目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:岡本

【オープニング】

岸田 それでは、「がんノートmini」をスタートしていきたいと思います。本日のゲストは、食道がんと胃がんのご経験をされている岡本さんです。本日はよろしくお願いいたします。

岡本 よろしくお願いいたします。

岸田 本日はありがとうございます。服装がとても華やかで、素敵ですね。

岡本 ありがとうございます。少し派手な色の服を着てきました。

【治療】

岸田 素晴らしいですね。華やかな気分で本日も始めていきたいと思います。本日のゲストは、岡本記代子さんです。現在はハローワークにお勤めとのことです。岡本さんがご経験されたがんの種類は、食道がんと胃がんで、ステージは4。告知を受けられたのは40歳のときで、現在は46歳になられています。治療としては、手術、化学療法、放射線療法を経験されています。

 まず当時のお話ですが、約2年半ほど、胸のあたりに縦に走るような痛みが続いていたとのことでした。近くの病院を受診しても、軟骨に異常があるのではないか、といった診断にとどまっていたそうですね。その後、突然水が飲めなくなる症状が出て、紹介を受けて大学病院を受診されました。2013年8月、40歳のときに、食道と胃、さらにリンパへの転移があるステージ4のがんであることが分かり、術前の化学療法を開始されています。

 その際には医療用麻薬のシートや錠剤も使用され、術前化学療法を終えた後、手術に臨まれました。食道の全摘出と胃のほぼ全摘出という、12時間以上に及ぶ大手術だったそうです。術後は激しい痛みがあり、腸閉そくを起こして緊急手術も経験されています。声については、現在リハビリによって出るようになってきているとのことです。

 翌年2月に退院され、その後も化学療法を続けていらっしゃいましたが、2014年7月のPET検査で再発が判明し、再び3か月間の入院となりました。その際は、化学療法と放射線療法を受けられています。それ以降、現在に至るまでは、月に1度の化学療法で通院を続けていらっしゃり、次回で56回目になるそうです。治療を続けながらの今のご経験も含めて、ぜひお話を伺えればと思っております。本日はよろしくお願いいたします。

岡本 よろしくお願いいたします。

岸田 ありがとうございます。それでは詳しくお話を伺っていきたいのですが、まず、約2年半続いた縦に走るような痛みについてです。水が飲めなくなり、大学病院を受診されたとのことですが、その当時の痛みは、かなり強かったのでしょうか。

岡本 はい、かなり強い痛みでした。仕事を1日していると、最後のほうは座っているのがやっとという状態でした。次第に食事も取れなくなり、「これはおかしいな」と感じていたのですが、あるとき水を飲んだ際に、噴水のように勢いよく吐いてしまったんです。それで「これはまずい」と自分でも思い、日曜日でしたが別の病院に連絡をして、大学病院を紹介していただきました。

岸田 そうだったのですね。その後、検査の結果、食道と胃、さらにリンパにも転移しているがんだと分かったわけですが、そのときは、やはり「まさか自分ががんだとは」というお気持ちでしたか。

岡本 そうですね。家族にがんの経験者がいなかったので、本当にまさかという感じでした。入院したその日に病棟で主治医と初めてお会いして、その場ですぐに「がんです。すぐ治療を始めます」と言われ、術前治療が始まりました。抗がん剤が効けば手術ができるという説明だったので、ショックを受ける間もなく治療が始まりましたし、副作用がとても強く、医療用麻薬を初めて使用したことで、最初の2週間ほどはほとんど記憶がない状態でのスタートだった、という印象です。

岸田 もう次から次へと、いろいろなことが起こるような状況で、とても目まぐるしかったのですね。

岡本 そうですね。手術までは、本当にあっという間でした。

岸田 抗がん剤治療を受けながら、医療用麻薬も使用されていたということですが、やはりそれだけ強い痛みがあったということでしょうか。

岡本 はい。痛みも限界でしたので、まずはこの痛みを何とかしてほしいという思いがありました。ただ、それ以上に初めてのことばかりで、抗がん剤の副作用による頭痛や吐き気がとにかくひどく、最初の頃の記憶はほとんど残っていません。

