目次

※各セクションの「動画」をクリックすると、その箇所からYouTubeで見ることができます。

インタビュアー:岸田 / ゲスト:野口

岸田 では、スタートしていきたいと思います。ライブ配信開始ということで、がんノートorigin、スタートしていきたいと思います。ありがとうございます。パチパチパチ、野口さん、もうちょっと右に来たほうがセンター。

野口 分かりました。

岸田 では、今日のゲスト、野口さんをお迎えして、がんノートorigin、進めていきたいと思います。がんノートoriginは、90分のロングインタビューの番組でございますので、根掘り、葉掘り聞いていきたいと思うんですけれども、まず僕の自己紹介をさせていただければと思っております。

岸田 岸田徹と申しまして、僕は25歳と27歳の時に胚細胞腫瘍という珍しいがんになりました。その経験から、医療情報はお医者さんだったりとか、看護師さんだったり、色んな方に聞いたら教えてもらえるんですけれども、それ以外の情報を、どうやって社会復帰したのとか、恋愛結婚どうするのとか、お金どう工面するのとか、そういった情報というのはあまりなかったので、それを患者さんに聞いたら、結構みんな色んなことを教えてくれて、これをみんなとシェア出来たらええやんと思って、2014年からがんノートというものをスタートしております。

岸田 今日はロングインタビューバージョンなりますので、野口さんの本当に色んな闘病経験、そして、その背景にどういったことが起こったか、お話を聞いていければということを思っておりますので、是非よろしくお願いいたします。

岸田 それでは、野口さんの自己紹介のほうをしていきたいなと思いますので、野口さん、こちら、自己紹介、お願い出来ますでしょうか。

野口 はじめましての方もいらっしゃると思います。野口晃一郎と申します。今、ご紹介いただきましたように、私、男性では珍しい乳がんを発症しまして、今、治療中で、41歳の時に見つかりまして、現在も6年目になりますけども、ホルモン治療というのを続けています。仕事は、フリーライターという仕事をメインに、フリーアナウンサーなど、色々な仕事をしております。今日はどうぞよろしくお願いします。

岸田 お願いします。今日は、実は今月が、乳がん月間ということでもありまして、その乳がんの経験者さんをお呼びしたいなと思った時に、野口さん、男性でも乳がんになるといったところも皆さんにもちょっと知っていただきたいなと思って、野口さんにオファーさせていただいた次第でございます。

【発覚から告知まで】

岸田 なので、皆さん、乳がんは女性だけと思われがちですけれども、男性もなるよといったところを、今回を機に、ちょっとだけでも知ってもらえたらなと思っておりますといったところで、野口さんのこれからお話を色々聞いていきたいと思うんですけど、発覚から告知までについて、お話をお伺いしていきたいということを思っております。

岸田 発覚から告知まで、どうやって野口さんが発覚していったか、まずこちらのフリップをご覧ください。まず、2016年の8月に妻とスリランカ・モルティブ旅行っていう、なんか、もう、凄い。これは、新婚旅行とかではなく、普通に。

野口 ではなく、普通の夏休みを利用して、ちょっと身体を休めたいなと思って。ご存じの方も多いと思うんですけど、アーユルヴェーダっていう、身体をちょっとメンテナンスするものがあったもんですから、それを体験したいと思ってスリランカに行って、モルティブも憧れの海というか。ということで、本当にプライベートの旅行で行ってまいりました。

岸田 プライベートの旅行で。良かったですか?スリランカ・モルティブ。

野口 良いですね。本当に今はコロナでなかなか海外旅行も行けない状況ですけども、そういう日頃の日常のことを忘れる機会にもなったので、思いっきり羽を伸ばしてきました。

岸田 思いっきり羽を伸ばす、大事。そんな中、2016年の10月に左胸に違和感、不安になるっていうことですけど、違和感、どうやって気付いたんですか、左胸。みんな、触診してとか、洗ってる時に気付くとかあるんですけど、野口さんの場合、どうやって気付いたんですか。

野口 多いのは、よく、しこりのような硬いのがあって、なんか違和感があるっていうことが多いと思うんですけど、僕の場合は左胸の乳首だけへこんでたんですね。

岸田 へっこむ?

野口 そうなんです。乳輪というか、その辺りがくぼんでるという言い方がいいのか、そういうふうにえぐれてまして。それ、自分で見つけたわけではなくて、たまたまお風呂に入る時に服を脱いでいて、妻が隣にいたんですけども、あれ、なんか左だけちょっとへこんでないっていう話をして、確かに見比べると左だけ陥没しているような状況で、なんかおかしいよねみたいな。その時の妻の反応は、でもさ、太り過ぎたから、なんかちょっとへこんでんじゃないのぐらいの感じでした。

岸田 太り過ぎたから逆にへこむみたいな。

野口 そう。そんなふうに言われました。

岸田 そこで、確かにちょっと乳輪の辺のところがへこんでる、乳首のとこがへこんでるなっていうのはあって、ちょっと不安になっていったっていうとこですね。

野口 そうですね。思い返すと、なんかチクチクするのが左だけあるとか、極端に左だけ違うとか、そういったことも重なって、なんかちょっと大丈夫かなっていうのは思い始めました。

岸田 その陥没具合ってどれぐらいなんですか。結構な陥没?

野口 本当にめっちゃ陥没してます。今、お写真お見せ出来ないのが申し訳ないですけど、本当に左と右が極端に違ってましたね。よく他の症状とかだと、出血される方とかも、分泌液が出るっていう方もあるんですけど、そういう方もいらっしゃいましたし、私の場合は本当に目に見て分かるくぼみというか、そんな感じでした。

岸田 普通って、しこりってぼこってなるイメージじゃないですか。けど、へこむんですね。

野口 先生の話によると、腫瘍があって、乳管がありますよね、乳首との間に。それがこう、腫瘍が引っ張るというか。そうすると、表面というか、乳首の辺がくぼんでくるっていうような説明を受けました。

岸田 それで明らかに右と左、違うから不安になって。

野口 そうなんです。それで、僕、本当ラッキーなのは、先ほどお話ししたフリーライターをしているということで、地元の新聞社で乳がん特集というのを毎年担当してたんですね。今年も、昨日、本当に昨日出たばっかなんですけど、その担当していて、今度取材があるから、先生にちょっと聞いてみようかということで聞いてみて。

野口 そしたらその先生は、よっぽどないけど、男性の乳がんって結構年配の方が多いんですね、60歳以上の方が。僕、当時、先ほどご覧いただいたように40代前半だったもんですから、よっぽどないけど、心配だったら検査を受けてみたらということで、12月に検査を受けに行ったというような流れになっていったって感じです。

岸田 たまたまお仕事でそういう先生と話す機会があって、ちょっと行ってみたらみたいなところで、乳がんの、これ乳腺外科ってありますけれども、その先生のとこに行ったんですか。それとも、また違うとこ?

野口 その取材してた先生は乳腺外科の先生だったので、もう直接、内科とか、皮膚科とか、色々迷うと思うんですけども、もうダイレクトに乳腺外科に行って、僕も初めての経験でしたけど、かなりアウェー感半端ないって感じ。

岸田 そうですよね。乳腺外科行ったら、もちろん、乳がん、女性も多いですし、なんかあれだから、乳腺外科、女性ばっかりじゃないですか。

野口 まれに奥さんの付き添いで旦那さんがいらっしゃるっていうこともあるんですけど、本当、見渡す限り女性の方で、今はもう無いですけど、昔聞こえたのは、なんであの人、男の人で、1人でいるのみたいな、どうしても聞こえてくるので、なんか居場所が無いなみたいな、そんなのはありましたけどね。

岸田 それで自分で受診して行って、その時に、その後、マンモグラフィーの検査とありますけれども、一通り検査をしていった感じです?

野口 そうです。本当にこれは女性の皆さんと同じように、胸を挟んで、検査をして。あと、もちろん腫瘍の検査というか、そういうのもして、やりました。

岸田 腫瘍の検査。マンモグラフィーってよく痛いって言うじゃないですか。どうでした?

野口 女性の気持ちが分かりました。痛いというか、胸を挟みつけるので、その締め付けるところが痛いなっていうのは気持ちがわかりました。

岸田 あれって一瞬で終わるんですか。それとも、何分もずっと締め付けられるんですか。

野口 そんな何分もじゃないですけど、本当にレントゲン検査と一緒で、撮り終わったらまた解放されるので。ただ、それを、角度を何角度からか撮るので、どうしても多少時間はありますけど、そんなに痛いのがずっとっていうのではなかったですけど。

岸田 ただ野口さんの場合、そんな女性のようには膨らみが。男性の場合ってどう?それでも。

野口 本当大変だと思います、寄せて、寄せてというか。僕、あまり言いたくないんですけど、多少あったもんですから、ちょっと挟めました。

岸田 そうなんですね。それでも、寄せて出来たっていう。

野口 そうですね。

岸田 そして、マンモグラフィーの検査は終わっていきます。その後、次のスライドではこんな感じ。乳がんの宣告を受けていくというふうな形。その後、もう直ぐ、乳がんの告知、受けてたんですか、野口さん。

野口 最初、検査を受けに行って、これはあんまりこういうネットで話していいのか分かんないんですけど、その取材して先生が、「ちょっとさ、ちょっと見せてもらっていい?」って、なんか結構シビアな感じで聞かれたので、これはちょっとただ事じゃないのかなみたいなのを感じて。

野口 検査の結果はどうしてもずれて出ますよね、診察の時にはというか、受けに行ったときは検査結果出ないじゃないですか。僕、何となくちょっとよぎって、先生に、これ間違いないなと思ったので、こう数字を出したんですね。

岸田 先生に? 自分から?

