目次
- 【発覚から告知】テキスト / 動画
- 【治療】テキスト / 動画
- 【妊よう性】テキスト / 動画
- 【家族】(パートナー)テキスト / 動画
- 【家族】(ご両親)テキスト / 動画
- 【仕事】テキスト / 動画
- 【お金・保険】テキスト / 動画
- 【辛い・克服】テキスト / 動画
- 【後遺症】テキスト / 動画
- 【反省・失敗】テキスト / 動画
- 【医療者へ】テキスト / 動画
- 【Cancer Gift】テキスト / 動画
- 【夢】テキスト / 動画
- 【ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【今、闘病中のあなたへ】テキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:三井
【告知・発覚】
岸田 本日は開始ということで、「がんノートorigin」をスタートしていきたいと思います。がんノートoriginは、これまでがんノートにご出演いただいたゲストの方に、約90分かけてじっくりとお話を伺う企画です。治療中に何を感じ、どのように対処してこられたのか、また、センシティブで普段なかなか聞けないことについてもお話を伺っていきたいと考えています。
岸田 本日のゲストは、メラノーマのご経験者でいらっしゃいます、三井さんです。よろしくお願いいたします。
三井 よろしくお願いいたします。
岸田 では、まず簡単に自己紹介をさせていただければと思います。私からよろしいでしょうか。
三井 はい、お願いします。
岸田 がんノート代表理事の岸田と申します。本日はMCを務めさせていただきます。私は25歳と27歳のときにがんを経験し、その体験をきっかけに、患者さんのインタビュー発信を始めました。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
三井 よろしくお願いいたします。
岸田 それでは、三井さんの自己紹介をお願いいたします。
三井 三井里美と申します。北海道で教員をしています。34歳のときにメラノーマを発症し、その時点ではステージⅡでしたが、昨年ステージⅣに進行しました。現在は、メラノーマと脳腫瘍の、いわゆるダブルキャンサーです。本日はよろしくお願いいたします。
岸田 よろしくお願いいたします。本日は脳のことについても、じっくりお伺いできればと思っています。普段なかなか詳しく聞けないお話ですので、私自身も楽しみにしております。今日はリラックスした雰囲気で進めていければと思います。
三井 はい。
岸田 今日は帽子がとてもおしゃれですね。
三井 ありがとうございます。ただ、自分としては、今日は帽子の気分ではなかったんです。
岸田 すみません、いきなり踏み込んでしまいましたね。
三井 私は帽子ではなく、前回「がんノートnight」に出演させていただいたときもテーマにしていたのですが、ウィッグ愛好家なんです。本当はウィッグで、長い髪のスタイルで参加したかったのですが、現在治療中という事情があり、今日は帽子での参加になりました。
岸田 その「事情」についても、後ほどお話が出てくると思いますので、皆さん楽しみにしていただければと思います。三井さんは、今日は北海道からご参加いただいているんですよね。
三井 はい、札幌から参加しています。
岸田 札幌からありがとうございます。オンラインでこうしてお話ができるのも、今の時代の良さだと感じています。では早速ですが、三井さんのがんのご経験について伺わせてください。どのような経緯で発覚し、告知に至ったのか、お話しいただけますでしょうか。
三井 私は頭頂部にできたメラノーマ、いわゆる悪性のほくろがきっかけでした。もともとヘアアレンジが大好きで、髪を長く伸ばし、毎日アレンジして学校に出勤していました。土日も鏡を見ながら研究するほどでした。
岸田 土日に研究されるほどだったんですね。
三井 はい。インスタグラムなどで可愛いアレンジを見つけては、いろいろ試していました。あるとき、合わせ鏡で後頭部を見た際、つむじのあたりに大きなほくろがあることに気づいたんです。昔からあったものだったかな、と気になったのが最初でした。
岸田 それは、いつ頃のことだったのでしょうか。
三井 2018年の8月か9月頃です。
岸田 今から考えると、まだ数年前ですね。
三井 そうですね。最初は少し様子を見ていたのですが、だんだん大きくなっているように感じて、不安になりました。友人に見てもらったところ、「これはちょっとおかしいのではないか」と言われ、皮膚科を受診することにしました。