岸田 記憶がない、というのはどれくらいの期間だったのでしょうか。

岡本 2週間ほどだったと思います。2週間少し経った頃に、髪の毛が抜け始めているのを見て、「ああ、これは現実なんだ」と、そこで初めて実感したような感覚でした。

岸田 ちなみに、胃がんと食道がんは、別々のがんになるんですよね。

岡本 はい、別々です。ただ、それを知ったのは、実は昨年の10月で、たまたまという感じでした。

岸田 それは、どういうきっかけだったのですか。

岡本 昨年、がん治療学会でお話をさせていただく機会があり、その際に主治医に発表用のスライドをチェックしていただいたんです。すると、そこに訂正として書き加えられていました。

岸田 なかなかないですよね。スライドをチェックしてもらったら、自分のがんの情報が訂正されて返ってくるというのは。

岡本 そうなんです。書き加えられていたのは訂正だけで、特に説明もなく、そのことについては触れられないまま、今に至っています。

岸田 すごいですね。新しい告知のされ方というか、修正のされ方というか。術前に化学療法を行い、その後に手術という流れですが、食道の全摘と胃のほぼ全摘ということで、かなり大きな手術だったのではないでしょうか。

岡本 はい、とても大きな手術でした。首まわりから、のどの下あたり、さらにおへその下まで一気に切開しているので、痛みがとにかくひどかったです。がんだと告知される前に感じていた痛みが、何だったのだろうと思うほどで、このとき初めて「本当につらい」と感じました。告知を受けたときのショックよりも、手術後の痛みのほうが、圧倒的につらかったです。

岸田 本当に、手術の痛みは大きいですよね。開腹や開胸となると、なおさらだと思います。その後、腸閉そくにもなられたと伺いました。

岡本 はい。朝から「おなかが痛い」と訴えていたのですが、「便秘じゃないか」と言われたまま夕方になりました。そのうちにけいれんが起きてしまい、とにかく「切ってください」とお願いして、緊急手術になりました。

岸田 腸閉そくというと、何日もお通じがないような状態だったのでしょうか。

岡本 いえ、そういうわけではありませんでした。その頃も、ほとんど食べられない状態でしたし、術後もかなりつらかったです。もう二度と手術はしたくないと思っていて、主治医にも「手術をするくらいなら、もういい」と言っていたほどでしたが、痛みに耐えられなくなって、最終的には「切ってください」とお願いしました。

岸田 緊急手術を受けて、腸閉そくはいったん落ち着いたと思いますが、その後は声のリハビリもされたのですね。食道がんの手術では、声が出なくなるリスクもあるのでしょうか。

岡本 はい。声帯に触れる手術になるので、「短くても半年くらいは声が出ない」と言われていましたし、「場合によっては、もう少し長くなるかもしれない」とも言われていました。今でも大きな声を出すのは、少しつらいですね。術前から毎日1時間ほど発声練習をするリハビリを行い、術後も続けましたし、社会復帰に向けて、声を出すスクールにも通いました。

岸田 そういったサポートもあるのですね。では、今は声も出るようになってきた、という感じでしょうか。

岡本 はい。

岸田 本当に良かったです。声の問題は、食道の手術をされる方にとっては、かなり気になる部分ですからね。2月に退院され、その後も化学療法を続けながらPET検査を受けたところ、再びがんが大きくなっていることが分かったわけですが、どこに見つかったのでしょうか。

岡本 リンパ節でした。

岸田 PET検査で赤く光っていた、ということですね。

岡本 はい。「光っているよ」と言われて、まさか1年以内に再発するとは思っていなかったので、とても驚きました。抗がん剤治療も続けていましたから。

岸田 そのときは、治療を続けながら放射線療法も行った、ということですね。放射線は60グレイとのことですが、これはどれくらいの期間だったのでしょうか。毎日、3か月入院と書かれていますが。

