目次
- ゲスト紹介テキスト / 動画
- ペイシェントジャーニーテキスト / 動画
- 家族テキスト / 動画
- 恋愛・結婚テキスト / 動画
- 妊よう性テキスト / 動画
- 仕事テキスト / 動画
- お金・保険テキスト / 動画
- 後遺症テキスト / 動画
- 医療者へテキスト / 動画
- 過去の自分へテキスト / 動画
- CancerGiftテキスト / 動画
- 夢テキスト / 動画
- 今、闘病中のあなたへテキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:植木
24歳と27歳、2度の子宮頸がん——福祉施設で働く植木朋子さん
岸田 改めましてがんノートoriginスタートしていきたいと思います。植木さん、簡単に自己紹介お願いできますでしょうか。
植木 はい、みなさんこんばんは、植木朋子と申します。静岡県の熱海市出身で、今は富士市に住んでおります。年齢は38歳で会社員なんですけど、福祉施設で働いております。病気は子宮頸がんで、1番始めに告知を受けたのが24歳の時です。27歳で再発を経験しています。スライドがちょっと。

岸田 スライドがちょっと昔のスライドになっちゃってますね、すみません。治療が手術と薬物療法と放射線。
植木 今は経過観察中です。
岸田 はい、よろしくお願いいたします。
植木 よろしくお願いいたします。
岸田 ありがとうございます。
では、ちょっと改めまして告知までの植木さんのお話をちょっと色々聞いていきたいなということを思っております。植木さんのがんの経験をここから約1時間弱程度で色々お話聞いていって、その後一問一答みたいなかたちで各項目を聞いていくようなスタイルとなっております。
もしみなさん、僕が話を聞いてきますけど、ライブ配信なのでみなさんも何か話聞きたいなと思ったらチャット欄入れていただければ僕も逐次読ませていただきますので、ぜひぜひよろしくお願いします。
よしさんや豊田さん、オバマさん、マーシーさん、こんばんは楽しみにしておりましたっていただいております。みかさんも今日は生ライブですかということで、今日は生ライブで久しぶりにやったらちょっと設定を結構色々大変な感じとなっております。ともさんもこんばんはと。
「風のように過ぎていく日々」——告知から経過観察9年目までのペイシェントジャーニー
まずこちらいただいております、2008年4月調剤薬局の事務として働いて、2009年2月や2009年4月といったところで、ちょっとここの話といったところ。まず調剤薬局の事務として働かれていたんですね。
植木 はい、そうなんです。元々最初は熱海市にある旅館で、サービス業で働いてたんですけど、不規則な勤務だったので一定の勤務のお仕事に就きたいなと思って、働きながら何か資格取れないかなと思った時に医療事務の講座のパンフレットを見つけて、勉強をして医療事務の資格を取って。
最初は病院に勤めたんですけど、契約更新の時にちょっと経験値もついたので自分で探してみようかなって思った時に、地元の熱海市で調剤事務の募集があったので、ここで働かせてもらいたいなと思って応募したっていうのがきっかけで働いていました。
「痛み止めを飲んでも体が動かない」——婦人科クリニックに全部電話をかけて選んだ受診先
岸田 ありがとうございます。そして地元の調剤薬局で事務として働かれていき、そしてその後2009年の2月、不正出血などが出てくるといったところで。ちょっとこのときの不正出血や生理不順、どんな感じだったのかっていったところに関してお伺いしてもいいでしょうか。
植木 元々女性周期の体調不良っていうんですかね、生理が重いとかってよく言われるかと思うんですけどそういう症状があって、薬を飲みながら、痛み止めとか飲みながら仕事に行くようなタイプの感じだったんですね。
生理不順なので毎月来なかったりだとかちょっと周期が遅れたりだとか今度は早まったりだとか、そういう波が激しかったっていうところがあって。
あとは、このくらいの周期だから準備するのもこのくらいで平気だろうみたいに思ってても予期せぬ時にちょっと出血があったりだとか、ちょっとおりものの量もおかしいなっていうような状態があって、もういよいよこれはちょっと仕事とかにも支障が出るぐらい体調が悪くなってしまった時もあったので、これは病院行かなきゃいけないかなっていうふうに思った感じです。
岸田 仕事に支障がでるくらいって相当ですよね。
植木 そうなんですよ、もう痛み止めを飲んでも対処できないといいますか、体が動かないみたいな感じもあって。そこちょっと苦しかったといいますか。
岸田 ありがとうございます。そんな苦しいなかから婦人科のクリニックを探していかれるんですよね。
植木 はい。やっと定職ってわけじゃないですけど正社員で働いて、あとお金も稼げるようになったし周りの友達とも遊べるような周期になったからいっぱい働きたい、遊びたいみたいな時だったので、病院に行くための休みというよりも遊びに行きたいから休みたいみたいな感じだったんですけど、でもそれじゃあだめだって思い始めて婦人科クリニックを探し始めたんですけど。
自分でピックアップしたところに全部電話をかけて。
岸田 すごっ。
植木 電話の対応がいいところに行こうと思って。やっぱ緊張するじゃないですか。
岸田 はいはい。
植木 地元の産婦人科だと何か疑われちゃうかなとかっていう心配があったので、ちょっと違う市町村の婦人科クリニックを探してちょっと電話をして、自分がいいかなって思うところを選んで行きました。
岸田 そういうことね。だから受付の対応って大切じゃってことね。
植木 そう、大切だと思います、すごく。
岸田 受付の対応がいい人のところ行ったわけやん。
植木 そうです、はい。
岸田 そこのクリニックに行って、やっぱ先生もよかった。
植木 先生もよかったです、私は相性がよかったと思ってます。
岸田 よかった。そこで相談してちょっと検査していったってことね、ここではね。
植木 はい。私は生理不順をどうにかして欲しいって思って行ったんですけど、先生が一応子宮頸がんの検査っていうのがあるから、心配だから一緒にそれもやるねっていうかたちで検査をしたっていうのがきっかけですね、最初の検査する。
岸田 そういうことね。そこで検査をしていったらっていったところで2ヶ月後の中等度異形成って分かってったってこと。
植木 はい、分かって。でもこの中等度異形成って自分の自然の力で治せる範囲内だから、先生がちょっと定期的に検査させて欲しいよっていうかたちで何回かなってるんですよね、それで。
岸田 じゃあ何回かこれでずっと検査を受けていったっていうところで、別にこの時、言われた時は、そうなんかぐらいで思ってたって感じかな。
植木 そう、治せるんだって思って。自分の力で大丈夫なんだっていうぐらいに思ってました。
岸田 そこから次のスライド、こちらになります。定期検診をそのまま受けていって、そして9月になってくると大きな病院を紹介されていくといったところで、これは何か悪いもの見つかったのかな。
植木 これは中等度じゃなくて今度高度っていうのかな、異形成になったっていうことで、先生の細胞診とかの検査なのかな、見解がちょっと異常があるっていうようなかたちだったので、もう少し精密検査ができるような病院に行ったほうがいいよって言われて、何箇所か提示されてこの中のどこかにちょっと紹介状出しますっていうような流れになりました。
岸田 この中のどれかにっていう風な時に、その時植木さんはどれを選んだんですか。
植木 私は専門病院を選んだんですよ。たまたま叔母がそこの総務課で働いてたっていうことがその病院を選んだきっかけでもあったんですけど。
岸田 身内が病院で働いてたら、ちょっと安心しますもんね。
植木 そうなんです、何かあった時にちょっと頼れるかなとかっていうのがあって。
「1人で聞きます」と啖呵を切った告知——家族会議で決めた広汎子宮全摘出術
岸田 で、そのがんの専門病院に行くことにしましたといったら、もうその翌月には子宮頸がんの告知って書いてあるけど。
植木 そうなんです、もうこれは本当に風のように過ぎていく日々、どんどんどんどん流れいくみたいな、ベルトコンベアのように流れていくってよく表現で聞いたりするんですけどまさにそういう感じで。
検査をその病院で受けるってなった時に、1番最初の初診の時に色んな質問されるんですよ。告知の時に1人で受けますかとか家族で聞きたいですかとか。
そういう質問を受けた時に、ちょっとしっかりしてない私がいるんですけど、大人になっても子どもみたいな自分がいるんですけど、その時は自分のことはちゃんと自分でやりたいっていうような、そういう気持ちが働いていて、1人で聞きますみたいな啖呵を切って病院に1人で行っていたっていうことがあってですね。
1人で病院に行くんですけど、話とかを聞くんですけど、検査をしてその日にちょっと至急違う検査したいから午後まで病院に残れますかとかって言われて、何かあるのかなって嫌な予感させるような対応で。周りがバタついてるっていうのがちょっと分かるみたいな。
岸田 そうね、分かる分かる。
植木 感じをちょっと察して、これ何かあるのかなっていうような、1番最初の時はそんな感じで。その検査を受けて、その後にもう1回検査結果が出るのにちょっと時間がかかるものもあるので別日にもう1回結果を聞きに行くっていったところではあったんですけど、1番最初に行った時にCTと検査とかって全然予約が取れないって聞いてたんですけど。
岸田 そうね、全然予約取られへん。
植木 取れないじゃないですか。すごいすぐ取れたっていうか。
岸田 緊急的に。
植木 ねじ込んだんですよ、たぶん。ちょっとこの日にCT検査をしたいので病院に来てくださいっていったかたちになって、分かりましたみたいな。
岸田 それはちょっと怖いよね。
植木 怖いんですよ。で、色々検査をして、でもまだその時にまだ1人で行ってるんですよ病院には。大丈夫1人で行くからみたいなかたちで1人で行って、色んな検査の結果が出て告知を受ける時も1人でした。
岸田 まじで。
植木 受けた後に、ちょっと詳しいお話を家族にもしたいから、次は家族と来てねって言われた。
岸田 じゃあ1人でその時はもう、色んな検査を受けてその結果報告っていうのを自分で行って受けて、その時に子宮頸がんですってお医者さんから言われるんですよね。
植木 はい、そうです。でも診察室に入った瞬間に、これ何かあるなと思いました。かわいらしい先生だったんですよ、男の先生なんですけど、ちょっと小柄で。
岸田 ちっちゃいって言いそう、ちっちゃいって言いかけた。
植木 小柄でね。
岸田 小柄でね。
植木 小柄でね、ちょっとクマさんみたいな、失礼にあたっちゃうかな、でもクマさんみたいなちょっとふわーんとした優しい先生なんですけど、画面を見ながらちょっと心なしか手が震えてるような。24歳の女性に子宮頸がんという告知をしなければならない先生の心情を考えると、そうなるかーと思いながら。何かあるなと思ったら、がんですっていう告知だった。
岸田 それを1人で受けたときの、植木さんの心境としてはどう。
植木 1番最初の時ってあんまり記憶が残ってないんですけど、でもわりと冷静にそうですかって言った気がする。
岸田 結構、もういろんなこと言われるからね、もうどれがどれか分からなくなってくるもんね。
