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インタビュアー:岸田 / ゲスト:佐伯

「毎年沖縄で心をリセット」本日のゲスト・佐伯さんのプロフィール

岸田 それでは本日のゲスト、佐伯さんをご紹介いたします。佐伯さんは山口県ご出身で、現在は東京都にお住まいです。飲食業に携わられていて、趣味は旅行とのことですが、おすすめの旅行先はありますか?

佐伯 沖縄ですね。もう15年ほど、毎年のように行っています。

岸田 沖縄の中でも、どのあたりがおすすめですか?

佐伯 恩納村やアメリカンビレッジですね。毎年そこに泊まっています。

岸田 沖縄に行くと開放感がある、そういう気持ちですか?

佐伯 そうですね。最初に行ったのは子どもが保育園のときで、ちょうど旅行代金が安い10月の後半でした。小学校に上がると学校を休ませるのは難しくなったので、夏休みに合わせて7月や8月に行くようになりました。本当は宮古島にも行きたいのですが、費用が高いので、本島に行くことが多いです。

海を見ると心が癒やされますし、寝転がって空を見上げると雲が近い。東京にいるときとは全然違って、「地球は丸いんだな」と実感できるような気がします。やっぱり沖縄の海は格別で、心が洗われますね。あそこで過ごす時間があるからこそ、また1年頑張れるという気持ちになります。

岸田 ありがとうございます。沖縄で心がリフレッシュされるのですね。さて、佐伯さんのがんについてですが、大腸がんのステージ3aとのこと。かなり転移があったということですか?

佐伯 最初、内視鏡で切除した段階では「取り切れている」と医師から言われました。ただ病理検査で「細胞が深い」と判断されて。リンパに転移していた場合、ステージは上がります。結果として、リンパに1つだけ転移が見つかり、ステージⅠから飛び級で3aと診断されました。実際には腫瘍そのものは内視鏡で取り切れていましたが、リンパへの転移があったために3aになった、という流れです。

48歳がん告知から52歳社会復帰までのペイシェントジャーニー

岸田 ありがとうございます。詳しいお話はまた伺いますが、発症時が48歳、現在52歳ということで、手術や薬物療法を経てこられました。ここからは、佐伯さんのペイシェントジャーニーについてお聞きしていきたいと思います。これは気持ちの浮き沈みを時系列で示したものです。上に行けばポジティブ、下に行けばネガティブな状態という図になっています。まず、佐伯さんは役者を目指して上京されたとのことですが。

佐伯 そうなんです。高校を出てすぐ、田舎から「ビッグになるぞ!」と血迷って出てきてしまいました。当時は吉田栄作さんがトレンディードラマで大人気で、「ビッグになる」なんて言葉が流行っていたんですよね。

岸田 そこから一気に30年後に飛びます。区のがん検診で再検査の通知を受けられたんですよね。

佐伯 40歳から無料検診を受けていて、8年目で初めて引っ掛かりました。それまでは病院知らずでしたが、内科の先生から「年齢的に一度は内視鏡をやってみましょう」と言われて、軽い気持ちで受けたんです。するとポリープが見つかって、その場で「取ってしまいましょう」と。1週間後に結果を聞きに行ったら、いきなり「進行がんです」と告知されました。

岸田 突然のがん告知。どんなお気持ちでしたか?

佐伯 がんについて全然知らなかったので、「がん=死ぬ」と思いました。頭が真っ白で、医師の説明も何も入ってこなかったです。

岸田 そこから手術へ。直腸の大腸切除と人工肛門を作られたんですね。

佐伯 はい。直腸、肛門のすぐ近くです。医師から「中指で触れるくらいの距離だ」と言われました。もう少し下なら一生人工肛門でしたが、幸い切除範囲が2センチ下・9センチ上と決まっていて、ぎりぎり免れました。一時的に人工肛門を造設して、腸のつなぎを早めるために3週間ほど便を通さず休ませました。のちに閉鎖手術をして、元に戻すことができました。

岸田 ただ、その後の抗がん剤治療で大きく気持ちが落ち込まれた、と。

佐伯 はい。半年間、2週間ごとに2泊3日で600mlを48時間かけて投与する治療でした。食欲はなく、手のひらの皮がめくれて指が曲がらなくなったり、髪も抜けたり…。先生には「大腸の抗がん剤は抜けません」と言われたのに、実際はごっそり抜けて。「つるつる抜ける」と言うんだそうですが、あのときは本当にショックでした。

副作用が重なるにつれ、「もういいや。このまま死んでもいい」と思うようになりました。相部屋で周囲の物音に苦しみながら吐き気と闘う日々…。お金があれば個室に入りたかったですが、できませんでした。気持ちがどんどんすり減って、「死にたい」とさえ考えていました。

岸田 そこまで追い込まれていたんですね。そんな中、コロナ禍で芸能人の方の訃報もありました。

佐伯 はい。放射線治療のあとコロナで亡くなられた女優さんのニュースを見て、「抗がん剤や放射線を受けている人は免疫が弱いので注意を」と書かれていたんです。治療が終わって回復を待っていた時期でしたが、「感染したら死んでしまう」と思い、改めて死を意識しました。その頃から「死に際って美学だな」と考えるようになったんです。

岸田 というと?

