目次
- ゲスト紹介テキスト / 動画
- ペイシェントジャーニーテキスト / 動画
- 病院や治療のことテキスト / 動画
- 副作用や後遺症のことテキスト / 動画
- 恋愛・結婚のことテキスト / 動画
- 妊よう性のことテキスト / 動画
- 家族のことテキスト / 動画
- 子どものことテキスト / 動画
- 仕事のことテキスト / 動画
- お金・保険のことテキスト / 動画
- 辛かったことテキスト / 動画
- 工夫していることテキスト / 動画
- がんになる前と後で変わったことテキスト / 動画
- 今後の夢や目標テキスト / 動画
- メッセージテキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:野中
- 愛媛出身・鎌倉在住、52歳——人材紹介の仕事と医療用ウィッグ会社を営む野中さん
- 姉の乳がんから始まり、ゼロ期で見つかるまで——野中さんの10年をたどる
- 「乳がんの治療数が日本で1位」——がん研有明病院を選び、医師と話し合って決めた
- 「滝のように汗が出る」——強制的な更年期症状と、10年続くホットフラッシュ
- パートナーができた年に乳がんが判明——「離れていくのでは」という不安
- 「生きるところからの選択を」——妊よう性をあきらめる決断
- 両親には乳がんも遺伝のことも伝えていない——「責任を感じさせたくなかった」
- 大学進学を機に、乳がんと遺伝のことを娘へ——「すぐ受けたい」と話す検査のこと
- 土曜退院、月曜からフル出社——休まず働き続けた2週間と、その理由
- 民間保険と会社の福利厚生に助けられて——治療費のリアル
- ひと駅前で降り、泣きながら歩いて帰った——女性らしさを失う不安
- ネットの情報に混乱しないために——ガイドラインとドクターを情報源に
- 「他人事が、突然自分事に」——『今』を大事にするようになった理由
- 65歳で定年を迎えたら「ワクワクする状態でいたい」——これからの夢
- 「正しく知って、正しく恐れる。そして前を向きましょう」——野中さんからのメッセージ
愛媛出身・鎌倉在住、52歳——人材紹介の仕事と医療用ウィッグ会社を営む野中さん
岸田 それではですね、今回のゲストにはなるんですけれども、野中さんです。野中さん、簡単に自己紹介お願いできますでしょうか?
野中 改めまして、初めまして野中美紀と申します。愛媛県出身で、今神奈川の鎌倉に住んでおります。52歳です。娘が1人おりまして、今25歳になります。社会人3年目を迎えて頑張ってくれています。仕事はですね、会社員と自分で事業をやっております。趣味はたまに卓球をしているというところでございます。乳がんはゼロ期というところで、結構早い段階で10年前ですね、罹患をしました。その前に遺伝性の乳がん卵巣がん症候群と分かって早めに発見できたというところでございます。なので、42歳の時です。治療に関しては全摘の手術、予防切除等して、今ホルモン療法をしてちょうど今年の8月に終了したというところでございます。
岸田 ありがとうございます。このような野中さんではございますけれども、野中さん人材紹介、また後で仕事の話もしますけれども、結構バリバリで仕事をされているという感じですよね?
野中 『バリバリ』ではないんですけれども(笑)『バリ』ぐらいで(笑)
岸田 (お仕事は)会社員人材紹介で仕事をされているというふうなところで、後でも出てきますけど、マネージャー職でね。ちなみにキンドリルさんもかなりゆかりのある会社?
野中 大変(会社が)お世話になっているようです(笑)
岸田 かなり多くの方をキンドリルさんにご紹介している会社さんらしい。
野中 会社がですね。
岸田 会社がですね、担当はまたいろいろありますからね、という会社で勤められていて。『たまに卓球』とあるんですけれども、卓球は結構ガチでされてたんじゃなかったでしたっけ?
野中 中学の時に卓球部で、高校ではやらずに大学で体育会の卓球部に入っていた。で、卓球メーカーに新卒で入りまして…なので選手ではないんですけど、卓球にはかなり深く関わってます。
姉の乳がんから始まり、ゼロ期で見つかるまで——野中さんの10年をたどる
岸田 深く関わっている。そんな野中さんなんですけれども、今日ね、いろいろ話を聞いていきます。皆さんにちょっとお伝えしているのは、これはあくまでも個人の経験談ですよといったところと。治療の話出てきますけどこれを推奨している、がんノートとして推奨しているってわけではございませんし、やっぱりご自身の病気に関しては主治医の方が一番知っておりますので、そこはですね、皆さん見てもらえたらということを思っております、(主治医に)相談してもらえたらと思っております。そしてこの後グラフが出てくるんですけど、経過や感情の浮き沈みなど感情の上下だったりとか、あと時間軸また吹き出しでですね、ポジティブ、ネガティブ、普通や治療っていったところをご紹介いただきますので、そこを見てもらえたらということを思います。まずですね、このような形となっております。野中さんのペイシェントジャーニー、感情の浮き沈みにはなるんですけれども、真ん中のところがちょっと下がっていってようやくちょっとまた上がってくるというところではございますが、これを前半パートではこれをお伺いしていき、後半パートでは各項目についてお話を聞いていく、そんな流れとなります。ではまずちょっと一つ目、まず長女の出産ということで27歳の時ですね。長女の出産されていく。今長女さんは何歳ですか?
野中 25歳です、2000年生まれなので。
岸田 分かりやすいですね。25歳といったところで。そしてちょっと下がっていきますが、それが、はい、シングルマザーに…ということでシングルマザーにはなられているんですけど、赤色のポジティブで書かれていることはいい意味で?
野中 そうですね。全然もめたとかいうわけじゃないんですけれど。
同じトリプルネガティブが二度——姉の乳がんが、遺伝を知る入り口に
岸田 シングルマザーになっていって、そこからちょっと上がっていきます。それが、お姉さんが2度目の乳がんにといったところでございまして。お姉さんは2度目っていうことは、一度は乳がんになられている?
野中 そうですね。ちょうどこの時の8年前ぐらいですかね、姉の年齢で35の時に乳がんになっています。
岸田 はい、35の時、と?
野中 で8年後になると43歳。
岸田 2回目の乳がんが?
野中 そうなんですよね。もう大丈夫かなーってちょっと安心するというか、寛解に向かっているかな〜ぐらいの時だったので、姉はショックだったかなとは思います。

岸田 そんな中でですね、ちょっと下がっていきますが、それが遺伝性乳がん卵巣がん症候群を知るということで、そこでお姉さんが陽性と判明されていく。これはどうして遺伝性乳がん卵巣がん症候群を知るきっかけになるんですか?
