目次

※各セクションの「動画」をクリックすると、その箇所からYouTubeで見ることができます。

インタビュアー:岸田 / ゲスト:ロイド

【オープニング】

岸田 それでは、がんノートmini、スタートしていきたいと思います。きょうのゲストは、ユミさんです。よろしくお願いします。

ロイド よろしくお願いします。

岸田 ユミさん、よろしくお願いいたします。早速なんですけれども、私の自己紹介をさせていただければと思います。岸田と申しまして、25歳と27歳のときに、肺細胞腫瘍という珍しいがんになりました。

岸田 その経験から、医療従事者の方に、がんのことを聞いたら教えてくれるんですけれども、それ以外の情報、患者の生活側の情報、どういうふうに乗り越えたの?だったりとか、お金やそういったところ、どうやって工面するのだったりとか、恋愛、結婚どうするのとか、そういった情報ってあまりなかったので、それを患者さんに聞こうといったことを思って、この、がんノートといったものをスタートさせていただきました。2014年から続けさせていただいております。きょうは、MCを務めますので、ぜひよろしくお願いいたします。

【ゲスト紹介】

岸田 早速なんですけれども、ロイドさん、ゲストの紹介になります。ユミさんは、日本のお生まれなんですよね。

ロイド そうですよ。典型的な日本人です。広島出身で、広島弁もよくしゃべる、典型的な広島っ子ですよ。ただ、結婚した相手がイギリスの男性だったので、名前がロイドというふうになってるんですけれど、よくハーフには間違えられます。

岸田 そうですよね。ありがとうございます。そして、ドイツに、今在住でといったところで、お仕事は会社の経営をされておられます。動画制作や歌、ファッション、ネコちゃんがお趣味ということで、ネコちゃんがいらっしゃるんですね、ロイドさん。

ロイド そうなんです。手術が終わって、あと、放射線治療が始まる前に、ちょっと期間があったので、そのときにネコちゃんを飼おうと決めてたんですね。

岸田 ありがとうございます。そのネコちゃんも、後でまた見せてもらいたいなと思いますけれども。そして、乳がんのステージ1になられたといったところ、ステージ1ですね。41歳のときにがんの告知をされ、今42歳、治療については、手術や放射線、ホルモン療法されているということでございます。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 そんなユミさんのペイシェントジャーニー、早速お伺いしていこうと思うんですけれども、吹き出しの色などはこういうふうな形になっております。そして、ユミさんのペイシェントジャーニー、こんな形になっておりまして、最初が、めちゃくちゃ谷になっている。そこから比較的、ポジティブに過ごされているのかなと思うんですけれども、早速お伺いしていきます。

岸田 まず、32歳のときに、ドイツに移住といったところで、これは、先ほどおっしゃられた、旦那さまの関係でドイツにという。

ロイド そうですね。主人は、アーティストで、声優さん、ナレーターさんで、クライアントの多くがフランクフルトにたくさんいまして、もちろん日本とドイツ、もしくはイギリスとドイツで、仕事はできないことはないんですけれど、近くに引っ越したほうがいいんじゃない?っていうので、ドイツに来ました。縁もゆかりもないドイツなんですけれど、今は、まだいるっていう状態ですね。

岸田 ドイツに移住され、その後に、約9年後ですか、右胸に違和感という形かと思います。どんな違和感でした?

ロイド 何か当たったのかな、あと、腕を上げたときに、ちょっと突っ張った変な感じっていうのが、一番しっくりくるかなとは思うんですけれど。で、自分でも触ってみたんですよ、突っ張ってる、変だなと思った。だったら、なんかこりこりしたものがありまして、これはどうなのかなと、それで違和感を感じたっていう表現になってるんですけれど。

岸田 そして、その違和感を感じて、そのまま産婦人科の受診と書かれています。産婦人科に受診されたんですね。

ロイド そうなんです、レディースクリニックっていってもいいんですけれど。1年に1回、乳がん検診とかを結構こまめにやってるほうだとは思うんですけれど、その1年に1回の定期検診が、その右胸に違和感を感じた数週間後、1、2週間後ぐらいに迫ってたんで、これはちょうどいいわというので、産婦人科の先生に、この右胸のしこりのことも、ついでに聞いてみようかなっていうノリで、何にも深くは考えてなくって。

