目次
- 【オープニング】テキスト / 動画
- 【ゲスト紹介】テキスト / 動画
- 【ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【大変だったこと→乗り越えた方法】テキスト / 動画
- 【メッセージ】テキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:ロイド
【オープニング】
岸田 それでは、がんノートmini、スタートしていきたいと思います。きょうのゲストは、ユミ・ロイドさんです。よろしくお願いします。
ロイド よろしくお願いします。

岸田 早速ですが、ロイドさんのご紹介です。ユミさんは日本のお生まれなんですよね。
ロイド そうですよ。典型的な日本人です。広島出身で、広島弁もよくしゃべる、昔ながらの広島っ子です。ただ、結婚した相手がイギリスの男性だったので、名前がロイドになっているだけで、よくハーフと間違えられます。
岸田 確かに、お名前だけ聞くと勘違いされそうですよね。ありがとうございます。そして現在はドイツ在住で、お仕事は会社の経営をされているとのこと。動画制作や歌、ファッション、そしてネコちゃんが趣味ということで、今ネコちゃんと暮らしていらっしゃるんですね。
ロイド そうなんです。手術が終わって、放射線治療が始まるまで少し期間があったので、そのタイミングでネコを迎えようと決めていたんです。ずっと飼いたかったので。
岸田 ありがとうございます。後ほどぜひネコちゃんのお写真も見せてください。そして、乳がんのステージ1ということで、41歳のときに告知を受けられ、現在42歳。治療は手術、放射線、ホルモン療法を続けていらっしゃる、という状況ですね。
【ペイシェントジャーニー】
岸田 そんなユミさんのペイシェントジャーニーを早速お伺いしていきたいと思います。吹き出しの色などもこのようになっています。そして、ユミさんの感情の流れを見てみると、最初が大きな谷になっていて、その後は比較的ポジティブに過ごされている印象があります。では順を追って伺っていきます。

まず32歳のとき、ドイツに移住されています。これは先ほどのお話にもあったように、旦那さまのお仕事の関係でドイツに移られたということですよね。
ロイド そうですね。主人はアーティストで、声優やナレーターとして活動しているんですが、クライアントの多くがフランクフルトにいたんです。日本やイギリスからでも仕事はできないわけではないんですけど、「近くに住んだほうがいいんじゃない?」と言われてドイツに来ました。縁もゆかりもなかったんですが、気づけば今もここにいます。
岸田 そしてその約9年後、右胸に違和感を覚えたということですね。どんな違和感だったんですか。
ロイド 何かに当たったのかなという違和感で、腕を上げたときに突っ張るような、変な感じがありました。「なんだろう?」と思って自分で触ってみたら、こりこりしたものがあって。そこではじめて「これは変だな」と思いました。
岸田 そこから産婦人科の受診につながったと書かれています。産婦人科で診てもらったんですね。
ロイド はい。レディースクリニックで診てもらいました。私は毎年1回、乳がん検診を受けているんですが、その年もちょうど定期検診が1、2週間後に迫っていたんです。それで、「あ、ちょうどいいや」という軽い気持ちで、右胸のしこりのこともついでに相談しました。深刻さはまったく感じていませんでした。
岸田 その軽い気持ちで相談された後に、検査、生検へと進んだということですね。
ロイド 先生に「フィフティーフィフティーだね」と言われたんです。がんの可能性も、そうじゃない可能性も50%ずつという意味だったんですけど、「そんな簡単に言われても…」と正直思いました。それで詳しい検査が必要だということで生検へ進むことになったんです。
岸田 その生検が、かなり痛かったと伺っています。
ロイド そうなんです。私が受けたところはピストル型の針で組織を取るタイプで、本当にピストルみたいな装置を胸に向けて「パーン」と打つ感じなんです。それを3回。1回目と2回目はまだ我慢できる痛みだったんですけど、3回目がとにかく衝撃的に痛くて。背中まで響くような感覚があって、気づいたら血が流れていました。
岸田 聞くだけで痛そうです。