野中 そうですね、この姉が2度目の乳がんを知って、タイプがですね、すごくレアなトリプルネガティブ、1回目もそれだったんですね。すごく確率が低いんですけれど、2度目もトリプルネガティブってなってですね、ちょっとこれおかしいんじゃないの!?っていうか、かなりレアだよねっていう話をし。追いかけていたのにステージ2とかで見つかってるんですよね、もうずっと追いかけていたのに。なので、不審というわけではないんですけれど、若干医療格差もあると思ったので、姉は愛媛にいたのでちょっと東京の病院でセカンドオピニオン受けてみない?という声をかけてですね。東京のがん専門の病院でセカンドオピニオンを受けていただいた時に、まだその当時はですね、この遺伝性乳がん卵巣がん症候群という言葉もないぐらいの時だったんですけれど、やっぱり先進的な病院だったのでセカンドオピニオンの時にその可能性があるよというところで、こういった検査があるんだよっていうのも教えてもらえたというところですね。
岸田 あれですか?この遺伝性乳がん卵巣がん症候群って、アンジェリーナ・ジョリーさんが予防的切除をして一躍有名になったと思うんですけど、それよりもちょっと前?
野中 同じ時期ぐらいです、本当に同じ時期ぐらいですね。
岸田 同時期ぐらいに遺伝性乳がん卵巣がん症候群になっていったと。それでお姉さんが、さすがにそうですよね、ずっとウォッチしていて、それでいきなりまたステージ2の乳がんだとそれはおかしいと思いますよね。陽性とそれでお姉さんも分かっていく…、そうですね、お姉さんが陽性と分かっていっていったところの時の心境としては、やっぱりかという感じですか?
野中 いや、そのことを初めて知ったので、なんかまあ2人してですね、これは何なんだろう?っていうところでは、やっぱりか、というよりはちょっと知っていかなきゃいけないよねっていう、漠然ともう本当に分からないことだったので、そこで姉と2人でいろいろと調べたりとか患者会を立ち上げようとしていた方に出会ったりとか、そうなんです、っていう感じですかね。
「いつもの石灰化と違う」——不明瞭な影から、遺伝学的検査で陽性へ
岸田 はい…そんな中でですね、野中さんの人間ドッグで石灰化発見。石灰化ってこうね、一般の方は耳なじみがないと思うんですけれども、どういうことでしょう?
野中 これは良性でですね、中にはもしかしたら人間ドッグで石灰化って見つかる方もいらっしゃるかもしれないんですけれど、ポツッとこう写るんですね、マンモグラフィーとかで。で、消えていくっていう。一般的によく皆さんが引っかかるのは石灰化らしいです。
岸田 要検査とかで?
野中 そうですね。乳腺の中にカルシウムがたまるっていうところだそうです。
岸田 その石灰化が人間ドックで。この人間ドックは自分で受けようと思ったのか、それとも会社でなのかどうですか?
野中 ありがたいことに会社です。
岸田 会社で人間ドックをやっていった…。乳がん検診とか当時されてたんですか?40歳以降ですけど。
野中 姉が一度目の乳がんになった時に、さすがに私もですね、身内でそういったがんになった者がいるので、自分もちゃんと検査をしなきゃいけないというところで、実はずっと年1回ぐらいですかね、32ぐらいから検査は受けていました。石灰化はずっと引っかかってたんですけれど、がんじゃないっていうところでずっと良性でした。
岸田 ずっと良性だった。そんな中でですね、その後なんですけれども、次は再検査や精密検査をしていこうと。要検査になるってことですかこれは?
野中 これが明らかにというよりは、なんかちょっと普段、今までの石灰化とは違うねっていうところで、精密検査を受けてくださいとなりました。
岸田 どう違うんですか?
野中 これがですね、良性の石灰化も本当にポツポツと1個2個すごく明確に写るらしいんですね。でも私の引っかかった時は不明瞭な石灰化って言って、モヤがかかったような、いわゆるがんのカスなんですけどね、結論としては。なんかもう明らかに違うんだそうです。
岸田 そういった石灰化っていったところで、これはちょっといつもの石灰化じゃないぞということで要検査をしていこうということですね。で、これは要検査再検査は、これはされた?
野中 しました!はい。
岸田 けどポジティブだったってことは、ポジティブの赤色ですよね?
野中 その時はまだがんと明確に言えるものでもないし、それ以上の詳しい検査がまだできない。しても多分がんとは診断できないぐらいの状況だったので、がんはそんなに急激に進行もしないから、翌年1年後にまた再検査しましょうというところでいったん終わりました。
岸田 いったんここで終わっていく。ただその後ですね、一番ガクッと下がっていくところがあります。これが、遺伝学的検査をされていって自分も陽性だと分かっていく。これは何かきっかけがあったんですか?自分で検査する…。
野中 そうですね、姉が陽性と分かった時に私も50%の確率で親からその体質を遺伝している可能性がある、50%なのでかなり高い確率なんですよね、白か黒かだったっていうところと、人間ドッグで不明瞭な石灰化も出ているので、私もその遺伝学的検査を受けた方がいいなと思って同時進行で受けていたんですよね。その結果、陽性というところが分かりました。
岸田 だからお姉さまが遺伝性乳がん卵巣がん症候群だって分かったから、自分も遺伝学的検査をしてってことですよね?

野中 そうですね。姉は遺伝子を全部調べるので費用的には30万ぐらいかかっているんですけど、私はその変異の場所がもう分かっているので、その部分だけを検査することができたので3万円ぐらいでその値段も安かったのもありますね。
岸田 そしてね、そういう検査をされていった中でご自身も陽性だと分かっていった時、一番下がってますけど、気持ち的には結構…どうでした?
野中 これはですね、やっぱり病気と違って治療しようもないしですね、仕方がないことなんですけど、すごくこう漠然とあらがえないような、何か突きつけられたような感じですごく不安でしたね。
岸田 不安ですよね。そういう遺伝子を持っているっていうことじゃないですか。お姉さまも、これ結構遺伝子、後でもお伺いしますけど結構センシティブな問題で、先生とかそういう遺伝子のカウンセラーさんもいらっしゃって、その方にどこまで知りたいですかみたいなことも聞かれませんでした?
野中 聞かれました。当時はまだ整っていなかったので、これぐらいの厚み、数センチの厚みの書類に全部目を通してとかですね、そういったかなりカウンセリングも複数回にわたっていろいろ説明は受けましたけど、よく分からなかったですね。
半年前倒しの検査で「がんですね」——ゼロ期での告知と全摘の決断
岸田 まあそうですよね。いきなりね、こんなこと言われてもって感じですよね。そんな中でちょっとずつ上がっていきます。それが、精密検査前倒し。あれ?精密検査これ、以前はされているんじゃないんですか?
野中 そうなんです。1年後だったんですけど、この遺伝性っていうところが陽性と分かってですね、1年後だったところを半年前倒しで検査をしましょうというところになりました。
岸田 半年前倒しで検査をしようという。その半年前倒し検査をすることがよかったのか悪かったのかあれですけれども、そこでその後がん告知を受けていく?
野中 そうですね。これはなので、素人ですけど、まあそのMRIとかこの画像を見てですね、私もなんか、アッ!て声が出た感じ、もう広がりだったんですね、パッと広がっていて。で、生検もしていないですけど、ドクターも、あっこれがんですねって言いましたからね。
岸田 その場で?
野中 えっ!?ていう、そんな告知あるの?っていう感じですね。もうがんだねーみたいな感じで。
岸田 結構広がってるのはすぐ分かる?
