性別 | 男性 |
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がん種 | ユーイング肉腫 |
治療方法 | 手術, 抗がん剤, 放射線 |
ステージ | Ⅲ |
罹患年齢 | 30代 |
インタビュアー:岸田 / ゲスト:横山
【発覚・告知】
岸田 今日のゲスト、 横山さんです。 横山さん、今日は何て呼んだらいいですか。
横山 横ちゃんでいいです。
岸田 では横ちゃんに、自己紹介をぜひお願いいたします。横ちゃん。
横山 横山光恒と申します。成人ユーイング肉腫のステージⅢ。闘病は2005年の8月から、36歳の時から闘病しました。現在は経過観察です。
岸田 発覚から宣告について、どうやって2005年にがんと分かったのかをお聞かせいただければと思います。
横山 最初、右の脇の下に肉腫ができました。最初はお風呂に入って洗ってる時に、しこりがあるなと思っていたんですけども、特に何ともないということだったのでしばらく放っておいたんですね。そしたらみるみるでかくなってきて、半年ぐらいでこぶし1個分ぐらいになったんですね。もう1本手が生えてくるのかなってくらいの勢いででかくなってきたので、おかしいということで。ある日痛みがすごく出てきて。
休日診療の時に、痛み止めをもらいに行こうと思って、行ったんですね。そしたら先生が「明日、検査に来てよ」と言って、いきなり総合病院の検査を入れてくれて。さらにその次の日に医者に行って診察室に入ると、テレビドラマの悪性腫瘍の告知シーンみたいに、嫌な空気が張り詰められて。画像が出ているんですよね。「治った人もいますから、希望を捨てないでください」って、最初先生に言われて。「先生、治療じゃなくてまず気持ちですか」って。「そういうレベルの病気なんですか、僕」と。そこは県立病院だったので、そこでは見れないということで、大学病院にすぐ行ってくださいということで、うちのかみさんを連れて行ったんです。大学病院に着いたらもう特別待遇みたいに、主治医が待っていました。入ったら、「腕を切り落としたほうがいい」って言われまして。しかも「長期間生きた方がとても少ない病気なので、死ぬぐらい辛い抗がん剤治療を、あなたはこれからしなければいけません。頑張れますか」って。
いや、ほかっといても死ぬんですよね。だったらやるしかないじゃないですか。それがスタートだったんですね。
岸田 肉腫と言われたタイミングは?
横山 大学病院に行って言われました。
岸田 自分の中では、その時に見当は付いていたんですか、もう。
横山 細かく分からないですけども、肉腫というのはたちが悪いな、というのは聞きましたし。もともと医療系の電子カルテの仕事をしていたので、ドクターとか薬剤師さんとか、結構知り合いがいて。
【治療】
岸田 そこから病院に行きますと。2週間たって、その後どうなっていくんですか。
横山 抗がん剤と放射線治療と手術を、全部やったんですね。特に抗がん剤。これはとても抗がん剤が効くタイプのがんだということで、24時間ずっと抗がん剤を入れるんですよね。1週間入れて、1週間休んでみたいなことをずっとやっていたんですけど。髪の毛抜ける時ってすごいですよね。経験ありますよね?
岸田 経験あります。
横山 抜けるというよりも、取れるって分かります?おお、取れたみたいな。髪の毛がわーって取れたみたいな。10円はげとかじゃなくて、見事に取れるって。
岸田 確かにね、全部抜けて。抗がん剤も結構強いのを何種類で?いっぱい?
横山 4種類ありましたね。赤いやつ知っています?アドリアマイシンというやつ。
岸田 赤いやつ、知らない。
横山 めっちゃ赤いんですよ。それが来ると、副作用がすごいなというサインなんですけど。びゅっと赤いやつが入ってくるんですけど、しばらくすると気持ち悪くなるんですよね。おしっこに行くとね、オレンジジュースみたいのが出てくるんですよね。あと汗かくと赤いんですよ。抗がん剤の色が出てくるんですよ。
岸田 怖っ。赤色の汗か。
横山 怖いですよ。何だ、これはって。そんな感じのと。6カ月間、最初の抗がん剤を打って。8センチだった塊が、2ミリなったんですよ。効いていく途中って、むず痒くなったりするんです、腫瘍が。だんだん小さくなってきて。
岸田 大変よく効いたんですね。
横山 大変効きましたね。放射線も当てたんですけどね。
岸田 放射線。初めてやる人もいると思うので、どんな感じでした?
