目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:秋山

岸田 いきますね。

岸田 ライブ配信開始ということで、『がんノートorigin』、スタートしていきたいと思います。ありがとうございます。今日は秋山千登世さんに来ていただいておりますけれども、千登世さん、今日、そのお姿は。

秋山 緑に赤と白というこのクリスマスバージョンで。見えますでしょうか。クリスマスのエプロン。サンタさんを模して参りました。よろしくお願いします。

岸田 ありがとうございます。12月。今、もうクリスマスシーズンですからね。本当にそんな中でやってくださって、どうもありがとうございます。

秋山 よろしくお願いします。

岸田 よろしくお願い致します。

岸田 そんな『がんノートorigin』を今日スタートしていくんですけど、『がんノートorigin』は90分の経験者さんのロングインタビューを行っております。

岸田 まず、僕の自己紹介をさせていただければ嬉しいなと思っております。岸田徹と申しまして、25歳と27歳の時に胚細胞腫瘍という珍しいがんに宣告されました。当時、首、胸、おなかでがんがあったりとか、再発して精巣にがんが出来て。その時、医療情報については、お医者さんだったりとか、看護師さん、薬剤さん、様々な医療従事者に聞いて教えてくれるんですけれども、それ以外の情報ですね。

岸田 家族の問題だったりだとか、恋愛、結婚どうしたら良いのとか、お金どう工面したら良いのとか、そういった情報っていうのがあまり体系だってなかったので。ただ、それを患者さんに聞いたら、結構、みんな、教えてくれたりとかするんで。それをみんなと一緒にそれをシェアしたら、ええやんということを思って『がんノート』というもの2014年にスタートいたしました。今日はMCを勤めさせていただきます。よろしくお願い致します。

秋山 お願いします。

岸田 お願いします。では、今日のゲストである千登世さんの自己紹介、千登世さん、簡単に自己紹介、お願い出来ますでしょうか。

秋山 東京都出身の秋山千登世と申します。2012年に慢性骨髄性白血病になりました。この日はですね、残念ながら、41歳の誕生日だったということもありまして、神様、なんて残酷なプレゼントをしてくれたんだろうと当時は思いました。よろしくお願いします。今は元気にしてますので、笑い話になれます。

岸田 笑い話で、今日、つらい話とかいっぱい出るかもしれませんけれども、それを笑いに、千登世さん、変えていらっしゃるということで、色々、まあお話も聞いていきたいなと思っております。では、早速進めていくんですけど。ちょっとコメントもいただいております。コメント読ませていただきます。

岸田 よしさんが、『今日も楽しみで~す!』だったりとか、やまやんさんも、『こんにちはー!もうクリスマス』。そうですよね、もう12月。クリスマスもあと2週間ぐらい。うん? 2週間ぐらいか?

秋山 2週。そうですね。

岸田 吉本和弥さんから、『CML界のラスボス登場ですね』ということを言われております。CMLっていうのは慢性骨髄性白血病の略ですかね?

秋山 はい。慢性骨髄性白血病の略語です。

岸田 ラスボスという形でということで。

秋山 ありがとうございます。

【発覚から告知まで】

岸田 コメントいただいたら千登世さんにも言っていきたいと思いますので、ぜひお願いいたします。では、早速なんですけれども、千登世さんのがんがどうやって分かっていったのかといったところを発覚から告知までお伺いしていきたいと思っております。

岸田 千登世さん、まずどのようにがんが発覚していったのか、お伺い出来ますでしょうか。

秋山 毎年受けている区民検診があるんですけど、誕生日月に受けることにしていて、その検診で「白血球が高いよ」って言われたんです。それで分かったんですけれど。

秋山 実は、その「白血球が高い」と言われたのが2万を超えてたんですけど、その前の前の年から少しずつ、白血球、高かったんですよ。「ちょっとずつ高いね」と言われて再度、再検査を地元の近所のクリニックでやっていただいて。

秋山 「でも、これは体質じゃないの?」とかって言われてそのままスルーだったんですけど、やっぱりその区民検診に「高い」って言われて3年目ぐらいになって、2万超えちゃったんで、「これはやっぱり大学病院に行きなさい」って言われてそれで発覚しました。

岸田 えっと、「2万超えて」って、どれぐらいが普通なんですか。

秋山 8000とか9000が上限なんですけどね。

岸田 それが2、3倍だったってことですね、その値が。

秋山 そうなんですよね。

岸田 ありがとうございます。しかも、ちょっとね、戻るんですけど、このフリップの中には、末っ子の幼稚園入園式っていうのも書かれていて。末っ子ってことは、お子さんは何名ぐらい?

秋山 うち、3人いるんですね。女、男、女で3人いて、一番下の子がちょうど幼稚園入園した。見つかったのは、入園した翌年なんですけれど。

岸田 まさに子育てしながらの時ってことですね。

秋山 まだ小さくて大変でしたね。

岸田 その区民検診、毎年誕生日月に受けられているっていうのは、何かそれはきっかけがあったんですか。自分でそうしようと思ってたんですか、ずっと?

秋山 いや、何にも。今まで病気ってあんまりしたことなくって、大きな病気って無かったので、何となく、区民検診受けないと、区から言われるので。電話かかってきちゃうので。それで受けてたかなみたいな。

岸田 区から電話がかかってくる?

秋山 電話かかってきちゃったりもするので。手紙、何回も来たり。今も、実は、区民検診、今はもう受けてないんですけど。今は2カ月に1度、血液内科に通ってるので受けてないんですけど、何回もお手紙が来たりするんですよ。電話、かかって来たりするので。受けてくださいって。なので、何となく受けに行ってました。じゃあ受けようかなみたいな。

岸田 まじで? 凄い。電話がかかってくるんや。めっちゃ・・・。

秋山 凄いですよね。それは、何でしょうね?

岸田 すご。まあ、それで、行こうといったところで、それで行ったら、血液の値が倍以上、2、3倍以上ってとこまで上がっていった。その時は何か言われたんですか、これは異常だからって言ったところで?

秋山 直ぐに大学病院行くように言われたんですけど。なんですが、大学病院って行ったことなくって、その当時。だから、どこに行ったらいいか分からなかったんですよ。当時、血液内科という言葉も知らなかったし。

秋山 どうしようかなと思った時に、ちょうど、幼稚園のママ友に相談したんです、「白血球高くなっちゃったんでどうしようかな」って。そうしたら、何か、血液内科っていうのを教えていただいたんですよ。そこで、初めて血液内科っていう言葉を聞いて。

秋山 でも、血液内科にいきなり行くよりも、まずワンクッションを置いたほうが良いって教えていただいたんです。なので、地元で血液の専門の先生を探したら2人いたんです。地元というか、同じ区じゃなくて隣の区でいたんです。

秋山 それでどちらの病院にしようかなと思って、血液専門でやってる普通病院ですね。それで、たまたまその2人のうちの1人の先生の所にかかったら、凄く良い先生で、その先生の所で診断されました。本当に診療所みたいな所なんですけどって言ったら失礼なんですけど。その先生がCMLだっていうことで診断下してくださって。

秋山 でも、その先生が、大学病院に週に2日行ってたので、そこのクリニックで診断されたんですけど、一応、マルクというのをしなければならないので、そのマルクというのをするために、翌日、大学病院のほうに行って。先生がその診療する日だったんで、行って、やってもらいました。

岸田 ありがとうございます。じゃあ、大学病院というのは今は分からへんから取りあえず友達とかに連絡したら、地元でね。血液内科行ったほうが良いんじゃない?ということで、地元の診れる人に聞いていくといったところで。

秋元 何かワンクッションを置いた方が良いということで。いきなり大学病院行ってもね。初診なので。ワンクッション置いて診断書を持ってっていうか、紹介状を持って行ったほうが良いと教えてもらって、紹介状を持って行ったんですけど、たまたま、近所でネットで検索して血液に詳しい先生いらしたんですよ。

秋元 2人いたうちの1人のほうにかかって。その先生が大学病院に週に2日通ってるっていう、凄いラッキーだったんですけど。先生も「自分で自分に紹介状書くのは初めてだ」とかって言ってましたから。

岸田 自分で自分に書くんや。

秋山 そう。自分で自分に紹介状書いて、渡されて、翌日行って、大学病院のほうに。で、その同じ先生にかかってマルクをしました。

岸田 マルクっていうのは、ここ、書いてある。骨髄検査?

秋山 骨髄を抜くんですけど。今、大体、腰からやるんです。だけど、私、当時は胸からやったんですよ。胸のところに太い注射器のようなのを刺して、そこから抜くんですよ、骨髄を。何か、魂抜かれる感じで。胸から抜いているのに足の先のほうから抜かれているような気分になるっていうか、引っ張られる感じっていうんですか。これがまた怖くて。

秋山 胸に刺すまで見えるんですよ。麻酔は局所麻酔するんですけど、でも、見えるんですよ。先生が胸にグリグリグリって刺して、それで抜くところも見れるので、それ、怖いですね。当時は本当、恐怖でした。初めてやった時は。

岸田 それで骨髄検査したら、CML確定だと?

秋山 確定でしたね。何かドロドロだったらしくって、白血球が多くて。診断された時には、検査して、区の検診の時は2万2000ちょっとあったんですけど、診断くだされた時にはもう4万5000までいってて。増えてたんですよ、白血球は。急激に。それで先生が、採ったものを何かかき混ぜてるのか何かで、「ドロドロだなあ」とかっておっしゃりながら。私の骨髄の中、白血球がいっぱいだったみたいでドロドロだったらしいです。

岸田 改めて、その診断受けた時は、どんな心境だったんですか?

