ひとりじゃない。仲間がいれば乗り越えられる…。
つらい経験をしたからこそ、どうにかして良い経験に変えたい、と語る美穂さんが作ったものとは?

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:美穂

更新日:2014.08.30

 

自己紹介

岸田 今回のゲストは、僕の大尊敬する鈴木美穂さんです。

美穂 よろしくお願いします。鈴木美穂と申します。私は2008年に乳がんになりました。24歳で社会人になって3年目のときでした。当時、本当に突然、乳がんと言われて頭真っ白になって、それでも治療を進めていかなきゃいけないので、もう無我夢中で闘病してたって感じですね。8か月間休職して闘病しました。当時、ぜんぜん、若くしてがんになった仲間と出会えなかったということだったりとか、自分がこの後生きていく将来がまったく想像できなくて、それが一番暗闇の中で苦しかったんですね。なので、休職中に当時流行っていたミクシィで一生懸命で若くしてがんだった人を探したっていうのが、最初の仲間探しの始まりだったんです。そこで、ちょうどがんになって、克服して、その後医学部に行っているって書き込みを見つけて、そこで逆ナンをするかのように連絡をして会って、一緒にがんになった人たちの仲間と集えたりとか、情報が集まるような団体をやりましょうって言って、その当時立ち上げたのが、STANDUP!!(以下、スタンドアップ)という若年性がん患者のための団体でした。

岸田 そうですね。そこに僕も入らせてもらって、美穂さんと知り合うことができました。

美穂 その団体で活動もしています。今はもう5年目になるんですけど、毎年フリーペーパーを作って、がんになった後に亡くなるっていうことじゃなくて、いかに生きていくかということに焦点をあてた情報を載せたものを作りたいと思って、素人だらけだったんですけど、がんを経験した人たちだけで立ち上げて1号目を出したのが、2010年春。2009年から準備して、1号目を出して。そこから毎年毎年それが繋がって今、フリーペーパーの5号目が出来上がっています。みんな働きながらだったり、学校行きながらだったりするので、毎年1号ずつですけど、コツコツと出してきて、今その団体では、35歳以下でがんになった経験者がおよそ300人います。

岸田 そうですね。300人までになりましたもんね。

美穂 そのスタンドアップっていう団体を立ち上げてやってきたのが一つと、スタンドアップをやってきた中で国際会議に行けるチャンスがあり、そこで出会ったイギリスのがん患者の施設があって、がん患者っていうか家族のための、ショックを受けた人だったり、落ち込んでた人が自分を取り戻すような場所なんですけど、マギーズセンターという場所がありまして、これを東京に作ろうっていうプロジェクトも最近がんばってます。

岸田 そうですよね。しかも、オーストリアのウィーンでしたっけ、国際会議で。

美穂 はい。医療だけじゃなくてソーシャル的なサポートをやってるような患者会だったり、活動をしてる人たちが世界各国から集まる会議だったんですけど。そこで結構、日本のがんに対する意識だったり、社会がどう向き合ってるかっていうことについて、全然日本は遅れてるってことを知って。そこで大きな影響を受けました。めました。

岸田 その中で、マギーズの東京バージョンを作ろうと思った直接的なきっかけとかって何だったんですか。

美穂 もともとスタンドアップ作った時も、その後にも色んな活動をしていく中でがんになった人たちがいつでも行けて、いつでも相談できて、自分を取り戻していくような場所が作りたいなと思って、これは作りたい、こういうのが作りたいというのをずっと言ってきた中で、まさにそれがイギリスにあるよっていうことを知ったので。知って中身を調べてみたら、本当に私が闘病中から私がこういうところがあったらいいなって思うような場所そのものだったので、それなんだったらそれをそのまま東京に持ってこられたらいいんじゃないかと思って。マギーズセンターのことを知ったのはこの3月なんですけど。そこから色々動き出して、来年にはもう建つんじゃないかなっていうところに今きてます。

岸田 もう建てようと!?今のプロジェクトで。

美穂 はい。建てようっていうところにきてます、都内に。

岸田 都内に。ちょっとそれは是非つくっていきたいので、美穂さんにはがんばってもらいたいんです。ありがとうございます。

美穂 自己紹介長すぎですよね、そんな。

岸田 時間はいっぱいあるので。(笑)

