目次
- 【発覚から告知まで】テキスト / 動画
- 【治療から現在まで】テキスト / 動画
- 【家族】テキスト / 動画
- 【仕事】テキスト / 動画
- 【お金・保険】テキスト / 動画
- 【辛い・克服】テキスト / 動画
- 【後遺症】テキスト / 動画
- 【反省・失敗】テキスト / 動画
- 【医療者へ】テキスト / 動画
- 【Cancer Gift】テキスト / 動画
- 【夢】テキスト / 動画
- 【ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【今闘病中のあなたへ】テキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:柴田
<オープニング>
岸田 それでは、がんノートoriginをスタートしていきたいと思います。いつも柴田さんのことを「あっつんさん」と呼ばせていただいているので、今日もそう呼ばせてください。
柴田 はい。
岸田 フルネームで呼ぼうとすると、どうしても噛みそうになるので(笑)。今日はご自宅からのご参加ということで。
柴田 はい、自宅です。犬のいる部屋から参加しています。画面にゲージが映っているかもしれませんが、横で犬が寝ています。
岸田 ワンちゃんがいるんですね。途中で起きてくるかもしれないと。
柴田 そうですね。噛まれるかもしれません(笑)。
岸田 それはちょっと大変ですね(笑)。では改めて、それでは本日のゲストの柴田さんです。柴田さん、簡単に自己紹介をお願いできますか。
柴田 柴田敦巨(しばた・あつき)と申します。私は腺様嚢胞がんという珍しいがんが耳下腺にでき、40歳のときに発覚しました。手術と、抗がん剤と放射線の併用療法を受け、現在は経過観察中です。今は47歳になります。本日はよろしくお願いいたします。
岸田 ありがとうございます。現在は関西にお住まいということで、今日は関西らしいノリも出てくるかもしれませんが(笑)、よろしくお願いします。
柴田 よろしくお願いします。
【発覚から告知まで】
岸田 では柴田さん、早速なんですけれども、発覚から告知までのお話を伺っていきたいと思います。まず、腺様嚢胞がんというのは、あまり聞かない珍しいがんだと思うんですが、どこにできて、どのように見つかっていったんでしょうか。
柴田 はい。
岸田 他人事じゃないですからね。ご本人のことなので。誰の話やねん、ということではなく、柴田さんご自身の腺様嚢胞がんについてです。
柴田 私はですね、耳の裏にある耳下腺というところです。おたふく風邪になると腫れる場所なんですけど、その耳の裏あたりに、これぐらいのポチっとしたものができていました。それが実は、発覚する15年くらい前からあったんです。
柴田 それが少しずつ大きくなってきたな、と感じ始めたのが、ちょうど発覚する1〜2年くらい前でした。ときどきピリッとした痛みや、ジリジリするような気持ち悪い感覚があって。
柴田 ある日、顔のマッサージに行ったんです。いわゆるエステですね。すると、そこで「何かおかしいよ」「病院に行ったほうがいいんじゃないか」と言われまして。意を決して病院に行ったところ、「これは一度手術したほうがいいですね」という話になりました。
岸田 15年くらい前から、しこりがあったんですか。
柴田 あったんです。
岸田 それは、触ったら分かるくらいの小さなしこりだったんですか?

柴田 小さいしこりでした。押さえると痛くて、「いてっ」という感じがありました。一度病院には行って、「これ何だろう」と診てもらったんですが、ばい菌感染、細菌感染かなということで、「一度抗生剤を飲んでみましょう」と言われました。でも、痛みは治まらなくて、「何やろうね」という感じで終わってしまって、そのまま放置していました。自分の中では、「痛いから炎症かな」という勝手な自己判断もあって、まさかがんだとは思っていなかったんです。
岸田 15年前からあって、それが急に、ここ1年くらいで大きくなってきたということですね。
柴田 そうです。ジリジリするような、何とも気持ち悪い感じでした。
岸田 その豆粒くらいのものが、この1〜2年で、どれくらいの大きさになったんですか。
柴田 手術で取ってみたら、4センチ弱くらいあったみたいです。
岸田 やばい、4センチ弱って言われても分からへん(笑)。
柴田 これくらいです。
岸田 ああ、それくらいか。OKサインより、ちょっと小さいくらいですね。
柴田 そうです。
岸田 それが、首の根元、このあたりにあったと。
柴田 耳下腺のところですね。腺様嚢胞がんは、神経に浸潤していく、じわじわ広がっていくタイプのがんなので、本当にワリャワリャと広がっていた感じでした。それが4センチくらいになっていたと聞いています。
岸田 それで、エステの方に指摘されて病院に行かれたわけですが、最初はどんな病院に行かれたんですか。
柴田 まず、私が勤めていた病院です。
岸田 なるほど。看護師として勤めていらっしゃったんですよね。
柴田 はい、そうです。そこで耳鼻科を受診して、いろいろ検査をしてもらいました。針を刺して細胞を取ったり、MRIを撮ったり、エコーをしたりと、一通り検査をしました。
柴田 その時点では、「良性の腫瘍でしょう」と言われました。多形成腫という腫瘍があるんですが、「良性だけど、これは絶対に取ったほうがいい腫瘍だから、手術はしましょう」と言われて、手術をしました。
柴田 ところが、取って病理で詳しく調べた結果、腺様嚢胞がんだったことが分かりました。見つかりにくいがんで、しっかり調べて初めて分かったということで、もう一度、「きちんと手術をしましょう」ということになりました。
柴田 二回目の手術では、周囲をしっかり切除して、リンパ節も取る手術を行いました。
岸田 ありがとうございます。今フリップに出ているのが、こちらの経過ですね。いきなり大阪マラソンが出てくるのは気になるんですけど(笑)、いろいろな出来事が並んでいます。
柴田 楽しく活動していました。遊んでた、という感じですね。
岸田 普通に遊んでた。
柴田 病院の職場の仲間と一緒に、7人で出る団体戦に混ぜてもらって。一番遅かったんですけど(笑)、そんなことを楽しくやっていました。
岸田 楽しくやっていたと。ただ、その中で、さっき言っていたしこりが大きくなって病院に行くことになって。良性だろうと思って手術を受けたら、という流れですよね。
柴田 はい。
岸田 そして、取ったものを病理検査に出したら、悪性だと診断される。腺様嚢胞がんです、と言われたときに、看護師さんだったら「ああ、腺様嚢胞がんね」って、すぐ分かるものなんですか。
柴田 分からないです。全然、分からなかったです。ただ、「耳下腺がんです」と言われて。耳下腺がんの中にも、組織型が20種類以上あるんですよ。
岸田 そんなにあるんだ。
柴田 あるんです。何々がん、扁平上皮がん、何ちゃらがんって、いっぱいあって。その中の「腺様嚢胞がんです」と言われたんですけど、その時はもう全然ピンと来なくて。「耳下腺のがんなんだな」くらいの認識でした。
岸田 その耳下腺のがんについては、全部その病院で淡々と進んでいく感じだったんですか。
柴田 とりあえず一回手術をして、そのあと「悪性なので、もう一度きちんと手術をしましょう」と言われました。そこで、もう一回手術をしてもらう、という流れになりました。
【治療から現在まで】
岸田 手術をして取ったあと、次の治療、というか、その後の経過に入っていくわけですよね。治療から現在までのところについて、ここで次のフリップになります。この時点で、一旦治療は終えた、という認識でいいんですよね。
柴田 一回、手術をして、この病気には標準治療がないということで、とりあえず取り切ったから経過観察しましょう、ということになりました。放射線を当てることもあるんですが、もしここで放射線を当ててしまって再発した場合、もう放射線が使えなくなるので。まずはこの状態で様子を見ましょう、という判断でした。
柴田 なので、特に追加の治療はなく、そのまま経過観察になりました。
岸田 それで経過観察に入って、仕事復帰していくと。
柴田 はい、復帰しました。
岸田 看護師としての仕事ですよね。
柴田 そうです。外来化学療法室という部署で、通院で抗がん剤治療を受ける患者さんが来る場所なんですけど、そこに戻って仕事復帰しました。
岸田 仕事復帰して、そのあと3月に、娘さんの高校の卒業式と写真撮影、という出来事がありますね。これは、あえてここに入れている理由があるんですか。
柴田 あります。実は、2回目の手術のときに、顔面神経に少し触る手術をしたんです。耳下腺のすぐ近くには顔面神経がすごく通っていて、2回目の手術は、1回目の手術後で腫れも残っている状態でした。
柴田 このがんは、最初の手術をしっかりやらないといけない、ということで、どうしても顔面神経にも影響が出てしまって、結果的に顔面神経麻痺を起こしてしまいました。
岸田 顔面神経って、なんとなく「顔に神経があるんやろうな」くらいのイメージなんですけど、具体的にはどんな感じなんですか。
柴田 この辺に、ぶわっと広がっている感じです。
岸田 この辺から、こういう感じで。
柴田 表情を作ったり、まばたきをしたり、口を動かしたりするのは、全部顔面神経が筋肉を動かしているんです。ご飯を食べる、笑う、しゃべる、全部そうです。今、きっしーさんがまばたきしたのも、顔面神経が動いているからなんですよ。
岸田 左側の顔面神経を、2回目の手術で、ということですよね。1回目は良性だと思って取って、2回目は悪性と分かって、がっつり。
柴田 そうです。2回目の手術のときに、神経も少し傷ついたというか、触ることになった、という感じです。
岸田 それは事前に説明はあるんですか。そういうリスクがある、と。
柴田 「かもしれない」という説明はありました。でも、まさかここまで動かなくなるとは思っていなかったので、正直ショックでした。でも、がんは取らなきゃいけない、という思いがあったので、仕方ないと思いました。
岸田 傷つける可能性があるという説明を受けた上で、ここまで取らないといけないと覚悟して治療を受けたと。
柴田 まばたきができないし、食べこぼしもするし、この辺が動かないので。
岸田 左を取ったら、左側の顔面が動かなくなる。
柴田 そうです。このあたりが動かなくなりました。まばたきができないので、コンタクトレンズも使えなくなりました。
岸田 ドライアイになるから?
