目次
- 【ゲスト】テキスト / 動画
- 【こども】テキスト / 動画
- 【妊よう性】テキスト / 動画
- 【就活】テキスト / 動画
- 【仕事】テキスト / 動画
- 【緩和ケア】テキスト / 動画
- 【将来の医療者へ】テキスト / 動画
- 【闘病中のあなたへ】テキスト / 動画
※各セクションの「動画」をクリックすると、その箇所からYouTubeで見ることができます。
インタビュアー:岸田 / ゲスト:越澤・山水・梶文・和田
【オープニング】
岸田 本日は「がんノート×AYA研」のコラボセッション企画として、総勢7名でお届けします。第122回目となる今回はAYA研とのコラボということで、滋賀医科大学の先生にもお越しいただいております。本日はよろしくお願いいたします。
河合 河合由紀と申します。本日の会場である滋賀医科大学で医師をしており、乳腺外科および薬物療法に携わっています。日頃からAYA世代の患者さんと関わることも多く、そのご縁でAYA研の活動にも参加させていただいています。
AYA研の正式名称は「AYAがんの医療と支援のあり方研究会」といい、少し長い名前になります。最近、新聞などでも目にすることが増えた「AYA世代」とは、日本では小児がんの次の世代にあたる、15歳から39歳までの思春期・若年成人の世代を指しています。
この世代のがん患者さんは、年間およそ2万人ほどで、全がん患者の約2%を占めています。決して多い数ではありませんが、年齢が少し変わるだけで疾患の種類が大きく変わるという特徴があり、もともと人口が少ないにもかかわらず、がんの種類が非常に多様である点が、他の成人世代とは異なるところです。
国が示している「がん対策基本計画」や、がん診療を進める指針の中でも、「がんとの共生」や「治療をしながらライフステージに応じたがん対策」という考え方は、特にこのAYA世代に当てはまるものだと感じています。
決して多数派ではないAYA世代の多様性に対応するための取り組みが、AYA研をはじめ、さまざまな場所で検討されています。具体的には、人材育成や支援チームの整備、相談窓口の見える化などに力を入れています。
また、情報共有や経験の蓄積、AYA世代のがんについて社会に広く知ってもらうことを目的に、AYA研は医療者だけが集まる学会ではありません。がん経験者の方や、医療者・患者ではないものの、がんに関心を持つ一般の方にも参加していただき、活動を続けています。
【ゲスト】
岸田 本日お越しいただいている多くのゲストの中から、まずお一人ご紹介します。滋賀医科大学の医学生である十河さん、自己紹介をお願いいたします。
十河 滋賀医科大学医学科3年生の、十河亜裕子と申します。本日は学生の立場から、がんに関わられた方、また現在関わっていらっしゃる方々のお話を伺えればと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
岸田 本日は、医療者、そして将来医療者となる立場から、患者さんに質問をしていただければと思っています。それでは続いて、闘病経験者の方4名をご紹介していきましょう。

梶 梶文祥と申します。15歳のときに慢性骨髄性白血病を発症し、およそ19年間治療を続け、現在34歳です。現在は薬剤師として病院で勤務しています。
慢性骨髄性白血病は、初期にはほとんど症状が出ない病気ですが、私の場合は頭痛が2~3週間ほど続いたことがきっかけでした。親が異変を感じて病院を受診し、CT検査などで頭部を調べましたが異常は見つからず、たまたま行った血液検査で白血球数が異常に多いことが分かりました。その後、再受診するたびに白血球が増えていき、静岡県立こども病院で精密検査を受けた結果、慢性骨髄性白血病と診断されました。
現在は効果の高い治療薬があり、その薬を服用していますが、治療開始から最初の1年間は、インターフェロンという薬を自己注射で使用していました。インターフェロンは副作用が強く、私もうつ状態になってしまったため、主治医と相談の上でグリベックという薬に切り替えました。現在はその薬を継続し、寛解状態を維持しています。
治療自体はうまくいきましたが、就職活動では大変苦労しました。大学院まで修了しましたが、就職活動中に健康診断書を提出すると人事課から呼び出されたり、面接の途中で病気の話を聞かれて結果的に不採用になることが多く、卒業と同時に就職が決まりませんでした。その後1年間は、一人旅をしたり、フリーターや無職の期間を過ごしました。
その後、薬剤師の資格を取得しようと考え、薬科大学2年次に編入し、3年前に薬剤師免許を取得しました。そこからようやく就職することができ、最近ようやく働き始めたという状況です。
岸田 続いて、山水さんにお話を伺います。
山水 山水雅代と申します。34歳のときにがんを発症し、現在は40歳です。がんの種類は腺様嚢胞がんという、頭頸部がんに多く見られる希少がんです。滋賀県在住ですが、治療は福井県立病院で受けました。現在は、楽天やAmazonなどに出品するネットショップ関連の仕事をしています。
