がんを乗り越えて、ではなく、がんになったからこそ幸せな楽しい人生、生活を送れることもあるかもしれない。仲間との出会いに感謝。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:アイコ

更新日:2018.08.03

 

発覚

 

アイコ こんにちは、アイコです。がん種は乳がん、ステージは2です。闘病時期としては2013年の9月に告知を受けて、12月に手術を受け、現在2年目に突入しました。

岸田 どうやって発覚したんですか?

アイコ 私の場合は、触診ですね。お風呂上がってオイル塗っているときに、胸のあたりにボコボコした、グミみたいな硬さのものがあるなあっていうのに気がついて。3か月くらい放置してたんですけど、だんだん大きくなってきて、おかしいなと思うころにちょうど健康診断のタイミングだったので、乳がん検診を受けました。

岸田 自分の中ではちょっと危ないなとは思ってはいるわけですよね?

アイコ 検診を受けたところがクリニックを併設していて、そこに乳腺科があった。超音波エコーをやって、だいぶ長いんですよ、技師さんの見ている時間が。それで「すぐ併設のクリニックに行ってください」って言われました。そこのクリニックは、問診票に「大きな病気だったときに、早めから言って欲しいですか?」というチェック項目があったんですけど、私は一人暮らしだし、自分で決断していかなきゃいけないんでチェックを入れたら、初診のときに「多分、これは悪性だと思うよ」と女医さんが率直に言ってくださって、結果が出て告知を受ける前に病院を探し始めました。

岸田 すごいですね。告知を受ける前から、探し始めて、そこで宣告を受けるわけですよね?

アイコ そのクリニックにお勤めの女医さんが、がん拠点病院に勤めてらして、そこに転院してから精密検査を受けました。メチャクチャ痛い針をがんの部位にブスッて刺して検査をする針生検という方法があるんですけど、その結果「ステージ2ぐらいのがんです」と告知を受けたのが9月ぐらい。だから、6月ぐらいに触診で分かって、8月1日の健康診断を受けて、9月の半ばぐらいに告知を受けたっていう感じですかね。

岸田 今サラッと「ステージ2のがんです」って言いましたけど、結構へこみませんでした?

アイコ うん、へこみました。へこんだような気がします(笑)。

岸田 あれ、まだ2年前ですよね?

アイコ 落ち込むよりも、やるべきことがすごくたくさんあるじゃないですか?がんになると。仕事や入院費のこととか、がんのことも調べなきゃいけないし、ってやるべきことがワーっと出てきていました。告知を受けたその日から、その拠点病院の図書館に走っていって、本を見て調べていたので、落ち込むのはけっこう先ですね。

岸田 すごいですね。切りかえて調べにいくっていうのは、さすがですね。

アイコ いや、でもそのあとはだいぶへこみましたけど(笑)。

 

治療

岸田 宣告を受けてから、どのように治療がすすんでいったのかを聞かせていただけますか?

アイコ 乳がんって、まずどういう手術をするのか、それから再建の方法をどうするかなど。手術ひとつを取っても考えなきゃいけないことがたくさんあるんです。私も術式を比較できる病院を3つ選んで、サードオピニオンまで取って決めました。けっこう考えることがいっぱいあるなっていうのが、治療を振り返ったときに皆さんにいちばん言いたいことです。

岸田 術式が違う病院を比較したってことですけど、そういうのってすぐわかるんですか?

アイコ いや、調べました。乳がんだったらどういう術式があるかっていうと、簡単にいうと癌の部分だけ取るものと乳腺を全部取っちゃうものと、大きくふたつあります。大きく全部取っちゃうパターンだと再建をどうするかを同時に考えなきゃいけない。あとはどこを切るか。胸の下を切るパターン、真ん中を切るパターン、横から切るパターン、腹腔鏡を使うパターンなどいくつかあります。私は自分のこだわりとして優先順位が高かったのが、きれいに残したいっていうことでした。それまで一度も手術をしたことはなくて、傷が残るのがすごく嫌だったんです。乳房の下を切除するパターンと、一番傷が小さい腹腔鏡を使うパターンと、それから標準的なもので比較をしました。結局サードオピニオンで行った病院で手術することに決めました。

岸田 手術の術式は何だったんですか?

