がんを罹患した人へ、がんになってもまだ生きる時間はあるのだからという、日本のがんからすぐに死につながるイメージを変えたいという西村さんの想いを伝えてくれるお話です。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:西村

更新日:2018年03月25日

【発覚・告知】

岸田  今回のゲスト、西村さんをお呼びしております。自己紹介をお願いします。

西村  はい。西村昌史といいます。2年半ぐらい前に胃がんに罹患をしまして。早期だったんですけども、部位がちょっと悪いために全摘という形になりました。ステージは一応、Ⅰいうことになっていますけども、実際には正確には言われたことがなくて、放射線も外科療法だけで済んだので、まあⅠだろうということで。今は、治療とは全部終わっていますので、一応は寛解かなと。3カ月に1回、経過観察で通っている状態です。

岸田  ありがとうございます。今日、マーシーさんとお呼びしても大丈夫ですか。

西村  はい。

岸田  じゃあ、マーシーさんの胃がんがどうやって発覚して、どう宣告されたかを。

西村  はい。2015年の7月に職場の健康診断をしまして、その結果が要精密検査で。大腸にもポリープがあって、それが毎年8月頃、カメラで状態を見ていたので、その時期に併せて一緒に先生に診てもらったら「この状態だったら、じゃあカメラをしましょう」と別に予約を取って、そこで「ちょっと悪いものがある」と言われたんです。

岸田  健康診断の時の要検査というのは、血液検査の値が悪かったとか?

西村  この時はバリウムで。

岸田  おお。それで胃カメラもやり、その時見つかったんですね。先生からどんな感じで言われたんですか。

西村  はっきりとは言われてなかったような記憶なんですよね。「開腹しましょう」みたいな感じで。それで、え?って思ったんだけども、話を聞いたところ「良くないものがあるから、もうちょっと調べてから、多分取ることになりますよ」と。

岸田  胃カメラの検査結果を伝えられる時にまず一言、「開腹だね」と。

西村  そうです。もう「これは開腹だね」っていうような感じで。あ、そんなに駄目なの?みたいな。意識としては、腹腔鏡みたいなものでできないかなとは思ったんだけども。だけど、落ち込みは全然なかったです。実は父親が、多分、開腹手術を6、7回しているんですよ。それが全部、別の手術で。全て1回で終わっているので、手術ってすれば終わるもんだっていう意識があるのね。だから、なんか怖くないっていうか。

岸田  ほお。じゃあ、そういうバックグラウンドがあったから。

西村  ある意味成功例が身近にあったので、全くそういうのはなくて。逆に私は介護の仕事をしていたので、利用者さんって身体的にも精神的にも健常な人たちより弱い部分を持っている方がほとんどなので。だから少し歩み寄れたかな、というのはありました。

【治療】

岸田  じゃあ、治療について。

西村  胃カメラの後の精密検査でどのぐらい浸潤しているとかを調べた後、「全摘しましょう」と。この時も、え?全摘?一応「早期だ」とは言われたけど、早期で全摘の意味が分からなくて。

岸田  うん。意味、分かんないすね。早期だったら上半分だけとか下半分だけとか。

西村  うちの先生は、あんまりこの辺りは説明がお上手ではない方で。その意味を、自分で根拠を探さなきゃいけないみたいな部分があったことは確かなんですよね。

岸田  へえ。自分で解釈しないといけない。

西村  解釈しないと。一応、簡単には部位の関係でっていうような、私の場合は胃の入り口辺りだったので、ここだとどうしても裏の辺りのリンパの郭清とかと関係とか、なんか食道のほうの関係とかもあるようなんで。というのも、これも詳しい説明なく。自分で調べた結果なので、うそかもしれないんですけど。そんな感じでした。

