目次
- ゲスト紹介テキスト / 動画
- ペイシェントジャーニーテキスト / 動画
- 病院や治療のことテキスト / 動画
- 副作用や後遺症テキスト / 動画
- 家族・パートナーのことテキスト / 動画
- 子どものことテキスト / 動画
- 仕事のことテキスト / 動画
- お金・保険のことテキスト / 動画
- 辛かったことテキスト / 動画
- 工夫していることテキスト / 動画
- がんになる前と後で変わったことテキスト / 動画
- 今後の夢や目標テキスト / 動画
- メッセージテキスト / 動画
※各セクションの「動画」をクリックすると、その箇所からYouTubeで見ることができます。
インタビュアー:岸田 / ゲスト:折美
- 心電図も手話でご案内——臨床検査技師として働く折美さんの素顔
- お盆の手の甲のアザから——折美さんが歩んだ8年間のペイシェントジャーニー
- 「がん告知より骨髄検査がショックだった」——検査する側だったからこそ
- 毎日の下痢、電車も保護者会も怖かった——原因は胆のう摘出だった
- 私の前では普通を装って——夫と両親が陰で考えていたこと
- すっごく頑張ってたんだと思う——息子が家で見せた感情
- 入院初日、すべての契約が切れた——フリーランス検査技師の現実
- 夫のために入った保険を、数ヶ月後に自分が使うことに
- 「おばあちゃんのバカ」——笑って手を振った息子の、本当の気持ち
- NK細胞を上げたくて、入院中はとにかく笑っていた
- 「いつ私がいなくなっても大丈夫なように」——子どもと始めたお金の勉強
- 子どもが自立する日まで——「絶対に死ねない」という思い
- 「恩送り」——助けてもらった分を、同じ思いの人へ
心電図も手話でご案内——臨床検査技師として働く折美さんの素顔
岸田 今日のゲストになるんですけれども、折美さんになります!ということで、折美さんってなかなか珍しくないですか?

折美 珍しいです。親族以外見たことないです。
岸田 ですよね。なのでね〜なのでって何、それだからどうかっていう話はないんですけど、折美さんでございます。簡単に自己紹介お願いできますでしょうか?
折美 折美貴代子です。年齢は53歳です。東京出身・東京に今も住んでいます。家族は夫と子ども息子が1人、3人家族です。仕事は医療従事者で臨床検査技師をしております。
岸田 臨床検査技師って具体的にどんなことされてるんですか?
折美 大きく3つあって、検体検査とか病理検査っていうのもあるんですけど、私は生理検査って言って直接患者さんの検査をする仕事です。
岸田 それは血液を採取したりとかじゃなくて?
折美 あるけれども、私は心電図、呼吸機能、それまでは脳波だったり超音波検査だったりそういうのをやる。
岸田 やってるということですね。そしてですね、趣味は旅行やハンドメイド、手話ということですので、ちょっとせっかくなんでね、手話なんか、ちょっとなんか今パッとできるものとかあったりとかしますか?
折美 パッとできるのは。
岸田 うん!何でしょうね?「がんノートをスタートします」みたいな?何ですかね?今のは?
折美 今のは、「今から心電図の検査を始めます、いいですか?」
岸田 あーっ!じゃあお仕事でも活用できる?
折美 そうですそうです。仕事をしているうえで、耳の聞こえない患者さんとコミュニケーションを取りたくて勉強を始めたので。趣味っていうか勉強中。
岸田 すごい!じゃあね、そういう飽くなき向上心というか患者さんとコミュニケーションを取られるために手話やられているということですね。
折美 そうですね。
岸田 そして、ちょっとがんのことも教えていただけますでしょうか?
折美 45歳の時ですね、今から8年前に急性骨髄性白血病というふうに診断されて、約半年間治療しました。
岸田 45歳の時に、今から8年前に急性骨髄性白血病を経験されてということなんですけど、実はあれなんですよね?その前から実は(がんノートを)知ってくださってたんですよね?
折美 そう!そうなんです、ただの一読者だったんです。
岸田 そうなんですよ。僕がまだ「キシリトール」時代のブログが、闘病の時にブログを書いていまして、その時に読者で見てくださっていたっていうね。そこからがんになられて、そしてこの今のがんノートに出られてっていうふうなね。ちょっと感慨深いものがあるんですけれども。
折美 まさかあの時に読んでた人と今お話ししてるって。
岸田 ね!
折美 あの時は想像つかない。
岸田 そうですよね。まさかブログの読者さんとリアルでね、お話できるとはというところで。いろいろ、その中でどんなことがあったのかお話をお伺いしていきたいなということを思っています。
まずここからお話に入っていくんですけど、あくまでも個人の経験談で、特定の治療とかね、日々治療は変わっていきますので、そういった推奨をしているものではございませんよということと、やっぱりご自身の病気は一番主治医の方が分かってくださっていると思いますので、主治医の方にご相談ください。
お盆の手の甲のアザから——折美さんが歩んだ8年間のペイシェントジャーニー
岸田 そしてこの後ですね、ペイシェントジャーニーという紆余曲折のグラフが出てまいります。感情や時間、そして吹き出しですね、このような形となっておりますのでちょっと見ていきたいなと思います。ドン!というふうな形でですね、はい、さまざまね、最後の方はいい感じになっていくかと思うんです。
最初の方はね、結構大変だった、そんな状況かなと思いますがちょっと見ていきたいと思います。まず初め、ご結婚され、そして臨床検査技師として働くとあるんですけれども、35歳の時に、えっ?ご結婚されっていったところはね、すごいおめでたいことですし、臨床検査技師として働くというのは?
折美 っていうのはもうずっと働いてはいたんですけれども、ただ大学病院を辞めてフリーランスとして働き始めたタイミングと結婚が一緒だった。
岸田 フリーランスの臨床検査技師とかあるんですね?
折美 フリーランスですね。個人で個人の病院と契約したり、派遣登録もしてるのでそこにオファーが来たりエントリーしたりで企業の派遣に企業検診に行く単発の仕事だったりを自分のスケジュールに合わせて受けるっていう感じで。
岸田 じゃあ本当にね、(ドラマ:ドクターX)大門未知子の臨床検査(技師)版というふうな形ですね(笑)なので、ご自身で契約されている病院だったりとか派遣されていくというふうな働き方をされていらっしゃいました。
そんな中でなんですけれども、次がこちら、ご出産を経験されそして仕事はセーブしていくということで、自己紹介の時にありました息子さんがこの時に生まれてっていう感じですね?
折美 そうですね。
岸田 そのこともあって仕事もちょっと抑えつつっていうふうなところで?
折美 主人が平日休みの土日勤務だったので。
岸田 そうなんですか?
折美 私も普通に正職員になっちゃうと完全に家族すれ違う。ただでさえ3人そろう日が少ないので、せっかく、小さい時とかは特になるべく3人の時間を増やすために私がセーブして、主人の休みに合わせてっていう感じ。
「熱とアザで、これは白血病だ」——お盆の朝、一人で大学病院へ
岸田 働いていたっていう形なんですね。そう、働かれていた中でちょっと下がっていきます、それが次こちら、アザが出現し、そして白血病をご自身に疑って病院に行かれていき、そしてなんとそこでがん告知を受けていくという怒とうの展開がもうここであったりとかするんですけれども、まずどのようにこう、いきなり…アザがいきなり出てくる感じが?
折美 いきなり出てました。その前に1週間くらい夜になると熱が出るっていう、夕方くらいに急に寒くなって熱測ると38度前後。でも風邪症状がないから何かの感染症かな?とは思ってたんですけど、ちょっと具合悪いから寝るねって言って起きるともうなんともない平熱で…。

なんか普通に夏休みだったので、子どもと恐竜展に行ったりとか。でも夜になるとまた熱が出るっていうのが1週間ぐらい続いたので、その後にここに、手の甲に。
岸田 どこ?手の甲。
折美 ここにブワーっとアザが出たんですよね。
岸田 手の甲ここに?アザが!?
折美 で、ぶつけてるわけでもないし、なんだこれは?って。熱とアザでもうすぐ「白血病?」って。
岸田 えー!熱とアザですぐ白血病って気づくのがすごすぎるんですけど。
折美 でも、そう考えると確かにだるかった。しばらくだるい倦怠感はあって、でも真夏・お盆の時期でみんなだるいよねって言ってて夏場だしねって、夏バテかなー?とか思ってたり、あとは直前の生理がすごい大量で、リビングの椅子まで汚すぐらいで。もう年齢も年齢だしそろそろホルモンバランス崩れたのかな?って思ってたんだけど、アザを見た瞬間に全部が、これ全部白血病の症状じゃない?って。
岸田 はぁー、それは医療従事者だから学んでたし、アザが出たりとか熱が出たりとかするとそうじゃないか?って。アザってどういうレベルなんですか?鬼滅(の刃)の炭治郎レベルのアザなのか、どういう…青たんみたいな?
折美 青たんじゃなくて点状の、なんだろ重い荷物を持った時にここにちょっとプチプチプチってなったりとか、ギューってしばった時にプチプチプチってなるようなのが、ブワーッと手の甲に出てくる。
岸田 プチプチプチみたいなのができるんですね?
折美 プチプチプチの細かいのが、点状出血っていうタイプのアザがブワーッとここに出ていったのを見た瞬間に、白血病?って。えっ熱でしょ?倦怠感でしょ?って。
岸田 アザでしょ?
