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インタビュアー:岸田 / ゲスト:寺山

中日ドラゴンズと沖縄の海が好き——愛知県在住・寺山さんのこと

岸田 それでは、がんノートminiスタートしていきたいと思います。きょうのゲストは寺山さんです。よろしくお願いいたします。

寺山 よろしくお願いします。

岸田 よろしくお願いします。寺山さんは舌がんということで、舌、結構切られてるんですよね。

寺山 はい。ほとんど。

岸田 9割ぐらい?

寺山 はい。

岸田 もっと?

寺山 8割ぐらい。

岸田 8割ぐらい、切っているということなので。まあ、皆さんも、お聞きづらいこともあるかもしれないですけど、これがリアルな姿だということで、皆さん、聞いていただけたらなということ、思っております。よろしくお願いいたします。早速なんですけど、寺山さんのこちら、自己紹介スライド。出身が岐阜県、そして居住地は愛知県ということで、そしてお仕事は今、就職活動中ということです。なぜこうなったのか、後でじっくりお話ししていただきたいと思います。趣味は中日ドラゴンズと旅行ということで、ドラゴンズファンなんですね。

寺山 はい。

岸田 生粋のドラゴンズ。根尾君とか。

寺山 大島選手。

岸田 大島選手ね。大島選手、すごい偉大な選手ですからね。めっちゃヒットも打つしね、大島選手。そして旅行ということで、旅行も結構行かれるんですか、コロナ前にはなるんですけど。

寺山 いや。

岸田 行かへんのか、旅行、趣味って書いてあるけど、大丈夫。どこに行くん、ちなみに。

寺山 今は、沖縄のほうに、はまってます。

岸田 沖縄にはまってるということでね。沖縄のどこら辺、沖縄でも、結構長いじゃないですか。縦長で。

寺山 私は、恩納村。

岸田 恩納村。ありますね。そこに行って、そこには何があるから、海がきれい?

寺山 そうですね。ただ海を見てる。

岸田 ただ、海を見に沖縄に行くという。今、この写真撮ってくださってんのが沖縄なんですよね。

寺山 そうです。

岸田 沖縄と中日が好きな寺山さんということで。がんのステージは3といった中で、そして40歳の頃に告知されて今42歳ということになります。治療法は手術をされているという形になります。そんな寺山さんのペイシェントジャーニーをお伺いしていきたいと思います。

歯医者の定期健診が命を救った——白板症から舌がん発見まで

岸田 ペイシェントジャーニー、こちらになります。結構寺山さんも、紆余曲折があると思うんですけれども。まず、上に行けば行くほどハッピーなこと、下に行けば行くほどバッドなことというふうな感情のグラフになっております。そんな中で、寺山さんの一番上、どういったところがあるのかといったところで、こちらになります。ドラゴンズの応援と。本当にドラゴンズ、好きなんすね、いつぐらいから好きなんすか、ドラゴンズは。

寺山 小さい頃から、おじいちゃんの影響で見てて。

岸田 おじいちゃんの影響で、ドラゴンズが好きということですね。そこから、そして下がっていくんですよね、何があったのか。歯医者から白板症の診断を、いきなり白板症というものが出てきましたけど、これ、どういったものなんすか。

寺山 たまたま、歯医者さん行って、定期健診で、私の場合は、べろの裏側に白板症っていうのが、全然、痛みがなかったんで自分では分からなくて。

岸田 べろの裏が、白板症って白って書くから、白いのができんの。

寺山 そうです。

岸田 そういう検診での診断があって、けどめっちゃ下がってるやん、これはめっちゃ不安やったからってことですか。

寺山 そうですね。自分で調べたら、がんの前兆みたいな。

岸田 こわ。がんの前兆。

寺山 はい。

岸田 そら怖いですよね。診断を受けてすぐ病院で受診していくんですね。

寺山 はい。

岸田 すぐ紹介書、書いてもらって。

寺山 はい。

岸田 紹介書、書いてもらって病院で受診していくと。その病院で受診していって、そっから上がっていくので大丈夫なんかなと思うんですけれども、以上なしだったということで。これはもう、どんな検査して異常がなかったっていう診断だったんすか、こんときは。