治療は、当時先進医療だった陽子線治療と、動注化学療法の併用治療を受けました。この治療が可能だったのが、福島県の南東北病院か福井県立病院のみであったため、福井県立病院で治療を受けることになりました。
がんに気づいたきっかけは、ヨガをしていたときです。あごをマットにつけるポーズで痛みを感じ、最初は気にしていなかったのですが、その後喉の痛みも出てきたため、7月に歯科を受診しました。歯科医から「歯の問題ではない」と言われ、総合病院を紹介されました。
歯科からの紹介だったため、最初は口腔外科を受診し、CTやMRI検査の後、組織生検を受け、2日後に腺様嚢胞がんと診断されました。初期ではなく、がんの大きさが約5センチあったことから、愛知県がんセンターも受診しました。そこでは舌の全摘出手術を提案されましたが、舌を失う人生を受け入れられず、どうしても舌を温存したいという思いからセカンドオピニオンを重ね、陽子線治療と動注化学療法にたどり着きました。
3カ月間の入院を経て11月に退院し、翌年には職場復帰しましたが、強いストレスのある職場環境だったため、このままでは再発や転移につながるのではないかと感じ、自分を守るために退職を決意しました。その後、職業訓練でウェブデザインの講習を3カ月受講し、現在の職場に採用されました。
パート勤務を始めて1年も経たないうちに、CT検査で肺転移が見つかりましたが、職場が柔軟に対応してくれたおかげで、自分のペースで手術を受けることができました。7カ月間の経過観察後に手術を行い、現在のところ肺に腫瘍は認められていません。
さらにその翌年、PET検査で子宮筋腫と卵巣嚢腫が見つかり、子宮動脈塞栓術を受けました。現在は、CTおよびMRIで胸部を中心に経過観察を続けています。
岸田 それでは次に、和田さん、お願いいたします。
和田 和田瑛と申します。現在29歳で、21歳のときに右手に横紋筋肉腫という腫瘍が見つかりました。兵庫県出身ですが、がんが発覚した当時は大学生で、神奈川や東京に住んでいました。
現在は保健師として、地域の高齢者の方の相談窓口を担当し、日々ご自宅を訪問する仕事をしています。治療は東京の病院で受け、その後地元に戻ってからは、関西の病院で経過観察を続けています。
がんが見つかったのは20歳のときで、ちょうど看護師を目指して勉強している途中でした。当時、私はビオラという楽器を演奏しており、左手で楽器を構え、右手に弓を持って演奏します。その右手に、だんだん筋肉がついてきたように感じて、「楽器を弾いているから筋肉がついてきたのだろう」と最初は様子を見ていました。
しかし、その膨らみは次第に大きくなっていき、「これは少しおかしいのではないか」と感じるようになりました。それが、病院を受診するきっかけになりました。

和田 学校が忙しかったことに加え、神奈川で一人暮らしをしていたため、見知らぬ土地でどの病院にかかればよいのか分からず、結果的に半年ほど様子を見てしまいました。いよいよ「これは少しまずいかもしれない」と感じ、整形外科を受診したところ腫瘍の可能性があると言われ、検査を進めました。2011年2月に初診を受け、同年4月に横紋筋肉腫と診断されました。
ちょうどその頃、3月には東日本大震災があり、社会全体が大変な状況でしたが、診断後は化学療法を開始しました。抗がん剤治療によって腫瘍が徐々に小さくなったため、当初予定されていた手術は行わず、放射線治療を受けることになりました。腫瘍は右手の小指の付け根にありましたが、現在は右手も動き、日常生活に支障がない程度に使えています。見た目にも、ほとんど目立たなくなっていると思います。
化学療法と放射線治療を続ける中で、血液を造る機能が低下し、骨髄移植を受けることになりました。その後はしばらく免疫抑制剤を服用しながら生活していましたが、現在は薬も飲まず、経過観察のみとなっています。もともとは抗がん剤で腫瘍を小さくしてから手術を行う予定でしたが、薬の効果が想像以上に高く、手術を回避できたことで、今もこうして右手を使うことができています。
約10カ月間、入退院を繰り返しながら治療を行い、2012年2月に退院しました。4月から大学に復学しようとした矢先に肺炎を患いましたが、それでも何とか大学に戻り、授業や実習を乗り切ることができました。その後、就職を機に関西へ戻り、現在は保健師として働いています。
がんに関する活動を始めたのは、就職してからで、治療後3~4年ほど経ってからになります。少しずつ自分の体験を話す場を見つけられるようになりました。「ぴあナース」という、がんを経験した看護師の全国的な会にも参加しています。看護師も一人の人間としてがんにかかることがありますし、看護師ならではの悩みや体験を共有しながら、がんを経験したからこそ、どのように看護師として働いていけるのかを考える場です。