美穂 そして、本業はテレビ局で記者をしています。

岸田 なので結構、夕方とか夜の番組で美穂さんをみられる?こともあったり。

美穂 基本的に番組を作ることが好きなので。

岸田 では、美穂さんの病気のがん種類だったり、その時のステージ、闘病時期、今はどうかっていうところを教えていただけますでしょうか。

美穂 がんの種類は乳がんです。

岸田 乳がんでも結構、色々あるんじゃないですか。

美穂 乳がんにも色々タイプがあって、私はホルモン受容体は陽性でHER2も陽性ですべてポジティブな。

岸田 ポジティブな乳がんなんですね。

美穂 トリプルポジティブ乳がん、そんなふうには言わないかもしれませんが、治療はフルコースやりました。というのも手術をしまして、抗がん剤も2種類のタイプをやりまして、HER2陽性、ハーセプチンっていう分子標的薬をやって、放射線もやって、ホルモン治療もやって、標準治療は全部やりました。

岸田 マジっすか。

美穂 今もホルモン治療の薬を1日1錠飲むだけなんですけど、飲んでます。それは10年間ということで、あと2年間。

岸田 前まで5年じゃなかったでしたっけ。ホルモン治療薬の薬を飲むのは。

美穂 5年だったのが、10年の方が良いっていうデータが出て。5年にやっと辿り着いて終わると思ったら、最近トレンドは10年なんだよね、あ、延びたみたいな。(笑)

岸田 そうなんですか。10年のほうが5年よりいいんですね。

美穂 なので、今もホルモン治療中ではあります。だけど、1日1錠薬飲むだけだし副作用もまったく感じないので、たぶん普通の人よりも働いて・・・・・・。

岸田 いや、本当ね、美穂さん超働きますからね。超働いて、美穂さんの活動とか、マギーズセンターだったりとか、本当に超活動してるんです。僕がいっぱい活動してますねとかコメントもらうんですけども、僕なんかより圧倒的に美穂さんの方がやってるんで。美穂さんの言動力ってなんなんですか。これは個人的に聞きたかったんですけど。

美穂 いきなりそんな質問!?(笑)原動力・・・原動力・・・。でも、やっぱりがんになったことでその先なかったかもしれない人生を生きてる。今もう本当に思いっきり生きなきゃもったいないし、本当にいつか、お祖母ちゃんになるまで死なない気ですけど、長生きするつもりですけど、その時のことを想像するじゃないですか、がんになったことによって想像するようになると、思い切り笑ってやりきった楽しい人生だったって思えるように1日1日を生きなきゃと思ってるし、あとはやっぱりがんになってすごい辛い経験をしたからなったことをどうにかして良い経験に変えたい。すごいマイナスのこともあったけど、どうにかして全体的には本当にがんになって良かった、プラスだったなって本気で思いたいから、がんになった経験を生かしたいって気持ちがすごくあります。あとは闘病中に最初は出会えなかったんですけど、私が8か月間闘病してる中でうつ状態になった時もあったんですね。そういううつ状態の中から抜け出して元気になっていく過程の中では、同じ病気を経験してその後、元気になって活躍している存在っていうのがすごく大きかったんです。私もその当時死んじゃうんじゃないかって思っている中でも、もし生きられたら私もその闘病する人たちにとって希望であるような人になりたいなって、闘病中、病で臥せってた時からずっとそういう思いがあったので、元気な今、それをやるしかない!っていうのが、すごい原動力になってると思います。

岸田 めっちゃ良いことを聞けました!本当に僕も1日1日大切にして悔いのないように生きようとは思ってるんで。

 

活動

美穂 がんになった人たちが発信していける社会になっていくべきだと思います。だからこそ最初に作ったスタンドアップも実は体験談とか載せてるんです。最初は集めるのすごく大変だったんです。10人のストーリーを載せてるんですけど、これ顔出し実名にこだわってるんですね。やっぱ5年前に顔出し実名でがんのことを語れって言っても結構・・・・・・

岸田 いないですよね。

美穂 そう、いなかったのが、こういう文化でやってきたからこそなのか、いま、スタンドアップに集まってくる若くしてがんになった人たちは顔出しオッケーで自分の話が語れるような文化ができてるじゃないですか。それを社会でもやっていきたいし、社会的にもがんになったことを卑下しないでというか、マイナスに思わないで。海外、欧米ではコングラッチュレーションズって言うわけですよ。がんになった人に対して。私はがんになったサバインバーですっていうと、コングラッチュレーションズって。

岸田 おめでとうってハグするんですか?