折美 うん。
岸田 けどアザができるのは折美さんの時は手の甲でしたけど、別に違うとこに出る人も?
折美 いっぱいいます。
岸田 だからその折美さんの時はここに?
折美 ここに出てたんですよね。ぶつけてもいないし、そういうアザってできにくい場所なのに。
岸田 確かに。
折美 なぜ?っていうところで。
岸田 熱と倦怠感と点状出血がもう合わさって、ちょっと自分の中で。
折美 白血病じゃない?っていう。
岸田 疑ってで、病院行かれていきます。病院はもう近くの病院とかですか?
折美 一応近いは近いんですけど、例えば近所の個人の小さいクリニックみたいなとこ行ってもどうせ紹介状を渡されて大きいのに行ってくださいになると思ったから、いきなり大学病院に、一番最寄りの大学病院に行って。ちょっと明日病院いって来るねって、8月15日で本当にお盆の時期で主人も休みで子どもも休みで、留守番お願いねって。
岸田 やってたんですね?病院は。
折美 やってたんですよね、大学病院だからですかね?総合内科にいきなり初診料取られる覚悟で行って。
岸田 高いんですよね?
折美 高いんですよね、数千円取られるの分かってたけど、でも行って。すっごい待たされるし、朝一で行ったけど待たされるし、やっと呼ばれたけど看護師さんの問診がすごいんですよ。
岸田 ふーん…。
折美 で、もうこういう症状があって白血病疑ってきました!って言って。で、1週間ぐらいの食べたもの全部教えてくださいとか病歴とかも。
岸田 ああ!そうかアレルギーの可能性とかいろんな可能性を?
折美 すんごい問診をされて、また待たされて。
岸田 朝一行っても結構待たされて。
折美 結構待たされました。
岸田 で、診察を受けていく。受けていってさっきすぐね、もうがん告知ってあったんですけど、そんなすぐすぐ?
折美 すぐすぐでした。とりあえず採血しましょうって言われて、採血したんですよね。でも結果出るのがちょっと時間かかりますねって言われた時点で、もうお昼過ぎてるんですよ、朝一で行ったのに。先生ちょっとお腹空いたので、ちょっとコンビニ行ってきていいですかね?って言ったらいいですよって先生が。
で、分かりましたって言って、ちょっと遅くなるみたいなことをなんかに連絡入れて、でフラフラしてエントランスの近くにあったエスカレーター登ってたんですよね、私がコンビニに行こうと思って。エスカレーター登ってたらダーッて走ってくる音がしてガッて肩つかまれて、振り向いたら総合内科の先生がゼイゼイしてて、で、あっ悪かったんですね?って言ったら、はい!って言われて、すぐ診察来てください!って。
岸田 なかなかそんなシチュエーションないですよね?
折美 診察した後先生が走ってエスカレーター登ってきて肩つかむって。
岸田 ないですないです。
折美 もう…悟りますよね
岸田 やばかったんだな。
折美 やばかったんだって。すぐ診察します!来てくださいって言われてそのまま入っていって、診察室内の電子カルテに私の採血データを見て、ああーっていう。
岸田 そっか…。その時は血液の何かの値が異常だったってことですかね?
折美 もうもう。白血球の数が1万超えていて多すぎ。
岸田 普通だったらどれくらいなんですか?
折美 8000未満かな。血小板が本来15万以上が正常なんですけど2万しかなくて。
岸田 少なっ。
折美 もうアザできるよねっていう、そりゃ出血するよねっていう数値で。一番見たのが白血球の分画っていうのが、好中球何パーセント好酸球何パーセント単球何パーセントっていうところに、ブラスト84って書いてあって。
岸田 ほう?。
折美 84パーセント白血病細胞ですって書いてあるんですよ。
岸田 ほうほう。それは多いんです?少ないんです?
折美 多いんです。だって末梢血の84パーセントが白血病細胞ですなので、正常の細胞が好中球とか何もなかったゼロだった。
岸田 そういうこと?
折美 だから、白血球も数値は多いけどその84%は白血病細胞だったんですよ。血液検査だけ見れば分かる。
岸田 それはもうやばいということで戻されて?そのまま告知を受けていくんですよね?
折美 ほぼ白血病で間違いないですって。でも、ここ満床なので病院探します!って。
岸田 そういう感じなんですね!?
折美 そこには入院できないって言われて、満床だから。
岸田 じゃあ、もうすぐ即日入院しないといけないレベルで、満床だからここではできないから他の病院探してくださると。
折美 ご家族は!?って主人と子どもがって言って、すぐ電話して今すぐ来て!って言って病院探してもらって、4カ所目…ここもダメでした、次当たりますここもダメでした!っていちいち言ってくれるんですよ。
岸田 まあまあいい先生ですね。
折美 で、結果4カ所目の病院見つかりましたって、1時間以内に行ってください!って。1時間以内…行けるけど…。こんな分厚い1センチくらいある紹介状渡されて。
岸田 すぐそのままその病院に行って?
折美 行ってる間に私の親に電話して、今病院に向かっているので子どもを預かってくれって来てくれって言って、そこで待ち合わせて子どもだけ、まだ5歳だったから。
岸田 そうなんですね。
折美 子どもを親に預けて主人と2人で処置室に案内されて行った。その場でも間違いないですって。
岸田 告知を受けていって。ただ、この白色で吹き出し書いているように、プラスマイナスゼロのところにあるっていうことは、そこまでショックは受けなかったんですか?
折美 そう、無ですよね、感情は、そうですか〜みたいな感じ。多分追いついてないんだと思うんですけど、『無』。
岸田 もう、あっそうですかみたいな感じで。
折美 とにかく子どもどうしようってなって。
寛解導入療法と全身の薬疹、そして「家庭が詰む」日々
岸田 ああ、そういうことですね。その状態でねがん告知を受けていってその後どうなっていくかというと?薬物療法にそのまま入っていくということなんですよね?
折美 その日にも、今から入院ですって言われて。いやできませんとか言って、だからまあ追いついてないんですよね、普通に考えたらもう絶対に入院しなきゃいけないレベルなのに、5歳の子どもいるんで無理ですできません!って言って、何言ってんの?って感じだけど、その時は冷静なつもりだった。
だけど、主治医の先生が私の目線までかがんで、危険な状態ですよって言われて。後でどのくらい危険だったか、後で分かるんですけど。
岸田 どのくらい危険だったんですか?
折美 えっ、もう今すぐやばい、今すぐ治療しなきゃやばい。
岸田 まあそうですよね、白血病細胞が80%以上。
折美 そうそう。ちょっと転んだりしたら、ちょっとでも頭打ったらもう死にますとかそういうレベルだったのと、DICっていう合併症をすでに発症していて。細かい説明するとあれなんで、それが発症するともう命の危険っていうレベルだったみたいです。
岸田 そっか、命の危険があるということですぐその場で治療を、その病院で治療を受けていく。その中で薬疹に悩んでいかれるということですけれども、これは抗がん剤とかの副作用?これね、今寛解導入療法と地固め療法って書いてますけど、具体的にどんな治療をされたんですか?この時は。
折美 要するに抗がん剤、化学療法のことですね。で、1回目の抗がん剤のことを寛解導入療法って言って2種類の抗がん剤を投与して、そのうちの1種類をあと3クール、これが地固め。
岸田 そうなんですね。
折美 寛解導入療法で、とりあえず寛解を目指しましょう、寛解したらその地固め、これ以上白血病が出ないようにより抑えていきましょうっていう化学療法。標準的な白血病の標準療法です。
岸田 はい、これね、僕もいろいろがんノートやってだんだん分かってきて、白血病でもいろんな白血病があって、だからそれによって治療法が全然違うんですよね?
折美 違ってきます。やるお薬も違ってくるし、最初からもうこの人は移植じゃないとダメだろうっていう人もいて。
岸田 移植じゃなくてもよかったんですね?
折美 よかったんです。私の場合は、えっと…急性骨髄性白血病には「Mの分類」っていうのがあるんですけど。
岸田 「Mの分類」皆さんね、ちょっとさっきさらっと言っちゃったんですけど、この自己紹介の時にね、急性骨髄性白血病の一番右、「M1」って書いてくださってたんですよね?
折美 「Mの分類」っていうのがあって、どの細胞ががん化してるかっていう分類なのかな?確か。なんだけれども、それよりも遺伝子の異常、どの遺伝子がどういう異常を引き起こしてこうなってるのかっていうところの方が予後に影響するって言われたんですね、その時。で、私は染色体かな?8と21が「転座」入れ替わっちゃってる、8と21が入れ替わっちゃう、一部が入れ替わっちゃってるタイプの白血病です。
これは非常に抗がん剤が効くタイプなので、移植をしないで済むかもしれません、なので抗がん剤メインで行きましょう。だけど、寛解しなかったり再発したりした場合は移植になりますっていう説明を最初にされました。
岸田 そうなんか…。その遺伝子のところがちょっと入れ替わっている、それもどれが変わっているかどうなっていくかでまた全然?
折美 違ってくるみたいですね。
岸田 抗がん剤効きやすい部類のタイプだったっていう、あー、そうなんですね。だから抗がん剤治療を先ほどの地固め療法や寛解導入療法や地固め療法などされていった。
その中で薬疹に悩むってあるんですけど、薬疹っていうのはあれ?プツプツが出たりとか?
