治療を続けながら、仕事も、やりたいことも諦めない。がんになって「シンプルに生きられるようになった」という彼女のパワーの源は…?

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:NAO

更新日:2018.08.06

発覚・宣告

岸田 自己紹介をお願いします。

NAO 2014年の1月に子宮体がんになりました。遠隔転移をしているのでステージでいうとⅣになります。現在2年目で、治療を継続中です。仕事は個人事業主、フリーランスで料理を作ったり教えたり、メニューを考えたり、料理にまつわる文章を書いたり、料理をすること全般の仕事をさせていただいています。

岸田 どうやってがんが見つかったんですか?

NAO 男性には若干わかりづらいかもしれないんですけど、生理の出血が尋常じゃない量で。普通、1週間ぐらいで終わるのが、2週間ぐらい、しかも大量出血が止まらない状態になって、もうこの血をどうにか止めてほしいと思ってクリニックに駆け込んだことがきっかけでわかりました。それが2013年の12月だったんですけど、2013年の秋ぐらいから、1週間か2週間に1回ぐらい、なぜか出血していることがあったので、今考えるとそれが予兆だったのかなと思っています。当時結婚3年目で、そろそろ子どもが欲しいなと思っていて。私はもともと生理不順で、ピルを飲まないと生理が来ない体質だったんです。それでピルをずっと飲んでいたんですが、子どもが欲しいからピルをやめて様子を見ていた期間だったんですね。だから、ピルをやめたからホルモンバランスが崩れて、もともと生理もちょっと変だったから出血してるのかなぐらいに思っていたら、大量出血を起こして、年末に病院に駆け込んだんです。

岸田 そのクリニックは婦人科系のクリニックですか?

NAO そうです。もともとピルをもらったり、相談をしていたところに行きました。それが12月で、とりあえず血を止める薬もらったんですけど、内診台の上で「検査しておくからね」と言われて。それで年明け早々に院長から電話かかってきたんですよ。「とにかく1日でも早く結果を聞きに来てください。あなたの命を守りたいから」と言われて。

岸田 えー。

NAO え?何事??おかしいな、と思って病院に行ったら、紹介状が用意されてて。「子どもが欲しいのはわかるけど、とにかくあなたの命が優先だから、すぐに大学病院に行きなさい」という感じで。それが年明けで、1週間後ぐらいに大学病院の予約が取れたので行きました。いろいろ検査をして、CTを撮って、まあ、がんだろうねっていう感じになったんです。「本当は子宮を取るのが一番いいんだけど、若いし結婚しているから取りたくないよね」と言われたんです。それで、「そうですね。取りたくないですね」って言ったら、子宮内膜掻爬(そうは)といって、子宮内膜の組織を全部取ってみることによって、どれくらい悪性度があるかとか、どれくらいがんが進んでいるかというのがわかるから、それで悪性度が高くなかったらホルモン療法で子宮を温存できるよ、と言われました。その検査を2月にやって、もしグレード1で悪性度が低ければ温存できたんですけど、グレード2という結果だったので、「やっぱり残せないね」と言われました。先生は「セカンドオピニオンしてもいいよ」と言ってくれたんですけど、全部出して組織を見て駄目だったんだから、もう駄目よね、と思って。仕事もしてたので、じゃあすぐ2週間後に手術、ということになっても調整がつかないから、4月に手術します、と言って。1月に発覚して、2月に子宮を残せるかどうかの検査をして、4月に子宮と、卵巣と卵管と、その付属のリンパ節を全部摘出するという手術をしました。

岸田 宣告を受けたときってどうでした?

