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インタビュアー:岸田 / ゲスト:笠井

小倉さんが先を歩いていた。とくダネ20年、3時間睡眠の日々とがんの予感

岸田 改めて、今日のゲスト、笠井信輔さんにお越しいただきたいと思っております。笠井さん、よろしくお願いします。どうぞどうぞ。

笠井 メリークリスマス。

岸田 メリークリスマス。では、次に笠井さんのちょっと自己紹介、簡単にいただければ嬉しいなと思います。笠井信輔さんです。笠井さん、お願いいたします。

笠井 現在60歳なので還暦を今年迎えたというところで、この赤もサンタというよりは還暦の赤みたいな感じですけども。

岸田 いやいや。

笠井 フジテレビで33年間アナウンサーをやっておりまして、その後3年、もう4年経ってますので36年、7年アナウンサー生活をしておりまして、56歳の時に悪性リンパ腫、血液がびまん性大細胞型B細胞性リンパ腫というその型に罹りまして、抗がん剤治療を行って。もう抗がん剤治療だけでした。
6クール行って4ヶ月半の入院、そこから2ヶ月半の自宅療養がありまして完全寛解となりまして、現在は3ヶ月にいっぺん病院に行って経過観察をしているというとこで、先生はもう半年でいいですよとかもうちょっと開けましょうかって言ってくださるんだけども、いやー3ヶ月にいっぺんお顔を見せに来ていいですかみたいなことを言ったら、笑いながら、いや来たきゃ来ていいですよって感じなんだけど。
やっぱりね、心配なんだよね、再発がさ。それであんまり一般のインタビューとかでは再発のことは言わないんですよ。っていうのは、この人再発するかもしれないって一般の人に思われたり、あるいは仕事を発注する側が笠井ってまだそういう状況なのかなって思われるのが嫌なんで、インタビューでは言わないんですよ。再発の恐怖みたいな話はしない。だけど今日ここはみんな仲間ですから。
それで自分もがんが見つかるまで結構苦労があったので、再発に関してはすぐ見つけたいという思いがあるので、もう3ヶ月にいっぺん来れば早い段階で次の再発の治療の措置はできるんじゃないかなっていうことがあって、3ヶ月にいっぺん病院に赴いてるというのが私の現状で。
投薬も治療も、もうやってないんですよ。それは、例えば乳がんの方が10年ホルモン治療があったりすごいがんと向き合いが長いんですけれども、一応私はそれは終わってるので、普通の状況で働いて普通の状況で暮らしてるんですけれども。
ただ完治という言葉はまだいただいてないと、寛解というとこまでなんで少しやっぱりそこらへんは気をつけないといけないなと思いながらも。かといってビクビクしながら色んな制限をしながら暮らすというのは性に合わないのね。思いっきり返してもらった命を謳歌しながら、再発したらその時はその時だなという感じ。
だって25で治療して27で再発、それとも転移、どういう。原発が。

岸田 大きく言うと再発になります。ただ厳密に言うと種類はちょっと違うので。

笠井 原発が新たにって感じ、という見方で大丈夫。

岸田 そうなりますかね、はい。

笠井 だから1回乗り越えてるわけでしょう、だから25の時に。

岸田 そうですね、はい。

笠井 27で、それきつかったでしょう、またかみたいな。

岸田 いや、またかはきつい、きますね。

笠井 だいたいみなさん再発の方がきついっておっしゃるので。僕はそこ経験してないけれども、その方がショックが大きいっていうんで。でも再発しながらすごくみなさん治療続けて暮らしてる方、たくさんいるのね。
患者会とか行って、もう4回ですとかあちこち5回ですとか色んな人がいて、今の医療ってそういうかたちで再発しても落ち込みすぎちゃいけないなとも思うし。こうやって元気にいるわけだもんね。

岸田 そうですね、はい、おかげさまで。

笠井 そう、だからやっぱり自分も再発した時はそういった人たちと出会ってるから、もうそれで覚悟決めて乗り越えなきゃなとは思ってます。

岸田 ありがとうございます。そんな笠井さんなんですけど、みなさんの笠井さんのイメージっていったところはこんなイメージもあるんじゃないかなと思います。笠井さん、こちらね。

笠井 小倉さんと一緒にね。

岸田 小倉さんと一緒に。

笠井 とくダネ20年やっておりました。もう告知までっていうこと考えると、これはもう本当に私の先を小倉さんが歩いていたわけですよ。うちのボスなわけで、20年間ずっと暮らしていて。自分排尿障害が起きた時にがんだなってすぐ分かった。
排尿障害っていうのは、2時間トイレもたなくてさらに排尿時に痛みが伴うということがあったので、僕はこれがんってすぐ分かりました。なぜならば小倉さんが私の1年前に膀胱がんの全摘出手術を受けていて。

岸田 ニュースにもなりましたもんね。

笠井 それで長期番組休むってことがあったので。私も小倉さんもショートスリーパーでだいたい朝3時に車が迎えに来るんで、寝るのはだいたい11時か12時でしたから、それはもう報道ステーション、当時ニュースステーションですけれども、あるいは夜のニュースZEROみたいなああいう深夜のニュースを見て、明日の自民党の裏金は何を話そうかなみたいなね、そういう生活だったので。
3,4時間でもうすぐに車が迎えに来るって状況で、その生活を20年間暮らしていたら小倉さんがんになったんで、自分もそれはがんになるなというふうなことはもうちょっとその瞬間分かったので。
だいたいさ、20年間も平均睡眠時間3時間って。

岸田 いやー、なかなか、いやすごいですね。

笠井 いやでもね、とくダネが15年ぐらいナンバーワンの視聴率だったから、もういきに感じて早起きしてたんですよ。自分の仕事は早起きだみたいな感じで、それがあるからこそ今の自分があると思ってたから。ショートスリープに関してはもう慣れてたのね、随分と。
でもやっぱり平均睡眠時間3時間とかって、キャンディーズとかピンクレディでやっぱ3年ぐらい、嵐で10年ぐらいですよ。僕がそんな人気もないのに20年もやっちゃったから、それはがんにもなるわなっていうね。

岸田 いやいや。

「がんじゃない」と2度言われた。排尿障害・腰痛・体重激減、見逃されやすい悪性リンパ腫の症状

笠井 だからちょっとやっぱり宣告としては、告知としてはあなたの人生間違ってましたっていう、生き方が違ってたってことを後で思い知らされるんだけども、それでもうがんだと思って小倉さんにも相談して。そしたらもうすぐ病院に行きなさいみたいな感じで病院に行ったんですけれども。
病院に行って、そこで前立腺肥大ですっていう診断が下るわけですね、その排尿障害は。血液検査をしてもなかなかいい状況の血液ですよっていう感じで、要するに腫瘍マーカーとかそういうの引っかかんなかったのね。それで結局通院しているなかで2ヶ月ぐらい、前立腺肥大ってものすごい時間がかかるんですよ、治療に。薬が効くのに。

岸田 そうなんですか。

笠井 うん、投薬してすぐに治ってくるわけじゃなくて、腫れ上がった前立腺がおさまってくるのに2ヶ月ぐらいかかって、排尿障害も2ヶ月ぐらいしたらよくなってきますよなんて感じで。
治療中にもう1つまた病院に行って、ちょっと通いにくい病院だったんで、もっと近くの病院にじゃあうつった方がいいよって話になって。そっちでもまた新しく検査が始まって、それでも2回目も、やっぱり前立腺肥大ですねと、あなたはがんではありません。僕はがんかと思って行ってるんで、もしかしてがんじゃありませんかって言ったけど、いやがんじゃありませんよと。
ここがやっぱり血液がんの厳しいところでして。やっぱり患者会参加すると、2ヶ月かかった3ヶ月かかった、あるいは2つ病院行きましたとか3つ病院行きました、一緒じゃないですかみたいなね。そういう人が結構多くて。その間に腰痛が起き始めたわけですね。

岸田 腰痛。

笠井 腰痛が。っていうのは、タイミングがほんとに悪いのは、私が排尿障害起きたのが辞める2ヶ月前だったんですよ、フリーになる2ヶ月前ね。1年前からフリーになる準備初めていて、辞めさせてくれってことでじゃあ10月に辞めましょうって話になったんだけれども、結局8月ぐらいからもう具合が悪くなってきたので何これと思って、でも、がん、まさかと。
結局腰痛も痛くなってきたのは、これがフジテレビから色んな資料を家に運び込むっていう引っ越しがあるわけですよ、フリーになると。僕は特に資料の多い人間だったので、もう10何個段ボールがあったのでそれを自分で運び出してたんで。ぎっくり腰になったなと思って。
それで腰痛は排尿障害とは別と思ってたんで、それでマッサージ通ってた。
結構そういう人いるんですよ。やっぱり友達でも腰痛でマッサージ通ってたけどがんだったとか。腰痛とか起きなかったの。

岸田 僕は腰痛とかなかった。

笠井 何か不具合は。

岸田 首が腫れてきたっていうかたちで、ほんとに寝汗がびっしょりとか。

笠井 リンパ、それって悪性リンパ腫の症状だよ。

岸田 そう。

笠井 首が腫れる、それから寝汗って。

岸田 おっしゃるとおりです。だから僕は最初リンパ腫の疑いだったんです。

笠井 やっぱりね、そっからきたんだ。

岸田 リンパ腫の疑いから血液腫瘍科にまわされて、そこでようやく生検でちょっと採ってちょっと診てみたりとかしたら、胎児性がんですっていうことが分かってきたんです。

笠井 やっぱりね。だから結局、寝汗とか腫れるとかそういうのがあったからよかったんですよ。よかったって変な話だけどね。

岸田 いえいえ。

笠井 僕の場合は、もうリンパ腫としては多くの人が腫れるんですね。首だとか脇、あと股間とかね。僕全然腫れないタイプなんですよ。これが1番厄介で、腫れないとまず触診で分からない。だいたいポコっとするからリンパ腫の人まず分かるんだけど、分かんないから。さらに寝汗もかかない。ただ1つだけ症状が出てたの。体重激減。
だいたい1割ぐらい急激に減るとやっぱりこれはよくないってことで。自分60kgだったら6kg減るとまずい。5kgバーっと減ったわけ、辞める前に。そしたら後輩たちが、笠井さん辞めるの決まったらかっこよくなりましたねとか言って、痩せてきたからさ。
自分も、自分のフリーになる意識がこういうふうに痩せるとかなってくるのかなと思って喜んでたんです、痩せたことを。だから痩せたことは先生に当然言わない。そして引っ越しで傷めたと思ってたから、腰痛のことも先生に言わないで。これがだめだった。
つまり、今の医療っていうのは僕らの情報を先生が待ってる状況がとても多いので、こちらのことを、先生実は腰も痛くなったんだけどこれ何だかなってやっぱり言わなきゃいけなかったのね。それで結局マッサージの治療は3日に1回行ってたんだけども、痛くなっちゃうからまた。鍼打った、よくなった、また痛くなったって。

岸田 一応よくはなるんですね。

笠井 よくはなるのよ。それは、マッサージもよくはなるのよ、一瞬ね。それで結局ようやくマッサージ師の方も、いや笠井さんこれちょっと来すぎてると。それで、やっぱり内臓系じゃないですかっていって、先生にも言ってみたらって言われて。
それで先生に、いや実はマッサージで腰痛したらやっぱよくないって言われたんですって言ったら、えっ腰が痛いんですかって話になって。それじゃあもうちょっと詳しく調べましょうっていって、そこでちょっとがんの疑いが出てきて。
でもこれってちょっとまだ分からないから、もう泌尿器科で扱えないので3つ目の病院、系列の病院の腫瘍内科行ってくださいってことで腫瘍内科に行くという。その腫瘍内科での精密検査での最初の日ってのが10月1日で、私がフリーになった最初の日の最初のスケジュールががんの精密検査っていう、楽しくもなんともないフリー生活の幕開けでありました。
だけど、表向きはすっごい楽しそうにしてたよ、フリーですって。

岸田 ウェルカムみたいな感じですよね。

笠井 そう、だって内緒にしてたからね。そこで自分がんの疑いありますなんて言ったら仕事がなくなることはもう明白なんで。そんながんの疑いのある人なんか使ってたら世の中の人から批判されちゃうからね、休めって言われちゃうから。自分はこれからって時なのにそんなことやってられないと思ったから一応内緒にしといてっていうんで。
それで腫瘍内科行ったらすぐにがんだと思って、もうすぐ分かるんだよやっぱね、これがんですって。何がんですかっていったら分からないっていうんで。その何がんですか、分からないがまた1ヶ月ちょっとかかって。
結局自分がんと思って病院行ってから3つ目の病院でがんって、悪性リンパ腫って分かるまで4ヶ月かかりましたから。その間にステージも進んでいたのではないかという。

岸田 そうなんですね。

笠井 ちょっとここまでがさ、長いね。

岸田 怒涛ですよね。

笠井 まだ、まだあるの告知まで。

岸田 まだまだあります。

笠井 告知までこんなかかっちゃって今日終わるのこれ。みんなのクリスマスパーティーに自宅間に合わなくなっちゃうんじゃない。

岸田 いやいや、もう今日は笠井さんの話を聞きたいからちょっと来ていただいて。

笠井 いや、講演会でもここまで話さないからさ、細かいこと。

岸田 そうなんですか。

笠井 だって1時間半におさめなきゃいけないから、こんな前段なんか話してたら終わらなくなっちゃうじゃない。だから今日まずいよねこれ、1時間半で終えなきゃいけない。

岸田 いやいや。ただちょっとお伺いしたいのが、排尿障害あったじゃないですか。排尿障害ってイメージこんな感じかなっていうのあるんですけど、具体的にはどんな感じだったんですか。

笠井 排尿障害はもう2時間トイレがもたない。

岸田 もたない。

笠井 映画観てるとクライマックスでトイレ行きたくなるっていう。すごいだからクライマックス観ながら随分と我慢しましたよ。うーんどうなるのこれ、誰が犯人なのっていうから、あんまり楽しめない感じ。

岸田 そうですよね。

笠井 それで慌ててトイレ駆け込むみたいな感じと。あともう1つは、痛みね、痛みで。それともう1つは、うーんって声を出さないと出てこないの、行きたいのに。

岸田 えー!