植木 そうですね。でも、先生はたぶんそんなに詳しく言わずに、次は家族で来て欲しいみたいな。
岸田 来た。そうなんだ、逆にそこはあんまり言ってないのか、じゃあ。
植木 そうですね。で、家族と来てねって詳しいお話をするからっていって、すぐに来て欲しいっていう感じで。ちょっと何日後とかは忘れちゃったんですけど、わりと近くで。
岸田 もう1回診察というか病院に行ったと。
植木 もう1回診察に行ったっていう、はい。
岸田 そして、その後セカンドオピニオンって書いてるけど、ここの病院じゃ嫌だってなったとかそんなの。
植木 いや、そうはならなかったんですけど。
岸田 家族がじゃあ来て。
植木 家族会議になったんですよ。私のちょっと家族って、家族構成っていうかその時の住んでる環境ってちょっと特殊な感じで、私から見て祖母がいて叔母も一緒に暮らしていて私の母もいて、叔母の娘にあたるいとこがいて。
その方が医療事務だったんですよ、一緒で医療事務でものすごい調べたんですよ。がんになったらどうするみたいなことを調べて、セカンドオピニオンっていうのがあるっていうので、ここって病院名出していいんでしたっけ。
岸田 はい、誹謗中傷にならなければ大丈夫です。大丈夫です、普通に大丈夫、ごめんごめん。
植木 がん研有明病院を探してきてくれて、受けないかっていう。その家族会議で出たのが、同じ見解だったらこっちの静岡の病院で手術を受けようよっていうような、受けて欲しいなっていうような話になったんですよね。やっぱり大きな選択をしなければならないので、違う意見も聞いてみたいよねっていう話になって、セカンドオピニオンを受けることにしたっていう。
岸田 そういうことか。
植木 はい。
岸田 じゃあ、1人で告知を受けてその後ご家族で一緒にちょっと先生の診察受けて、その時に手術していこうってなったのね。
植木 そうです、はい。
岸田 そんななかで家族会議開いたら、ちょっとセカンドオピニオンっていうのもあるよといったところでセカンドオピニオンを受けていくと。じゃあ、セカンドオピニオンを受けてみてどうでした。
植木 受けてみて、同じ診断だったんですよ、同じ見解というか先生が同じことをお話してくださったので、これは命を取りましょうって感じでした。
色んなことを考える、その先の人生のことも考えるから、例えば今でいう妊孕性の話だと思うんですけど、子どもを持つ人生になるのかとかって。でも私の時って結構サラッと流されちゃったっていうイメージではあるんですけど、家族の中では色んな選択肢をこれから人生でしなければならないけれども、命がなければ何もできないっていう状況だから、命を取って欲しいよっていう話になりましたね。
進行は早いと思いますって言われたんですよ、若いとがん細胞が活発なので、そのままにしておくと今よりももっともっと悪くなってしまうっていうことを言われて、なので早く選択して欲しいみたいなことも言われてましたね。
岸田 そこで同じ結果だというところで、じゃあ手術していこうと決められていきます、ありがとうございます。
コメントいただいております、ひなつんさんがこんばんはと、同じ頸がんの方の話を聞ける機会嬉しいですということで。
植木 ありがとうございます。
岸田 いらっしゃってます。
植木 同じ方いて、私も嬉しいです。
岸田 そうですね。あとQちゃんさんもこんばんはといただいています。
そんななかで、次ちょっと治療を入っていくということなんですけれども、じゃあ治療から現在どうなっていくかといったところでこちらになります、ドンと、手術。
広汎子宮全摘手術。
植木 はい、全摘出術。
岸田 全摘出手術か。
植木 はい、失礼しました。いつも噛んじゃうんですけど、これ、言えない。
岸田 もう文字のとおり。
植木 文字のとおり、子宮も卵巣も、あとリンパ節郭清っていうんですかね、リンパ節も切除する手術でした。
岸田 していって。その説明とか受けた時とか手術についてとかは、さっきあったセカンドオピニオンとかも受けてたから、比較的安心して治療を受けれた、臨めたって感じ。
植木 そうですね、もうそのまま先生の指示を聞いてそのまま従うっていう感じでしたね。ちゃんとがんのことも全然知らなかったので、勉強するとか本を読むっていう時間もないような感じで物事が進んでいってしまったというところもあって、先生の指示を聞いて受けたというとこですね。
岸田 ごめん、俺もう全然医療知識ないから逆に教えて欲しいねんけど、部分的に取るっていうこともできんかったの、それは。
植木 それは選択肢になかったですね、その時に提示された、部分切除っていう段階ではないって言われました。
24時間つながったままの点滴と、通院中の下痢——「通いはしんどい」と言えるまで
岸田 そうなんや、全部取らんといけんよっていったところで、それで手術をしていって。
その次に、同じがんの方のブログを見つけるってあるけど、ブログをこの時読み漁ってたんやね。
植木 そうです。手術した後ってすごい時間ができたんですよね。手術までってすごい仕事の引き継ぎとか、あと私すごい貧血だったんですよ、不正出血もすごかったんで。なので、手術までの間に鉄剤を内服薬で飲むのと、毎日注射で鉄を入れるみたいなのをやりながら仕事に行くみたいな生活をしてて。
岸田 結構やね。
植木 結構でしょう、結構なのよ。もうすごい忙しかったんですよね、手術まで。もうあっという間に過ぎていって、もう何も考える間もなくもう手術を迎えて、いざ手術終わってベッドの上ってなった瞬間に、もう何もやることもないし1人だし何かにすがりたくなったのかなって思うんですけど、そういう時に読んでいたという。
岸田 なるほどね。同じ方のブログを見つけてちょっと安心したとか、そういった心境的なことではどう。
植木 それはありましたね、見つけたみたいな、その時。ほんとに私のちょっと前を歩んでるような感じで、なのでその人が治療でどうなったかとかっていうのが書いてあったので、それを読んでたっていう。読みながらなんとなくこうなるのかなとか、でも自分はどうなるのかなとか。
岸田 そっか、そういうのを、ちょっと先の先輩のやつを見ながら自分の想像を膨らませていったってことかな。
そして2009年の11月、抗がん剤と放射線の治療がスタートしていくとあったけれども、これ最初っからやる予定やったん。
植木 私間違えちゃったこれ、さっき。すいません、私が間違えてる。
岸田 大丈夫ですよ、今修正してもらったら大丈夫。
植木 間違えてしまいまして、10月に告知を受けて、11月に手術をして、12月に治療についての説明があって、1月に治療がスタートでした。
岸田 抗がん剤と放射線のスタート、治療がってことね。
植木 はい。
岸田 了解です。
植木 ごめんなさい。
岸田 大丈夫です。一旦、けど流れは間違ってないってことやね。
植木 はい、流れは間違えてない。
岸田 流れは間違ってない、いつかっていうのがあれなだけで。じゃあ全然大丈夫です。
じゃあちょっとそういったところで治療がスタートしていくということやけれども、どう、抗がん剤や放射線、最初からやるって決まってた。
植木 手術をして病理検査っていうのが出るじゃないですか。リンパ節への転移っていうのも結構あったので、予後をよくするんですよって言われて、再発予防ってわけじゃないですけど、そういうために抗がん剤と放射線を両方やる方がいいって言われたんですね、先生に。なので、もうじゃあやりましょうって感じですね。
岸田 そうなんやね。
植木 はい。
岸田 そこの治療を、自分の中で折り合いつけながらしていったというふうな。
植木 もう、そのまま素直に受け止めてましたね。もう先生が言うからこれはやろう、みたいな。自分で調べてっていう気力にもなれなかったので、先生が言うならいいっていう治療を受け止めてやろうみたいな。あんまり反発はなかったかもしれないです、抵抗というのかな、治療に対する。仕方ないかっていう。
岸田 そんななかで抗がん剤、放射線って副作用も含め結構色々大変やったと思うねんけど。
植木 しんどいですよ、しんどかったすごい。
岸田 何か印象に残ってることあります、この時の治療で。
植木 印象に残ってることは、24時間流しっぱなしっていう抗がん剤があって、それがもう嫌でしょうがなかったです。短時間で点滴が取れるとかだったらいいんですけど、ずーっと繋がりっぱなしでずーっと体に入ってるっていうのがもうものすごい苦だったのと、自分の尿の量を測らなきゃいけないっていうのも嫌だったし、あと気持ち悪いっていうのも嫌だったです。
気持ち悪いの大っ嫌いなんですよ、そういう吐き気っていうのがすごい苦手で、元々がんになる前から嫌な症状の1つで。だからもう抗がん剤イコール気持ち悪くなるっていうのが脳でイコールなんです。自分の脳がもうそうなってしまって、ものすごい気持ち悪かったです。
岸田 そっか、今やとそういう吐き気止めとか色んなものがあったりとかするかもしれんけど、当時ね。
植木 でもその当時もたぶん緩和させるものもあったと思うんですけど、でも自分はなんとなくムカムカする、ずっと気持ち悪いみたいな感じと、あと体の震えが止まらない時があって。
岸田 震え。
植木 もう、こう震えるんですよ、ビクッ、ビクビクビクッみたいな、なんじゃこれみたいな。でもおくすりの反応ではないか、ちょっとその時はどうなんだろうみたいな。そんなにアレルギーが肌に出てるとかではなかったんで、もう精神的なものかもしれないっていうのもあって、そこもしんどかったですよね。一晩寝れないみたいな。
岸田 震えてて。
植木 震えてて。何かこれ嫌だなっていうのはありましたね。
岸田 そういったものは、抗がん剤終わってったらおさまってはきた。
植木 おさまりました。ビクビクする震えはその日だけだったんで。でも、抗がん剤やる前にかわいらしい先生が髪の毛が抜けるって言ったんですけど、抜けない薬だったんですよ、今となっては笑い話なんですけど。今も割と伸ばしているんですけど、その当時も髪の毛すごい長かったんです。でも抜けるかもしれないと思って、すごい短くしたんですよ。
で、入院したら師長が、何イメチェンしたじゃんとかって言って。いや、先生が抜けるっていうから、えーとかって、この薬抜けないんだけどって、えーなんじゃそりゃと思ってちょっと面白かった。
岸田 まじか。
植木 そうなんです、おもしろエピソードにしてあげてください。
岸田 そうだね、おもしろエピソードでね、今となっては笑い話っていうね。そういう、ちゃんと切ったけども抜けなかったとか色々あって。
放射線治療も毎日通い、それとももう入院した時に全部。
植木 毎日通いでしたね。この時は午前中仕事に行って午後放射線を当てるっていう治療のスケジュールを組んでもらって治療をしていました。最初はわりとこなせるんですよね。なんですけど、だんだんだんだん副作用がひどくなってくるんですよ。抗がん剤の途中から放射線も入っていって、放射線と抗がん剤の両方のダブルパンチが色々重なってきたら、もう下痢が止まんなくってですね。
もうほんとに嫌なんですけど、ほんとに嫌な記憶なんですけど、電車の中でちょっと恥ずかしい思いをしたっていう経験があって。世に出ちゃうけど、もう便失禁があったわけですよ、岸田さん。
岸田 それはちょっと。
植木 もうね、本当に嫌だったので先生に相談しました。もう通いはしんどいって、通いで治療するのはしんどいんですって言ったら、入院しましょうって言ってくださって。