また、医療者に限らず、がんを経験した方が自分の体験を語るための「サバイバースピーキングセミナー」にも参加しています。こちらは毎年1回継続して開催されており、そうした場に足を運ぶ中で、多くの方と出会うことができました。現在は、そうしたつながりの中で、前向きに、楽しく過ごしています。
岸田 それでは次に、越澤さん、自己紹介をお願いいたします。
越澤 越澤と申します。現在30歳で、出身は大阪です。がんだと分かったのは昨年12月5日で、私の誕生日の2日後でした。その時点ではまだ29歳で、現在も当時も大阪に住んでいます。
がんの種類は胃がんになりますが、詳しいお話は後ほどさせていただきます。がんだと分かってからは、仕事はすぐに休職することになりました。
最初の症状は、お腹の下のあたりに軽い痛みを感じたことでした。11月に産婦人科を受診し、自分では子宮や卵巣の問題ではないかと思っていましたが、検査の結果、子宮も卵巣も異常はありませんでした。
その後、内科も受診しましたが、排便時に痛みがあると伝えても盲腸ではないと言われ、はっきりした原因は分かりませんでした。最終的に外科を紹介され、CT検査やエコー検査を受けましたが、その段階でも明確な異常は見つかりませんでした。

越澤 痛みの場所や症状から、虫垂炎ではないかという判断になり、1週間ほど入院して、お腹を2~3センチ切る手術を受けました。その際、初めてお腹の中に白い粒が散らばっていることが分かり、その一部を採取して検査したところ、がん細胞が見つかりました。そこから原発がどこなのかを調べるため、さまざまな検査を行いました。
その結果、胃に1センチほどの非常に小さなできものが見つかり、その細胞を調べると腹腔内のがん細胞と一致したため、胃がんであることが判明しました。若い人がかかる胃がんとしてよく知られているのはスキルス胃がんですが、このタイプはまだ解明されていない部分も多く、広がり方も特徴的です。私の場合も、はっきりと断定できない部分があり、現在も完全には分かっていない状況です。
治療については、大阪大学医学部附属病院で、キイトルーダ、シスプラチン、ティーエスワンの3剤併用による新薬の治験に参加しました。しかし、2019年6月に卵巣が大きく腫れ、卵巣への転移が判明して摘出手術を受けることになったため、この治験は中止となりました。
その後、7月からは標準治療であるアブラキサンとサイラムザを使用していましたが、10月に痛みが強くなったため中止となりました。現在は第3の標準治療であるオプジーボを使用しており、2週間に1回のペースで治療を続けています。
岸田 河合先生にお伺いしたいのですが、越澤さんのお話の中で、スキルス胃がんなのか、そうでない胃がんなのか判断が難しいという点がありました。医師の間でも、意見が分かれることはあるのでしょうか。
河合 はい、あります。現在の医学は万能ではありませんので、病理医の見立てや、病院が変わることで診断名が異なることもありますし、それによって治療方針が左右される場合もあります。
病気が明確に診断できている場合は、ガイドラインに沿った治療が可能ですが、診断がはっきりしないケースでは、「キャンサーボード」と呼ばれる仕組みを用いることがあります。これは、さまざまな診療科の医師や医療従事者、場合によっては他施設の医療者も交えてディスカッションを行い、知恵を出し合いながら治療方針を決定していくカンファレンスです。最近では、このような取り組みを行う医療機関も増えてきています。
【こども】
岸田 本日のテーマの一つとして、お子さんについても伺いたいと思います。この中でお子さんをお持ちなのは美幸さんですが、妊よう性なども含めて、少しお話しいただけますでしょうか。
越澤 双子の6歳の娘がいます。最初は、私自身が現実を受け止めきれなかったこともあり、娘たちにどう伝えたらよいのか分からず、とにかく元気に振る舞っていました。
ただ、病院に行く回数が多いことや、注射を何度も受けていることには、子どもなりに気づいていたようです。それでも当初は、「子どもに伝えるのはよくないことだ」と思い込んでいて、あえて何も伝えずに過ごしていました。
現在は、状況を包み隠さず伝えるようにしています。私自身が、命に関わる状態であること、場合によっては死ぬかもしれないということも含めて、話しています。テレビに出演したことをきっかけに、周囲の友達から何か言われる可能性も考え、逃げずに向き合おうと思いました。この子たちを信じて、きちんと伝えることを選びました。

越澤 子どもたちの反応は、意外にもとても落ち着いたものでした。6歳ながら、何かおかしいということは薄々感じ取っていたようで、「やっと話してくれた」という表情で受け止めてくれました。泣くこともなく、「そうなんだ」と静かに受け入れてくれたのが印象的でした。現在は、強い薬を使った治療をしているため、薬の副作用についても、あらかじめ子どもたちに伝えるようにしています。
