7歳で慢性骨髄性白血病を発症し、28年のサバイバーとなる宮城さん。子供の時に感じたこと、仕事や恋愛、そして現在の事についてお聞きしました。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:宮城

更新日:2017年03月12日

【宣告】

宮城 小学1年生のときに地域の少年野球チームに入って、野球すごい好きだったんで、野球に明け暮れていたんですけれども。

宮城 ある日、練習の始めにグラウンドを5周ぐらいするんですけど、急についていけなくなってしまって、息苦しい貧血状態、途中で歩かなくちゃいけない状態で、監督からちゃんと飯食ってきたのかって怒られるような状態で。

宮城 で、その頃から微熱ですね。毎朝、37度くらいの熱が出て、あとは吐き気とか。ちょっとおかしいなということで、地域の病院に行って採血検査をしたら、白血球が多いってことでちょっと多いなと。普通だったら4000とか8000とかの数値が50万超えてるっていうことで、すぐに・・・。

宮城 大学病院に行って、もうその日から即入院。

岸田 いきなり、今日からきょう泊まるからねって言われて驚きませんでしたたら、どう?え、みたいな感じになるっしょ?

宮城 もうそれまで、1人でどっか泊まったこともないし、3兄弟の末っ子なんですけども、一番甘えっ子だったから親と離れて暮らすなんて、とてもじゃないけど想像できなくて、すっごい泣いて駄々こねたのを今でも覚えています。

岸田 そこから、1989年、7歳のときに診断を受けたと。

宮城 はい。僕には告知はなかったですけど、僕には。親に。

岸田 自分に告知はなかったけど、自分としては何か病気だということだけは分かる?

宮城 入院ですからね。なんか病気なんだろうっていうのは。

岸田 そのんときは、結構ショックじゃなかったですか。

宮城 いや、もう病気とかいうよりも、とにかく親と一緒に暮らせないっていうのがショックでしたね。なんの病気だろうって考えるまでは。

【治療】

宮城 最初のこの入院は確かのときが確か2カ月半の入院で、なんか化学療法的な治療で1回はそこで退院したんです。

宮城 退院して、もう僕的には病気治ったんだって思ったんですけれども、実はまだそこでは、完全な治療ではなくて、本当にこの病気を治すには骨髄移植という治療をしなきゃいけないっていうことで。

岸田 骨髄移植を控えると。兄弟間て、書いてありますけど兄弟間の移植だったんですか?。

宮城 3人、男兄弟3人の一番上の兄から。

岸田 骨髄移植って兄弟間でも何人のどのくらいの割合でしたっけですっけ。?

宮城 4分の1、25パーセント。

宮城 赤血球にA型、B型、O型、ABとあるように、白血球にも型があって、その白血球の型が合ってないと移植ができない。兄弟間で合う確率が4分の1。

岸田 一番上のお兄さんが、型が合ったっていう形で。

宮城 そうですね。確率的には4分の2だったけど、本当に運がいいことに。

岸田 それで、そのまま骨髄移植をするという形ですよね。とこになると思うんですけども

宮城 骨髄移植が、まず自分の体のん中で正常な血液が作れなくなってるいてんで、その血を作る骨髄っていう部分を1回壊さなきゃいけないんですよね。そこに兄の健康な骨髄を移植するっていう治療なんで、最初は、壊すのが全身放射線で壊すところから。。

宮城 その影響でものすごい、最初きたのがすごい吐き気。今でも、最初の日に13回吐いたっての今でも覚えててます。

岸田 最初の日に13回も吐いたんですか?

宮城 そうですね。

岸田 つらくて。

宮城 そうですね。もう何も出るものなくて。そんで、もう喉も切れちゃって。で、そこまた吐こうとすると痛くてっていうので、それが5日間くらい続いたのかな。

宮城 その後、僕の体の中の白血球とかも壊したので、免疫力が無くなってないんで口内炎がすごいできちゃって、口の中、真っ白になっちゃうくらい口内炎がすごくて、そんときは一切しゃべらなかった。

岸田 そうすよね。

宮城 だから、トイレとかしたくてもナースコールが呼べなくて、もうなんか必死に、ハッハハッハ、みたいな感じで。はひふへほ、しか出ない感じで。

岸田 もう、ハだけで全部コミュニケーションするっていう感じだったんですね。

宮城 そう。それでも、看護師さんがちゃんとくみ取ってくれて、伝わったのが本当良かったなと。

岸田 じゃ、結構きつかったんやね。この骨髄移植する前までも。そっか。けど骨髄移植してからも結構。

宮城 そうですよね。

岸田 この骨髄移植した直後とか、その前とかは大変だった?

