目次
- 【発覚から告知まで】テキスト / 動画
- 【治療から現在まで】テキスト / 動画
- 【遺伝】テキスト / 動画
- 【家族(親)】テキスト / 動画
- 【家族(パートナー)】テキスト / 動画
- 【家族(子ども)】テキスト / 動画
- 【仕事】テキスト / 動画
- 【お金・保険】テキスト / 動画
- 【辛い・克服】テキスト / 動画
- 【後遺症】テキスト / 動画
- 【医療者へ】テキスト / 動画
- 【得たこと・気づいたこと】テキスト / 動画
- 【夢】テキスト / 動画
- 【 ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【今、闘病中のあなたへ】テキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:岡崎
【オープニング】
岸田 『がんノートorigin』をスタートいたしました。裕子さん、後ろのカーテン、とてもおしゃれですね。
岡崎 ありがとうございます。もうずっとこのカーテンなんですけれども、オレンジ色なんです。
岸田 オレンジ色なんですね。何かこだわりがあるのでしょうか。
岡崎 特別な理由というほどではないのですが、部屋を少し暖かい雰囲気にしたくて、暖色系のカーテンを選びました。ちょうど西日が差していて、少し逆光になってしまっていて、すみません。よろしくお願いします。
岸田 こちらこそ、よろしくお願いします。裕子さんは陶芸家としても活動されているので、そういった美的センスが表れているのかなと思いました。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
岡崎 よろしくお願いいたします。
岸田 それでは、岡崎さんの自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
岡崎 岡崎裕子と申します。東京都出身で、現在は神奈川県に住んでいます。年齢は44歳です。2017年、40歳のときに乳がんステージ2Bと診断され、術前抗がん剤治療と手術を受けました。現在は経過観察中です。
岸田 ありがとうございます。では、いろいろとお話を伺っていきたいのですが、まず「陶芸家」という肩書きがとても気になりまして。陶芸家としては、どのような活動をされているのでしょうか。
岡崎 私は23歳から28歳まで、茨城県笠間市で陶芸の修行をしていました。その後、自分で窯を持ち、制作を始めました。一般的には、自分の窯を持っていれば陶芸家と名乗ることもありますが、必ずしもそうではなく、貸し窯で活動されている方もいらっしゃいます。私の場合は、2007年、30歳のときに自分の窯を持ちました。
岸田 2007年だったんですね。
岡崎 はい。その後、2009年に初めて個展を開催し、現在は主に展覧会を中心に活動しています。
岸田 そうなんですね。では、もうかなり長く活動されているのでは。
岡崎 修行期間も含めると、もう20年以上になります。23歳から始めたので、気づけば22年ほどですね。
岸田 それは本当にすごいですね。
岡崎 ありがとうございます。気づけば、こんなに続いていました。
岸田 本日は、陶芸家としても第一線で活動されている岡崎さんにお越しいただきましたが、今日は陶芸のお話というよりも、がんのご経験について、じっくりお伺いできればと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
【発覚から告知まで】
岸田 それでは、裕子さんの闘病経験について伺っていきたいと思います。まず、がんが発覚してから告知に至るまで、どのような経緯だったのかを教えていただけますでしょうか。発覚のきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。
岡崎 発覚は、本当にある日、ふと左胸を触ったときに、しこりに気づいたことがきっかけでした。当時40歳で、ちょうど下の子の授乳を終える頃、断乳期に入っていた時期だったんです。そのため胸が張りやすい状態でもあり、お風呂に入った際に胸を触ってみたところ、左胸にかなり大きな塊が触れて、「これは何だろう」と思いました。
授乳中には、母乳が詰まってしこりのようになることがあり、それはこれまで二人の子育ての中で何度か経験していました。そのため、最初はそれかもしれないと思ったのですが、母乳が詰まった場合は、胸が熱を持って腫れたり、強い痛みが出たりすることが多いんです。ところが、そのときはそうした症状がまったくなく、マッサージをしてみても小さくなる様子もありませんでした。
「何かおかしいな」と感じて、近所にある乳腺外科のあるクリニックに電話で相談したところ、「すぐエコーを撮りますから来てください」と言っていただき、翌日の夕方に受診しました。エコー検査のあと、「マンモグラフィーも撮っていいですか」と言われて検査を受け、その後、「明日、乳腺専門の先生が来るので、もう一度来てください」と言われて、その日は帰宅しました。
その時点で、「翌日も来てください」と言われるということは、簡単な話ではないのだろうと感じ、とても不安になりました。詳しく聞こうとしても、「明日、乳腺の先生が来てから説明します。私は確定診断ができないので」と言われました。
翌日、乳腺外科の先生の外来に再度行くと、その場で「針生検をしましょう」ということになり、生検を受けました。その後、先生から「私の経験則では、ほぼがんで間違いないと思います。生検の結果が出る前に、どの病院を紹介するか、ご家族で相談して次回来てください」と言われました。
結果として、発覚から告知までは実質2~3日ほどで、あっという間に診断が下された形で、かなり動揺しました。
岸田 本当に、数日のうちにすべてが決まっていったような感覚だったのですね。
岡崎 はい、まさにそんな感じでした。
岸田 ありがとうございます。少し踏み込んで伺いたいのですが、最初にお話しされていた「乳腺が詰まった感じかもしれない」という感覚は、これまでにもよくあったものだったのでしょうか。
岡崎 はい。しこりがあったのは左胸だったのですが、母乳が詰まるときは、もっと強い痛みがありますし、胸が熱を持ったり、場合によっては発熱することもあります。いわゆる乳腺炎ですね。でも、そのときはそうした症状がまったくなくて、「これはいつもの感じとは違うな」と思いました。ただ、断乳期でもありましたし、「きっとそれだろう」と自分に言い聞かせるような気持ちでクリニックに行きました。
岸田 受診してから、翌日に改めて診察を受けることになりましたよね。その間、インターネットで調べたりはされましたか。