笠井 そう。でも、突然尿意がくるわけ。全然しないのに突然くるわけよ。それで駆け込んで、うーんって言わないと出ない時と、漏れちゃう時と。結局漏れたりもしましたよ。

岸田 そうですよね。

笠井 後半は漏れたりはした。だからそれは間に合わなくて。妻からは、途中からもうオムツしなさいって言われたけども、昭和男児であるものオムツなんかしてらんないと、ちゃんとトイレに行くからとか言ってたけど、ついにトイレで漏らした時にもうこれだめなんだな俺はと思って。その時はもうがんって分かってたのかな。その時はもうしょうがないからオムツに最後はしましたけどね、入院する前に、直前は。

岸田 ありがとうございます。コメントも今日はほんとにみなさんもいただいてます。トヨダさんとかヨシさんとかナッチャンさんとか、こんにちはとかいただいていて。昨年の沖縄の講演会に行かせていただいたっていう方もいらっしゃいます。

笠井 ありがとうございます、沖縄も行きましたけど。今の話は沖縄ではしてないからね。だからおさめなきゃいけないからさ。

岸田 ありがとうございます。ミイチャンさんやエーエフさんやソガさんもこんにちはっていただいてます。

笠井 はい、こんにちは。ありがとうございます。

岸田 あとみなさんコメントいただいたら、そのコメントを笠井さんにもフィードバックしていきたいなと思います。
そこからフリーアナウンサーになって、3つ目の病院で悪性リンパ腫と診断。

笠井 リンパ腫と診断。これも長くなるんだけど、あんまりしてない話なんだけども、私の告知は知らない先生にしていただきました。知らない先生が書面で、主治医から預かっておりますっていって、笠井さん残念ながら悪性リンパ腫ですっていうね。
それどうしてかっていうと、フリーになってやっぱり忙しかったんですよ。すごく忙しくて、でも検査に頻繁に通わなきゃいけなくて、もう私のスケジュールと先生のスケジュールが合わなくなっちゃって。それでもいいから笠井さん来てくださいって話になって、1番重要な時に実は先生のスケジュールと僕のスケジュールが合わなくて。
先生僕もうこの日行かせてくださいって言ったら、その日結果分かるかもしれないけどもじゃあ来てくださいと言って。結果が分かっちゃったんで、先生じゃない方が書面預かってますって。書面があるんですかって見たら、告知だったっていうね。これがテレビドラマでもなかなかないなっていうような状況でして。
ただやっぱり1つのトレンドだなと思いました。っていうのは、僕ブログとかで自分の経験を書いたら結構私のご同輩、50以上の方から色んなコメントがきて。それは、今の告知に不満があるっていう。もう自分の告知に不満があるっていう人は結構いたの。それは、なんであんなに軽く告知するんだと。
がんですよ、しかも何か見ながら、がんですね、ええなんつってさ、電子カルテ見ながらさ。

岸田 はいはい、あるあるですね。

笠井 あるある。しかも別の部屋にも呼ばれずに、家族も呼ばずにそのまま診療室で、がんでした。なんだよそれと。我々昭和患者は、がん告知は儀式にしてもらいたいのよ。ご家族を呼んでくださいとか人を排除してくださいと、残念ながらがんでした。我々はそういうドラマをTBSで観すぎた。
ところが、ところがなのよ。僕の幼馴染にがんの外科部長がいるのね、有名な病院の。聞いたら、告知は今結構重要なんだって。っていうのは、やっぱりもう今100万人の人が毎年毎年がんになって60万人の人がかえってくる、40万人の方が残念ながら亡くなっていくんだけども、その40万の方も本当に多くの方が後期高齢者、体力がない方が亡くなっていくんで、現役の方は基本的に本当に戻って来る、みなさんね。岸田さんも僕もそうだよね。
なんだけど、その時に重々しく告知すると俺は死ぬんだなと。昭和患者、まずがんと聞いただけでステージⅠでもそう思うと。なので、この人は絶対かえれるっていう人に関しては、もう軽く言うようにしていると。

岸田 えー。

笠井 そして本当にだめな人に関しては希望を持たないように慎重に言うようにしてるって。自分の告知のトーンが相手の受け止め方を変える時代になってるんだよ。昔の昭和時代はね、がんと言えばみんなもう長く入院してホスピス入って死んでいくっていうのが。

岸田 そっか。

笠井 だったから、もう儀式だったんだよ。でも今はそうじゃないんだって。ただ1つだけ、患者さんの性格だけは見極めるようにしてると。軽くいった方がこの人は乗り越えやすくなるのか、重くいったほうが受け止めやすくなるのかってことは通常の治療の時に見極めてそこで言うようにしてると。
だから軽く言うっていうのは、もう今重々しく言わないほうがいいというトレンドがあるんだって、かえってくるのが基本だから。だから不満なんだよ、みんな。自分のがん告知に不満を感じた人。やっぱり3割ぐらいいるでしょう。そうなんだよね、もっとちゃんと伝えてくれと。僕なんか書面だから、みんな僕よりいいよ。

岸田 書面、間接的ですもんね完全にね。

笠井 書面だもん。その人がほんとに申し訳なさそうに、その先生がすいませんけどこれですみたいな感じでさ。でもやっぱり先生としては、書面でもいける笠井さんのがんのレベルと。ステージⅣって分かったのはそのあとなんだけどね。だから結局そのあたりがあるんで、自分はそうやって告知を受けて。
でもそれ受けた時に本当思ったのは、がんじゃないって言ってたじゃないかっていうのがやっぱり心の叫びだった。

岸田 前立腺肥大っていう。

笠井 そうそう、2つの病院でもうがんじゃないって言われて3つ目も確認だと思ってたのね。もしかしたらがんって自分でも思ってるよ。思ってるけど、でもこれは先生方が2人がんじゃないって言ってるんだからがんじゃないだろうなと思ってて一応いいところまでいってたのが、逆に引っ張り上げられてバンみたいな感じでひどいショックで。これからどうすればいいんだってこと、すごい考えましたよね。

岸田 そっかー。

笠井 フリーな時代だ。だからフジテレビのような大きな会社に務めてると、だいたい半年ぐらい休んでも基本給の7割ぐらいは返ってくるんですよ。休業補償と健康保険組合のあの保険証の傷病手当によって。でもちょうど辞めた2ヶ月ってその狭間に入ってるみたいで、色んなとこ電話したけど何も保証ありませんって話になって、いやこれからどうすりゃいいんだよみたいな。
そういう状況のなかで治療、入院が始まるみたいな状況でしたね。

岸田 そこから、ただセカンドオピニオンも行かれてるんですよね。

笠井 それがね、そうなんですよ。どんどん長くなるんだけれども。

岸田 全然もう、みんな。

笠井 そうなんですよ、それはどういうことかっていうと、3つ目の病院でそうやって書面でがんって受け取って、妻にはその4ヶ月の間がんの検査は内緒にしてました。だって前立腺肥大って診断くだってるから、前立腺肥大だってって家族には言ってたんですよ。
ただ、家ではどんどんどんどん症状が悪化していたので家族は心配していて、前立腺肥大ってそんなにひどいのみたいな感じではあったのね。
結局がんって告知を受けたことによって妻に、申し訳ない、がんだったと。辞めて1ヶ月半ぐらいのところでがんって分かったんで、言ったわけですよね。そしたら、すぐにセカンドオピニオン受けてくださいと。そんな悪性リンパ腫なんてわけの分からないがん、1人の先生に決めてもらわないでくださいと。
自分はもうその時全身のあちこちがもう痛くて、薬を、ロキソニンを大量に飲んでいないとうまく生活できない、仕事ができなかったので、これで入院できるってちょっと実は安堵していた部分があったのね。
ところが妻が、いやそれはもう1人の先生じゃだめだと。どんな先生っていうから、若い女医さんで頭がいいって。若い先生で頭がいいのはいいんだけども、回転が速いからね、すごく。でもやっぱりベテランの先生にも診てもらいたいって言われて。
たしかに僕の主治医の先生も珍しいがんだ珍しいがんだって言ってたわけね。骨盤原発っていうか腰原発で、骨由来なのね。骨から来てるっていうのはちょっと珍しくて、先生もちょっと難儀な感じだったのね、だから分かりにくかったみたいなこともあんだけども。
それで1つ言えることは、はじめの2人の先生のことを恨んでいけないって言われた。悪性リンパ腫とはそういうものであって、もうみなさんほぼ間違いなく転院してくると、他の科から。最初っから血液内科に来る人っていないんですって。

岸田 たしかに、僕もそうでしたね。

笠井 でしょう、まわってくるの。これやっぱり悪性リンパ腫かなみたいな感じで。悪性リンパ腫はそういうルートで来るから、誤診じゃないんだって。それが通常のルートであって、最初っからすいません悪性リンパ腫かもしれませんって来る人ってほんと珍しいんだって。よっぽど寝汗かいてよっぽど腫れてとかいう人じゃないと来ないみたいで。だからそれを恨んではいけませんと、そういうものですって言われて。
もうこれでやっと分かったから入院できるかなと思ったら妻がそう言うんで、もう自分としてはせっかく見つけてくれた、だって2人の先生が違うこと言ってやっと見つけてくれたんだよ、それも結構有名な病院でさ。その先生に、いやセカンドオピニオンしたいって言いづらかったわけよね。
でもその女医さんよりもうちの妻の方が僕にとってはちょっと脅威的な存在なので、妻の言うことに従わないと後々よくないなと思って。そっから次の先生を探すためのまず準備として先生に言ったわけね。その女医さんにセカンドオピニオン受けたいんですって言ったら、ちょっと申し訳なさそうに言ったら、ぜひ受けてくださいってもうすごい前のめりになっちゃって。
もう今の資料を全部次の先生にすぐメールで送りますから、早く時間もないのでもう早く次の先生決めてくださいって言われて。紹介はしてくれないんだなと。

岸田 そうですね、たしかにそれは。

笠井 それは色んな先生方に話を聞くと、今僕がんの啓発活動とかこういう活動もしてるじゃない。やっぱりね、紹介するって先生はほとんどいないね。

岸田 そうですね。

笠井 自分で決めるっていう。ここでみんな路頭に迷ちゃったりするんだけども。だからがん情報支援センターがあるんだけどさ。

岸田 がん相談支援センターですね。

笠井 がん相談支援センターがあるんだけどさ。それは後にして。
とにかくそれで3人目の先生をなんとか見つけて4人目の先生を見つけて、セカンドオピニオン受けてそっからまた2,3週間かかってっていうんで、最終的には最終決定まで4ヶ月かかったんだけども。
そしたらその先生がベテランのなかなか肝の座った先生で、まずね、私のことを知らなかった。笠井さんはアナウンサーをしてるんですか。ちょっとショックでした。特典はないなと思いました。
だけれども、言ってることがすごい難しくて。がん患者に寄り添うタイプ、今トレンドのね。ではなくてがん患者のがん細胞に寄り添うタイプなんですよ、学者先生。言ってることはかなり分からない、けれどもこの人は詳しいと。

岸田 もうその道のね、もうね。

笠井 そう、前の先生は珍しい珍しいしか言わなくて、今回の先生は自分でも、自分もそれなりに頭はいい方だと思ってるわけ。

岸田 いや、いいですよ、もちろん。

笠井 なんだけど、なかなか難しいこと言うから。しかもサラッと言うわけ。がんは全身にまわってますね。全身にまわってるんですか。悪性リンパ腫ってそういうもんですから。みたいなサラッと言って、この人ただもんじゃないなって感じで。
それでこの先生にしようと思って、3番目の先生にすいません転院していいですかっていったらいいですよってことで、その4番目の先生に主治医になってもらったんだけども。そういうかたちでようやく分かって、じゃあ入院してくださいって話になったんですよ。