宮城 した直後は、やっぱり吐き気とか口内炎と、あと一番ひどかったのはぼうこう炎。

岸田 ぼうこう炎。

宮城 もう、腎臓の出血が結構あったのか、血尿が、しかも5分、10分おきにすごいしたくなる。でも、ちょろっとしか出ない。

宮城 最初、勢いよく出るときに、それが出てくんないとひたすら激痛。ていうのが、11日間あった。

岸田 そうなんですね。それを乗り越え、そっれから退院をするわけですね。

宮城 そうだね。本当、なんか白血病っていったら、移植して治ったら終わりかなって思ったら違いますね。

岸田 今の順君の場合は、これが序章ぐらいの、これから大変なことが待ってるんですけど。

宮城 そう。その後も最初、おしりに帯状疱疹が出たけどり、GVHDが起きたりして。、このGVHDっていうのは、兄の細胞が僕の中に入ってきて、僕の体の中で悪さしてしまうっていうものですね、。

宮城 それが起きて、全然、始めは僕も気が付かなくて。、僕も。急になんか、「あれ、おしっこしにくい」って思って、慌てて親に言って、病院行って。最初、泌尿器科で、はさみで切られたんだよね。

岸田 はさみで。。

岸田 ここを?

宮城 そう。チョキチョキチョキ。そう、超痛かった。

岸田 イタッ。

宮城 痛かった。その後、また結局、閉じてきちゃって、結局、手術できれいにぱっくり開くような手術をしたと。

宮城 だから、結構、子どもで移植をした人で、なる人がたまにいらっしゃるということだけど、本当、小さい頃に病気すると、幼稚園前とかでそれ気付かないこととかもあるから、結構、親がしっかり見てあげないといけないのかなって。

宮城 他にもその後、92年に、これもGVHDで両手首の関節が急に曲がらなくなるという症状が出まして、筋が足りないのか、ピースはできるんですけど、指の3とか一切できなくて。

岸田 すごいめっちゃ硬いですね。、これ。

宮城 で、小学校のときは、鉛筆とか持てなくて、持ってると途中でつっちゃうから。細いもの持つのも苦手だったし、鉄棒とかも体育でできないし、マット運動とか跳び箱とかも一切できない。

岸田 できひんよね。

岸田 折れるやん、だって出来ないですよね。だって折れちゃうじゃないですか。

宮城 だから、それで、リハビリを1年くらい通ってたのかな。で、ちょっとは動くようになったんだけれども、でもこれ以上、良くならないねっていうことで。

岸田 だから、ずっとそれは硬直したまま。

宮城 はい。もう、ずっと一生、付き合っていくっていう感じで。

宮城 そこから、14年間、病院は通わなくなったんですけれども、体の異変というのは結構あって、すごい疲れやすいとか、あとは一番あったのがメンタル不調とかで、それで、いろいろ自分の体、まだまだおかしいなと思って。

宮城 同じようなに病気の人たちってどうしてるんだろうと思って患者会に参加したり、あとはセミナー参加したら、今はこう移植をした人っていうのは長期フォローアップをしてるっていうのを知りまして、2014年から長期フォローアップ外来等を診てくれる病院が見つかりまして、そこで、今、診てもらっています。

岸田 長期フォローアップ外来というのはどういうものなんですか?

宮城 移植をすると、いろいろといろいろ後遺症がでて。いろいろ僕の場合だと肝機能障害が出たりとか、脂質異常とかいろいろあるんですけども、なんかこう移植をした後に出る後遺症を診ていく、そういう外来があって。

岸田 あって、それがそういう外来を見つかって見つけて、そこに行ったんですね行って。

宮城 そこで、検査した結果、実は今まで男性ホルモンが一切出ていなかったっていう事実がわかりました。

岸田 男性ホルモンが出てなかった。

宮城 背は伸びたんですけどて、ただ、声変わりした覚えがないなっていうのがあって、ひげもそったことないし。

岸田 そして、その男性ホルモンが出てないと分かって、補充開始したと。

宮城 分かって、1年間ぐらいは、でも、ほっといたんです。でも、34歳ときに、初めて男性ホルモン入れてみて。

岸田 入れようって思ったきっかけは何かあるんですか?ってなんかあるんすか。

宮城 今までこの体で生きてきたしなというのなってのがあって、受けなくてもいいかって思ってたんですけど、ちょうどちょっと仕事が変わったタイミングでもあって、その仕事すごい好きな仕事だったんです。疲れやすいんですよ、体が。ホルモン注射、ホルモン補充すれば、疲れやすいのも消えるかなと思ったし。