美穂 そうなんですよ。それも国際会議とかでも、何でそういう活動してるんですかという時に私自身がブレストキャンサーサバイバーでって言うと、コングラッチュレーションズよく生きてきたね、I’m proud youみたいな。

岸田 そういう意味でコングラッチュレーションズなんですね。

美穂 そう。そうなんです。そういう文化を作っていくのも、これからがんになってその後、生きていく私たちだと思ってるし、それを社会でもできれば仕事上でも発信していきたいなと思って。だからがんになったからといって、人生終わりじゃなくて、もう増々よりなったからこそ輝くような人生もあるんだよっていうことを知ってもらいたいなと思います。

岸田 すごいですね。ちょっとコングラッチュレンショーンズっていうのを日本でも流行らせたいですよね。

美穂 そう。日本でも流行らせたいと思って。実はスタンドアップの他に、がん患者さん用のヨガのクラスだったりとか、乳がんになったモデルさんによるウォーキングレッスンだったりとか、お習字だったりとかをがん患者さんが気兼ねなく、ウィッグを外してでも参加できるようなワークショップを提供するような活動もやってるんですけど。

岸田 そうなんですね。

美穂 それはキューっていう名前、「cue」って書いて「キュー」。テレビでもキュー出しするって、背中を押すみたいな、どうぞみたいな、キュー出しをするっていうキューなんですけど。それは実は頭文字がCongratulations on your Unique Experienceの略なんです。

岸田 そうなんですか。

美穂 あなたの特別な経験におめでとう。おめでとうって言える運動を作りたいって思って「cue」って命名にしているんです。がんっていう経験を特別な経験って最初は思わないかもしれないですけど。でも、スタンドアップで一緒に活動してる仲間とか、出会う人たちと話していても、時間が経過して、すごい向き合って一定の期間を超えると、そう思えるときが少なからずくると思うんですね。それをみんなががんになって乗り越えて、元気になって、おめでとうって自分でも周りからも言ってもらえるような、そういう社会になっていったら、もちろん治癒率も上がってもらいたいですけど、それは医療的なことは私にはできないんで、文化として作っていければなって。

岸田 良かったら、「cue」って検索していただければ。ブログがでできますからね。

美穂 地道に地道にやっていて。で、そのマギーズ東京っていうマギーズセンターが東京にできた時には、本当にジムのスタジオプログラムみたいに朝から晩まで色んなプログラウムが一日中受けられるようにやっていこうと思っています。

岸田 すげえ。

美穂 それの準備段階みたいな感じで。実は国際会議、去年と今年2回行っていて、コングラッチュレーションっていうのを使ってやりたいってインスピレーションを受けたのが1回目の会議で、それでcueを立ち上げたんです。それを持って2回目に行ったらマギーズセンターを知ったんです。ずっと私もワークショップのハードの部分がないな、それを作りたいなと思っていたら、それがマギーズだ!と思って、それを組み合わせてやろうと思って、それが今実現しそうに!

岸田 やばい。ソフトとハード両方。

美穂 そうですね。実はそれもスタンドアップをやる前から、私の中でこういう場所が、センターができたらいいなっていう。医療じゃなくて色んなソーシャルだったり、メンタル的なサポートをする全体のセンターがあったらいいなっていう夢が。

岸田 すごいですね。美穂さんそのソフトとハードで全体的にサポートするっていうのが夢とのこと。僕は情報とか、ネットで助けられたりとか、苦労したりだとかいうのがあったんですよね。

美穂 そう、ネット!あとちょっとフリーペーパーとテレビも。がんのことを双方向に、できれば変わっていきますよね。

 

発覚

岸田 発覚までどうやってどうやって分かったんですか。

美穂 自分で触ってなんかあるっていうので分かりました。

岸田 お風呂とかで?

