目次
- 【オープニング】テキスト / 動画
- 【ゲスト紹介】テキスト / 動画
- 【ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【大変だったこと→乗り越えた方法】テキスト / 動画
- 【がんの経験から学んだこと】テキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:佐々木
【オープニング】
岸田 それではがんノートminiスタートしていきたいと思います。きょうのゲストは佐々木さんです。よろしくお願いします。
佐々木 よろしくお願いします。
【ゲスト紹介】

岸田 それでは、がんノートminiスタートしていきたいと思います。きょうのゲストは 佐々木さん です。よろしくお願いします。
佐々木 よろしくお願いします。
岸田 早速ですが、まずは 佐々木さん の自己紹介スライドをご紹介します。佐々木信子さん。埼玉県のご出身で、現在も埼玉県にお住まいです。お仕事は主婦、そして個人事業主としても活動されているとのこと。趣味には「コミュニティ活動」とありますが、これはどのようなものなんでしょうか。
佐々木 個人事業主としての活動ともつながるんですが、仲間の活動を応援したり、イベントがあれば遊びに行ったり、そういった“つながり”を楽しむ活動ですね。
岸田 応援してくれるんですね。僕も応援されたいですわ。
佐々木 応援してますよ。
岸田 ありがとうございます(笑)。そして、がんの種類は急性骨髄性白血病。ステージ分類はありません。告知年齢は28歳、現在は35歳ということで、治療としては薬物療法を受けられていたという 佐々木さん になります。
【ペイシェントジャーニー】

岸田 そして、佐々木さん のペイシェントジャーニーがこちらになります。いろいろな紆余曲折と、そのときどきの感情の変化がグラフになって表れています。では早速、佐々木さん に詳しく伺っていきたいと思います。
岸田 まず最初の項目ですが、夫と交際スタート、そしてご結婚ということで、非常に良い時期から始まっていますね。旦那さんとは、どんなきっかけでお付き合いが始まったんでしょうか。
佐々木 きっかけは居酒屋の飲み会ですね。そこで出会いました。
岸田 居酒屋での出会いから交際が始まり、その後ご結婚されたと。旦那さん、とても素敵な方なんでしょうね。旦那さんの良いところ、もしあれば教えていただけますか。
佐々木 良いところですか……精神的にどっしりしているところです。すごく落ち着いていて、支えになってくれるような感じです。
岸田 ご病気のときも、そういったところが心の支えになったんじゃないでしょうか。
佐々木 実は、がんになる前はそんなにどっしりしてなかったんですよ(笑)。私ががんになって、彼の中で“自分がしっかりしなきゃ”という気持ちになったのか、その後から頼もしくなりました。
岸田 なるほど。どっしりする前にご結婚されて、そこから頼もしく進化されていったと。
佐々木 そうですね。どっしりしていってくれました。
岸田 その「どっしりしていく過程」で、いろいろあったんですね。
佐々木 ありましたね。
岸田 そこからグラフが一気に下がり始めます。体調が悪くなっていったとのことですが、どんな不調が出始めたんでしょうか。
佐々木 最初は本当に、“ただだるい”“疲れが取れない”くらいの感じでした。ストレスの影響もあったのか、吐いたり食べられなくなったり、便秘になったり……でもそのときは「休めば治るかな」くらいに思っていました。
岸田 最初は風邪っぽいとか、少し体調を崩した時のような感覚だったんですね。
佐々木 そうですね。そんなに深刻だとは思っていなかったです。
岸田 そこから“激しい動悸”とあります。かなりきつかったんですか。
佐々木 はい。アパートの階段が登れないくらい苦しくて……登山してるのかな、と思うくらいでした。お風呂で体を洗うのもつらかったり、歩くこと自体しんどくなってきて。
岸田 かなり日常生活に支障をきたすほどの動悸だったんですね。
そこで内科を受診された、と。
佐々木 はい。病院に行きました。
岸田 病院では何と言われたんですか。
佐々木 最初は「貧血って言われたことありますか?」って聞かれたんですが、貧血はありませんでした。でも心臓がすごくバクバクするので、心電図を取って、採血もして、その日は「結果が出るからまた来てください」という形でした。
岸田 まずは検査だけして、結果は後日ということだったんですね。その後、結果を聞きに行かれたんですね?
