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インタビュアー:岸田徹 / ゲスト:岸田剛

精巣腫瘍を経験した兄が初登場――岸田剛さんのプロフィール

岸田徹 本日のゲストは岸田剛さんです。

岸田剛 私は精巣腫瘍でステージⅠでした。皆さま重い経験されてる方もいらっしゃると思います。私ごときでこんな立場に出ていいのかと悩んだことも正直あるんですけども、これもこれで経験なので出させていただくことにしました。

岸田徹 次、闘病時期いつですか。

岸田剛 闘病時期はちょうど1年前です。12月14日に手術をしましたので、ちょうど1年たちました。ただ今3カ月に1回、病院で血液検査しながら、自分の体調が悪いときは自分から進んで血液検査をして、経過観察して何事もないことを祈りながら、毎日生きております。

岸田徹 ありがとうございます。前ちゃんと向いてくださいね、ありがとうございます。コメントも『100回素晴らしいですね』、『横顔がそっくり』って言葉いただいてますね。

岸田剛 本当に昔から「似てへん」って言われたもんな。

岸田徹 『お兄さまの冒頭があいさつでした』とかね。似てないって言われてますよね。

岸田剛 一緒に歩いても兄弟って思われないんですよ。

岸田徹 どうですか、皆さん。

岸田剛 8個離れてるんでね。

岸田徹 7個ですね。

岸田剛 7個ですか。

岸田徹 一緒にショッピングとか行ったら絶対「お友達ですか?」とかですよね。兄弟と見られたことあまりなかった。だからよく、学生の頃のねたは、どっちが川で拾われてきたかねたね。ありましたね。

岸田剛 そんなこと言われたな、ほんまに。

岸田徹 よく高槻の川でどっちが売られてたかとか、そういったことありました。こういった兄でございます。ふつつか者ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。

岸田剛 お願します。

まさかの「がんです」――泌尿器科クリニックから大学病院へ、怒涛の1週間

岸田徹 お兄さまの発覚、告知というところをお話しいただきたいんですけれども、どうやってお兄さま、お兄さま言いづらいねん。兄上どうやって・・・。

岸田剛 もう変わりましたよ。

岸田徹 どうやってがんが発覚したんですか、当時。

岸田剛 これはもうびっくりですよね。多分、皆さまびっくりの一言かもしれません。僕は精巣腫瘍特有の左精巣が腫れ上がりました。なので、男性は分かりやすい、女性は分かりにくいかもしれませんけど、左精巣が知らぬ間に腫れ上がってました。痛みはありませんでした。腫れ上がったのでおかしいなということで、まさかとはそんとき思いましたけど、いやらしい話そういう・・・。

岸田徹 いやらしい話か分かんないですね。どうなんですか。

岸田剛 性病かなとか、そういうところしかなかったですけど、身内にこういう大病した人間もいるんで、まさかと思いましたけど。そして知り合いの、名前出していいんかな、チハリンっていう。

岸田徹 分かんないですね。

岸田剛 友人がいるんですけど。

岸田徹 友人でいいと思います。全然。

岸田剛 友人に聞いて、泌尿器科クリニックさんを教えてもらい、その泌尿器クリニックさんで血液検査し、MRI撮り、やってもらってから1週間たって、様子がおかしいんですぐ病院来てくださいと。

岸田徹 どれぐらいの時期から腫れ上がってきたんですか。

岸田剛 それが覚えてないんです。「きょう『がんノート』出ますよ。なんで、いろいろ調べてください。思い出してください」って言われました。でも正直覚えてないです。もう思い立ったがなんちゃらで、気が付けば腫れてた。申し訳ないです、もう普段からそんな全身あちこち触ってしこりを探すなんてしてる人は多分いないと思います。もう本当に気が付けば腫れてた。

岸田徹 気が付けば腫れてた。それ気が付いたのが12月初旬?

岸田剛 初旬です。

岸田徹 それはどうやって気付いたんですか。あっちゃこっちゃ触ってないわけでしょ? なんのときに気付いたんですか。

岸田剛 トイレですね、お手洗い。 小便ですね。

岸田徹 お小水。どんな感じで。お小水してるときに・・・。

岸田剛 お手洗いしてる間に、ちょっと下向くでしょ? 

岸田徹 下向きますかね、大体ね。

岸田剛 下向いたときの自分のいつもの画像と違う違和感、分かる?

岸田徹 画像と違う違和感。

岸田剛 いつもシャワーするやん。

岸田徹 シャワーしますね。

岸田剛 でも例えばシャワーの取っ手がここにいつもある。普段いつもここでやんねんけど、そんときは取っ手が下のほうにあった。

岸田徹 分かりづれえ。いつもの感覚と違ったんですね。『がんノート』なんで、センシティブな情報OKなので大丈夫です。ぽろんと出したときに、いつもと感覚が違った。それでちょっとおかしいなと思ってからすぐ。まずしたことはなんですか、違和感があってすぐご友人の病院に行ったのか、それともご連絡くださったじゃないですか。

岸田剛 連絡したよ。どうしようって。 すぐ泌尿器科クリニックは診断しに行きました。

岸田徹 泌尿器科クリニック行って。

岸田剛 1週間後ですね。お医者さんから電話あって。すぐ来てくださいと。すぐ病院に行くと、「言いづらいんですけど、がんです」と。お医者さまも言いづらいでしょうね。血液検査のがんの値なんて普段、健診とか受けてますけど、そういう特別な数値を測ることはないと思います。僕は特定検診や血液検査したときには必ず入れてほしいと思います、経験者なんで。いつまた再発するか分からない、そういう恐怖も一回なられたことのある人はあると思います。僕もあります。ステージⅠのくせにあるんです。再発したくない。そうやって1週間後、先生から連絡いただいて、病院行って、がんですと。「即大きい病院行ってほしいので紹介状書きます」、そういうことですね。

岸田徹 ありがとうございます。じゃあ、がんを告知されたとき、頭真っ白。

岸田剛 真っ白ですね。

岸田徹 真っ白なって、何か他に思ったことありますか。

岸田剛 やってしまったって正直な感想だと思います。なっちゃった。

岸田徹 なっちゃった。そう思って、なっちゃったっていうのはテンション上がり芸じゃないですよね? なっちゃったですよね。

岸田剛 なっちゃった。

岸田徹 なっちゃったって思ってから、めっちゃやりづらい。ちゃうねん、本当にやりづらい。史上最高にやりづらいな。やっちゃった、なっちゃいました。そこから気持ちが沈みます。沈んでからすぐやったことは大学病院に行きましたか、そのまんま。

岸田剛 すぐやったことはおまえに連絡したから、だから。

岸田徹 まず電話いただいたときに、「やばい、俺、がんかもしれへん」と。「取りあえず血液の値は悪かったらしい」と。「それでこれから病院を紹介されるんやけれども、どこがええねん?」と。それでどうしたらいいっていうのを連絡を受けたのを僕、覚えてます。

岸田剛 それから、今、住まいが愛知県に住んでるんですけど、名古屋の大学病院さんに紹介状を書いていただき、そのまますぐ言われた指定日に行かせていただきました。そんな感じです。

岸田徹 そのときに僕としては、どこがええねんってなったときに、関西とか関東の病院だったら僕もいろいろ、精巣腫瘍なので存じ上げてるんですけども、名古屋ってどこがええねんということなったときに、それは僕も知らないところだったので、びっくりもしましたし、どうしたらいいやろうと思いました。幸いか分からないですけど、兄貴は同じ病気だから、僕もいろいろ転移して生き残ってるから、兄貴もそのとき聞いたときは、まだ大丈夫だろうということ思ったんですよね。だから、じゃあ名古屋の病院かってなったときに、すぐ連絡を取ったのは、僕は名古屋にいる患者さんにすぐ連絡を取って、精巣腫瘍って希少がんっていう珍しいがんなので、「みんなどこ行ってる?」ということ言ったら、患者団体の患者さんが二つ、三つ教えてくれたんですよね。二つ、三つ教えてもらって、それを兄貴にフィードバックしたという形です。何個かある病院の中で、最終的にはどこの病院、選択されたんですか。

