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インタビュアー:岸田 / ゲスト:三井

【告知・発覚】

岸田 開始ということで。じゃあ、がんノートoriginをスタートしていきたいと思います。がんノートoriginは、今までやってきたがんノートのゲストに、90分程度、お話を深く聞いて、そのときにどう思ったのかだったりとか、どういうふうに対処されたか。そして、それが、結構センシティブなことだったりだとか、あと、本当に僕たちが聞きたいけど、なかなか聞けないことを伺っていこうと思っております。

岸田 きょうのゲストは、メラノーマの経験者でおわします、三井さんでございます。よろしくお願いします。

三井 よろしくお願いします。

岸田 では、簡単に自己紹介をさせていただければと思います。お願いします。

三井 はい。岸田さんから。

岸田 僕の自己紹介からいきたいと思います。がんノート代表理事の岸田と申します。今回、MCを務めさせていただきます。25歳と27歳のときにがんになりまして、その経験から、患者さんのインタビュー発信を始めていったということになります。きょうはよろしくお願いいたします。

三井 よろしくお願いします。

岸田 では、三井さんの自己紹介のほう、よろしくお願いいたします。

三井 三井里美といいます。北海道で教員をしています。私は34歳のときにメラノーマになって、そのときはステージⅡだったんですが、去年ステージⅣに昇格しました。メラノーマと、あと脳腫瘍がある、ダブルキャンサーです。きょうはよろしくお願いします。

岸田 よろしくお願いいたします。脳のこととかも、いろいろ、きょうもお伺いしていきたいなということを思っております。普段、しっかりお伺いすることができないので、きょうもいっぱい聞けることを楽しみにしています。まあ、緩く楽しくやっていければと思っておりますので。

三井 はい。

岸田 きょうは帽子、結構おしゃれですね。

三井 いやでも、自分的には帽子じゃないんだよなっていう感じなんですよ。

岸田 やっべ、今、爆弾踏んじゃった。いきなり爆弾踏んだ、俺。

三井 私は帽子じゃなくて、前回、がんノートnightで出演させていただいたときも、テーマ、ウィッグで。私はウィッグ愛好家なので、本当はウィッグで、長い髪で参加したかったんですけど。きょう本当、帽子の気分じゃないんだけど、今ちょっと治療中で、訳あって帽子で参加です。

岸田 そのわけあってっていうのも、後でいろいろ出てくるので、皆さんぜひ楽しみにしておいていただければなと思っております。なので、三井さん、今、北海道から参加してくださってるんですよね。

三井 はい、札幌です。

岸田 札幌から。こういうのも、ネットでできるいいところかなということを思っております。早速なんですけれども、三井さん。三井さんのがんの経験、どういうふうに発覚して、告知を受けていったのか。そういうところをお伺いできますでしょうか。

三井 まず私は、頭頂部にメラノーマが、悪性のほくろができたっていうがんなんですけど。私、もともと髪の毛をいじるのが大好きで、ヘアアレンジが大好きで、髪も長く伸ばしていたんです。日々、毎日、私、ヘアアレンジして学校出勤するぐらい、アレンジが好きで。で、土日なんかは研究するわけですよ、鏡を見ながら。

岸田 土日研究すんの、すげえな。

三井 ヘアアレンジ、インスタとかでかわいいの、いっぱい見つけて、いろいろ、こうしたらいいかなっていうのを研究するんですけど。土日、やってるときに、合わせ鏡で自分の後ろ頭、見たときに、つむじのところに大きなほくろがあって。これって昔からあったかなと思って気になったのが、まず一番最初だったんですよね。

岸田 それはいつのとき。

三井 それが2018年の8月、9月頃。

岸田 じゃあまだ、3年前とかや、本当に。

三井 そうですね。ちょうど3年ぐらい前ですね。

岸田 はい。

三井 そのときに、自分であれっと思って。ちょっとほっといたら、なんか気が付いたら大きくなってる気がするなと思って、おかしいなと思って。友達に見てもらったときに、なんかこれ、きもいし、やばいやつじゃない、みたいなふうに言われて、皮膚科を受診することにしたっていう感じです。

岸田 そのときの皮膚科っていうのは、近くの皮膚科、特別な皮膚科に行ったとか。

三井 いや、普通の札幌のクリニック、個人でやっている病院で診てもらったら、ちょっとこれは、私の所では診切れないかもしれないから、大きな病院を紹介するのでっていうことで、大学病院を紹介してもらって、行くことになりました。

岸田 そういう、診切れないのでっていう、もうそっから結構、怖くない? そのときは。

三井 おっかなかったですね。でも、お医者さんがそのとき、手術で取って、きちんと生検かけたほうがいいと思うし、頭って結構、血がいっぱい出るから、ここではやらないほうがいいと思うって。そういうふうにおっしゃっていただいて、大学病院で取ってもらいました、局部麻酔で。

岸田 そのときって、メラノーマっていうほくろのがんって、あんまりクリニックとかで見慣れているようなものじゃないから、結構、良性とか言われたりするようなイメージがあるんですけど。

三井 まさにそのとおりです。メラノーマ自体、10万人に1人って言われてるぐらいレアながんなので。クリニックでも、まあ大丈夫だと思うけど、みたいな。分かんないけど、みたいな感じの言われ方だったし。大学病院行ったときも大学病院の先生が、多分、良性だと思うけど、みたいな感じでした。

岸田 そういう感じやったんや。

三井 はい。で、病理検査にかけてもらって、病理の先生も診断に悩むぐらい、難しい鑑別だったっていうふうに聞いてます。たまたま、私が運が良かったのが、私が通ってる大学病院は、メラノーマの権威って呼ばれる先生が、本州から、たまたま来たタイミングだったんですよね。

三井 病理のほうでも迷ってるけど、その先生の、メラノーマとして治療しましょうっていう鶴の一声で、私のがんをちゃんと見抜いてくれたっていうか、治療するに至ったっていう感じです。運が良かったです、本当に。

岸田 たまたまその人が来てくれてたから、メラノーマとして治療しましょうって言ってくれただけであって、その人がいなかったら。

三井 もしかしたら、見逃されてたかもしれないです。

岸田 よかったですね、そのときのタイミングが良くて。本当に、メラノーマって悪性黒色種っていう、悪性の、黒色、黒の色の、腫瘍の腫って書くんですけれども。なかなか、そのほくろのがんで、見逃されることっていうのは本当に多かったりとかするので。本当にタイミングいいなっていうのは思いますよね。

三井 はい。

岸田 そこから、じゃあ、ただそのときは、まだ良性の腫瘍って言われてたんですよね。

三井 かもしれない、みたいな。

岸田 かもしれない。どうやってそこから告知に至るんですか、がんの。

三井 私は、その病理部で迷ってるっていうので、2、3週間待たされたのかな。すぐ結果出るって言われたのを、生検にかけて2、3週間待たされて。私、病院は札幌の病院に通っていたんですけど、当時、仕事は北海道のオホーツク地方っていう所でやってて。

岸田 オホーツク。

三井 冬は流氷が来ます。

岸田 オホーツクって、全然、知識ないからあれだけど、北海道のもう右上、上やんな。

三井 そう。右上ですね。

岸田 右上で、網走とかあっちのほうっていうこと?

三井 そうです。網走だったら何となくぴんとくる人、多いかなと思うんですけど。網走の近くで、冬は流氷が来るような町で教員してて。そこで、病院行って、手術して、オホーツク戻って仕事して、いつもと同じようにパソコンの授業を生徒にした後、電話が鳴って出たら、三井さん、悪性でしたって電話で言われて、告知を受けるみたいな。

岸田 いろんな情報がいっぱいあって、ちょっと待って、整理したい。まず、オホーツクに、札幌の病院やけど、オホーツクにいんのや。普段、教員のお仕事をしてるから?

三井 そうです。単身赴任でオホーツク、札幌から300キロ離れた所で仕事をしてました。

岸田 けど、病院は札幌なんや。

三井 そうです。

岸田 遠っ、オホーツクのほうはないの、病院は。

三井 オホーツクのほうはあるけど、家族が札幌にいたので、主人が札幌にいたので。もしなんかあったときに、家族がいない所で治療を受けるのはちょっと厳しいなと思って、病院は札幌にしたんです。

岸田 そういうことね、病院を札幌にした。で、オホーツクで教員として、先生なんですよね。

三井 そうです。

岸田 学校の先生、また後でいろいろ触れていきたいと、学校の先生をしていて、その仕事中に電話が鳴って、電話で、がんですよ。

三井 がんですよって。電話で受けるんだみたいな。そんな大事なこと、電話で受けるんだみたいな。4時間目の授業終わった後、電話でがんですって言われて、その場で泣き崩れて、生徒いなくなった後に泣き崩れて。取りあえず時間だから、給食、食べに行って、もうなんか、砂かんでるみたいな給食だったことは。

岸田 それは、逆によう食べれるな。

三井 当時、担任もしてたので。

岸田 そういうことね。

三井 生徒と一緒にご飯食べなきゃいけないから。

岸田 そっか、食べな、なんで食べへんのって言われるもんね。

三井 そうです。でも、なんかもう、生徒たちも高校生だから、異様な空気は感じ取ってたみたいです。三井先生、なんかおかしいぞ、みたいな。

岸田 電話で受けるね。けど、電話で受けるやん。でもそれで、はい、分かりましたって、次いでお昼ご飯やん。誰か周りに、家族に電話とかなかったん。

三井 もう告知受けたときに、私、どうしていいか分からなくて、パニックになっちゃって。取りあえず、パニックになって、給食、食べに行ったじゃないですか。で、戻って、どうしたらいいんだろうなと思って、私、教頭先生に、ちょっとお話ありますって、教頭先生呼び付けて。

三井 先生、今、私、がんって言われたんですけど、どうしたらいいですかって聞いたんですよ。そしたら、取りあえず、まず家族に電話じゃないかなって言われて、旦那に、主人に電話しました。それぐらいパニックでした、私は。

岸田 ご主人の反応は?