岸田 そのノリで聞かれてっていうふうな形で、その後、それはどうでした? この後、検査や生検って書かれていますけれども。

ロイド 先生に、「フィフティーフィフティーだね」って言われてたんですね。フィフティーフィフティーって、そんな簡単な言い方でいいの?って。がんもしれないし、がんじゃないかもしれないフィフティーフィフティーっていう意味合いで、何、その気持ち悪い言い方って思ったんですね。で、より詳しい検査をしてみる必要があるねっていうので検査、生検っていうふうに。

岸田 検査、生検。けど、この生検も結構、痛かったんですよね、ロイドさんの場合。

ロイド そうですね。日本では何回するのかよく分からないんですけれど、私が受けたところでは、ピストル型の針を、注射っていうか、ピストルで打たれる形なんですけれど、それを3回。

岸田 ピストル?

ロイド はい。細い針が先端に付いてて、本当にピストルって言ったら、多分、一番しっくりくると思うんですけれど、それで3回、打たれます。1回目と2回目は、大したことなかったんですけれど、3回目、ものすごく痛くて。伝わってくるんですよ、背中のほうに何かが。よく見たら、血が流れてて。3回目で打たれた、血が流れてる。

岸田 血が流れてる、痛そう。

ロイド なんで3回打つのかって聞いたんですよ。違うアングルで違う深さで打つみたいなんですよ。なので、あっちゃいけないんですけど、1回目、2回目、ミスったとしても、3回目で。

岸田 しっかり行けるようにというふうなところで。その痛かった生検も乗り越え、そうすると、よくないんですよ、医師から電話かかってくると。

ロイド はい。私、これ、忘れもしない木曜日の午後、昼下がりだったんですけど。お昼ご飯を食べて、紅茶も飲んでて、一服してて、仕事場で仕事してる途中だったんですよ。で、その生検をピストルで3回、打った先生から電話連絡がありまして、「今すぐ来てください」と。でも、こんなのんきに紅茶飲みながら、「いや、今、仕事場だから明日じゃ駄目ですかね」って。なんか嫌な予感がしたんで、なるべく伸ばしたいっていうのはあって、「明日じゃ駄目ですか」って言ったら、”No.”って言われて。

ロイド 「今、来てください、直ちに今すぐ来てください」って言われて、そこまではっきり言われたら、こっちも行かざるを得ないっていうか、嫌な気持ちになるじゃないですか。そのときに、答えは言わないんですよ、あなたがんでしたよとか、がんじゃなかったです。でも、答えを言わないイコール、がん告知されたようなもんじゃないですか。

岸田 確かに、早く来いって言う時点で、ただことじゃないですしね。

ロイド 何か感じるものがあったんですけれど、仕事仲間とか親友とかに言ったら、「気を付けて運転して、安全運転で、ゆっくりでいいから安全運転で行ってらっしゃい」と、「また何か結果が分かったら、また後で連絡してください」っていうふうに言われて、「分かりました」。

岸田 そして向かいます。そうすると、こうなっていきます。がん告知ということで、ここで告知受けちゃったわけですね。

ロイド そうですね。車に乗ってる最中も、がんだったらどうしようっていうことよりも、きっとがんなんだろうなっていう心の準備をなるべくしてて。だったら案の定、言われたっていう感じですね。案の定、言われて、「がんですね」って淡々と言われて、涙も出る暇がなくて、そう、やっぱり、はいはいっていう感じで。

岸田 そこで、そしてグレードが2という診断だったということなんですか。

ロイド そうなんです。生検をしたらグレードが分かるみたいなんですけれど、そのときは無知だったんで、グレードってどういうことじゃ、何となく、ステージっていうのは聞いたことがあったんです、4段階ぐらいあったような気がするなっていうのはあったんですけど。

