看護師として働き、入院中に勉強をして退院後に助産師の資格を取得した三武さん。がんになったことで、自分の知らなかった世界を知ることができたと語ってくれました。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:三武

更新日:2017年03月26日

【発覚~宣告】

岸田 発覚から宣告までを振り返っていきたいと思います。

三武 はい、2008年の3月10日に2人目の子どもを出産しまして。

岸田 わあ、おめでとうございます。

三武 ありがとうございます。もうすごい赤ちゃんはかわいくて、お産も無事済んでよかったねという感じで過ごしていたんですけど、産後1カ月検診のときにエコーで見たら子宮の中に血液だまりがあるねなんて。でも産後はそういうことが結構あるので、子宮収縮剤をもらって飲んで経過を見てた感じです。それでも、どんどん増えてくるので、引っかきだす棒があるんですけど、先生がそれで3回ぐらい引っかきだして。

岸田 痛そう。

三武 痛かったです。それをして、経過を見てたんですよ。1カ月半ぐらいですかね、もしかしたら、これ癒着胎盤かもしれないから、もういたちごっこになるから吸収を待とうか、なんて話になったfんですよね。

岸田 癒着胎盤ってなんですか。

三武 赤ちゃんを産んだ後に胎盤がくっついてたところに、ちょっとだけ胎盤が残ってて、胎盤ってすごい速度で大きくなるので、それがどんどん残ってしまう。まれな病気なんですけど、それかなっていう話だったんですよね。で、念のため、調べるのにhCGを測りました。

岸田 マーカーだ。

三武 そう、よく妊娠すると高くなるホルモンなんですけど、胎盤の病気なので、それががんマーカーになるんですよね。念のために採血をして、帰りました。

岸田 そのときはね。

三武 そのときは。そしたら次の日の朝、子どもを保育園に送ったら、朝一番に電話がかかってきて、「昨日の採血の値で、ちょっと異常値が出たから、すぐに病院に来てほしい」って連絡が入りました。私も看護師で、自分が勤めていた病院だったので先生に「具体的にはどのぐらいの数字ですか」って聞いたら、「60万だよ」って。

岸田 具体的に60万ってどうなんですか。

三武 妊娠してない人はhCGは1以下。妊娠している人でも10万っていわれているのが、やっぱり出産後に60万あるっていうのは異常な値。私はそのとき、あ、これはがんだなって。

岸田 分かるんですね。

三武 そうなんです。勤めていたのが婦人科の外来だったので。こりゃもうがんだなっていう感じで。

岸田 そのときどういう気持ちでした?

三武 それはもう、本当にびっくりしたのと、あとは出血もすごかったので

岸田 貧血にならなかったんですか。

三武 貧血でしたね。で、電話を受けて最初に思ったのが、子どもも産まれたばっかりで、上の子もまだ4歳だったので、この子たちの大きくなる姿が見れないのかっていうのが一番にきて。私、闘病中に泣いたのが1回だけなんですけど、そのときに泣きました。電話受けたときに、もうなんかばーっと泣いて、旦那と病院に行って。レントゲンだのCTだの撮ったら、やっぱり、元々赤ちゃんの細胞なんで、すごく早いんですね。いつからがんだったかよく分からないんですけど、子どもには影響がなかったので。

岸田 それはよかったですね。

三武 そうなんです。産後2カ月で、もう全身に回っていて、肺にはもう4、5センチぐらいの転移が2、3個あって。あとはちりばめたような感じです。卵巣にも転移してて。あと頭と肝臓にも転移しやすいっていうので調べてもらったら、そこまではいってなかったっていう。

岸田 けど、それぐらい転移してたら結構ショックを受けるんじゃないですか。

三武 そうですね。ただ、がんって言われたときって、すごい緊張で高まってて。こうなんかショックなんですけど、自分を通り過ぎて話が流れるような感じ。

岸田 自分ごとだけど自分ごとじゃないような。

三武 ないような感じですね。

三武 6月5日に告知を受けて、すぐに化学療法しないといけないというんで、2日後に入院になって。本当に言われてすぐに用意してという感じだったんですよね。

岸田 ですよね。

三武 そうなんです。しかも、絨毛がんは産婦人科のお医者さんが医者経験の中の一生に1例出会うか出会わないかぐらいまれながんで。10万人に1人っていうくらいの。住んでる群馬県の病院で治療経験のある先生がいないってことで、治療経験のある病院をって言ったら、じゃあ、東京でっていうことで遠距離治療になりました。

