目次
- 【発覚から告知まで】テキスト / 動画
- 【治療から現在まで】テキスト / 動画
- 【家族(パートナーと子)】テキスト / 動画
- 【家族(親・姉妹)】テキスト / 動画
- 【妊よう性】テキスト / 動画
- 【仕事】テキスト / 動画
- 【お金・保険】テキスト / 動画
- 【辛い・克服】テキスト / 動画
- 【後遺症】テキスト / 動画
- 【反省・失敗】テキスト / 動画
- 【医療者へ】テキスト / 動画
- 【CancerGift】テキスト / 動画
- 【夢】テキスト / 動画
- 【ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【今闘病中のあなたへ】テキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:柳澤
【オープニング】

岸田 ライブ配信開始ということで、がんノートoriginを始めていきたいと思います。本日のゲストは 柳澤佳奈 さんです。よろしくお願いいたします。
柳澤 よろしくお願いします。
岸田 背景にキャラクターがたくさん並んでいますね(笑)。
柳澤 少しごちゃごちゃしています。
岸田 その中に、以前「心を燃やせ」という鬼滅の刃の回にご出演いただいた時の煉獄さんのキャラクターも見えますね。
柳澤 そうなんです。
岸田 緊張していますか?
柳澤 いえ、大丈夫です。
岸田 今日も“佳奈さんらしさ”を存分に発揮していただければと思います。では、まず私から簡単に自己紹介させてください。NPO法人がんノート代表の 岸田 と申します。私は25歳と27歳の時に「胚細胞腫瘍」という珍しいがんを経験しました。
医療情報については医師に聞けば得られますが、その後の社会復帰の方法やお金の工面、恋愛や結婚のことなど、生活に関する情報は当時あまりありませんでした。しかし、先輩患者さんに話を聞くと、多くの知恵や経験を教えてくださる。そこで、そうした情報を皆さんと共有したいと思い、2014年に患者インタビュー番組「がんノート」を立ち上げました。
今日も、場所は離れていても、同じ時間を共有しながら、少しでもヒントや安心につながるものが届けられればと思っています。
あらためて、本日のゲストは 柳澤佳奈 さんです。どうぞよろしくお願いいたします。
柳澤 よろしくお願いします。
岸田 では佳奈さん、まずは簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。
柳澤 はい。 柳澤佳奈 と申します。2015年、36歳の時に子宮頸がんの告知を受け、翌年1月に広汎子宮全摘出術を受けました。現在は治療から7年が経過し、経過観察を続けています。よろしくお願いいたします。
岸田 佳奈さんは今、北海道にお住まいですよね。札幌でしたか?
柳澤 いえ、旭川です。
岸田 もう雪はだいぶ降っていますか。
柳澤 まだ降っていないんです。
岸田 これから本格的なシーズンに入るところですね。
柳澤 そうですね。今週から気温がぐっと下がるという予報です。
岸田 では、雪が降る前に飛ぶ雪虫は、もう出ている頃でしょうか。
柳澤 雪虫は、もうかなり前に飛んでいました。
岸田 実は、私は雪虫の存在を最近まで知らなくて。雪が降る前に、小さな綿のような虫がふわっと舞うんですよね。
柳澤 そうです。あれ、北海道だけなんでしょうか。
岸田 私は関西出身ですが、関西にいた頃は見た記憶がありませんね。
柳澤 では、地域によっては見られないのかもしれませんね。
【発覚から告知まで】

岸田 それでは早速、佳奈さんの闘病経験について伺っていきたいと思います。まず、発覚から告知までのお話をお聞かせください。
佳奈さんの闘病は2014年頃から始まったと伺っていますが、この年、双子のお子さんが幼稚園に入園されたんですよね。双子のお子さんがいらっしゃるということでしょうか。
柳澤 はい、そうです。双子がいます。
岸田 もう少し柔らかく話していただいて大丈夫ですよ(笑)。
柳澤 すみません、まだとても緊張していて…。
岸田 大丈夫です。90分後には「時間が足りない」と思っていただけるくらい、リラックスして話せたら嬉しいです。
双子のお子さんは、女の子2人なんですよね。
柳澤 はい、女の子2人です。
岸田 双子の子育ては大変だとよく聞きますが、実際はどうでしたか。
柳澤 私はとても大変でした。単純に2倍ではなく、3倍にも4倍にも感じるような忙しさで…。小さい頃は本当に毎日が必死でしたね。
岸田 そんな双子のお子さんが幼稚園に入園されたのが2014年の9月。4月ではなく9月だった理由があるのですか。
柳澤 うちの子は10月生まれで、3歳になると保育料が安くなるんです。でも3歳になるまではかなり高くて…。
2人分となると負担も大きかったので、本当は10月まで待つつもりだったのですが、家族全員が限界で。最終的には1カ月だけ前倒しして入園させました。
岸田 ご家族で話し合った結果だったんですね。
柳澤 はい。2人分で3〜5万円ほどかかったと思います。
ただ、その時、父が「お金のことは気にしなくていいから、もう入れてしまいなさい」と言ってくれて、前倒しすることに決めました。
岸田 本当に大変な時期だったんですね。
柳澤 はい。みんなが疲弊していました。
岸田 そして入園後、2カ月ほど経ってパートを始められたとのことですが、どのようなお仕事でしたか。
柳澤 久しぶりの社会復帰だったので、短期の仕事を探していました。ちょうど2カ月間のパートを見つけて、会計事務所で年末調整の事務をしていました。確か10月から11月頃だったと思います。
岸田 なるほど。そこから、2015年2月に「不正出血」があったと記録されています。
男性にはあまり馴染みがない言葉ですが、不正出血とはどのような症状だったのでしょうか。
柳澤 生理とは全く違うタイミングで出血するんです。「まだ時期ではないのに」という時に突然出血したり…。それが繰り返し起こっていました。
岸田 気づいたら下着やナプキンに血が付いていて、という感じですか。
柳澤 そうです。始まりは2月の1回だったのですが、それから少しして、がんが発覚する1カ月前になると、頻度がどんどん増えていきました。
生理が終わらないような、ずっと続く感覚で。本当に止まらなくなっていったんです。
岸田 生理が終わらず、ずっと続く…。それが2月頃から始まったということですね。
柳澤 はい。そこが最初の異変でした。
岸田 コメントもいくつか届いています。敏希さん、やまやんさん、こんにちは。やまやんさんからは「雪虫は初耳です」という声もありますね。栃木では「山から雪の花が飛んできた」と言うそうです。
柳澤 素敵な表現ですね。
岸田 栃木の方、表現が綺麗ですね。
柳澤 虫より“花”のほうが断然いいですね(笑)。
岸田 でも実際は虫なんですよね?
柳澤 はい、虫です。私も雪虫はそんなに好きではないので詳しく観察はしませんが、この前見た時は白い綿のようなものが付いていました。
岸田 なるほど、綿のようなものがふわっと付いているんですね。
他にも、「双子の子育ては本当に大変ですね」といったコメントも来ています。
KOさんからは「うちは双子の息子でした。家の中がどんどん破壊されてトイレのドアまで壊され、何年かは暖簾で過ごしました」というエピソードも届いています。「女の子ならもっと可愛かったのかな」とのことです。
柳澤 そこまでではないですけど、似たような状況はありました(笑)。
岸田 さすがにトイレのドアは壊されていない?
