インタビュアー:岸田 / ゲスト:花木

【発覚・告知】

岸田 きょうのゲストは花木さんに来ていただいています。

岸田 ありがとうございます。よろしくお願いします。

岸田 それではどうやってがんが分かって、そして告知を受けていったのかをお願いできますか。

花木 最初に気付いたのが今から2年前の10月ぐらいです。

花木 全社員が一堂に集まる勉強会が会社であってそこに行って話聞いてたんです。

花木 人の話をずっと聞いてるだけなので疲れてきてしまうんですよ。私あんまりずっと座っているの得意じゃないので、つい、頰づえついてたんですよね。

花木 頰づえついてたら、ここに、いつも感じない腫れっていうんでしょうかね。

花木 普通の、ちっちゃい扁桃腺の腫れとかっていうよりは、すごいおっきな、ピンポン玉ぐらいのでっかいの見たことねえなみたいな腫れに気付いて。痛みも血を吐くとかっていう初期症状もなかったので放っておこうかなと思ったんですけど。

花木 一回、気になっちゃうと結構、突き詰めたいタイプなんですよね。

花木 ていうのもあって妻にも相談をしたら、気になるんだったら病院行ってくればっていうことなので、まずは近所の耳鼻咽喉科にかかりました。

花木 そこで先生に触診してもらったりして、単純に風邪でしょうかね、じゃあ抗生物質出しておきますねみたいな。

花木 結構、のんびりした感じに言ってくれるんで、大したことないんだろうな。

花木 一応、抗生物質飲んで来週行きますねって行きました。1週間たっても腫れが引かないんですよね。

花木 なので、別の抗生物質を出しましょうかって結局、違う抗生物質とか薬を毎週出されて1カ月ぐらいたったんです。

花木 ちょっと、それで、らちが明かないというか、症状が引かないので。逆に、この先生、大丈夫かなって心配になってきちゃって。

花木 こっちからもう少し大きな所で精密検査受けたいと思うんですけどって、お願いをして紹介状を書いてもらって総合病院に行きました。

花木 そこで検査受けて、来週来てくださいって言われて普通に行くわけですよね。

花木 特に家族を呼んで来てくださいとも言われなかったので大丈夫だろうと思って行ったら、まさかの、がん告知ですよ。

岸田 もう、すぐ分かったんですか、それは。

花木 100パーとは言えないんですけれども、ほぼ80パーセントの割合で、がんでしょうと。

花木 ただ私、中咽頭がんって喉のがんなんですけど、ここにあったのは転移がん。頸部リンパ節、首のリンパに入ってる。

花木 要は、転移したから気付いた。先生も、ここからたどって、こっちにあるでしょうっていうことで。

花木 結果としては、そんときステージⅣaと言われたんですけれども。まさか、ここにあるなんていうのは全然、本当に全く疑いもしていなかったので。

【治療】

岸田 治療はどういったことされましたか。

花木 治療は大きくいうと二つです。最初に抗がん剤治療を約2カ月間やって。

花木 その後に放射線治療を、また2カ月間っていう2段方式っていうんですかね。

花木 抗がん剤で、まず部位を小さくして放射線で焼き切るみたいな。そんな感じでした。

岸田 どうでした、その治療は?大変でした?

花木 大変でしたね。私は2カ月、8クールですかね。毎週1回、計8回、抗がん剤やって。

花木 つらかったですよね、やっぱり。私もう、そのとき休職してたんですよ。

花木 やっぱりちょっと、さすがに長丁場になるし、通勤しながらじゃ難しいっていうので会社もお休みしていて。

花木 ただ、実際には入院も挟みながら、基本的には通院で週1回、抗がん剤通院センターみたいな所で週1回入れて、帰って1週間療養みたいな感じでやってたんですけど。

花木 私の場合って、基本的に入れた日は大丈夫なんですよ。普通に帰って食事して。

花木 翌日も大丈夫なんですけど、3日目に来るタイプで。3日目に体が起きようとしてもベッドから起き上がれない。

岸田 起きれないぐらい?