ロイド なんで3回なのか聞いたら、「角度と深さを変えて打つ必要がある」とのことでした。1回目と2回目でうまく取れなくても、3回目で取り切れるように、ということみたいです。
岸田 その痛い生検を乗り越えた後に医師から電話がかかってきた、と。医師から電話というのは、よくない兆候ですよね。
ロイド はい。忘れもしない木曜日の昼下がりでした。仕事場で紅茶を飲んで一息ついていたら、生検を担当した先生から電話があって、「今すぐ来てください」と言われました。嫌な予感がしたので、「明日じゃだめですか?」と少し伸ばそうとしたんですが、“No.”と即答されて。「今すぐ来てください」と強く言われました。
ロイド その時点で、答えをまだ言われていないのに「これはがんなんだろうな」と、もう半分告知されたような気持ちでした。友人に連絡すると、「気をつけて運転して行ってね」と送り出されて、病院へ向かいました。
岸田 そして、病院で正式な告知を受けたという流れですね。
ロイド そうです。車の中でも「きっとがんだろうな」と心の準備をしていました。病院に着いたら、先生が淡々と「がんですね」と言うんです。涙が出る余裕もないぐらい、頭がついていかないまま、「ああ、やっぱりか」という感覚でした。
岸田 そこで、グレードが2という診断だったということなんですね。
ロイド そうなんです。生検をするとグレードが分かるみたいなんですけれど、そのときの私は無知で、「グレードって何?」という感じでした。ステージは4段階くらいあるという知識はあったんですが、グレードという言葉自体に馴染みがなくて。「ステージとは違うの?」と。
グレードというのは、がんの“顔つき”、どれくらい悪性か、どれくらいアグレッシブかを示すものだそうで、1〜3段階あります。その中で私は真ん中のグレード2と言われました。
岸田 ステージは1だけれど、顔つきとしては真ん中(グレード2)だったということですね。
ロイド はい。この段階ではステージはまだ分かっていなくて、先にグレードだけ「2ですね」と。
岸田 がんの顔つきが分かった、ということですね。そして、このあとユミさん式に少し上向いていく出来事が出てきます。それが「医師から神の声」。…え? 神の声? これは、危ない方の“神の声”ではないですよね?
ロイド 大丈夫なほうの神の声です(笑)。むしろ、この言葉で救われたと言っても過言ではないです。
岸田 どんな言葉だったんでしょうか。
ロイド その先生が言ったのが、“Breast cancer is the luckiest cancer in the world.”。「乳がんは世界で一番ラッキーながんだよ」という言葉でした。
聞いた瞬間は「は?」って感じですよね。がんに“良い”なんてあるの? 全部悪いんじゃないの? って。でも先生が言いたかったのは、乳がんは患者数が多い分だけ、エキスパートも技術も研究も薬も、とにかく揃っている。つまり“戦える武器が多い”という意味で「ラッキー」と言ったんです。
岸田 確かに、乳がんは他のがんよりも開発や研究が進んでいるイメージがあります。不幸中の幸いという言葉に近いのかもしれませんね。
ロイド そうですね。「希望はありますよ」と言われた気がして、その言葉が本当に救いになりました。
岸田 その後、さらに気持ちが上がっていく出来事として「母が日本から来る」。そして一緒にセカンドオピニオンへ行かれたんですね。広島からお母さまが飛んできてくれたんですか。
ロイド はい。私がドイツ、両親は広島。普段から距離がある状態なんですが、がんを隠すことはできないと思って、告知の翌日にSkypeで話したんです。「昨日ね、がんって言われちゃった」と。
母は取り乱しましたけれど、私が医師から“神の声”をもらって勇気づけられていたので、「大丈夫だよ」と伝えました。すると母が「すぐにそっちへ行こうか?」と言ってくれて。
いつもなら「大丈夫、来なくていいよ」と言うんですが、親友から「こういうときは甘えていいんだよ」と言われて、今回は甘えることにしました。「来てくれる?」と聞いたら、「すぐに行くよ」と。
岸田 そして一緒にセカンドオピニオンへ。最初の“神の声”の先生とは別の医師のところへ行かれたんですね。
ロイド はい。神の声をくれたのはヴォルムスの先生でしたが、セカンドオピニオンはハイデルベルグ大学病院で受けました。大学病院そのものが街のように広くて、がん治療の世界的エキスパートが集まっている場所です。
岸田 セカンドオピニオンの結果はどうでしたか?
