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インタビュアー:岸田 / ゲスト:梅田

現役消防士の闘病への決意 – 「早く現場復帰したい」強い意志

岸田 きょうのゲストは梅田さんです。よろしくお願いします!

梅田 お願いします!

岸田 梅田さんは静岡県のご出身で、現在も静岡にお住まいなんですよね。静岡って東部と西部がありますけど、どちらなんですか。

梅田 西部ですね。H(地名)とか、あちらのほうです。

 

岸田 なるほど。そしてお仕事は消防官、消防士さんなんですね。

梅田 そうです。

岸田 この写真も筋肉むきむきでトランシーバーを持たれてますが…!

梅田 これはちょうど救助隊のレスキュー大会のあとに撮った写真なんです。

岸田 レスキューの大会なんてあるんですね。

梅田 あるんですよ。めちゃくちゃきついですけど。

岸田 すごいですね。そんな梅田さんですが、趣味はトレーニング。筋トレですか。

梅田 そうですね。体が資本の仕事なので。今は病気してからもリハビリを兼ねて、早く現場復帰できるように続けています。

岸田 なるほど。車は何に乗られているんですか。

梅田 ランドクルーザーの100系です。

岸田 大きいですね!

梅田 はい、めちゃくちゃ大きいです。

岸田 そして皆さん聞いてください。梅田さん、犬とも暮らしているんです。

梅田 飼ってます。

岸田 どんな犬ですか。

梅田 チワワとダックスのミックス犬、チワックスです。

岸田 消防士で、筋トレもして、ランクルに乗って、犬と戯れる。これはもうモテ要素がそろってますね。

梅田 そうなんです(笑)。

岸田 すごい。しかも、ご結婚もされてますよね。

梅田 はい、結婚してます。

岸田 そのお話もまた後ほど伺いますね。そんな梅田さんが罹患されたのは急性リンパ性白血病。白血病なのでステージ分類はなく、告知されたのは30歳のとき。そして現在は32歳。治療方法は薬物療法、放射線、そして造血幹細胞移植。今日はそのあたりをじっくり伺っていきたいと思います。

梅田 はい!

フィラデルフィア染色体陽性ALL闘病記録-発症から職場復帰までの2年間

 

岸田 梅田さんのペイシェントジャーニーを伺っていきたいと思います。気持ちや時間の流れを吹き出しで示した図になっていて、下がるところも何カ所かあり、最後は安定して生活されている形ですね。では、早速。まず30歳のときに長女が誕生。その後、体調不良で下がっていきます。長女の誕生はポジティブ(赤色)なのは分かりますが、体調不良も赤色なのはどうしてなんですか。

梅田 確かに体調は悪かったんですけど、当時は仕事や訓練の疲れが重なっていたし、育児の疲れもあって「単に体力が落ちてるのかな、30歳も超えたし」ぐらいに思ってたんです。

岸田 消防士が「体力ないのかな」って、それはまずい(笑)。そこから「がん告知」になります。しかもこれもポジティブに書かれてますけど?

梅田 告知されても「死ぬ気はしないな」って感じでした。風邪の延長ぐらいに思っていて、結構強気だったんです。「治療はつらいかもしれないけど、さっさと治して家族の元に帰るんだ」って気持ちが強かったので、まだ前向きでいられたんです。

岸田 なるほど、強気という意味でのポジティブ。じゃあ、そもそもどうやって白血病って分かったんですか。

梅田 訓練中に貧血で倒れそうになって、その後も脈拍が180ぐらいでなかなか落ちず、熱も38.3度あったんです。コロナ禍だったので「もしや」と思って病院に行ったんですが、母に「血液検査も受けなさい」と言われて。昔から通ってた町医者で検査したら、すぐ大きい病院に行けと紹介状を渡されて、その日のうちに入院となりました。

岸田 即入院、そして告知だったんですね。その後さらに下がって「フィラデルフィア染色体陽性」と出てます。これは何がショックだったんですか。

梅田 急性リンパ性白血病の中でも「フィラデルフィア染色体陽性」は予後が悪いと言われる遺伝子なんです。当時、浅い知識ながら調べて「これはやばいな」と。今まで「治るでしょ」と思っていたのが、「大丈夫かな」と不安に変わっていきました。

岸田 なるほど。それで気持ちが落ちたわけですね。

薬物療法の実際と副作用体験 – MRD陰性化までの治療プロセス

岸田 では、薬物療法に入っていきます。寛解導入療法とありますが、どんな治療でしたか。

梅田 フィラデルフィア陽性の場合、最初の寛解導入療法は飲み薬が中心なんです。強い抗がん剤を想像していたので意外でした。「髪も抜けるのかな」と思ってましたが、飲み薬で1クール終わって、「これでいいの?」っていうくらい軽い印象でした。

岸田 その後、誕生日が来て少し上がってますね。

梅田 そうなんです。誕生日を迎えられたこと自体がうれしかったし、この頃Twitterを始めて、同じ病気の人とつながることができました。仲間の元気な姿を見て「自分もいけるかも」と思えて、前向きになれました。

