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インタビュアー:岸田 / ゲスト:山田

ゲスト紹介|歌手志望から乳腺外科医へ。山田美紀さんのプロフィール

岸田 それでは、がんノートをスタートしていきたいと思います。今日のゲストは山田先生です、よろしくお願いします。

山田 よろしくお願いします。

岸田 お願いします!山田先生というからにはそうです、お医者さんでございます。山田先生、簡単に自己紹介お願いできますでしょうか?

山田 私、山田美紀と申します。出身は東京都で今も東京都に住んでいる35歳です。家族は夫と子ども2人がいます。仕事は乳腺外科の医師をしております。趣味は歌、旅行、絵画鑑賞、読書などです。

岸田 医師などそういったところはまた後でもちょっと触れていこうと思うんですけれども、趣味のところ多趣味な感じでいろんなことされているんですけど、この中で歌ってあるんですけど、歌はこれは聞く方?歌う方?

山田 歌う方ですね。

岸田 歌う方?浜辺で…。

山田 もっとインドアな感じで。中学の時からボイストレーニングに通っていて。

岸田 えっ、すごいガチじゃないですか。

山田 その時は歌手になりたいという夢があったんです、当時は。

岸田 ガチや!!

山田 ボイストレーニングに通ってバンドに憧れて、高校からバンドを組んで、インドアにライブハウスとかで歌っていたり、カラオケとかよりは人前で歌いたいという気持ちがありました。今はなかなかできていない…。

岸田 そうですね、医師もされてますしね、そっか。

山田 いつかしたいですね!

岸田 そういうね、ガチの方の歌ってことですね。ちなみにどんな歌歌われるんですか?

山田 その時は本当にパンクロックとかのコピーバンドとかをしていたんですけど、これからはジャズとか挑戦したいですけどね!ちょっとしっとりいきたい。

岸田 しっとりなかなか、しっとりいくのはもっと先だと思いますけどね。そんなね、多趣味な山田先生。そしてちょっとがんのことについても少しお話しいただけますか?

山田 24歳の時ですね、乳がんを発症して治療を受けました。手術の治療とあとはホルモン療法を5年間ということを治療として行って、今も10年以上経っているので経過観察中で再発なく無事生きております。

岸田 ということですね、ありがとうございます。後でもちょっとがんのことは詳しくお話聞くんですけど、ルミナールAステージ0ってありますけど、ちょっとここのタイプ的なことを教えてもらってもいいですか?

山田 わかりました。ステージ0っていうのが私自分の専門なのでちょっと専門用語出てきたら申し訳ないんですけれども、乳がんって乳管っていうミルクの通り道ですね、そこから発生するんですけど、ステージ0っていうのがその乳管の中だけにとどまっている本当にもうごくごく早期のがんです。なので、乳管の外に出なければリンパ管とか血管とかそういったところにがんがいかないので、基本的には他の臓器に転移するとかそういったことがない段階です。ルミナールAというのが今ちょっとなかなかこの表現はちょっと死語になりつつ実はあるんですけれども、乳がんはホルモン受容体といって女性ホルモンを餌に乳がんが育っていくタイプのものがあって、その女性ホルモンであるエストロゲンとプロゲステロン、こういった女性ホルモンの受容体ががん細胞に陽性であった場合このタイプで。このタイプの場合は、ホルモン療法が有効というふうに言われています。

ペイシェントジャーニー|19歳から35歳まで、山あり谷ありの16年

岸田 というタイプということみたいでございますので、またね闘病のところでまた詳しくお話を聞いていきたいなということを思っています。それではですね、ちょっとここからペイシェントジャーニーの話に入っていくんですけど、ここから闘病経験談に入っていきますが、あくまでも個人の経験談でございますので、特定な治療とか薬とかを推奨しているわけではございませんよといったところをですね、お話しさせていただきつつ、経過や感情の浮き沈みなどをですね、グラフで表させていただいております。グラフがこちらになります、ドン!すごい!ちょっとね、山あり谷ありな。

山田 そうですね(笑)こう見るとそうですね。

岸田 19歳から始まって、今35歳ですけどそういったところまでお話を書いてくださっているという形になりますが、まず、はい、こちら、医学部に入学していく。そうですよね。

山田 医師を目指して19歳の時に医学部に無事入学して、ここから医師を目指すために勉強していくという、まあハッピーな、無事にほっとできたという感じですかね。

岸田 まず初めから医学部を目指されていたんですか?頭が良かったから自動的に医学部に行った感じですか?

山田 いや、実は違ったんですけれども、もともとは歌手になりたいとか言っているぐらいなので大学にも行くもんかと思ってたぐらいなんですけれども、他の大学に最初入ったんですけれども、途中でやっぱり医師を目指したいって思い大学を変えたんです(笑)

岸田 ええっ!?

山田 そうなんです…実は。

岸田 編入?

山田 もう1年生からもう一度受験をやり直して、仮面…。

岸田 浪人してたってこと?

山田 仮面浪人ですね、はい。

岸田 その、医学部受験し直そうと思ったきっかけは何なんですか?

山田 きっかけは、やっぱり医者っていう仕事が実は両親だったり祖父が医師だったのもあって身近ではあったんですけれども、医師になる自覚がないとそもそも医学部に行っちゃいけないと思ってたので、あまり最初は行く気がなくて。ただ、やっぱりどんな時にでも人のためになる、災害時とかでも有事でも人のために働ける仕事って考えた時に、医師を目指したいという気持ちになったのと。あと、大きなきっかけは、ずっと医師をやってた祖父が病気になって亡くなってっていうところがあって、やっぱりそれが心動かされた、行動に至ったきっかけですかね。

岸田 そっか。

山田 歌手から医師へって全然違う(笑)

岸田 そうですよね〜。そうだったんですね!医師を目指されていく。それでね、医学部に普通に入れる山田先生のすごさっていうのはありますけどね。

山田 大変でしたね。

20歳、下着についた血——しこりの発見と最初の生検

岸田 大変ですよね、仮面浪人しながらということね。特にまあね、このね、この話だけで全部もう1時間ぐらいいけそうなんですけども(笑)がんの経験談がメインですので、ちょっと次聞かせていただきます。その中で、次こちらですね、乳頭血性分泌。

山田 これは20歳の時に自分の下着が血がついてるっていうのに気がついて、まあ簡単にくだけた言い方だと乳首から血が出てるってことなんですけれども、それで、あれおかしいな?と思って乳房を触れてみるとしこりがあって。もしやこれはって調べると、もう調べれば調べるほど乳がんなんじゃないか?っていう。これが20歳の時でしたね。

岸田 どっち左・右で言うと?

山田 右でした。

岸田 右で乳頭のところに、下着に血がついているということを気づいて、しこりはどこらへんにあるんですか?

山田 しこりはちょっと上の方にありましたね。

岸田 上の方。

山田 ちょっと離れたところですね。

岸田 離れたところに、しこりがコリコリみたいな。

山田 コリコリと触れて。

岸田 なんかよく医療者の方でしこりを何かに例えたりとかするじゃないですか。山田先生何で例える派なんですか?

山田 (笑)なんかゴムみたいな感じ、ゴムボール、なんかスーパーボールが中に入っているみたいな。

岸田 あれってごめんなさい、先生だから普通に聞いてるんですけど、なんか動くやつだとどうたらこうたら、動かないとどうたらこうたらって。

山田 そこが本当におっしゃるとおり重要なポイントで、やっぱり悪いものを疑うのは動きが悪い。がんだと周りの組織を浸食していくように大きくなっていくので、周りの脂肪だとか他の組織にガチっとくっついて動きが悪くなってくる。逆に良性のしこりだと、指で触るとクリンクリンって逃げていくようなそんな触れ方がします。100%ではないですけれども傾向としてはあります。

岸田 傾向としてそういったところもあるということで、視聴者の皆さんももし気になることがあったらちょっと触ってみてもらえたらと思うんですけれども、そのしこりにも気がついていったとね。で、ただそこからちょっとまだ上がっています、気がついた後こちら、病院に行かれるんですね?