岸田剛 大学病院です。

岸田徹 名古屋にある大学。もう名古屋にある附属の大学病院ですね。

岸田剛 はい。

岸田徹 なんでそこに決めたんですか。何個か出したじゃないですか、私。

岸田剛 そういう愛知県内でもがんを専門にしてる病院、施設は何個かありました。僕がその病院を選んだっていうのは、これはリアルな話なんかな。

岸田徹 ぶっちゃけトークでお願いします。

岸田剛 もし何かあった、手術失敗した、そんなことないと思いますよ。手術失敗した、大人になったんかもしれませんけど、僕も38になって、物事をやることに関して最悪な状態って考えるじゃないですか。もし失敗したらどうしよう。そうすると、その後のフォローがしっかりしていただける施設っていうところは、もう最重点に考えましたね。精巣腫瘍だけにかかわらず、他に転移してたら同じ場所で診察してもらえる、何科っていうのは僕はものすごい大事なことなのかなと思って、お世話になりました。

岸田徹 それで名大病院にお世話になったということですね。

岸田剛 言っちゃった。そう。

岸田徹 ありがとうございます。発覚して、じゃあ名大病院行きました。そこで、いろいろ最初、検査とか受けるじゃないですか。そのときに先生はどうおっしゃったんすか、治療方針なり治療のことについて。

岸田剛 後でフリップにも出しますけど、僕はもう、一言です。もう即手術。簡単な話ですよね。言葉では簡単です。即手術。以上。

岸田徹 以上ということで、コメントも『患者同士のネットワーク大切ですね』とか、『大丈夫。ぐだぐだで面白い』っていうこともあったりとかね。『どこの病院がいいかってすぐには分からないし、治療後冷静に考える余裕もなかったですね。弟さんの存在とネットワーク大きいですね』というコメントもいただいております。そちらが、こちらがフリップ。

岸田剛 おっしゃるとおり。

「考える暇もなかった」――精巣腫瘍の手術が翌日に決まるまで

岸田徹 小さくて申し訳ないです。フリップ。2014年12月、左精巣の腫れ、そして血液検査してMRI撮って、即手術ということ言われましたと。手術のときの説明とか、いつ手術しますよっていうのはどうだったんですか。お医者さんとどんな会話しましたか。

岸田剛 もうその辺も所々しか正直覚えてません。自分はがんになりましたっていうところで、もうテンションが下がってます。落ち込んでます。手術って言われました、余計、落ち込みますよね。落ち込むんですよ。

岸田徹 めっちゃ同意求められてるけど、そうだと思います。

岸田剛 手術か。その後、先生が何を言おうが頭に入ってこないんですよ。もうキーワードってあるじゃないですか。

岸田徹 キーワードあります。

岸田剛 がん、手術、抗がん剤、キーワードを言われると、それを意識し過ぎてか分かりませんけど、他の言葉が入ってこないんですよね。だから先生に何、話されたかって僕も考えてましたけど、こと細かくは言えないですね。

岸田徹 じゃあ残ってたキーワードは何でしょうか。1年たっても覚えてるキーワード何でしょうか。

岸田剛 すいません、即手術。こういう流れになるんちゃうかな。

岸田徹 即手術しますと。そこからどんな感じで手術が進んでいったんですか。

岸田剛 患者側が考えさせられる暇もないぐらいスピーディーでしたよ。スピーディーでした。翌日ですもん。

岸田徹 翌日。早いですね。

岸田剛 1週間後、2週間後の話じゃないよ。

岸田徹 じゃあ、大学病院紹介されて行きました。じゃあ手術しましょう。

岸田剛 その日やったかな。

岸田徹 その日?

岸田剛 入院の翌日手術。

岸田徹 誰か分かってる人連れてきて。

岸田剛 即日? 紹介状もらいました。大学病院行きました。これはもう、すぐやったほうがいいですね、手術室連絡します。段取りできました。じゃあ今から入院してください。翌日即手術です。だから、ありがたがったです。もう僕の場合はタイミングも良かったのか知りませんけど。

岸田徹 念のため補足をしておきますと、胚細胞腫瘍、精巣腫瘍はすごく転移が速いがんなんですよね。転移とか活発ながんなので、すぐ治療するというのがセオリー、鉄則になっております。なので手術できるのであれば、すぐするということで、もうすぐ手術してくれたと。

岸田剛 はい。さすが『がんノート』代表でございます。ありがとうございます。さすが。

岸田徹 同じがんやから。なんなら、ここにいっぱいお医者さんいるから。大丈夫、何かあっても。

岸田剛 すいません。

岸田徹 きょう、ちょうどmisonoさんの旦那さんが胚細胞腫瘍というニュースがいわれてたんですね。

岸田剛 そうなんです。朝Yahoo!、皆さん携帯見られたかもしれませんけど、俺も何かの縁かなと思いました、これ。

岸田徹 多分、縁はないと思います。即手術になりました。翌日って言われたらもう、はいってやるしかないですよね。そのとき手術し・・・。

岸田剛 もう考えさせられる暇がないです。先ほど弟も言ってくれたように、進行性がん、スピードが速い、ましてやAYA世代っていうの?

岸田徹 15歳から39歳の若い世代の人のことを言いますが。

岸田剛 こういう世代のわれわれ、若い人間がなった場合は早く治療したほうがいいっていうのは、僕もそう思いました。

岸田徹 ありがとうございます。手術しに行きます。その後、段取りとか、すぐやりました?

岸田剛 やりました。

岸田徹 手術して戻ってきましたと。

岸田剛 戻ってきましたね。

岸田徹 その後、治療は問題ないんですか、手術。

岸田剛 今のところ問題ないです。

岸田徹 どれぐらいの手術だったか覚えてますか。

岸田剛 覚えてません。

岸田徹 覚えてません。数時間だったはずです。

岸田剛 そうですか。

岸田徹 なので、兄の場合は特殊かもしれませんが、即手術して、すぐ取り切って、一応、抗がん剤とか放射線とかしてないんですか。

岸田剛 してません。

岸田徹 せず、今はいるということでございます。これが治療に関してのことにはなるんですけれども、そのときの写真といいますか、写真のところにいきますね。もうちょっとこっち来てもらえます? 当時、兄上が、がんになる前、僕ががんになった後のときの写真を出しますね。これが兄の当時の写真。当時っていうか数年前やけど、この写真覚えてますか。

岸田剛 はい。若いですね。

岸田徹 これが、僕が、がんになった後に九州を巡っていたときに、兄が付いてきてくれて。

岸田剛 行ったね。

岸田徹 そのときの写真になりますね。こういった兄の形でした。入院する、この次の写真をですね。そっから入院をしていきますと。入院した日。

岸田剛 それは退院した日ぐらいじゃない?

岸田徹 前後してるね。これはじゃあ退院したときに撮られた。

岸田剛 退院したときに僕がお菓子が好きだっつって、いただいたやつですね。

たった3日の入院でも体力は激減――術後の痛みと歩行訓練のリアル

岸田徹 ありがとうございます。じゃあ入院してたときの写真が次、こちらになりますね。これはどんなときの写真ですか。

岸田剛 これは麻酔覚めた直後ぐらいじゃないです?

岸田徹 麻酔覚めた直後ぐらい?

岸田剛 多分。自分の寝顔は自分で見れないんでよく分かりませんけど、多分そんな顔してそうな気がします。

岸田徹 自分が退院したときのこんな麻酔のときとか、なんか覚えてたりとかしますか。

岸田剛 すいません、全然覚えてないですね、

岸田徹 「めちゃくちゃ痛い」って言ったの覚えてますか。

岸田剛 覚えてます。

岸田徹 どう痛かったですか。

岸田剛 精巣取る、尿管に管入れる、この違和感と、僕、生涯初めてなんです、こんな大手術。これを大手術って言っていいか分かりませんけど、それの緊張感でもう目が覚めた瞬間に、至るところに管巻かれてるじゃないですか。だからもう痛くて。

岸田徹 痛くて。

岸田剛 それだけ?

岸田徹 すごい痛かった。痛みはどれぐらいで引きました?

岸田剛 でも2日ぐらい?

岸田徹 兄上が、そのとき僕も駆け付けたんですよね、手術のときに。手術のときに駆け付けて、第一声が。覚えてらっしゃるか分かんないですけど、手術帰ってきて、ちょっと麻酔が切れかかったときに目を覚まして、第一声が「おまえ、ようこんな手術やったな」と。

岸田剛 思い出した。言った。

岸田徹 思い出しました? それ言いましたよね?