秋山 心境ですか、診断受けた時ですか。青天の霹靂っていうのか、白血病って言われた時に、まさか自分が白血病?て感じですよね。白血病って言うと、何か、綺麗な人がなるイメージじゃないですか。色白で、綺麗で、何か、そんなイメージなんですけど、何で私が?て思いました、本当に最初は。私、実は、夏目雅子さんの中学、高校、後輩なんですよ。それで夏目雅子さんの話を、中学の時、保健体育の先生が何か恩師だったらしくって、その話を聞きながら育ってたので、夏目雅子さんの名前が脳裏に浮かんで、ああ、なりましたか、私がみたいな。

岸田 若い子たちは、夏目雅子さんを存じ上げないかもしれないんで。昔いらっしゃった凄い綺麗な女優さんですよね。

秋山 そうですね。今、何か骨髄バンクのあのポスターとかに出て来たりとかしますけど。

岸田 白血病ででしたよね?

秋山 そうです、白血病です。私とタイプが違う白血病だったんですけど、残念なことにお亡くなりになってしまって。

岸田 そういった時代というか、昔あったんですよね。

秋山 もう何十年も前ですからね。

岸田 その確定診断で、高額な薬代の説明って書かれてますけれども?

秋山 確定診断された時に診察室に入りますよね、呼ばれて。その時に先生に開口一番に「おめでとう」って言われたんですよ。それで、骨髄の病気でも色んな骨髄に病気があって。「でも、このCMLっていうのは良い薬がいっぱいあるから良かったね」って言われたんですよ、骨髄の病気でも。

秋山 それで「おめでとう」って言われて。その後に、でも、「おめでとう」って言われたら、良かったと思うじゃないですか。薬もいい、治療法もあって。「だけど、薬代、高いんだよね」って言われて。その金額が90万って言われたような気がします、当時。これは3カ月処方ってそういうの知らなかったので。今、薬3カ月処方してくれるんですけど、1カ月90万かと思って凄い落とされましたね。持ち上がった気持ちが、また落ちましたって感じで。

岸田 3カ月処方ですか。

秋山 はい。3カ月処方してくれるんですよ。高額医療費の認定証というのを使うんですけど、上限ストップになるじゃないですか、医療費、薬代が。なんですけど、これ、毎月払うんじゃ大変ですよね。だけど、3カ月処方なんで、3カ月に1度払うんですよ。そうお医者さん、してくれるので、マックス3カ月分お薬出してもらえるんですけど。

秋山 そうそう、地域によっては2カ月しか出さないっていう先生もいらっしゃるので、世の中的には、一応、3カ月出していただけるはずなので、3カ月処方ですね。90日分出してもらいます。なのでお薬代が高いんですけど、薬代は3カ月分1回に払うので、高額医療費の認定証を使うのも3カ月に1度で済むんですけど。その診断された時は、まだそれ知らなかったので、これ、お金払えなければ命ないなと思いました。

岸田 そういうことね、ちなみに、この真ん中に、『両親、姉に電話で報告』だったり、『幼稚園の親子遠足』ってあると思うんですけど、これは?

秋山 診断された日に、両親と姉に電話で報告したんです。両親はっていうか、母が出たんですよ、両親の所に電話したら。母は「やっぱりね」みたいに言われたんですよね、母に。それ、話していいですか。

岸田 ちょっと何か気になりますよね。

秋山 いいですよ。後でまた。

岸田 いや、今、知りたい。

秋山 今、良いですか。凄く迷信とか信じるんですけど、母は。で、毎年、6月の時期って青梅を漬けるんですよ、お酒、リキュール入れて。その時に、3個、ビンに入れて漬けるんですけど、大きなビンに。それを3本作ったんだけど、1本だけが何か凄いカビたらしいんですよ。

秋山 カビが生えるって縁起が悪いっていうか、それで液体の中にカビがホワホワホワってなってて、何かまさに血液の中に白血病があるみたいな感じじゃないですか。何かそういう体験をしてたんで、「ああ、やっぱりね」って言われて。

秋山 ただ、母は、それが、その液体の部分は捨てて。梅って、何か、捨てちゃいけないって言われてるらしくって、カビが生えたのを取りあえず洗って綺麗にして、カビのところ取って、煮詰めて、煮詰めて食べたって言ってました。なんで、良かったのかな、それがみたいな、思ってます、今では。その電話した時に、「ああ、やっぱりね」みたいに言われた。

岸田 科学的には、カビの胞子入っちゃったかもしれないですけどね。

秋山 そうなんです。迷信信じるんで、もしかしたらね。

岸田 信じるか、信じないかはあなた次第ですみたいな感じはありますけども、そういったところもあったりだとかで、お姉さんに電話したりだとか。

秋山 お姉さんは、絶句してました、言葉が無かったですね。

岸田 そして、『幼稚園の親子遠足』といったところも、これは診断される前? 後?

秋山 診断されて3日後に、親子遠足があったんですよ。それで、これはきついなと思って。他の親御さんにも会わなきゃいけないし。子どもと一緒に、遠足なので楽しまないといけないじゃないですか。それと、「日差しを浴びないように」って言われてたんですよ、先生に。「海も行っちゃいけない」って、当初、言われてたんですよ。紫外線がいけないみたいな。なんですが、この日、凄い暑くて。

秋山炎天下で。いけないと言われても行かないわけにはいかないみたいな。子ども、楽しみにしてますし。それで明治神宮だったんですけど、行き先が。で、子どもと行って。この時、本当に、いつどうなるか分からないと思ってたんで、子どもたち小さいので、写真をいっぱい残そうと思ったんです。

秋山 自分と子どもの。自分のことを記憶に残してもらおうと思ってたんで、いっぱい写真を撮りました。カメラマンとか付いて来るんですけど、同行してるカメラマンとかに撮ってもらったりして。それで明治神宮でお守りを買って神様にお願いをして。そしたら、今、こんなに元気になりました。

岸田 じゃあ、もう終わって良いですかね?

秋山 そうですね。その時のお守りはちゃんといつも肌身離さず持ってますから。

岸田 色々すっ飛ばして元気になっちゃってますけども、色々あったということがありますので。またコメントもありますので読ませていただきたいと思います。

岸田 一番初めにコメントいただいてたヒトミさんが、私も今日、宣告されましたって。なので、宣告された方に対して何かメッセージとかってありますか?今、ちょうど宣告された方。

秋山 これも何かのご縁なのかなって思います、ヒトミさん。今、元気にされているようだったら凄く良いんですけど、本当に、一緒に私たちと前向きに進んで行きましょう。

岸田 ありがとうございます。そして、よしさんは、『年々、白血球の数値が上がって来ても、それまで特に身体の変化とか何も無かったのでしょうか?』といただいてます。

秋山 全く気付きませんでした。本当に気付かなくって。ただ、何か、ちょっと風邪引く機会が多かったかなっていうくらいですかね。全く出なかったですね、身体に、痛いところも、つらいところも。本当に出なかったです。

岸田 ありがとうございます。そして萩原さんから、『シシィ頑張って』って言われてますけど、ニックネームなんですか。

秋山 そうなんです。アメブロ、シシィでやってるので、シシィと呼ばれています。

岸田 ありがとうございます。マルクについて話を聞いても痛そうですね、怖そうですねだったりだとか。あと、先ほどの3カ月処方について、3カ月処方だと高額医療費の1カ月の限度額を払えばいいから、それは、3カ月毎月限度額でやるとお金が結構かかっていきますけれども、それをギュっと3カ月処方で1カ月分で払えばいいので、3分の1で出費済みますよねっていう。

秋山 そうなんです。1年間のうちに直近3回払って、4回目からは安くなるんです。減額されるんですよ。なので、1年間の間に3カ月ずつで、ちょうど9カ月払った時に次の回では1年以内にまた安くなるっていうか・・・。

岸田 年収によってそれが変わっていくんですけど、大体、例えば、8万幾ら、8万幾ら、8万幾らだったら、次の月の時には4万4000になってそれが続いてくみたいなね。ありがとうございます。青木惠利子さん。『明るく話されるので、尊敬します。宣告直後の遠足きつかったですね、明治神宮でお守り購入出来て良かったです』ということをいただいております。

秋山 ありがとうございます。本当に良かったです。当初は泣いてばかりだったんですけどね、1週間は。

岸田 やっぱり泣いて。お気持ち的には落ち込むというか、どうなんですか、その泣いてる時の心況としては?

秋山 結構、この先ないのかなって思ってたので。まず、写真の整理しなきゃとか思いながら、やっぱり、悲しみのほうが上回っていて何もできなかったですね、1週間は。

岸田 死んでしまうのではないかといったところの悲しみが大きくてですね。

秋山 まだ子どもたち小さかったのもあり。あと、本当、両親とかから、「1日でも長く生きなさい」って言われていたのもあり。そうですね、あと、他の、幼稚園の送り迎えはとにかく休まず毎日やってたんですよ。

岸田 やばっ。

秋山 自分もえらいなとは思うんですけど、マルクをして胸に大きな絆創膏付けたまま幼稚園送り迎えとかしてたので、本当に一時も休むことなく、1日も。なので、自分で凄いなと思うんですけど。

秋山 ただ、送り迎えすると、待ってる時間にママ友たちとお茶したりするんですよ。その時に子どもたちの将来の話とかなるじゃないですか、幼稚園生だからまだ夢があって。そうすると、それがつらかったですね。自分に将来ないかもしれないと思ったら、それがつらかったです。

岸田 ありがとうございます。智恵さんからも、『薬代ホントビックリですね』っていうコメントもいただいております。

秋山 ありがとうございます。

【治療から現在まで】

岸田 では、そこから宣告されたところから、治療、どうなっていったか。治療から現在までといったところをお話しいただきたいということを思っております。治療から現在まで、そのまますぐお薬が始まっていったんですか。

秋山 そうですね。宣告されってっていうか、告知されて、4日後ですね、11、12、13、14、15。6月11日に告知されて、15日から飲み始めました。

岸田 『投薬』って書いてますけど、飲むお薬なんですか。

秋山 飲む薬なんですよ。今は、分子標的薬っていう新薬があって、カプセルを1日朝晩に1回。人によって薬の種類によって違うんですけど、私の場合は朝2カプセル、夜2カプセル飲んでたんです。

岸田 それはずっと飲み続ける感じ?