柳澤 そこまでは無かったですが、壁や天井への落書きはし放題でした。
岸田 新築なら大変な騒ぎですよね。
柳澤 そうですね。でも我が家は古い家だったので、「家では自由に描いていいよ。ただし、人の家では絶対にやらないでね」とよく言っていました。
岸田 そして、不正出血が続いていたというお話に戻ります。毎日のように続いていたのですか。
柳澤 はい。生理が終わるはずなのに、通常なら徐々に量が減っていくところが、全く終わらず、少量の出血や茶色いものがずっと続いていました。
岸田 病院に行くまで、ずっと続いていたんですね。他に気になる症状はあったのでしょうか。
柳澤 これは後から気づいたことですが、夏の終わり頃から、背中や腰に重い疲労感がありました。誰かが背中に乗っているようなだるさというか…。寝ても全然疲れが取れない状態が続いていました。
岸田 当時は双子の子育てで身体が疲れていただけだと思っていたんですね。
柳澤 そうです。3〜4歳の子育て真っ最中だったので「こんなものなんだろう」と思っていましたが、今振り返ると身体からのサインだったのかもしれません。
岸田 そして2015年11月頃には、不正出血だけでなく「変なおりもの」も出始めたとのことです。これも男性には馴染みのない症状ですが、どういったものだったのでしょうか。
柳澤 説明が難しいのですが…。本来のおりものとは明らかに見た目も匂いも違いました。おりものって通常はほぼ無臭なのに、当時は強烈な匂いがして、「魚が腐ったような匂い」と感じるほどでした。
岸田 魚が腐ったような匂い、ですか…。それはかなり異常な状態ですね。
柳澤 そうなんです。しかも透明で、水のようにサラッとしたおりものが突然出てきて、最初は軽い尿漏れかと思ったほどです。でも、匂いが尿とは全く違っていて、「これは病院に行かなきゃいけない」と思いました。
岸田 それで病院に行こうと決めて、まずは個人病院を受診されたんですね。
柳澤 はい。そこで最初の検査を受けました。
岸田 個人病院ではがんの疑いがあると言われたとのことですが、どんな検査が行われ、どのような見立てだったのでしょうか。
柳澤 まず、「がん検診を長く受けていないこと」「不正出血が続いていること」から、子宮体がんの可能性もあると言われました。
子宮頸がんの検査と子宮体がんの検査は方法が違うのですが——。
岸田 どう違うのですか?
柳澤 子宮頸がんの検査は、頸部の表面の細胞を採取するだけなので、痛みはそれほど強くありません。でも、子宮体がんの検査は子宮の奥まで器具を入れて組織を採るため、本当に激しい痛みがあります。若い頃に一度だけ体がんの検査を受けたことがあるのですが、あまりの痛さに気絶してしまったほどです。
その経験があったので、医師から「体がんの検査をしましょう」と言われた瞬間、どうしても受ける気になれなくて、「それは難しいです」とお伝えしました。
ただ、不正出血が続いている以上、体がんの可能性は確かにあるということで、まずは頸がんの検査だけを行うことになりました。診察台に上がって検査が始まったのですが、医師が出血している箇所を見つけた時、カーテン越しに何とも言えない不穏な空気を感じました。
岸田 その空気で「あれ?」と感じたんですね。
柳澤 はい。「何か変なんですか?」と聞いたのですが、医師は言葉を濁すばかりで。「ポリープですか?」と聞いても、「いや…」と曖昧な返事しかありませんでした。あの時、医師は見た瞬間に“良くないもの”だと分かったのだと思います。
岸田 病院を選ぶ時、婦人科は特にデリケートな分野ですが、男性医師と女性医師の希望などはありましたか?
柳澤 最初は男性医師に抵抗がありましたが、出産を経験してからはあまり気にならなくなりました。男女どちらでも良かったので、仕事帰りに行けること、そして口コミを確認して病院を選びました。
実はその病院は初めてだったのですが、調べてみると、私が出産でお世話になった旭川厚生病院の婦人科医だった先生が開業した場所だと知って、「それなら間違いないだろう」と思って決めました。
岸田 なるほど、信頼できる方だったんですね。その病院で検査を受け、医師の反応からがんの疑いが高い、と。
柳澤 はい。その場で細胞診よりもう少し詳しい検査、つまり組織診もしたほうがいいと言われました。ただ、その場で決断する心の準備がどうしても出来ず、「一度帰って家族と相談したい」とお願いして帰りました。
急に「がんの疑いがあります」と言われても、全く心が追いつかなくて…。本当にパニックでした。
岸田 一度持ち帰って、その後どうされたのですか?
柳澤 両親が階下に住んでいるので、すぐに母と父に状況を話しました。すると父が開口一番、「それはがんだぞ」と言ったんです。医師からそうは言われていないのに、父の表情と声で一気に現実味が増してしまって。
父から「明日すぐお母さんともう一度病院へ行きなさい。早く動いたほうがいい」と言われ、翌日母と一緒に再度受診して、より詳しい検査を受けました。
岸田 その後の検査で、やはり「腺がんの可能性が高い」と。
柳澤 はい。検査結果が出るまで1週間ほどあったのですが、結果を聞きに行った時に「腺がんの可能性が高いので、至急大きな病院へ行ってください」と言われ、その場で旭川厚生病院に連絡をとってくれて、その日のうちに向かいました。
岸田 その間、不安は相当だったと思います。
柳澤 そうですね…。2015年の年末頃の記憶は、正直ほとんど残っていません。がんの可能性を示唆されてからは、何をしていても上の空で、インターネットで悪い情報ばかり調べてしまって。とにかく心が落ち着きませんでした。
岸田 そして大きな病院に移り、そこから手術に向かっていく。
柳澤 はい。厚生病院でも再度組織を採る検査をしたところ、悪性の可能性が高いとのことで、まずは円錐切除術を行うことになりました。子宮頸部を円錐状に切り取る手術です。11月の末に入院し、手術自体は短時間でしたが2泊3日ほど入院しました。
岸田 そして翌月、その手術で採った組織の結果が出たんですね。
柳澤 はい。母からは「大丈夫?ひとりで行ける?」と聞かれたのですが、自分ではそこまで深刻とは思っていなかったので「ひとりで大丈夫」と答えて、気楽な気持ちで行ってしまいました。
でも、告げられたのは「子宮頸部腺がん1b1期」。思っていたよりも進行していて、一瞬、頭が真っ白になりました。
岸田 その場で、相当な衝撃を受けたんですね。
柳澤 はい。診察室を出て、待合室の椅子に座った瞬間、涙が堪えられなくなって、人目も気にせず声を上げて泣いてしまいました。
ひとりで受け止めるには、あまりにも大きかったです。
岸田 その後、札幌の病院でセカンドオピニオンを受けたのは、やはり納得できなかったからですか?