岡崎 ものすごく調べました。ありとあらゆる情報を検索しましたし、乳がんのサブタイプについても調べました。実は、生検をしている最中に、先生に「画像上でほぼがんだと分かるのであれば、ステージはどのくらいだと思われますか」と、その場で聞いたんです。
岸田 その場で聞かれたんですね。
岡崎 はい。すると先生から、「ステージも大切ですが、それ以上に重要なのがサブタイプです」と説明されました。乳がんにはホルモン受容体陽性、HER2陽性、トリプルネガティブというタイプがあり、ステージ1〜4よりも、どのタイプかが治療や予後に大きく影響すると。特にトリプルネガティブは悪性度が高く、進行が速いタイプなので、もしそうであれば、ステージ以上に注意が必要だと言われました。
「あなたの年齢で乳がんというだけで、過度に怖がる必要はないケースも多いけれど、トリプルネガティブの場合は少し話が変わってくる」と説明され、その言葉が強く印象に残っています。その後、帰宅してからは、サブタイプごとの治療や予後について、ひたすら調べ続けました。
岸田 HER2陽性などもありますし、本当にいろいろなタイプがありますよね。
岡崎 はい。タイプによって治療法が全く違うので、そのあたりも含めて、かなりインターネットで調べました。そうした中で、最終的に結果として告げられたのが、トリプルネガティブでした。
岸田 トリプルネガティブと聞くと、進行が速いなどの話もありますよね。その告知を受けたとき、どのように受け止められましたか。頭が真っ白になったのか、それとも「頑張ろう」と気持ちを切り替えられたのか。
岡崎 生検の結果が出るまでの期間というのは、本当に気持ちのアップダウンが激しかったです。不安と、「きっと大丈夫だろう」と楽観視しようとする気持ちが入り混じって、落ち着かない日々でした。その中で、自分なりに「最悪の場合」をある程度想定し、覚悟を決めていた部分もあったと思います。
ですので、結果を告げられたとき、「やはりそうだったか」という気持ちがどこかにありました。冷静に「分かりました」と受け止めてはいましたが、同時に「これは本当に大変な状況だ」と強く感じました。
事前に医師から、トリプルネガティブは厄介だという説明を繰り返し受けていたこともあり、告知の際は「残念ながらトリプルネガティブでした」という言葉だけで、それ以上、希望的な説明がなかったんです。そのため、こちらとしても「すべて理解しました」という姿勢で受け止めるしかありませんでした。
正直なところ、その時はかなり悲観的になっていました。「これは本気で、自分の人生の終わりを覚悟しなければいけないのではないか」と思っていたのが率直な気持ちです。
岸田 かなり厳しい受け止め方をされていたのですね。
ここで、少しコメントもご紹介させていただきます。
「今日も楽しみにしています」「カーテンが素敵ですね」といった声をいただいています。
岡崎 ありがとうございます。
岸田 また、「ご自身でしこりに気づいて、すぐ病院を受診されたのは正しい判断でしたね」というコメントも届いています。
岡崎 本当にそう思います。結果としては衝撃的な事実を知ることになりましたが、今振り返ると、あの時に先延ばしにせず、すぐ受診したことは良かったと思っています。
岸田 裕子さんは、普段から体調が気になるとすぐ病院に行くタイプだったのでしょうか。
岡崎 それまでは、必ずしもそうではありませんでした。ただ、育児をするようになってからは、「母親が倒れてしまうと家族が本当に困る」という意識が強くなり、少しの不調でも早めに対処しようという考え方に変わりました。
乳腺炎になったときも、すぐ産婦人科を受診して、助産師さんに乳腺マッサージをしてもらい、治してもらっていました。
岸田 助産師さんが、そこまで対応してくださるんですね。
岡崎 はい。お産だけでなく、幅広い知識と技術を持っていらっしゃって、とても頼りになる存在です。
岸田 本当に奥が深いですね。ありがとうございます。発覚から告知までが比較的短い期間だったと思いますが、その時間については、長いほうが良かったと思われますか。それとも短いほうが良かったでしょうか。
岡崎 そうですね。「がんです」と言われるところまでは、とても短かったのですが、その後、自分がトリプルネガティブなのか、ステージがどれくらいなのかといった詳しい情報が分かるまでに、実は3週間ほど待ったんです。
岸田 そうだったんですね。
岡崎 たまたま担当の先生が学会などでお忙しく、その関係もあって結果が出るまでに時間がかかりました。その3週間が、本当に耐えがたいほどつらかったです。
そう考えると、発覚から告知までの流れ自体は急ではありましたが、「早く分かったほうが良かった」と今は思っています。
岸田 がんを抱えているかもしれない状態で、しかも「サブタイプのほうが重要です」と言われた上で待たされるのは、相当な不安ですよね。
岡崎 本当に不安でした。ですから、最終的に「ステージ2Bです」と言われたときは、正直なところ「良かった」と思ってしまったんです。
今思えば不思議な感覚ですが、その時は「もっと深刻な状態かもしれない」と思い続けていたので、「2Bなら、まだ何とかなるかもしれない」と感じました。
岸田 その感覚、すごく分かります。医師の事情も理解はできますが、結果を待つ期間は、せめてもう少し短くしてほしいと思ってしまいますよね。
岡崎 本当にそう思います。待つ時間が一番つらかったので、「知ること自体は早いほうが良い」と感じました。
岸田 視聴者の方からも、「トリプルネガティブを正面から受け止められたのですね」というコメントが届いています。
岡崎 ありがとうございます。
【治療から現在まで】

岸田 抗がん剤にも、そうした療法があるんですね。
岡崎 はい、抗がん剤のレジメンの話になります。一般的にはFEC療法と呼ばれるもので、皆さん「フェック」と言ったりします。私の場合、最初の1回目は、初回ということもあってか、そこまで大きなダメージは感じませんでした。2回目で脱毛が始まり、3回目が本当に一番つらかったです。「もう4回目は行きたくない」と弱音を吐きながら通院していました。ただ、不思議なことに、4回目は意外と大丈夫だったんです。
岸田 4クール目ですね。入院ではなく、通院での治療だったのですか。
岡崎 はい、通院でした。夫に車で送迎してもらい、採血をして、抗がん剤が可能か確認してから、2〜3時間ほど点滴を受けて、そのまま帰宅するという流れでした。
岸田 2クール目で脱毛が始まったとのことですが、髪が抜けることに対する精神的なダメージはありましたか。
岡崎 実は、少し特殊かもしれませんが、私はそこまで大きなショックは受けませんでした。というのも、23歳の頃、陶芸の修行を始める際に、自分で丸坊主にした経験があったんです。