子育てについては、私の病気が分かってから、夫がすぐに休職を決めてくれ、とても協力的に支えてくれています。今は夫婦二人とも休職しながら、力を合わせて子育てと治療に向き合っています。生活費については、貯金や保険を活用しながらやりくりしています。
【妊よう性】
岸田 妊よう性について、皆さんそれぞれどのような状況だったのかを伺いたいと思います。まず、和田さんはいかがでしょうか。
和田 私の場合は、抗がん剤治療を行うことが決まった段階で、治療開始前に精子を凍結するかどうかを医療者から確認していただきました。現在は凍結保存している状態です。医療者を目指して勉強はしていましたが、実際に自分が治療を受ける立場になると、頭の中は抗がん剤のことばかりで、妊よう性まで考える余裕はありませんでした。医療者の方から選択肢を提示してもらえたことで、将来の可能性を残すことができたのだと思っています。
岸田 ありがとうございます。続いて、山水さんはいかがでしょうか。
山水 正直に言うと、私は「妊よう性」という言葉自体を、がんノートで初めて知りました。入院して治療を受けていた当時は、そういったことを考える余裕は全くなく、今も妊よう性については特に確認していないため、正確なことは分かりません。
ただ、同じ動注化学療法を受けた方と話した際に、舌がんの局所までカテーテルを通して、そこから直接抗がん剤を投与する治療は、一般的な全身投与の抗がん剤治療とは異なるため、「もしかすると妊よう性への影響は少ないのではないか」という主治医の見解を聞いたことがあります。その話は、一つの参考として受け止めています。
岸田 ありがとうございます。では、梶さんはいかがでしょうか。
梶 私の場合、現在服用している薬に催奇形性、つまり精子に異常が出る可能性があるとされているため、現時点では妊よう性があるとは言えない状況です。また、長期間その薬を服用していることもあり、仮に服用を中止したとしても、将来的にどうなるのかについては悩ましいところがあります。
岸田 美幸さんはいかがでしょうか。妊よう性について、医師からの説明はありましたか。
越澤 ありました。卵巣が腫れており、摘出するかどうかという判断を迫られた際に、産婦人科の先生から妊よう性について一応確認はありました。ただ、そのときは正直、ものすごく悲しかったです。
女性としての体の一部を失うかもしれないという現実を突き付けられた瞬間でもありましたし、生理が止まったことも含めて、純粋に悲しい気持ちになりました。ただ、治療までの時間的余裕がなかったため、「はい、取ります」と答えるしかありませんでした。
岸田 AYA世代ならではのテーマですよね。子どもを持つ、持たないといった選択が、治療と同時に迫られるという点は。

河合 治療を始める前にタイミングが合い、凍結保存ができた方は、将来がんが落ち着いたときに子どもを持てるかもしれないという希望を持って、治療に臨めることが多いと思います。ただ、これは本当にここ最近になって整ってきた考え方で、少し前までは、がんが治った後になって初めて「子どもができない」と気づかれる方が、実はたくさんいらっしゃいました。
現在では、治療開始前に妊よう性を「温存するか、しないか」を、患者さん自身が納得した上で選択できることが大切だと考えられています。時間が限られている状況ではありますが、治療にあたる医療者は、できるだけ丁寧にこの話をするべきだという共通認識が広がっています。
患者さんそれぞれに事情がありますので、私たちは一度きちんと向き合って、膝を突き合わせてお話をする形を取っています。将来的に妊よう性を残せなかったとしても、「最初にどれだけの情報を知っていたか」は非常に重要です。知った上で諦めるのと、知らないまま選択肢を失うのとでは、受け止め方が全く違います。
そのため、滋賀県では、治療前の情報提供に役立つツールの作成にも取り組んでいます。また、全国的なガイドラインも整備されてきています。さらに最近では、「がん生殖医療」に特化した専門の心理士の養成も始まりました。医師から妊よう性の説明を受けた後の心理的ケアや意思決定の支援、時には「今は子どもよりも治療を優先しなければならない」という葛藤に寄り添う支援などを担う、妊よう性に特化した心理士の育成が進められています。
【就活】
岸田 話題を変えて、就職活動について伺いたいと思います。治療後の就職はどのような状況だったのか、まず梶さんからお願いします。
梶 大学院2年生、25歳のときに就職活動を始めましたが、正直なところ、病気のことは大きなネックになるだろうと考えていました。そうした中で、大学の保健の先生が、健康診断書の書き方について一緒に考え、話し合いの場を設けてくださいました。
当時、病気自体は寛解状態にあり、日常生活には特に支障がなかったため、「服薬は継続しているが、2カ月に1回の定期健診を受けている状況で、通常の生活や就労には問題がない」という内容の文言を入れた健康診断書を作成していただきました。