岸田剛 言った。俺、おまえの顔見て一言、言ったね。言った。

岸田徹 その後、二言、三言目あるんですけど、大丈夫ですかね。言いましたよね? 「おまえすごい手術したな」と。「おまえすごいわ」ということ言われたの覚えてます。その次、何言ったと思います? 兄貴。覚えてないですか。「おまえ遠いとこから来たやろ」と。「おまえ新幹線代、出したるから」って。素直にすごいなと思いました。自分のことじゃなくて相手のことをまず考えんのかと。本当に多分、痛いときですよ。そこの病院の寝てるところの隣に「ロッカーがあるから、そこに財布入ってるから、そっから取ってけ」っていうこと言ってたんですよ。それは覚えてない?

岸田剛 言うたような気がする。

岸田徹 その三言目が、「名古屋でおいしいもん食べて帰れよ」ということをおっしゃってた。

岸田剛 おまえすごいな。よう覚えてるね。感心。さすが。

岸田徹 一応、身内の大事なので、そういうことを覚えてますね。

岸田剛 昔からメモ魔やったもんな。すごいわ。

岸田徹 そういうことで、すぐ退院しましたよね? その2日後、3日後ぐらいにはね。

岸田剛 4日後かな。

岸田徹 けど退院するときに、僕、大変だったんですけれども覚えてますか、駐車場問題。覚えてません? なんで俺が全部、おかしいな、ゲスト兄上やねんけどな。覚えてないですか。

岸田剛 教えてください。すいません。

岸田徹 これ地方病院あるあるなんかもしれないですけど、車でご入院されたんすよね。車、駐車場に置いてるわけですよ。退院されるときにその車をどうするかと。自分で乗って帰ることが、残念ながら急所なのであまり。それでアクセルっていうのは難しいと。じゃあ、その車をどうするかってなって、僕が取りに行きましたよね? 駐車場にね。

岸田剛 はい。

岸田徹 車を取りに行って、重い外車を家まで僕が持ってったっていうの覚えてますか。

岸田剛 思い出しました。ありがとうございました。

岸田徹 それもありましたし、あと荷物とかはいろんな人に手伝ってもらいましたもんね。

岸田剛 いろんな人に手伝ってもらいました。

岸田徹 いろんな人に手伝ってもらったというものはありました。そのおかげさまで、兄は今こんな感じで活動をしています。釣りしてるんですか。

岸田剛 うん。

岸田徹 釣りが趣味っていうことでいいんですか。

岸田剛 趣味ではないですけど、後でまた色紙にも書かせてもらいましたけど。

岸田徹 じゃあ色紙に書いてるんだったら、言うたら駄目ですね。

岸田剛 言うたらあかん。取りあえずこんな感じで。俺も言おうと思った。危なかった。

岸田徹 待って、趣味じゃないのになんでこの写真、いいや。元気になってるということですね。

岸田剛 そう。

岸田徹 元気に今こんな活動もできてますよということです。ありがとうございます。『兄弟の愛を感じる』とか、『兄弟愛の深さを感じます』とか、『お兄さん、そしてかわいい弟さんですね』と。ありがとうございます。

岸田剛 ありがとうございます。

岸田徹 そしたら、じゃあ家族のこととか言ってもいいですか。もうこれ・・・。

岸田剛 多分これ、皆さんが徹のちっちゃい頃のことを知りたいんちゃうの?

岸田徹 じゃあ家族のことということで、どんなご家族ですか。どんな家系、ご両親いてとかそういう話を。家族の話をしてください。どんな家族構成ですか、お兄さん。

岸田剛 じゃあ私、岸田家を紹介さしていただきますと、父親、母親で私、長男と次男の、今、届かへんかった、徹、この4人ですね、家族は。

岸田徹 家族はその4人ですと。お父さんやお母さまは何なさってらっしゃいますか。

岸田剛 今は出来の悪い長男、次男のために、まだ父親は働いてくれてますし、母親も一生懸命働いてくれてますね。

岸田徹 働いてくれてますね。

岸田剛 おまえも感謝せなあかんね。俺も感謝せな。

父は物分かりがよく、母は心配のあまり暴走した――岸田家流のサポート

岸田徹 ありがとうございます。そういった家族構成で、がんになったときに家族からこういうことされてうれしかったとか、こういうことされたら嫌だったっていうことを教えていただけますか。

岸田剛 家族にしてもらってうれしかったこと、心配してくれる人がいるっていうのはうれしいですね、単純に。

岸田徹 うれしかったこととか、こういうサポートしてもらって、心配以外にも具体的になんかしてもらったこととかありますか、家族に。ないのかな? 家族のサポートなかったのかな?

岸田剛 もちろんありますよ。いっぱいあり過ぎて何を出していこうかなと。

岸田徹 父や母にしてもらったこととかなんかありますか。いいことでもいいし、これは嫌だったっていうことでもいいですよ。

岸田剛 分かる?

岸田徹 もう全て言っちゃって大丈夫です、何でも。言っちゃって大丈夫です。

岸田剛 僕もここにいる弟もそうなんですけど、父親は物分かりのいい人間なんです。こちらもちゃんとまっすぐ説明してくれると、そうかと聞いてくれます。ただ、この岸田徹のブログや、『がんノート』のサイトを見ていただいた方は分かるかもしれませんけど、母親が、少し早とちりをするっていうか、自分の意見を言いたがるというか、仕切りたがるというか。

岸田徹 お母さんですからね。ありますよね。かわいい息子のために。

岸田剛 息子たちのためにね。なので、この徹のキシリトールのブログにもアフラックさんのにも書いてありましたけど、母親が病院に電話して手術をやめさせると。

岸田徹 それ僕んときですよね?兄上んときの話?

岸田剛 ないけど、だからそれだけ自分の意見を言うんで、こっちががんだと伝えてから、わあって言ってくることはつらかった。

岸田徹 言われたんすか? なんか。

岸田剛 言われたと思うよ。

岸田徹 想像で語ってるんすか、今。ちょっと待ってください。

岸田剛 ちゃうやんな。あれ食べろとかさ、食事。

岸田徹 あれ食べろとかありますよね。何、食べろとか、何、食べるなとか言われました?

岸田剛 黒ゴマ食べろとか、そんなこと言うの。ファーストフード食べるなとか、コンビニ弁当食べるなとか。

岸田徹 お肉も食べるなとか。

岸田剛 そう。よう調べてくれたんやけども、そんなこと言われてもみたいな。

岸田徹 お肉を食べるなって言われてんのに、次の日の食卓に出てくるのは肉ギョーザだったりとかするんですね。結構、大変ですよね、岸田家ね。

岸田剛 大変やと思う。

岸田徹 けどそういうこと言われるわけじゃないですか。どう対処したんすか、お兄さんは。

岸田剛 聞き流す。これが一番。

岸田徹 聞き流してたということですね。ご両親はそういったところで、弟さんもいらっしゃると思うんですけど、弟さんからどういうことあったとか、なんかありました? 昔の話とかおっしゃってましたけど。

岸田剛 隣にいる弟を目の前にして言うのはなんですけど。

岸田徹 何言われるか分からないんで、怖いんですけどね。いいです、何でも好きなこと言っちゃってください。

岸田剛 変な話、これだけ年が離れてるんです。7個も離れてると、僕のお兄ちゃんとしてのイメージはちっちゃい頃にしかないんですよ。僕が小学校の頃にちょうど生まれたときぐらいなんで、そんとき僕は毎日、横で寝てました。小学校、中学校行っても、僕「赤ちゃんくさい」って言われたんですよ、周りに。知らんやろ?

岸田徹 知らないです。

岸田剛 そら知らんわな。赤ちゃんくさいって、それぐらい多分、家帰ってべったりだったと思います。

岸田徹 僕も覚えてますけども、小学校、中学校帰ってきたら、「徹はいるか?」みたいな形ですぐ来ましたもんね、僕んとこまでね。

岸田剛 よう覚えてるな、そんなこと。おまえ、そんときから頭良かったんや。

岸田徹 そんなことないです。すごくよくしてもらってたなと。多分、学校に友達があんまりいなかったんだと。

岸田剛 これを見た昔の友達、連絡ください。

岸田徹 もう幼少期それで終わりでいいんすか。なんかエピソードないんすか、他に。

岸田剛 徹に?

