していません。

岸田 そうか。困っていることはないか、など聞かれることはなかったですか。

野口 あまりコミュニケーションを取っていなかったですね。

岸田 それは、看護師さんが忙しかったからですか。

野口 それもありますし、自分自身も体調が悪くて、あまり話せなかったというのもあります。

岸田 そのあたりのコミュニケーションは、なかなか難しいですよね。では、主治医の先生には、どのような点で特に感謝していますか。

野口 家族は、怖さもあって、あえて病気のことを自分から深く聞かないようにしていました。
それを主治医の先生が察してくださったのかは分かりませんが、必要最低限の情報だけを伝えてくださいました。
精神的に、あまり多くの情報を聞いてしまうと、家族が参ってしまうので、その対応は結果的にとても良かったのではないかと思っています。

【がんで得たこと】

岸田 がんになって、いろいろと失ったものもあると思いますが、あえて「得たこと」「得たもの」はありますか。

野口 自分がやりたいことが、すごく明確になったと思います。自分を優先して、自分がやりたいことに主体的に取り組めるようになりました。
今は、自分がやりたいことに人生を注いでいます。

岸田 その中にある夢が、握手で集めた元気を「元気玉」にして、病気と闘う子どもたちに届けたい、ということなんですね。ここから、どうしていきたいですか。

野口 この活動を広めていって、生きる力になってもらえたらいいなと思っています。
今は、自分ができることを、とりあえず一つずつやっている段階なので、先のことはあまり考えていません。ただ、今やりたいことをやっている、というのが現状です。

岸田 「今」を大切にして、今できること、今やりたいことをやっていく、ということですね。

【メッセージ】

岸田 最後に、今、闘病中のあなたへ、メッセージをいただけますでしょうか。

野口 今、闘病中のあなたへ。僕が伝えたいのは、「ありのまま生きれば勝ち」ということです。闘病中は、どうしたら勝てるのか、何をしたら勝ったことになるのか、勝った瞬間はいつなのか、ということを、ずっと考えていました。でも、ありのままの自分で、病気をしていても生きていける。それ自体が、闘病に勝っている状態なのではないかと、今は思っています。

岸田 自分がありのままでいること、それ自体が、今は「勝っている状態」だということでよいのでしょうか。

野口 はい。

岸田 この言葉を、今、闘病中の人たちに向けて伝えるとしたら、「今、ありのままで生きていれば」。

野口 それはもう、闘病に勝っている、ということを伝えたいです。

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