秋山 そうです、毎日飲み続けて。3日飲まないとかなりの年数飲まないのと同じぐらいになっちゃうっていうので。血中濃度、最初から落とされてたので。そうやって先生に言われてたので。血中濃度をとにかくずっと保ってなきゃいけないので、お薬の濃度をね。なのでずっと飲み続けてました。休まず欠かさず。

岸田 欠かさず。さすがに忘れることはない?さすがに。

秋山 忘れることなかったですね。ただ、飲むのが12時間おきに飲むんですよ。12時間空けて飲むんですけど、それが食事を取るのが難しくて。食前、食後で本当におなかの中空っぽにした状態で飲んで、それが身体に回ってから食べるみたいな感じにしてたので、それが大変でした。

秋山 食事をして2時間空けて薬を飲んで。薬を飲んだら1時間食べれないっていう感じだったんですよ、その薬が。なので、薬の前後3時間は食べれないみたいな感じで。

岸田 空っぽにしないといけなかったんですね。

秋山 そうなんです。おなか空っぽにしなきゃいけなかった、胃の中を。なのでそれが大変でした。時間を合わせるのが。食事とか、夕飯とかも子どもたちとは食べれない。自分は食べれない、その時間みたいな。

岸田 それをやってたら、すぐ値って低くなるものなんですか、その白血球の値は。

秋山 それは低くなりました。それが効き過ぎちゃって、最初。2000台とかまで下がっちゃって。

岸田 8000?

秋山 2万幾らで。飲み始める時、4万5000になってたんですよ。さらに増えてたんですけど、それから飲んで2カ月後に測ったときには2000幾つまで下がっちゃって。それで、その中での海外旅行。この後、出てくるんですけど、ちょっと海外旅行に。当初予定してた、行ったんですけど、行き先がチェンマイだったんで、白血球下がった状態で、先生、心配されて。薬、たくさん持たせてくれました。

岸田 逆に下がり過ぎたらどういうあれが?

秋山 感染症になりやすくなるっていうか。

岸田 感染症になりやすくなるといった中でもタイに行くっていうね。

秋山 それもチェンマイみたいな。「象に乗ります」とかって言ってるし。

岸田 その下に、めちゃくちゃ気になるやつがあるんですけど、『美容皮膚科で黒子とシミ取り』ってあるんですけど、どういうことですか、これは?

秋山 診断されて1週間は本当、泣いてたんですけど、これじゃいけないと思って。どうせ、この世を去るかもしれない。その時には綺麗にして去ろうとか思ったんです。

秋山 今はないんですけど、当時、ほくろとかシミとか多かったんですよ、顔にも背中にも多くって。それがコンプレックスだったんで、美容皮膚科に行って、レーザーでバチバチと取ってもらいました。

岸田 自分の死ぬことを見越して綺麗な形で死にたいから。

秋山 最後ぐらいねと思って、行って綺麗にしてもらいました。

岸田 そこの美容皮膚科のそのレーザーと、今、服用してるやつは、別に問題なかったんですね?

秋山 それはですね、レーザー、外科的なので大丈夫かなと思ってたんですけど。ただ、白血病って言うと治療してくれない先生って多いんですよ、怖くて。その先生はばちばちやってくれましたね。病名ちゃんと言った上で。全然、血液内科の先生にはその話、しなかったんですよ。

岸田 それはやっぱ気にするから?

秋山 しないでやっちゃいました。多分、言ったら、そんなのいらないって言われると思うので。

岸田 でも、自分の心の持ちようにね。

秋山 そうです。モチベーションが上がりましたね、それで。やっぱ見た目って大事じゃないですか、女性は、特に。

岸田 そういう意図があって、それでこうやって黒子、シミ取りをしていった。その後に、患者会に参加していくといったところ。やっぱこれはインターネット使ってとか情報探して?

秋山 そうですね、ネットで探したら、当時、既存の長く続いてる患者会があって。その慢性骨髄性白血病の患者会がちょうど8月1日に近くで、東京で開催されるということで、そこに行ったんです。参加したら、何か、みんなどうなんだろうと思ったら、すっごいむちゃくちゃ元気で、皆さん、参加している方が。救われましたね。こんなふうに生活出来るんだと思って、今後。紫外線浴びちゃいけないって言われてたけどスポーツやってる方がいたりとか。あとインフルエンザのワクチン打っていいのかとかその相談も出来て凄く良かったです。

岸田 スポーツやってる方も、多分、先生と相談されてやられていると思いますし、何かね。

秋山 そうですね。でも、長年の患者さんが。自分より大大大先輩が大勢いて。色々、教えていただきました。

岸田 ちなみにそのインフルエンザのワクチンはどうなんですか。いいんすか、悪いんすか。

秋山 「全然大丈夫」って言われました。普通に受けてる。紫外線も大丈夫とかって真っ黒になってる方とかいて、日焼けして。

岸田 見られてる皆さん、もちろん、皆さんの主治医の先生にちゃんと判断仰いでくださいね。あくまで経験談なんでね。

秋山 そうですね、すみません、そうですね。

岸田 いえ、全然。そういう経験談を聞きたいがための『がんノート』なので全然大丈夫です。ありがとうございます。で、参加されて。その後、CMLの数値が上がり始めるとあります。CMLの数値でいいんですか、白血球って?

秋山 『BCL-ABL』っていう白血病の細胞、遺伝子があるんですけど。BCLとABLがくっ付いちゃってるんですけど。融合遺伝子っていうんですけど。それが増えちゃったっていうんですかね。

岸田 取り敢えず、それの数値が上がったってことですね?

秋山 取りあえず、数値が上がった。昔、コピー数っていうので出てて、見てる方、CMLの方はご存じだと思うんですけど、昔、コピー数だったんですよ、私の時は。コピー数っていうのが数字が上がって来て。今、パーセンテージで出てるんですけど、そのコピー数というのが上がってしまって。ちょっとずつ上がって来て。

岸田 それってあかんことですよね?

秋山 あかんことですね。薬が効いてないのかなみたいな。薬が効かないのか、何か別の変異が出ちゃったか、効かないような。

岸田 怖いなあ。その後はどうなっていくのかというと、次は、子どもたちとお父さんと東欧旅行へ行ってますね。

秋山 そうなんです。

秋山 東欧に。父もいい年なんで、孫たちと行ける最後のチャンスかなみたいな感じで行ったんです、父と子どもたちと連れて5人で行ったんですよ。

秋山 その時に数値上がり始めてたけど、特に具合が悪いとか全くなかったんです。検査して数値が「ああ、高い、高い」って言われてるぐらいで。ただそれだけだったんで、普通に行って。遠回りして行ったんで。東欧っていったら、ダイレクトに行かないで、ドバイ経由とかで行ったんです。

秋山 凄い遠回りして飛行機乗って行ったんですけど、それが良かったのか分からないですけど、楽しかったんですよ。綺麗な所だし、プラハとか凄い綺麗で良かったんですよ。帰って来て検査をしたら数値ががくっと下がって、これは免疫が上がったのかな?みたいに自分で勝手に思ってました。

秋山 医学的にはそうじゃないんですけどね。言われたわけじゃないんですけど、自分で、そうかなみたいに思いました。海外旅行好きなので良かったのかなみたいな。

岸田 自分なりには楽しいことしてストレスとか発散して、免疫・・・。

秋山 そうなんですよね。免疫が出たかなと思って。本当にガクって、100超えてた数値が16まで下がったんですよ。

岸田 それはどれぐらいが普通なんですか?

秋山 普通は50超えたらちょっとやばいかも。やばくないです、ごめんなさい。これは語弊がありました。やばくはないです、すみません。当時コピー数で「50超えないように」って言われてたので。

岸田 それが倍ぐらいあったのが一気にぐぐぐって?

秋山 そうなんですよ。倍、倍、倍って増えてったものが、100を超えてたものが一気に16まで下がったっていう。

岸田 良かった。その後、2014年3月、T315I?

秋山 数値が下がったことは下がったんですけど、上がったり下がったりするのが良くなかったらしいんです。上がったり下がったり、上がり続けるわけでもなく、上がったり下がったり。だから、数値の動きがおかしかったんですよ。

秋山 本当だったら、16だったら見逃してしまうような数値。大丈夫だよねって感じなんですけど、その当時の先生、今の主治医の前の主治医なんですけど、本当は診療所の先生ですけど、凄く良く見てくださっていて。

秋山 その先生が、検査しようということで遺伝子検査をしたんです、外注して、外に出して。それが2カ月かかって戻って来たので、12月か1月に出した血液が3月に戻って来たんですよ。それで、「やっぱり陽性だったね」みたいに言われて。

秋山 今、このT315Iっていうのは、今でこそ薬はあるんですけど、当時、無かったんですよ、日本に。なので内服する薬が無かったので、これが出たら骨髄移植って言われていた。だから、CMLの、多分、昔からの患者さんはよくご存じだと思うんですけども、恐怖のT315Iなんです。

秋山 この遺伝子変異は恐怖だったんです。今は薬ありますけど。それが出た時に私よりも当時の主治医のほうが神妙な面持ちで、「ああ、陽性だった」って。だから、移植するための病院。そこの病院では移植の設備がないので、移植出来る所に転院することを言われた。その前に、よく聞くセリフの、「兄弟いますか?」って。

岸田 血液だから?