宮城 あとは、それが2割くらいの感じかな。で、あとは僕の経験っていうのは、他の患者さんたちにもちゃんと残っていかなきゃいけないのかなっていう思いがあって、今後の医療に役立つかなっていう思いからホルモン補充をしたっていうのが3割ぐらい。残りの5割なんですけども、ここでは、ちょっとシツのレンがありまして。

岸田 お、ちょっと後で聞きたいですね聞こ。

宮城 それが、かなりの後押しになったと。

【家族】

宮城 そうですね。両親と男3兄弟の5人家族。

岸田 家族、例えばですけど、小児がん経験者でによく聞くのは、ご兄弟がいたときに、、自分のご両親が治療とか自分に結構、時間を割かれますよねるじゃないですか。だから、ご兄弟、お兄さんとかが、それを不満に思うとかっていうのがあったりとかっていうのをことがあるとよく聞くんですけどもきますけど、そこはどうでしたか?こら辺はどうだったんすか。

宮城 まさに、そのとおりだったと思います。当時、自分が大変だったから気付かなかったけど、大人になって考えてみるとかなりの時間、両親は僕の付きっきりだったんで、その間、兄弟は、家に帰っても誰もいないわけじゃないですか。

岸田 そうですよね。病院に行ってるわけですよね、お母さまとか。

宮城 一番上の兄は兄で、弟の面倒を見なきゃいけないから、部活とかも遅くできないで、早く帰ってこいとか、結構、学生生活にも制限をつけさせてしまったんじゃないかなと。

岸田 そこで、ぎくしゃくしたりとかっては、大丈夫でした?

宮城 ぎくしゃくはないですけれども、真ん中のお兄ちゃんはからかって、よくいじめてきました。そういうなんかあったんでしょうね、多分。自分は、全然、面倒、親から見られてないから、

岸田 なんか、そのときに例えば、こうしてほしかったなとか、今、もしかしたら、違う小児がんの患者さんになった経験者をお持ちになってるお母さまやお父さまが、もしかしたら見てくださってるかもしれないので、その当事者の立場からお母さまやお父さまにこうしてほしかったなとかっていうの、あったりしますか。

宮城 僕自身は、両親はにすごい・・・。

宮城 よくしてもらいました。ったから、でも、あのつらい状況だったからかな、もう少し兄ちゃんたちにも行ってあげてとは言えなかった。

岸田 そうですよね。

宮城 難しいところですよね、そこは。

岸田 そこ、難しいすよね。けど、順君的には手厚いサポート受けてっていう感じ?

宮城 そうですね。本当、兄たちには、申し訳ないなと思うくらい。

岸田 けど、今は、その分、仲良くしてるんですよね。

宮城 仲良くしてます。

【恋愛】

宮城 恋愛は、男性ホルモンがなかったせいか、あまりこう、一応、恋愛対象は女性。女性のほうかわいいなと思うけど、付き合いたいとか結婚願望とかっていうのは、ほとんどなかった。

岸田 なかった。そっか。初恋は、いつなんすか。

宮城 初恋は、多分、小学校のときあったと思う。

岸田 それは、いいなと思うのはあったんすね。ただ、そっから、どうこうしたいっていうのは、特になかった。

宮城 ないね。だから、まだ、男性ホルモン入れてからの本当の恋が、多分、初恋と思うから。男性ホルモン前に、この人だったらいいかな。すごい心が休まるみたいなことがあって。でも、駄目だったね。

岸田 妊孕性って生殖能力っていいますか、子どもを作る能力があるかないかのことを言うんですけれども。順君は、妊孕性については?それも・・・。

宮城 検査を。

岸田 検査でした?