岸田 そこで、びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫。

笠井 びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫です。先ほどお会いした人も同じ型なんですって方が廊下でお会いしたんだけど。

岸田 ほんとですか。

笠井 そうそう、お仲間がいましたけども。悪性リンパ腫の中でも比較的多いタイプのなんだけども、やっぱり名前が長いから治らないなと思いましたよ。肺がんとか胃がんとかじゃなくてびまん性大細胞型B細胞性リンパ腫。
だいたいね、がんってつかないがんになるとやっぱり結構ショックなんですよ、がんってつかない。肉腫だとか白血病だとか、これはがんですよとかっていう。何だっけ。

岸田 僕、胎児性がんです。

笠井 でもがんってっつくから、僕からすればまだいいねっていう。

岸田 分かりやすいですね、がんっていうのは分かりやすい。

笠井 そうそう、何それっていうところから始まっちゃうわけ、調べちゃったりして。調べると、もうだいたいあなたのがんはだめですって書いてあるんだよね。それで、だからこのサプリメント飲みませんかみたいなとこに行き着くんだけども。
そういう感じで、この説明を色々受けたりして。もうちょっとホジキンとか非ホジキンとかもうよく分かんなくて、とにかく治してくれればいいかなと思ったんだけど。

岸田 それで、そこから治してほしいっていったところで4人目を先生とする時に、その時まだ仕事はされてたんですよね。

笠井 もう仕事どころか、もうとにかくフリーアナウンサーっていうのは辞めアナ特需っていうのがあるんですよ。これ何かっていうと、辞めたばっかりっていうのは他局が面白がって使ってくれるんですよ。このアナウンサーこういうところが面白いんだ、こういうところが得意なんだ、こんな番組使えるんだっていうのをお試し期間として半年ぐらい色んなところ行くわけね。
その矢先に、もう試し期間もなくなっちゃうんだよ、長期入院ですって先生からは最低4ヶ月入院、場合によっちゃ半年、1年かかるかもしれないって言われて、いやこれはやっぱりきついなと思ったわけですよね。そのお試し期間だったので、もう仕事はいっぱいあったのね。だからその3人目の先生の検査もなかなか日が合わなくて、スケジュールを縫うようにして検査に行ってたんだけれども。
先生からはもうすぐにじゃあ入院してくださいって言われてたのね、もうステージⅣっていうのは先生分かってたので。でも僕はちょっと待って欲しいと、2週間入院を先延ばししてくださいっていうことをお願いしたんですよ。

岸田 ほう、結構すぐ治療しないといけないレベルじゃなかったですかね。

笠井 いや、だって3人目の先生は、笠井さんもう入院してくださいって言われたの。

岸田 でしょう。

笠井 がんですかって言ったら、いや、がんかどうか分からないけどこの数値笠井さんが重病であることは間違いありませんと。がんって分かったらがんの治療しましょう、がんでなかったらがんでないその病気の治療をしましょう、いずれにしろ入院してくださいって言われたけど、がんでなかったら私は入院しませんって突っぱねたのね。
だって、がんじゃない病気で死ってイメージがあんまりないから。がんだったら死ぬかもしれない、でもがんじゃないっていえば難病であっても死ぬことはないだろうって昭和患者は思うわけですよ。
っていうことで、がんじゃなかった、じゃあとにかく頑張ってくださいみたいな感じでロキソニン飲みながらっていうのでね、体中痛いから、特に腰が痛いし。で、仕事してて、実はその間に何が起きたかっていうと、2週間後に徹子の部屋が決まったんです。

岸田 徹子の部屋。

笠井 私はがんのことを隠していたから、がんじゃなくてやっぱりお試し期間の1つとして毎日出てた若いアナウンサー、私徹子さんと結構仲も良かったこともあって、やっぱり人間関係大事ね。

岸田 人間関係大事。

笠井 徹子さんの舞台をよく観に行ってたからさ。笠井くんフリーになったみたいだわねみたいな、そんな感じで。

岸田 イメージできます。

笠井 それで引っ張り上げてくれて、決まったんですよ、12月の17日だったかな、決まってて。自分はもう非常によくない状況であるがんだってことはもうその時分かっていて、4人目の先生のなかで。これは当初死んでしまうんだろうなとは思ってました、かなり覚悟決めてました。自分の体の痛みがかなり激しかったんで。死なないにしてもテレビにはもう出られなくなるんだろうなっていう感じもあったのね。
ですから、徹子の部屋だけは出たいと思って。テレビの前から去るんだったら、最後の出演はとくダネじゃなくって徹子の部屋って悪くないじゃないですか。そんなふうに考えるんですよ。フリーになって笠井さん消えたねって思われるのはあまりにも癪に障るっていうか負け組みたいな感じがあって嫌だったんですよ。少しでも爪痕を残したいと。
とくダネをいつもながらに出て、頑張って出ましたっていうのはあってもいいんだけども、それプラスアルファ、フリーになって徹子の部屋まで出たけどやっぱり笠井は去っていったていうのがよいなと思ったんだよね。
先生はすごいもう、いや2週間もっていう感じだったのね。

岸田 なりますよね、医療者側からしたら。

笠井 そう。でも自分としてはいずれにせよやっぱり長くないっていう気持ちが自分の中であったので、いや今考えるとなんてことしたんだろうって思いますよ。命と仕事を天秤にかけてるんで。
でもこれやっぱりがんと就労の問題になってくるんだけども、働いている人のマインドって意外と結構、特に昭和的な人はそういうとこにあって、特に重要な案件を抱えてる人は、いや今これでがんなんかで休んでいられないんだよと。俺一世一代の仕事を抱えたりしてると、どうしてもそっちへいってしまうっていうね。でも、ちょっと長くなって申し訳ないけど。

岸田 いや、全然。

笠井 最近やっぱり何人かの小児がんの経験者と話したんだけども、20代後半とかで小児がんで今もう30代なんだけども、その時に。ごめん、小児がんじゃなくてAYA世代のがん。20代の時にがんと分かって。

岸田 同じですかね。

笠井 同じような感じってこと。抗がん剤治療受けるともう妊孕性の問題で産めなくなるかもしれませんという時に、私の出会った人は2人、治療よりも子どもを産むってことを考えて、先生からはこの治療がいいって言われたけども、この治療だと出産できないかもしれない、この治療だとがんが撲滅できるか分かんないけども治療ではあるって時に、そっちを選んでる人がいるんですよね。2人いたのね、子どもは産みたいんだと。
先生がこれも治療の一環だよって言ったら、そっちで賭けようといって。でも2人とも今考えると間違ってましたって言うのね。つまりそれぐらい危険な選択だったと。乗り越えたからそれは言えるのかもしれないっていう。
結局その後になって、やっぱり今乗り越えて元気にしてるんだけども、それは最終的に最初の治療がうまくいかなくて出産できなくなるかもしれないっていう治療の方に切り替えて乗り越えられたので、そう考えると今はその選択をしたのは間違ってなかったなと思ってるっていうんだけども、子どもが産めなくなる選択ね。
でも最初にあの時自分が子どもが埋めなくなるっていうのをやだって思ったのは、でもそういうものなんだってやっぱり言うんだよね。

岸田 将来とか色んなこと考えた時に、やっぱね、自分だったらどうするっていう。

笠井 自分が抱えている当座の問題ってものと、がんってものに直面した時に、がんってすぐ死ぬ病気でもないんだよね、普通の病気と。

岸田 そうですね、交通事故とかでない限りね。

笠井 心臓とか脳とかってあっという間に亡くなってしまう。でもがんって、亡くなる時にお別れまでの時間があるのが実はよいんだっていう先生方とかもいたりして。

岸田 色んな考え方ありますね。

念書まで書いて入院を2週間先延ばし。「テレビから消えるなら、せめて徹子の部屋で」

笠井 がんだっていいこと、良いとは、嬉しいとは思わないけどね。ただそういうなかで、まだ時間があるんだったらこれだけはやっておきたいっていう、自分なりのかたのつけ方ってやっぱりあるんですよ。それで先生はうーんっていったんだけども、そしたらもう僕が言ったのは、念書書きますと。
ここから2週間の間に何があっても、これは自分の責任であると。そして入院できたとして、それでその後の治療の進行具合が悪くなって、それはあの時すぐ入院しなかったからだってことが分かったとしても、それは私の責任ですって書くって言ったら先生が、そこまで言うならね、遅らせましょうと。
ただ急変したら絶対にすぐに入院するようにというような感じで、分かりましたってことで延ばしてもらえることになった。そこから2週間が私と家族の地獄の闘いでした。っていうのは、実は私そっから仕事を休んで、毎日休みなく仕事が2週間あったのね最後。
その仕事全部休んで徹子の部屋だけ出て、最後に徹子の部屋の後にとくダネに出て生でそこで初めて告白して入院するっていう、その日スケジュールが立ってたのね。だから全部辞めようと思ってマネージャーに言ったわけ。じゃあこっから悪いけどもう、がんだと。マネージャーだけには言ってたから、がんのこと。もう休んで徹子の部屋ととくダネだけ出て入院するって言ったら、それは間違ってるよと。
私は笠井さんが戻ってくると思いますと。これから笠井さんが仕事を続けるうえにおいて、この2週間の間やめた仕事っていうのは笠井さんは徹子の部屋を選んで他の仕事は全部キャンセルしたと、仕事を選択したと思われて、これは信用の問題にかかって笠井さんの今後のフリー活動に大きく影響するので、笠井さん今すぐ入院するか全部の仕事をやって徹子の部屋ととくダネ出るかどっちかにしてくださいって言われたの。

岸田 究極ですね。

笠井 究極。それで私は全部仕事をすから徹子の部屋ととくダネに最後出させて欲しいっていって、じゃあ頑張りましょうって話になって。それから2週間は地獄でした。

岸田 ようもちましたね、体力とかね。

笠井 いや、もうね、今考えると無茶したなって思うんですよ。っていうのは、もうほんとにその間に漏らしたこともあったし、排尿障害とか腰痛がもうほんとひどくなっちゃって。もうほんとは24時間飲んでいたかったけども、やっぱりロキソニンを4回しか1日飲んじゃいけないって言われて、それ以上飲むともう中毒になっちゃうから。
なので、自分の仕事の時間に合うように飲むっていうね。そうすると、自分って飲んでからだいたい1,2時間で効いてくるんですよ。それで調整しながらやってて。それである時講演会の薬の飲み方間違えて、最後の10分で急に痛くなってきて。それを我慢しながらさ。
そしたら最後言われたのは、いや最後非常にクライマックス重々しいトークでほんと響きましたとか言われてさ、そういうこともあるのかみたいな、あったけど。

岸田 副産物ですね。

笠井 Qさまに出たときもさ、途中で痛くなっちゃって。Qさまで考えなきゃいけないし痛いしさ、もうどうしようかと思ってさ。ほんとそれもそうだったし、あと鶴瓶さんとももいろクローバーのトークショーがあんだけども、関西の。それ出た時も、もうトークしてる間に痛くなってきちゃって。
でもさ、がんのこと隠してるからそれでもう笑いにもってかなきゃいけないからすごい変なテンションで喋ってて。でもその後鶴瓶さんからすごい言われたのが、お前あの時がんだったんだろうっつって、あのすぐ後じゃないか発表したのはって、はいって言ってさ。どうなってんだよって感じで。
復活した後も鶴瓶さん優しいのは、お前はがんに復活してきたからっていうんですぐ2つのトーク番組採用してくれたの。すごいよなと思って。だけどね、家族に乾杯は呼んでくれないんだよね、頼んでんだけどさ。お願いしますって言ったら、あー出たいかみたいな感じで、あれはなかなかやっぱハードル高いんだよね。

岸田 ハードル高いんですね。

笠井 余計な話だけどさ。

岸田 いえいえ。ここ2週間頑張って、公表をしたんですよね。

笠井 そう。結局ね、ここが芸能人っていうところの存在の難しさで。もうとにかく最後の2週間は絶対に明かしてはいけないっていう非常に厳しい情報統制が。
やっぱりこれはアンコンシャスバイアスって問題があって、みんな無意識の偏見、がんなの大変ってなっちゃうからそれはもう優しさで仕事がキャンセルになってるわけ、がんだったらいいですからとなっちゃうから、こっち出ますと、出たいですってことで隠し通していたんですよ。
徹子の部屋をどうするかって問題になったわけ。ずっと隠してたんだけども、徹子の部屋で言うか言わないかっていうのがちょっとポイントになって。だって発表する前の収録だから、2日前の収録ですよ。なので、私は発表しない、楽しく徹子さんと話して終わりたいと、明るく。
で、とくダネで発表したいって言ったんだけども、妻がいやそれはおかしいんじゃないかって話になって。妻は元々アナウンサーだったので、テレビ東京の。つまり徹子の部屋は放送は1月だったのね。

岸田 ちょっと先ですね。

笠井 そう、1月で。笠井は12月のクリスマスの前にがんを発表して1月の放送で徹子さんとがんの話を一切しないで笑顔で話してるっていうのが徹子さんに失礼だって話になったの。