柳澤 そうですね。判定に納得できなかったというより、1b1期の標準治療として「広範子宮全摘出」という説明を受けたんです。放射線治療も選択肢としてはあるけれど、腺がんには効きにくいと言われて、基本的には手術が良いと。子宮も、状況によっては卵巣も取る可能性があると説明されました。さらに骨盤内リンパ節の切除も標準治療と言われて…。子宮を失うこと自体つらかったし、リンパ節を取るとリンパ浮腫になるという情報もあって、写真などを見ると本当に怖くて。「できれば避けたい」と思っていました。
そのとき、乳がんではよく行われる「センチネルリンパ生検」が札幌のがんセンターで実施されていると知りました。入口のリンパ節だけを確認して、異常がなければ奥のリンパ節は温存できる方法です。もしかしたら自分にも適応できるかもしれないと思い、セカンドオピニオンを受けに行くことにしました。
岸田 では、そのセカンドオピニオンで、何と言われたのでしょう。
柳澤 開口一番、「手術は絶対に必要です」と言われました。私は「あわよくば子宮温存の道があるかもしれない」と期待していたので、かなりショックでした。リンパ節の件も含めて、何か違う選択肢を示してくれると思っていたんです。でも返ってきたのは、「そんなことは当たり前。あなたは標準治療を受けるべき」というはっきりした答えでした。
岸田 せっかく行ったのに…と思いました?
柳澤 思いました。しかも料金が、30分5000円・1時間1万円で、結果33分で1万円でした(笑)。「5000円で終わらせてよ…」と思いましたね。怒られて1万円払った感じでした。
岸田 怒られたんですね?
柳澤 怒られました。「あなた、自分の病気を分かってるの?これは命に関わる病気よ」と言われて。母と2人で行っていたんですが、私たち、半分笑って誤魔化しながら話していたんです。それが見抜かれたんだと思います。テンションを上げていないと崩れそうで、変なテンションだったんですよね。でも言われた瞬間、やっぱり涙が止まらなくなりました。
岸田 標準治療としては「手術をする」という結論に変わりはなく、旭川へ戻ることになったと。
柳澤 はい、戻りました。
岸田 そしてその後、「大量出血」とありますが、不正出血の延長のようなものだったのでしょうか。
柳澤 いいえ。円錐切除の手術をしたあと、切った部分は縫わずに焼いて処置されているので、かさぶたのようなものが自然にはがれることがある、と説明を受けていました。1カ月後くらいに出血する人もいるけれど、必ず起きるわけではない、と。それが、ちょうど1カ月後に起きてしまったんです。
柳澤 会社の年末の掃除で窓拭きをしていて、少し高いところを拭くためにジャンプしたんです。その瞬間に何かが「バーッ」と出た感じがして…。痛みは全くなかったんですが、トイレに行ったらジーパンがびしょびしょ、床も血の海みたいになっていて、本当に驚きました。
柳澤 とにかく病院へ電話したら「すぐ来てください」と言われて。ナプキンをあるだけ当てて応急処置をしたんですが、その日はランチに行く予定で…。社長が連れて行ってくれる日だったんです。なので、「ランチも食べたい…でも病院にも行かなきゃ」という気持ちで、とりあえず腰を浮かせるようにしてランチに行きました(笑)。
岸田 まさかのランチ…!救急車かと思いましたよ。
柳澤 自分で運転して行きました。ランチを急いで食べて、「すみません、病院に行きます」と言って。
岸田 病院では緊急入院・緊急手術になったんですよね。
柳澤 はい。縫わないと止まらない場所から出血していて、静脈か動脈か、かなり血が出る部位だったらしく、このままでは止まらないということで縫って止血する手術になりました。
岸田 本当に次々と大変なことが続いたんですね。
柳澤 不安でいっぱいで…。どうしていいか分からず、友達に電話して「こう言われたんだけど」と泣きながら話した記憶があります。
岸田 セカンドオピニオンに行ったことで、ご自身で病気を正面から受け止められた、ということかもしれないですね。
柳澤 そう思います。必要な時間だったと思います。
【治療から現在まで】
岸田 それでは、ここからは「治療から現在まで」について伺っていきたいと思います。2015年12月に止血のための手術を受けられて、翌2016年1月に本格的な手術、いわゆるセカンドオピニオンでも勧められた「全部取る手術」に進まれたとのことですが、最終的な手術日はいつだったのでしょうか。
柳澤 翌年、2016年の1月18日に本手術を受けました。
岸田 フリップにも書かれていますが、「広範子宮全摘出手術」ですね。
柳澤 はい、そうです。
岸田 文字通り、広い範囲を取る手術ということですが、具体的にはどの部分を切除されたのでしょうか。
柳澤 子宮、卵管、骨盤内のリンパ節が対象でした。卵巣については状況を見て、可能であれば温存という説明でした。
岸田 子宮や卵巣・卵管といった臓器を取ることについては、かなり気持ちの整理も必要だったのではないでしょうか。
柳澤 そうですね。幸い、私は卵巣は残すことができました。ただ、私の予想では、一度すべてを切除したあとで、卵巣だけを再度縫い付けているのではないかなと思っています。
卵管は取ってしまっているので、先生から「ここは縫って付けています」と説明がありました。卵巣だけボロンと残して、それを縫い付けてある、というイメージですね。縫って付ける、という表現に自分でも驚きました。
岸田 なるほど。その手術で子宮はすべて摘出されて、現在は子宮がない状態ということですね。
柳澤 はい、そうです。
岸田 子宮がないことで、体の感覚として違和感のようなものはありますか。
柳澤 全く分からないですね。見て確認できる場所ではないですし、日常生活の中で「無い」と意識することもほとんどありません。
岸田 少し専門的な質問になりますが、「子宮を取る」と聞くと、子宮頸部は残るのかと疑問に思う方もいるかもしれません。子宮頸部についてはいかがですか。
柳澤 子宮頸部も取っています。子宮頸部腺がんだったので、頸部を残すわけにはいかない、と説明されました。
膣の断端は「袋とじのように閉じてあります」と手術の説明で聞きました。
岸田 ありがとうございます。
そうした広範囲の手術のあと、後遺症として「片足が腫れて歩けなくなった」と伺っています。これはどのような症状だったのでしょうか。
柳澤 これはかなり稀なケースらしいのですが、手術中に血栓予防のため、着圧ソックスとフットポンプを装着していました。手術時間が約9時間と長かったこともあり、足に圧がかかり過ぎてしまい、「コンパートメント症候群」という状態になったんです。
