インタビュアー:岸田 / ゲスト:秋本

【宣告】

岸田 秋本さんの自己紹介をよろしくお願いします。

秋本 秋本創と申します、よろしくお願いします。がんの種類は悪性リンパ腫で、ステージは当時Ⅱ、2年前の2016年の10月に告知を受けて、そこから1年弱ぐらい治療をして、今は一応、寛解とは言われたのですが、再発の危険性が高いということで定期的に検査はしてるって状態です。

岸田 がんが発覚して告知された経緯を語っていただけますでしょうか。

秋本 2016年の初旬にできものというか膿んでたりするのが出てきたんですけど、ただの炎症だと思うとあんま病院とか行かないじゃないですか。ただ、あまりにじゅくじゅくしてきたというか、ちょっと臭いとかもしてきて何だろうなと思ってはいたんですよ。ただ勝手に、なんか例えば傷付いてちょっと炎症しちゃっただけなんだろうなと思って、それこそ軟膏塗って包帯巻いてほっとくっていうのが半年以上、続いてたと思うんですよね。

そのときはもう外からの外傷があっての何かとか、しかも中から出てくるものだという認識が全くなくて。たまたまなんですけど、町づくり系の仕事でライターなんかもやっていたので、埼玉でやってるリレー・フォー・ライフっていうイベントの記事を書いてたんですよ。

岸田 リレー・フォー・ライフってちなみにどんなやつですか。

秋本 がん患者支援のために、歩くっていうチャリティーイベントで。それの告知の記事を書いてたときに、がんの調べごととかしてて、初めて世の中には皮膚がんってものもあるんだなと知って、自分の皮膚が、がんじゃないにせよなんかの病気なのかなと思って、たまたま本当に次の日の朝一で病院に行ったんですよ。それが8月末ですね。その日はほとんど何も言われずに「じゃあちょっと薬だけ塗って様子見てみて、数日後にまた来てくださいね」って言われて、皮膚がんって可能性あると思ったけど正直そんなにリアルに考えてなかったので、分かりましたって普通に明るい感じというか、ごくごく普通な感じでした。薬塗っても良くならなかったので、数日後に病院に行ったら「ちょっとここでは見かねるので、おっきな病院に行ってください」って言われたときに初めてちょっと怖くなって「なんか悪いものなんですかね」って言ったら「悪いものじゃないといいんですけどね」って言われたんですよ。恐らくいろいろ見てたから、もう悪いものだろうなって思ってたのかもしんないんですけど。

岸田 地元の皮膚科の先生が。

秋本 皮膚科の先生です。ちょっとおっきい病院にその日のうちに行ったんですよ。気になるからその日のうちに飛び込みで行ったら結構待たされたんですけど、ほとんど見てくれなくて。「うちでは取り扱えないので大学病院の紹介状書きます」って言われて、あ、これ駄目なんだなと思っちゃったんですよね。で、大学病院に行くことになりました。その紹介状の先生が、確か火曜日かなんかに来る先生で「1週間後の次の火曜日はもう予約がいっぱいです」と「2週間後の火曜日に来てください」って言われたんですけど、嫌じゃないですか。

秋本 空けてほしくないので、何とかなりませんかって話を電話でしたら「じゃあ1週間後に飛び込みで来てください」と。「そうすると時間はかかるんだけど、先生が空いたら見てもらえるので、その日は空けてきてくれれば何とかなりますよ」って言われて、その日に行ったんですよ。

岸田 その日1日待ちぐらいの気持ちで行かないといけないですよね。

秋本 その気持ちで行きました。結局もろもろで5時、6時にはなってると思うんですよ、朝一で行って。その後にいろいろ検査がありました。このときに一番ショックだったのが「じゃあCT撮ります」って言われて、CTの予約を見たら「3週間後です」って言われたんですよ。「悪いものです」って言われて、「すぐ大学病院行ってください」って言われて、「検査3週間後です」って言われると、なかなか3週間が地獄。

多分その病気を治してる期間というか治療中の期間とかも含めて、一番しんどかったのこの3週間かなと思って。

岸田 大学病院で不安ではなかったですか。

秋本 めっちゃ不安でしたよ、どうしていいのか分かんないぐらい。大病院のリアクションで、がんの可能性が高いことは薄々感じていたんですけど、当然、向こうも、当たり前ですけど検査してないんで断言はしないじゃないですか。

岸田 結局分かったの3週間後?