三井 主人の反応もパニックでした。えー、みたいな。

岸田 ほんまそうだよね、いきなり。電話で告知っていうのもあるねんな。

三井 本当に、ちょっと嫌です、電話は。

岸田 そうよね。

三井 仕事中だったので困りました。

岸田 困るわ、それは。

三井 ただ、結果聞きに行くだけで5時間かかるので。そこはしょうがなかったかなと、今になっては思いますけど。

岸田 ありがとうございます。次の治療にいく前に、ちょっとだけ今、皆さんにコメントいただいておりますので、ちょっとコメントを読ませてください。

三井 はい。

岸田 よしさん、やまやんさん、Nさんも、こんにちは、ということだったりとか。札幌は雨は大丈夫ですかっていただいてますけど、今はどうですか、雨。

三井 札幌は全然、雨、降ってなくて、曇りで。すごく暑い日が続いてたんですけど、今はもう涼しい日が続いてます。

岸田 東京は雨ですね。Nさんも、ネコちゃんっていうのもいただいておりますので。そうですね、さっきさらっといましたよね、ネコちゃんね。

三井 ネコ、通りましたね。

岸田 次出たら、ぜひ、キャッチアップをお願いします。

三井 分かりました。

岸田 きゅーちゃんさん、見逃されなくて、本当よかったですね、とか、ネコちゃんかわいいですね、っていうことで。電話で告知だったんですね、とか、冷静な教頭先生ですね、やっぱり家族と一緒に告知は受けたいですよね、とかいうコメントをいただいています。本当、教頭先生が冷静でよかったなということを思います。

三井 本当、今でも心配してくださってます。職場はもう別れてしまったんですけど。事あるごとに連絡くださって、三井さん元気でやってる?っていうふうに連絡してくださる。

岸田 めっちゃええ先生やん。

三井 いい管理職に恵まれました、そのときは。

岸田 なんか、そのときはっていうのは。めちゃくちゃ、こう、なんかあれですね。

三井 今も。

岸田 今もね。よかった。

三井 理解ある職場です。

岸田 理解ある職場でね。ありがとうございます。MOEさんが、里美さん見てますよ、という。

三井 ありがとうございます。私、Instagramでやりとりしてる方が結構多くて。MOEさんですね。ありがとうございます。

【治療】

岸田 ありがとうございます。という中で、じゃあ次、告知を受けて、治療のところに入っていきたいということを思っております。治療のところ、結構ボリュームいっぱいあると思いますので。まず、このフリップを用意していただいているので、こちらのフリップをお願いいたします。

岸田 こちらのフリップ、2018年から治療を始めていく、がん告知ですね。先ほど言っていただいた、ほくろの切除の手術して、がんの告知を受けていくといったところになるんですけど、そこからの経緯を教えていただいてもいいですか。どういうふうに。

三井 がんの告知を受けたところまでは、さっきお話ししたとおりで。がんの告知、がんだって分かったら、いろいろ全身、精査するじゃないですか。CT受けたり、MRI受けたり、血液検査を受けたりとか、いろんな検査を受けていく中で、私もともと、せきぜんそくがあったんですけど、そんなにひどくなかったんですよね。で、造影剤の検査って、ぜんそくの方、禁忌なんですよ。

岸田 あかんの、造影剤って。

三井 駄目なんです。

岸田 造影剤って、ぶすっと刺して、MRI、CTとか撮ったときに、びゃって光るやつですよね。

三井 はい。びゃって、よく写るやつなんですけど。私も、造影剤の検査が必要だって言われたから、いや、大丈夫だろうと思って、ぜんそくもそんなひどくないですって言って受けたら、造影剤で生死に関わるような副作用が起こる確率って5万人に1人らしいんですけど。

岸田 めっちゃ少ないけど、あるって聞いたことある。

三井 5万人に1人だったんですよ、私。

岸田 なったん?

三井 10万人に1人のがんで、まさかの次、5万分の1引き当てるみたいな。

岸田 うそー。

三井 宝くじ、買いますよね。買いましたよ。

岸田 当たった? ちゃんと。

三井 結構な額買って、いけるかなと思ったら全部外れました。

岸田 違う方面に当たってしまったんやな。

三井 そうなんです。運はもうそっちに使い果たしたんだなと思って。まあ、それはいいんですけど。MRIの造影剤、ガドリニウム製剤っていうやつを打った後、急に、夜、息苦しくなってきて。ぜんそく、ひどくなったのかなと思って土日過ごして、月曜日になって、いや、まだ苦しいなと思って、私、自分でタクシーに乗って病院、行ったんですよね。で、病院行ったら、緊急入院してください、急性心不全ですって言われて。

岸田 どういうこと。

三井 どういうこと、と思って、エコー検査、受けたんですよ。エコー検査受けたら、肺と心臓に水がたまってますと。急性心不全なので入院してくださいっていうふうに言われて。入院しました、1カ月ぐらい。

岸田 1カ月も? それで?

三井 1カ月入院して。私、もともと12月に、頭皮の拡大切除、がんになった部分の、がんになった部分はもう11月に取ってたんですけど、それを、拡大切除する。結構、がんになった周りって、大きく切り取らなきゃいけないみたいで。これ、当時作った模型なんですけど。4×6センチの範囲を切り取らなきゃいけないって、ここですね、切り取らなきゃいけない。

三井 で、切り取って、左脇腹の皮膚を移植するっていう手術が、一応、12月にする予定だったんですけど。心不全で入院したせいで1カ月伸びちゃって、結構、もどかしかったです、そのときは。でも、心臓が元気になってから仕切り直しっていうことで。

岸田 心臓も大事やし、ここにがんもあるしみたいなね。

三井 そのとき本当に、気持ち的には沈んでましたね。もしこのまま、この1カ月っていう時間待ってて、悪化したりしたらどうしようとか、結構、いろいろ考えました。当時、3月に卒業を控えた生徒たちの担任を持ってたので、3年間、担任持ってたんですよね。卒業式も近いし、私、卒業式には果たして間に合うのかっていうのも心配だったし。

三井 そのとき、いろんなことが重なって大変でした。で、苦労して撮ったMRIで、脳にも影があるっていうのが分かったりとか。本当に踏んだり蹴ったりだったんですよね。

岸田 踏んだり蹴ったりやわ。

三井 来ました。

岸田 お名前は?

三井 この子、ごましおちゃんです。ここにごましお模様があります。

岸田 頭のところ?

三井 はい。最近、痛い、最近家族になりました。

岸田 そうなんや。

三井 子ネコです。

岸田 1匹?

三井 ネコは3匹います、うち。

岸田 すごい、かわいい。ごましおちゃん。

三井 ごましおです。

岸田 はい。脳にも影があるということを言われて、急性心不全っていうことは、僕、勝手に心臓が止まっちゃうって思ったけど、そうでもないよね。普通に心不全、ポンプ機能がちゃんと役割を果たせなくてていうふうなところで、それはちゃんと、入院したら大丈夫になったん?

三井 入院して、ステロイド治療を続けて。本当は肺の水を針刺して抜くかとか、いろいろあったんですけど、時間を置いて、どんどん水が体に吸収されてなくなっていったので、特に大きな手術をするっていうことはなく済みました。

岸田 そうなんや。

三井 でも、めっちゃ苦しかったです。

岸田 苦しいよね。

三井 何階だったかな。10階に入院してたんですけど、内科だったので。唯一の楽しみが2階にあるファミリーマートに買い物に行くっていうのだったんですけど、車いすでも行っちゃ駄目ですって。三井さんそんな状況じゃないから、絶対行っちゃ駄目ですって主治医に言われてて、毎日、聞いてました。

三井 きょうは行っていいですか。私、きょうファミマに行っていいですかっていうのを、毎日やりとりしてました。で、しびれを切らした主治医に、じゃあ、看護助手さんと一緒に車いすで行くんだったら、まあしょうがないみたいな、渋々、了解もらうみたいな、そんな日々でした。

岸田 俺も分かるわ、入院中ファミマ行きまくってたもん、本当。ファミマのファミチキ買いまくってたわ。

三井 岸田さんの所もファミリーマートだったんですね。

岸田 そう、今セブン-イレブンになってるけど、当時ファミリーマートで。ファミマ行きまくってたな。

三井 ファミマの次の段階が、1階にあるスターバックスだったんですけど、スタバはなかなか行けなかったです。外来の患者さんも多かったので。

岸田 そうやね。当たっちゃったりとかするかもしれへんしね。

三井 そんな日々でしたね、急性心不全のとき。

岸田 心不全やって、1カ月入院して、それでようやく手術を受けれるということが2019年の1月ですね。

三井 そうです。

岸田 これが頭皮拡大切除術って、さっき見せてもらったようなやつを、その部分を取るってこと。

三井 そうです。これ、当時、模型作ったんですけど、すごい細かく模型作ったんですけど。この大きさで毛を刈られるっていうので、この大きさで植皮をするみたいな。

岸田 そういうことね。

三井 ちょっとイメトレしたくて、これ自分で、入院中暇だったので作ったんですけど。

岸田 植皮?

三井 これチラシの。

岸田 めっちゃ精巧にできて、チラシの裏で。

三井 教員っぽくないですか。ちゃんと何ミリ測って。

岸田 ものさしで?

三井 そうです。ファミマで定規買って作りました。

岸田 さすが教員、すごい。そこの取るところちゃんと作って、植皮するっていうのはどっから植皮すんの。よく太ももからとか、太ももの皮膚を取ってここにやるとかっていう、そういう感じ?

三井 最初、ここって言われたんですよね。このデコルテのところが、よく伸びて使いやすい皮膚だからっていうので。

岸田 デコルテが?