山田 そうですね。これは都立駒込病院に受診して、で、いろいろな検査をしたんですけれども診断がつかず、もうそのしこりを生検手術で取ろうっていうふうになりました。で、一泊入院して取って、取った結果がんという診断ではなかったんですよね。その時は、ただ結構グレー、がんの可能性もあるけれども、乳管内乳頭腫という良性の腫瘍の可能性が高いという。これも生検も100%の診断というわけではないので、そこではがんの診断はなかったので経過観察していきましょうというふうになりました。

岸田 おお。この生検はどういう生検なんですか?切るのか、それともなんかでっかい注射のやつを刺されるやつなのか?

山田 刺して分からなかったので、もう切ってしこりの真上のところ、2センチぐらいの傷がついて取ってっていう。

岸田 まだ若いから嫌とかなかったですか?仕方ないなっていう感じですか?

山田 そうですね、あまりその時はもう本当に心配の方が大きかったので、全然ちゅうちょなく切ってくださいというふうな形で。

岸田 その時に見てみたら、悪いものではなかったということですね。

山田 そうですね。

経過観察の4年間と、突然の石灰化

岸田 そんな中で経過観察に入っていく、しかも学生生活もエンジョイされていくということで。

山田 そうですね、通院も半年に1回とかだったのでほぼ胸のことを思い出すのは通院の時だけで、楽しく!楽しく!

岸田 医学部生活を。

山田 部活したり旅行したり、いわゆる普通の学生生活を楽しんでいました。病気のことは考えてなかったですね。

岸田 部活何入ってたんですか?

山田 部活はバレーボールをやってた。

岸田 そこでは音楽は行かないんですね。

山田 バンドをちょっと外でやったりとかしましたね、大学の外でやったり。

岸田 エンジョイされていって、そしてちょっと下がっていきます、それがこちら、しこりが大きく増えてきた。これがもう最初の時から2年後?4年後か?

山田 そうですね、4年後ですね。ずっと通院していて、石灰化としこりがある部分が突然広がっていて。

岸田 石灰化って何ですか?

山田 石灰化というのが、乳房、マンモグラフィーという検査があるんですけれど、それで撮るとこう白い光る砂みたいなものが映ってくるんです。石灰化ってただのカルシウムの沈着なんですけど、形とか分布の仕方によってはがんが疑わしいことがあって。がんが疑わしい、検診とかでもカテゴリー5と言われるような石灰化があって、それを突然もう変わったんですよね、主治医の先生の表情。いつもこうフランクな感じなんですけど、ちょっと声のトーンがいつもと変わって、ちょっとこれは追加の検査しようかというふうに言われて、そこからバクバクバクバクって心臓が…。

岸田 ドキドキして、そしていやちょっとこれやばいなというふうなことがあって。そしてその後に、がんの告知を受けていくと。

ステージ0の告知——「世界が変わった」一人で受けた瞬間

山田 そうですね。この時は生検は針で刺す、マンモトーム生検という、手術で取るんじゃなくて針の検査でステージ0の非浸潤性乳管がんという診断がつきましたね。

岸田 この告知された時、これはもう病院は一緒?

山田 病院は一緒ですね、ずっと生検を受けた病院で。

岸田 告知を受けていって、それはその時の心境ね、結構一番下がってるんじゃないかぐらいのところですけどね。

山田 そうですね、ちょっとまあまさかっていう。経過観察でもずっと大丈夫だったし、一回生検してるし、まさかこれががんだとは思っていなかったのもあり。あと一人でこの告知を受けたんですけれども、どうしたらいいんだろうと。この時は真っ白になりましたね、本当に何ももう考えられない、何を…なんかもう本当に世界が変わったような感じで。まだ学生だったので、親にどうやって伝えようとか、その時の彼氏に、今の主人ですけどどうやって伝えようとか、これから卒業できるのかな、医者になれるのかな、結婚できるのかな出産できるのかなって。もう突然ステージ0と言われても死を連想してしまって、未来が突然見えなく…、白紙に戻ったっていうのは今でも鮮明に覚えている感覚ですね。

岸田 そっか、この時ご家族呼んでくださいじゃなくて自分で告知を受けたんですね。

山田 そうですね、一応成人はしてたし医学部生だからっていうのもあったかもしれないですね。

セカンドオピニオンという選択——「ステージ0なのに全摘?」

岸田 告知を受けた後こうなっていきます、セカンドオピニオン…ほう。

山田 そうですね、これは最初にその診断を受けた病院ではいわゆる乳頭、乳首とかも取る全切除を勧められたんですね。で、画像からも自分で部分切除が難しいってことは、自分でも分かってるんですけど、やっぱりちょっと突然嫁入り前なのに胸をなくすのかって思って抵抗があり。自分の大学の乳腺外科の先生にちょうど授業とかで会う機会があったので、私乳がんになっちゃったんですけど、セカンドオピニオンというか勝手に相談してるんですけど(笑)

岸田 そうね、先生にね(笑)

山田 授業の時にこう相談して、じゃあ画像持ってきなよみたいな感じで言われて、分かりましたって言って。それで主治医の先生にお願いしていろいろデータとかを準備してもらって、自分の大学のカンファレンスで検討してもらいました。

岸田 これね、一般の方はなかなか。

山田 なかなかないルートだと思う。

岸田 医療者あるあるというかね、先生だからっていったところであるかもしれないと思うんですけれども。そこで自分の、ちょっとイメージはつかないんですけど、だってステージ0ですよね?そこまで浸潤してないってことですよね?入り込んでないってやつですよね。なのに全摘なんですか?

山田 そうなんです。ステージ0はよくあるんですけれども、ステージ0だからといって、乳管の中をがんがはっていくんですけれども、そうすると結構範囲が広くなってしまうことが多々あって。患者さんもよく驚かれます、ステージ0なのに全摘しなきゃいけないんですか?って。がんがいるところはやっぱり取らなきゃいけなくて、ステージ0だとその分クモの巣状にはっていったがんを取らなきゃいけない範囲っていうのが広くなっちゃうことが多くって、自分もそのパターンで。ただしこりを作っているというよりかは、しこりを触れる部分はほとんどないけど。

岸田 はっていっているんですよね?

山田 そうなんです、はい。そうなんです。

岸田 だから、ステージ0だから部分摘出でいいというわけじゃない。

山田 そうなんです。

全摘と乳房再建、そしてシンガポール留学

岸田 勉強になります。大学病院の先生に診てもらってというふうな感じで診てもらいました。その後に手術を受けられていくというふうな感じなんですが、そのセカンドオピニオン的にはどうなったんですか?

山田 そうですね、セカンドオピニオンで全摘は免れないけれども、乳頭・乳輪を温存することができたら見た目も良くなるから残すことができると思うよというふうに言ってもらえて。あっ、じゃあちょっとそれでお願いしますということで転院しました。病院を変えて自分の大学の先生に、その先生に手術していただくことに、よろしくお願いしますというふうな感じで。あと同時に乳房再建もしてもらうことになります、こちらは形成外科という診療科で同時に。

岸田 同時に?シリコンブレストインプラント再建というやつですね。

山田 そうですね。

岸田 これ同時に?

