目次

※各セクションの「動画」をクリックすると、その箇所からYouTubeで見ることができます。

インタビュアー:岸田 / ゲスト:奥村

ミュージカルに人事の仕事——がんとは縁遠かった32歳奥村さんの日常

岸田 それでは、がんノートmini、スタートしていきたいと思います。きょうのゲストは奥村さんです。よろしくお願いします。

奥村 お願いします。

岸田 奥村さん、よろしくお願いします。早速なんですけれども、きょうの奥村さんの自己紹介、こちら、していっていただければということ思っております。奥村さん、神奈川県のご出身で東京都の在住と。お仕事が会社員、そして趣味が読書とミュージカル、括弧やるほうっていうですね、やるほうまで書かれているって、なかなかないと思うんですけれども。ミュージカルはどういうこと、やる人。お仕事、会社員ですもんね。

奥村 仕事は全然、会社員なんですけど。ミュージカルはNPOでやってて、2009年ぐらいから、社会人2年目ぐらいのときからずっと。ずっとっていうか、3回、4回ぐらい舞台に立ったんですけど。それでキャストとして、歌ったり踊ったりをしていました。

岸田 ガチや、すげー。

奥村 いや、全然ガチじゃないですけど、全然、素人集団ではあったんですけど。でも、お客さんも何千人も来るようなミュージカルだったんで。

岸田 いやー、すごい。ありがとうございます。そして、ミュージカルやるほうをしてから、読書、ちなみにどういった読書されるんですか。

奥村 小説も読むしビジネス書も読むし、いろいろですけど。やっぱ病気になって、なんか仏教とか宇宙とか、結構そういうジャンルまで広がりました。

岸田 広いっすね、さすが。そんなさまざまな読書もされつつ、そして、がんの種類がスキルス胃がんということで。スキルス胃がんってあれですよね、胃がんの中でもちょっと珍しいものになりますよね。

奥村 割と若い人がなっちゃうやつですね。

岸田 そしてステージが4、ここら辺も後で聞いていきたいと思います。告知年齢が32歳と、今は36歳、そして手術や薬物療法をされているという形になります。

「まさか自分が」人間ドックで異常なし、でも体は静かに変わっていた

岸田 そんな奥村さんのペイシェントジャーニーを、お伺いしていきたいと思います。ペイシェントジャーニーはこちら、すごいですね。なんかマクドみたいな感じの、Mみたいな感じに。

奥村 本当ですね。山あり谷ありって感じで。

岸田 山あり谷あり、なっていくんですけれども、さあ、これがどういうふうに最初から最後までなっていくのかということを、お伺いしていきたいと思います。それでは、初めに、最初のところ何があったかというと、転職。転職されて、ちなみに、お仕事でどんなことをされてるんですか。

奥村 仕事は人事の仕事をしていて、採用とか教育とかそういったところですね。

岸田 転職され、そして人間ドックを受けていくといった中で、人間ドックを受けていくと、げっぷが変に止まらないっていうことになりますけど、この人間ドックでは何も問題なかったっていうことですか。

奥村 人間ドックはそもそも別に、何か自覚症状があって受けたわけじゃなくて、年齢も31歳とか32歳だったんで、ぼちぼち一発やってみるかみたいな感じで、やりましたと。結果は何も問題なくって、ただ胃の生検、胃壁の細胞をとって検査したらピロリ菌がいるって話になって、それを治療はちょっとしたっていう感じです。その後の副作用だよって医者には言われたんですけど、げっぷが止まらなくなったっていう感じでした。

岸田 げっぷ、何気にげっぷってQOLめっちゃ下がりますからね。

奥村 特に、食べるとうえって、なっちゃうっていう状態でした。

岸田 もう、四六時中?