ロイド セカンドオピニオンでは、まず「右胸に小さながんがあること」、そして「そこまでアグレッシブではない、おとなしいタイプのがんであること」を丁寧に説明してもらいました。さらに、がんのすぐ隣に、小さな影のようなものが見えると言われたんです。
最初のヴォルムスの産婦人科では聞いていなかったので、「それは何なんでしょう? 検査したほうがいいですよね?」と質問したら、「安心材料にもなるから、やっておきましょう」と言ってくれて、追加の検査もしてもらいました。結果、大したことはなく、悪性でもありませんでしたが、セカンドオピニオンに行った意味は本当に大きかったです。
岸田 良性、つまり悪性ではなかったということですね。
ロイド はい。結果としては問題ありませんでした。でも行ってよかったと思います。
岸田 そして、セカンドオピニオンの後、「医師からのエール」という出来事があったと。これはどちらのお医者さんが、どんな言葉をかけてくれたんですか。
ロイド 私は本当はハイデルベルグ大学病院で手術を受けたい気持ちが強かったんです。ハイデルベルグは、がん治療の世界的エキスパートが集まる、患者にとっては憧れの病院なんですね。でも私の場合、比較的初期で、小さくて、おとなしいがんだったので、緊急度が低いと判断されたようでした。
「手術はいつになりそうですか」と聞いたら「1カ月以上先になります」と言われて。ウェイティングリストがとにかく長くて……。やっぱり早く摘出してほしいという気持ちもあったので、地元の病院で手術することに決めました。
そして手術前日、担当医から説明を受けた後、「何か質問はありますか?」と聞かれたんです。そこで私は「乳がんの手術って難しいんですか? 失敗することはありますか? 私はどれくらい大丈夫なんでしょうか」と、具体的な不安をぶつけました。
医者って本来、断言してはいけない立場だと思うんです。「絶対大丈夫」とか「絶対駄目です」とか、そういう言い方は避けるものですよね。でもその先生は、心を通わせるように「大丈夫。失敗しませんから。心配しないで」と、はっきり言ってくれたんです。
岸田 まさに“第二の神の声”ですね。
ロイド そうなんです。医者から「あなたは死にません」と言われたように感じて、心の底から安心しました。がん患者が一番気になるのって、実際そういうところじゃないですか。あの言葉は本当に力になりました。
岸田 そして手術へ。右胸と左胸、どちらも部分切除になったんですね。
ロイド はい。手術はスムーズでした。前日の説明のときに、「左胸にシストがあるので、がんではありませんが、ついでに取っておきましょうか」と言われて。「そんな簡単に?」と思いましたが、「取れるならお願いします」と。両方とも部分切除になりました。
岸田 そしてその後の「吐き気」というのは、手術の影響ですか?
ロイド そうです。手術前日の夜から絶食で、水も飲んではいけないと言われていたので、完全に空腹の状態で朝6時に病院入り。手術が始まったのはお昼で、麻酔から覚めたのが夕方4時か5時頃。丸2日何も食べてない状態だったので、お腹がぺこぺこで。
母が持ってきてくれていたバナナが見えたので、「これなら消化も良いし、少しなら大丈夫かな」と思って少量食べたんです。でも、まだ全身麻酔が抜け切っていなかった。空っぽの胃に固形物が急に入ったことで身体が反応してしまい、吐き気が止まらなくなってしまいました。
岸田 どうされたんですか?