柴田 ドライアイです。目を閉じられないので、常に開きっぱなしで。
岸田 じゃあ、まばたきはどうするんですか。
柴田 手でやってました。ずっと開きっぱなしです。でも、人間の身体って守ろうとするので、涙が出るんです。タラタラ涙が出てきたりして。
柴田 あとは食事ですね。口が大きく開かないので、食べこぼしたりしていました。
柴田 仕事では、顔面神経麻痺でまばたきができないのでコンタクトはやめて、眼鏡をかけていました。外来化学療法室は常にマスク着用なので、仕事中は顔が隠れるのが、正直ありがたかったです。
岸田 でも今、結構まばたきできてません?
柴田 今は、その後にもう一回手術をしていて、そのときに顔面神経再建術を受けました。ふくらはぎから神経を取ってきて、それを顔に移植する手術です。今まで動かなかった神経を、ふくらはぎの神経たちが動かしてくれていて、今はその神経たちが私の顔を動かしてくれています。
岸田 ふくらはぎの神経が、今、顔を動かしてるんですか。
柴田 動かしてるんです。左の顔を。
岸田 そんなことできるんや。
柴田 すごいですよね。顔面神経麻痺で一つ良かったなと思ったのは、しわがきれいになくなるんです。動かないから。本当に、当時はツルンとした肌でした。
岸田 ありがとうございます。その顔面神経の話、後遺症の部分は、また改めてしっかり伺いたいと思います。
柴田 で、その頃に写真を撮ったんです。
岸田 顔面神経の影響が、結構いろいろあった時期ですよね。
柴田 そうです。写真を撮ったときに、すごい顔で写っていて。まばたきできない目を隠すために、色付きの眼鏡をかけていたんです。少しでも隠そうと思って。
その写真を見たときに、「色付き眼鏡をかけた変なおばさんが写ってる」って感じで、自分の顔を改めて写真で見て、ものすごくショックを受けました。
柴田 その場ではなくて、後になってから写真を客観的に見たときが、一番落ち込みました。
岸田 客観的に見ると、確かにショックは大きいですよね。普段、自分の顔をそんなふうにまじまじと見る機会って、あまりないですもんね。
柴田 鏡に映る自分って、どちらかというと、自分の都合のいい顔を見ているじゃないですか。でも、写真で客観的に見ると、「こんな顔なんや」って思って。
岸田 それで、かなりショックを受けたということですね。ありがとうございます。
ここで、いろいろコメントもいただいているので、拾っていきたいと思います。
岸田 よしさんから「こんにちは。今日も楽しみにしております」。つっちーさんから「楽しみに待ってました」。まーしーさんから「おはようございます」。みかさんから「おはようございます。雨ジメジメしてますね」と来ています。そちらは、今、雨ですか。
柴田 曇りですね、多分。
岸田 こちらは、まだ雨は降ってないかな。
ともさんからは「おはようございます。7月10日、納豆の日」というコメントも来ています。
柴田 納豆。
岸田 「猫舌堂のイイサジーお箸で納豆を食べて、origin。とても贅沢な日曜日の朝です」というコメントもいただいています。「岸田さん、柴田さん、おはようございます」と、きゅーちゃんさん。ゆかさん、りょうたんさんからも「おはようございます」。
柴田 おはようございます。
岸田 「ふくらはぎの神経さんは、いい仕事してますね」というコメントも来ています。今、涙を拭かれていましたけど。
柴田 これは、本当に乾燥して、左だけよく涙が出るんです。
岸田 全然、拭きまくってください。本当に。ありがとうございます。
その後の流れとして、2015年8月に、ジャパンキャンサーフォーラムに参加された、ということですね。
柴田 自分ががんになったことを、周りにあまり話せなくて、隠すように生活していました。でも、自分はこの情報が欲しかったし、「自分はどうなるんだろう」という不安もずっとありました。耳下腺がんって、教科書でもほとんど習わないし、患者さんに会うことも少なくて、どんな経過を辿るのか分からなかったんです。
柴田 それでも、がん患者さんが通う部署で仕事をしてきた経験もあって、「何か自分の経験を役立てたい」という思いも少しありました。そんなときに、秋葉原で開催されていたジャパンキャンサーフォーラムを知って、行ってみようと思いました。
岸田 これは、キャンサーネットジャパンさんが主催されている、がん患者さんやご家族向けの大きなイベント、という位置づけですよね。
柴田 たしか2回目だったと思います。第2回だったかな。そのジャパンキャンサーフォーラムがあって、そこに、たまたま私が以前一緒に仕事をしていたドクターが登壇するって聞いたんです。がんになる前に一緒に働いていた先生で、その後いろんなところに行かれていて、「ここに出るらしいよ」と聞いて。すごく仲良しだったので、ちょっと会ってみようかな、会いに行ってみようかなと思って、勇気を出して、初めて一人で新幹線に乗って東京に行きました。
柴田 一人で東京に行ったのは初めてでした。めちゃめちゃドキドキしましたし、しかも秋葉原って、すごいところじゃないですか。
岸田 ディープな街ですよね。ディープというか、僕らにとっては聖地ですけど。先生に会えるから行って、聴講もして、という感じですよね。
柴田 でも、なかなか自分から話しかけられなかったんです。先生、と声はかけたんですけど、向こうは気づいてくれたんですが、患者側とドクター側って、なんとなく線引きを感じてしまって。すごく寂しかったです。
柴田 すごく悲しかった出来事でもありました。あと、会場に頭頸部がんの患者会のブースがあって、会長さんがフライヤーを配っていたんですけど、そこでもなかなか声をかけられなくて。フライヤーだけもらって、何もできずに帰りました。本当に、めちゃめちゃ寂しかったです。
岸田 今のあっつんさんから見たら、全然そんなふうには思えないですよね。
柴田 本当に、あの時は何もできなくて、すごく寂しかったです。悲しい気持ちで新幹線に乗って帰ったのを覚えています。
岸田 ああ、そうなんですね。
柴田 それで、「こういうのには、もう二度と行かないかも」と思っていました。
岸田 行かないかもと思っていたところから、その後、家族や友人といろいろ参加したり、だんだん満喫していく感じになっていくんですね。
柴田 ちょっとずつです。がんのイベントはそうだったんですけど、普段の生活でも、周りの人たちと少しずつ。友達との飲み会もなかなかできなかったし、人と食事すること自体が難しくなっていたんですけど。
柴田 気の知れた人たちと、少しずつ出かけられるようになってきました。夏には、大阪の万博記念公園であるフェスに友達と行って、ビールを飲んで、イェイイェイってやってました。
岸田 そうやって、エンジョイする時間も戻ってきて。その後、冬にアピアランスケアの研修を受講されていますけど、これはどういうものだったんですか。
柴田 アピアランスって、外見という意味なんです。医療者が行う外見ケア、アピアランスケアの研修会でした。ちょうど始まって間もない頃だったと思います。自分がこういう状況になって、社会とのつながりや外見が、どれだけ影響するかを強く感じていました。
柴田 がん治療が終わったあと、生活していく上で、この外見や社会との関係はすごく大事だなと自分の中で考えるようになって。そんなときに、この研修があることを知りました。経験者としても、看護師としても、「これが自分にできることかもしれない」と思って。
岸田 看護師でもある、という背景もありますよね。
柴田 フォーラムで打ちのめされて、悲しい思いをして帰ってきたけど、「自分にできることは何だろう」と考えて、これかもしれないと思って、自分から研修に申し込みました。
岸田 どうでした? 受けてみて。
柴田 良かったです。国立がん研究センターが主催する研修だったんですけど、本当に大事だなと思いました。
岸田 大事だな、と。
柴田 アピアランス、外見のことを医療の中で取り入れていこう、という方向性に、すごく感動しました。院長先生のお話を聞いているとき、なぜか一人で涙が出てきて。
岸田 それ、どっちか分からへんやつですね。
柴田 どっちか分からないですけど(笑)。