佐々木 結果を聞きに行ったんですが、これもまた紆余曲折ありまして……。その先生は最初から大きな病気を疑っていなかったので、「貧血ですね」みたいな感じで。鉄剤を処方されて、「これで様子を見ましょう」と言われたんです。
でも、自分でも検査結果を見たときに「白血球、多すぎない?」って思ったんですよね。結果って紙でもらえるじゃないですか。それを見て違和感はあったんですけど、言われた通り素直に鉄剤を飲みました。
ただ、金曜日に受診して土日をはさんじゃって。その2日間が本当にきつくて……。全然良くならないし、むしろ悪化していって。月曜日まで本当に待てるのかな、という状態でした。
月曜日に受診したら、すぐ「他の病院に行ってください」と言われて。「いや、金曜日の時点で白血球の値わかってたでしょ」と思いました。
岸田 金曜日の段階で気付いてほしかったですよね。検査結果はその日に出てるはずですし。
佐々木 本当にそう思います。若いと、がんってあまり疑われないんですよね。
岸田 若いがゆえに、逆に見逃されるというか。
そして大きな病院に紹介されるという流れになったんですね。
佐々木 はい。まず近所の内科より少し大きい病院に行ったんですけど、そこでも「白血病の疑いがある」と言われて、先生もすごい焦って汗をかいていて……。「すぐ入院してほしいけど、この病院では受け入れられない」と言われて、さらに大きな病院へ行くことになりました。それも同じ日のうちでした。
岸田 同じ日に、大きい病院からさらに大きい病院へ?
佐々木 そうです。夫も会社を休んでいたので、そのまま一緒に行きました。着いたら受付の人が私の顔色を見てすぐに車いすを出してくれて、「助かった……」と思いました。もう立っていられない状態だったので。
岸田 そして、そのまま治療が始まったと。寛解導入療法という薬物療法を行われたんですね。いきなりの入院、そして白血病と告げられて――受け止めるのは大変だったんじゃないでしょうか。
佐々木 もやもやもありましたし、とにかく環境が一気に変わるので、心が追い付きませんでした。大きい病気をしたことがなかったので、がんになる・白血病になるという想定がそもそもなかったんですね。
何の心の準備もないまま緊急入院になり、すぐ輸血も始まって。輸血するのも初めてだったので、ずっと血の袋を見ながら「え……」という感じで。まだ受け入れられていない状態でした。でも、体は本当にきつかったし、原因がわからないまま苦しんでいたので、「原因がわかって治療が始められる」という面では、少しホッとしたところもあります。
岸田 そして薬物療法を経て、グラフが上がっていきます。寛解・一時退院とありますが、これはどういう状況だったんでしょうか。
佐々木 白血病は、1回目の抗がん剤治療で寛解にいける方と、いけない方がいるらしいんです。私の場合は1回目の導入療法で薬が効いて、がん細胞が見つからない状態になりました。
その後は血液が回復してきて、輸血もしながら数値が安定してきたので、一時退院ができることになりました。精神的な面への配慮もあって、状態がいい時期は一度家に戻れるという仕組みなんだと思います。
岸田 でもその後、またグラフが下がっていきますね……。
佐々木 そうなんです。また下がるんですよ……。怖いですよね。
岸田 薬物療法、地固め療法と書いています。これはどういう治療なんでしょうか。
佐々木 地固め療法は、さらに強い抗がん剤を使って、寛解状態をより確実に維持する――がん細胞が再び出てこないようにするための治療だと聞いています。
岸田 なるほど。治療については、今ご覧になっている皆さんも主治医の先生と相談していただければと思いますが、一時退院でいったん気持ちが上がったものの、その後の地固め療法でまた気持ちが下がっていく。そしてまた上がるんですね。一時退院とあります。
佐々木 はい、単純なので……。
岸田 いやいや(笑)。一時退院の期間ってどれくらいで、その間はどんなふうに過ごしていたんですか。
佐々木 だいたい1週間くらい家に帰れます。そのときは家でゆっくり休んで、あとは外食に行ったりしていました。
岸田 外食! いいですね。何を食べたんですか。