秋本 3週間待ちました、なおかつ1週間たったので1カ月後です。1カ月後に皮膚科に行ったらすごい待たされて、しかもすごいさらっと言われたんですよ、リンパ腫ですみたいな話を。今ネットですっごい調べちゃうじゃないですか、皮膚がんにどんなものがあってどうこうっていうのがあってって。それが3週間後にリセットされたんですよ、皮膚がんじゃなかったですから。

岸田 3週間ずっと探してたわけですもんね。

秋本 いろんな情報を得てたのを一回全部リセットされて。当時はっきり病名が出てなかったんで、リンパ腫の珍しいもので悪いものって言われると、またそれこそ調べちゃうじゃないですか。実際それが10月の3日に言われて、最終的に10月の22日なので、そこまでも2-3週間あるんですよね。その間ずっと調べちゃって、リンパ腫のたちの悪いもので珍しいものって言われると、本当に5年後生存率5パーセントみたいなのがいっぱい出てくるので、おーって思いながら。もう大変な。

岸田 それしか言われてなかったら、自分で探しますもんね。

秋本 「詳しいことは検査をしなきゃ分かんないから」って言われるんですけど、あんま耳に入んないですよね、そんなこと言われても。

岸田 一番、最悪のこと想定しますしね。

秋本 します。

【治療】

岸田 最初の入院をして11月から2月まで抗がん剤治療。結構いろんな抗がん剤使いました?

秋本 CHOPってやつで、半日ぐらいで5種類ぐらい。色がすごいですよね、抗がん剤。

岸田 見たことない。

秋本 体に悪そうな色なんですよ。これを体に入れられるのかっていうのがあるじゃないですか。時間をかけて入っていくんですよ体にずっと。入ってってんのは分かんないですけど、抗がん剤が減ってってるので、入ってってるじゃないですか、そうすっとなんかそれがすごいリアルで、本当、色変えてくんねえかなと思うんすけど、その色が入ってったらそら良くないよねっていう感じはしますよね。尿と一緒に一部出るんですよね、尿の色が変わるので、そういうのがまた、うわっていうふうな、精神的にくるかなっていうのがありましたね。

岸田 それが11月から何回くらいありました。

秋本 3週間×6ですね。

岸田 それって通院なんですか。

秋本 通院でやってました。

岸田 じゃあ入院と通院。

秋本 最初の入院は11月の1週間ぐらいです。一番最初の抗がん剤を打った後は経過観察がいるので。

岸田 通院で結構できるもんなんすね。

秋本 できました。ただ半日以上取られるので、この日になんか予定入れるとかはきつかったですね。

岸田 そういう形で1日、5種類の抗がん剤を半日かけて入れるというのを通院して、そして、2017年2月に2回目の入院をしたんですね。

秋本 このときに、抗がん剤の6回でおしまいでもいいんですけれども、やっぱりちょっと治りにくい珍しいタイプのものって言われて、6回終わった後にもっと本格的な治療をする、抗がん剤をいっぱい入れて、もう徹底的にやっつけるみたいなことになって。そうすると自分で細胞を作る血液の能力がなくなっちゃうとかで、このときに自分の自家細胞移植ってやつですかね、自分の血液から何か、造血細胞みたいのを取って、それを次の3回目の入院のときにがーっていっぱい抗がん剤を入れて、その後に自分の血を戻すみたいなのをやるので、その造血細胞を取るための入院をしました。

最後の治療をするかしないかっていうのも選択肢があったんですよ。つまり6回の抗がん剤でおしまいでもよかったんですよ。ただ、そのときにドクターに言われたのが再発率の問題、つまり6回やれば恐らく一時的には大丈夫になる、ただその後に、再発するリスクが高い病気だと。そう言われても分かんないじゃないですか、再発するリスクってどれくらいあるのかっていうのが。なので、そのときに「どれくらいですか」って聞いたら普通に教えてくれたのが「自分の印象で話しますね」って言われたんですけど、「何もしなければ再発率4割、その治療をすれば再発率が2割になる」って言われたんですよ。ちょっと考えました。で、「やります」って言いました。

岸田 2割減るんだったらやらないよりやったほうがみたいな感じになったってことですね。そのときにやる決断をしたのは何が後押ししましたか。

秋本 考えて考えてって感じで何かがあったわけではないですね。やりながらも本当に良かったのかなって迷いながらだったので、やってる最中も。あとは「医者の立場として絶対やれとは言えないけれども、やることを強くお勧めします」って言われたので、それもあったと思うんですね。

岸田 どれぐらい入院しました?