折美 そう、全身にプツプツが出て。特に下着だったり点滴のテープだったりで締めつけられたり接触してる部分が、特にこれがめちゃくちゃかゆくて。でもひっかくと、白血球下がってるから感染症になるから絶対ひっかいちゃダメ!で、出血しちゃうから血が止まらなくなるからひっかいちゃダメ!ってって言われても、もうかゆくてかゆくてね。
かゆみ止めの、全身に看護師さんに背中とか塗ってもらって、でもしばらくやっぱり退院しても半年・1年ずっとその薬疹のあとが残るぐらい全身にブツブツができて、すっごいつらかったです、眠れないし。
岸田 全身にできてね。それを抑える薬みたいなのはあるんですか?
折美 2回目以降はステロイドを先に点滴して、薬疹出ないようにステロイドを先に点滴してから。
岸田 治療入るとまだマシっていうか、なくなったりとかマシになっていくということですね。
折美 初回の抗がん剤は本当につらかったです。
岸田 ああ、その薬疹に悩まれていて、ただこれでもね、まだね、まあ白色のそのポジティブにネガティブにどちらでもない、まあまだ…、まだって言い方変ですけども耐えれたってことなんですかね?
折美 自分のことよりとにかく子どもどうしようしかなかったから。
岸田 そっか、治療始まっても、まあ子どものことにどうしようかって感じ。
折美 もう無ですよね、感情は。やるしかないから。
岸田 それでね、治療されていく中でこんな形になっていきます、家庭が詰む。これだけ見たらもう…なんかもうすごい…すごいことなんでしょうけど、なんかもうひと言で表すとこんな感じになって…。
折美 ほんとこのひと言に尽きる。
岸田 家庭が詰む!これはどういうことでしょうか?

折美 子どもが5歳で幼稚園に通っていて、だけどその時は夏休みだから、でも主人は仕事もあるしどうしよう!ってなった時に、本当に身内で頼れるのは私の母しかいなかったんですね。
で、母に最初は子どもが、私の実家に寝泊まりしてたんですね週末。だけど嫌だと、家じゃなきゃ嫌だと。で、母が1時間かけて毎週末家に通ってくれてっていう生活を多分1ヶ月・2ヶ月続けてたのかな。母が疲れちゃったんですよね、多分。で、重度の帯状疱疹を発症して足にいっぱい出たって、歩けないってなって母が来れなくなっちゃって。で、うち主人は土日仕事だし、でも土日は子ども休みだしどうしよう!ってなって。
岸田 あー、そりゃ詰みますわ。
折美 でも私は入院してるので何にもできないから、いろんなママ友さんとかに助けを求めたりとか、結果入院している病院のソーシャルワーカーさんに相談して、こういうのがありますっていう区の施設を教えてもらって、土日は24時間・365日子どもを預かってくれる区の施設があって。
岸田 そういうのがあるんですね!
折美 夜働いているお母さんが預け先がなくてとか、あとはそこの中にはDVシェルターとかもあるような、そういった本当に子どもを助けるための施設みたいなのがあって、土日はそこに子ども夕飯まで預けて。
で私の白血病診断…ないとそういう子しか預かってくれないから、特別な事情じゃないと。そういうところに預けて夕飯まで、だから預けて主人はなんとか8時に帰らせてください!って、職場の許可を得てっていうか会社の協力も得て。
岸田 だから旦那さんが帰ってきて、夜そのお子さんの。
折美 お風呂・寝るをやるっていう。
岸田 ほう〜そっか…、それはもう大変でしたね。
折美 あとから聞いた話で、あの時が一番詰んだよって主人が。
岸田 だから、家庭が詰むby旦那さんみたいな。
折美 そうだね。
岸田 そういう状態だったと。
折美 どうしようと思ったって。
クリスマスの一時退院と、40度が3日続いた年明け
岸田 けど、まあそれで乗り切るしかなく。もうね、折美さんはだって治療されていくわけですからね、そのままいくしかなく。そこから、おっ、一時退院されていくということで、この時はまだがんはある状態?
折美 えっとね、最初の寛解導入療法でめでたく5%以下に、5%以下寛解って言うんですけど、よく効いたらしくて。なので、あとはもう地固めていきましょうっていうところで、一時退院の前にちょっと外泊させてもらったりとか、抗がん剤と抗がん剤の間でっていうのがあって、この一時退院はクリスマスだったのでちょうどいい時期に一時退院させてもらえて、家族でケーキ食べたりとかができてっていう時。
岸田 そうですね。一時退院できてよかったなっていうふうなこともあれば、ちょっとそこから下がっていきますが、それが?静かな年越し。これまたクリスマスは退院して、ただ年越しはまた戻ってきて病院に?
折美 結構年末年始を家で過ごしたいっていうふうにする患者さん多いらしくて、退院できる人はちょっとそこで一時退院伸ばして家に帰るっていう人が多い中で、私は8月に告知をされて半年間の治療って言われたので、2月ぐらいまでってなると3月の息子の卒園式に出られるかどうかっていうところがあります。
岸田 はいはいはい。
折美 それを目標に頑張りましょう!って主治医の先生も言ってくださったので、とにかく早く抗がん剤始めて早く退院したかった。なので、お正月はもう入院して。
岸田 治療に専念したってことなんですね。
折美 年末ね、大みそかが最後の抗がん剤だったんですよね。
岸田 あっ、そうなんですね。その時にね、その時の年越しのあれかと思うんですけど、こちらのお写真があります、ドン!とこちら。これは?

折美 おせち!
岸田 おせち。
折美 病院食を、3日間おせち出してくれたんですよね。
岸田 3日間も?すごい!
折美 昼かな?夜かな?ちょっと覚えてないけど、3日間こうやっておせちメニュー出してくれて。
岸田 すごい!いいですね。
折美 ちょっとこうほっこりするような、すごい気遣い感じますよね。
岸田 へー!すごいなんかおしゃれな器に入って、すごいね、やってくれて。そういうふうな形で静かに過ごしていったっていうのがこの時っていうことですね。
その後下がっていくのはこちら、感染症で発熱とありますけれども、やっぱこれは白血球の値が?
折美 下がっていることによって、白血球の値は必ず毎回毎回抗がん剤のたびに、白血球だけじゃなくて全部下がっていくので、そのたびに発熱はいつも必ずするんです。必ずするんだけど、これは黄色ブドウ球菌っていう、普通に常在菌で普通ならかからない。
岸田 よく聞きますね。
折美 完全に感染しちゃって、40度以上が3日続いて本当につらかった。何にも食べられないし、しゃべることすらつらいぐらい。
岸田 うわー!それはもう耐えるしかない?
折美 耐えるしかないんですよ。で、解熱剤も上がりきらないと出してくれない、じゃないと下がらないから。なので、ものすごい寒い悪寒でなんだろう…、ヒートカーペット?なんかそういう。
岸田 電気毛布的な?
折美 電気毛布を下にも上にもみたいな状態で。で、熱が上がりきってちょっと熱くなってきたかなぁ?って、よし!じゃあ解熱剤っていう感じで入れてもらう。けどまた上がっていって、また40度超えてっていうのが3日間続いて。もうろうとしてくるし、体調で一番つらかったのここですね。
岸田 入院中の感染症で。これはもうどうしようもないですよね?
折美 どうしようもないです。
岸田 それで発熱、その3日間があった。その後にようやく退院ができていくということなんです。あれ退院?さっきの一時退院は赤色でポジティブなんですけど、この退院は青色でネガティブなんですが?
折美 もう最後の感染症で退院決まってたけれど、感染症がやっと落ち着いてきたタイミングでまた風邪ひいて38度の熱が出てっていって繰り返してたので、体力がもう何も食べられない状態で。バランス飲料を1本飲むのが1日の限界くらいに食べられなくなっちゃう。
それくらいに体力落ちていたので、その状態で退院と言われて私は家でちゃんと生活できるのかって、子どももいるのに。病院だと寝ているだけで何かあれば看護師さんや先生がいて言えば助けてくれるけども、それがなくなるのが恐怖でしかなかったんですよね。
岸田 そうですよね。確かに病院だと何かあった時に医療スタッフの方いらっしゃるから何かあっても安心だと思いますけど、家帰ると何もなくなるから。
折美 何もないうえに子どもがいるっていう。
岸田 そっかー。
折美 もう不安しかなくて、もうちょっと延ばしてもいいんじゃないか?ぐらいに思うぐらいすっごい退院が不安だった…。
岸田 不安な中、けどもう退院せざるを得ないというか?
折美 そうですね。
岸田 ね、治療…本当にもう、これで一通り治療が終わっているんですね?
折美 一通りの治療終わりです。
目標だった卒園式・入学式、その直後の急性胆のう炎
岸田 地固め療法も全部終わっていますね、だから退院しないといけないようにしていきますよね。ただちょっと上がっているのでこれはいいことかな?と思うんですけど、おっ、卒園式や入学式の出席できていくと、目標としていた?
折美 これがもう治療の目標だったので、第一目標だったので。卒園式にも出席できて入学式にも出席できて。
岸田 これ普通に出席できたんですか?感染症対策もそうですし、特別なこととかっていうのはここに対してはしなくて大丈夫だったんですか?
折美 一応マスクにアルコールにっていう、本当の感染症対策をしながら、寒い冬の時期なので。
岸田 そっか、もうこの時にはだって白血病のがん細胞は。
折美 もう一応なくなって。
岸田 正常な値になっているということですね?

折美 数値…でも正常って言っても、白血球は正常になって赤血球も正常だけど、血小板がなかなか正常に戻るのに本当に数年かかって、常にアザはできやすい状態でしたね。
岸田 そうなんですね!