山田 同時にすることを、よくあります。

岸田 よくあります?これは。

山田 同時にすると手術回数も少ないし、あとはいろんな、お腹とか背中の肉を移植するという再建方法もあるんですけど、当時ちょうどこのシリコンをただ大胸筋の下に入れるだけなんですけど、それが保険適用になったところで。

岸田 そうなんですね。

山田 なったので、手術時間もそんなにプラス1〜2時間くらいで済むし傷も他にも増えないし。あとは早期の乳がんだから、同時に乳房再建するリスクとかもそこまでないだろうということで勧められましたね。これはもう先生から勧められて。

岸田 これって、再建するのもインプラント入れる派の人と自分のお肉を持ってくる派の人とかいらっしゃらない?そんなことない?

山田 あっ、います。その方のお胸の形とか、あとはどれだけ体の状態にもよるし、あとは傷が他のところにつくのがどうかとか、手術他のところから持ってくるともう本当に1日がかりの大手術にもなるので。自分の場合は、もうインプラントの話しかされなかったです。胸が小さいから大丈夫って言われた

岸田 胸が…いやいや(笑)僕もどう反応していいか分からないですけど(笑)

山田 そもそもインプラントするかしないかっていうところで、しなくても分かんないんじゃないかぐらいのテンションで言われてます。でも医者になるからには、ちょっとその手術も経験した上で患者さんに自分がして、したどんだけ痛みがあるのかとかして良かったのか、メリット・デメリットとかも自分で体験することで伝えられることもあるんじゃないかなっていう気持ちで受けました。自分的にはどっちでも、確かにそのままなくなっても乳頭・乳輪だけ残ってればそんなわかんないかもなって思っちゃったりもしたんですけど、それが決め手でした。

岸田 これ本当に山田先生は医療者だからちょっと聞きたいんですけど、この乳頭と乳輪を残せる場合と残せない場合どちらももちろんあって、やっぱりそれは病院の方針というか術式の方針もあるし、あと先生の腕前って言い方変だけど。

山田 そこも結構左右されるところだと思いますね。ちょっと難しい手術にはなるので。

岸田 ですよね?しながらだったら、ちょっとまた切り口とか変わってくるってことですよね。

山田 ちょっと難易度が上がる手術なので、病院や担当の先生によっては勧めなかったり。あと、がんが乳首に近いかとかどれだけ近いかとかで、明確な基準とかがあるわけじゃないので。

岸田 そうですよね。だから、またリスクとしては残すがゆえに、取り切れない部分ももしかしたらあるかもしれない。

山田 再発のリスクは多少上がりますね。

岸田 そこら辺を加味してということですね。

山田 そうですね。

岸田 なので、山田先生はそこを気にされてセカンドオピニオンを受けられて、それで手術で乳頭や乳輪を残されていったという感じですね。リンパ節生検という近くのリンパもちょっと取られていってということですよね。

山田 そうですね。

岸田 という形でした。その後ですね、こちら、シンガポールへ。

山田 短期留学。これはもともと予定していて、8月の夏休みに学生だったので、夏休みにこっそりと自分の大学だったのでみんなに気づかれないように手術を受けて、もともと9月にシンガポールに短期留学する予定だったんですけど。

岸田 医療のことを学ぶために?

山田 そうですね、病院実習みたいなのがあって。それをもうがん告知からの時にも決まってたんですけども、あきらめようとしてて。自分はもう行けないとすごいヘコんでいたんですけれども。その時に手術をしてくれた主治医の先生が、もう行きなさいって言って、そんなことであきらめることじゃないよっていうふうに背中を押してくれて、行ってよかったなって思った経験です。本当あきらめないで、キャンセルしなくてよかったなって思いましたね。

ホルモン療法の開始と、副作用のなかの国家試験

岸田 そんな中で、ホルモン療法もこの時期にスタートされていくと。

山田 そうですね。帰ってきたら始めようということで、シンガポールから帰ってきてから、手術から1ヶ月半ぐらいのところですかね、ホルモン療法。

岸田 お薬飲むやつですかね?

山田 お薬飲むやつですね。

岸田 毎日。

山田 タモキシフェンっていうお薬を1日1回飲んで。

岸田 ホルモンを抑えるってこと?

山田 そこも説明し始めるとちょっとあれなんですけど、いいんですかね?専門的なやつ。

岸田 一応簡単に、すみません、お願いします。ホルモンどうするんですか?

山田 この薬に関しては、がんが女性ホルモンを餌に食べて大きくなっていくっていうのを、この薬はその女性ホルモンのふりをしてがんに食べさせて、実際はがんは女性ホルモンを食べてないから。

岸田 そういうやつなんですね。

山田 他の薬では女性ホルモンの値を下げるっていうものもあるんですけど。

岸田 めっちゃわかりやすいです!それで言うと!

山田 そういう効き方をするお薬なんで、体の中で女性ホルモンが保たれてるんですよね。

岸田 そうなんですね、うわ知らんかった…。

山田 そういうものもあります。

岸田 めっちゃ分かりやすかったです、ありがとうございます。で、そのねお薬をされていってその後ですね、副作用と受験勉強っていったところで、どんな副作用が出たんですか?

山田 そうですね、抗がん剤とかのわけじゃないので副作用は比較的軽いと思うんですけれども、つらかったのはやっぱりホットフラッシュですね。冬でも暑くてずっと半袖でいるくらい暑いのと、やっぱりあとはちょっと疲れ・倦怠感、なんとなくだるいみたいな症状があって、それとギリギリまで勉強を先延ばしにしてたのが悪いんですけど追い詰められるっていう。

岸田 この受験勉強は医師資格を取るための?

山田 医師国家試験のための勉強ですね。

岸田 そうなんですね。受験勉強に追いやられていったと。

山田 そうですね。

研修医、進路の迷い、そして結婚

岸田 副作用がありつつ。そして、その後に晴れて研修医になられたと。

山田 よかったー!って。

岸田 っていうことですね!受験勉強を医師資格を合格したら、研修医スタートは自分の行っている病院でスタートしていくんです?

山田 これはもう自分が、マッチングシステムみたいな就職活動みたいなのをして、そうなんです、私ももう全然違う栃木の病院で武者修行をしようということで、そこで研修医をスタートしました。

岸田 研修院をスタートしていって、行く中で結構進路に悩まれていくと。

山田 そうですね、卒業式の時にみんなの前でマイクを持って、私は乳腺外科医になりますというふうに宣言して卒業したんですけど。乳腺外科医を目指して研修医をスタートした…ですが、乳がんの患者さんとまだ自分が治療しながら接しているとやっぱり自分ごとになってしまって。結構ヘコんでしまったりとか、患者さんが再発したとか本当に緩和ケアに完全に移行した方とかそういった方を診察してたりすると、メンタルに結構ダメージが、まだウブだったのでコントロールが難しくて、いやー、どうしよう私にできるかな。ただ外科手術だとかは、これは自分に向いてるなと思ってたんですけど、そのメンタルのところで自分が経験してることをプラスに活かせる気がしなかったっていうところもあって、この時そうなんです、すごい悩んでましたね。

岸田 しかもあれなんですね、内科じゃなくて外科なんですね?

山田 そうですね、日本だと乳腺外科っていう診療科が乳がんに関しては内科治療も外科治療も全部担当するという病院がほとんどなんです。がんセンターとか大きい病院だと腫瘍内科という診療科があるからそこで内科治療を行うんですけど。

岸田 ああじゃあ、もう乳がんを診たいとなったら。

山田 もう外科。

岸田 乳腺外科といったところでということですね?