岸田 たしかに、時系列的にね。

笠井 テレビ的には話したほうがいいって話になって。それでやっぱりそうかということでプロデューサーに話したら、じゃあぜひ話してくださいと、秘密にしときますからっていうんで。当日すごいのがさ、また余計な話なんだけども、徹子の部屋って3本撮りなんですよ。

岸田 1日でね。

笠井 びっくりした。だって我々ロングインタビューって1日1本しかやっぱりやらないです、それは。なぜかっていうと話がごっちゃになっちゃうんですよ、色んな人のエピソードが。話の展開もあるし、別に台本見ながらトークなんかしないから、インタビューは。だから自分の中では想定しながらこういうふうにやって、それを2人、3人なんてやったらごっちゃになっちゃうわけね、だから。
本番行ったらさ、3本撮りやってて。だってもう90よ、びっくりしちゃってさ、えーって、すごいと思って。それで前の放送やってる時に打ち合わせがあって、徹子さんは今放送中と。徹子さんなんて言ってましたっていったら、笠井さんのがんのことはまだ知りません、えー知らないんですかと。やっぱりごっちゃになっちゃうから1つ1つ教えるみたいな。

岸田 そっか、そういうこと。

笠井 分かんないけど、詳しいことは。この後30分休憩があるのでその時に徹子さんにお話して、それで徹子さん考えますっていって。だからそれまで当然考えてるはずなんだよね、笠井のトークはこうしよう。直前情報によってたぶん大幅に変えたんだろうね。
だからほとんどがんの話。びっくりした。
それで結局徹子の部屋に出て、翌日北九州で、翌々日かな、とくダネに出る前の日。北九州で講演会があって、とくダネの密着ビデオも来てて、もう直前まで発表の時ね、実は仕事してましたっていうのを撮るために来てて。
そしたら、突然講演の直前にシンゴジラの樋口真嗣監督からメールが来たわけ。笠井さん大変ですね、応援してますって来た、LINEが。

岸田 えー。

笠井 何が大変なのと返したら、ご病気だと聞きました。何それっつって。

岸田 どこから。

笠井 どこからっていったら、ネットで出てますよ、新潮にって。新潮WEBっていうネットの週刊新潮、ネット版があって出てますよって言われて。えーと思って見たら、笠井アナ悪性リンパ腫、全ての仕事をキャンセルして半年間療養って書いてあって。えー、どういうことって。
やっぱりそこで思ったのが、そうかと思ったんだけど、実はテレビ局って館内共聴っていうのがあって、スタジオで収録しているものを他の人たちのスタッフが見られるようになってるんですよ。今この収録をしてるとか。たしかに館内共聴してたのよ。
別にみんなが見てるわけじゃないわけ、必要のある人だけが見てるわけよ。だから、そこからもう全然関係ない人が、笠井さんがんなんだとしかも隠してるってことは知らないわけ、その人たちは。

岸田 そっか。

笠井 もう発表したんだと思えば、がんなんだって知り合いに言ったりすれば、それ聞いた人がまたさ、笠井さんがんだって知ってたっていうから発表してない、えーそうなんだスクープじゃんみたいな、たぶんそういう伝わり方なんだよね。
だから徹子の部屋のスタッフは隠していても、館内共聴止めてくださいとまではうち頼んでないから。もう完全にそこはね、穴だったわけ。

岸田 抜けてましたっていうことでね。

笠井 それでどうしようと思ってマネージャーに電話して、バレたーみたいな、えーみたいな。スタッフの人は知らないみたいと。それで、じゃあそのまま何事もなかったように講演してくださいって、講演して。
最後のコメントでもう未だ忘れないのは、みなさん今日はありがとうございましたと。おそらく今日、明日私にとってとても大きなニュースを目にすると思いますけども、私は元気で頑張りますから心配しないでくださいって終わったの。

岸田 意味深、めっちゃ意味深。

笠井 そしたら最後、僕お見送りの時握手するんだけどもね。お見送りの時に1人だけ、若い女性が泣きながら、笠井さんって、ネット読みました、頑張ってくださいねって。知ってる人いるんだみたいな。

岸田 そういう公表だったんですね。

笠井 そう、なので。結局すぐにその日の夜ネットニュースでバーっと広がって翌日新聞にバーっと出て。それでとくダネの時にはもうご存知のようにみたいな、笠井くんがっていう感じでやったんですよ。

岸田 やったっていうね。

笠井 いや、ちょっとこれ話しすぎてるね。

岸田 ちょっとこれから治療に入っていくんですよ、公表してようやく入院できていくっていう治療に入っていくんですけれども、ちょっとそこでコメントも色々いただいてるので。結構いただいてますし、もう100名以上も見てくださっていますね。

笠井 ほんとだ、ありがとうございます。

岸田 コミヤさんから、仕事前に聞いてますっていうことだったり、AFさんも私も悪性リンパ腫でしたっていう言葉だったりとか、ブログにも時々コメントしてますっていう方だったりとか。

笠井 ありがとうございます。

岸田 母親は月単位で進むタイプでしたっていう。

笠井 じゃあ私と一緒ね。

岸田 はい。っていうことも。

笠井 中悪性度。

岸田 はい。フジタさんは私の母もそうでしたっていうことだったりだとか、年齢が低い人とか高齢者は同伴する場合があるけれども、働き世代だとそのまま告知ってあるあるですよねって。

笠井 20代で1人で告知受けましたって。ほらね、大変だよね20代。
告知どうやって受けました。

岸田 僕は告知は、疑いの時は1人でしたけど、ちゃんとした告知はやっぱご家族呼んでくださいでした。

笠井 やっぱり、若いからね。だから1人で受け止めるって大変だったと思うな。

岸田 スパロウさんもメンタルボロボロでしたっていうことだったりだとか。ステージⅣの卵巣がんの方が、やっぱり転移した婦人科で腹水を。

笠井 腹水たまって。

岸田 検査してもらって結果はどうしようっていう雰囲気だったので、悪性腫瘍確定と理解したらビンゴでした。摘出したら治るなというのを気にしてましたっていうことだったりだとか、セカンドオピニオン自費ですよねっていうことだったりとか。主治医も様々なタイプいらっしゃいますよねだったりとか、スマイルさんも笠井さんのこの後の、この後話も出ますけどWi-Fiにっていう活動に感銘を受けましたっていうこともいただいてます。

笠井 ありがとうございます。

岸田 現役世代の気持ち分かりますっていうことだったりとか、やっぱ仕事ギリギリまで私の場合もしてましたっていうことでね。

笠井 あらほんとだ、そうなんだよ。命と向き合うのに仕事ギリギリまでしちゃうんだよね。別にそこまで働いても働かなくても給料とかあんま変わんないんだけども、でもそういうマインドになってしまうのは分かりますよね、ほんとに自分もそうだったけど。

岸田 聞いてくださってる方はね、ほんとに色んな方の話聞いてほんとに、今は僕たちもう治療は大事だって思ってますけれども、その人のそれぞれの選択っていったところあると思いますので、しっかり主治医と相談して。

笠井 それはそうよね、その人の価値観だからね。

岸田 うんうん、価値観だと。

笠井 でも自分も無理しすぎたなって今ちょっと反省してますけどね、そこがなかなか難しいところです。

岸田 またがんノートに関しては、医療情報に関してはちゃんと主治医の方にちゃんとご相談していただいて。これはあくまで経験談でございますので、こちらの方ご理解いただければと思っております。
ようやく治療に入っていきます。

笠井 すいません。

岸田 いや、もうね。

笠井 今もうほとんどやっぱ講演会とかで話さない話なんで。

岸田 いやいや、ありがたいです、本当に。

笠井 貴重だなと思って話しちゃってるんですよね。貴重って自分で言うのもなんだけど。自分にとって珍しい体験ってことね、この話を人に人前でするのが。講演会の話はすぐに治療の方へいっちゃうんで。

岸田 ありがたいです、ありがたいです。なので、もうここから治療の話っていったところで治療スタートしていきます。最後の入院スタートしていって、みなさん見えますかね、ちょっとパワポ大にして。抗がん剤治療、そして味覚障害、コロナで面会制限だったりリハビリを開始していくというふうな感じとなっているのですが、といったところで笠井さんにちょっと色々入院スタートのところからまた聞いていきたいなと思います。

笠井 はい。

岸田 笠井さん、お願いいたします。

笠井 入院は4年前の12月19日でした。とくダネの収録の生出演を終えて30分以上話してましたね。小倉さんが色々聞いてくれたんで、自分のがんの話を。
それを終えて、それですぐ入院かと思ったんだけども、実はコマーシャルのナレーションの仕事をしてたんだけども、1箇所原稿が間違ってたんで録音のし直しをして欲しいって言われて。もう入院しちゃうから、もうとくダネから入院の間に渋谷のスタジオに行って訂正の収録をしてってなって入院したんですけども。
この時期入院した方、今入院されてる方、オンラインでご覧になってる方、ほんと同情します。やっぱりクリスマス、大晦日、お正月。

岸田 そうですよね。

笠井 最悪ですよ。入院ってどれぐらいだったの。

岸田 僕3ヶ月で、僕も11月から入院してたんで、11,12,1っていう。

~握手をする~

笠井 きつかったね。

岸田 ねー、だからね。

笠井 1番楽しい時に。

岸田 世間はうかれてるなかで。

笠井 そう、その時に病室にいなきゃいけないと。今でも覚えてるのがさ、ブログ毎日書いてたから、クリスマスイブですねみたいなブログを書いてたらさ、音楽は自分のパソコンのiTunesでランダムで聴いてたわけね。そしたら、クリスマスイブの書いてる時に山下達郎のクリスマス・イブが流れてきたわけよ、自分のiTunesから。
僕山下達郎の大ファンで毎年コンサート行ってるわけね、今年も行ったけど。それ流れてきて、もう泣けてしょうがなくて、何やってんだろう俺みたいな。

岸田 もう、自分の。

笠井 そう。それでそのことを泣きながら書いたわけよ。そしたら、すごいいいねを押してくれた人いる、ありがとうございます。だからすごいそれで救われたけども。そんなふうにして、結局過ごしてんだけども、やっぱ家族がお見舞いにまだ来てくれることができた時期だったので、僕は入院して1ヶ月間はコロナに入る前だったんで、みんな来てくれたんで。
その段階の中でみんなが、家族がお見舞いに来てくれてクリスマスのお祝いをしてくれたりして、すごい嬉しかったのをやっぱり覚えてるし、やっぱ家族、コロナに入ったら特にそうなんだけども、もう今の状況って家族しか頼れるものがないんですよ、友達に会えないから、知り合いも来ないし。
なので、家族がクリスマスイブに、まさに今日だよね、来てくれた。

岸田 こんな感じですね、この写真。

笠井 これ三男と妻が来てくれてクリスマスプレゼントくれたりして。靴下とそれからマッサージをする棒みたいなのくれたんだけど、それでもうほんと嬉しくて。帽子はこれダイソーですね。とにかくそんな感じで盛り上げてくれたことが救いになったし。
大晦日は緑のたぬきとか自分で作ったりして。お正月もやっぱり妻が赤い敷物とかおせちだとか年賀状持ってきてくれて。あと正月飾りだとか鏡餅とかちっちゃな門松とか色々持ってきてくれて、すごいお正月気分満載になって。それもやっぱり家で正月過ごすよりも病室の正月の方が正月らしい風景になって嬉しかったの覚えてます。
そんなふうにして、いわゆる入院しながら1つポイントは、入院してるからといって病人になりきるのではなくて、入院中も年中行事をちゃんとするってことを。

岸田 大事ですね。

笠井 妻がそういう人だったので。豆まきとかしましたからね。

岸田 えっ?

