性別 | 女性 |
---|---|
がん種 | 乳がん |
治療方法 | 手術, 抗がん剤, 放射線 |
ステージ | 1 |
罹患年齢 | 40代 |
インタビュアー:岸田 / ゲスト:三好
【発覚・告知】
三好 三好英理です。私は乳がんで、ステージⅠのがんサバイバーとなり、2017年から闘病中です。2年前に手術をして、現在は経過観察中です。
三好 2017年1月にいつものようにセルフチェックをしてたんですけど、そのときふとしこりに気付いて。ほぼ毎月していて。
岸田 毎月ちゃんと自分で触診して、すごい意識高いですね。
三好 アラフォーなのでそろそろリスクが高くなってきたので。
岸田 自分でちゃんと毎月触診をしてたと。
三好 はい。2017年の年明けすぐが丁度その時期だったので触診すると、今まで気付かなかったものが触れたので、すぐ病院に行ったんです、初めて。
三好 するとマンモでは映らなかったんですけど、エコーの画像を見た瞬間に周りがバタバタし始めて、ちょっとおかしいかなっていう状態になりました。
三好 まだそのときは告知されませんでしたが、不安になりました。
岸田 どっちにしこりが見つかったんですか。
三好 右です。
岸田 右側にしこりを見つけて、病院に行こうと思った、そのとき病院をどうやって見つけたんですか。
三好 ちょうど松山に乳腺専門のクリニックがあるので、そこをGoogleで検索して、しこりを見つけて5日ぐらいたってから行きました。
三好 エコーの結果を受けて生検をすることになりました。生検は別の病院に紹介をしてもらって、そこで分かった。
岸田 乳がんと宣告されたときはどんな気持ちでしたか。
三好 もうそのときには8割方そうかなって感じてました。
三好 私は胃がんで父を早くに亡くしてるので、いつかは何かのがんになるのかなということは思ってたから、ショックではあったけれども。
岸田 告知を受けてから治療にどうやって入っていったのでしょうか。
三好 2017年の3月に告知を受けてから、その月末にすぐ温存手術を受けました。先生の判断で全摘ではなかったです。
岸田 温存手術は怖くなかったですか。
三好 手術は全然怖くなかったんです。
岸田 温存手術後、どうでしたか。結構傷口が痛かったとか。
三好 そうですね、1時ぐらいに出てきたんですけど、案外元気で4時過ぎには歩いてました。リンパを取ってないからだと思うんですけど。
岸田 手術は何時間かかった?
三好 多分1時間かかったか、かかってないか。すごい速すぎて、逆に家族に心配されました。
【治療】
岸田 手術終わってから抗がん剤治療をしたんですか。乳がんでも、タイプ的には何になるんですか。
三好 HER2陽性3プラスなので。
岸田 だから抗がん剤を使うと。5月から抗がん剤をスタートしてどうでしたか?どれぐらいやりました?
三好 抗がん剤8クール、5カ月ぐらいで3週間に1回。1クール3週間を8クール2種類。HER2タイプは、分子標的薬のハーセプチンというのがよく効くと言われているので、それを17回、3週間に1回しました。
岸田 通院、入院?
三好 通院です。初回だけ入院で、後は通院です。
岸田 副作用とかありましたか?
三好 初回投与薬のECでは好くなっている実感があったんですが、ドセタキセルになるとだんだん蓄積していくのが分かって、すればするほどしんどくなって、本当に回復するのかなっていう不安がいつもありました。
三好 とにかく、もう計画通りに治療できることを目標にして、まずやってみました。
岸田 抗がん剤をやって、5カ月後に放射線治療を?
三好 はい。分子標的薬が全部終わってから放射線をするって決めたので入院して治療を行いました。
岸田 放射線治療を受けて、今の体調はどうですか。
三好 体調はかなり回復をしてきました。抗がん剤の副作用がだいぶ抜けてきましたし、放射線を受けた後3カ月位はしんどかったですけど、今はもう全然。
岸田 手術もして、抗がん剤もして、放射線治療もして、一応、三大治療的なところは全てやった。どれが一番大変でしたか?