秋山 そうなんです。兄弟で移植するための骨髄のこの白血球の型が合えば、兄弟から貰える。貰えないと、登録をしてドナーさんからいただくっていうことなので。

岸田 因みにご兄弟は合ったんですか。

秋山 姉がいるんですけど、姉だと4分の1の確率、本当は、姉妹だと合うこともあるんですけど、でも、姉に話した時にはちょっと断られまして。そうなんですよ。

岸田 というのは?

秋山 合ったら命は助けられるかもしれないけど、合ってしまったら、型が。そしたらもう絶対逃げられないじゃないですか。姉妹で私と型が合ったら、絶対に提供しなきゃいけないっていうのがあって。骨髄抜くっていうのは怖いっていうのもあって。家族の心配もあって。姉にも家族がいるので、その心配もあって。姉には、HLAっていう白血球のことを調べる検査を受けてもらえなかったんですよ。だから、合うかどうかは未だに分からないっていう。今だから笑い話なんですけど、当時は。

岸田 犬猿の仲みたいな感じ?

秋山 そうですね。2年間連絡取らなかったですね。

岸田 ほんま、色々ありますからね。

秋山 そうですね。今は仲良いですよ、また。

岸田 勿論ね、やっぱ、いろんな。お姉さんの立場からすると怖かったりとか、ご自身の家庭もあったりとか、色々あるかもしれないし。

秋山 仕事も休まなきゃいけないですし、その間。

岸田 結構休むんですよね。

秋山 そうなんです。入院している間とか、1週間ぐらいは休まないといけないですし、その後、1カ月ぐらい無理なことが出来ないというか、身体を酷使できないし。

岸田 いや、複雑。人の命もかかってるしな。千登世さんの場合はこういうパターンで。必ずしも家族からの協力は得れないパターンもあるよっていうのも、いっぱい患者さんいらっしゃったらそれはあると思うので、そこまでおっしゃっていただいて本当にありがとうございます。それぞれの人生で。色々難しいから。

秋山 だから2年間それで疎遠になっちゃったんですけど。でも、子どもたち同士もいとこ同士だし、それはいけないなとは思ってたんですけど、何か気持ち的に姉と連絡取れなかった時期があった。もう一つ付け加えて良いですか?

岸田 どうぞ。

秋山 実は、姉に娘がいて。もう大きいんですけど。その子が、私が白血病になってから勉強して看護師になったんですよ。仕事をしてたんですけど、それを辞めて看護学校入り直して。看護師、今、准看なんですけど、なってくれて。その姪っ子が、取り持ってくれたところもあって。「2人だけの姉妹なんだから、このままじゃいけない」って言われて、それで仲直りした感じですね。

岸田 そうだったんや。患者側から見たら、協力して欲しいっていうのがあるけど、いろんな・・・。

秋山 そうなんです。本当に、兄弟は、合う確率が本当に。白血球の型が6つあるんですよ。6座一致したとしても、姉妹間だったり、本当に、同じその中でも、また細かいのが全部合うわけじゃないですか。同じ親から受け継いでるから。移植の成功率にもつながるのかなと思うので、ぜひ、協力はして欲しいなと思います。

岸田 見ている方たちは是非協力して欲しいなと思いますけども。ここ、ちょっと質問なんですけど、この遺伝子変異のことです。遺伝子変異の検査は自腹でやりました?

秋山 いえ、病院が負担してくれました。病院の医局が負担してくれたんです。それも何かちょっと色々あって。本当は自腹じゃなきゃいけないんですけど、その時は先生が「とにかくやりなさい」って言ってくれて、検査を。それで医局で払ってくれたんだと思います。私は払ってないです。

岸田 もしかしたら何かの試験か何か分からないけど。ちょっと、それは状況によって。取りあえず、いったん。

秋山 病院に、そこに予算があるかどうかっていうの、多分、あると思うんですよね。なので、大体の方は自腹の方が多いのかな?

岸田 ありがとうございます。その後、骨髄移植出来る病院に転院を決めていったといったところで、次の話になっていきます。転院先の病院にどうなっていったんでしょうか。

秋山 セカンド、サードまで行ったんです。ここの病院から自分で探して。「どこでもいい」って言われたんで、まず。病院名出さない方がいいですよね?

岸田 そうですね。ポジティブなことだったら病院名出してもらっていいですけど、ネガティブなことは。『がんノート』、グシャって潰されるんで。

秋山 そうですよね。

岸田 いや、いいですけど。全然、そんな、圧力に屈しないから全然大丈夫ですけど。ご本人のいい感じに。大丈夫です。

秋山 血液といえばここかなっていう病院に、診断書書いてもらって持って行ったんですよ、診断書を。行ったら、そこでは、出来れば移植じゃなくて、治験に参加して、薬を飲んで、移植はしないで薬を飲むだけで治療したいなっていうのも気持ち的にあったので、そこの病院で移植の話だけじゃなくて治験のことも聞いてみたんですけど、そしたら「うちでは治験はやってない」って言われたんですよ、その先生に。それで、そうなんだと思って。

秋山 「どこどこの病院ならやってるんじゃない?」って教えてくれたんですよ、そこの先生が。そうなんだと思って、その次にサードで行く予定だった病院は二つあったんですけど、そのうちの一つが「その治験やってるんじゃない?」って言われた病院だったんで、急いでその日、その足で、また主治医の所に行って、本当に早急に書き換えてもらって、宛名を。これ、いいのかな。

秋山 封筒2枚もらって、予約取れたほう先に行っていいからって2枚もらって、自分であの宛先書いて、その中に詰め替えて。自分のカルテですね、診断書って言うんですか。それで次の病院に行ったんですよ。

秋山 治験をやってるんじゃないかって言われた病院と、あともう一つあったんですけど、治験をやってんるんじゃないかって言われた病院のほうにアポを取って、それを持って急いで行ったんです。そしたらその病院でも、もう治験はやってなくって。

秋山 何か、もう日本ではその治験が終わっていたので、結局、どこの病院でも受けられないんですけど、その次にサードで行った病院って言うんですか、転院しようと思ったその次の病院です。が、凄く良い病院だったんで、そこに決めました。

岸田 都内の病院?

秋山 都内の病院です。

岸田 都内の白血球が有名な病院に行った?

秋山 そうですね。そこも移植を結構やってる病院で。実績がある所がいいかなと思って、移植の。で、実績のある病院で探したというのもあるんですけど、メジャーな所ですね。そこのサードで行った病院では、治験に参加したいっていう話で行ったので、最初、紹介された、通してくれた、面会した先生は、違う先生だったんですよ。

秋山 治験とかもやってる先生で。その先生が、もう治験終わっちゃったからっていうことで、移植、良い先生がいるからって言って。それで病院内でその先生に受け渡して通してくれたんですよ。その先生がまた素敵な先生で。実は、診察室で待ってる間に患者さんとお話ししてるドクターがいて、何か素敵な先生だなと思って見てたら、次、自分が呼ばれて扉を開けた途端にその先生だったんで、この先生良いかもと思って。

岸田 そこの病院で何か言われたんですよね、いろんなこと? 宣告受けたんですよね?

秋山 宣告受けたのは、そのサードオピニオンで行った病院の最初の先生です。「やっぱり移植しないと1年もたない」と言われたのはその先生ですね。それで移植をするために同じ病院内の移植チームの先生に繋いでくれたっていう感じ。

岸田 転院先の最初の先生に、移植しないともう命が無いよっていうことを言われて・・・?

秋山 はい。「治験はやってないし、移植しないと1年もたない」と言われたんです。

岸田 そこから、次、このフリップにあります。『ドナー探しやアメリカの治験に参加したく動く』ってあるんですけども。

秋山 これ、T315Iが出たっていうのをブログにあげたら、色んな方が情報をくれて。それで、飲み会まで設定してくれた患者さんもいて。何かそんな話をしていて、T315Iって、自分でもネットでも調べたんですけど、T315Iがあってアメリカの治験に参加してるっていう日本人女性がヒットしたんですよ。実はその方に勉強会で、そのがんのイベントで会うことが出来て。そんな話もあって、私もアメリカに行って治験に参加したいなって。

秋山 移植は怖かったので。どんなに良い移植の成績のある病院でも五分五分とか言われてたんですよ、移植で命が助かる、助からないわって言われてたので、移植は避けたいなって思ってたので、アメリカに行って治験があれば、自分が参加出来る。参加したいなと思って、動きました。

岸田 動いて。結局どうなったんですか、それは?

秋山 それはですね、コンタクト取ったんですよ、向こうの病院の。英語出来ないので、それでいきなりコンタクト取れないので、ちょうど向こうのメーカーの病院と日本とを繋いでくれる仕事をされている女性の方がいらして、その方に連絡を取って、T315Iの治験があったら教えてくださいっていうお話をして。

秋山 費用とかも、滞在型と通い型ってあるんですよ。滞在して治験に参加してるのと、通い型っていうんですか、日本で。薬飲むので、薬は取りに行くけど、日本に帰って来て、フォローアップっていうか、データとかはこちらの病院から送るみたいな、そういうやり方もあるらしくって。で、通いでっていうか、薬もらいに時々行くのと滞在だったとで費用を聞いて教えてもらって。

岸田 どれぐらいするんですか。

秋山 いやいやいやいや。

岸田 数百万レベル。もっと?

秋山 そこまでいかないですけど。

岸田 100~200万? 100万いかない・・・?