美穂 うん。なんか、なんかあると思って。最初、診療所に行って、そこから紹介された病院に行って検査受けて、診療所でも病院でも24だし、がんというリスクについては、「ないよ、なかなか。」って言われたんですけど。当時、余命1ヶ月の花嫁っていう・・・・・・

岸田 が、流行ってる時なんですか。

美穂 はい。

岸田 わぉ。

美穂 まさにやってた時で。私も24歳だし、これは私は1ヶ月かなって本当にすごい嫌な予感がしたんですよね。すごい嫌な予感がしてだのだけど、病院の先生に「大丈夫、大丈夫。」って言われ、「一応念のため安心のために検査しましょう。」って。そのあと検査をして、その時も、「たぶん大丈夫なんで、来週、結果聞きに来てください。はがきでもいいけど、一応ね、来て聞いたほうがいいでしょ」って。そんな感じだったから、軽い気持ちでいて。、、職場からも近い病院だったので昼休みに行ったら、突如「悪いものが写ってました。」「え!?」というそんな告知でした。1人で。「悪いものが写ってました」って言われて、「悪いものってがんだったってことですか?」って言ったら、「はい、そうです、2、3時間後に全身の検査をしなきゃいけないので、ちょっとお昼でも食べててください」って言われて。

岸田 食えねぇー。

美穂 そう。(笑)それから、会社と家族に連絡をして。

岸田 わお、そうなんっすね。

美穂 そうなんです。母親は銀行に勤めてたんですけど、すぐタクシーに乗って駆けつけてきて、私はお昼なんか食べられないから病院の前で体育座りして、どうしよう、どうしよう、がんだったら、本当にあと余命どれくらいなんだろう。って、余命、余命とばっかり思って、死んじゃうとしか考えられなかった。今は思うんですけど、やっぱりがんは死ぬってイメージが先行しちゃって怖くて怖くて、やりたいこともやりきってないし、世界一周してないし、結婚も出産もしてないし、このまま死ぬわけにはいかないんだけど、ありえない、どうしようって思って本当にもう落ち込んで、病院の前に座って。そこに母親がタクシーで現れて、タクシーのドアが開いた瞬間に母親が走って降りてきて、私がそこに座ってるのに通り越して病院の中に入っていって、親子ふたりでパニック。そんなところから始まりました。だから、やっぱりそのときの衝撃は忘れられない、今でも。

 

治療

岸田 それから入院まではどうしたんですか。僕、噂で聞いてる限りではセカンド?サード?オピニオンを受けたとか。

美穂 セブンス。やりすぎ。(笑)

岸田 セブンス!?

美穂 それは当時、私が7人のお医者さんに聞きたかったわけじゃなくて。

岸田 そうですよね。

美穂 やっぱり乳がんになったんですって会社とかに言うと、職業柄、この先生行った方がいいよ、この先生行った方がいいよって、アポ取ったからみたいな感じで、みんなの善意のオファーいうのをいただいて、それをお断りするわけにはいかないじゃないですか。それでせっかくだし、ありがたく10日間ぐらいのうちに他の6人のお医者さんに聞きに行きました。

岸田 セブンスオピニオンはやってどうでした?やっぱ先生の言ってることって結構、違うものですか?

美穂 当時そうですね。私はステージ3で、5センチのがんがあって、全体的にやる治療は変わらないですけど、先に抗がん剤をやって小さくしてから手術するのか、それとも先に手術して抗がん剤をやるのかっていうのが結構分かれて。どちらかというと、術前化学療法をして、小さくしてっていうのが主流ではあるんですけど、私の場合は検査してる1か月の間でどんどん大きくなってたりとかするのを、自分で触って分かったので。だから、抗がん剤の前にさっさとその腫瘍を取っちゃった方がいいんじゃないかって意見があったりとか、色々。その狭間だったんで、まだ若いしうちだったら先に抗がん剤をやってがんが小さくなってから手術をします、っていうところがあったりとか、いやいや、そんな待ってる場合じゃないっていうところがあったりで、すごく悩みました。もしかしたら、温存できるかもしれないというところがあったりとか、もう悩む悩む。

岸田 ですよね。結構、セカンドオピニオン、サードオピニオンで悩んでると思うんですけど、セカンドオピニオンは行ったほうがいいですか?