笠井 友達が来て、鬼の格好とか自分でしたりして。

岸田 怒られなかったですか。

笠井 いや、ミニ豆まきだよ。

岸田 ここだけね。

笠井 そんなさ、鬼は外―なんて先生に向かってやんないわ。

岸田 よかった、お互いにこうね。

笠井 お互いに鬼は外―とかっていってやって、そんなこともやったりしてそういう。あと誕生会みたいなそんなものもオンラインでやったりとか、そんなふうに入院したからといって別の生活をしないっていうか、入院してても日頃やってたことをやろうみたいな。だからお花見も窓から見えたし。表に行けなかったんで、屋上の散歩すら許されなかったんで大変でしたけど。
でもそういうようなことをやったことによって気持ちが折れずにすんだっていう、そういう過ごし方の工夫はありましたね。それで最悪の入院もなんとか乗り越えたと。

岸田 なんとか乗り越えたっていうことで。抗がん剤治療も結構色々副作用もたくさんあったってお伺いしましたけど。

笠井 抗がん剤治療は、私のようなびまん性大細胞型B細胞性リンパ腫の人は、多くの方が通院で抗がん剤治療してるんでね。

岸田 そうなんですね。

笠井 そう、もう今そういう時代になってて。やっぱり当日だとか1泊2日だとかっていう感じ、長くて2泊3日ぐらいとかで一旦家帰っていいですよと。家で体を整えて2週間ぐらいすると数値も上がってくるから、数値が上がってきたら3回目いきましょう、4回目いきましょうっていうふうにこうやっていくんだけれども、最初だけ1週間入院するとかね、そういうパターンが多いんですよ。
自分もやっぱり6クールやったんだけれども、2週間あくわけですよね。その間退院したいと。講演会も半年先まで40件ぐらい来ましたんで、でも一切お金がもうもらえなくなっちゃうからフリーって、働かないと1円ももらえないんで、基本給がないから。なので例えば1日でもいいからそういうところ行って稼ぎたいってこと言ったら、でも先生は無理です、だめですと。
一般の方がだいたい10時間とか20時間抗がん剤を注入して治療するとしたら、笠井さんは1回につき120時間抗がん剤を投与するので人の10倍ぐらい投与するから体がもたないし外にも行けないし、もちませんって言われて。実際倒れてましたよね、やっぱり。最後の3日ぐらい元気になってくるんだよね。それで抜けました、なんて言って。
そうすると抜けましたかみたいな感じで。ただその始めの抗がん剤を打ちながらの1週間、2週間、最初3週間のタームだからね、5日間連続で720時間抗がん剤を打ってその後2週間あけてだから、1つのクールは3週間だけども。その3週間の間、2週間ぐらいはもう倒れてるわけですよ。もうだから、鉛を飲まされたような感じというのかな、もう起き上がれないという。

岸田 ぐったりしてっていうね。

笠井 そうそう。それで、残りの3日ぐらいで元気になるから、数値も上がってきた、じゃあ2回目。上がったり下がったりっていう気分でね。

岸田 クールやるごとにね。

笠井 はい、なってくるんですけれども。やっぱり副作用ですごい心配だったのが、嘔吐ですよ。5年前、10年前の先輩に話を聞くと毎食吐いていたと、抗がん剤で毎日吐いていたと話を聞くんで、これはもう大変だなと。自分も120時間1回抗がん剤いただくと、2日ぐらい何も食べなくても全然お腹が減らないんですよ。
むかつきがひどいから食べたくもない。食べないでいると、どんどん痩せてくるんですよ、5kg、10kg、15kgって。そうするともうタレントとしてやっぱりテレビにはもう出られないなと思うと、もう食べることは闘いだってことをもうスローガンにして、もう看護師さんにはそれ持って帰んないんで食べるから、なんとか食べるから置いといてっていうんで。もう本当に食べられなかった。だから朝食を昼食べて、昼食を夕方食べて、夕食を深夜に食べるみたいな。

岸田 全部ずれてく感じですね。

笠井 そういう感じでずれてっちゃう、もう細々と食べてるから。でもなんとか食べるからみたいな。
嘔吐に関して言うと、もうほんとに心配だったんですけれども。それで毎日吐いてるとか毎食吐いてるってどうなると思います。でもね、話を聞くとね、生きているのが嫌になるんだって。

岸田 へー、ずっとね、吐いてるとね。

笠井 そう。抗がん剤やめてくださいってお年寄りから先生に訴えるってね、仕方がないなと自分も抗がん剤受けて思うんだけども。じゃあ自分どうだったかというと、4ヶ月半の間一度も吐かなかったんですよ。それは私が昭和男としての根性が座っていたから。

岸田 えへへ、根性論?!

笠井 それ、笑うなよ、笑うなよ。そんな根性ずわりかもしれないじゃない。

岸田 はい。

笠井 っていうか、みんなも笑ったね。違うのね、薬、制吐剤、副作用止めですよ。

岸田 吐き気止めね、はい。

笠井 今製薬会社ってがんの治療薬とともに副作用止めの薬を本当たくさん開発していて、その進化によってがんは乗り越えやすくなってるって多くの先生がやっぱ学会なんかでも話するわけね。この副作用止めによって乗り越えやすくなってるっていう。
私、制吐剤という吐き気止めが効いたんですよ。今制吐剤が効いてる人が、色んな種類があるのでほんと増えていて。それどうだった、抗がん剤は。

岸田 僕も抗がん剤やったんですけど同じく制吐剤で。

笠井 効いた?

岸田 効いて、僕も吐かなかったですね。

笠井 だから笑ったね、どうせ薬でしょみたいなね。

岸田 いやいや、違います違います。

笠井 残念ながら合わない人もいるんで、苦しみ抜いてる人、今もね、もう自分はなかなか合わないという人いるかもしれませんけども、でもかなり多くの人が、私の白血病の友達で2人、白血病の治療でも吐かなかったっていう人がやっぱりいて。だから、今ほんとに制吐剤って進んでいる。
それって、QOLっていう概念だよね、今言われるクオリティ・オブ・ライフ。治療生活や入院生活の質を上げるってことが非常に大事なんだと。治療とともにQOLを上げることを支持療法って言いますけど、抗がん剤の苦しみを支持していくっていうね。だから、制吐剤なんてさ、いくらいただいたって1つもがんは消えないわけよね。
だけれども、制吐剤が効くと吐かないから体重の減りが抑えられて体力が温存できて抗がん剤を続けようって気持ちになってがんと向き合おうって気持ちも生まれてくるから、西洋の研究発表ではQOLを上げると治療効果があるとか延命するっていう、そういう研究結果もきてるんだよね。
だから先生方もこのQOLを上げるってことにやっぱ結構意識を強めていて、看護師さんはみんなそこに強い意識を持ってますよね。結局生活の質を上げるってことがどういうことなのかってことになるんだけども。

岸田 そのための、さっきの制吐剤だったりだとかっていうことってことですね。

「バランスは健康な人がやればいい」——ペヤング、吉野家、ハーフ食で守ったQOL

笠井 そうそう。あとね、だからこそ僕言うんだけども、治療中は好きなものを好きなだけ食べればいいんだというふうなことを僕はやっぱりよくみなさんにお話するのね。私ね、ペヤングが好きなんですよ、ペヤングソース焼きそば。

岸田 僕UFO派です、すいません。

笠井 UFO派?

岸田 はい、UFO派です、すいません。

笠井 そこはね、世代の違いね、ペヤングの方が古いんですよ。

岸田 そうなんですね。

笠井 うん。四角くって食べやすい、ペヤングソース焼きそばって、知らないでしょう。

岸田 ちょっと、すいません。

笠井 知ってる人いる、ごめん、知ってる人手挙げない方がいい、だって歳って分かるから。

岸田 いやいや。けど、関西はUFO派多いような気がしますね。

笠井 そうなのね。ペヤングを病院のコンビニ行っちゃ買ってきて、こそっとこうやって置いておくわけね。もう今日はいいやと、病院食もまずいとは言わないけれどもやっぱり味も薄いし飽きちゃうんでね、もう今日はいいとか、食べないとか言ってペヤング食べてる。そういう時に限って、ガラッと妻が入ってくるのよ。

岸田 あー。

笠井 妻が、またペヤング食べてんですかと。もうあなたの病気のための栄養のバランスのとれた病院食出してくださってるんですから、そんなに体に悪いものばっかり食べないでくださいって言うけど、もう十分体悪いんですよ。何食べたっていいじゃありませんか。でもそことっても大事でして。食事において自分の好きなものが食べられたって、QOLが上がるんですよ、なかなか食べられないからね。
やっぱりみなさん経験者だよね。普通の講演会で、こんなにうんうんみんな言わないもん。こんなに大きく縦を、パンクロックのこういうのみたいさ、うんうんって。だからみんな相当苦労してきてるってことだよね、やっぱりね、そうなんだよね。
それで、ペヤングを食べて。結局じゃあなんで家族はそうやって食べなさいって言うかっていったら、これはもう典型的に分かってることがあって。私たち昭和患者だけど、家族も昭和家族なのね。
我々昭和生まれっていうのは給食の時間に、この牛乳を全部飲まないと校庭に遊びに行ってはいけませんとかいって、泣きながら牛乳を飲んだり、今日班で残す人がいたら遊びに行ってはいけませんという気持ちがあって、みんなそこを大変厳しい食育を小学校時代に受けてきたわけ。
今だったらパワハラだよね、大問題になる、泣きながら牛乳を飲ませるなんてすぐにワイドショーになっちゃうよ。でも当時そういう、我々はそれがしみついてるから、出されたものは食べましょう、食べなきゃいけない。そしてあなたは病気なんだからなおさらあなたのためのメニューなんですから、食べなさい。
あなたのために、あなたのためにっていうのが我々患者のQOLを下げてるってことを家族が分かんないんだよね。言いたいそれを。みんなも、うんうんっつった。やっぱりみんなもうんうんって言った。

岸田 その時はもう家族は理解してくれました、ちゃんと。

笠井 いや、もうそれはやってるから、主張するからね。

岸田 よかったよかった。

笠井 これじゃないと食べられないんだみたいな。だから、よく息子たちには、3人息子がいるんだけども、差し入れ何がいいっていう時には吉野家の牛丼、マクドナルド、ケンタッキー、そういうジャンキーなものを頼んで。それで吉野家の牛丼食うとやっぱりもう嬉しいわけだよ。
それでそこにソースと醤油を山のようにかけて食べるわけ。すごい体に悪そうな感じがするじゃないですか。講演でこの話すると、みんなこんな顔するわけ。でもそうしないと味がしないんだよね。

岸田 めっちゃ分かります、はい。

笠井 味が変になっちゃうわけ、それだけやってようやく風味が出てくるっていうかさ。だから僕はよく言うんだけども、栄養のバランスなんていうのは健康な人がやればいいの。我々患者にバランスは関係ない、バランスは後からとりゃいいんだよ。今拍手してくれた。

岸田 拍手してね、ありがとうございます。

笠井 でも普通の講演会でそこまで拍手する人はいない、笑って終わり、あははみたいな。でもほんとにそう思うんだよね。これやっぱり治療した人間しか分からないことであって、そこまで家族が理解してくれると少し。
だから結局、当時はもう家から食事作って来てもらってる人もいたし。あとやっぱり僕ら血液内科の3階の病棟歩いてるとちょっとそこからジャンキーな香りもしてくるわけよ。みんなやっぱり頼んでるだよね、そういうものをさ。

岸田 分かります。

笠井 味の濃いものだったりね、そういうものをね。それ分かるよね。だから結局そういうふうにして、私22人の看護師さんに4ヶ月半の間お世話になったわけ。22人の看護師さんはこの4ヶ月半僕はずっと抗がん剤やってたから、もう食べないで残しておくと、笠井さん食べないんですかと、いつも食べるって言ってるのにって。それでペヤング食べましたって言うと、全員が全員よかったですね、食べましたかよかったですねって拍手してくれる。
これ笠井さんフードロスにつながるので食べないんだったらはじめに言ってくださいねって、誰も言わない。なぜかって言うと、口から食べることがどれだけ大切かってことを看護師さんも先生も知っている。これは穴を開けて胃瘻、点滴、それは死なないけれども、やっぱり口から食べて咀嚼すること、胃や腸に刺激を与えることがどれだけ生きる力を与えるかってこと。
だから、たしかに胃がんとか食道がんの人は大変だよね、流動食から始まって。でも、どんな人であったってお医者さんが食べるなっていうもの以外のものをやっぱり食べたいんだったら食べて、それでやっぱり自分のQOL上げていくことがとても大事。
何食べたってお菓子食べたっていいじゃないかっていうのが、僕の経験上の話だよね。は、ほんとそう思いますから、そんな無理して嫌々ずーっと病院食ばっかり食べることもないし、病院食を食べなくていいって言ってるわけじゃない。たまには好きなもの食べさせてくれと、それを褒めてくれと、変な顔するなと。

岸田 食べれるのほんと大事で。僕も友人に王将のチャーハンとか買ってきてもらいました。

笠井 それ濃いやつでしょう。

岸田 濃いやつ、はい。

笠井 そうなのよ、そこにまた味付けしたりしてさ。

岸田 そうですそうです、だからマイふりかけは何種類か持ってましたね。

笠井 そうなんですよね。そうしないとおいしくっていうか、普通に食べられない。ただでさえ何でもまずい。だって、砂を食むような感じで白米食べてたっていう人結構いてさ、だからそこはやっぱり大事だなと。
だから僕もね、ほんと食べられなかったからもうピンポンって呼んで、栄養士さん呼んだわけ。それで食べられませんっていって。いや、笠井さん食べてるじゃありませんかって言うわけ。いや、それは無理やり地獄のような思いをして食べてるんであってもう本当に食べられないって言ったら、じゃあハーフ食にしましょうっていって。ハーフ食知ってる。