佐伯 例えば、病室では高齢の方が「手術をするかしないか」と話しているんです。80歳を超えて、またつらい思いをするのであれば、進行が遅いがんなら、そのまま何もしないほうがいいのではないか…そんなことをベッドで横になりながら考えていました。役者の師匠が「死に際には美学がある」とよく話していたことも思い出し、「自分もころっと逝けるならそれがいい。もしかしたらコロナにかかって、すぐに死ねたら楽かもしれない」とすら思ったこともありました。周囲に迷惑をかけずに済むからです。

岸田 芸能人のニュースをきっかけに、死について深く考えるようになったわけですね。

アルバイト経験を活かして正社員へ―芸能界から飲食業への本格転職

岸田 そしてコロナ禍ではお仕事も大変になられたようですね。

佐伯 はい。自分で劇団を立ち上げて舞台をやっていましたが、コロナで公演はできず、撮影も止まり、仕事が一切なくなりました。

岸田 その後、飲食業に就職されたんですね。

佐伯 はい。ただ、就職したのは少し時間が経ってからです。コロナのピーク時は飲食店も営業できない状態でしたから。子どもたちの受験もあり、奥さんに迷惑ばかり掛けてきたので「もう潮時だ」と。ずっと葛藤していましたが、思い切って転職を決意しました。これまでもアルバイト程度はしていたので、飲食業に就職することになりました。

岸田 その少し前には、お子さんの進学もあったと。

佐伯 はい。娘も息子も第1志望の学校に入ることができて、とても嬉しかったですね。感謝しかないです。

岸田 ただ、その後もコロナの影響で転職が続いたそうですね。

佐伯 そうなんです。売上がなく給料を下げられると言われて…。でも、転職先は以前より少し給料が良かったので、そこはポジティブに捉えています。

岸田 その後の「働き方の改善を求める」というメモが気になります。

佐伯 人手不足ですね。コロナでアルバイトの方が辞めてしまい、客足が戻っても人がいない。結果、8日連続勤務や休み削減が当たり前になりました。がんや抗がん剤の副作用とは関係なく、「50過ぎてこんな働き方はおかしい」とずっと思っていました。

岸田 それでも、体調面は大丈夫だったんですね。

佐伯 はい。手術や抗がん剤治療を終えて、体力的にはすぐに戻れました。ただ、副作用で末梢神経障害が残り、手足のしびれが強くて、細かい作業ができませんでした。今も完全には治っていませんが、少しずつ改善してきています。

岸田 では「働き方の改善を求める」といった部分は、副作用の影響も含めてということですか。

佐伯 はい。最初の転職の前は細かい作業が本当に大変でしたが、周りの人がカバーしてくれて。徐々に手の感覚も戻ってきました。なので、一つ前の転職は治療とは関係なく「この働き方はもう無理だ」と思って決意したものです。

岸田 その後「病歴が理由で不採用」とありますが、これはどういうことですか。

佐伯 もともと芝居をしていたときに派遣で入っていた飲食業の会社から、正社員枠が空いたから受けないかと誘われたんです。残業もあるけど週休2日、条件も良かったので面接に行きました。ところが病歴があることを理由にトップ判断で落とされました。

岸田 理由が病歴だと分かったんですか。

佐伯 はい。派遣で入っていた頃から「がんの治療をしています」と伝えていたし、年2回の検査で休みをお願いできるかも話しました。結果、それが引っ掛かってしまった。再発リスクがある人を雇うのは負担だと判断されたんだと思います。

岸田 世の中では「がんと仕事の両立」が叫ばれているのに。

佐伯 本当に冷たいなと思いました。同じ経験がある人が面接官なら、理解してくれたかもしれません。もちろん、経営側の負担も分かります。でも「2人に1人ががんになる」と国が言い、早期発見・早期治療を推進しているのに、現実は冷たいと痛感しましたね。

岸田 本当ですよね。けれど、佐伯さんはそこで終わらない。転職の決意をされました。

佐伯 はい。入ってすぐの段階から「この働き方は改善してほしい」と訴えましたが変わらず、去年の年末に「改善されないなら辞めます」と伝えて辞める決意をしました。結局、1月半ばに退職しました。