ロイド でも、グレードってステージと違うのかなっていうのがありまして。グレードっていうのは、がんの顔つき、どれぐらい悪いか、どれぐらいアグレッシブかっていうのを測るものみたいなんですけれど、3段階あって、グレード1、グレード2、グレード3の、私は、グレード2の真ん中だったんですよ。

岸田 だから、ステージは1だけれども、そのグレード的には2だった、真ん中だったってことですね。

ロイド この段階ではステージはまだ分かってないんです。グレードのほうが先に分かって、「グレード2ですね」って言われて。

岸田 顔つきが分かったっていうことなんですね。そして、ここからユミさん式というか、ちょっと上がっていくかと思います。何かというと、医師から神の声。え? 神の声、これは大丈夫ですか。大丈夫な神の声ですか、ユミさん。

ロイド はい、大丈夫な神の声ですよ、この声で救われたといっても過言ではないんで。

岸田 それは、何ていわれたんでしょうか。

ロイド グレード2っていうふうに言ってくれた医者からの神の声っていうのは、”Breast cancer is the luckiest cancer in the world.”って言われたんですよ。これはどういう意味かっていうと、乳がんっていうのは、世界で一番ラッキーながんなんだよって言ってくれたんです。でも、それ、何となく聞こえはいいんですけれども、あっけにとられたっていうか、がんって全部悪いんじゃないのって、がんにいいも悪いもない、全部悪いんじゃないの。

ロイド だけど、先生は、乳がんに関してはラッキーなんだよと。それはなぜかというと、乳がんっていうのは、本当に、女性であったら誰しもがなり得るがん、それだけ結構、ポピュラーな病気っていっても過言ではないんですけど、なので、医者やエキスパートの人たちもたくさんいますし、それだけテクノロジーも発展してますし、お薬も、それだけいろんな種類のがありますし、乳がんを闘っていく上で武器となるものが、他のがんより多いみたいなんですね。

ロイド その武器っていうのは、多ければ多いほど克服できるチャンスが高くなりますって、そういった意味で、乳がんっていうのはラッキーながんなんだよっていうふうに言われました。

岸田 そっか、確かに乳がんは、他のがんに比べたら、お薬の開発だったりとか、いろんなそういったところが進んでいるがんかなっていったところも思ったりもするので、そういった意味でも、ラッキーながんなんだよっていう不幸中の幸いっていう言葉も、いろいろ言葉もありますけど、そういった意味でも言われたのかなということを思います。ありがとうございます。そして、そこから上がっていきます。母が日本から来るということで、そしてセカンドオピニオンを受けに行かれる。お母さまが日本から飛んで来られたんですかね、そのとき。

ロイド そうなんです。物理的に、われわれは距離があるところに住んでるんですけど、私はドイツに住んでて、両親は広島に住んでる状態なんですね。で、お医者さんから神の声をいただいたとはいえ、両親に隠しておくことはできないなと。なので、次の日だったかな。心を落ち着かせて、多分、取り乱されるんじゃないのかなっていうのはあったんですけれど、Skypeで連絡を取り合って、「昨日ね、お医者さんからがん宣告された」って言ったら、案の定取り乱されて、「大丈夫、大丈夫、大丈夫、私、取り乱してないでしょ」って。

ロイド お医者さんから、さっきの神の声っていうのももらったんで、「勇気付けられてるんで大丈夫だよ」と。それで母も少し落ち着いて、「じゃあ、どうする? そっちに行ってあげようか。何か看病とかすることがあるでしょう」っていうことになって。

ロイド いつもだったら、いいよ、忙しそうだし、何とかなるって言うんですけど、親友からのアドバイスもあって、「こういうときは甘えてもいいんじゃない?」って言うので、せっかく来てあげようかって言っている母親がいるのに、こっちが来なくていいよって突っぱねるのも何だし、自分はがんだし、こんな年になっても恥ずかしいなっていうのはあったんですけど、ここは甘えさせてもらって、「じゃあ、お願いできる? ドイツに来れる?」って言ったら、「すぐにでも行ってあげるよ」っていう話になって。