岸田 半分に感じですか。

笠井 いや、要するに色んな病院で今始まってるらしいんだけども、うちの病院ではやってたんだけども、カロリーを倍にして量を半分にする。

岸田 カロリーを倍にするの。

笠井 倍にするの、色んな副食みたいなのつけたりして。で、食べやすくして、すごい体重の減りもそうするとおさまってくるし、自分は栄養は摂るからやっぱり元気が干からびていかないっていうの。それで、それにしてくださいって言ってそれにしたわけね。
まずそれで乗り越えやすくなった。だけど白米がやっぱり食べられない、僕は。でも白米ばっかり出てくるんだよね。だから、またパイッて呼んで、白米食べられないからその都度頼んでいいですかって言ったら、ここはレストランではありませんって言われて栄養士さんに。

岸田 あれ結構前に変えるんだったら言わないといけないですもんね、あれも。

笠井 そう。それもさ、その時の気分じゃだめだから。

岸田 たしかに。

笠井 決めてくれればいいってやっぱり言われたわけ。決めてくれればっていうんで、朝パン食食べたいのにパン食少ないからパン食にして欲しいと。昼は頑張って白米食べる。夜は何も食べたくないから麺類でツルッといきたいんだと、焼きそばも好きですしみたいなこと言ったわけ。

岸田 ペヤングね。

笠井 ペヤングじゃないよ、ペヤング出せなんて言えないでしょう栄養士さんに。1番栄養考えてる人に、ペヤング出せなんて言えないでしょう。それ自分で買ってくださいって。

岸田 そうですね、はい。

笠井 そうじゃなくて、焼きそばも、焼きそば塩焼きそばとか出てくるからさ。大好きだったのさ。

岸田 いいですね。

笠井 それで、そういうので毎日でもいいからとにかく出してくれって言って、決めてくれれば出せるって言われて。パン、ごはん、麺、パン、ごはん、麺でハーフ食にしてすごい飲み込みやすくなって、QOL上がって。何が1番って、完食すると妻が褒めてくれるんだよね。それが1番QOLが上がるんだよね。

岸田 それは上がるな。

「我慢と遠慮」が治療を妨げる。痛みを正直に伝えることの大切さ

笠井 褒めてくれた、よかったみたいなさ、それで。それで結局乗り越えて、ピンポン抜けましたって言うと、じゃあ元に戻しましょうっていってまた元に戻って普通の食事になるみたいな感じで。
いやだから、何が大事かというとピンポンって私は自分で呼んだことが大事なわけ。それは栄養士さんってやっぱり忙しいっていうか、病棟に1人ぐらいしかいないから、いちいち御用聞きみたいに看護師さんみたいに全部の病室まわったりしないわけ。残されたものとかそういうのを見て考えてるわけ。あとは主治医との調整でメニューを考えてくれてるわけでしょう。だから呼ばなきゃいけないわけよ。
でもね、昭和患者っていうのはだいたい、特に高齢の男性。この病院はサービスが悪いとかいってもうふてってるわけね。それじゃあQOLは上がらないわけ。つまりQOL上がるっていうのは、人から施してもらうっていうことも大事だけれども、もっと言うと自分で上げる努力をしなきゃいけないの。
だから、こうしたいああしたいっていうことをちゃんと先生方に、こんなもん食えんっていうのはわがままだよ。だけれども、自分の治療はこうしたいんだ、こういうかたちでいきたいんだ、抗がん剤はここまでやりたいんだ、なんでもあるんだけれども、細かな自分の希望を伝えてコミュニケーションを取りながら治療方針や生活の質を上げてくことがQOLを上げるってことであって、一方的にやってもらうことじゃない。
だからピンポンって呼ぶ行為も大事なこと。だからこそハーフ食を知ったし、メニューの変更をできることを知ったわけね。
だから、家族の人が呼ぶこともいいんだけども、栄養士さんに聞いたらね、困るのがだいたい高齢の男性で奥さんがピンポンって呼んで、いやうちの主人が白米が食べられなくって言うと、高齢の男性は昭和患者だから余計なことを言うなって怒るんだって、その場で。そうすると奥さんがすいませんなんてなっちゃって。
そういう時には旦那の性格を見てよその部屋に栄養士さんを呼んで、メニュー変えてもらえませんかっていうふうにやるのが今のサポートの仕方、QOLの上げ方だったりするから。
だから結局ね、昭和患者のよくないところっていうのかな、いいとこでもあるんだけども、ここにいる人多くそうだけども、我慢を美徳と考えてるわけです。我慢することがやっぱり素晴らしいことであって、そうやって、だからこそ東日本大震災でも私たちは乗り越えられてこれたっていう東北のみなさんがいるわけ、我慢っていうキーワードでね。
それはそうなんだけど、男性は我慢、女性は遠慮、この2つのキーワードが今の令和医療の治療を進めにくくしてる。痛みはどうですかって言われて。

岸田 大丈夫ですみたいな。

笠井 だいたい女性、大丈夫ですよとかね、あるいはおかげさまでって言うんだよね、特に女性は。それは先生にお世話になってるからね、いちいちこんな痛みでやっぱり文句言っちゃいけないし、薬ももらってるから乗り越えられるでしょっていう感じで、自分で解決しようとする。
いや、僕もね、綺麗な看護師さんが来た時に入院中に、痛みいくつですかって。今痛みスケールって使ってるじゃないですか、結構多くの病院で使ってて。知らない方に言うと、痛みどうですかじゃなくて、あなたの人生で痛くなかったことを0、あなたの人生の経験上1番痛かったことを10とすると今の痛みはいくつですかって聞いてくるんですよね。
そうすると、5とか8とかっていう答えるっていう病院が本当に多くなってる、痛みスケール使ってて。私もやっぱりかわいい看護師さんに痛みいくつですかって言われて、その時8痛かったんだけど5って嘘ついたのね。それはそんなやわな男と思われたくないっていう昭和男の変なプライドがむくむくと。
今の若い子はさ、痛いんですって言うかもしれないけど、俺たち昭和男は大丈夫ですとかって言うのね。でもそれが後で先生に怒られた、それがだめなんですと。今の緩和医療は細分化されていて非常にメニューが揃っていると。だから8痛ければ8の緩和医療、5痛ければ5の緩和医療があって、8を5と嘘つくとQOLが3下がるんですよと、それでいいんですかと。
痛みっていうのは1番我々にとってやっぱり大事な要素であって、痛みがコントロールできないともう自暴自棄になる、家族にあたる、お医者さんにあたる、もう病と向き合えなくなっていいことが全然ないから、QOLの中でも痛みのコントロールってすごい重要なのね。
だから自分がどれだけ痛いかとかどの薬が効いてるとかどの痛みの薬が効いてないとか、そういうことも正直に細かく伝えるっていう。でもそれが、昭和患者はとても苦手なんですよ、自分のことをちゃんと言うことが。
それは我慢は美徳であり、よい患者になろうとしてるから。よい患者っていうのは、自分のためではなくて先生や看護師さんにとってよい患者になろうとするからだめなんだよね。そこのところがやっぱり僕らの課題、昭和患者の。そこの意識を、平時は我慢と遠慮は美徳だけども。

岸田 こういう時はね。

笠井 病気になったら、よい患者は悪い患者なんだっていう発想の転換をしないとやっぱりいい治療は受けられないっていう。それぐらい私たちの意識よりも医療って進化してるんですよ。

岸田 だから笠井さんも、自分で連絡してリハビリも開始されたんですよね。

笠井 そうそう、リハビリもね。自分で連絡したのはどうしてかっていうと、2ヶ月経った頃で外来の病棟で検査をしなきゃいけなかったのね。自分の病棟、3階から出るってめったになくて、ほんとに調子がよくて白血球量が上がってる時だけコンビニ行っていいですよって感じだったんだけども。
一般病棟に行くんですかと、もうコロナが蔓延してたから怖くてさ。一般病棟、大丈夫マスクしてればいいしちゃんと人のいないところ通って人のいないところで検査するから大丈夫ですよって言われて行ったんだけども。
2ヶ月経って初めて、10段の階段が渡り廊下にあるんですよ。そこを通った時に降りられなかったの、膝が抜けちゃって。ちょっと待ってと、えっと思って。病院って超バリアフリーじゃないですか、段差1つないわけ。だから、全然そんな気にならなかった、自分の膝が抜ける筋力の衰えっていうのが。

岸田 そうですよね。

笠井 筋力が衰えた人でも暮らせるようになってるっていう守られた環境で気付かなかった。やばいと思って、掴まりながらこうやって降りてさ、のぼる時はまだよかった、降りる時がだめだったね。それで先生これはって、そしたら、あーやっぱり筋力落ちてる、2ヶ月も寝てたからねっていって。リハビリやります?って、やりますって、やった方が絶対いいですっつって。
じゃあやりましょうかって話になって、自分がリハビリやりたいっていったんで呼んでもらったら、笠井さんやりましょうと。最初にさ、地べたにあぐらかいてくださいって、座ってください地べたにと。そこから手を使わないで立ってくださいと。こんなの簡単にできるわけ、普通ね。こうやって立てばいいんだから、地べたに座って。それ、全然立てないわけ。
今までベッドから立ち上がるなんてのはほんとに簡単なことだったんだと。自分は立ち上がれない人間になったんだと思って。やっぱりそうですねと、笠井さん体力落ちてましたねと。
なんで今までやってくれなかったんですかって言ったら、いや実はね、リハビリのシステムっていうのはお年寄りとか見るからに体力が落ちてる人にはこっちから手を差し伸べるけれども、笠井さんのようにのべつ幕なし元気に喋ってる人は治療を受けても頑張ってるなと思ってリハビリの必要があるってやっぱり思わないんですよと。
一人ひとりにどうですかって検査をするわけにはいかないので、だから気づきませんでしたと。だからよかったです階段降りてもらってって言われて、階段の昇り降りとか毎日やったんですけども。

岸田 たしかに笠井さん見てたら、すごい頑張ってるなっていう感じで。

笠井 そう。倒れてはいるんだけども、倒れながらも喋ったりしたからね。

岸田 さすが、それはね。

笠井 だから、結局やっぱりリハビリもQOLを上げる大きな要素なんで。だって歩けるように、普通に歩けるようになるって退院してから、いや実はだからリハビリが遅れてる人って退院した時に焦るんですよ。
日常生活をしようと思ったら、自分の玄関の段差が上がれないとか。で、大変だっつってリハビリセンターに通うとかっていうのがあるんだけども。入院中にリハビリは絶対やった方がいいんですよね。もうね、1ヶ月も入院してたら絶対やった方がいいし、特にお年寄りなんかは2週間入院してたらもうやんなきゃだめだよね。
だから自分からやりたいって言ってそれを見て先生方が判断するから、やりたいっていうことは罪でもなんでもない。いちいち呼ばないでくださいとかそんな人誰もいないんで、遠慮してんだよね。あるいは俺は大丈夫だっていう頑固によって進まない。
でもそうじゃなくて、まずは見てもらってこれはこういうリハビリをしましょうとか。僕なんか最大級のリハビリになっちゃった。

岸田 最大級?

笠井 やっぱり手も動かなかったしパソコンも動かなかったし、みんなもそうだと思うけどペットボトルも開けられない。もう色々あって、だから作業療法士と理学療法士と2人の先生が30分ずつっていうんでやったんですけれども。リハビリはほんと好きだった。

岸田 好きだった?

笠井 うん。できないことがたくさんあって。だってさ、こういうものをつまんでこっち入れるっていう、この作業ができないのよ、こうやって。つまめないんだもん。こういう作業を延々とやるわけよ。
でも何が嬉しいって、コロナ時代は人と話すことがほとんどなくなるわけですよ、見舞いが来なくなるからね。看護師さんはすごいよくしてくれる、親しくしてくれて助かるんだけどだいたい3分ぐらいでピンポンって呼ばれていくわけ話してても、忙しいんだよね。
でもリハビリの先生は確実に30分目の前にいるから、色んな話した。一緒にテレビ観た。僕の治療を解説してるテレビも観た。笠井アナウンサーの悪性リンパ腫はこうこうこういう状況でって専門の方がさ。それは会ったことない人が説明するんだけど、うーん、だいたい合ってるけどちょっと違うなとかさ、そんなふうにして。
そうか、やっぱり人の病気を説明するってやっぱり本人が観てる場合気をつけなきゃいけないなってほんと思っちゃった。

岸田 いや、そうですよね、それは。

笠井 そう、すごい思ったわけね。やっぱり色々なものがあっていわゆる一般論っていうのがあって、テレビ的には一般論語ればいいんだよね。一般的にはこうですよっていうんだけども、本人が観てると本人は結構違うとか思ったりする。
それはいいんだけれども、結局自分の癒やしの時間だったの。試練でもあったよ、持てないものを持てるようにしなきゃいけないから。あるいはすごい厳しい筋トレみたいなのあるから、きついんだけどもコミュニケーションを取ることによって自分の心の QOL は上がってったので。
看護師さんってUNIQLOの店員さんみたいなんだよね。なんだけど、リハビリの先生は美容師さんみたいな。色んな話を聞いてくれて。