岸田 最初に受診されたのは、近所の皮膚科でしょうか。
三井 はい。札幌にある個人クリニックでした。そこで「ここでは判断しきれないので、大きな病院を紹介します」と言われ、大学病院を紹介していただきました。
岸田 「診きれない」と言われると、不安になりますよね。
三井 怖さはありましたが、そのとき医師から「手術で取って、きちんと生検をしたほうがいい。頭部は出血しやすいので、大学病院で行ったほうがいい」と説明され、大学病院で局所麻酔による手術を受けました。
岸田 メラノーマは、クリニックでは良性と判断されてしまうケースも多い印象があります。
三井 まさにその通りです。メラノーマは10万人に1人とも言われるほど稀ながんなので、最初のクリニックでも「たぶん大丈夫だと思うけれど」といった説明でした。大学病院でも、担当の先生は「おそらく良性だと思う」という見解でした。
岸田 そうだったのですね。
三井 はい。病理検査でも診断が難しく、病理の先生も迷われたそうです。ただ、私が通っていた大学病院には、たまたま本州からメラノーマの権威と呼ばれる先生が来ていた時期でした。その先生が「メラノーマとして治療しましょう」と判断してくださり、きちんと治療につながりました。本当に運が良かったと思っています。
岸田 その先生がいなければ、見逃されていた可能性もあったということですね。
三井 はい、そう思います。
岸田 本当に、タイミングが大きかったですね。メラノーマは悪性黒色腫とも呼ばれ、見逃されやすいがんですから、その判断に至ったことは非常に重要だったと思います。
三井 はい。
岸田 その段階では、まだ「良性かもしれない」という状況だったわけですよね。
三井 そうですね。「かもしれない」という段階でした。
岸田 そこから、どのようにがん告知に至ったのでしょうか。
三井 病理診断に時間がかかり、結果が出るまで2〜3週間待ちました。当時、通院は札幌でしたが、仕事は北海道のオホーツク地方でしていました。
岸田 オホーツク地方ですね。
三井 はい。冬には流氷が来る地域です。
岸田 北海道の右上あたり、網走のほうですね。
三井 はい、そうです。網走と言えば、イメージが湧く方も多いかと思いますが、その網走の近くで、冬には流氷が来る町で教員をしていました。札幌の病院で手術を受けた後、オホーツクに戻って通常どおり仕事をしていました。いつもどおり生徒にパソコンの授業を終えた直後、電話が鳴り、出ると「三井さん、悪性でした」と電話口で告げられ、その場で告知を受ける形になりました。
岸田 情報量が多くて、少し整理させてください。札幌の病院に通いながら、普段はオホーツクで生活されていたということですよね。教員のお仕事の関係ででしょうか。
三井 はい。単身赴任で、札幌から約300キロ離れたオホーツク地方で勤務していました。
岸田 なるほど。ただ、病院は札幌だったんですね。
三井 はい、そうです。
岸田 かなり距離がありますね。オホーツクにも病院はあったのではないですか。
三井 病院自体はありますが、家族が札幌にいました。主人も札幌に住んでいたので、何かあったときに家族がそばにいない状況で治療を受けるのは厳しいと感じ、病院は札幌に決めました。
岸田 そういう理由だったんですね。オホーツクで教員として勤務されている中で、仕事中に電話で告知を受けたと。
三井 はい。電話で「がんです」と言われて、こんな大事なことを電話で告げられるのかと、とても驚きました。4時間目の授業が終わった直後に告知を受け、その場で生徒がいなくなった後、泣き崩れてしまいました。それでも時間になったので給食に行きましたが、砂を噛んでいるような感覚で、味は全く覚えていません。
岸田 それは、よく給食を食べられましたね。
三井 当時は担任をしていたので、生徒と一緒に食べなければならなかったんです。
岸田 なるほど。食べないわけにもいかない状況だったんですね。
三井 はい。生徒たちは高校生だったので、異様な空気は感じ取っていたと思います。「三井先生、何かおかしいぞ」という雰囲気は伝わっていたと思います。
岸田 電話で告知を受けた後、そのまま授業や給食に向かわれたんですね。その後、ご家族に連絡はされたのでしょうか。
三井 告知を受けた直後は、どうしていいか分からず、完全にパニックになっていました。とりあえず給食を終えて教室に戻り、どうすればいいのか分からなくなってしまって。そこで教頭先生に「少しお話があります」と声をかけました。
三井 そして、「今、がんだと言われたのですが、どうしたらいいでしょうか」と相談しました。すると教頭先生から「まずは家族に連絡したほうがいいのでは」と言われ、そこで初めて主人に電話をしました。それほど混乱していたのだと思います。