横山 放射線ってね。ここ(右脇)に印を付けて、そこに合わせてびゅっと当てるみたいなことをやるんですよね。治療もそんなんで、吐き気とかすごかったんですよ。当時は今みたいな制吐剤が発達していなくて。「気持ち悪いです」と言ったら「あと1週間だ、耐えろ」って先生が言うんですよね。二日酔いの1000倍って、内臓が裏返るぐらいに吐きたくなるって分かります?息が吸えないぐらいおえってなっちゃって。
岸田 息が吸えないぐらい。その言い方のほうが分かりやすいです。それで、2005年2月しこりを発見し、治療して退院したけど、そしたら痛くて2005年8月に病院へまた行ったと。
横山 痛くて、急に大きくなって。
岸田 CTとMRIで。精密検査をしたということで。切って見てみたら。悪性軟部腫瘍の中の、成人ユーイング肉腫と診断されましたと。そこから2005年の9月から2006年の6月まで。
横山 約300日間入院して、抗がん剤と放射線と手術っていうのをやりました。
岸田 三つやったんですね、三大療法を。
横山 全部やりました。三大療法。抗がん剤やって放射線やって手術をして。で、放射線やって抗がん剤やって終わりっていう。それを300日間しましたね。
岸田 抗がん剤をやったらだいぶちっちゃくなって。それで?
横山 一応放射線を当てて、手術をしたんですが。場所がどこか分からないぐらいにちっちゃかったので、7時間ぐらいかかったっていっていました。ばかっと開いて、かばっとえぐって、神経の周りとかそぎ落としたりしたらしいですけども、麻酔で全然覚えていないので。その後アプリケーターといって、傷口の中にストローを入れて、内部照射しますよというやつをやったんですね。
岸田 なんですか。
横山 体にストローを入れて、ストローの中に放射線の線源を入れて、がしがしがしというやつをやったんですよ。
岸田 そんなんあるんですね。
横山 あるんです。
岸田 7時間もかけてやって。それで。
横山 手術終わって、放射線とまた抗がん剤をやって。大変でしたね。2006年6月退院し、11月に復職をしまして。
岸田 その時は、2007年に痛みバック。
横山 ある日突然、痛みがすごく出たんですよ。痛みが出て、モルヒネもらったんですけど、効かないんですね。
岸田 いきなり痛くなったんですか。
横山 2、3日の間で、急に我慢できないぐらいに痛みが出てきて。痛みが出て、それをごまかしながら仕事をしていたんですけども。2011年の6月に退職勧奨って形で、君はがんだからまた再発したらとくびになりまして。
岸田 そういったこともあって。その後に地元で。
横山 がん患者活動支援を本格的に始めました。リレー・フォー・ライフとか、そういった患者家族のチャリティー支援イベントなんかも地元で2009年にやらせてもらったりしたんですが。今ですね。なんと去年の4月から、東京の対がん協会で働かさせてもらっておりまして。
岸田 でも当時働いていて。それで分かった時の画像がこちらになります。
横山 これ分かりますかね。これは脇です。脇の下にできた塊で、造影のCT、MRIか、撮ったんですけども。最初に病室に入った時にこれが画面にあったんですね。上が骨で、丸い所が腫瘍なんです。
【家族】
岸田 横ちゃん家族。ちょっとこれは横ちゃんに、いろいろ聞きたかったところなんですよ。 横山家。まず家族構成は?
横山 かみさんが岐阜にいます。あと当時10歳だった上の女の子が、今23歳になって大学生やっています。下の坊主が3歳だったのが、今年高校生になりました。
岸田 奥さま、お子さんだとか。がんになってどう報告したんですか。
横山 子どもには伝えていないんですよ。
岸田 そうなんですか。
横山 かみさんにはすぐに伝えて、一緒に話聞いたので、かみさん全部分かっているんですよね。子どもには一言も言っていなくて。なぜかというと、僕のがんになる2年前に義理のお父さんががんで亡くなったんですね。その一番最後の見送るところまで一緒にいたので、上の子にはちょっと衝撃がでかいかなと。
【仕事】
岸田 お仕事。電カルのお仕事をされて。
横山 電子カルテの導入の仕事をしていまして。基本的に病院で先生とお話をする仕事がメインでした。で、告知をされ、俺はがんになっちゃいましたと社長に話しをしました。すごく仲のよい社長だったので、うんうんと聞いて、お見舞いに何回も来てくれたんですけども。それでも退院をして初めて会社に行ったら、違う会社になっていて。痛みが出るけど、がんだからできませんって言いたくなくて、3年間頑張ったんです、仕事を。それなりに売り上げも上げたし、成果を上げたつもりでしたけど。長期間の仕事で難しいのが、再発されるとプロジェクトが止まっちゃうんで「リスクは抱えられないから」と言われて、くびになりました。
岸田 けど、あからさまに言われる感じじゃないんですよね?