岸田 院長先生の言葉で泣いてるのか、顔面神経麻痺で泣いてるのか。
柴田 どっちか分からないけど、こんな感じになってました。
岸田 はたから見たら、「めちゃくちゃ感動してくれてる人」になりますよね。
柴田 そうやって、少しずつ「自分にできることをやろう」と思えるようになってきた時期でした。
岸田 研修を終えて、その後、またジャパンキャンサーフォーラムに行くんですね。翌年ですか。
柴田 そうですね。自分の病気について情報がなさすぎて、インターネットで調べていたら、同じ腺様嚢胞がんの仲間が、「耳下腺がんに負けないぞ」というブログを書いていて。その人たちが、ジャパンキャンサーフォーラムに出るって書いてあったんです。
柴田 「これ、去年行って、めちゃくちゃ悲しかったやつやけど」と思いながらも、「この人たちには絶対会いたい」と思って、気持ちが180度変わりました。もう一度、会いに行こうと。
岸田 初めて、同じがんの種類の人たちが集まる場に行く、ということですよね。
柴田 そうです。
岸田 行ってみてどうでした? ちゃんと会えましたか。
柴田 会いました、会いました。すごく嬉しかったです。感動しました。「あ、自分、一人じゃなかったんだな」って思いました。そのときに、「自分って、こんなに孤独を感じてたんやな」っていうのも、後から分かりました。
岸田 ようやく仲間と会えて、「行って良かった」と思えたわけですね。去年のジャパンキャンサーフォーラムとは、まったく違う体験だった。
柴田 全然違いました。頭の中に、ドリカムの曲が流れるんです。
岸田 ほう、何の曲ですか。
柴田 『うれしい!たのしい!大好き!』です。ごめんなさい(笑)。
岸田 全然いいです。なんでそれが流れるんですか。
柴田 やっと、こういう人たちと会えたんだなっていう気持ちになって。うれしいとか、楽しいとか、そういう感情が一気に出てきた感じです。
岸田 脳内でテーマ曲が流れたと。
柴田 そう、脳内で。
岸田 公式テーマソングかと思いましたけど、違ったんですね。
柴田 違います(笑)。でも、それまで一人で抱えて、どこか破綻してた部分もあったなと思って。その日を境に、気持ちが変わりました。
岸田 コメントでも「親しい医療者と患者の線引き、つらい経験ですね」と来ていますし、ゆっこさんからは「“あの日、あの時”ですね」と。
柴田 あの日、あの時です。
岸田 そして2016年10月、研修で再び上京して、オフ会の開催につながっていくんですね。
柴田 たまたま私、アピアランスケアの研修を受けていて、「10月にまた東京に行く予定があるんです」って、キャンサーフォーラムのときに話してたんです。そしたら、「じゃあ、その日にみんなでオフ会しようよ」って話になって。
柴田 チームACCが立ち上がった直後だったんですけど、「初めて集まって話せる場を作ろう」って言ってくださって。カフェというか、お茶会というか、ご飯を食べながら話す会を、その日に合わせて開いてくださいました。
岸田 みんなで集まって。「初めて同じ病気の仲間と出会ったときのことは忘れない出来事です」とか、「その一歩を踏み出すのに勇気がいりますね」というコメントも来ています。実際、楽しかったですか。
柴田 ずっと笑ってました。ほんとに、笑いっぱなしでした。つらい状況の中で、「これから治療どうしよう」という方もいましたし、私みたいに、なかなか話せなかった人もいました。でも、とにかく笑ってて。
柴田 初対面の人と一緒にご飯を食べるんですけど、食べこぼしても大丈夫。「分かる、分かる」って言い合って。安心して話せる場所でした。
岸田 すごく大事な時間ですね。ただ、そのあと、2017年3月に局所再発と。
柴田 同じ場所に、また腺様嚢胞がんが発生しました。
岸田 それは、取り切れてなかったということなんですか。
柴田 一応、断端陽性の可能性があったので、再手術でしっかり取ったんですけど、細胞って目に見えないので、少し残ってたのかもしれません。
岸田 なるほど。
柴田 私、年のせいもあって物忘れがひどいからってことで、たまたまMRIを撮ってもらったんです。そしたら、「あれ、ちょっと待って」ってなって。PET-CTも撮って、「再発かもしれないね」って。でも、「じゃあ取ろうか」って取ったら、再発でした。
岸田 再発かもしれないから取ろう、っていう判断だったんですね。
柴田 腺様嚢胞がんって、「これががんです!」って、はっきり出ないんです。PET-CTでも微妙で。本当に分かりにくい。
岸田 ガツンと分かる感じじゃないんですね。
柴田 分かる人もいると思いますけど、私の場合はずっとそんな感じでした。初発のときも「良性かな」って言われてましたし。本当に、たちが悪いです。
岸田 腺様嚢胞がんは、そういうケースが多いんですか。
柴田 人それぞれだと思います。私の場合は、ずっとそうでした。
それで、再手術と、顔面神経再建です。
岸田 さっきの、ふくらはぎの神経を持ってくる手術ですね。
柴田 そうです。このときに、ふくらはぎ登場です。それまでは、切れた神経をうまく再建できてたんですけど、このときは、腫瘍と一緒に顔面神経をしっかり取る必要があって。
岸田 その手術は、先生からの提案だったんですか。
柴田 形成外科の先生と一緒にやりましょう、って言ってくださって。それがすごく心強かったです。「形成外科が入ってくれるなら、きれいにしてもらえるはず」って思えました。
岸田 かなり時間、かかりました?
柴田 かかりました。最初に耳鼻科の先生が腫瘍を取って、そのあと形成外科の先生にバトンタッチします。腫瘍は2時間半〜3時間くらいで取れても、その後の顔面神経の手術に7時間くらいかかって、合計で10時間でした。
岸田 10時間の手術。
柴田 一番大変なのが、神経の枝と枝をうまくつなげるところを探す作業らしくて。ふくらはぎをガッと切って、25センチくらい傷があるんですけど、その中から、顔に合う神経の枝を選別するって言われました。うまく合う枝があるかどうかで、結果も変わるそうで。
岸田 無ければ、ということですよね。
柴田 その神経を見分けるのも、プロの技術らしいです。知らんけど(笑)。
岸田 出た、関西人の「知らんけど」。
柴田 10時間かかったということで、ふくらはぎの神経はここにあります。
岸田 でも、今うまく動いているということは、良い枝を見つけてくれたってことですよね。形成外科の先生が。
柴田 そうです。ただ、7割くらいですね。ここは動くけど、口のこの部分は、このまま上がらないかもしれない、という説明は受けています。
岸田 神経再建術をして、その後に補助化学療法をどうするかで悩んだ、とありますけど。これは、なんで悩むんですか。「やったらええやん」って思ってしまうんですけど。
柴田 それが、はっきりしたものがなかったんです。放射線治療をどうするか、というところで悩みました。もう取ったからいいんじゃないかとか、本当に放射線を受ける必要があるのかな、とか。エビデンスがない、という話もあって。
岸田 エビデンスがないんですね。じゃあ標準治療じゃない、というか、ガイドラインがない感じなんですか。
柴田 ガイドラインがないんです。ただ、最近は「後で放射線を当てたほうがいい」という流れにはなってきていました。でも当時は、本当に微妙で。人によって、施設によって、先生によっても見解がバラバラでした。だから、すごく悩んで、セカンドオピニオンにも行きました。
岸田 行ったんですね、セカンドオピニオン。
柴田 はい。3月に手術して、放射線を当てると決めるまでに、2か月くらいかかりました。ずっと悩んでいました。
岸田 セカンドオピニオンは、どこに行って、どんなアドバイスをもらったんですか。
柴田 がん研有明に行きました。大阪から行って、先生に相談して、「放射線治療はしたほうがいいんじゃないか」と言われました。それもあって、やろうかなと思ったんですけど。
柴田 それだけじゃなくて、チームACCの仲間たちからも情報を集めて、「やったほうがいいな」と思えたのが大きかったです。セカンドオピニオン、高かったですけど。
岸田 高かった(笑)。いくらぐらいでした?