岸田  うん。それで10月27日に入院。その後。11月2日に手術。そして、そこの手術を受けて23日。20日間ぐらいは入院していたということですかね。

西村  そうですね。これは胃袋を取ってしまったので、栄養が取れないと退院できませんよという意味だったんです。

岸田  それがようやく食べられるようになったのが20日間。

西村  そう。3分の1位食べられるようになったから、まあ退院してもいいだろうと。

岸田  その間に体重が68キロから61キロに減っていったという感じですかね。

西村  自分では精いっぱい食べてんのに減ってくと。この恐怖。

岸田  そっか。早期で「全摘」と言われて、すぐに納得できたんでしょうか。

西村  納得できなかったですね。意味が分からなかったので。

岸田  先生にどう言ったんですか。

西村  「いや、もうちょっと残せませんか」とかって。そしたら先生は、年齢の関係もあるので「これからの人生をどう歩んでいくかっていうことを考えると、このほうがいいんだろう」って、細かい話はよく覚えてないんだけど。

岸田  もう2年半前ですしね。だけど、詳細な話というよりはなんかちょっとざっくりした。

西村  そう。こうしませんか、までは行かないで、「こうしましょう」という感じでお話をされました。だからこれも、自分で根拠を探さないといけないような。

岸田  そういう感じだったんですね。その後手術して退院までが20日間で、どんな感じで経過していきました?最初は多分、おさゆだったりとか。

西村  そう。カップ1杯に米粒が10粒ぐらい入っているような。

岸田  それを食べられたのはどれぐらいの時ですか。手術してから。

西村  多分5日目ぐらい。結構ね、ぽんぽんって行って、すぐ普通ご飯にはなった。3日目ぐらいに普通ご飯に行ったんだけども、そっからが食べられなくて。

岸田  なんで?胃がないから?

西村  そう。後遺症みたいな感じで。簡単に言うと、透明なフラスコがあるとします。

岸田  唐突な。

西村  通常は健常な方たちは食べたものが、こう、しゅうっと落ちてってフラスコに落ちると。そうすると食道に当たる部分は、口の所は空洞だと。私の場合はこのホースしかないわけですよね。そうすると食べたものと一緒に空気を飲み込むんですよ。ラジオで聴いた先生が言った話では、「食べ物と同量から3倍の空気が入る」と。そうすると、私の場合は食べたものと空気がどんどん押し込まれて、空気がどんどんたまってっちゃうんで、どっかで入れ替わんないと落ちてかないというのがあって。

岸田  そうですね。

西村  これプラス、他の胃を切った人でちょっと話を聞いたんだけども。ものすごく濃い唾液、スライムみたいな唾液が出てきたんですよ。それを一緒に飲み込んでいくと、それが今度、食道の中でぐちゃぐちゃになって、どんどんふたをしてものは落ちてかないしで、ちょっとこれが大変でね。

岸田  だから、それがちゃんとなるまでに20日間かかったと。

西村  その病院はみんな食堂で食事を食べていたんですよね。そうすると、そこで私がゲップ出すのを何となく我慢しちゃっていた部分があって。それで、食べられないねっていうことで、どんどんプレッシャーになっていって、ある時、じゃあ自分の部屋で戻ってそこで1人こそこそ食べたのね。そしたら食べられるんですよ。量が急に倍になって。そこでは自分の空間だから、おえってやろうが何しようが、多少は外に聞こえてもね。あと、食べているうちに、この唾液は飲み込んじゃ駄目だって気が付いて捨てるようにしたら、途端に結構(食べる量が)増えて退院という話が。

岸田  ああ、そうだったんですね。

西村  退院した時に一番びっくりしたのが、退院する時は7キロ痩せていたわけで、ズボンがゆるゆるだと。靴、スニーカーが重くて、歩く時にちょっと突っ掛かるような感じがあって。こんなに体力が落ちてんだっていうのは、この時、一番自分で衝撃を受けた。ショックでしたね。