NAO 電話をもらってクリニックに行って、たぶんがんだと言われたときに、第1次「この世の終わり」みたいな(笑)。えー!がんって死んじゃうんでしょみたいな感じで。でも、心のどこかで、大学病院に行って検査をしたら、もしかしたら違うかもしれないと思って。それから大学病院で「やっぱりそうですね」と言われて、またガーンってなって……。でも、そのときは両方ですね、「死んじゃうのかもしれない」っていう不安と、「子どもを諦めなきゃいけないんだ」っていう。

岸田 そこですよね。

NAO うん。それがなかったら、また全然違ったと思うんですよね。

治療

岸田 宣告を受けて、そこから治療に入っていくと思うんですけれども。結構多いですね。手術のあとに抗がん剤6クール。

NAO はい、長かったです。手術をして終わりだからと言われていて、それを信じて、これで私は、あとは元気になるだけって思ってたんですよ。入院、手術したのが4月20日で、5月2日ぐらいに退院したんです。それで、退院後の診察に行ったら、先生があたふたしてるんですよ、診察室の中で。子宮内膜掻爬をしたときは、グレード2という、中程度の悪性度だったんだけど、子宮を出してみて検査したら、もっと高いグレード3だった。グレード3とかリンパに飛んでる人は、おへその上ぐらいにあるリンパも取るんですけど、私は子宮内膜掻爬でグレード2だったから、そこは取らなかったんです。開けてみたらグレード3だったから、取ればよかったなぁみたいな話になって。「もう1回手術する?」って言われました。

岸田 まじで?

NAO それは無理。やだ!だって、そこまで行ってないかもしれないし。しかも、もうこれで終わりだと思って、仕事復帰に向けて体力もつけて、予定も組んでたのに。そしたら、抗がん剤しないとね、ということになっちゃって。ええ?話が違う!

岸田 それで抗がん剤が始まるわけなんですね。

NAO でも、そこも、4カ月空いてるんです。手術の結果を聞いたのが5月だったんですけど、私も嫌だったし、先生もどうしようかな?みたいな感じで、カンファレンスで話してみますねとか、期間があったんですよ。なので、私自身も考える時間ができて助かった。あと、私、仕事入れちゃってたから。そんなすぐ休めないし(笑)。

岸田 だってまだ手術して1ヶ月とかでしょ?もう仕事入ってたんですか?

NAO 1カ月間ぐらいは、家でできることとか。6月ぐらいから普通に仕事を入れていて、8月も出張が入ってて、だからその出張から帰ってきたら抗がん剤やりますね、みたいな感じ。それで8月から抗がん剤がスタートしました。

岸田 で、投与前日のCTで、転移が発覚。

NAO (笑)そう。もうしょうがない、抗がん剤、やったら終わるんでしょ!って。抗がん剤しながらも仕事をぼちぼちやって、6クールの間は我慢しようと思って覚悟を決めて入院して。抗がん剤を打つ前の日にそう言えば最近撮ってないねって、CTを撮ったら、また先生がバタバタし始めて。何かと思ったら、「肺に転移が発覚しました」みたいな。

岸田 うわー。それで転移が発覚しましたけど、抗がん剤は変えず?

NAO うん。だから「抗がん剤、やっぱりやってよかったね」みたいな。そういう感じですよね。肺にあるんじゃ仕方ないよね、みたいな。

岸田 全6クールって何カ月ですか?

NAO 3週間ごとだから4カ月ぐらい。

岸田 それで、その抗がん剤がいったん12月で終了。

NAO はい。肺に転移したのも1個とか2個だったら手術もできたみたいなんですけど、両肺に、それぞれ何ヶ所かにあるから手術のしようがなくて。12月にCTを撮ったら、肺の転移が半分ぐらい消えたのかな。でも半分残ってて、「どうする?」って言われて。正直な気持ちは、抗がん剤はもうやりたくない。私は副作用が、とにかく痛みがつらくて…。投与した日はよくて、翌日もまあぼちぼち元気なんだけど、その日の夜くらいから、ベッドに寝ていてのたうち回るぐらい全身痛い。それが2日間くらいずっと続くんです。痛み止めを飲んでも効かない。それがつらいから、もうやりたくなかった。でも、どうしたらいいか聞いたら、「もうここまでくると標準の治療方法もないし、そんなに症例もないから、なんとも言えないね」ということを言われて。CTって、影じゃないですか。だから、写ってはいるけど、がん細胞は死んでいて動いていないかもしれない。そう言われたから、じゃあそっちに懸けようと思って。とりあえずやめてみたいという話をして、経過観察をすることにしました。2015年の2月にCTを撮ったら、特に変化なし。減りもしなかったけど、増えなかったんですよね。それで、カルテに治療終了、って書いてもらえたんですよ。

岸田 そこハッピーエンドみたいな感じですよね。

NAO うん、終わったと思って。すっかり、ほぼ忘れてて、普通に生活してたんですけど。2015年の10月に、ひさびさにCTを撮ったら、「大変!増えてるし、大きくなってる」と言われて。それでちょっと、今までセカンドオピニオンとかしてなかったんですけど、どうにか方法はないのかなと思って、ほかの病院に行ったりとか、通ってる病院と話し合ったりして、結局また、抗がん剤をすることにしたんですね。だけど、効かなかったんですよ。

岸田 はっ!