ロイド ずっと、トイレとベッドを往復していました。本当にきつかったです。
岸田 麻酔が抜け切る前に食べる患者さん、なかなか見ないですよ(笑)。
ロイド 本当ですよね。術後、目が覚めた瞬間の第一声が「お腹すいた」でした。今思えば完全に“良い子は真似しないでください”案件です(笑)
なので、これから手術を受ける方に、もしエールを送るようなことがあれば、固形物は食べないほうがいいよっていうのは言っておきたいです。
岸田 多分、日本の病院だと、そのあたりはかなり厳しく管理されているから、同じことにはなりにくいかもしれないですね。
ロイド そうですよね。多分、あのときは温かいお茶くらいにとどめておけばよかったんですけど。
岸田 それは、実際になってみないと分からないですしね。そしてその後、ご自宅に戻られて、お母さまも日本に帰国されるという流れになっていくんですよね。
ロイド はい。退院を許可されたのが、手術から3日目でした。
岸田 まだ痛いですよね、そのタイミングだと。
ロイド まだ全然痛いです。普通に痛いですし、痛み止めも、特別な乳がん用の薬とかではなくて、市販でもよく見かけるイブプロフェンなんですよね。「これ飲んでたら大丈夫よ」と言われて。
岸田 その後、お母さまが帰国されるところで、感情のグラフがまた少し下がっていますが、これはどういうお気持ちだったんでしょう。
ロイド 母は身の回りの世話をするために、1カ月くらいドイツにいてくれたんです。手術して、1〜2週間後くらいに日本へ帰ったんですけど、「いや、まだ、もうちょっといてほしい」という気持ちが正直あって、そのあたりで気分がぐっと落ちています。
しかも、これは全部コロナ禍での出来事なんです。日本とドイツを行き来するのも、病院に通うのも、すべてコロナ禍。普段以上に制限が多くて、母の場合は日本でコロナパスポートを申請して、英語と日本語の証明書を発行してもらって、それを持ってやっとドイツに入れる状態でした。
逆にドイツから日本に戻るときも、48時間以内のPCR検査を受ける必要があって……。そんな手続きが山ほどある中で、「あと1週間延ばして」と私が勝手に言うのは現実的じゃなくて。痛いし、寂しいし、でも延長は難しい。その状況もあって、余計に落ち込んでいました。
岸田 コロナ禍ならではの大変さですね、本当に。そんな中でも、ここからまた気持ちが上がっていく出来事があります。それが「薬物療法の必要なし」という判断ですよね。
ロイド そうなんです。多くの人が「がん=抗がん剤(化学療法)=髪の毛が抜ける」というイメージを持っていると思うんです。ドラマや映画の影響もあるかもしれませんが、私自身も完全にそう思っていました。
だから、化学療法が始まる覚悟はしていたんです。髪の毛も抜けるだろうから、かつらを用意したほうがいいのか、スカーフを巻く生活になるのか……と、なんとなく頭の中でシミュレーションしていました。
でも、手術後に「化学療法が必要かどうか」を判断するとき、先生から「あなたの場合、ちょっとユニークなんだよね」と言われて。「ユニークながんだから、もっと詳しい検査をしないと何とも言えない」と。
「その検査って何ですか?」と聞いたら、エンドプレディクトテストという名前の検査でした。化学療法をするかどうか、判断が難しい“境界線”のような患者さんに対して行うテストだそうです。その検査も先生がすべて手配してくれて、結果が出るまで2〜3週間は待たないといけなかったんですが、その待っている間が本当にしんどかったです。
でも、結果としては「化学療法の必要なし」。その検査結果を聞いたときは、心の底からほっとしました。
岸田 そこからさらに、「やりたいことリスト」というキーワードが出てきますね。