 

【治療】

岸田 それからどうなっていったんですか。

三武 東京の病院に行ったら、先生から「このがんは化学療法がすごく効く部類のがんだよ」っていいことを言っていただいて、よかったって思いました。「その化学療法っていうのを何クールやるんですか」って聞いたら、「何クールっていうのは言えないがんなんだよ」って。

岸田 へえ。

三武 「hCGが60万あるのが、0.1位以下になって5クールやるっていうのは決まってるんだよ」って。「先生、大体でいいからどのぐらいの期間だと思いますか」って言ったら、「1年になるか、1年半になるか、2年になるか分からない」

岸田 そんなに。

三武 入院して2日後に、ちょっと出血が多かったんで、まず最初に手術で取っちゃったんですよね。子宮全摘と右卵巣切除を行いました。その1週間後には、もう抗がん剤を始めなきゃというので、2008年の6月16日から2009年の2月15日まで8カ月間ですね、化学療法を行って。EMACOっていうのを18クール。

岸田 そのとき、お子さまはどうしたんですか。旦那さまが子育てしたとか。

三武 私の親と。今もそうなんですけど、同居していたので。でも4歳の男の子と産まれたばっかりの赤ちゃんをまるごとお願いというのは、やっぱり大変だろうなっていうのもあったんですけど。「いいよ、見てあげるよ」ってお母さんのほうが言ってくれて、その間は母親代わりで見ていただいた感じで。

岸田 抗がん剤治療に戻りまして、18クールやりましたと。8カ月抗がん剤行って、そこから?

三武 hCGが0.1以下ですね、ってなって。じゃ、あと5クールやろうっていう話になったんですけど。息切れも出てきてCTを撮ってみたら、慢性的に白血球が低かったので、カリニ肺炎っていう診断で。

岸田 そうだったんですね。

三武 はい。重症化するかもしれないから、もう外泊も外出もできないっていうので、カリニ肺炎の治療を2、3週間ずっと行った感じですね。

岸田 肺炎の治療が終わったら、そこから5クールっていうのはなかったんですか。

三武 そうですね。結局、この2、3週間でhCGのマーカーが上がらなかったんですよ。0.1のままで。だから追加治療はなしで。本当は肺のほうは、がんがつぶれたところを、取るというのがあったんですけど、肺炎にもなっちゃったから、それはしないことになりました。

岸田 そして、2009年3月9日に無事退院したと。

三武 そうですね。9カ月目に退院まで。

【家族】

岸田 次、家族のことを重点的にお話しいただきたいと思います。まず、病院から電話が来たときに、どう伝えたんですか。お子さまにはがんのことはどう伝えているんですか。伝えた?

三武 あ、そのときですか。伝えました。

岸田 え、そのときって、生後すぐと、あと4歳。

三武 上が男で下が女の子。

岸田 お兄さんのほうに、どう伝えたんですか。

三武 上の子もちょうどね。下の赤ちゃんが生まれて2、3カ月っていうと、赤ちゃん返りをしたい時期だったんですよね。なので「ママは赤ちゃんのお世話があるから、僕はおばあちゃんに甘えるからいいよ」って言ってた時期だったんですけど。結局、私が入院して遠く離れちゃって、おばあちゃんが赤ちゃんの世話すると僕はどこに行けばいいんだろうみたいに。

岸田 確かに。

三武 だからもう、お母さんは病気になっちゃって、近くの病院だと治療ができないから、東京の病院に行って治療するよって。もしかしたら、お薬使うと髪の毛が抜けたりとかするかもしれない。だけど、また元気になって帰ってくるからねっていう感じで。

岸田 へえ。じゃ、がんって言わずに、病気になってしまったっていうことを言ったんですね。

三武 そうですね。がんっていうのは使えなかったですね。

岸田 そのときのお兄ちゃんの反応は?