宮城 この男性ホルモン入れて、

宮城 そこで、初めて射精できるようになったんです。

岸田 やっと男の気持ちが分かる(笑)。

宮城 そう。やっと、検査できる土俵に。

岸田 検査も出ないとできないですからね。

宮城 だから、今まで子どもはできないものだと思ってて。

岸田 思ってて。

宮城 あれ、でも、出たぞ。これ、もしかしてと思って、検査を2回やったけど、これまた2打数0安打。

岸田 2打数0安打、どちらもいなかった。

宮城 いなかった。一切、検出されずっていうことで。

岸田 まじか。

宮城 次は、にやるとしたら、もうちょっとホルモン治療して、もう1回メス入れる必要があってか。こういう結果って、僕がものすごい求めてた結果だったからで、後の人もすごい欲しがる結果だろうから、できる検査は一通りやっておきたいなっていうのはと。

岸田 そっか。そうねそうですね。それも、結構、恋愛に関するハードルにはなってる?

宮城 そういうの、ちゃんと受け入れてくれる人じゃないと、難しいなっていうのはあるね。

岸田 ただ、恋愛したいとか、しようっていう気持ちはあるですよんね。すよね。もちろん。

岸田 ちょっと話、戻して申し訳ないんですけどホルモン補充を始めた、失恋したのがきっかけで、として、失恋あの・・・。

岸田 なんか後押しされてで後押しされて、やったとお聞きしましたっていう話じゃないですか。そこの話をは、ちょっと聞いてもいいですか。

宮城 最初の人は、結構、デートとかもしてお互い共通の趣味があった。野球観戦。

岸田 野球少年でしたしね。

宮城 そうですね。で、趣味も合ったし、お互い同じような病気の方だったんで、いいなと思って、デート誘っていって、多分、そこで告白するつもりだったんですよね。ただ、そこで、その方がちょっと再々発ぐらいで。

岸田 まじでそうなんですか。

宮城 もう、来れなくなってしまって、すぐに入院ってことになって、結局、告白もできないまま亡くなってしまった、みたいな。

岸田 そうだったんですね。なら、それが後押しになったんですか。

宮城 その後も、同じような境遇の人と会って、告白してもいいなと思って、そこは、もうバーンと。

岸田 バーッと言った。

宮城 バーッと告白して、駄目でした。そこで、髪の毛切るような感じ、失恋したら髪の毛切るじゃないけど、そんな流れでホルモン注射しようと。

岸田 すごいな。髪の毛切るノリでホルモン注射行くんですね。

宮城 でも、本当、失恋は、すごい人を成長させるって言うけど、こんな成長した人も珍しいですよね。だから

岸田 すごいな。自分、追い込んでくね。すごいね。それで、ホルモン注射して、今は、すっごい。

宮城 だから、これ、すごい、いいきっかけ与えてくれた失恋ということで。

岸田 そう。だから、ホルモン注射したから、あれなんよね。ちょっとひげも生えてきたりとかしてね。

宮城 ひげのそり方が最近やっとうまくなってきて。ひげのそり方が分かんなくて、いつも唇切っちゃいそうで。そういうのも、周りの人に教えてもらいながら。

岸田 そっか。今後、順さんは、いいなと思う人が出たら、自分が白血病だったって言いますか。

宮城 言うね。

岸田 妊孕性のことも言いますか。

宮城 言いますね。それを受け入れてくれないと、ちょっと・・・。

岸田 そうすよね。

宮城 問題は、その相手の親とかも認めてくれるかっていうのが、なかなか大変だよね。

岸田 そうですよね。そこですよね。そこが、新たなハードルになると思う。なので、ちゃんと(言う)。もしかしたら、それ認めてくれるご家族もいらっしゃるかもしれないですし。

【仕事】

宮城 最初の就活のときは、大学出て、一応、履歴書とかに既往歴、書く欄とかあったんで、そんときに自分はなんの病気にかかったかだけは知ってたんで、ので、自分の病名だけは正直に書いてました。

岸田 じゃ、絶対、面接のとき聞かれますよねるでしょ?

宮城 聞かれます。

宮城 それが、できなかった。聞かれたけど、病名しか知らなかったから、それが今後、影響どういった病気で、会社は何をフォローしたらいいのかとか、そういうのに一切答えられなかったから、それはすごいまずかったなと。

岸田 そうですね。そうっすよね。面接でCMLって何ですかと聞かれても、ググって調べてくださいとか言えないですものね。なら大変だったんですね。

宮城 社会に出る準備っていうのを、ちゃんとできてなかたったったのが、いけないなと。その後、結局、親戚の会社で5年半くらい働かしてもらって、5年半たって、自分が昔お世話になった病院関係の仕事をしようと思って、医療事務の資格を取って、そしたら医療事務の資格取ったら、そんときその時には自分の病気のことも受け入れてたんで、今後どういう配慮が必要ですって言えました。そんときはそれで一発で仕事が見つかって、2年半、働いたんですけれども、モチベーションではカバーできない体力のつらさがあって。

岸田 体力的なものですか。?