奥村 でも、四六時中ってほどではなかったんですけど。やっぱり、今、言った食事の前後っていうか、最中と後っていう感じですね。こんときが結構、出てきちゃうっていう感じでした。

「食べると吐く」が日常に。会社で倒れた日、救急搬送先で告げられた事実

岸田 げっぷが止まらない、そんな中でこっからまた下がっていくんですよね。毎日、吐くように。げっぷが激しくなった感じ。

奥村 本当に、どんどん進化していっちゃって悪いほうに。だから、げっぷが出て食べづらいなって思ってて。夏ぐらいに、おにぎりとか食べてたら、ちょっと飲み込めない感じになっちゃって、喉の奥がちょっと、つかえてるなみたいな。それがどんどんひどくなっていって、この頃には食べると本当に飲み込めない? 喉の本当に下のほう、この辺で詰まっちゃってて、胃までで落ちてく量が少なくて、ここの食道になんかすごいたまってる感じがして、それが保持できなくなって出てきちゃうっていうのを、毎回繰り返してて。だから、昼飯とかも会社でデスクで飯、食うじゃないですか。そしたら、もう保持できないからオフィス出てトイレ、行ったりとか。あと、会社の近くの草村で吐いたりとかしてました。

岸田 体重も結構減ってくんじゃないですか、このとき。

奥村 このときそうですね、やっぱり徐々に減り始めてましたが、まだそんなに急激にって感じではなかったですね。

岸田 草村、行って吐くとか、もう相当ですね、本当ね。

奥村 いや、相当ですね、本当。倒れる前日、前々日ぐらいにディズニーランドに行ってたんですけど、ディズニーランドでも吐いてましたね。

岸田 えー、ディズニーランド、夢の国で。

奥村 夢の国で、もうめちゃめちゃ吐いてましたね。

岸田 うわー、大変。そんな今、ちらっと言っていただきましたけど倒れるっていうことで、会社で倒れたんですか、奥村さん。

奥村 この日の朝、今でもめちゃめちゃ覚えてるんですけど、朝、飯食ったら本当に、もちろん吐いて。すごい体調悪くなってふらふらしてて、それで電車で会社、行ったらずっとふらふらしてて、朝礼があったんですけど、そのときもずっとふらふらが止まんないなーと思ったらシャットダウンして、気付いたら倒れてたんです。

岸田 わー、もう倒れて。

奥村 会社の人もう、みんなびっくり。

岸田 いや、そうですよね。いや、倒れる人ってなかなか、会社に。

奥村 なかなかいないですよね。そうそう、いきなりばたんって倒れたんですよ。

岸田 みんな、うわー、どうしようってなって、そのまま病院に担ぎ込まれるということですね。そして、そこから、がん発覚。えっ? もうそのまますぐ、がん発覚していくんですか。

奥村 だから、これ会社で朝、倒れて。そのまま救急車、呼んでもらって。病院行って、そこから原因を特定するためにいろいろ検査して、胃カメラもやったりして。その日の夜に、先生に嫁も、妻も同席をしたんですけど、これは悪性腫瘍の可能性が、そのときは可能性が極めて高いって言われたんですよ。なんで、確定診断ではなかったんですけど、極めて高いと言われました。

岸田 もう、そんなすぐ分かる、分かったんですね、それでね。

奥村 スキルス胃がんっていうのが、胃壁がひだ状になって固くなってしまうような特徴のあるがんで。結局、僕がなぜ倒れたかっていうと、その胃壁が固くなって出血もしてて、その出血で貧血になって倒れちゃったんです。

岸田 あっ、そういうこと。胃の中で本当、血が出まくってたんですね。

奥村 だから先生も、もう見た一瞬で分かったっぽい、これスキルスだっていう。

セカンドオピニオンは4病院。命を懸けた選択で唯一「寄り添ってくれた」先生とは

岸田 そうなんや。そして、そこでがん発覚していって、そこからセカンドオピニオンを受けていくわけなんですね。奥村さん、そのままその場で治療していくっていう形じゃなくて、いろんな病院、行ったんですか。