岡本 月曜日から金曜日まで、週5日で照射していました。入院しながら、期間としては2か月半ほどです。

岸田 リンパ節というと、場所は胸のあたりでしょうか。それとも首のほうでしょうか。

岡本 体の中ですね。

岸田 上半身全体が、赤くピカピカと光っているようなイメージでしょうか。

岡本 「光っている」と言われても、私自身が見て分かるわけではないのですが、先生が見ると分かる、という状態だったのだと思います。

岸田 放射線療法を終えられてから、現在も化学療法を続けて通院されているとのことですね。次回で56回目ということですが、これは通院での治療ですか。

岡本 はい、通院です。今は月に1回通っています。最初の頃は1週間に1回だったのですが、現在は働きながら治療を続けているので、月1回のペースで通院しています。

【大変だったこと】

岸田 本当に、いろいろ大変なことがあったと思うのですが、その中でも特に大変だったことは、どんなことでしたか。

岡本 入院中は、とにかく痛みでした。本当に痛みです。このときに初めて、言い方はよくないのですが、「もう殺してほしい」と思うほど、術後の痛みがつらかったです。

岸田 それは相当ですね。

岡本 本当に相当でした。痛くないと聞いていたので、「話が違うじゃないか」と思いました。入院中、食道がんの患者さんはご高齢の方が多く、皆さんに聞いても「痛くないよ」とおっしゃっていたんです。それで、痛くないものだと思っていたのですが、実際にはどうにもならないほど痛くて、それが一番大変でした。それと同時に、食事が取れないことも、今も含めて一番大変なことです。

岸田 食事が取れないというのは、具体的にはどのように工夫されているのですか。

岡本 もう6年以上経っていますが、今でも普通の食事は取れません。固形物は食道で詰まってしまいますし、胃もほとんどないので量も食べられません。離乳食のように柔らかいものを選んだり、マヨネーズやオリーブオイル、ごま油などでとろみをつけたりしています。小分けにして食べるようにしていて、今でもプリン半分くらいでおなかがいっぱいになるので、何回にも分けて食べるよう工夫しています。それが今、一番大変ですね。

岸田 固形物は、やはり難しいのですね。例えばサイコロステーキのようなものも、食べられないですか。

岡本 食べられないです。お肉は大好きなので食べたいのですが、難しいですね。

岸田 それはもう、仕方ないと受け止めていらっしゃる感じでしょうか。

岡本 そうですね。ただ、今は本当に良いお肉で、脂身があってとろとろのものなら、少しは食べられます。

岸田 口の中で溶けるような、すごく良いものなら、という感じですね。

岡本 はい。ウニやトロのようなものです。

岸田 なるほど、ええやつですね。

岡本 そうなんです。ええやつを、ちょこっとだけですが、そういうものは食べられます。

【副作用】

岸田 これまで、さまざまな治療を受けてこられたと思いますが、それに伴う副作用も、いろいろとあったのではないでしょうか。具体的には、どのような症状がありましたか。

岡本 副作用については、抗がん剤では吐き気や頭痛がありましたし、今も続いているものとしては、脱毛、しびれ、関節痛があります。これらは抗がん剤の副作用ですね。あとは放射線治療による副作用もありました。放射線は、最初はあまり症状が出なかったので、正直なところ余裕だと思ってしまい、処方されていた薬を飲んでいなかった時期がありました。

岡本 その影響で、放射線によるダメージが、やけどのような形で強く出てしまい、体の内側が荒れてしまったんです。とても痛くて、水を飲むことさえつらい状態でした。治療中に飲めなくなってしまったのも、副作用の一つだと思っています。そのほかにも、皮膚がただれてしまったり、抗がん剤の影響で、じんましんのようなものが全身に出たり、あざができたりすることも、治療の初期にはよくありました。

岸田 そうだったのですね。本当に、いろいろな副作用を経験されているのですね。ちなみに、先ほど脱毛のお話もありましたが、今はウィッグを使われているんですよね。

岡本 はい。もう6年以上ウィッグを使っています。この髪型が、すっかり定番になっている感じですね。

岸田 お会いしたときから、ずっとその髪型なので、もう自然にそういう印象になっています。

岡本 楽なんです。

岸田 岡本さんといえば、この髪型、というイメージができあがっていますよね。

岡本 そうなんです。ちなみに、このウィッグは、今の職場の窓口に相談に来てくださる方からも「どこのウィッグですか」と聞かれることがあって、「ここですよ」とお伝えすると、皆さん同じものを使うようになるんです。

