目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト: 清水

【オープニング】

岸田 それでは、がんノートmini、スタートしていきたいと思います。きょうのゲストは清水さんです。清水さん、よろしくお願いします。

清水 よろしくお願いします。

岸田 よろしくお願いします。清水さん、後ろすてきですね。なんかチョウチョとか

清水 そうなんですよ。花とか一応、あるんです。

岸田 花咲いてたりとか、花がいい感じに、全てかぶって、花が。

清水 花なくなっちゃってるんですよ。ちょっとね、変えないとと思いながら。こういうのが好きで。

岸田 おしゃれなところで、ありがとうございます。

清水 とんでもないです。

【ゲスト紹介】

岸田 清水さん、舌がんということなんですけど、早速ですね、清水さんの紹介をしていきたいなと思っております。清水さんは、清水由利恵さん。山梨県にお住まいでいらっしゃるということで、そして歌手をされていて、趣味が歌うこと。読書を趣味ということですけれども、歌うことっていうのはどういった歌手を歌われるんですか、清水さん。

清水 私、すごい何でも歌いたがるんですよ。歌いたいと思ったら。でも最近、娘とかとアニソンを歌ったりします。

岸田 僕も、アニソン歌ってくださいって言おうと思ったぐらいなんだよ。

清水 大好きなんですよ。最近、アニソンが。

岸田 本当ですか。すごい。

清水 残酷なやつ。残酷な。

岸田 『残酷な天使のテーゼ』ですね。

清水 テーゼ、そう。ど忘れしちゃった。

岸田 平成で一番、カラオケで歌われた曲ですか。

清水 そうなんですよね。すごい年齢幅もある。みんな知ってるっていう曲です。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 知ってる曲で、本当にありがとうございます。舌がんでステージの2ということ。告知の年齢は42歳、今は45歳。そして手術をされていたという清水さんになります。そして、ここから清水さんのペイシェントジャーニーをいろいろ伺っていきたいと思うんですけど、清水さんのペイシェントジャーニー、こちらになります、どん。

岸田 清水さんのペイシェントジャーニーは、2018年から2022年、今に至るまでなんですけれども、青色がネガティブ、赤色がポジティブになっていくのですが、清水さんの初めのペイシェントジャーニーの第一歩目、プラマイゼロのときはどうだったかというと、こちらになります。

岸田 歯医者に通うということで、確か清水さんは始めから歯が痛かったりとかしたんですか、そういうわけではなく?

清水 歯が痛いというよりも、歯がこすれて白っぽくなっていて、舌が。歯もこすれていた感じがあったから、歯医者さんに行って、「これ気になるんですけど」と言ったら、「歯が当たって、舌が白くなることがあるんだよ」って言って、歯の内側を全体的に削ってもらってたんですよ。

岸田 そういうこと?

清水 そう。内側を当たるから、とがってるから、あんまりそんなに歯並び、良くないのかな。「内側を削ったほうがいいよ」って言われて、削ってたんですね。

岸田 それで通ってたんですね。

清水 そうするとちょっと良くなるんです。白い感じとか。

岸田 そうなんや。

清水 だから定期的にというか、行ったりしてたんですけど。

岸田 そうして定期的に歯医者に通っていくのですが、だんだん痛みが出てきたんですね。耳鼻科に行かれるということで。

清水 そうなんです。最初、白かっただけだったんですけど、だんだんそこが赤くなってきて、口内炎というほど、口内炎とちょっと違う感じだけど、赤くなって、ちょっと痛くなって、触ると血が出るみたいな感じで、なんか変だなと思って、いろいろ調べたら、気になるなと思って、耳鼻科に行くって、みんな書いてあったから行ったんですよ。耳鼻科で、なんでここなのに耳鼻科なんだろうと思ったけど。症状が似てたから、ネットで調べた。