花木 インフルエンザの最大級が来たような感じになっちゃって。

花木 何とか起きて1階に下りてってご飯を食べようとするんですけど、食事を見たら気持ち悪くなっちゃって戻しちゃったりとか。

花木 もしくは食べれずに終わるみたいなのが、ずっと波はあるんですけど大体、毎回入れるごとに、そんな状況が続いて。

花木 途中から髪の毛も抜けちゃいますし、口内炎ができたりとかっていうので結構、抗がん剤、やっぱり副作用って大変だなと思いましたね。

岸田 その中で抗がん剤をやっていき、がんは、小さくなったんすか。

花木 なりましたね。中咽頭がんと、あとは頸部に二、要は三つあったんですけど。

花木 2センチ超ぐらい、それぞれあったのが結果的に放射線やる前に一つは0.8センチとかまで、小さくなって。

花木 一番大きいのでも多分1.8ぐらいまで小さくなっていたので結構、効果はあったんじゃないかなとは言われてます。

岸田 そんな中で、この抗がん剤治療を終えて、2018年2月から放射線治療に入っていくということで。計35回?ということですけども、どうでした?

花木 どっちも甲乙つけ難いんですけど、本当につらかったのは、もしかしたら、放射線治療のほうだったかもしれなくって。

花木 私の場合、喉に放射線を当ててくので結構、口が乾きやすかったりとか。

花木 もう1年半ぐらいたつんですけど唾液が出にくいとか、結構ずっと後遺症残ってるんですけど。

花木 副作用として治療中にあったのが、喉の中が途中から焼けただれてきちゃったり、味覚がなくなったりとか。

花木 最終的には、ものを飲み込むこともできないし、唾飲み込んでも針飲み込むみたいな痛みが出てきちゃって。

花木 本当に食事取れなくなっちゃうぐらい、つらかったんですよね。

花木 そうなると、食事取れないって結構、人間として楽しみの結構な部分を奪われるじゃないですか。

花木 ストレスがあるから食べたいのに、食べられないみたいな。ていうのもあって、この時期、結構つらくて。

花木 35回やりきれって言われてたんですけど途中の30回ぐらいで、もうやめてもいいかなみたいなことを妻に、ぽろっと言ってしまうような。そのぐらい結構きつかったんですね。

岸田 どれぐらいから焼けただれたような感じになっていくんですか。最初のほうは大丈夫でした?

花木 そうです。大体35回のうち10回目ぐらいからですかね。それまでは本当に1日10分ぐらいちょっと当てて、おしまいですみたいな。

花木 こんなんだったらいけんじゃんみたいになめてたんですけど。最初、味覚がなくなっていって。

花木 今ようやく8割、9割、味覚も戻ってますし、ご飯もおかわりできるようになったので、当たり前のこと、普通にものが食べれるっていうことって、なんてありがたいんだろうっていうか。

花木 そういう基本に立ち返る感じにはなっています。でも、それを忘れちゃいけないなと思います。

岸田 その後は、今、3カ月に1回、経過観察しているということですね。

花木 はい。

【配偶者】

岸田 奥さんには、どういうタイミングで伝えました?

花木 最初はLINEで伝えたんですよ。実はちょっと、がんとは書けなかったですね。

花木 要は最悪なパターンの状況が、どうも起きてしまうみたいな。悪性リンパ腫っていうのが最悪な自分の想定だったので、それにほぼ近いようなことが起きてしまったみたいな。

花木 それで大体、多分、伝わるなと思ったんで。それで翌日、私も会社、半分休んで直接しゃべりましたけど、それも嫌でしたね、やっぱり。

岸田 翌日どういう話し合いになったんすか。

花木 先生から言われたことですよね。どうも、がんらしいと。ただ、そこでは治療はできないから、確定診断を受ける検査から病院を転院したほうがいいんじゃないかとか、さまざま。

岸田 奥さんの反応は?