岸田 えっ、それはすごいですね。
岡崎 修行に入るなら、まず形からと思って(笑)。その経験があったので、脱毛に対する抵抗感は比較的少なかったです。
岸田 3クール目が特につらかったとのことですが、どのような症状が強かったのでしょうか。
岡崎 一番は倦怠感です。吐き気については、イメンドという制吐剤がとてもよく効いてくれて、ほとんどありませんでした。ただ、身体のだるさが強く、「これは本当にしんどいな」と感じていました。
岸田 それでも4クール目まで完遂されて、その時点で、しこりは小さくなっていたのですか。
岡崎 はい。ただ、実際には抗がん剤は全部で8回の予定でした。最初の4回がFEC療法、その後がドセタキセルでした。ただ、ドセタキセルでアナフィラキシーのような反応が出てしまい、最終的には7回で終了しました。FEC療法の段階で、触って分かるほど腫瘍が小さくなっていくのを実感できたので、術前抗がん剤については賛否ありますが、私自身は「効いている」という手応えが、前向きに治療を続ける支えになりました。
岸田 アナフィラキシー反応というのは、どのような症状だったのでしょうか。
岡崎 ドセタキセルを投与した直後に、目が急激に充血して、顔の周りも腫れてきました。抗がん剤室で看護師さんに伝えたところ、すぐに医師を呼んでくださって。主治医としては治療を続けたいという判断で、ステロイドを点滴しながら継続しましたが、2回目も同様の反応が出ました。
岸田 患者さんとしては、予定どおり最後まで受けたいという思いもありますよね。
岡崎 そうなんです。私自身も「できるなら4回やり切りたい」という気持ちは強くありました。ただ、安全面を考えると、最終的には7回で治療を終える判断になりました。ただ、その判断に至るまでには、夫との間で意見が分かれました。夫は、「そんな状態で続けるなんて危険だから、もう終わらせるべきだ」とかなり強く反対していて、正直、夫婦でどうすればいいのか悩んでいました。そんな中で、乳腺外科医の診察が入り、そこで状況を相談したところ、先生が「もうやめましょう。ここまでよく続けました。これ以上続けると、がんではなく別の理由で命に関わる可能性があります」と、はっきりおっしゃってくださったんです。その言葉を聞いて、夫も納得し、私自身も不安はありましたが、主治医がそこまで言うのであればと判断し、最終的にドセタキセルは3回で終了しました。
岸田 アナフィラキシー反応は、それ以前の2回や3回では出ていなかったということですよね。
岡崎 そうなんです。呼吸困難までは至らなかったのですが、毎回、顔が真っ赤に腫れて、目も充血するような状態になりました。それをステロイドで抑えながら抗がん剤を続けていました。
岸田 それを毎回、ステロイドで抑えながら行っていたんですね。
岡崎 はい。ただ、乳腺外科の主治医の先生が、「4回目を続けて、もし呼吸困難などが起きたら取り返しがつかない。それは許容できない」と判断され、治療の中止を決断してくださいました。
岸田 ご覧になっている方も、それぞれの治療については、必ず主治医の先生と十分に相談していただきたいですね。裕子さんの場合は、副作用がかなり強く出たケースだったということですね。では、術前抗がん剤が終了した後の流れを見ていきましょう。次のスライドには「HBOC確定」「オラパリブ治験」とありますが、術前抗がん剤の後、すぐに手術という流れではなかったのですか。
岡崎 実は、術前抗がん剤の途中で、オラパリブの第3相治験への参加のお話がありました。当時、この治験は、トリプルネガティブタイプのステージ2または3の患者さんを対象としていて、治験に参加するために、まず遺伝子検査を行いませんか、という提案を受けたんです。治療方針に関わる重要な検査だということもあり、全摘にするか温存にするか、あるいは抗がん剤の選択肢が広がる可能性があること、さらにオラパリブが有効な可能性もあると説明を受けて、遺伝子検査を希望しました。その結果、HBOCであることが分かり、オラパリブの治験に参加することになりました。
岸田 HBOC、遺伝性乳がん卵巣がん症候群ですね。この点については、後ほど詳しく伺いたいと思います。治験に参加されたということですね。
岡崎 はい。遺伝子検査自体も、この治験の中で受けさせていただきました。
岸田 ただ、治験への参加は、抗がん剤の途中からだったんですよね。
岡崎 そうなんです。実は最初から先生には勧めていただいていたのですが、私自身がなかなか決心できなくて。抗がん剤2回目か3回目のタイミングで、ようやく「やります」とお伝えしました。後半の抗がん剤に移る前に遺伝子の結果が分かれば、治療方針が変わる可能性もある、という期待もあって、そのタイミングで検査を受けました。
岸田 なるほど、そういう流れだったんですね。では、オラパリブ自体は、どのタイミングで使用したのでしょうか。
岡崎 オラパリブは飲み薬で、治験のため、プラセボかPARP阻害剤のどちらかが割り当てられる形でした。術前抗がん剤を標準治療に沿って8回前後行い、手術をした後に、半年間、その飲み薬を服用するという治験内容でした。

岸田 そういう治験だったのですね。
岡崎 はい。ですので、手術までは治験として特別な薬を使うわけではなく、手術後に飲み薬を半年間服用するという内容でした。その飲み薬が、プラセボなのか試験薬なのかは分からない形で行われる治験でした。
岸田 なるほど。そこで遺伝子検査も受けることができたということですね。そして2017年9月、そこから約3か月後に手術。左乳房の全摘とリンパ節郭清を行い、10月に完全奏功と診断され、治験から外れるという流れですが、抗がん剤治療はかなり長期間だったのですね。
岡崎 そうですね。最初に抗がん剤を始めたのが4月で、8回行う予定だったので、本来は半年かかる想定でした。ただ、実際には7回で終了したため、5か月半ほどになり、9月に手術を受けました。その後、10月に病理結果で完全奏功と伝えられました。
岸田 ありがとうございます。手術に関してですが、全摘か温存かという選択もあったのではないですか。
岡崎 はい。術前抗がん剤がよく効いて、しこりがかなり小さくなっていたため、通常であれば温存手術も可能だと説明を受けました。ただ、私は遺伝性乳がん卵巣がん症候群であることが分かっていたので、今後の再発リスクを考えると、全摘という選択肢になります、というお話でした。
岸田 それで左乳房を全摘されたのですね。その際、同時再建は行わなかったのですか。
岡崎 当時、術後に放射線治療を行う可能性があると言われていました。そのため、事前に「再建はできません」と説明を受けていて、再建は行いませんでした。