岸田徹 兄弟間の。せっかくなんで。

岸田剛 兄弟間って、そっから僕が中学、高校、大学まで行かせていただきましたけど、こんときって僕も目は外に向いてるんで、全然、接点なかったよね。

岸田徹 結構やんちゃされてましたよね? 中学校の頃ね。僕は兄上がいろいろやんちゃしたのを見て、僕はこうしたら大変なんだなとか、そういったものを学ばせていただきました、兄上に。

岸田徹  話を戻して、闘病中に弟さんがしてくださったこととか、こういったことで、良かったこととか悪かったこととかないですか。

岸田剛 話戻ったね。

岸田徹 出てこなさそうやったから戻しました。

岸田剛 闘病中にっちゅうか、こんだけ身近に、こんなけ大病した人間がいる話はありがたいし、そういうところが一番、力になりましたね。

岸田徹 ありがとうございます。めっちゃさらっとしてるけど、次、いこ。皆さん、後できょうに関しては質問タイムを設けようと思ってますので、そのときにまた質問してください。

「自分から言うことではない」――がん経験を恋愛・結婚相手に伝えるか否か、当事者の本音

岸田徹  次、恋愛結婚ということで、今、家族の話はありましたけれども、ご結婚の・・・。

岸田剛 してないです。

岸田徹 そこら辺についてもお話しいただけますか。お願いします。

岸田剛 正直な話、バツイチです。今、独身で、1人でいる状況ですね。

岸田徹 がんになったことを恋愛するとき、どのタイミングで伝えますか。なったことを、恋愛とか、結婚とか、いろんな、そういうパートナーができたときに、がんだったっていうことを初めに言いますか、それとも付き合ってから言いますか。それとも結婚してから言いますか。

岸田剛 僕、一生言わないかもしんない。

岸田徹 え?

岸田剛 隠すって言われたら隠すんかもしれへんけど、俺、多分、言わんかも。

岸田徹 もうこんなとこに出てて、まじか。

岸田剛 これ出てたらあかんね。ばれたね。

岸田徹 想定外やわ。なんで言わないかもしれないんですか。

岸田剛 再発したくないし、そうやって自分ががんだったってあまり思いたくない。ていうのが本音かな。

岸田徹 がんだったってことを言いたくないから。けど生涯付き添うパートナーだったら、そういうことは言ってもいいんじゃないんすか。そんなことない?

岸田剛 悩むね。本来は多分ちゃんと言うべきやと思いますし、そういうお互いの事情を知ってから、結婚とか恋愛もするべきだとは思いますけど、人って結構一つ、二つ、秘密事ってあるんじゃないの?

岸田徹 人ですからね。人間はあると思いますよ。

岸田剛 僕は言えないかな。

岸田徹 その秘密事これにする? こんな公にしてんのにこれにするの? いいよ、それ、人それぞれだから。

岸田剛 隠すことじゃないけど、自分から言うことではないかなと思う。

岸田徹 じゃあ、もっと踏み込んでいきますね。じゃあパートナーとセックスになったとき、片玉じゃないですか、取ってるからね。これどうしたん?っていうこと言われたら、どう言うんすか。

岸田剛 どうしたんとか最近、言われたことないから分からへんけど。

岸田徹 取りあえず最近の話はしてない。もし言われたら、これからの話。

岸田剛 そういう状況ならちゃんと言いますよ。こういうことがあって、手術して取りましたと。

岸田徹 それはセックスの最中に? それともセックス終わってから?

岸田剛 最中には聞かれへんと思うよ。

岸田徹 想定的にはそっちね。最中には聞かれへんと。終わってから、そういや玉なかったけどって言うんや。それもないような気がするけど。

岸田剛 じゃあ始めか。

岸田徹 どっかのタイミングで聞かれたら、そんときは言われる。

岸田剛 ちゃんと聞かれたら答えるよ、もちろん。

「妊娠って奇跡じゃないですか」――精巣腫瘍後の生殖能力に、当事者はどう向き合うか

岸田徹 ということでございますね。そして妊よう性という言葉もあります。妊よう性って生殖能力のことを言うんですけども、妊娠する力があるかどうかといったところ、ありますけれども、こちらに関してはどうですか。玉は取りましたけれども生殖活動はできる。

岸田剛 その辺は分からないですよね。なんで、だから一緒にあれやん。

岸田徹 分からない?

岸田剛 ちゃう、聞いて。一緒に遺伝子検査受けたやろ?

岸田徹 受けました。

岸田剛 あれで分からへんかった?

岸田徹 遺伝子検査でここまでは分からないと思います。

岸田剛 分からないか。

岸田徹 われわれがやったやつは200ぐらいの遺伝子の、がんになるかどうかっていったものを検査しただけなので。

岸田剛 分からんかった。

岸田徹 分かりませんでした。

岸田剛 この妊よう性に関しては、いちかばちかじゃないけど、妊娠をすることって奇跡じゃないですか。なのであんまり僕は深くは考えてないです。

岸田徹 ありがとうございます。普通に補足させていただくと、兄上は多分、抗がん剤はやってないんですよね。精巣を片方摘出したっていうものになるので、今は精子は出る。と思いますので、生殖能力はあるはずだと、私は推測させていただきます。

岸田剛 ありがとうございます。

岸田徹 ねたなんですけど、2人で1人分なんですよね。

岸田剛 そやな。

岸田徹 分かりますかね。片玉同士で、2人で1人の男性になるという形に。

岸田剛 女性は大変やで。

岸田徹 女性は分かんないですけど、ただ僕が出ない分、兄が出していただければなと思います。『思いたくない、分かる』とか、『分かる気がする』とか、『言わないって選択とは』、『この番組で、さすが兄弟だな』ということをコメントでいただいてると。

岸田徹  じゃあ、先ほど遺伝子の話になったので、遺伝子の話もいきますけれども。兄が、がんになったことによって、私たち兄弟で因果関係があるのかどうかっていったことを、国立がん研究センターさんで遺伝子検査をすることになりました。それ今年の夏ですよね?わざわざ兄が名古屋から来ていただいて、それで2人で血液採りましたよね?

岸田剛 採りました。

岸田徹 採って、その1カ月後にまた結果が分かるよということ言われて、血液検査聞きに行って、そのとき来なかったんですよね。

岸田剛 そのときは行けませんでしたね。

岸田徹 そのとき来なかったんで言いますと、兄弟で精巣腫瘍、同じ腫瘍になるっていうのは非常に珍しくて、多分そういった検査、世界的な文献も見ましたもんね。世界的に文献見たら、フィンランドかどっかの研究結果とかあったんですよね。そのときなんか書いてましたよね。そのときは兄弟の片一方ががんであれば、もう片一方ががんになるリスクは、ちょっと高くなるというような研究結果は確かにありました。

岸田剛 あった。

岸田徹 ただ全然、n数はめちゃくちゃ少ないんですけれども、そういう研究結果はありました。国立がん研究センターで遺伝子検査返ってきました。何かなっていうこと言われたら、お医者さんに「ご兄弟の遺伝子の因果関係はありません」と、そう言われたんすよ。どう思います?

岸田剛 因果関係はなかったんです。てことは、それをでも僕が弟から聞いたときにふと思ったのは、遺伝子でがんがうつるとか、おじいちゃん、がんだった、お父さんお母さん、がんだったから、私もがんじゃないかっちゅう話って多いじゃないですか。

岸田徹 ちまたにね。

岸田剛 ちまたに、一般的によく言われるじゃないですか。がんでした、じゃあお父さん、親せき、おじいちゃん、おばあちゃん、がんたったの?なんて。そんなことも最近はもう関係ないのかなと。現代病の一つかなと思いました。ごめんなさい。

岸田徹 全体のがんで言うと、本当に遺伝子の家族が関係するって約5パーセントということは言われています。どちらかと言うと生活習慣だったりとかコピーミスとか、そういったところががんになる確率が、リスクが高いんじゃないかとか、たばことか、そういったものは言われているんですけれども。ただ補足をさせていただくと、僕と兄の遺伝子検査をチェックしたのは、さっき言った200ぐらいの遺伝子なので、遺伝子ってもっと膨大にあるじゃないですか。だからそれを全部チェックしたらまだ分からないです。何か、もしかしたら因果関係やなんか、あるかもしれないですし、それは今後の医療に期待するということで。多分、日本で精巣腫瘍で兄弟の例が何か学会で出てたら、大体、僕らのだと思います。「見たことない」言われたから、お医者さんにね。

岸田剛 データ提供せなあかんな。

岸田徹 データ提供の書かされたから、ちゃんとな。

岸田剛 そう。でも有効に使っていただけるんならね。

岸田徹 橋の下の子なんてみたいな、兄弟の因果関係ないっていうことで、『もしかしたら本当に橋の下の子で生まれてきたんじゃないの?』っていうコメントをいただきました。ありがとうございます。

岸田剛 今んとこ、俺やな。

手術から2カ月で21時間勤務に復帰――運転手として職場へ戻るまでの道のり

岸田徹 そして仕事のこといきましょう。お兄さま、当時お仕事、何されていましたか、去年の今頃。悩むとこなんですか。

岸田剛 がんって見つかってから会社に有給。

岸田徹 どんなお仕事されてました?