三好 抗がん剤。副作用で髪の毛が抜けるのが一番つらかった。
岸田 女性は髪の毛が抜けるのがつらかったとよくおっしゃいます。どんな心境でしたか。
三好 もう何も言えないぐらい悲しくなって。ウィッグはいろんなバリエーションで四つ買いました。
三好 もう楽しもうと思って値段もピンキリ。一人暮らしですが朝、部屋にいるときでも、ずっとフルメークしてウィッグをかぶっていました。
三好 外に出るわけではないけど、鏡とか窓ガラス越しに映る自分を見るのがちょっと気分が下がるから、朝起きてフルメークをいつもしてました。ウィッグかぶって、つけまつげして。
【家族】
岸田 次は英理さんのご家族についてお話していただけますか。
三好 1人暮らしです。母と兄がいますがそれぞれみんな別の場所で生活をしている状態です。
岸田 がんになったとき、ご家族にどう連絡取ったんですか。
三好 最初に兄に連絡をして状況を伝えました。最初にお話ししたように、父を胃がんで亡くしている経緯があるので、母にそのタイミングでどう言おうって悩みました。
三好 手術の同意書とかは母にもらわないといけない立場なので、どうしても言わざるを得ない。
三好 兄にも帰省してきてもらったんですけど、ちょうどその時に母が体調を崩して寝込んでたので言えず、別の日に近くに住んでるおばといとこに付き添ってもらい、おばから言ってもらいました。
三好 自分の口で言おうと思ったんですけど、もう泣いて言えなくて。
岸田 お母さまの反応は?
三好 号泣でした。それがやっぱり一番きついですね。自分が病気になったことよりも、母にそんな思いをさせたということが一番つらかった。
岸田 そこからお母さんはなんとか立ち直っていただけたんですか。
三好 立ち直ったふりは多分してくれたと思います。今も落ち込んでると思いますけど。毎朝電話ありますから。この年になっても、ありがたいことに。
岸田 こうしてくれて良かったとか、何かありますか。こうしてほしかったでもいいですけど。
三好 場所的にも適度な距離がお互いあったので、あまり過干渉にならなかったというか、治療中も必要なときだけ必要なことをしてくれた感じなので、すごく楽でしたね。
三好 治療に関してもいろいろ言われず、自分が決めたことを尊重してくれたのが一番ありがたいなと思いました。
【恋愛】
岸田 家族関係も良好でサポートしてもらえてるのかなと思いますが、恋愛・結婚についてはどうですか。
三好 幸いなことに、がんが発覚した当時にも恋人がいましたし、ありがたいことに今も同じ方と続いています。
岸田 その方に、どのタイミングでどう伝えたんですか。
三好 告知されてからすぐメールで乳がんだったと伝えました。返信はしばらくしてから、分かったっていう感じでした。
岸田 恋人さんからのサポートは?
三好 すごく大きかったと思います。手術をすることに迷いはなかったんですけど、髪の毛が抜けるのはとにかく一番嫌だった。
三好 そのとき、髪の毛がなくなったってあなたはそのままだから別にいいんじゃないか、命のほうが大事だよって言ってもらったことで、抗がん剤を受けることができました。
岸田 そのままでいいよとか、命のほうが大事だからというところで、サポートしてもらえて良かったです。抗がん剤治療での妊よう性の説明はありました?