花木 反応っていうか、がんっていう2文字が出るたびに、涙ぐむっていうんですかね。

花木 われわれみたいに何とか元気にやってる人間っていうのもいるっていうのも、当時はそんな知らなかったですし。

花木 やっぱり、がんイコール死みたいなふうに、どうしても一般人として思ってしまう中で、同じ感覚でいれば妻にしても、夫ががんになりましたって、もしかして、なんかあるんじゃないかみたいな、そういう不安が相当あったみたいですね。

岸田 その後、奥さんはサポート結構してくださったんですか。

花木 そうですね。妻はサポートばっかですよね、もうね。

岸田 どんなことが、うれしかったです? あと、改善してほしいのも、もしあれば。

花木 いや、改善っていうのはなかったですよ。むしろ、ありがたいサポートが多くて。

花木 何が一番うれしかったかっていうと、やっぱり私の主体的な取り組みを認めてくれたっていうんでしょうか。

花木 例えば、治療先を決めるっていうのもそうですし。あとはセカンド受けるとかサード受けるとかって、結構、手間暇かかるじゃないですか。

花木 私自身、進行がんだったんで時間をかければかけるだけ、病気が進行するかもしれない。

花木 だとすれば、もうある程度、主治医が最初にいいって言ってくれたんだったら、もうそこで例えば治療受けて一日でも早く抗がん剤入れたほうがいいんじゃないのかみたいな。

花木 そういうところで、ちょっと意見の食い違いがあったりとか。

花木 あとは私なんか、前から本書いたりブログ書いたりしていたんで、自分の病気を人に発信して公にしてから治療に入りたいみたいな。

花木 今までのように健康な状態で発信するのと、病気になったその情報まで開示するのって全然リスクの度合いが違うと思うんですけど、「そういうのが、あなたのモチベーションになるんだったら、私はそれは後押しするよ」っていうふうに言ってもらえてブログとかも始められたんで。

花木 自分としてはそれが、やっぱり人に自分の経験を伝えるっていうことが治療のモチベーションになったりしましたので。

花木 ていうのを認めてくれたということは、すごいありがたかったですね。

【子ども】

岸田 あと、息子さんお二人に、がんのことを伝えるときのことを教えてほしいんですけども。

花木 当時が7歳、4歳で、今9歳、6歳なんですよ。下は正直言って、あんまり関心ないっていうか。

花木 次男でマイペースなので、お父さん出張行ってるぐらいの感じですよ。ただ上は結構、多感な時期、だったので。

花木 一応、病気にはなってしまったと。ただ、治療をやり切れば回復できるし、また一緒に遊べるから少しの間、我慢しててねっていう伝え方を最初はしてたんです。

花木 でも、やっぱり子どもって小さいながらに結構、そうは言ったけど何日も家に帰ってこない、本当はもう帰ってこないんじゃないかみたいな不安があったりとか。

花木 また遊べるって言っても、いつまでたっても遊んでくれないじゃないかっていって不安になったりっていうので、上の子は結構、時に枕を涙でぬらすみたいな日もあったぐらい。

花木 だから、なるべく上の子には、できる限りの情報を伝えるようにはして。

花木 病名も実は、がんっていって大変なものなんだけど、だいぶ治せるようになってきてるし、自分も多分、治るって言われてるからとか。

岸田 それは、いつに言ったんですか、息子さんに。

花木 息子に言ったのは、徐々にですけどね。治療中、入院しているときにお見舞いに来てくれたりとか、一時退院したりとか、そういった端々で、コミュニケーションする機会があって。