梶 就職活動が進み、健康診断書を提出した後になると、「今回はご縁がありませんでした」という連絡をいただくことが多くなりました。また、企業によっては、他の面接がすべて終わった段階で、改めて病気に関する説明を求められることもありました。病気の内容や治療法、現在の状態を丁寧に説明しても、就職活動はなかなかうまくいきませんでした。
そうした中で、研究室の先生が、ある企業の面接をあっせんしてくださいました。その企業の現場の方はとても良い方で、当時の私の研究内容と仕事内容も合っているということで、「ぜひ来てほしい」と言ってくださいました。ただ、病気のことを伝えた途端に、少し躊躇される様子がありました。
それでもその方は、「正社員が難しければ、まずはアルバイトでもいいから来てほしい」と、そこまで考えてくださいました。しかし、上司と交渉していただいたものの、最終的にはどうしても採用は難しいという結論になりました。その結果、私は一人旅に出ることになります。
採用できなかった理由が病気だったのかどうかを現場の方に確認したところ、「それは守秘義務として明確には言えないが、そう受け取ってもらって構わない」と言われました。アルバイトという形態ですら難しいということは、将来的な発展が望めないと判断されたのだと思います。
その後、薬学部に入り直して薬剤師の資格を取得してからの就職活動は、比較的スムーズに進みました。当時面接をしてくださった上司が、病気についてもよく理解してくださる方で、「まずは採用してみて、もし難しければそのときに話し合えばいい」と言ってくださいました。
最近は、少し違和感を覚える場面もありますが、それでも何とか働かせていただいている、というのが正直な実感です。

和田 私が罹患したのは、ちょうど看護師を目指して勉強していた時期でした。そのため、病気の治療が終わってからおよそ1年半後に、就職活動を行うことになりました。看護師と保健師の両方の資格を取得できたことから、最終的に保健師の道を選びました。現在は、自分で役所に行くことが難しい高齢者の方を対象に、介護保険などの申請手続きの相談窓口として、地域を巡回する仕事をしています。
看護師は夜勤がある職種ですが、治療を終えて2年、3年という当時の体の状態では、夜勤は正直厳しいと感じていました。一方で、保健師は日中の勤務が中心であるため、体調面を考慮して保健師を選択しました。
就職活動の面接では、自分自身が病気を経験し、体力の低下やさまざまな葛藤を抱えてきたことを正直に伝え、その経験を生かして働いていきたいという思いを話しました。同時に、現在の体力面についても具体的に説明しながら面接に臨みました。その結果、職場の理解を得ることができ、今の職場に採用していただきました。
【仕事】
岸田 続いて、お仕事についてお伺いしたいと思います。山水さんは転職も経験されていますが、そのあたりはいかがでしたか。
山水 がん患者になってから転職活動をする際に、まず悩んだのは「自分ががん患者であることを企業に伝えるべきか、伝えないべきか」という点でした。私自身もインターネットで調べましたが、明確な答えは見つかりませんでした。
今でこそ、がんノートのような場があり、「こういうケースもあるのだ」と知ることができますが、当時はがん患者の就職に関する情報自体が、ほとんどネット上にありませんでした。
そんな中で、通っていた職業訓練の就職支援担当者との面談があり、「もうここで聞くしかない」と思って、企業にがんのことを伝えたほうがよいのかを相談しました。すると、「そんなことは言わなくていい。不都合なことが起きた時点で伝えればいい」とアドバイスを受けました。ハローワークの担当者の言葉だったので、それを信じて就職活動を進めることにしました。
履歴書や面接の段階では、病気のことは一切触れず、最終段階の健康状態の自己申告の欄で、細かく、正直に記載しました。その時点では手応えも良く、「雇ってもらえるかもしれない」と感じていましたが、後日お断りの連絡をいただくこともあり、現実は厳しいのだと感じました。

山水 今の職場についても、ハローワークで言われたとおり、最初は病気のことを伝えずに働き始めました。ただ、だんだんと「隠したまま仕事をしている」ことに心苦しさを感じるようになり、入社して1週間ほど経った頃に、実はがんであることを打ち明けました。
すると職場の方からは、「それは大変だったね。でも大丈夫だよ。もし治療が必要になったとしても、山水さんのタイミングで進めてくれたらいいから」と声をかけていただきました。その言葉に本当に救われましたし、とても恵まれた環境だと感じています。
岸田 ありがとうございます。美幸さんは現在休職中とのことですが、職場にはどのように伝え、どのような対応を取られたのでしょうか。
越澤 私の職場は、荷物を運ぶなど体を使う仕事だったため、今の状態では続けるのは難しいと自分で判断しました。そのため、職場の中でも一番上の立場の方にだけ、病気のことをお伝えしました。