美穂 少しでも悩むことがあったら、行った方がいいとお思います。セカンドオピニオンというと最初のお医者さんを傷つけるとか、先生のプライドがあるから、嫌な思いをさせるんじゃないかって心配する人が多いんですけど。はじめの病院でここだって思わない限りは行った方がいいと思います。

岸田 僕もそうですね、確かに色んな意見が欲しいですね。

美穂 そう。欲しいと思う。明日でもっていう緊急性がない場合で選べるんであれば、遠慮しないで行きたかったら行ったらいいなって思います。

岸田 美穂さんが7つ受けて1個に絞ったわけじゃないですか。その理由を知りたいです。

美穂 色々、選択あるなかで、私の決め手となったのが、主治医の先生。今、私の主治医の先生でもあるんですけど。当時私はパニックであと何か月生きられますか、みたいな感じだったんですよ、もう診察の時に。怖くて、怖くて、しょうがないっていうような時に、ちょっと待っててって言って先生が奥に行ったんですね。それで自慢げにパネルを持ってきてくれました。それは、お母さんが子供とか、赤ちゃんを抱っこしたりとか、一緒にいる写真が並んだコラージュされたボードみたいなもので。「見て、見て」と言って。「これ全部、僕が乳がんを治療したお母さんと治療後に生まれた子供たち。だからそんなに失望しないで。」って言っていただいて。私はもうすぐにでも死ぬと思ってるから、結婚も出産もできないまま私はもう死ぬんだ。当たり前に絶対にすると思ってたものができなくなるんだってすごく悲しくて。それを先生がパネルを持ってきて、「しっかり治療をして、治療が終わったらちゃんと元気に赤ちゃん産んで、会いに来た時には一緒に写真を撮ってここにもらうから。」って言って下さって。

岸田 いい話!

美穂 その先生だけ、もっと将来を見て、明るい将来のために治療しようよってスタンスだったので、もうそれで。ちゃんと治して、子供生んで、お母さんになって、長生きする。そこまでを見越して治療をしましょうっていうような話をされた時に、他の順番がどうとかいうよりもこの先生にしようって。

岸田 二人三脚で向き合ってくれるお医者さんと一緒に治療。それはすごい思いますよね。

美穂 本当に色んな先生がいて、行って選んで良かったと思うんですけど、どんな治療をして、どうなるかなんてやってみなきゃ分からなくて、一番大事なのって後悔しない選択をすることなんですね。結果がどうなった時でも私はあの時色んな選択肢を見て、その上で選んだと思えることがすごく大事だと思って。やっぱりあの時もっと調べれば良かったとか。

岸田 すごい思いますよね。

美穂 そうなんですよ。

岸田 選択は大事ですよね。だから自分でやりきったというか、ちゃんと自分で納得するっていうのがすごく大事。

美穂 そうそう。私たちにはすごく大事。やっぱりなんかパーセンテージとかあるじゃない。生存率とかいって見て怖くなったりするかもしれないけど、自分にとっては0か100じゃん。

岸田 おっしゃるとおり。

美穂 だからデータとか情報も大事だけど。でも、自分の中で納得がいくまで調べて、納得がいくところでやるというのが大事だなと思います。

 

家族

岸田 家族の反応とか、どういうコミュニケーションをとりましたか。

美穂 父親が当時、海外駐在だったんで(改行つめる)すけど、私の病気を機に戻ってきました。

岸田 かっこいいお父さん。

美穂 家族のためにみたいな感じで。日本の本社に異動希望を出して、多分やりたいことを海外でやってた半ばだったのに。結構それまでも海外を飛び回ってた。また、母親も銀行に勤めてたんですけど辞めて……。

岸田 まじっすか。すげえ。

美穂 それで私を支える体制に。挙句には妹まで仕事を辞め、家族は本当に、フルで支えてくれました。

 

情報

岸田 乳がんってめっちゃ情報があるじゃないですか。ネットにも超溢れてて。

美穂 自分が欲しい情報もいっぱい溢れてたんです。ネットとかに闘病記とかっていっぱいあるし。でも、情報は溢れてるけど、取捨選択は難しいじゃない。自分が欲しいと思う情報だけに辿り着くってなかなかできなくて、その時は死ぬっていうのを見たくないのに検索して読み進めて、死んじゃったりとか、なんかもう生きていくための情報だけが集まった何かがないのかなって思って、そういうのってなかなかなくて。検索しても当たるものによって、良いものから、悪いものから、正しいものから、間違ってるものから、全部載っているから、それを自分が当事者になった時に初めて学ぼうと思っても、それまで予備知識があれば全然違うんでしょうけど、初めて乳がんって調べても本当に何が正しくて、何が正しくなくて、何を信じていいのか本当に分からないんですよね。なので、そこが今の活動の問題意識にも繋がってると思うんですけど。情報が本当にどれを信じていいのか分からなかったりとか、見たくない情報なんだけど読み進めちゃったりとか。