野口 先生にこう。これ何かという、ステージ、これ?みたいな。先生も診断出てないから言えないけど、先生がさりげなく、というのはありました。

岸田 ちゃんとした検査をしないと、確かに。とか、生検とかしないといろんなことは分からへんから、あくまでも見立てで、言葉であれやから、手で。

野口 そうです。で、検査終わって、生検の検査も出て、改めて先生から、乳がんだったよっていうのは宣告はありました。

岸田 乳がんだったよって言われたときの野口さんの心の心境っていかがでしたか。

野口 最初は驚きも勿論あるんですけど、一方で、ちょっと踏み込んだ話になると、早く見つかったら助かるがんっていうのも取材を通じて知っていたので、早期で、全身への転移が無いといいなっていう希望もあったので、そこはちょっと冷静になって、昔だとがんイコール死みたいなイメージがあったと思うんですけど、決してそうじゃないよっていうのを言い聞かせてるような自分がいたのは、ふと思い出します。

岸田 そこを自分に言い聞かせながら、その後、妻への告知っていうことがありますけど、奥さんと一緒に病院に行ったとかじゃないですね。

野口 最初の検査の時は自分で行きました。その後の検査結果を聞く時だったかな?一緒に行ったのかな。

岸田 じゃあ、その一緒に聞いた時に、もう一緒に告知されていったっていう感じ?

野口 その辺の記憶が、もう忘れちゃって。ただ、妻にどうやって言おうかっていうのは、凄い考えてたのは覚えてます。なんでかというと、彼女の場合、周りに、がんの人が多くて、自分の父親も胃がんで亡くしてるので、そういうがんに関して凄い色んな複雑な思いがあったと思うんですね。ましてや、僕が乳がんの特集を取材している時も、

野口 僕、妻に乳がん検診受けに行ってきてねって言ってた立場の人が、あんた、乳がんじゃんみたいな。だから、そういうがん家系じゃない人が、がんになって、しかも、それが乳がんっていうことで、どうやって伝えたら良いかなっていうのは色々悩みました。

岸田 それ悩んで、その結果としてはどう言ったんですか。

野口 もうあんまり覚えてないんですけどね。でも、見つかったよっていうのと、あと、幸い、当時のその最初の診断ではステージ1だったので、早期発見だから、取り除いて、元気になる可能性が高いから、一緒に頑張って行こうねみたいなことを声掛けたのは覚えています。

岸田 奥さんをあまり心配させないように、気を遣って、ちゃんと情報共有したっていうことですよね。

野口 そうですね。2人とも落ち込んでるとなかなか前に進めないので、僕のほうがブレないようにというか、落ち着いてお話し出来るようにっていうのは努めたような記憶はあります。

岸田 ありがとうございます。そして、次の項目に行く前に、色々コメントをいただいておりますので、読んでいきたいと思います。

岸田 よしさん、こんにちは。今日も楽しみです。トヨダさんもこんにちはと。やまやさん、ジツハラさんもこんにちはといただいております。kameさんもよろしくお願いしますと、クボさんもよろしくお願いしますといただいております。よしさんからは、左乳首が陥没、痛みとか何もなかったのでしょうか。痛みは無かった?どうです?

野口 全然痛みは無くて、さっきお話ししたチクチクっていうのはあったんですけども、それは先生が言うには、直接的ながんの影響ではないとは思うけどとは言ってましたけども。

岸田 痛みは特に無くといったところ。ジツハラさんから、男性乳がんってどれぐらい珍しいんでしょう。希少がんとかになりますかね。あまり聞いたことないし、仕事の縁で受診出来たと思うけど、なかなか男性で乳がんってピンと来て、病院行こうってならないですよねっていう感じですけど、どれぐらいの発生率とかあるんですか。

野口 国立がん研究センター、岸田さんもよく関わりのある所が統計を出してると思うんですけども、全体で9万6000人とかぐらいのうちの、率で言うと0.6パーセントぐらいっていうふうに言われてまして、1パーセントを切ってるんですね、患者の中で。じゃあ、人数にしてどれぐらいかというと、年間600人ぐらいの方が日本では罹患しているということなんですね。

岸田 600人?600人なんですね。けど、日本で600人ということは、そうなのか。

野口 でも、それが毎年累積なので、今年600人、来年また600人だと、1200人、1800人、2400人、どんどん増えていくので。

岸田 しかも、さっき野口さん、おっしゃったように、ちょっとご高齢の方のほうが多いんですか。

野口 みたいですね。65歳以上の発症の方が比較的多いというふうに言われています。女性の場合は40歳代とか、AYA世代の方も悩んでらっしゃる方も多いと思いますけど、男性は比較的高齢の方が発症するという統計が出てるそうです。

岸田 そうなんですね。ありがとうございます。シバタさんも、野口さん、こんにちはだったりとか、やまやんさんも、男性はマンモで挟めるお肉なく、更に痛そうですっていうご返答もいただいております。ありがとうございます。

野口 痛いつながりだと、さっきの乳腺外科の視線もまあまあ痛い、ダブルで痛いというか。

岸田 心がちょっとね。メンタルがえぐられてくる的なね。確かに。

野口 今は全然慣れましたけど、大丈夫ですけど。

【治療から現在まで】

岸田 ありがとうございます。もし皆さん、聞きたいことあったらチャット欄からまたいただきたいとか、感想もいただけたらと思います。ありがとうございます。では、ここから治療に入っていくと思うんですけど、どんな治療をしていったか、そして現在までをお伺いしていきたいなということを思っております。

岸田 まず、治療として2017年2月から手術を行われていくといったところ、センチネルリンパ節転移とありますけれども、こちらはどういった手術していったんでしょうか。

野口 男性の場合、女性に準じて手術をするということだったんですけど、私のがんの性格とか色々含めて、左胸を切除するということをしました。感覚としては、先生の説明を受けたときは、おまんじゅうありますよね、おまんじゅうの中のあんこが筋肉だとして、その筋肉をパカって割って、あんこを取るというのは、筋肉を取って、また皮をつないで閉じるというような、そんな手術をしました。

岸田 ホーー、ていうことは、それって全摘になるんですか。全摘にはならない?

野口 全摘ですね。左胸は全摘なので、今、左胸はなくて、縫い目だけあるという感じ。

岸田 じゃあ、そのあんこの中身っていうか、そこにがんがあるからそれを全部取ってというふうな。

野口 そうですね。例えば塊1個だけだったらいいんですけど、周りにばって散らばることもあると思うで、そこはもう、男性の場合、女性だとどうしても温存とかっていう選択肢も考えないといけないと思うんですけど、男性だからっていう言い方が適切ではないと思うんですけども、女性より象徴的っていう意味では多少ハードルが低いというか、そういった形で切除してっていうことです。

岸田 切除で、女性にはちょっと聞きづらいから、もう野口さんにちょっと聞いちゃうんですけど。

野口 いいですよ。

岸田 そん時って、全摘の方って、ビーチクあるじゃないですか。ビーチクさんはどうなるんですか、あれは。

野口 無いです。結局、三日月というか、葉っぱのような形で切り抜くので、ちょうどそれが乳首と重なっていて、そこをピュって取って、繋ぎ合わせるというか、貼り合わせるというか、なので、乳首は無いです。

岸田 乳首は無くなるんですね。

野口 ただ、これは本当に余談なんですけど、アメリカに色々行く患者と交流する機会があって、そういう色んな最新のお話を聞いていると、乳首の再生っていって、この辺の皮膚をちょっと移植して、乳首風の形を再建するっていうのもアメリカではあるそうです。

岸田 そうですよね。女性も入れ墨的な、なんかそういう医療的なやつをやったりだとかされる方もいらっしゃったりだとか、そういうところってだんだん変わってきてるんだなっていうのは確かに思ったりとかしています。ありがとうございます。センチネルリンパ節の転移ってありますけれども、これは。

野口 リンパって体全身に流れてますけど、岸田さんもよくご理解があると思うんですけど、この型というか、繋ぎ目のところに堰みたいな、堰止めみたいな、センチネルリンパ節というのがあって、ここをいっぱい越えちゃうと全身にその腫瘍が行ってしまうという。

野口 僕の場合は、その堰止めのところに数個たどり着いていて、もしもほっとくと全身に行ってしまうということで、左腕のリンパを切除して、全身に転移しないようにということで、そういった手術も同時で行いました。

岸田 ということは、その場所だけじゃなく、リンパにも転移してたってことで、ステージ1ではなくて、自己紹介にあったように、2とかなってくるわけですね。

野口 2のAという、2Aというランクがあるそうなんですけど、リンパを取ったということで、最終的には2Aという診断でした。

岸田 そこからリハビリ開始されていくという形ですけど、手術だけで野口さんの場合よかった感じ?抗がん剤治療とかは?