宮城 そいで、そのときは、本当、精神的にも体力的にもボロボロ。会社行くって考えるだけで、涙が出そうになる感じになって。

岸田 まじで。結構、きてますね。

宮城 きてるでしょ。絶対、産業医とかに診せたら休職って言われる感じ。

岸田 言われる感じよね。

宮城 それになってて、これ体もたないから辞めなきゃと思って、退職して、その後、次どうしようかなって、こんだけ体力ないからどうしようかなってとなと思ってました。そしたらたら、患者会で知り合った同じ小児白血病の患者さんなんですけれども、その方、僕と同じように、さっきもあったけど両手関節の硬直ってあったじゃないですかがあって。

岸田 ありましたね、両手関節の硬直。

宮城 「これ、宮城さん、これ障害者手帳、取れますよ」って教えてもらって、その教えてくれた彼も同じように関節の硬直が出て、障害者手帳を発行してもらって、それで障害者採用で、企業で働いてるって。

岸田 そういうことかだったんですね。

宮城 そして、そしたらなので障害認定、ちょっとを受けてみようかなと思って、僕は両手関節なんで整形に行って、整形の先生にお願いします、書いてくださいって言ったら、「僕は書けません」て言われて。

岸田 なんでですか?

宮城 「もともとは血液の病気でなってるから、僕は血液の病気、分からない」って。でも、それじゃ困るから、もともと移植してくれた主治医に相談して、そしたら主治医が紹介状書くから、移植した病院のとこで整形の先生に書いてもらいなさいって、紹介状書いてくれて、分かんなかったら先生同士で連絡取るっていうことで、そのおかげで見事、手帳が取れて。

岸田 書いてもらえたんですね。ここで質そっか。それで、障害者さんの枠みたいなのがあって、そこで、今、お仕事をしてるって形になるんすかね。

宮城 そうですね。

岸田 質問がきております。「病気は詳しく知っておくべきなんですかね?」。

宮城 もうね。知っておくべきです。これ、面接のんときに、わざと自分の病気を書いておくんです。既往歴。そうすると、絶対、病気のこと振られるじゃないですか。それ、きれいにプレゼンできたら、こりゃ使えるって。

岸田 そっか。ちゃんと分かってないといけないですね。

宮城 そう。で、ちゃんと配慮してほしいとこも言うと、この人は隠し事しない人だって、多分、思ってもらえるんじゃないかと。

【後遺症】

宮城 後遺症は、いっぱいですね。

宮城 両手首の硬直も言いましたね。あと、肝機能障害、肝機能高いです。高尿酸血症、痛風ですね。

宮城 脂質異常。LDL、悪玉コレステロールとか高いから、いつも会社の健康診断では引っ掛かる。軽度貧血。なんかよく軽度貧血も書かれる。

岸田 貧血もある。

宮城 あまり意識したことないんだけど。で、耐糖能異常、糖尿病じゃないよね。空腹時血糖は正常なんですけれども、HbA1cっていう糖の値がすごく高くて、だから、ある程度、食生活、気を付けて、今、維持してる。

岸田 やってるっていう。で、肺機能低下は?

宮城 肺機能低下は、肺が膨らみにくい、硬いみたいで、今まで確かに思い当たることがあって、大学卒業とかまでしょっちゅう肺が痛くなったんですよ、冬になると。

宮城 そしたら、23歳か4歳ぐらいのときに診たら、「穴、開いてます」って言われて、結構、気胸みたいになってて。これが、ホルモン異常ですね。

岸田 ホルモン異常ね。男性ホルモンが出てなかったということ。あと、メンタル不調などもですか?。

宮城 メンタル不調がすごく厳しくて、うつ症状とか、あとパニック障害みたいなのが、すごい出て。とある環境になると、呼吸の仕方が分からなくなってしまって、動悸がすごくて、吐きたくて仕方なくなってきて、その場にいられないっていう状態が出てしまうのが、日常生活、至るところにそれがあった。