秋山 300万ぐらいかなっていう感じで。でも、滞在費は別ですよ。

岸田 プラス、滞在費。

秋山 うん。プラス、滞在費。当時は。

岸田 それは、滞在型は、当時、300万ぐらいで、通い型だと?

秋山 滞在型で300万ぐらいって聞きました。

岸田 通い型だともうちょっと安くなる?

秋山 通い型だったら、治験薬はただなので、要は渡航費ですよね。向こうに行って帰ってくる費用です。なので、一番下の子がまだ小学校2年生になる頃だった。なので、一番下の子を学校を変えて連れて行って。上の子たちはこっちの家にお願いして。あと、父が付いて来てくれるっていうので、父も連れてアメリカに渡ろうかななんて。もし滞在型になってしまったら。と、思ってたんですけど、その覚悟を決めていたところ。

岸田 その下の、『遺伝子変異が見つからない』という話ですか?

秋山 そうなんです。

岸田 これは見つからないというのは、改めて検査したんですか。

秋山 新しい病院では、自分の所でちゃんと検査しなきゃってことになって、色々検査してくださった。何回もやってくださったんですけれど、見つからなかったんですよ、転移先の病院で。

岸田 そういうこと?

秋山 そうなんです、見つからなかったんです。でも、見つからないっていう、それはおかしい、そんなはずは無いってことになって。前にいた病院から2カ月に1度、前の病院に通ってたんで、検体あるじゃないですか、血液採った検体。パーレメーって言うんですか、検体があって。それを転移先の病院に取り寄せてそこで検査してもらったらやっぱりあったんですよ。

岸田 それはあるんだ?

秋山 転院した先では見つからなかったんですよね。それで、私、何か、行動力だけはあるので、他の、九州のほうの大学病院でCMLの研究されてる先生がいるっていうのは患者さんの間では有名なんですけど、その先生に、会ったことも無いのにメールをしてご連絡したら、血液を送って。

秋山 検査してくれるってことで。それも無料でやってくれるっていうことで、血液を、実は、主治医経由で送ったこともあって。そっちの九州のほうの病院でも見つからなかったんですよ。東京の今の転院している先の病院でも見つからなくて。でも、前の病院だけでは見つかってるんです。

岸田 ただ、今、見つからないからいったん保留になったってことですね、移植がね?

秋山 そうなんです。見つからないので、その先は取りあえず。無ければやる必要もないので。ずっと保留になって、移植する、しないになって。

岸田 ありがとうございます。その後、千登世さんは患者会活動をしていったりやとか、抑えていくと思うんですけど、副作用で何かなったんですよね、その後?

秋山 そうなんです、そうなんです。ちょっとその間にあって、薬を増量したんですよ。T315Iが。数値が上がり始めて、T315Iが見つかる直前に、薬を、量をちょっと増やしてるんですよ。増量してるんですよね。

秋山 それが何かちょっと強いかなって自分でも思ってたんですけど、半年ぐらいして馴染んでは来たんですけど、薬が、身体に。なんだけど、その後、副作用。コレステロールは上がっていて。コレステロール、食事で気をつけても全然下がらない。そんなこともあって、コレステロール下げる薬飲んでたんですけど、それでも下がらなくって。

秋山 ある時ですね、頸動脈のエコーってやったことなかったんですよ。ある勉強会というか、いろんな勉強会に参加してたので、そこでお会いした先生が、何か、その先生の病院では、私と同じ薬飲んでる患者さんっていうのは頸動脈のエコーとか、血圧の脈波を測ったりとか、そういうのやってるって聞いて。

秋山 でも、私はやってなかったので、やってもらおうって思って、自分の主治医に。自分の病院戻った時、診察の時に主治医にそれをお願いしたら、頸動脈やろうかってことになってやったんですよ。そしたら、案の定、頸動脈が部分的に66パーセントとかまで詰まってて。

秋山 これも、何か、血液なので、痛いとか何も無くて、感じること無かったんですよ。何も感じない頸動脈、取りあえずエコーかけてみたら、部分的にですけど、66パーセント詰まってるってことになって。なので、そちらのほうが命に危険があるということで。

岸田 やばいですよね。あと44パーセントしか通ってないってことですもんね。

秋山 その日の夜から断薬っていうか、ストップですね、薬。CMLの薬はストップ。

岸田 12時間ごとに飲んでたやつってことですね?

秋山 そうなんです。まだ手元にいっぱいあったの残ってたんですけど、お薬は。だけどその日の夜から飲むのはなくなりました。中止。仕方ない断薬っていうのか。ただ、ただ、私は白血病の細胞が未検出にはなってなかったので、まだ体にあるのも分かってたしT315Iも出てたし。凄い決断だったと思います、その時の主治医も。その時の主治医って、今の主治医なんですけど。

岸田 まだあるのに、それ、断薬しないといけないっていうところで。怖いですよね。

秋山 落ち着いてはいたんですけどね、数値的にはね。だけど、未検出にはなってないし、T315I出てるし。でも、止めないと。頸動脈詰まっちゃったほうが命が危ないので。

岸田 今、もう断薬してる?

秋山 断薬してます。断薬して6年目です。2017年の8月から断薬なので。

岸田 今は2カ月に1回病院に行って、白血球が暴走ないかどうかを?

秋山 白血球。そうですね。最近、白血球はあんまり見てなくて、実は。

岸田 そうなん?

秋山 白血球見てなくって、遺伝子変異検査を毎回やってるので、その遺伝子検査の数値で白血病細胞がどのくらい、今、パーセンテージで出てくるんですよね、検査のあれが変わって。白血病細胞何パーセントとかって出て来て0.00幾つとかって出てくるんですけど、それを見ている感じです。

岸田 ありがとうございます。そして、次のフリップでは、お仕事にも復帰されていくといったところで。これに関してはまたあのお仕事のところを大きなところでちょっとお伺いしたいなということも思いますし、今、無治療で経過観察して、さっきの遺伝子変異をずっと見ているのが今されているっていうことですよね。ありがとうございます。

岸田 そんな中、色々、当時のお写真もいただいておりますので、ちょっとお写真見てみたいと思います。まず、闘病前のお写真がこちらになります。これは?

秋山 これは明治神宮に行った、診断の3日後に明治神宮に行って。この時に明治神宮の神様にお願いしました。でも本当に精いっぱいの笑顔してるんですよね、写真残さなきゃとか思って・・・。

岸田 そうですよね。娘さんが何かふてくされてる感じっぽいですけど、お母さん、満面の笑み、頑張ってますもんね。

秋山 そうですね。満面の笑顔を頑張ってして、写真に残して、子どもたちに記憶に残るようにしようかなとかって思ってたんで。この日、凄い暑かったですよ、炎天下で。6月なんですけど。

岸田 「紫外線浴びたらあかん」って言われてるのに浴びてるからね。

秋山 そうなんです。長袖着てますよね、黒で。

岸田 確かに。次は闘病中の写真なんですけど。トラ?

秋山 これ、左になるのかな。トラ触ってるやつはチェンマイに行った時の。

岸田 さっきのね。

秋山 これ、診断されて2カ月後ですね。白血球が低い頃ですね。

岸田 お薬いっぱい渡されて行ったってやつですね?

秋山 そうなんです。当時から予定してたんで。白血病になるとは診断されると思ってなかった時から予定してた旅行なので、チェンマイに行ってきたんですけど。

秋山 その当時の前の主治医は、心配して、白血球下がってるけど、行き場所がチェンマイってことで心配して。本当に、コレラに効くような強いおなかの薬とかも持たせてくれて。

秋山 この時、でも、海外行くのにその私の飲んでた薬っていうのは海外時間でも日本と同じ12時間おきに飲まなきゃいけなかったので、時計は取りあえず一つは日本時間にして持って行った感じです。夜中でも何でも時差があっても。

秋山 タイはそんなに無いから良いんですけど、その後、右にある隣の写真は、これは東欧に行った時ですね。これは子どもたちと父と5人で行ったんですけど、東欧だと時差があるから薬飲むのが難しいんですよ。食事の時間とかも難しくって。でも、日本時間を忘れないように日本時間に合わせた時計を持って必ず行って、それで合わせて飲むみたいな感じでやってました。

岸田 そういうことで治療をしながらも、飲むお薬の時間調整っていうか・・・。

秋山 飲む時間は守って、取り敢えず、丸5年と2カ月飲んだんですけど、時間は守り、忘れず飲んでました。

岸田 ありがとうございます。本当、ここから色々細かいことをまた聞いていきたいと思います。その前に色々コメントいただいております。読んでいきたいと思います。

岸田 マルクは『マルクは、マンガ好きの医者にジョジョの吸血鬼ディオにズキューンと血を吸われる感じ、といったら伝わりました』って、『ジョジョの奇妙な冒険』好きには伝わる話ですね。あと、田中さんから、『美容皮膚科の話は初めて聞いたかも。しかし、ウケる~(失礼)』っていう。吉本和弥さんが、『後ろの絵が気に成ります(*^^*)描かれたんですか』? その絵は何ですか。

秋山 これは何でしょうね。

岸田 よく分かってないみたいな感じです。先に行きます。Jitsuharaさんから、『姉妹関係、複雑ですね。。』だったりとか、『骨髄移植、身内だから、即、受けるというわけでは無いですからね。』とか。青木さんも、『私も姉妹がいますが、躊躇すると思います、今は乳がんになったので、骨髄が、役に立てるか心配 心情的には、検査は受けます』って言ったところだったりとか、『秋山さんの行動力が、めっちゃ、半端ないですね!』っていうコメントもいっぱいいただいております。