野口 そうなんです、乳がんっていろんなタイプがあるんですね、4タイプぐらい。あと、がんの顔つきとかよく言われますけど、僕の場合は、抗がん剤をやっても、やらなくても、そんなに影響が変わらないっていうタイプで。むしろホルモンの調整をしたほうが、女性ホルモンが多いということで、それの調整をしたほうが良いということで、ホルモン治療を続けているという感じですね。

岸田 野口さんタイプはやらなくても大丈夫だったってことですね。

野口 そうですね。あと放射線も、僕の場合は全滴しているので放射線治療もなくて、今もホルモン治療、6年目になりましたけど、これ、今、10年、最大続くことになるので、まだまだ半ばです。

岸田 ホルモン療法は続けていって、毎日飲むんですよね。

野口 そうなんですよ。朝に錠剤は1個飲むんですけども、それを続けたり。あと、どうしても、先ほどお話ししたリンパを取ってるので、重いものとか持つと、リンパ浮腫って、ちょっと膨れ上がってしまうこともあるので、マッサージしたり、なるべく左手を無理しないように、リンパを取ったほうを負荷掛けないようにとか、そういうのは心掛けています。

岸田 その後、手術を終えて、リハビリを開始していくと。このリハビリはどういうリハビリですか。

野口 リハビリは、本当に体力の回復と、あと、先ほどお話ししたリンパのマッサージとか、そういったことが主でしたけども。でも、リハビリ開始といっても、僕、入院中から仕事の原稿を書いていたので、それも既にリハビリと言っていいのかどうか分からないですけど、そんなようなのを3カ月ほど、ちょっと休養をもらって、過ごしてました。

岸田 休養をもらってですけども、手術自体、入院自体はもう1週間ぐらい?

野口 10日間ぐらいだったんですけど、ドレーンってあるじゃないですか、体に付けている。あれが取れないと退院出来ないということで、日本の場合ですけど。ていうことで、その取れるタイミングを見てたら、10日ぐらいでしたね。入院してました。

岸田 入院してと。で、3カ月ぐらい、療養も含めて。そして、社会復帰していくと思うんですけど、そのときに、アメリカの患者会、MBCCを知るってあるんですけど、MBCCってなんですか。

野口 これは、メール・ブレスト・キャンサーコーディションという略なんですけども、要は男性乳がんの患者の会というような意味の会がアメリカにありまして、なんでアメリカかということなんですけど、岸田さんも実はメンバーとお会いになってるんですよね。

岸田 僕もアメリカの学会行った時に、たまたまなんですけれども、その学会にそのMBCCさんがブース出されていて、そこで色々交流してたら、日本に野口さんっているの知ってる?みたいな感じで聞かれて、そっからですもんね、野口さんね。

野口 そうなんですよね。実は、これ、2017年ってありますけど、当時、男性乳がんについて、インターネットも普及してましたので、検索をして、情報を得たいと思うじゃないですか、全く知らないので。全然なくて。妻、たまたま英語の仕事を、司会とか、通訳とかしてたので、英語で検索してくれたんですね。

野口 メール・プレストキャンサーとか、そういう検索で。そしたら、そのアメリカの患者の会に辿り着いて。で、コンタクトとってもらって、丁度、4月にそういう集まりがあるから、もしも良かったら来なよっていうのも言っていただいて。僕、先ほどお話ししたように、2月から5月ぐらいまで休養をもらってたので、休養中でしたけど飛んじゃいました。

岸田 大事。やっぱね、情報なかったら、他どうしてるのかって、めちゃくちゃ気になりますしね。

野口 そうなんです。本当に当時。昨日、僕、何気なく男性乳がんって検索したんですね。もう今は本当に沢山の記事がいっぱい検索出来たので、本当、この6年間でだいぶ変わったなって思うんですけど、当時はそれが本当に全く皆無で、女性の乳がんしか検索出来なかったので、本当に当時としてはもうすがる思いというか、そういう男性の乳がんの情報がここに行けば何か得られるかもしれないという思いで渡米したのを覚えてます。

岸田 僕もそうですよ。僕は、当時、性のことですごく悩んで、情報が無かったのでこのがんノートもスタートして。そうすると今は、日本がん生殖医療学会って学会も出来てますからね。

岸田 そして、その次のスライド、こちら。さっき言ったMBCCに初参加していきます。参加してどうでした?

野口 そうですね、周りに男性の乳がん患者がいなくて、初めて、アメリカ人でしたけども、会って、一人じゃないんだなっていう、居場所があったというか、何気ない会話でも、こういうことで悩んでるんだねとか、こういうことを手術したんだねとか、話すだけでちょっと心が和むというか、柔らぐというか、そういったのは今でも覚えてますね。

岸田 そうですよね、どれぐらいの人が参加されたんですか、その時は。

野口 当時は、患者自体は20人から30人ぐらいで、あと、がんの研究をしている先生がたとか、色んなソサエティのスポンサーとか、そういった方々を含めると100人規模の感じで、会場を借りて、そういう学会みたいに何とか発表みたいなものもあったり、夜はパーティーやったり、結構盛大でした。

岸田 一人じゃないんだということをその時に分かって、そして仕事復帰していくと。2018年3月、術後1年で何も異常は無かったということで、少しホッとしたという感じですかね。

野口 そうですね。やっぱり、どうしてもこういう皆さんそうだと思うんですけど、発症すると検査っていうのは大事だと思うんで、乳がんも漏れなく1年おきにマンモグラフィーと、あと、そういうPETとか、そういうような検査あるんですけど、そこの直前はちょっとブルーな気分になりますけど、検査結果出たら、また1年更新させてもらったっていうような感じですね。

岸田 そうですよね。もう一年一年、更新していく感じですよね。

野口 本当そう思います。

岸田 そして、その次、2018の4月にメンズBC、男性乳がんの集まりに初参加とありますけど、これは日本?

野口 そうなんです。NPO法人でキャンサーネットジャパンっていうところがあるんですけども、そこが男性乳がの集まりの会。BCっていうのはブレストキャンサーなんですけど、男性の乳がんの会というような感じで、そういうサロンを開いていらっしゃったんですね。

野口 私も新聞とかテレビでそういうのあるのを知って、周りからもこんなのやってるらしいよという情報をくださって、その4月に第2回のそのメンズBCの会があって、そこで初めて参加しました。

岸田 参加してみてどうでした?

野口 アメリカで参加した時と同じで、日本でもこうやって悩んでらっしゃる方がいるんだっていうのと、身近でそういう人に出会えたっていうのも、ちょっと安心感というか、安堵感って言った方がいいんですかね、ちょっとそういったところはありました。

岸田 そしてその後に、MBCCのメンバーと再会とありますけど、これもまたアメリカ渡米したってこと?

野口 そうなんですよ。初めてから3回3年連続で渡米したんですけど、これ、2年目。

岸田 すげえ。

野口 メンバーと会うというのが、同窓会じゃないんですけど、近況報告も含めて、元気?とか、そういうのも含めて、ちょっと旅行も兼ねて。ちょうどこの時はニューヨークでみんな集まるということで。

野口 ちょっと恥ずかしいんですが、アメリカって凄いオープンで、裸でPRするんですね。要は、みんな傷口が、さっきの話、あるじゃないですか。その傷をわざとオープンにして、そういう専用の車もあって、そこでなんかパフォーマンスというか、記念写真撮って、男性も乳がん、なるからっていう啓発を行うっていう。

岸田 それは、アメリカでは男性乳がんの啓発月間、もしくは啓発週間みたいなのがあるんですか。

野口 僕もあんまり明るくはないんですけども、ただ、アメリカでビヨンセっていうシンガー・ソングライター。

岸田 ビヨンセさん、いらっしゃいますね。

野口 ビヨンセさんのパパ、お父さんが乳がんになったということで、全米中で結構注目を浴びて、そこからまた一気に注目されるようになったんですけども。なので、その意識は少しずつ広がってるんじゃないかなっていうのはあると思います。

岸田 ありがとうございます。そして、2019年の4月に、次は定期検診でまた異常無しという結果になっていったというふうなことですね。

野口 はい。

岸田 また更新していって、その後、2020年2月、特別養子縁組ということで、今、お子さまがいらっしゃると言ったら変ですけれども。

野口 今、2歳半の子が。もしかしたら、このYouTube見てるかもしれないですけど。2歳半の女の子がいます。

岸田 見てますかっていうね。またこの話も後でお伺いしていきたいと思います。その後の遺伝子検査陰性という、遺伝子検査もされたんですよね。

野口 そうですね。保険適用になったもんですから、それを機に受けてみようかということで、受けてみました。

岸田 これについても、遺伝子検査でどうでしたかっていったところも、後での項目でもいろいろ触れていきたいと思います。ありがとうございます。

岸田 そんな中で、ちょっと野口さんの闘病前と、闘病のさなかの時、闘病後のお写真いただいておりますので、ちょっとこちらご覧いただければと思います。まず闘病前のお写真になります。海外回ってますね。

野口 回ってますね。岸田さん繋がりで結構色々あるんですけども、僕らも会社辞めて世界一周に行ってきたんですけど、その後もいろいろチャンスを見て海外に行って。これはのイタリアのローマで、たまたま僕がちょっとローマで取材があって、その時に妻も便乗して、一緒に来て、撮ったというような写真です。

岸田 お隣は奥さまですかね。

野口 そうです。

岸田 凄い。やっぱ美人の。

野口 すみません、お恥ずかしいです。

岸田 いやいや。因みに、奥さまとどういったきっかけでお知り合いになったんですか。その世界一周?旅ですか。

野口 世界一周は結婚してからなので。結婚したきっかけは、友達の結婚式の2次会。すみません、ベタで。

岸田 いやいや。ちゃんとそういうのに出席するって大事ですね。そこで意気投合してといったところで、世界も回られてといったところ。

岸田 そしてその後、闘病中の写真がこちらになります。闘病中のお写真、出ますでしょうか。こちらですね。ありがとうございます。これが闘病中。もう車いすになってるのは。

野口 これは、もう手術に行く直前ですね。

岸田 行く直前ね。

野口 タイツ履いているのが多分分かると思うんですけど、もうここから運ばれてっていう感じの直前です。

岸田 ここから運ばれてって、歩いて行くパターンじゃなかったんですね、手術室に。

野口 僕は車いすで運ばれて、そのままベッドで寝て、何かカウントが始まって、10も経たないうちに寝てました。

岸田 僕も車いすとか乗るのかなと思ったら、何気にずっと歩かされて、ベッド台行くのも自分で歩いて上って。あれ、10秒経つの結構耐えませんでした?耐えてない?普通にしてた?