奥村 まずそこが会社の近くの病院だったんですけど、人間ドック受けた所と同じだったんですよ。これ、今でも本当にずっと覚えてますけど、その病院の人間ドックを受けた後のピロリ菌の検査、見てくれた先生が、ずっと共感してくれる方も見てる方、いると思うんですけど、お医者さんって結構いろんなタイプの人、いるじゃないですか。本当にいけすかない医者だったんですよね、その人が。奥村さん、若いから、別に大丈夫ですよ、みたいな。全然取り合ってくれなくて。ふたを開けてみたらがんじゃねえかよって言って、その病院が本当に信頼できなかったんです。病院として。

岸田 いやー、信頼できへんわ、それは。

奥村 なんだ、この医者みたいな感じで、そこで受ける気はもう毛頭なかったっていう感じでした。

岸田 だから、違う病院にも結構、見ていって。どうでした、セカンドオピニオンやってみて、どういう基準で、どこに行ったかっていうのはどうしたんですか、このとき。

奥村 自分自身が、なかなかこういう状況になっちゃうと動けないというか。もうショック過ぎて、まともに病院、探して、どこがいいだの、ああだのって判断できない状態になっちゃってたんで。妻とか妻のお父さん、義理のお父さんとか自分の父とかがすごい探してくれて、いくつかの病院を回って話を聞いてったっていう感じですね。四つとか、ぐらいだったかな。

岸田 話を聞いて、ここにしようと思った決め手ってなんかあるんですか。

奥村 決め手は、本当にたいしたことない決め手に聞こえるかもしれないんですけど、人でしたね。

岸田 いやいや、全然、大事。めっちゃ大事。先生が。

奥村 先生、もう技術とか経験というよりかは人柄だったんですよね。本当に例えば、東大だったりとか、そういう有名な病院、行ったりとか、有名な先生の話、聞いたりしたんですけど。さっきの話じゃないんですけど、先生っていろんなタイプの人がいて、合わない先生もすごいたくさんいて、むしろ合わない先生しかいなかったんですよ。こっちはもう命、懸かってるじゃないですか。本当に命、懸けて話をしてるのに、全然取り合ってくれないっていうふうに受け止めちゃうような態度の先生ばっかりで、全然寄り添ってくれないなっていう中で唯一、1人だけすごく親身に寄り添ってくれる先生がいて。その先生にお世話になろうというふうに妻と相談して決めました。

岸田 そこに決めて、そして、そこで治療を受けていくっていう話になるかと思います。そして、治療が薬物療法、TS-1やオキサリプラチンっていうことをやっていきます。結構どうですか、薬物療法やって、すぐ体調とか大丈夫でした、副作用とか。

奥村 やっぱりオキサリプラチンの点滴投与する薬材のほうが結構きつくて、吐き気、めまい、しびれ、便秘、下痢みたいなのは、ばーっと来て。投与して数日間は、なかなかまともに動けないみたいな感じでした。ただ、TS1のほうは副作用がほとんど自覚するものがなかったので、そこは良かったなという感じでした。

岸田 ありがとうございます。そこから、だんだん上がっていくんですよね。こちら、職場復帰っていうことで、スムーズに復帰できたんですね、このときは。

奥村 治療を始めて副作用はあったんですけど、最初の数日間だけだったので、それ以外は出勤ができるっていう状況だったので、普通に9時、6時とかフルタイムで復帰をしました。

岸田 9時、6時で。結構、体力、持ちました、9時、6時。

奥村 意外にTS-1の副作用が少なかったおかげで、何とかなりました。

腹膜播種からコンバージョンへ。胃全摘手術後、肺血栓まで発症した入院の実録

岸田 そして、そこから上がっていきます。まだ上がっていきます。何かというと、手術ができるようにということで。あれ、これ、今まで手術できなかったんですか、何気に。

奥村 スキルス胃がんっていうのが大体、発見されたときにはステージ4っていう結構、厄介なやつで。どういう状態だったかっていうと、腹膜っていう内臓を囲ってる膜に播種しちゃって、転移しちゃってるから、手術ができない状態で発見されるってケースが非常に多いというタイプのがんで、僕もそれだったと。先生からはコンバージョンって言って、その状態からでも抗がん剤が効けば手術できる可能性がありますって言われてたので、それを目指してた。そしたら抗がん剤がめっちゃ効いて、検査をしたらできますよって話になったっていう。これは本当に、当然ですけど、本当にめちゃくちゃうれしかったです。