三武 元々はそんないい子じゃなかったんですけど、いい子になっちゃって。妹の世話をしてくれたりだとか、さみしいとかそういうことも言わなかったり。

岸田 えらい。

三武 えらくさせちゃったんですよね。

岸田 そこから9カ月。ま、外泊はあったとしても、ほぼ会えないわけじゃないですか。そのとき、何か起こらなかったですか。ハプニングだったりとか。

三武 ああ、ありましたね。私が治療の合間に外泊に行って、帰るときに、ちょっと心が折れるときもあって、「もう帰りたくないよ」ってお兄ちゃんに。保育園送って、「ママは病院戻るよ」なんて言うと、「いってらっしゃい、頑張ってね」って結構あっさりしてるんですよ。だけど、こっちが涙が出てきちゃて「帰りたくないよ。ずっと一緒にいたいんだよ」って言うと、「ママ、また僕も行ってあげるから頑張るんだよ」って。

岸田 ほえ。すごっ。

三武 そうなんです。そう、すごくいい子で。運動会があるとき、髪の毛なかったので、ちょっと簡単なかつらみたいなのをかぶって行ったら、保育園が一緒のほかの子どもが、私に「坊主」みたいな感じで。

岸田 ああ、ちゃかすんですよね。

三武 子どもなんでね、言ったんですよ。そしたらうちのお兄ちゃんが、男の子にしてはおとなしいほうなんですけど、その子に、「おまえ、おまえのお母さんなんとかだ」って、戦いに行く感じだったんですよね。だから、「いつもそんなふうに言われてたの。嫌な気持ちしてたね、ママが髪の毛がないからごめんね」って。まあ皮膚も黒ずんでくるじゃないですか、爪も黒くなっちゃうし。そういうので、やっぱり子どもって分かってたんだなと思ったんですけど、「今まで言われてたの、何で言わなかったの」って言ったら、「そういうこと聞いたらママが悲しむでしょう」って言ってくれて。だから私が悲しむから我慢してくれたのかなって。

岸田 すっごいいい話ですね。

 

【仕事】

岸田 看護師をされていたと思うんですけど、がんになってその期間にお仕事をどうしたのかお聞きしたいです。

三武 はい。看護師をしていて、ちょうど産後だったので産休中の発症という形になります。産休期間を使って入院して。産休が明ける1日前に退院した感じだったんですよね。だから、その次の日から仕事はできないなって。

岸田 確かにそうですね。

三武 なので、そこから8カ月ぐらい、休職期間をもらいました。

岸田 婦人科で看護師をされてたんですよね。

三武 小児科の病棟にいて。その後、内科に行って。自分が子どもができにくくって不妊治療をちょっとしてたんですよ。

岸田 へえ、そうなんですか。

三武 そのきっかけで不妊カウンセラーの勉強をして、取得して、婦人科の外来で勤めたいということで異動して。そこで2人目を産んだっていう。

岸田 現職は助産師をされてるんですよね。

三武 休職をいただいた後、復帰して。助産師になりたいっていうのがあったんで、病気中ずっと勉強してて、復帰してから、助産学校を受験して受かって。

岸田 すごいですね。

三武 復帰して2カ月で、学生になっちゃった感じで。

岸田 助産師は元から、あったんですか。それとも病気になって、勉強したんですか。

三武 そうですね。病気になる前から婦人科の外来で、不妊の方とお話したりして、妊娠すると次はもう看護師の手を離れて、助産師さんのほうに行くようになるので。普通に赤ちゃん産む方も不安だと思うんですけど、不妊治療された方って、それプラスアルファでさらに不安が強いのかなって思ってたので、そこもケアできたらいいなあと。助産師になりたいなあって思っていたんです。

【辛い・克服】

岸田 美紀さんがつらかったとき、どう克服しましたか。

三武 そうですね。私は入院中より退院してからのほうが精神的にきつかったかもしれないです。

岸田 ほう。

三武 病院に入院してるときって、すごくサポートが厚いんですよね。

岸田 そうですよね。

三武 自分は長くいたから、入院してる中では患者としてすごく元気みたいな感じなんですけど、退院すると、すごい周りが元気な人ばっかりで、急に病人になっちゃって、時間の流れも早いし、すぐ話せるところもないし。でも周りの人はもう元気になってよかったねっていう、そこの温度差に3年ぐらい。

岸田 3年ぐらい?