岸田 言えたの偉い、やっぱ。
植木 偉い、言った。
岸田 偉い、ちゃんと言って。
植木 でも結構我慢した、言うまでに。
岸田 そうやんね、我慢しちゃうのよみんなね。
植木 そう、通院で治療できますって言われると、そういうもんなんだって思うから。迷惑かかっちゃうかなとか、病室がよくいっぱいとか待ちですとかってなると、言っていいかなとか。でももう便失禁した時は、言うと思って。
岸田 いや、そうだね。それはしっかりちゃんとこっちも、いやベッドの一枠使ってしまったら申し訳ないなとか色々考えるけどね、いやそこはもう、そこらへんはうまく看護師さんだったり医療者の人たちがちゃんとベッドコントロールをされるから、それはもうぜひ言った方がいいと思うし。
植木 はい、それは思いました。
岸田 便失禁大丈夫、僕も手術した後いっぱいしてるから大丈夫。何のあれやねんっていうね。
植木 いいえ、共感できる方がいてそれはそれで心救われます。
岸田 僕もいっぱいしてきました、ほんとに。便失禁の話、めっちゃハートをいっぱいいただいてます。
植木 ありがとうございます。みんな苦しいですよね。
岸田 24時間の抗がん剤しっぱなしはきついですよねとか、体がビクってなるの無意識で起きたりするので結構苦痛なんですよねっていうコメントも。
植木 はい、すごいあれはちょっと忘れられない感覚でしたね。
岸田 ありがとうございます。その治療をスタートしていき、そしてその次のスライド、2010年4月、職場へ復帰するということで、職場復帰するまで、2009年の11月からやから。
植木 2010年の1月から。
岸田 2010年の1月からやから。
植木 1,2,3月まで治療したんですよ。
岸田 3ヶ月治療して、復帰できたんや、そっから。
植木 もうね、お金がなかったんです。お金のためにもう働くっていう気持ちになりました。手術後個室に家族がありがたいことに入れてくれたんですけど、もう元気になってったらこの個室一泊いくらだろうっていうのが頭の中に入って、看護師さんにここって一泊いくらですかって聞いて、別にウン万円かかるって聞いて、個室じゃない部屋に移動ってできますかって自ら言ったっていう。
岸田 そうだね、やっぱね。1日1日それで積み重なっていったらどれぐらいやろうとか、結構なっちゃうもんね。
植木 そうなんですよ。なのでもう働きたい、お金ちゃんと治療費かかった分ちゃんと働きたいって思いで仕事に復帰するっていう、すごいそこの目標があったので乗り越えられたのかもしれないです。
岸田 3ヶ月で職場復帰して、仕事の話はまた後でも入りますけど、早くなかった体力的には大丈夫やった。
植木 でも配慮をしていただいて、むこうがすごい心配するので、ちょっと午前中から来てみないとかって言ってくださったので、徐々に慣らしていったっていうかたちはあるんですけど。もう気持ち、体というよりも気持ちが働きたいので、なので乗り越えちゃったっていう感覚ですね。
岸田 そう、分かる。やっぱ仕事でちゃんとそのために治療頑張ったっていうふうなこともあるからね。
植木 そうですね、そこもあります。
「また治療費かよ」——27歳の再発、4期の告知とリビングニーズ特約
岸田 そしてちょっとそこから時は過ぎ、2013年8月、定期検査で再発が分かるということで、分かっちゃった。
植木 分かっちゃった、そうなんですよ。CT検査をだいたい半年か3ヶ月かに1回やっていて、そのCTの検査と腫瘍マーカーの値が結構いきなりバーンって上がっちゃったんですよ。
岸田 じゃあもうその値がバンって上がった時に、医療者から何て言われるの。
植木 医療者から、ちょっと数値が悪くてですねっていう…これはちょっと再発の疑いがありますみたいな感じで。
岸田 その時1人やんね。
植木 その時はね、母親がいたかもしれない。今でもたまに付いてきていただくので。すいませんちょっと大人げない部分があるんですけど、告知の時に自分がいなかったっていうことが母の中でちょっと悔いることだったようで、一緒に話を聞きたいって言ってくださってわりとついてきてくれていた。一緒に病院に来てくれていたっていう。
岸田 そっか、そこでじゃあ実際に再発って分かって、どう、自分だったりとかお母様だったりとか、どういう思いというかどんな感じでした。
植木 母は治るって、大丈夫また治るって言ってて、私は、えーまたお金かよって思って。
岸田 そっちが。
植木 また治療費かよと思って。前にかかった治療費も十分に返すことができてなくって、仕事始めた時に10年から3年間ってもう遊びも頑張ったんですよ。すいませんね、遊びも頑張りたい年齢で。
岸田 大事、うん。
植木 楽しみにもお金も使うから、ちゃんと貯金がうまくできてる状況じゃなくって、どうしようまたお金かかるじゃんと思って。もうお金ですよね、90%ぐらいお金のこと考えてる、お金とか仕事とか。もうやっとまたみんなとお仕事できてきてるのに、また違う生活になっちゃうの、えーみたいな感じでした。
岸田 そっか、じゃあ再発のがんの大きさがどうこうっていうよりも、いやお金かかるわとか仕事どうしようとか、そっちの方にもう気がいっちゃったってことね。
植木 そうです。
岸田 それをもう如実に書いてくださってるのがその翌月、金銭的な面で治療を難しいと伝えるっていう、伝えちゃってるっていうね。
植木 先生に、そう。治療はちょっと今の金銭状況じゃできませんって私が言ったんです。ちょっと治療が長引くって言われたんですよ、終わりが分からないって言われて。もうその言葉に、終わりが分からないってどういうことやねんと思って。でもずっとずっと治療費がかかる生活なのみたいな。
手術の時はここで終わるみたいなのが分かってたから受けようって気持ちになったんですけど、もうその時は仕事も難しいだろうなっていうのはちょっとなんとなく思っていて。また迷惑かけちゃうの嫌だと思って、それで素直にもうちょっとすいません長引く治療だとなおさらできないですって。でも先生は、いやこのままほっとくのはちょっとだめなんですっていう感じですね。
岸田 それで説得を受けてっていう。ちなみに再発見つかった時にどこに見つかったの。一応子宮は全部取ってるわけよね、全摘してるわけよね。
植木 子宮は取っていて、傍大動脈リンパ節転移っていう診断名だったんですけど。色んなリンパがあるじゃないですか、体の。CTの画像を見たら、色んなところが白いんですよ
岸田 えっ。
植木 白い斑点みたいになってる、点々ってなってるのががんですみたいな感じで、色んなところにある。だから局所的に手術で取るっていうのはかなり難しいって言われたんですよね。
岸田 ってことは、いろんなリンパ節に転移してたってこと。
植木 そうですね。でもその傍大動脈の側ってことなのかな、のちょっと胸部レントゲンみたいな、腹部から上のレントゲンでちょっと白っぽく見えるのががんだよみたいなこと言われて。
岸田 いや、そこでじゃあすぐに金銭的に難しいですよ、すぐに治療をって説得を受けて、そこからどうしたんですか。
植木 そこから、家族はやっぱ治療をして欲しいって言うんですね。家族だからお金の心配なんてしなくていいのって、あんたはしなくていいから治療を受けてって言われたんですけど、だけど難しいよと思って。
私母子家庭で母にずっと育つまでたくさん迷惑もかけて、ちょっと色々働けない時もあって、がんになる前もちょっと働くっていうことに向き合えない時期とかもあって、なかなか申し訳ないっていうところがあったんですけど。その思いがあるから余計に、もうこれ以上迷惑かけたくないっていう気持ちがつのってしまって。なんだけど、でももう家族の思いに負けてちょっと治療を開始するんですよ。
最初の手術とか抗がん剤治療の時も、高額療養費制度っていうのがあるっていうことをいとこが調べてきてくれて、ちゃんと手続きをしたので1ヶ月だいたいこのくらいで済むっていうようなおおよその額があるから、そこでできるから心配しないでいいって言ってくださって。自分の中でも多少の貯蓄はあったから、とりあえずこのお金が尽きるまで治療してみるか、みたいな気持ちで治療を受けるっていうことになったんですけど。
その時に、入院した時に同じ近くの病室になってお話をした方に、色んな方法を教えてもらうんですよ。がんになると障害年金っていうのが取得できる場合もあるとか、色々審査は大変だけど治療費が大変、生活が大変ってなったら生活保護を受給するって選択肢もあるとか。あと保険入ってるって言われて。この話も出しちゃまずいですね、まだ。
岸田 けどいや、後でまた話聞きますけど、今の流れで大丈夫ですよ。
植木 がん保険ではなかったんですけど医療保険には入ってて、そこから少し工面してもらってる部分もあったんですけど、状態が悪かったらリビングニーズっていうのがあるよとかって言われて、なんじゃそれと思って。余命宣告、その時されてるんですよね。されてるっていうか、だいたい再発の時に私のってどのくらいですかみたいな、4期だったんですよ。
岸田 そうなんや。
植木 4期だったんで。
岸田 最初は1期やったやんな、最初の時はね。
植木 そう。で、再発の時が遠隔転移って心臓より上にがんが転移すると、それだけでグレードが上がるんですって。無治療でいくとですよ、だから浅はかな知識ですね、そこの先生の言葉だけ受け取ってるからそういうふうに認知しちゃってるんですけど、再発時が5年生存率が5%以下で、予後が1,2年って言われたんですよ、診断時。
だからもういいじゃんって思ったんですよ、もういい、人生いいよみたいに思ったからもう色々向き合えないっていうのもあったんですけど。でも、そういう診断だったので、これ使えるんじゃねと思って先生に相談してみたら、適用しますって言われて。それで、まとまった何百万っていうお金が入ったんですよね。
岸田 そしたら、ちょっとでも治療費の足しになりますもんね、全然。
植木 そうですね。よくなるためにっていう感じではなく、とりあえず受けるかみたいなぐらいの気持ちで。
岸田 じゃあそれでお金面の工面はちょっとましになった。
植木 できた。
岸田 できたってことか。
植木 はい。
岸田 じゃあそれで治療を受けていきました。次のスライドこちら、抗がん剤治療スタートしていって、速攻アレルギー反応が出ると。
植木 アレルギー反応、そう。私全然お酒飲めないんですね、すぐ気持ち悪くなっちゃう、元々。タキソールだったかな、アルコールが入ってるから酔ったような感じになるみたいに先生にも言われてて、そしたらもう速攻で頭皮っていうのかな、顔からつま先までが全部赤く腫れ上がってしまって。これだめだ、これだめなやつだからちょっとストップしますみたいになって、ちょっと1回お休みをしてすぐ薬が変わって。2回目の薬は自分に合ってたので、それのお薬でずっとちょっと治療が続けられたっていうところがあります。
岸田 アレルギー反応が出て違う抗がん剤にしてやっていたということだね。それは経口って飲むやつなのか、それとも通って。
植木 点滴です。
岸田 点滴で。
植木 はい。
岸田 点滴でやっていくタイプっていったとこ。その時はもう通いで、通院で。
植木 そうですね、通院で治療してました。最初だけ入院するんですよね、最初だけ入院して大丈夫だったら通院でみたいな。
岸田 そうね、最初反応を見るからね、数日入院して。
植木 はい、そういうかたちでやってました。