スポーツ選手などがなることもあるそうで、筋肉がパンパンに腫れてしまう病気です。重症だと筋膜を切開して圧を逃がす必要があると聞きましたが、私はそこまでの処置は必要ありませんでした。
岸田 手術中のフットポンプがきっかけで、足が腫れてしまったのですね。
柳澤 そうなんです。麻酔から覚めて一番最初に口から出た言葉が「足が痛い」でした。おなかはほとんど痛くないのに、足だけがとにかく痛くて、ずっと訴えていました。
岸田 その足の症状は、最終的には歩けるところまで回復されたのでしょうか。
柳澤 はい。主治医からは「しびれが残る可能性もある」と言われていましたが、今は特に問題なく歩けています。しびれもほぼ感じません。
岸田 時間の経過とともに、少しずつ良くなっていった感じですか。
柳澤 そうですね。1カ月くらい経った頃には、かなり良くなってきました。
岸田 手術は、最終的にはセカンドオピニオンを受けた札幌ではなく、もともとの旭川の病院で受けられたんですよね。
柳澤 はい。最終的には旭川の厚生病院で手術を受けました。
岸田 その後、「退院が延期になった」とありますが、これは足の後遺症の影響でしょうか。
柳澤 そうです。本来なら腹腔鏡手術だったので、おなかの傷も小さく、1週間程度で退院の予定でした。開腹ではないので、おなかの痛みもほとんどありませんでした。
ただ、足の腫れと痛みで歩行が難しく、退院が延びてしまいました。
岸田 結果として、どのくらい入院が延びたのでしょう。
柳澤 トータルで1カ月以上、入院していました。完全に元どおりとはいかないまでも、「片足を引きずりながらでも、なんとか歩ける」くらいまで回復したタイミングで退院になりました。
岸田 退院後のお話に移っていきます。フリップを見ると、いきなり強烈なワードがあるんです。「ボイコット」。手術後、排尿障害が起きて自己導尿をしなければならなくなり、それをボイコット……どういう状況だったのでしょうか。
柳澤 入院中の説明で、「手術の影響で排尿障害が起こることがあります」と言われていました。どうしても膀胱の周りを触るので、尿意が分からなくなる人、出ても残尿が残る人、そもそも自分の力では全部出せない人がいると。
そういう時は、カテーテルを自分で尿道口に入れて、出し切らないといけないんです。その“自己導尿”を習得しないと退院できません、と言われました。
岸田 やっぱり柳澤さんも排尿障害が出たんですね。
柳澤 自覚は無かったんです。尿意もあったし、普通に出てると思っていました。でも、排尿後に残尿測定をするんです。看護師さんがカテーテルを入れて残尿を確認すると、200ml以上残っていて。
岸田 200mlって結構、多いんですよね。
柳澤 はい。ワンカップくらい残っているので。それではダメだから、トイレに行くたびにカテーテルを入れて全部出すように、と。
正直、手術より辛かったです。
岸田 でもフリップには“ボイコット”と(笑)。
柳澤 もう心が折れました。「無理です!こんなの入れられません!」って言って。
自分の身体とはいえ、尿道口なんて見たこともない場所ですし、まずは鏡で場所の確認から。看護師さんと二人で、「ここに入れます」と言われても、こっちは半泣きだし、情けないし、自尊心がゴリゴリ削られて……。
岸田 これは確かにハードですね。ボイコットしても問題ないんですか?
柳澤 毎日、違う看護師さんが説得に来てくれました(笑)。先生にも「まだできません」と言って、何日も拒否していました。
岸田 最終的にはどうやって乗り越えたんでしょう。
柳澤 とても厳しいタイプの看護師さんがいて、私の母くらいの年齢の方なんですが「またビービー言ってるの? やらなきゃ帰れないでしょ!」とビシッと言われて。
悔しかったけど、それで腹を決めて挑戦してみたら、意外と早くできるようになりました。
岸田 そうやって習得して、ようやく退院できたんですね。退院後、すぐにしたことがあるそうですね。
柳澤 翌日、飲みに行きました。足を引きずりながら、カテーテルをバッグに入れて(笑)。
岸田 飲みに?!
柳澤 はい。ずっと「普通の生活に戻りたい」と思っていて、外で飲むことを1つの目標にしていたので、誘われたタイミングで行くと決めました。
岸田 飲みの席でも、自己導尿を?
柳澤 もちろんです。カテーテルをバッグに入れて、「これ何?」と聞かれたら「おしっこの相棒」と(笑)。
トイレに行ったら少し時間がかかるので「ちょっと長いけどごめんね」と言って。
岸田 普通のトイレよりどれくらい長いものなんですか。
柳澤 倍くらいですね。5〜10分くらい。
岸田 そして、徐々に仕事にも復帰していく。そのなかで「摘出の喪失感が増していった」とあります。これは精神的な部分でしょうか。
柳澤 はい。身体はどんどん元気になって、ほぼ元通りの生活が送れるようになっていくのに、心だけが反比例して落ちていきました。
「本当に子宮を取らなきゃいけなかったの?」
「なぜ私だったんだろう」
そんな思いが頭の中でずっとリピートしていました。
岸田 ずっと、ふとした瞬間に考えてしまう……そんな感じですね。
柳澤 そうです。
岸田 そして2019年、仲間との出会いがあった。旭川の患者会「AYAship」との出会いですね。
柳澤 はい。
岸田 そうした仲間との出会いがあったからこそ、先ほどのお話にあった喪失感も、少しずつ和らいでいった部分はありますか。
柳澤 はい。やっぱり私も、同じ病気を経験した人に会いたかったんです。同じ気持ちなのか、どんなふうに向き合っているのか知りたくて。いくつか患者会にも足を運んでいたんですけれど、病気が違ったり、年代が大きく離れていることが多くて、なかなか“感覚の近い人”には出会えなかったんですね。
でもAYAshipは、病気こそ違っても年代が近い人ばかりで、若い世代の方も多くて。他愛もない話ができる関係が、本当に心地よかったです。
岸田 気兼ねなく話せる人たちの存在が、良い方向に働いたわけですね。
柳澤 本当にそうです。
岸田 今は喪失感のような気持ちは、当時よりも軽くなっていますか。
柳澤 全くゼロになることは多分ないと思います。これは一生、自分の人生と一緒に持っていく感情なんだろうなと思っています。
でも、当時と比べたら、だいぶ穏やかにはなりました。
岸田 AYA世代、つまり15〜39歳でがんを経験された方々の患者会がAYAship。病気は違っても、同世代と交流できて、最高の仲間に出会えた。そして2021年4月、手術から5年が経過して、今は年に一度の受診で経過観察されている。婦人科のほうは問題なく過ごせているということですね。
柳澤 はい、婦人科のほうは全く問題ありません。
岸田 「婦人科のほうは」ということは、他に気になるところがあるんですか?
