インタビュアー:岸田 / ゲスト:亀山

【発覚・告知】

岸田 亀山さん(以下、亀さん)、自己紹介をよろしくお願いします。

亀山 亀山隼人と申します。罹患したのは2006年の1月で、もうかれこれ10年以上前になります。大学2年生のときにがんになって、それから就活・卒業を経て、今は普通にサラリーマンをやっています。若年性がん患者団体「STAND UP!!」という団体で、会計も務めています。

岸田 亀さんの、発覚から告知までに関して、教えていただけますか。

亀山 はい。もう10年前なので少しあやふやですが、2005年、大学2年生になったばかりのときに、「ちょっと体調がおかしい」と、なんとなく違和感があり、近くのクリニックに行きました。それで、 最初は思いっきり性病を疑われて、性病検査をされて……まあ性病じゃなかったんですけど。そのクリニックで、「大学病院で一回診てもらおう」ということで紹介状を書いてもらって行ったんですけど、そこで「ほっとけば治る」と言われ ……バカ正直に当時5月くらいから次の年の1月まで半年以上信じている間にどんどん体調も悪くなったんですが、治ると言われているので、そのままでいいやと思っていました。

岸田 たしか大学2年生のときには留学する予定があったと聞いていますが。

亀山 そうなんです。直後に1年間オーストラリアに留学する予定でした。大丈夫だって言われたから、留学準備など進めていましたが、いよいよ立っているのもつらくなってきたので、ちょっと薬をもらいに行こうと思って、最初に行ったクリニックにもう一度行ったら、「なんでほっといたの?」って言われて。

岸田 大学病院を紹介してくれた最初のクリニックにもう一度行ったんですね。

亀山 そうです。「なんでほっといたの、これ絶対がんでしょ」って言われて、「あ、そうなんだ」ていう感じでした。

岸田 当時はどういう気持ちでした?

亀山 「え、留学できなくなる」としか考えられなくて。留学できないことの方ががんよりよっぽどショックで。そのために英語をがんばってきたのに、行けないことがショックで。たぶん、親に電話をしたときに、「留学できないならこのまま死んだ方がマシだ」って言ったんだと思うんです。バカなこと言ったなと思いますけど。そのくらい留学できないのがショックで、別にがんになって、死ぬとか死なないとかっていうところまで考えが及んでいなかったという感じだと思います。

岸田 すぐに手術したんですか?

亀山 さっそく2日後に手術したかな。 診断された日に近くのちょっと大きい病院を紹介されて、「明後日キャンセル出たから空いてるよ」って言われて。

岸田 そんなスピーディに手術したんですね。そのあと、抗がん剤を?

亀山 抗がん剤ですね。そのあとリンパ節郭清(※1)と、残っているがんを取る手術をして終わりですね。

岸田 じゃあ精巣だけじゃなくて、ちょっとおなかにも?

亀山 転移してた部分が残ってるかどうかが分かんなかったから、っていうことで手術をしました。つまり2回手術をしたことになりますね。

岸田 「2日後手術です」って言われて、すぐに入院という状況は大変でした?

亀山 最初の手術のときは、とりあえず荷物をまとめないといけないんで、とにかく別のことを考えてる時間もないので大変も何も……っていう感じですけど。 親がそれからすぐ仕事休んで来たので、そっちのほうがよっぽど大変だったんじゃないかなと思いますけどね。

岸田 そうですよね。ご家族も大変だったでしょうね。当時、どうやって家族に伝えたか、家族のサポートがどうだったか教えていただけますか?

亀山 うちの場合は、家族関係がこれで良くなったとか悪くなったとかじつはなくて、淡々とそれぞれが普通に看病と闘病をこなしていたっていうのが正直なところかなと思います。私一人っ子なので、いつも心配されて育ってきました。父も母も強い人なので、弱気なところは一切見せないんですが、きっと心の中は大変だったんだろうなと。

岸田 伝えたときは電話で?