岸田 そして2014年4月、治療をしながら海外旅行にも行くと。いや、いいと思いますこれは。
植木 お友だちが誘ってくれたので、グアムに行ってきました。
岸田 いいっすね。
植木 はい。本当は治療中ってあんまりよくないんですよね、たしか行くの。でも先生が、もしかしたら最後になっちゃうかもしれないと思ったのかしら。
岸田 行ってきていいよと。
植木 行ってきていいよって言ってくださって、気晴らしにもなるんじゃないみたいな。リビングニーズいただいたからね、ごめんなさいね、そういうのにも使いました。
岸田 いや大事よ、いやそういうためにやっぱ、その後の自分の生活の質というか心の質というか、それも大事やからね。
植木 でもそういうことで使ってるから後に苦しむんですけど、自分が。
岸田 そうなの。
植木 そう、そうなの。
岸田 ちょっとそれまた後でじゃあ聞こうと。そして2014年海外旅行行って帰ってきて、そして次のスライドこちらになります。リンパ節増大。これはリンパ節にあるがんが増大してたってこと。
植木 そうです。定期的にCTはやっぱり撮るじゃないですか。その時にちょっと色々と飛んでいたがんっていうのはだいぶ小さくなってたんですけど、食道の付近だけがちょっと見える感じで大きくなったっていうのが先生の目で分かって、そこは他が結構ちっちゃくなってたので局所的に治療しましょうみたいな話になって、2013年の9月から2015年の3月まで抗がん剤治療ずっとやってたんですけど、そこで1回治療が終わって。
岸田 抗がん剤のね。
植木 終わってじゃない、抗がん剤1回やめようっていう、中断しようっていって放射線治療だけにしました、そこから。
岸田 放射線治療は大きくなっている食道付近のリンパ節だけ。
植木 はい、だけに当てたっていう。
岸田 それはどれぐらいやりました。
植木 1ヶ月ぐらいですね、だいたい。
岸田 1ヶ月ぐらい食道付近のリンパ節に照射して、その間にオレンジティさんっていう患者会に参加されるということなんですね。
植木 そうですね、色んな心の悩みで色々悩み始めてたんですよ。やる気がなくなっちゃってたかな、生きるっていうところになかなか気持ちが全然向いてない時期で。なので、塞ぎ込んでるから色んな人と話してきたらいいよって言われたりだとかしてですね、ちょっと行っておいでみたいな。
あと、社会と交わった方がいいって言われて、ちょっと体もだいぶ動けるようになったから、働くっていうことも視野に入れたらいいんじゃないのみたいなことも言われつつ、行って。だけどそういう気持ちにはなれなくって。
社会参加するにはボランティア活動っていうのもあるよって言ってくださって、熱海市に住んでたので熱海市役所に行ってボランティア活動ありませんかって言ったら、いや女性のがんの患者会とかってあんだけどとかって市の担当者の人が言って、ここだよ、ここにしなとかって言われてその人が電話したっていう。ここ行ってきなみたいな、半ば強引みたいな感じで。
岸田 もうここ一択、みたいなね。
植木 もう行っておいで、みたいな、そんな感じで。
岸田 そちらがオレンジティさん、ちょっと画像が見えますかね、こちらですね。
植木 はい、繋げてもらったんです。
岸田 そんな感じで繋げてもらって行ったと。
植木 そう、その時はよかったですね、電話してもらえたので。自分で電話するって結構ハードルがあったと思うんですけど、第三者がちょっと道を作ってくださったので。
岸田 そっかそっか、その時行ってみてどうでした。
植木 行ってみてね、もう行けないって思った、ごめんなさい。でもオレンジティのみなさんにも言ってる。眩しい、なんだこの人たち眩しいって思って。すごく病気してる人なのかなって思うくらい、私からすると美しく見えたんですよ、すごく。
すごく綺麗にしてるし、生き生きとしてるといいますか、エネルギッシュな感じ、エネルギーを感じたと同時に自分は行けないって思いました、その時は。心が塞がってるから、そう思っちゃったんですよね。
岸田 色んなタイミングでやっぱ浮き沈みあったりとかしますしね。それでオレンジティに参加するが、もう。
植木 またどうしても頼りたいっていうところに。
「治っちゃった、どうしよう」——転移が消えたのに、悪い状態のほうがよかった
岸田 その後、2015年5月、全身の転移が消えるということで。
植木 はい、そうなんです。放射線治療の時に抗がん剤おやすみしてたんですけど、抗がん剤をお休みしててもがんが大きくならなかったので、先生がここで一旦治療を中断して経過観察でいいでしょうっていう。
岸田 素晴らしい。
植木 診断結果で。
岸田 その時の心境どうでした、やったーって感じ。
植木 やったーじゃないんですよ、治っちゃったどうしようっていう。
岸田 えっ。
植木 そうなんです。すごくそこが複雑、すごく複雑なんですよ。この時ってだいぶ体がいいので、患者会に参加するっていうのもどっちかっていうとポジティブな感じなんですけど、放射線治療したじゃないですか、食道の。悪くなった時に、もう悪い状態の方が自分はいいからよかったみたいな、悪くなってよかったみたいな感じになっちゃったんですよね。
岸田 どういうことどういうこと、悪くなってる方がよかったの。
植木 悪くなってる方が、何もしなくても家族も周りも何も言わないじゃないですか。働きなよとか外に出なよとか言わないから、悪い方がいいって思ってたんです。
岸田 逆に言うと、治療さえしておけばいいみたいな、悪い時は。
植木 そうです、そういう感じですね。ものすごい複雑な感情で、もうその時は嫌ですね、すごく嫌だ。今もうほんと絶対戻りたくない、その時に。
岸田 ほー、なかなか。
植木 なかなか、治ってよかったねじゃなかったんですよね、だから苦しかったです、岸田さん。
岸田 いや、なかなか。だいたいっていうか、もう治ったイコールよっしゃーみたいな、これからハッピーみたいな感じのを勝手に。
植木 そう、次の人生みたいな。
岸田 そうそう、第二の人生ゴーみたいな感じでちょっと考えちゃうけど。そっか、植木さんの場合はもう、うわ治っちゃったどうしようって感じか。
植木 30歳になった時なんですよ、30歳になる年なんですよ2015年って。30歳で子ども産めません、恋愛できるか分かりません、仕事してません、色々できません、どうやってこの世で生きてくんだいっていう。で、お金ないよみたいな。
さっきリビングニーズ、死ぬ、もしかしたら命が終わるかもしれませんっていう人に出るお金なわけなんですよ。そのお金をいただいたのに生きちゃった自分みたいな。だから、そういう気持ちの変換をしてしまったんですよ、生き残ってしまった自分っていうか。死ぬんじゃなかったのかっていう。
岸田 そう思っちゃったってことね。
植木 そこがね、すっごく、自分が気持の整理が全然できなくって、そこの。それがすごい苦しかった。
岸田 いや、それはね。そっか、生き残っちゃった自分っていうことで、ちょっと苛まれていったんですね、そっからね。それは今後復活するきっかけはちゃんとあるんやな。
植木 あったんですよ、この後です。
岸田 よしよし、じゃあちょっと期待して次見よう。よし、じゃあ次こちら。
植木 でも崩壊するんだ。
岸田 母親の言葉に精神崩壊するって、崩壊してる。
植木 これね、お母さんは、母は心配しますよね。私を励まそうと思って一生懸命頑張ってくれるわけですよ。
岸田 そうね、そうだね、もう家族やからね。
植木 社会に出てみたらって、働いてみたらって言うんだけど、もうそれができないわけですよね。それができないんだってって思いながらそんなこともぶつけられないので、もうそこで閉ざしちゃうわけです、私は。閉ざすことでしか、その時の感情をみんなに分かってもらう方法がなかった。
岸田 そっか、それでもう自分をグッと閉じて。
植木 もうグッと閉じて。ほんとに汚いんですけどね、もうお風呂とか入れないですよ。これもすいませんって思いでいるんですけど、生きるっていうことに必要なことをしたくない自分がいて。でも、トイレはちゃんとしました、トイレはね。
岸田 よかった。そこはちょっと違う、成長したポイント。
植木 ちゃんとしてた。でも、食べることとか自分を清潔に保つこととかそういうことをしたくない自分がいて、先生に会う時は、診察の時は汚い体じゃ悪いなと思うんで1週間ぶりとか下手したら2週間ぶりにお風呂に入るみたいな生活をしてましたね。カップラーメンしか食べないんですよ。
岸田 だからもう、生きることに半ば放棄しちゃってって言い方あれかもしれないけど、そんな。
植木 そうですね、そういう感じでしたね。
余興の招待状と「またね」の一言——2度目のオレンジティから、経過観察9年目のいままで
岸田 そんな精神状態から2015年の10月から11月にかけて、友人の結婚式の余興で自分を変えようと思われたと書いてますけど。
植木 もういっぱいすごく引きこもってると、もうこの生活はだめだってやっぱり思ってくるんですよね、だんだんだんだん。そういう思いと一緒に友達、私は親友だと思ってるんだけど、むこうも思ってくれてるといいな。
岸田 親友やと思うよ、大丈夫大丈夫。
植木 が、招待状が届いて、余興をお願いしますって書いてあるわけですよ。
岸田 もう親友にしか頼まれへんわ、余興は。余興は親友だけや。
植木 後々聞くと、もう一か八かだったって言って。この方法じゃないと私を外に連れ出すことができないって思ったって。4人で仲良くさせてもらってよく遊びに行ったりしてたんですけど、1人の子が余興お願いねって招待状送って、他2人の子が私を外に連れ出すっていう日々を送ってくださっていて。
私10月が誕生月なんですけど、2015年の10月1日から、今植木朋子なんですけど、その時は小磯朋子は変わりますっていう、自分で決めた、もう。どんなことがあっても変わるんですっていうので。
すごくありがたいことに精神腫瘍内科の看護婦さんなのかな、私の診察の時看護婦さんがトレードしてたっぽいんですよね。普通の外来の看護師さん、一般的な外来の看護師さんじゃなくって。ちょっとそういうところにも頓着がなくてあれだったんですけど、必ず同じ人で必ず何かあったら電話してね、またねって言う人なんですよ。
この、またねってすごいなって思うんですけど、私が違うところに行かないようにしてくれたかなって今では思うんですけど。
岸田 そういう言葉1つで、ちゃんとまた来るんだよっていったところで。
植木 そう。何かあったら電話ねっていうのは頭に入ってて、でもしつこいなって思ってたんですよ。毎回毎回うるさいなと思って、ごめんなさいと思って。その先生も精神腫瘍内科の先生もごめんなさいって、心理の先生もごめんなさいっていう感じなんですけど、いっぱい話聞いてもらってるんですけど、うるさいな、いいいい、あなたたちに話しても無理ですとか思ってたんですけど。でも、元気になりたいって思った時はその人に電話して。
岸田 大事、大事。ってことは、それは主治医の先生と別に精神腫瘍内科の先生がいたってこと。
植木 精神腫瘍内科じゃないか、何科になるんだろう。
岸田 けど、心理士さんがちゃんとついてくれたってことね。
植木 そう、ついてくれてて、そこの看護婦さんが窓口になってくださっていて。私の母のケアとかもその看護婦さんがしててくれてたんですけど。で、その人に電話をして。いつも電話のメモ紙みたいなのを渡してくれてた気がする。それであるから、すぐ電話ができたっていうか、面白いなと。ちゃんと自分もとっておいてあって、そこに電話しようと思って。