岸田 普通だったら手術できないっていうふうな感じのがんではあるけれども、手術ができるような形だったということですね、抗がん剤がめちゃくちゃ効いて。そして、そこから下がってまいります。さあ、下がってまいります。どうなのかっていうと、ああ、良かった。手術ができるようにってなったのに、めっちゃ下がってるから、ちょっとやばいんかなと思ったけど。手術で開腹手術と、胃と脾臓と胆のう、ですかね。摘出していくっていうことで、胃はどれくらい切ったんですか、結局。

奥村 胃は全部ですね。

岸田 全摘か。

奥村 胃をとっちゃって、食道と腸をつなぐっていう手術です。

岸田 それで脾臓と胆のうも全部とってしまったということですね。めっちゃ大変そう。結構、手術、時間、かかったんじゃないですか。そんなことないの?

奥村 8時間ちょっとぐらいかかったって聞きましたね。

岸田 そこから手術して、まだまだ下がっていくんですよ。何かというと地獄の入院生活ということで。いやー、なんか手術して、いろいろとってるから大変そうな入院生活であると思いますけど。

奥村 大変でしたね。

岸田 具体的にどんなことがあったんですか?

奥村 まず、手術が終わって目覚めるとベッドで、10本の管が体に通っていて全く起き上がれない状態で、きつかったのは最初の3日間、4日間くらいで。そのとき、やっぱり起き上がれても何だか気持ち悪くて。頭が割れるように痛くて、もう、とても起き上がれないっていう状態が、まずあったと。そこから徐々に回復していったと思いきや、いろんな発熱だったりとか、ずっと寝てるから血流が悪くなって血栓ができちゃったりとかして。

岸田 血栓できちゃったん、やっば。

奥村 血栓が、それも本当、結構やばくて。肺にできちゃったんで結構やばくて、それでまた軽い手術もしなきゃいけないとかいう話になって、終わりが見えないのが一番きつかったですね。もう、これ、いつ退院できるんだみたいなのがつらかったですね。

岸田 けど、それぞれを処置してなんとか。どれぐらい結局、入院したんですか、これ。

奥村 入院したのは1カ月半ちょっとですね。

岸田 1カ月半ちょっとの間に、怒涛にいろんな出来事があった。

奥村 いろんなことがあって、もうしんどかったですね。

岸田 うわー。そんな中、上がっていくのは、つらかったときのことから退院っていうことで、さっきあった、1カ月半ぐらいで退院できていき、そして、その後、職場復帰もできていくということで。これも結構スムーズに職場復帰はできました。

奥村 ただ、1回目の職場復帰は、胃も脾臓も胆のうもあったんで、ある意味で体は五体満足だったんですけど、2回目は全部とっちゃってるんで、そもそも食事ができないわけですよ、胃がないから。だから、飯も食えないから元気もなくて、フルで働くのはとても無理、体力全然ないしエネルギーもないから。最初はもう2時間とか、9時に行って、11時に帰るとか10時半に帰るとかそういう感じで。だから、認めてもらえた会社に本当に感謝っていうところですね。

岸田 会社の理解もあって、そういうふうにさせてもらって職場復帰ができていったっていう感じですね、そっか。ただ、そっから下がっていくんですよね。こっから何があったかっていうと薬物療法。あれ、今、手術をとって全部、摘出して退院できたけど、まだそこから、がんがあったってこと。

奥村 手術をした後の術後抗がん剤治療っていうのは基本パッケージらしくて、手術したからといって、もちろん万能じゃないので、その後も出てこないように、悪さしないように1年ぐらいは抗がん剤をするっていうのがあって、それをやったっていうことですね。