山田 そこがまだメジャーですかね

岸田 そういうふうに行くのか違うところに行くのか、メンタル的に悩んでいくと…。ただその後ですね、ご結婚されて!といったところで。

山田 そうですね、研修医終わる頃にずっとお付き合いしていた方と結婚したという。

形成外科医から乳腺外科医へ——回り道のうえの決断

岸田 これまた後にお伺いしていきたいと思います、結婚されていって。そしてその後ですね、形成外科医に!?

山田 形成外科医に最初はなりました。そうなんです。やっぱり悩んでて、ただ手術はすごい好きだし向いてるし、自分が乳房再建を受けた、乳房再建してくれたのは形成外科の先生なので、どうしても乳がん患者さんには携わりたい、乳がん診療には携わりたいけども、あまり近いっていうところがちょっとまだ怖かったっていうのもあって。乳房再建に従事することで、乳がん患者さんのために自分は働けるんじゃないかということで最初は形成外科医として1年間。

岸田 そうなんですね、形成外科医として。この病院はまた違う病院?

山田 また違う病院です、点々としてますね。

岸田 点々と形成外科医として乳房再建をしていく側になっていったと。インプラントを入れる側になっていったということですね?

山田 そうですね。

岸田 その後ですね、乳腺外科医!

山田 やっぱり、あの形成外科医として乳がん患者さんに接していると、本当にもう再建をしている、本当にちょっとの期間しか携われないし、やっぱり自分は主治医ではないから乳がん患者さんを包括的にも、全体的に関わるということがやっぱりなかなか難しくて、すごいもどかしい気持ちになっていたっていうのがあって。早々に、私はやっぱり乳腺外科医になりたいんだって気持ちを捨てきれず、診療科を当初の目標通り乳腺外科医になると決めて1年で。

岸田 その病院の中で?また病院を変えて乳腺外科のところで。1回別のところでやっぱり景色を見たからこそ。

山田 そうですね、もう迷いなくですね、ここは。1回経たからこそ迷いはなかった。

岸田 その後はメンタル面はどう、大丈夫になったんですか?

山田 そうですね、やっぱり徐々に医師としても3年4年って経ってくるとだいたい自分のこともコントロールできるようになってくるし、いろいろな経験によってやっぱり落ち着いてきたっていうのもありますかね。今取り乱すことはもうないです。ちゃんとご安心ください(笑)

ホルモン療法終了、遺伝子検査をめぐる「家出」

岸田 ただ気持ちには寄り添ってくださる、山田先生かと思います。そして、その後ちょっと上がっていきますが、ホルモン療法終了していくということで。

山田 そうですね、5年間というふうに最初から言われていて、そこまで再発は特になく5年間の予定通り内服終了。

岸田 という感じ。今って10年じゃないですっけ、気のせい?

山田 今は10年が推奨されてますが、ステージ0なので、そもそも今でも10年飲むことはないと思います。

岸田 そうなんですね、ステージによってその5年か10年か。

山田 そうですね、リスクによって変わってきますね。

岸田 ホルモン療法がようやく終わっていってということで、ホットフラッシュとか悩まされなくなるようになっていって。ただ、そこからガクンとがん告知レベルで下がっていくのが1個あります、それがこちら、身内に遺伝子検査を勧められ…、そして…家出!?

山田 子どもか?って(笑)思春期の子どもみたいなことをしてるんですけど(笑)

岸田 ここをちょっと伺ってもいいですか?

山田 そうですね、ホルモン療法をしている間はどうしても結婚していても妊娠とか考えることは難しいので、やっとホルモン療法が終わったところで私も子どもが欲しいなというふうに思っていて。そこでちょうどまあこのあたり、2020年ですかね、乳がんってなりやすい遺伝子でBRCA遺伝子っていうものがあるんですけれども、その遺伝子の検査が該当者は保険適用で受けることができるっていうので結構ニュースでも取り上げられるようになって、それで見て遺伝子検査、子どもを産む前にしたらどう?みたいな話が出て、えっ?ってなって…。それによって子どもを産むとか産まないとか変わってくるの?っていうので、心底傷つき…なかなか。私の気持ちわからない?乳がんになった人って生まれてきちゃダメなの?とか、いろいろ私の中では思考がぐるぐる回り、取った行動が”家出”っていうのが。とりあえずスッと静かに家出して、数日後にいないこと気づかれたんですけど。医者だと当直とかあるので、当直なのか家出なのか気づいてもらえなくて。多分2,3日後にあれいないぞ!?って気づかれてやっと探される感じだったんですけど(笑)

岸田 そっか、ということは身内ってパートナーなのか。

山田 まあそうです。

岸田 子どもをどう考えるってときに、まず検査したらっていうことを言われて。その検査いかんで変わってくる。そんなね。

山田 そうみたいな、そうなんです。

岸田 そっかあ。

山田 私は、まあ保険適用じゃない時からも、最初にがん告知の時点で主治医からこういう遺伝子検査があるよって。ただ当時は20万する検査だよって言われてたので、受けません!って言ってたんですけども、保険適用になったっていうので話題になり。まあ…自分にとってやっぱり遺伝子検査ってなると家族にも、自分の血のつながった家族にも関わってくることになるし、今その検査を受けることで私の行動が変わるかって言うとそうではなかったので、もう受けない!って言って。

岸田 それで家出して(家に)、戻ったんですか?最終的には(家に)戻ったんですよね?

山田 あっ(家に)戻ったんです。ちょうど緊急事態宣言とかで(笑)外的圧力でほっつき歩いてるわけにはいかないし、医療従事者だし、やっぱりなんかうろちょろして何か周りに迷惑をかけてはいけないっていうのもあり、戻って、戻りましたお家に。そしたら、まあなんかその話はなあなあになって、受けないという宣言をし、まあ家にいるようになってそのまま。

岸田 そのままっていう形になったんですね。

山田 はい、なりました。

出産、そして手術から10年の現在

岸田 そうですね、よかったよかった、で、そんな中妊娠をされていくということでね、はい、妊娠をされていって、お子さんがお二人。

山田 そうですね。二人無事、本当にラッキーでした。

岸田 で、ご出産を経験され、そして今は手術から10年経っていってということですね。このようなね、ペイシェントジャーニーの流れでしたけどね、山田先生から見ても結構作ってみてどうですか?

山田 そうですね、こういうふうにちゃんと振り返ったことがなかったので、結構波が落ち着きないなって、こう見ると(笑)でもすごい振り返り、すごいいい振り返りがこの機会をいただけて岸田さんには大感謝です。ありがとうございます。

病院や治療の選択|セカンドオピニオンは「どんどん言ってほしい」

岸田 ここからね、ちょっといろいろ様々皆さん経験談を各項目に分けてちょっとお伺いを深掘りしていくということになっております。特にね恋愛面(笑)そんな中でちょっとまず初めにお伺いしていきたいのが、まずこちらになります。病院や治療の選択といたしまして、最初ね、行ったところが都立駒込病院だったということをお伺いしましたけれども、それは何で行ったんですか?

山田 そうですね、最初その乳がんかもしれないと思った時に何科にかかればいいのかも医学部生なのに分からなくて、最初婦人科なのかなって思ってたら婦人科では乳房は診ませんって言われて、どうしようって思って家族に相談して、家族の知り合いの知り合いぐらいで都立駒込の先生を知ってるということで、それで受診するというふうになりました。近所だったので、通院ということも考えてもいいかなと。

岸田 そこでその後、自分の手術方針とかいろいろあって、セカンドオピニオンで自分の病院ということですよね。自分の病院の先生に診てもらってといったところ。それはもう、結構安心感的なところは結構ありました?やっぱり自分の知っている病院だっていうことで

山田 そうですね、駒込病院の先生も自分の大学の主治医の先生もすごい親身になってちゃんと話してくださる先生で、本当に恵まれたなと思います。すごい信頼できる先生。

岸田 今ね、先生もご存知のSDMっていう、シェアード・ディシジョン・メイキングっていうふうな、一緒にね、今インフォームド・コンセントみたいな形で一方的に受けて同意するじゃなくて、お互いね、先生からの話があって自分もこうしたいっていう話をね、やりとりを通じて決めていくっていうふうな流れになっていると思いますけど。当時はどうでした?