折美 何年か…3年ぐらいかかったかな、正常値に入るのに。
岸田 それが異常だったら怖くなっちゃいますけど、そういうものなんですね?
折美 白血球も一応正常はあるはあるけれども、免疫力って白血球だけじゃないから、採血のためにIgGの値っていうのを測ったりするけれども、それも全然下の方で。やっぱり免疫力が弱いから気をつけて気をつけてっていう。
岸田 生活をしていったってことですね。そっからまたガクンと下がっていくんですよね、それがこちら、急性胆のう炎。急性胆のう炎?なんか胆のうが炎症を起こす?
折美 胆のうが炎症を起こしちゃったんですよね。入学式から2〜3週間後?4月の終わりにのたうち回る腹痛で、もうどうにも我慢できなくて。で、寝ている主人を起こして、お願い…救急車!って言うのがやっとのぐらいで呼んでもらって、入院ってか病院に行って。
岸田 救急車で病院行ったんですね?
折美 で、子どもは寝てるから主人は家にいてもらって、一人で救急車乗って。
岸田 その救急車運ばれる時もやっぱ自分の最寄りの場所を言うんですか?
折美 いや、あの。
岸田 もう連れていかれたところ?
折美 あそこの病院、白血病治療した病院って自分で言って、そこにお願いします!って言って向こうも受け入れますってなったので、家から1時間くらい?。だから救急車の中でものたうちまわるくらいの。
岸田 そうですよね、そっか。そこの病院に着いて?
折美 血液検査と超音波で胆のう炎だねって。手術しましょうになったんですけど。
岸田 手術になるんですか?
折美 そうですそうです。胆のうを取らないといけなくなっちゃう。
岸田 胆のうって取っていいものなんですか?
折美 取って大丈夫です、うん。胆のうない患者さんいっぱいいます。
岸田 そうなんですね。
折美 胆石とかでやっぱり同じように痛みとかで胆のう炎になった人っていうのは、胆のうを取ります。
岸田 手術で取りましょうって?
折美 取りましょうって。だけど、4月の終わりでゴールデンウィーク入る時だったので休み、手術休み、ゴールデンウィークで休みだから、ゴールデンウィーク明けたらねって。
岸田 えっ!?
折美 えっ!?って思ったけど、痛み止めとあと内視鏡でその詰まった胆石をかき出すっていう処置をして。
岸田 そんなんできるんですか?すご!
折美 胃カメラみたいな内視鏡をこう麻酔で、とりあえずかき出して、一時処置って言うんですかね?応急処置してで、ゴールデンウィーク明けに胆のうを取る腹腔鏡の手術をしました。
岸田 ちょっとかき出してもらったらちょっとマシに?
折美 ちょっと楽になったけど、痛みないわけではないけれど痛み止めの点滴とかもしてくれてたので、なんとかその休みの期間を過ごして、で、腹腔鏡で手術して。
岸田 手術したとで、取ったと。いやー、その時にほんとねなんか休みとかあったらマジでもう終わりますよね、連休とかね。いやー、僕もがんの告知再発した時は、もうなんかすごい自分に違和感あって、もうそっから3連休みたいな時で、病院やってないしみたいなすごく不安でしたね。
折美 そうなんですよ、すぐやってくれなくて1週間以上だから間空いて。
岸田 いやーまあ、ただまあゴールデンウィーク明けたら。
折美 もうすぐ、明けてすぐやってもらって。
岸田 それ以降は大丈夫なんですね?
折美 まあ一応胆のうは大丈夫だけど、まあまあその後もいろいろだから後遺症みたいなのが続いてくる…。
岸田 ちなみに今その胆のう炎って普通にお伝えしましたけど、それって抗がん剤治療とかやってたから影響とかっていうのはあるんですか?
折美 後からそう言われたんですよ。後から、私の抗がん剤っていうのは白血病細胞と一緒に正常の…要するに血球をコロす抗がん剤なので、死んだ赤血球からビリルビンっていう成分が固まっちゃってそれが胆のうに、巡り巡って胆のうに。
岸田 そういうこと?

折美 で、胆石として、ビリルビン結石ですって言われて。見せてもらうんですけど、本当に真っ黒な砂みたいな状態で、これは血液が壊れたものからできるものなので白血病治療されたんであればそれの影響はあると思いますって。多分それの後遺症じゃないかと思います。ただ証明はできないからそうじゃないかと思いますっていう言い方をされて。
岸田 かなり可能性としては高いですよね。
折美 それがなければ、胆石はもともとなかったし、白血病治療の後遺症というか影響じゃないかと。
7歳の息子に病気を打ち明けて、二人で浮上していく
岸田 それでね、取っていきます。その後ですね、またちょっと大変なのが、メンタルがガタ落ちと。まあいろんなことあったら、それはね、メンタルは下がると思うんですけれども、このメンタルが落ちるのは胆のう炎の影響ですか?
折美 それもありますね。結果退院しても何にもできない日々がずっと続いていって、10分も歩けないし、10分も歩けない。だから卒業式・入学式とか座ってるだけだったからよかったけど、じゃあ家にいて家事ができるかって全くできなくて。買い物も行く元気ないからネットスーパーで買ったり主人が買ってきてくれたりっていう。
だからごはん作るのもなかなかできないしって中で、多分息子はお母さん帰ってきたっていう前の生活に戻ると思ってたと思うんですよね。だけど息子も想定外…、帰ってきてもずっとお母さん寝てるみたいなところがあって、私の入院中もあったとは聞いてたけど、やっぱりかんしゃくとか起こして情緒不安定になって。
こんなに離れて、あんなに会いたかった息子のギキーっていう声がもう嫌で嫌で、なんでこうなっちゃったの!っていう、何もしてあげられないし、でももうそこでかんしゃく起こしてるし、でもどうしようもないし、で、もう本当にやられてましたね。私が今度詰んだ。
岸田 ああ、次はもう折美さんの詰んだタイミングがこの時だった。
折美 一番精神的につらかったのは入院中よりもこの時。
岸田 そっか、何もできないし、ただ息子さんのね、まあかんしゃくはあって、そしてそれに対することもっていったところがもう全部積み重なってきたってことですね。
メンタルガタ落ち、これをどう解決していくのか?というと、子どもに病気の話をする。ほうほうほう。この時お子さんには病気のことってあんまり…?
折美 まだ5歳だったので。
岸田 そっか!
折美 入院した時は5歳だったので、お母さんの中に悪い菌があるからやっつけてくるね!っていう言い方をしてたんですよね。でもやっぱりそれじゃ、悪い菌やっつけたんじゃないの?って、退院してるから。やっつけたんじゃないの?って思ってたっぽくて、なのに、なんでそんななの?っていうのでガーって子どももなっちゃってたから。
もう7歳?小学校入学して7歳になるくらいのタイミングで、小児がんのお子さんでも7歳の子だったらちゃんと説明するって、本人に説明するんだってって聞いたんですよ。そういうカウンセリングの先生から聞いて、ああそうか!と思って、じゃあ7歳になったから全部こう説明紙に書いて説明したんですよね。
あの、お母さんの病気はねって言って、「急性骨髄性白血病」って言うんだよ。で、血液のがんなんだよって、ちょうどギボムス(ドラマ:義母と娘のブルース)が流行ってた時で、ギボムスのパパ良一さんは胃のがんだったでしょ?お母さんは血液のがんなんだよ、で、こういう症状があるんだよ、だからお母さんを助けてねっていう言い方をしたんですよね。
岸田 どうでした?その伝えて、息子さんの反応というか?
折美 全部分かってる感じはやっぱりなかったけれど、でも私の書いたメモに「治る」とか「細胞」とか「白血球」「赤血球」とか書いて「治る」とかって、自分で書いてたから、じゃあそういうことなんだってよく分かんないけど頑張ろうみたいな感じにはなって。そこからですね、2人でちょっと浮上していった感じになりますね。
岸田 そっか、だからそこで息子さんも協力してくれるというか、お母さんに協力しようっていうスタンスに徐々に徐々になっていったっていう感じになるんですかね。
折美 で、主人も仕事行く時、朝いってらっしゃいっていう時に私にじゃなくて、息子にお母さんを頼むねって言うんですよ。それでよし!みたいなところが、任された!っていう、ちょっと大人になったような感覚。主人もそういうふうに協力してくれたので、それでちょっと子どもも落ち着いてきて私も落ち着いてきて、頑張ろうねっていう気持ちになってきた頃。
岸田 この時っていうことなんですね、そっかそっか。それでね、浮上していくっていうことなんですね。そして浮上していってこちら、新型コロナで子どもの学校は休校になっていく。新型コロナはちょっとネガティブなことかもしれないんですけど、子どもさんの学校は休校になっていったことがよかったことなんですかね?
折美 それがよかったというよりも、家族全員家にいられるって幸せじゃんって。コロナは私はすっごい怖かったんですよね。
岸田 そうですよね?