柳澤 肝臓の数値がずっと高くて。単純に、お酒を控えれば良いんじゃないかという気もするんですけど(笑)。私はつい、「女性ホルモンとなにか関係あるんですか?」って主治医に聞いちゃうんですが、先生は「うーん……まずはお酒をやめてみたら?」って。
岸田 そりゃ先生の言うとおりですよね(笑)。
柳澤 はい、分かってます(笑)。
岸田 コメントもたくさん来ているのですが、なかでも——りえさんから。
「初めまして。私も子宮頸がんで子宮全摘の手術を受けるために今入院しています。ライブを見つけて拝見しています。」
というメッセージをいただいています。今まさに手術を控えている方に、何かメッセージをお願いします。
柳澤 本当に今、不安でいっぱいだと思います。でも私は今、とても元気で、普通の生活を楽しんでいます。
つらさは言葉では表しきれないけど、仲間はたくさんいますし、必ず日常は戻ってくるので——大丈夫です。
岸田 ありがとうございます。りえさん、周りには医療者の方もたくさんいて支えてくれます。ぜひ一人で抱え込まず、気になることは何でも相談してくださいね。
そして皆さんも、コメントでりえさんにエールを送ってくださっています。とても心強いですね。
岸田 コメントでは「排尿障害や自己導尿、自己肯定感の低下……術後はさらにメンタルが下がりますよね」という声もあります。「喪失感を感じたきっかけはありましたか?」という質問も来ています。
柳澤 特別なきっかけがあったというより、ふとした瞬間に、ですね。例えば——術後すぐに、生理用品のCMを見たとき、「もう自分には関係ないんだ」と思ってしまって、すごく落ち込んだことがあります。
誰かが「今、生理で……」と話しているだけで、胸がチクっとしたり。そういう些細なことで気持ちが沈むことは、最初は多かったですね。
岸田 そうした深い部分までお話ししていただき、本当にありがとうございます。きっと、いま見てくださっている方々にとって大きな支えになると思います。
さて、佳奈さんからお写真もいただいています。闘病前・闘病中・闘病後のお写真ですね。まずは闘病前のお写真です。これは……夢の国?
柳澤 はい、夢の国です。
岸田 お母さまと一緒に?
柳澤 そうです。
岸田 右側は双子ちゃんの写真ですね。
柳澤 はい。
岸田 双子ちゃんとの生活も、最初のほうでお話いただきました。また後ほど家族のお話も伺っていきます。そして次、治療中のお写真がこちらです。左側……足が大きく腫れていますね。

柳澤 すごく腫れてますよね。術後何日目だったか忘れちゃったんですが、この頃はまだ本当にひどい状態でした。
岸田 こんなに差があったんですね。これは歩けないですよね、さすがに。
柳澤 痺れもあって、本当に歩けなかったです。
岸田 それでも、さっきのお話だと退院はできていくわけで、数週間経つと少しずつ回復していったという感じですか。
柳澤 はい。本当に“時薬”というんですかね。日にちが経つごとに少しずつ良くなって、1日1日変化がありました。
岸田 そして右側の写真……これは、例のあれですか?
柳澤 例のやつです(笑)。これがカテーテル、尿カテ。これをかばんに入れて持ち歩いてました。
岸田 思ったより大きくないですか?
柳澤 長いんですよ。だから、かばんから“ピュッ”と出てたんです。
岸田 しかも太さも結構ありますよね。
柳澤 あります。だからもう、おかしいんですよ、本来。それを身体に入れようとすること自体が。
岸田 でも入るんですよね。
柳澤 入るんです。自分でも驚きました。
岸田 痛くない?
柳澤 最初は痛いです。でも慣れると、もう何も感じなくなって。自分でも驚くぐらいスペシャリストになってました。鏡を見なくても入れられるようになって。
岸田 “入ります!”みたいな感じで?
柳澤 そう。前は鏡を合わせ鏡にして場所を確認してたのに、もう無しで、片足上げてスッと。
まるで男子みたいに(笑)。
私、立ちションしてみたかったんです。女性って絶対できないじゃないですか。でも、このシステムだとそれが可能になるんですよ。
岸田 なるほど、プロに到達すればそうなる(笑)。
そして闘病後の写真がこちら。フェスでの1枚ですね。すごく楽しそうです。
柳澤 はい。ライジングサンロックフェスティバルです。2016年、ONE OK ROCKが来たんです。
退院したばかりで、私、ONE OK ROCKがずっと大好きだったので、「絶対に生でこの歌を聴くまで生きる!」って決めていたんですよ。そしたらちょうど退院後すぐの8月に出演が決まって。
岸田 偶然にしては出来すぎてますね。
柳澤 本当に奇跡みたいで。行けた時は涙が止まらなくて、「生きてて良かった」と心から思いました。
岸田 バナナを食べている写真を選んだのは……栄養補給の瞬間だったんですかね(笑)。
柳澤 そうです(笑)。あまり写真を撮っていなかったので、当時のものがこれしかなくて。
岸田 いやいや、素敵な一枚です。ありがとうございます。
【家族(パートナーと子)】
岸田 ここからは、家族について伺っていきたいと思います。パートナーの方にはどう伝えられたのか、そしてお子さんにはどのように伝えたのか──そのあたりを教えていただけますか。
柳澤 当時、夫は私が病院に行く前日に出張で道外に行ってしまって、家にいなかったんです。だから電話で「こういうふうに言われた」と伝えた程度で、あまり夫には詳しく話せていませんでした。ほとんど事後報告に近かったと思います。
岸田 パートナーのサポートで、「これは助かったな」と感じたことはありますか。
柳澤 ……無いです。
岸田 (食い気味ですね)ちょっとフォロー気味に言いましたけれど(笑)。してほしかったことなどはありますか? 例えばお見舞いで持ってきてほしかったものなど。
柳澤 言い出したらきりがなくなるので……。
岸田 そうですね。このテーマだけで30分終わってしまいますね。色々お察しします。
岸田 お子さんにはどういうふうに伝えましたか。
柳澤 私が直接言ったのか、母が言ったのか、少し記憶が曖昧なんですが……。「おなかに悪いものができて、取らなきゃいけないから入院するね」というような伝え方だったと思います。
岸田 お子さんたちは、その時どんな反応でした?