寺山 そのときは、まだ細胞診とかじゃなくって、先生は触った感覚で、なんか大丈夫だねっていう。

岸田 先生の触診なんですね。

寺山 そうです。

岸田 なんか、CTとかそういうのを撮るんじゃなくて、触診ね。大丈夫だということで、だったということで。そして、上がってまいります。次、仕事の繁忙期ということで、これめちゃくちゃ上のほうにあるんですけど、感情的には何も、無表情な感じなんですけど。仕事、繁忙期、もう忙しくてそれどころじゃなかったって感じですか。

寺山 そうですね。取りあえず大丈夫だっていう診察だったんで、取りあえず仕事を頑張るっていう。

岸田 当時、どんな仕事してたんすか、当時は。

寺山 そのときは、和菓子屋さんで働いてました。

岸田 和菓子屋さんで。和菓子屋さんで作るほう、それとも販売するほう。

寺山 販売するほうでした。

岸田 販売するほうで和菓子屋さん。いいですね。その仕事が繁忙期があった、繁忙期、ちなみにいつなんすか。春とか。

寺山 お正月とかは、お正月のお菓子とか。

岸田 そういうときだったんすね。仕事、繁忙期があって、そして、そこから白板症が硬くなる。だんだん硬くなってったってこと?

寺山 そうですね。自分でも、先生から毎日触って確かめてねっていうのは言われていて。ちょっとって。

岸田 けど、そんな硬くなって。だって病院で受診した時は、そこまで硬くなかったってことでしょ。

寺山 そうですね。先生は、まだ大丈夫だって。

岸田 そっからだんだん硬くなって、だってこれ、この間数カ月ぐらいですよね。

寺山 そうですね。

岸田 硬くなっていって、そして下がってく。細胞診検査。細胞診検査したんや。また同じ病院に行ったってことですよね、そのとき。

寺山 そうです。

岸田 同じ病院に行って、細胞診検査をするといった中で、そういう細胞診検査、普通に針かなんか刺さるって感じ。

寺山 そうですね。ちょっとべろを、べろで、麻酔を打って、その場でちょっと取ったって感じです。

舌の10%を切除、1週間の入院——それでも2カ月で職場に戻れた

岸田 麻酔打って、それでそこで取るってことね。そこから、ちょっとだけ上がってまいります。何かと言うと、えっ、舌の一部切除。いきなり手術入ってるんですけど、細胞診がよくなかったってこと、これは。どういうこと。

寺山 よくなかったんで、がんだっていう診断だったので。

岸田 この細胞診検査で、がんだっていう診断になったってこと、じゃあ。

寺山 そうです。

岸田 これは、このときは、この白板症っていうのがあるから、結構自分の中で準備はできてたって感じ?がんに対する宣告、受けて。

寺山 それは、半分半分ぐらいですね。まだ大丈夫だろうって。

岸田 告知、受けるわけじゃないですか。告知受けて、舌、一部切除しましょうねって言われるんですよね。結構、舌を切られるって結構抵抗ないですか、もちろんあると思うんですけど。

寺山 多少、そのときは、部分切除だったので、ちょっと取っても全然、日常には問題ないよって。

岸田 それは当時は、どれぐらいな感じ。100パーセント舌があるとしたら、そのうちの10パーセントぐらい切るって。

寺山 そうですね。

岸田 10パーセントぐらい切るっていうふうな形で、そこまで日常生活にも影響出ないよということで切っていくということで、なんですね。そっからちょっと下がっていくのは1週間の入院ということで。やっぱ、舌、切ったら痛いです?もちろんですけど。

寺山 まあ痛い、痛かったです。まだ、部分切除のときは、多分、神経までは取ってなかったんで。多分それで、痛みがあった。

岸田 神経まで取ってないからってことね。

寺山 多分。

岸田 いやそこで痛くて、1週間すね、逆に入院。

寺山 そうです。

岸田 食事とかは普通に?

寺山 退院するまでには、おかゆとか、そういうものを食べられる状態になって、退院する。

岸田 おかゆとか食べれるようになって退院していくと。そしてそっから上がっていきます。休職、コロナもあり休職。そうですよね、今コロナにあって。休職でちょっとポジティブってことは、手術終わってほっとしたということね。そっから上がっていきます。仕事復帰か、よかった。仕事復帰というところで、休職して職場復帰、この期間でどれぐらいすか。