折美 すっごい怖かったし、一応リスクありの人なので早めにワクチンを打たせてもらって、そういうのもやって。実際かかったらどうしようっていうのはすごい思ってたんですけど、そこを注意さえしていれば。
結構緊急事態宣言で、学校もないしどこにも行けないしみんなで家にいるっていうのは、周りはやっぱり3食作らなきゃいけないしストレスでしかないわ〜みたいなことを言ってる人たち多い中で、半年離れてたから家族と。今こうして家にいられるのが幸せすぎて、むしろすごい幸せを感じた。コロナストレスないです。
岸田 うん。
折美 家にいられるんだもん、こんないいことないじゃないっていう。
岸田 家族で3人でいれたっていうのが、コロナはちょっとあれかもしれないですけど、家で一緒にいれたっていうのはよかったってことですね。
折美 少しずつ私も体力ついてきたので、子どもと一緒に河川敷に行って、モンシロチョウの卵を見つけてきて、モンシロチョウ育てたりっていうのを。子どもが虫好きだから、そういうのを付き合ったりとかなかなかできない経験。むしろそういうのができる状態が嬉しかった。
岸田 それで上がっていると、いいですね。
岸田 そこからちょっとずっと上がっているんですけど、それはこちら、仕事の復帰をされていく。これはまた…お仕事の話のところにお伺いしますけれども、臨床検査技師としてまた仕事に復帰されていって、そして完全寛解になっていくという。
折美 治療が終わってから5年経つことが大きな区切りなんですよね。
岸田 そこから子どもが中学生になったんですね。今は中学?
折美 2年生。
岸田 2年生、いい感じですね。中二病(厨二病)発症してないといいんですけど(笑)
折美 してますね(笑)
岸田 僕もずっと中二病(厨二病)発症してますから(笑)そして平穏な日常が幸せだなということで。
折美 普通の生活ができることって本当にすごいことだなって。

岸田 いやー素晴らしい!というふうなね、折美さんのペイシェントジャーニーでございましたけれども、お写真もいただいておりますのでちょっとそのお写真見ていきたいと思います、それがこちら。まず左側のお写真これは髪の毛が?
折美 抜けているところ。ものすごい勢いでやっぱり抜けるのは聞いてたけれども、ものすごい勢いで抜けていくから、ちょっと触っただけでブワーって取れるんだっていうのはあんまりない経験だなと思ってちょっと写真撮ってみた。
岸田 やっぱ全部抜けたんですね。
折美 抜けました抜けました。
岸田 だからそれが右側が?

折美 抜けた後かなちょっと残ってた。
岸田 ちょっと残ってますね。ただもうニット帽かぶってっていうそんな形で。やっぱ髪の毛次生えてきたやつは結構クリクリしてました?
折美 それが私ならなかったんです。
岸田 ならなかったタイプ?
折美 ならなかったんです、その違いは全く分からないんですけどならなかった。でも私の隣のベッドの人はクルクルになってて。
岸田 やっぱ違うんですね。
折美 何が違うんでしょうね、私はならなかったです。
岸田 いやほんとね、これまだ謎がまだ解明されてないんでね、あれなんですけども。はい、まあクルクルにならなかったタイプということですね。そして次の写真がこちら。
折美 治療中ですね。
岸田 青たんみたいな?
折美 何もしてなくても血小板がないっていうだけでちょっとひっかいたらテンテンテンテンってなるし、青たんみたいなところは本当に触ってもいない。
岸田 触ってもいない!?
折美 全身こういう状態。
岸田 しかもこのテンテンテンになっているのも?
折美 これね、全部アザです。
岸田 アザなんですね、あっこれが、手の甲にもあったようなアザみたいなイメージ!?
折美 このテンテンテンがブワーッとここに出たから、異常な…点状出血と青たんみたいなのはアザですよね、内出血、これが全身に。口の中は血まめだらけになるし。血小板が一番低かった時測定不能って出たぐらいゼロに近かったので。
岸田 うわぁ、そうなのか。
折美 絶対転ばないでって。
岸田 そうですね。転んだりとかして血が出たらもう止まらない?
折美 そう、もう止まらないから。
岸田 そして右側が?
折美 輸血です。
岸田 結構輸血されたんですか?
折美 血小板と赤血球は、抗がん剤の後血球がなくなったらほぼ毎日輸血。本当に献血の方々のおかげです。
岸田 ふーん、そっか、これも血液型もなんか特殊なタイプだったらとかって。
折美 やばいですよね。
岸田 大丈夫だったんですか?
折美 大丈夫一番多いA型で
岸田 あー、よかったよかった。まあ輸血でっていう。
折美 輸血でもう保つ感じです、本当に。
「がん告知より骨髄検査がショックだった」——検査する側だったからこそ
岸田 あ〜すごいね、いろんなこう治療されてきてっていった中でね、本当さまざまな経験をね、されてきたと思うんですけれども、ちょっとここからはですね、各項目に分けてちょっとお話もお伺いしていきたいなということを思っています。
まず一つ目こちら、病院や治療の選択といたしまして、病院どういうふうに決めたの?だったり治療をどのように決めていったか、SDMでシェアード・ディシジョン・メイキングという言葉が今あるんですけれども、医療者と一緒に対話して決めていこうよみたいな流れに今なってはきているのですが。
病院に関してはあれですよね?もうなんでしょう、自分の行った病院ですぐ治療できるところって、4つ目とかね探しますって行ってそれで治療ができる場所に行かれたってことですもんね?
折美 だからもう、全然こっちに選択肢は全くなくて、行ってください!っていう。
岸田 ってことですよね。うわあ、そっか、じゃあ行ってくださいっていうことで。結構さっきもね、胆のう炎なられた時に、なんでしょう、救急車1時間みたいな感じでちょっと遠めなところ?
折美 遠いけれど白血病治療した病院だったら、全部カルテが残ってるから。血小板もまだ全然ない状態で、その経過を全部知ってる病院だからそこに行って!っていう感じで。
岸田 ちょっと自宅は遠いけどその病院で、結果的にその病院は結構どうなんですか、白血病とかが結構よく診ている病院?
折美 そうなんですよ、ふたを開けてみたらもう白血病って言ったらここでしょみたいな病院だったらしい。
岸田 いい病院だったんですね?結果的に。
折美 なので、最初に行った病院が満床でよかったねって後から職場の先生に言われた(笑)
岸田 まあね、そこはね、運っていうかご縁だったりもありますからね。そこの病院で治療されていった中で、治療法として寛解導入療法をし地固め療法をし、それはもう標準療法だから、もうそれ以外の選択肢というかまずこれやっていこうということですよね?だからそれでお願いしますということで。
折美 お願いしますと。
岸田 やっていくということですけど、なんか逆に医療従事者だからこそ、なんかよかったこととか嫌だったこととかあったりとかしました?
折美 あのね、骨髄検査をしますって行くじゃないですか。
岸田 骨髄検査ね。
折美 もう間違いないですってそう。で、腸骨からだったんですけど、今から骨髄検査をしますって言われた時に、え!?って。私は臨床検査技師として骨髄検査を受ける患者さんの先生の補助として仕事としてやっていたので、どれだけ痛いかを見て知ってるので、え!?マルク?って言ったら、あ、ご存知ですか?って先生が。
あの臨床検査技師なんですって言って、もう告知よりショックなんですよ、がん告知よりショック。あれを私がやるの?って、で、マルク…って言って落ち込んでるのを、隣で主人がそこ?って。告知の方が多分彼はショックだったと思うんですけど、私の反応を見て、そこ?って、そこだよって言いながら。
岸田 まあ受けないといけない…。
折美 いけないから。だけど、やっぱり血液内科の先生毎日のようにやってるんだろうからすごい上手で、私が見てきたのと違うでしょと思って。
岸田 よかった。
折美 これなら二度とやらないまでいかないかなっていう、我慢できるなって思いました。
岸田 いやー、僕もされた経験ありますけど、なかなかな感じでしたよ、もうなんとも形容し難い!
折美 そう最初の麻酔が痛いじゃないですか?で、その後の骨髄にグリグリグリグリされるのと、引かれるのとの感覚、痛くはないけどすっごい嫌なのがね。
岸田 そうなんですよね。
折美 だけど、まあ抗がん剤と抗がん剤の間も必ずマルクやるので、そのたびにやっぱり助手的な人が入ってくるんですね。あっ臨床検査技師だって思いながら、私もやったよ!って思いながら、その骨髄検査やりますが一番ショック。がん告知よりショックでした。
岸田 なかなかね、稀有な感じだと思いますけど、まあけどそれはね、ただ不幸中の幸いかもしれないですけどやってくれる人が上手だったということですね。そこはよかったなと思います。
毎日の下痢、電車も保護者会も怖かった——原因は胆のう摘出だった
岸田 そして次こちら、副作用や後遺症のこと、さまざまな抗がん剤をしたりだとかして、副作用だったりとか後遺症あるかなと思うんですけれども、印象に残っているものであったりだとか、今までお話ししていないもので何かあったりとかされますか?
折美 後遺症…急性胆のう炎ももしかしたら後遺症の可能性高いよっていうふうに言われたんですけど、私はその胆のうを取ったことでさらなる後遺症が出てしまって、で、なんか毎日毎日お腹を壊すんですよ。毎日下痢なんですよね。
で、それが何でか分からなくて、で、胆のうを取る前も下痢する日っていうのはいっぱいあって、で、今思い返せばそれは多分発熱とかによる抗生剤の影響、抗生剤も結構お腹緩くなる。それもあったから、胆のうを取ったことが原因だって最初分からなくて、いろんな病院回って消化器内科行ったりとかして大腸カメラやったりとかもしたけど、何の異常もないのに毎日毎日お腹を壊す。
岸田 お腹を壊してたタイミングっていうのは、この治療の中でもう抗がん剤治療をした後ずっと?