アイコ 乳房全摘術で乳房の下から切る方法です。なまなましいですけど乳輪、乳頭を残して乳腺を全部摘出して、シリコンをそのまま入れるっていう一期同時再建の方法です。

岸田 今メジャーになりつつあるやつですよね。転移はしてなかったんですか?

アイコ 転移はありませんでした。ここからが私の一番の精神的な落ち込みポイントになるんですけど、詳しく検査した結果、悪性度がすごく高くて、増殖能が高いタイプのがんだったので、「抗がん剤は絶対必要ですね」と言われました。けっこう私にとっては青天の霹靂というか、ショックでしたね。

岸田 そっから抗がん剤が始まるわけですか?

アイコ 仕事との折り合いもあったので、手術から2ヶ月後に抗がん剤を始めました。妊孕性や卵巣へのダメージがすごく嫌で抗がん剤をやりたくなかったんですけど、どれだけ調べてもやらなきゃいけないような感じだったんで、決意して入院予約をしました。結局その日の朝も行くのが嫌で、ちょっと逃亡して(笑)。朝の予約時間に、「アイコさん来ないぞ」「どこ行ったんだ?」みたいな。私はもう電車に乗るのも嫌で、ずっと駅で泣いてたんですよね。

岸田 アイコさんが?

アイコ そう。もう嫌だと思って。でもお世話になってたがんの先輩にメールをしたら、その人は同じ若年性の乳がんで早期閉経されてたんですけど、「実は子どもを授かりました」「だから心配しないで、行ってきたら?」っていうメールをもらって、なんとか勇気を出していきました。

岸田 そこから、お昼頃には行けたんですか?

アイコ そうですね。昼過ぎぐらいに行って、それでも決心がつかず、その日1日は、この世で一番不幸なんじゃないかぐらいの顔をして、どよんとしていました。先生が「無理しなくて良いから、今日はやめて、明日また気持ちが整ってからやれば良いし」って言ってくださって、ベッドにうなだれて座ってました。

岸田 そこの場所にはいるけど、治療はまだ始めず?

アイコ うん。でもその時2人部屋で、同室の女の人がちょうど歳も同じぐらいで、私は4クールの抗がん剤の予定だったんですけど、

岸田 4クールって何か月ぐらいですか?

アイコ 3か月。彼女が4クール目だったんですね、ちょうど。頭とか見せて下さったりとか、これまでの様子を話して下さって、「意外に大丈夫かも」と思って「やっぱやります」、と翌日先生に話しました。

岸田 そういう治療までの道のりがあったんですね。そこから抗がん剤が始まるわけですけど、どうでした?やってみて。

アイコ きつかった(笑)。私は多分、効きやすい方だったのと、薬への耐性があまりなかったのかなって思うんですけど。これから治療する人もいるだろうから不安になるようなあんまり苦しい話はしたくないんですけど、楽ってことはない(笑)。

岸田 いや、めっちゃ苦しいですよ、それ。

アイコ 乳がんもいろいろ抗がん剤があって、選べるんですね。私が選んだのは3か月で短いけれども、白血球がものすごくさがるので入院しなきゃいけないタイプです。最初の1クール目、抗がん剤を打った時に、迷走神経反射っていって

岸田 何?迷走反応って。

アイコ 自律神経がちょっと狂っちゃって、倒れたりする反応があるんですよ。抗がん剤やるとき便秘になる人が多いみたいで、下剤を最初飲まされたんですけど、蓋を開けてみたら、私はどっちかっていうと軟便の方だったんですよ(笑)。

岸田 軟便の方に下剤やったから、もうすごいシャーシャーなわけですか?