秋本 1カ月です。

岸田 副作用はなかったんですか。

秋本 副作用はありましたね。特に動けなくなりましたよ、打った後っていうのは。あと眉毛とか髪の毛抜けたりとかもありましたし、なんか体つるってなりますよ、一回。あとはやっぱり最後の大量化学療法の後がしんどかったのは、本持ってたりテレビ見たりできるけど、正直そういうこと何にもやる気がない気持ち悪い状態がずっと何週間も続くので一日長いっすよね、ずっと。本とか読んでるとまだ紛れるんですけど、本とか読む体力もないので、そういう意味ではしんどかったですけど、でも本当にしんどいのは1、2週間ですかね。

 

【家族】

岸田 がんと診断されて「リンパ腫だね」と言われてから、家族にはいつ伝えましたか。

秋本 両親にはもう可能性があるっていう時点で伝えました。

岸田 じゃあもう皮膚科の時点で?

秋本 そうですね。この日です、大病院から大学病院の紹介状書かれた日に伝えました。

岸田 なんて伝えたんすか。

秋本 そういう可能性があって、大学病院の紹介状書いてもらったんでって。今だったらもうちょっとうまく言えたかもしんないんですけど、この日すごいテンパってるんですよ、もう自分が。ぼろぼろですよね。なので、ちゃんと言えたのかどうか分かんないんですけれども、一応それは伝えて、向こうも「分かった」とは言ったものの、多分、答えようがないかなと。本当に仕事してると、家に全然連絡しないので、久しぶりに電話かかってきてそんなこと言われたら、今、考えたらどうなのって思うんですけど。自分の中ではそんなこと考える余裕が全くなくて、伝えて、分かったっていう話でしたね。弟とか妹がいるんですけど、そちらにはその時点では伝えてないです。

岸田 家族構成としては、ご両親と?

秋本 弟2人と妹1人、4人兄弟です。

岸田 ご両親だけに伝えたって感じ。

秋本 そうですね。

岸田 分かった、みたいな感じで。

秋本 多分、向こうもそれ以外言いようがなかったと思います。ただ一応、こまめにその後も伝えました。どこの病院行って何とかだったよ、次の検査がいつになるんだよって話はこまめには伝えました。

岸田 逆に兄弟にはいつ伝えたんすか。

秋本 兄弟に伝えたのは最終的なステージが出たときです。最終的なステージが出たときに、本当に死ぬんじゃねえかと思ってたところから、5年後生存率7割とかだとわかったので、今、最初に7割って言われたらすごい怖いですけど、死ぬんじゃねえかからの7割だとほぼ助かる、みたいな感覚でした。それが分かって、ある意味で前向きにはなれたので弟とかに伝えたのはそのときですね。

岸田 家族のサポートはいかがでしたか?

秋本 サポートはすごいしてくれて、一番最後の入院費借りたりもしたんですよ。というのは自分がフリーで仕事してるので、仕事しなくなると結構お金どんどん飛んでくじゃないですか。しかも自分の生活を維持するお金がかかるので、そういうもろもろで、そういうのをしてもらったし、最終的には実家に戻ったので、そういう意味ではすごくサポートしてもらって、多分これ以上はないだろうなってぐらい。

岸田 めちゃくちゃいいサポートしてくださったんですね。その家族に伝えるの怖くなかったですか。

秋本 もう多分それどこじゃないぐらい告知を受けたことで自分が怖かったので、それを考える暇すらないぐらいな感じでしたね。多分、家族は怖かったと思いますし、今、普通の状態だったらもっと配慮をしてどのタイミングで言うかとか考えられるんですけど、パニックになっちゃってるので、自分が。そのときに自分に怖いって感情はなかった、というか正確に言うとよく覚えてないです。

【恋愛】

岸田 家族以外のサポートととして、恋愛、結婚のところでは秋本さん、当時彼女は?

秋本 当時、彼女いなかったんですよ。ただ、もともと支えてくれたという意味で言うと、この告知を受ける1年ちょっと前に彼女と別れていました。ただ、悪い癖だなと思ったんですけど、その後もちょくちょく連絡しちゃったりもしていました。そういうのが続いていた何カ月後かにもう連絡を取るのはやめようとなったのですが、その三月後ぐらいに街で偶然会ったんですよ。別れた彼女と会って、3カ月ぐらいの全然連絡を取らなかった期間があるので、お互いちょっといろいろ消化できてたのか、いろいろ話ができたんですよ。お互いの今までの話とかこれからの話とかができて、それで、「よかったね」って言って、ただ、連絡を取るってところまではいかず、自分の中で一つすごく落ち着いた感じがあって、その本当に数週間後に病院に行ったんですよ。