岸田剛 仕事の内容?

岸田徹 ある運転手されてるんですよね。

岸田剛 そう。

岸田徹 名古屋で運転手されてるお仕事してて。その会社にはどう伝えたんですか、がんであるということを。

岸田剛 正直に伝えましたよ。「がんです」って。「手術します」と。

岸田徹 それは上司に言ったんですか。それとも会社の、もっとお偉い人言ったのか、それとも同僚に言ったのか。

岸田剛 上司ですね。

岸田徹 上司にさっき言った、がんになりましたってすぐ言ったんすか。それともリスクがある中からもう言ってた?

岸田剛 泌尿器科の先生にがんの疑いがあるからって言われた時点では、もう会社に電話してましたね。

岸田徹 会社に電話しました?

岸田剛 うん。これから大学病院で診察を受けて手術になるかもしれません。抗がん剤受けるかもしれません。いつ、どれぐらい休むか分かりませんっていうのは言ってましたね。

岸田徹 上司に言ったら、上司はどんな返答でした?

岸田剛 「段取りが分かったらまた電話ください」とのことでしたね。

岸田徹 じゃあ段取り分かりました、また連絡するんすよね?

岸田剛 連絡しました。

岸田徹 そうしたら、どういう手続きだったりとか、どういうふうに休ませてくれたとか、そういったものはどうでした?

岸田剛 会社もそういう人が多かったのかもしれませんけど、2カ月丸々、休ませてくれたり、その辺は寛容な会社だなと思いましたね。

岸田徹 じゃあ上司に言いました、休みますって言ったら、すぐ休ませてくれたってことでいいですか。

岸田剛 すぐ、はい。

岸田徹 1カ月、2カ月休めって言われたということでいいですか。

岸田剛 はい。

岸田徹 じゃあ、それでどれぐらい休みました? 結局。

岸田剛 丸2カ月ですね。

岸田徹 手術含めて丸2カ月休んだ。

岸田剛 はい。

岸田徹 丸2カ月休んでから、どのように社会復帰していきました? 会社復帰は。

岸田剛 先ほども徹、言われましたけど、運転手してるんで、仕事の内容的にはそんなに残すこともないし、その日仕事なんで、仕事を残すこともなかった。

岸田徹 その日仕事ですよね、お客さん、どこ行きますかって言ってね。その日で終わって、ありがとうございましたって言って、その日仕事で。

岸田剛 お金ちゃんとちょうだいよっつってね。

岸田徹 なかなか後払いでってないですからね。

岸田剛 ない。したらあかん。

岸田徹 だから?

岸田剛 だからスムーズに仕事はできましたよ。

岸田徹 その日仕事だから。

岸田剛 これは本当にある意味、ありがたかったですよね。仕事を残してくることもなかったし、別に人に迷惑掛ける、掛けましたけど、人に迷惑っていっても。

岸田徹 ただ僕、タクシーという乗り物を乗ったときに聞いたことあるんですけれども。

岸田剛 ちょこちょこ出すな、おまえな。

岸田徹 運ちゃんに聞いたことあるんですよね。兄上がそうか分からないです。僕、聞いたことあるんですけど、そういう運転手さんってシフト制で、2人とか3人とかシフトで回してると。同じ車とか、会社にもよるかもしれないですけど。

岸田剛 1台でね。

岸田徹 1台で2人とか3人で回してるっていうことを聞いたりするんですけども、その仕事かどうか分からないですけれども、どう。

岸田剛 もうおっしゃるとおり。

岸田徹 本当に、じゃあ・・・。

岸田剛 僕の仕事の内容は、午前中9時から翌日の朝5時までなんです。要するに21時間勤務の運転手をね。

岸田徹 運転手をしているんですけど、その相方の人には説明したんすか。

岸田剛 してませんね。

岸田徹 してないんすね。

岸田剛 別にグループでチームがあるんですけど、そのメンバーにも特に言うこともなく。気楽な仕事なんで。

岸田徹 普通に2カ月いなくても、あいつ飛んだなと思われてるぐらい。

岸田剛 かもしれへん。なんか悪さして飛んでったな、あいつみたいな。ちょろまかしたんちゃうかとかね。

岸田徹 免停くらってるんちゃうかぐらいの、そんな感じなんですね。特殊なあれですね。普通にそのまま社会復帰できた。ただ運転手のお仕事って、精巣取られてるわけじゃないですか。

岸田剛 ん?

岸田徹 精巣取ってるわけじゃないですか。ただ座るお仕事じゃないですか。痛いとかなかったんですか、社会復帰して。

岸田剛 その辺はなかったですね。

岸田徹 痛くなかった。

岸田剛 痛くも何もなかった。

岸田徹 社会復帰したらもうずっと全然、仕事はできてた。

岸田剛 できてた。

岸田徹 という形でございます。兄の場合はかなり特殊なのかもしれませんが、けど、そういうお仕事されてる人もいっぱいいらっしゃいますしね。手術だけって人もいっぱいいらっしゃると思うので、兄の場合はそうだったと。一概には、これは人それぞれなので言えませんが、兄の場合は手術して2カ月で社会復帰して、そのまま9時から翌朝5時まで普通にお仕事してた。

岸田剛 してる。

岸田徹 っていう感じですね。今までもう1年ぐらい、社会復帰して10カ月ぐらいたってますけれども、特に問題なく。

岸田剛 それはおかげさまで、今のところ特に問題なくこさせていただいてますね。

岸田徹 上司からなんか言われてます? 社会復帰したときとか。

岸田剛 「体調管理はちゃんとしろよ」っていうのは口酸っぱく言われますね。

岸田徹 体調管理ちゃんとしろよで、普通にそれで分かったと。

岸田剛 うん。

岸田徹 ありがとうございます。そういった形で、比較的フレキシブルに休みを取らせてくれた会社だった。

岸田剛 そうですね。

親が就職時に入ってくれた保険が150万円を給付――がん保険の重要性を実感

岸田徹 ということですね。じゃあ、そのときのお金の保険のことに入っていきたいと思います。当時、治療費含め、治療費ざっくり、幾らぐらいかかったか覚えてます?

岸田剛 手術で40万。

岸田徹 高額療養費制度、使わず。

岸田剛 使った。そんなん使わなあかん、大変やで。それでだって9万円ぐらいでしょ。

岸田徹 8万、9万、10万とかね。

岸田剛 使う。

岸田徹 使います。使って40万っていうの内訳を教えてもらえます?

岸田剛 手術・・・。

岸田徹 すいません、兄弟の意思疎通がうまくいってない。40万はなんすか、なんのお金。

岸田剛 手術費か。

岸田徹 手術費40万。じゃあ高額療養費使って。

岸田剛 8万円ぐらい。

岸田徹 8万円ぐらいなった。

岸田剛 9万ちょっと。

岸田徹 プラス何かお金、必要だったりとかしました? 検査とかいろんな。

岸田剛 検査は結構高いもんね。あれは常日頃から1万円前後は飛んでいくんで。

岸田徹 トータルどれぐらいかかったと思います? お金。3カ月前、聞いたときはちゃんと答えてくれた。緊張してるっていうことでいいのかな? 3カ月前「トータルで30~40万で、いっても50万かな」ぐらいで。

岸田剛 50万円ぐらいやと思う。

岸田徹 おっしゃってたと思います。じゃあ、そのとき保険は入っておられましたか。

岸田剛 これは本当にありがたいこと、ありがたいっちゅうか、身近に入ってない大ばか者がいたので、僕は両親が入っていただいておりました。

岸田徹 両親が入ってくれてたんですよね。いつ入ってくれてたんでしたっけ? 両親が。

岸田剛 おまえのがんが終わってからじゃない?

岸田徹 これも前、言ってたことと違うんですけれども、すごいやりづらいですね。大丈夫ですかね。兄上は先日はこうおっしゃってました。「俺のときは親が就職したときに入ってくれてた」と。親にも一応、確認はしております。親にも一応、確認はしておりますが、就職したときに兄上は入ってくれてたということで。その保険入って、保険で幾らぐらい出たんすか。

岸田剛 150。

岸田徹 一時金だけで?

岸田剛 一時金100。

岸田徹 あとの50は?