NAO アハハハハ。笑えない笑えない。

岸田 笑えないっすよね。

NAO とりあえず効かなかった。去年の12月25日に、増えてますね、って。でもね、先生がうれしそうに、「ホルモン治療してみる?」と言って。「これ結構効くんだよ。副作用もなくて、再発の人によく効くんだよね」って。でも私の中では、え?秋の抗がん剤の前に言ってほしかったなーって思いましたよね。そんなわけで、2016年の1月からは毎朝ホルモン剤を飲んでます。

岸田 今ホルモン治療中?

NAO うん。来月にCTがあります。

岸田 その中でもこうやってがんノートに出てくれて。こんなに笑っていられるのって、ほんとすごいなって思うんですけど、その秘訣はあとで伺いたいなと思います。

家族

岸田 家族からどういう支えがあったのか、家族にはどう打ち明けたかをお話しいただけますか。

NAO 仕事もぼちぼち波に乗ってきたから、そろそろ子どもが欲しいかなというタイミングでがんになった。だから本当に、治療と家族は切り離せない問題だなというのはありますね。どんな支えか。でも割と私、病院とか1人で行ってるんですよね。

岸田 そうなんすね。

NAO どうしても決めなきゃいけない手術を決めるときとか、抗がん剤のときもたまには来てもらっているけど、病院って予約時間から2時間、3時間待つのざらじゃないですか。私でさえ嫌なのに、会社員している人を付き合わせるのは大変だなっていうのもあって。だから基本は自分で行って、家で相談して、じゃあこうするねっていうふうに。でも入院のときは毎日来てくれて。会社に行く前に寄ってくれて、帰りにまた来て。

岸田 すげー。

NAO そう。ま、日曜日とか来てるけど、横でガン寝ですけどね。

岸田 (笑)。

NAO そりゃそうだよなーって。あとは、みんな心配してくれてるけど、直後はFacebookも見れないし、携帯も打ちたくないぐらいしんどいから、私の闘病日記を彼が代わりに打ってくれたり。なので、ほんと感謝ですよね。私は本人だから、もう覚悟するしかないけども、ある意味、横にいるだけで何もできないじゃないですか。だから大変だっただろうなって。

岸田 そうですね。

NAO しかも何よりも、私より子ども好きな人で、めっちゃ子どもになつかれる人だから。ね、子ども、欲しかっただろうなって思うと、そこもね。かわいそうだったなぁというか…。

岸田 旦那さんにはもう、クリニック行ったときには伝えて…?

NAO うん、割とすぐ。もしかしたら、がんかもしれないんだよねって言いました。最初から。

岸田 じゃあ、自分の両親とかは?

NAO 両親に言ったのは、検査してからですかね。相談ベースではあんまり言ってなくって、がんになっちゃったから検査のために入院することになった。と2月の入院が決まってからある程度進んでから言いました。

岸田 電話で?

NAO 私が今住んでいるところと実家はそんなに遠くないんですよ。母親とはもともと病気とは関係なく週1回ぐらい会っていたので、その時に話しました。ありがたいのが、そのあとから病院の送り迎えをしてくれるようになりました。私の家の近所におじいちゃんが住んでいてそこに母が週に1回元々来ていたので、そのタイミングで私も病院を入れるようにして、病院まで母親とおじいちゃんと3人でドライブです(笑)。診察室まで入ってくれるわけじゃなくて、駐車場で「じゃあね」って言って、母親とおじいちゃんはそこから買い物に行ったり散歩しに行ったり(笑)。で、「終わったよー」って電話すると、「じゃあ帰ろっかー」みたいな感じで。

岸田 いいっすね。

NAO うん、なんか楽しいですね。

 

仕事

岸田 当時、仕事がフリーランスに変わられて、がん宣告されて、闘病中もお仕事されてたと仰ってたんですけれども。

NAO はい。もともと私、会社員だったんですね。

岸田 何系の会社員ですか?