アイコ それで、お腹もすごく痛くなるのね。1クール目で最初にトイレに行ったときに、ものすごい量の便が出て、それで多分体の中が変わっちゃったのか、迷走神経反射で目の前が真っ暗になって、冷や汗ダーってかいて、バタッて倒れてしまって。それから、トイレのたびに倒れちゃったんですよ。

岸田 それは危ない。

アイコ もうトイレに行くのが怖くなっちゃって。ご飯食べたらトイレ行かなきゃいけないから、ご飯食べるのも怖いし、お腹痛いし。あと2リットルのペットボトルを5本、2日間で飲むんですよ。すごく喉が渇いて、1日で大体6リットルぐらいお小水が出るので、その分補うっていうので、だいたい5リットルぐらいの水を飲む。普段は飲まないですよ、そんなに。そのあとも同じように腹痛や下痢がずっと続いて、2クール目は何とか終えて、2クール目から3クール目の間に、ちょっと休憩ということでいったん家に帰ったんですね。そのあいだに私は、あろうことか、

岸田 なになに?

アイコ 飲酒してしまって。そのときじつは私の肝臓君が弱っていたらしくて、飲酒した翌朝、劇的に腰が痛くなっちゃって、まっすぐ歩けないんですよ。腰にも力が入らなくて救急車で搬送されました。そしてものすごく先生に怒られるっていう(笑)。

岸田 だって止められてたわけですよね?それはない?

アイコ あのね、明確に言われてなかった(笑)。これから治療する皆さん、抗がん剤中は飲酒はお控えください。もうそこからは病院に缶詰(笑)。

岸田 もう出たらいけません?

アイコ 抗がん剤の後半だっていうのもあって、ものすごくきつくって。最後は自力で歩けなくなって、ずっと手が震えてる状態が続いてしまって、意識も朦朧としてたし。その時は、社会復帰できるのかなっていう不安はすごくあって、精神的にも不安定でしたね。

岸田 はい。ありがとうございます。この写真は抗がん剤中の、

 

 

 

 

写真

 

 

 

 

 

アイコ 治療中の写真なんですけど、これを紹介したのは皆さんにお勧めしたいものがあって。毛が抜ける時にバラバラと散らばるんですよね。

岸田 そうですよね。枕についたりしますもんね。

アイコ そう。これ手術用の不織布の帽子なんですけど、病院で見たときに、あれをかぶれば、毛が挟まって抜けないぞと思って。

岸田 これ売ってるの?

アイコ いろいろ思いかえしてたら、食品工場に行った時に、あれかぶってたっなって思い出して。たまたまパン屋の友達がいたんで聞いてみたら箱で送ってくれて。

岸田 箱で、そんなに必要なの?

アイコ 業務用だから100枚セットしかないの。でも毎日変えられるし、友達にもあげられるし。なければ楽天でも「不織布キャップ」で検索すれば買えるから、是非皆さん使ってください。お見舞い来られても、これをかぶってたらはげ加減があんまりわかんない。

岸田 たしかにはげてるのわからない。

アイコ 宅配便来たときもこれで出てました。

岸田 抗がん剤をとりあえず3か月終えて治療は終わり?

アイコ そのあと、ホルモン治療を始めました。精神的に一番落ち込んだのが、抗がん剤やんなきゃいけない時で、体力的には抗がん剤の後半なんですけど、両方一緒に来たのがその後。一人暮らしだったんですけど、最初のホルモン剤が合わなくて全身関節痛で動けなくなっちゃって、孤独死するんじゃないかって思った瞬間ですね。そのときに自分がすごく困った経験があるので、がんの患者さんが病院から帰って来たあとのサポートがあったら良いなと思いました。

 

後遺症

アイコ 気になっているのは、関節痛と髪と爪。女性ホルモンを止めるので、どうしても更年期障害みたいな症状が出るんですね。別のホルモン剤も試していた時期に、全身関節痛になってしまってその残りもちょっとあるんですけど、足とかが固まってしまってなかなか動かない。あと、髪の毛。髪質がちょっと変わってしまったのと、毛の生えが遅い場所がある気がする。

岸田 俺も生え際が後退していったんは、抗がん剤のせいって言ってるけど(笑)。妊孕性の部分はどう考えてますか?