岸田剛 通院。

岸田徹 通院とかで。

岸田剛 ちゃうわ。一時金が120ぐらいかな。

岸田徹 いいよ、100ぐらい。

岸田剛 ごめん。あとはもろもろ、ちょっとずつもらって。

岸田徹 150万ぐらいもらったと。それはじゃあ、どうしました? そのお金とか、使い道。

岸田剛 親に返しましたよ。

岸田徹 親に返した。

岸田剛 うん。

岸田徹 親にお金を。

岸田剛 半分ぐらいかな。

岸田徹 渡したということであったと。じゃあ、そういったとこの工面は保険が出て、全部それで賄ったっていう認識でいいですか。

岸田剛 はい。大変助かりました。

岸田徹 1個だけ? 入ってた保険。

岸田剛 1個だけ。

岸田徹 1個だけ保険入ってたと。そういった保険で賄えたということでございますね。ありがとうございます。

肉体のつらさは語れる、でも精神的には「そんなになかった」――兄弟だから言えるがん闘病の正直な話

岸田徹  では、兄上のつらかったこと。このときはつらかったなと。肉体的に、精神的に。

岸田剛 それは僕、特段なかったですね。つらかったことっていうのは。なんでかって言うと、一番つらかった経験をしてるのが隣にいるんで、この徹が入院して、何だかんだ、あんとき俺、ずっと付きっきりやったから。

岸田徹 そうですね。仕事を。

岸田剛 辞めてたな。

岸田徹 辞めていたので、もう名古屋から東京に付き添いで来ていただいていて、ずっと3カ月入院中、大体いてくださいましたもんね。

岸田剛 大体おったな。ベッド寝そべって。

岸田徹 大体いてくださるのはいいですけど、い過ぎて、僕が友達と会いに待合室とか行ったら、そのベッドを使って兄上が寝られてるんですよね。寝てるので、もう看護師さん大変ですよね。看護師さんカーテン開けたら僕じゃなくて兄が寝てるって。「わっ」て言われたことも何回もありましたもんね。だからなぜか兄が寝てるので、僕がパイプいすで座らないといけないっていう事象も、入院当時は何回も経験しましたね。

岸田剛 本当にすいませんでした。

岸田徹 強いて言うと、肉体的に手術したわけじゃないですか。その後とか結構つらかったんじゃないですか。

岸田剛 歩行訓練しんどかったね。

岸田徹 そういうのが欲しいんです。

岸田剛 ごめん。

岸田徹 歩行訓練、どういうふうにつらかったですか。

岸田剛 大事なところに管も入ってるし動きづらい。あとはたった3日の入院でしたけど、体力の衰えはものすごい感じました。

岸田徹 めちゃくちゃ下がった。

岸田剛 めちゃくちゃ下がってましたね。だから壁伝いでしか歩けないし、よろよろやしね。あれはちょっとつらかったね。こんなに力がなくなるかと。

岸田徹 3日間だけで。

岸田剛 たった3日で。

岸田徹 じゃあ、どういうふうにそれを克服したんすか、体力の衰え。

岸田剛 だってもう今、病院も早く出てくださいでしょう。だからもう歩かなしゃあないやん。練習よ。

岸田徹 だから帰ってから家で歩行訓練したってことですか。

岸田剛 そのときにはそこそこ歩けるようにはなってたんで、ゆっくりやけどね、千鳥足ぐらいやけど。ゆっくり歩けるぐらいになってたんで。

岸田徹 大丈夫だった。

岸田剛 大丈夫でしたね。

岸田徹 じゃあ、その3日分の体力の衰えはどれぐらいで復帰してきました?

岸田剛 復帰するのは、でも少し時間かかったかな。何だかんだ、通常に歩けるぐらいまでは1カ月はかかったんじゃない?

岸田徹 1カ月かかったと。それぐらいなんですよね。たかが3日と言ってても結構、体力衰えますもんね。

岸田剛 あれは本当にびっくりしましたね。

岸田徹 精神的につらかったことあります? がんになって宣告されたときでもいいですし、手術前でもいいですし、手術後でもいいですけれども。

岸田剛 これは兄弟の血なのか分かりませんけど、僕も普段から明るいんで、そんな深く考えないちゅうか。

岸田徹 自分で言うのもあれですね。

岸田剛 そうなかったですよ。

岸田徹 そこまでへこむこともなく、あったということで。大丈夫です、それであれば。

傷の痛みも、体の違和感も「今のところない」――精巣摘出から1年後のリアルな状態

岸田徹  後遺症のことにお伺いしたいんですけれども、後遺症、何かありますか。

岸田剛 今んとこ何もないです。

岸田徹 何もない。

岸田剛 何もない。後遺症ですよね?

岸田徹 ちょっと立ってたら右側に片寄ってくるなとか。

岸田剛 おまえ、そんなんあんの?

岸田徹 例えば。そしたらずっと俺、こうやってるやん。

岸田剛 ないんですよ。

岸田徹 今んとこ何もないってことでいいですか。

岸田剛 何にもない。

岸田徹 傷口が痛くなったりとかはない?

岸田剛 ない。

「特にない」が語る強さ――反省も失敗も見当たらない闘病を振り返って

岸田徹 ありがとうございます。じゃあ反省、失敗。あのときこうしておけばよかったなっていうことありますか。

岸田剛 それもないかな。

岸田徹 なんか考えて、話を。

岸田剛 もっとちゃんと伝えなかん?

岸田徹 俺、質問項目ちゃんと送ってるよ? 送ってるちゃんと。

岸田剛 送ったな。

岸田徹 反省して、やっぱあんとき、こうしとけばよかったなと。

岸田剛 あのときこうしとけばよかったなで、がんにならない、大病にならなかったら、みんなされてると思いますよ。

岸田徹 だから、がんなってからでいいんですけれども。

岸田剛 いや。

岸田徹 じゃあ、なんかあったらまた言ってください。

岸田剛 分かりました。

岸田徹 後の質疑応答タイムでなんかあったら言ってくださいね。

岸田剛 本当すいません。

間違った知識を持つ患者にどう向き合うか――経験者が医師・看護師へ伝えたいこと

岸田徹 大丈夫です。じゃあ、医療従事者への感謝、要望ということで、看護師さんだったりお医者さんだったりとか、こうしてもらってよかったなとか、こういうことしてほしかったとか、何かあれば言ってもらえますか。

岸田剛 現場の看護師さんにはものすごい感謝してます。

岸田徹 医療従事者さんもきょう、いっぱいいらっしゃるんで。どういうことがしてもらってうれしかったですか。

岸田剛 一番、恥ずかしい下のお世話。僕、あれをしてる姿、看護師さんとヘルパーさんとか、今は医療従事者さんに関してですけど、すごい感謝してますよ。

岸田徹 下のお世話してくれたことが。

岸田剛 慣れてるって言われたら、そうかもしれへんけど、やられるほうはなんか申し訳ない気持ちもあるし、汚いのにごめんねっていうのもあるし、あれをしてもらえたのは一番感謝かな。

岸田徹 ありがとうございます。要望とかなんかあります? こうしてほしかったとか、看護師さんだったりお医者さんだったりとか。

岸田剛 これはお医者さんの先生にお願い、要望になるのかな。病気になってからお医者さんのとこに行くときって、患者さんもそれなりに調べていくでしょ?

岸田徹 調べる人は多いと思います、今のご時世ね。

岸田剛 それが先生の知識には到底、追い付かれへんのは重々、分かってるよ。ただこれだけ調べるのがあるんで、僕たちも変なことをお医者さんに聞くかもしれない。

岸田徹 変なこと。

岸田剛 知ったかのようにね、患者が。多分、最近そういう患者さんも多いと思うの。

岸田徹 こうなんじゃないですかとか。

岸田剛 間違って捉えてる、逆に僕たちが。そういう質問を受けてる先生がたは、間違った情報を持ってる患者に対して訂正していただきたいっちゅうか、分かるかな。

岸田徹 だからこうなんじゃないですかと、シンプルに言ったら、にんじんジュースって効くんですよね?とか、例えばですけど。患者さんが言ったら、それをちゃんと訂正してほしいと、お医者さんに。

岸田剛 そう。

岸田徹 そういうエピソードがあったとかっていうわけではなく?