岸田 ご主人の反応はいかがでしたか。
三井 主人もパニックでした。「えっ……」という反応でした。
岸田 本当に、突然ですものね。電話で告知というのも、なかなか厳しいですね。
三井 正直、電話での告知はとてもつらかったです。仕事中でもあり、対応に困りました。
岸田 それは困りますよね。
三井 ただ、結果を聞きに札幌まで行くだけでも片道で何時間もかかるので、仕方なかったのかもしれないと、今では思っています。
岸田 ありがとうございます。次の治療のお話に入る前に、今いただいているコメントを少しご紹介します。
三井 はい。
岸田 「見逃されなくて本当によかったですね」「電話で告知だったんですね」「冷静な教頭先生ですね」「やはり家族と一緒に告知を受けたいですよね」といった声が届いています。教頭先生が冷静に対応してくださったのは、本当に大きかったですね。
三井 本当にそう思います。今は職場が変わりましたが、今でも折に触れて連絡をくださって、「三井さん、元気にしていますか」と気にかけてくださいます。
岸田 とても素敵な先生ですね。
三井 そのときは、本当に良い管理職の方々に恵まれていました。
岸田 「そのときは」という言い方が、少し気になりましたが。
三井 今も、です。
岸田 今も、ですね。それは良かったです。
三井 はい。とても理解のある職場です。
岸田 理解のある職場というのは、本当にありがたいですね。ありがとうございます。コメントで、MOEさんから「里美さん、見ていますよ」と届いています。
三井 ありがとうございます。見てくださっていて嬉しいです。
【治療】

岸田 脳にも影があると言われ、さらに急性心不全という診断だったわけですが、心不全というと、心臓が止まるようなイメージを持つ方も多いと思います。実際には、心臓のポンプ機能が十分に働かなくなる状態という理解でよいのでしょうか。入院治療によって改善したのでしょうか。
三井 はい。入院してステロイド治療を続けました。本来であれば、肺にたまった水を針で抜く処置も検討されていましたが、時間の経過とともに体内に水が再吸収され、自然に減っていきました。そのため、大きな手術は行わずに済みました。
岸田 そうだったのですね。
三井 ただ、症状としては本当に苦しかったです。
岸田 それは相当つらいですよね。
三井 入院していたのは10階の病棟で、内科病棟でした。唯一の楽しみが、2階にあるファミリーマートに行くことだったのですが、主治医からは「今の状態では車いすでも行ってはいけません」と言われていました。
三井 それでも毎日、「今日はファミリーマートに行ってもいいですか」と聞き続けていました。最終的に主治医が根負けして、「看護助手さんと一緒に車いすで行くなら」と、しぶしぶ許可をもらう、という日々でした。
岸田 その気持ち、よく分かります。私も入院中、病院内のファミリーマートに何度も通っていました。
三井 岸田さんの入院先もファミリーマートだったんですね。
岸田 当時はそうでした。今はセブン‐イレブンですが、当時はファミリーマートでした。
三井 ファミリーマートの次の目標が、1階にあるスターバックスでした。ただ、外来患者さんも多く、人が集まる場所だったので、なかなか行くことはできませんでした。
岸田 感染などのリスクもありますしね。
三井 はい。そんな生活を、急性心不全の治療中は送っていました。
岸田 約1か月の入院を経て、ようやく手術が受けられる状態になったのが、2019年1月ということですね。
三井 はい、そうです。
岸田 それが、先ほどお話しされていた頭皮の拡大切除術ですね。
三井 はい。がんがあった部分の周囲を含めて切除する手術です。当時、具体的なイメージを持ちたくて、自分で模型を作りました。
岸田 かなり精巧な模型でしたね。
三井 この大きさで頭皮を剃毛し、この範囲を切除して、植皮をするという手術でした。入院中は時間があったので、イメージトレーニングとして作りました。
岸田 植皮は、どの部位の皮膚を使う予定だったのでしょうか。
三井 最初は、デコルテ部分を提案されました。皮膚がよく伸びて、植皮に適している部位だと説明を受けました。
岸田 デコルテですか。
三井 はい。ただ、見える場所なので、私ははっきりと断りました。「目立つ場所からは絶対に取りたくありません」と伝えました。その結果、左の脇腹になりました。
具体的には、ズボンや下着のウエストゴムが当たるあたりの位置です。その場所であれば納得できると考え、最終的にそこに決まりました。
三井 はい、そうです。これは、私が以前勤務していた学校があるオホーツク海沿いの町で撮った写真です。冬になると流氷が接岸する地域で、流氷観光用の砕氷船「ガリンコ号」に乗ったときの写真です。