花木 本人が聞きたがっていることは、なるべく分かりやすく伝える。

花木 なるべく不安をあおらない形で伝えるようにはしていましたね。あんまり隠し過ぎるとよくないなっていうのが私も逆だったら、そう思うでしょうし。

花木 やっぱり子どもって自分だけ知らないっていうのって敏感に伝わると思うので、私は、なるべく伝えるようにしてます。

花木 今も、できる限り子どもには伝わる形で伝えていこうかなと思ってますね。

岸田 それは思いますよね。本当に。

【辛い・克服】

岸田 花木さんが、こういうとき、精神的・肉体的につらかったなっていうのと、それを、どう克服していったか、どう立ち向かっていったのかをお願いできますか。

花木 結構いろんな局面で、つらいときはあったんですけど。私は比較的、痛みには強いっていうか。

花木 物理的な痛みは結構耐えられるほう。その先に、なんか希望があるなら受けましょうって感じなんですけど、精神的なほうに、ちょっと弱いんですよね。

花木 例えば、人から心ないことを言われたりとか。悪口とかじゃないですけど、よかれと思ってやってくれたことが自分にとって逆に、ちょっとつらいことだったっていうのもありましたし。あとは結構、お金の話もそうですし、キャリアのこととかですかね。

岸田 キャリアね。

花木 ばりばりやろうっていう矢先にがんになってしまって。

花木 同僚は活躍しているけど自分はそこに、もういけないとか。戻っても、もうハンデを抱えた状態で会社に戻って、やれることも限られてきちゃうし。

花木 でも、ばりばりやっていた頃の自分のイメージと重ね合わせると、すごい無力感っていうか、こんなんでいいんだろうかみたいな。

花木 そういった、できなくなったことを考えると、ちょっと、つらかったかなという感じはしますね。

岸田 それを、どう、克服するんですか?

花木 徐々になんですけど、もうなっちゃったものは、しょうがないと。

花木 いろいろ考えましたけど、がん告知される前には戻れないので。だとしたら、なった自分ができることは何だろうかとか。

花木 あとは、なったからこそできることとか。もしかしたら自分は、こういうことをやれと言われているんじゃないかみたいな。

花木 今の状態でやれること、得られたことみたいなのに、なるべくフォーカスを当てるっていうんですか。

花木 ブログとかもそうなんですけど、やっぱり最初は、つらい、苦しい。

花木 だけど逆に言えば、そういう情報を、もしかしたら必要な人がいて、そういう人に情報を伝えるのも自分の役割なんじゃないかみたいな。

花木 そういう積み重ねをしていくことで、少しずつ自分にもそういう、病気にも意味があったのかなみたいに思えるようになってきているっていう感じですかね。進行形ですね。

岸田 ありがとうございます。

【反省・失敗】

岸田 その次、反省、失敗。あのとき、こうしておけばよかったなっていう。

花木 結構、自分は痛みには強いけど精神的に弱いみたいな話、さっきしたじゃないですか。

花木 カウンセラーとかにも、その話をしてたんですけど。精神腫瘍科に行こうっていうことは治療中、思わなかったんですよ。

花木 それはなぜかっていうと、なんか分かんないんですけど、これ以上のサポートはいらねえぜみたいなことを思ってたのかもしれないですし。

花木 若干、名前で、ちょっと尻込みしたというか。精神腫瘍科って、ちょっと重いイメージあるじゃないですか。

岸田 あるのは知っていたんですか。

花木 あるのは知っていました。私の受けた病院にもあったんですよ。妻は、こういうのあるよって教えてくれたんです。

花木 なんですけど、そこは、うーんみたいな。じゃあ、もし困ったら行くよみたいな感じで、ほったらかしにして。

花木 結局、治療終わってから社会復帰して話を聞いたりすると精神腫瘍科、行っておけばよかったなみたいな。

岸田 具体的に、精神腫瘍科ではどんなことをしてもらえるんですか?