山田 当時は、あまりそのシェアード・ディシジョン・メイキングってあんまり言われてなかったと思うんですけど、今振り返ってみるとさすが!ちゃんと話を聞いてくれる。すごい待ち時間はそりゃすごいですけれども、ちゃんと一人一人の患者さんの話を聞いてくださる先生だったので、治療方針を決めるにあたっては悔いはない。

岸田 おお。セカンドオピニオンを受けたいですみたいなことを言う時に、ちょっと勇気がいったりする患者さんたちもいると思うんですよね。そこはもう大丈夫?

山田 そうですね。今も自分も乳腺外科になったのでその先生と会うこともあったりして、交流もあったりもするので。

岸田 気まずくない?

山田 気まずくないですね、飲み交わすこともたまにあったりもあるので。

岸田 逆にちょっと患者さんが見てくださっていると思うのでちょっと聞きたいんですけど、先生が今医師の立場としてセカンドオピニオンを受けたいですとか言われたときに嫌な気持ちとかになる?

山田 全くならないです

岸田 全くならない?

山田 全くならないです。むしろどんどん言っていただいて、ああすればよかったっていうふうに思わないでいただきたいので、どんどんやっぱりいろんな病院や医師によって意見が違うところもあると思うので、実際いろんな先生の話を聞いて納得した選択をしてほしいです。それを後でこうすればよかったって聞くよりは、もうそこはためらわずに。あんまりいないと思います、それを嫌な顔する先生っていうのは。

岸田 まあね、まぁもし嫌な顔する先生がいらっしゃったら、その先生あんまり良くない…っていう感じかもしれないというふうにね。積極的にちゃんとね、悔いがないようにしていただきたいという。

山田 ぜひお願いしてください。

副作用や後遺症|インプラント再建後の体の実感と、リコールへの不安

岸田 ありがとうございます。そして次こちらですね、副作用や後遺症のことといたしまして、先ほどホルモン療法でホットフラッシュというお話をいただいたりだとかしましたけれども、それ以外だったりとかすると、後遺症どうなんですか?今。インプラント入れてみてだったりとか手術とか。

山田 そうですね、やっぱりインプラントって大胸筋を、ちょっと表現あれですけど剥がしてその下にインプラントとか人工物を入れるので、やっぱり違和感は少しあります。やっぱり動かしたりする時に突っ張ったりすることとか痛みが出ることとか。でも本当にたまになので、そうですね、私の場合は幸いあまり気にせずに生活はできてます。やっぱり違和感はあるし、手術をした傷ってたまにうずくことってありますよね、どうしても。

岸田 やっぱ、その異物がある的な感覚はある?

山田 ありますね、ずっとありますね。あとはやっぱり感覚がないですね。

岸田 感覚がない?

山田 あまり手術をした胸の感覚が鈍いです。

岸田 触ってもちょっと鈍いってことですね。

山田 あとは冷たいですね。

岸田 はぁ、そっか。

山田 他のお肉を移植して再建された方は診察の時とかでも血が通っている組織があるので暖かいんですけれども、人工物で再建した胸はいつでも冷たい感じですね。やっぱり人工物っていう違和感はあるかもしれないです。

岸田 人工物で思い出したんですけど、なんかエキスパンダーってやつですっけ?

山田 エキスパンダーあります。

岸田 エキスパンダーじゃないのか、普通にシリコンか。

山田 最終的にそうですね。

岸田 エキスパンダーってやつを入れて徐々に膨らまして?

山田 そうです、エキスパンダーを入れて皮膚を伸ばして膨らまして、後日手術でインプラントに入れ替える。

岸田 っていう方法もあるんですよね。

山田 そうですね、はい。

岸田 先生の場合は同時再検だから直接?

山田 同時に入れる方法で。

岸田 これって、最終的に何年後かに取り替えなあかんとかっていうのはあるんですか、もう一生入れてて大丈夫?

山田 半永久的なんですけれども、10年っていうふうに言われていたりとか。あとは今私に入っているインプラントって。

岸田 まさか!?

山田 そうなんです、リコールになった、そうなんですアラガンの悪性リンパ腫になるかも

岸田 かもっていう報告ね。

山田 まれなんですけれども、そういう報告があって…というものが入っているので、ちょっとドキドキしながら。その時に入れ替えるのかどうか、何か問題があってからでわざわざ取ったりとかは考えてはないんですけれども。そう、それなんですね。

岸田 あのニュースそうですよね、入れているものがリンパ腫の可能性があるとか見た時に、結構マジで!?と思いました?

山田 思いましたね…思いました、本当に…。

岸田 ですよね。

山田 その時、そんなこともう考えてなかったので。

岸田 今のやつはね、今のは大丈夫なやつに変わっている。

山田 今は保険適用で使えるものは、またものが変わっているので。

岸田 じゃあ先生もそのタイミングが来たら、変えるかどうかも含めて。

山田 そうですね、メーカーとしては10年とかそのぐらいで交換、それまでは保証しそれ以降は何が起こるか分からないというふうに言っていたりします。

岸田 今のとこはわざわざ変えようとは今は思わない?

山田 そうですね。定期検診はもちろん行ってます。行ってください。

岸田 ありがとうございます、そんな形ですかね。他に副作用・後遺症とかで大変なことって大丈夫ですかね?

山田 そうですね、治療による後遺症は何とか大丈夫ですね。

妊よう性のこと|ホルモン療法と妊娠、当時受けた説明

岸田 そしてその次こちら、妊よう性のことについてちょっとお伺いをしていきたいんですけれども、これも治療の選択だったりとか治療する際にホルモン療法といったところもあって、お話とかは医療者からありましたか?妊よう性子どもを作る能力のことを指すんですけれども

山田 当時はまだ24歳で結婚もしていなくてというところで、抗がん剤とかも必要ないタイプだったので、簡単なお話としてホルモン療法をしている間は妊娠ができないよっていうことと、あとまあそれが体から抜けるまではちょっと妊娠はちょっと待っててねってということだけ言われていました。

岸田 温存とか?

山田 温存とかまでははい。それでホルモン療法だけの場合は、まあ年齢が経つとね、妊よう性は落ちるけども、ホルモン療法のせいによって落ちるわけではないというふうには説明を受けています。

岸田 そうか、じゃあホルモン療法終わってからそういったところは考えようみたいな形で。

山田 卵子凍結とかそういったことは、特に、そこまでの話とかも出ないしあまり考えていなかったです。

恋愛や結婚のこと|「LINEで一文」から始まった、パートナーへの告白

岸田 というわけですね。そしてその中でなんですけれども、ちょっとそこにも関わってくるんですけれども恋愛や結婚のところといたしまして。ここね、先ほどね、家出したイメージがめちゃくちゃあるんですけど(笑)その前のお付き合いしていたところからというところで、がん告知された時にもお付き合いされた方がいらっしゃって、その時にどう言おうかみたいなことをさっきおっしゃってましたけれども。どう伝えたんですか?

山田 そうですね、もうLINEでがんって言われたっていうふうに、その一文だけを送りました。

岸田 パートナーの方、当時医学生っていうことですね

山田 そうですね、パートナーも医学生だったので理解は早いかなと思ってそれだけを伝えて。

岸田 どう返ってきたんですか?