岸田 そこから一時退院もできたんですね。

梅田 はい。一週間から10日ほど帰宅できる期間があって、コロナ禍で面会もなかったので、とにかく一時退院が楽しみで。やっと長女に会えるのがうれしかったです。

岸田 ただ、その後は「ハイパーCVAD MA療法」という薬物療法に。これはどんなものですか。

梅田 いわゆる「ザ・抗がん剤」です。髪の毛も抜けるし、吐き気も出るタイプの治療です。

岸田 副作用はどうでしたか。

梅田 僕はかなり元気なほうで、夕方になると少しだるいくらい。病院食も全部完食してました。吐き気もなく、頭がぼーっとする程度でした。

岸田 さすが筋トレ好き。でもこれは個人差がありますからね。

梅田 本当に運がよかったんだと思います。

岸田 そして「MRDの陰性化」とあります。MRDとは何ですか。

梅田 細かいがん細胞が残っていないかを調べる検査です。陰性なら骨髄の中にがん細胞が全くいない、深い寛解の状態です。僕らフィラデルフィア陽性の場合は必ず移植が必要なんですが、陰性化している状態で移植に臨めるのはすごく良いことなんです。早い段階で陰性化してくれて、本当によかったです。

岸田 ありがとうございます、詳しく教えていただきました。ご覧の皆さんも、治療の最新情報などは主治医にぜひ確認していただければと思います。今回のお話は、あくまで梅田さんの経験談として聞いていただければと思います。さて、このあと大きく下がる場面があります。ここは、かなりどん底のようですが、何があったんでしょう。メンタルの限界ですか。

梅田 そうですね。来ましたね。やっぱりコロナで面会ができない、家族に会えないというのがきつくて…。

それもあって気持ちが沈んでいるときに、「移植してもどうせ再発して死んじゃうんじゃないか」とか、「移植が本当に成功するのかな」とか。頭の中は再発のことばかりで埋め尽くされていました。ずっと「再発したらどうしよう」とか「再発を防ぐ方法はないか」と考えていて…。

そんなとき、担当の研修医の先生が「まずは目の前の移植を成功させることを考えましょう。それから先のことを考えればいいと思います」とスパッと言ってくれたんです。それを聞いて「ああ、そうだよな」と思えました。治してもないのに再発の心配しても意味ないなって、割り切ることができました。

岸田 すごいですね。その先生に感謝ですね。

梅田 本当に感謝しています。

岸田 そこからまた上がっていきます。マイホーム完成! 今いるのがそのマイホームですか?

梅田 そうです、ここがマイホームです。

岸田 すごい。経験者さんの中には、団信(団体信用生命保険)でローンが免除になったという話も聞きますが、梅田さんの場合は?

梅田 僕の場合は土地がすでにあって、家を建てて引き渡しが終わってからローンが始まる契約だったんです。だから、団信が適用される前にがんになったので対象外でした。損したなと思いましたね。

姉からの移植で掴んだ希望 – 生着遅延の不安と第二子妊娠の喜び

岸田 なるほど…。その後は、移植前の一時退院、そして「腹をくくる」という流れになっています。移植に向けての準備って、どんなことをされたんですか。

梅田 まずは生活用品の準備です。移植では粘膜が弱って感染しやすくなるので、柔らかいトイレットペーパーやお尻拭き、歯ブラシも3本用意して無菌室でローテーションして使いました。飲み水は500mlのペットボトルに限定して、コップも紙コップにしてすぐ捨てられるようにしました。あとは気持ちの準備ですね。

岸田 ご家族にも何かされたんですよね。

梅田 はい。「必ず戻ってくるよ」という手紙を家に貼って出ました。

岸田 家族に手紙を残して…。そして、ハプロ移植へ。気持ちが上がっているのは、この治療を乗り越えれば本退院が見えていたからですか。

梅田 そうです。これを越えればゴールがある。だからきつい治療ですけど「かかってこいよ」という気持ちで臨めました。

岸田 ハプロ移植ってどういう移植なんですか。

梅田 骨髄移植は抗原が8分の8で完全一致が理想なんですけど、僕の場合は半分の4つが一致する「ハプロ」での移植でした。移植後に「エンドキサン」という抗がん剤を使ってGVHD(移植片対宿主病)を抑える「ポストCY」という方法で行いました。

岸田 ドナーは骨髄バンクから?

梅田 登録はしたんですけど、僕に合う型がいなくて。医師に「ほとんど東南アジアの人の型です」と言われました。姉が半分一致してくれたので、姉から移植してもらいました。

岸田 ご兄弟からの移植だったんですね。臍帯血移植も検討されたそうですが…。

梅田 はい。ただ僕は体が大きいので、臍帯血だと細胞数が足りず生着不全のリスクが高いと言われました。なのでハプロに決まりました。

姉も細胞数を増やすために体重を増やしてくれて、僕は逆に体重を落として、できるだけ釣り合うように努力しました。姉が「採れたよ、大丈夫だよ」と声を掛けてくれて、本当に心強かったです。