アイコ あんまり気にしないようにはしてますけど、最初抗がん剤やる前に、一応妊孕性の保護っていうことで卵巣、卵子の凍結を検討したんですけど、ちょっと高くて。

岸田 どんぐらいですか?

アイコ 80万ぐらい。

岸田 そんなすんの?卵巣。

アイコ 卵子。卵巣だともうちょっとかかると思う。でも卵巣だと切って取り出さなきゃいけなくて、切るのは嫌だったし検討はしなかった。凍結したあとの受精の成功率を考えたときにはたしてって思ったのと、やっておいた方が心配はないけど、お金の余裕もそんなにないし……ってことで、結局妊孕性を保護せず抗がん剤を始めました。

岸田 そうやったんですね。こういうことも気軽に、気軽にって言い方は悪いけど、ちゃんと誰でもわかるような仕組みをね。

アイコ 私もお医者さんから言われたわけじゃなくって、自分で情報を見つけて、調べてっていう感じだったので、誰にでもその情報をちゃんと届けて欲しいなっていうのはありますね。

岸田 そうですね。

アイコ 抗がん剤じゃなくても子どもができない人もいるし、あんまり気になってないかなっていうのが正直なところ。タイミングが合ったら、縁があったらできるだろうし。

岸田 そういったところまでお話し頂いてありがとうございます。

 

仕事のこと

岸田 当時、バリバリ働かれてたっていうアイコさん。コンサル業で工場にも行かれたりとかして。お仕事は休まれたんですか?

アイコ はい、今休職中で、10月から復職をします。1年半休ませてもらったことになります。

岸田 仕事の引き継ぎなんかはどうしたんですか?

アイコ 手術から抗がん剤の間をちょっとあけて時間を作って、年度末のタイミングでもあったので、全部引き継いで置いてきました。お客さんとか、自分の仕事も全部。

岸田 全部渡して?

アイコ もうきれいな体で治療に専念しようと思って(笑)。職場のメンバーには入院中も支えてもらってます。大量に水飲むじゃないですか。でも、水を買うにも力がなくて、「ちょっと水買って来て」とお願いすることもありました。お菓子いろいろ持って来てくれたりとか。私が治療しやすいように本当に皆に支えてもらっていたので、できれば恩返しがしたいっていうのもあって職場に戻ろうと思います。

岸田 離職する人もかなり多いですからね。アイコさんは今後、10月から復帰するわけじゃないですか。体力的には大丈夫ですか?

アイコ けっこう私は、期待されると頑張っちゃうタイプなので、

岸田 じゃあ、期待しましょう。皆で。大丈夫?

アイコ 私はフルで戻って、新しい業務をやりたいなと思ってたんですけど、周りの人はすごく体のことを考えてくれて、もっと緩やかに始めた方が良いよって。最初からフルスロットでいくと、体力がついていかなくなったりするから、時短とか週3とかで始めて、慣れてきたらどんどん増やしていけば良いよっていうアドバイスを聞いて、職種とか仕事内容とかも体力をあんまり使わないようなものにしようかなと思っています。

岸田 それ決まるのは、復帰してから?

アイコ そうですね。話し合いは進んでいてだいたい決まってます。私が今所属しているのは人材の会社で、それなりのパワーもエネルギーもある会社なので、そこでがんの相談室を作って、たとえば他の企業の人事の方の相談に乗ったり、がんの相談室を他の企業に作ったりなんかも今のポジションだったら出来ると思うので、そういうこともやりたいなと思ってます。最初はちょっと我慢してちゃんと自分が一人前の仕事が出来るっていうことを試す期間にしたいなと思って、キャリアアドバイザーの仕事をやろうかなあ、とは思っています。

岸田 本当にゆくゆくはアイコちゃんが、がんを相談できるところを作ってくれることに是非期待したいと思います。

 

医療従事者への感謝・要望

アイコ 緩和ケアの人たちがいなかったら、私多分治療続けていられなかったと思います。私よりも私のからだのことをすごく考えて気づかってくれて、いろんなアドバイスもくれるし、心の支えになってるし。公立の病院だからお礼もできなくて、似顔絵を描いて渡したりしたんですけど、感謝の気持ちを伝えられる場があったら良いなっていうのはすごく思いますね。