【家族】

岸田  ご家族への連絡はどうしましたか。

西村  先ほど言ったように、父親の病気があったので非常に言いやすかった。でもね、がんっていう言葉は使えなかったですけどね。一応、「胃を取んなきゃいけない、開腹しなきゃ駄目だって言っているよ」っていうことで、さらっと。

岸田  それに対してご両親や、ご兄弟からの連絡は。

西村  父は2、3年前に亡くなっていたので。母親にはそういう形で告げたところ、2回目に「悪いから全摘になったよ」って言った時は、「あっ、そうだったの。じゃあがんだったのね」って言われたから、最初の時に気が付かなかったのかいと思いました。やっぱりちゃんと伝えないと。

岸田  確かに胃を取るだけでは、察するの難しいですよね。

西村  うん。一応、弟と妹には連絡をして。弟も妹も父親の状況を知っているので、割とさらっと受けてくれたから。

岸田  良かったです。じゃあ、家族からの支援ってありました?病院に付き添ってくれたりだとかは全部、1人?

西村  うん。だから退院後の食事のことが一番心配だったんですけど、以前の経験があるから大丈夫だろうと思って高をくくっていたら、おふくろには「全部忘れちゃった」と言われて。

岸田  じゃあ、その時に実家に戻った。

西村  あっ、私は母と2人暮らしなので。

岸田  そうなんですね。何かこうしてほしかったなっていうのありますか、逆に。

西村  家族には全然ないですね。

 

【恋愛・結婚】

岸田  闘病当時はいなかったんですか?

西村  最初からいました。そこそこ長く。

岸田  付き添ってらっしゃる。

西村  はい。独身なんだけど。相手の方はお子さんがいて、相手のご主人を私と同じ胃がんで亡くしているんですよ。なのに私が同じ種類の病気になってしまって、すまないなって気はするんだけども、うん。

岸田  え?じゃあ、彼女さんは旦那さんを胃がんで亡くされて、その後にお付き合いをして、その後に胃がんになったんですか。

西村  うん。ありがとう。まとめてくれて。

岸田  じゃあ、胃がんって分かった時に結構ショック受けるじゃないですか。それこそ彼女さんにどう告知したんですか。

西村  その時は早期だったので、それはちゃんと伝えました。

岸田  彼女さんからの返答、どうでした。

西村  割と落ち着いて。「大丈夫だよ」って感じで私も言ってあったので。

岸田  入院中は彼女さんがお見舞いに来てくれて、サポートしてくれたんですね。

西村  はい。週1のお休みとかの時には必ず来てくれたので。

岸田  そっか、マーシーさんは、絶賛、恋愛をしている。がんになっても、そこで別れる別れないとかいう話じゃなくて普通にサポートしてもらえたんですよね。

西村  はい。

【仕事】

西村  私は介護の仕事で、特に歩いたりとか、外出がとても難しい方の外出支援をしていたんですね。その当時は透析患者さんの患者がいて、そこで送迎していたのですが、そこの母体になる病院が介護も車も出しますっていうことに変わったんですよね。そしたら私たちのいる存在意義がなくなったので。自動的に解散をすると。

岸田  え?解散したらどうなるんですか。みんなは再就職ですか。

西村  それは、おのおのが探して。

岸田  へえ。じゃあもう、そこからすぐ転職活動よりは、がんの治療をして。

西村  そうなんだけど一応「すぐ働けますよ」という姿勢がないと失業保険出してくれないので、入院が決まっているのに施設に行って説明会受けたりしていたのね。ハローワークの人には「その間はどうしたらいいですか」と言ったけどね。ちゃんと相談しとかないといけないから。

岸田  その後の仕事はどうしたんですか。

西村  それがね、してないんです。まだできないですね。というのは、私の場合は食事を取るたびに体調の変化が起こるんですよね。例えば、まず頻脈。どきどきっていうのがすごくなって苦しくなってくる。あとは最初に言った透明なフラスコの話、これが、ゲップが出にくい。最近はゲップが出にくく、だんだんお尻からも出るようになったんですけどね。常に、空気がどっかにたまってる感じ。見た目で分かるぐらい膨らんでくる。基本的に、においはないのでそこら中で。だから調子がよくなると、1時間に20回のおならが出たり。