三井 そう。皆さんも触ってみたら、ここ、よくの伸びる皮膚だっていうのが分かると思うんですけど。皮膚科医的にも、ここがすごい使いやすい皮膚だって言われたんですけど。嫌じゃないですか、ここ目立つから。私、絶対嫌ですって。見えるところからは絶対取らないですって突っぱねたら、脇腹になりました。

三井 ちょうど、ズボンとかパンツとか履いたときに、ゴムが当たる辺り、ウエストの辺りですね。そこだったら、まあ100歩譲っていいですよみたいな。全部、自分でちゃんとそこは交渉しました。自分の体だから。

岸田 デコルテね。

三井 ここは目立つところだし、がん患者だけど、でも病気になったけど、おしゃれだって楽しみたいし、この先、長く続く人生がちゃんとあるって私はそのとき信じてたので。ここからは絶対取らないって突っぱねました。

岸田 大事。自分の意見を伝えるって大事よね。それで、いい感じにそこを取ってできたの? その切除術。

三井 私は頭頂部っていっても、やや左寄りの頭頂部に腫瘍ができてたので、左脇腹から取って、そのまま左の頭頂部に植皮するっていう手術を、1月、やりました。もう本当にこの模型と同じような感じで、髪の毛も何もない脇腹の皮膚が、頭皮に縫わさって埋まってるみたいな感じになりました。

岸田 ありがとうございます。痛かったりとかした?

三井 この植皮っていうのは、看護師さんに聞いたら、患者さんみんな同じことをおっしゃるっていうふうに言ってたんですけど。採皮したところが痛いんですよ。採ったところのほうがめちゃくちゃ痛くて。こっちは全然痛くないんですよね。だから不思議なもので。

岸田 じゃあ、脇腹の痛みに耐えるみたいな感じだったんですね。

三井 結構、半年ぐらいは服着るたびに痛かったりとかしましたね。

岸田 そうなんですね、ありがとうございます。そこ、次行く前にコメントもいただいてるので。造影剤の説明っていう、ちゃんと医療情報に関しては、しっかり見てください、皆さん。がん情報サービスとかしっかりしたところで。造影剤でもショックとかあるので、気を付けないといけないですね、ということだったり、病院での楽しみ、ファミマに行けないとかつらいですよね、とか、デコルテは嫌ですよね、自分の体だから、考え方って大事ですねっていう言葉をいただいております。

岸田 では、次のところ、ありがとうございます。次にこっちですね。2019年2月、インターフェロン治療。どういうことなんやろ。さっきは1月で頭皮を切除しましたよね。で、2月で入院。

三井 そうなんです。私はその当時、ステージⅡBだったので、拡大切除手術をして、その後、術後補助療法としてインターフェロンを2年続けるっていう約束でっていうか、2年続けるっていうことで治療をしていきましょうっていう話だったんですよね。

岸田 インターフェロンってなんですか。

三井 何なんですかね、免疫を元気にするやつ?

岸田 雑。

三井 コメントに書かれちゃう。

岸田 内服のお薬?

三井 いや、注射ですね。原発、治ったところの周りに、3カ月に1度、1週間入院して、毎日ちょっとずつ場所ずらして注射を打つっていうような治療をしてました。リンパ系の転移にはよく効く補助療法らしいですね。

岸田 ありがとうございます。それをやっていくっていったところで、先生と話が合ったということですね。

三井 そうですね。2月に入院っていうふうになったのは、私はどうしても3月1日にオホーツクに帰らなきゃいけないっていう相談を先生としたんですよ。私の人生なので、私の今後のキャリアを考えた上で、3年間担任した子どもたちの卒業式に出るっていうのは、絶対に大事なことだっていうふうに思ったので。絶対に3月、間に合わせたいからっていうふうに相談したら、2月にインターフェロン受けることになりました。

岸田 治療を受けて、受けることで最終週に職場復帰ができたということ。

三井 間に合いました。ぎりぎりセーフ。

岸田 よかったですね。またそこのところはお伺いしていきますけれども、今、治療のところなので。その後、2019年3月、4月、採卵のために、遠方の病院へ。これはどういうことでしょうか。

三井 2月、最終週に戻って、3月1日の卒業式に間に合って、生徒はもう送り出しちゃったので、その後は採卵に移りました。ていうのも、私の皮膚がんの治療のほうは、特に妊孕性に悪影響は及ぼさない治療だったんですけど、インターフェロンとかも大丈夫っていうふうに言われてたんですけど。私は脳腫瘍も抱えているので、脳腫瘍は今も経過観察なんですけど、脳腫瘍がもし少しでも大きくなるような傾向があったら、開頭手術しなきゃいけないっていうふうに言われてるんですよね。

三井 治療はフルコースになるって言われてて、開頭手術して、放射線治療をして、抗がん剤治療のフルコースになる。抗がん剤治療は髪も抜けるし生殖機能にもダメージを及ぼすので、もし考えてるんだったら、妊孕性温存はやっといたほうがいいかもしれないですねっていうふうに病院の先生に、脳外科の主治医に言われたので。私たち夫婦はいろいろ相談して、妊孕性を温存することに決めました。

岸田 ありがとうございます。妊孕性温存、また後でも詳しくお伺いしたいと思います。そのときに妊孕性温存を決めて、また病院に行ったということですね。

三井 はい。

岸田 その後、まだまだ続きます。2019年8月、9月。再発かも、うつ病発症、治療。これはどういうことでしょうか。

三井 私の主治医、いい主治医なんですけど、結構、何でも言っちゃうマンなんですよね。

岸田 どういうこと。

三井 私、もともと治療については、良いことも悪いことも自分でちゃんと知りたいっていうのにチェック付けてたので、それは自分で納得してるんですけど。私の主治医、何でもぽろっと言っちゃうマンなので。このときも、背中に新しく最近ほくろができて、ちょっと気になるんですけど見てもらえますかって主治医に言ったときに、これ再発だったらまずいな、みたいな。再発かもしれないなみたいな感じで、ぽろっと言われたんですよね。

三井 再発かもって言われて、じゃあ取りますかって言われて、取って、生検かけて、また生検の結果出るまでが2週間ぐらい待たされたんですよね。2週間待たされて、そのときにいろいろ自分で考えたんですよね。再発だったらステージⅣになって、メラノーマの予後ってステージⅣ、めちゃくちゃ良くないんですよね。私も仲間、見送ってきましたし。今ステージⅣになって、5年生存率すごい低いっていうのも自分で分かってるんですけど、当時は、もう私、死ぬわみたいな感じでびっくりして、いろいろ考えて。

三井 2週間、オホーツクで仕事しながらいろいろ考えて。よくないほうに考えてしまって。だんだん食事が喉を通らなくなってきて、だんだんお風呂に入れなくなってきて。決定的だったのが、お風呂に入れなくても私、ウィッグで生活してたので、多分、ばれてなかったと思うんですけど、分かんないですよ、あいつ臭いなって思われてたかもしれないですけど。決定打が、私、パソコン数える仕事を当時していて。

岸田 パソコンを?

三井 パソコンを数える仕事を主に。

岸田 パソコンを数える仕事ってあるんや。

三井 当時、パソコン管理する仕事をしてたんですよ、私。

岸田 はい。

三井 で、1台2台3台4台って数えてるときに、何回数えても10まで数えれなくなったんですよね、数字が。指で数えながら数字を。主人に電話して、すぐ迎えに来てくれました。高速バスで飛んで迎えに来てくれて。で、札幌に強制送還されて病院にかかって、主治医も私の顔を見て、やべえなって、すぐ思われたと思います。睡眠薬もらって、精神科もすぐ予約取り付けてもらって、うつ病っていう診断をもらいました。

岸田 そうやったん。じゃあ、再発かもっていう不安が、一気に心にきたって感じか。

三井 そうですね。やっと治療が終わって、3カ月に1度は入院してインターフェロンの治療を受けてたけど、でも、これから良くなるってもう信じていた時期だったので。

岸田 先生がぽろって言ってしまったがためにね。

三井 ちょっと、何でも言っちゃうマンなんですよ、本当に。

岸田 再発って分かれば言えばいいものを。

三井 そうなんですよ。その、主治医の何でも言っちゃうマン的なの、一番最初のほうにもあって。メラノーマって診断受けたときに、予後どうなんですかって聞いたら、もし転移とかあったら、私の担当している患者さんは若い女性の方ですけど、肺に転移してすぐ亡くなりましたみたいなことを、さらっと言うんですよ。

岸田 やべー。

三井 すぐ言っちゃう。でも、腕は確かなんですけど。

岸田 まあ腕は確かやけど、ぽろっと言っちゃうんですね。

三井 すぐ言っちゃうマンなんです。

岸田 それで、うつ病発症して治療を受けて。それは良くなっていったんですか、うつ病に関しては。

三井 うつになって、ちょうど一昨年か。8月にうつになったんですよ、一昨年の。で、9月から精神科にかかって本格的に治療を始めて、割と2、3週間で薬の効果が出てきて、調子は良くなって。お仕事は3カ月お休みいただきました。お休みいただいて、一番最初のほうは、もう本当に寝れないし起きれないし。夜、暗闇が怖いけど、電気の小玉、ちっちゃい電気あるじゃないですか。

岸田 ちっちゃいやつね。

三井 小玉が光ってるのが怖かったり。がんの治療よりも、正直、うつ病の初期の治療のほうがつらくて苦しかったんですけど。投薬治療を続けて、自転車を買ってサイクリングしたりとか、好きな写真を撮ったりとか、そういう、割と自由な生活を続けていくうちに良くなりました。

岸田 よかった。

三井 あとは、一番大きかったのは、再発じゃなかったっていうのが分かったっていうのが、一番大きかったと思います。結局、大騒ぎした割に、再発じゃなかったんです。

岸田 そうなんや。それは3カ月後ぐらいに分かったの?