野口 普通に数を一緒に数えたんですよ。1、2、3とかって。で、7ぐらいから全然記憶がなくて、起きたら、知ってる先生、取材してた先生で、「野口さん、終わりましたよ」とか言って、え?終わったの?みたいな、そんな感じでした。

岸田 本当にそんな感じですよね。僕も出来るだけ耐えようと思ったんやけどな。僕も、7、8ぐらいで自分の記憶無くなってたなって思います。

野口 身体が素直なんじゃないですか。

岸田 ありがとうございます。で、左上がその手術後ですかね。

野口 そうですね。最初は、1時間、2時間で終わるってことだったんですね、左胸を取るだけで。で、リンパを取るということになって、4時間ぐらいになったそうなんですけど、それで妻もちょっと心配、なんか全然出てこないしみたいな。で、出て来て、ちょっと安堵したような顔なんだろうなと思います。僕は全然記憶にないので。

岸田 左下が、入院中のさなかにちょっとお二人撮ったという写真ですね。

野口 そうですね。切除してるので、高熱が何日か続いてたので、ちょっとボーとしてますけど、その入院中の写真です。

岸田 ありがとうございます。そして退院後の、その後の現在に至るまでのお写真がこちらになります。はい、ありがとうございます。

野口 先ほどお話ししてた。

岸田 凄いですね。この下の人たちが男性乳がんのアメリカの方たち。

野口 そうですね。MBCCっていう、ちょうど横断幕の所に、メール・ブレストキャンサー・コーディションって書いてあると思うんですけど、そのメンバーでピンクの。これも提供のネクタイなんですけど、ピンクのネクタイして、バンダナみたいなして。

岸田 結構壮観ですね。これ、もしかして左から2人目の人が野口さん?

野口 そうですね。ちょっと小さく見えますけど。みんな、身体、大きいんですよ、アメリカの人。

岸田 みんな、大きいですね、確かに。

野口 大きいんですよ。もうちょっと埋もれちゃうぐらいの感じの。

岸田 これを、みんな、上半身裸でネクタイしている人たちがニューヨークとかでパレードというか、歩いたりとかして、啓発してるの?

野口 歩きはしなかったですけど、こういうちょっと観光スポットなんかで裸になって。これはちょうどカンザシティっていう所なんですけど、そこでパフォーマンスをしたっていうような写真です。

岸田 凄い。日本やと逮捕されるかもしれないですよね、分かんないけど。

野口 まず、する人がいないですよね。見世物なのみたいな感じで、どうしても隠したいじゃないですか。ここ、ちょっと今日、話してないですけど、プールとか温泉とかは、どうしてもちょっと隠しがちなので。

岸田 野口さんはどうしてるの?温泉とか、そういった所はもうオープンにしてる?

野口 いや、あのー、腕組みしてますよ。腕組みっていうか、はい。

岸田 腕組みしてね。

野口 そう。

岸田 どうしても見られるっていうか、なんかで視線をね。

野口 自分の自意識過剰的な部分だと思うんですけど、何となくそういうのはありますね。

岸田 そして、右上の写真がお仕事の写真っていうふうな。

野口 そうですね。ちょうどカメラ、一眼レフもあったりしてますけども、そういう活動を続けてます。

岸田 すごい。そのお仕事の写真が、こんなおしゃれな所で、すごいおしゃれな処で

野口 日頃は事務所とか、そういう所も多いので、ここはたまたま綺麗な会場でした。

岸田 こうやってもう仕事もしながら、入院中もちょっと書きながらされていたという、そんな野口さんでございましたと、そういった形になります。ありがとうございます。ちょっとコメントも読ませていただきつつ、より詳細のことをお伺いしていきたいと思います。

岸田 術後、今、まさにありましたね。温泉に入る時など、胸の傷は、周りの目など、抵抗はありませんか。まさに今の話、質問が。

野口 そうですね。あとプール。昔、スポーツクラブでプール行ってたんですけど、止めちゃったっていうのはあります。行けばいいだけ。最近、ただ、Tシャツとか、パーカーとか着れるので、そういった意味ではだいぶ緩やかになったなと思います。

岸田 そしてナツミさんからは、一人じゃないと思えると心強いですねっていう言葉もいただいてます。

野口 ありがとうございます。

岸田 ゴウさん、一年一年がドキドキしますよねっていうこと。交流しみて、男性乳がんのかたがたの悩みってどういうことが多かったですかという質問いただいています。どうですか。

野口 ありがとうございます。本当、これ、人によってで、例えば、就労っていう、本当、女性と、他の患者さんと同じで、再就職とか、就職に悩む方もいらっしゃったり、あと副作用ですよね。どうしても抗がん剤の副作用で、どうしたらいいかっていうので悩んでいらっしゃる方もいるし。

野口 基本的に女性と同じような治療方法なんですけども、なかなか女性の会に男性一人でぽっと行ってっていう、気持ちも、勇気もあるので、男性の中でそういう情報交換したいって方もいらっしゃいますし、本当にそれぞれに悩みを抱えていらっしゃる。

野口 あと、ここに来られる方は、多分、ごく一部だと思うんですよね。たまたま妻がTwitterとかで情報発信しているので、どういうところにお話聞いたらいいですかとか、どういうふうに治療してますかとか、そういったのも直接に聞いてくださる方もいるので、なんか情報を求めてるんだなっていうのはよく感じます。

岸田 ありがとうございます。そして、マックさんが、乳がんは手術後にホルモン剤の投与をよく聞きますが、男性の場合は必要なかったという感じですかということですけれども、ホルモンされてますよね。

野口 治療として錠剤を飲むっていうのは、コントロールをするっていうのはしてますね。

岸田 なので、男性もホルモン剤というものは必要な、タイプにもよると思いますけれども、なってくるということだと思います。遺伝子検査、詳しく聞きたいですということもいただいておりますし、アッコさん、私も手術室まで長い廊下を歩きましたって、歩きパターンだったりとか。

岸田 あと、ホルモン剤治療とのことですが、KOさんから、やはり骨粗しょう症や関節痛の症状はありますかということですか、ホルモン剤のそういった症状ってあったりとかしますか。

野口 これ、1回、毎年8月にがん研でキャンサーフォーラムっていう大きなイベントあって、僕、骨粗しょう症の検査を受けたんですね。そしたら、凄い数値が高くて。高いっていうのは、密度がしっかりしてるっていう。それは逆の副作用というか。

岸田 逆?

野口 要は、骨粗しょう症の方に投与している薬と同じような働きをする成分がホルモン剤にも含まれているので、だから濃度が高いんだよっていうのを先生から聞きました。

岸田 そういう副作用。

野口 医学的なことは僕もあまり言えないですけど。

岸田 もちろん。

野口 そういったのを聞きました。逆のことはあったなっていうのはあります。ただ、中には、よく更年期障害で症状が出るホットフラッシュとか、そういったので悩んでる方もいらっしゃるので、本当にこれは人によってまちまちだなっていうのは思います。

岸田 ありがとうございます。さっき野口さんからおっしゃっていただいたように、医療情報に関しては、本当に皆さんの主治医だったりとか、がん情報サービスとか、しっかりした情報を見ていただければと思います。我々は、あくまでも一つの経験談と思って聞いていただければと思います。

岸田 まさしく夫唱婦随ですねっていうコメントもいただいています。漢字が、僕、お伝えできないので、後でコメント欄見といてください。日本語がまだまだ下手くそなんで、すみません。

【家族(パートナー)】

岸田 そんな中で、より詳細に項目ごとに聞いていきたいと思います。そんな中で、次、家族のことについて聞いていきたいと思います。

岸田 まずパートナー。奥さんにどういうふうに告知しようか悩まれたっていうお話ありましたけれども、その後、奥さまがサポートしてくださったと思いますけれども、どういうサポートが嬉しかった、もしくは、もうちょっとこうして欲しかったなっていうのあったりとかしますか。