柴田 30分で3万円ちょっとです。でも、私、決断が早くて、10分くらいで終わってしまって。
岸田 早い(笑)。
柴田 15分もかからなかったので、「この15分、もったいないな」と思いながら、どうしようって、ケチなこと考えてました。
岸田 関西人らしいですね。30分3万やったら、10分1万ですもんね。
柴田 そうなんです。
岸田 最初の10分で終わったら、あと20分。
柴田 なんとか話をつなげたかったんですけど、つながらず。
岸田 つなげられず。
柴田 はい。
岸田 その次のフリップでは、いろんなオフ会で、経験者の話を聞いたと。
柴田 ちょうど治療が始まる直前くらいに、チームACCのカフェがあって。そこで、手術後に放射線を受けた人の話を聞いたんです。どんな経過をたどったのか、何が食べられたか、どこがつらかったか、でもこのくらいで回復した、という生の情報を聞けて。「じゃあ私も頑張ろう」と思えました。
柴田 本当は放射線治療だけの予定でした。一番ピンポイントに当てるIMRTという放射線治療を受けるために別の病院に行ったら、そこでは「化学放射線治療です」と言われて。え、抗がん剤も入れるの?って。そこは想定外で、またすごく迷いました。
柴田 仲間の中には、放射線だけとか、陽子線だけという人はいましたけど、抗がん剤と併用している人はあまりいなくて。それもあって不安で、何度も何度も先生の話を聞きに行って、やっと決心しました。
岸田 仲間の情報と、先生の情報、両方を踏まえて化学放射線治療を選んだと。
柴田 めちゃめちゃ悩みました。
岸田 最終的な決め手は、何だったんですか。
柴田 先生が、「抗がん剤を少し入れることで、効果が5%上がる」というデータを示してくださって。その5%、10%をどう考えるか、というときに、一度再発している身としては、少しでも確率が上がるほうがいいかなと思って、決心しました。
岸田 ありがとうございます。医療情報については、皆さんそれぞれ主治医や病院に相談していただければと思います。今回は、あくまであっつんさんの一例として聞いてください。そして化学放射線治療を受けて、その後、8月にジャパンキャンサーフォーラムへ。
柴田 はい。このときは、チームACCのブースを出すということで、仲間にも会いたくて行きました。まだ仕事を休んでいる時期でしたけど、東京まで行って、「治療、頑張ったよ」っていう報告も兼ねて会いに行きました。
柴田 そのとき、初めてプロのメイクさんとヘアメイクさん、プロのカメラマンが撮影してくれるイベントがあって。初めての試みだったと思います。それを聞いて、申し込んで参加しました。正直、写真を撮るのはすごく怖かったです。
岸田 参加して、どうでした? 良かったですか。
柴田 良かったです。一度、自分の写真を見て、すごく気持ちが落ち込んだことがあって。それ以来、自分の写真を撮るのが怖くなっていました。「こんなの見たくないわ」って。でも、プロの方にお願いするっていうのも、すごく勇気がいりましたし、この企画に参加すること自体にも勇気がいりました。
柴田 でも、参加してみて、出来上がった写真を見たときに、「あ、こんな自分もいるんだ」って、術後初めて思えたんです。そこから、少しずつ気持ちが前向きに変わっていった感覚がありました。
岸田 ここから、ようやく前向きになっていくわけですね。
柴田 少しずつ、です。
岸田 すみません、少し戻るんですけど。化学放射線治療っていうのは、抗がん剤治療と放射線治療を同時にやる感じなんですか。それとも、順番にやるんですか。
柴田 私の場合は、シスプラチンという抗がん剤を点滴で1日だけ打って、その間に放射線治療を受けます。それを何週間かおきに繰り返して、併用で進めていく形でした。ただ、私は本当にしんどくて、抗がん剤は1回で止めてもらいました。
岸田 それは大事ですね。
柴田 本当に、めちゃめちゃしんどかったです。
岸田 体調が第一ですからね。
柴田 これは、あかんと思いました。
岸田 そうなんですね。
柴田 正直、死んでました。
岸田 放射線治療は、どれくらい受けたんですか。
柴田 66グレイ、33回です。だいたい2か月くらいですね。週5回、毎日通いました。
岸田 毎日、病院に。
柴田 はい。シスプラチンを打つときだけは、1週間入院しました。
岸田 ありがとうございます。コメントでも、「最初にイベントに参加したときは、かなり勇気が必要でした」「仲間の情報は大切ですね」といった声をいただいています。では、次のフリップに行きます。
岸田 ここからは2018年。がんに関するセミナーなどに積極的に参加するようになっていく時期ですね。そこから、少しずつ前向きになっていった。
柴田 自分にできることをやっていこう、と思えるようになりました。看護師としてできることもありましたし、がん経験者が登壇するセミナーにも、時間を作って積極的に足を運んでいました。その中に、きっしーさんのセミナーもあったと思います。
岸田 本当ですか。変なこと言ってなかったですか、大丈夫でした?
柴田 すごいなあ、と思って聞いてました。
岸田 よく言いますね(笑)。
柴田 本当にです。がん経験を人前で話すって、すごいことだなと思っていましたし、すごく勇気のいることだなと感じていました。
岸田 ありがとうございます。
その後、2019年に企業チャレンジ制度に応募して、2020年に猫舌堂を設立されますよね。これは、セミナーなどに参加していく中で、流れが生まれた感じですか。
柴田 そうです。セミナーを通して、「体験を発信することの大切さ」を学びました。病院で働く中でも、自分が体験して初めて分かることが本当に多かったので、「これは体験した人が発信しないと伝わらないな」と思うようになって。
柴田 チャレンジ制度も、「まずは伝えることをやってみよう」という気持ちで応募しました。どんな反応があるのか、社会がどう変わるのか、そういうことを見てみたいと思ってのチャレンジでした。
岸田 そこから猫舌堂の設立へ。ここについては、後ほど改めて詳しく伺いたいと思いますが、まずは簡単に、猫舌堂について教えていただけますか。
柴田 猫舌堂は、「生きることは食べること」という考えのもと、「すべての人に食べる喜びを」という想いで活動しています。オリジナル商品やコミュニティを通じて、少しでも「食べる喜び」を感じてもらえるきっかけを作ることを大切にしています。
岸田 その中のカトラリーですね。
柴田 はい。フォークなどのオリジナル商品を作っています。
岸田 ありがとうございます。
コメントでも、「あっつんさんの経験が自分と重なる部分が多く、今日も“一人じゃない”と感じています。発信は大切ですね」と届いています。
岸田 そんなあっつんさんですが、闘病前・闘病中・闘病後の写真をお預かりしています。まずは、闘病前の写真から見ていきましょう。こちらです。

柴田 じゃん。これ、大阪マラソンのときの写真です。
岸田 大阪マラソンと、ちょっとあれですね。テレビ局に勤めてる人みたいな、ディレクターのトレンディーな感じ。
柴田 すごいですよね、この衣装。一応「7レンジャー」っていう名前で。大阪マラソンが「レインボー」をコンセプトにしていて、7色のレインボーというところから、7人で7色の「7レンジャー」として走りました。
柴田 このカラフルな服も、仲間の方が見つけてきてくださって、みんなお揃いでこの衣装を着て走ったんです。
岸田 それが、左の写真?
柴田 左側です。
岸田 左は7色のレインボーで、みんなで走っている写真。で、右側のこのトレンディーな感じは?
柴田 右は、ビール飲んでます。見たら分かると思いますけど(笑)。
岸田 普通にビール飲んでる。
柴田 大好きなドリンクです。これは、娘と一緒に恵比寿に行ったときの写真で。恵比寿に、エビスビールが飲める場所があるんですよね。なかなか飲めない種類があるところで、ちょっと行ってみて、ちょっと気取ってみた感じです。
岸田 元気なときは、そんな感じで過ごしていたと。これは、手術前の写真ですよね。
柴田 そうです。ちょっと飲み過ぎて顔がむくんでますけど(笑)。顔面神経麻痺がない頃です。
岸田 そこから治療をしていって、こんな感じになっていきます。ドン。

柴田 左側の写真は、まだ「良性かな」と思っていた頃の手術の後で、悪性の手術の前です。なので、この時点では顔面神経は傷ついていなかったと思います。ただ、首からドレーンが入っていて、これがドレーンバッグですね。こんなのをぶら下げたまま、記念写真を撮るという、ちょっとお調子者な感じなんですけど(笑)。こういう機会って、なかなかないので。
岸田 右側は?