岸田 ネットで調べて、みんな耳鼻科で行ってたってことですかね。

清水 そう。この症状を調べたら、なぜか耳鼻科って書いてあったから、耳鼻科なのって思いながら行きました。

岸田 耳鼻科に行かれて、その後、どん。いきなりがんの告知されてるんですね。

清水 そう。私、耳鼻科に行ったときに、変な薬を塗ったんですよ、いっぱい。もらったんだけど、一向に治らず、そこの、最初の耳鼻科っていうのは、小さい耳鼻科、小さな病院だったんだけど、ちょっと気になるから、一応、なんか分からないけど、どうなるか分からないけど、何でもなかったらいいじゃないといって、取りあえず行ってごらんよっていって、紹介書を書いてもらって、大きな大学病院に行きましたね。

清水 紹介していただいて。それで、そこで、そこに行ったら、先生が、最初、若い先生なんですよね、初診って。初診の先生が来て、その人が後ろに行ったら、今度、中くらいの人が来て、だんだん、お年を召した方が出てき始めて、みんなしかめっ面して、こっち、私の中をのぞくから口を。これはみたいな顔をされて。告知っていうか、それかもしれないからっていって、調べようって。

岸田 ほお。

清水 断言はできないけど、だと思うみたいな、そういうふうに言われちゃって。

岸田 へえ、そんときはどうなんですか。いや、まさか舌がんとはっていうのは、うすうす思ってました?

清水 でも写真が似てるんですよね、どうしても。自分の中で、その写真の中でも、違うところを探しました。ここ違うから、やっぱ舌がんじゃない、みたいな。ここ似てるけど、ここ違うから、やっぱ舌がんじゃないみたいなのはやってました。

岸田 そうね、違うとこ探したくなりますよね。

清水 そう、そんなんばっかでした。違うと思うとかいってやってました。

岸田 そんな中で告知をされていって、そこから、その後、こちら、家族に伝えるということで、舌がん。そのままね、偉い先生に舌がんじゃないかということを言われて、家族に伝えたときは、家族の反応どうでした?

清水 びっくりしてました。私、子どもと3人で住んでるんですね、子ども2人と。だから、子どもに伝えたんですけど、そりゃあ、すごいびっくりして。

岸田 当時、何歳くらいのお子さんですか。

清水 当時、下の子が、小学校・・・。

岸田 小学校。

清水 ・・・5年生くらいだったと思うんですよね。で、息子が中学ぐらいに入ったばっかりで、だから、一番、何ていうのかな、息子が中学に入ったくらいの頃っていうか、だったから、あまり学校に行ってなかったんですよ。

清水 不安定なままいたんですよね。さらに私がこんなことになったから、すごいもう「死ぬの」とか、「いなくなるのか」とか、「死ぬなよ」とかって、そういうのばっかり言ってて、嫌だったです。泣くとかね。そういうのすごくありましたよ。

岸田 不安定な時期でもありますからね。そんな中、このブログで不安にとも書かれているんですけれども、これはどういうことですか。

清水 最初、舌がんの人っているのかなとか、探すんですよね。ブログとかで。その当時、でもいろんな人を見るんですけど、いろんな種類のがんの方。見てたら、元気になりましたとか、退院しましたの後に、見てたら、最後に、大変、頑張ったけれどもという方もいらっしゃるじゃないですか、中にはね。

清水 ご家族のメッセージがあったりっていうの。そういうの見ちゃうと、私もそうなるのかなとか、すごい不安になっちゃったんですよ。だから、変にそういう方向ばっかり調べるっていうか、ばっかり調べてしまってましたね、本当に。

岸田 不安ね。そういうのね。悪い情報っていうか、ちょっと悲しくなるような情報を、いっぱい見ちゃいますもん。

清水 見ちゃったんですよね。

岸田 そしてその後、下がっていくのは、見る見る大きくと書かれてます。その舌がんの腫瘍みたいなのが大きくなっていったってこと?