岸田 なるほど。

岡本 何人か、います。

岸田 いわば「岡本カット」の方が、増えているわけですね。そういう広がり方もあるんですね。面白いです。

岡本 はい。色違いなこともありますけどね(笑)

【後遺症】

岸田 後遺症についてはいかがでしょうか。治療を終えたあと、何か残っている症状などはありますか。

岡本 後遺症として一番大きいのは、やはり食事です。食事が十分に取れないため、体重がなかなか増えません。

岸田 体重が増えないとなると、体力面への影響も大きいのではないでしょうか。

岡本 そうですね。体力が全くないなと感じます。意識して歩くようにはしていますが、それでも体力の低下は実感しています。

岸田 今の体重は、どれくらいなのでしょうか。

岡本 今は37キロくらいです。身長は168センチあります。がんが分かった当初は46〜47キロくらいだったのですが、手術に向けて体重を増やそうということで、2か月ほどで一気に63キロくらいまで増やしました。そこから、手術や治療を経て、現在の体重まで減っています。

岸田 それは本当に大きな変化ですね。かなり急激な増減だったわけですね。

岡本 はい。これ以上体重が下がらないように、今もできる範囲で頑張っています。

【お金】

岸田 治療費や制度についても伺いたいと思います。活用された制度や、お金の面はどのようにやりくりされていたのでしょうか。とても大事な問題だと思いますが、保険に入っていたか、利用した制度などがあれば教えてください。

岡本 実は、正社員として働いた経験がなく、当時も1年契約の仕事をしていました。お給料もそれほど多くなく、貯蓄もなかったので、正直「どうしよう」と思いました。利用させていただいた制度としては、高額療養費制度と、傷病手当金、それから共済組合です。最低限ですが、その共済には入っていました。

岡本 まさか自分ががんになるとは思っていなかったので、一般的ながん保険には入っていませんでした。使えたのはそれくらいですが、それでも少しでも助けられたと思っています。

岸田 県民共済は、どれくらい支給されたのでしょうか。

岡本 本当に、ほんの少しです。

岸田 何となく、イメージはできますね。

岡本 同じように、そういった共済に入っていらっしゃる方も多いと思います。

岸田 そうですよね。ただ、治療が長期にわたっていますし、トータルの治療費を考えると、今も続いていて、かなりの金額になっているのではないでしょうか。

岡本 かなりいっていると思います。

岸田 そのあたりは、あまり見ないようにされていますか。

岡本 はい、見ないようにしています。

【仕事との両立】

岸田 お仕事との両立についても伺いたいと思います。正社員ではなく働いてこられたというお話もありましたが、現在はハローワークでお仕事をされていますよね。ハローワークで働くようになったきっかけや、治療と仕事の両立について、お話をお伺いできますでしょうか。

岡本 私が社会復帰を目指すようになったきっかけは、再発して入院していたときに、ある日目にした新聞記事でした。

岡本 この記事を見るまでは、主治医からも「もう社会復帰は難しいよ」と言われていたこともあり、私自身も社会復帰については、正直あまり現実的に考えられていませんでした。ただ、この新聞記事を目にした瞬間に、「よし、絶対にこの仕事に就きたい」と強く思い、社会復帰を決意しました。

 その新聞記事を何枚もコピーして、お守りのようにいつも持ち歩きながら、体力づくりを始めました。当時は、いつ求人が出るのかも分からず、採用されるかどうかも分からない状況でしたが、「この仕事に就く」という目標を持ったことで、その時点から私自身の生活が、がらっと変わりました。

岸田 その記事をきっかけに、「よし、ハローワークでこういった仕事に就こう」と思われて、実際に今、そのお仕事をされているということなんですね。

岡本 はい。主に、がん患者さんのお仕事探しのお手伝いをさせていただいています。

岸田 すごいですね。今ご紹介いただいている、この真ん中にあるものが、現在のお仕事に関するもの、という感じですよね。

岡本 はい。毎月、病院へは月の半分ほど出張相談に伺っていて、残りの半分はハローワークで勤務しています。

 このチラシのカレンダー部分についてですが、ハローワークには「暗い」「敷居が高い」「行きにくい」といったイメージを持たれる方も多いので、少しでも気持ちが和らげばいいなと思い、毎月こんな感じで、楽しいデザインのものを作っています。