柴田 右側は、シスプラチンを打つときです。入院中ですね。2回目の再発手術の後なので、顔面神経もこのあたり。
岸田 確かに、ちょっと。
柴田 腫れてますよね。腫れと麻痺があって。今、点滴をしているところで、これは何かな、生理食塩水かな。時間的にどうだったかな。もしかしたら、これがシスプラチンかもしれないです。
岸田 点滴を入れているところの写真ですね。
柴田 そうです。
岸田 どちらも、同じ角度から撮っていますよね。
柴田 自撮りすると、どうしても同じ角度になります(笑)。
岸田 分かりやすいですね。ありがとうございます。これは治療中の写真。そして、治療後がこちらの写真になります。
柴田 仲間と一緒にご飯を食べられたときの写真です。「もう食べられないかも」と諦めていたハンバーガーにチャレンジしたときの一枚です。右の写真は、ピアナースとしての研修を受けたときのもので、自分にできることは何だろう、やりたいなと思って。がんを経験した看護師の会があって、そこでピアカウンセリングナースの研修を受講したときの写真です。
岸田 その後も、今も活動を続けていらっしゃるということですね。ハンバーガーは、ちゃんと食べられたんですか。
柴田 美味しかったんですよー。
岸田 良かった。
柴田 口に付いても、こぼしても、みんなと一緒だったら平気でした。周りの目を気にせずに食べられたんです。
これこそ「食べる喜び」だなと思いました。「美味しいね」って言いながら食べる。その時間を誰と、どんなふうに過ごしたかが大事なんだなって感じた、思い出の写真です。
岸田 コメントでも、「夢を追いかけるあっつんさんが、どんどん成長していく姿ですね」とか、「ビールが似合いますね」といった声も届いています。この並びだと、めちゃくちゃビール飲んでる人みたいになりますけど(笑)。ありがとうございます。
【家族】
岸田 そして、ここからは各項目ごとに、いろいろ伺っていきたいと思います。まずは、あっつんさんのご家族のことについてお聞きしたいと思います。家族といっても、ご両親だったり、パートナーだったり、お子さんのことだったりと、それぞれあると思うので、順番に聞いていきたいんですけど。まず、ご両親に関しては、がんになったことを、どのタイミングで、どう伝えましたか。
柴田 私は、両親には絶対に言いたくなかったんです。心配をかけたくないっていうのも、もちろんありましたし、「罰が当たったんちゃう」とか、変なことを言われたら嫌やなっていう気持ちもあって。だから、絶対言いたくなかった。元気になってから、「実はこんなことがあってん」って伝えるつもりだったんですけど、いつの間にか、旦那が勝手にしゃべってました。
岸田 勝手に(笑)。
柴田 「なんで言ったん?」って、めっちゃ怒りましたけど。母親には「なんで言ってくれなかったの」って泣かれて。いや、察してよ、って思いながら。そんな感じでした。
岸田 旦那さんが言っちゃうパターンだったんですね。
柴田 多分、抱えきれなかったんやと思います。今、冷静に考えると。その時は「なんで言ったん?」って思いましたけど、きっと、旦那のほうがしんどかったんじゃないかなって。
岸田 周りとしては、後から知ったら「なんで言ってくれへんかったんやろ」って、心残りというか、罪悪感が残るっていうのもありますよね。
じゃあ次に、旦那さんには、どうやって伝えたんですか。
柴田 旦那には、先生からの説明のときに一緒に聞いてもらいました。
岸田 一緒に行ってたんですね。
柴田 一緒に来てました。旦那、いつも来てたんです。病院と会社が近かったから、お昼ご飯を食べに。
岸田 え、どういうこと? あっつんさんのところに?
柴田 そう。お弁当持って。
岸田 めっちゃ仲良いやん。
柴田 仲良くない(笑)。
岸田 一緒に食べてるってことやろ?
柴田 私は食べられなかったり、痛い痛い言ってるんですけど、旦那は自分でお弁当買ってきて。ベッド横の、引き出したら机になるところで、お昼ご飯食べに来てたんです。
岸田 なるほど。あっつんさんが看護師で、同じ病院に勤めてるから、仕事中に来てるのかと思った。
柴田 違います。入院中です。
岸田 入院中ね。
柴田 入院中に来てて、「今日、旦那さん何時頃来る?」って言われたから、「今日何時でしょうね」って言ったら、「じゃあ一緒に説明するから、来たら教えてね」って言われて。
「あ、なんか悪い話するんやろな」って、ちょっと思いながら、一緒に聞きました。
岸田 なるほど、そういう流れだったんですね。
柴田 説明を聞いても、正直あんまり分かってなかったと思いますけど。「はいはい」って聞いてて。その後も、一緒に聞きました。
岸田 じゃあ次に、お子さんについて。お子さんには、どう伝えましたか。年齢はどれくらいだったんですか。
柴田 当時、娘が高校3年生で、下の子が小学校5年生でした。娘のほうには、すぐ旦那が言いました。抱えきれない人なんで、すぐ言うんです。
岸田 早いな。
柴田 すぐ言ってたみたいです。でも、息子は小学生だったので、「どうしようかな」と思って。「私から言うから、あなたは黙っといて」って言いました。
岸田 なんかフラグ立ってない? 大丈夫?
柴田 大事な話やし、小学生やから、ちょっと待ってって言って。一回退院して、家に戻って、お母さんが家にいる状況で、落ち着いたタイミングを見て。
柴田 学校から帰ってきた日の様子を見て、「今日は多分、学校で何もなかったな」って思った日に、一緒におやつを食べてるときだったかな。「ママ入院しとったやん」って話から入って、「なんで入院してたかっていうと、実はな、がんやってん」って、短く伝えました。
岸田 そのときの反応は、どうでした?
柴田 「えー、そうなの。早く言ってえや。入院してるときに言ってえや」って言われました。でも、「元気そうやん」っていう感じで。実際、私も上半身より下はめっちゃ元気だったので、家にいても普通にベラベラ、いつも通り生活してたんです。
柴田 だから、「元気そうやん」って言ってくれたのが、すごくありがたかったです。こっちは、すごく身構えて、いろいろ考えてセッティングして話したんですけど。
岸田 じゃあ、長女さんのほうも、高校3年生だったし、そこは。
柴田 性格もあると思うんですけど、うちの子たちは、みんなそんな感じで。重くならずに、スッと受け止めてくれました。
岸田 逆に、しんみりならなくて良かった、という感じですか。
柴田 全然良かったです。普段から「子どもに嘘つくな」とか「隠しごとするな」って言ってるのに、親が隠しごとしてたらあかんなと思って。だから、ちゃんと正直に話せて良かったと思っています。
岸田 その後、入院や通院もあったと思いますが、家事はどうされていましたか。
柴田 一番しんどかったのは、化学放射線治療のときです。入院中は、旦那や子どもたちが分担してやってくれていました。でも、通院しながらの化学放射線治療のときが、本当にきつかったです。
柴田 ご飯を作るのも、ご飯を炊く匂いだけで「オエッ」ってなったりして。正直、ご飯作るのが嫌で、ずっとこんなしかめっ面でやってました。でも、お弁当だけは何とか作りたいと思って、休み休み。ちゃんと、というか手抜きですけど、作っていました。
岸田 誰かに頼る、ということはしなかったんですか。全部自分でやった?