横山 あからさまでしたね。最初は自己都合で、という話なんですけども。自己都合ということは、保険が3カ月間ぐらいもらえないでしょう。
岸田 失業保険、もらえないですもんね。
横山 それでは生活が困っちゃうんだけどという話しをして。「そこまで言うんだったら、僕のこの状況をいろんなところで公にして、皆さんにどういう方法が正しいのか聞いてもらいましょうかね」と言ったら、ぴゅっと変わって。話し合いの結果、退職勧奨という形で、退職金がすぐ出るような辞め方ですけども。本当に寂しかったですね。
岸田 仕事を超頑張っていたんですよね。それで、2007年に痛みが発症して、2011年6月に退職。
横山 退職しました。この後は当時の友達が独立していたので、仕事をくれて、いろいろ食いつなぐはつなぐんですけども。収入が安定しないので、ずっと悩みながらやっていくという生活でしたね。
岸田 きつい話ですね。私も似たようなことがありました。最近のがんと就労問題をどのように捉えられていますか。
横山 僕がすごく思うのが、がん患者を雇用してもらう会社、よくちゃんと理解をして話し合って働きやすい環境を作ってもらうことはすごく大事だと思っています。生活費プラスその上に、治療費が掛かります。仕事はくびにならなくても、出て行くお金のほうが多いという、逆ザヤになってしまうと、自分の貯金=生きる時間になってくるわけですよね。非常に辛いので、治療をしながら普通に生きていけるようになったらうれしいなと思っています。もう一つは、患者も創業、企業ができるように、世の中で支援をしてもらう制度を作ってもらえないかといつも思っています。患者の中で得意な方々を集めて、会社を作ったっていいじゃない。それを支援するような活動をしてくれれば、みんなが働けるし、みんながいい感じの関係ができるんじゃないのかなと思っているので。
岸田 もうまとめに入っている感じですよね。
【お金・保険】
岸田 そんな中で、お金、保険のこと。まず、治療費はどれくらい掛かり、保険に入っていましたか、あとはお金の工面。そこのところをお伺いできたらなと。
横山 一般のサラリーマンがすごく頑張って働いても、なかなか貯金って思うようにできないと思うんですよね。がんといわれて一瞬にしてなくなっていくって、びっくりしますね。
岸田 トータル、退院するまでにどれぐらい掛かったと思いますか。ざっくりで。
横山 500~600万掛かったかな。
岸田 保険金は?
横山 保険は入っていました。けど、まさか病気になるなんて思っていなかったので、日額がちょっと安めで、日付の限定されたものだったんで、もっといいやつに入っておけば良かったなって。
岸田 お金に関してこうしておけば良かったなとかあります?
横山 がん保険に入っておけば良かったなって思いました。だから皆さんも、若いから要らないっていうんじゃなくて。最低限自分がなった時に、生活ができる分の備えはしてほしいなと思いますね。あとは知識もね、備えとして持っていてもらいたいというのは正直思います。
【辛いこと・克服】
岸田 精神的にと肉体的に辛かったのは。
横山 肉体的に辛いのは、抗がん剤の副作用でしたね。気持ち悪い、手足まひする。口内炎がだんだんでかくなってきて、合体して1個のでかいやつになる。そういうのが口の中にできて、ご飯食べられなかったとか。爪もはがれちゃうし、貧血すごいしっていう。そういうのが一番体的には辛かったですね。でもそれより辛かったのは、さっきも言ったんですけど、生かされている意味が分からなくなってきた時が一番辛くて。すごく辛そうにしていたら、入院していた時に「あんた、ちょっと精神科に掛かってこいや」と言われ、掛かりに行ったんですね。僕、薬を飲んでも全然効かなくて、ふらふらになったのでやめちゃったんですけど。でもなんでそこから克服というか上向きになったかというと、先輩の背中でした。
岸田 先輩の背中。
横山 毎日ずっとがんの患者の先輩の姿を、インターネットでいっぱい見ていたんですね。病室にPC持ち込んで。その時に、先輩がたが自分たちの命を何かに使いたいと思って一生懸命取り組んでいる活動を、いっぱい見たんですね。会いに行きたいと思ったんで、会いに行ったら本当にすごくいい方々ばっかりで。患者でも生きていていいんだよねってことを、先輩がたに教えてもらいました。自分の居場所は、こういう生き方もあっていいんじゃないかということを、先輩に見せてもらった。
岸田 確かにね。自分だけだと分からないですもんね。
横山 分からない。先輩の背中を見て、生きていていいんだって教えてもらったので。治療して命をつないでくれたのは医療。生き方を教えてくれたのは患者の先輩って、いつも言っています。なので僕もそういういろんな方々から頂いたものを、また次の方々につながなきゃいけないというミッションがあるなと思って、今、活動をさせてもらっているというところです。それが自分の中でいう克服だと思っています。
【後遺症】
横山 後遺症は今すごくあるんですよ。右腕を切開してやっているので、むくみがすごいんですね。本当にぱんぱんになるんですよ。
岸田 浮腫があるってことですか。
横山 そうなんですよ。ハムみたいになるんですよ。
岸田 太くなってくるんですか。それに対して、何か対処は。
横山 サポーター巻いています。締め付けて、上手にお付き合いするっていうのは、実際やっています。
岸田 治るんですか。
横山 治らんみたい。ひどい時は、ぱんぱんになる。辛いです。天気が悪くなってくると、ピンポイント天気予報ができて、雨が降る時分かるんです。
岸田 雨が降ってくる時、分かる?