三井 それが2週間くらいで分かったのかな。

岸田 そうなんや。

三井 割とその辺りから、上向きになりましたね。

岸田 よかったって言っときながら、その下で、結構大変なこと書いてんねんけど。

三井 そうなんですよ。

岸田 2020年5月、6月、右脇の下にしこりを発見して、乳腺外科では問題なかったけど、肺と肝臓と骨と皮膚に転移確認って、これもなかなかやと思うねんけど、これはどういう、しこりを発見して、転移が分かっていったんですね。

三井 はい。これが去年の話なんですけど、この右の脇の下っていうか、胸の横っていうか、しこりが、1センチぐらい、大豆ぐらいのしこりがぽこってできてて。これも多分、前からあったのじゃないし、おかしいなと思って。私は胸かな、おっぱいかなと思って、乳腺外科受診して、マンモグラフィーとエコー検査、受けて、異常ないっていうことが分かったんですけど。

三井 ちょうどそのときに、定期的に受けてるCTの検査の時期と重なってて、皮膚科の主治医に相談して。そのときは、多分、何ともないと思いますけどって言われてたんですけど、CT撮ったら、肺、肝臓、骨、皮膚、皮膚転移だったんですよね、しこりっていうのが、要は。

岸田 皮膚転移、皮膚なんや。

三井 はい。皮膚の下に転移してることが分かりました。肺なんかは、多分、これぐらいの大きさの腫瘍ができてました。

岸田 えー、やっば。

三井 この大きさですね。

岸田 しかもあれやん、メラノーマの転移やったらやばいやん。

三井 フルコースだったんですよ。しかも、骨転移、肋骨に骨転移して、骨折して、めっちゃ痛かったんですよ。

岸田 もろくなるからね、骨転移。

三井 でも、そのときも、そのとき主治医は、そんな痛くなるはずないんだけどな、みたいな。骨転移で骨折してるって分かったのも、結構、後の話で。痛くなるわけないんだけどなみたいな感じで、そんときもぶつぶつ言われて、かみ合わなかったんですよね。

岸田 転移、確認していきます。そこから、治療としてはどうなっていくんですか、ここから。

三井 そのとき、もうステージⅣBで、メラノーマのステージで一番悪いのがステージⅣCの脳転移なんですけど。脳は、幸い、いってなかったんですよね。で、ステージⅣに適応する薬が、2019年に認可が下りたばっかりの分子標的薬があって。私は、その分子標的薬にマッチする、分子標的薬が効くっていう遺伝子型だったっていうことが、初発のときに分かってたんですよね。なので、三井さんはこの薬が使えるから、分子標的薬のビラフトビ・メクトビっていう薬を使ってみましょうっていうことで、ちょうど1年前に入院して、治療を始めていきました。

岸田 そしたら書いてあるように、しこりが小さくなっていったと。

三井 もう本当に、めちゃくちゃ効きました。びっくりするぐらい。2、3日で、皮膚の転移がちょっとちっちゃくなってきたんじゃないかなっていうのが分かるぐらい、めちゃくちゃ、ばちくそ効いたんですよね、本当に。

岸田 ばちくそね。

三井 2、3週間で、本当に目に見えて分かるぐらい、しこりが小さくなっていってっていう感じです。

岸田 そして2021年2月には寛解していく。

三井 はい。

岸田 寛解っていうのは、がんが見えなくなって、ないだろうと言われるような、その状態のことを指すかと思うんですけれども。もう完全になくなったの?

三井 CTで見える範囲ではもうないですって。CR、完全寛解の状態ですっていうふうに言っていただきました。

岸田 素晴らしい、さすが。じゃあ2019年にそのお薬、本当、認可されてて、ちょっとタイミングが昔だったら、また変わってますよね。

三井 もう、すぐ多分、空に行ってたと思います、私ぐらい状態が悪かったら。実際に、同じ薬使ってた人は、もう1人亡くなってるっていうふうに、主治医、何でも言っちゃうマンだから。今の通ってる病院でその薬を使ってるのは、私と、そのもうおひとかただったんですけど。もうおひとかたは、ちょっと年齢がいってて、使い始めたけどすぐ亡くなっちゃったって言ってました。私は本当に運が良かった。

岸田 お薬も全員が全員、効果があるっていうわけじゃないですからね。やっぱそれが効く人、効かない人もいるので、三井さんの場合、効くパターンだったということになります。そして、その後、こちら。頭皮再建手術をしていく。これはどういうこと、頭皮再建手術、しかも2021年、もう最近やけど。

三井 最近です。ずっとウィッグで生活してて、私の頭頂部はこのサイズのはげがあるので、ずっとウィッグで生活してて。別にそれが嫌だったわけじゃないんですけど。いろいろヘアスタイルとかファッションとか楽しめて、プライベートのときは派手なの着けて、派手な服装したりとか、メークも楽しんだりっていうふうに生活してて、嫌だったわけじゃないんですけど。

三井 ふとした拍子、宅急便が来たときとか、はげあるから帽子かぶんなきゃとか、ちょっと家の外出て花の水やりするときに、帽子かぶってないって慌てて戻ったりとか。あとは、鏡に映った自分をふとしたときに見たときに、やっぱり髪がないっていうのは悲しくて。ずっと、私、自分の髪が好きで。

岸田 そうやんね。ずっと休日、髪いじってるぐらいですもんね。

三井 そう。大事にしてたので、それがふと悲しくなったときがあって。これから治療がうまくいって、人生が長く、きっと続いていくから、これから人生を歩んでいく上で、はげ以外の選択肢があるんだったら、私、はげじゃない人になりたいなって思って。完全に元どおりにするのは無理だとしても、何とか前の状態を取り戻す方法はないかなと思って、主治医に相談してみたら、いや、それは難しいかもしれないですねって言われて。で、主治医じゃ駄目かと思って、私、美容形成外科とか行って。

岸田 はい。

三井 行って相談したら、そこの先生が、昔、形成外科にいた先生で。過去の患者さんでここに電気ショックかなんかをくらって、大きなはげができちゃった人の治療をして、髪が生えるようになったっていう治療したことがあるって。だから、きっと、あなたも良くなるはずだよっていうふうに言ってもらえて。皮膚科じゃ駄目なんだと思って、形成外科なんだと思って。

三井 詳しいことをその先生に書いてもらって、また、主治医に、こういう治療があるらしいよっていうふうに言ったら、それ僕も知らなかったですって。じゃあ形成に紹介してみますって言ってもらって、同じ病院の形成外科、紹介してもらって。で、皮膚を伸ばして、伸びたら、こうはげを取って、皮膚同士をつなぎ合わせるっていうので、はげをなくすことができるよっていうことが分かって、今、現在治療しているところです。

岸田 だからバルーンで、バルーンっていうか、生理食塩水って書いてあるか。生理食塩水を入れて、ちょっと膨らませて、伸ばして、それで、あとそれを縫うという感じだね。

三井 そういう治療法があるっていうことは、皮膚科の先生も知らなかったです。足で稼ぎました。

岸田 すごい。

三井 絶対、何とか方法があるはずだと思って、私は。これだけ医療が進歩してるからと思って。

岸田 素晴らしい。多分、はげで悩んでる患者さんもいらっしゃると思うんで。そういう方法があるっていうのも知れるだけで、すごいなと思う。いいことだと思う。しかも、2回目をまた来月、予定していると。

三井 そうなんです。

岸田 1回だけじゃなくて、何回かしなあかんのね。

三井 はい。手術は2回で、1回目は4月に、ここははげなんですけど、はげの横、こことここに、バルーンを入れたんですよね。多分、治療の方法は、乳がんで乳房を失った方の、再建手術と同じ方法なんですけど。私は頭皮の下にバルーンを入れて、ここにポートがあるんですけど、ちょっと硬いポートがあるんですけど、週に1回病院に通って、ちょっとずつ生理食塩水を注入して、頭皮をどんどん伸ばしていくんですよね。今、もうこれだけ、中に風船が入ってます、私の頭に。

岸田 今、こんだけ?

三井 頭、ここまであります。

岸田 頭がそこまであるの?

三井 ここまであるんですよ。高さ、多分、6、7センチあると思います。

岸田 だから帽子をしてるってことね、冒頭のね。

三井 そうなんですよ。しかもかなり大きい帽子なんですけど、これで仕事も行ってるんですよね。

岸田 めっちゃあるやん。サザエさんもびっくりレベルやん、それ。

三井 ニコチャン大魔王ですよ、私、今。頭、けつみたいになってますから。

岸田 そうなのね。

三井 多分、今、頭の中にこれぐらい、500ミリペットボトル1本分ぐらいの生理食塩水が入ってて、ぱんぱんです。今週、最後の注入をして、一応、生理食塩水の注入は終わるんですけど。その後1カ月なじませて、来月ついにここ取って、頭皮同士をつなぎ合わせるっていう手術をする予定です。

岸田 ありがとうございます。すごい、いろんなことを教えてもらいました。そんな中、コメントもいっぱい、いただいてるので、紹介していきます。タカハシさんから、明るくお話しされていてすごいな、だったりとか、分子標的薬すごい、というやまやんさん。おしゃれも素晴らしい分子標的薬も素晴らしい、効いてよかったです、うれしい、ということだったりとか。ハリーさんも、寛解してよかった、と。分子標的薬はどれぐらいやったんですかっていう。

三井 どれくらいって期間ですよね。

岸田 うん、期間。

三井 まだ、今も続けてます。寛解した今も。

岸田 ということみたいです。副作用はどうでしたかっていうこと、いただいてまして。

三井 副作用、やばかったですよ。私、まず網膜剝離になって。目が見えないみたいな感じになりました。網膜剝離になって、網膜に水泡ができて、網膜がはがれて、目が見えなくなるという状況になって、休薬して。休薬してまた再開したら、網膜剝離、今度、大丈夫だったけど、腸炎になって、1日に何回も下痢をするみたいなのが続いたりとか。常に副作用との戦いっていう感じですね。効果は抜群なんですけど、その分、副作用も。

岸田 今は、今もある?