柴田 基本的に、うちは掃除は旦那がやってくれます。もともと掃除が大好きなので。
岸田 分担してたんですね。
柴田 分担はしてたんですけど、朝、みんなを送り出したら、もうソファでこうやって死んでました。で、「お昼から放射線治療に行かなあかん」ってなったら起きて、病院に行く。そんな生活でした。
【仕事】
岸田 ありがとうございます。家族のことを伺いましたが、次はお仕事のことについてお聞きしたいと思います。看護師としてお仕事もされていて、最初は約3か月くらいで復帰されたんでしたっけ。
柴田 最初はですね。初発のときは、化学放射線じゃなくて、3週間くらいで復帰しました。
岸田 3週間。
柴田 3週間です。
岸田 はっや。
柴田 でも、傷のこともありますし、休暇がなくなると子どもの学校行事にも行けなくなるし、あと、自分が抜けている分、みんなに迷惑をかけてるっていう気持ちもあって。早く復帰したいなと思って、最初は早めに戻りました。
岸田 看護師の仕事って、結構体力使いますよね。
柴田 そうですね。それに、手術の後遺症もあったと思うんですけど、手術後って左耳が聞こえにくかったんです。中にまだ腫れが残っている感じで、重くて聞こえづらかったり。
柴田 あと、顔面神経の影響で、「柴田」が言えなかったんです。「しわた」になっちゃって。「ぱぴぷぺぽ」とか「ばびぶべぼ」が言いにくくて。そうすると電話も取れないし。
柴田 私は化学療法室で、時間をきっちり管理しながら薬剤投与をする仕事をしていたんですけど、タイマーをセットしても、音が聞こえなかったりして。それが本当に大変でした。
柴田 それに、頭痛もずっとあって、常に薬を飲みながらでした。看護師の仕事って、自分の体調より目の前の患者さんを優先しがちなので、多少しんどくても、薬でコントロールできれば仕事をしてしまう。無理していたところもあったと思います。
岸田 それが、1回目の手術のときの仕事の状況ですね。じゃあ、2回目のときはどうされたんですか。
柴田 2回目は、半年間お休みをいただきました。笑顔で仕事をしなきゃいけない場面も多い中で、「これは無理や」「仕事にならない」と思って、先生に診断書を書いてもらって、しっかり半年休みました。
柴田 放射線治療が終わってからも、2か月くらいリカバリー期間として追加で休ませてもらって。3月に手術して、9月に復帰しました。
柴田 でも、復帰してからが大変でした。休暇が残っていないので、自分が休みたいタイミングで休むと欠勤になってしまうんです。
岸田 それ、分かるわ。
柴田 そうすると、その月のお給料がガクッと減って。生活がちょっと苦しくなったり、もともと苦しい中で、さらに苦しくなったりしました。
柴田 でも、職場の仲間たちがすごく考えてくれました。どうやったら休暇制度をうまく使えるか、いろいろ知恵を出してくれて。
岸田 それ、効果あったんですか。何かできるようになった?
柴田 え?
岸田 いや、周りが考えてくれたんやろ。
柴田 そうです。日勤が続いてると、「そろそろしんどそうやな」って気づいてくれて、「この日ならもう1人休み出しても大丈夫ちゃう?」っていうタイミングで、「柴田さんどうですか。ただ休暇はないけど……そろそろ生理になりません?」って(笑)。
岸田 なるほど、シフト制やから。
柴田 「お腹痛いんです」って言って、生理休暇を取れるようにしてくれたり。本当にありがたかったです。そんな配慮、なかなかしてもらえないじゃないですか。
柴田 欠勤にならない特別休暇扱いにしてくれたりして。それが本当にありがたくて。だからこそ、「自分も何か恩返ししたい」「自分にできることをやりたい」って思うようになったのも、今の活動につながっています。
岸田 じゃあ、復帰後は、いろんな休暇制度をうまく活用できたということですね。
柴田 活用できたというか、してくださった、ですね。本当にありがたかったです。
岸田 それは、周りのメンバーのサポートがあって。
柴田 自分からは言えなかったですけど。
岸田 周囲の支えがあって、ということですね。
柴田 本当に良かったです。
【お金・保険】
岸田 良かった、良かった。ありがとうございます。
続いては、お金と保険についてお聞きしたいと思います。どうしても、がんになるとお金の話はついて回りますよね。
柴田 本当ですよ。
岸田 保険は入っていましたか?
柴田 医療保険には入っていました。手術や入院費が出るタイプのものです。ただ、がん保険ではなかったので。その時に、「がん保険って大事やな」と思いましたね。
正直、自分はがんにならないって、内心どこかで思ってたところもあったので。
岸田 みんな思いますよね。
柴田 思います。がん保険は自分には関係ないかなって。うちはがん家系じゃないし、とか、勝手に考えてました。
なので、高額療養費制度と、医療保険の入院給付、手術特約を使いました。
岸田 高額療養費制度を使って、1か月あたり8万円ちょっとくらい?
柴田 そうです。
岸田 3か月目以降は、4万4,000円くらいになるやつですよね。
柴田 はい。それと、私の場合は健康保険組合の制度があって、自己負担の上限額が決まっていたんです。それがすごくありがたかったです。
岸田 会社ごとの制度ですね。
柴田 そうです。
岸田 それ、いくらくらい?
柴田 3万円ちょっとだったと思います。なので、実際に自分が払うのは3万円ちょっとで済んでいました。
岸田 それはすごい。
柴田 本当にありがたかったです。
化学放射線治療などで、いったん月の上限額を払ったあと、健康保険の制度で3万円との差額が返ってきたので、助かりました。
岸田 それは助かりますよね。
柴田 ただ、シスプラチンで入院したときは、入院と外来が別扱いだったので、それぞれ支払いが必要で。
同じ治療なのに、入院と外来で別なの?って、正直しんどかったです。
岸田 でも、一時的に払って、あとで戻ってくる形なんですよね。
柴田 そうです。ただ、入院と外来でそれぞれ上限がかかるので、結果的に3万円が2回分、という感じでした。
岸田 なるほど。
柴田 あと、医療保険に入っていたので、治療のたびに給付金は出ました。
それから、がんの手術と一般的な手術で、手術加算の金額が違ったみたいで、がんの手術だった分、少し多めに出たところはありました。
柴田 その時は、「がんの手術のほうが得やん」って思ってしまいました。どの手術も大変なのに、そこは同じくらい出してほしいな、と正直思いましたね。
柴田 ただ、私は個室に入っていたので、個室代は自腹でした。結局、保険が出てもトントンくらいだったと思います。
岸田 保険が出ても、自己負担3万円+個室代、いろいろ重なって。
柴田 そうです。でも、やっぱり保険はすごく大事だなと思いました。
岸田 トータルで見ると、100万円くらいはかかってそうですか。
柴田 かかってると思います。もう計算してないですけど。
岸田 分かる。ちゃんと計算する人もいるけど、現実見たくないってなるよね。
柴田 本当は知っておかなきゃいけないんですけどね。
それに、治療費以外にも、いろいろお金がかかるんです。
柴田 入院するから、家の準備で食べ物や日用品を多めに買っておくとか。
あとは、いつもはボロボロのパジャマだったけど、入院用にちょっときれいなパジャマを買うとか、タオルを用意するとか。
柴田 私の場合は、眼鏡にもお金を使いました。色付き眼鏡です。
岸田 なるほど。
柴田 コンタクトが使えなかったので眼鏡なんですけど、少しでもすっぴんがきれいに見えるように、レンズに色を付けたり。そういうプラスアルファの出費もありました。
岸田 大事ですね。
柴田 日常生活にかかるお金が、想像以上にかかるなと感じました。
【辛い・克服】
岸田 ありがとうございます。お金や保険について伺いましたが、医療費自体はトントンで、そこに生活費が上乗せされていった、という感じですね。ありがとうございます。では次に、「辛さの克服」というテーマに入りたいと思います。あっつんさんが、この時期で一番つらかったなと思うタイミングは、いつでしたか。
柴田 つらかったのは、自分の写真を見たときですね。がんになったこと自体というよりも。一番「うわっ」って思ったのは、写真に写った自分を見たときでした。自分って、なんかすごく良からぬ病気になったんちゃうかな、って。そういう姿を目で見ることで、実感してしまったというか。
岸田 それを、どう克服していったんですか。
柴田 克服……写真見て、「写真ー!」って。
岸田 「ひろしー!」みたいな。
柴田 違う違う、それは違う(笑)。正直、克服しようとは思ってなかったですし、気づいたら克服してたのかな、って思うけど……でも、今も克服してないと思います。
岸田 してない。でも、今は普通に見られるんですよね。
柴田 見られます。さっきも話に出た、写真のイベントに参加してからは、「これが本当の私なんや」って思えるようになりました。今、こうして写ってる姿は、仮の姿みたいな感覚というか。
柴田 あとは、同じ境遇の仲間たちとの交流が、すごく支えになりました。「なんや、大したことないやん」って思えるようになったというか。
柴田 自分の人生の中で、そういうことに悩んで時間を取るくらいなら、もっと違うところに時間を使いたいな、って思えるようになった。それが、一番大きかったかもしれません。
【後遺症】
岸田 ありがとうございます。では次に、後遺症についてお伺いしたいと思います。さきほど出てきた顔面神経の話もそうですが、後遺症が今の活動にもつながっていると思うので、少し深く聞かせてください。改めて、どんな後遺症がありますか。
柴田 後遺症は、まずここにある傷や凹みですね。外見もそうなんですけど、それ以上に大きいのが「食べること」です。
噛みにくかったり、口が開きにくかったり、飲み込みにくかったり。食べていると、ポロポロこぼれてしまったり、口の周りに付いてしまったりします。
柴田 この前も、知らない間にこぼれていて、それがシミになって、洗濯しても取れなかったんです。だから、黒い服がいいなと思うようになりました。薄い色の服だと、どうしてもシミが目立ってしまうので。
柴田 食べることの後遺症は、生活に直結します。外見と、食べること。この2つが一番大きいです。