野中 もう全体に広がっていたので、ありえないことなので、石灰化がそこまで半年で広がるっていうのはありえないことなのでっていうところですね。
岸田 そんなに?だってずっとほぼ毎年のように検査を受けてるわけじゃないですか?で、半年前倒しにもしたわけじゃないですか?それでそんだけ広がることってあるんですね?
野中 これが遺伝性の乳がん卵巣がん症候群の一つといいますか。
岸田 がん告知を受けて、この時の心境としては?
野中 これはですね、自分が陽性だと分かった時にある程度覚悟が多分できてたんですよ、なっちゃうんだろうなっていう。乳がんに関しては一生涯で80%ぐらいの方がなるだろうと言われている統計があったので。
岸田 その遺伝子を持ってたら?
野中 はい、持ってたらですね、いつかはがんになるっていうところはもうなんとなくイメージができていたので、その陽性の告知よりは、来たか…っていう感じで、やっぱそうかっていうような納得はしました。
岸田 おー、なかなかね、そこのね、踏ん切りというかそういう気持ちのね、置き所っていうのは難しいと思いますけど納得したっていったところで。そこからちょっとどうしていくのかというと、手術を受けられていく。手術は左乳房の全摘。左乳房が真っ白になってたんですね?
野中 そうですね。なので全体に広がっていたので、その全摘しか選択肢がないと言われたんですよね。なんでもう仕方がない。
岸田 仕方がないって感じですか。だって女性のなんですかね、手術される方はやっぱり乳房を取らないでほしいみたいな、そういった方も多くいらっしゃるんですけど、野中さんは仕方がないと?
野中 今でこそそう言ってますけど、当時はですね、何か方法がないかっていうところでネットサーフィンもしましたし、乳頭・乳輪を残せばですね、傷が見えないところにメスを入れられるとかいろいろネットで出てきたんですけど、私にはその選択肢がなかったのでっていうところですね。
岸田 そうですよね、乳頭・乳輪を残されてっていった方もね、今増えてきてっていうか見られるようになってきているんですけど、野中さんの場合は難しかった。
野中 難しかったですね。でも…嫌でした、なんか方法がないかな?ってずっと調べてました。
「リスクのあるものは取ってしまえば」——再建と予防切除という選択
岸田 その手術、全摘の手術をされていった後ですね、左乳房を再建されていく。これは今同時再建っていうね、言葉もあるんですけれども、別々のタイミングでやったってことですよね?
野中 そうですね、同時再建ができるサイズっていうのは限られていてですね
岸田 サイズで違うんですね?
野中 そうなんですね。やっぱりメスを入れてですね、乳頭・乳輪もこう切除しているので、やっぱりこう皮膚を伸ばさなきゃいけないので、全摘の手術と同時にエキスパンダーというですね、膨らませる水を入れて皮膚を伸ばしていくものを入れて…で、半年ぐらいかけてですね、皮膚を伸ばしていって…で、それを取り出してシリコンを入れるっていうので再建手術してます。
岸田 だからエキスパンダーっていうそのやつを入れたりとか、膨らませていくためにちょっと期間が空いてる?
野中 そうですね。
岸田 大体どれぐらいですか?半年ぐらい。
野中 半年ぐらいでした。これは本当に皮膚を伸ばすので、結構そのエキスパンダーが硬いんですよ。2週間に1回ぐらいですね、水を入れに病院に通うんですけど、どんどんどんどんですね、パンパンになってきて。肋骨も圧迫されるので、胸筋の下に入れるのでこれが本当につらくてですね。寝苦しいんですよね、硬いですしね、冷たいですしね、お水が入っているので。
岸田 常時痛さは?
野中 やっぱりちょっと張るような痛みはあるんですよね。
岸田 そんな中で、半年後に乳房再建をちゃんとしていって。それはエキスパンダーで広げていって、そしてまたシリコン的なやつを入れるんですね?
野中 エキスパンダーを取り出して、今度は柔らかいシリコンですね、入れていってという形になります。
岸田 その後ですね、手術、おっ!予防切除とありますけど、これはどういうことなんでしょうか?
野中 これは遺伝性の私は乳がん卵巣がん症候群っていうところで、特に卵巣がんというのはなかなか検査で見つけにくいですよね。見つかった時にはちょっと手遅れで、予後が悪いと言われている部位になるので、検査を受けている人と受けていない人の死亡率も変わらないという、イコール検査のあまり有効性がないというところなので、これはドクターからも、私は出産も終わっていたので切除した方がいいんじゃないかと言われたんです。
岸田 その切除は部位としては卵巣?
野中 卵巣と卵管と子宮と子宮頸部まで、全部ですね。
岸田 全部!?
野中 どうせ手術するんだったらリスクのあるものは取っちゃえば、みたいな感じで言われました。
岸田 結構な手術になりません?
野中 そうですね、でも今腹腔鏡があるので切開しなくていいんですよ。
岸田 切開せず腹腔鏡で全部とれるんですね?
野中 そうなんですよ!
岸田 そんだけを。
野中 一度に!
岸田 そっか〜。
野中 その手術をすると決めて、で、残っている健側(がんのない方)の乳房も、同時にできるんであれば仕事もそんなに休まなくていいしっていうので相談をして、まだ私はその病院で2人目だったらしいんです、同時にやっていただけることになって、健側(がんのない方)の乳房も切除しました。
岸田 健側(けんそく)って言い方があれですけど、右側ってことね?左側が取ったから、次右側の健康的な方の乳房も一緒に取ったの?
野中 同時に取りました。やっぱりリスクをヘッジしたいなっていうところと、思ったよりですね、再建がきれいにできたんですよね!
岸田 左側のね?
野中 悪くないなと思って(笑)
岸田 だからここで次が、右乳房の再建をしていくということで、これは同時?
野中 予防切除で取って。
岸田 同じように取って、また同じように。

野中 エキスパンダーを入れるので。
岸田 入れて。
野中 で、再建しました。
岸田 ってことは野中さんの両胸は全部今シリコンというか、入れられているということですね?
野中 イミテーションです(笑)
岸田 これちょっと後でお伺いしたいのが、当時ちょっとねこのシリコンって、実はちょっと数年前問題になったんですよね。この入れているシリコンが次の発がん性の可能性があるんじゃないかっていうニュースが出たんですけど、それは?それを入れている?
野中 それが入っている。タイミングそれでした(笑)しかも2個入っているので。その当時画期的なシリコンだったらしいんですけど、海外のですね。動きにくいとか非縮ってこう縮まりにくいとかですね。だったんですけど。
岸田 だったんですけど。
野中 残念ながら(笑)
岸田 笑ってますけど、結構こっちとしたら…。ただあれですよね?リコール的な感じで入れ直すこともできるみたいなことを伺ったんですけど、そういう選択は?
野中 してないですね。いつかはちょっと破れたりとか壊れたりするし、先生が追いかけてくれるって言ったので、やっぱそのかなり手術を4,5回やっている状況だったので、体の負担も考えて。あとリスクのそのパーセント、確率はかなり低いって言われたので。
岸田 そうですね。確率はかなり低いっていうのと、ちゃんと追いかけてくれるし今のものでも大丈夫じゃないかということで入れられている。ここに関してはね、ちょっと別に不安をあおるという意味じゃないので、別に主治医の先生とまたもし入れられている方は相談してほしいなと思いますし、おそらく主治医の先生からそういう入れられている方はちゃんと説明があると思いますので、大丈夫だと思います。野中さんはそのままでいらっしゃるというふうな選択をされたということですね。
滝のような汗、隠せない薄毛——副作用に悩み、ウィッグと出会うまで
岸田 そしてそこから下がっていきますが、それはこちら、円形脱毛症副作用で悩むということで、これはがんの後遺症とかになったんですか?