岡本 ハローワーク用のチラシは「パープルで作ってほしい」と言われていたので、イメージを膨らませてペーズリー柄にしています。一方で、大学病院以外の病院さんには、こちらのチラシを配布していただいています。

岸田 もう5月のものなんですね。この時期だと、端午の節句のようなイメージも感じられます。

岡本 4月はこいのぼりを入れていて、その後は母の日のカーネーションをモチーフにしています。

岸田 すごいですね。細かいところまで、いろいろな工夫が詰まっていますね。

岡本 ただ、現在はコロナの影響で出張相談が中止になっているため、今は基本的にハローワークでの勤務が中心になっています。

【工夫したこと】

岸田 工夫されていることについて、差し支えなければお伺いできますでしょうか。

岡本 治療中は、本当に必死でした。毎日リハビリをこなすためのスケジュールが組まれていて、それをとにかく一つずつ終わらせていく、という感覚でした。働き始めてからは、採用していただいてありがたい反面、普通の生活をこれまでと同じように送るのは難しいな、と感じるようになりました。

岡本 まず通勤についてですが、ハローワークに行くまででも1時間以上かかりますし、出張相談のときは、公共交通機関を乗り継いで2時間弱かかります。一気に移動するのは体力的に厳しいので、朝は何とか行けるのですが、帰りは工夫しています。乗り換えの前に駅でいったん休憩して、お茶を飲んだりしながら、1〜2時間ほど休んでから帰るようにしています。

岡本 次に食事についてですが、日中は食べること自体が怖くて、ほとんど取れません。朝は6時過ぎに家を出るのですが、まず4時頃に一度、ほんの少しだけ食べます。胃が少し楽になったかなと感じたら、5時過ぎから6時前、出かける直前にもう一度、ほんの少量だけ食べます。赤ちゃんよりも食べられない、という感覚ですね。食べてからバスに乗ってしまえば、という気持ちで出勤しています。

岸田 4時ですか。それはすごいですね。

岡本 本当に、ほんのちょっとです。出勤前は、そんな流れです。

岡本 お昼については、皆さんと同じように食事ができないので、少し遅めに休憩を取らせてもらっています。ただ、食事は取らず、カロリーの高い飲み物を飲んだり、飴をなめたりして、それで終わりにしています。

岸田 お昼は、実質的には抜いているということですね。

岡本 はい。食べてお腹が痛くなったり、動けなくなったりすることが分かっているので、とにかく仕事が終わるまでは食べない、という選択をしています。

岡本 夜は、また少しずつ、2回くらいに分けて食べています。平日はそういう生活を繰り返していて、土日など一日家にいられる日は、「食べることが仕事」だと思って過ごしています。

岸田 1〜2時間ごとに、少しずつ食べるような感じですか。

岡本 そうですね。何かを口に入れるようにしています。飴やチョコレートを食べたりするのですが、チョコレートも、茶色いタイプのものだとお腹がすぐ痛くなってしまうので、イチゴが混ざっているものにしたりしています。そういったことも、だんだん自分で分かってきました。

岸田 チョコレートって、基本的には茶色いものですもんね。

岡本 そうなんです。なので、そういった細かいところも含めて、自分なりに工夫しながら生活しています。

岸田 それは立派な工夫だと思います。本当に、十分すぎるほど工夫されています。

【闘病まとめ】

岸田 ここで一度、これまでのお話をまとめさせていただきたいと思います。2013年8月から11月にかけて、第1回目の治療として、術前の抗がん剤治療や手術を受けられました。その後も抗がん剤治療を続けていらっしゃいましたが、再びがんが大きくなり、2014年7月以降、現在に至るまで、放射線治療や化学療法を続けていらっしゃるということです。