その方もとても理解のある方で、「大変だね。待っているから、いつでも戻ってきてください」と言ってくださいました。今も名前を職場に残していただいており、その言葉にとても支えられています。
【緩和ケア】
岸田 ここからは、緩和ケアという話題に移っていきたいと思います。まずは河合さんからご説明いただき、その後、美幸さんにもお話を伺いたいと思います。
河合 緩和ケアとは、痛みを含め、がんと向き合う皆さんの「すべて」に対して行うケアのことです。一般的には「終末期」や「看取り」をイメージされがちですが、それだけを指すものではありません。
本来、緩和ケアとは「全人的苦痛に対するケア」と言われています。身体的な痛みだけでなく、仕事が見つからない、あるいは辞めざるを得ないといった社会的な苦痛、経済的な圧迫も含まれます。さらに精神的な苦痛、そして日本ではやや意識されにくいものの、スピリチュアルペインも含め、これらすべてに対してケアを行うのが緩和ケアです。
そのため、決して「看取るためだけ」のものではありません。現在では、がんと診断された時点から緩和ケアが始まるという考え方が主流になっています。治療の段階によって比重は変わりますが、治療と並走するものとして位置づけられており、がんに関わるすべての医療従事者が緩和ケア研修を受けることが必修化されています。
和田 私の場合、抗がん剤治療中に口内炎がたくさんできてしまい、強い痛みでどうしようもなくなったことがありました。そのとき初めて、緩和ケアの方が病室に来てくださいました。
痛みを和らげるための薬を使っていただくだけでなく、いろいろな話を聞いてくださったり、マンガを貸してくださったりして、気持ちの面でも支えてもらいました。
その後、治療が終わって退院したものの、肺炎で再入院したことがありました。ちょうど「あと2週間で学校が始まる」というタイミングでの再入院だったため、このまま大学に戻れるのか、それとももう1年休学しなければならないのではないかと、気持ちが大きく沈んだ時期がありました。
そのときは、自分から緩和ケアチームに「来てほしい」とお願いしました。不安な気持ちをとにかく吐き出し、話を聞いてもらったことを今でもよく覚えています。
振り返ると、肺炎で再入院したときに寄り添ってもらえたことは、身体的な痛みだけでなく、精神的な痛みや社会的な痛みに対するケアだったのだと思います。
岸田 社会的な痛みや精神的な痛みも、緩和ケアに含まれるということですよね。こうした場合、主治医に相談すればよいのでしょうか。それとも、どうしたらよいのでしょうか。
河合 病院によって対応はさまざまですが、滋賀医科大学の場合は、主治医から緩和ケアチームに依頼することもありますし、周囲の医療スタッフが患者さんの悩みに気づいて声をかけ、つないでくれることもあります。医療者であれば、誰かに相談すれば、適切な窓口につないでくれる病院が多いと思います。
岸田 では、今、美幸さんはどのような緩和ケアを受けていらっしゃるのでしょうか。

越澤 通院している病院には緩和ケアチームがあり、がん専門の看護師さんが担当としてついてくださっています。主治医と話をするときも一緒に同席してくださり、その後のフォローも含めて継続的に関わってもらっています。
その病院にはおそらく3人ほど緩和ケアのスタッフがいらっしゃると思いますが、皆さんとても忙しそうです。私が緩和ケアを受け始めたのは、今年の夏頃でした。精神的な痛みと身体的な痛みは強く結びついていて、どちらも本当につらいものだと感じています。
自分でも、考え方がうつの一歩手前になっていると分かる状態になり、主治医に「緩和ケアを受けさせてください」とお願いしたところ、すぐに紹介していただきました。
一番助けられたのは、和田さんのお話と同じで、「話を聞いてもらえること」でした。「何でもいいので、時間を気にせず好きなことを話してください」と言われ、ぽつぽつと話し始めたら、自然と涙が止まらなくなりました。話しながら、「自分はこんなことで苦しんでいたんだ」と気づいていく感覚がありました。
先生は私の話を否定することは一切なく、ただ静かに聞いてくださいました。問題がその場で解決するわけではありませんが、それでも心が大きく救われました。精神的な面で、本当に支えてもらっていると感じています。
【将来の医療者へ】
岸田 ここからは「将来の医療従事者へ」というテーマで、滋賀医科大学の十河さんから、皆さんに質問をしていただきたいと思います。
十河 周りの医学生や研修医の友人から話を聞く中で、がんを経験された方、また現在も治療中の方に、ぜひ伺ってみたいと思っていました。まず、がんだと分かったときに、生活や気持ちの面でどのような変化があったのかを教えていただけますでしょうか。
梶 私ががんの告知を受けたのは高校生の頃でした。そのため、当時はどうすることもできず、今振り返ると、出席日数が足りていなかったのではないかと思うほど、高校にもほとんど通えていませんでした。