三好 あったことはありましたね。パートナーとも話ましたが、もう年齢も年齢で今できたとしても高齢出産でリスクも高くなるしそっちを考えるよりかは治療を優先したほうがいいんじゃないかと。
三好 でも喪失感はありました。産む、産まないの選択は別としても、可能性を持ってるのと、可能性がなくなるととでは全然違う。
三好 産める、産めないではなく決断しても、実際にその機能が一時的になくなるっていうのはショックですね。
岸田 選択できるのと、選択できないのというのは、また心境が違いますよね。
【仕事】
岸田 次に仕事について、当時どんなお仕事をしていて、どう休んで、どう社会復帰して、今どうなのかをお願いします。
三好 私は歯科衛生士をしてます。当時はまだ手術後の方針が全然決まってなかったので、取りあえず手術の前後で休ませてもらって退院して2、3日ぐらいで復帰しました。
三好 病理検査が出たときに抗がん剤が必要になったということを報告して、体調を見ながら出勤しますというやり取りをして抗がん剤に臨んだんですけど、抗がん剤をしていくと体力だけじゃなくて気持ちもすごい落ち込んでくるんですよね。
三好 髪の毛もなくなって、いろんなことに自信がなくなってきて、仕事に対して前向きに考えられない時期がしばらくあった。
三好 体調がちょっと良くても行こうかどうしようかって迷ったり。結局仕事はほぼ休んでいる状態でした。
三好 医院長も体調がいいときに来てくれたらいいよっていう感じで、すごく理解してくださったので、ありがたかった。
岸田 結局どれぐらい休んだんですか。
三好 いろんな経済的なこととかを加味して、3カ月位でいったん退職しました。5月に1回目の抗がん剤を始めて、8月末で退職しました。
三好 これは、精神的に落ち込んだこともあるのと、私の働いていたところは組合の国保だったので傷病手当金っていって、健保組合に入ってたら給与の、本当にざっくり言うと3分の2が振り込まれるみたいな、そういった制度がなかったんですよね。
三好 なので、有給を使い切った後は無収入、プラス、逆に厚生年金とかそういう費用は払わないといけなくなるから、マイナスの生活が大きくなる。
三好 いろいろ計算をさせてもらって、もちろん休職してずっと続ける方法も提示はしてもらったんですけど。
三好 私の場合は申請したら普通の国民年金とかが全額免除になるケースだったので、ちょっとでも支出を減らしたくてて、退職を選択しました。
岸田 で、退職してからまた同じところに戻った?
三好 そうなんです、ありがたいことにお声を掛けていただいて1年ぐらいたってからパートとして。今度4月からはまた正社員で採用していただけるようになりました。
【お金・保険】
岸田 次、お金、保険のこと。治療費どれぐらいかかったのか、どう工面したのか、あと、保険に入ってたのかをお伺いしたいです。
三好 お金がどのくらいかかったかというのは、後で見るとショックだからあまり考えてないっていうか、集計はしてない。ざっくり、いくらぐらいなんでしょうね。1本はいってます。
岸田 保険は入ってた?
三好 父が胃がんで亡くなった経緯があったので、20歳からがん保険に入ってたんです。
三好 父が保険に入ってなかったことですごい大変だった経験があり、保険だけは入っておこうとずっと掛けてたので元は取れました。
三好 でも本当に入ってて良かったかなって、そのときは思いました。
岸田 どんなやつに入ったんですか。
三好 抗がん剤治療では出ない。通院は出ない、一時金が大きいタイプ。
岸田 通院でも入れてたっていう形か。保険は大事ですね。
三好 お金の負担も大きいから、どこに比重を置くかですね。絶対入りなさいというものでもないわけだから。
岸田 自分の生活で何に比重に置くかっていうので変わってきますよね。英理さんの場合は、入っていて良かったバージョン。保険で賄えた。だから、会社を辞めても大丈夫だったんですね。
三好 そこは大きいと思います。仕事を続けることもすごい大事だから、当然、働きながら治療を受けるというのはすごい大事だと思うんですね。
三好 戻る場所があるわけだから。だけど、ちょっとそこを離れて、気持ちも全部フラットにしたいっていう時期もあったので、私は1回辞めたことによって、また再度、仕事を考えたときにはちょっと真っさらな状態から始められたから、良かったのかなとは思いますから、人それぞれだと思います。
【つらかったこと】
岸田 肉体的に、精神的につらかったとき、どういうことがあって、どう乗り越えたか教えてください。
三好 最初の抗がん剤のときは、ちょっと吐き気とかもあったけれども、日にちがたってくれば回復してくるので、どうにかやり過ごせた。
三好 その次の抗がん剤はどんどん蓄積していく感覚があって、むくみがすごかった。ちょっと歩いたら足が痛くなって歩けない。
三好 年をとり始めてちょっと歩くとしんどいって言ってる母と全く同じペースでした。
岸田 精神的にも結構、落ち込まれたとおっしゃってましたね。抗がん剤の治療中、体力も精神的にも落ちていってどうやって復活したんですか?