野中 これが卵巣を切除している、なくしているというところと、ホルモン療法というのは女性ホルモンをピタッと止めますので、そうすると強制的に突然更年期症状、障害みたいなことが来るんですよね。そこはちょっとですね、私あまり考えてなくてですね。先生の話もよく聞いていなかったので。
岸田 いやいや聞いてくださいそれは(笑)そこは結構大事な。
野中 まあ大丈夫かなーみたいなね、更年期障害とかよく聞くしみたいな感じで大丈夫かなーと思ってたんですけども、とんでもなかったですね。
岸田 とんでもない?
野中 とんでもなかったですね、しんどかったです。
岸田 しんどい、どんなしんどさ?
野中 一番…いくつかあるんですけど、まずはそのホットフラッシュとかっていう言葉では、そんな可愛いもんじゃなくですね、滝のように汗が出るんですね。1回出始めると止まらなくてっていうので、会社に行く通勤とかなのでインナーの着替えみたいなのを2セットぐらい持っていくとかですね、そういったこととか。後はメンタルですね。これは本当に自律神経とホルモンって関係があるので、やっぱり落ち込むだったりとかパートナーのすべてに腹が立つとかですね、そんなので迷惑をかけたかなと思いました。
岸田 いろいろそんな中、バランスが崩れていってちょっとね、更年期の症状が出ていたりとか、円形脱毛症というのはそれの流れでなるんですか?
野中 流れなのか分からないんですけど、更年期症状で薄毛になったところに円形脱毛症を多発しました。薄毛になっているので隠せないっていう、でも会社には行かなきゃいけないしとかっていうので、エレベーターで後ろの人が気になるしとか、エスカレーターも気になるしとか、すごくつらかったですね。やっぱり見た目って結構影響が大きいなぁと思いました。
岸田 ちなみに今は大丈夫?
野中 今またちょっといくつかあるんですけど、今私部分ウィッグをつけているので。
岸田 ウィッグつけてるんですね?全然分かんない。
野中 そうなんです、なので全然快適です。
岸田 だからそういう円形脱毛症のところはそれで隠されてもいると。やっぱがんなった後もね、そういったところでね、悩むことありますよね。そしてその後は、ウィッグを美容師にカットしてもらう。
野中 はい。
岸田 これはその円形脱毛症になったのを隠すウィッグ?
野中 そうなんです。病院にも行ったりもしていた時に、なんかこうフリフリしてですね、なんか繊維みたいなのを頭に振りかけるようなやつがあったりとかするんですけど、とにかく汗をかくので、それがなんかこう固まっちゃったりとかしてすごく見苦しかったんですけど。で、ドクターにもごま塩!?とか言われてるんです。
岸田 ごま塩って?
野中 許せない!とか思ってたんですけど。
岸田 デリカシーのなさもあったんですね。
野中 そんな感じですごい悩んでいて、どうしようかって悩んでた時に、ネットとかで隠せるいろんなものを試しました、シールだったりとか。その中でウィッグを見つけてですね、部分ウィッグを美容師に悩みに悩んで、そこでは全然楽勝〜みたいな感じでカットをしてもらってからやっぱりちょっと一気に。
岸田 メンタル面が?
野中 メンタル面がゴーンと上がりましたね。
岸田 部分ウィッグって売ってるんですね?それはウィッグ一つを切って部分的にするのか、それとも一部だけが売ってる?
野中 抗がん剤とかしてですね、全頭で脱毛される方のこのフルウィッグですね、パカッてかぶるカツラと、あとは部分用でですね、男性とかのだと貼るタイプのものだったり、女性は比較的髪が残りやすいのでホックで留める感じ、これぐらいの小さいものがあるんですね。全然知らなかったんですけど、調べていくとあって。
岸田 野中さんが今されているのはホックで止めるやつ?
野中 ちっちゃいやつですね。
コロナ禍の在宅から、医療用ウィッグ会社へ——起業、そして10年の今
岸田 …をされていってカットしてもらって、ようやく自分のモチベーションも上がっていった。そんな中で、はい、野中さんは医療用ウィッグの会社を立ち上げるっていう。なんかもうすごいですね!一気に?

野中 コロナの時だったので、在宅になったんですよね。フルリモートだったので時間ができたっていうところで、卓球メーカーの時に中国のですね、商社さんだったりとか工場とかとの取引があったので、このウィッグ扱ってないですか?とか開発できますか?っていうのを聞いたっていうところですけど。
岸田 それで、できるよってところを見つけて?
野中 そうなんですね。あの私遺伝性っていうことがあって娘に遺伝してるかもしれないとかですね、考えた時に、周りにもすごく見た目で悩む仲間たちがいっぱいいたんですよね。せめて自分ができることは、医療者ではないのでウィッグぐらいかな?と思って。継続をする覚悟みたいなところでちゃんと仕入れて売るとかはできるんですけど、医療とかに関わってくるところでもあるので、覚悟として会社を立ち上げてやってます。
岸田 ちなみに聞きたいんですけど、ウィッグって中国製だからどうこうとか人毛だからどうこうとか、結構僕いろんなウィッグを携わられてる方に聞くと結構中国からっていうのが聞くような気がして、なんかあるんですか?って言い方変ですけど。どうなんですか?ウィッグ業界的な、今の事情って言うと。
野中 そうですねウィッグに限らず中国はそういう世界の工場みたいな立ち位置なのでっていうところと、ウィッグは欧米とかはですね、一般的なんですよね、ウィッグ文化があってですね。なので、割合としては日本は多分1割にも満たないぐらいの量なんですけれど、基本的に日本で売られているものはほぼほぼ中国の工場で生産されているものですね。人工毛も日本が開発したものを中国に送って、中国でウィッグとして生産をしてまた仕入れるという形ですかね。
岸田 ちなみにこの人工毛って話してましたけど、人工毛と人毛とかミックスだったりとかいろんな種類があると思うんですけど、野中さん的な、人それぞれだとは思いますがおすすめ的なのあったりとかしますか?
野中 私はなので、自分が使ってですね、いっぱい使ったので、人毛100%のウィッグのみを扱っています。
岸田 えっ、人毛?
野中 人毛です、これだから人毛です。やっぱり自然なので見た目っていうところにまず苦しまないというかギャップが少ないっていうところで、そうすると社会復帰も早いかなと思ってますっていうところですね。あとは耐久性です。
岸田 耐久性。でも、人工毛の方が耐久しそうなイメージあるんですけど?
野中 人工毛って化繊(かせん)なんですね。なので摩擦に弱い、お洋服と一緒で。静電気も発生するとかですね、なので多分5分の1とか3分の1ぐらいですか、なので3倍から5倍ぐらい人毛の方が長持ちすると思います。
岸田 へー!ただ手入れは人毛は結構大変っていうか、ちゃんとしないといけないっていうのも聞いたりするけどそうでもないんですか?