岸田  えー。そうなんすね。

西村  あと、私の場合は、このみぞおちから5センチの所でつないであるので、この辺りでゲップが詰まると息苦しい感じがするのね。溺れそうな苦しさみたいのがずっと。

岸田  今、胃がないことによる後遺症で、仕事にしてもちょっと遠慮してるっていう部分とか、いろんなことあるんですね。

【お金・保険】

岸田  治療費はどうしているんですか。

西村  基本的には、そんなにいっぱい検査はしてないんですよね。それで、実際に入院してから手術終わって退院するまでで、自分が実際に支払った金額が多分10万円か15万円ぐらいで済んだんじゃないかな。

岸田  本当の全額だったら100万とかいきますからね。保険は入られていたんですか。

西村  保険はありがたいもので、母親が保険に掛けていてくれたみたいで。だけど、この後がね。まさか2年半もっていうのは。

岸田  そうなんですよねえ。治療費だけじゃないんですよね。今、どうやって生きているんですか。

西村  貯金があったので。あと失業保険と退職金もあったから。それはもう全部吹っ飛んじゃったと思うね。

岸田  じゃあ生活保護を受けているってわけではないんですね、今。

西村  ないです。

岸田  貯金で。けど、貯金だけだと今後。

西村  ね。そろそろやばいじゃんっていうのはもう、1年ぐらい思っているけど。

岸田  そうっすね、何とかね。患者さんでも、こういう後遺症があっても仕事ができる、そういう世の中にしていかないといけないですよね。

【辛いこと・克服】

岸田  じゃあ、つらかった時と克服。体力的には体重が下がったところですか。

西村  そうですね。

岸田  つらいのは後遺症だったり?

西村  やっぱり、頻脈とかが。

岸田  そういうこと、お医者さんは相談に乗ってくれたりするんですか。

西村  これはねえ。ある意味お医者さんには、特にこの胃がんは病気としてメジャー過ぎて、治し方が標準治療で確立されているわけで。こういう治療すると最終的にこういう状態になる、という全部が見え過ぎちゃっているかなって。だからもう経過観察の間、どういう細かい変化・努力・辛いことへの対応をしているかを、私たちのほうから伝えるチャンスもないので。そのゲップ関係の話とかを医療関係の人に話をすると「そんなの今まで聞いたことがなかった」と。要するに、そういうことが医療側に伝わるチャンスがないかなって。

岸田  そうですね、確かにね。メジャーになり過ぎているからこそ、またあれねってなっている可能性はありますよね。

西村  そう。聞かなくても分かりますよっていう姿勢が見えたことが。

岸田  マーシーさん的にはそれをどう克服しました?

西村  いや、克服できてないから、今まだ苦しんでいるかな。

【後遺症】

岸田  マーシーさんの後遺症、他にありますか。食べられないものとかあるんですか。

西村  あっ、食べられないものはいっぱい。

岸田  それは胃がん患者だから?マーシーさんだから?

西村  基本的には消化の悪いものは食べない。例えば、たけのこ、こんにゃく、海藻類、いか、たこ、きのこは、基本的には消化が悪くて吸収が悪いもの。食べられないんじゃなくて「食べない」って言ったのは、腸閉塞になりやすい素材なんだけど。けど、私の場合は栄養が取れないわけで、要するに入る量が決まっているので入る量をいかに効率的に食べるか。

岸田  それはマーシーさんの場合ですよね。普通に食べたいものを食べている人も。

西村  そう。全摘じゃなければ、いける人も多分多いと思います。

岸田  そっか。全摘やからそういうのも考えなあかんのか。

西村  ちなみに後遺症としては、あと3年ぐらいたつとビタミンB12がなくなる。

岸田  ビタミンB12って何ですか。

西村  胃液がないと吸収されない栄養素。これがなくなると、指先とかのこういう筋線維とかに障害が出やすいっていうことで。今持っているものは多分、健康な状態から5年ぐらい持つらしいんだけども、その後はもう取れなくなっちゃうので。ここら辺が、だから全摘と少し残した人の大きな違い。