岸田 術後抗がん剤をやっていて、ただ、ここは腹腔内投与って、どういうやつです、これ。

奥村 これは、普通の抗がん剤って経口で飲むか、静脈で点滴でやるかっていうのが普通だと思うんですけど、これは自由診療のちょっと特殊なやつで。おなかにポートっていう機器を皮膚の下に埋め込んで、そこに針を刺して、直接おなかの中にパクリタキセルっていう液体の抗がん剤を入れるっていうやつ、それをやってました。

岸田 そんなんがあるんや。これも主治医の先生と相談してそう決めたってことですもんね。

奥村 そうですね。

岸田 いろんな、ちゃんと、がんノートでは、あくまでも個人の経験談にはなりますんで、視聴されている皆さんは、しっかり主治医さんと話し合って、いろいろ治療法は日々、進化もしていると思いますが、標準療法だったりとか、いろんな療法もあると思いますので、そこを見ていただければと思います。

「終わりが見えた」矢先のクラス5判定。それでも手術から3年後、ついに休薬へ

岸田 そして、その後こちら、細胞診検査でクラス5ということで、これはどういうことですか。下がってるけど。

奥村 これは、ある意味で、最初にがんって言われたときと同じぐらいショックだったんですけど。手術をして、そこから1年間、術後抗がん剤をやって、それで問題がなければ、抗がん剤もいったんストップしましょうっていう話で進んでたんですけど。その最後、いよいよ今回の治療で、何も問題がなければ抗がん剤をストップするぞっていう最後の検査で、おなかの中に液体があって、それをとったら、そこにガン細胞があるっていうことが、はっきりと断定されてしまったいう。だから、やっと抗がん剤治療、終われると思ったら、クラス5っていうガン細胞があるっていう断定の結果が出てしまって、めちゃめちゃショックでしたね。

岸田 もうすぐやめれると思ったら、実はやめれない、むしろちょっとやばい的な。そこからどうなっていくかっていうと、こちら。薬物療法がやってくるんですね。

奥村 だから、これはきつかったですね。

岸田 そっか、薬物療法やってて。ただ、これ、こんときも一番最初の薬物療法と一緒っていうことですね。TS-1とオキサリプラチンっていうことで。

奥村 同じやつでした。ただ、この腹腔内投与っていうほうはそんなに副作用なかったので、またオキサリプラチンやるのかっていうのはめちゃめちゃ嫌でしたね。

岸田 また同じような副作用とか出ました、やっぱり。

奥村 やっぱり出ましたね。1回目よりは多少は良かったですけど。やっぱ、きつかったですね。

岸田 そして、そのまま上がっていきます。それはオキサリプラチンが終了していくということで。これは、もう主治医の先生からOKということで、終わっていったっていうことですね。

奥村 もともと始めるときもやっぱりきついので、できるとこまで頑張りましょうみたいな感じで、限界が来たっていう感じでした。

岸田 そういうことか。そして、ただ、そのまんまTS-1は継続していくということで。こちらは副作用が少なかったっていうことですよね、奥村さんにとってね。

奥村 これは、そんなにきつくなかったので良かったです。

岸田 そして一番上がっていきます。上がっていくとこ何かっていうと、休薬ということ。これどういうことですか、休薬したってこと、そのまんまやけど。

奥村 手術から3年ぐらいたって、そんなに問題がない。CTやったりとか、超音波やったり、いろんな精密検査やっても、ずっと特に、クラス5が出た後、問題がなくて。そういうことであれば、手術から3年ぐらいたったの一つのめどにして、ちょっと休んでみるのもいいんじゃないですか、みたいな。そういう先生の方針だったので、じゃあ、もう休みますということで。もちろん、最後は自分で、家族で決めて休薬をすることにしたというのが今年の2月ですね。

岸田 休薬してみてどうです、今まで8カ月ぐらいたっていると思うんですけれども。

奥村 やっぱり元気になりましたね。体重が増えましたし、あと、副作用が自覚するものそんななかったっていうものの、やっぱりちょっとした倦怠感だったりとか、あとTS-1の副作用で爪が変色しちゃうとか、肌がちょっと変質しちゃうとかあるんですけど。そういうのもきれいさっぱりなくなって、あれはすごく良かったですね。