三好 とことんまで落ち込んでいくと、上がるしかないっていうのをよく聞いたけど、本当にそうだなっていうのと、やっぱり、がんにかかると1回死を想定するじゃないですか。
三好 そうなって、本当に自分の人生って期限がいつか来るんだなって感じたときに、泣くのがもったいないと思って。
三好 落ち込んでるよりかは、楽しく時間を過ごすほうがいいなって思えるようになったので。
岸田 その思えるようになったきっかけとかあるんですか。
三好 なんか時間がもったいないって思ったんだけど、何のきっかけなんだろう。無意識に上ってた気がする。
岸田 けど、放射線治療とか、ここら辺にはもう上がってた?
三好 もう全然、この時期は。
岸田 じゃあ、何かしらきっかけがあったっていうわけじゃないけれども、1回ドンと落ちて、そこからだんだんちょっとだけ上がってきつつあったと。時が解決してくれたというイメージですかね。
三好 そうですね。あとは、知人とかが、割と、ランチ行くとか、いろいろ声を掛けてくれて、外に出してくれたのがもしかしたら大きかったのかな。別に何かを聞かれるわけじゃなく。
岸田 着られる服がどんどんなくなって、気に入った服が着られなくなって、買い足しの繰り返しとかも地味につらくないですか。
三好 地味につらかったです。財布も気持ちも。だから、本当にファストファッションばっかり行きました。
三好 写真もそうだけど、闘病中のときを残したくないという思いがどうしてもあったから、そのときに着てた服をすぐ処分できるように、あえて安いのを買ってたというのはありますね。思い出すので。
岸田 治療後に体の変化はありましたか。
三好 一時痩せたんですけど、すぐに戻りました。でも、爪がとてももろくなってちょっと当たるだけで欠けてくるので、作業するときは本当に気を使います。
三好 仕事をしてても、ちょっとしたことで欠けちゃうので、痛くなったりするから。手を使う仕事なのですごく困る。
三好 あとは、しびれとかも出ると言われてて、ここ最近、これがしびれてるんだというのにちょっと気付き始めて、物を落とすとか。
三好 そのとき全然気付かなかったんですけど、最近ちょっと実感してきて。
岸田 疲れやすくなったとかは。
三好 疲れやすくなりました。だけど、それをちょっとでも回復するためにスポーツを始めようと思って、自転車で今、筋力を付けてます。
岸田 天気にも左右されるとかあります? 雨の日が来たら傷口がうずくとか。
三好 痛くなります。今も寒くなってからずっと痛い。私、点滴の回数が多いのでCVポートを4つ埋めてて、もう全部痛くなります。
岸田 治療中に不安があると思いますが、再発などのリスクの不安とか、どうやって不安を解消していますか。
三好 解消できないです。その解消は絶対できないし、傷口が痛いのも、もしかしたら再発してるのかなとか、せきが出たらもしかしてとか。何かにつけやっぱり思ってしまう。それはいつになっても多分なくならない。
岸田 今もそれを持ちながら生きているという形ですよね。5年とか10年とかなってくると、だいぶそれが薄まってきたりするかもしれないですけど。
三好 なるのかな。逆に、何もしてないからこそ、治療が今、経過観察しかないから、本当に病院とも縁遠くなるんですね、3カ月に1回とかだから。
三好 逆に、行ってるときのほうが安心する。何か診てもらってるとか、治療をしてたら、治療をしてる安心感があるけど。
【キャンサーギフト】
岸田 キャンサーギフトをお願いします。
三好 私の中ではやっぱり仲間ですね。