清水 そうなんですよ。舌がん、告知された、生検っていうのがあって。

岸田 はい。

清水 舌を切って、まず診察してもらったときに、もしかしたらがんかもしてないってときに取るんですよね、細胞を。その場で。その取ったものを検査に回すんですけど、取ってくれた部分が傷になるじゃないですか。そしたら、そこの部分からどんどん、10日くらいでもこの小指の第2関節くらいまで大きくなってて。怖くなっちゃって。

岸田 そんな短期間でってことですもんね。

清水 すごい早かったです。

岸田 それは怖いわ。そりゃ一番もう下がってきますよね。そんな中、手術も決まらずと。

清水 そうなんですよ。大学病院さんって忙しいじゃないですか、多分。よく分かんないけど。

岸田 確かに忙しいイメージありますね。

清水 忙しいイメージ。決まってるんですよね、多分。で、その空きがないみたいな。だから、2月中旬以降になるみたいな話としてたんですよ。だから、全然、いつになったら決まるのって思ってて。でも、この間って、この後、ちょっと診察の期間が空いたんですよ。大きくなってるところを先生が知らなくて。診察に行ったら、あまりに大きくなってることに先生もびっくりして、これは急がんといかんみたいな感じになりました。

岸田 急がんといかんっていう形になって、手術日が前倒しになっていったってことですね。

清水 そうなんですよ。やばいってことになって。だから、急きょ、本当に電話がかかってくる感じですよ。家で待機してて、空いたんで、いついつみたいな。そうですか、会社に言って休みますみたいな感じでした。

岸田 前倒しになって、そこからちょっと下がるんですよね。がんの相談支援センターへ相談した。これは何か不安があったんですか。

清水 手術するよってこうなって、もう切ったほうがいいって、そのときにこれがいいよって、当たり前のようになったんですよ。だけど、私の中で舌を切ったら、しゃべれなくなるんじゃないかっていうのと、歌いたかったりするから好きだから、歌えなくなるんじゃないかと思うじゃないですか。だから、そうじゃない、手術は決まっても、あがいて、そうじゃない方法があるとこがあるんじゃないかって。

清水 すごいいろんな所を聞いて、切らない方法どこかないですかみたいなことを聞いたり、相談したんですけど、でも言われたのは結局、急いだほうがいいから、セカンドオピニオンに行ったとしても、3週間ぐらい待たされるんですよ。聞いたら。早いほうがいいから、切ったほうがいいよって諭されるというか、言われて、そうか、決断しなきゃ駄目かなみたいな、迷いがありました。

岸田 急激に大きくなって、そんな中で切るかどうか、それを相談支援センターの方に相談されたということですね。あと、舌を切る決断をされていったということですね。

清水 そうですね。もうそこで切らなきゃ駄目かなっていうのと、とにかく生きるを決断したほうがいいよみたいな感じで、舌を切らないっていうこともやったとしても、舌にはあんまり効かない治療法だから、生きるんだったら生きてね、生きるほうがいいじゃないみたいな。それで私もそう思って決断しました。

岸田 なるほど。そして、その後、手術で舌を半分切除と書いてあるんですけど、清水さんの舌って、どこにどういうふうにできてて、どっちを切ったかっていうのは、具体的にどうなんですか。

清水 右側なんですよね。右側のちょうど側面にできたんです。

岸田 側面、右側の側面にできた。

清水 側面、ちょうど歯が当たるような部分ですよ。歯形が付きません?歯が当たるとこら辺なんですよ。何ていうんでしょう。

岸田 歯の側面の所ね。

清水 そう、側面部分なんです。

岸田 右側の側面部分にできてて、だんだん大きくなってってっていうのですかね。それを切ろうとなって、舌の半分の切除を、右半分を切除したってこと?