秋山 すみません、マルクのことで付け加えて良いですか。

岸田 どうぞ。

秋山 今はマルクって、腰からやることが多いんですけど、昔の先生っていうのはもうずっと胸でやってたんで。私の最初の主治医も凄い年配な方なんで、胸でやってたんです。胸のこの骨髄のあるところの後ろって大きな血管があるので。そこに刺さっちゃうと命取りなんで、今の若い先生とか慣れてない先生とかは腰からやるみたいなんですけど、こう胸からやって。先生が教えてくれたんですよ。

秋山 マルク何回かやってるので、その時に教えてくれたのが、まず、プツって刺して皮下脂肪を通る。で、またプツって刺して。プツって2回いうんですよ。そうすると、手を離しても直立するんですよ、その器具が。そうすると骨髄に刺さってるっていう証拠なんだとかって教えてくれて、先生、手放して見せてくれるんですよ。ほらねみたいな感じで。それがとても恐怖。今だから笑えるけど。

岸田 怖いですよ、手放されたら。いや、持っといてって思いますし。

秋山 でも、ちゃんと立ってるんですよね、器具が。直立してるんですよ。そうすると骨髄にちゃんと刺さってるらしくって。この話をして良いですかね、すいません。

岸田 いや、分からない人に分かるトーク。ありがとうございます。

秋山 先生が色々教えてくださいました。

岸田 ラーラバさんも、『中1の我が子が、学校健診で指摘され専門病院でCMLと診断されした。現在、タシグナ服用で落ち着いていますが、肝機能が少し高く少ししんどそうです。経過は肝機能メインですが、コレステロールとかも注意する必要もありそうですね』ってコメントいただいておりますけど、どうでしょう?

秋山 私の経験からなんですけど、私も同じ薬だったので。循環器系は気をつけたほうが良いかなってか、念入りに検査したほうがいいかなって思います。コレステロール高くなるの薬のせいっていうのもあるのかなって思っているので、そこは注意深くぜひ見てください。あと、頸動脈エコーは忘れずにやってください。ぜひ、年に1回ぐらいは頸動脈エコーやってください。

岸田 何か言われたら、秋山千登世さんが言ってたっていうか、CMLのラスボスが言ってたっていうと・・・。

秋山 是非やってください。

岸田 ラスボスか分からへんけど。ということで、今から、各項目、これがちょっと30分で、たんたんたんと聞いていきたいと思いますので、是非よろしくお願い致します。

【家族(パートナーと子)】

岸田 まず、千登世さんのご家族のこと、パートナーとお子さんのことについてお伺いしていきたいと思います。まず、旦那さんとは、がんになったこととかどう伝えましたか。

秋山 メールで、なったんだということを連絡したんですけど、診断されたばっかりの時に。でも、特になんだってわけではなく。お友達に医師になった人がいるので、そういう人たちに聞いてたりはしてたみたいなんですけど、そんな感じですかね。

岸田 そっか、旦那さん。直接、何か関わるっていうよりも。旦那さんも怖かったのかな、何かね。

秋山 男の人っていうのは割とメンタルが強くない部分があるので、奥さんが白血病っていうのを受け入れるの、大変だったんじゃないかなと思います。

岸田 因みにお子さんにはどう伝えたんですか。

秋山 子どもには診断された日に、家に帰って、病気になったんだっていう話をしたんです。当時、誕生日だったんで、子どもが私に誕生日プレゼント、幼稚園で作ったっていうのをくれて渡してくれたんだけど、本当に、目を見てありがとうっていうことが出来なかったっていうのをお話ししたくて。上の子はちょうど小学校5年生だったんですけど、学校で何か白血病の女の子の本を読んだらしくって。

秋山 病気になったんだっていう話をしたら、開口一番に、「白血病?」って言われました。図星だったんですけど。でも、その時にもまだ白血病とは言えなくて。何か名前のインパクトがあり過ぎて言えなかったんです。

岸田 最終的にはどんなタイミングで、ちゃんと?

秋山 それからですね、移植の話が出る頃には言いました。移植の話が出て移植になったら。2年後ぐらいですかね。移植になったら、本当に家にいないわけじゃないですか。どのぐらい入院するか。長くて1年ぐらい入院するかもしれないんで、白血病になったって話もしながら、あとは、「自分のことは自分で出来るようにしてね」みたいなこと言いました。

岸田 お子さんたちもしっかり認識してっていうことですよね?

秋山 認識してます。ただ、こんなに元気にしてるので、見た目。一緒に住んでて。これが本当に具合悪くて寝込んでるようだったら、なかなか言えなかったかもしれないです、病名まで。

【家族(親・姉妹)】

岸田 因みに、ご家族の中でもご両親だったりとかお姉さんだったりとかには、さっき「電話で言った」って言ってましたっけ?

秋山 電話で言いました。

岸田 電話で言って。親や姉妹については、こちらに関しては、サポートとかそういったところに関してはどうでしたか?

秋山 本当に、両親からは「1日でも長く生きなさい」と言われました。子どもたちのために。

岸田 お父さんは、海外旅行にも付いて来てくださったりとかね。

秋山 そうですね、海外に。「もしアメリカに治験に行くことになったら付いてく」って言ってくれてたんで。あと、治療費高いじゃないですか。アメリカに行って治験とか。それも「気にしないで良い」みたいなこと言ってくれました。

岸田 あっ、さすが。

秋山 娘の命が大事なんでしょうね。

岸田 命はもちろんね。そういったこともあったりだとか。お姉さんの話は今はもう関係、すこぶる良好でということでね。

秋山 すこぶる。そうですね、仲良くしてます。

【仕事】

岸田 当時は色々あったけれどもっていったところはさっきコメントいただいたかなって思います。その後、お仕事のことについて。さっき、社会復帰のところはさらっとちょっとお話あったんですけれども。当時、お仕事はどういうお仕事をされてたんですか。

秋山 病気になる前はOLをやってたんですけど、子育てがあったんで辞めて。その後は子育てに専念してて。本当に2017年ぐらいですか、病気になって良くなった頃ですね。

秋山 その頃、始めたのが、友達に声を掛けてもらって、不動産関係のお仕事、「事務やらないか」みたいなことを言われて、全く不動産業界分かんなかったんですけど、ちょっとだけやらせてもらったんです。週に2日とかそのぐらいから始めて。あと、「イベントの司会とかをやらない?」って言われてやったりもしてました、たまに。それが社会復帰。

岸田 そういう友達の紹介のいろんな・・・。

秋山 それが最初かなって感じですね。

岸田 本格的に社会復帰出来たのはどれぐらいかかったんですか。

秋山 社会復帰したのは、子どもの育つタイミングでやってたので、そうですね、2021年の春から。

岸田 めっちゃ最近に。去年。

秋山 最近ですよ、本格的に始めて。社会保険も自分で持ちたくて。社会保険を。で、自分の社会保険に入ろうと思って入ったのがこの春からですね・・・。

岸田 今の仕事はどんなお仕事されてるんですか。

秋山 今、ホテルで働いてます。ホテルでチェックイン業務を主にやってます。

岸田 チェックイン行ったら受け付けしてくれる人ですね。

秋山 はい。

岸田 体力、大変じゃないですか。

秋山 そうなんですよ、入った頃は、それ始めたのが2021年の春からなんですけど、入った時は全然コロナもあったんで稼働率少なくてそんなでも無かったんですけど、今は凄い忙しいです。今はもうめちゃくちゃ皆さん旅行されて動き回って。観光業は凄いと思います。今は凄い忙しいです。

岸田 ありがとうございます。治療当時は、お仕事は辞められてるというか。治療終わってから友達の紹介でちょっとずつ始めていく。

秋山 そうですね、始めて。

岸田 今は復活してるってことですよね。そっか、今、断薬もしてるしね?

秋山 そうなんです。今、断薬もしてるしっていうのもありますし、自分で社会保険に入りたかったなっていうのもあって。

岸田 病院行く時は、その会社っていうか、上司とかに言って病院に行く感じ?

秋山 それが、週に20時間働けば、今って、社会保険に入れるんですよね。なので本当にアルバイトなんですけど、週に20時間で良いので。

岸田 それ以外・・・。

秋山 はい、全然大丈夫っていうか。

岸田 20時間。5日働くとしたら、4時間かける5日で20時間だから。

秋山 そうですね。

【お金・保険】

岸田 ありがとうございます。その後、ちょっと、お金、保険のことといったところであるんですけども。さっき、お金、海外行くなら300万とかあったりとか、あとは高額医療費制度使えなかったら1回に何か70~80万でしたっけ? 何かあったというふうなところあって。結局、お金って、最終的にどれぐらいかかったんですか、全体に。

秋山 治療にですか。かなりかかります。その時によって薬の量とか薬の種類によって違うと思うんですけど、一番高かった時で、会計の時に、レセプトってんですか、もらうじゃないですか。

秋山 それに書いてある金額が、診察代と薬代とを含めて177万とかなんですよ。掛ける、点数で書いてあるんですけど、計算すると177万で。掛ける3割負担じゃないですか、日本。それでも五十何万ですよね、1回の支払いで、3カ月に1度。

秋山 診察は2カ月に1回とか1カ月に1回とかだったんですけど、診察代とは別に。診察代だけだったら1万。遺伝子検査、私、してるんで、毎回、今は、薬なくて遺伝子検査するだけで1万5000円~1万6000円ぐらいかな。なんですけど、それに薬代が加わると、177万の3割負担で50何万だけど、限度額認定証を出すので、そこまでは払ってないんですけど。

秋山 ただ、最初、これ、うちは、病気になった時に国民健康保険だったんですよ。国民健康保険って家族合算なんですよ。うち、多いんです、人数が。給料もらってる人が多いので、義理の両親ももらってるし、主人、私と、義理の弟とかもいるので。みんなもらってるの世帯合算なので、一番上のランクになっちゃうんですよ。

秋山 そうすると今ですら25万とかですかね。だけど、当時はランクの一番上限でも15万だったんですよ。払うたびに毎回15万。限度額認定証使っても15万。

岸田 世帯合算か。

秋山 世帯合算だとそうなの。国民健康保険の方、多分、色々苦労あると思うんですけど、世帯合算なんですよ。だから、世帯の全部の収入に対しての限度額、認定証のランクが決まるので。だから3回目までは、15、15、15って払って、次の時に9万幾らか、8万幾らか下がったみたいな感じ。

岸田 それがずっと続いてるの、今も?