岸田剛 俺はもう専門のプロフェッショナルに任せて、言うこと聞いて、それをやるのが筋やと思ってるからそうするけど、周りの状況聞いて。

岸田徹 いいすよ。

岸田剛 僕も運転手してるんで、そういう病院につけて、患者さんの送迎とかもさせてもらうんです。最近は特に意識して行ってます。なぜなら僕も患者の立場だから。

岸田徹 なんでそんないい話、挟むんすか。

岸田剛 ええ話やった?

岸田徹 ちょっといい話でした。

岸田剛 でも患者さんとそういう話をしてても、こういう話されたらお医者さんも大変だろうなって思うときがあんの、やっぱり。

岸田徹 それがさっき言ってた、偏見を持った見方してるってこと?

岸田剛 偏見っちゅうか・・・。

岸田徹 なんか具体的エピソードあったら。

岸田剛 それが思い当たらへんけど、それは先生・・・。

岸田徹 あったんやんな? そういうの。聞くんやんな?

岸田剛 でも変なこと言われへんやんか。でも多分、先生がたのほうがその辺は分かるっていう先生もいらっしゃるんじゃないかなと思って。それ逆に俺が聞きたい。

岸田徹 じゃあ後で来てくださった先生に一回、振ってみたいと思います。こういう形で兄上もお仕事の関係上、いろいろそういう話を聞いて、一方的な患者さんの知ったか的なことを聞いたりとかしてると。それをちゃんと正してほしいということで大丈夫です。医療従事者、多分、正してくれてると思います。

がんになって気づいた「生きる力」――がん経験者が語るキャンサーギフトの正体

岸田徹  じゃあキャンサーギフト。キャンサーギフトというのは、がんになってつらいこととかもいっぱいあった、兄貴の場合、分からへんけども、いろんなことあったと思います。そのときに良かったこととか、もしあれば。キャンサーになってもらったギフト、あった物、もしなんかあれば教えていただけますか。

岸田剛 生きる力がもらえたかなと思います。

岸田徹 生きる力をもらった。どういうときに?

岸田剛 今まで僕は健康にきてて、何も病気もすることなく、今回、初めて大病っていうの、がんでしょ? 手術しかしてませんけど、自分が抗がん剤打ったら、放射線治療したらっていうのは考えるんです。皆さんの過去の話も聞かせていただいて、大変だった話も分かります。頭では分かってます。体験はしてないんで、すいません。なので、病気にならないと分からないこともあるから、生きててよかったって素直に思いますよ。

岸田徹 生きる力を、生きるってこういうことなんだなっていうことを、病気によって感じさせられたということですかね。

岸田剛 そう。さすがです。

「一日無事に終われること」――がんを経験したからこそ辿り着いた、シンプルすぎる夢

岸田徹  じゃあ夢。兄上、今後どうやって生きていきましょうか、人生。

岸田剛 一日無事に終われることを。

岸田徹 素晴らしい夢です。もう一度お願いします。一日無事に終われることね。

岸田剛 大きい夢ってないんです。

岸田徹 夢に大きいも小さいもない。大丈夫。だから、その心は? 頼む。

岸田剛 頼まれてんのは分かるけど言葉が出てこうへん、ごめん。

岸田徹 待ちます。言葉が出てくる。

岸田剛 夢?

岸田徹 今、脳からいろんな伝達物質・・・。

岸田剛 考えてきたんです。本当すいません、頭真っ白で。

岸田徹 シナプスが今いろんな駆けめぐって、夢で一日・・・。

岸田剛 一日無事終われることが一番かもしれない。

岸田徹 一番を。だけ?

岸田剛 だけ。

岸田徹 もうちょっとなんかない?

岸田剛 あかん。出てこうへんねん。考えたことが真っ白やねん。許して。ごめん、真っ白。

岸田徹 じゃあ、さっといって、視聴者とか会場の皆さんから質問もらおうか。

岸田剛 後で。ごめん、真っ白や、あかん。

頑張るときは頑張る、休むときは休む――今まさに闘病中のあなたへ伝えたいこと

岸田徹 じゃあ、今、闘病中のあなたのへのメッセージをちゃんといこう。今、闘病中のあなたへというメッセージをいただきたいんで、じゃあ、あちらのカメラに向かって、今闘病中の方へのメッセージを。

岸田剛 どう抜けたらいい?

岸田徹 ぽんとぶつけてください。

岸田剛 はい。ん?

岸田徹 顔がかぶってる。あれ見ながらで、俺、持つ、大丈夫。どうですか。

岸田剛 バランスですね。

岸田徹 ばらすです。ばらす・・・。

岸田剛 バランスよ?

岸田徹 ごめん。

岸田剛 おまえが間違えてどうすんの。

岸田徹 バランス。すごくカラフルでいただきました。バランス、その心はなんですか。

岸田剛 頑張るときは頑張る。でも休むときは休む。本当にバランスよく、自分をセルフコントロールしてほしいっていうことですかね。

岸田徹 だから休むときは休んで、仕事するときは仕事して、ちゃんとそのバランスが大事ですよと。

岸田剛 僕は最近つくづく大事やなと思うこともあり、思ってます。

岸田徹 そのつくづく思うことがありっていうのは、ちょっと詳細を。

岸田剛 また後ほど?

岸田徹 ここで? 簡単に視聴者の方、気になると思うんで。

岸田剛 本当?

岸田徹 簡単にお願いできますか。

岸田剛 これはもうごめんなさい、仕事の話になるんですけど。

岸田徹 いいです。

岸田剛 僕、結果が出なかったんです、この1カ月ぐらい。

岸田徹 結果出るときもあれば出ないこともありますよね、それはね。結果、仕事の業績の良しあしが。

岸田剛 なので少し落ち込んでたんですよ。

岸田徹 仕事で悩んでた。

岸田剛 でも直属の上司が「やるときはやる、休むときは休む。これを取りあえずやってみろ」と言われてからまた数字が良くなって、なんで、それを実感したんで、こういう今、僕が実感してる言葉をお伝えできたらなと思って。

岸田徹 だからそれを、例えばがんに置き換えると、がんで入院するとき、しっかり休むときは休むと。社会復帰してから頑張るときには頑張るという。

岸田剛 だから落ち込むときは落ち込むんでいいんですよ。

岸田徹 落ち込むときは落ち込んで、そしてまた治療するときは治療して、そのバランスが大事と。

岸田剛 僕はバランスは大事やなと思ってます。

岸田徹 ありがとうございます。コメントでも『バランス本当に大事』と。そして『バランスの文字のバランスがすてき』って。

岸田剛 これも悩んだんですよ。ちゃんとかっこよく書かなあかんのかなと思ったんですけど。

岸田徹 ありがとうございます。そして『今年は2018年だけど』って言葉いただいてる。

岸田剛 兄弟らしいところを見れたんじゃないでしょうか。大変申し訳ございませんでした。

岸田徹 まさかの2017年。これ去年や。がんなってちょうど手術して終わってるときやん、これ。もう本当に。

岸田剛 やってもうたな。

岸田徹 後で8に直しときましょうね。

岸田剛 いろいろやってもうたな、ごめんな100回目。ごめん。

岸田徹 やばいわ、本当にもう。だから岸田家やばいんっすよ、本当。ありがとうございます。『放送事故』って。こんなバランスが大事という言葉をいただきました。そして『一日を無事に終わるだけでも幸せだよね』と、『それに気付くことって大事ですよね』というコメントもいただきました。

岸田剛 ナイスコメントですね。ありがとうございます。

岸田徹 いっぱいいただいてますね。ありがとうございます。こういう兄の放送していきながら、少し5分、6分残っているので、今回に関しては。会場からももし聞きたいことあれば、質問をいただきたいと思いますので、もし質問ある方、もしくはこのコメントとかでも大丈夫ですし、何かいただければと思います。『岸田弟、突っ込みお疲れさまでした』ということで、『神回』ということも、『おなかよじれる』とかコメントいただいてますけど、何か質問等々。差し支えなければ全然、お名前でもニックネームでも言ってもらっても大丈夫ですので。

A- お願します。

ジツハヤ ジツハヤと申します。お疲れさまでした。

岸田徹 ありがとうございます。

岸田剛 どうもです。

ジツハヤ がんになった後と前とで、弟さんの活動に対する見方とかは変わられましたか。

岸田徹 いい質問ですね。聞きたいですね。どうすか。

岸田剛 正直なところ、そんなに変わってないかもしれない。

岸田徹 空気読まなくていいと思いますね。

岸田剛 ごめんなさい。とてもいい質問ですよね。

岸田徹 なんで繰り返したの? 素直なこと言ってくださっていいんすよ。

岸田剛 なんでかって言うと、がんなる前にこの子がどれだけ大変な治療をして、2回もやってるんですよ。2回がんするって僕、大変なことやと思うし、しかも全身。ここリンパ腫れて。

岸田徹 こっちね。大丈夫です。

岸田剛 この子が実際つらい経験を間近で、僕が元気なときに見てたんで、僕ががんになってから、この子の活動の見方が変わりましたかって質問やったけど、僕の目線は、自分が健常者、病気なりましたからって徹、『がんノート』を見る目線は変わってないです。

岸田徹 目線変わらず、自分なりにフォロー入れさせていただくと、そのままええ活動してるなって、別にそこは変わらないっていう認識でいいですか。違う?