岸田 日本人らしい(笑)。

佐伯 50を過ぎてからの就職は厳しいと思っていました。できることが何もない、と。でも幸運にも、半月ほどで次の仕事が見つかりました。

岸田 現在は3年半再発なしで過ごされ、飲食業に再就職されているということですね。

佐伯 はい。そうです。

岸田 病気が理由で不採用にされる経験もありましたが、無事に再就職を果たされたというのが、佐伯さんのペイシングジャーニーですね。

「一生付き合う覚悟」-直腸切除・抗がん剤後遺症との共生

岸田 そして、佐伯さんが大変だった、困ったことについて、それぞれお伺いできますか。

佐伯 本当に、一番困ったのはトイレですね。直腸を切ったということがあって、そこから食べ物、飲み物など何かを口に入れて腸が動くと、脳が反応してトイレに行きたくなるんです。1日30回ほど。もしかしたら抗がん剤の副作用もあるとは言われたんですが、トイレの回数がめちゃくちゃ増えましたね。

岸田 半端ないですよね。30回ってね。

佐伯 びっくりです。人と会ったりするときは、腸を動かさないために飲まず食わずで行ってました。あと、どこかへ行くと、どこにトイレがあるか探しますね。50過ぎたおじさんが、汚い話なんですけどたまに漏らしたりとか。

岸田 僕もおなかの手術してるので、本当、気持ちすごく分かります。

佐伯 切除して3年半たって、だんだん自分でもコントロールできるようにはなってきましたね。良くはなってるんですけど、手術の前の状態には、もう戻れないとは言われてます。

岸田 そうして、手足の痺れもまだ残ってらっしゃる感じですね。

佐伯 そうですね。抗がん剤治療中に、「痺れてきたら教えてください」って言われたんですけど、全ての治療が終わって副作用が出たっていう形でした。そもそも治療中に手足が痺れれば、薬を弱めたり、やめたりっていう手段があるらしいんですけど、自分の場合は治療が終わって出てしまいましたので。

そこから、もうずっと手足の感覚がない状態ですね。ボタンは留められない、細かいものはつかめない。あと、ポッケに例えば100円玉、10円玉が入っていたとしても、それが分からないんですよね。

足はちょっと痛みがあります。漢方やお灸などいろんなことをやったんですけど、全然駄目でした。「もう時間が治すしかないです」とは医師には言われてたんですけど。

大体、こういう痛みは体を温めると良くなると言いますけど、温めると、今度は血行が良くなってきて逆に痛くなってくるんです。

岸田 逆に。

佐伯 これがつらいんです。お風呂上がりの時が、足が一番痛いですね。

岸田 じゃあそれらを、佐伯さん的には、もう一生付き合っていく覚悟で。

佐伯 そうですね。足が痺れてから、3年半たって何も変わらないので。医師にも、これは残るかもしれませんねって言われてるので、もう一生ずっとかな。手はだいぶ良くなってきました。床に落ちてる髪の毛もつまめるようになりました。最初はそんなことできなかったですね。

岸田 じゃあ、だんだん日が経つごとに、ちょっとずつ手のほうは良くなっていて、足の方はまだ。

佐伯 駄目ですね。いろんな方の経験を見たりすると、何かの記事で「10年たってやっと良くなった」というのも見たことがあるんです。だから年数ですね。今は、命があればこれぐらいはいいのかなっていうふうに思っています。

「共感してもらえるだけで気持ちが落ち着く」-身近な人の支えの大きさ

岸田 それでは最後に、佐伯さんから視聴者の皆さまへメッセージをお願いできますか。

佐伯 病気になったとき、自分は身近な人にたくさん甘えました。そして家族が支えてくれたことが一番大きかったです。治療や抗がん剤の副作用に耐えるときも、結局は誰かに頼るしかない。だからこそ、周りの方は、患者さんを支えてあげてほしいと思います。本当にそれが力になります。

岸田 佐伯さんご自身も、ご家族に支えられたんですね。

佐伯 はい。つらいときは、ささいなことで当たってしまうこともあります。でも、そのわがままを受け止めてくれる人がいると、「そうよね」と共感してもらえるだけで、気持ちが落ち着くんです。

岸田 ありがとうございます。つまり「患者さんは甘えていいし、周囲の人は支えてあげてほしい」ということですね。

佐伯 そうですね。それに加えて、もうひとつ伝えたいことがあります。今、就職や転職を考えている患者さんも多いと思いますが、もし仕事に支障がないのであれば、病気のことをあえて言う必要はないと思います。私は正直に話して損をしてしまった経験があるので…。もちろん聞かれれば答える必要がありますが、そうでなければ、言わなくても良いのではないでしょうか。

岸田 なるほど。状況によって判断してほしいということですね。ありがとうございます。佐伯さんは副作用や仕事の面で大変なご経験をされながらも、今は新しい環境で前を向いて歩んでいらっしゃいます。このお話が少しでも皆さんの参考になれば幸いです。

佐伯 どうもありがとうございました。

岸田 ありがとうございました。それでは『がんノートmini』、これで終了いたします。また次の動画でお会いしましょう。皆さん、さようなら。

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