野口 まずは本当に感謝ですよね。僕のがんを見つけてくれたのは妻のお陰なので、その発見がなかったら、多分、進行が進んで、遅れてたかもしれないし、今日、こうやってこういう場でこういうふうにお話し出来てたかどうかというのも分からないので、まずは感謝ですよね。

岸田 本当に見つけてくれて、行ったらあったもんね。そういったところもあって。

野口 そうですね。その後は、常に一緒にいるので、本当にお互い健康は大事だよねっていう気付くきっかけにもなったり。あと、睡眠時間とか、1日の過ごし方とか、人生の生き方っていうのも、この病気をきっかけに2人で考えるようになったので、そういった意味でもいい天気になったというか、一病息災で、この病気をきっかけに健康面も、もう生活の仕方も、だいぶ変わったなっていうのは思います。

岸田 健康的にお互い過ごそうっていうふうな、意識変わっていったってことですね。

野口 そうですね。あと、家族の時間っていうのが何よりも優先されるというか。どうしても、岸田さんもそうだと思いますけど、仕事に追われるとそっちに持ってかれがちだと思うんですね。

野口 あと、削るとこどこっていうと、睡眠時間削ったりとか、どうしても犠牲にするところが多いと思うんですけど、それではまた同じことを繰り返してしまうので、家族の時間とか、睡眠の時間とか、自分にとって大事な時間を優先順位上げてっていうようなことは努めています。

岸田 ありがとうございます。本当、睡眠時間とか削っていくと、もろ身体にダメージ来ちゃいますからね。

野口 なんか、この前、記事見たら、大谷投手いらっしゃいますよね、アメリカの。10時間睡眠って言ってました、書いてありましたよ、新聞記事。

岸田 10時間?

野口 どうやって10時間取ってるんだろう。移動の時間も含めてって書いてありましたけど。睡眠大事なんですよ、多分。

岸田 大事ですね。彼の場合はすごく身体を酷使するから、その集中力も高いかもしれないですけども睡眠、しっかり僕も取るようにっていうのは心掛けてます。ありがとうございます。

【家族(親・兄弟)】

岸田 そして、その後、次、家族の中でも親や兄弟のことについてもお伺いしたいんですけれども、今、パートナーの話はちょっとお伺いしましたけど、どうですか、ご両親、もしくは兄弟に、どういうふうにがんの告知しましたか。

野口 まず親については、普通に見つかったということを伝えた後に、幸い早期だったので、何とかなりそうだというような、先ほどちょっとお話ししたようなことと重なりますけど、安心するような言葉を掛けました。

野口 あと、妹がいるんですけども、妹にも伝えて、あと、男性がなるってことは女性がなる確率もあるので、ちゃんと検診受けてねっていうことを伝えたり。今、100歳の祖母がいるんですけども、当時94歳ぐらいですかね。には、心配を掛けたくないので、何も言わずに、今も伝えてないですけども、そういったふうに家族によってちょっと、伝えた、伝えないとか、伝え方を変えたりとか、そういうことはありました。

岸田 そうなんですね、ただ、100歳のおばあさまがググったりとかすると、野口さん出てくるわけですよね。

野口 流石にググれないので、そこは安心して。ただ、本当、幸い、新聞とかテレビとかで取り上げてくださることがあるので、そういう時は、その新聞に触れないように、その日だけちょっとそのページを抜くとか、そういうことはあります。

岸田 余計心配させちゃうから、ちょっと配慮してってことですもんね。

野口 そうです。

岸田 妹さんは、そういうことをお伝えしたら、検診とか行ってくださったんですかね。どうなんでしょう。そこら辺は分からない感じ?

野口 はい。受けてくださいっていうことで。

岸田 皆さんも、ちゃんとがんの検診とか、そういったところ、必要な方は、ちゃんと適齢期の方を受けていただければと思います。じゃあ、家族からも、もう少しこうしおけば良かったなとか、そういったところとかは特に大丈夫ですかね。

野口 そうですね。あと家族に絡んで、例えば友達とか、同僚とか、そういった方々も、僕、SNSで一応公表したんですね。ちょうど同時期、本当に同じ時期に舌がんを発症した方が、ちょうどSNSで、実はこういう病気が見つかって、手術することになりましたっていう。

野口 僕、そのメッセージを見て、受ける影響って大きかったんですね。何が大きかったかというと、自分の健康しっかり気をつけないといけないっていうことを思ったので、僕もそれを見た直後にSNSで、実は乳がんが見つかって、明日手術することになりましたみたいな。

野口 それを書いて良かったと思うことがあって、女性の友達からなんですけど、男性がなるなら女性はもっと気をつけなくちゃいけないから、検診に行きますっていうコメントを幾つかいただいたんですね。それだけでも発信した甲斐があったというか、そういうのは思いました。

岸田 そういう発信して、誰かの目に付いて、ちょっと意識を、そういう検診だったり、色んな健康に向けてもらうって大事ですよね。

野口 本当そう思います。先ほどからお話しありますけど、早期で僕、見つかりましたけど、早期発見だと治療の選択肢も増えるし、その予後も全然違うと思うので、本当に検診から、もしも仮に見つかったら、そういった形で大事な命を守れるって意味では、大事なのかなっていうのは思います。

【妊よう性】

岸田 ありがとうございます。そして、その次に妊孕性のことについてもちょっとお伺いしたいんですけど。妊孕性って、子どもを作る能力のことを妊孕性と言うんですけれども、野口さんの場合って手術だけだから、あとホルモン療法か。妊孕性っていうのは影響とかってあるんですか。どうなんだろう。

野口 僕自体は妊娠する能力は無いので、何とも言えないですけど。ただ、これは他の先生もおっしゃったんですけど、性欲減退というか、もう全然その気にならないっていうのは確かにあって。

岸田 それは、ホルモン療法の影響?

野口 そうですね。ホルモン剤の影響でみたいな。ただ、その因果関係はちょっとハッキリは言えないですけども。でも本当にね、変な話、全くそういう気力も無いというか、全く関心が湧かないというか。さっきのMBCCって、アメリカの患者さんに、妻がその患者さんの奥さんに聞くわけですよね。うちの旦那、全然そういう気持ちにならないんだけどみたいな。うちもそうよみたいな、そういうのも何人かあって。

野口 ただ、先ほどお話ししたように、ホルモン剤とそういう性欲減退が直接的な因果関係があるかどうか僕も分からないですけど、少なくともそういう人は何人もいたっていうのはあると思います。

岸田 例えばですよ、例えば、もう1週間、7日のうち7日、性欲バンバンになったら、その7分の1ぐらいになるのか、それとも、もうそれ以下なのかとか。

野口 365分のゼロっていう感じ。

岸田 まじで?

野口 だから、もう本当に。

岸田 全然じゃないですか、もう。

野口 もう何だかって感じですけど。そうすると、そういう夜の営みもなくなるということは、妊娠する確率っていうのは愕然と減りますよね。妊孕性とはちょっと話はズレますけど、そういうチャンスを逃すという意味では、なんかちょっと心配かなっていう。

野口 あと、妻の気持ちの落ち込みというか、配慮してくれますよ。心配してくれるというか。そうすると、そういう夫婦間のそういう関係というのもちょっと配慮がより必要になるかなっていうのは思いました。

岸田 そこの関係がそれでぎくしゃくしてしまう可能性もありますからね。そうなんや、全然。いやあ、ホルモン療法。皆さん、見てくださっている方は、あくまでも野口さんのケースですからね。

野口 そう。

岸田 人によって絶対個人差はあると思いますのでといったところで、ありがとうございます。そして、その次のお話にちょっとお伺いしていきたいと思います。

【仕事】

岸田 その次は仕事のことですね。野口さん、入院中もカタカタしてたということだったりとか、あと、3カ月後ぐらいにしっかり復帰していったということですけれども、野口さんの場合、フリーランスっていうふうな形ですよね。

野口 色々な仕事をしているんですけど、メインはフリーランスで、あと、大学で色々広報の仕事とか、今、授業を持ってるんですけど、その大学のほうは3カ月間、完全にお休みをさせてもらって。フリーの仕事は、ポツン、ポツンって感じで、それもリハビリを兼ねてというのも含めて、やってました。

岸田 これに関しても、お仕事、フリーランスだと、クライアントにだったりとか、所属してる色んなところに言うっていうのはどうでした?抵抗はなかったでした?

野口 それが、幸い皆さん理解してくださって、本当にその期間はゆっくり治療に専念して、その後でいくらでもまたやってもらうからっていうふうに言っていただいて。ただ、一つ、地元の新聞社で、レギュラーの、毎月1回投稿する特集誌面を担当してたので、それはもう取材だけ先に手術前にやり終えといて、書くのは後からでも書けるので、なるべく外部に行かなくても済むように準備はしてたっていうのもあります。

岸田 治療前に準備をしといてっていったところはあったりとか。なかなかフリーランスの方って、自分の仕事が無くなるかもしれないとか、そういった懸念とかもされるのかなと思いますけれども、野口さん場合は問題なかった。

野口 本当にもう皆さんに感謝というか、まずは治療に専念してっていうふうに言っていただいたのは、気持ちの面でも大きかったですよね、そっちに集中出来たので。

岸田 じゃあ、もう3カ月後復帰したら、もうそこから徐々にまた仕事を増やしていってみたいな形ですかね。

野口 そうですね。こういう言い方が適切かは分からないんですけど、待ってましたみたいな感じで皆さん声を掛けてくださって、また元に戻りつつという感じ。

岸田 体力面は問題なかったですか?