岸田 今は休薬しても特に、何もなくがんのほうも、もう今、見当たらないっていうことですよね、一応、全部、摘出しったってことですよね。

奥村 今も数カ月に1回、精密検査してますけど全然、問題なくて。そう、この間、人間ドックまた受けたんですよ、2回目の。受けたら握力だけC判定で、それ以外が全部AとBで、めちゃめちゃ健康でした。

岸田 握力。

奥村 握力がなくなっちゃってて。それだけCで、あとAとBでしたね。

岸田 それは握力以外、喜んでいいって感じですね。

奥村 握力以外は、はい。

岸田 握力も、そんな。

奥村 そんな、別に必要はない。

岸田 握力使う仕事じゃなければね。

奥村 そうです。

岸田 ありがとうございます。そういった奥村さんのペイシェントジャーニーでありました。本当ね、がんが発覚してから治療、そして地獄の入院生活がありいの、今は休薬してといったところになるかと思います。

ゼルダ、大食い動画、2歳の笑顔——地獄の入院を乗り越えた「現実逃避」と家族の力

岸田 そんな中で、奥村さんのゲストエクストラっていうことで、こちら、お伺いしております。大変、困ったこと。大変だと思うことで、困ったことといった中での、先ほどの入院生活といったところいただいております。これは、さっきの地獄の入院生活の終わりの見えない日々ということですけど。やっぱ、この入院生活、そんだけつらかったっていうことですよね

奥村 先ほども言ったように、終わりが見えないのが一番きつくて。もちろん、体的にも経験したことのないつらさはあるんですけど。いっても、ちょっとずつ回復するんですよね。ちょっとずつ回復してって、ちょっと良くなってきたなと思ったら、最初、そのウイルス性の発熱で、がーんと下がって。それも何とかなって、ちょっとずつまた上がっていったと思ったら今度、血栓ができて、がーんと下がって。これは、いつになったらこの病院から出れるんだっていう、終わりが見えないのが一番もうしんどかったですね。

岸田 そこから奥村さんは困ったこと、大変だったことから、どういうふうに乗り越えていったのか、こちらになります。どんっ、ということで家族、そしてNintendo Switch、YouTube。Nintendo Switchって初めてのワードにはなるんですけど。

奥村 意味、分かんない。

岸田 意味ちょっとそうですね。ちょっとNintendo Switchから聞いてもいいですか、これはどういうことでしょうか。

奥村 要は、現実が厳し過ぎて受け入れられなかったんで、現実逃避したかった。その手段がNintendo Switchだったっていうことですね。

岸田 ちなみに何やってたんですか、Nintendo Switchでは。

奥村 ゼルダのゲームをやってました。

岸田 ゼルダのゲームをやってるということで、それをね、何かやってないとね、やってられないですよね、本当ね。

奥村 そうですね、これ病室にも持ち込んでやってました。

岸田 大事です。あと、ご家族も、やっぱりサポートしてくださってということですかね。

奥村 入院してたとき多分、1日も欠かさず誰かが来てくれてたっていうのがあったので。それは、もう、めちゃめちゃ感謝してますし、子どもが当時2歳とかだったんですけど、状況が分かんないが故に非常に無邪気で、笑ってくれてるわけですね。それを見て、ものすごくエネルギーもらえて頑張ろうと思いました。

岸田 子どもの笑顔って半端ないですよね、本当ね。

奥村 やばいですね、生きる力でした。

岸田 生きる力。そんな子どもの笑顔を見ながらのYouTubeを見るということですね。YouTubeは、これはなんでYouTubeを入れてるんですか。

奥村 YouTubeはどういう状況で見てるかっていうと、ベッドから起き上がれないみたいな気持ち悪いとか痛いとか、そんな状態で、ふらふらな状態になりながら見てて。何を見てたかっていうと、大食いのYouTubeの動画を見てましたね。