岸田 なるほど本当。

宮城 まず、学生生活だったら朝礼。あれが、もう駄目だった。ずっと立ってるっていうのができなくて、だから、列に並ぶっていうのもできなかった。そのうち、席にずっと座ってるっていうのも厳しくなってきて、授業中とかがまさにきつくて。

岸田 きつかったんですね。

宮城 あとは、床屋とか、首巻かれんのとかが呼吸できなくなっちゃうっていう錯覚が起きちゃって、ネクタイも巻けなくなって、床屋、歯医者、駄目で、あと乗り物。

宮城 高校のんとき、電車で一駅だったんだけど、途中でその一駅もすごくきつくて、歩かないと。だから、エレベーターとかも乗るのもすごい厳しかったし、それこそ車、乗れなかったから、ほぼ生活できない状態ですよね。それを、ひたすら自分なりにこう耐えて。

岸田 耐えて、やってたんですね。

宮城 辛いガムをかんで紛らわしたりとか、もみあげちょっとつねって痛さでごまかしたりとか。

岸田 痛さでごまかしたりしてたんすね。メンタル不調は、ずっとあったって言いますもんね。

宮城 長かったですね、本当に。

岸田 長かったです。男性ホルモン打ってからとか、そういうわけでもなく。

宮城 男性ホルモン打つ前から、ちょっとずつ自分なりに克服を、結構いじめ療法に近くて、車乗れないんなら、自分が運転免許を取ればいいっていうんで、無理やり教習所通って、そしたら、克服できて。

岸田 克服したりとか。

宮城 ちょっとずつ、自信つけていく方法なんかやって、一つ一つ乗り越えて、まだまだ今でもいくつかできないのが、あるんだけど。

岸田 それで、乗り越えてる最中ってことですね。ありがとうございます。

岸田 次、強強くく乗り越えさせた原動力はなんですか。

宮城 原動力。難しいね。1個あるとすれば、病気を受けて入れて、すごい落ち込んだ時期があったときに、患者会に参加したんですよね。

宮城 患者会に参加して自分の病気のことを、今はもう病気から十何年たってますっていう話をしたときに、隣の患者さんが、「この病気って、そんなにも生きられるんですね」って言っていただいて、「きょうはこんなに長生きな人を見られて、僕もすごい治療に前向きに取り組めます」って言ってもらえたことがすごくうれしくて、そんとき、僕は、社会的にもうまくまだ働けてなかったんで、社会的にも役に立てないし。

宮城 あと、妊孕性の問題もあって生物的にも役に立ってないってんでくて、すっごい一番メンタルひどかったときだったんで、そのときに自分でも誰かに必要とされてるんだってのが、それを知ったときにすごい立ち直るきっかけになって、原動力になってますね。

【今闘病中のあなたへ】

宮城 病気になったのは、不運だったけれど、不幸じゃないっていうのが、私からのメッセージになります。

岸田 どういうことですかね。

宮城 つらい経験もしたし、悲しい経験っていうのもありましたんですけれども。でも病気した経験で、例えばきょう今日、この場でこうやって、みなさんにお会いできてるのもこの病気になったからです。

宮城 であって、この病気になってから知り合えた人たちもすごいたくさんいて、すごい大切なかたがた方々なので、全然んで、それで全然、不幸じゃないなっていうのは感じまして。

宮城 むしろ、さっきも健康、人よりもすごい健康を感じるようになった、幸せを感じやすくなった。っていうのがあるんで、不不運運だったけれども、必ずしもそれが不幸ってわけじゃないなって、すごく実感しています。

岸田 なるほど、そっか。だって、幼い頃からいろんな経験してきたけれども、それは不幸じゃないと。

宮城 でも、最近ですね。これが、心から言えるようになったのは最近ですね。結構、以前までは自分をごまかすためにこの言葉を言ってたことがあったんですけど、今は間違いなく、これ心から言えます。

岸田 心から言える。

宮城 なので、今、、本当に苦しくて、こんなふうに思わないよって思っているえないって人もいるかもしれないけど。

岸田 絶対いると思います。こんなこと、不幸と思いますからもん。

宮城 でも、いつか皆さんがこういうことが言える世の中がきてほしいなと思っています。

岸田 少なくとも、順君は、いろいろメンタル不調もあったけれども、今は、こう思えるようにだんだんなってきたということですかね。

宮城 そうですね。

岸田 はい、ありがとうございます。病気になったのは不運だったけれど、不幸じゃないという言葉をいただきました。ありがとうございます。

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