清水 そうですね。喉のちょっと奥のほうから全体的に、こっち側の全体をびゅーって切る。切るのも、ちょっと切っては、そこにがん細胞があるかどうか、先生がチェックをしながら切るんですって。だからどこまで切るか分からないけど、多分、半分くらいまでいくかなみたいな感じで。この状態が、ちょうどがんの細胞がない所、残ってない所ということで切ったんだと思います。半分くらい。

岸田 切っていって、そしてその後、ちょっとだけ上がっていくんですよね。お手術の後に上がる、何かというと、鼻から栄養補給を。

清水 栄養補給して、そう、なんか穏やかだったんですよ。舌を半分切ってすぐは、舌の痛みよりも、ここに鼻から呼吸の管を入れる、その管の痛みが、取った後の痛みのほうが強かったんですよね。

清水 呼吸ができなくて、飲み込め、ゴクンもできなくて、腫れちゃってて。でも、少したったら痛みもそんななくなってきて、ちょっと穏やかになってきたんですよ。常に鼻から栄養補給していただいてっていう感じで。それはちょっと嫌だったですけどね、気持ち悪くて。何も食べれないし。

岸田 そうですよね。

清水 気持ちは悪かったけど。そう、でもこのときは、本とかも読んだりとかしながら、穏やかな時間も過ごしましたけど。

岸田 穏やかな時間だったっていうので上がってるということで。

清水 うん、ちょっとだけ。

岸田 そこから下がっていくんですよね。何かというと。

清水 そうなんですよね。

岸田 電気メス。

清水 最初の頃はよかったんですよ。まだ最初というか、舌を切って、私の場合の手術は、縫わない手術なんですよ。

岸田 縫わない手術。舌を切ると縫わないんですか。

清水 そう、舌を切りっぱなしにするんですよ。

岸田 怖い。

清水 怖いけど、じゃなくて舌をバサッと切ったら・・・。

岸田 バサッて切って。

清水 切るじゃないですか。ここの部分を普通、縫うでしょ。横の部分をね。

岸田 普通、縫いますよね。

清水 そうなんだけど、縫わないほうが舌が再生してくれるんですよね。縫っちゃうと、玉結びするときみたいに。

岸田 きゅっとなりますもんね。

清水 きゅっとなるじゃないですか。でも、切りっぱなしにして、ある段が、傷パワーパッドみたいな、あれみたいなシートを貼るんですよ。それを貼って直していくっていうやり方をすると、舌がちょっと再生してくださるみたいで、少しだけきれいにっていう感じで、それを選んだっていうか、先生はそれをしたほうがいいっていうことで選んだんですけど、それが剝がれてくるんですよ。

岸田 怖い。

清水 かさぶたって、少し、こういうとこにあるかさぶたも、直ってくると剝がれるじゃないですか。

岸田 剝がれます。

清水 でも、ちょっとまだ剝がれてないやつっていうか、直ってないのに剝がれちゃうやつって、血がちょっと出るじゃないですか。

岸田 出ますね。

清水 ここはいいけど、舌の場合は止血しなきゃいけないんですよ。それが電気メスでびっと焼くと、焼けてくっつくから、その度に先生呼んで、焼いてもらうんですよ。

岸田 ほお。

清水 それが痛かった。それは嫌だった。一番嫌で。

岸田 清水さんの場合は、貼っての、電気メスやったりとかですけど、皆さん、舌がんの方、もし見られたら、主治医の方の方針とかいろいろありますからね。そこをちゃんと聞いてご判断いただければと思います。あくまでも清水さんの。

清水 私の場合。

岸田 きつい。ただ、それよりも下があるんでしょう? それよりも下って。

清水 そうなんですよ。

岸田 緊急手術っていうのある。

清水 緊急手術になっちゃった。要は、剝がれるってのがあるじゃないですか。それは普通、徐々に剝がれていって、治ってる証拠なんですけど、そこが。たまに血は出るけど。ところが、突然、全部、剝がれちゃったんですよ。私のせいなんだよ、でも。私がテレビをつけて歌ってる姿を見て、ある歌手が。好きな歌だったら、なんかちょっとこう。

岸田 口ずさみたくなりますね。

清水 口ずさんじゃうというか、ハミングしちゃったんですよ。歌えるとか思ったら涙が出てきちゃって。涙が出ると、我慢するとこう、ううんとやりません。こう、何ていうんだろう。

岸田 ゴックン的な?