岸田 大食いの、そういうふうなものを食べれるようになりたい的な。

奥村 胃がなくなっちゃって、それこそ、さゆとか離乳食みたいなのしか食えなくて。だけど、いつかはこういうラーメンとか牛丼とか食ってやるって思って。しんどい中、見てました。

岸田 うわー、すげーな。しんどい中、あえて見るんや。その大食いのやつとかを。

奥村 あえて。食べたかったんですね、多分ね。食べたかったんだけど、食べれないから見て我慢するっていうか、見て満足するみたいな感じでした。

岸田 今は、ちなみにどうですか。食べれるんですか、ラーメンとか。

奥村 本当に人間の体すごくて、胃が僕は全部ないんですけど。なんかこう腸が、胃のような働きをするという話を聞いて。だんだん多分そうなっていって、今はもうラーメンでも牛丼でも食べれます。ステーキでも食べれます。

岸田 えー、すごっ。それって、どれくらいで食べれるようになったんですか。奥村さんの場合、胃をとってから半年とか1年とか。

奥村 いやー、やっぱ1年くらいは全然食べれなくて。僕の場合は米、食えなくて1年間。米、食うと気持ち悪くなっちゃう、みたいな。パンとか食べてて。1年ちょっとたったくらいで何となく、あれ、食べれるぞみたいな感じになって。そっから段階的に向上してったっていう感じでした。

岸田 じゃあ、胃がなくても1年たっていったら、食べれるようになってくるぞっていうことですね。

奥村 少しずつ食べれるようになりました。

命はいつ終わるか分からない。だから「自分の人生を思い切り生きる」——闘病の経験が教えてくれたこと

岸田 ありがとうございます。そして、奥村さんに次こちら、お伺いしていきたいということ思います。こちらになります、どん、メッセージということで。奥村さんが、がんを経験して学んだことだったりだとか、それを視聴者の皆さん、闘病している人の皆さんに、このメッセージをいただいております、どん。思い切り自分の人生を生きるべしということ。奥村さんこの言葉、ご説明いただいてもいいでしょうか。

奥村 もう、私はずっと健康で32歳まで生きてきてまして、お酒もそんなに飲まない、タバコは吸わない、スポーツはそこそこやると。まさかそんな自分が、がんになるなんていうことは想像もしなかったんですけど、そういうことが普通に起きちゃったということで、しかも非常にたちの悪い、もう治らないんじゃないかっていうものだったんですけれども。それが何とかなったと。
その経験の中で学んだことは、人生って、命って終わるんだなと。しかもそれって、いつそうなってしまうか分からないんだなっていうことを、とても強く感じて、学びました。なので、そういう一回しかなくて、いつ終わるかも分かんない人生だったら、なんか人の顔色、うかがったりとか、誰かの意思の下で生きるとかではなくて、本当にど真ん中で、自分の意思を持って、自分の人生を歩んでいくっていうことが、すごく大事なんじゃないかなということを思いました。
もちろん、いろんな人とかに影響を受けたりするんですけど、結局、自分の人生は自分のものでしかないし、自分の人生は自分のものでしかないので、後悔しない生き方、それは自分の人生を思い切り生きることなんじゃないかなっていうふうに思いました。そんなところです。

岸田 人の顔色とか見ずに自分でやりたいことを本当、自分の人生なので生き切ってほしいっていう。思いますよね。なんかすごく響いてきました。ありがとうございます。

奥村 ありがとうございます。

岸田 ありがとうございます。本当に、奥村さん胃を全部切って、それからの闘病生活、そして休薬して、今は副作用なくということで生きられているっていったところ、きっといろんな方たちの、本当に見通しになってくれるっていうことを思っております。きょうは本当にご出演いただきまして、どうもありがとうございました。

奥村 ありがとうございました。

岸田 ありがとうございました。これにて、がんノートmini、終了していきます。それではバイバイ、さよなら。ありがとうございます。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。

関連するみんなの経験談