山田 それで、その後すぐに会って、で、もう話を聞いてくれて、包み隠さず全部ぶつける感じでしたね。

岸田 そっかそっか、もちろん理解はしてくれて

山田 そうですね、理解はしてくれて。やっぱりショックとか受けたとは思うんですけれども、すごい冷静に聞いてくれて。がんになったからといって別れるとかって、そういう話までにはきっといかない相手かなっていうふうに思って、もうありのままを淡々とぶつけてっていう感じだったと思います。多分、頭真っ白だったから何を言ったかはちょっともう、いらんことも言ったかもしれないですけど。

岸田 いやいやいや、そうだったんですね、そっか。パートナーの方も、その疾患の方がん領域とか、そういった別の疾患の領域で勉強されているとかっていうのはどうなんですか?

山田 そうですね、全然がんの専門ではないんですけれども、ちゃんと文献とか読めばちゃんと理解してくれるので、読んでって。

岸田 それによってなんか、めちゃめちゃこうお互いの理解もあるから、何かごちゃごちゃになるっていうことはなく?

山田 そうですね、すっと分かってくれたと思います。

岸田 結婚に関してもスムーズにいけました?

山田 そうですね、結婚に関しても結婚ってなると相手のご家族とかもあるので、どういうふうに伝えたらいいかなと思ってたら、主人の方から伝えてくれて。

岸田 そうなんですね、事前に?

山田 そうですね。ただこちらの問題で、相手の家族はこんなに若くして結婚前からがんであることをどう思っているのかって、何か言われるんじゃないかみたいな感じで結構もめたりもしましたね。

岸田 こっち側はね。

山田 こっち側。

岸田 あっち側、旦那さん側は何もないけど。

山田 そんな言えないと思うんですけれども、後から何か言われたらとかちゃんと分かってもらえているのかとか、そこをちゃんとインフォームド・コンセントじゃないですけども、ちゃんと分かった上で結婚しないとっていうふうに言われましたね、両親には。

岸田 そっかそっか。そこの擦り合わせはできた?最終的に。

山田 そうですね。でも私はそんなに、自分の人生をがんで埋め尽くされたくなかったから、そんながんがん言わないでよっていう気持ちで反抗してました、そんなの関係ないみたいな感じ。

岸田 そうですね、だからそれが一部であってね。

山田 そう、っていう感じだったんですけど、やっぱり家族としてはそこは大きなネックになっていて、そんなに話題に出さないでほしいなと私はちょっと思っても、どうしても考えなきゃいけない話題ですよね。

岸田 最終的には、ちゃんとご結婚できたのでよかった。

山田 もめながらも、なんとかゴールインという感じです。

岸田 旦那さんも事前に言ってくださっていたと。

山田 そうですね、本当にそれでよかったです。

家族のこと|医師の父、見守った両親、治療方針への向き合い方

岸田 ありがとうございます。そして次にですね、こちら、家族のこと。今ね、ちょっと家族でごちゃごちゃしたことがあったというお話いただきましたけど、治療中とか学生だったと思いますので、そのサポートであったりだとかそういったところいかがでしたか?ご家族ご両親というか。

山田 両親はおそらくだいぶショックを受けていたと思います。なので、結構自分のことで告知されてから、結構いろんなことを言い合ってるんだろうなって声がリビングから聞こえたり、内容は分からないけどもやっぱり葛藤することはあったんだろうなって、私にすごい気を遣ってるんだろうなっていうのもあって。

岸田 ご両親お医者さん?

山田 父だけ。

岸田 父がお医者さん。だからそういうことも分かってるってことですね。

山田 そうですね。そうですね…私も告知されてからご飯も食べれなくなって寝れなくて、ずっと目が血走っているような感じでしたね。学校にはちゃんと行っているんですけど、本当に家だと何も食べないし寝ていないし大丈夫なのかみたいな状況で、すごい心配をかけていたと思います。徐々に時間が経つにつれて自分の中でも受け入れていって、治療を受けるというところになった時も、自分がもう特に治療方針とかに関しては両親は特にこうしたらいい・ああしたらいいっていうことはなくて、自分で主治医と話した結果自分が納得した方法、決めた方法に対して、じゃあいいんじゃないっていうふうに特に意見せずに言ってくれたのでそれは良かったですね。

岸田 医療者だからなんかね、意見するっていう。

山田 特にそれはなくて、自分で私はこうするって言ったのを、ああそうかっていうふうに言ってもらえたのはありがたかったですかね。

岸田 あとその、それね、良かったことですけど、あえてこの時こうしてほしかったなとかっていうのはない?大丈夫?

山田 こうしてほしかったなっていうのは、私が勝手に普通ではないセカンドオピニオンの仕方をしたことに関して父はちょっと怒ってたんですけど、自分の知り合いとかでちゃんとそれでセッティング、自分の紹介してもらったりしたのに勝手に無礼だとか、そこの病院で手術を受けるべきだろうって言われて。でもその病院ではこの方法、あっちの病院ではこの方法を勧められてて、自分が納得した方法を、勧められた病院に行くっていうことでちょっと喧嘩しましたね。ただ、そこはまあ。

岸田 ちゃんと自分の軸をぶれず?

山田 言いましたね。

学業との両立と、周囲に打ち明けられなかった理由

岸田 ありがとうございます。自分のやりたい軸っていうのを持っておくの大事ですね。ありがとうございます。そして次こちらですね、学校のことといたしまして、当時医学生だということもありますので、勉強のこととか、さっき手術の後そのままシンガポールに行かれてとかありましたけれども、学校との友達関係も含めて学校との兼ね合いは大丈夫でしたか?

山田 そうですね、乳がんの治療で入院が必要なのって手術だけなので、手術はちょうど夏休みの期間にしてもらって特に学校休むことなくできたんですけれども、やっぱりメンタルが…崩壊している、告知から治療までの期間っていうのが。本当に今まではすごいアクティブに部活もしてバイトもしてサークルにも行って飲み会も行ってっていうのが、突然もう何も食べれないしお酒も飲まないしで突然いろいろな誘いを断ってしまったりとか。あとはどうしても行かなきゃいけない、その部活の集まりとかでも、もういつもまあ飲んでる自分がウーロン茶って言ったことにすごいみんなにもうすごい、えっみたいな、しらけんじゃんみたいな感じで周りに言われて、もうもうギリギリで出席したのにそれ言われた時にはもう本当にそのままもう涙が止まらなくなっちゃって。でもなんで泣いてるのかも言えないから、その回はずっとトイレに引きこもっていました。で、妊娠を疑われました、その時(笑)

岸田 そうやなそうやな、そっちですよね、みんなね。

山田 妊娠か?みたいな感じで言ってる声とか、もう聞きたくないみたいな感じでずっとトイレにこもったりとか。それで本当に大変でしたね、その時は。

岸田 周りに(がんを)言ったらさみんな心配してくれる、心配してくれるって言い方変やけど。

山田 納得はしてくれると思うんですけど。

岸田 言わへんかったんですね?

