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インタビュアー:岸田 / ゲスト:佐藤

38歳で慢性骨髄性白血病と告知-自動車教習所教官、佐藤さんのプロフィール

岸田 今日のゲストは佐藤さんです。よろしくお願いします!

佐藤 よろしくお願いします。

岸田 佐藤さんは宮城県から参加してくださっています。宮城は今、寒いですか?

佐藤 いや、本当に急に冷え込んで、もう体感は真冬って感じですね。

岸田 なるほど。そんな佐藤さんの自己紹介スライドはこちらです。宮城県ご出身で、現在も宮城県在住。お仕事は自動車学校の教官ということで、先生なんですね。僕も大学に入る前に自動車学校に通ったんですが、教官の方に本当に温かくご指導いただいたのを覚えています。今は普通に車を運転していますが、どうしても初心を忘れがちになるんですよね。そこで質問ですが、生徒さんによく「これだけは口酸っぱく言ってる」ということはありますか?

佐藤 そうですね。ガチガチに緊張している人には「その気持ちを忘れないで」と伝えています。

岸田 なるほど、緊張する気持ちを忘れない。

佐藤 そうです。恋愛でも、最初は女の子と手をつなぐだけでドキドキするじゃないですか。運転も同じで、最初の気持ちを忘れちゃダメだよと伝えています。

岸田 ありがとうございます。初心を忘れないということですね。

佐藤 はい、そうです。

岸田 そして佐藤さんの趣味は、野球、バスケ、そしてモンハン。今日はバスケの試合も見に行かれたんですよね?

佐藤 はい、午後にちょっと観戦してきました。

岸田 いいですね。僕も日本代表の試合をテレビで見てから、一度は生で観戦してみたいなと思っているんですよ。さて、そんな佐藤さんですが、がんの種類は「慢性骨髄性白血病」。告知されたのは今年の2月、38歳のときだったんですね。

佐藤 はい、そうです。今年の2月に告知を受けました。

定期検査で発覚した白血病の疑い―骨髄穿刺から告知までの10日間

岸田 現在38歳。治療方法は薬物療法ということですね。そんな佐藤さんのペイシェントジャーニーを見ていきたいと思います。気持ちや時間の流れが吹き出しや色で表されています。ご覧いただくと分かるように、今年からドーンと下がっている期間が長い印象ですね。まずは2017年、ご結婚。おめでとうございます!さっきのお話だと、奥さんと手を繋いだときのような気持ちを、今も大事にされているんですよね?

佐藤 ああ、はい。そうですね。

岸田 初めて手を繋いだときの気持ちを思い出すと。

佐藤 はい、そうです。

岸田 ありがとうございます。そこから長男、次男が誕生されて、幸せいっぱいの上がっている時期。その後、今年になって一気に下がります。きっかけは採血で白血病の疑いが出て、すぐに骨髄穿刺(マルク)を受けられたことでした。そもそも、採血を受けたきっかけは何だったんですか?

佐藤 実は肝臓に持病がありまして、3〜4か月に一度は定期的に通院して薬をもらったり採血をしていたんです。その定期検査で白血球の数値がおかしいと言われ、疑いが出てマルクを受けることになりました。

岸田 なるほど。持病の定期検査で引っかかったんですね。白血病の疑いと伝えられたとき、どんな心境でしたか?

佐藤 ふわふわした感じでしたね。ドラマで見るような場面が自分に起こった感覚というか。まだ確定ではなかったので、実感はあまりなかったです。

岸田 その後マルクを受けられたんですよね。痛みはどうでしたか?

佐藤 はい。腰の骨に針を刺すんですが、お尻の上あたりをうつぶせで刺されます。中で何かをぎゅっと握られているような、不思議な感触で…。あれは本当に変な感じでした。

岸田 想像するだけでぞわっとしますね…。そんな中で「佐藤N佐藤」で検索した、と伺いました。なぜ調べようと思ったんでしょう?

佐藤 マルクを受けた後、先生から病名を2つ挙げられたんです。そのうちの一つが白血病でした。難しい漢字で言われて、頭の中がついていけなくて…。そのときすぐにGoogleやSNSで調べました。

岸田 なるほど。頭の整理や、他の人がどういう状況なのかを知りたくて検索されたんですね。

佐藤 そうですね。副作用のことや、同じ病気の人の体験談など、とにかく情報が欲しかったので調べていました。

岸田 そんな中で、がんの告知を受けられたんですね。疑いが確定したのは、この時だったんでしょうか。

佐藤 そうですね。担当の先生から「慢性骨髄性白血病です」と病名を告げられました。

岸田 マルクを受けてから、どれくらいで?