寺山 約、2カ月ぐらい。

岸田 2カ月ぐらい。もうそれぐらいで、じゃあ復帰できたんですね。しゃべるっていったところも、特に問題なく。

寺山 全然。部分切除だったら、もう全然。

岸田 仕事復帰で上がってるってことは、もう戻ってこれたみたいな、そんなイメージですかね。

寺山 そうですね。もうその時点では普通に話もできてたし。

「何も考えられなかった」——再発告知と12時間の大手術。そして職場の解雇まで

岸田 できてたと。こっから、怒涛の、まだまだ待ち受けていくということなんですけども。そこから、どん。また、舌に違和感。これは、前の手術からどれぐらいたって違和感を感じ始め。

寺山 1年、たってないですね。もうちょっとで1年かなっていうタイミングが。

岸田 舌に違和感を感じていくといったところで、だから、定期検診で通ってる中で、来月の検査でと病院に言われたということで、病院に伝えたんですよね、舌に違和感があるよということを。

寺山 病院にも伝えたし、先生も、分かってました。硬いなって言ってたし。

岸田 分かっていたと。ただ、来月でええやろと。

寺山 そうです。

岸田 痛過ぎて受診という形になります。これ、来月まで待ちきれなかったってことですよね、痛過ぎて。

寺山 そうです。

岸田 どれぐらい痛い、もう本当に、舌がずっと痛い感じ。

寺山 その時点の痛みの度合いで言ったら、100パーセントだったら、その時点では、まだ60パーセントぐらい。まだ我慢できる痛さだったけど、痛みが出るのはおかしいなと思って。

岸田 病院に行ったということね。病院にもう一度行ったら、病院から再発と言われると。再発と言われたときの心境ってどうでしたか。

寺山 何も考えられなかったですね。

岸田 再発ってどこの部分、できたんすか次は。さっきは10パーセント切って、よかったですよね、10パーセント切ったのは右?左?

寺山 横の。

岸田 横?

寺山 横の端っこの。

岸田 右の横。

寺山 はい。

岸田 端っこを切ったと、10パーセント。次、再発したのは、次どこ。

寺山 先生に詳しく教えてもらってないんですが、横のところから、どんどん全体的に広がっていったって。

岸田 横から全体的に広がっていったんや。

寺山 そうです。

岸田 じゃあ、もう全体的にこのときはもう、再発、広がっていってたってこと。

寺山 はい。

岸田 じゃあ、そこからどうするのか。休職、そうだね、まず休職せなあかんよね。ここは、もう先ほどの和菓子屋さんに、治療するので休ませてくださいっていうことで休職したってこと。

寺山 そうですね。

岸田 休職していき、そしてそこから感情や食欲がなくなると。これ、痛過ぎて、ということで。

寺山 そうですね。本当に痛過ぎて、どんどん痛くなって。

岸田 そんな、日増しに痛くなる感じなんや。

寺山 そうですね、本当、痛かったです。普通の痛み止めでは全然、痛みがひかなくって。

岸田 しかも痛くなってたら感情もなくなってくんや。

寺山 そうですね。やっぱり再発の手術のこととかを先生に話を聞いたり、最悪こういうふうだよっていうの、そのとき、なくなりました。

岸田 じゃあこのとき、最初の痛過ぎて受診したときは60パーセントぐらいの痛さやったけど、このときはもう80、90とかいっちゃう感じ。

寺山 100パーセント、超えてました。

岸田 100パーセント超える。100パーセント超えるか。そして、そこからようやく手術に行くと。舌の亜全摘ということで、ほぼ全て、全摘したってこと。

寺山 はい。

岸田 舌なくなるのって結構不安じゃなかったですか、このときは。

寺山 舌がなくなるとか、そういうものじゃなくって、手術をして、これからも生きていけるんだったらっていう状態でした。

岸田 舌がなくなるとかっていうよりも、この痛さだったりとかがなくなってほしいっていうほうが強かったってこと。

寺山 いや、痛さとかじゃなくって、この手術をやって、これからも生きていけるんだったらっていう、そっちのほうが。

岸田 舌がなくなっても生きて、これからちゃんと生きてくんだったらそっちのほうがいいと。

寺山 そうです。

岸田 いうことで、全摘、いっていきます。全摘したらどうなってくの。その舌は、どっかからお肉を持ってきたの。

寺山 そうです、私は太ももから。

岸田 太ももから、お肉を持ってきて。太もも、お肉を入れてということなんですね。そして、そこから、手術、どれぐらい時間かかりました。結構、時間かかりましたよね。

寺山 12時間。

岸田 12時間ね。12時間やっていって、そしてそこから上がっていきます。何かというと、2カ月の入院がポジティブなの。全摘したら、めっちゃつらそうやねんけど、何で。