清水 泣かないようにしようみたいな。そしたら、舌に多分、力が入っちゃったんでしょうね。泣かないように、うーんって。そしたら、全部、剝がれてしまって。一番大事な部分、まだ動脈が切りっぱなしだったのかな。分かんないけど、すごい出てきてしまって、血が。そしたら緊急手術になってしまいました。そういう意味です。

岸田 これは緊急手術して、それで大丈夫だったんですか、手術をしたら。

清水 手術をして、でも、その所だけは縫わなきゃ駄目だって言われて。

岸田 そうですよね。

清水 だからもうシートじゃなくて、縫うよって言ったら、そこだけちょっとつれてるんですよ、やっぱり。先生が言ってたとおり、縫ったりするとつれるから、しゃべりにくくなるからシートにするって話だったから。やっぱりつれると変ですよ。変。今も変。

岸田 違和感があるってことですね。

清水 あります。本当にある。あるけどしゃべれるし。

岸田 そうですよね。めちゃくちゃ今、しゃべれてるじゃないですか。

清水 そう、しゃべれるから大丈夫って思ってる。私、大丈夫と思う。

岸田 すごい、しかも半分切られてますけど、全然、普通にしゃべれてるんで、すごいなと思って。そして、上がっていきます。何があったのか。情報収集。

清水 そう、ここから、この手術した後、2度目の手術した後、面白いって言ったらあれだけど、舌を前の貼ってるやつは、シートを、すごい長かったんですよ。だけど縫ったら直るのっていうか、まで早いんですよね。縫うとやっぱり、糸がなくなったらもう大丈夫みたいな感じだったから。

清水 そこら辺からちょっと舌も動かせて、うれしくなってきたっていうか。いろんなもん。なんで私はがんになったのかなとか、どうやって生き方とかの本とかを読もうって思えたんですよ。ポジティブなものとかの情報収集をすごいして、私も、もう一回こんな状態でも歌を歌おうみたいな、歌、歌いたいみたいな方向に持ってきたんですよね、いろんな情報を見て。

岸田 それで歌を歌っていこうって思われたんですね。

清水 そう。最初はネガティブな情報ばっかりだったんですよ、なった頃って、手術前はブログとかも。でも、今度は、退院までっていうか、秒読みになってくるじゃないですか、だんだんね、手術で舌が動くようになってくると。そうすると今度どうしようって。方向にこれからこの状態だったら、もしかしたら頑張れるかもみたいな感じで、情報収集しました。

岸田 それでポジティブな意味で情報収集。そして、鼻から栄養補給から、その後の口からの水が補給になってきたということですね。

清水 そうなんです。そこで私は口から水を飲むっていうことが良かったです。簡単にいくのかと思ったら簡単じゃなくて、ちょっと下がったんですけど。

岸田 そういうことね。思ったより大変だった?

清水 そう。すぐ食べれるもんかと思うじゃないですか。そしたら飲み込むことが難しくて、まず最初。

岸田 ゴックンとね。

清水 ゴックンが意外に難しくて、だから一回の食事っていうか、すごい水分ばっかなんですけど、柔らかいプリンみたいな感じのものとかなってくるんですけど、だんだん。その食事に2時間以上かかるんですよ。完食しようと思うと。

清水 それがなんかもう食べなきゃ駄目なのみたいな。でも「食べないと駄目だよ、退院できないよ」って言われて、そこはちょっとへこみました。こんな時間かけて食べて、もう次のご飯来るじゃんぐらいの・・・。