NAO マーケティング会社で、リサーチしたり、新規事業開発や、営業みたいなこともしていました。そんな仕事をしていく中で、食品メーカーさんがクライアントにいたり、あとは週末に料理教室に行ったりしていたら、あ、私、料理の仕事をしたいなと思って。2011年に、別に結婚したから退職したわけじゃないんだけど、もともと自分の中で決めていたタイミングだったので会社を辞めて独立をしました。今はただずっと料理を作っているわけじゃなくて、メニューを考えたり、料理にまつわるイベントを企画したりとかもしているので、そういう意味では会社員のときの経験と料理を組み合せた仕事という感じです。2011年に独立したんですけど、最初から仕事があるわけじゃないから、他の仕事とかもしながら、ちょっとずつ仕事を増やしていって、それこそ自分でマーケティングして、こうしたらいいんじゃないかっていうのが見えてきて。よーし、これから頑張るぞ。ああ、いい感じだなって思ってきたころに、病気を宣告されました。

岸田 独立から2年ぐらい経って。

NAO 1月に宣告されたときにまずしたことは、料理以外の仕事はお休みしようと思って、病院の前からすぐに電話をしました。病院を優先して時間を作らなきゃいけないし。でも、手術の前日まで料理の仕事はしてました。金曜日に入院だったんですけど、手術が火曜日だったから土日は外泊させてもらって、そこで仕事して帰ってきて。お金というよりも、せっかく入ってきた仕事だから、できるだけ休む時間は短く、すぐ戻って、またいい波に乗りたいというのがあったから。だから退院して3日後でも、おなか引きずりながら現場も行ったし。

岸田 よく行きましたね。

NAO まあ、今考えたらあり得ないことをいっぱいして(笑)。

岸田 歩けるんですか?

NAO 歩けないですね。ほとんどもうすり足で。でもね。それくらい必死でした。たとえ元気でも、たぶん必死にやらないと誰も仕事くれないから。それがすごいモチベーションだったかな。だから、抗がん剤やることになったときも嫌だったんですよ。せっかく元気になって、みんなも復帰してよかったねと言ってくれて、新しい仕事もどんどん決まって。だから絶対嫌だと思って。5月ぐらいに抗がん剤が決まったけど、秋にも仕事が入ってたから、どうにかできる方法はないかと思って、いろんな人のブログを読んで、どういうタイミングで、どういう副作用がくるかを必死に分析して。どうやら当日と翌日は大丈夫で、2、3日後ぐらいだけが駄目だけど、あとはいけそうだなと。今思うといけなかったらどうしたんだろうね、と思うんですけど(笑)。あとは周りの人に手伝ってもらうようにしました。しんどい時期とか、今までだったら1人でやったいたことを、友達に一緒に来て手伝ってほしいってお願いをしました。でもその結果、今でも大きい仕事の時には手伝ってくれるから、たくさんの味方を見つけられたという意味ではいいことでもありました。話はそれましたが、そんな感じで副作用を人のブログで調べて。だって、そんなこと先生に聞けないですもん。4日後だったら仕事入れていいですか?なんて聞いたって、そんなの個人差があるし。

岸田 そうですね。

NAO 病気と闘うことにも必死だし、自分の事業を確立したい、ちゃんと仕事を絶やさないようにしないといけないし、っていう必死さだけでやってきましたね。

岸田 モチベーションになって。今はどんな感じですか?

NAO 今は、全然元気なので、いつも通りやってます。

岸田 そうですよね、ホルモン療法だったら。

NAO そうそう。去年の10月11月にやった抗がん剤は前回と同じ薬のうちの1剤だけを使う形だったので、痛みがないのがわかっていたので、このタイミングなら仕事ができるという予測がしやすくて。抗がん剤投与して、その日の夜に料理教室の仕事したりとかしてましたね。

岸田 シーーー!