三井 今もあります。たまにおなかがすごい痛くなって、下痢が止まらなくなって休薬したりとか、たまに目が見えづらくなったりとか、今もあります。

岸田 今もあると。副作用と付き合いながら今も、いる、ということですね。ありがとうございます。ただ、寛解してますからね。ブタニクさんも、寛解と聞いたとき本当にうれしかったです、という言葉をいただいております。よしさんも、形成外科すごいですね、ということだったりとか。ブタニクさん、頭のとこ、とても大きい、本当びっくりです。そんなふうになるんだ、びっくり、ということで。nishimuraさんも、舞の海もびっくりやんっていう、そういうようなとこで、いただいております。舞の海って、そっちの、お相撲さんのほうかな。

三井 お相撲さん?

岸田 分かんない。

三井 まげってこと?

岸田 かな。へるさいさんも、再建の仕上がりが楽しみです、といただいております。皆さん、コメントありがとうございます。

三井 ありがとうございます。

岸田 では、写真を、闘病前、闘病中、闘病後でいただいておりますので、写真をこちら、いきましょう。まず、闘病前の写真。これが、駆け付けてくださった旦那さんとのツーショット。

三井 はい、そうです。これ、私が前勤務していた学校、オホーツク海の近くだったんですけど。冬になると、流氷が来る町に住んでいたので、これ、流氷砕氷船のガリンコ号っていうのに乗って、撮ってる写真ですね。流氷を、この後ろの白いのは、普通の地面じゃなくて海の上です。遠い海から来た流氷を、ガリガリしながらクルージングするときの写真です。

岸田 それが闘病前だったとき、と言うと、なんかあれかもしれないですけど。がんになる前ということです。そして、がんになってから、こんな写真になります。こちら、左の写真はなんですか、これ。

三井 やだ、きれいじゃないですか。これ私の髪です。

岸田 髪の毛、さすが、さらさらそう。

三井 さらさらのストレートヘアで髪質はすごい良くて、昔から自慢の髪だったんですけど。これ多分、手術の当日の朝かな。髪がなくなっちゃうっていうのは結構、悲しくて。何枚も写真も動画も撮りました。主治医にお願いして、切った髪の毛はちゃんと取っておいてもらって、今でも手元に残ってますね。

岸田 本当に、それだけ髪にこだわりありましたもんね。

三井 はい。

岸田 そして、その右のやつが、これは。

三井 これ最近ですね。4月の手術のときの、再建手術の後です。頭皮にバルーン仕込んだときの写真ですね。

岸田 こんな感じになんねや。これ、バルーン仕込んでるとこ?

三井 そうです。おでこの上にあるガーゼの下にバルーンと、あと耳の上にバルーンもう1個と。でも、これまだ、手術後ちょっとたって、だいぶ良くなったときの写真で。手術直後とかはドレーン、血の管がこことここから飛び出してきて、本当に、同室の人もえって二度見するぐらい、グロテスクな見た目でした。

岸田 ここが生理食塩水で大きくなってって、それをつなげたりとかしたってことだよね、この部分を。

三井 そうです。

岸田 ありがとうございます。リアルな。そして次の写真がこちらです。これは、この写真はなんですか。写真が写ってる。

三井 これは私、卒業式に間に合うように願掛けで、クラスの生徒との集合写真を病院の机に置いて、それ見ながら、私は絶対間に合うんだぞって思いながら、つらい時期を過ごしてたときの写真ですね。

岸田 そういう写真とか大事よね。自分を奮い立たせるというか、頑張ろうと思えたりするしね。生徒さんたちの写真を入れて、闘病してたということです。そして闘病後、これは、次、こちらの写真になります。

 

三井 これが卒業式直前に間に合ったときの写真です。

岸田 卒業式でね。

三井 生徒たち、これがクラスの生徒たちなんですけど、男クラ、男子クラスの女担任、3年間やってたんですけど。

岸田 そうなんや。

三井 やっと間に合って、生徒たちと作業学習っていう、クリーニングの学習をしているときの写真です。

岸田 すごい。男子クラスの、高校生ですもんね、みんな。

三井 はい。もう社会に飛び立つ前の、ほんの1週間前の写真ですね。

岸田 すごい。

三井 三井先生、戻ってきたぞって言ってもらって。

岸田 みんなもめっちゃ喜んでたでしょうね。

三井 しかも、一番私に反抗してた、やんちゃな生徒が泣いていたという話を聞いたりとか。いろいろ、思うところがありました。本当に間に合ってよかったです。

岸田 よかった、間に合って。そして、次の写真がこちら。これは。

三井 これが去年の10月に撮った写真なんですけど。私、結婚してもう10年近くたつんですけど、当時は結婚式は挙げたりしてたんですけど、和装をしてなくて。それがずっと心残りで、事あるごとに着物着たかったなみたいな話、旦那にもしてたんですけど。いつかやろうって思ってることって、私、がんになって人生どうなるか分かんないなと思って。

三井 やりたいことはちゃんと実現させないと、死ぬ間際になって、すごい写真撮りたかったって死ぬのは絶対やだなと思って。去年の10月に実際に撮影に行った写真ですね、これ。

岸田 そうなんや。いつかやろうっていうのは、大体、先延ばしになっちゃう。そして、自分が死ぬかもしれないときに、やっとけばよかったって思うことがあって。その中の、三井さんは、和装で写真撮りたかったなっていうことがあったということですね。すごい、めちゃくちゃ似合ってるじゃないですか、これ。

三井 かわいいでしょ。

岸田 隣の旦那さんは、先ほどの旦那さんと同じですよね、別人じゃないですよね。

三井 同じ、眼鏡変わってないです。

岸田 すごい、すてきな写真で。こういったところを、写真を撮られていたということになります。コメントも、旦那氏、旦那さーん、とか、またきちっていうふうなコメントもいただいております。

三井 さっきの、黄色いぬいぐるみくれた友達ですね。

岸田 そうなんですね。さすが。またきちって名前なんですか、ちなみに。

三井 またきちっていう名前じゃないです。勝手に友達がまたきちって呼んでるだけです。

岸田 呼んでるだけ、紛らわしいやろ。

三井 またきちじゃないです。

岸田 また闘病のところ、ここからはいろいろ各項目に分かれて、お伺いしていくんですけれども。

三井 はい。

【妊よう性】

岸田 まず、こちらの項目をお伺いさせてください。妊孕性。妊娠する能力のことを指したりとかするんですけれども。先ほど、闘病のところでもお話がありました。オホーツクから札幌への、採卵でのところだったりだとか、遠隔の病院への通院っていったところがあったという話を聞いてるんですけれども。

岸田 妊孕性について、どういうふうに、先ほどもありましたけど、もう一度お伺いできますか。妊孕性、どういうふうに説明があって、どういうことをしたのか。

三井 妊孕性を失うじゃないけど、もしかしたら抗がん剤の影響で、良くなくなる、悪くなるかもしれないっていうふうに説明を受けていて。当時、私、3年間担任したこの生徒たちを送り出したら、自分たちの子どもが欲しいというふうに、ちょうど思ってた時期だったんですよね。なので、子どもを産む能力は失いたくないっていうふうに思っていて。

三井 ただ、かなりお金がかかるっていうのは、何となくだけど知ってはいたんですよね。安くても20~30万、かかる所は50万ぐらいかかるっていうのは、何となくの知識で分かっていたんですよ。そこの部分も含めて、かなり悩んだんですけど。でも、あのときやっておけばよかったって、もしかしたら後悔するかもしれないから、それだったらやっておこうっていうふうに主人と話し合って、妊孕性を温存することに決めて。

三井 運よく保険金が下りていたので、そのお金でやりくりして、妊孕性を温存したんですけど。でも、結果から言うと、北海道から妊孕性温存についての助成金が全額下りたので。結局、持ち出し0円で間に合いました。

岸田 何やったん、妊孕性の温存は。卵子保存、卵巣保存とかいろいろ種類あると思うねんけど。

三井 私は受精卵温存をしました、主人がいるので。排卵誘発剤打って、毎日、病院通って打って、採卵するっていうのを2回やりました。それが結構、大変で、夜11時に病棟行って注射打ってもらったりとか。3月に病院通ってたときは、こっちに、札幌にいたのでよかったんですけど、4月、職場復帰してからの採卵はすごい大変でした。

岸田 やっば。

三井 札幌の病院で注射器と薬剤もらって、向こうの、オホーツクの病院で打ってもらえる所を探して、自分で探してくださいって言われて、自分で探して。薬剤打って、決まった時間に職場休んで病院行って、毎日過ごして。そして、ちょうどいい時期に高速バスで5時間かけて札幌戻って、何日か仕事は休んで採卵してみたいな感じで、結構大変でした。

岸田 大変やな。けど、それで受精卵を凍結することはできたということですね。

三井 はい。

岸田 それは、また今後、活用される可能性はある。

三井 はい。私は、分子標的薬で完全寛解って言われたのが今年の2月だったんですけど。その後どうするかっていうのは、主治医も迷うところがあったみたいなんですけど。オンラインで参加したメラノーマの患者会で、メラノーマの日本の権威と呼ばれる先生に、私、直接質問したんですよね。こういう状況で完全寛解しました。

三井 いつか妊娠したいと思ってるんですけどっていう話をしたら、メラノーマのステージⅣで子どもをもうけたっていうのは、日本では過去に例がないっていうふうにおっしゃってたんです。やっぱりすぐ死んじゃうから、メラノーマのステージⅣって。でも、私は運よく、完全寛解というところにまで行き着けたので、1年様子見たら、踏み切っていいんじゃないかっていうふうにおっしゃってもらって。