岸田 気になりますもんね、先がね。

美穂 そう、気になって。こんな状況になっちゃうんだ、私も……と思って。またへこんで、もう起き上がれないみたいな、精神的にもすごい落ち込んだ時期があったので。精神的にさえ保ってれば、もっと闘病中だって色んな楽しいこととかできた時期があっただろうに。落ち込んでる時期とか、この世の終わりみたいなふうに思って過ごした時期もあった。だから、少しでもそういう思いを今してる人たちの救いとなればいいなと思って。

岸田 そう、見通しが立ったりすれば気持ちも変わりますもんね。

美穂 その自分と同じように人が元気になってたりとか、自分よりもっと大変な人がいることだって分からないじゃないですか。自分一人が悲劇のヒロインじゃないですけど、自分こんなのに何で世界中の中で私がならなきゃいけないのって思うときもあるじゃないですか。

岸田 僕もありました。

美穂 だけど、世界中で1人ってことは絶対になくて。

岸田 逆にね、みんな仲間意識持って、みんなお互いに頑張ろうとかね。

美穂 同じ結果になるとしても、それまでの生き方で全然変わると思うんです。自分の前向きさだったりとか、自分の考え方1つで。どうやっても変えられない人生の長さなんだったら、そこをいかに楽しく生きていくかってすごく大事で、そのまんま落ち込んで、落ち込んで死ぬことに向かっていくんじゃなくて、本当に前向きに希望を持って、夢を持って生きていくってことで克服できることもあるかもしれないし。それなんだったら、悩んでもしょうがないから、本当に自分の力になるような情報を集めて、がんになっても前向きに生きていける社会になっていったらいいなと思います。

岸田 2人1人はがんになりますからね。その時にもっと前向きにいければなっていうのは思います。

 

仕事

岸田 美穂さんどのくらい休職して、どういうふうに復帰したんですか?

美穂 私はテレビ局に勤めているんですけど、8ヶ月休職して。最初は休職しないで通いながらやろうと思いました。でも、手術の時だけ休んで、あとは通いながら治療しようと試みはしたんですけど、全然駄目で。というのも、体力的にも私、結構抗がん剤が辛くって、途中抗がん剤で歩くのも辛くなっちゃって、車椅子も使ってたんです。当時は今みたいに良い副作用止めというかの薬とかが……。

岸田 今めっちゃありますよね。

美穂 私の時もありはしたんですけど、本当に薬も進歩してるみたいで。もう私は結構もろにダメージを受けて、精神的にも肉体的にも辛くなって、それだったらちゃんと休職制度もあるし。でも、本当は休みたくなくて。念願の仕事に就いて、まだ3年目で。何でここで休まなきゃいけないの!?っていう。しかも5月に分かったのですが、その直後にはブラジル出張とか、色々行くのが決まってたんです。

岸田 まじっすか。仕事で。

美穂 でも、行けなかったんです。結局8ヶ月間もお休みしました。そして復帰のときにも、最初は制限労働勤務で、本当9時〜2時とか、4時〜10時とかで1週間やってみて大丈夫なら1時間延ばしてみてみたいなふうに、徐々に慣らしていけるような形を取らせてくれたんです。

岸田 復帰するためにやったことってあります、個人的に。

美穂 外に出るように。

岸田 しました?