岸田 まずは全摘を行ったと。そして「完全奏功し、治験から外れる」とありますが、これはどういう意味だったのでしょうか。
岡崎 オラパリブの治験では、完全奏功と判断された場合は治験から外れる、という条件がありました。そのため、製薬会社の規定により、治験の対象外になったんです。
岸田 放射線治療との関係はどうだったのでしょうか。
岡崎 完全奏功していて、リンパ節転移も認められないという診断だったため、主治医から放射線治療は行わないという判断が示されました。その結果、完全奏功により治験からも外れ、放射線治療も行わないことになりました。本来は、術前抗がん剤、手術、放射線治療、オラパリブという流れを想定していたのですが、手術で治療がすべて終わってしまった、という形です。
岸田 完全奏功について補足しますと、治療効果の指標で、がんがすべて消失した状態、いわゆるcomplete responseを意味します。つまり、病理上、がんが取り切れているということですね。
岡崎 はい。病理結果としては、そういう判断でした。
岸田 完全奏功で治験から外れるというのは、少し不思議な気持ちにもなりますね。遺伝子検査を受けられた点では良かったとも言えますが。
岡崎 そうですね。本来は喜ばしいことなのですが、治療が続くと思っていたものが一気になくなってしまい、少し不安が残る状態でもありました。
岸田 ありがとうございます。その後、「完全奏功」と診断されたにもかかわらず、2017年12月にセカンドオピニオンを受けられていますね。
岡崎 はい。もともとの説明では、術前抗がん剤、手術、放射線治療、オラパリブ治験という四つの治療を行う予定だったのが、結果的に二つで終わった形になりました。治験については条件上仕方ないとしても、「放射線治療は本当にやらなくていいのか」という点がどうしても気になってしまったんです。
岸田 確かに。そのために再建も見送っていたわけですもんね。
岡崎 そうなんです。そのことがずっと心に引っかかっていて、主治医の先生に相談し、セカンドオピニオンを受けてもよいかお願いしました。先生も理解してくださり、紹介状を書いていただいて、セカンドオピニオンに行くことになりました。
岸田 セカンドオピニオン先は、どのように選ばれたのですか。
岡崎 遺伝性であると分かってから、本を読んだり情報を集める中で、聖路加国際病院の山内英子先生が、遺伝性乳がんに詳しい先生として知られていたので、その先生に診ていただきたいと思いました。
岸田 有名な先生ですよね。
岡崎 はい。遺伝性乳がん卵巣がん症候群についてのご著書も出されていたので、先生に直接お話を伺えたらと思い、自分が遺伝性であることも含めて、どうお考えになるのか意見を聞きたいと思い、山内先生にお願いしました。
岸田 実際にお話を聞いてみて、どのようなことを言われたのでしょうか。放射線治療を受けていないこともあって、不安もあったのではないかと思いますが。
岡崎 はい。有明から資料をいただいて、聖路加のセカンドオピニオン外来に電話をしました。自分の状況を説明すると、「HBOCであれば山内先生に話を聞いたほうがいいでしょう」と、電話を取ってくださった方が言ってくださって。正直、そこまでスムーズに先生の意見を聞けるとは思っていなかったので、とてもありがたかったです。
岡崎 12月に山内先生と面談をしてお話を伺ったところ、「放射線治療は私も必要ないと思います」というご意見でした。そのうえで、「右乳房と卵巣については、どのようにお考えですか」と質問されました。
私は、予防切除をしたいと考えている、という気持ちを率直にお伝えしました。
岸田 なるほど。
岡崎 有明でも、卵巣については「取ったほうがいい」という話はありました。ただ、右乳房については、「自分で触れることができるから、定期的に観察して、しこりができたらその時に手術で取ればいいのでは」という考え方で、予防切除にはあまり前向きではなかったんです。
岡崎 ただ、私は小さい子どもを育てている中で、いつまたがんになるか分からない状態を残しておくこと自体が、とても不安でした。できれば、右乳房も卵巣も、どちらも予防切除したいという気持ちがありました。その思いを山内先生にお話ししたところ、「聖路加に転院できるのであれば、科をまたいで、同日にすべての手術を行うことができますよ」と言ってくださったんです。
岸田 それは大きいですね。
岡崎 はい。2回入院しなくていいというのは、私にとって本当に大きなメリットでした。それで、転院を決めました。
岸田 セカンドオピニオンを受けて、そのまま転院されたんですね。
岡崎 そうです。結果的に転院しました。
岸田 その後、2018年6月から7月にかけて、右乳房に変化があり、生検を行い「良好」とありますが、これは聖路加での話ですね。
岡崎 はい、すべて聖路加での出来事です。
岸田 最終的に、右乳房はどうされたのでしょうか。
岡崎 右乳房も取りました。
岸田 なるほど。
岡崎 最初に左乳房を全摘したのが2017年9月だったので、その約1年後に、右乳房と卵巣も予防切除しましょう、という流れになりました。山内先生としては、2018年4月に手術をする予定を提案してくださっていたのですが、ちょうど上の子が小学校に入学する時期で、4月に私が入院して家を空けるのは、子どもにとって負担が大きいかなと思い、「夏休みにしていただけませんか」とお願いしました。
岸田 それで7月になったわけですね。
岡崎 はい。夏休みに合わせて手術をすることになりました。
岸田 それまでの間に、右乳房に何か変化が見つかったということですか。
岡崎 そうなんです。予防切除の前に、MRIなど一通り検査をするのですが、その際に、右乳房に「DCIS(非浸潤性乳管がん)」、本当にごく初期の病変があると言われました。
岸田 ステージ的には、かなり初期ということですね。
岡崎 はい。ステージ0に近い、本当に初期の状態だと説明されました。かなり衝撃でしたが、山内先生と相談して、「どうせ7月に全摘する予定なので、そのときに病理でしっかり確認しましょう」ということになりました。一応、針生検も行いましたが、その結果は良性でした。ただ、いずれにしても全摘をする予定だったので、手術で全体を調べる、という判断になりました。
岸田 結果的に、右乳房と卵巣、卵管もすべて切除されたということですね。
岡崎 はい。卵巣と卵管も一緒に取りました。
岸田 ありがとうございます。コメントも少しご紹介します。IABさん、「初めて視聴します。術後3週間で、お話とても参考になります」とコメントをいただいています。
岡崎 ありがとうございます。