岸田 確かにね。

清水 ・・・って感じ、生まれました。

岸田 頑張ってそれ食べれるようになって、退院ができていったってことですよね。それを続けて。

清水 どんどん来る食事を、とにかく泣きながら食べたときもありますよ。とにかく食べ終わって、食べて頑張って、「時間かかってもいいから、食べれるっていうのが分かったら退院だからね」って言われて、それを頑張りました、ここで。

岸田 ここで頑張って、そして退院ができたら、次はリハビリ兼ボイトレを、歌手。

清水 そう、もう一回歌手というかね、もう一回っていうか、歌手じゃないんだけど、歌を歌うのが好きだから、歌を歌いたいと思って、先生も「リハビリするのに歌がいいよ」って言われて、「しゃべるのもいいけど歌うこともいいよ」って。

清水 「だからやってごらん」って言われて。ないんですよ、リハビリが、病院のほうでは。だから「自分でリハビリしなきゃならないから、歌ったりとか、とにかくしゃべりな」って言われて、とにかくしゃべってました。独り言でもいいからしゃべんなみたいなことを言われて、しゃべりましたね、よく。

岸田 けど、今、めちゃくちゃしゃべれてるんでね。そしてその後、リハビリ兼ボイトレをしていったら、ライブハウスで歌唱ができる、イベントで歌唱ができる、歌えるようになってきたんですね。

清水 そう、イベントでも。リハビリしたりとかボイトレしたりとかしてるときに、ある方と知り合って、「じゃあ頑張って練習して、私の年末のライブハウスでゲストで歌わない?」って言われて、それもあって一生懸命頑張れたんですよ。なんか目標っていうか。ありがたかった。

岸田 こういう目標があるとね、そのために頑張ろうとしますもんね。そしてイベントでも歌唱されたりとか、今は講演会も開催されているっていうことなんですね。

清水 はい、これで経験したこととかを伝えたいなって、がんに教えてもらったこととか、そういったこととかも伝えていきたいなと思って、この前オンラインですけどやってみました。

岸田 そういうチャレンジしていくとかを言うのも、そういう自分の新たな1ページ1ページ、歌手のこともそうですし、そういうところが清水さんすごいなっていうことを思ったりとかします。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 そんな清水さんのゲストエクストラなんですけれども、こちら頂いております。大変だったこと、困ったこと、入院中の意思疎通、そして子どもの気持ちのケア、これらをどう乗り越えてきたのかっていうことに関しては、電子パッドを用意したということと、毎日のLINE、ハグなどと書かれています。入院中の意思疎通、そうですよね、声出せないからこれを、電子パッドにしてやっていたってことですか。

清水 そう、声も出せないし、出したとしても、わーだけだから、何言ってるか分かんないんですよ。こういうやつを、メモでもいいんだけど、紙の量すごそうだなっていう予想して、舌を動かせないって聞いてたから、こういうのを買って、書いて、それで見せて、先生とか誰でも、お見舞い来てくれた人も言われたら、ただそれが長いんですよね、書いてる時間が。大丈夫とか、何とかだった、どうって言って、今はね、こうでねっていうのを書く間がもどかしくて、一言、言っちゃえば済むのに、それはもどかしかったですね。

岸田 それを書いて、入院中は過ごして、意思疎通を取っていたということだと思います。そして子どものケア、気持ちのケアって、お泊まりとか、どういうことですか、これ。

清水 私はシングルマザーなので、家に3人で住んでたわけですよ。だから、一応、実家の協力もあったんですけど、そこだけだと不安になることもあったみたいで、お友達はそれぞれ、うちの息子と娘の友達の家で、気晴らしになるんだったらって言って、1週間とか泊まらせてくださったりとか。

岸田 1週間。

清水 そういうところもあったりとか、させてくれたりとか、それが子どもたちにとって良かったみたいで、あとは、病院にも来てくれたりするんですよ。連れてきてくれたりとかするんです。お見舞い行くって連れてきてくれて、そのときとかもちゃんとハグしたりとか。あとは電話ができないんですよ、しゃべっちゃいけないから。