柳澤 たぶん、よく分かっていなかったんじゃないかなと思います。
岸田 あれから7年。今はもう小学生ですよね。
柳澤 はい、5年生です。
岸田 今は、お母さんが“がんだった”ということは認識しているんですか。
柳澤 「ママもがんだったんだよ」と話すと、「え、そうだったの?」という反応はします。でも、子宮を取ったということなどは、まだ深くは理解していないと思います。
岸田 術後の子育てで大変だったこと、工夫したことなどはありますか。
柳澤 もちろん大変でしたけれど……むしろ、日々の子育てが忙しかったおかげで、必要以上に感傷的にならずにすんだ部分もあったと思います。ずっと気持ちが沈んでしまう人もいると聞いていたので、日常が強制的に戻ってきたことが、結果的に良かったのかもしれません。
岸田 ご家族の中では、ご両親やご姉妹との関係もあったと思います。お姉さんがいらっしゃるんですよね。
柳澤 はい。東京に住んでいます。
【家族(親・姉妹)】
岸田 ご両親については、最初にお父さんへ伝えて「おまえそれ、がんだぞ」と言われたり、お母さんが病院に付き添ってくださったり──色々と支えてくださったと思います。お姉さんにはどのタイミングで伝えたんですか。
柳澤 姉には、「もしかしたら、がんかもしれないんだ」と、かなり早い段階で電話していましたね。普段からよく連絡を取り合っていたので、自然な流れで伝えられたと思います。
岸田 ご家族のサポートの中で、「これは本当に助かった」と感じたことはありますか。
柳澤 一番ありがたかったのは、子どもたちの面倒を見てくれたことですね。入院中も、受診の時も、両親がしっかり支えてくれて、本当に助かりました。
【妊よう性】
岸田 ここからは、佳奈さんと切っても切れない「妊孕性」のお話について伺っていきたいと思います。妊孕性というのは、子どもを授かる力のことですが、佳奈さんの場合は手術で子宮を摘出されています。その点についての説明は、当時しっかり受けていましたか。
柳澤 はい、しっかり説明はありました。
岸田 「今後、子どもを授かることができなくなる」という説明を受けた時、どのように感じましたか。
柳澤 当時は、双子を育てるので精一杯で、「もう一人欲しい」とかは特に考えていなかったんです。でも、いざ“産めなくなる”と分かった瞬間に、失うと思うと取り戻したくなるというか……。その時は本気で、「もし今妊娠していたら、出産と同時に子宮を取るという方法は無理なんですか?」と聞いたくらいで。もちろん現実的じゃないし、私のエゴなんですけどね。でも、“失くす”と分かった途端に、もう一人産んでおけばよかったって、すごく思いました。
岸田 そういう気持ちは、すごく自然だと思います。先生からは「治療を優先しましょう」という言葉だったんですよね。
柳澤 はい。もちろん、そんなに都合よくいくはずもなく、治療が最優先だと説明されました。
岸田 そして、皆さん気になるところだと思うので伺いますが……広範囲の全摘手術をすると、いわゆる夜の営みは、どうなるのでしょうか?
柳澤 普通です。そこは特に問題ないです。膣の奥のほうは縫っていて「袋とじになっている」と説明を受けましたが、膣自体は1~2センチほど切除して短くなってはいるようです。でも筋肉なので伸びる、と先生は言っていました。
岸田 聞くところによると、「濡れにくくなる」という話もありますよね。そのあたりはどうでしたか。
柳澤 私は卵巣を残せたので、女性ホルモンが出ているからか、特に問題はありませんでした。卵巣がない方は症状が出る場合もあると聞きますし、精神的な影響も大きいかもしれませんね。
岸田 人によって全然違いますよね。こういう話、医療者に相談しにくい場合は看護師さんに聞くのも良いと思います。
柳澤 本当は、もっと医療従事者のほうから踏み込んで説明があっても良かったんじゃないかな、とは思います。患者側からは聞きにくい話ですし。私はまだ先生に聞けたほうですが、夫のほうはもっと分かっていなかったと思います。だから、パートナーだけに説明する時間を設けるとか、そういうサポートがあったらいいのにって、今は思います。
岸田 きっと旦那さんも、陰でめちゃくちゃググってる気がしますけどね。
柳澤 いや、どうでしょうね(笑)。
【仕事】
岸田 では次に、お仕事について伺っていきたいと思います。事務職を短期でされていたという話がありましたが、その後のお仕事はどうされていたのでしょうか。
柳澤 補足すると、短期の仕事を2カ月ほどした後、今の会社に就職したんです。10月・11月に短期、そして年が明けて1月に今の会社へ。その10カ月後くらいにがんが分かって。パートだったので「辞めるつもりです」と社長に伝えたんです。1カ月半は休まなきゃいけないし、迷惑が掛かると思って。
岸田 そこは気を遣いますよね。社長さんは何と?
柳澤 「ちゃんと治して戻ってきて。待ってるから」って言ってくださって。本当にありがたかったです。
岸田 素敵ですね。その後の仕事復帰は、治療が終わってすぐですか?どれくらいの期間で戻られたんでしょうか。
柳澤 手術のあった2月は中旬まで入院していて、その後、2週間くらい休んで。3月1日から復帰しました。最初は時短で、2時間だけとか、負担が少ないように調整しながら。社長が「身体がまだ戻っていないだろうから自由に調整していいよ」と言ってくださって。
岸田 寄り添ってくれる職場なんですね。ちなみに、先ほど話に出ていた“ジャンプして大量出血”という出来事は、復帰後の話なんですか?
柳澤 いえ、それはがんと告知されて入院する前の出来事です。就職した年の12月でした。
岸田 なるほど。会社のみなさんが待ってくれて、手術後2週間ほどで復帰し、少しずつ通常の勤務に戻っていったということですね。
柳澤 はい、そうです。
【お金・保険】
岸田 ありがとうございます。では次に、お金や保険のことについて伺っていきます。治療にあたっては、やはり費用の問題も大きいと思うのですが、保険やお金の面はどのように対応されたんでしょうか。
柳澤 私の場合は、主人の家族型の保険に付随して入っていて、本人ががんになると100%給付、家族が診断された場合は60%給付という仕組みでした。あとは、自分で加入していたコープ共済と合わせて、その2つで賄った形です。
岸田 ある程度カバーできました?給付額ってどれくらいだったか覚えてますか。
柳澤 主人が診断されると100万円だったので、私はその60%で60万円だったはずです。あとは入院日額が5,000円の女性コースに入っていたので、プラスで1万円くらい出ました。手術給付金もありましたね。結果的には結構出たと思います。
岸田 治療費自体はそれでほぼ賄えた感じですか。
柳澤 はい、治療費は。でも、それ以外で色々かかるじゃないですか。
岸田 確かに、高額療養費制度で治療費の上限はあるけれど、生活の周りの費用や実費は別ですもんね。
柳澤 そうなんです。例えば、出血を止めるための“縫う手術”があったんですが、あれは保険の対象外で、手術費用が普通に10何万円かかりました。しかも、縫ってもらったものを2〜3週間後に全部取るんです。手術費用15万円払って、すぐまた取るって……ワイルドすぎません?自分でも金の話ばっかりして、金の亡者みたいになってる気がして(笑)
岸田 いやいや、お金の話はめちゃくちゃ大事ですから。普段なかなか話せないことだからこそ、がんノートで扱っているだけで、誰もそんなふうに思ってないですよ。大丈夫。
柳澤 本当に思いましたよ。1カ月もないうちに本手術が決まっているのに、止血だけで10何万。それで保険も出ないって。え……って。
岸田 それはきついですね。でも、止血しないと危険だから、やらざるを得ない。
柳澤 そうなんです。あの時は、あれをしないと本当に命に関わるって言われて。だから、必要経費とは分かっていても、気持ち的には複雑でしたね。
【辛い・克服】
岸田 では次に、「つらさの克服」について伺いたいと思います。佳奈さんがこれまでの中で、一番つらかったタイミングというのは、どの時期でしたか。
柳澤 本当に術後ですね。精神的に“悪いループ”に入ってしまっていた時期が、一番つらかったです。
岸田 悪いループ、というのはどのような状態だったのでしょう。
柳澤 子宮を失ったことをはじめ、とにかく悪い方向にばかり考えてしまって。「なんで私が」「私、何か悪いことしたのかな」とか、ずっと自分を責め続けるような感じで……すさんでいました。
岸田 その状態から、どうやって抜け出していったんでしょうか。
柳澤 やっぱり、いろんな集まりに参加して、人の話を聞いたり、自分の気持ちを聞いてもらったりしたことが大きかったです。それから、臨床心理士さんの存在が本当に救いでした。
岸田 臨床心理士さんが付いてくださっていたんですね。
柳澤 はい。旭川厚生病院にいらっしゃる臨床心理士さんなんですが、がんと告げられた時、私がソファのところで大泣きしていたんです。そしたら看護師さんが「こういう方がいるので呼びましょうか」と声をかけてくださって。その心理士さんが来てくれたのが最初です。そこからずっと、寄り添って支えてくださいました。最初から最後まで、本当に助けられました。
岸田 そうだったんですね。病院によって多少違いはあると思いますが、今見ている方の中にも、心理士さんのサポートが受けられる環境にある方は多いと思います。そういう支援があるというのは、心強いですね。
柳澤 本当にそう思います。
【後遺症】
岸田 続いて、後遺症についても伺いたいと思います。先ほどお話のあった左足の腫れや、自己導尿のことですが、自己導尿は最終的に今はもう大丈夫なんでしょうか。
柳澤 はい。半年くらいでやめられました。
岸田 半年ほどで、自然と機能が戻ってくるものなんですか。
柳澤 多分、神経が徐々に戻ってきて、残尿がほとんど無くなったタイミングで「もう大丈夫ですね」と言われました。
岸田 他に、今も続いている後遺症ってありますか?