岸田 じゃあ毎回そういったところを、ちゃんと電話してねっていうことで。その時はうっせーなと思ってたけど、ゆくゆくそれが役立ったりとかしたってことか。
植木 そうなんです。
岸田 そして患者会、オレンジティさんに再度参加もしていく。
植木 はい。1回参加した時にもう行けないって思ってしまったんですけど、でももう一度人生をやり直すってなった時に、もうここにお願いするしかないって思って。もう頼る気持ちで電話をして、もう1回参加させてもらったっていう。
岸田 どうでした、参加してみて、その2回目の参加は。
植木 すごくね、ほんとに救われました、ほんとに救われた。その2回目の参加した時に、もう色んなところから色んな汁が出た。それは知ってるスタッフは今でも言うんですけど。
死にたいって思っちゃったんだって、生きていたくないって思っちゃったんだっていうことを初めて話した、人に話したのがその時で。うんうんって聞いてくれるんですよ、そうかそうかって、苦しかったよねって。なんでそういうこと思うのとも言わないし、否定せずに苦しかったよねって聞いてくださって。
こういうことって話してもいいんだって思えて。そしたら不思議なんですけど、何かがポーンって、ちょっとここらへんにグワーっていたのがちょっと出たっていう感じがして。また色々言い忘れちゃったことがあるんですけど、オレンジティの方からも1番最初に参加した時に、たぶんまたねって言ってもらった、また会いましょうねって言ってもらって、また導いてくださったなって思って。
岸田 その言葉があったから、また参加できたっていうこともあるんですね。
植木 泣いちゃだめなんですけど。
岸田 いや、全然いいと思います、全然自分の感情大事だと思うので。いや、またコメントでも来てますね。やっぱ、またねの意味が深いですねっていうコメントもやっぱ来てて、それはやっぱ、Qちゃんさんも、私も患者会に参加するのは勇気がいりました、当時ねっていうことだったりだとか。
あとひなつんさんも、親御様の心配とお金の心配とか尽きないですよねっていうコメントもいただいております。そこでやっぱ再度参加して、すごく聞いてくださって自分の心が少しでも和らいでいったということですよね。
そしてその次のスライド、こんな感じとなります。就労移行支援事業所に通う。働いていこうみたいな感じになっていくんですかね。
植木 私ちょっとがんと一緒に精神疾患も患ったっていう経験があって、福祉サービスを使えたんですね、その時に。自立支援医療っていうものを使っていたんですけど、それがあると就労することに困難である方が就職するための訓練を受けられるっていうところに通わせていただくことができて。
でもそこからすると、私、がん患者って結構異例で。なかなか障害者手帳を持ってる方の方が雇用率の問題があるので、障害の枠で雇用ができるっていうようなところで。私の場合は障害者手帳を持っていなかったので、ちょっと異例ではあったんですけどそこで訓練してみませんかっていうかたちで繋げていただいて就職叶うっていう。
岸田 障害者手帳とか持ってたらそういう枠があるからそこに行けると思うんですけど、ここの時は就職スムーズにいきました一応、どうでした。
植木 通っていたところで一緒に働いてみませんかってお声をいただいて、これもありがたい御縁だなと思ってそこで今も働かせていただいてます。
岸田 福祉施設のたしかに職員って書いてあったの、そういうことか。
植木 はい。
岸田 ありがとうございます。そしてオレンジティのスタッフにもなっていくということなんですね。
植木 2016年の終わりぐらいか、2016年ぐらいから少し関わらせていただいていたんですけど、2017年からAYA世代の患者さんのグループ、オレンジブロッサムカフェっていうんですけど、それを立ち上げようみたいなことを企画してくださって、そこでメインスタッフで。今日そのTシャツも着てるんですけど。
岸田 そのTシャツなんですね。
植木 はい、ミカリちゃんっていう鳥なんです。オレンジが描かれてるんです。
岸田 たしかにオレンジ色の。
植木 未来、希望、ミカリちゃん。
岸田 そういうコンセプトというか、あれがあるんですね。
植木 はい。
岸田 じゃあ改めて、ちょっとオレンジティについて、オレンジティさんの画像出ますかね。ありがとうございます。改めてちょっとオレンジティさんの紹介を簡単にいただけますでしょうか。
植木 はい。認定NPO法人オレンジティということで、女性特有のがん体験者の方を応援するセルフヘルプグループとなってます。
ここに書いてあるかな、あなたの描くライフデザインを応援しますっていうことで、私も生活していくっていうことが苦しくなった時にお話をさせていただいたりお話を聞かせていただいたりしながら折り合いをつけていくっていうわけじゃないですけど、日々を過ごしていくっていうののサポートをする会になっております。今は色々なプログラムもあって、若年の会なんかもあります。
岸田 これは静岡県の活動になるの、それとも全国の人が集まっても大丈夫なの。
植木 コロナ禍になってオンラインになったことで全国の方が足を運びやすくなったっていうところはあるんですけれども、静岡と東京を拠点として主に活動しているというかたちになります。
岸田 ありがとうございます。もし興味ある方はまたちょっと検索してみてもらえたらなということを思います。
そしてまたちょっと戻っていくんですけれども、その後、ご主人と出会われて。これに関しては恋愛、結婚のところでまたちょっとお伺いしたいと思います。そして経過観察9年目ということで、今過ごされているということですね。
植木 はい。
岸田 今はもうほんとに経過観察のみって感じですか。
植木 そうですね、半年に1回の定期検査で過ごしているというとこです。
岸田 ありがとうございます。いや、もうめちゃくちゃ色んなことをちょっと聞いてきたんですけれども、その時、ちょっと今から写真をいきたいと思うんですけれども、ちょっと、はい。
植木 派手。
岸田 写真、こちらになります。これは何、これ1番右ですよね。
植木 はい。
岸田 これは何の時の写真。
植木 1番左の子が余興の手紙を出してくださって、真ん中の子は一緒に余興をやっております。
岸田 これ治療前、がんになる前の画像ですよね。

植木 はい。がんになる前の写真がちょっと写真不足と携帯のメモリ不足で、ちょっと治療後なんですけど若いっぽいのを探してきました。
岸田 ちょっと治療後の時のこの写真という。
植木 すみません。
岸田 全然大丈夫。そしてその次こちら、こちらはもう治療中。
植木 これは再発した後だね。病室で誕生日ケーキ持ってきてもらって、祝っております。
岸田 これ再発した後。左側も。
植木 はい、再発したすぐ後にディズニーランドに。やっぱディズニーは好きですね。ディズニーランドに連れて行ってもらっている写真でございます。
岸田 ありがとうございます。ほんとに治療していた時、誕生日を病室で過ごすとかなかなかちょっと心に辛いものもあるかもしんないけど、こうやって友達が祝ってくれたらまた違うよね。

植木 そうですね、この時はピースしてますね。
岸田 この時は。
植木 ピースしてます。
岸田 そして治療後の写真が次こちらになりますかね。
植木 はい、これは最近ですね。オレンジブロッサムカフェを一緒に色々やってくださってる、きりちゃんとの写真です。
岸田 右がきりちゃんとの写真っていうような感じで、一緒にオレンジブロッサムカフェをしている。
植木 はい、いつも支えてもらってます。
岸田 ありがとうございます。そして左側は。
植木 昨年家族で、母と叔母とディズニーランドにすごい久しぶりに行ってきまして、その時の写真です。
岸田 すごいですね、ディズニー3連チャンですね。
植木 そう、ディズニー3連チャンにしてみました。
岸田 ありがとうございます。これが今の写真というかたちとなっております。ちなみにコメントも来てます。そのさんが以前ネット記事で拝見していたので、お話リアルに聞けて嬉しいですと。
植木 ありがとうございます。
「うちの家族のいいところは落ち込まないんですよ」——気丈に振る舞ってくれた家族
岸田 じゃあここからちょっと各項目に分けてお伺いをしていきたいと思います。まず、家族、親、兄弟といったところなんですけれども、お母様が1番最初の時は、がん告知の時は1人で行って、その後お母様に伝えられ。再発した時はお母様と一緒に行ってやったりとかをすると思うんですけれども、ご兄弟はいらっしゃるんですか。
植木 はい、姉が1人います。
岸田 そのご兄弟との関係だったりとか、お母様と一時期ちょっと色々あったということを思いますけれども、その時の、今はどうなのかだったりちょっと色々。まずお姉様のことについてちょっとどうでしたでしょうか、当時。
植木 姉は結婚をしてもう別で暮らしていたので、子どもがまだ小さかったので子育て真っ最中っていう感じだったんですけど、いい意味でケロッとしてくれてる姉というか。落ち込んじゃうっていう、きっとね、私の目の前じゃないところではどう思ってたかっていうの分からないですけど、気丈に振る舞ってくれる姉で。普通にいつもどおり接してくれる姉だったので。
でも子ども連れて病室に遊びに来てくれることもあったし、そういう面でコミュニケーションというか話し相手としてすごく助かった存在です。
岸田 ありがとうございます。そしてお母様とのご関係といったところなんですけれども、1番はじめにお母さんにがんと伝えた時は、2回目は頑張って治療していこうよっていう感じだったと思うんですけど、1回目の時はどうだったんですか。
植木 1回目の時。1回目の時は割と色々協力してくださって。うちの家族のいいところは落ち込まないんですよ。落ち込んでるかもしれないんだけど、気丈に振る舞ってくれるっていうか。患者の当事者が、家族のほうが落ち込んでしまってもう大変っていうことも聞いたことがあったりするんで。でもそうじゃなかったから、わりと淡々と生活をしてくれるっていうか、で、サポートもしてくださってっていう感じですかね。
岸田 じゃあ1回目も2回目も、反応自体はそんな変わらんかったって感じか。
植木 私の気持ちも動転してるからっていうのもあるのかもしれないですけど、わりとフラットな感じでいてくださったっていう。
岸田 ありがとうございます。そして叔母さんの存在もいらっしゃったと思うんですけど。
植木 そうなんです。家族で、母と姉って言ったんですけど、いとこと兄弟みたいに育っていて。私の母から産まれた子どもは私と姉なんですけど、叔母から産まれたのが1番上に兄がいて2人姉妹、姉、姉って三兄弟。
いとこの1番下のお姉さんが一緒に2世帯みたいなかたちで住んでいて、なのでそのいとこの姉にはすごく今でも影響を受けるというか、すごく支えになる。心の支えであり人生の先を行く人、お手本ってわけじゃないですけど学ぶことがたくさんある姉で。なので、2人兄弟なんだけど5人兄弟で育ったっていう感覚。歳の離れたお兄ちゃんお姉ちゃんがいるっていう。
岸田 じゃあそのお兄ちゃん、お姉ちゃんたちもサポートしてくれたって感じかな。
植木 そう、してくれましたね。1番上の兄も、自然薯、とろろの芋、山芋。それががんにいいって調べてくれて、畑で育ててくれてそれを食べてた。1番下だから、みんなに甘やかされた。