野口 最初、術後1、2カ月は本当に動くのもちょっとしんどい時もあったので、そこはしっかり睡眠取りながら、徐々にウオーキングしたりとか、ちょっと運転したりとか、そういったので慣らしつつっていうのはありましたけど。

岸田 徐々に慣らしていって、完全に体力復活したのってどれぐらい?1年後ぐらい?

野口 どうですかね。ただ、術後2カ月でアメリカ行ってますから、そういった意味では。

岸田 アクティブやったわ、この人。

野口 大丈夫だったんじゃないかなって。

岸田 動ける部分に大丈夫だって。

野口 主治医の先生も凄いオープンっていうか、明るい方で、良いんじゃない?行ってきてとか、そういう感じだったので、そういうのも背中、押してくれたかなっていうのはありますね。

岸田 ありがとうございます。あと、フリーランスの方っていうのは今後増えていったりとか、今も色々増えてると思うんですけど、その方々が、がんと宣告されて、今後、お仕事、不安になるっていったところあると思うんですけれども、野口さんがその方に、もし、今、フリーランスの方だったりとかが、がんなったら、お仕事面ではどういったアドバイスをするとか、あれば。

野口 適切なお答えになるか分かんないですけど、まずは不安にならないことだと思います、本人が。どうしても、今、お話しあったように、こっから休む分、毎月、幾ら分どうしようかとか、そういう不安っていうのはどうしても出てくると思うので、僕の場合、あくまで僕の場合ですけど、日頃から何かあってもいいようにストックは作ってあるんですね。

野口 もしも、例えば半年働けなくなった場合にちゃんと生活出来るような貯金というか。もうされている方も多いと思うんですけど、そういった安心、とにかく安心材料を増やすっていうのが、元気な時からやっておくのが良いんじゃないかなと思います。

野口 あと、仕事の取引先とかの信頼関係というか。がんだからもうお願い出来ないね、ぶち、じゃなくて、ちょっとだけこっちも我慢するから、また元気になったらお願いねっていうような信頼関係を築いておくのも、日頃からしておくと良いのかなというのは思います。

岸田 信頼関係だったりとか、あと、何かあった時の備えたというふうなところですね。ありがとうございます。そして、次のセッションに行く前に、色々コメントもいただいておりですので、ちょっとコメントを読ませていただきたいと思います。

岸田 お久しぶりですというクロちゃんさんが、入院10カ月、手術を7回やりましたということだったりとか、kuboさんも、睡眠時間、絶対大事ですよねだったりだとか、男性も全摘だと腕が上がらないものなのですかと。私は術後初めての冬を迎えますと。傷口の痛みどうですかといただいているんですけど、どうしょう。

野口 腕上がる、上がらないは、僕の場合、幸い上がるほうだったので、それはラッキーだと思います。

野口 傷口に関しては、まだちょっと、みみず腫れみたいなのがあって、たまにちょっと痛みがあるというか、6年経ってもそういう状態なので、中々そこはねえ、まだ解消されてないところもあります。

岸田 なので、腕上がる、上がらないって、多分、どういった所を手術して、どうかとか色んなことにもなると思うので、野口さんの場合は上がるほうだったといったところですね。ありがとうございます。そして、マックスさんも、家族の応援は嬉しいんですねと。

岸田 私も、がん宣告された時、妻からのひと言でポジティブ思考に変われましたっていう、パートナーの言葉ってほんと大事だなっていうことが分かります。で、性欲減退というのは、朝勃ちとか、刺激のあるものを見ても全く反応しないということでしょうかということですけれど、どうなんですか。AV見ても反応しないんですか。

野口 見ても反応しないし、まず見るっていう動作にならないですね。だから、もうシャットダウンみたいな感じの。

岸田 朝勃ちはする?しない?

野口 うーーん、記憶にないというか、トイレに行きたければそうかもしれないけど。ただ、そういう生理現象は別として。

岸田 そういう気持ちが起きないっていうことですよね、そうか。じゃあ、最新の女優さんの話には付いていけない感じになるんですね。

野口 はい。すみません。申し訳ないですが、付いていけないです。

【お金・保険】

岸田 全然大丈夫です。そんな中で、次の形、お金、保険というふうなところ。さっき、蓄えが大事ということではありましたけれども、治療費として実際どれぐらいお金がかかったのか。そして、もし民間の保険など入られていたら、そういったところ、どれぐらい出て、どういうふうに活用したかとか、ちょっとお伺い出来ますか。

野口 まず手術に関する費用は、高額医療費制度を利用したので、マックスの10万のところの範囲で色々出来たんですけど、治療費は、僕、抗がん剤治療とか、放射線治療をしていないので、ホルモン剤は月に大体、平均すると、月というか、2カ月分で出るんですけどで、5000円ぐらい。6000円ぐらいとしたら、月3000円ぐらいの負担。

野口 ただ、年1回検査があるので、検査は3万から5万ぐらい。そのときの検査によって違うんですけど、どうしてもその1年1回の検査は保険適用でも費用がかかるのもあります。

野口 あと、先ほどの保険なんですけど、僕、共済年金っていう、都道府県がやっているのは入っていたんですけど、がん保険は入ってなくて、入院に関するその費用は出ましたけど、多少。生命保険自体は入ってなかったです。

野口 ただ、これ、あまりオープンにしていいのか分かんないんですけど、家をリフォームした時に住宅ローンに入ったんですね。

岸田 おーー、マジか。

野口 その時にオプションでがんっていうのもあって、僕、がん家系じゃないから全く興味が無かったんですね。むしろ心臓のほうをちょっと注意したほうが良いって言われてたので。そしたら、保険を加えても、今はサービス期間というか、利率が変わらないっていうことだったんですよね。

野口 オプションを付けても、付けなくても、利子率に変わらないから、断然入ってたほうが良いですよっていうふうに銀行の方から勧められて、利率変わらないんだったら入ったほうが得なので、そのがん特約に入ったんですね。あとは皆さん想像のとおり、利用出来まして。なので、今、手術後の生活で、住宅ローンに関わる部分の負担は減りました。

岸田 おめでとうございます。おめでとうございますって言うのか分かんないけど。

野口 左胸が犠牲になってくれたっていう感じです。

岸田 本当に。だって、僕、もうそういう団信とか、そういうローンとかも入れなくなっちゃったのであれですけど、そういうことあっても良いと思います。ちゃんとしっかりその選択をして入られたといったことなので、住宅ローンが、がんと宣告されたりとかすると、チャラになるようなものもあったりだとかして、それがなったという。それはみんな、本当、祝福だと思う。

野口 それは本当に、がんになるって、もう2人に1人なので、だったら宣告される前に、出来ることはやっといたほうが良いかなというのは、経験談として思います。

岸田 けど、大体、利率変わりますけどね。

野口 そうなんですよ。

岸田 負担が増えたりするんですけどね。

野口 そういう意味では、それもラッキーでした。

【遺伝子検査】

岸田 本当凄い。その銀行さん、皆な教えて欲しいぐらいだと思いますけど、多分、そうすると色々なんなると思うので、ちょっとね。その中で、次の話を聞いていきたいと思います。

岸田 遺伝子検査といったところで、最後、遺伝子のところ、最後の闘病のところで遺伝子検査しました、それで陰性でしたとありましたけれども、そこについてお伺いしたいんですよね。遺伝子検査、どれぐらいお金がかかってだったりだとか、どういった検査をして、どういうふうに陰性と分かっていったのか、ちょっとお願い出来ますか。

野口 まず遺伝子検査自体は、これ、また医療的な話になるので、しっかりそういったサイトを見ていただきたいとは思うんですけども、血液を採取して、特定の遺伝子に変異があるかどうかというのを調べるという検査で、その特定の遺伝子に変異があると、乳がんになったりとか、男性で言うと前立腺がんとか、そういったふうのリスクがあるという、遺伝子の変異を調べるということですね。

野口 その費用的なこと言うと、今は保険適用なんですけど、当時、20万から40万ぐらいっていう風に言われていたんですけども、保険適用が2020年4月からそういうふうになって、色んな対象者がいるんです。

野口 こういう乳がんのタイプの方とか、何歳以上とか。その中に男性乳がんという項目もあったので、今年の4月に受けました。僕の場合、3割負担なので、20掛けるの3割で、6万円はかかったんですけども、メリットもいっぱいあると思います。

岸田 例えば?