野中 そうでもないです。もともとある地毛と同じ扱いなので、毎日シャンプー普段されると思うんですけど、ウィッグは月1ぐらいでいいですよね。なんで、別に大変じゃないです。ただ人工毛は化繊(かせん)なので、形がちゃんと決まっているので、そういう意味ではセットはしなくていいっていう落差はあると思います。でも人毛は人毛なので、いつも使っているシャンプーでちょちょちょって洗ってブローしてっていう感じですかね。
岸田 はい、まあね、これはもうそれぞれの好みなどいろいろありますので、ご自身がねつけてみてこれが合うなとかこれがいいなっていうものをやっていただきたいと思いますけど、野中さん的には人毛ということでした。ありがとうございます。そして最後上がっていくところが、乳がんからもう10年経ったんですね。起業から4年っていったところで、結構いろいろ10年近くさまざまありましたけど、予防切除してからは今は大丈夫?
野中 大丈夫です、今のところ大丈夫です。ここまで取っちゃってるんで、乳がんになりようがないかなっていうところですね。
岸田 というふうな中で、野中さんの今までの経験談をお伺いしてきました。ここから少しそれぞれのことについてお伺いをしていくんですが、その前にちょっとお写真、当時のお写真をいただいておりますのでこちらを見ていただければと思います、ドン!ということで、これはいつ頃のお写真でしょうか?

野中 これ1回目の入院の時ですね、若いですね。で、なんかこの病院のパジャマも着たくなくて、なんかうーん病人って感じになっちゃうんで、自分でなんか普段着っぽいのを持って行って、そんなところ意地張ってましたね。
岸田 病院のパジャマってね、どうしてもね、ちょっとダサいというか、しかも生地もゴワゴワしてたりしますからね。ご自身で持っていって、これが1回目の時のお写真ということですね。
「乳がんの治療数が日本で1位」——がん研有明病院を選び、医師と話し合って決めた
岸田 そしてですね、先ほどお伝えしたようにちょっとここから項目に分けてちょっといろいろお伺いをしていこうと思います。ちょっとさまざまな項目がありますので、ちょっといきたいと思いますが。まず一つ目、病院や治療の選択という中で、野中さんがねお姉さまのために東京でセカンドオピニオンしたらっていうお話はありましたが、じゃあ実際野中さんの病院はどういうふうに選択していったのかといったところ、あと治療の選択、予防的切除をする際の医師からどう提案されたか、そういったところをちょっとお伺いしていきたいのですが、まず病院や治療の選択、病院は野中さんどこでされたんですか?
野中 がん研有明病院で乳がんの治療数が日本で1位というデータがあったので、そこの経験もそういうデータもあるだろうと思ってそこにしました。
岸田 そこを、今までの検査はそこで受けてました?
野中 受けてました。
岸田 これらの検査は遺伝学的検査とかそういったところも、受けてたってことですか?
野中 受けてました、はい、ここで。
岸田 人間ドッグは?
野中 人間ドッグは会社の健康センターみたいな。
岸田 会社の健康センター。
野中 再検査はがん研有明に行きました。
岸田 ここだとしっかりしてくれるだろうという思いの元、がん研有明病院さんで再検査などされていって、そのまま治療もがん研有明病院さんでされていってということですね?そんな中で手術していきましょうとか再建していきましょうとか、そういった選択については、これは野中さんが主導的に決めていったのか、それとも先生が提案してくださったのかどうですか?
野中 決断はやっぱり自分でしないといけないので、さんざん迷って決断はしてますけど、特に遺伝性っていうところがあったので、一般的な乳がんの方とはちょっと違う選択じゃないですけど、考えなきゃいけないこともあったので、ドクターとかなり話し合いをしました。
岸田 そこで行き違いとかなかったですかドクターと?
野中 行き違いとかはなくて、比較的ちゃんとコミュニケーションは取れたと思います。
岸田 その中で乳房再建だったりとか全摘もそうですし、予防切除もしていこうだったりとか、そういう提案があって、そうですねっていうふうな形で?
野中 そうですね。乳房に関しては飛び出ているものなので、比較的検査で追いかけられるよとは言われたんです、予防切除は慎重にした方がいいよとは言われはしました。そういうふうなアドバイスもいただきました。
岸田 慎重にした方がいいよって中でも、ただ野中さんは切除されていくんですよね?
野中 そうですね。これは本当に出来上がったものがきれいだったからです(笑)
岸田 大事ですね!!もうちゃんと前例があるとね。
野中 そうなんですよね。
「滝のように汗が出る」——強制的な更年期症状と、10年続くホットフラッシュ
岸田 ありがとうございます。そんな中でですね、次はこちら、副作用や後遺症のこと。さっきね副作用でホットフラッシュのすごいバージョンというか、滝のように汗が出るというふうなこともお伺いしましたけれども、他に何かこういう副作用があってだったりとか、逆に全部全摘して再建したからこそちょっと違和感があって寝れないとか、分からないですけど、そういう副作用後遺症とかいかがですか?
野中 一番はメンタルのところですかね、自律神経こんなに影響するんだなっていうところが大変でした。周りも大変だったとは思うんですけど、そうなっちゃうよって、触れ幅大きくなるかもとかっていうのは事前に言っておいたので、まだ受け入れてもらえたかなとは思いますね。
岸田 それをどういうふうに解決する、そのホルモンを摂取することで落ち着いたりするものなんですか?
野中 これはですね、あえてそのホルモンを止めているので、追加できないんですよね。なので、もう我慢するしかないです。
岸田 今もじゃあ我慢するしかない?
野中 今はもう治療がホルモン剤10年飲み切ってですね、した時にはもうすでに年齢的に更年期障害が出る年齢になっているので、あんまり変わらない(笑)体が慣れてますね。
岸田 そうですね、ってことはその感情の浮き沈みっていうのはもう慣れていくしかない?
野中 そうですね、1年ぐらいだったと思います激しかったのは。
岸田 それ以降は徐々に落ち着いてきた?
野中 そうですね、落ち着いてきたと思います。
岸田 ホットフラッシュはいかがでしょうか?
野中 ホットフラッシュはもうずっとですね。乳腺の手術の時にこの辺りにある汗腺、汗の腺を触っているので、一回出始めると止まらないんですよね。ホットフラッシュプラスアルファがあるので、ここはいろいろ工夫して出勤の時はタオルいろんなところに入れてですね、行くとかしてます。
岸田 着替え持ったりもするし。
野中 そうですね。
岸田 それは今もされてるってことですね。
野中 仕方がないですね。
岸田 その他に今気になることはありますか?
野中 薄毛ですね、ちょいちょいやっぱり円形脱毛も出てますし。あとはこの入れているシリコン。
岸田 シリコンどうですか?
野中 快適ですね。入れているってことが分からないので、自分のものみたくなっているので全然違和感もないんですけど、発がん性のリスクはあるっていうところと、耐用性・耐久性っていうのが、まだ私が一番長いぐらいなんですって、10年ぐらいらしいんですね、再建が始まったのが。当時は10年ぐらいで入れ替えかなとかって言われてたものの、全然平気なので、破れてからでいいんじゃない?って言われてますけど。
岸田 なかなか破れた時がなかなか大変そうですよね?