岸田 参考になるかどうかは人それぞれですが。
岡崎 そうですね。少しでも参考になれば嬉しいです。
岸田 「なったらいいな」くらいの気持ちでトークしております。妊娠中や授乳中は検査ができなかったのですね、というコメントもありますし、ミカさんからは「乳がんではないですが、生検後の結果は1カ月ぐらいかかりますよね」ともいただいています。
岡崎 そうなんです。その待っている期間、本当に皆さん、不安を抱えながら過ごされているのだろうなと思います。
岸田 本当にそうですよね。続いて、アアちゃんさんから「久しぶりに見にきました。母もトリプルネガティブ乳がんです」というコメントや、「丸坊主にしたこともあるんですね」「すぐ手術ができないと言われたときに、他の病院で早く手術してもらおうとは考えませんでしたか」といった質問も届いています。
岡崎 その点については、あまり考えなかったですね。最初に有明のがん研究会病院で主治医の先生とお会いしたとき、前のクリニックで「トリプルネガティブ乳がんは、とてもたちが悪い」と言われて、かなり気持ちが落ち込んでいたんです。
岡崎 その主治医に、「トリプルネガティブ乳がんで、ステージ2や3でも元気に生活されている方はいらっしゃるのでしょうか」と、真剣に聞いたことがあります。今思うと、少し極端な聞き方だったかもしれませんが、そのときは本当にそう思えなかったんです。
岡崎 すると先生が、「そんな方、たくさんいらっしゃいますよ」と、にこやかに答えてくださって。その一言に、ものすごく救われました。それで、「この先生についていこう」と思い、他の病院を考えることはありませんでした。
岸田 なるほど、そうだったのですね。ほかにも、「ステロイドで抑えながら抗がん剤を行うと聞くだけで怖いです」という声や、「完全奏功、素晴らしいですね」「予防切除は、どのくらいの方がされているのでしょうか」というコメントも届いています。
岡崎 私は医療者ではないので正確な数字は分かりませんが、今は保険適用になっていますよね。私の治療当時は実費だったので、その頃に比べると、選択される方は増えているのではないかと思います。
岸田 確かに、制度が変わると選択肢も変わってきますよね。ありがとうございます。それでは次のスライドに進みます。2018年10月、「両股関節の痛みから整形外科を受診」とありますが、これは突然痛みが出たのですか。
岡崎 そうですね。完全奏功と言われて、時間も経っていたのですが、それでも不安はずっと付きまとっていました。
車の乗り降りをするだけでも股関節が痛くて、「これはどうしたんだろう」と思うようになりました。
岡崎 運動しようにも痛みがあってできませんし、自分では判断できなかったので、聖路加国際病院のブレストセンターに電話で相談しました。
岸田 ブレストセンターですね。
岡崎 はい。受付で症状を伝えると、「両側同時に痛みが出る場合、骨転移の可能性は低いことが多い」と説明され、まずは近所の整形外科を受診するよう勧められました。結果的には、はっきりした原因は分かりませんでしたが、運動不足による筋力低下が影響しているのではないか、ということでした。
岡崎 ただ、その際に「卵巣を摘出しているため、女性ホルモンが出ていない状態なので、骨のケアには特に注意が必要」と言われ、骨密度を測ってもらいました。そこから骨粗しょう症予防のために「エディロール」という薬を処方していただき、現在も毎日服用しています。
岸田 骨密度が低下しやすくなるのですね。
岡崎 そうなんです。かなり低下します。今は骨粗しょう症の予備軍と言われていて、最近は注射治療も始まりました。がんへの不安から解放されたいと思って予防切除を選びましたが、その一方で、別のケアが必要になることもあるのだと実感しています。
岸田 そして、その下に「リンパの痛みで受診」とありますね。
岡崎 はい。左側、罹患していた側の鎖骨下が痛くなり、触ると少し硬い感じもあって、「リンパが腫れているのではないか」と思い、再びブレストセンターに連絡しました。
岸田 ちなみに、「ブレストセンターとは何ですか」という質問も来ています。
岡崎 聖路加国際病院にある、乳腺外科の診療部門のことです。
岸田 名称について補足しますと、乳がんや乳房に関する診療を専門的に行うために、「ブレストセンター」という名称で診療体制を整えている病院があります。聖路加国際病院さんや昭和大学さん、NTT東日本関東病院さんなどが、その代表例ですね。
岡崎 少し分かりづらい言い方をしてしまって、すみません。正確には、聖路加国際病院の乳腺外科の受付に電話をして、「罹患した側のリンパ節が痛いんです」と相談したところ、「それは念のため、すぐ診ましょう」ということで、「明後日来てください」と、かなり早めに受診の枠を取っていただきました。
岡崎 その後、エコーで診ていただいたところ、「全然腫れていませんよ。単なる使い過ぎですね」と言われました。
岸田 使い過ぎ。
岡崎 はい。筋肉痛のようなものだったみたいです。「本当にすみません」と言ったら、「でも、分からないですよね。どういう痛みが危ないのかなんて、患者さんには判断できないですから」と、先生に笑われました。
岸田 それは分からないですよね。
岡崎 不安になりますしね。そんなふうに、ちょっと大騒ぎしながら過ごしています。
岸田 なるほど。では、次のスライドに進みます。2020年、昨年の8月、「触診でしこり発見」とあります。
岡崎 これは本当に驚きました。定期的な経過観察で、私は3カ月に1回病院に行っていて、その際に問診と触診を受けているのですが、その触診のときに先生が「何これ?」とおっしゃって。
岸田 「何これ?」は怖いですね。
岡崎 そうなんです。「え、『何これ?』って、どういう意味ですか?」って思いました。その後、本来であれば半年に1回の経過観察でもよい時期だったのですが、「少し慎重に診ましょう」ということで、エコーやMRIを行い、大きさが変わらないかどうかを、昨年8月から今年4月まで、かなり頻繁に確認することになりました。
岸田 経過をしっかり見ていたわけですね。
岡崎 はい、ずっと経過観察でした。
岸田 スライドには「術後の何らかの変化と診断」とありますが。
岡崎 はい。私、これまでに何度か手術をしていて、最初の全摘、その後にエキスパンダーを入れて、さらにシリコンに入れ替えるという形で、何度も切開をしています。その影響で、切った部分の皮膚が少し厚くなっているのだろう、という診断でした。
岸田 今、エキスパンダーという話が出ましたが、ということは、どこかのタイミングで乳房再建をされたんですね。
岡崎 はい。予防切除のタイミングで再建を行いました。
岸田 聖路加国際病院で、予防切除と同時に?