岸田 食べているときに、知らない間にポロポロ落ちるっていうのは、神経がないから感じにくいということなんですか。
柴田 完全に感じないわけではないんですけど、痺れている部分もありますし、動きが悪いっていうのも大きいと思います。
岸田 そういった経験から、顔面神経麻痺のある方や、頭頸部がんの方が「食べやすいもの」を作ろうと思われたんですよね。
柴田 仲間たちの話を聞く中で、「食べることが一番つらい」「QOLに一番影響する」という声が本当に多かったんです。もちろん、形状を工夫した食事はたくさんあるんですけど、見た目からしてテンションが下がってしまうものも多くて。
柴田 「自分だけ違うものを食べている」という感覚が、すごく悲しかった、という話もたくさん聞きました。あとは、食べやすいからといって、プラスチックの長いスプーンをケースに入れて持ち歩くと、味気ないし、お店の人に覗かれたりして、社会から疎外されているように感じた、という話もありました。
柴田 私自身も、スプーンにはすごく困っていて。私はカレーが大好きで、カレーを食べ歩きしているんですけど。
岸田 カレー、美味しいですもんね。
柴田 カレースプーンって、すごく大きいじゃないですか。「小さいスプーンください」って言うと、ティースプーンや子ども用のスプーンが出てきて、それがまた食べにくかったりして。
岸田 小さいのも、しんどいですよね。
柴田 「なんでこうなんやろう」って思って、スプーンをいろいろ買い集めたんですけど、「これだ」っていうものがなくて。
調べてみたら、スプーンの大きさに明確な根拠って、実はあまりなかったんです。
柴田 だったら、みんなが使える“ちょうどいいもの”を作ったら、自分だけ特別扱いされずに、介護用や嚥下用のスプーンを使わなくても、みんなで同じ食事の時間を楽しめるんじゃないかな、と思いました。それが、今の事業につながっています。
岸田 それでできあがったのが、今のスプーンとフォークですね。今、見せられますか。
柴田 はい。こういう形です。一見、どこが違うねんって感じなんですけど、幅が狭くて、薄くて、先に向かって平らになっています。フォークも、先が尖っていなくて、丸くて、幅が狭いんです。
岸田 確かに、フォークの隙間も、半分くらいですね。
柴田 そうですね、幅を抑えています。これは「何々用」っていう名前を付けたくなくて。がんの手術をした人用とかではなくて、みんなで使ってほしい。だから、ピンクゴールドのような、きれいで高級感のあるデザインにしました。
岸田 高級。
柴田 おしゃれで、高級で、社会に溶け込むもの。新潟県燕市の職人さんに、1本ずつ作ってもらっています。実は、こういう後遺症がある人にとても使いやすいし、将来、年を取って飲み込みにくくなっても、違和感なく使えるものです。
岸田 僕も使っていますけど、これに変えてから、ちゃんと噛むようになりました。
柴田 ちょうどいい量が口に入ると、人って自然に噛むんですよね。たくさん入ると、噛み切れないまま飲み込んでしまうことが多いと思います。
岸田 胃腸に優しいことをしているな、って感じます。
柴田 ありがとうございます。
岸田 ほんとにおしゃれなので、ぜひ皆さんにも見てほしいですね。
柴田 この「月見桜」というピンクゴールドです。
岸田 最近、お箸もありますよね。
柴田 はい。イイサジーお箸です。割り箸が使いづらい、という仲間の声から生まれました。熊本県の職人さんに作ってもらっていて、竹製で、とても軽いです。
柴田 一口食べるのが本当に大変だった時期があって、だから「軽さ」にすごくこだわりました。今、夏バテで食欲がない方もいらっしゃると思いますけど、そういう状態がずっと続いていた、という感覚です。
岸田 ちょっとテレビショッピングっぽくなってきましたね(笑)。
柴田 違います(笑)。
岸田 でも、まだお箸は使ってないので、今度使ってみようと思います。
柴田 ありがとうございます。
岸田 ここで、いただいているコメントも少し読ませていただきますね。
柴田 すいません。
岸田 つっちーさんから、「子どもに伝えるのはすごく悩みました」「4年6か月かかった」というコメント。ゆうこさんからは、「職場のチームワーク、素晴らしいですね」。
岸田 りんさんは、「本当にお金かかりますよね」と。生活費のことですね。なつみさんも、「日常にかかるお金、馬鹿にならないですよね」。りょうたんさんは、「黒い服、分かります」。
岸田 さらに、「スプーンもアイスを食べるのに最高です」とか。りょうたんさんからは、「顔面神経麻痺があると、フォークが凶器になることもあるんですね」。これ、ちょっと怖い話ですけど、そうなんですか?
柴田 なります。先が尖っていると、危ないんです。
岸田 神経麻痺があると。
柴田 感覚がないので、気づいたら。
岸田 ガサッといって。
柴田 血が出てる、みたいなこともあります。
岸田 分からへんもんなんですね。実際になってみないと。
柴田 みんながこういうものを普通に使っていたら、なっても違和感なく生活できると思います。……私、これ以上しゃべるとテレビショッピングになるから、やめときます(笑)。
【反省・失敗】
岸田 いいんですけど、時間もあるので、次にいきますね。「反省・失敗」というテーマです。これまで、いろんな粗相やハプニングがあったと思うんですけど、柴田さんの中で「これは失敗やったな」というもの、ありますか。
柴田 失敗は、山ほどあります。本当に、がんになる前から、そういう人生を歩んできてるので(笑)。でも、別に失敗してもいいやん、って思ってますし、なんとかなるっていう気持ちもあるので。今の時点では、あんまり後悔していることはないですね。
柴田 ただ、一つだけ挙げるとしたら……眼鏡に色を付けすぎたことです。
岸田 あるやん。眼鏡の失敗。今、眼鏡ある?
柴田 ありますけど(笑)。麻痺を少しでも隠そうと思って、レンズに色を付けたんですけど、やりすぎましたね。
柴田 中途半端な色になると、逆に不自然で。「どうしたん、その眼鏡?」って、余計に見られるようになってしまって。隠したくてやったのに、逆に視線を集める結果になった。これは失敗でした。
岸田 もうちょっと薄かったら、まだ良かったかもしれんけどね。あれ、結構いくと、サングラスなのか何なのか、微妙なラインになりますもんね。
柴田 そうなんです。それやったら、いっそ、もっと濃くしたほうが良かったかもしれないです(笑)。
【医療者へ】
岸田 逆にね、ちゃんと皆さん、この後のことも考えて、買うときはちゃんと考えて買いましょう(笑)。ありがとうございます。では次に、「医療者へ」というテーマです。あっつんさんご自身も医療者ですが、改めて、治療してくださった医療従事者の方へ、感謝の言葉でもいいですし、逆に「こういうこと、もう少しやってほしかったな」ということがあれば、教えてください。
柴田 まずはもう、本当に、治療に当たってくださった先生方には感謝しかないです。ありがとうございます、という気持ちしかありません。どうか、心と身体だけは大事にしてほしいな、ということを本当に思います。
柴田 その上で、あえて言うとするなら、これから私たちみたいに、がんを経験した人が、こういう場でお話をしたりする機会も増えていくと思うので。そういうときに、「治療が終わった後も生活は続く」というところに、少しでも関わってもらえると嬉しいな、と思います。
岸田 生活のところまで、ということですね。病院の中だけじゃなくて。
柴田 そうですね。なかなか難しいとは思います。病院も忙しいし、どうしても治療そのものに焦点が当たるのは当然だと思います。
柴田 でも、患者さんは「患者」である前に、一人の人間で、一つの人生を抱えています。患者ではあるけれど、その人にはその人なりの生活があって、日常が続いている。
柴田 その人の生活が、少しでも良くなるために、という視点が、医療の中に自然に取り入れられていったら嬉しいなと思います。今、できていないとか、足りていないとか、そういう話ではなくて。あくまで、私が思う「理想」として、そう感じています。
【Cancer Gift】
岸田 ありがとうございます。一人一人に、それぞれの人生がありますからね。では次に、「キャンサーギフト」というテーマです。がんになって得たもの、得られたものについてお伺いしたいと思います。あっつんさんにとって、得たものは何でしょうか。
柴田 がんになったことで、失ったものは本当にたくさんありますし、すごく理不尽な思いもたくさんしました。正直、なりたくなかったです。
柴田 でも、がんになったことで出会えた仲間たちがいます。こういう場で出会えた人たち、きっしーさんもそうですけど。そういった素敵な出会いがあったことには、すごく感謝していますし、私の人生の中で宝になる出会いだなって思っています。
岸田 出会いですね。
柴田 出会いです。
岸田 こういうことがなければ、こうして出ていただくこともなかったですしね。
柴田 そうですね。出会いもそうですし、気づきもありました。今まで気づけなかったことに、気づけるようになった。
岸田 気づけなかったこと、例えばどんなことですか。
柴田 例えば……。
岸田 自分で振りましたよ(笑)。
柴田 (笑)自分が看護師として病院で働く中で、患者さんと向き合ってきましたけど、自分自身が経験したことで、「これは大事なことやったんやな」って思えるようになったことがあります。家族のことだったり。
岸田 患者さん側のことも、より分かるようになった、ということですね。
柴田 そうですね。「患者さん」ではあるけれど、それ以前に「人と人」なんだなって。その人は病気を持っているけれど、ただの病気の患者じゃなくて、その人自身で、その人の人生を抱えている存在なんだ、ということです。
岸田 ありがとうございます。もちろん、失ったものもたくさんあって。神経も失っていますし。
柴田 はい、失っています。
【夢】
岸田 その中で得たことは、そういうことだったということですね。ありがとうございます。では最後の項目になります。「夢」についてお伺いしたいと思います。あっつんさんの今後の夢は……猫舌堂、東証一部上場ですか?