野中 そんな気がするんですけどね。
岸田 でも注意しないといけないことあるでしょ?仰向け…じゃないわ、うつ伏せなったらいけないとか?
野中 全く気にしてないですね。
岸田 気にしなくていいんですね。
野中 はい、と思います。
岸田 じゃあ普段通り生活ができる。
野中 そうですね。強い衝撃では多分破れるとは言われてますけど。
パートナーができた年に乳がんが判明——「離れていくのでは」という不安
岸田 日常生活では問題ないですね。ありがとうございます。そして次ちょっとお伺いしたいのは、ちょっと恋愛や結婚のこと。ちらっとパートナーさんとお話が聞こえてきたんですけれども、恋愛・結婚でいくのか家族・パートナーでいくのかちょっと迷ったんですけど、いったんちょっと恋愛・結婚のところでいきたいと思いますが。野中さんがシングルマザーになられてから、パートナーというか彼氏さんというか。
野中 そうですね、離婚をして7年くらい後。
岸田 後に出会われてっていったところで。ただ、そのがんになったとかそういったところに関してはどう伝えたりだとかしましたか?
野中 これはですね、実はパートナーになった年に乳がんが分かり、一番いい時じゃないですか。なのですごいショックというか衝撃と、あとはやっぱりいろいろ迷ったのは、見た目とかに迷ったのはやっぱりパートナーの存在が大きくて。いなくなるんじゃないか?とかですね、男性の気持ち分からないので胸をなくすってどうなんだろうとかですね、離れていくんじゃないかな…って思ってましたが、事実なので言いました。
岸田 言ってそれで今もお付き合いは?
野中 続いてます。
岸田 離れてないんですね、それは理解してくれたという認識ですかね。
野中 そうですね、そう思います。
岸田 そのままちゃんと伝えてそれを受け入れてもらって。
野中 受け入れてはないんだと思うんですね。でも仕方がないと思ってるのかなっていうところですかね。
「生きるところからの選択を」——妊よう性をあきらめる決断
岸田 そんな中そうですね、それで受け入れてはないけど仕方がないということで、今もお付き合いを続けておられる。そんな中で妊よう性ということもちょっとお伺いしていきたいと思います。妊よう性というのは子どもを持つ能力のことを指すといったところで、そういった卵巣も取ったりだとかね、それこそ生殖機能も取るといった中で、こういった説明ってありましたか?
野中 年齢的には41とか42なのでギリギリなんですけど、まだチャンスはあるっていうところと、パートナーができたのでどうしようかっていうところですね。でも、パートナーはどっちでもいいって言ってました(笑)ただ生きるっていうところからの選択をしてほしいっていうところで、あきらめたっていう感じですかね。
両親には乳がんも遺伝のことも伝えていない——「責任を感じさせたくなかった」
岸田 まあそのリスクをね、残しておくよりもっていったところで切除を選ばれていった。そしてその次にこちら、次に家族のことについてお伺いをしていきたいと思います。家族のことに関しましてですね、家族は家族でもこの後ちょっとお子さんのことはお伺いしますので、どちらかというとご両親だったりとかそういったところをお伺いしていきたいのですが。ご家族、特にご両親について、お姉さんもじゃないですか?そこについては伝えたとか伝えないとか、そこに関してはどうでしたか?
野中 両親と姉は愛媛だったので、私は東京だったっていうのと、あとはその遺伝っていうところをもし伝えたときに、当事の人間なので相当悩むというかショックを受けるだろうなと思っていて。全然両親の責任ではないんですけれど、そういうのを考えて両親には遺伝性のことも乳がんのことも伝えていません。
岸田 伝えていない!?大丈夫ですか?YouTube。
野中 大丈夫です。
岸田 それは両親を不安にさせたくないとか、いろいろあってですよね?
野中 そうですね。あとはじゃあ周り・親戚だったりとかにどう伝えるの?って、リスクもありますから、ってことも含めてすごく悩みました。
岸田 そうですよね。お姉さまにはもちろん伝わってますよね?
野中 そうですね、後で。
岸田 それも後でなんですね?
野中 そうですね、治療が終わった後に伝えました。東京でっていうところもあるのと、姉の方がですね、2回やっていて両親の近くにいるっていうところで、あんまり迷惑じゃないですけどかけたくないなっていうところですかね。
岸田 お姉さま何かおっしゃってました?
野中 「は!?どういうことよ?」って言ってましたね、先に言ってよって感じですけど、あんまり心配されるのもちょっとめんどくさかったのかもしれないですね。
大学進学を機に、乳がんと遺伝のことを娘へ——「すぐ受けたい」と話す検査のこと
岸田 そういったね、家族には伝えてないといったところにはなりますが、それこそお子さんに対して、子どものことといたしまして、これはね、お子さんに対してはがんになった時だったりとか、それこそ遺伝なことだったりとかいろんなことに悩むと思うんですけど、お子様に関してはどう伝えた・伝えてないとか、あと育児も大変だったと思うので育児どうしたかっていう?
野中 はい、娘には今は伝えてますけど、当時中学生だったんですね。私とかは当事者なのでドクターと話ができたりとかある程度学んでいるので変な恐怖みたいなものはないんですけど、シングル(マザー)だったので娘に唯一の親がですね、がんだって伝えたらどうなっちゃうんだろうと思って、当時は伝えなかったです。で、ちょっと普通の病気で手術しなきゃいけないかなっていうところで娘には伝えて、で、友人というか親戚のいとこにですね、ちょっと2週間だけ家に来てもらって娘の世話はしてもらってました。
岸田 その2週間は、入院してる2週間?
野中 そうですね、入院してる2週間ですね。
岸田 親戚を頼ってという。
野中 そうですね。
岸田 じゃあ子どもにはどのタイミングで伝えたんですか?
野中 これはですね、無事大学にも入ってですね、終わった段階で娘も遺伝学的検査を私は受けるべきだと思っているので、そこでちゃんと正しく学ぶ、患者会でドクターと話せる場があったりとかするので、そこに連れて行きたいと思って話しました。
岸田 その時の娘さんの反応だったりだとか、その後遺伝学的検査を受けられたかどうかとか、そこについていかがでしょう?
野中 娘は乳がんだったっていうのを後で聞いて、驚いてはいたんですけどピンピンしてましたから、悩んでる姿も見せていないので、よく多分どういったことかっていうのは理解はしてなくて、驚きぐらいだったと思います。遺伝性のことについては、50%の確率があるというところと、やっぱり私とかは出産も終わっている…で、知ったんですけど、(娘は)これからなんですよね。すごく重たいだろうなと思っていて、そこは本当に親として悩みどころではあるんですよね。でも、娘に伝えたら娘は検査をする前にどうか分からない状況で白か黒かで悩みたくはないからっていうところで、受けるまでは悩まないしすぐ受けたいっていう感じで言ってました。まだ受けてないんですけど(笑)
岸田 受けへんのかい!(笑)すぐ受けたいと言ってるけど。
野中 そう言ってるけど、全然タイミングが合えばとかいう感じで、優先順位が低いんだと思うんですけど。
岸田 だから受けることに対してすごい抵抗はないけど、まだ受けるタイミングっていうか。
野中 そうですね、早い方がいいと思っているので受けてほしいんですけどね。
土曜退院、月曜からフル出社——休まず働き続けた2週間と、その理由
岸田 ということですね。ありがとうございます。そして次の項目こちら、仕事のことといたしましてですね、お仕事、人材紹介のお仕事もされながらといったところであったかと思いますけど、お仕事は休んだりとかできたんですか?