亀山 母の電話にかけて。でも、その前の日、成人式が終わって実家の岐阜から東京に帰ってくるときに、たぶん母とけんかしてたんですよ。その次の日の電話だったから、超不機嫌に出られて。

岸田 え、診断終わってからの電話ですよね?

亀山 母親にがんだって言って電話するときなのに、出たらすごい機嫌悪くて。「何電話してきてんの?」みたいな。まあたぶん本人は忘れてますけど、そんな感じだったなかで、J R大久保駅(東京都)で泣きながら電話した記憶はありますけどね。「がんなんだ」って言って。

岸田 どうでした? お母さんの反応は。

亀山 「え、今から行こうか?」って言われたんですけど。「いや、来ても別にどうにかなるわけじゃないから来ない て」って言いました。うちは本当に良くも悪くも淡々としていて、私が見てないところではいろいろあったのかもしれないですけど、少なくとも私の前では普通にしていました。おばあちゃんが大変だったみたいですね。「うちの隼人がー」 みたいな。入院中もよく見舞いには来てくれたんですけど、あまりに入院してる他の患者さんの詮索とかしはじめたり、他の患者さんの家族と話しはじめたりし て、あまりにみっともないんで途中から来るなって言って、それからは外泊のときに自分から会いに行くようにしましたね、恥ずかしくて。もちろん、手術当日は父も母も来ました。父は仕事があるので、1日、2日で帰りましたけど、母はパートなので仕事を休んで1週間くらい、一人暮らしの我が家に泊まってました。私は試験勉強したかったので、居座られるとすごく面倒だったんですね。「勉強の邪魔だから来るな」と言ってたんですが、それでも来るので。なんかずっと隣で座ってましたよ。私が無視するので。

岸田 いやー、お母さん本当すごい。強いですね。お母さんはずっと横にいてくれて、おばあちゃんだけ途中から出禁ということですね(笑)

【後遺症】

岸田 次の話題、後遺症についてです。 亀さんの場合は、まあ精巣腫瘍ということで、今、片玉ですよね?(笑)

亀山 そうですね。

岸田 もし今、後遺症があれば、教えていただけますか?

亀山 まあ、抗がん剤やってるので、子どもはたぶんできにくいだろうとは言われています。そんなに私は子どもが得意ではないので、子どもができにくい、もしくはできないっていうこと自体はまったくショックではなくて。どちらかというと、ショックだったのはたぶんうちの両親だと思います。私自身としては別にショックでもなんでもなかったので、精子の保存だとかもしていないし。

岸田 保存もしてないんですか?

亀山 提案はされたけど、「あ、要らないです」って即答して。その後ろで父親がすごく焦ってたっていうことは覚えてます。まあ一人息子ですからね、一応。 ただ母は、私が子どものことが苦手なのをずっと知ってるっていうのと、自分がやらないって決めたことは絶対やらないってタイプだと分かってるので、特に何も言わなかったですけど。

岸田 僕の場合はまったく逆でしたね。先生から「残す? 凍結するか?」と言われたときに、うちの両親は「いや、要らんやろ」みたいな反応で、強気だな〜と思いました(笑)。それで結局やりませんでしたね。じゃあ亀さんの場合、性機能としては、子どもを作れるか作れないかわからないけれども、それ以外の後遺症はとくにないっていう感じですね。

【仕事】

岸田 就職活動のとき、がんって言いましたか?

亀山 言ってないです。

岸田 それはなぜ?

亀山 正直なところを言えば、私たちのときは就活が早かった時期なんですよ。もう本当に3年生の10月に説明会が始まって、次の年の2月の末にはもう内定いただいてたので。治療終わったのは3年生の6月、7月ですから、さすがにそんな状態で「私、大丈夫です」って言ってる学生を取るようなバカな会社ないだろうと思って。とりあえず言わなかったです。ただ、私は嘘が本当につけず、すぐ顔に出るので、質問されたときは、正直にお答えはしましたけど。

岸田 え、質問されるケースってあるんですか?