柳澤 リンパ浮腫があります。さっきのコンパートメント症候群とは全然別で、リンパ節を取ったことで足がむくみやすくなるんです。私の場合はそこまで重症ではないと思うんですが、着圧タイツを履いたり、足をケガしないようにしたり、虫刺されに気を付けたり、日常のケアが必要です。
岸田 今もリンパ浮腫の症状は感じるんですね。
柳澤 はい。浮腫みを感じることは多いです。
岸田 しかも、着圧ソックスって高いんですよね。
柳澤 そうなんです。3割負担にはなるんですけど、普通の黒いタイツの何倍もします。
岸田 そのケア用品も、ずっと買い続けないといけないわけですもんね。
柳澤 はい。一生続きます。リンパ節はもう戻らないので、悪化させないためのケアを続けるしかない。正直、「これが一番面倒くさいな」と思うところです。
【反省・失敗】
岸田 反省や「もしあの時こうしていたら…」という思いについても伺いたいと思います。不正出血があった時にすぐ病院へ行かなかった、など、思い当たることはありますか。
柳澤 あーー……ありますね。最初に大きめの出血をした時、あの時すぐ受診していれば、もしかしたら子宮を温存できたのかな、という気持ちはあります。もちろん本当のところは分かりませんが。
その時受診しなかったので、結果的に初めて診てもらうまで9カ月空いてしまったんです。その9カ月で何が変わったかは分からないけれど、先生には「とても進行の早いがんで、もし11月に来ていなかったら、あと2~3カ月遅かったら危なかったかもしれない」と言われました。
岸田 そう言われると、なおさら色々考えてしまいますよね。
柳澤 本当に。だから余計に「じゃあ最初の出血の時に行っていたらどうだったんだろう」って思ってしまうんです。もしかしたら取らずに済んだかもしれない、って。
ただ、今振り返って強く思うのは、「何かおかしいと思ったら、すぐに病院へ行くべき」ということです。自分で“様子を見る”必要なんて全くなかった。あの時の自分にも、これからの誰かにも、それは伝えたいです。
【医療者へ】
岸田 皆さんも、何か違和感があれば必ず病院を受診していただきたいと思います。では次に、「医療者への思い」というテーマで伺います。感謝の気持ちや、逆にもう少しこうしてほしかったという点など、何かありますか。
柳澤 本当に……私は助けていただくことしかなかったので、文句なんて一つも無いです。
岸田 助けてもらった中でも、例えばさっきのお話にあった“叱咤激励”のような強い言葉で支えてもらったことや、臨床心理士さんがついてくれたことなど、良かったと感じたことは何かありますか。
柳澤 やっぱり一番は、臨床心理士さんがずっと寄り添ってくれたことです。そして、主治医の先生も本当に素晴らしかった。すごく忙しい方で、外来は何時間も待つような状況なのに、私が納得するまで何度でも説明してくれたんです。
手術の必要性、術式の理由、術後の見通し……不安で同じ質問を繰り返してしまっても、嫌な顔を一切せず、丁寧に、時間をかけて向き合ってくださった。「納得できなかったらまた来てね」と言ってくださるような先生で。
岸田 本当に素敵な先生ですね。ありがたい。
柳澤 はい。大好きです。命の恩人なので、一生ついていきたいと思っています。
【CancerGift】
岸田 では次に、「Cancer Gift」について伺います。がんによって失ったものや大変なことはたくさんあったと思いますが、あえて“得たもの”を挙げるとすれば、どんなことがありますか。
柳澤 敢えて言うと……まず一つは、父親との和解です。ずっと、確執というほどではないかもしれませんが、心の距離があったんです。同じ家に住んでいても、どこか溝のようなものを感じていました。でも、私ががんになったこと、そして父も2年前に腎臓がんを患っていたことがあって、変な言い方ですけど、“がん友”みたいな、不思議な連帯感が生まれたんです。
父が私に対して抱いていた気持ちを、その時に初めて知ったというか……「ああ、こんなふうに思ってくれていたんだ」と気付いた瞬間、今までの色んなことが許せるようになりました。「もういいじゃないか、全部」と思えるようになったんです。
岸田 お父さまとの関係が、そこをきっかけに大きく改善したんですね。
柳澤 はい。そしてもう一つは、やっぱりAYAshipの仲間に出会えたことです。
岸田 患者会のメンバーとの出会いですね。
柳澤 はい。よく話しているんですが、病気にならなかったら絶対に出会わなかった人たちなんです。もちろん、「なって良かった」なんて絶対に思いません。でも、もし自分ががんになっていなかったら、あの仲間たちに会う機会もなくて、こんな関係性も生まれなかった。それは本当に大きいですし、心から支えられていると感じています。
【夢】
岸田 では次に、佳奈さんの「夢」について伺いたいと思います。何か、今思い描いている夢はありますか。
柳澤 夢……というか、やりたいことは色々あります。真面目な夢としては――。
岸田 ぜひ、真面目な夢からお願いします。
柳澤 真面目な夢は……あれ? 何だっけ……。
岸田 言えへんのかい(笑)。
柳澤 本当に今ど忘れしちゃって……あ、そうだ。グリーフケアです。
岸田 遺族のケアですね。
柳澤 はい。グリーフケアを学びたいと思っています。
岸田 その理由を伺ってもいいですか。
柳澤 やっぱり自分が病気を経験して、仲間の中でも何人かを見送っています。そのたびに、「あの時自分にもっと出来ることがあったんじゃないか」「どう寄り添えば良かったんだろう」と、色々考えさせられました。
柳澤 また、周りでも大切な人を亡くした方や、動物を亡くして深く傷ついている方がいて……残された人が抱える痛みって、本当に大きくて重いものだと思うんです。私自身も癒される経験をしてきたので、改めて学び直して、そういう方々に寄り添える人になれたらと思っています。今、真剣に勉強したいと考えているところです。
岸田 とても素敵な夢だと思います。自分が支えられた経験を、今度は支える側として生かしていきたいということですね。
柳澤 はい。私もたくさん支えていただいたので。
岸田 ちなみに、真面目な夢があるということは……真面目じゃない夢も?