野中 休んでなくてですね。
岸田 えっ!?
野中 ちょうど乳がんが分かった時には新しいメンバーが増えるっていう時でなんか申し訳なかったなと思うのと、なので土曜に2週間入院して土曜に退院して月曜からフル出社してるんですよね。なんかそうですね、で、メンバーにカミングアウトするのもその新しいメンバーの歓迎会の最後に、ちょっと乳がんになっちゃってみたいな、2週間、何月に休むからよろしくみたいな感じでした。仕事に逃げてた感じもあるかもしれないですね。
岸田 逃げるとは?
野中 やっぱりつらいので、乳がんとか見た目とかいろいろ考えると100%全力で乳がんに向き合うことはできてなかったんだと思うんですね。仕事に集中することで、ちょっと気が紛れるじゃないですか?仕事も頑張らなきゃみたいなっていうところで、こう張りを持たせてた気はします。
岸田 そういうふうなところで張りを持たせていつつ、仕事メンバーたちにも伝えるわけじゃないですか、乳がんでっておっしゃってたじゃないですか。その同僚たちの反応とかいかがでしたか?
野中 なんかあの、ポカーンとしてましたね、ここで言う?みたいな。心配も本当にしてくれてお見舞いにも来てもらったりとか。
岸田 ただ仕事があったからこそ乗り越えられたということもあるということで。体力的には大丈夫?
野中 きつかったですね。
岸田 ですよね!
野中 やっぱり腕が完全に上がらない状況でしたし、満員電車なのでぶつかると痛いしっていう感じですかね。
岸田 痛いしで、終わるんですか?それをどう対処するとか、せっかく今日皆さんね、お仕事しながらだと思いますので。
野中 ラッシュの時間を外します。朝早く行って、ちょっとゆっくり会社の近くで食事をしてみたいな、ちょっとリフレッシュも兼ねてですね。どうしても一人になったりとか家にいる時間が長いと乳がんを直視しちゃうので悩むみたいなのもありましたので、家出た瞬間に気持ちを切り替えられたっていうのは大きかったかなと思います。
民間保険と会社の福利厚生に助けられて——治療費のリアル
岸田 がんを考えないために仕事も勤しんでいたということですね。ありがとうございます。そんな中でなんですけど、次はこちら、ちょっと生々しくなっちゃうかもしれないですがお金や保険ということで、民間の保険入られてましたか?ということだったりとか、実際にがんになってこれだけ治療されてお金いくらぐらいかかりましたでしょうか?といったところをお伺いしていきたいのですが。民間の保険入られてました?
野中 はい、入ってました。
岸田 よかったです。治療費はいくらぐらい、自己負担でいくらぐらいかかりましたでしょうか?
野中 なので自己負担はない感じです、保険でもう全然。
岸田 そうなんですね。
野中 診断されてポンと出る300万かな?ポンと出たので、それで賄えたっていうところはあるんですけど。健康保険適用外だった部分もあるので。
岸田 自腹だった?
野中 自腹でしたね。なので、その健康保険の適用外の治療は200万ちょっとぐらいかかってます。
岸田 だから300万もらっても、200万ちょっとといろんなもろもろで全然プラスならずというか、プラスマイナスゼロむしろマイナスぐらい?
野中 ちょっと残ったぐらいだと思います、はい。
岸田 そっか。
野中 入っておいてよかったです。
岸田 その他になんかこれで意外とお金かかったなとかってあります?例えば服だったりとか交通費だったりとか、いろんなものありますけど。
野中 そうですね、やっぱり自分ごとでいきなり入院とかなると、不必要なものまで買っちゃったりするんですよね(笑)なんかこれがいい・あれがいいみたいなブログもあったりとかして。
岸田 例えば?
野中 胸の手術をするので前開きの下着がいいとか前開きのパジャマがいいとか、まあそれは事実なんですけど、前開きの下着いらなかったよなとか。なんか余計なものを悲劇のヒロイン的にサーチして買っちゃったりしてたので、まあそういったものはちょっと無駄だったかな。
岸田 まあね、何があるか分かんないですからね。
野中 分かんないんでね、ついついそうなっちゃいましたね。
岸田 あと会社の傷病手当金とかはいただけましたか?
野中 もちろんです。これは本当に大きくてですね、一般的なものプラスアルファのがあったので、還付金もありましたし、すごく会社の福利厚生は助かりました。
岸田 これもね、いろんな会社さんの福利厚生とかで負担金額がね、マックスこれまでっていうのはまた違ったりとかしますので、また皆さんも会社の規則というか、そういった人事さんに問い合わせるなりそういったことをしてもらえたら嬉しいなと思います。
ひと駅前で降り、泣きながら歩いて帰った——女性らしさを失う不安
岸田 次こちら、つらかったこと。全体を通して一番大変だった、つらかったっていうところに関してはいろいろさまざまあったかと思いますけれども、やっぱり自分も遺伝学的検査で陽性って分かった時ですかね?つらかった時。
野中 そうですね、これは当時はですね、もうあらがう術じゃないですけど理解もあんまりなかったので、あらがえないんじゃないかみたいな感じで本当になんか本当に怖かったですね。つらかったというよりは怖かったっていう感じですかね。あとはそうですね、やっぱりちょうどパートナーができた時だったので、その見た目の変化ですね、女性らしさっていうところをなくしちゃうんじゃないかみたいな。実際になくすっていうところでつらかったですかね。
岸田 そっか。一つのね、一つ目の遺伝学的検査、そこに関してはもうご自身でも納得されてやっていかないといけないって感じですよね?
野中 そうですね。逆にその知ったことで私は再検査を前倒しにできてですね、ゼロ期っていう状況で見つかって今があるので、そこは本当に知ってよかったなと、受けてよかったなと今は思ってます。
岸田 そして2つ目のパートナーのことに関してはパートナーに、言い方あれですけど、どっちでもいいよ、予防摘出をするのどっちでもいいよみたいな感じで?