野口 先ほどお話ししたように、厳密なことを言うとBRCAという遺伝子が悪さをする可能性があるというんですけど、それが例えば身体中にあると、その遺伝を伴って身体にあるとすると、どこでがんが勃発するか分からないっていうリスクが生じると思うんですね。

野口 それが陰性ってことは、少なくとも遺伝子によるがんっていうのはリスクは少ないっていうことで、例えば、治療法が変わってくるとか、そういうことにも影響すると思いますし、あと親族。このBRCAって遺伝性が非常にあるので、親族に、例えば、おじさんとか、おばさんとか、そういった方にも乳がんの方がいたら、自分にもリスクがあるので、そういった意味では、そういった検査をすることで、自分も影響が有るのか、無いのかっていう、一つの目安になるのかなというのは思います。

岸田 野口さんの場合はそれが陰性で、そういう影響は受けないというふうなことが分かっただけでも、今後、何かの時の治療法っていったところでもっていうことですよね。

野口 そうですね。先ほどもお話ししましたけど、安心感って意味では、一つ、それを、安心を買うというか、そういう感じだったと思います。あと、先ほどMBCCの話もしましたけど、アメリカに飛んで、一番初めに言われたのが、「遺伝子検査した?」っていうふうに言われるんですよ。アメリカで、結構、遺伝子検査ってもう主流というか、もうスタンダードな感じで。

野口 日本は、先ほどお話ししたように、当時は保険適用外だったので、なかなか20万、40万っていう大金をはたくっていうのはちょっと勇気が要ることだったんですけども。なので、その数年間は受けてない状況でしたけど、繰り返しなるんですけど、安心したいっていう。それでもしも陽性だったら、陽性なりの治療を考えていくということも出来るので、良かったなと思います。

岸田 ありがとうございます。安心をちゃんとするっていったところで、聞いてる皆さんは、全員が全員、こうやって遺伝子検査を保険適用で受けれるっていうわけではないと思いますので、しっかり主治医の方だったり、いろんな方に聞いてもらえたらということを持っております。

岸田 疾患が限られていたりだとか、このタイミングでっていうのがあると思いますので。野口さんの場合は、それで対象でもあったといったところで、遺伝子検査を受けられたということですよね。結構、直ぐ出るもんですか、遺伝子検査って。

野口 1カ月ぐらい。アメリカに血液を送るみたいで、そういう機械で遺伝子の配列を見て、検査結果が戻って来るみたいな。

岸田 血液を採ってですもんね、その場合ね。

野口 そうです。採血しました。

岸田 というふうな形で、ありがとうございます。そういった遺伝子検査、今後、もっと、もっと、多分、拡大していくと思いますので、本当にこれが主流になっていく可能性もあると。アメリカではそれをまず聞かれるっていうのは、凄いなっていうのを本当、思いました。

【辛い・克服】

岸田 そしてその次、つらい克服といったところ。これ、肉体的や精神的につらいとき、どう克服していったんでしょうか、野口さん。

野口 まず肉体的なことを言うと、先ほども少しお話ししましたけど、左腕、私、リンパが無いもんですから、どうしても重たいものを持つのを注意したりとか、マッサージをしたりとか。幸い、今のところ浮腫もそんなに無いのでいいんですけども、ちょっと過激なことをすると出やすいので、そういったところは注意しているっていうのと。逆に、日常を今、普通に生活してるように見えるので、男性だとよく重たいものを持ってとか。

岸田 確かにね。

野口 目に見えない、本当、ヘルプマークじゃないですけど、見た目は健康で、でも、ちょっと負担を掛けちゃいけないっていう時のギャップがどうしてもちょっとつらいというか。出来る限りのことはやるんですけど、なかなか身体を犠牲に出来ないところもあるのはつらいなというのもあります。

野口 あと、精神的なことを言うと、本当に友達もそうですし、先ほどのアメリカの男性乳がんの患者の集まりもそうですし、日本の同じように悩んでらっしゃる患者の皆さんもそうですけど、そういった方々とお話をするっていうのは、凄い精神的にもだいぶ柔らぐというか、落ち着くというか、そういった、自分に溜め込まずに、ちょっとオープンにするっていうのは、だいぶ楽になったなというのは思います。

岸田 そうですよね。だから、これ見てくださってる男性乳がんの方も、ちょっと気持ち吐露したいなっていうことあれば、日本の場合はメンズBCというものがあると思いますので、そこに野口さんも結構な頻度行かれてますよね?

野口 そうですね。あと、ホームページのほうもあって、僕も体験談書いたり、全然違うタイプの方の体験談もあるので、そういったのも参考にしていただくと良いかなと思います。

【後遺症】

岸田 ありがとうございます。そうやって横のつながりを、もし何かあったら、同志にちょっと聞いてみるとか、そういったところをしていただければなと思っております。ありがとうございます。そして、次、後遺症のことについてなんですけど、後遺症、どうですか、今、何か。

野口 僕は本当にラッキーで、先ほどお話ししたようなホルモン剤によるホットフラッシュも無いですし、抗がん剤をやってないので、そういった後遺症もないっていう、本当にラッキーなケースだと思います。ただ、患者さんの中に、先ほどお話ししたように、手足が痺れて、本当に苦労されている方もいますし、本当に人それぞれ症状が違うので、ここは何とも言いづらいところがありますよね。

岸田 大きな後遺症は野口さんの場合無かったという形で、強いて言うと、さっきの、後遺症って言うとあれかもしれないですけども、ホルモン療法の影響での性欲の減退だったりだとか、そういったところ。だから、ホルモンでそれ左右されるとか、気持ちの浮き沈みが左右されるとかっていう、特にそういったものは無く。

野口 私の場合は、幸い無いっていうことですね。

【反省・失敗】

岸田 ありがとうございます。そして、その次、反省、失敗についてなんですけれども、あの時こうしておけば良かったなっていったことを強いて挙げるとしたら、何かあったりとかしますか。

野口 私の場合、反省というよりも、本当にラッキーが重なっているというか、冒頭に少しお話ししましたけど、乳がんの取材をしていて。僕ね、でも、その取材を最初受ける時に、本当にこれ、今だから話せるんですけど、女性記者さんじゃなくて良いんですかって投げ返したんですよ。女性のほうがよく気持ちも分かるし、症状も多いしっていう。

野口 お断りしたんですけど、まあ取材してよということで、ずっと取材を続けていって、その中で男性も乳がんになるっていうのも知りましたし、乳腺外科という存在も知りましたし、結果的に主治医になった取材した先生とか、本当にそういう意味で恵まれていたと思うんですね。

野口 妻が偶然見つけたとか、本当に当時の言葉で言うと、もう神ってるぐらいの状況だったと思いますね。それって、本当に自分では何とも分からないとか、本当に感謝の言葉しかないですね。

岸田 いやあ、本当、その発見の時もそうですし、その後、治療の後も、ローンも全部チャラになったっていったところもそうですね、住宅のね。凄い神ってると思います。

野口 もう本当に感謝だけです、本当に。

【特別養子縁組】

岸田 もちろん乳がんにならないことに越したことはないんですけども、そうなった時に、どういうふうに対処しされたか。凄い。ありがとうございます。そして、そして、特別養子縁組、これについてもちょっとお伺いしていきたいんですよね。今、野口さんにはお子さまはいらっしゃいますよね。

野口 はい。先ほどお話ししたように、2歳半の女の子が一緒に家族として生活しています。

岸田 ここは闘病のところでもさらっと言ったところがあるんですけど、改めてこの特別養子縁組はどういったもので、どういうふうな経過を経てお子さまを迎えられたのか、ちょっとお伺いしても良いでしょうか。

野口 もともと不妊治療をずっと続けていたんですね。年を重ねて来るにつれて妊娠率も下がりますし。でも、2人としては子どもが欲しいということで、特別養子縁組という制度があるというのも知っていたので、並行して準備をしていたんですね。

野口 一回、その特別養子縁組を組む時に斡旋団体があって、そこに登録して、研修も受けたりして、準備していったんですけども、それこそさっきのアメリカに、渡米した時に、里親っていう、両親、育てる親になれますよっていうOKを貰ったんですね。そういう連絡を、アメリカにいる時に、その斡旋団体から貰って。ただ、条件があって、がんとそういう診断された人は、3年間、親になれないという項目があったんですね。

岸田 項目があったんですね。

野口 せっかく親になれるチャンスをもらったのに、僕は同時期にがんが見つかって。そうすると、3年経つとまたどんどん年齢は経ちますよね。そうすると、親になる年齢っていう、年齢制限があるところも中にはあったので。そうすると、もう子どもを持つことすら出来ないという、厳しい状況に迫られて。その時、妻と色々話し合って、がんを隠して親になることは、多分、選択肢としては出来たと思うんですよ。

野口 ただ、がんを隠してその啓発も出来ないとか、自分自身、偽りをしながら生きていくというのなんか心苦しくて、その時は親になる権利を断念して、一回諦めたんですね。2人で元気だったら良いんじゃないということで、生きていこうということにしたんですけども、たまたま熊本に一時注目された赤ちゃんポストで有名になった慈恵病院っていう所があるんですけども、そこがそういう、赤ちゃんポストの子じゃないんですけども、そういう相談もあって、そこの研修会に行ったり、里親になるための勉強も都道府県でやってるので、それも受けたりして、そこで縁があった子が連絡をいただいて、先ほど2020年の2月だったんですけども、2月生まれの子がいて、もうその生まれた1週間前に面接を受けて、そのまま、その同じ月に熊本に行って。

岸田 特別養子縁組のまず。

野口 準備を。特別養子縁組を成立させるためには、裁判って言うとちょっと大袈裟ですけど、法律的な手続きを取らないといけないので、何カ月後かに正式に成立したんですけども、そういった過程を経て、今、家族として一緒に過ごしています。