秋山 今は、薬飲んでないから。

岸田 今は薬飲んでないから。断薬するまではそれが続いてたっていうことですよね?

秋山 続いてて。義理の父とかが途中で他界とかしてるので、そうするとまた収入がかなり下がるというか、全員の世帯がみたいな。そうするとランクも下がるみたいな感じなんですけど。ただ、今は薬飲んでないのでないですけど、今、なんで、自分の社会保険持ちたくて週に20時間は働いて社会保険持ってるんですけど、そうすると会社の保険になるじゃないですか。社会保険になるとまた別だから、私だけの収入で出てくるので。

秋山 もし、今、病気になって、また再燃して投薬になったとしても、今は凄い少ないと思います。あと、会社の付加給付っていうのがあれば更に安くなるんですよ。覚えといてください。

岸田 会社の・・・。

岸田 くれるってやつですね。

秋山 そうです。社会保険でもそうなんです。付加給付のある所は。

岸田 因みに民間の保険は入ってなかったん?

秋山 民間入ってました。本当に手厚く無いやつに入ってて。入院保険。その前に入ってた、ちゃんとした、OL時代に入ってたやつは死亡保険がっつりみたいな、入院保険もちゃんと全部付いてるみたいなのは解約してたんです。まさか病気になるとは思わなくて解約して、もっと安いやつに入ってたんです。それに入ってて。入院とかは出るかもしれなかったんですけど、入院もしてないので出ないですね。がん保険は入ってないし。

岸田 だから、少ないやつに入ってたから、ほぼ出なかったみたいな感じなのか。

秋山 出なかった。入院もしてないので入院費用も出てないし。なんですが、途中で、断薬して2年目ぐらいで新しく入り直したんです、保険に。掛け直したんです。それが出来たんですよ。

岸田 それはやっぱ、今後のことを考えて?

秋山 そうですね。今後ずっと入れるような。それで、今、ちょうど治療もしてないしっていうことで入り直して。そしたら入れる保険があって、探していただいたら。だから、医療費は凄い手厚いかな。

岸田 今ね?

秋山 今、医療費手厚いです。死亡保険は入れないけど。

【辛い・克服】

岸田 ありがとうございます。そしてその後、つらい克服といったところで、秋山さんが、いや、これ大変やったなって時にどう克服したかっていうことを。これ大変やったなって時期、いつですか。

秋山 最初、告知された時が一番つらかったです。子どもたち小さかったし。さっき話したように、他のママたちとの付き合いもあるじゃないですか。学校行く機会も凄く多かったし。なんで、そういう時に、何か、お会いするのもつらかったなっていう時もありました。

岸田 けど、そんな中、役員とかもやってたんでしょ?

秋山 役員やってましたねえ。3人子どもいると、役員は必ず回ってくるというか、やらなければならない状況になってしまって、それで役員やったんですけど。役員の中でも、その学年の役員のトップっていうの決めなきゃいけなくて。どなたもやりたくなくて。どうですかみたいな感じになるんですよ。その時に、「私、1年もたないかもしれないですけど良いですか」っていうお話したら、「良いですよ」って言うので、じゃあやりますってことになってやったんですけど。

秋山 でも、まさか、私白血病だとみんな思ってなかったので、1年の任期が終わった時に、「実は、私、白血病だったんです」みたいに話したんですね。それも笑い話として今だから言える。

岸田 千登世さんが「1年もたないかもしれないです」っていうのは、みんなからしたら、今、クレームがあったりだとか大変だったりはするから1年もたへんのかな?ていう認識でいたけど、終わる時に、白血病やから1年もたへんかもしれへんって言った。

秋山 そう。もたないかもしれませんみたいなね。けど、良いですよって言うから。なんで、最後に、こんなに元気に見えるので、何て言うんでしょうね、最後の最後に「白血病です」って言った時の皆さんのリアクションを見るのが楽しくて、最近は。

岸田 みんな、びっくりしてたでしょ、本当?

秋山 びっくりよりも、心配してたと思います。

岸田 だから、その宣告された時のつらさっていうのは、持ち前の明るさで乗り切るの? どうするの?

秋山 宣告された時のつらさは美容皮膚科ですかね。

岸田 美容皮膚科でね。

秋山 1週間は泣いてたんですけど、美容皮膚科に行って。これじゃいけないなと思って。

岸田 見た目から変えていく、ケアしていく。

秋山 そうですね。で、免疫上げて。前向きな気持ちになりました。あと、子どもたちが本当に明るくしてくれてたんですよ。全然普通に接してくれてたんで食卓も全然暗くならなかったし、それも良かったかもしれない。

【後遺症】

岸田 家族の協力もあったってことですね。そして、後遺症のことといったところで、次、後遺症。この後遺症は、千登世さん、今、何か患っているもの。狭窄もあったといったところはあるかもしれないですけど、首の静脈の。後遺症、どうでしょう? 今、何かあるものってありますか。

秋山 そうですね、特に後遺症っていうのは。あります。

岸田 今、無さそうな雰囲気あったのに。

秋山 髪の毛が薄くなる、細くなる。もっと、凄い剛毛で多かったんですよね。あと、まつげばっちりだったんですけど、そういうのが薄くなりますね。分子標的薬飲んでから本当に。体毛、産毛っていうんですか、体中の。無くなるんですよ。髪の毛も細くなりみたいな。白髪になる人もいるみたいですけど、私の場合は白髪は出ないんですけど、細くなりますね。細くなって薄くなったっていうか。薬やめた途端に2週間ぐらいでちょっと腕に産毛が生えて来たりとか。産毛の観察して喜んでました。生えて来たみたいな。そういうのはありましたね。

【反省・失敗】

岸田 分子標的薬の影響でということですね。そして千登世さんの、次、反省や失敗、あの時こうしておけば良かったなっていったこと、強いて言うと何かありますでしょうか。

秋山 例えば何だろう?

岸田 千登世さんのあの時というの。無ければ無いでも全然良いですよ。

秋山 そうですね、反省や失敗、特に無いかも。

岸田 特に無い? さすが。あの時早めに病院に行っておけばとかっていうのは特に大丈夫っていうことですね?

秋山 そういうのはありますね。

岸田 検診を受けることだったりとか、色々されていたから、そういったところは大丈夫ですか。

秋山 そうですね。でも、検診は早めに受けたほうがというか、定期的には受けたほうが良いと思います。本当に病気知らずで病院知らずだったので、病院って行ったことなかったので、まさか自分がみたいなところがあったので。健康診断はちゃんと毎月受けてたほうが良いと思います。毎月なんてすいません、毎年受けた方が良いと思います。

岸田 あと、医療情報のところがね。周り、あまり知らない人たちが多いから、そういったところもしっかり見つけておくことが大事っていうことも。

秋山 そうですね、医療情報ね。怪しい情報には引っかからないように気をつけてください。それは言っておきます。

岸田 千登世さんはそういうのに引っかからなかった?

秋山 引っかかりはしないんですけど、何か、プロバイオティクスとか良いのかなと思ったりとか、気休めとして高濃度ビタミンC点滴やってた時期もあったんですよ。これ、美容のためもあるけど、がん治療にも良いのかなみたいな。月に1回やってた時もあって、実は。美容には良いんですよねって言われてますよね、どうですかね。

岸田 分かんないよ。

秋山 本当に気休めっていうことで、主治医にも「気休めです」とかって言いながら、実はちょっと期待してみたりとか。高濃度ビタミンC点滴やってた時もありました。

岸田 実際どうでした?

秋山 実際、それががんに効いたという感じではないんですけど。気休めですね、本当に。やってるっていう気休め。

岸田 おまじない程度っていう感じですね。

秋山 おまじない程度かな。お肌ちょっとプルプルして来たかなみたいな。ちょっとハリ、ツヤ出たかなみたいな。何となく思ってるだけで実際はどうでしょうね。

岸田 これね、本当、悪徳のクリニックとかになってくると、これががんに効くからやるっていうなね。何か言ったりとかしますよね。

秋山 そうですね。高いのは手出さないほうが良いですよね。私がやってたのも全然高くないので。

岸田 数千円レベル?

秋山 もうちょっと。

岸田 もうちょっと高い?