亀山 とくに最初に入った会社って激務のイメージがやっぱりあったので、その業界だとけっこう体力に自信あるかどうか、そういう質問をされるんですよ。

岸田 何系の会社ですか?

亀山 証券会社でした。聞かれたら答えたし、聞かれた会社は、もう縁がなかったと思って、しようがないなっていう感じで。

岸田 そのときにどう答えたんですか? 「おまえ体力あるのか」って言われて。

亀山 「いや、ちょっと詳しくは言えないですが、この間まで入院してました」 って言いましたけど。聞かれた時点でもういいやと思っちゃって。今の若い人達とかって、私が入ってるSTAND UP!!もそうですけど、けっこうがんになったことをポジティブな意味でアピールしたりだとかしてますよね。がんに対する知識があってそういうことってできると思うんですけど、 10年近く前ってまだ知識も何もない状態でやってるので、やっぱり無理でしたね

岸田 そうか、 10年近く前ですもんね。入社してから会社の人には言いましたか?

亀山 会社の人たちも知らない。あとから打ち明けた人はいましたけど、それは私が最初の会社を辞めたあとに言ってるので、当時知ってる人は誰もいなかったですね。

岸田 飲み会とかで話題にはならなかったんですね? 病気がどうたらとか。

亀山 うーん、特にならなかったですけど。「なんか悩みなさそうでいいよね」 とか、「挫折知らなさそうだね」とかよく言われてて。そういうのでイラッとしたりとかはありますけど。まあ、そんな程度ですね。

【お金・保険】

岸田 亀さんの場合、お金をどうしていたのか? 保険は入っていたのか? 入っていたのなら、どれぐらい出て、何に使いましたか? というのを、ぶっちゃけで聞きたいんですが。

亀山 基本的にはお金については両親が工面してくれました。保険についても、幸い私に保険がかかっていたので。

岸田 え、自分で保険に入ったとかじゃないですよね?

亀山 父が金融機関というか、団体職員なんですけど、ノルマとして保険売らなきゃいけないからって言って、幸い自分の息子にかけてたやつがありました。

岸田 めっちゃいいじゃないですか。

亀山 それまで保険かけすぎだって言ってさんざん家庭内のバトルがあったんですけど、このときばかりは良かったなと思いました。今、自分では保険に入れないけど、それが30年間の保険なので、しばらく40何歳くらいまでカバーされてので、それは幸いだったなと。

岸田 治療としては高額療養費制度(※2)もあるから、トータルで使った金額っていったら100万円くらい?

亀山 たぶん100万円くらいですね。月だいたい25万円とか30万円とかなので。それで、手術が2回あったので、たぶん100万〜150万円くらいなんじゃないかなと。

【辛いこと・克服】

岸田 つらかったとき、どうやって克服したかを教えてもらえますか?

亀山 肉体的にはたぶん、抗がん剤をされているみなさんとそんなに変わらないかな。人並みにはつらかったです。精神的には、本当に「留学できなくなった」 っていうことがいちばんきつかったかな。 あと次にきつかったのが2月、入院して1週間くらいしたあとに、一回だけ本気で泣いたことがあって。「3か月これから暇だからどうしよう」っていうので泣きました。こんなにつまらない生活、本当に耐えられないって。

岸田 視点がすごいですね。そっか。留学できなくなって、どうしたんですか? もう諦めるしかなかったんですか?

亀山 もう行けないのは決まったので、後悔してもしようがないので。こんな生活から抜け出したいし、とにかく治そう。治してからまた考えようと思って、そのまま時が過ぎた感じです。

【反省】

岸田 あのときこうしておけば良かったなとか、ありますか?

亀山 ない。たぶん本当にないと思います。

岸田 じゃあ、あえて言うと、最初のクリニック行ったあと大学病院行って、「そのままにしといたら治る」みたいなこと言われて、それでほったらかしてたのは?