ロイド これは、手術前から書いていたものなんです。「無事に乳がんの手術から生還できたら、これをやる」という“やりたいことリスト”を、5個くらいメモしていました。
その一番上に書いていたのが、「ネコを飼う」でした。
岸田 冒頭でもお話に出てきた、あのネコちゃんですね。
ロイド そうです。ちょうど母が帰った直後くらいに、そのリストの一つ目を実行しました。多分、ホームシックみたいな状態だったんだと思います。1カ月近く身内がそばにいてくれて、世話をしてくれていたのに、急にいなくなってしまって。
しかも、そのタイミングで放射線治療もこれから始まる段階。腕も思うように上がらないし、痛みもあるし、心も体も弱っていて、「家に何か温かい存在がほしい」と思ったときに、自然と「ネコちゃんを迎えよう」という考えにたどりつきました。
岸田 やりたいことリストの一つ目を実行してネコちゃんを迎え、その後、またグラフが少し下がります。放射線治療とホルモン療法が始まっていくわけですが、まず放射線治療はどれくらい続いたんですか。
ロイド 放射線は、全部で28回受けました。月曜日から金曜日まで、平日は毎日通院して、土日はお休み。土日が終わったらまた月曜から金曜まで……というサイクルを続けて、トータルで1カ月半くらいかかりました。
岸田 そのあと、ホルモン療法としてお薬も飲み始めて、といった流れですね。そして次に「リハビリの開始」とありますが、ドイツのリハビリはかなりユニークなんですよね。
ロイド そうですね。ドイツには「がん専用のリハビリクリニック」が各地にあって、いろいろなタイプのプログラムがあります。私の場合は「3週間みっちりコース」で、自宅に戻ってはいけない、3週間ずっと泊まり込みのリハビリセンターに入ることになりました。
岸田 それ、もう完全に合宿ですね。
ロイド 合宿です。本当に。いい意味で言えば「リゾートスパ合宿」みたいな感じでした。
私はかなりエンジョイしました。朝・昼・晩の食事は、栄養管理された温かいごはんがきちんと出てきますし、余暇の時間もいろいろなプログラムがあります。運動やリハビリのトレーニングもありますし、何より、全国から集まったがん患者さんたちと交流してネットワークが広がるのが、とても大きなメリットでした。
岸田 そのリハビリセンターは、病院から「ここに行きなさい」と紹介されるんですか? それとも自分で探す感じなんでしょうか。
ロイド 私の場合は、病院から直接「ここに行ってください」と紹介されたわけではありません。自分で探すことも不可能ではないんですが、がんになったのは初めてですし、そんなにすぐ詳しく調べられるわけでもなくて。
ドイツには「がんアドバイザー」と呼ばれる人たちがいて、医師免許は持っていないけれど、がんに関する制度やサポートについて詳しく相談に乗ってくれるんです。その、心優しい女性のアドバイザーの方が「リハビリという選択肢もあるけど、興味ある?」と提案してくれたのがきっかけでした。
そこから手続きが進んで、3週間コースのリハビリセンターに入ることになりました。
岸田 そして、その3週間のリハビリは自腹ではなく、保険でカバーされているんですよね。
ロイド はい。本当にそうなんです。ちょっと大げさに言うと、財布を持たずに病院へ行っても何の問題もないんですよ。もちろん健康保険カードは必要ですけれど、病院内でお金を支払ったことは一度もありません。すべて保険で賄われます。
岸田 日本とドイツでは、やっぱり仕組みがずいぶん違いますね。手厚いサポート体制だなと感じます。そして、その後はお仕事に復帰され、さらにはフルタイムにも戻られたということですが、ここはスムーズに進めましたか?