佐藤 だいたい10日後くらいです。その時にパンフレットのような資料を見せられて、病気の説明や薬のこと、さらに治療費が高額になるので保険の話までされました。頭が真っ白になって、ふわふわしていましたね。ただ隣には妻がいてくれたので、なんとか受け止められたという感じでした。

岸田 病名を聞いた瞬間、理解できました?

佐藤 いや、もう病気の名前を言われた時点で、幽体離脱しているような感覚でした。自分の上から「誰かが説明を受けているな」と眺めているような…。まるで自分事じゃないように感じていました。

岸田 分かります。上から見ているような、不思議な感覚ですよね。

佐藤 はい、まさにそんな感じでした。

告知当日から始まった治療―副作用との闘いと仕事の現実

岸田 その後、治療として分子標的薬を勧められたんですよね。

佐藤 はい。その日のうちに薬の説明を受け、そのまま服薬を開始しました。朝1日1回です。最初は少量で体を慣らし、そこから徐々に増やしていきました。すると副作用も出てきましたね。

岸田 副作用が出てきたんですね。さらに、すぐに職場へ報告しに行かれたとか?

佐藤 そうです。ちょうど繁忙期で、早めに伝えた方がいいと思い、告知を受けたその足で会社に報告しました。

岸田 同僚や上司の方は驚かれたでしょう。

佐藤 はい。上司に伝えましたが、やはり驚いていました。病院でもらったパンフレットを持参し、それを見せながら説明しました。

岸田 なるほど。資料を開きながら、先生から言われたことをそのまま伝えたんですね。

佐藤 そうです。覚えている範囲のことを簡単にですが、説明しました。

岸田 職場自体は、その後も続けられているんですよね。

佐藤 はい、継続しています。

岸田 ありがとうございます。ただ、その後は血小板の数値が下がってしまった、と。これが副作用の一つなんですね。

佐藤 そうですね。血がサラサラになって止まりにくくなる。さらに倦怠感も出てきました。特に辛かったのは下痢ですね。仕事柄、50分間助手席に座り続けなければならないので…。

岸田 確かに、それは大変ですね。

佐藤 ええ。50分間、急にトイレに行きたくなったらどうしよう、と常に不安でした。一日に何コマも繰り返すので、「今日一日持つかな」とビクビクしていました。

岸田 助手席で「ちょっとトイレ行きます!」とはなかなか言えないですもんね。

佐藤 そうなんです。お店に立ち寄るのは禁止されているので。公園のトイレなら大丈夫かもしれませんが、近くにない場合もありますし…。本気でオムツを考えたこともあります。

岸田 結局、おむつを履かずに大丈夫だったんですか?

佐藤 はい、履かずに済みました。漏らしたこともないですよ。

岸田 よかったです。ずっと教習していて「どこからか匂ってくるぞ…」なんてこともなかったんですね。

佐藤 事件は起きなかったです。

岸田 事件はなくても、ビクビクしながら仕事をしなきゃいけない時期があったわけですね。

佐藤 そうですね。精神的にかなりしんどかったです。

岸田 そこから、仕事を休みがちになったと。これはやっぱりお腹の影響ですか?

佐藤 お腹の不調もありますし、倦怠感や微熱といっただるさもありました。朝起きた瞬間に「今日は無理だな」と感じて、家を出る前に欠勤を決めた日もあります。午前中だけ頑張ったけれど、昼で限界がきて早退したこともありました。

岸田 教習所の先生だと、そういう時はどうするんですか?授業を同僚が代わってくれるんですか?

佐藤 はい、空きがあれば他の先生がカバーしてくれます。ただ混んでいる時期はどうしても対応しきれず、生徒さんに「今日は乗れません」となってしまうこともありました。ご迷惑をおかけしたと思います。

岸田 でも先生が体調不良なら仕方ないですよね。無理して来ても、途中で倒れたりしたら大変ですし。

佐藤 そうですね。倒れるわけにもいかないですから。

岸田 でも無理して出勤した日もありましたよね?