亀山 それは結局、なったタイミングの問題だけだと思っています。結局1月にわかったことはラッキーだったかもしれない。留学する直前でしたし、もし留学してたら確実にこの世にはもういないので。私はたぶんあのタイミングで見つかったからこそ良かったんだと思ってる。まあ、後付けですけどね。もちろん早いうちに見つかってたら転移はしなかったかもしれないですけど、でも転移してようがしてまいが、変わったのって手術をもう一回するかしないかだけなので。

岸田 今まで公にカミングアウトしてこなかったわけじゃないですか。それに対してはどう思います?

亀山 それは一応考えがあってのことで。 正直なところ入社してから何年間っていうのは、最初の会社入ったばっかりで、しかもリーマンショックで周りがバサバサ切られていってるなか、そういうネガティブな部分を見せたくなかったっていうのと、カミングアウトをすることで周りが気を遣ってくれるのが嫌だった。仕事面でもそうですが、たとえば飲み会のときにテキーラ飲ませてくれないとか。

岸田 テキーラ基準なんですね(笑)。

亀山 普通の生活ができなくなるのが嫌だったんですよ。どのタイミングで言おうかなと考えたけど、10年というのを区切りにしました。31歳になって、たぶんこれから自分の周りががんにかかる可能性も高くなってくるし、もしくは親御さんがなるとか、そういうことってあると思うんですけど、その人たちに、「あんだけ普通に生活してて10年を迎えた人がいるんだから、まあ大丈夫なんだろう」 って思ってもらえるようにっていう、それがしたかっただけですね。正直、バカみたいに朝まで飲むし、まだタバコとかも吸うんですけど、10年間本当に普通に過ごしてるんです。ここでカミングアウトするのは自分なりの実験ですね。

岸田 自分なりの実験?

亀山 はい。10年経ったときに、みんながどういう反応示すんだろうっていうのと、じゃあこれから皆さんがそういうことになった時に、どういうふうにポジティブな考え方を持っていけるんだろうっていう。周りががんにならないと分からないんですけど。

岸田 自分なりにそれをやってみようと思ったから、あんまりカミングアウトについても公にはしなかった。

亀山 うん、なんかバラバラいろんな人に言うのもね、つまんないかなと思ったので。

岸田 すごいですね

【医療従事者への感謝&要望】

岸田 医療従事者に感謝、要望といったところで、良かったこととか、あと、こうして欲しかったっていうような事があれば教えていただけますか。

亀山 本当に要望というのはないです。 感謝こそあれ要望は別になくて。まあ最初の「ほっときゃ治る」って言った病院の人に対してだけは何の感謝もないですけど、他の人たちについては本当に良くしていただきました。とくに岐阜大学のみなさんはこんなわがままな患者をよく 受け入れてくれたな、というほど自由にさせてもらいました。私の場合は点滴つけてない間とかは私服を着させてもらっていました。脱走しやすいようにっていうのもあるんですけど、やっぱりどこかでがん患者らしいというか、闘病中らしい振る舞いっていうのをしたくない気持ちがありました。だから、着られるときは私服でいたし、まあ脱走もしてましたし。あと当時まだ、パソコンの持ち込みが本当はダメだったんですね。そういった細かいわがままを全部聞いてくれたっていうのは本当に感謝ですね。 まあ強いて言うなら、今東京で病院に行ってて、働きながらなので土曜日の診療なんですけど、土曜日の枠が本当に取りにくくて。半年前からCT検査の予約しないと入れないので。それがちょっときついかな、というくらいかな。

岸田 土曜日、診療行ってるんですか?