岡崎 そうです。右は予防切除なので、全摘と同時にエキスパンダーを入れていただきました。左は、最初の全摘の時には何も入れていなかったのですが、その予防切除の手術のタイミングで、左側にもエキスパンダーを入れていただきました。
岸田 なるほど。エキスパンダーで皮膚を伸ばして、再建されたということですね。
岡崎 そうです。
岸田 再建後の違和感などはいかがですか。言い方が難しいですが……。
岡崎 硬いとか、冷たいとか、そういう感覚は確かにあります。ただ、私はあまり気にならなくなりました。もう日常の一部という感じです。
岸田 かなり日常に近い感覚なんですね。
岡崎 エキスパンダーの時期は、正直、肩こりがひどくて大変でした。皮膚を伸ばしているので負担も大きくて。でも、シリコンに入れ替えてからは、かなり楽になりました。
岸田 それは良かったです。続いて、2021年10月。「右乳輪下にしこりを発見」とあります。
岡崎 これは本当に最近のことです。右側は乳輪だけ温存しているので、ほんの少しだけ乳腺が残っているんですね。その部分に、しこりのようなものを感じました。
岸田 それは怖いですね。
岡崎 はい。すぐに聖路加国際病院のブレストセンターに相談しました。すると、「うちでも診られますが、提携しているマンマリア築地というクリニックのほうが早く診られると思います」と言われて、そちらを受診しました。
岸田 結果はどうだったんですか。
岡崎 今のところは問題ない、という判断でした。
岸田 今のところ、ということですね。
岡崎 そうですね。原因ははっきりしないけれど、しこり自体はある、という状態です。
岸田 本当に、裕子さんのこれまでの経過を聞いていると、「しこり」との付き合いが続いていますね。
岡崎 もう、本当に嫌になりますよね。
岸田 いや、でも、その一つ一つをちゃんと確認しながら、ここまで来られているのは、本当にすごいと思います。
岡崎 早く安心したいという気持ちはあるのですが、では、いつになったら本当の意味で安心できる境地に達するのだろうか、という思いは常にあります。私の場合、初発のがんだけでなく、遺伝性であるという要素も抱えているので、仮に右の乳房に何かができたとしても、それは再発ではなく「新しいがん」である可能性が高い、という不安がどうしても付きまといます。がん化しやすい体質であるという意識が常にあるので、そういう意味では、この不安が完全に消えることは、なかなか無いのだろうなと感じています。
岸田 ありがとうございます。コメントでも、「あちこちに痛みが出ると、すべてががんによるものではないかと思ってしまいますよね」という声をいただいています。本当に、そう思ってしまいますよね。
岸田 そうなんですよね。


【遺伝】
岸田 ありがとうございます。現在はお元気に過ごされているとのことですが、ここで少し、これまでのお話の中にも出てきた「遺伝」について、お伺いしたいと思います。先ほどHBOC、つまり遺伝性乳がん卵巣がん症候群という言葉が出てきましたよね。
岡崎 はい、乳がん卵巣がん症候群です。
岸田 アンジェリーナ・ジョリーさんが予防的切除をされたことで、一時期、広く知られるようになった印象もあります。裕子さんは、治験に参加する過程で遺伝子検査を受け、ご自身がHBOCだと分かったわけですが、そのとき、どのように感じられましたか。
岡崎 そのときは、すごく腑に落ちた、という感覚がありました。腑に落ちたという言い方が適切か分かりませんが、がんになると、多くの方が、自分の生活習慣を振り返ると思うんです。
岸田 「今までの生活が良くなかったのでは」とか、考えてしまいますよね。
岡崎 そうなんです。お酒を飲み過ぎたかなとか、食生活が悪かったのかなとか、いろいろ考えてしまう。でも実際は、そうした要因とは関係ないことが多いのに、それでも自分を責めてしまう。私もまさにそうでした。
岡崎 40歳でがんが見つかりましたが、振り返ると30代後半には、もうがんがあった可能性もある。年齢的にも若く、しかもトリプルネガティブだったので、「どうして?」という気持ちがすごく強かったんです。そこでHBOCだと分かって、「なるほど、これはもう体質なんだ」と思えたことで、ある意味、納得できた部分がありました。
岸田 そう受け止められたんですね。差し支えなければですが、遺伝と分かったとき、ご両親やお子さんのことについては、考えましたか。
岡崎 はい、考えました。うちの場合、母も父もがんにはなっていません。なので、一番最初に思い浮かんだのは、やはり子どもたちのことでした。
岡崎 ただ、こういう形で自分の体質を知ることができたというのは、大きな意味があるとも思っています。娘たちがこの体質を受け継いでいる可能性は、あくまで2分の1です。2人とも大丈夫な可能性もあれば、どちらか、あるいは2人ともという可能性もある。そこは分からないけれど、「知っている」ということは、「対処できる」ということだと思うようになりました。
岸田 なるほど、前向きな捉え方ですね。
岡崎 私は自分の体質を知らなかったから、30代でマンモグラフィーができなくても気にしなかったし、市の健診が40歳からなら、それでいいと思っていました。でも、娘たちには、そうではないということを早い段階で伝えることができる。それは大きいと思っています。
岡崎 また、聖路加の山内先生や遺伝カウンセラーの先生から、「お嬢さんたちが将来、乳がんを心配する年齢になる頃には、治療は今よりもずっと進歩しているはずです。だから、今ほど恐れる病気ではなくなっていると、私たちは信じています」と言っていただいたことも、とても心強かったです。
岸田 確かに、医療は進歩していますよね。
岡崎 はい。2人に1人ががんになると言われる時代ですし、特別なことではない、という感覚もあります。そういう意味では、「そういう体質なんだ」と受け止めて、できることをしていく、という気持ちでいます。
【家族(親)】
【家族(パートナー)】
岸田 とても大切なお話ですね。ご自身のことで精一杯な中で、周囲のことまで考えなければならない状況は、本当に大変だったと思います。裕子さんは、そのようにご自身なりの距離感で対処されてきたということですね。続いて、家族の中でもパートナーについてお伺いしたいのですが、先ほどご主人のお話が少し出てきました。ご主人とは、どのような関係性だったのでしょうか。
岡崎 出会いの話は割愛しますが(笑)、夫は本当に、ものすごくサポートしてくれました。お互い、病気についての知識がないうちは、治療方針や、がんという病気への向き合い方について意見がぶつかることもありました。
岡崎 ただ、いざ治療が始まってからは、主治医との診察には必ず一緒に来てくれて、内容をすべてメモしていましたし、私が料理できない時には夕飯をすべて作ってくれました。
岸田 本当にすごいですね。
岡崎 週末も、子どもたちを連れて公園に連れて行ってくれて。そういう意味では、私自身、とても驚くほどのサポートでしたし、本当にありがたかったです。
岸田 これは、男性としてもぜひ聞きたいのですが、がんになる前から、もともとサポートされるタイプのご主人だったのでしょうか。それとも、がんになってから変わられたのでしょうか。
岡崎 がんになってからですね。本当に、私自身も驚くほどでした。もともとは、ほぼワンオペで子育てをしていて、正直、不満も多かったんです。
岡崎 両親にも頼れず、周囲にも病気のことを打ち明けられないまま仕事も続けていて、かなり疲弊していた私を見て、「これは自分がやらないといけない」と思ってくれたんだと思います。