花木 実際に治療中かかってないんですけどがんの専門の悩みを聞いてくれる先生なので初めて、その先生とお会いしてお話聞いてもらったのが去年の12月ぐらいで、要は社会復帰して3カ月ぐらいたったときなんですけど。

花木 自分の状況や、葛藤があるとか。だけど、それを乗り越えようとしているみたいなことに対して、すごいポジティブに受け止めてくれて。

花木 一言、言われたのが「私は、そんなふうには多分なれないと思う」みたいな。「花木さんだから、そういうふうに言える。

花木 すごく強い人だ。逆に言えば、それは健常者である私にも勇気を与えてもらえたことです」みたいな言い方をしてもらったときに自分の経験を、そういうふうに捉えてくれる人がいるんだなみたいな。

花木 カウンセラーとか受けてましたけど、やっぱりそれは、あくまでも、がんっていうよりは一般的なところなので。

花木 がんという事象に対しての、そういった捉え方っていうか。主にその話を中心に、「ここまで開示して聞いてくれて、それに対して勇気をもらえました」みたいなことを言ってくれて、ちょっと涙が出そうになって。

花木 だったら早く受けておけばよかったなみたいなふうに思いました。

花木 もし治療中の方とかで、ちょっとそういう所行ったら自分は弱い人間なんじゃないかみたいに思っている方がいたら、むしろ、そういうふうに話が人にできるっていうことは、それだけ強いというか、勇気あることだと思うし。

花木 きっと受け止めてくれると思うので、ぜひ、そういうリソースは使うといいんじゃないかっていうことを伝えたいですね。

【医療従事者に向けて】

岸田 そんな医療者に対してメッセーを何かお願いできますか。

花木 やっぱり精神的な話になっちゃいますけど。

花木 入院中が一番、自分としては自由も利かないし、血を採ります、体重量ってとか、食事はちゃんと食べましたか、薬飲んでますかって管理されるじゃないですか。

花木 そうすると何気ない一言だったりとか、ちょっと寄り添ってくれたりとかっていうのが、すごいありがたかったりするんですよね。

花木 例えば、じゃあこの薬飲んでくださいねって言われて。飲んでも、なかなか治らないんですみたいな。

花木 痛みが取れないんですって言ったら、じゃあもう少し増やすように先生に言ってきますねって言ってくれるのもありがたいんですけど、私なんかはそれよりも、そんなにつらいんですねみたいな。

花木 花木さん本当に、よく頑張ってますねみたいな。

花木 そういう、つらいから、じゃあもっと改善していきましょうねとか、具体的になんかやりますねっていうのもいいんですけど、プラスアルファで、そんなつらい私にちょっと寄り添ってくれるような一言を掛けてもらえたときに、そういうふうに分かろうとしてくれてるんだなみたいな。

花木 それがありがたくて、ちょっと痛みが和らいだりとか。

花木 そういうふうに言ってくれる人がいるんだから、こんな痛みに負けずに頑張ろうかなって、物理的な痛みは変わらなくても結構頑張れたりするので。

花木 そんな一言を、忙しい中でも可能な限り掛けてもらえると患者の立場だと、それでうれしくない人はいないんじゃないかなとは思いますね。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 最後に、今、闘病中のあなたへというメッセージですね。その思いを述べていただけますでしょうか。

花木 使命感ですね。さっき私もお伝えしたんですけれども、やっぱり自分が、がんになったっていうのは、いいことばかりでは当然ない。

花木 どちらかというと、つらい出来事だとは思うんですけど。ただ、やっぱり、その人がそういう状況になったことには、きっと意味があって。

花木 何かそこに使命があるんではないかなって自分で思いながら治療も頑張りましたし、社会復帰をした経緯があるので、きっと、これを見ている皆さんの中でも一人一人の、そういった使命があって。

花木 そういう使命感を持って治療に取り組むと、つらい治療も逆に言えば、それが糧になるとか。

花木 そのつらいことが後々、誰かの役に立つっていうことが、きっとあると思うので、ぜひ、頑張っていただきたいですし、応援をしていきたいというふうに思っています。

岸田 使命感ですね。そっか、自分のその経験が何かにつながっていったり、糧になっているということで。

花木 そうですね。きっとそうだと思うし、そう信じてやることで私なんかも、つらいときは乗り越えてこられたんで。

岸田 すごいですね。それではきょうは一日、どうもありがとうございました。

花木 ありがとうございました。

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