折美 後ずっとですね、退院の…ぐらいの。発熱のあたりからずっとですね。発熱のあたりから退院ぐらいの間のは多分抗生剤の影響だと思うんですけど、退院してもそれが全然治らなくて、で、胆のう炎の後もずっとずっと治らなくて、なんでだろうなんでだろう?って、毎日の下痢って本当に日常生活ずっとつらいんですよ。
電車も怖いし保護者会怖いし、車で高速なんか乗ろうものだったら、今お腹痛くなったらどうしよう!っていう恐怖がもう。
岸田 しかももうね、我慢できたらいいんですけど。
折美 できないから。
岸田 難しいですもんね。
折美 早くサービスエリア行って!とかってなった時ももちろんあるし、でもそれが、実はその胆のうを取ったことが原因だって後で分かって。
岸田 へー!胆のうが何か役割してたってことですか?
折美 そう、胆のうって胆汁(たんじゅう)をためるところ、肝臓で作られた胆汁(たんじゅう)をためるところ。で、食事をしたら放出するんですよね、消化するために。だけど、私の場合胆のうはためないから垂れ流し状態なんですよね、腸に。
そうすると胆汁(たんじゅう)が脂肪酸に分かれて脂肪酸になって、それが下痢を引き起こす物質らしいんですけど。そこまで知らないから。
テレビで下痢についてって言って、過敏性腸症候群の権威の先生がしゃべってるのを見て、あの先生に紹介状を書いてくださいってそれまでかかってた消化器の先生にお願いして、それで病院に行ったら、折美さんの場合は胆のうを取ってるので胆汁(たんじゅう)性の可能性高いから脂肪酸を吸着するお薬飲んでみませんか?って。
岸田 そういうのもあるんですね。
折美 はいって言って、知らなかったと思って、その薬飲み始めた3日で止まったので。
岸田 おぉ!
折美 そうだから、何だったんだろうっていう。でもその薬を飲まないと、今でもだからずっと飲み続けています。
岸田 そっかー。まあだから胆汁(たんじゅう)垂れ流し状態がよくなかったってことなんですね。
折美 だから胆のう炎で胆のうを取っている人は、別に白血病とか関係なく、胆のう炎になって胆のうをとったりした人はそうなっている可能性が高いですよね。
岸田 だから、もしかしたら知らずにずっと下痢やわって思ってらっしゃる方も日本に多くいらっしゃるかもしれない?
折美 多分いると思います。
岸田 たまたま専門の先生にかかられたから原因が分かったものも。
折美 分かったので。
岸田 だって、その前の先生とか原因不明とかですよね?
折美 何箇所も行ったんですよ、病院。どこも大腸異常ないしって。
岸田 なのでね、もし悩まれている方いらっしゃいましたらその可能性ももしかしたらあるかもしれないぐらいのね、気持ちで持ってもらえたらと思います。本当にね、医療のことであれば医療従事者の方にちょっと伺ってもらえたらと思いますということで、下痢は…。
折美 コントロールして落ち着いて。
岸田 よかったよかった。ありがとうございます。
私の前では普通を装って——夫と両親が陰で考えていたこと
岸田 そして次にですね、家族やパートナーのことなんですけれども、お母様がね、息子さんのちょっと、子育てちょっとね代わってくださったりとか、パートナーの方がね、早く家帰ってきてだったりだとかさまざまされてたと思いますけれども、実際家族やパートナーのことっていったらどうでしたか?
折美 そうですね、みんな私の前ではすごい普通を装ってましたね。なっちゃったんだからしょうがないじゃん、治療に専念しなっていう感じ、主人もそういう感じ。
気遣いもすごいあると思うけど、基本すごいフラットな、よくも悪くもフラットな人なのでしょうがないよねって、治療するしかないじゃんって言いながら、陰では事務職に移った方がいいんじゃないか?とか、私の両親もうちの息子を自分たちの家の方に近い幼稚園に転院させた方がいいんじゃないか?とか、いろいろ考えてたらしいです。
岸田 そうですよね。
折美 だけど、私の前では全然そういうふうにあんまり見せなくて、その母が帯状疱疹で歩けなくなっちゃった時に詰んだっていうのも、退院後に主人から初めて。そういう状況だから、大変だから私もソーシャルワーカーさんに連絡してとかやってはいたんですけど、本当に詰んだよって言われたのは退院後。
岸田 後から知ったんですね。
折美 後から。その時はでも本当に頑張ってたと思います、仕事もある中で。
岸田 午後8時までにはお仕事をして。
折美 帰らせてくださいって言って、お迎えで、だったので、そう。
岸田 そのようにね、関わってくださって。ただそれを実際に折美さんが入院している時には、そういった素振りを見せず。
折美 見せず、そうですね。
岸田 お母様は帯状疱疹になった後は大丈夫だったんですか?
折美 数ヶ月したら落ち着いてきて、来れるようになって。私が退院後全然私も機能してなかったので、そういう時に週1ぐらいで来てくれてごはんいっぱい作って帰ってくみたいな生活を私が退院後もしてくれたので、そこは本当にありがたいですね。
すっごく頑張ってたんだと思う——息子が家で見せた感情
岸田 だから本当に皆さん一丸となってっていう感じだったんですね。その中で一丸となるためにはやっぱりお子様のところがね、一番大事になってくるかなと思うんですけれども、お子様、息子さんがね、かんしゃくを起こして情緒不安定になってとか、いろいろあったと思うんですけれども。
まず初めは5歳だからちょっとがんのことっていうよりも、悪いものやっつけてくるねっていうふうに言って、で、まあ入院してる時はそうですね、いろいろかんしゃくを起こしたりとかしてもお父様だったりとかお母様だったりとかって方たちが、こう世話してくださって。
だからその後、このちょっと待ってくださいね、その後ここで子どもに話をするって言ったところが一番の転機になったってことですか?
折美 子どもは、多分そうだったと思います。入院中も血球が下がっているタイミングっていうのは、デイルームとかも行けないんですよ、行っちゃいけない。
それだけで感染のリスク高いから、移植じゃないので無菌室ではないんだけれども、ベッドにアイソレーターっていう大きな空気清浄機みたいなのがついて、そことトイレ・シャワーしか行き来ができない状態になっちゃうので、一人部屋じゃなかったから電話もできないんですよね。
デイルームに行けばテレビ電話、主人のLINE通話つないでしゃべったりできるけど、その血球が下がって熱が出てっていうそのタイミングは電話すらできないので、全然話もできないから。その間の様子はあんまりよく分からないけど、家ではやっぱりかんしゃくを起こしたりしてたらしいんですよね。
岸田 そうなのか。いや、ね…その、そこのかんしゃくを起こしてたっていうのも、それは後で知る?一時退院した時とか?
折美 とかも、ちょっとね〜みたいな感じのを主人も言ってたけど、でも実際はやっぱり私が退院した後の方が息子ももう余計それがひどくなっちゃってる感じだったので。
岸田 せっかく退院したのに、何も遊んでもくれないし。
折美 ただ幼稚園の先生に言わせると、全く普通ですって。全然幼稚園ではそんなそぶりがない。だからすっごい頑張ってたんだと思うんですよ。その分家で甘えるじゃないけど、感情を出すところが他になかったんでしょうね。全く普通ですって、すっごく頑張ってますって。
岸田 いやー。ただそこはね、ちゃんと自分のことを伝えて一緒に頑張っていこうということで、乗り越えていくってことですね。
折美 だから、あとはもうずっと、それまではただ一緒に座ってテレビ見てるだけ、何もできないから。でもその時にもピタッと私にギューってしながら座ってる。夜もギューってしてくるからギュッてしたまま寝る、ただそれだけ、私ができるのは。
でもやっぱりなかなかそれだけじゃ満足できないからきちんと説明しようってなったら、どんどん落ち着いてきたので。
岸田 そっかやっぱね、そういうちゃんと説明してっていうのは。もちろん何歳とかにもよるかと思いますけれども、折美さんの時はそういった形に乗り越えてられたということですね。ありがとうございます。
そしてちなみに今は?今は何もない?もちろん完全寛解されてますけれども、当時のこととかをお話しになることとかあるんですか?あの時は大変だったねとか、子どもと。
折美 話しますね、普通に話しますね。
岸田 その時はもうどんな感じなんですか?そうだったね〜とか。
折美 そうそう、そういう感じです。で、一応中学受験をしたんですけど、理科の人体の項目があるんですよね。もう完璧ですよね。白血球の働き・赤血球の働きとか、お母さんこうだったでしょ、こうだったでしょって。で、もう理科完璧。
岸田 理科完璧!そういう思わぬ副産物があったりとかしたっていうね。
折美 でも普通に話します。
入院初日、すべての契約が切れた——フリーランス検査技師の現実
岸田 そして次はですね、ちょっと次、こちらお伺いしていきたいと思います。仕事のことといたしまして、お仕事、臨床検査技師として働かれていって仕事を休まれていったのかなと思うんですけれども、その…休職になるんですか?フリーランスってどういう感じになるんですか?
折美 フリーランスだったので、全部の契約が切れるっていう状態。
岸田 切れるって感じですね。
折美 もうだって復帰のめどが立たないので、個人契約だったりしてたからもうお仕事行けませんっていう。入院したその日に。もうすぐ次の月曜日の仕事とか入ってたので、すみません!こういう状態でって電話入れて、職場に。
で、院長が分かったって、医師だから分かるっていうか、分かった!治療に専念してねっていう感じで。で、契約を結んで1回しか働いてないところとかにも、電話入れて申し訳ありません…っていう電話を入れて、契約終了というか中止というか。派遣登録していたところからもオファーが来ても無理です、全部お断りになるので。だから全部の仕事が失われた状態。フリーランスのつらいところ。
岸田 つらいところですね。収入も入ってこない?