三井 その先生からそんなふうに言ってもらいましたよっていうのも主治医に伝えたら、その先生が言ってるんだったら間違いないと思いますって。僕もそれを聞けて安心しましたって主治医も言ってました。なので、来年、チャレンジできるときがきたら、このまま症状が落ち着いていて、チャレンジできるときがきたら、しようかなと思ってます。

岸田 よかった、よかったっていうか、今の感じだと。

三井 ただし、そのときになったら抗がん剤もやめるっていう決断をしなきゃいけないので。

岸田 そうか。

三井 結構、命懸けにはなってくるとは思うんですけど。でもやっぱり、懸けてみたいなっていうのは、女性として生きていて思うので。懸けようかなと思う、日本で第1号になると思います、きっと。

岸田 みんなで、プレッシャーじゃないですけど、本当にいい意味で期待して待っております。またそのときは、お話をお伺いさせてください。

三井 分かりました。

【家族】(パートナー)

岸田 そして、妊孕性の次、こちらですね。家族、パートナー。旦那さんの写真だったりとか、今の妊孕性のことでも、旦那さんのお話が出てきたと思います。旦那さんがどういうふうに支えてくださったっていうか、こういうことしてくれてよかったな、だったりとか、そういったところってあったりとかしますか。

三井 旦那も、多分、私と同じように常に揺れ動いて、不安の中でやってきたと思うんですけど。常に私の横にいてくれて、同じ角度で同じ目線で病気に向き合ってくれたので、すごい心強かったです。入院したときは、仕事終わったら毎日、当時コロナ前だったので、毎日面会に来てくれて、一緒にご飯食べたりとかして。旦那の仕事が遅くなったときは、病院の外で、スマホのライトを暗い夜道からこうやって照らしてくれるんですよ。スマホのライトを。

岸田 何なん、そのドラマみたいな。

三井 私、9階の病室から、スマホのライトで照らし返すみたいな。

岸田 もう面会時間終わってるから、外からスマホで自分がいるよっていうことをさせてくれて、自分もそれでやるっていう。

三井 そんなことをしてました。常につらい闘病生活だったけど、常に楽しみ見つけて、うける、見える、みたいな。そんなことをやってました。

岸田 ええ旦那さんや。そういう、常に一緒にいて、サポートしてくださったということ。

三井 はい。

岸田 こうしてほしいなとかっていう要望とかはない、特に、旦那さんに。

三井 こうしてほしいなっていうことを、常にしてくれてたかなと思います。近くにいてほしいときにいてくれたし。

【家族】(ご両親)

岸田 世の中の旦那さま、勉強しましょう、一緒に。そして、では、次、家族ですけれども。家族のご両親について、旦那さんのことは結構出てきたんですけれども、闘病生活のときも。ご両親に報告とかどういうタイミングでして、どういうサポートがあったとか、ありますか。

三井 私、病気する前は、正直あんまり関係が良くなくて、両親とは。1人暮らしするときは、本当に夜逃げのように実家から飛び出してきたりとか、本当に関係が良くなかったんですけど。いざ闘病生活が始まるってなったときに、力になってくれたのが母で。物静かで、本当に何も言わない人なんですけど。ただ、私がオホーツクに満を持して帰るっていうときに付いてきてくれて、生活のサポートをしてくれたりとか。

三井 家、帰ってきたら、私は寝ればいいだけの環境を整えておいてくれたりとか。今も、私、分子標的薬で副作用があったりする日が結構あるので、仕事に全力注げるように、家事を手伝ってくれたりとか。そんなふうに、私の生活の中のサポートをしてくれているのが母なんですけど。ただ、父が、父とはもう、病気を境に関係が大きく変わってしまって。

岸田 どういうこと。

三井 私、もう良くない関係になっちゃって。私ががんになったときに、手術の直前ぐらいに、酔っぱらって病院に、私の携帯に電話をかけてきて。おまえがんなのか、俺もがんなんだ、みたいな、意味分かんない冗談を吐いてきて。

岸田 冗談なの? やば。

三井 冗談です、冗談。もう信じられないと思って。私も自分のことで精いっぱいだったから、病室に帰って泣いて。次の日、看護師さんに相談したら、病気になってしまった娘を持ったかわいそうな俺、みたいなお父さん、結構多いよって聞いて。多分、私より病気を受け入れられないでいるんだと思います。本当は私は、寄り添ってほしかったんですけど。助けてほしかったんですけど、そんな感じなので。もうほぼ連絡を取らずに、今日まで。

岸田 いや、それは適切な距離が大事だと思います、そこでね。

三井 コミュニケーションを取るときは、母か兄かに挟まってもらってみたいな感じ。ちょっと両極端ですね、両親は。

岸田 お母さんはサポートしてくださって、お父さんは現実を受け止められないというか、そういった形で。

三井 はい。

岸田 適切な距離を保って。そういう、いろんな家庭のあれ、ありますから。みんなも無理にコミュニケーションとろうっていうんじゃなくて、三井さんのような形もあるということで。

三井 つらいときはもう、家族であっても離れていいかなって思います。

【仕事】

岸田 ですね。その状況だと、そうだと思います。ありがとうございます。そして次、こちら、お仕事。先ほど高校生たちの写真も見せていただきましたけれども。どういうふうに、まあ教頭に最初言って、そして休んだりとかしていたと思うんですけれども。復職のタイミングだったりだとか、どういうふうに仕事と治療を両立させていったとか。そういうところをお伺いしたいんですけれども。

三井 私は、うわさ話とかで、三井先生、実は病気らしいよみたいなのがざわざわ広がっていくのが、もうすごく嫌で。私はがんになった時点で、病気になりましたって。これから治療が続くと思います、休んだりもすると思いますけど、ご配慮いただければ幸いですっていうのも、職朝で言いました。

岸田 職朝って、全員出てる会議みたいな。

三井 そうです。朝、言いました。頭のことも、ウィッグで、多分、これから生活することになると思いますとか、生徒にはこういうふうに説明しようと思っていますとか、自分の気持ちを全部話すように、私は割とオープンにしていました。そういった状況で復職したので、多分、皆さん理解していただけていたと思います。で、職場に戻って。

岸田 同じ学校に、もちろん戻ってってことやもんね。

三井 そうです。

岸田 そして、高校生たちを送り出してからも、同じ高校で働いていた。

三井 そうです。本当は、すぐ移動希望を出したんですけど、なかなかそうはうまくいかない、職場の都合があって。1年、オホーツクと札幌の病院を行き来する生活をして。

岸田 大変よね。

三井 でも、仕事は続けたかったので。すごく、治療のときにお金がかかるし。あとは、私を私たらしめているものって何かなって考えたときに、三井先生っていう、教師の仕事をしている私っていうのが、私の人生にやっぱり欠かせないものだなと思ったので、絶対、仕事は辞めたくないし辞められないと思ったし。

三井 私は生徒の姿を見ていたらすごく元気がもらえるので、何とか両立して続けたいなと思って。一回、うつになったときにはすごい悩みましたけど。このまま仕事を辞めて、旦那の所に戻って、おとなしく暮らしたほうがきっといいんじゃないかなって思って、すごく悩んだ時期もあったんですけど、仕事、辞めないでよかったです。

岸田 辞めないでよかった。

三井 今、すごく楽しいです。仕事続けられてることが。

岸田 やっぱ、それは、仕事やってることで自分を自分たらしめているというか。

三井 私のアイデンティティーですね、教師であるっていうことが。

岸田 大事ですね、仕事。けど、それで両立できているんであれば。札幌に戻るとかっていうのは、ありえる。

三井 戻ってきました。

岸田 そうよね。今は、札幌に戻ってきて、オホーツクの学校から転勤して、今、札幌の学校?

三井 はい、そうです。希望かなって、かなえていただいて。

岸田 そこでは、札幌では、自分ががんっていうことも、全体会議で伝えてる。

三井 もう自己紹介で言いました。こういう状況ですって。入院することもあるし、突然具合が悪くなって休むこともあるし。ただ、来てるときは一生懸命頑張りますっていうことを伝えて、一緒に仕事させていただいてます。

岸田 じゃあ、皆さんも理解あってということですね。

三井 はい。

【お金・保険】

岸田 ありがとうございます。そして、その次、こちら。次は、お金、保険のことというところで。さっき、めちゃくちゃお金がかかるからっていったところもあったと思うんですけど。どれぐらいかかった、お金。オホーツク往復だけでも、なかなかやと思うねんけど。

三井 そうですね、なかなかですね。交通費えぐいですね。

岸田 交通費だけで数百万レベルちゃうん? そんなことない?

三井 数百万も、それはかかんないけど。でも、往復すると1万円以上は軽くいきます。

岸田 そうね。それを何十回やってるわけよね。

三井 そうですね。そのときはもう、それが当たり前だと思ってたけど、今考えるともう異常なぐらいかかったと思います。

岸田 治療費入れたらもう、治療費入れたら数百万いくでしょ、だって。

三井 いくと思います。

岸田 それらを、さっき妊孕性のところで保険金がっていう話もあったけど、保険は入ってたん

三井 保険は入ってました。教員になったときに、保険屋さんがいろいろお話に来てくれて。当時は若くて、健康だし必要ないと思ってたけど、みんな周りが入ってたから、そんな空気に流されて入ってましたけど、入っといてよかったです、本当に。

岸田 その保険金で相殺できた? 治療費とかもろもろ含めて。

三井 相殺というか、むしろプラス、もうけたぐらいの感じです。

岸田 いや、しっかり入ってて、それは別に、ちゃんとした対価だから。そうなんや。

三井 治療費だけじゃなくて、先立つものが手に入ったので、私はそれで家建てました。

岸田 ちょっと待って、飛躍がすごい。ほんま。

三井 保険金で。全部は払えてないけど。

岸田 もちろんね。頭金としてというか、最初に。

三井 はい。

岸田 札幌に、じゃあ、家を持って。

三井 そうです。

岸田 すてき。

三井 一軒家、建てました。療養生活が続くんだなって思うと、ちっちゃいマンションの部屋で、日当たり悪かったんですよね。このまま、ここで過ごすのもつらいなと思って。いつか家、欲しいなと思ってだけど、さっきの話じゃないですけど、いつかって思うんだったら今かなと思って。もう、すぐ建てちゃいました。

岸田 日当たり悪かったら、またうつ的なところも、いろいろありますもんね。

三井 はい。

岸田 日当たり的なところだったりとかして。自分の健康だったりとか、いつかっていったところも考えて、家をそれで建てれたっていうの、いいと思います。素晴らしい。

三井 ありがとうございます。

【辛い・克服】

岸田 素晴らしい。ありがとうございます。なので、治療費プラス、あったということですね。そして、次、こちらになります。つらい、克服といったところなんですけれども。いろいろ、大変なところあったと思いますけど、これはきつかったなっていうことを、どういうふうに乗り越えてきたのか。三井さんの場合、どうでしょう。精神的、肉体的にあると思うんですけど。どう?