写真の後ろに写っている白い部分は地面ではなく、海の上に広がる流氷です。遠い海域から流れてきた流氷を、船がガリガリと砕きながら進むクルージング中に撮影しました。
岸田 こちらは、がんになる前、いわゆる闘病前のお写真ということですね。
三井 はい、がんの診断を受ける前の写真です。
岸田 そして、がんの診断後のお写真がこちらです。左側の写真について教えていただけますか。
三井 これは、手術当日の朝に撮った写真だと思います。写っているのは私の髪です。もともとストレートで髪質が良く、自分でもずっと自慢にしていました。
岸田 本当に、きれいな髪ですね。
三井 髪を失うことが分かっていたので、とてもつらくて、写真や動画を何枚も撮りました。主治医にお願いして、切除した髪の毛は捨てずに取っておいてもらい、今も手元に保管しています。
岸田 それだけ髪に思い入れがあったということですね。
三井 はい。
岸田 では、右側の写真についても教えてください。
三井 こちらは最近の写真で、今年4月に行った頭皮再建手術の直後の状態です。頭皮の下にバルーンを入れた後の様子を撮影したものです。
岸田 この状態が、バルーンを入れているときの写真なのですね。
三井 はい。おでこの上のガーゼの下に1つ、耳の上あたりにももう1つ、バルーンが入っています。この写真は手術から少し時間が経ち、腫れや状態が落ち着いてきた頃のものです。
手術直後は、ドレーンと呼ばれる血を排出する管が2か所から外に出ていて、見た目はかなり衝撃的でした。同室の方が二度見するほど、正直かなり生々しい状態でした。
岸田 このバルーンに生理食塩水を注入して頭皮を伸ばし、その後に縫い合わせる治療ということですね。
三井 はい。そのとおりです。
岸田 ありがとうございます。非常にリアルで、治療の過程がよく伝わります。では、次のお写真に進みましょう。こちらの写真についても教えてください。

三井 これは、卒業式に必ず間に合うという願掛けの意味で、クラスの生徒たちとの集合写真を病院の机に置いていたときの写真です。その写真を見ながら、「私は絶対に卒業式に間に合う」と自分に言い聞かせて、つらい治療期間を過ごしていました。
岸田 そういう写真は大切ですよね。自分を奮い立たせるきっかけになりますし、「頑張ろう」と思える存在がそばにあるのは大きいと思います。生徒さんたちの写真を置いて、闘病されていたということですね。
では、次は闘病後のお写真です。こちらの写真について教えてください。
三井 これは、卒業式直前に学校へ戻ることができたときの写真です。
岸田 卒業式の直前ですね。
三井 はい。写っているのが、私が担任していたクラスの生徒たちです。男子クラスで、3年間、女子の担任として受け持っていました。
岸田 そうだったのですね。
三井 ようやく間に合って、生徒たちと一緒に「作業学習」として、クリーニングの実習をしている場面です。
岸田 皆さん、高校生ですよね。
三井 はい。社会に出る直前、卒業の約1週間前に撮った写真です。
岸田 すごいですね。
三井 「三井先生、戻ってきたぞ」と生徒たちに言ってもらえました。
岸田 それは、相当うれしかったでしょうね。
三井 はい。特に、私に一番反抗していた、いわゆるやんちゃな生徒が泣いていたと後から聞いて、胸がいっぱいになりました。本当に、間に合ってよかったと思いました。
岸田 本当に良かったですね。では、次の写真にいきましょう。こちらはどのような写真でしょうか。
三井 これは、昨年10月に撮影した写真です。私は結婚してからもうすぐ10年になりますが、当時は結婚式で和装をしていませんでした。それがずっと心残りでした。
「着物を着て写真を撮りたかった」と、折に触れて主人にも話していましたが、「いつかやろう」と思ったまま時間が過ぎていました。ただ、がんになって、人生がどうなるか分からないと感じるようになってから、「やりたいことは先延ばしにせず、今やろう」と思うようになりました。
「やりたかったのにできなかった」と後悔しながら人生を終えるのは嫌だと思い、昨年10月に実際に和装での撮影を行いました。
岸田 「いつかやろう」は、つい先延ばしになってしまいがちですよね。命を意識したときに、「やっておけばよかった」と思うことも多い。その中で、三井さんにとっては「和装で写真を撮ること」が大切な願いだったということですね。
岸田 とてもお似合いです。
三井 ありがとうございます。かわいいですよね。
岸田 お隣に写っているのは、先ほどからお話に出ているご主人ですよね。