岸田 そこが、大きな転機になったんですね。
岡崎 はい。本当にそうです。
岸田 コメントでも「ご主人のサポートが素晴らしい」「パートナーの支えは本当に大切ですね」といった声が届いています。今も、ご主人は変わらずサポートされているのですか。
岡崎 そうですね。特に、子どもたちとの関係がとても深まりました。
岸田 それは良かったですね。
岡崎 今日も、このインタビューがあるので、夫が子どもたちを連れて3人で出掛けてくれています。今も、とても仲良くしています。
岸田 ということは、こうして今お話を伺えているのも、ご主人のサポートがあってこそですね。
岡崎 そうですね。子どもがいると、なかなか落ち着いて話せないので、本当に助かっています。
【家族(子ども)】
【仕事】
【お金・保険】
【辛い・克服】
岸田 そして、お金の話が終わりまして、次は「つらさ」と「その克服」について伺いたいと思います。肉体的なつらさと精神的なつらさ、それぞれあると思うのですが、まず肉体的につらい時、どのように乗り越えてこられたのか、お聞かせいただけますでしょうか。
岡崎 私の場合は、「遺伝」というキーワードが、治療の中でどうしても外せないものでした。子どもたちが将来、がんに罹患する可能性があると思うと、これはもう自分自身の問題というより、娘たちにとってどう映るかのほうが、すごく大きかったんです。
岡崎 もし将来、娘たちが罹患することがあった時に、「がんは、あんなに恐ろしい病気なんだ」と思わせたくなかった。だから、治療に向かっている私を見て、どういう印象を持つだろうかということを、ずっと意識していました。
岡崎 そのせいか、自分のつらさに正面から向き合うというよりは、子どもたちから見て「つらそう」に見えないようにしよう、という、ある種の気合のようなものが常にあって。幼稚園や保育園に行っている時間帯は、かなり自分を甘やかして、ダラダラ過ごしていましたが、子どもたちが帰ってきたら、できるだけ普通に過ごすように努めていました。
岡崎 それが結果的に、謎の気合になって、乗り越えられてしまった、という感じかもしれません。
岸田 つらさを見せないようにしようと思っていたら、結果的に、それが克服につながっていた、ということですね。
岡崎 そうだったのかなと思います。
岸田 精神的に落ち込むことは、なかったですか。
岡崎 精神的に一番落ちたのは、抗がん剤の3回目ですね。本当にきつくて、「このまま治療を続けられないかもしれない」と思ってしまい、かなり落ち込みました。
岡崎 あとは、自分の病気と向き合う中で、不安と正面から向き合わざるを得ない場面が何度かあり、そのたびに気持ちが沈むことはありました。
岡崎 ただ、もともとの性格なのかもしれませんが、その日は深く考え込んでも、次の日にはあまり引きずらずにいられるタイプなんだと思います。
岸田 僕も、どちらかというとそういうタイプです。翌日には切り替えられるというか。
岡崎 そうじゃないと、本当にやっていけないですよね。
【後遺症】
岸田 そうですよね。どこかで切り替えていかないと、というか、無理やりでも切り替えないといけない瞬間って、ありますよね。では次に、後遺症について伺いたいと思います。これまでのお話以外で、「これは後遺症だな」と感じていることは、ほかにありますか。
岡崎 そうですね。やはり左腕の違和感は、今も少しあります。
岸田 違和感、というと。
岡崎 リンパ節を取った後の、腕の付け根というか、少し後ろ側のあたりに、なんとなく残っている違和感や、軽いしびれですね。完全に消えたわけではないです。
岸田 なるほど。
岡崎 それから、先ほども少しお話ししましたが、骨の問題ですね。
岸田 骨粗しょう症のことですね。
岡崎 はい。骨が弱くなってしまっているというのは、やはり後遺症の一つなんだろうなと感じています。
岸田 確かに、骨のケアも意識していかないといけませんよね。
岡崎 そうですね。骨は、特に気を付けています。
【医療者へ】
岸田 ありがとうございます。続いて、「医療者へ」というテーマについて伺いたいと思います。医療者の方への感謝の言葉でも、「こうしてほしかった」という思いでも構いませんが、印象に残っているエピソードがあれば教えていただけますでしょうか。
岡崎 私の場合は、やはりセカンドオピニオンをお願いした時の対応が、とても印象に残っています。有明の先生が、本当に温かく、「もちろん書きますよ」という感じで、すぐに紹介状を書いて送り出してくださったんです。
岸田 それはありがたいですね。
岡崎 はい。それに、最初の主治医の先生とは、精神的にも相性が合っていたのだと思います。こちらからの質問に対しても、どんなことでも真摯に向き合って、きちんと答えてくださって。その姿勢に、すごく助けられました。本当に感謝しています。
岸田 セカンドオピニオンというと、医療者によっては少し構えられることもありますよね。
岡崎 そういうイメージはありました。でも実際は、全然そんなことはなくて、とても気持ちよく送り出してくださいました。ご自身と山内先生との関係性についても、「仲がいいんだよ」なんて話してくださって。そういうところも含めて、とても優しい先生だったなと思います。
岸田 その後、転院することになりますよね。転院の流れは、どういった形だったのでしょうか。
岡崎 まず山内先生のほうから、「転院を勧めますが、最終的にはご本人の意思に任せます」という内容のお手紙をいただきました。それが、いわゆるセカンドオピニオンの結果書のような形で渡されるんです。それを、今度は有明の先生にお渡ししました。
岸田 なるほど。
岡崎 そうしたら先生から、「こう書いてあるけど、どうするの?」と聞かれて。実はその先生、翌年の3月で異動されることも決まっていたんです。
岸田 そうだったんですね。
岡崎 はい。「先生もいなくなりますし、転院しようかなと思っています」とお伝えしたら、「そうなの。分かった。じゃあ、それでいいよ」という感じで、すごくあっさり、でも温かく受け止めてくださいました。
【得たこと・気づいたこと】
岸田 そういった経緯もあって、転院をされたということですね。ありがとうございます。では次に、「得たこと」「気付いたこと」について伺いたいと思います。これまでのお話の中でも「キャンサーギフト」という言葉が少し出てきましたが、がんになったことで得たもの、あるいは気付いたことがあれば、教えていただけますでしょうか。
岡崎 そうですね。やはり一番大きかったのは、家族との関係です。当時のタイミングで、夫や子どもたちを含めて、家族仲がすごく良くなったと感じています。それは本当に、ありがたいことだったなと思っています。
岸田 家族仲、やはり大きいですよね。ご主人が、あそこまで協力的になられたというのも、とても印象的でした。
岡崎 本当にありがたかったです。心から、そう思っています。
【夢】
岸田 本当にありがとうございます。続いて、「夢」について伺いたいと思います。今後、岡崎家として、どのような未来を思い描いていらっしゃいますか。
岡崎 どうでしょうか。やはり、子どもたちと一緒に、いろいろな場所へ行きたいですね。今はコロナ禍もあって、なかなか思うように出かけられませんが、国内だけでなく、海外も含めて、さまざまな場所を訪れたいなと思っています。
岸田 いろいろなところへ行きたいという思いがある中で、陶芸家としての夢はいかがでしょうか。