岸田 そっか、舌がんがあるあるか。

清水 だから、LINEでやりとりしたりとか、どうとか全部、やりとりしたりとか。

岸田 むしろ入院中の意思疎通、全部、LINEとかでやってもよかったんじゃないですか。

清水 今、思えばそうだなと思うけど、先生とかはLINE持ってないじゃないですか。

岸田 まあね。だから。

清水 看護師さんとか、その辺は、これで大丈夫ですとかやったり、なんかやってましたよ。

岸田 入院中の意思疎通も、LINEみたいにコミュニケーション取れるようになったらいいですよね、なんかね。

清水 そうですね。あれはちょっとそう思いますね。キャッチボールが早くできないのがもどかしかった。

岸田 あとあれですよね、清水さん。グッズを今、用意していただいてるんですよね、舌。

清水 舌をね、いくら物を食べないようにしても、入院中に口の中をきれいにしなきゃいけないんですよ。使ってくださいって言われたのがこれだったんですよね。スポンジブラシのハミングッド。これいろんな種類があるみたいで、私はこれを買って、歯磨きはできないんですよ。当たったら舌が剝がれちゃうから、シートがね。こういう本当、柔らかいスポンジ。

岸田 スポンジで磨くんですね、磨くというか。

清水 これで、こういうふうに、磨くっていうか、こするっていうんですかね。これを毎日やって、食べてないのに気持ち悪いんですよね、口の中やっぱ。だからそれをして毎回、うがいをしてっていうのを、毎日やってました。入院中。

岸田 今はもうない、普通に歯磨きしていいんですよね。

清水 もちろん。今は大丈夫です。ただ気を付けてねとは言われますね。当たるとけがするのね。ここを切った所がちょっと、やっぱ敏感なんですよ。神経が敏感っていうか。熱さとか、アイスの冷たさっていうのはあんま食べれなかったりとか、刺激に弱い。

岸田 そうなんや。

清水 それはある。食べれるけど。

岸田 辛いラーメンとか食べたら、ちょっとやばいですね。

清水 今は辛いラーメン好きだったけど食べないですね。あとチーズとか。

岸田 チーズも。

清水 もったりする食べ物。口の中でこうやったりとかしないと食べれないもの。チョコとか。あとあめとかガムも前に出てくるとか。今は良くなりましたけど、ずっとそんなんでしたね。

岸田 それも1年くらいかけたら、だいぶ大丈夫。

清水 そうですね。1年くらいかな。

【メッセージ】

岸田 ありがとうございます。そんな清水さんに、最後、いろいろもっと聞いていきたいんですけれども、清水さん、メッセージを視聴者の皆さんにいただいておりますので、メッセージを言っていただきたいなということを思っております。

清水 一日一日、生きているこの命を大切に過ごしてっていうことが伝えたいです。病気をしてからすごく一日一日っていうのが有限なんだなってすごく思って。1日っていうものがすごく、前は当たり前だと思ってたけど、当たり前じゃないんだっていうのをすごく思ったので、今、生きてるっていうことをすごい大事に生きていくっていうのが、私はすごく伝えたいことです、今。

岸田 ありがとうございます。一日一日をね、本当にいきなり、がんって宣告されたら、いきなり寿命とか意識しちゃいますもんね。

清水 そうですね。だからちょっと意識しちゃうんで、今、生きてるから、いつ病気とかかかわらず、いつか誰かみんな死ぬじゃないですか。

岸田 おっしゃるとおり。

清水 だからその間は生きようって、自分の命を大事に生きようってすごく思いました。

岸田 本当ね、本当、一日一日、本当、無駄な日はないからね。

清水 本当ですね。

岸田 しっかりちゃんと過ごしていきたいなっていうのも、本当、思います。皆さんも、見てる皆さんも、大切に一日一日を過ごしていってほしいなということ思います。見て、がんノートmini、以上となります。清水さん、どうもありがとうございました。

清水 ありがとうございました。

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