三井 はい。同じ人です。眼鏡も変わっていません。
岸田 とても素敵な写真ですね。こうして、闘病の節目ごとに写真を残されてきたということですね。
コメントでも、「旦那さん素敵ですね」といった声や、「またきち」というお名前も出ていますが。
三井 それは、さきほどお話しした、黄色いぬいぐるみをくれた友人のことですね。
岸田 なるほど。「またきち」というお名前なんですか。
三井 いえ、本名ではありません。友人が勝手にそう呼んでいるだけです。
岸田 なるほど、あだ名なんですね。ここからは、闘病について、いくつかのテーマに分けて、さらに詳しくお話を伺っていきたいと思います。
三井 はい。
【妊よう性】
岸田 まずはこちらの項目について伺います。「妊孕性」についてです。妊孕性とは、妊娠する能力のことを指します。先ほどの闘病のお話の中でも、オホーツクから札幌への移動や、採卵のために遠方の病院へ通われたというお話がありました。
改めて、妊孕性について、どのような説明を受け、どのような選択をされたのか教えていただけますでしょうか。
三井 抗がん剤治療の影響で、将来的に妊娠する能力が低下する、もしくは失われる可能性がある、という説明を受けました。当時、私は3年間担任していた生徒たちを送り出した後に、「自分たちの子どもが欲しい」と考え始めていた時期でした。そのため、妊娠する能力はできる限り残したいと思いました。
一方で、妊孕性温存には高額な費用がかかることも知っていました。安くても20〜30万円、医療機関によっては50万円ほどかかるという情報は事前に把握していました。その費用面も含めて、かなり悩みました。
ただ、「あのときやっておけばよかった」と後悔する可能性を考えると、やらない後悔よりやる後悔のほうがいいと感じました。主人と話し合い、妊孕性を温存することを決めました。当時、保険金が支払われていたため、そのお金で一度は対応しましたが、結果的には北海道から妊孕性温存に対する助成金が全額支給されました。そのため、最終的な自己負担は0円でした。
岸田 具体的には、どのような方法で妊孕性を温存されたのでしょうか。卵子保存や卵巣保存など、いくつか方法があると思いますが。
三井 私は受精卵温存を行いました。夫がいるため、受精卵の形で保存する選択をしました。排卵誘発剤を使用し、毎日病院に通って注射を打ち、採卵するという流れを、合計2回行いました。
その過程は正直かなり大変でした。夜11時に病棟へ行き、注射を打ってもらうこともありました。3月は札幌に滞在していたので通院しやすかったのですが、4月に職場復帰してからの採卵は特に大変でした。
岸田 相当な負担だったのではないでしょうか。
三井 はい。札幌の病院で注射器と薬剤を受け取り、オホーツクで注射を打ってもらえる医療機関を自分で探しました。決まった時間に職場を抜けて病院へ行き、注射を受ける生活を続けました。そして採卵の時期になると、高速バスで約5時間かけて札幌に戻り、数日間仕事を休んで採卵を行う、という流れでした。
岸田 本当に大変なスケジュールですね。その結果、受精卵は無事に凍結できたということですね。
三井 はい、凍結することができました。
岸田 その受精卵は、将来的に使用する可能性があるということでしょうか。
三井 はい。私は今年2月に、分子標的薬の治療によって完全寛解と診断されました。その後の妊娠については、主治医も判断に迷われていました。そこで、オンラインで参加したメラノーマの患者会で、日本におけるメラノーマ治療の第一人者とされる医師に、直接質問しました。ステージⅣで完全寛解に至った状況で、将来的に妊娠を希望していることを相談しました。その医師からは、「メラノーマのステージⅣで出産に至った例は、日本ではこれまでにない」と説明されました。通常は予後が厳しく、そこまで到達する前に亡くなるケースが多いためだそうです。
ただ、私の場合は完全寛解に至っているため、「1年間は様子を見て、その後であれば妊娠に踏み切ってもよいのではないか」と助言をいただきました。その内容を主治医に伝えたところ、「その先生がそう言っているなら間違いないと思います。自分もその話を聞けて安心しました」と言っていただきました。そのため、症状がこのまま安定していれば、来年、妊娠にチャレンジすることを考えています。
岸田 それは本当に大きな一歩ですね。
三井 ただし、そのタイミングでは、分子標的薬を中止する決断が必要になります。命に関わる選択になる可能性もありますが、それでも女性として生きてきた中で、一度は挑戦したいと思っています。もし実現すれば、日本で初めてのケースになるかもしれません。