佐々木 本当にラーメンとか、インドカレーとか。――そういえばここには書いていないんですけど、抗がん剤治療中って食べられないじゃないですか。私も食べられなくて、無理して食べるとストレスになるからって、先生も「無理に食べなくていいよ」という感じで。点滴で栄養を入れていたので、ご飯自体食べない時期もありました。
だからこそ、一時退院のときは「こってりしたもの食べたい!」ってなるんですよね。
岸田 分かる。僕もファミチキめっちゃ食べたくなったり、王将とかね。
佐々木 分かります(笑)。病院食では絶対出ないようなものが食べたくなります。
岸田 こってり系ね(笑)。
そしてまた薬物療法へ戻っていくわけですが……。あれ? 治療なのに、次の薬物療法はマイナスじゃなくてプラス5なんですね。
佐々木 3回目のときは、ちょうど治療の折り返し地点だったんです。順調にいけば5回と聞いていて、「半分きたんだ!」と少し開き直れたんですよね。そこで病院生活を楽しもうと思えて、気持ちがかなり安定しました。
岸田 病院での楽しみって、どういうことをしていたんですか。
佐々木 岸田さんのアメブロを読んでました。
岸田 恥ずかしい(笑)。
佐々木 本当に時間がたくさんあって、最初のほうから全部読んでいました。
岸田 闘病ブログね……(笑)。がんノート始める前の、あの頃のやつ。
佐々木 はい。今ほどYouTubeもなかった時代なので、がんになった方の「明るい発信」って本当に貴重だったんです。そんな中で岸田さんのブログが光っていて、過去記事から全部読んでリアルタイムに追いつくくらい読みました。
岸田 恐縮です。ありがとうございます。そうやって、看護師さんと話したり、ネットで体験談を読んだりと、入院中の過ごし方を工夫されていたんですね。そしてまた一時退院して、ラーメンを食べに行って……。ただ、そこからまた下がります。薬物療法。治療中のところですね。前は上がっていたのに、次はマイナスなんですね。
佐々木 そうなんですよね。なんですかね……。
岸田 いやいや(笑)。ご自身でこう書かれているので……。
佐々木 単純に、嫌になっちゃったんですよね。もうすぐ最後なんだけど、「途中でやめたいな」と思うくらい気持ちが落ちてしまって。でも先生や看護師さんに「ここまできたらやり切りましょう」と言われて。そりゃそうなんですけどね。
岸田 副作用って、やはり回を重ねるごとにきつくなっていったんですか。
佐々木 副作用は薬によっても全然違うと思うんです。抗がん剤もいろいろ種類がありますし。
岸田 よく「抗がん剤はクールを重ねるほどつらくなる」って聞きますけど、佐々木さんの場合はどうでした?
佐々木 それは正直よく分からないんですけど……いつまで続くんだろう、みたいな気持ちが積み重なって、自暴自棄になる感じでした。精神的なつらさのほうが大きかったです。
岸田 精神的に一番落ち込んだのが4回目ということですね。ただ、その後また上がっていきます。一時退院ですね。
佐々木 はい。耐えていれば、いいこともあるというか……。
岸田 そして最後の薬物療法。ここはプラスマイナスゼロになっていますけど、どういう意図だったんですか。
佐々木 このときの抗がん剤の副作用が一番きつかったんですよ。最初は「関節痛いな」くらいだったのが、だんだん本当に殴られているみたいに骨という骨が激痛で。看護師さんに何度もナースコールして、医療用麻薬も使ってもらっていました。結果的に眠くてほぼ寝ていたので、精神的につらくなる暇はなかったという感じです。
岸田 分かる……。痛みが取れるというのは、本当に大事ですよね。
佐々木 痛みは無理ですね。耐えられないです。
岸田 医療用麻薬でうまくコントロールしてもらえたのは、本当によかったです。そしてようやく退院。ただ、一時退院より低いのは意外でした。
佐々木 確かに。あんまり「やったー!」という感覚じゃなくて。「ああ、やっとか」という感じだったんです。
岸田 まだ通院も続くし、終わりって感じじゃないですもんね。
佐々木 そうですね。毎月検査もありますし。
岸田 そしてその後、少し気持ちが上がるところ。「専業主婦に」とありますが、治療前は専業主婦じゃなかったんですね。
佐々木 はい、治療前はアルバイトしていました。
岸田 治療が始まってからは退職された?