岸田 そうか、たしかにそういうこともあるあるだったりとかしますよね。
植木 みんながいつもいつも気にかけてくれた。真ん中のいとこの姉は東京にいたんですけど、何かある度に声かけてくれたりだとかして。みんなが気にかけてくれてるなっていう、すごく伝わってきました。
岸田 自然薯とかとろろも健康にはいいのであれなんですけど、がんに効くかどうかって言われるとちょっとまた別かもしれないですけど。
植木 免疫力とかなのかな、体にいいよっていう。
岸田 そういう意味だよね。
植木 そうそう。
ドライブの帰り道に全部話した——無言になった車内と、その後に届いた「話してくれてありがとう」
岸田 ありがとうございます。で、親兄弟にも支えていただいてといったところで、そしてその次がこちらになります、恋愛、結婚とようやくきました。
植木 ようやくきました、はい。
岸田 ようやくきました。いや、もうがんになられて自暴自棄って言ったら失礼にならない、大丈夫ですかね。
植木 大丈夫。
岸田 大丈夫ですか。ちょっとね、自分がもうどうしていったらいいのってなった時に、もう恋愛や結婚とかその時考えれなかったじゃないですか。
植木 はい、そうなんです。
岸田 そっからどのような経過を辿って、恋愛やご結婚までいかれるのかなっていうのはほんとに、たぶん配信見てくださってる方みなさん興味あると思います。
植木 それはですね、もう脳をイエスに変えるっていうマイルールがあったんですよ。人生やり直すぞってスタートをきった時に、自分がちゃんと歩んでいけるようにってわけじゃないですけど、自分の目の前に来たものっていうのが、今までの自分だとこれは無理だって思うものはもうノーです、無理ですっていうふうに言ってたんだけれども、そうじゃなくってチャンスを掴んでいこうって思って。
目の前に何かが来たら、嫌だなこれ無理だって思ったやつはとりあえず全部イエスっていう。極端、私極端なんですよ。で、進んでいった結果が今です。
岸田 もうすごい、振り切りましたね。
植木 そう、振り切りすごいですよね。その振り切りはどうやって来るんですかって言われるんですけど、もうそうやって決めたからそうなんですって感じ。
岸田 それはもう、じゃあ結婚式の余興の後から、もうそういう感じにしたっていうことね。
植木 そうですね、それも無理だって思ったけどやったから、もう全部やるぞみたいな。
岸田 いやもう恋愛無理だじゃなくて、恋愛やるぞっていうふうな感じで。
植木 そう、だから無理だだから何かやるかみたいな。ありがたいことに、色んなコミュニティに参加させていただいて、ゲームのコミュニティで知り合った方なんですけど。
岸田 めっちゃいい。
植木 ね、めっちゃいい。共通の趣味が今でもあるっていうのが、そこはありがたいなっていうところで。そこのコミュニティでリアルに会うオフ会みたいなのがあって、私も主人も共通の知人みたいにあたる方がちょっと間に入ってくださったっていうのもあって、いいんじゃないのって背中を押してくれるっていうこともあって。
いい雰囲気じゃんみたいな、いい感じ、似たような感じというか、ちょっと自分よりも年上の方の視点っていうんですかね、が見た感じでいいじゃんって言ってくださったこともあって。
岸田 お付き合いをするようになって。そしてご結婚に関するエピソードは、先程のペットの。
植木 そうですね。私の病気のことを相手にも伝えてくださってたんですね。主人が連絡のやり取りをしたいっていうふうに言ってくださった時に事情を話してくれたんですよ、私のことを全部知ってる方だったので。
なので、責任ってわけじゃないですけど、ちゃんと意思がなきゃ教えられないみたいなこと言ってくださって。主人も1回ちょっと考えますって言ってくれて、考えた結果連絡をやはり取りたいから交換して欲しいっていうのを伝えて欲しいって言ってくれて。ゲームのミッションを一緒に計画して実行してくださったんですよ、今の主人が。
岸田 どういうこと、どういうこと。
植木 レベルアップするのに街なかを歩いたり色んな人と協力して、陣地取りゲームみたいなやつなんですけど、それで協力してくれて。
岸田 そのやつを、一緒にゲームを考えてくれた。
植木 レベルアップするための攻略っていうんですかね。
岸田 自分がね。恋愛がっていうよりは。恋愛が。
植木 恋愛じゃなくて、ゲーム。
岸田 じゃなくて、自分の。
植木 ゲームのミッションみたいなのを一緒にやってくださった時に、一緒に2人でいることがすごく多かったんですよ。
岸田 じゃあ本物のゲームのミッション。
植木 そうそう、本物のゲームのミッション、ごめんね、日本語が。
岸田 いやいや、僕の理解がすいません。本物のゲームのミッションをこなしていかないといけないのを、一緒にちょっと考えてくれて。
植木 やって、ちょっと色々話すきっかけとかも増えて。
岸田 それで一緒にいることも多くて、いいかなっていうふうなところで。
植木 ドライブに行った時に、ある程度は病気のことを話してくださってたんだけれども、もう今日だって思って。箱根だったかな、ちょっとスイーツを食べに行こうみたいにロングドライブの度に、出かけた時の帰り道に病気のことを赤裸々に全部話してみたんですよ。何回か遊んだ後なんですけどね。
で、その帰りの車の中で無言になったんですよ。これはちょっと喋りすぎたかと思って、だめかなって、まずいとかって思ったんですけど、バイバイってなった後の連絡の時に、今日話してくれてありがとうっていうメッセージが来て。すごく自分のことを赤裸々に話してくれて、自分に話してくれたことが嬉しかったって書いてあって。
こうやって受け止めてくれる方なんだなと思って、私はちょっとホッとしたっていう感じで。もしうまくいったらいいなっていうのは思っていて。そのデートのすぐ後に、お付き合い、結婚を前提にいって言われたかな、結婚を前提にお付き合いしていただけませんかって言われて、お付き合いがスタート。
岸田 スタートしていった。
植木 はい。
岸田 それでご結婚するタイミングで。
植木 そう、1年ちょっとお付き合いが続いた後に、私がちょっとサロンにその時通っていたんですけど、そこでたまたま保護猫ちゃんの里親募集してますみたいな張り紙を見つけて、一目惚れ、この子好きだなーっていうインスピレーションがわいて。いいな、一緒に暮らせるとかだったらいいなーって。
結婚を前提にお付き合いって言ってて、今後どうするんだろうっていう気持ちもちょっと持ちつついた時で。どうするのかなって、最初同棲してから結婚するのかなとか、もう結婚して同棲するのかなとか、だからどうなんだろうなっていうのを話してなくて。お互いにどう思ってるんだろうなっていうのを模索していた時に、私が今日サロンでこんな猫ちゃん見つけてさとかって言ったら、かわいいねとかって言って。
ちょっと俺も見に行ってみたいなみたいな感じになって、どうすんのとかって言って、同棲するのとかって言って、どうしようかとかって言って、とりあえず見に行ってみようかみたいな、猫ちゃんをね。見に行ってみようかみたいな感じになって見に行って。でも、その猫ちゃんは何回か足を運ぶんですけどね。
何回か足を運んでいく間にいいよねみたいな、そうだねとかっていう話になった時に、プロポーズをしてくれるっていうところに繋がったっていう。
岸田 ありがとうございます。やっぱそういうペット、猫ちゃんがきっかけで、そして一緒に。
植木 急に、急発進してくれた。
「2人の人生でも楽しく歩んでいけそうだと思ったから」——夫と話した、子どもを持たない選択
岸田 そしてその後、ちょっと恋愛、結婚ちょっと関わるんですけど妊孕性の話といったところで、もう植木さんは子宮を全摘されたっていったところで、妊孕性といわれる子どもを持つ能力っていったところを失われたと言って大丈夫なんですかね。
植木 そうです、はい。24の時に失ったという。
岸田 この時の心境だったりだとか、子どもを持てないことに対する葛藤があるのかどうかだったりとか、そういったところってどうですか。まず当時の心境どうでしたでしょう。
植木 当時は、命を助けてもらったわけだからっていうところは結構強くあって。もうそれは仕方ないっていうところは強かったかなっていう。でも、やはり子どもを産むという人生ではなくなったんだなって思いつつ、でもすごく落ち込むっていう感じではなかった。それがちょっとつい最近自分に元々あった気持ちっていうのが、あまり落ち込まなかったのかなっていうところに繋がってるんですけど。
岸田 そっか。その時はそうで、それを経て今だったりだとか、旦那さんとの会話の中でそういった話があったりだとかっていうとどうですか。
植木 主人との会話の中では、オレンジティの学びの1つとして里親養子縁組の勉強会に参加したことがあって、夫婦でもそういう制度があるっていう話を30代のうちにしておくといいよっていうのをちょっと耳にして。
でもそういう会話って大事だなと思って主人とも話してみたら、主人も子どもを持つということをあまり思い描いていない方っていうか、私と猫たちとの暮らしで幸せに生きてくっていうところが自分はいいと思ってるから、そういうのはちょっと実は考えてないよっていうことを言ってくださって。自分と2人の人生でも楽しく歩んでいけそうだと思ったから私を選んでくれたっていうことも言ってくださって。
私もどうしても子どもが欲しいとかっていうわけではなかったので、里親養子縁組の制度の勉強会に参加させていただいたりだとか、ほぐすネットっていう婦人科がん限定のオレンジティのプログラムがあるんですけど、女性として生きるとか妊孕性とかっていうのを考えるきっかけをいただいた時に、ちょっと元々精神的に自分が弱いんですね、すごく。
なので、自分を認めるっていうか自己受容がちょっと苦手なんですよ、私。それで自分の遺伝子を持った子が、子どもを持つっていうことにすごく恐れを感じる、感じていた自分がどこかにいた、ずっと。だからこの手術をして妊孕性を失った自分がいても、でもいいっていうか。
岸田 自分なりの納得が。
植木 納得というか、そういう人生なんだろうな自分はっていう。これもうすごいYouTubeで話しちゃった。なかなかあんまり言えてない部分で、すごく言いにくいことなんですけど、ちょっとそういう気持ちを持っている自分がいることに気づいた、色んな人と話すとか色んな学びを得るなかで自分の気持ちと向き合った時に、こういう気持ちがあったんだなっていう。
でも、だからこそ今は子どもを持たない人生を選択するというのも1つ生きる選択肢としては受け止めるというか、悪いことではないっていう目で見てくださる世の中にもなってきているので、私はそこに救われている部分かなって。
岸田 いや、ありがとうございます。ほんと赤裸々にそういった気持ちを語ってくれて、本当にもうみんなスマホというかアプリでの拍手というかハートがめちゃくちゃもう今ブワーってきてて。
植木 そう、今緊張してる、話しちゃった。
「ありがとうって言ってもらう側に立てた時に、生きてるって思った」——半日から積み上げた再スタート
岸田 ありがとうございます。そしてちょっとまだありますので、みなさんお付き合いください。そして仕事のことといったところで、当時、ちょっと今のお仕事就かれたところに関してはさっき言っていただいたと思いますし、最初のお仕事も調剤薬局の事務されてた時に社会復帰できたっていうようなところもお話いただきましたけど。