山田 なんか言えなかった。自分がまさか20代でがんになるっていうことを思ってなかったし、そういう人もいないし、言うのが怖かったっていうのがありました。本当にパートナーには心を開いてるから言いますけど、コミュニティが一緒ってだけで言うのが怖くて、本当に何でも話せる友達にだけ、言えたのも手術受ける直前に自分の中でも受け入れられてからやっと言ったという感じで。それまでのどのくらいですかね、1〜2ヶ月ぐらいは挙動不審だったと思います、周りから見たら、なんだこいつって思ってたと思います(笑)

岸田 まず自分の受け入れすらね、ままならないまま他に言うのもっていう感じでね。

山田 付き合い悪いのを責められ続けて、でも言えなくて、もうキッと内心おもって。

岸田 そっかいや分からへんよな〜。

山田 それどころじゃない。でもどうにか気を紛らすために、学校の実習とか病院実習とかはすごい今まで以上に真面目になって、絶対もう1分たりとも無駄にしないぞみたいな、すごいとがった性格をしていたと思いますねその時は。誰よりも過酷なオペに参加したいし、誰よりもいっぱい吸収したいみたいな感じで気を紛らわせてハイな状態だった。

岸田 はぁ、そっか…。最終的には身近な人だけにお伝えしているということですね?今でももしかしたら知らないかもしれない?

山田 そうですね、知らない人はいっぱいいると思います

岸田 そっか、ただ(学校の)先生とかに言わないと(授業)配慮とかしてくれへんとか、そこらへんは大丈夫?

山田 そうでしたね、配慮とか特にしてもらわなくても大丈夫でしたね。

仕事のこと|経験者だから寄り添える。診察でキーボードから手を離す理由

岸田 そんな中でね、ちょっと次はい、ちょっと仕事のことといったところをちょっとお伺いをしていきたいなと思っています。これはね、がんになった時には学生だったと思うんですけれども、さっきあったお仕事との感情移入しすぎちゃうであったりだとか、いろいろお仕事というところを。

山田 そうですね、自分が経験しているのでその分患者さんのことは分かるかなというふうに思っていったんですけれども、いろいろ自分ごとにしすぎて苦しくなっちゃう時も若かりし頃はやっぱりあって。今は、患者さんにわざわざ自分乳がんだったよとかっていうことは全くないんですけれども、心の中で少しでも寄り添えたらね、分かってるよっていうのを少しでも伝えられたらなっていうふうに、コミュニケーションがうまく取れればいいかなっていうのを心がけてはいますね。がんになったことを少しでも他の方に活かせればというふうに思って。

岸田 やっぱこう、なんですかね、患者さんとお医者さんの診察室って本当5分なり10分なり短いと思うんですけど、先生なりに何か工夫していることとかってあったりします?

山田 工夫していることは、目を見て体も患者さんに向けて、もうキーボードから手を離します。

岸田 えっ、すごい!!

山田 そうです、それは、まずは態度だけは。

岸田 すごい。

山田 時間、なのでお待たせしていると思います。

岸田 時間ね、いろんな人の押して押してみたいな感じ。

山田 そうですね、ちょっとあるかもしれないんですけど、それだけは。

岸田 本当に書きながら診る人っていうのは、すごく多いですからね。先生今手術はやられているんですか?

山田 そうですね、手術も。手術がメインの仕事ですね。

岸田 週に何件かはこなしているんですね。

山田 そうなんです。今がんセンターというところで働いているので。

岸田 国立がん研究センターの東病院で働かれていらっしゃいますので。

山田 手術を乳がんの患者さんにとっては手術をメインに担当させていただいて、抗がん剤とか内科治療は腫瘍内科という他の診療科で診ているので、ほぼ手術。病院にいる間は手術しています。

岸田 手術もさっきおっしゃっていただいた、結構難しい手術も結構されている?

山田 それも含めてやっています。

岸田 乳頭を温存したりとか?

山田 何でもやります!

岸田 すごい。興味本位なんですけど、乳がんの手術って全摘だとどれぐらい?部分摘出だとどれぐらい?時間ってどれぐらいかかるのですか?

山田 部分切除だと1時間かからないぐらいですね、全切除でも1時間半以内には終わる。

岸田 そうなんですね!

山田 なので、体の負担も患者さんにとって少ない手術なので。

岸田 あとはリンパ節切除。

山田 そうですね、リンパ節を取らなきゃいけないとなるとプラス30分から1時間くらい。

岸田 それでも、そうなんですね。

山田 そうですね。

岸田 やっぱり傷とか気になると思うんですよね、女性も男性もですけど。そこら辺は結構配慮してくださる?

山田 そうですね、やっぱりどうしても見た目がどうしても大事なところなので努めてます、綺麗に。

岸田 元々ね、再建もされてましたもんね。

山田 そうですね縫合とかは得意です!得意なので、好きなので!

岸田 僕もね、開腹手術でお腹バッサリ切った時に、きれいに縫ってくれているのかな〜と思ってパッと見たらホッチキスみたいに、バンバンバンみたいな(笑)

山田 そうですよね。

岸田 そうなんですよね。

山田 中が大変だと、内臓とかだとどうしてもそういうところもありますよね。乳房でホッチキスを使うことはどの病院でもないと思います。

治療にかかった費用は? 当時の負担を振り返る

岸田 なので、しっかり縫合してくださるという先生だと思います。ありがとうございます。そしてですね、次こちらですね、お金や保険のことといたしましてといったところで、当時学生だから保険入ってたとかお金出したとかって親御さん?

山田 そうですね、まだ学生で稼ぎもないし、あと保険にも入ってなくて…なので両親に払ってもらっています。

岸田 まあ、ただ手術してね、入院もそこまで長くなったんですかね?

山田 そうですね、1週間。

岸田 ですよね。であれば、高額療養費制度の中範囲内で。

山田 それで高額療養費で申請して。

岸田 1ヶ月分の金額。

山田 そうですね、ひと月分だけ。

岸田 あと、ホルモン療法で今までかかっている部分。

山田 そうですね。

岸田 ホルモン療法って1ヶ月おいくらぐらいするものなんですか?

山田 1ヶ月だとするとえっと…、1ヶ月3000円ぐらいでしたから。今はジェネリックがあるので、当時はなかったですけど、もっと安くなっていると思いますね。

岸田 それの分が、5年間分かかっているということですね

山田 そうですね。

岸田 それでも数十万円では。

山田 そうですね。

岸田 ということですね。なので、お金に関してはご両親に払っていただいたということです。

山田 ありがとうございました。

辛かったこと|体よりも精神面。落ち込んだ二つの時期

岸田 つらかったことといたしまして、今までいろんな大変なことをお話を聞きましたけれども、それ以外に何かこう、これ大変やったな〜っていうのを何か覚えてたりとかしますか?

山田 そうですね、つらかったのはそうですね、体のことよりもどちらかというと精神面ですかね。やっぱり、一番精神的に落ちてたのは手術受けるまで、告知から手術までのところ。あとその次に落ちたのは、さっきのペイシェントジャーニーでもある遺伝子検査をどうするか。まさか治療が終わった後にヘコむとは思わなかったんですけれども。そうですね。

岸田 気持ち面、どういうふうに先生の場合対処したというかやっていたんですか?

山田 一番はやっぱり時間だと思いますね。受け入れるまでに時間が解決してくれたっていうのと、あとは相談できる身内だったりとか友人だったりとか医療者だったりとか、やっぱり自分で溜め込んでた時が一番つらくて、吐き出す勇気が出てから徐々にやっぱり楽になっていったかなと。治療に前向きになっていけたかなってありますね。勇気が入りますよね。

岸田 そういった時に自分で楽っていうか、ちょっと上に上がっていったかなってことですね。ありがとうございます。

工夫したこと|入院中は「自分の時間を楽しむ」。没頭で気を紛らわせる

岸田 そしてこちら、工夫したことといたしまして、これは入院中だったりだとかもしくは退院後だったりとか、生活習慣のところでもいいですし、こういうふうに過ごしましたでもいいですし。もしくは先生が医師として患者さん診てて、こういうふうにしてるの頭いいなとかそういうのとかでもいいですし。

山田 そうですね、がん治療中のライフハック的な。

岸田 ライフハック的な、そうそう。

山田 そうですね…。

岸田 ご自身、入院中はどうしてました?