岸田  そっか、胃がないと取れない栄養素もあるんですね。

【医療従事者への感謝&要望】

岸田  医療従事者への要望については、さっき、メジャーながんだからこそ、手術と経過観察の間には、フォローしてほしいと。

西村  そう。この中にいっぱいドラマが詰まっていんだよって伝わるといいかな。

岸田  逆に、感謝することって。

西村  感謝はね。私、その罹患した時歯医者に通っていたんですよ。歯医者さんに相談して治療の一段落するところまで突貫作業でやってくれたので。時間外とかでも、どんどん予約入れてくれたんで。だから、ものすごい高熱が出たりしている時でも、全く歯がうずいたりとかってこともなかったので。これは医療関係の方たちが事前に、そういうことをおっしゃっていただくと非常にいいかなと思います。

岸田  そう。結構、歯って大事ですからね。

西村  あともう1個。私、「糖尿病ある」って言ったので、実際の治療が始まるまでの期間は血糖値下げとくようにって指示があれば。血糖値が高いと予後が悪いので、実際に手術を延期するっていうケースもあるらしいので。そこも、伝えてくれたらうれしかったかなって。

岸田  そっか。マーシーさんの場合は延期しなかったけど、(延期)することがあるってね。

西村  うん。予後の感染症とか考えると。

【キャンサーギフト】

岸田  マーシーさんのキャンサーギフト。

西村  一つは、ヘビーメタルが好きで、RIOTっていうバンドのライブ行ってきて、たまたまサイン会に当たったので、私が「サバイバーだ」って伝えたら、「コングラチュレーション」って言ってくれたんですよ。欧米では特別な体験をした方をリスペクトして、「コングラチュレーション」って言ってくれるっていうの。あっ、本当だ、これはとてもいい経験だったかなって。

岸田  そうなんですよね。日本だと大丈夫?っていう感じになりますもんね。

西村  あとそれと、最初に言ったように、利用者さんに、ちょっと弱い立場の人たちのほうに歩み寄れたのはすごく私にとっては宝物かなっていう感じはします。

 

【夢】

西村  夢。そんなに大したものはないんだけども。普段から思っていることとしては、がんに対するイメージが変わってほしいなって。すぐ、死、とかっていうことが頭に浮かぶと思うんですけども、そうじゃなくてね。私が父親を見て、成功例を見て、なんか感じたものを誰かにも感じてほしいなっていうので。すぐ死にはつながらないし、いっぱい考える時間はあるし。そこら辺のイメージを変えたいなっていうのは、ずっと思っています。

岸田  がんに対するイメージを変えていくということですよね。交通事故とかじゃないですからね。何年もしくは何カ月とか。

西村  「早くて、あっという間」って言う人もいるけども、それは本当に一部の方で、結構、時間はあるので。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田  今、闘病中のあなたへというコメントをお願いします。

西村  『また会いましょう』。これは私が罹患をした時にいただいた言葉です。これは、ただのあいさつの時に「また会いましょうね」って言われただけなんだけども、家に帰る時に会えない人もいるんだなって。私にとっては非常に大切な言葉なので、ぜひこれを見ている皆さんも、誰かに「また会いましょう」って言ってください。そうしたら、あなたとその方との間で約束ができると思います。そうすれば、その約束果たそうと思う力がいい方向に向かっていくんじゃないかなと思いますので、ぜひ「また会いましょう」で。

岸田  ありがとうございます。この『また会いましょう』という言葉、そういう話を聞いたら、すごく深い言葉ですね。
『また会いましょう』という言葉で締めくくらせていただければと思います。

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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