佐々木 はい。病気のこともあって、そのタイミングで辞めました。
岸田 それからパートを始めたんですね。どんなお仕事だったんですか。
佐々木 軽作業です。午後だけの短時間のパートで、扶養内で働き始めました。
岸田 この頃はまだ毎月通院されていたと思いますが、調整は大丈夫でしたか。
佐々木 午前中に病院に行って、そのまま午後パートに行く感じで、大丈夫でした。
岸田 病院が混んでいると午後までずれ込んで大変ですよね。
佐々木 ポイントは「めちゃくちゃ早く行くこと」です(笑)。
岸田 どれくらい早く行くんですか。
佐々木 受付が8時開始なんですけど、それより前に並んでます。なるべく1番を取りに行くために。
岸田 1番狙い(笑)。
佐々木 そうなんです。それで血を採ったら1時間で結果が出るので、担当の先生の1番さえ取れていれば9時に呼ばれるじゃないですか。まあ、2番や3番のときもありましたけど。
岸田 異様に早い人いますよね、本当に。
佐々木 めっちゃ早いですよね。
岸田 病院の前に並んでますもんね。すごい、本当に。そして……5年、経過。耐えます。もう5年経ったら、病院はどれくらいの頻度で通ってる?
佐々木 病院は今は半年に1回になりました。
岸田 半年に1回ぐらいになってるということですね。そして最後また上がってます。何かというと「新聞作り」。ちょっと今までと雰囲気が変わりますが、これはどんな活動なんでしょうか。
佐々木 これは、自分の経験を何か形にしたいと思ったところから始まったものなんです。岸田さんの活動にもずっと憧れていて、闘病中に元気をもらえる発信を探していたんですけど、7年前は今ほど多くなかったんですね。
佐々木 治療を終えて専業主婦になり、パートをしながらも楽しく過ごしていたんですけど、5年経ったころに「自分にできることはないかな」と思うようになって。そんなとき、仲間と一緒に紙の媒体で新聞を作る企画が生まれました。自分の経験や、仲間たちの明るいニュースをまとめて発信するようにしています。
岸田 すてきですね。やっぱり明るいニュースって大事ですよね。本当に、世の中は暗いニュースばかりだから。
佐々木 がんになっても元気になれる、ということを伝えたくて。今では発信されている方も増えましたが、7年前は本当に少なかったので、私自身がすごく求めていたんです。だからこそ、自分も誰かの力になれたらと思って続けています。
岸田 それをご自身の立場で形にされているということで。本当にありがとうございます。
【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 それでは次はこちら、佐々木さんのゲストエキストラということで、大変だったことや困ったこと、そしてそれをどう乗り越えたのかについてお伺いしていきます。大変だったことには「治ることが信じられない」「情報がなかった」「同じ境遇の方と話したかった」ということが挙げられています。それを乗り越えた方法としては、看護師や家族の励まし、そして自分の運命を受け入れること、とあります。佐々木さん、こちらについてお伺いできますでしょうか。
佐々木 分かりました。「治ることが信じられない」というのは、その下の「情報がなかった」ということともつながるんですけど、どんなに検索しても急性骨髄性白血病の5年生存率とか、数字ばかりが出てきて現実味も希望も持てなかったんです。
さらに「情報がなかった」という部分では、半分の方は元気になって、半分の方は再発するかもしれない、でもその“元気になった人の体験談”が、その当時ほとんどなかったんですね。だから「同じ境遇の方と話したかった」という気持ちにもつながっていて。やっぱり20代でがんになる人って病院の中でも本当にいなくて、孤独でした。
岸田 20代で同じ境遇の人ってなかなかいないですもんね。こういう状況を励ましや受け入れで乗り越えていった、ということなんですね。
佐々木 はい。私の場合は「結婚していてよかった」と本当に思いました。
岸田 さっき言ってた、どっしりしてくれる旦那さんの存在ですね。