岸田 大きな決断ですが、応援したい気持ちになりますね。またその時が来たら、ぜひお話を聞かせてください。
三井 はい、分かりました。
【家族】(パートナー)
岸田 続いての項目は「家族・パートナー」についてです。これまでのお話の中でも、旦那さんの写真や、妊孕性の選択に関する場面で、旦那さんのお話が何度か出てきました。
旦那さんがどのように支えてくださったのか、「これはありがたかった」「こうしてもらって良かった」と感じたことはありますか。
三井 主人も、私と同じように不安の中で揺れ動いていたと思います。それでも常に私のそばにいて、同じ目線、同じ温度感で病気と向き合ってくれました。それがとても心強かったです。
入院中は、仕事が終わると毎日病院に来てくれました。当時はまだコロナ禍前だったので、毎日面会ができて、一緒にご飯を食べたり、他愛のない話をしたりしていました。
主人の仕事が遅くなって、面会時間に間に合わない日もありました。そういう日は、病院の外からスマートフォンのライトを点けて、暗い夜道で合図を送ってくれていました。
岸田 まるでドラマのワンシーンのようですね。
三井 私は9階の病室から、そのライトを見つけて、こちらもスマートフォンのライトで照らし返していました。面会はできなくても、「ここにいるよ」ということをお互いに確認する時間でした。
岸田 面会時間が終わっていても、存在を感じられるように工夫されていたんですね。
三井 はい。つらい闘病生活の中でも、そうやって小さな楽しみを見つけて、「見えた」「今日も来てくれた」と笑い合っていました。
岸田 本当に素敵な旦那さんですね。常にそばにいて、支え続けてくださったということですね。
三井 はい。本当にそう思います。
岸田 「こうしてほしかったな」とか、「こういうサポートがあったらよかった」というような要望はありましたか。
三井 正直に言うと、私が「こうしてほしい」と思うことは、ほとんど全部してくれていたと思います。そばにいてほしいときには、いつも近くにいてくれました。
【家族】(ご両親)
【仕事】
岸田 ありがとうございます。その状況であれば、距離を取る判断も自然だと思います。
続いての項目は「お仕事」についてです。先ほど、高校生の皆さんとの写真も拝見しました。最初に教頭先生へ伝えたことや、休職、復職のタイミング、そして治療と仕事をどのように両立されてきたのか、そのあたりを教えていただけますか。
三井 私は、周囲で噂話が広がることがとても嫌でした。「三井先生、実は病気らしいよ」という形で話が伝わっていくのが耐えられなくて。ですので、がんと診断された時点で、自分から職員朝会で話すことにしました。
岸田 職員朝会というと、全職員が集まる場ですね。
三井 はい。朝の職員朝会で、「病気になりました。これから治療が続くと思いますし、入院などでお休みをいただくこともあると思います。ご配慮いただければ幸いです」と伝えました。
また、頭部の手術のことや、今後はウィッグを着けて生活することになると思うこと、生徒にはこのように説明しようと考えている、という自分の考えも含めて話しました。できるだけオープンに伝えるようにしました。
岸田 そうした形で伝えた上で、同じ職場に復職されたということですね。
三井 はい。同じ学校に戻りました。
岸田 高校生たちを送り出した後も、同じ学校で勤務を続けられていた。
三井 そうです。本当は、すぐに異動希望を出しましたが、職場の事情もあり、すぐには叶いませんでした。そのため、約1年間は、オホーツクと札幌の病院を行き来しながら働く生活を続けました。
岸田 それは相当大変ですよね。
三井 大変でしたが、仕事は続けたかったんです。治療にはお金もかかりますし、それ以上に、「自分を自分たらしめているものは何か」と考えたとき、教師として働いている自分が、人生の中でとても大切な存在だと感じました。
私は、生徒の姿を見ることで元気をもらえる人間です。だから、できる限り治療と両立しながら、仕事を続けたいと思いました。
一度、うつ病になったときは、本当に悩みました。「仕事を辞めて、主人のいる場所に戻って、静かに暮らしたほうがいいのではないか」と考えた時期もありました。でも、結果的に仕事を辞めなくて良かったと思っています。
岸田 辞めなくて良かった、という実感があるのですね。
三井 はい。今は仕事がとても楽しいです。働き続けられていること自体が、ありがたいと感じています。
岸田 仕事を続けることが、ご自身の軸になっているということですね。
三井 はい。教師であることは、私のアイデンティティーです。
岸田 大切ですね。その後、勤務地についてはどうなったのでしょうか。
三井 札幌に戻ってきました。