岸田剛 違うんじゃない? 俺も違うと思う、それ。

岸田徹 じゃあ教えて。

岸田剛 だから、僕が健常者で『がんノート』を見てたときと、僕ががんになってから『がんノート』を見る、その目線の違いってことですもんね。

岸田徹 そうです。変わらないということでもう、じゃあ次いきましょうか。

岸田剛 ごめんなさい、正直変わらないです。何も変わってないと思います。

岸田徹 いい意味で変わらないと解釈しておきます。じゃあどうですか。他、何かサクラになっていただいて、もしよかったら挙手をいただけると。あと二つぐらいですね。あると思いますけれども、じゃあお医者さんの話、医療従事者の話出てきたので。

岸田剛 先生に聞きたいかも。

岸田徹 そこにいる、僕と目が合っているお医者さんに立っていただいて、どうですか、兄上からは実際に患者さんの知ったかを正してほしいということありました。知ったかっていう言い方はあれですよね。間違った知識を得ているとき。

岸田剛 患者さんとか親族なり、詰め込んだ知識を発散されると思うんです。お医者さんに八つ当たりされるっていうか、何て言ったらいいか分からへんけど、最近そういう患者さんも多そうに思うんで、お仕事がら大変なんじゃないかなと。

岸田徹 どうですか、実際、現場としては。兄はそう言ってるんですけれども。

ニシ 千葉県で医者をしております、ニシと申します。僕はそんな経験が、医者としての経験がまだ浅いので、たくさんの経験から言えることではないんですけれども、確かに「昨日、某番組でこういうのが、がんにいい言っていたけど、どうなんですか」とかそういう話はよくあって。ただ、基本的にはそれが害になるものじゃなければ、否定もしないし、止めもしないというか。「そうなんですね」っていうぐらいの話で進んでいってしまいますかね。

岸田徹 害があるときはちゃんと注意するってことですか。

ニシ はい。

岸田徹 ということらしいですよ。どうですか、それ聞いて。

岸田剛 それぐらい緩やかにかわしていただければいいと思いますね。

岸田徹 ありがとうございます。じゃあコバヤシさんからも質問あるみたいなんで、コバヤシさんから質問。

コバヤシ そうなんです。じゃあ、せっかくなので、患者家族として、弟さんとの何かエピソードみたいなのがあればお聞きしたいです。

岸田剛 患者家族として弟とのエピソード。

コバヤシ ずっと付き添ってたとか、いろいろおっしゃってたので、思いがいろいろあるのであれば。

岸田徹 なさそうやな。

岸田剛 岸田家っちゅうか、僕と徹の関係を言うと、小さい頃は仲が良かった。でも・・・。

岸田徹 今も仲いいですよ。

岸田剛 ちゃう。聞いて。最後まで聞いてよ。

岸田徹 ごめん。最後まで聞く。俺の悪いところや、それな。お願いします。

岸田剛 思春期に少し離れてたんですよ、お互いにね。

岸田徹 離れてた言うても、僕、大学生のときに一緒のシングルベッドに寝てますかね。

岸田剛 分かるよ。でもずっとちゃうやん。

岸田徹 ずっとちゃうけど、要所、要所ではずっと。

岸田剛 一緒におった?

岸田徹 一緒に、僕が大学生のときです。ただ兄上が大学生のときは結構、離れてましたよね。

岸田剛 そう。

岸田徹 そういうことだと思います。

岸田剛 なんで僕の中では、弟と一緒に遊んだとか、あんまり交われてないって思ってるんですよ、今でも。なので、多分、意外やと思う。俺はあんまりおまえと関われてなかったって思いが強かったんですよ。なので、徹が病気になったって思った瞬間は、これはもう近くにおらなあかんなって。自分が仕事忙しくても、仕事してても、これ辞めてこいつに付き合わなあかんなっていうぐらい、今まで25年間の弟に対する気持ちがそこで爆発したって感じですね。

岸田徹 爆発した。

岸田剛 なので、社会人になって、今になってからのほうが仲いいんじゃない?

岸田徹 そうですね。

岸田剛 好きなこと言えるしさ。

岸田徹 僕的にはそんなに変わってないですけどね。僕から見たら。

岸田剛 本当。じゃあ俺の多分、思いが違い過ぎる。

岸田徹 思いが違うみたいですわ、がんになって。『がんノート』見るときは変わらへんけど、弟見る目線は変わったらしいっすわ。仲のいい兄弟だと思ってますよ、僕もね。

岸田剛 俺も思ってるし、これからはもっと仲良くなるんじゃないかなと思ってます。

岸田徹 これ以上が怖いけど。そういったところで兄のエピソードは終わって、次はコメントを。『最後に弟への愛情さく裂拳』と、『これがキャンサーギフトですね』ということもいただきました。ありがとうございます。

岸田徹  最後、じゃあ終わっていきますよ。『がんノート』に関してはこういった放送、第100回を迎えて、これからもこういった活動に対してご寄付をお願いしておりますので、もしよかったら、『がんノート』ホームページからご支援をいただけたらと思いますし、年間を通してご協賛いただいている山口県でリフォーム会社をされている、リフォームマイスター周南、ペイントマイスター山口を運営されている防長工務様と、そしてがんの保険を取り扱われている、『「生きる」を創る』のアフラック様、そしてきょう、会場の運営等々でもすごくやっていただいている、グローバル企業のIBM様にご協賛もいただいております。どうもありがとうございます。

岸田徹  そして次の、来年の初っぱなの、『がんノート』が、次、1月20日日曜日、胚細胞腫瘍経験者の岸田徹さんと、僕が101回目の『がんノート』を務めさせていただきます。どういう放送になるのかっていうのは簡単にネタバレになっても、ならなくてもあれだと思いますけども、私の当時の『がんノート』きの主治医を呼んでくるのと、あと当時の会社の上司を呼んできます。なので、闘病のことは主治医を交えながら、そしてお仕事だったりとか、上司呼ぶのめっちゃ怖いんです。怖いって・・・。

岸田剛 元上司やからいいやん。

岸田徹 元上司ですね。怖いっていうのは、僕が駄目なとき言われそうで怖いんですけれども、今も駄目ですけどね。その上司と主治医と交えて『がんノート』やっていきますので、場所はいつもの、国立がん研究センター中央病院の8階で行いたいと思います。もしよかったら・・・。

岸田剛 これはいいね。

岸田徹 もしよかったら、家族の話はきょう聞けたということにしておいていただいて、入院のときはまたと思っております。またがんセンターの8階でやりますので、もしよかったら来てくださいということで、きょうの放送を終わっていきたいと思いますけれども、どうでした? この90分間。

岸田剛 あっという間でしたし、ちゃんと仕込んできたことも何も言えず。

岸田徹 ちゃんと仕込んでるんすよね? 本当、大丈夫ですよね?

岸田剛 カンペOKにしといてくれる?

岸田徹 カンペOKですよ、別に。何でもないです。

岸田剛 でも見てる人おったもんな。俺もちゃんと持って来りゃよかった。

岸田徹 持って来てへんのかい。

岸田剛 本当、情けないけど。

岸田徹 岸田家がこんなんだったっていうのを、分かっていただいたんじゃないですか。「岸田君が抜けてる」ということもよくおっしゃっていただきますが、岸田兄も相当、抜けております。岸田家ってこんな感じで生まれておりますので、皆さん、どうかご容赦ください。なんかあります? 皆さんに対しての一言、もしあれば。

岸田剛 この『がんノート』続けてこられてるのも皆さまのおかげです。弟の兄として、家族代表として、本当にありがとうございます。またこれからもよろしくお願いいたします。

岸田徹 ありがとうございます。では『がんノート』第100回、これにて終了したいと思いますので、どうもきょう、長丁場どうもありがとございました。

岸田剛 ありがとうございました。

-- ありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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