山田 入院中はもうなんでしょうね、自分の時間を楽しもうというふうに切り替えて、やっぱり一人っきりになったりするので読書をしたりとか、留学前だったので英語に慣れとこうと思ってずっと英語を聞いたりとかしてたりしましたかね。

岸田 すごいですね。

山田 やっぱり入院中とかも、患者さんによっては、いろんなものを持ち込んで入院生活を楽しもうっていうふうにしている方は結構いらっしゃいますね。あとは主婦の方とか多かったりするので、家に帰ったら家事がっていうふうにたくさん忙しくなるので、入院中はみんな本持ってきたりネットフリックス、自分の時間を楽しむ。入院の段階になるとポジティブになっている方がたくさんいらっしゃるので、皆さん思い思いに過ごされて。そうされていると、こちらとしてもちょっとホッとするというか。

岸田 自分の時間をね、ちゃんとしっかり楽しんでっていうふうな形でね。先生の場合は勉強されている(笑)

山田 勉強してます(笑)没頭することでなんか紛らわしている感じですかね。

岸田 確かにね。

山田 気分転換になっていますね。

がんを経て変わった、生き方への意識

岸田 ありがとうございます。こちら、がんになる前と後で変わったこと。気持ち面でも行動面でも何でも、がんになる前と後でもちろんいろいろ変わったと思いますけど、一番変わったのは何ですか?

山田 そうですね、やっぱり死を意識するようになったというところが変わってます。ステージ0って本当に早期に見つかっているので、すぐに命に関わることはないというふうに客観的に考えたら分かっていても、どうしてもやっぱり死を意識してしまって落ち込んだこともあったし。それによって今もずっと当たり前の毎日が続いていくわけじゃないから今を大事にしなきゃいけないし、もし自分の人生が短かったとしても太く充実した密度の濃い生だったらいいよねっていうことで、行動するようになりましたかね。それを意識しています。だから、がんになってすごい悪いこと、最悪な一番人生最悪の出来事だけど、密度を意識しよう楽しみ抜こうっていうふうに意識して考えるようになったのは得たものかな。

岸田 マインドが変わったってことですね。

山田 そうですね、マインドはすごく。

岸田 ちなみにあれなんですか?そういったがんになる前、医学部生でがんになった後、乳腺外科医を目指されている、それもやっぱり自分のがんになったっていうのは影響してます?

山田 そうですね、最初に医学部に入る時とかは漠然と小児科とかになるかなっていうふうに思っていたんですけれども、きっかけは最初にしこりが見つかった20歳の時に自分が乳がんになるかもしれないということで乳腺外科を意識し始めて。病院実習とかで回っててもやっぱり外科って楽しいなっていうふうに、自分が乳腺外科医になってるのを結構想像ができてって思ってたら乳がんになって。もうこれはなるしかないっていうふうに思いましたね。

岸田 だからね、乳腺外科を目指されたのがやっぱりご自身の経験から。

山田 そうですね。

今後の夢や目標|病院の外から、「自分らしい人生」を支えたい

岸田 ありがとうございます。最後のちょっと質問になります、こちら、今後の夢や目標について。まだね、こう医師生活が今後まだ長いと思いますけれども、今後どういうふうなキャリアを歩まれていくのかといったところを山田先生にお伺いしてもいいですか?

山田 そうですね、今病院で乳腺外科医として働いていて乳がんになった方の治療だとか相談に乗れたりして幸せな仕事をさせていただいてるんですけども。それだけじゃなくて、自分の目の前にいない患者さんだったりとか、患者さんだけじゃなくて患者さんになる前の健康な状態の方にとっても、病気になっても自分の人生を自分らしく生き抜く、それを実現できるような世界を作りたいというふうに思って。病院の中だけじゃなくて、もっと社会的な活動をしていきたいというのが夢です。もう世界に行きたいし、自分で起業とかをしてもっともっと病院の外からでもアプローチできたらなっていうのが夢です。

岸田 すごい!そのためにね、もう活動もスタートされてるんですよね?

山田 そうですね。

岸田 それはちょっとこちら、お写真いただいておりますので、ドン!こちら。

山田 ギャー!(笑)

岸田 すごい!これはちょっとご説明いただけますか?

山田 今、がんになっても自分らしく納得した人生を生き切ってほしいというその世界を作るために、いろいろなテクノロジー、例えばAIだとかを使って、やっぱり病院だけだと患者さんって5分ぐらいしか話を聞いてもらえなくて不完全燃焼だったりだとか。自分が一体何を考えたら何を悩んでいるのか、そもそも言葉にできなかったり、分かっていても相談しづらかったりっていうところを、AIとかを使っていろいろなものを使って解決できないかっていうことで。今ChatGPTとかとても発展してきているので、それを使ってどんな方でももうちょっと自分らしい生き方ができるようなサポートができないかっていうので、そのライフハック的なところを発信できたらなということで、まずちょっと形をこれから発信活動できたらなというふうに思っています!

岸田 これね、「”バストの不安ゼロの社会”をつくる」ということで。

山田 ちょっとここも変わるかもしれないですけれども、そうですね。その乳がんになるとか病気になる前の方にも、ぜひ自分の体のこと、人生のことを、もうちょっと自分をいたわってみてほしいなっていうので発信できたらなって。それから、皆さん何を必要としているかっていうところが見えてきたら、そういったものを作るものづくりとかもしていきたいないうふうに思っています!!

岸田 皆さんね、山田先生は医師としてもそうですし、こういった活動とか起業だったりとかそういったところでも今後考えられているということですよね。

山田 はい。そういうことです。

岸田 AIを駆使したりだとか、そういったところで。

山田 いろんなものを駆使して。

山田美紀さんからのメッセージ|「自分らしい人生を楽しみ抜く」

岸田 なので、また皆さん山田先生を違う場面でまたいろいろ見ることもあるかと思いますけれども、今後どうなっていくのかというのを一緒に見守りたいなということを思います。ありがとうございます。最後に山田先生、メッセージお願いいたします。

山田 はい。自分らしい人生を楽しみぬく。これは私が留学を治療前にあきらめようとしていたんですけれども、主治医があきらめちゃダメだよって後押ししてくれました。やっぱりがんになってできないことが増えていくかもしれませんけれども、できることを少しでも周りの協力を得ながらどんどんチャレンジしていくこと、自分らしい人生を生き切ることが大事かなというふうに思っています。一緒に頑張りましょう!

岸田 ありがとうございます、山田先生。自分らしい人生を楽しみ抜くということでね。ちゃんと楽しみ抜いてますか?

山田 はい!(笑)

岸田 それぐらい自分の人生といったところを、今後の山田先生の目標に向けてといったところになるかと思いますけれども、もし皆さんもこういった何かをヒントにしてもらえたらなということを思っています。あっという間のお時間でございましたけれども、山田先生ご出演されてみていかがですか?

山田 本当に、自分のこの10年間を振り返っていろんなことがあったなって、これからの10年に生かせる気がします。

岸田 そうですね、確かに。乳がん界隈の重鎮になっていただいて。いろんなテクノロジーを駆使してね、患者さんの寄り添っていただいて。

山田 そうですね、これからの診療とか活動にもフィードバックができたらなというふうに思います。

岸田 ありがとうございます。これからも応援しております。

山田 岸田さんも応援しております。

岸田 またね、進捗をがんノートでも報告いただければと思っております。といった中で、これにてですね、がんノート終了していきたいと思います。皆さん次の動画でまたお会いしましょう。それでは皆さん、バイバイ〜。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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