佐々木 そうなんです。恋人同士の段階だと、がんをきっかけに別れてしまう方も多いと聞きますし…。もちろん関係性や年齢にもよると思うんですけど、結婚していたことで、旦那さんが「自分が支えなきゃ」とどっしりしていってくれたのは、本当に大きかったです。私も「ちゃんと頑張らなきゃ」と思えました。
岸田 そして「自分を受け入れる」という部分はどういう意味なんでしょうか。
佐々木 どんなに嫌だ、もう治療やめたいと思ったとしても、やめたらつらいのは結局自分なんですよね。自分の体に起きたことだから、向き合うのは自分しかいない。先生や看護師さんは治療という形で力を貸してくれるし、旦那さんや家族は励ましてくれる。でも「よし、向き合おう」と覚悟を決めるのは自分次第なんです。そこを受け入れたことで、気持ちが変わっていったと思います。
岸田 その“受け入れられたタイミング”って、いつ頃だったんですか。
佐々木 そうですね…(少し考える)…やっぱり旦那さんがどっしりしてきたタイミングなのかな、と。
岸田 どっしりしたタイミング、いつですか?(笑)
佐々木 この4回目の治療のあたりじゃないですかね。私が「もうやめたい」とか言い始めて、どん底にいた時期です。この辺で旦那さんがすごくどっしりしてくれて、「ああ、頼っていいんだな」と思えました。
岸田 頼りたいときにどっしりしてくれるのって、ほんとありがたいですよね。
佐々木 はい、そう思います。
岸田 ちょっと肝に銘じます、僕も(笑)。ありがとうございます。
佐々木 いえ、とんでもないです。
【がんの経験から学んだこと】

岸田 そんな佐々木さん、次はこちらです。がんの経験から学んだこと。いろんなことがあったと思うんですが、この中で「自分を大切にすることが大切」という言葉をいただいています。こちらについて、佐々木さんお願いします。
佐々木 本当に、自分の体って自分だけのものじゃないんですけど、でも守れるのは結局、自分しかいないんですよね。体調が悪くても「会社に悪いから」と無理したところで、あとで苦しむのは自分ですし。疲れたと思ったら寝るとか、すごく基本的なことなんですけど──自分を大切にすることが、何より大切です。
岸田 「自分を大切にすることが大切」。具体的に、今“自分を大切にしてるな”って感じるのはどんなときですか?
佐々木 そうですね…。やりたいことをちゃんとやれているときとか、ちょっとでも“もやっ”としたら「それって本当にやりたいこと?」って自分に問いかけるようになりました。
岸田 問いかけるんですね。
佐々木 はい。それに、体にも素直になるっていうんでしょうか。眠かったら寝る。規則正しい生活ももちろん大事なんですけど、それでも疲れてたらお昼寝してもいいし、風邪気味なら思い切って家事を休むとか。
佐々木 本当に「自分の体を守れるのは自分だけ」。だから素直に休むようにしています。少しでも「あれ?」と思ったら、すぐ病院に行きますしね。
岸田 いや、本当に胸に刺さりますね。
佐々木 本当ですか。あと、お風呂の時間は30分取ってます。
岸田 ちゃんと湯船に浸かって?
佐々木 そうなんです。肩まで浸かるのがしんどいときは半身浴でもいいらしいので、とにかく温まることを大切にしています。自分のために30分、しっかりお風呂の時間を取る。それってすごく“自分を大事にしてる”って思えるんですよね。寝るのも大事。
岸田 シャワー多いなあ。
佐々木 シャワー多いんですね(笑)。あとトイレも大事です。抗がん剤中は下痢が続いたり、痔になったりして、本当につらくて。
岸田 つらいですよね。痛いし。
佐々木 岸田さんのブログで“痔がつらかった”って書いてて、すごい分かるんです。痔って一言で書きますけど、あれ、本当にしんどくて…。スムーズに食べて、スムーズに出せるって、それだけで幸せなんだなって思いました。尿意を感じたらすぐ行くとか、ほんと基本の基本なんですけど。
佐々木 だからこそ、自分の体に素直に、生きるようにしています。
岸田 大事ですね、本当に。ということで佐々木さんからの言葉がこちらです。「自分を大切にすることが大切」。ありがとうございます。
岸田 改めまして佐々木さん、本当にお時間いただきありがとうございました。
佐々木 ありがとうございました。
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