 副作用については、先ほどお話しいただいたように、脱毛、関節痛、食欲不振、吐き気、頭痛、しびれなど、さまざまな症状を一通り経験されてきたということかと思います。

 その中で、生活面について「飲み会に行けなくなった」「友達がいなくなった」といった、かなりシビアな言葉も出てきましたが、これは、どういう意味合いだったのでしょうか。

岡本 単純に食事が取れないという理由が大きいです。私自身は、みんながご飯を食べている場に一緒にいて、座っているだけでも楽しいですし、皆さんがおいしそうに食べている顔を見るだけでも、「いいな」「うれしいな」と思えるんです。ただ、やはり一緒にいることで、こちらが気を使ったり、相手に気を使わせてしまうのではないか、という思いもあって。

 いわゆる普通の形、という言い方が適切か分かりませんが、がん仲間同士であれば、皆さん状況を分かってくださるので問題ありません。ただ、一般の方とは、どうしても食事に一緒に行けなくなってしまいました。ごく一部、1人か2人の本当に仲の良い友人であれば大丈夫なのですが、それ以外の付き合いは、自然となくなっていきました。

 やはり女性の場合、「おいしいものをみんなで食べに行く」ということが、ストレス発散や楽しみの一つだったりしますよね。それが全くできなくなってしまったことで、結果的に友達も必然的に減っていった、という流れだと思います。

岸田 なるほど。性格が変わったとか、そういうことではないのですね。

岡本 そうではありません。

岸田 それを聞いて、安心しました。

岡本 逆に、今のほうが楽になりました。病気になる前は、細かいことを気にしたり、いわゆる八方美人のような部分もあったと思うのですが、今はそういうことがあまりなくなりました。その分、気持ち的には今のほうがずっと楽です。

岸田 友達がいなくなった、という表現もありましたが、その一方で、気を使わなくてよくなったり、あるいは、がんの経験をした仲間が新しく増えたり、という側面もあるのですね。

岡本 はい。新しい仲間が増えて、それがまた楽しいです。

岸田 ここまで、治療費や制度についてもお話しいただきました。高額療養費制度や傷病手当金、県民共済などを活用されてきた、というお話でしたね。

【学んだこと】

岸田 岡本さんが、がんの経験を通して学んだことについてお伺いしたいと思います。「がんの経験を通して、どのようなことを学びましたか」という問いに対して、『目標ができることで、人は変われる』という言葉を挙げてくださいました。この言葉に込めた意味を、ぜひ教えてください。

岡本 がんになる前から、私なりにいろいろな目標を持って生きてはいたのですが、その頃の目標と、今の目標とでは、重みが全く違うと感じています。当時は、目標に明確な期限がなく、「いつかできたらいいな」という感覚だったように思います。

 今は、自分の体調や状況を考えると、「いつまでに」という意識が自然と生まれますし、「今できることを、今やらないと」という気持ちが強くなりました。この言葉を選んだ理由は、私自身が、あの新聞記事をきっかけに新しい目標を持ち、そこから大きく変わったと実感しているからです。

 実際に、目標を持ったことで行動が変わり、今の自分があります。だからこそ、この言葉を挙げさせていただきました。それは私自身だけではなく、日々、私のもとに相談に来てくださるがん患者さんたちにも共通しています。就職という目標ができた瞬間から、気持ちが前向きになり、何かを始めたり、行動が変わっていく方が本当に多いです。

 次にお会いするたび、また次にお会いするたびに、表情がまったく違って見えるほど変わっていく姿を、日々目の当たりにしています。そうした変化を実感しているからこそ、そして私自身も目標によって変われた一人だからこそ、この言葉を、一言として書かせていただきました。

岸田 やはり、岡本さんが変わったきっかけは、あの記事だったのだと思います。目標を持って、物事に向き合うようになった、ということですよね。

岡本 そうですね。どんなに小さなことでも、積み重ねていけば、それがすごく大きな自信になるのだと思っています。私自身も、また次の目標を持って、これからも頑張っていきたいと思っています。

岸田 素晴らしいですね。私自身も、漠然と過ごしてしまっている自分に、きちんと目標を持たなければいけないなと、改めて感じました。本当にありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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