ロイド そうですね。ドイツでは、いきなり復帰して「今日から8時間労働」とはならないんです。自分が望めば別ですが、大抵の人は段階を踏んで復帰したいですよね。その気持ちを国が全面的にサポートしてくれるんです。
私の場合は、最初の1週間は「1日3時間労働」でした。その翌週に4時間、その次は5時間……というふうに、ゆっくり時間を増やしていって、最終的に完全な8時間労働へ戻りました。
岸田 段階的に負荷を増やしていけるのは、めちゃくちゃありがたい仕組みですね。
ロイド そうなんですよ。そして、この段階的な復帰期間の給与面のサポートも、リハビリの3週間も、全部保険で賄われます。だから、追加でお金を支払う必要は一切ないんです。
岸田 すごい。治療、リハビリ、仕事復帰まで、全部が一本のラインで支えられている感じですね。日本とは本当に制度が違いますね。
【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 すごい、全然カルチャーショックですね。ありがとうございます。ではここからは、ユミさんが実際に「大変だったこと・困ったこと」を、どのように乗り越えていったのかを伺っていきたいと思います。
ユミさんは、手術の影響で右腕が不便になったこと、そして放射線治療のために毎日病院へ通い、しかもその期間はシャワーも自由に入れない……といった大変さがあったと伺っています。これらをお母さまや友人のサポートを受けながら乗り越えられたということですが、具体的に教えていただけますか?
ロイド 私は右利きなんですけど、ちょうど右胸にがんが見つかってしまって、右脇を切ることになったので、右腕が本当に上がらなかったんです。利き腕がまったく使えない状態でしたね。服を着るのも、髪を結ぶのも難しい。だから、お母さんや友人に、できるところは手伝ってもらっていました。
岸田 利き腕が思うように使えないのは不便ですよね。でも、助けてくれる人がいるって大きいですよね。
ロイド そうですね、本当に支えられました。
岸田 そして、放射線治療。これは毎日、病院に通わないといけないんですよね。ユミさんの場合、冬だったとか。
ロイド はい、ちょうど12月で雪が降ってた日もありました。ドイツは雪国なので……。しかも右腕がうまく使えないから、左手だけで運転する感じだったんですよ。だから、いつも慎重に、ゆっくり運転していました。
岸田 片手、しかも利き腕じゃないほうで運転するのは大変ですね。
ロイド そうなんです。だから本当に慎重に通っていました。
岸田 そして、シャワーに自由に入れなかったという話もありましたよね。放射線を当てるところにマジックで印が書かれて、それが濡れてはいけない、と。
ロイド そうなんです。患部と、マジックで書かれているところは「濡らさないでね」と言われていました。セロテープみたいなもので上から保護はされてるんですけど、念のため濡らさないほうがいいと言われて。
でも、1カ月半の間ずっとシャワーに入らないって、さすがに無理じゃないですか(笑)。だから、上半身のうち、放射線を当てていない部分だけ濡らすようにして、患部は絶対濡らさないように、ごみ袋をかぶって工夫してました。
岸田 なるほど、放射線を当てていないところだけ濡らして、患部は守るという工夫ですね。
ロイド そうです。ちょっと苦労しましたけど、何とかやりましたね。
【メッセージ】

岸田 ありがとうございます。そんなユミさんの、次にいただいているメッセージはこちらになります。
ロイド 私からのメッセージなんですけれど、“Breast Cancer can be overcome!”。これは日本語では「乳がんは克服できる!」という意味です。本当に、この言葉のとおりです。
乳がんと宣告されると、「人生の終わりだ」と感じる方も、きっとたくさんいると思います。でも、乳がん=死ではありません。それは今、こうして私が生きていることが証しです。
絶望に飲み込まれず、絶望感に覆われず、希望を持ってください。「絶対に克服できる」「必ず道がある」と、少しでもポジティブな気持ちを持って臨んでいただければ、手術もきっと無事に、うまくいくと思います。
乳がんは、世界で一番ラッキーながんなんです。だから、気持ちを落とさずに、一緒に乗り越えていきましょう。
岸田 ありがとうございます。主治医の方からもらった言葉を、今度はユミさんが次の方へバトンのようにつないでいく、そんなメッセージですね。
ロイド そうですね。こうしてバトンのように渡っていけば、それだけポジティブな気持ちが広がっていくと思います。
岸田 ありがとうございます。きょうも本当に、ユミさん、ドイツから参加してくださってありがとうございました。
ロイド ありがとうございます。Danke schön.
岸田 Danke schön。
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