三武 はい、落ち着かなかったです。

【後遺症】

岸田 その中でね、きょうは僕、個人的にちょっとお聞きしたいことがあるんですけど、後遺症。この婦人科系のがんの場合、まだ30代とかだったら、夜の営みとかも。まあ、あるかもしれないじゃないですか。

三武 直前に子ども産んでますからね。

岸田 帰ってきて。ぶっちゃけできるんですか。やれるんですかって、完全に男性側の話。

三武 そうですね、機能的なことを言うと、問題ないよっていう先生が多いんですよね。私のときもやっぱりそういうふうに言われました。膣の上側3分の1というのが、子宮と同じ組織なんですよね。

岸田 へえ。

三武 そう、子宮と同じ組織は全部取るんで、膣の3分の1までは全部一緒に取るんです。

岸田 子宮摘出ってそういうことなんですか。

三武 だから、少し短くなるんですよね。ただ、機能的には収縮する場所だから問題はないよって先生は言うんですよね。赤ちゃんが通る産道で伸びるものだから。

岸田 はあ。やっぱ、問題ないですか。

三武 まあ少し短くなっちゃうけど、機能としては問題ないかもしれないんですよね。ただ、そこから、性感粘液とかは出てこないんで、そういうすべりとかいうところは少し問題はあるかなと思うんですけど。ただ、それをしたくなるかっていったら、そういう気持ちになるには、ちょっと時間は必要かもしれない。

岸田 ああ、そうか。やっぱ粘液的なものも出ないから、じゃあ、もしするとしてもローションが必要ってことです?

三武 そうですね、必要だと思います。

岸田 そうか、けど全国に子宮摘出されてる方だとか、卵巣摘出されてる患者さんとかいっぱいいらっしゃると思うんですよね。人それぞれだと思いますが、やっぱそういったところは悩みを持たれている人も、多いのかなと思うんですけど。

三武 多いと思います。

岸田 ね、なんかそこについてお勧めのアドバイスがありますか?

三武 治療が終わったら、やっと終わったねって感じに周りはなるので。でも、夫婦関係というか、営み以外の手をつないだりとかデートに行ったりとか、そういう段階を踏みながらしてもらうといいかなというのがあります。

岸田 段階を踏みながらね。

三武 そうですね。あとは、そういうふうになるってとき、先生が女性にだけ説明することが多いんですよ。男性には手術が終わった後に説明したりするんです。

岸田 そっか。

三武 けれど手術前に一緒に説明してくれるといいなと思います。

岸田 あ、手術前にね。

三武 もう子宮がない状態で話をされるのと、これからそういう状況になるよって言われて、手術を受けるとういうのはやっぱり心が違うと思うんですよね。

岸田 だって、世の中の男性、絶対気になりますもんね。自分の奥さまがどうなるか、それで。

三武 そうだと思います。

 

【反省・失敗】

岸田 では次に反省、失敗。何かあれば。

三武 そうですね。私何カ月も入院していたので、周りの患者さんから本当にあの人かわいそうって思われてたらしいんですよね。抗がん剤通常6クールぐらいで帰るので、6クールする人が最初に来たときに「よろしくね」って言って。その6クールが終わってもまだ入院してる。そういったのもあって、結構みんなに「大丈夫」とか声かけてもらったんですよね。ただ、一緒に闘病していた方が亡くなっちゃったりとかも結構あったんで、私のこと心配して来てくれたときに、その人もすごく大変だったんだろうなって。だけど私はその人のほうに意識があんまり向いてなくて、もっといただいた感謝をその人に渡せばよかったなってすごく思ってて。それが今の患者会の活動にもつながってるのかなと思うんです。