NAO ウフフフフ。してました。

岸田 これは良い子は、まねしないでください。ですね。

NAO そうそう。これは決して見本にはならない。しちゃいけないと思うんです。

岸田 (笑)。まぁそれは人それぞれやもん。生き方は自分で決めないとね。

NAO そう、でも、そうなんです。だって、今度の3月の検査どうなるかわからないから。今、元気だから、できるんだからしたい。何が一番したいかなと思ったときに、それがしたいと思ったから、やろうって。

岸田 周りに迷惑かけなければね。

NAO うん。はっ、若干かけてるかもしれない(笑)。みんなが手伝ってくれる。

岸田 それもね。NAOさんの人徳だと思います。

つらい・克服

岸田 肉体的に、精神的につらかったのはどういうときでした?

NAO ひとつは手術をして、そのあと、歩くのもつらかったこと。

岸田 ま、そうね。退院して3日後に歩いてるけどね。

NAO (笑)。歩くのもつらかったし、何をしてももう、おなかが常に前かがみ。つらかったなー。でもその辛い時に、それを乗り越えたらやりたい楽しみを作っておく。元気になったらこれをやるっていう楽しみを。私、4月20日に手術をして、退院して5月の下旬に、関西に遊びに行ったんですよ。飛行機で。さすがにちょっとつらかったですけどね。

岸田 行くんや…。

NAO でも、元気になったら関西に行こうって決めてたから。もうひとつ辛かったのは、のたうちまわるぐらい痛い抗がん剤の副作用。でもそれは耐えるしかなかった。

岸田 抗がん剤は副作用がね。

NAO 辛いとき、私はもう、ひたすら楽しいこと、やりたいことリストを作ってました。けど、それを考えてるだけで楽しいですよね。

後遺症

岸田 後遺症はありますか?

NAO あるとしたら手足がしびれたりすること。私の場合は卵巣とかホルモンバランスの後遺症なのか、抗がん剤の後遺症なのか、両方かな?っていう感じだけど。しびれがけっこう、投与してるクール中も、終わってからも、ずーっと辛かったかな…。でも、それもだいぶ薄まってきました。

岸田 あとは妊孕性、妊娠のところは?

NAO まあ、大きな後遺症ですね。

岸田 けっこう、精神的にくるでしょ?

NAO 今はもう2年も経っているので受け入れてるから、ほとんどない。でも、病院の産科と婦人科が同じ待合室だったので、大きなおなかで幸せそうな、母子手帳持った人たちがいるんだよね。それが一番辛かった。今は慣れてきたけど、最初はもうね、すごく辛かった。私たちは部屋が別だったけど、病院によっては一緒だったりするんだって。それは辛い!

岸田 そうですよね。

NAO もう今はね、逆にほら、自分で楽しいことができるから。そういう人生なんだなと思って。

岸田 そっか、それは時が解決してくれたんですかね?

NAO 私はね。きっと私は、自分で生きること、自分のために時間を使うことが、もう楽しくて仕方ない人だから。だから好きなことがあってよかったと思う。これがなかったらすごくつらい。

キャンサーギフト・夢

岸田 NAOさんのキャンサーギフトはなんですか?

NAO 私のキャンサーギフトは、自分にシンプルに生きられるようになったこと。好きなことだけしようって。悪く言えばわがままになったかもしれないけど。

岸田 いいですね。夢はなんですか?

NAO 日々、好きなことをしてるから、この好きなことをし続けたい。うん。それだけですね。

岸田 シンプルでいいですね。

NAO うん、元気に続けていければ、それだけでいい。

今、闘病中のあなたへ

岸田 今、闘病中の方にメッセージをお願いします。

NAO はい。私もね、治療中、闘病中なので、期待じゃなく夢や希望を持って一緒に頑張りましょう。期待して診察室入ってどれだけ裏切られたことか。親にも「あなたは期待をするのをやめなさい」と言われました。「期待するからショック受けるのよ」って。でも、期待じゃなくて、夢や希望だったら裏切らないなと思ったので、この言葉です。

 

※本ページは、あくまで経験者の情報を扱っております。そのため、あくまでその方のケースはそうだったということを念頭においてください。そのため、医療情報に関しては主治医や、行きつけの病院、またはしっかり科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。

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