岸田 現在は、オホーツクの学校から転勤して、札幌の学校に勤務されている。
三井 はい。希望を出していて、それが叶いました。
岸田 札幌の職場でも、ご自身ががんの治療中であることは共有されているのでしょうか。
三井 はい。自己紹介の場で伝えました。入院することがあること、急に体調が悪くなってお休みをいただく可能性があること、その代わり、出勤できているときは全力で仕事をするつもりだ、ということをお話ししました。
岸田 その上で、一緒に仕事をされているということですね。
三井 はい。皆さん、とても理解してくださっています。
【お金・保険】
【辛い・克服】
岸田 ありがとうございます。治療費についても十分に備えられていたということですね。
続いての項目は「つらさ・克服」についてです。精神的にも肉体的にも、さまざまなつらさがあったと思いますが、三井さんにとって特にきつかったこと、それをどのように乗り越えてきたのかを教えていただけますか。
三井 一番つらかったのは、やはり髪を失ったことでした。治療全体を通して考えても、そこが一番大きかったと思います。
ただ、髪を失ったことで、ウィッグという選択肢を知りました。実際に使ってみると、今はおしゃれで、価格も手頃で、かわいいものが本当にたくさんあることを知って、それは大きな発見でした。
治療がつらい時期でも、職場の同僚から「ウィッグをいろいろ変えていて、むしろ楽しんでいない?」と言われたことがあって。そのときに、「確かに、楽しんでいる自分もいるかもしれない」と気づきました。
岸田 発想の転換ですね。
三井 気づいたら、ウィッグがかなり増えていました。今は、クラス1つ分くらいあります。40個くらいですね。
岸田 それはすごい数ですね。
三井 マネキンも含めて、部屋のあちこちにあります。今は再建治療中でウィッグを被れない状況ですが、それでもコレクションとして残っています。
岸田 つらさの中に楽しみを見つけられたということですね。
三井 はい。再建手術がうまくいったとしても、ウィッグはこれからも楽しむと思います。ロングにしたらショートにしたくなるし、毛量が多いスタイルを楽しみたい日もありますし、髪色を変えたい日もあります。
がんにならなければ、こうした楽しみ方を知ることはなかったと思います。そう考えると、ウィッグは、これからも私の大切な趣味の一つとして続いていくと思います。
【後遺症】
岸田 がんになったからこそ、こうした楽しみや価値観に気づけたというお話でしたね。
続いての項目は「後遺症」についてです。頭皮の再建や妊孕性についてはすでにお話しいただきましたが、それ以外に後遺症として感じていることはありますか。
三井 一度、うつ病を経験しているので、その点は今も後遺症のように感じています。完全に治ったから大丈夫、という感覚ではなくて、「またぶり返したらどうしよう」と思う瞬間は、2年経った今でもあります。
ただ、私はその「少し怖いな」と思っている状態くらいが、逆に精神的に健やかでいられるラインなのかな、とも感じています。「自分は何でもできる」「もう大丈夫」と思い切ってしまっているときのほうが、むしろ危ない気がします。一度メンタルの不調を経験すると、そう感じるようになりました。
岸田 なるほど。メンタル面の後遺症については、なかなか語られないことも多いですよね。
三井 うつ病って、どうしても隠したがる人が多いと思います。でも、実際には身近にたくさんいると思うんです。私自身が経験してみて、「もしかしてこの人もそうかもしれない」と感じる場面は周りにありました。きっと、この配信を見ている方の身近にも、同じような人はいると思います。言っていないだけで。
岸田 私自身も、今振り返ると、うつの一歩手前までいった時期がありました。そのときは本当に苦しかったです。
三井 がんの治療よりも、精神的につらい時期って、正直ありますよね。
岸田 そうなんです。がんで死にたいと思ったことは一度もありませんでしたが、精神的に追い込まれたとき、「自分はもういないほうがいいのかもしれない」と思ってしまった自分がいたことが、あとからすごくショックでした。
三井 私も、うつがひどかったときは、走っている車に吸い込まれそうになる感覚があったり、歩道橋を見て「ここから飛び降りたらどうなるんだろう」と考えてしまったりしました。車を運転していても、「このまま……」と考えてしまうこともありました。
岸田 本当に、正常な判断ができなくなりますよね。
三井 はい。だからこそ、「乗り越えた」というよりは、今は「共存している」という感覚です。怖さを完全になくすのではなく、そういう感覚が自分にあることを理解した上で、今を生きている、という感じです。