多分、そのことがなければ、彼女に連絡できなかったと思うんですよ。家族は遠かったけど彼女のほうがまだ近くにいたので、連絡をしてみて、少し話したいことがあるっていうメールをしたら、向こうも深刻さを感じ取ったのか、すぐに電話をしてきてくれたんですよ。

その日に、午前中、おっきい病院から帰った後に話をして、多分、他の人が相手だったらもっとうまく言えなかったと思うんですけど、会ったらすごいいろいろ出てきちゃって、本当に、いろいろ受け止めてくれて、それがあったから今があるって言えるぐらい。最終的に、10月の告知しますっていう日のCTの結果出る日とかも一緒に病院まで付いてきてくれたりしてるので。なので、その後も一番不安な時期を電話、なんか夜連絡したりとか、なんか食べ物持ってきたりとかっていうのをしてくれたので、ある意味一番しんどかったときを支えてもらったっていうのが。

岸田 元カノ。

秋本 そうです。なのでそういう意味で言うと、すごく、助かったなっていうのを、支えてもらったのはある意味は家族以上に。

【お金・保険】

岸田 お金、保険のことというところで、先ほどご両親にお金を借りたっていう話もありましたけど、まず保険っていうのは入って。

秋本 なかったですね。あんまりイメージしてなかったです、独身でね。しかもフリーになったばかりで全然お金もないですし、そういうのにかけられるお金ってほぼないなと思っていたので。ただ、今だからこう言ってますけど、当時は想像すらしてなかったかなと、がん保険に入るみたいな。お金はだから最初に。

岸田 どうしたんすか、お金、治療費、いろんな所でかかりますよね。

秋本 それこそさっき言ったように病院変わるたびに検査しますって、例えばPETで3万とか、PETと何とかと何とかで5万とか普通に出てくじゃないですか。

だから最初の2カ月くらいで、ざっくりなんですけど20万近く、本当にもろもろですけれども出てってるような気がするんですよ。検査何回もして病院何回も行ってっていうので。最終的に高額医療費申請みたいなので一部還付はあったんですけども、そういう知識すらなく。

秋本 しかも、もう自分の中で思考回路がほぼ停止してる状態なので、言われただけ払っちゃうじゃないですか、病院ってこんなたけえんだとか思いながら。ただ逆に言うと、一回そういう仕組が分かって、そういう高額医療の申請とかができるようになったら、私は思ったほどかからなかったなって感じもして。

岸田 最終的にざっくりどれぐらいかかったって分かります?100万弱ぐらい?

秋本 弱ぐらいですかね。

【キャンサーギフト】

岸田 がんになって失うこともすごくいろいろあると思うんですけども、その中で得たこと、得たものというものをキャンサーギフトと呼んでおりまして、その中で、がんになって得たものってなんでしょうか。

秋本 私はいろいろあるかなと思うですし、あと、こういうこと言うとまたあれかなと思うんですけど、やっぱマイナスのほうがちょっとおっきいかなと思ってんですよ、失ったものと得たものっていう意味で言うと。私はよく、得たもののほうが多かったとかって聞きますけど、自分の中でもろもろ考えると、失ったもののほうが若干大きいかなとは思います。

けれども得たものもあって、絵を描くのを始めて、今インスタグラムとかで絵を出してるんですけれども、そういう何かをやってみようって思ったきっかけにはなりました。去年グッズ作ったりしたんですよ、インスタで絵を作って、そういうのを知り合いのチャリティーイベントとかに出店させてもらって。そういう経験ができたのは、もしかしたらどっかで病気しなくても絵描き始めたかもしれないんですけども、自分の中で一番がんになって大きかったのは絵を描き始めたことなのかなと思ってますね。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 今、闘病中のあなたへということで、秋本さんはどのようなメッセージがありますか。

秋本 これ本当に思ったんですけど、思ったよりなんとかなるんだなっていうのを一つ思いました。これって私のケースなだけなので、皆さんに向けて言うのが正しいか分からないんですけども。やっぱり待ち時間が長かったので、ネットで調べて一喜一憂してたんですよ。そうするとどうしても悪いほうばっかり考えてしまうんですけれど、実際にはすごい悪いって言われても5年後生存率7割とかそれ以上とかって話だったので、なんか思ったよりなんとかなるのかなと思って。

私自身は想像より悪くなかったし、他の人の話を聞いててもやっぱり想像がすごく悪いんですよね。なので私は、やっぱり思ったよりなんとかなるんじゃないかなと思いました。

岸田 きょうは、ありがとうございました。

秋本 ありがとうございました。

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