亀山 はい。もともと誰にも言ってないので。有休使って会社を休むっていうことも基本的にはしない。がんのために有休使ったことはたぶん一回もないですね。 その代わり土曜日に診察を入れてます。 なので、あえてその土曜日診察ができる大学病院を選んで、そこに行ってという形になってて、まあカミングアウトしたので、今はもう、別に仕事を休んで行ってもいいんですけど。半年後の予定なんて分かんないけど、もう病院の予約入れたら変えられないので、もう病院を優先せざるを得ないし。しかも枠が朝9時とかからしか空いてないんですよね、CT。そうなるとたいてい二日酔いで行くことになりますよね(笑)

【キャンサーギフト】

岸田 がんになって失うこともいっぱいあると思うんですけれども、その中で、がんになって得たこと、得たものっていうのは何でしょうか?

亀山 がんになって良かったとは、たぶん私、一生思わないと思ってます。別にがんにならなかったらならなかった人生があって、また、がんになったから結局今のこの人生があって、人生が2通りあっただけの話なので、とくになって良かったなっていうのはなかったです。あえて言うなら、やりたいことは本当に全部やるようにしてます。人生いつ何があるかわからないっていうのを10年前に身をもって体験をして、自分がやりたいと思ったことについてはお金がかかろうと何だろうと基本全部やろう、ということにしました。本当に今日が最後の日でも別に私は後悔しないです。そのくらいやりたいこと、叶えたいこと、仕事にしても、旅行もそうですし、あと勉強にしても、全部やりたいことをやろうっていう、そういうのが身についたかな。大人でしょ? でもね、本当にそうだと思います。どんどんいろんなことに使っちゃうんで、あんまりお金が貯まらないんですけど。

岸田 なるほど。今の亀さんの夢はなんですか?

亀山 夢……早期退職かな。ちょっと早く仕事を辞めて、バリ島辺りで日本食レストランでも開いて悠々自適に過ごしたいです。そこに向かってもっと仕事をがんばらないといけないとか、そのための人生プランはえがいてます。とりあえず最終的な着地としては、〝老後は海外〞っていうのが夢ですね。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 最後に、今、闘病中のあなたへ。

亀山 「今の自分を好きになろう」ってということを書きました。これ、どういうことかっていうと、がんになってなかったらどういう人生が送れただろうとか、 なんでがんになったんだろうとか、思う気持ちって絶対あると思ってます。私も最初、留学できなかったときに、「なんでがんになったんだろう」と思ったし、しばらくは「留学してたらどうなったんだろう」って思いました。

でも、実際、がんにならなかったあなただったり、がんにならなかった私っていうのはどこにも存在しなくて、がんになった自分しか いないんです。そのときに、がんにならなかったらどうだったろうって考えることって、すごく無意味、無価値なことだし、無価値なわりにはやたらと落ち込ませる考え方だと思ってるんですね。だったら、そういうことを考えてもしようがないなら、今の自分って自分しかいないんだから、闘病中でつらいときや、治療中つらいときに、今は自分一人しかいないのに、その自分を否定してほしくないなっていう。自分自身を好きになってほしいなっていうことでこの言葉を書きました。なんかすごくいいこと言ってますね、自分(笑)。

でも、基本的に私の考えはずっと一貫してて、がんにならなかった自分のことを考えてもしようがないと思うんですよね、なっちゃったものはなっちゃったし。それよりこれから先、うれしいこと、悲しいこと、つらいこと、楽しいこと、たくさんあると思うんですけど、とにかく一生懸命に生きるしかないと思います。これからの人生いつ何が起こるかわかんないし、がんになることをみんなわかっててがんになったわけじゃないし。これから先起こることも何もわからない。けど、必ず何かが起こるわけで。でも分かんないから、たぶん人生って一生懸命に生きようって思えるんだろうし、だからこそ一生懸命生きることって楽しいんだろうし、そういうことを私は考えてます。


※1 リンパ節郭清……手術の際にがんを取り除くだけでなく、がん周辺にあるリンパ節を切除すること。再発を防ぐために行う。

※2 高額療養費制度……同一月にかかった医療費の自己負担が高額になった場合、自己負担限度額を超えた分が、あとで払い戻される制度

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