三井 やっぱ、髪、失うっていうのが一番、全部の治療を通してつらかったかなって思うんですけど。髪、失ったけど、ウィッグってすごいおしゃれで、安くて、かわいいのがたくさんあるんだなっていうのを知れたのが、結構大きかったですね。治療でつらいとき、仕事の仲間にも、ウィッグいろいろ変えて、むしろ楽しんでないって言われて。むしろ、楽しんでる私、いるかもしれないってそのとき思いました。ウィッグも、気が付けば、今もう1、クラス分ぐらいあるかな。40人ぐらいいますよ。

岸田 今、近くにあったりとかする?

三井 いっぱい。あそこにもいますね。1人。ちょっとぐちゃぐちゃ。

岸田 ほんまや、1人いた。見えました、1人見えました。

三井 1人います。

岸田 1クラス分、やべえ。

三井 マネキンも。ただ今、こういう状況なので、かぶれないから。最近は全然かぶってないですけど。苦しさの中にも、そういう楽しさ見つけれたかなっていうのはありますね。

岸田 大事。そういうときだからこそっていうことで。40個ぐらいか、すげえな。

三井 再建、うまくいっても、多分、私ウィッグは楽しむと思います、きっと。

岸田 ほんまに。

三井 はい。ロングにしてたらショートにしたいなって思うときあるし。毛量が多めだったらアレンジしやすいなとかも、髪の色変えたいなとかも、いろいろあるから。多分、私ががんになってなかったら、そういう楽しみ知らなかったから。これからもきっと、ウィッグは楽しい趣味として続けていくんじゃないかなと思います。

【後遺症】

岸田 がんになったからこそ、こういう楽しみも分かっていったというところ。次、こちら。後遺症のことということで。今、頭皮のところもいろいろ、あと、妊孕性のところ、いろいろお話しいただきましたが。他に後遺症ってありますか。

三井 1回、うつ病をやってるので。やっぱり怖いなって思うときは。またぶり返したらどうしようかなって思うときは、2年たってもあるけど。でも、ちょっと危ないかなって思ってるぐらいが、精神的に健やかに過ごせるんじゃないかなっていう、逆に私、そう思っていて。何でもできるとか、精神的に健康だって思ってるうちって、危ないかなっていうふうに思います。1回メンタル系やってると。なので、気持ち的に怖いなって思うときあるけど、でもまあ、それも私の財産になり得たのかなっていうふうに思います。

岸田 そういうことね。メンタル系のそういうことって、あんま聞かないんで、そういう。そういうこともあるかもしれないと思っているのは大事。

三井 うつってみんな隠したがるけど、でも、多分、うつ病の人って周りにいっぱいいると思います。私、経験して思うんですけど、この人もしかしてって思う人は周りにいるし、きっとこれ見てくださってる人の周りにも、たくさんいると思います。みんな言ってないだけで。

岸田 僕も、だって、いくとこまでいったもん。うつの症状の1歩手前まではいったね。そんときは、結構、苦しかったもんな。

三井 もうがんの治療より苦しいとき、ありますよね。

岸田 だから僕は、がんで死にたいとかっていうの全く思わなかったけど、その後そういうふうになったときに、俺死んだほうがいいかもって、そのときに思ってしまった自分がいたのが、めっちゃ自分でもショックやった、すごい。

三井 私、本当に、走ってる車に吸い込まれそうになったときとか、あと、歩道橋を見て、あそこから飛び降りたらって、うつのとき、本当にそんなことばっかり思ってました。車運転してこのままとか。

岸田 正常な判断できないもんね。本当に、うつのときって。けど、すごい、それを乗り越えてという言い方、ちゃんと自分でそういう気持ちを持って、今いるっていうことよね。

三井 共存してる感じですね。

【反省・失敗】

岸田 うん。ありがとうございます。そして、その次、こちら。反省、失敗ということなんですけれども。あんときこうしとけばよかったなとか、プチ失敗みたいなことあったりとかします?

三井 いや、そんな、考え込まずやってきたので。やりたいことは全部やってきたし、これからもやりたいことはやっていこうと思ってるし、特に反省とかはないかな。反省しろよって思ってる人いるかもしれないけど。分かんない。特にないです。

【医療者へ】

岸田 ありがとうございます。一気にばーっといきますね。次、こちら。医療者へといったところで。医療従事者の方も、結構がんノート見てくださってるんですよ。なので、皆さんに、医療従事者の方にありがとうだったりだとか、こうしてほしいとか、感謝や要望をお願いできますでしょうか。

三井 私は、病気の過渡期を1人で乗り越えてきたわけじゃなくて。私の一番の心の支えになってくれたのが、がん専門看護師の方。その方に、自分の病気のこととかだけじゃなくて、仕事のこととか生活のこととか、いろいろ相談して、私を、自分自身を保って治療に臨めたので。看護師さんに、やっぱり感謝の気持ちしかないです。

三井 一緒に、私と、あと私の病気のことと、将来のことを考えてくれて、ありがとうございますっていう気持ちでいます。あと、主治医がいい人なんですけど、何でも言っちゃうマンなので、言い方って思うとき。今もう、3年ぐらいの付き合いになってるので慣れてきたけど、言い方って大事だよねっていうのを、お医者さんにぜひお伝えしたいです。

岸田 言い方大事です。

三井 オブラートに1枚ぐらい包んでほしい。

【Cancer Gift】

岸田 何でも聞きたいったって、その場で再発かもとか言うんじゃなくて、ちゃんと分かってから言ってくださいということですね。ありがとうございます。そして、次、こちら、Cancer Gift。Cancer Giftという言葉は、がんになって苦しいことや、大変なこといっぱいあると思うんですけど、その中で自分が気付けたことだったりとか、むしろよかったことだったりとか、あえて言うとしたら何かということを、お伺いしたいんですけれども。三井さんの場合、どうでしょう。

三井 私、このCancer Giftの言葉自体、好きじゃないんですけど。

岸田 いいですよ、全然もう。

三井 本当、この言葉、くそ食らえと思ってるぐらいのあれなんですけど。やっぱり、がんになってよかったことは一つもないです。つらいことが多かったし、きっとがんになってなかった私は、今、子どもを抱いて楽しく過ごしているかもしれないので。つらいなっていうのは、やっぱりたくさんあるけど。

三井 でも、病気になって経験できたこととか、あと分かったことっていうのは、まあいくつかあります。私はずっと上昇志向が強くて、仕事は何でもできるって思っていたし。公務員として働いているので、1人で生きていくこともできるんだっていうふうに思っていたけど、それは思っていただけで。

三井 病気になって気付かされたのが、周りの人にいろいろ支えてもらったから、そういう状態を作り上げてもらっていただけで。1人で生きてたわけじゃないっていうのに気付かされたっていうのは、やっぱり大きかったかなって思います。若いうちにそれが、いや、本当は分からない人生がきっと幸せだったと思うんですけど。若いうちに分かってよかったなとは思うし。

三井 あとは、こういう経験をしてきたから、教員というこういう身分で、人を支えてあげることもできるのかなっていうふうに私は思っていて。つらいなって思っている子どもたちを支えたりとか、保護者の方に寄り添ってあげることができたりとか、そういう経験ができたのは、教員として生きていく上で、やっぱり大きな経験にはなったかなというふうに思います。

岸田 周りに支えられてるっていうことね。僕もがんにならないと、独りよがりやったやろなっていうの、すごく思いますね。

三井 そうですね。

岸田 そういうことに気付かせてもらったということが、Cancer Gift。くそ食らえのCancer Giftで唯一あるとしたらっていう、注釈ですけれども。

三井 はい。

【夢】

岸田 ありがとうございます。そしてこちら、三井さんの夢ですね。今後どうしていくかっていったところを、お伺いできますでしょうか。

三井 夢、私、常にいっぱいあるんですけど。

岸田 いいですね。

三井 まず、9月、手術うまくいったらロングヘアにして、また自分の髪でヘアアレンジ楽しみたいと思うし。あとは手術がうまくいってウィッグかぶらなくてよくなったら、私、南の島に行きたいなと思ってたんですよ、旦那と一緒に。ただ、私、皮膚があんまり強くなくて、紫外線でぶつぶつ出たりとか、皮膚がんだっていうのもあるので。

岸田 メラノーマですもんね。

三井 南の島あんまりよくないかなと思って、オーロラを見に行きたいなと思ってます。

岸田 南じゃなくて、北に行くのね。

三井 はい。オーロラ見に行きたいなっていうのもあるし。あとは、やっぱり子どもが欲しいです。

岸田 そうね。

三井 自分の。生徒もかわいいけど、やっぱりこういう仕事に就いたのは、生徒が、子どもが好きだっていうのもあるし。メラノーマ、ステージⅣでも、子ども持てるんだぞっていう夢はかなえたいです。

岸田 日本で初めてのね。

三井 日本初になるかもしれない。

岸田 日本初になるかもしれないので、そこもね。すてきな夢だと思います。オーロラも、カナダのイエローナイフとかだと、僕もいろいろお伝えできることもあるかもしれないです。

三井 本当ですか。

岸田 世界1周してたときに行ったりとかはあったので。

三井 教えてください。

岸田 ぜひ。そして、これからペイシェントジャーニーにいくんですけど、その前にいろいろ、他のコメントもいただいていますので、またコメントを見させていただければと思います。きゅーちゃんさん、ありがたい助成金、北海道は全額出るんだな、いいな、という、そういったところ。

岸田 先ほど、妊孕性のところですよね。あと、ブーマン栗山たまえさん。医療者です。具体的なことでとても知りたかったことです、ということで、ちゃんといただいております。医療者もちゃんと見てくださいっています。ありがとうございます。

三井 ありがとうございます。

岸田 やまやんさんも、ぜひ日本初になってください。応援してます、っていうことだったりとか。窓の外にスマホの光、すてき、ということだったり。スマホでの愛情確認、すてきです、と。これ、絶対ドラマでいけるよな。あと、苦しさの中に楽しさを見つけることって、大事ですよね、ということだったりだとか。暗闇で1クラス分のウィッグを見たとしたら、びっくりしますよねっていう、ブタニクさんが。

三井 びっくりすると思います。

岸田 確かに。それはもう、ちゃんと保管はできてんの。そういう、保管庫みたいなのがあるの?