岸田 やってる間ね。

笠井 そう、だからテレビ局のメイクさんってほんとに秘密を知ってるよ。みんな細々としたこと喋っちゃうの、メイクしながら余計なことを。

岸田 余計なことを。

笠井 だから企業秘密をたくさん知ってるの。そんなふうに、気持ちを吐き出すってとても大事なことで。やっぱりそこで忙しい看護師さんにいちいちこの深い話はできないなと思っても、やっぱりリハビリの先生にできるわけ、時間があるから、そんなこと困ってんのと。
時間大丈夫なのかな。

岸田 時間ね、そろそろ90分近くなりまして。

笠井 そうだよね。

岸田 はい。まず闘病の経験の退院していってっていったところをお話いただいて、3つだけちょっと項目聞きたいなと思っております。

笠井 分かりました。でもこれ終わるね。結局そういった感じでリハビリをやることもとっても大事なことで。だから治療とはまた違うんだけども、QOLという意味でも、その後、退院後の生活を支えるためにも入院中にリハビリを受けとくってとっても大事で。やっぱり声かけて欲しいってリハビリの先生ってみんな言ってるからね。
押しかけるわけにはいかないんだって、リハビリいかがですかみたいなのはやっぱりないんだって。

岸田 そうですね、だいたい医療者の誰かから。

笠井 先生方がリハビリをさせてくださいとかこの患者さんやってあげて、看護師さんがちょっと厳しいんでやって、そういうのがきっかけなんだって。だから自分から呼んで、先生見てくださいと、これリハビリしなきゃいけないんじゃないですかって。まだですねとかいいですねとかってなるんだって。だからそれも1つぜひチェックしてみてください。

岸田 ぜひ。そういった医療者にちゃんと自分の気持ちを伝えるっていうのも大事ですからね。ありがとうございます。
ちなみに闘病中のお写真、いただいてた写真、こちら。

笠井 これはもう朝食と昼食がダブルに残ってる時で。でも食べるから持って帰んないんでって言ってる。

岸田 言ってる時。

笠井 時ですね。右側もう抗がん剤によってムーンフェイスになってるっていう、ほんとに。夜さ、眠れないんだよね。だからね、涙が自然と出てきちゃうんだよね。そこがやっぱりきついところで。
これね、がんばれっていうTシャツだから。がんっていうTシャツじゃないから。友達ががんばれっていう赤いTシャツをくれたのでそれを着て頑張ろうとしてるんであって、がんなんていうTシャツがん患者は着ないし。

岸田 そうですね。

笠井 うん。それにがんなんてTシャツないから。たまたま写真のサイズがそうなってるだけなんで、勘違いしないようにしてください。

コロナ禍の孤独が原点。病室WiFi協議会を立ち上げた理由と現在の変化

岸田 はい、ありがとうございます。そうこうしていって、最後退院して本格的に活動再開されていって病室WiFi協議会を立ち上げられているというかたちとなります。

笠井 退院して非常に困ったのが、頭はツルツルに抜けたでしょう。

岸田 抜けました、はい。

笠井 抜けたよね、抜けてそれでまた生え始めてきたんだけども、眉も抜けたことが本当にショックで。色んなタイプによって副作用の出方は違いますけれども、私退院したら全部抜けたんですよね。退院した途端に全部抜けて、非常に人相が悪くなってて。
でもそうなった時に、テレビ局から退院宣言してくださいとかテレビ出てくださいって言われて、出たくないんだよね。だって顔がひどい顔だったから。じゃあ眉メイクしようって話になって、眉メイクしたんだよね。

岸田 そのお写真がこちらになりますね。

笠井 そうそう。生まれて初めてメイクしたんで、福笑いみたいな感じになって。だってこの顔でテレビ出てもさ、ヤクザですよ。

岸田 いや、イメージが全然そうなんですよね、違う。

笠井 そう、だから復活しましたっていってもこれ誰って話になっちゃうじゃん。笠井ですって、えーみたいな、それ嫌でさ。妻にも出たくないって言ったのね。そしたら妻が、それだとお金がもらえませんって言われて。半年間無休でいたから、ここからがフリーとしてお仕事って感じで。
で、眉メイクして。眉メイクしたら、やっぱりギャグ漫画の主人公みたいですけども、バレなかったんですよ。それで結構いい感じでなったんで、これはいいと思ってもう何かに付けて眉メイクしてました。
だからすごい、やっぱりこれもQOLの1つで、見た目を整えることによって、だって私のように長期入院してる人よりも、今は通院でがん治療してる人の方が圧倒的に多いわけね。例えば手術したってステージⅠ、Ⅱで早期がんだったらやっぱりロボット手術とかだから、1週間とかで肺がん、胃がんどんどんみんな退院していくわけですよ。
それで我々血液がんもやっぱりステージが浅ければみんなそもそも通院で抗がん剤治療するんで。長期入院してるのは病棟の一部の人たちっていう感じになって、私だとかね。そうするとほとんどの方が日常生活を行いながらがん治療を行ってる。
となると、がんと向き合いながら働く、子育をする、保護者会に行く、買い物に行くって時にやっぱり見た目は大事なのよ。

岸田 いや、大事です。

笠井 私のようにタレントじゃなくても大事なのね。こんな顔じゃオンラインの仕事もできないとかお買い物にも行けないわ、人にも会いたくないっていったら病と向き合いたくなくなるし、抗がん剤なんかやってるからこんなことになってるんだよってなっちゃうわけね。
だから、メイクとか大事で。肌のくすみだとかね、シミだとかね、眉だとかね、ウィッグだとかとても大事で。だから今さ、全国にアピアランスケア美容室。こういう見た目を整えることをアピアランスケアっていってさ。

岸田 外見のケアね、はい。

笠井 非常に今やっぱりQOLの中でも1つの大きな要素になってて。全国の色んなところに今アピアランスケア美容室ってでき始めてて、それはお客さんがみんながん患者。

岸田 アピアランス支援センター的なところが。

笠井 ううん、アピアランス美容室があるの。

岸田 おー!美容室?

笠井 美容室として、色んなところにあるのよ。俺その関係の人とよく話すんだけども、そうするとそこはがん患者さんばっかり来てて、あるいはウィッグの散髪もしてくれて。みんな患者さんだから、生えてきたわねなんて平気で会話して。このウィッグいいのよとか安いのとか、それはいいけど高いわとか、情報交換の場だったりサロン的な意味合いもあったりして、そういう美容室ができ始めた。
だって、毎年100万人の人ががんになってれば、当然そういうニーズもあるわけ。だからアピアランスケアとっても大事で。だからこの国立がん研究センターにもアピアランスケアセンターってもうできてんのよ。
それはがんを治すんじゃなくて、気持ちを整えて見た目を整えるケアセンターとしてもうそういう部署があるの。この総本山にはあるわけよ。それぐらい今の医療って色んなところに目が向いていて。だからQOLっていうところにやっぱ結構重きが置かれてきてる。
だからたしかに本庶先生が研究していた、やっぱりノーベル賞とった研究がオプジーボっていう特効薬になって僕の友達もそれで救われたけども、その治療薬を開発することも大事だけれども、治療も大事だけど、一方で支持療法という我々のQOLを上げていくケアがやっぱりとてつもなく今重要になってきてるっていう。両輪っていうぐらいね。
それね、令和時代にがん患者になって強く感じたことですよ。それによって仕事も復帰できた。

岸田 復帰できた。

笠井 そうそう。

岸田 仕事の復帰、こちらがお写真。

笠井 講演会ね。

岸田 はい、講演会のお写真。
いただいておりまして、やるようになっていって、そして今YouTubeなどもされているということでね。

笠井 そうそう、がん情報サイトのオンコロと一緒になって、こんなの聞いてもいいですかっていうのを毎月第3水曜日の夜8時から生配信でがん経験者とかがんの専門家の先生とか呼んで30分間生配信してて。ここ何回目、150何回目っていってた。

岸田 156、はい。

笠井 うちまだ40回目なんですよ。

岸田 いえいえ。

笠井 先輩って感じで。一度来てよ。

岸田 そうですね、また呼んでください。

笠井 僕も出たんだからさ。

岸田 はい、ぜひぜひ呼んでください。

笠井 交換で、ね、そうだよね。そんな感じでやってます。

岸田 はい、ありがとうございます。そして病室WiFi協議会も立ち上げられて。

笠井 これはやっぱりコロナ時代に入院して、誰も見舞いに来ないっていうことの辛さは入院患者しかやっぱり分かんないわけですよね。今面会禁止から面会制限っていうところに少し緩和された、とはいってもやっぱり家族1日10分だけとかね、まだなかなかそれも許されない病院もあるなかで、孤独を救うのはインターネット環境なんですよね。
そのインターネット環境がやっぱり外とつなぐことができている、あるいはTVerだよ。ドラマ観たいと思って、人気ドラマ遅れをとらないように観たいと思っても9時からだからさ、消灯後なわけだよね。観られませんでしょう。でもTVerだったら、ネット環境があったらいつでも全ての民放ドラマが無料で観られるんですよ、今。そしたらもう昼間観ればいいわけですよね。
それでそんな楽しみが昼間ワイドショー観なくてもいいわけですよ、ってワイドショーの人間が言っちゃ申し訳ないんだけどさ。だからそういう感じ。だって自民党の裏金問題ばっかりさ、がんになって詳しくなってもしょうがないじゃん、でしょう。VIVANTとか観たいじゃない、そういうのをさ。

岸田 観たいです。

笠井 でしょう。だから、そうなってくるとインターネット環境とても大事なんだけれども、全国の9割の病院で業務用に先生と看護師さんと事務員さんがWi-Fi使ってるんだけれども、電波環境協議会っていう総務省の外郭団体が毎年調べてるんだけども、もう私の入院当時は患者さんにWi-Fiを提供している、入院患者にWi-Fiを提供している病院って3割しかなかった、当時。7割の病院は自分でやんなさいって。
これはもうおかしいと思って、退院してから病室WiFi協議会っていうのを9人で作って今活動してるんだけれども。病院にお願いしてもお金がないとかっていうんで、政治家それから官僚にロビー活動して補助金つけてくれってことをお願いして。
実際私たちも入院患者600家族にアンケート取ったんだけども、Wi-Fiがなくて入院中どうしてましたかっていって。
私はだいたい付き8,000円から1万円追加料金を払ってギガを増やしてた。それで色んなことやってた。
だけども、私たちが調べた600家族のうち49%が我慢したって答えてきたの、半分だよ。なんでって聞いたら、ただでさえ治療費かかってるのに、入院費もかかってるのに家族とかにギガ増やして欲しいとかポケットWi-Fi借りて欲しいとか頼めないと、余裕がないということで我慢したっていう。
あるお母さんは、子どもの連絡っていうのが今LINEなんだって、クラスLINEで。それをちゃんと見るためにはギガがなくなっちゃいけないから、もう必要な時だけ開いて子どもの連絡がきてないとかってやってあとは閉じとく、消しとく。だからスマホでWi-Fiがないから観ようと思えばそれはTVer観られるけど、観もしない。
それは孤立とか孤独化ってことがコロナで社会問題になってて、当時NHKのニュースが横浜刑務所でクラスターが起きて、受刑者と弁護士が面会できなくなったの。そしたら横浜弁護士会がそれは人権侵害であるといって記者会見開いて、それがニュースになってたの。
たしかに受刑者の人たちも面会できなくて救わなきゃいけないかもしんないけども、もっとたくさんもっと刑罰を受けてない病人がコロナで孤立化されてるのに1つもニュースになってないわけよ。これはおかしいと。それで団体作って、記者会見したりして訴えて記事になったりしてね。
そうやって、今ほんとに厚生労働省もようやく去年動き始めて状況変わってきて。特にがんの拠点病院に対して病室のWi-Fi作ったほうが望ましいっていうような、そういったアンケートとかを出し始めて。結構今がんの拠点病院に関してはかなり病室Wi-Fiつけてるところ増えてきた。
他の病院もやっぱりそれに追いついてくかたちで増えてくことを望んでいて、ここの2年間は全然動かなかったけども、直近1年間で3割の普及だったのが4割に増えたわけね。
だからやっぱりコロナが山を超えて病院も今何が必要かってことをようやく考える余裕ができてきて、やっぱり病室のWi-Fi増えているんで、もうそれをもっともっと増やそうと思って活動を続けているところです。

岸田 ありがとうございます。ほんとにね、笠井さんのもう告知のところから今の至るまで様々なところお話お伺いしてきたんですけれども、ちょっとここでインフォメーションをさせていただいて、最後に笠井さんにメッセージの色紙を持ってきていただいてるので、そのお話をちょっとさせていただければと思います。
インフォメーションに関しては、まず協賛いただいてくださっているアフラックさんやIBMさん、Itongue様、ありがとうございます。そして今日共催をさせていただいている希少がんセンターさんもちょっと来ていただいてるというか。

笠井 カトウさん。

岸田 希少がんセンターのカトウさんにも来ていただいておりますので。カトウさんこちら持ってちょっとお話いただけますでしょうか。

カトウ みなさん、こんにちは。今日はようこそいらっしゃいました。私国立がん研究センター希少がんセンターのカトウと申します。希少がんセンター知ってる人、手挙げてください。ありがとうございます。2014年に解説したんですね。希少がんの患者さんに光を当てようということで、ここ築地なんですけど柏キャンパスと一緒に開設しております。
みなさま方に色々応援していただいて10年続いております。笠井さんは20年走り続けたっていうことなんで、私もあともう10年走り続けようかなっていうふうにちょっと思いました。次いいですか。

笠井 次こちらですね。

カトウ みなさんにお知らせしたいことなんですけど、東北に希少がんホットラインが開設してなかったんですけど、12月1日に東北大学に希少がんホットラインが開設しました。

岸田 素晴らしい、素晴らしい!