野中 まあそうですね。実はですね、毎日毎日私は悩んでですね、家を…帰りの電車のひと駅前で降りて1時間ぐらいかけて歩いて帰るみたいなことをしてたんですね。それはもう仕事のスイッチが外れてですね、病気を直視しちゃうときに、とにかく嫌だ嫌だと、嫌われちゃうんじゃないかとか、パートナーなくしちゃうんじゃないかとかですね、毎日泣きながら30分ぐらい歩いてですね、ストレス発散もあるんですけど。でもまた家に娘がいますから、切り替えて泣き顔もちゃんときれいにして帰るみたいなところを毎日やっているのを(パートナーが)見て、私のつらさとか女性のつらさは分からないから、申し訳ないから分からないんだけれど、当然きれいな方がいいけど、でも一番大事なのは生きるっていうところからブレない選択をすることしてほしいっていうのを言ってくれたんですよね。未来に君がいることが重要だよって言ってくれたので、そこが、どうでもいいっていう発言もありますけど、それをパートナーが言ってくれたので、そこからはちょっと前向きに。
岸田 そのパートナーの方もしっかり考えて言ってくださったんですね。
野中 一応(笑)
ネットの情報に混乱しないために——ガイドラインとドクターを情報源に
岸田 ありがとうございます。どんどんいきますね、工夫したこと・していること。闘病中でもいいですし今でもいいですし、がんになったからこういう工夫してるよとか入院中こういう工夫したよとか、皆さんにちょっとなんかヒントになるようなことありますでしょうか?
野中 そうですね、入院中とかはちょっと一生懸命であれなんですけれど、正しい…ついついネットでいろんな情報があふれているので、いろいろネットサーフィンして混乱してしまうんですけれど、やっぱり正しい情報を集めるとかですね、ドクターとしっかり話すとか、あとは家族につらい気持ちを打ち開けた方がいいのかなと思います。理解までは難しいと思うんですね、やっぱり当事者ではないので。で、私は家族側の経験もしているので、姉のそのつらさっていうのはやっぱ分からなかったんですよね。分かってあげたいとか理解したいと思うんだけども、何していいか分からないんですよ、やっぱり家族って。そういうところもやっぱりあるので、コミュニケーションをしっかり取るとかですね、あまり負担をかけないじゃないですけど期待をしないというか、完全な理解は難しいので、なので気持ちを正直に言うとかっていうところかなと思います。
岸田 気持ちはちゃんと正直にみんなに伝えつつそして今情報っていうお話がありましたけど、情報をどのように手に入れたか?もし皆さんもいらっしゃるので、野中さんなりの情報の手に入れ方ってどうされましたか?
野中 私はやっぱりドクターからの情報と、あとその出どころですね。やっぱり病院の情報とかですね、あとガイドブックってガイドラインが出ているんですよね。
岸田 がんによってね、患者さん向けのガイドラインが出ている。乳がんもありますしあとは肺がんとかかな。
野中 そういったところ。いらっしゃるような組織だったりとかですね。
岸田 一応国立がん研究センターの職員でもありまして。
野中 そういったところ、やっぱり取捨選択っていうところはこちらに責任があるんじゃないかなと思っていて。ガイドラインはとてもよかったです。患者様のためのガイドラインっていうのが出てるんですね、乳がんとか特にですね。そこをだけ見るっていう感じでした。
「他人事が、突然自分事に」——『今』を大事にするようになった理由
岸田 なので、そこに関しては優しく載ってたりとかしますので、ぜひそういったものも活用してほしいなと思います。あと数個になります。がんになる前と後で変わったこと。人生観とかね変わるということもがんになったらあると思いますけれども、野中さんはどういったことが変わりましたでしょうか?
野中 やっぱりならないほうがよかったんですけれど、それまで本当に他人事だったのが突然自分事になり、こうやってあらがってきて、なのでそういった方が周りにたくさんいるんだなということを知り、そういった方たちとか病気のことも含めていろんな理解が深まったり視野が広がったし、しない方がいいですけどそういった経験っていうのも積み上がってきたなと思っています。で、考えるようになったのは、人生とは?みたいなモヤっとしたところを今まで全然考えなかったんですけど、病気になってですね、もしかしたら限りがあるかもしれないみたいな状況になって初めて何か考えるようになって。なんかこう『今』っていう、大事にしなきゃなとか丁寧に過ごさなきゃなみたいに思うことは増えました。それはすごくよかったなと思います
岸田 今大事にされてますか?
野中 たまに大事にします(笑)
岸田 まあね、日々のね、日常になってくるとね、お仕事だったりいろんなことありますからね、なかなか忙殺されてってなりますけど。たまにそういったことを思い出されるような?
野中 そうですね。
65歳で定年を迎えたら「ワクワクする状態でいたい」——これからの夢
岸田 ということになります。ありがとうございます。そして今後の夢や目標、今後どのようにね、野中さんがされていくのか、今のウィッグの会社もそうですし、野中さんの歩む道として今後どのように目標や夢ありますでしょうか?
野中 そうですね、私は今のリクルートメントの仕事が大好きで、ここはやっぱり定年まで元気に勤め上げたいなと思っているところですね。で、ウィッグのところもやっぱり仲間意識もあってですね、感謝をいただくことがすごく力になっているので、ここもやっぱりちゃんとやっていきたいしそういう責任があると思っています。そして60とか65で定年を迎えた時に、ここからゆっくりしようとか楽しもうっていう、ワクワクするような状態になってたらいいなって思ってますね。
「正しく知って、正しく恐れる。そして前を向きましょう」——野中さんからのメッセージ
岸田 やっぱりそういうの結構理想ですよね、いいですよね、そんな形になっていくと。
最後メッセージという中でですね、野中さんにメッセージをいただいてちょっと終わっていきたいなということを思います。これはね、視聴者さんとか今日来てくださっている方に向けてになるんですが、野中さんからのメッセージこちらですね。

野中 正しく知って正しく恐れる、そして前を向きましょう。です。その理由としては、私自身まさかこうなるとは思ってなかったっていうところをですね、乳がんとして分かってですね。意外にポジティブで冷静でロジカルだとかで自分のことを思ってたんですけど、実際になってみて、胸をなくすの嫌だとか髪抜けるの嫌だとか女性らしさをなくすの嫌だとかですね、病気じゃない部分でですね、いろいろパニックになったりとかしたんですよね。なので、きっと突然にそういうことになるとですね、そうなってしまうんですけれど、やはりその中で少しでも正しく知ってもらってですね、正しく恐れましょうと。女性髪が抜けるのが嫌だから抗がん剤を拒否するとかですね、乳房を残したことで再発してしまってっていう仲間もいたりとかします。それを否定するわけではないんですけれど、できるだけですね、正しく知って正しく恐れるというところで、つらいんですけれどやっぱりどういう形、姿形になってもやっぱり生きているとか未来があるっていうのがすごく大事なことだと思いますので、前を向いていきましょうというところでございます。ありがとうございます。
岸田 野中さん、ありがとうございます。正しく知って正しく恐れる、まずは知るところとか正しい知識を得るところからだと思いますので、ぜひね、皆さんも今回を機にさまざまな遺伝性乳がん卵巣がん症候群のことを知っていただいたと思いますので、これだけではなくてさまざまながんもありますので、それも知っておいていただきたいなということを思います。野中さんどうでした?配信してみてですけれども、感想として。
野中 そうですね、10年という節目で病気になって改めて振り返る時間になり、こういう皆さんに聞いてもらえるっていう機会をいただいてとても感謝しています。
岸田 本当皆さんに知っていただいてありがとうございます。これにてがんノート終了していきたいと思います。また皆さんね、動画でまたお会いできたらと思いますのでよろしくお願いします。どうもありがとうございました!バイバイ。
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