岡崎 実は、予防切除の少し前に、パリで開催されたジャパンエキスポに参加させていただいたことがあり、海外の方にも作品を見ていただく機会がありました。
岸田 パリですか。
岡崎 はい。あの経験もあって、今後はヨーロッパなど海外でも、作品を発表したり、持って行ったりできたらいいなと考えています。
【 ペイシェントジャーニー】
岸田 ワールドワイドに、日本だけでなく海外へもということですね。岡崎さんの陶芸を世界各国へ届けていくというお話、とても素敵だと思います。ありがとうございます。
ここまで岡崎さんのペイシェントジャーニーを伺ってきましたが、ここで感情の曲線として整理したものを一度ご覧いただければと思います。こちらです。裕子さん、この中で「話し足りていないな」「これは触れておきたかったな」ということがあれば、遠慮なくお話しください。
まず、第2子の妊娠・出産のタイミングで、助産師さんが左胸のしこりに気づかれたものの、その時点では深刻に捉えずに過ごされていたということでしたね。このグラフは、上に行くほどポジティブ、下に行くほどネガティブな感情を示していて、赤がポジティブ、青がネガティブ、灰色が治療期間、白がどちらでもない状態を表しています。
個展を再開される中で、改めてしこりに気づき、クリニックを受診し、乳がんの告知を受ける。告知自体は数日であったものの、サブタイプが確定するまでに時間がかかり、その期間がとてもつらかったというお話でした。
その後、術前抗がん剤治療を行い、HBOCが確定し、治験に参加。左乳房全摘とリンパ節郭清の手術を受け、治療が奏功したタイミングが、感情としては最も高い位置にありますね。
岡崎 そうですね。あの時が一番のピークでした。「やった、乗り越えた」という気持ちが強かったです。
岸田 その後、セカンドオピニオンを受け、少し気持ちが下がる部分もありつつ、右乳房に病変が見つかった時期は、最初の告知に近いほどのつらさがあったのですね。
岡崎 はい。抗がん剤からまだ1年も経っていないのに、なぜ右側に、という恐怖が強かったです。きちんと抑えられていなかったのではないかという不安もありました。
岸田 結果的に良性であったことは大きかったですね。その後、パリのジャパンエキスポに参加されていますが、これは治療が終わった後でしょうか。
岡崎 実は、ジャパンエキスポに行って帰ってきてから、予防切除を受けました。
岸田 そうだったのですね。その後、両股関節の痛みが出て、骨量の低下が分かり、内服治療を開始。そして、リンパの痛みもありましたが、結果的には筋肉痛だったという流れですね。
何か痛みがあれば受診することは、本当に大切だと思います。特に遺伝性乳がんと分かっていると、どうしても気になりますよね。
そして、このグラフの中に「サーフィン再開」とありますが、ここまでのお話では初めて出てきました。
岡崎 そうなんです。がんが分かってから、無性にサーフィンを再開したいと思うようになりました。30代前半まではやっていたのですが、妊娠・出産で離れていて。治療中から「また海に行きたい」「サーフィンがしたい」と思い続けていて、少しずつリハビリのような形で始めました。
岸田 リンパ節郭清もされていますし、不安はありませんでしたか。
岡崎 最初は左腕がうまく使えず、パドルも全然できませんでした。でも、少しずつ体を慣らしていきました。
岸田 最近は終日サーフィンもできるようになったと。
岡崎 はい。この間、一日サーフィンできたことが、今は仕事以上にうれしい出来事でした。
岸田 以前、左腕の違和感についてもお話がありましたが、今はパドルも問題なく。
岡崎 今は問題なくできています。
岸田 現在も完全に安心とは言えない日々ではありますが、来年の9月で5年を迎えるということですね。
岡崎 そうです。来年の9月で5年になります。あと10カ月ほどです。
岸田 ありがとうございます。ではここで、協賛企業のご紹介をさせていただきます。「『生きる』を創る。」のアフラック様、グローバル企業のIBM様、そしてI-TONGUE様にご協賛いただいております。ありがとうございます。
岸田 また、ご視聴いただいている皆さまからのコメントにも、心より感謝申し上げます。ここで一つお願いがあります。番組終了後、動画の概要欄やチャット欄に記載されているアンケートURLから、ご回答をお願いいたします。簡単な内容ですが、コメント欄には岡崎さんへのメッセージも記入できますので、ぜひご協力ください。
岸田 あっという間に80分以上が経ちましたが、最後にコメントを一つご紹介します。「岡崎さんの作品を見てみたいです」という声が届いています。
岡崎 ありがとうございます。
岸田 作品は、どこで拝見できますか。
岡崎 ホームページがあります。「岡崎裕子」で検索していただければ、作品をご覧いただけます。
岸田 個展の予定はありますか。
岡崎 次回は12月11日から葉山で展覧会を予定しています。都内での展示は、来年2月まで予定がありませんが、もしよろしければぜひ足を運んでいただけたらうれしいです。
【今、闘病中のあなたへ】
岸田 定期的に個展も開催されていますので、ぜひ岡崎さんのホームページをご覧いただければと思います。そして最後に、裕子さんへお伺いしたいことがあります。こちらです。「今、闘病中のあなたへ」。本日もコメントで「術後3週間です」といった声を含め、たくさんの方が視聴してくださっています。今まさに治療に向き合っている方々へ、裕子さんからのメッセージをお願いしたいと思います。
岡崎 はい。今回、「いろいろ無いけど元通り」という言葉を選ばせていただきました。治療を経て、乳房も、卵巣も、リンパ節も、いろいろなものを失いました。身体的には確かに「無くなったもの」は多いです。治療が始まる前は、自分の日常がどこまで戻るのか、身体がどこまで回復するのか、その点がとても不安でした。
岡崎 ただ、治療から4年が経った今、振り返ってみると、動きや体力、日常生活は、かなり以前の自分に近いところまで戻ってきていると感じています。確かに失ったものはありますが、それでも「元通り」に近づいていけるという実感があります。今まさに治療中の方に、「こんなふうに戻っていく人もいる」ということを、少しでもお伝えできたらと思いました。
岸田 ありがとうございます。失うものが多い治療であることは事実ですが、時間をかけて、少しずつ元通りに近づいていくこともできる。軽々しく「安心してください」とは言えませんが、裕子さんのような歩みをされている方がいるということが、今闘病中の方にとって、一つの見通しになればと思います。
岸田 本日は本当に長時間にわたり、貴重なお話をありがとうございました。
岡崎 こちらこそ、ありがとうございました。
岸田 裕子さん、久しぶりにご自身の経験を、ここまでじっくり振り返ってみて、いかがでしたか。
岡崎 なかなか、ここまで長く自分の話をする機会はないので、良い振り返りになりました。改めて、大変なことも多かったなと感じました。
岸田 その経験が、これから裕子さんの活動を通じて、乳がんの方だけでなく、さまざまな病気と向き合う方の支えや見通しになっていくと、がんノートとしてもとても嬉しく思います。本日のがんノートは、以上となります。ご視聴いただいた皆さま、本当にありがとうございました。
岡崎 ありがとうございました。長時間お付き合いいただき、感謝しています。
岸田 それでは、またお会いしましょう。ありがとうございました。
岡崎 ありがとうございました。
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