秋山 一般的には安いかなみたいな。

【医療者へ】

岸田 なので、皆さんも。千登世さんの場合は美容目的といったところもあるかもしれないですけども、本当にがんの治療目的とかといったところでだまされないように、皆さん、してもらえたらなとは思っております。そしてそんな中で、次、『医療者の方へ』といったところで、医療者にこういったこと伝えたいな、もしくは感謝している、もしくは要望したいといったことはありますでしょうか。

秋山 医療者へ、要望のことなんですけども、時計ばっかり見てる先生に出会ったことがあって。診察室に入ると、質問したいんだけど質問すると、「ああ、それは」、何か持ち時間があるらしくて、「何分なんだよね」みたいなのを言われて、時計ばっかり見てる先生とかはちょっと止めて欲しいなって思ったりもします。

岸田 だよね、それはね。ずっとね、サッカーのレフェリーみたいな感じでこうやって見ていらっしゃる方、いらっしゃいますもんね。

秋山 患者思いの先生は、それこそ、私、お会いしたこともないのに、メールして。血液検査してくださった先生もいたりですとか、本当に患者思いの先生もいらっしゃいます。その反面、そうじゃない先生もいるのかなって聞いたりもしますので。

【Cancer Gift】

岸田 ありがとうございます。その次、『Cancer Gift』といったところで、得たもの、得たこと、本当にいろんな。失ったものも沢山あると思いますけど、敢えて、得たもの、得たことって言うと何がありますでしょうか。

秋山 得たものは仲間たちでしょうか。白血病になって、ブログとかFacebook始めて、凄く、同じ病気の人と繋がることが出来たっていうのもあって、T315Iが出た時も凄い励ましてもらったのは、同じ病気の患者さんたち。

秋山 情報をくれたり、自分の主治医に聞いてこんなこと言ってたって言ってくれる方もいたりとかな感じで、本当に周りの患者さんたちに励まして、同じ病気の同病の方に励ましていただいたので。本当に、そういう仲間が出来たということですね。日本全国に同じ病気の繋がりが出来たというのは凄く良かったなと思っています。

【夢】

岸田 ありがとうございます。千登世さんの今後の夢といったところで、今後、どうされていくのかといったところで、千登世さん、今後、どのように考えてますでしょうか?

秋山 英会話を上達することと。昨日、シンガポールで。

岸田 昨日、シンガポールから帰って来たところなんですもんね?

秋山 そうなんです。シンガポールで、オーストラリアの希少がんの患者団体のワークショップに参加して来たんですけど、英語が出来るとコミュニケーション取れるんですけど、そこのところが今一つなので、もっと英語会話を上達させて、日本だけじゃなくて世界中の患者さんとか、いろんな団体がどんなことをやっているのかなっていうのを知ったりですとか、日本のことを伝えたりとか出来たら良いなと思っています。

秋山 あとは、今やっている会を。本当にボランティアで手伝ってもらうのが申し訳ないので、手伝ってくれたらペイ出来るような感じで何か企業化。ちょっとビジネスライクな感じで出来たら良いなと、そう持っていけたらなと思っています。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 凄いですね。本当、行動力半端無いなということは本当に思うんですけれども。海外の所、そういうふうな所で英会話もしていくというところもあるかと思います。ありがとうございます。千登世さんのさまざまな話を聞いてきましたけれども、千登世さんの『ペイシェントジャーニー』といった形で少し振り返っていきたいなということを思っております。こちらご覧ください。

岸田 『秋山千登世さんのペイシェントジャーニー』といったところで、まずこちらです。レーザーポインターで。末っ子の幼稚園の入園式があってから区民検診で、さっきの、血液の値を指摘されていた。その後、診療所の所でがんの告知をされていって。因みに赤色がポジティブ、青色がネガティブで、白色はどちらでもないような事象になります。

岸田 で、がん告知を受けていって。それで先ほどのご両親だったりお姉さんに電話で報告していく。その後、遠足の写真もいただきましたけれども、遠足を行って。その後、高額な薬代にちょっと驚愕していくというようなところだったり、今後の、なっていく。

岸田 そして薬物療法。分子標的薬を12時間ごとに飲んでいく必要があるよということでここから治療が開始されていきますが、美容皮膚科でちょっとテンションを上げていって、患者会の参加だったりだとか。そういった中でCMLの数値が上昇していきます。

岸田 そしてその中で、東欧の旅行だったりとかしていくと、数値が正常になっていくってことなんですけど。数値が上昇していった時も結構ポジティブな感じになっているんですけど、千登世さん、これ、どういうことですか。

秋山 表面に出ているものとか体調悪いとか全く無かったので、大丈夫だろうという気持ちがあったんですよね、どこかに。

岸田 大丈夫だろうっていう自分の思っていたところ。

秋山 あまり、深刻に考えてなかったっていうのがあると思います。旅行も控えてたし。

岸田 それはね。そこから遺伝子変異が見つかって転院を決断していって、セカンドオピニオン、サードオピニオンしていく。そんな中でサードオピニオン先の病院で余命宣告を受けていくといったところがあって、その時は一番下がっているのかな。

岸田 そこから、ドナーを探しに行ったりだとか、アメリカの治験を探したりだとか、そういったことをしていった中で、遺伝子変異のところの値がちょっと出なくなったというところで、移植は保留になっていきます。

岸田 そしてその後、患者会活動、色々精を出していった中での頸動脈狭窄で断薬をしなければいけないという形になっていった中でのお友達の紹介からの社会復帰をしていって経過観察中といった形ですけれども。千登世さん、この中で大丈夫ですか。間違った?

秋山 あるとしたら、ドナー探しっていうところなんですけど、私は、姉に断られて、長女が検査に来てくれたんですよ。ちょうど中1になったところで長女が検査に来てくれてHLAの型を調べたんですけど、子どもは半々なんですよ、親から。だから半分しか合わなかったんでドナーの対象にはならず、臍帯血移植の準備に入ったんです。

秋山 ドナー見つけるまでに時間かかるので。ノーマルだったんで、私の型が。「だからいるよ」とは言われたんですけど、時間がかかるので、臍帯血のほうが直ぐに冷凍してあるものを使えるので。「急激に悪くなるかもしれない」って言われてたんで、臍帯血移植の準備をしてました。

岸田 ありがとうございます。コメントもいただいております。藤田さんから。『絶賛、濃厚接触者になり、ワンオペ家事中で今から聴いてます!あきやまさんだ!おかえりなさい!』っていうことだったりとかね。田中さんも、『どんな話も笑顔で話せる秋山さんって、すごい。でも、当時は大変だったんだろうな~』っていったところで。当時、大変ですよね?

秋山 そうですね、大変だと思います。当時を思い出せば涙が出てきます、今でも。

岸田 当時、本当に、育児もしながら大変だったと思うんですけど、美容皮膚科以外で自分のテンション上げることってどうしてたんですか?

秋山 患者さんと話したりとか。会って話すの、元気もらえましたね。今じゃなかなか会えないんですけど。そういうのとか、あとは、私、大好きなのが、温泉とカラオケとロングドライブ。自分で運転するので、そういうのをやって。運転しながら大声で歌ったりとか。そんな感じでテンション上げてました。

岸田 吉本さんから、『岸田さんを圧倒する、秋山さんのトーク楽しかったです。』っていうような。

秋山 すみません、なんか。いっぱいしゃべり過ぎました。

岸田 いくらでもしゃべってください。本当にあっという間の90分でございますけれども、ここから、ちょっと、時間の。告知も含めていろいろさせていただければということを思っております。まず、こちら、協賛の企業さんも紹介していきたいと思います。生きるを作るAflac様、グローバル企業のIBM様、I-TONGUE様にご支援いただいております。どうもありがとうございます。

岸田 また、見てくださっている皆さまたちも、本当に、色々見てくださることだったり、チャンネル登録してくださること、ご支援くださること、ありがとうございます。

岸田 その中で次回の。来年になるんですけれども、『がんノートorigin』は、卵巣がん経験の相馬さんに来ていただきたいということを思っております。相馬さんの卵巣がん経験を伺って、当時、まだ学生といったところもありますので、ちょっとそういったところのお話を色々聞いていきたいなということを思っております。

岸田 そして、次、ちょっと皆さんへのお願いにもなるんですけれども、『ゲストへのメッセージ入力のお願い』。番組終了後、動画の概要欄またはチャット欄のところにURLが出ます。そのURLクリックしていただくとコメントを入れれる部分になります。

岸田 そのコメントに、ぜひ、今日の千登世さんへのメッセージみたいなものを入れていただくと、終わってから、千登世さんにお渡ししたいなと思いますので、一両日中に是非よろしくお願いしたいと思っております。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 その中で、最後の最後、『今、闘病中のあなたへ』。ちょうど、今日、宣告されましたよっていう方だったりだとか、中1のお子さまが診断されて闘病されているっていう方々も見てくださっていますので、その皆さんへ向けてのメッセージ、千登世さん、こちらになります。

秋山 『免活!』ですね。妊活とか婚活とか就活とか、活の付く言葉っていっぱいあると思うんですけど、免活っていうのは免疫を活性化させようっていう。それで、楽しいことを考えて前向きに過ごして。科学的とか医学的とかでは無いんですけれど、自分で出来る治療だと思ってるんです。

秋山 免疫を上げて元気に過ごして、白血病という病気をやっつけてしまおうという意味で、免活という言葉を今日は上げさせていただきます。皆さんに贈らせていただきます。すいません。私も免活頑張っています、未だに。

岸田 笑顔が素敵な千登世さんですけれども、自分のテンションを上げるようなこととかも取り組まれていたりだとか。決して科学的とかいうわけでは無いんですけれども、同じ時間を過ごすんであれば、ちょっとでもポジティブにも過ごしていただきたいなといったこともあるのかなと思っております。ありがとうございます。千登世さん、あっという間の90分でしたね。

秋山 そうですね、すいません、なかなかこのエプロンが見せられなくて。クリスマスのサンタさんの。

岸田 見る機会、全く。今の闘病の中で全然出て来なかったですけどね。

秋山 皆さん、素敵なクリスマスを過ごされてください。

岸田 素敵なクリスマスを過ごされてください。といった中で、今日の『がんノートorigin』、終了していきたいと思っております。『免活がんばります!』というコメントもいただいております。

秋山 ありがとうございます。私も頑張ります。

岸田 では、皆さん、またお会いしましょう。それでは皆さん、バイバイ。

秋山 ありがとうございます。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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