三井 保管庫、あるんですよ。ニトリでウィッグ専用のキャスター買ってきて、全部詰めて。あとは、マネキンに6個ぐらい、ウィッグ、かぶさってます。

岸田 マネキンって普通に売ってるもんなん。

三井 マネキンは売ってます。

岸田 売ってるんや。

三井 ダイソーでも実は売ってます。発泡スチロールのマネキン。

岸田 それに入れると型も崩れへんし、いいよね。

三井 そうです。

岸田 ウィッグが趣味、いいですね、とか、へるさいさん、里美さんにウィッグのことを教えてもらえて拡大切除術も怖くなくなりました、と。へるさいさんは、拡大切除術される予定なんですかね。

三井 頑張ってください。

岸田 拡大切除術、いろいろありますからね。里美さんはインスタも、いろいろされてますので、質問とかあったらぜひ。なんて、勝手に言ってるけど。

三井 いいです。インスタ、サトミ、アンダーバー、メラノーマで検索したら出てくるので。

岸田 サトミ、アンダーバー、メラノーマで、ぜひ聞いてみてください。ありがとうございます。riekoさん、riekoネコスキーさんが、なりわいとしての教師をもし辞めたとしても、三井先生に教わった生徒さんたちにとっては、永遠に先生だと思います。ええこと言う。

三井 ありがとうございます。そうだとうれしいな。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 まさにそうだと思います。ありがとうございます。そして、まとめということで、三井さんのペイシェントジャーニーをお伺いしていきたいと思います。ペイシェントジャーニー、こちらになります。皆さん、見えますでしょうか。こちらですね。三井さんのペイシェントジャーニーとなります。

岸田 三井さんのペイシェントジャーニーがですね、見ていくと、民間の企業から教員へ、そして、仕事が乗りに乗る、上がっていきますね。すいません、ペイシェントジャーニーの説明をちゃんとしてなかったな。自分の、一番上のほうがにこちゃんマーク、下のほうがネガティブな感情になっていて、赤色がポジティブなところ、青色がネガティブなところです。灰色は、手術だったりとか、治療のことだったりとかしています。

岸田 で、民間から教員へということで、教員になっていって、そして、教員の仕事が乗りに乗っていってから、先ほどあった、つむじに大きなほくろが見つかっていく。そして紹介状を書いてもらって、病院に行って、最初、ほくろの切除術をしていきます。そんな中で、ほくろの切除術で良性だと思ってたら、オホーツクの授業のときに電話でがん告知を受け、その後、給食を食べるというふうなことをお伺いしていきましたよね。そして、その後、緊急入院で手術が延期になっていく。これ、手術の延期、赤色でポジティブやねんけど、これはポジティブ、いい意味だった?

三井 いや、よくないですね。

岸田 よくないですよね。けど、ポジティブって書いてましたね。

三井 ちょっと間違えた。

岸田 手術延期でどうしようっていう、すごく不安なところがありました。その後、拡大切除術をして、植皮をしていくということで。そして、薬物療法をしていった中でも、その中で、生徒の卒業式に間に合って、卒業式ができていくということですね。

岸田 そして、その頂点からまた下がっていくといったところは、採卵のために札幌、オホーツクの往復、妊孕性の温存のために往復をしていって、そこからドンと、めちゃくちゃ下がっていく。それが、再発の可能性浮上と。先生がぽろっと言っちゃった、再発の可能性のところ。そこから、うつの発症ね。こんときは、本当にもう、がんよりもこのときはきつかったっていうことですよね。里美さん、あらためて。

三井 本当に、がんだったら治療法はすごい明確じゃないですか。うつの治療法っていうのは、なかなか、人によって違ったりとか、どれだけの治療をしたらどれだけ良くなるっていうのが分からない状態だったから、つらかったです。一番つらかったです。

岸田 ということ。そして、うつの治療をしていって、そっから上がっていきます。職場復帰していって。そして、札幌の転勤が決まり札幌に。札幌に転勤をしてから、右の脇腹のしこりが見つかっていくんですよね。

三井 そうです。

岸田 そこから、肺や肝臓、骨、皮膚の転移も分かって。そして、先ほどあった、薬物療法のビラフトビとメクトビの治療をしていく中で、さらっと、さっき言いましたけど、網膜剝離や腸炎が発生し。網膜剝離とかはもう大丈夫やった? すぐ治療して。

三井 休薬して、割とすぐ良くなったかな。

岸田 休薬したら良くなんの?

三井 はい。この分子標的薬の治療って休薬して、もう休んで、薬飲んで、みたいなのの繰り返しです。副作用が出たら休んで、みたいな。

岸田 そういう感じね。

三井 はい。

岸田 そういう治療をしていったおかげで、がんが小さくなって完全寛解といった中になっていきます。そして、今、頭皮の再建手術を1回目はやって、2回目は来月に控えていると。今、ちょうど週に1回の生理食塩水を注入しているところということになっております。

三井 はい。

岸田 なんか里美さん、話、補足とかあったりとかしますか、この中で。

三井 大体こんな、振り幅大きいですね、私。いいときがあって、悪いときがあってっていうのが、本当に多いこの3年ぐらいだったなっていうふうに思います。

岸田 ありがとうございます。そして、これから、闘病中のあなたへのメッセージを伺う前に、こちら、紹介させてください。協賛いただいております企業さまを紹介いたします。生きるを創る、Aflacさま。そして、グローバル企業のIBMさま。そして、I・TONGUEさまにご協賛いただいております。そして、ご支援してくださった皆さまも、本当にいつもありがとうございます。

岸田 そして、次、こちら。今、闘病中のあなたへというメッセージになります。の、前に、こういう緩い感じが、がんノートですからね。全然、大丈夫。アンケートを、がんノートnightとかはその場で集計してっていうことで、アンケートをやってるんですけれども。今回に関しては、この番組の終了後、概要欄だったりだとか、コメントの所に、アンケートURLを張っておきますので、そこからコメントだったりとか、アンケートをいただいて。

岸田 三井さんへのメッセージとかも入れておりますので、コメントいただいたら、ゲストに後日、明日以降、共有したいと思いますので、皆さんぜひ、できればきょう、明日、早めに入れておいていただけるとうれしいなということを思っております。よろしくお願いいたします。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 それでは、あらためて、こちら、いきましょう。今、闘病中のあなたへ。めちゃくちゃ、このがんノート、見てくださっている患者さん、すごくいらっしゃいますので、今、三井さんの触れ幅が大きかった、うつも経験されて、がんの経験もされて、転移もいっぱい経験されて、そんな中から、今、闘病中のあなたへのメッセージ、お願いできますでしょうか。

三井 はい。

岸田 三井さんからのメッセージ、こちらになります。

三井 がんになってもあなたはあなた、ということで、がんになったら、まず、がん患者っていう、がん患者って言われてしまうんですけど。でも、がん患者だけど、私は教師としての私を諦めなかったし、三井里美っていう個人であることをなくさなかったし。

三井 あなたもきっと、今、つらい中にいるかもしれないんですけど、がん患者っていう名札はいったん忘れて、今、自分が思ってることとか、やりたいこととか、忘れないで大切にしてください。きっと、それを実現できるときっていうのは必ず時間がたてばくると思うので、諦めないで、自分でいることを忘れないでいてください。

岸田 ありがとうございます。諦めない、自分でいることを忘れないという。がんに全部支配されるのって、なんか、しゃくですもんね、三井さん。

三井 そうです。自分の人生だから、がん患者で終えてほしくないなと思います。自分の人生を生きてください。

岸田 自分の人生を生きるというコメントをいただきました。なので、皆さんも、三井さんもそうだったように、そのときにいろんな手助けが必要であれば、周りの人を頼ったりだとか、三井さんを頼ってみたりとか、もちろん、がんノートを頼ってみたりとか。いろんなことでサポートあると思いますので、ぜひ、自分一人で考えず、がんになってもあなたはあなたということで、今回のがんノートoriginを終了していきたいということを思っております。三井さん、本当、100分近くですね。本当に根掘り葉掘りお伺いさしていただいて、僕も再建術なんて知らなかったし、うつの大変さとかいろんなことも、本当にいっぱい、お話しいただきましてありがとうございました。

三井 はい。

岸田 これにて、がんノート、終了していきたいと思います。ご覧いただいた皆さま、ありがとうございました。

三井 ありがとうございました。

岸田 またどこかでお会いしましょう。それでは、バイバイ。

三井 はい。

 

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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