寺山 本当、看護師さんが、すごい支えてくれて。コロナだったので、お見舞いとかも全然駄目な状態だったので。

岸田 そうよね。お見舞いとかもあかんし、コロナの状況で、ずっと入院してるし。しかも、寺山さんってお子さんがいらっしゃるんですよね。娘さんが、お二人いらっしゃるんですよね。そして、寺山さんシングルマザーということをお伺いしておりまして、家事とか、家庭はどうしたんすか。

寺山 家庭は、実家はあるんですけど、実家の母のおじいちゃんの介護とかで、子どもの面倒を見れないと。見られなかったので、手術の前に自分で、入院するんですけどっていう状態を話して、そしたら相談員さんとかが、いろいろ動いて、こういう制度があるよとか教えてくれて。

岸田 相談員さんに相談して、子ども、お子さんを預けたのは実家。結局、どこに預けた。

寺山 私の手術のタイミングが、卒業式とかで節目に挟まれてたので、入れなかったので。

岸田 ということは、入院中は誰がお子さんのお世話をしたということですか?

寺山 基本は、自分たちでやるっていうふうにして。

岸田 自分たちで。

寺山 はい。自分たちでやるっていうふうにして、その様子を、連絡を私の妹とかと取り合っていて、なんかあったときは、すぐ連絡。

岸田 病気の連絡は、妹さんたちとやっていて、それで娘さんたちは自分で2カ月間、自宅で生活していたってことか。

寺山 そう。ベースはそれで。どうしても、制度で週1回とか2回とか決めて、ヘルパーさんに。

岸田 ヘルパーさんが、サポートしてくれるんですね。娘さん、ちなみにおいくつのとき、それは。

寺山 そのときは、高校3年生と小学校6年生。

岸田 小学校6年生と高校3年生、いうことで。そうだったんですね。ありがとうございます。だから、ご自身たちで生活をしつつ、妹さんとコンタクトを取りつつ、週に1回2回はヘルパーさんが来てということをやってたんですね。そういうの、あるんすね。

岸田 そして、2カ月の入院終わって、こちら、なります。ちょっと下がってます。リストラということで。リストラ、どういうこと、リストラ。和菓子からのリストラ。どういうことでしょう、これは。

寺山 私は販売のほうで働いてたんで、舌がんで再発っていうのは、伝えた時点で、多分。私も、ちょっと難しいかなと思ってたんですけど。

岸田 難しいと思ってた。しかもこのリストラのされ方、どうされたんですっけ、寺山さん。

寺山 手紙が届きました、郵送で。

岸田 封筒で手紙が届くっていう。その場に行ってっていう、面談とかじゃなくて、一方通行ですよね。

寺山 そうです。見たら、そういうことにしてたんで。

岸田 寺山様、あなたを解雇いたしますみたいな感じの。

寺山 何月何日をもって、終了しました。

岸田 そこで、それ見て寺山さんは、どういう感情、どういうふうな対応や感情されたんすか。

寺山 何やねんって思いました。

岸田 何やねんとね。

寺山 何でやねん。

岸田 何でやねんと。リストラされて、だから自己紹介のところは就職活動中やったんですよね。

寺山 そうです。

岸田 そして、その中でまた上がっていきます。何かというと、ボイトレの開始ということで。舌を取っているから、ボイストレーニングを開始していったということで。ボイストレーニング、結構どれぐらいやるんですか、ボイストレーニングは。

寺山 私は週に1回、通ってます。

岸田 週に1回、通ってるということですね。

寺山 はい。

岸田 そしてその後、就労支援の講座に通うということで。リストラにあってますからね、そこを就労支援の講座に通って。これは行政がやってるようなやつ、就労支援講座って、ハローワークとか。

寺山 そうです。

あまり知られていない「発音補助装具」——闘病ブログが教えてくれた希望

岸田 ありがとうございます。そんな中、寺山さんのペイシェントジャーニー、こちらになるんですけども、その次、ゲストエクストラということで大変だったこと、困ったこと、そしてどう乗り越えたかというところをお話ししていただきます。