柳澤 真面目じゃない、というほどではないんですけど……ボイストレーニングに通いたいんです。
岸田 ボイトレ?
柳澤 ホイットニー・ヒューストンみたいに歌えるようになりたいんです。
岸田 それも素晴らしい夢ですよ。全然アリだと思います。
柳澤 上手に歌えるようになったら、ここで披露したいと思います。
岸田 ぜひお願いします。がんノートナイトで「ホイットニー・ヒューストン特集」なんてテーマ、やってみても良いかもしれませんね。素敵な夢だと思います。
【ペイシェントジャーニー】

岸田 ここまでの流れを踏まえて、佳奈さんの「ペイシェントジャーニー」をまとめたグラフをご覧いただければと思います。画面共有しますね。
岸田 こちらが佳奈さんのペイシェントジャーニーです。最初は、双子のお子さんの幼稚園入園……名前が「双子幼稚園」みたいになってしまっていて、すみません(笑)。幼稚園入園を経てパートを始められています。あ、僕の出欠の修正がバレてますね。
柳澤 大丈夫です(笑)。
岸田 そして不正出血があり、その後も体のだるさや不正出血が続き、個人病院を受診。「がんの疑いがある」と言われたところから道が大きく変わっていきました。
岸田 その後、大きな病院で円錐切除術。検査結果を経て、正式ながん告知。札幌の病院でセカンドオピニオンも受けられています。
岸田 途中、大量出血がありましたが……グラフ上では白色の“ニュートラル”。あまりネガティブに感じなかったんですね?
柳澤 そうなんです。痛みも無くて、「ランチに行ける」と思っていて(笑)。食べてから行こう、という気持ちが勝ってました。
岸田 ランチの力は偉大ですね(笑)。その後、止血手術を経て広範子宮全摘出術。さらに退院が延期になりますが、これはポジティブ方向に振れています。
柳澤 すぐ家に帰るのが不安で……延びたことで安心したんだと思います。
岸田 その後、排尿障害があり自己導尿の訓練へ。途中「ボイコット」もありつつ、最終的には出来るようになって退院。
そして、職場に復帰されたものの、子宮摘出の喪失感は長く続いたと。その後、AYAshipの仲間と出会い、支えられながら現在に至るという流れになります。
岸田 佳奈さん、このペイシェントジャーニーを見て、何か「補足したいこと」「伝えたいこと」はありますか?
柳澤 いえ、しっかり伝えられたと思います。
岸田 ありがとうございます。それでは、ここで寄せられたコメントを紹介させてください。少し延長してしまってすみません。
岸田 あいにゃさんから。「私も子宮頸がんで同時化学療法をしました。生理は無くなったけれど、娘が2人いるのでナプキンは必要で……でも自分は使わないので在庫管理を忘れて切らします(笑)」と。
柳澤 分かります、それ(笑)。
岸田 きょんさんからも「同じく」との声。
「術後の夫婦生活について、パートナーへの別途説明は本当に大事ですね」というコメントも届いています。
また、あいにゃさんからは
「治療費以外にも、子どもの衣食住や入院準備など、とにかくお金が掛かる。生活の全てで“金で物を言わす”ようになるからお金は大事」と。
柳澤 “物を言わす”(笑)。でも本当に、お金に物を言わせます。
岸田 「もっと良い保険に入っておけばよかった」という声もあります。
Sakaideさんからは「がん相談支援センターや心理士さんは、医師・看護師と違う角度から一生懸命寄り添ってくれる印象」というコメント。
岸田 先ほど入院中だとおっしゃっていた“りえさん”へ向けて、「無事に手術が終わりますように」というメッセージも沢山届いています。
「女性は出血に慣れているから、様子見してしまいがち」という意見もあります。
柳澤 確かに、それはあるかもしれないです。
岸田 ゆっこさんから、「ジャンプしたり、ボイコットしたり、翌日飲みに行ったり……驚くことがたくさんあり、新しい気付きがありました」との声。
岸田 そしてりえさんから。「私は出産後から不正出血があり、ホルモンバランスのせいかと思っていました。早く病院へ行けばよかったと後悔しています。子宮頸がん検診は定期的に受けてほしい」と。
当時、佳奈さんは検診どれくらい空いていたんでしたっけ?
柳澤 産後に検診を受けてから、2年半空けてしまっていました。子育てで自分のことは後回しにしてしまって……。本当はダメなんですよね。産後のお母さんたちには、もっと“自分を優先して”ほしいです。
岸田 本当に、自分の体を優先してほしいですね。
【今闘病中のあなたへ】

岸田 ここで皆さんからの質問やコメント、本当にありがとうございます。最後に、佳奈さんから“今まさに闘病中のあなたへ”というメッセージをいただきたいと思います。実際に、今まさに治療中の方もたくさん見てくださっているので、佳奈さんからの言葉をぜひお願いします。
柳澤 私は「自分を信じる」という言葉を書きました。治療の選択にしても、生活の決断にしても、「あの時、こうしていればよかったのかな」「もっと違う選択肢があったのかな」と、後悔したり迷ったりすることってあると思います。とくに、がんの治療では決断の連続なので、悩む場面も多いですよね。
でも、私はずっと“その時の自分が選んだ決断がすべてだし、それが正しい”と信じて進んできました。自分を信じて、必ず元気になると信じて、ここまで来られたと思っています。だから皆さんも、自分を信じて、希望を持って進んでほしいです。はい、以上です。
岸田 本当に、治療には様々な選択がありますが、その選択を「自分が選んだもの」として信じてあげることが大切だというメッセージだったと思います。ありがとうございます。
柳澤 ありがとうございます。
岸田 気付けば90分を大幅に超えましたね(笑)。最初と比べて、だいぶ雰囲気も変わってきたように見えますが、この時間、どうでしたか?
柳澤 楽しかったです。ありがとうございます。
岸田 緊張はもう解けました?
柳澤 はい、そこまでガチガチではなくなってきた気がします。
岸田 よかったです。たくさんのお話を丁寧に聞かせていただけました。
柳澤 つたないところもあったと思いますが、聞いてくださってありがとうございました。
岸田 こちらこそ、長時間ありがとうございました。経験談を共有してくださって、見てくださった皆さんも本当にありがとうございます。
柳澤 ありがとうございます。
岸田 それでは、このあたりで「がんノート Origin」を終了したいと思います。皆さん、次回の配信でまたお会いしましょう。ありがとうございました!
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