岸田 わかる。「ありがとう」って言いたいけど、そのタイミングもないし。

アイコ そういうのもあって、医療従事者と患者さんが自由に交流できる場があるといいなあと思いました。

 

キャンサーギフト

アイコ ちょうど抗がん剤が終わったころに、IHLという医療従事者のリーダーシップを開発する研究会に入りました。セミナーを聴いて勉強する機会と、チームを組んでプロジェクトを一年間やっていくプログラムがあって、そのプロジェクトとして、「がんカフェ」を始めたんですね。がん患者さんに集まってもらって、ワークをしながら情報を交換するっていうピアサポートの場です。医療のなかでは患者さんの生活部分へのサポートは少ないけど、それはお医者さんじゃなくてもできる部分だと思っていて、患者さんどうしで情報交換することで、役に立つ情報って得られるじゃないですか。あと、「STAND UP‼」もそうだけど、

岸田 「STAND UP‼」って若年性がんの患者会ね。

アイコ こんなに若くてがんで頑張ってる人もいるんだとか、仲間が増えれば増えるほど元気や勇気をもらったりするので、そういう場ができれば良いなという思いで「がんカフェ」を始めました。キャンサーギフトの中では、一番はやっぱり友達だと思っています。病気になってから知り合うがんのお友達や、医療従事者のお友達、「がんカフェ」を一緒にやる仲間の存在って、私ががんにならなかったら得られなかったなって思います。

岸田 その友達たちの写真がこれですね「ハッピーライフ・ウィズ・キャンサー・ジョイ」と書いてありますが?

 

 

 

 

 

 

写真

 

 

 

アイコ そうですね。楽しもうっていう。入院中もできれば楽しい思い出の方が良いじゃないですか。共有ラウンジで朝ご飯や昼ご飯を一緒に食べて、楽しい合宿のようなイメージで入院生活を送ったり、とにかくなんでも楽しんで欲しいっていう思いがあります。「がんになっても」、「がんを乗り越えて」、ではなくて、「がんになったからこそ」の幸せな、楽しい人生や生活が送れることもきっとあるんじゃないかなって思って、「ハッピーライフ・ウィズ・キャンサー」っていうテーマで私は活動しています。治療中助けてくれた仲間やIHLのメンバーなど、本当にたくさんの人と出会えたなって思います。

 

今、闘病中のあなたへ

アイコ 「明るい未来の話をしよう」、「できないことよりできることに目を向け続ける」、お伝えしたいのは、このふたつ。

抗がん剤中に体が動かなくなってすごく落ち込んでた時に、尊敬する先輩からもらった言葉で、この言葉に私はすごく救われました。体が動かなくなって、思考能力も落ちて、手が震えて字も書けない状態で、もう仕事もできないんじゃないかと思ってすごく落ち込んでたんですけど、かえって寝たきりになることによって、寝たきりの人の気持ちがわかるようになったり、寝たきりになった人のために何か新しいサービスはできないかとか、いろいろできることに目を向けると、たくさんその未来のことが浮かんできて元気になるっていうのが皆さんにお伝えしたいことです。

あと、「明るい未来の話しをしよう」っていうのは、たとえば患者さん同士で話してるときに暗い話しになっちゃったり、病気自慢になっちゃったりすることも多少はあるじゃないですか。そういうとき、明るい未来の話をする。未来の話って皆平等なんですよね。退院したらこれ食べようとか、こんなことをしようとか。未来の話を皆ですることによって、すごく気持ちも明るくなるし、笑顔で話を出来る。だから、このふたつのことは落ち込んだときに役に立つスキルというか考え方なので、是非皆さんにもお伝えしたいなと思って選びました。

 

 

 

 

 

※本ページは、あくまで経験者の情報を扱っております。そのため、あくまでその方のケースはそうだったということを念頭においてください。そのため、医療情報に関しては主治医や、行きつけの病院、またはしっかり科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。

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