カトウ なので東北のみなさんに命の綱がつながったわけですので、ぜひご活用いただけたらいいなと思うし、あまりまだ公開していないみたいなんでどんどんみなさん共有していただければなっていうふうに思っております。

岸田 カトウさん、今全国にはどれぐらいあるんですか。

カトウ 今ですね、東北にできました。あと東京はここの中央病院ですね。あと名古屋大学にあります、大阪国際がんセンターにあります、九州大学にあります、5つです。あと2箇所準備中っていうことですので、またどこかで公開してきたいなというふうに思っております。

笠井 これ自分の地域にない場合は、今あるところに連絡していいんでしょう。

カトウ 大丈夫ですよ。

笠井 東京に電話してきてもいいんだよね。

カトウ 大丈夫ですよ。そして最後に私今日笠井さんから、我慢と遠慮がなければいいんじゃないかなっていうお話されてました。

笠井 頑固と遠慮。

カトウ 頑固と、失礼しました。希少がんセンター活用する時に、頑固と遠慮をみんなそれをない気持ちで希少がんセンターを活用していただければなというふうに思っております。そしたらいいサービスできるんじゃないかなと思っておりますので、どうぞみなさんよろしくお願いいたします。

岸田 はい、よろしくお願いします。ありがとうございます。こうやって本当、笠井さんも希少がんの1つでもあると思いますけどね。

笠井 いや、それがさ、僕罹患した時には悪性リンパ腫って希少がんっていう感じでもう捉えてたんだけども、最近色んな血液がんの専門家の先生に聞くと、もはや悪性リンパ腫は希少がんっていうところを抜けようとしているっていう感じを言う先生が多いんだよね。
今9位ぐらいなんだけども、悪性リンパ腫の中でも希少がん的なリンパ腫もあるんだよね。例えば僕のびまん性大細胞型B細胞性リンパ腫とかいうのは、もう希少がんっていうのは言えないかもしれないとかってやっぱり言うんだけども、ただ当然希少がんセンターに電話してもいいわけだし。
とはいっても、やっぱり自分も経験値の高い病院で悪性リンパ腫で診てもらった方がいいと、いわゆる五大がんとかっていうどこでも診てもらえるようなものとは違うっていう認識はやっぱり持ってくださいとは言われるので。
だから、言葉にこだわるわけじゃないんだけども、それぐらい増えてるんだって悪性リンパ腫って、人が。理由はなかなか分からないけども、検査が進んだことによって今まで何がんかちょっと不明だった人が悪性リンパ腫というかたちで病名がついたとかそういうこともあるんじゃないかっていうことを先生方は言ってました。

岸田 ありがとうございます。そんな笠井さんに、最後になりますけれども、今闘病中のあなたへということで、これ観てくださっている方々、様々いらっしゃいます。コメントも。

笠井 そうよ、拾ったほうがいいんじゃない。

岸田 はい、読みましょう読みましょう。すごい、ほんとたくさんいっぱいいただいてますね。もう本当にいっぱい。

笠井 どれを読むのって。

岸田 笠井さんのサンタ帽子と僕のトナカイ季節感いいですねっていうことで。

笠井 ありがとうございます。

岸田 ありがとうございます、いただいております。

笠井 QOLは本当に大事ってほら、方もいらしてるね。

岸田 方もいらっしゃいますね。

笠井 エスケーエフさん。あなたのためという言葉はまゆつばですだって、うわー、そういう経験あるんだろうね。あなたのためだから、あなたのためだからってさ。本当の気持ちで言ってるんだけど、家族はね、実はね。こっちからするとそれがちょっと押し付けないでって思うことがあるっていう。ただでさえやっぱり気持ちがやさぐれてるから患者って、なかなか受け止められないんですよね、それが。

岸田 余裕がね、ちょっとなくなっちゃう部分がありますからね。

笠井 そうそう、うん。

岸田 リハビリの大切さが分かりましたっていう言葉もいただいたりとかね。

笠井 そうそう。

岸田 医療費がかかるのにっていったところもありましたし、コロナ前の入院でした、ギガマックスまで使って過ごしてましたっていう方もいらっしゃる。

笠井 やっぱりね、そうだよね。無料Wi-Fiがあればギガマックスまで使う必要ないんだもんね、そう。

岸田 今濾胞性リンパ腫で抗がん剤治療のサバイバル中ですと。入院中に笠井さんのトークとか聴いてましたって、今ちょうど闘病中の方もいらっしゃいますよ。

笠井 濾胞性の方はまた別の意味でみなさん苦労されてるんだよね。いわゆる低悪性度って言われてるんだけども、進行が遅いから濾胞性リンパ腫って分かってがんって分かってるのに治療が始まらない人結構いるんですよ。がんがもっと進んでから治療しましょうと。
自分の中にがんがあるのに病院に来なくていいって言われてて、それでストレスが溜まっちゃうって相談を何件も受けたことがあるんだけども、やっぱり色んなタイプがあって。
いや低悪性度でよかったねなんて一言で言えないんだよね。

岸田 おっしゃるとおりです、はい。

笠井 そう、だからなかなか色々とね、みなさんそれぞれのがん種によって悩みが違うっていうのよく分かりますよ。

南三陸から届いた色紙、病室WiFiの仲間——がんがつないだ「足し算の縁」

岸田 そんな闘病中の方も今観てくださっていますので、今闘病中のあなたへというメッセージ、笠井さんにこちらの色紙を用意していただきました。

笠井 はい、ドン。

岸田 ドン。

笠井 これどっかで寄ったほうがいいんじゃない。

岸田 はい、今寄らせていただきます。ドーン。

笠井 引き算から足し算へ。

岸田 引き算から足し算へ。

笠井 がんになって悪いことばかりじゃない。メリークリスマスということなんですよ。

岸田 いいねマークを。

笠井 いいねを押してくれた人いる、ありがとうございます。この引き算から足し算へってどういうことかっていうと、もう引いていいですよ、そんなに私のアップ。
どういうことかというと、自分の中に精神的支柱の言葉として引き算の縁と足し算の縁っていう言葉があって、これ東日本大震災の時に自分は2日目から1ヶ月ぐらいむこうに行っていて、自分の心の中から湧き上がった言葉なんですけれども。
基本的に災害にあってもがんにあっても、人間マイナス思考、引き算でしかないんですよ。
だから、現地へ行ってまずみなさんあの人がいなくなった、この人が死んでしまった、行方不明になったといって失われた縁を引き算のように数えながらみなさん泣いていた。
ところが、3週間経って1ヶ月経つと、避難所で新しい友達に会えた、病院で先生たちと出会えた、ボランティアの人と親しくなった。中には、笠井さんに会えたのは津波が来たからですね。
最低最悪の時にもう終わりだではなくて、最低の時に出会った人を大事な人として縁を結んでいく。最低最悪の時に出会った人、こと、ものというのを自分の中に取り込んでいって縁を広げていくことによって、人は前に進む生きる力を得るということを、私は12年前の被災地で東北のみなさんに教わりました。
翻って私どうだったかというと、半年先まで40件あった仕事は全部キャンセル。あるいは色んなテレビに出る仕事、ラジオの仕事、レギュラーもなりそうだったけどみんなキャンセルになって、マイナス思考でしかなかった。もうフリーアナウンサーってやっていけるのかなっていうような絶望の中にあって。
そんな時に南三陸から、当時のみなさんがお見舞いに来てくれたのね。

岸田 おーおーおー。

笠井 もう電車も通ってないのにさ、バス乗り継いで。ほんとに色紙を5枚持ってきてくれて、南三陸の住民のみなさんのメッセージがたくさんそこには書き込まれていて。真ん中に、笠井さん今度は私たちがエールを送る番ですって書いてあったんですよ。
毎年毎年被災地支援に、東北に行ってあるいは取材をして、南三陸もちょくちょく顔出してましたけれども、あの最低の被災直後にマイナス思考でしかないなかで出会った人たちが、こうやってプラスに転じて自分の足し算となって応援してくれる、自分が励ましてた人に励ましてもらうなんて思ってもなくて。やっぱりそういった時に結ばれた縁っていうのは大切にしなきゃいけないなって思ったわけですよ。
だってこうやってみなさんにお会いできたのも、私もみなさんもがんになったから出会うことができた。がんになって嬉しいとは思わないけれども、でもこの縁っていうのはがんがきっかけになってるのは間違いないので、がんを悪いことばかりじゃなくてそういった良いきっかけの1つとして捉えることもできるんじゃないかなと思うんですよ。私が岸田さんと会ったのもそうだよね。

岸田 そうですね、はい。

笠井 そう、資生堂のラベンダーリング、あれで出会ったわけだからね。

岸田 そうですね、イベントでね。

笠井 そう。だから、がんになって嬉しいなんて1つも思わない。だけれども、がんになって、これってがんになったから経験できたことなんじゃないかなっていうことが、誰だって実はあって。そこにもっと目を向けて拾い集めて貯金してけばそれなりの額になっていくんだよ。でも、もう終わりだと思って口座を閉じちゃったらお金はたまらないのでそこが大事なんじゃないかなと思って。
実際にがん友といって、やっぱりがんになったことによって知り合った人だとか親しくなった人とかいたりして、がん友の方が仲良くなるなんてね。自分も病室WiFi協議会の仲間はマスコミ、フジテレビ時代の仲間は1人もいない。全部がんになってから出会った人と団体立ち上げたんで。その人たちと今1番仲良く連絡取り合ってるけれども。
僕がんになってなかったら、とくダネの仲間たちを細々と続けてるみたいな感じだった、こんなに縁が広がっていかない。だからそういう意味で、そういったマイナス思考からプラス思考の転換を1番どん底のとこに人間はできるんだということ。そこをみなさんにもぜひとも知っていただきたいし、そのきっかけを掴んでいただけたら今の苦しい体験も1つまた前が見えてくるんじゃないかなと。
本当に先が見えない闘病を続けてる方もいらっしゃると思うし。なんだけれども、そのなかでもやっぱり何か見つけていただけたらなと思って、引き算を足し算にということを思います。

岸田 そしてこの秋に、笠井さんの本が出ました。

笠井 ありがとうございます。そうこれ、がんがつなぐ足し算の縁っていう。これは寄ったほうがいいね。中日新聞社から出た本でして、脱昭和患者のススメって飽きてあるとおり、昭和患者として経験した、今の医療にそぐわない自分をどこだったのかってことをここに書いてあるので。
今日ほんと色んな話をして、もう何だかあまりにもたくさん早口で喋ったからよく分かんないっていう方も大丈夫です、全部これに書いてあるから。復習はこの本でってことで。Amazonとかで手軽に手に入りますので、よかったらチェックしてみてください。何か1つヒントになっていただければと思っております。

岸田 笠井さんのエピソードだったり、それに付随して様々な方のお手紙の話だったりも入ってますからね。

笠井 そうそう、読者のコメントとかそういった投書がたくさん載ってるのが、自分1人だけの意見ではちょっと、もっと複眼的なね、多様性を持たした本にしようと、そうなっております。

岸田 多様性を、はい、ありがとうございます。最後コメントね。私もがんノートに出演したいとか、ありがとうございます。ホームページに応募フォームもありますので、ぜひまたそちらも入力してもらえたらなと思いますし。今入院中ですが導入されていました、2年前にはWi-Fiなかった人が今は導入されていますって。

笠井 やっぱそういう病院が増えてきてるんだね。よかったですね本当に、TVer観てね。

岸田 ありがとうございます。それでね、ほんともう2時間近くお話いただきました色々。

笠井 いや、喋ったね。

岸田 いや、ほんとありがとうございます。

笠井 あのね、結構疲れた。

岸田 いや、すごいほんとにね、細部までお話いただいてほんとありがとうございます。

笠井 だから、そうなのよ。むしろ講演会とかで話してる話をしてない感じだよね。聴いてくださってる人いるみたいだけども、ありがとうございますほんとに。だから、そうじゃないいつもしない話を、ちょっといいチャンスなんでさせていただきました。

岸田 いや、めちゃくちゃよかったです、ありがとうございます。また笠井さんのYouTubeだったりとか色んなもので、また笠井さんのご活動を観て、みんなといきたいなと思いますし、この動画が今の闘病中の方だったり色んな方の1つのヒントになればいいなということを思ってお話してまいりました。
それではまた次の動画でお会いできたらと思います。ご視聴いただきましてどうもありがとうございました。

笠井 ありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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