佐藤 ありました。

岸田 体が資本のお仕事ですからね…。ただ本当にやばい時は休んで、有休も多めに使われた、と。

佐藤 はい、そうです。

月10万円超の医療費、不十分な保険―”私が働くから無理しないで”という妻の言葉に救われて

岸田 そんな中で気持ちが上向いたのは、奥様の支えだったと。どういう支えがあったんですか?

佐藤 仕事を休んだり早退が増えて、残業も減ったので収入が落ちてしまったんです。自分も「頑張らなきゃ」と思っていたんですが、妻が「その分は私がパートの時間を増やすから、あなたは無理しないで子どもたちを見て」と言ってくれたんです。その言葉で気持ちが楽になりました。

岸田 なるほど。2人で家庭を支えていこう、と。言われた時どう思いました?

佐藤 自分で全部背負いすぎていたんだなと気づきました。心が軽くなりましたね。

岸田 残業、ちゃんと減らしました?

佐藤 減らしましたよ。給料も減りましたけど(笑)。

岸田 そうやって支え合ってきたんですね。ただ、その後また下がるのは…やっぱりお金の問題。高額な医療費や薬代ですよね。実際かなりかかるんですか?

佐藤 本当に、休みのたびに病院に行って血液検査と結果確認の繰り返しです。その上で薬代がとても高い。

岸田 どれくらいするんですか?

岸田 どれくらいお金がかかったんですか?

佐藤 ええ、本当に月に10万とかかかりましたね。がん告知の時に高額療養費制度の資料をいただいたんですが、最初の3〜4ヶ月は毎月10万から15万くらい。20万までは行かないけど、何十万という金額でした。

岸田 それはきついですね…。

佐藤 じわじわ効いてくる、ボディーブローみたいな感じです。

岸田 高額療養費制度を使われたんですよね?

佐藤 はい、あとは保険からまとまったお金も少し入りました。

岸田 ああ、それは助かりましたね。

佐藤 でも足りないですね。独身ならまだしも、家庭があると生活費もかかりますから。もっと保険を厚くしておけばよかったなって思いました。まあ、タラレバですけどね。誰もこんなことになるなんて思ってませんから。

岸田 がん保険に入ってたんですか?

佐藤 はい、総合タイプのがん保険に入ってました。医師の診断書を提出して、50万円いただきました。本来は100万円のプランもあったんですが、自分が選んでいたのは50万円の方で。そのおかげで最初の1〜2ヶ月は精神的にも少し安心できました。ただ、この十数万円の医療費がずっと続くのかと思うと、不安になって…。グラフでも経済的な部分で下がっているのは、その影響です。

岸田 お金の不安ですね。

佐藤 そうです。

岸田 今も薬は続けているんですか?

佐藤 はい、今は「スプリセル」という薬を毎日2錠飲んでいます。3〜4ヶ月に一度、どんと大きな薬代がかかりますね。

岸田 なるほど。ありがとうございます。その後、少し気持ちが上がっているのは「倦怠感や筋肉痛」と書かれていますが、これは薬の副作用ですか?

佐藤 そうですね。ただ、だんだん体が慣れてきたのか、お腹の調子は落ち着いてきました。

岸田 ああ、それはよかった!

佐藤 はい。私の場合、2月に始めて3〜4ヶ月くらいで「お腹ピーピー」は落ち着きました。

岸田 でも、今も倦怠感は残っているんですよね。

佐藤 ええ。でも波は穏やかになってきています。

岸田 それは安心しました。ただ、今も病気前の状態までは戻っていないんですね。

佐藤 そうですね。やっぱり病気になる前の体とは違います。人によって差はあると思いますが、自分はまだマイナスの状態。でも少しずつよくなってきている感覚はあります。

岸田 なるほど。これからはうまく病気と付き合っていくという感じですね。

佐藤 ですね。付き合う向き合うですね。

泣きながらスマホを見た日々-経験者の言葉に救われ、”割り切る”ことを学んだ

岸田 はい、ありがとうございます。ここからは「どう病気と向き合い、どう乗り越えたか」という部分について伺いたいと思います。佐藤さんが挙げてくださったのは、「病気と正面から向き合うことが大変だった」。それを SNSでの経験談やアドバイスに助けられたこと、そして メンタルが弱っている中での仕事は“無理せず割り切る” という工夫で乗り越えた、とのことです。ではそれぞれ詳しく教えていただけますか?