美穂 はい。ただ、外に出るのも怖くなった時期があったりして、精神的に落ち込みすぎて、大好きなディズニーランドに行っても何でみんなこんなに笑えるんだろうって悲しくなって帰ったりとか。本当にテレビを見ても笑ってる人を見てなんか辛くなっちゃりとか…私はこんなふうに二度と笑える時はこないみたいな。今じゃ信じられないほどの落ち込んだ時があったんですよ、私にも。こう見えても。だから、本当に幸せそうな人を見て辛いし、闘病中の入院してる病院から東京タワーと会社が見えたんですね。会社見て、明かりがずっとついてるのを見て、何で夜中まで働けるあの人たちと、それに比べて私はずっとここにいるんだろうみたいな、比べて辛くなってた時期が結構あったんです。

岸田 でも、やっぱ今闘病してる人たちも気持ち落ち込んだ時とかあると思うんですけど、美穂さんはそこからどうやって立ち直ったんですか。

ある方との出会いです。その方は乳がんを経験されて、そこから患者さんのためにサポートをして、ウィッグとかをマンションの一室を借りてアドバイスしてくれるんですね。こういうウィッグがあるよとか教えてくれたりするようなことを自分でやってる方がいて、そういう人がいるっていうのを知って訪ねました。この方に会ったのが最初のきっかけで、「あ、私にもそういう道があるかもしれない」って思えるようになったところから、ガッーと元気になっていったと思います。

岸田 絶対に美穂さんを見て元気付けられる人、いると思います!

 

お金・保険

岸田 お金とかってどうでした。保険とかって入ってました。

美穂 入ってなかった。

岸田 ですよね。

美穂 入ってれば良かったってすごい後悔しました。

岸田 結構お金かかったんですか。

美穂 高額療養費制度申請して。

美穂 それでもかかるんですよね。保険入ってれば良かった。あ、保険の宣伝じゃないですよ。(笑)保険は入っておけば良かったと思いました。

岸田 思いますよね。

美穂 がんと診断されたら何百万円とかって宣伝を見ると、いいなーと思いますよね。

岸田 確かに。ちょっとでもね、入っておけばね。

美穂 健康そのものだったから、初めて入院したのががんみたいな。休んだこともなかったんです、会社を。

岸田 僕も一緒です。

美穂 だから、まさか自分に保険が必要だなんて24の時には思いもしなかった。

岸田 思いもしないですよね。

 

恋愛・結婚

岸田 当時なんかその恋愛やら結婚やら出産やらっていうのは。

美穂 当時、彼氏がいました。遠距離恋愛をしていたのですが、告知された日に仙台から駆けつけてくれました。私が検査に入って、数時間検査にかかって出てきたら母親と当時の彼氏がまさかの初対面。2人で並んで待っていました。(笑)で、その人には闘病中ずっと支えてもらって。なんですけど、本当結婚しようぐらい思ってたんですけど、仕事に復帰して仕事が……。

岸田 仕事人間でございますね。

美穂 仕事人間になりすぎた頃にちょっと。

岸田 色々ありますもんね、人生ね。

美穂 でも、がんになったら恋愛できないじゃないかってあるけど、そうじゃないと思いたい。

岸田 これから。

美穂 思ってるし、やっぱり結婚だって絶対にしたいと思ってるし、出産もあのパネルに仲間入りするためにも、今ホルモン治療中だけど、本当に出産を考えたいってなったら中断して生んでる人もいるから、またその時に相談ね。みたいな感じなので。

岸田 その時に。

美穂 今30だから、あと2、3年以内にと思ってるんですけど。

岸田 すぐできると思います。あとは、仕事との兼ね合いが。(笑)

美穂 仕事人間過ぎるから。全然、病気とは関係ないところで。(笑)

 

メッセージ

岸田 それでは、美穂さんに今、治療を頑張ってるサバイバーに対して一言メッセージをもらいたいなと思っています。

美穂 一言メッセージは「1人じゃないよ。」

やっぱり仲間はいっぱいいますから。仲間っていうのはがんになったサバイバー仲間だけじゃなくて、本当にがんになった人を支えてくれようとしてる人がいます。医療者の方々や家族、友達だったりとか、支えてくれる人っていっぱいいて。

岸田 そうですよね。

美穂 同じ経験をした仲間ももちろんいますし、そういう1人じゃないってことを知るだけでもだいぶ気が楽になる。当時一番落ち込んでた時の自分にもそれを伝えたいですね。

岸田 良い名言を聞くことが出来ました。ありがとうございました。

美穂 ありがとうございました。マギーズ東京も引き続き応援をよろしくお願いします!

 

 

※本ページは、あくまで経験者の情報を扱っております。そのため、あくまでその方のケースはそうだったということを念頭においてください。そのため、医療情報に関しては主治医や、行きつけの病院、またはしっかり科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。

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