折美 入ってこないです…。
岸田 そこで、ただその後社会復帰されていって、幸いにもね、復職もされていくっていうふうなこともこの中でお話しいただいたかなと思って、完全寛解の前かな。仕事復帰。これはまた派遣に登録したりだとか契約を見つけてくるとかそういう感じなんですか?
折美 これはですね、病気になる前に働いていたクリニックで一緒に働いていた先輩が、同じようなフリーランスで別の病院で働いていて、で、ここで欠員出るから復帰しない?って声かけてくれた。
岸田 おー、そうなんですね。
折美 で、それが検診センターだったので、病院よりも感染状況。
岸田 そうですね。
折美 病気じゃない人たちが来る検診センターなので、そこだったら大丈夫かな?っていうのと、もうあと数ヶ月…来月ぐらいで完全寛解の診断だなっていうタイミングだったので、復帰したいなと思って。今まで働いてたところではないけれど、そこに声かけてもらったので、じゃあ行きます!って言って今そこで働いてます。
岸田 完全寛解になるタイミングっていうのもあって、体力的なところとか特に問題ないですか?
折美 そうですね、そこが午前中だけなので、シフト制で週に数回っていう感じで、最初はちょっとリハビリのつもりで始めようかなっていうのはいい仕事量だったんですよね。なので、そこにまず復帰して。
それからその単発派遣、企業の検診に行くっていうのとかもまた復帰。そっちも復帰してって空いてる日はそこに行くっていうような感じで、前みたいな働き方にちょっと少しずつ戻してる感じ。
岸田 うーん、そうなんですね。だから本当に健診に行かれた際に、心電図とかやってくださっている方がいらっしゃったら、折美さんのようなご職業の人がされていてということなんですね。
折美 そうですね。
夫のために入った保険を、数ヶ月後に自分が使うことに
岸田 なので、仕事はそれで復帰していけたといったところにはなるんですけれども、あれですよ、今お話にもちょっとありました、この大事なお金や保険、ねえ。収入は途絶えてしまってといったところがあって、旦那様がお仕事されているからそこで賄ったのか、それとも民間の保険に入られていたのかとかお伺いしていきたいんですけれども、治療費はどうでしたか?
折美 高いですよね。高いけど、保険も2つ入っていて高額療養費制度も使ったので、一時的に、一時退院の時には本当に何十万とか100単位の請求は来るけれど、あとで保険が下りるので、2つ入ってたから。そのうち1つはがん保険だったので、アフラック。
岸田 僕はアフラックじゃないですけど(笑)CM出させてもらってね(笑)そのことがあるかもしれないですけど、確かに。それが出たんですね?
折美 そうです。なので、多分ほぼほぼ賄えたかなと思います。
岸田 だってね、治療期間も長かったりとかしてたでしょうし、治療だけじゃなくて1時間以上かかる病院への行き帰りも含めだったりとか、お子さんの預けるだったら預けられたところも。
折美 そこまで含めちゃうと全然賄えてはいないですけど、差額ベッド代とかもあるので。そういうところはもう自費で出していくしかなかったけれど。
岸田 医療に関係するところでざっくりどれくらいなイメージですか?ざっくりトータルでかかったなって今まで…100万・200万?
折美 いや、もっともっと、うん、もっとかかってます。
岸田 300万・400万円?
折美 かかってると思います。だけど、そのくらい出てますね保険。
岸田 だから民間の保険も出て?高額療養費制度を使ってそれぐらいってこと?
折美 使ってそれぐらい。
岸田 高額療養費制度を使って、もう3〜400万ぐらいいって。
折美 多分いってると思います。
岸田 まあ、皆さんこれざっくりですからね?ざっくり言って、ただ民間の保険でそれらを賄ってプラスマイナスゼロぐらいにはなってるっていう感じ。
折美 じゃないかな〜と思います。
岸田 あと細かいことやったらちょっとそれよりは出ちゃってるけど。
折美 出てると思います、全然出てると思います。あとその退院後の通院とかはもう賄えないので、そこは結構かかってますね。
岸田 しかもその民間の保険入られたタイミングがなんか奇跡的だったんですよね?
折美 そうなんですよ。うちは主人もがん経験者だから。
岸田 ほう。
折美 大腸ポリープ取ったら中心ががん化してましたっていうだけだったから、ポリープ取っただけで終わっちゃったんですけど、治療とか全然してないけれど、でもそれでがんの診断が下りちゃったのでしばらく保険に入れなくて。
で、もう何年も経ったからやっぱりがんできやすい体質なら保険に入ろうって言って、2人で主人のためにアフラックに入ったんですよね。その数ヶ月後に私が使うはめになったので。
岸田 何が起こるか分からないですね!
折美 本当に分からない。まさか私が使うとは。そんな数ヶ月単位で使うことになるとは思わなかったので。
岸田 数ヶ月だったら待機期間は終わっている?
折美 終わっているので、あと1〜2ヶ月遅かったら対象外。
岸田 対象外ですよね。うわあ、何が起こるか分からへんな本当ね。たまたまそういった偶然が重なってそれで賄えたっていうことなんですね。それがなかったら結構。
折美 大変ですね。
「おばあちゃんのバカ」——笑って手を振った息子の、本当の気持ち
岸田 感じになってましたね。ありがとうございます。そういったことがあったということですね。
そしてそんな中で、闘病を始めてから今までの中でつらかったことといたしまして、何か大変だった・つらかったって申し上げますと、やっぱりあれですか?その下痢のところとかになるんですかね?
折美 とかですね、あとはやっぱり子どものことですよね。自分よりもとにかく子どもどうしようっていう。なので、一時退院とかして病院に戻るっていうのを抗がん剤の間のタイミングで一回帰って、何回かあるタイミングで病院に戻る日はまた1ヶ月離れる。もうずーっと泣いてる感じですよね。それが一番つらかったかな。
岸田 子どもと離れることに対してってことですよね。
折美 申し訳ないという気持ちもあったし、で、母が来てもらって子どもを見てもらって、私が一人でタクシーに乗って病院に行くっていう。で、じゃあねって言ってギュしようかなって思うんだけど、そうすると息子が笑ってバイバイね!って言ってダーって行っちゃったんですよね。
で、もうそれ見てもうこっちはタクシーの中からずーっと泣いてる感じだったんだけど、後から母に聞いた話だと、笑ってバイバイね!って言った後、母のところに行っておばあちゃんのバカ!って言ったらしくって。
何が!?っていう。母にしてみたら何がなんだけども、それくらいだから子どももいろいろ感じることあって、あえてそういう態度を取ったのかなっていうのを、後で聞くと本当にかわいそうなことをしたなって。それがすっごいつらかったですね。
岸田 ああ、そうなんですね。
折美 だけども看護師さん、看護師さんとかは最初は一緒に涙ぐんで背中さすったりとかしてくれてても、さすがにそれは3回目とかなると、そうでないそうでないって言って笑ってあっち行っちゃうみたいな感じなので。
やっぱり長期入院の患者さん多いから、そういうのがさらっとした対応だったり、たまには歩いて歩いて!体力つけて!って言って背中を押してくれたりとか、いろんな対応してくれる看護師さんたちのおかげですごく病院生活もホッとする部分や楽しい部分もあって。
岸田 そうなんですね。さらっとした対応されたら、もっとサポートしてよとか思わなかったんですね?
折美 いや、なんかね、もうね、もう3回目?最後の抗がん剤だったのに、まだ息子と離れるなんて言ってたら、そうでないそうでないって言われて、逆に三日三晩泣いてやる!って言ってっていうやりとり自体がちょっと楽しくじゃないけど、わざとそういうふうにやってくれてる感じがあったので。
なので、同じような感じで応戦してっていうふうな会話をしたりとか、わざとやってくれてる感じ。
岸田 そういうのだったらね、いい意味で温かい。
折美 すっごい助かりましたね。さらっとした感じがよかった。
岸田 というふうなことですね。そしてメンタル的にも来た時に、それはどうしたんですか?
折美 地元の心療内科に私は心療内科にかかって、息子は児童心理外来に連れてきました。
岸田 そういうのもあるんですね?
折美 あるんです。
岸田 メンタルが不安定な時に、ご自身は地元の心療内科お子様はそれ専門の?
折美 児童心理。
岸田 それ、行ってみてどうでした?