岸田 その支えもあって移植を乗り越えて…。でも、その後「生着の遅れ」でまた下がるんですね。

梅田 はい。やっぱり生着してくれないと意味がないので、不安でたまらなかったです。

岸田 生着っていうのは、お姉さんの細胞が梅田さんにちゃんと根付いて、血液が入れ替わっていくっていうことですよね。

梅田 そうです。本来なら14日くらいで生着すると言われていたんですが、僕の場合は24日かかってしまって、10日も遅れたんです。内心ドキドキでしたね。

岸田 そうですよね。本来14日のところが24日…。その10日間は本当に大丈夫かなって、すごく不安だったと思います。

梅田 毎日採血して、「今日は白血球、上がってますか?」って聞くんですけど、いつも「まだ上がってないです」って言われて。「マジか…」って。本当にビビってました。

岸田 でも最終的には生着して、24日目でようやく安定してきたということなんですね。

梅田 はい。

岸田 よかったです。そして退院。そのあとには長女さんの誕生日、奥さまの誕生日、そして第2子の妊娠発覚と、うれしい出来事が続きましたね。

梅田 はい。

岸田 妊娠について伺いたいんですが、妊孕性の温存、精子の保存をして妊娠に至ったんですか?

梅田 保存は特にしていません。第1子の頃から2〜3年、不妊治療をしていたんです。流産も何回か経験して、かなり苦労しました。

その中でようやく長女が生まれてくれて。そのときに採っていた受精卵が残っていたので、それを戻すだけでよかったんです。だから精子の保存はせず、移植した受精卵がうまく着床して妊娠が確認されました。とんとん拍子で今に至っています。

岸田 なるほど。以前の不妊治療で残っていた卵を使えたから、温存しなくても妊娠できたということですね。

梅田 そうです。

岸田 ちなみに出産はいつ頃の予定ですか。

梅田 来年2月です。

岸田 素敵ですね。楽しみですね。ところで、今はお仕事はどうされていますか。

梅田 今は休職中です。

岸田 がんが分かって治療に入ってから休職して、今も継続中ということですね。

梅田 そうです。休職期間はトータルで1年6カ月くらい。12月に復帰予定なので、結果的に8カ月くらい休んだことになります。

コロナ禍面会禁止と筋力低下への対処法 – テレビ電話と病院内トレーニング

岸田 ありがとうございます。ここまでが梅田さんのペイシェントジャーニーとなります。ここからは「大変だったことをどう乗り越えたか」について伺いたいと思います。大変だったこととしては、コロナ禍での面会禁止、そして筋力が弱っていく不安。消防官という仕事柄、筋力が落ちるのは大きな不安ですよね。

梅田 そうですね。

岸田 では、それをどう乗り越えたのか。お話を伺うと、テレビ電話の活用と、そしてトレーニングだったということなんですが、それぞれ詳しく教えていただけますか。

梅田 まず面会できないというのが、かなりメンタル的にきつかったです。子どもを小さいまま置いてきてしまったことへの申し訳なさもあって、どうにか気持ちをつなぎたいなと思ってました。そんなとき、テレビ電話で家族、とくに子どもの姿を映してもらうと、それだけで「よし、頑張ろう」って思えるんですよね。テレビ電話がある時代で本当に助かりました。

岸田 なるほど。そして筋力の面では、治療中もトレーニングされていたんですね。

梅田 はい。治療中もやっていました。ステロイドを飲むと筋肉が落ちやすいので、少しでも落ちるスピードを遅らせたいと思って。薬のクールが終わって退院を待つ間なんかは、むしろちょっとハードめにやってました。最初の退院のときなんかは、やりすぎて血液検査の数値に異常が出て、退院が2〜3日延びちゃったこともあります。

岸田 病室で筋トレしてたんですか?

梅田 病室でもやりますし、あとは階段ですね。ダッシュまではしないけど、上り下りするだけでも結構効くんですよ。あとは階段に足を引っ掛けて、ふくらはぎの筋トレをしてたら、やりすぎて歩けないくらいの筋肉痛になっちゃって(笑)。それが検査にも影響出ちゃったみたいです。

「今を全力で生きましょう」-すべての人へ送るメッセージ

岸田 良い子は、ちゃんと適切にね。やるなとは言いませんけれども、適切に用法用量を守ってください。その後、梅田さんからもメッセージをいただいています。今ご覧いただいている方へのメッセージ、お願いします。

梅田 僕からのメッセージは「今を全力で生きましょう」です。健康な人でも、病気をしている人でも、明日が必ず来るとは限りません。だからこそ、今を後悔なく、楽しく過ごすことが何より大切なんじゃないかなと、この病気を経験してあらためて感じました。病気のあるなしに関わらず、「今」という時間は本当に今しかないので、全力で、楽しく、後悔のないように生きてください。以上です。

岸田 ありがとうございます。梅田さんも、全力で生きてますか?

梅田 全力で生きてます。

岸田 全力で筋トレもしながら?

梅田 全力で。ただ、ちょっとやりすぎないように気を付けながら。

岸田 そう、皆さんも全力でやりすぎないようにしてくださいね。ふくらはぎ筋肉痛になりますから(笑)。

梅田 歩けなくなりますから(笑)。

岸田 ということで、梅田さん、本日は本当にありがとうございました!

梅田 ありがとうございました!

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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