岸田 大変だったこと、困ったことっていったところが寺山さん、食べ方、話し方。そうですよね、舌がんに関しては。それをどう乗り越えていったのかっていうと、ブログやSNSの舌がんの方や、そして医療者や家族など、周りの人がいてくれたから。それをやることで体調を整えることに専念できたとあります。こちらに関して寺山さん、詳しく説明していただけますでしょうか。

寺山 やっぱり、ずうっと自分では、退院した後のことが、どこまでが、こういうふうだよっていうのは、なかったので、その中で、ブログで知り合いになった人からの情報とかで。

岸田 結構支えられたということで。

寺山 そうですね。

岸田 体調を整えることに専念できた。食べ方、話し方は結構ね、今けど寺山さん、結構しゃべれたりとかしてるじゃないですか。結構、時間かかりました?

寺山 そうですね。私、もうすぐ1年なんですけど、やっと1年で今ぐらいの。

岸田 いうことですね。寺山さん、もしよかったら、今のさっきのあれを見せてもらってもいいですか、あれ。はい。もしよかったらそちら、これ説明していただいてもいいですか。これは、何のためにどういうふうにしてるのか。それは、舌、べろ。

寺山 べろです。

岸田 それは入れ歯。

寺山 見た目は入れ歯なんですけど、私の場合、べろの厚みが全くなくなってしまったので、話すことって、厚みがないと話せないので、厚みを作って発音するっていう。

岸田 そういうのがある、それを口ん中に入れるだけ?

寺山 そうですね、べろの上に、この歯をはめて、入れ歯みたいに。

岸田 べろの上に置くってこと。

寺山 うん。

岸田 そうすると全然違う。

寺山 変わるって言われます。

岸田 今は入れてる。

寺山 今は入れてます。

岸田 今も入れてるんですね。スペアみたいなやつを入れて、話してるってことですね。入れんかったら、もう全然話されへん。

寺山 全然ではないですね。今のべろとは、ちょっと違うくらいかなと。

岸田 ていうことですね、そういうのがあるんすね。

寺山 あります。私は、こういう、べろの上に乗せるタイプですけど、厚みがもうちょっとある人は、上に貼ったりする人もいます。上あごに。

岸田 上に貼る。

寺山 そういう人もいらっしゃって、その状態によって先生がいろいろ考えてくれて。

岸田 それは主治医の先生が、そういうのあるよって教えてくれて、なんか作ってくれたの。

寺山 闘病ブログ。入院してた方のブログを見て。

岸田 ブログ見て。

寺山 そうです。そういうのがあるよっていうのを発信していらっしゃる人がいて。たまたま同じ病院だったのが分かって。それで。

岸田 教えてもらえたんや。

寺山 教えてもらって。

岸田 医療者から教えてもらえないっていう、裏ルート。

寺山 そうなんです。本当に舌がんってそういう情報がなくって。

岸田 びっくりした、そういうのあるんや。ぜひ、見てる方も調べてみていただければ。いろんなタイプがあるみたいですので。すごいな、それをやることでまた発音しやすくなっていくという知恵とかが、あったりとかするんですね。ありがとうございます。

悩むより、動く——今の寺山さんが伝えたいこと

岸田 そして寺山さん、今見てくださっている方へのメッセージということで、寺山さんにこちら、いただいております。悩むより考えて動ける体作り。自分はいくらでも作れるという言葉をいただいております。寺山さん、こちらのメッセージに込めた思い、よろしくお願いします。

寺山 私が突然こういう状態になってしまって、そのことがやっぱり悩んだりしたんですけど、いろんな本当に、看護師さんとか先生に支えられて、また動いていくというふうになったので、やっぱり悩んでたら動けない。考えて動けないので、そのためにやっぱり、いろいろ自分でどうするかっていったら、自分で動けるよっていう。

岸田 ありがとうございます。本当に、自分で考えていったから、考えてこう動いていったからこそ、さっきの舌のやつも知ることもできたし、自分でずっと悩むんじゃなくてどんどん動いて、そして寺山さんも自分の経験をこういうふうに、がんノートで発信もしてくださってということもしてくださってますし、そういう悩むより行動してというメッセージ、いただきました。ありがとうございます。

岸田 寺山さん、本当にきょうはもう、あっという間のお時間でございました。本当にきょうは、がんノートmini、ご出演いただきまして、どうもありがとうございました。ありがとうございます。

寺山 ありがとうございます。

岸田 ありがとうございます。それでは、バイバイ。失礼します。

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