ここではちょっと仕事に復帰するもしくは続けていく時に、これ大変やったなっていったとこって何かポイントあります、続けるもしくは復帰するところで。
植木 1番最初の治療の後は、結構もう勢いがどんどんあったんでスムーズに復帰できちゃったっていう感じなんですけど。再発の時はだんだん仕事をちょっと長期的に休んだりだとか、パートで自分の体調がいい時、抗がん剤治療の合間の体調がいい時だけ来てくれればいいよっていう受け入れ体制がすごくよかったんですよ。
そんなとこないじゃないですか、自分が行ける時だけ行けばいいって。でもちっちゃな調剤薬局なので、他の職員さんがきっとすごく苦しいシフトで動いてるんだろうなっていうのが正社員で働いていた経験があるから分かるっていうこともちょっと苦しかったなっていう。嬉しい優しさとともに、みなさんを苦しめてるという苦しみもすごくあって。
あとは、仕事に行っても以前できたことが忘れていたりだとか、患者さんがもうわかんなくなってるとか、名前と顔が一致しないとか、自分のできないことがいっぱいいっぱい出てきてしまって、続けられないって自分で思っちゃいました。
岸田 そっか、自分でね。
植木 自分が辞めたら新しい人を入れられるわけじゃないですか。あとは自分も仕事に行ってもできない自分が嫌なんですよ。自分の中でこうやりたい、こうやって働いてたからこうやって働きたいって思いがいるのに、悪気はないんだけど、新しい人だ新人さんみたいな感じで、でもそうだよねと思いながら。時々来るんですよとか言いながら、泣いてるみたいな。
岸田 そっか、ちょっとそういうのもね。だからすごくそういう配慮してくれるのありがたいけど、それが自分にとってもちょっと、ウッてくるポイントだったんだね。
植木 そう、苦しくなってしまったっていうところもあって。また次に仕事を探すっていう時も、自分で面接受けてとかって無理って思いましたね。誰か助けてと思って福祉サービスを使えたんですけど、やっぱ気力、30でちょっとあまり資格もないんですよ、すいません資格がなくて働くとこなんかあるのかみたいな。
あと、もう今もそうなんですけど、こなせないですよ、色んなことが。抗がん剤治療やってるとそういうのもあるんですかね。よく言うじゃないですか、ケモブレインってわけじゃないですけど、順序立てて何かをするっていうこととかが、もうできないわけですよ。もう夜に出れないって思いました。そういう葛藤がありました、すごい。
岸田 でもそれを、福祉サービス使ったりだとかそういったことがあったから、なんとかできた。
植木 そうですね。半日から通わせてもらうようになって、できたことを積み重ねていくと、もうちょっとやってみようかなっていう自分が現れるんですよね。これ不思議だなと思って。何か1個やったら次はちょっと、週2回通えたら次の週は週3回通ってみようかなとか、ちょっと時間延ばしてもらおうかなとか。
あと、内職とかに携わらせてもらうんですけど、その内職をしてその日の1日のノルマを達成して、ちょっとやりがいとか達成感とか、人とのコミュニケーションを取ったことっていうのも大きくて。
あとそれはオレンジティでもそれを味わわせていただいたといいますか。社会参加の1つとしていっぱいカバーを、サポートしてくれる体制で誰かとともにコミュニケーションを取りながら啓発活動とかに参加させてもらって、ありがとうって言われる立場になる。私、これが結構大きくて。
いつも、ごめんなさいとかありがとうとか言ってる側だったけど、ありがとうって言ってもらう側に立てた時に、生きてるって思ったんですよね。こういうことかな、生きてることってっていうのを思って。
岸田 ありがとうって言葉ね、ほんとすごく嬉しいですよね。
植木 嬉しかった。
岸田 ありがとうございます。ごめんほんとにあれやねんけど、1回目の仕事は普通にがんの治療に専念するために辞めたっていう認識でいいの。
植木 もう行けないから辞めたっていう認識。
岸田 行けないから辞めたっていうような。
植木 私がごめんなさいって、もう続けられませんで辞めたっていう。もう向き合えなくて辞めてしまったっていう。
岸田 っていうことね、ありがとうございます。ただ、その後、先程のありがとうって言ってもらえるような、そういったところでちょっと。いや、いい言葉やね、ほんとね。
植木 うん、はい。
「そのお金を使ったのに、その先の人生を生きなければならなくて」——リビングニーズ特約のあと
岸田 そして次こちら、お金や保険といったところで。さっき保険のお金、リビングニーズのお話もいただきましたけれども、治療でどれぐらいお金かかっていって、保険がリビングニーズのことだったりとか色んなそういったところでお金がおりたと思うんですけど、ちょっと改めてどれぐらい治療費ってかかってたと思う。別に正確じゃなくていいよ、検証とかしないし。
植木 ウン百万ってかかってますよね、たぶん。ウン百万ってかかってると思うんですけど。
岸田 1回目と2回目でね。
植木 両方で100万単位でたぶんかかってるんですけど、それを1回目は母親がちょうど長年勤めてた職場を退職するっていうので、退職金が入ったんですよね、まとまって。それでかなり補填してくださってっていうのがあって。もう一生孝行、感謝しながら今は恩返ししながらっていうところなんですけど。
あとは医療保険には入っていたので、入院すると入院の日付によっていくら入りますとか、手術の時だけ手術はまとまってちょっと入りますみたいなのもついてたのでそこに助けられてはいたんですけど。がん保険じゃなかったので、がん保険だと一時金とかがおりるとかって聞くので、そういうのがなかったから結構苦しかったなっていう感じですね。
岸田 そして再発した時は、先程のリビングニーズのもので数百万おりて。
植木 そうですね、おりて。そこから生活費とか色んな手続きに必要なお金とかも払ったりだとか、治療費を払ったりだとかしてました。
岸田 プラマイでいったら、プラスになりましたかね、その時は。
植木 お金。
岸田 お金的に。
植木 お金的には一時的にプラスになってましたね。
岸田 ただ、さっき話し聞いたら最終的にちょっと苦しかったみたいなこともチラッと言ってたけど。
植木 そう、もうそれを使って人生を終えますっていう仮定で自分はいたのに、お金を使ったのにその先の人生を生きなければならなくて、どうしようみたいな、すいませんっていう感じになってしまったっていうか。
岸田 そっか、そういうこともあるんやな、やからな。
植木 そうなんですよね。
岸田 だから自分の場合は、もう全部使い切ってそれで終えるみたいなのを想定してたけれども、いい意味も悪い意味も分からへんけれども、治療がうまくいったことでその後どうしていったらいいのかっていったところを考えたってことね。
植木 そうそう。
岸田 ありがとうございます。
植木 自分が今度亡くなった時にまとまっておりるようなものっていうのが、もう使っちゃったわけじゃないですか。だから次にそういう立場になった時にどうすんだろうっていう。
岸田 そういうことまで考えたのね。
植木 そういう不安にもなってしまって。でも、担当していた保険会社の方が全部おろさないでいてくれたんですよ。すごいなって思う。
岸田 何それ、何その裏テクみたいな。
植木 そう、すごいなと思って。まとまってリビングニーズでもらえる額っていうのが全額あるとしたら、それの少し余らせてってわけじゃないですけど、とりあえず何百万かっていうのをおろしてもらって、ちょっと残るようなかたちで対応してくださってたっていう話を聞いて、ちょっと助けられたなっていう。
岸田 それは残ってるから、後でまた使えるってこと。
植木 そうです、自分がそういう立場になった時にそれをまた引き出すことができるっていう。
岸田 じゃあ今もそれは残ってるのね、ちょっとね。
植木 そうです。そこはちょっと救いでしたね。
岸田 そういうこともあるんですね、ありがとうございます。
更年期症状とリンパ浮腫——月1回の朝の会で覚えたセルフケアで付き合っていく
岸田 じゃあちょっと次いきたいと思います。後遺症、妊孕性の後遺症のことはあったけれども、他に何か後遺症ある。
植木 女性周期が来ないっていうことなので、更年期障害があったんですよね。電車の中、よく聞くと思うんですけど、ものすごい汗が出てくるっていう症状がちょっと体験したことはあって。電車の中ですごい額に汗が出て、もう止まらないみたいな時があったりだとか。
あと気分の落ち込みがすごいのが、きっとそういうのも関係があるんじゃないかって言ってくださった方とかもいて、そうなのかなって。なんでこんなことにイラつくんだろうっていう、イライラしちゃうんだろうっていう、そんな自分も嫌だみたいな、こんなちっちゃいこと気にしてみたいな。元々気にしいなのにもう拍車がかかったように気になったりだとか、ちょっとしたことで怒っちゃったりだとかして、それも苦しかったり。
あと今ちょっとだいぶよくなったんですけど、血液検査の値がよくなくなっちゃったんですよ。LDLコレステロール、コレステロール値が上がってしまったりだとか、体脂肪がすごい上がってしまったりだとか。女性周期が終わった後に出てくるような症状っていうのがちょっと体で出てきていて。
岸田 それらはお薬を飲んで対処するって感じなん。
植木 ホルモン補充って言うんですかね、補充するお薬を毎日1錠飲んでいて、それでだいぶ緩和されるっていう感じなんですけど。そのお薬がなんとなく体に馴染むまで結構苦しかったなっていうのがあったり。
岸田 体に馴染むってあるんやな。
植木 馴染む感じっていうんですかね。汗いっぱいかいたりとか変だぞみたいな時は苦しかったですけど、でもそれがだいぶもう今は抑えられている。突然カッカカッカする時ありますけど、でもだいぶ抑えられてるのでいいのかなっていう。
あとはリンパ浮腫もあって、骨盤のリンパ節を摘出してるので、上手に腋の方のリンパまで流れないんですよね。私は今定期通院でリハビリ科っていうんですかね、リンパ浮腫を見てくれるところには行ってないので経過を見ましょうみたいな感じなんですけど。
やっぱ重だるくなりやすいとか、ちょっと足をいっぱい使ってしまったりだとか、同じ姿勢でいると太もものところがちょっと硬いかなっていうような感じがあったりだとか、階段を登るのがちょっとしんどいかなって思ったりだとかする時がありますね。
岸田 それはもうマッサージとかして、とか。
植木 今がオレンジティのプログラムで、毎月1回リンパ浮腫の方のリンパマッサージをする朝の会があるんですけど、そういうところに参加させていただきながら、いつでも自分がちゃんとケアできるように、自分の体をメンテナンスできるように私も参加させていただいてそこでケアをするとか、色んな情報をまた学ばせてもらうとか、そういうかたちでセルフケアを今はしています。
「向き合えなかったけど、向き合い続けてくれた」——同年代の医療者に感じたうらやましさも
岸田 ありがとうございます。ケアをされていくというふうなところで、そして次こちらです、終盤に入ってまいりました、医療者へといったところで。この配信とか結構医療者の方もしくは学生の方、今後医療者になる学生の方も見てくださっているといったところもありまして。