今でも、病気のことを完全に受け入れられているかと言われると、正直そうではありません。ただ、その中でも「今の自分」と折り合いをつけながら、今できることをできる範囲でやっている、という実感があります。その感覚が、一つの支えになっています。
もちろん、症状がつらいときは今でもあります。ただ、今の自分を形づくってくれた家族や友人がそばにいてくれたからこそ、ここまで支えられてきました。その存在を無駄にするようなことは、自分からはしたくありません。だからこそ、できる限り、自分のことは自分でやろうと思いながら、日々を過ごしています。
十河 ありがとうございます。それでは次に、今、生きていく上で、日々の生活を送る中で、一番大切にされているものは何でしょうか。

梶 今、大切にしていることは、自分の生活を守ること、そして薬剤師としてできる限りの仕事をきちんとやることです。高校生の頃は、「このまま何もできないまま人生が終わるのではないか」と正直思っていました。
大学生活も長く、就職できない期間も続きましたが、だからこそ今は、できる限りのことをやりたいと思っています。自分と同じように困っている患者さんがいるのであれば、少しでも助けたいですし、自分にできることがあれば、何かしてあげたいと思っています。
同じようにがんになった患者さんにとって、進む道の目印のような存在になれるよう、何かを残したいというのが、今の率直な思いです。
山水 がんになって一番変わったのは、自分を甘やかせるようになったことです。がんになってからは、自分のストレスをできるだけ減らすことを大切にするようになりました。正社員であることにこだわらず、「パートでもいい」と思えるようになったのは大きな変化です。
以前は、大学まで出させてもらっているのに、パートやアルバイトで働くなんて、と考えていましたが、そうした価値観が大きく変わりました。やりたいことを後回しにせず、「やりたいと思ったことはやってしまおう」と、今まで先延ばしにしていたことにも積極的に取り組むようになりました。
和田 がんになって変わったことを正直に言うと、診断を受けたときに、自分の中に一つの「看板」ができたような感覚がありました。それまでは、自分は何者でもないような気がしていましたが、人生の中でようやく一つ、意味のあるものを見つけたように感じたのです。
今、大切にしていることは二つあります。一つ目は、「人生を楽しく生きること」です。日々を楽しく、大切に生きるということに気づかされました。
もう一つは、自分が病気と向き合っている姿を、そのまま見てもらうことです。抗がん剤治療で髪の毛がなくなった姿も含めて、「生きている今の自分」を仕事を通して見てもらえたらいいなと思っています。

越澤 私の場合、がんの告知を受けてから、すべてが一変しました。突然、「半年後に亡くなります」と告げられ、治療法はあるものの助かる見込みはなく、その治療自体も非常につらいものだと説明されました。病院に入る前と、出てきた後では、見える景色がまったく違っていました。
強い孤独を感じましたし、生活の中で感じることも大きく変わりました。花が咲いていることや風が吹いていること、季節の移ろい、人の優しさ、そして反対に人の弱さや闇の部分まで、あらゆることにとても敏感になりました。
今、大切にしていることは、一番の宝物である子どもを残して先に逝ってしまうかもしれないという現実と日々向き合いながら、子どもに何か少しでも残せるものはないかを模索することです。形のあるものでも、思いでも、何かを残したい、爪痕を残したいと思いながら過ごしています。
大阪大学で治験を受けたのも、私と同じように、突然宣告を受け、これまで健康しか知らなかったのに、いきなり「死」という箱に押し込まれるような経験をする人のために、少しでも良い薬が生まれ、未来のがん患者さんの助けになればという思いがあったからです。
薬が保険適用になるという事実から、私と同じ気持ちで治験を受けてきた方々がこれまでにもいたのだと知り、そのことに深く感謝しています。
十河 最後の質問です。医療者として関わる中で、どのような医療者であれば話しやすいと感じるのか、また信頼しやすいと感じるのか、アドバイスをいただければと思います。
梶 私自身、現在は医療者の立場になり、この問いはとても難しいものだと日々感じています。勤務先の病院で、がん患者さんのお話を聞きに行く機会があり、時々、自分自身の経験をお話しすることもあります。
そうした場面では、がんの種類が違っていても、心を開いてくださる瞬間があります。その経験から感じているのは、「自分に正直でいてくれる人」です。ただ話を聞くだけでなく、医療者としての立場を超えて、「自分はこう思う」と一人の人間として意見を伝え、その患者さんを「症例」ではなく「一人の個人」として扱ってくれる医療者は、自然と信頼を得られるのではないかと思っています。