柴田 そうですね、やっぱり……違います(笑)。気軽にフラっと立ち寄れて、一緒に食事をしながら「あるある」って話ができる、そんな場所を作りたいです。実はずっと前から、そこを目指して進んでいけたらいいなと思っています。
岸田 カフェを作る、というのが夢なんですね。
柴田 本当はそこなんです。私がやりたいのは、気軽にフラっと立ち寄れて、食事ができる場所。「何を相談していいか分からない」とか、「相談支援室があるのは知ってるけど、何を話したらいいか分からない」とか、ありますよね。
柴田 そういう時に、フラっと来て、何気ない話をする中で、「あ、私、こういうことに悩んでたんだ」って気づけたり、「1人じゃないんだ」って感じられる。そんな場所を作りたいなと思っています。
岸田 じゃあ最終的には、猫舌堂カフェができているかもしれない。
柴田 猫舌堂カフェ、作りたいです。そのための今のプロセスが、プロダクトだったりもするので。
岸田 ちょっと余談ですけど、さっき話していたイイサジー。国立がん研究センター東病院の敷地内にホテルができたんですけど、そちらでも導入されたんですよね。
柴田 そうなんです。宿泊された方は使えますし、レストランでも使えるみたいです。あと、コンビニでも販売しています。
岸田 ガーデンホテルで導入してくださって。
柴田 はい、ありがたいです。夢に近づくためには、まずこのスプーンやフォークをヒットさせないと、そこには届かないので……あ、またショッピングになっちゃった(笑)。
岸田 そこは後で、みなさん早送りで(笑)。嘘です、嘘です。ありがとうございます。こういうノリにも付き合っていただいて。いつかカフェができたら、みんなで行きましょう。
柴田 宴会しましょう。
岸田 宴会ね。カフェで宴会っていう(笑)。居酒屋じゃないっていう。
柴田 ビールは必ずあります。
岸田 ビールは必ず。コメントでも「猫舌堂カフェができたら絶対行きます」とか、「新幹線に1人で乗っていた頃から、今ではどこでも1人で行けるあっつんさん、体に気をつけて頑張ってください」と届いています。
柴田 ありがとうございます。
【ペイシェントジャーニー】
岸田 最後に、ペイシェントジャーニーを皆さんと画面共有しながら、今日のお話を少し振り返っていきたいと思います。
岸田 まず、大阪マラソンに出場され、その後、左耳の耳下腺にしこりが見つかりました。病院では良性だろうと思われていましたが、実際に取ってみると悪性だった、という告知になります。
岸田 その後、約3週間で職場復帰されたんですよね。この時は、あまり顔を見られないようにしていたと。
柴田 あまり、はい。そうです。マスク生活でした。
岸田 マスク生活をして、このタイミングで眼鏡を買った。
柴田 眼鏡と。
岸田 買って、逆に注目されるという(笑)。
そこからグッと気持ちが下がっていきます。これは娘さんの高校卒業式の時ですね。卒業自体が嫌だったわけではないんですよね。
柴田 そうです。卒業は嬉しかったです。
岸田 ちなみに、このペイシェントジャーニーでは、赤がポジティブ、青がネガティブ、白が出来事を表しています。
一番下がっているのが、初めてジャパンキャンサーフォーラムに日帰りで参加した時。医療者と患者の線引きが、はっきり見えてしまったタイミングですね。
岸田 そこから少しずつ上がっていきます。家族や仲間との旅行。ただ、気持ちは上向いているように見えて、実はネガティブな事象だった、と。
柴田 前向きというより、悶々としながら生活していた感じだったと思います。
岸田 悶々としていた。
その中で、アピアランスケアの研修を受講し、勉強をしていく。そして再びジャパンキャンサーフォーラムで、腺様嚢胞がんの仲間と出会う。オフ会にも参加して、親交を深めていく。
岸田 ですが、その後、局所再発が見つかり、また下がっていきます。
岸田 再手術をして、その後、化学放射線治療をするかどうか悩まれました。仲間の話を聞いたり、セカンドオピニオンを受けたりして、最終的に化学放射線治療を選択されました。結果的には、やって良かったですか。
柴田 今のところは。
岸田 再発なく。
柴田 はい。5年経ちましたので。おかげさまで。
岸田 その後、再びジャパンキャンサーフォーラムや、がん関連イベントに参加し、企業チャレンジ制度に応募されます。これは病院の親会社の制度だったんですよね。
柴田 はい。病院の親会社の企業チャレンジ制度に応募して、病院スタッフも参加できる仕組みでした。
岸田 それが通って、実証実験を経て設立。現在、3周年という流れです。
岸田 こうしてペイシェントジャーニーを振り返ると、最初のジャパンキャンサーフォーラムが、一番下がったタイミングだったと。
柴田 そうですね。社会的に「自分はがん患者なんだ」と強く感じて、何もできないと思ってしまった時期だったと思います。
岸田 そこから、少しずつ活動に参加するようになり、最初は怖かった一歩が、今では当たり前になっている。そんなジャーニーでした。ありがとうございます。
柴田 ありがとうございます。
【今闘病中のあなたへ】

岸田 といった中で、最後の最後の項目になってまいりました。あっつんさん、今闘病中のあなたへ。この放送を聞いてくださっている闘病中の方に向けて、あっつんさんからこの色紙をいただいております。こちらになります。「1人じゃないよ」という言葉です。こちら、改めて、あっつんさん、この言葉の意味だったり、いろんなことをご説明お願いします。
柴田 私も「1人じゃないよ」と思えたことで、自分にできることは何かないかって考えるようになったところがあります。その人らしく、自分らしく生きるために、生きてほしいなと思って、皆さんに「1人じゃないよ」と伝えたいなと思いました。
岸田 今、あっつんさんも、最初に一番下がってしまったところというのは、本当に1人で行って、1人で帰って、という状態だったわけですけど。ただ、仲間とイベントで出会って、そこからはもう、気持ちも変わっていったということですよね。
柴田 はい、全然違います。
岸田 自分一人で抱え込まずに、周りに頼る。それは患者さんでもいいし、患者さんじゃなくても、病院の相談支援センターだったりとかでもいいですしね。
柴田 その出会いや繋がりが、「1人じゃないよ」と感じられたことで増えていって、それが生きる力になっているなと、日々感謝しています。
岸田 ありがとうございます。あっつんさん、メッセージとか来たみたいだけど、大丈夫そう?
柴田 何か聞こえます?
岸田 聞こえたけど。大丈夫。
柴田 オフにしとかなあかんね。
岸田 最後に、コメントをいただいておりますので、読んで終わっていきたいと思います。
ともさんから、「ここに行けば、何だかホッとできる、自分の場所を感じられる。そういう場所があるんだと知るだけでも、とても大きな力になりますよね」と。「だから、そういうカフェができたら、ぜひそういう場所として使ってほしいし、次回も楽しみです」という言葉もいただいております。
岸田 これにて、90分のがんノートoriginを終えていきたいと思いますが、どうでしたか、90分、あっつんさん?
柴田 あっという間ですね。お手洗い心配しましたけど、何とか持ちました。
岸田 放送前に、もしかしたらお手洗い行くかもしれへんって言ってましたけど、何とか膀胱が持ちこたえてくれたと。
柴田 持ちこたえました。膀胱よ、ありがとう。
岸田 ありがとうございます。
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