横山 強烈に痛いんですよ。痛いって、踊りたくなるくらい痛くなると雨が降ってくる。ゲリラ豪雨とか、死ぬほど痛いんですよ。痛みが出るのが辛くて、モルヒネ飲んでも効かないですし、リリカっていう薬をもらうと効きがすごくて、ふらふらになっちゃうんですね。そんなのは、ずっと使えないので、外出時は我慢するしかなくて。後遺症で一番辛いのは痛みです。
岸田 痛みですか。
横山 あとね、まひが残っちゃってるんですね。しかも手の感覚がない部分がある。そうすると、やけどしても分からないんですよ。お湯とか沸かしていて、ちゅって触っても分からなくて、気が付いたら血だらだら、水ぶくればんばんみたいな。あれ?みたいなのがあるんです。
【反省・失敗】
岸田 あの時こうしておけば良かったなということはありますか?
横山 基本的にうまくいったことがないので、全部反省、失敗なんですけども。一番はがん保険に早く入っておけばってのは、あるんですけどね。多過ぎて。
岸田 候補があり過ぎて。
横山 でも一番なのはね、反省、失敗と思わないようにしようと今、思っています。前向きな反省はするんですけども、過ぎちゃったこととか、やれないことってあるじゃないですか。精一杯やってもやれないこととかで、失敗して反省すると、へこむので。「一生懸命やったね」といつも思うようにしています。
【医療従事者への感謝&要望】
岸田 医療従事者にいっぱい会われているかと思いますので、感謝や要望は?
横山 主治医の先生は戦友でした。形だけじゃなくて、本当に寄り添ってくれる医療者の方ってたくさんいたなっていうのは今、思うんですね。そういう意味ではものすごい感謝していますね。あと難しい病気で標準治療もないのに、調べてくれて治療してくれた先生には本当に感謝ですし。要望というと、医療者も気持ちに余裕が持てるような勤務体系にしてほしいなって思います。
【キャンサーギフト】
岸田 がんになって失うことってたくさんあると思うんですけれども、あえて得たもの、キャンサーギフトって何ですか。
横山 全てがギフトですよね。いっぱいあるんですけども、一番最初にもらったキャンサーギフトは、入院中に白血球が上がったので外出許可が出たので桜を見に行ったんです。今までにないぐらい桜がきれいに見えて、病気ってこうなんだなってことを教えてくれたのが、一番最初のキャンサーギフトでした。
岸田 普段見ている桜じゃなくて、がんというものと向き合っている時の桜っていうのは、また全然感じ方が違うと。
横山 そうなんです。来年は絶対いないわって思ったので、すごくきれいだったですね。そうやって考えると、失っていくものってすごくあったんですね。でも、がんというきっかけでいろんなものが、いい意味も悪い意味も含めて、背中から降りた時に、人間ってシンプルに生きればいいんじゃないのっていうことを教えてもらった。それに気が付かさせてくれたのは、キャンサーギフトかなと思いました。
【夢】
岸田 横ちゃんの夢は何ですか?
横山 先輩からもらったいろんなものを、今必要としている人にバトンタッチしたいという思いがめちゃくちゃある。夢というよりも、生活できるようにしたい、みんなが。がんが特別ではなくて、薬を飲んだらぺろっと治っちゃいましたっていう世の中になってほしいし。今、治療してわれわれみたいに後遺症がある人たちが、普通に生きていけるような世の中になってくれるのが、僕の夢です。
【今、闘病中のあなたへ】
岸田 最後、今、闘病中のあなたへ。
横山 僕、「頑張ったね」という言葉を挙げています。なんでかというと、僕は入院中に本当に辛い時に、師匠に「頑張ったね」と言われた時にマジで泣きました。でも不思議なもので、泣ききったら気持ちがすっきりしました。「頑張ってね」って言われると辛いけども、「頑張ったね」って言ってもらうと、気持ちが楽になることがあるかもしれません。今、もしかしてこれを病室で見てる方がいたら、あなたは今、本当に一生懸命頑張ったと思っています。だから頑張ろうと思わずに、いっぱい頑張ったねっていうふうに、自分を褒めてあげてください。
岸田 「頑張ったね」って言ったら、それまでのことが評価されるわけですよね。ありがとうございます。頑張ったねって言葉を頂きました。
横山 ありがとうございました。
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