山水 まず、医療者である前に、一人の人間として患者に向き合ってほしいと思います。医師が病気を診ることが中心になるのは当然ですが、患者には家族や仕事があり、これまで何を大切にして生きてきたのかという背景があります。そうしたバックグラウンドに興味を持って、きちんと聞いてほしいと感じています。
治療の話だけでなく、「復職した後、仕事はどうですか」といったように、病気以外の生活面にも目を向けて声をかけてもらえると、患者としてはとてもうれしいです。
和田 私自身も医療者ですが、医療者である前に人間であるということが一番大切なのではないかと思っています。医療者としての役割はもちろん必要ですが、まずは「その人と共にいる」という姿勢が大事なのだと感じています。医療者自身が、自分の生活の中で感じていることを大切にすることが、患者さんの生活を想像することにもつながるのではないかと思います。
越澤 これまで関わってきた医師や看護師の中で、本当に何でも話せて信頼できた方々には共通点がありました。それは、患者である私のことを「自分のこと」、あるいは「身内のこと」のように捉えて向き合ってくれていたことです。
一方で、信頼できなかった方は、とても事務的で、仕事はきちんとするけれど、それ以上の関わりがない方でした。そうした対応が続くと、こちらの心は次第に閉じていってしまいます。
信頼できる医師や看護師の方は、生と死に向き合う場面でも、少しでも良い報告があれば一緒に喜び、安心してくれました。反対に、転移が見つかるなどの悪い報告があったときには、一緒になって悲しんでくれました。それだけのことなのですが、それがとても大きいのです。
自分が友人の立場だったら、自然とそうするだろうと思います。うれしい気持ちや悲しい気持ちを共有し、寄り添ってくれることが自然にできる方は、心から信頼できました。仕事に加えて「心」があるかどうかだと思います。
十河 皆さんのお話を伺って、病気を診ることだけが医師の仕事ではないということが、本当によく分かりました。病気だけでなく、人と向き合える存在であることが大切なのだと感じました。医師に限らず、医療という現場の中で、人と向き合える医療者になれたらいいなと思います。
【闘病中のあなたへ】
岸田 最後に、「今、闘病中のあなたへ」というメッセージをお願いいたします。
梶 最近読んだ本の中にある、『大切なものは目に見えない』という『星の王子様』の一節が、とても心に残っています。大切なものというのは、物そのものではなく、人との絆であったりするのだと思います。今のつらさだけでなく、これまでの過去も振り返りながら日々を過ごしていただけたら、心の中にある大切なものに、きっと気づけるのではないかと思います。
山水 あなたの経験は、必ず誰かの勇気や希望になります。私自身、入院していたときに岸田さんのブログを読んで、とても勇気をもらいました。今はしんどいかもしれませんが、皆さんの闘病経験は、必ず誰かの役に立ちます。特にAYA世代は、病院の中で同世代の患者さんと出会う機会がとても少ないです。今はSNSなどもあり、発信できる時代です。声を出せば、必ず仲間は見つかります。「一緒に生きよう」と伝えたいです。
和田 「がん=絶望」と思われがちですが、決してそうではありません。仲間はたくさんいます。一人で絶望する必要はないと思います。
がんになったからといって、必ずしも絶望しなければならないわけではありません。さまざまな形で、がんと向き合っていけばいいのだと思います。「大丈夫だよ」ということを伝えたいです。
越澤 私が伝えたいのは、「現実から目をそむけてもいい」「逃げてもいい」「あなたの意思は、あなただけのものだ」ということです。本当に過酷な状況に直面します。明日死ぬかもしれないという不安の中で、常にナイフを突き付けられているような生活を強いられることもあります。お先が真っ暗に感じることもあると思います。でも、現実から目をそむけてもいいし、無理に向き合わなくてもいいと思います。誰かのために、つらい治療を頑張り続けなくてもいい時があるのではないでしょうか。「ここで治療をやめたい」「この治療は受けたくない」。そうした自分の気持ちを、何よりも大切にしてほしいです。周りの言葉ではなく、自分自身の気持ちを一番大切にしてほしいという思いを込めています。
岸田 最後に、河合さん、十河さんから感想をお願いします。
河合 今日伺ったお話を、明日からの診療で、目の前の患者さん一人ひとりに返していけるよう、改めて頑張っていきたいと思います。
十河 皆さんのお話を通して、与えられた勉強をこなすだけでなく、自分なりに想像力を働かせ、相手の立場に立って人と向き合える医療者になりたいと、強く思いました。
岸田 本日のがんノートは長丁場となりましたが、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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