三好 それはや闘病中に出会った方たち、同じように闘病している人たちの仲間でもあるし、自転車に乗ってたら自転車に乗っている仲間でもあるけれども、病気になる前だとそんなに知り合わなかったいろんな年代、いろんな職種の人たちと知り合う機会がたくさんできたということが私のキャンサーギフトかなと思っています。
岸田 いろんな人と巡り会えたというところ。きょうのこの町なかサロンも、おれんじの会さんがやってくださっています。そこでいろんな人が本当に引き合わせてくれて、つながっていって。そういったところの仲間も本当にみんなが同士みたいな感じですよね。
【夢】
岸田 次は夢、あのときの過去じゃない、これからの未来について。
三好 がんになったとしても、いろんな人たちがいると思うんですね。
三好 もうがんを感じさせないぐらい元気になってる人もいれば、もちろん闘病中でしんどい思いをされている方もいろいろいると思うんだけど、そういう、がんで言っても、決して一つの形じゃないということが分かってもらいたい。固定観念がどうしても、私もなる前はあったんですね。
三好 がんってなったら、おとなしく家で寝てないといけないんじゃないかとか。できることが制限されてしまうんじゃないかとか。
三好 そういうふうに声掛けをされることも多かったんだけど、決してそんな人たちばかりではないんだよっていうことを発信していきたいなと思っています。
三好 私は一つの方法として、いろんな所にロードバイクで行って、がんになってもこういうこともできると広めていきたい。
三好 仕事もそうだけど、やっぱり元気なときの自分と今の自分とのギャップは結構あります。でもそれを相手に分かってもらうためには、自分がそれを受け入れることから始めないといけないのかなって思う。
三好 前だったらこれができたのにとか、同じことをもうできないんだからしょうがないっていうことで開き直って、それをあえて外に出すように、そんなに言われてもできないからっていうのをしてますね。
三好 今回、これに出演したのも私がおれんじの会の中の若年患者のための会、愛媛の若年がん語り場EAYANでお手伝いさせてもらっているのがきっかけです。
三好 これは、愛媛のE、ネットワークのN、間にAYAを入れていて、愛媛の言葉として、いいやんって、いういろんな意味でのネーミングです。
三好 こんなに仲間がたくさんいるから悩まなくてもいいやんていう意味合いも込めてつくってる。
三好 あと、このEとNで、円、サークルの円であったり、この縁であったりっていうことを掛けてる。
三好 この名前をつけたのは、この会を作ってくれたのが岡本拓磨さんっていう方です。
三好 本来だったら、きょう、私じゃなく彼が出るべきだったんですけれども、志半ばで、昨年10月に旅立たれてしまったので、その意思を引き継いで、今、活動のほうをさせてもらってます。
三好 そのメンバーの思いとかを少しでも届けられるようにやっていきたいと思うので、また皆さん、よろしくお願いします。
【闘病中のあなたに】
岸田 今、実際に闘病している人に対してのメッセージを。
三好 どんなことがあっても、今があることが幸せって。やっぱり、今生きてるからこそ、この場にいるからこそつらいとか、怒りとか、楽しみとかという感情が生まれると思うんですね。
三好 つらくたって、今、落ち込んでたって、今、いるんだから、みんなで笑ったり泣いたりしながら一生懸命生きていきましょうっていう意味で、届けさせていただきます。
岸田 今、この時が大事なんだ。この瞬間があるのが幸せなんだと。
三好 って思って、日々過ごすようにしています。
岸田 今、入院している人たちだったりとか、いろんな人たちもこう思っていただきたいなと。
三好 思える時期が来たらいいなと思ってます。
岸田 どうもありがとうございました。