【反省・失敗】
【医療者へ】
岸田 ありがとうございます。では続いて、「医療者へ」という項目です。医療従事者の方も多く、がんノートをご覧になっています。医療者の皆さんへ、感謝の気持ちや、こうしてほしいという要望があれば、お話しいただけますでしょうか。
三井 私は、病気のつらい時期を一人で乗り越えてきたわけではありません。一番の心の支えになってくれたのは、がん専門看護師の方でした。
その方には、病気のことだけでなく、仕事のことや生活のことなど、さまざまな相談に乗っていただきました。そのおかげで、自分を見失わずに治療に向き合うことができたと思っています。
一緒に私自身のこと、病気のこと、そして将来のことを考えてくださったことに、本当に感謝しています。看護師の皆さんには、感謝の気持ちしかありません。
主治医の先生も、とても腕が良くて信頼している方なのですが、いわゆる「何でも言ってしまうタイプ」の方で、言葉の伝え方については、少し気になることもありました。
岸田 言い方は大事ですよね。
三井 はい。今はもう3年ほどのお付き合いになり、こちらも慣れてきましたが、やはり「伝え方」はとても大切だと思います。医師の皆さんには、オブラートに一枚くらい包んで伝えていただけたら、患者としてはありがたいなと思います。
【Cancer Gift】
【夢】
岸田 ありがとうございます。続いては、三井さんの「夢」について伺います。これから先、どのようなことを思い描いていらっしゃいますか。
三井 夢は、いくつもあります。まずは、9月の手術がうまくいったら、ロングヘアにして、自分の髪でまたヘアアレンジを楽しみたいです。
それから、手術がうまくいってウィッグを被らなくてもよくなったら、主人と一緒に旅行に行きたいと思っています。もともとは南の島に行きたいと思っていたのですが、私は紫外線に弱く、皮膚がんでもあるので、南の強い日差しは避けたほうがいいと考えるようになりました。
岸田 メラノーマですしね。
三井 はい。なので、今はオーロラを見に行きたいと思っています。
岸田 南ではなく、北ですね。
三井 はい。オーロラを実際に見てみたいです。それから、やはり子どもが欲しいという思いがあります。
岸田 そうですね。
三井 生徒ももちろん大切ですが、私自身の子どもを持ちたいという気持ちがあります。教師という仕事を選んだ理由の一つは、子どもが好きだからですし、メラノーマのステージⅣでも子どもを持てるということを、自分自身で実現したいという思いがあります。
岸田 日本で初めてのケースになるかもしれませんね。
三井 そうですね。日本初になる可能性もあると思います。
岸田 とても素敵な夢だと思います。オーロラについては、カナダのイエローナイフなど、私も旅の経験がありますので、いろいろお伝えできることがあるかもしれません。
三井 本当ですか。ぜひ教えてください。
岸田 ぜひ。その後はペイシェントジャーニーに進みますが、その前に、視聴者の方から届いているコメントもご紹介します。
岸田 「妊孕性温存の助成金が北海道では全額出るのはありがたいですね」「医療者ですが、具体的な話がとても参考になりました」「ぜひ日本初になってください、応援しています」といった声が届いています。
三井 ありがとうございます。
岸田 また、「スマホのライトでのやり取りが素敵」「苦しさの中に楽しさを見つける姿勢が大切ですね」といったコメントもありました。
岸田 さらに、「暗闇でウィッグが1クラス分あったらびっくりしますね」という声もありましたが、保管はどのようにされているのですか。
三井 専用の保管場所があります。ニトリでウィッグ専用のキャスター付き収納を購入して、そこにまとめています。マネキンにも6個ほど被せています。
岸田 マネキンは市販されているのですか。
三井 はい。ダイソーでも発泡スチロール製のものが売っています。
岸田 型崩れ防止にもなりますね。
三井 そうなんです。
岸田 「ウィッグが趣味になるのも素敵」「拡大切除術への不安が和らぎました」というコメントも届いています。三井さんはインスタグラムでも発信されていますよね。
三井 はい。「サトミ_メラノーマ」で検索していただければ出てきます。質問があれば、気軽に聞いてください。
岸田 ありがとうございます。最後に、「教師という職を離れたとしても、三井先生は生徒にとって永遠に先生です」というコメントも届いています。
三井 ありがとうございます。そう言っていただけたら、本当にうれしいです。
【ペイシェントジャーニー】

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