岸田 『みゅらりっぷ』の活動に。

三武 そうですね。

岸田 今どうですか。そういう人たちと巡り合って。

三武 そうですね、患者会っていうと、『がんノート』もそうですけど、来てもらう人のために患者会をやってるって思う方が多いんですけど、私たちスタッフで言うのは、運営している人のためが一番だよねって。もちろん患者さんもすごく話せていいと思うんですけど、話せると次に人に何かしてあげたいってみんな思ってくれるんですよね。その気持ちが出てきて、違う人のために何かできる経験って、すごく私たち、自分のためになってる。

岸田 ペイフォワードの精神ですね。

【キャンサーギフト】

岸田 キャンサーギフト、がんになって得たこと得たものって何ですか?

三武 得たものは、今の生活。

岸田 今の生活?

三武 そう。今、助産師にもなれたのは、がんになってなければ、多分そこまでのパワーはなかったかなと思って。あと、がんの患者会を行って、いろんな人と知り合えたこと。あとは仕事も医療関係の仕事で、自分が患者になった経験って、かなり役立ってるかなって。患者さんとの関わりで、自分の知らなかった世界を知ることができたなと思います。

岸田 今の自分があるのは、がんになったから。

三武 そうですね。がんになったのは、決していいとは言えないんですけど、その中でもいいことはいっぱいあったかなって。

【夢】

岸田 今後、美紀さんはどうなっていきたいか。夢はなんですか?

三武 今後の夢は、医療者と仲のいい患者会を行っていきたいなって。病院外でやってるんですけど、結局はやっぱり、患者さんを支えるのは、医療者と分かり合えることがすごく大事なんだろうなって。患者会からも、患者会の立場として医療者に近づき。医療者のほうからも、内部からもこう政治を。政治を動かすまで行かないんですけど。

岸田 けど、やっぱり患者会からしたら、病院でというのはハードルが高いようなイメージがあるんですけど。

三武 そうなんです。結構、患者さんも頑張ってるし、医療者もすごく頑張ってると思うんですよね。お互いに。でもなんかこう、つながってない感じがしてて、そこがつながることでお互いに癒やされるじゃないんかなって思うんですよね。

岸田 そういったものをいろんな所でも作っていきたいと。

三武 治療の方が遠くまで行くのは大変なので、そこのコミュニティーの中でできるといいなあと。

【今 闘病中のあなたへ】

岸田 それでは、今、闘病中のあなたへ。

三武 泣きたいときは泣いて、笑いたいときは笑って、自然な気持ちのまま治療してください。

岸田 この心を教えていただきたいと思います。

三武 治療中ってやっぱり緊張したりとか、自分を高めなくちゃって、つらいのに元気なところを見せなくっちゃとか、泣きたいのに笑顔でいたりとか、笑いたいのに、笑っていけないのかなとか、自分の気持ちが分からなくなるときが、結構あったんですよね。そのときに、自分の思ってることとか、自分の気持ちをそのままさらけ出せたときにすごく楽だったんですよね。

 

【紹介】

岸田 そしてですね、最後になんですけれども、ご本。

三武 はい。双子の片割れが、日本感動大賞の2回目に出したら、通って書籍化された。

岸田 日本感動大賞に選ばれたんすね。

三武 そうなんです。3部構成になっていて、1部目が妹の旦那が骨髄異形性になって骨髄移植をして精子凍結をしたっていうのと。2番目が私ががんになったこと。妹が支えてくれたので、そのことが書いてあって、3話目に、その凍結精子を用いた不妊治療の詳細が書いてあるので、かなり漢字難しいのが続くんですけど、もしよかったら見ていただけると参考になると思いますので。

岸田 タイトルは?

三武 『負けるもんか』。それがマンガ化もされて。

岸田 マンガもですか。すごいですね。ぜひ、見てみたいと思います。

三武 よろしくお願いします。

岸田 それじゃあ、今日のゲストの美紀さん。絨毛がんのサバイバーで、珍しいがんについて、いろいろお聞かせいただきありがとうございました。

三武 ありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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