佐藤 そうですね…。病気と向き合うというのは、本当に「崖から突き落とされる」ような感覚でした。ライオンが我が子を突き落とすように。いきなり自分も落とされて、どうしていいかわからない。もうメンタルが一気に弱りますよね。まさにその通りでした。

岸田 なるほど…。でも、そこをSNSで支えられたと。さっきのお話だと、調べている時はむしろネガティブになって泣いてしまったとおっしゃってましたが…。

佐藤 そうなんです。スマホで情報を調べながら、本当に泣いていました。でも、そこで同じ病気や似たような病気を経験している方々から、コメントや返信をいただけたんです。実際に今も入院中の方や、治療を終えた方から「自分もこうだったよ」とか「大丈夫、必ず落ち着く時が来るよ」と励ましの言葉をいただきました。

岸田 ああ、それは心強いですね。

佐藤 はい。特に「気持ちが落ち込むのはだいたい2週間くらいで、その後は少しずつ上がってくる」「波はあるけど必ずまた上がる」といったアドバイスは、自分で本やネットの記事を読むよりずっと説得力があって、本当に支えになりました。やっぱり経験者だからこそ分かる、リアルな声ですよね。それが大きな励みになって、乗り越えられたと思います。

岸田 なるほど。そしてもう一つ、仕事の面でも「割り切り」が大切だったと。

佐藤 そうですね。やっぱり体調が万全ではない中で「頑張らなきゃ」と無理しても、結局は倒れてしまうかもしれない。だからもう「無理な時は我慢しない」と決めました。もちろん仕事は頑張るんですけど、線を引く。ここまではやるけど、ここから先は無理、と割り切る考え方に切り替えたんです。それで少し心が楽になりました。

岸田 うんうん。無理をしない、その切り替えが大切だったんですね。ありがとうございます。

「一人で抱え込まない」―泣いていい、話していい、頼っていい

 

岸田 ありがとうございます。そして最後に、佐藤さんから皆さんへのメッセージをいただいています。佐藤さんからいただいたメッセージは「一人で抱え込まない」。その心は?

佐藤 はい。私自身、何でも一人で抱え込むタイプだったんですけど、人ってそんなに強くないと思うんです。だから、つらい時は泣いていいと思います。泣くだけ泣いたら、その後はやっぱり先輩方や友達、家族、知り合いに話すことが大事だと思うんです。今は便利な情報化社会の時代なので、同じような経験をした人の体験談や意見もたくさん知ることができます。そうやって人に話して、いろんな考え方や経験を聞くことで、自分の気持ちが整理されて変わっていく部分もあると思います。だから「一人で背負いすぎない、抱え込まない」。これが、私が経験を通して一番伝えたいことです。

岸田 一人で抱え込みすぎず、周りを頼ること。実際、佐藤さんの場合も奥さまが「私も頑張るから」と言ってくださって、一緒に支えてくださったんですよね。

佐藤 はい、そうですね。

岸田 職場の方々との関係も変わった部分ありますか?

佐藤 そうですね。タバコをやめたので、休憩時間に少しまったりできるようになりました。結果的に、自分の体と向き合う時間が増えたのは良かったと思います。

岸田 なるほど。ありがとうございます。佐藤さんの「一人で抱え込まず、周りに頼っていいんだ」というメッセージ、とても心に響きました。今日は短い時間でしたけれども、本当に貴重なお話を伺うことができました。佐藤さん、ご自身としても言いたいことは伝えられましたか?

佐藤 いやあ…ちょっと固かったですね。まるで自分が生徒みたいにガチガチでした(笑)。

岸田 初心忘れるべからずですね(笑)。

佐藤 そうですね、まさに「初心」を思い出しました。私がガチガチでした(笑)。

岸田 いやいや、とても自然でしたよ。佐藤さんには佐藤さんしか語れないエピソードがあって、きっと同じように悩んでいる方の見通しになったと思います。今日は本当にありがとうございました。またぜひ「がんノート」にご出演ください。

佐藤 ぜひお願いします。

岸田 それでは本日の配信はここまでです。皆さん、ご覧いただきありがとうございました。バイバイ!

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