その方たちに医療者とのコミュニケーションとかそういったところで、こういったところがよかったよなのか、いやこういったところ改善して欲しいよだったりとか、何かそういったものあったりとかしますか。
植木 よかったところは、すごく心が沈んでる時に、もう全然向き合えなかったんですけど、でも向き合い続けてくれたっていうのがすごく嬉しかったし救いになっています。もうどうしても一喜一憂するというか気持ちが波打ってしまうので、どうしようもない時でも受け止めてくれるってわけじゃないですけど、そばにいてくださるっていうのがすごくサポートになったなっていうところはあります。
岸田 逆に改善して欲しいとことかあったりする。
植木 ちょっと心、もう心の問題ですよね。結構心が元気じゃなかった時に、同年代っていうのかな、の若い看護婦さんも多かったりし、お医者さんでもちょっと年齢が若い方もいるんですけど、ちょっとうらやましさっていうのかな、自分は病気で働けないとか治療中みたいな。
だからバリバリ働いてていいなって思ってしまって、ちょっとこの人たちに話してもごめんなさい、私の心はちょっと報われないって思ってしまった時とかもあって。それはその人が悪いってわけじゃなくて自分の心の問題なんですけど。
だからこそか分かんないですけど、人対人なのでちょっともしかしたら合う合わないもあるかもしれないので、ちょっと合わないなって思ったら違う人に変えて欲しいなとかっていうのはある。どうだろう、難しいね、難しい要望だと思う。
岸田 そうだね。患者から言うのは難しいから、医療者側からちょっとこの人と合わなければちょっと相談して欲しいっていう感じかな。
植木 かな。
岸田 人と人やからね、大事やと思います。
「心の中で思っていることは伝えよ」——元気になったけど心が元気じゃない、と言えなかった自分へ
そしてその次こちらです、過去の自分へといったところで、あの時戻れるならこうアドバイスするよみたいなものあれば教えてください。
植木 心の中で思っていることは伝えよ。
岸田 それはどのタイミングで。
植木 働けないんだって、元気になったけど心が元気じゃないんだっていうことをもっと早く口に出せばよかったなって。
岸田 再発した後かな。
植木 あとは、1番最初に病気がわかった時に、患者会につながっていたらどうだったんだろうって。治療をしてる時に患者会と繋がってなかったんで、同じ病気を経験した人と話してたらどういうふうに違ったんだろうとかっていうのは今でも考えるので、1人で何でもやろうっていうことじゃなくって、誰かを頼っていいじゃんっていうことは言いたいかなって思います。
得たものは「人との出会い」——この経験がなければ会えなかった人たち
岸田 はい、ありがとうございます。そしてこちらになります、キャンサーギフト。がんになって失ったこともたくさん植木さんあると思うんですけど、あえてちょっと得たもの、得たこと言うとしたら、あえて何でしょうか。
植木 出会いですかね、人との出会い。この経験がなければ出会わなかった人というのはたくさんいる。
この経験をしたから出会った人がいて、今日も岸田さんから声をかけていただいてここに出演してるっていうこともそうだし、今日見てくださってる方、コメントくださって同じ病気ですとかって声をかけてくださる方とかとも、こういうことがあるから出会えた、自分が経験できたことがあるっていうのは1つありがたいなって思うことです。
10年、20年先を歩む人がいたから光が見えた——自分もその人になれたら
岸田 ありがとうございます。そしてその次、こちらです、夢。今後の自分に向けてでもいいですし、何かやりたいこととかあったりとかしますか。
植木 なかなかこれがスパンって出ない私がいるんですけど。
岸田 いやいや、出るのがいいとかじゃないですからね。もしあれば聞かせてくださいなので。無いなら、今探し中ですでも全然OKです。
植木 でもこの問いをいただいて、色々色々ここに来るまでにちょっと考えていて。でも、私自分自身が心地いいなと思うことをしながら過ごしていきたいなって、色んな人と関わりながら。色んな人とも出会いたいし、色んな場所にも行ってみたいんだろうなって今話してて思うのと。
自分がどうしても好きになれない自分もいるんですけど、ちゃんと自分を見てあげて、自分らしく生きることとかって謳ってるんですけど、自分らしさって何だろうって思ってるから、自分探しができたらいいなっていうのと。
あとは、オレンジティで復活できたきっかけがあったのが、先を歩む人たちがいたことなんですね、それがすごく大きくって。ロールモデルがいたというか。自分と同じような年齢でがんになった人も、その先10年、20年先の人生を歩んでる人がいた時に光が見えたというか、暗かったものがパッて。
私もここに乗せてくださいって、この線路に、道に乗せてくださいって思ったように、そんな人になりたいなっていうのはあるな。誰かのロールモデルになれたら、自分が生きた、生きているっていうことが認められるのかもしれないです。それが夢かな。
岸田 誰かのロールモデルになるといったところ。いや、もう既に全然なってると思いますんで。
植木 なれてたら嬉しいです。
岸田 そこは自信持っていただければと思います、ありがとうございます。

そしてその次、こちらです。ペイシェントジャーニーといたしまして、こちらで共有させていただきます。ペイシェントジャーニー、感情のグラフみたいなものをちょっとこのようなかたちで示させていただいております。どのような経過を辿ってきたのかといったところで、ドンというふうなかたちで植木さんのグラフをちょっとまとめております。
就職されてそこから体調不良になっていき、中等度異形成の診断が出ていく。そこから大きな病院へ紹介されていき、がんの告知を受け、セカンドオピニオンも受けられてやはり手術していくといったところで手術をしてまいります。
そこから同じ患者さんのブログを見つけたりだとかそういったところをされていきながら、抗がん剤や放射線の治療に入ってまいります。そうしていくと、社会復帰っていったところを一旦ここですることができて、一度目の治療は終わっていくというふうな感じとなっていきますが、そこから再発といったなかで、お金の工面だったりそういったものをどうしていこうかと迷われていったりだとかされていきます。
そんななかで、治療としてやはりしていこうといったところで、アレルギー反応が出てまいります、抗がん剤ですね。それでお薬を変えられて、海外旅行に行かれていくと。ただ、そんななかでリンパ節のがんもだんだん食道部のところですかね、大きくなっていくといったところで、オレンジティの患者会にも参加していく。
これ上がっていってっていったところのポジティブの赤色にはなってるんですけれども、ここらへんが先程お話いただいた結構複雑な感情のところということですよね、植木さん。
植木 はい、そうなんです。やる気が出ないので生活していたくないので、悪い状態である方がいいって思ってしまったので、ちょっとなんとも言えない感じてポジティブ色になってるんですけど。
岸田 っていうふうな精神状況だったといったところで、それ故に全身の転移が消えるといったところで下がっていくということですね。
そしてお母様からの言葉などで、ちょっとどうしていけばいいんだっていったところで、そこから結婚式の余興をご友人に依頼されて、そこから社会参画というか、をしてまいります。そこでオレンジティさんに再度参加していって、そこでもう今ではスタッフもされているようなかたちなんですけれども、そこからもう上がっていくだけですね。
福祉施設のところに就職されていって、恋愛、結婚され、そして今は経過観察中というふうなかたちで、9年目を迎えるというところですね。
植木 はい。
岸田 何か言い足りないことありますか、大丈夫ですか。
植木 最後なんでみんな下がってんだろうって思うかもしれないんですけど。
岸田 たしかに。しいて言うとちょっとそこはあるかもしれないですけど、別にだからテンション上げていくだけが人生じゃないから、別に変には思わないですけど。どうです。
植木 日々起こることにちょっと一喜一憂しながら、今は日々を過ごしてるんですけど。でも、今日はちょっと充実していたっていう今心があるので、色々あるなってやっぱり思います。語彙力がない。
岸田 色々あるよ、人生やから。もうがんもあるし、ほんとね、色んなことが他にもあると思うからね、それも含めて人生かなといったところで色々話を聞いてまいりました。
「ひとりで悩まないで」——「あのね」と声をかけたら、違う景色が見えるかもしれない
岸田 そんななかで、もうようやくラストの、今闘病中のあなたへというふうなかたちに入ってまいります。今闘病中のあなたへといったところで、植木さんにこの言葉をいただいております。植木さん、ちょっと読んでいただいて、僕ちょっと消えますので植木さん、この理由を語っていただけますでしょうか。

植木 はい。ひとりで悩まないで、という言葉にしました。どうしても孤独を感じることが増えていくと思うんですけど、ちょっと横の人に声をかけてみたらまた違う景色が見えるかもしれないので、1人で何か考えていたら誰かにちょっと、あのねって声をかけてみてほしいなと思います。
そこからまた違う人と出会ったり、新しい場所に行けたり、何か違うものに繋がればいいなと思ってこの言葉にしました。はい、以上です。
岸田 ありがとうございます。植木さんもそんななかで患者会と、オレンジティさんとしてやったことで、すごくまた前向きというか自分もまた変わっていったといったことだったりだとか、お友だちの余興から変わっていったということもありますので、1人で考えないタイミングも大事かなと思います。ぜひ参考にしていただけたらと思っております。
っていったなかで、がんノートの配信これにて終わっていくんですけれども、植木さん大丈夫、疲れてない、OK。
植木 すごいエネルギッシュに話せました。
岸田 いや、逆にすごい、やっぱそういった気持ちだった人が、もう自分なんてみたいなことを思われてたっていうふうなこともおっしゃってましたけど、そういった方がこうやって自分のがんの経験を、9年前なり再発が13年とかだから、そっからまたお話を色々聞けてっていったところに関しては、すごく今見てくださってる患者さんの見通しの1つには絶対なってると思います。
植木 そうであったら嬉しいです。でもみなさんに今日は聞いてもらって、また私の頭の整理もできたかもしれません。ありがとうございます。頭や心の整理が。私がありがとうございますです。
岸田 ひなつんさんがめちゃくちゃいいこと言ってくれてるんですよ。話を聞けることでも心が軽くなりますよっていったところで、おっしゃってくださってます。
植木 ありがとうございます。
岸田 ありがとうございます。
はい、といったなかでめちゃくちゃみなさんハートもいただいたりだとか色々コメントいただいておりますが、ほんとに今日長いお時間お付き合いいただきまして、植木さん、本当にありがとうございました。
植木 岸田さん、ありがとうございました。
岸田 ありがとうございました。また動画でお会いいたしましょう。それではまたみなさん、おやすみなさい、バイバイ。
植木 おやすみなさい、ありがとうございます。
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