折美 行ってみて、心療内科は、私の方は原因がはっきりしてるからうつ病でもなんでもないんでしょうがないですよって終わっちゃって…え?って。いや、しょうがなくないから来てるんですけどって思ったんですけど、ここじゃダメか…と思って、でもそういう気持ちを結構友達とかに言ったりしたら、心理カウンセラーさんの友人いるから会ってみない?って言ってくれて、で、わざわざうちまで出張で来てくれて。
で、その人が自分の様子も子どもの様子も全部そのまま受け入れていいんだよって、申し訳ないって思う気持ちも分かるけど、申し訳ないではなくて受け入れて今後どうしていくか、だから怒ってもいいし泣いてもいいし全然いいんだよっていう感じでアドバイスしてくれたんですよね。
で、そこから、あっそうかって多分受け入れてなかった、状況を。子どもに対しても家族に対しても周りに対しても、申し訳ない申し訳ない…って、でも何もできないっていうふうに自分で追い込んでたところが多分あって、それを受け入れなって言われただけで、あっ、そうかって。すると子どものかんしゃくもそうだよねって受け入れられるようになって、うん…そこからですかね。
子どもは子どもで多分その病気の説明したあたりで変わったと思います。児童心理行ってもやっぱり見守りましょうみたいな感じだったので。
岸田 そっかそっか。まずその受け入れるっていったところでね、折美さんも変わっていった。
折美 そうですね。
NK細胞を上げたくて、入院中はとにかく笑っていた
岸田 そういうふうに乗り越えられていったのかなと思います。ありがとうございます。
そして工夫したこと、次工夫したことなんですけれども、入院中でもいいですし退院後でもいいんですけど、こういったところを工夫したなっていうのをもしあれば教えてください。
折美 入院中はアマプラ(AmazonPrimeVideo)とかYouTubeとかで、とにかく笑える面白いものばっかり見てましたね。NK細胞を上げよう!と思って、免疫力上げようって、笑うことは絶対、それ論文でも証明されてるからとにかく面白いものを見てお笑いとかも見てドラえもんの映画とかも見て。
岸田 へー!
折美 希望を持てるじゃないですけど、明るいものばっかり見てましたね。逆にあんまり病気の情報を入院してからは調べてない…かな。
岸田 笑えたりだとか希望の持てるものをいっぱい見ていたと。
折美 (ニンゲン観察バラエティ)モニタリングとかが面白かったですね。
岸田 はいはい、テレビのね、番組のモニタリングでね。
折美 モニタリングが面白かったですね。
岸田 いいですよね!
折美 あとコントとかお笑いとかいろいろ見てました。
岸田 そういうふうに工夫して過ごされて。
折美 入院中はそうしてた。退院後はとにかく感染対策してたので、退院してから2年後くらいにコロナのパンデミックになったけど、全然それより前からコロナ対策と同じことをしてたので、市場にマスクなくなっててもうちにはいっぱいあったし、アルコールもいっぱいあって、そこで困ることはなかったですね。
岸田 そっかそっか。いろいろその感染対策もバッチリしていたと。
折美 してましたしてました。
「いつ私がいなくなっても大丈夫なように」——子どもと始めたお金の勉強
岸田 ありがとうございます。それではですね、次こちらなんですけれども、がんになる前と後で変わったこと、人生観だったりとかそういったところに関わるのかなと思うんですけれども、がんになる前はこんな形を持ってて、がんになった後こう変わったよ、変わらなかったのも全然いいと思うんですけれども、何か折美さんの中で変わったことありますか?
折美 お金に対する考え方は変わりましたね。
岸田 お金!それはなんかちょっと興味深いですね。
折美 検査の仕事をすごい好きだったからよかったけれど、こんな形で全部なくなる・失うっていう、全部失うっていう経験をしたので。もしそれが私じゃなかったら、主人だったらそれこそ生活大変だったわけですよね。って思った時に、そうなっても生活していけるような収入の得方みたいなのをすごい勉強するようになって、それは子どもにも勉強させてるんですよ。
なので、コロナの時にお金の学校っていうのを小学生にやってくれてる、講座をやってるイベントみたいなのがあって、そういうのも子どもに受けさせて、世の中には4つのクワドラントがあってとか。
岸田 はいはい。
折美 で、会社員とか個人事業主っていうのは、自分が働かなければ収入が得られない。だけどBクアドラント・Iクアドラント、投資やビジネスオーナーだと自分が働かなくても働いてくれるものがあるから、そういうものもやっていこう!みたいな講座だったんですよね。
岸田 すごい!もう小学生の時から?
折美 小学生の時に教えて。いつ私が死んでもいいように。
岸田 いやいやいや。
折美 じゃないけど(笑)
岸田 死ぬつもりはないけど、そういう万が一何かあった時にちゃんと知識があればっていうね。
折美 それで、子どもはそれを見て感化されて、俺も株を買いたい!と。
岸田 そうなりますわね、お金に働いてもらうんだ!って言ってね。
折美 で、買わせました!お小遣いで。
岸田 えっ、すごい!めっちゃいい親ですね。いや、すごい、だってそうするとね、その投資した株を持ってる企業さんに、こうなんか見るでしょうし、どういう動向になるのか見るでしょうし、めっちゃいいですね!
折美 なので、ニュースも見るようになったりとか、やっぱりちょっとした影響はあって。で、将来は、本業はまだ決まってないけど副業はこれだなとかそんなこと言ったりしてるので(笑)そういう赤裸々にお金の話して、もちろん自分も働けなくなっても収入が得られるようにって言って、自分も勉強して。で、ブログアフィリエイトとか不動産投資とか。
岸田 すごい!
折美 お金に関する勉強をすごいしました。
岸田 だから、がんになる前はそういったとこをしなかったけど、がんになった後はお金の勉強をしっかり何があってもいいように、うわっ、すご!
折美 っていうのと、やっぱりいつ何があるか分からないっていう経験をしちゃったから、いつ私がいなくなっても大丈夫なようにっていう前提で全部子どもとしゃべってはいます。
岸田 うーん、関わり方も変わったってことですね。
折美 変わりましたね。小学生だろうが、結構赤裸々にお金の話したりとか、あんまり小学生にはしないような話とかも結構してます。
岸田 いや、大事だと思います僕も。絶対今の中学校で一番お金のこと知ってるでしょうね。
折美 どうでしょうね。でもやっぱりどの株買うといいかな?っていうのを友達と相談したんだよとか言うと。
岸田 そんなこと話す中学2年生います?すごいですね、本当ね。(僕は)アニメのことしか考えてなかったな、素晴らしい。
折美 4つぐらい株投資してます。
岸田 ちょっとね、末が…なんて言うの?末を見据えて、すごい未来が明るいというか、すごい楽しみな感じですね。いやーすごい!どうなっていくのか、すごく楽しみな。
折美 自立を目指して。
子どもが自立する日まで——「絶対に死ねない」という思い
岸田 いいと思います。ありがとうございます。そして次こちら、今後の夢や目標とあるんですけれども、やっぱりお子さんの成長といったところになりますかね?どうでしょう。
折美 そこ一択ですよね一、択でもないけど、8割〜9割そこで。やっぱり子どもが自立して、自分で稼いだお金で自分で生活ができるって、本当に私がいなくても生活をできるっていう状況を見届けるまでは絶対に死ねないっていうのは思ってます。
岸田 それ間違いないですね。
折美 そこですね。
岸田 そこに。もちろん完全寛解されていますのでしっかり見届けていただいて、どのようなね、金持ちが爆誕するのかと(笑)そこまでいっぱい見届けていただきたいと思っております。ありがとうございます。
「恩送り」——助けてもらった分を、同じ思いの人へ
岸田 はい、といった中でですね、こちら最後の項目となりました。皆さんに向けてのメッセージということで折美さんにこの言葉をいただいております。

折美 メッセージは恩送りです。入院中やっぱりたくさんの人に助けてもらいました。幼稚園のママ友さんとかに子どもの登園を手伝ってもらったり、習い事に送り迎えしてもらったりとか、先生とかもそうだし、あとは善意の献血してくださった方々のおかげで今私は生きていられるので。
だけど恩返しをしようと思っても、そういうふうに助けてくれた人たちって退院して元気になってくれるのが一番だよって、それが恩返しだよって言って何かを受け取るっていうのを全然しないんですよね。
なので、でも恩返ししなきゃいけないっていう気持ちがモヤモヤってあっても、その気持ちは逆に同じ思いをした人に同じように助けてあげるっていう方に転換してもいいんじゃないかな?って思ってこの言葉を選びました。
なので、こんなことお願いしたら申し訳ないかな?とか闘病中って思ったりするんですけど、どんどんどんどん頼ってほしいと思います。恩送りに変えていけば絶対にそれで消化されていくので、何かつらい時があってもとにかく周りにたくさん頼っていってほしいなと思います。
で、こうやって話しすることも私も恩送りの一つだと思っていて、これは一生続けていくことになるんだろうなと思っているので、ぜひそういう気持ちを持って乗り越えてほしいなって思います。
岸田 ありがとうございます、恩送りということでね。返す人っていうのが、違う方というか今後のこれからの方だったりとかそういった人たちに自分の経験も含めて伝えていただいてお送りしていくということですね。素敵な言葉ありがとうございました。
こういった中でですね、がんノートこれにて終わっていくんですけれど、どうでした?ご出演してみていかがでしたですかね?
折美 まずはやっぱり岸田さんと話できたのがすごい嬉しかったです(笑)
岸田 いやいや、こっちこそです。
折美 10年以上前からずっとブログ読んでて。
岸田 2次元のね、あのもう画面上だったんですけど、今ね、3次元でお会いできてますよね。
折美 その方が、ずーっとこうやってがんノート立ち上げてってとかっていう過程をずっと見てたので、すごいなー!って思って。その中で自分もがんになって、これはお話ししようって思ったので。
岸田 いや〜、本当にありがとうございます。ほんとね、素敵な時間になりました。こちらこそ。もしね、この経験談が今の闘病中の方だったりとかね、ちょっと大変な思いをされている方の何か少しでも浮上するというか、くすっと笑ってもらえるでもなんでもいいんですけど、きっかけになったら嬉しいなということを思っております。
それではこれにてがんノート終了していきたいと思います。皆さん次の動画でまたお会いしましょう。それでは皆さん、バイバーイ。
※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。