岸田 だから、まず一緒に暮らして、何カ月かして、それだけ問題なければ裁判所で手続きするっていう感じですよね。

野口 そうです。

岸田 その時は、そこに関しては、さっきあったいろんな団体に、団体によっては、がんになったら3年以上無理だよってあるじゃないですか。この場合は大丈夫だったってことですか。

野口 そこは、そのがんっていうのは特に。もちろんお話ししましたし、それも踏まえた上でお声を掛けてただいいただいたという感じです。

岸田 それもお声掛けていただいたのも、色んな所の勉強会とか、色んなものを出て、そこの中でのご縁だったってことですよね。

野口 そうですね。その慈恵病院がされている研修会とか、そういうエントリーをする買いにも行ったり、先ほどお話ししたような都道府県でやっている、里親になるための研修もあるので、そういったのを受けたりしてっていう感じです。

岸田 ありがとうございます。なので、本当にそういったケースもあるという。団体によっても、そういうがんというものが規制があったりとかする可能性もあるということを、皆さん、ちょっと知っといていただきたいなと思って、この項目を入れさせていただきました。

野口 岸田さん、あと補足でもいいですか、もう1点だけ。

岸田 全然良いので。

岸田 先ほど、妊孕性ってお話あったと思うんですけど、例えば、女性でどうしても妊娠を諦めるとか、諦めざるを得ないとか、そういう状況も多分あると思うんですね。ただ、本当に子どもと一緒の暮らしをしたくて、パートナーとも同じ方向を向いてる場合は、こういう選択肢もあるんだなというのは、少し気に止めていただくと良いかなというのは思いました。

【医療者へ】

岸田 ありがとうございます。是非、是非そういった選択肢もあるよということでもありますね。ありがとうございます。そして、その次、医療者へというふうなことで、医療従事者への感謝、要望だったりだとか、若しくは、こうして欲しかったなっていったところ、感謝だったりとか、そういった要望、何かありますか。

野口 本当に僕は感謝しかないんですけども、男性乳がんということに関して凄い理解もしていただいて、色んな機会でご一緒する先生も多いんですけども、そういったところで、しっかり男性も乳がんになるからっていうことを色んな方に啓発していただいてるので、本当にそういった意味では感謝です。

野口 あと、もう一つ思うのは、今、前立腺がんと乳がんとの関係というのも色々調べられてる、研究されてるそうで、そういったところもまた分かってくると、色んな注意の仕方っていうのが変わってくると思うので、そういったところも、より色んなことが、情報が広がっていくと良いなと思います。

【Cancer gift】

岸田 ありがとうございます。そして、次にキャンサーギフトですね。がんになって、本当、大変だったことも色々あると思いますけれども、その中で得たもの、得たこと、もしあれば教えてください。

野口 先ほどちょっとお話ししましたけど、健康であることと、時間の過ごし方、もうその2点だと思います。僕、病気になった時に、友人から一病息災という言葉をもらって。

野口 本来は無病息災であることに越したことはないと思うんですけども、一つの病気をしたことで、よりその次、健康に気を付けたりとか、次の病気にならないように注意したりとか、もうその一病息災って言葉は僕も凄い気に入って、何かあるごとに使ってます。

【夢】

岸田 一病息災か。凄い、今、ハッとさせられました。確か無病息災はありますけど、一病息災か。確かに。そして、その後、野口さん、今後の夢。夢って言うと大袈裟かもしれないですけど、今後、どういうふうに生きていきたいかっていったところをちょっとお願い出来ますか。

野口 ありがとうございます。プライベートに関しては、先ほどお話ししあった2歳の子がいますので、何とか成長して、成人して、結婚式の姿も見たいしとかね、そういう欲は出てくるので、見守っていきたいなと。1年更新で、しっかり健康に注意して、見守っていきたいなというのと。

野口 先ほど、ちょっと冒頭にお話ししましたけど、私たち、夫婦で世界一周に行く機会があったんですけども、是非、コロナも明けて、世界の戦争も無くなって、子連れ世界2週目っていうのが、いつか出来たら良いかなという野望を持ってます。

岸田 良いですね。

野口 あと、男性乳がんに関しては、やはり最近でこそ色んなマスコミも注目してくださって、啓発活動進んでますけども、是非そういった、また正しい理解広がって、私自身もそういった啓発活動にも参加して行きたいなと思います。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 ありがとうございます。是非、世界2週目だったりとか、啓発といったところを、是非是非、引き続きよろしくお願いします。ありがとうございます。といった中で、こちら、次に野口さんにお伺いしていくポイント、もう終盤、もうラストになって来ていますけれども、野口さんに今までの振り返りといったところで、ペイシェントジャーニーを伺っていきたいと思っております。もし野口さん、何か言い忘れていることあったら付け加えて欲しいんですけど、こんな感じで野口さんのペイシェントジャーニーいただいております。

岸田 まず、仕事が順調にいって、そして海外旅行行かれていった中での、その後に左胸に違和感があったと。くぼんでいたっていうことですよね、そこから乳腺外科を受診して、マモグラフィー検査をしていって、ただ、その後のがん告知。がん告知に関しては、青色がネガティブ、赤色がポジティブの中で、白色、どちらでも無いなんですけど、がん告知、特に動じなかったっていう感じなんですね、野口さん。

野口 これは、先ほどちょっとお話触れたような、早期発見だったということで、助かる命だというのが感触としてあったので、プラマイゼロというか。

岸田 ていう形で、そこで奥さんへ告知していく。その後、手術して、全摘していって、その後のリハビリ。そして、アメリカのMBCCを知ってから、それに参加していって、仕事を復帰していっての、術後異常なし、メンズBCを参加していって、またアメリカのメンバーに再会していく。

岸田 で、また定期検査異常なしと。で、先ほどあった特別養子縁組で、そして、遺伝子検査の陰性があったというふうなことがあります。野口さん、この中で何か補足しておくこと等々ありますでしょうか。

野口 補足というのは無いんですけども、見てご覧の通り、V字回復を結果的に僕もこれ見て思ったので、そういった意味では、本当に、がんと宣告されたから、症状にもよりますけども、何とか前向きに行けられたのかなというのは思いました。

岸田 色々大変な中でも、野口さんの場合は色んなことを、患者会を知ってっていったところから本当にもう全然変わっていったのかなということは思いました。ありがとうございます。といった中で、あっという間の本当に90分だったんですけれども、ここから少し協賛の企業さんだったりとかの紹介をさせていただきたいということを思います。

岸田 まずこちらになります。「生きる」を創る、アフラック様。そして、グローバル企業のIBM様、そしてアイターン様にいろいろご支援いただいております、いつもありがとうございます。また、見てくださっている方や、本当に応援してくださってる方のおかげでこうやって続けてきております。本当に皆さん、ありがとうございます。

岸田 その中、次は次回の予告をしていきたいと思うですけど、次回は11月13日の日曜日に、また11時からですね。次、子宮頸がん経験者の柳澤佳奈さんに来ていただきたいと思います。11月は子宮頸がんの啓発月間だったはず。なので、柳澤さんに来ていただいて、色々経験談をお伺いしていきたいと思いますので、是非是非皆さん、また見ていただきたいなと思います。

岸田 そして、見てくださっている皆さんにお願いがございます。この後、本日修了して、明日以降、明日の段階で、皆さんのメッセージを野口さんに色紙みたいな形で、画像上にはなるんですけれども、お送りしたいと思っておりますので、今、コメント欄、チャット欄にURLがあります。

岸田 そこで、野口さんへの感想だったりだとか、そういったところ今日中に記入いただければ、それをお送りしたいと思いますので、是非皆さん、感想のご協力よろしくお願いいたします。そして、最後の最後、こちらの項目になります。

【今闘病中のあなたへ】

岸田 今、闘病中のあなたへといったところで、様々な方が、今日、見てくださってると思いますけれども、闘病中の方も見てくださってると思います。野口さんからこの言葉をいただいておりますので、野口さん、こちらから宜しくお願いいたします。

野口 闘病中というとどうしてもつらいことも多いと思いますし、精神的に不安になることもあると思うんですけども、少しでも、1分1秒でも、この皆さんと一緒に過ごせる時間があるということで、『後悔をしない人生を過ごしましょう』を是非、共有したいと思います。

岸田 野口さんもがんを経験して、自分の優先順位も変わりましたもんね。

野口 そうなんです。本当そうなんです。

岸田 家族がもう本当に大事といったところだったりだとか、本当に後悔しない人生を過ごしていければということを思いますといった中で、がんノートorigin、終了していこうと思うんですけれども、野口さん、どうでした?この90分。

野口 あっという間でしたね。岸田さんに言われるがままについつい乗っかっちゃって、しゃべり過ぎましたけども。

岸田 いやいや。本当、さまざま、妊孕性のところだったりとか、あと、特別養子縁組のところだったり、遺伝子検査ところ、意外なこともいっぱい飛び出して、凄く僕自身も勉強になりました。また皆さん、何か男性の乳がんのことで困ったら、野口さん、SNSもされてたりとか、色んなことされてますので、是非皆さん、知って、やって、そして、相談していただければと思いますという無茶振りで終わっていきたいと思います。

岸田 それでは、今日のがんノートorigin、終了していこうと思います。どうも皆さん、ありがとうございました。

野口 ありがとうございました。

岸田 バイバイ。ライブ配信終了という感じです。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。

関連するみんなの経験談