岸田 で、お母さまがいらっしゃって、一緒にセカンドオピニオンを受けていかれるんですよね。神の声を言った医師ではない医師のところに行くってことですかね。

ロイド そうです。神の声をくれたのは、ヴォルムスっていうところのお医者さんなんですけれど、セカンドオピニオンを聞きに行ったのは、ハイデルベルグ大学のお医者さんになります。

岸田 ハイデルベルグ大学って。

ロイド 日本人観光客もたくさん行く、すごく街並みが美しいハイデルベルグでおなじみなんですけれど、そこに大きな大学病院があって、街になってるんですよ、その大学病院自体が。で、そこに行ってセカンドオピニオン聞いてみようって、世界で最もと言っていいほど過言ではない、優れたがんのエキスパートたちが集うハイデルベルグ大学なんで、きっとセカンドオピニオンを聞くことには、何か意味があるんじゃないのかなと思って行きました。

岸田 セカンドオピニオンの、この結果はどうでした?

ロイド やっぱり、ここ右胸にがんがある、小さいのがある。あと、そんなにアグレッシブじゃないよって。結構、比較的おとなしいがんだよっていうふうに、より詳しい説明を受けて。あと、がんの隣、すぐ近くに、ちっこい何かがあったみたいなんですよ。

ロイド そんなことは、私は、最初の、ヴォルムスの産婦人科の先生からは聞いてなかったんで、「それは何なんですかね。これは、ちゃんとテストしたほうがいいんじゃないんですかね」って聞いたら、「テストしてみよう、安心材料にもなるでしょ」って、もし何でもなかったら安心材料になるから、やっとこうってやってもらって、結果、大したことなかったんですけれど。

岸田 良性というか、悪性ではなかったってことですね。

ロイド じゃなくって、でも、セカンドオピニオンを聞きに行ったかいがありましたよね。

岸田 そして、セカンドオピニオンを受けに行ってからの、その後、医師からエールっていう、これは、どちらのお医者さんから、どういう言葉を投げ掛けられたんでしょうか。

ロイド 個人的には、ハイデルベルグ大学の病院で手術してもらいたかったんですけれど、みんな憧れなんですね、ハイデルベルグ大学で手術。でも、私の場合は、比較的早い段階でがんが見つかって、比較的小さくて、比較的おとなしいがんなので、急を要さないって、多分判断されたんでしょうね。もっと今すぐにでも手術をしないといけない患者さんは、山のようにいるんで、あなたは次じゃないよ。

ロイド 「いつぐらいになるんですか」って聞いたら、「1カ月以上先になりますね」って、それぐらい長いウェイティングリストがあるのか。でも、確かに、ハイデルベルグで受けたいんですけれど、早くがんを摘出してもらうほうが先決かなというのがあって。

岸田 そして、地元の病院のほうで手術、受けるというふうな決断をされていくんですかね。

ロイド そうです。で、手術を受ける前日に、いろんな説明を受けるんですね。「何か他に質問ありますか」って、全ての説明を受けた後に聞かれて、そのときに、お医者さんに対して、「この手術って難しいんですか。乳がん手術って、難しいんですか。失敗することってあるんですか。どれぐらいの確率で、私は大丈夫なんですか」って、具体的な数字とかを聞いてみたかったんですね。

ロイド だったら、多分ですけど、医者って断言しちゃいけないんですよね。あなた絶対に大丈夫、あなた絶対死にます、こんな言い方を多分してはいけないんですけれど、心通わせたお医者さんと私の会話っていうのもあったんで、大丈夫、失敗しないから大丈夫、心配しないでっていうような言い方をされて、神からのエールっていうか医者からのエールで、「あなたは死にません」って言われました。

岸田 第二の神の声ですね。

ロイド 第二の神の声と言いましょうか。

岸田 あなたは死にませんよって、その言葉をもらえるだけ患者は安心しますもんね。

ロイド そうですよ。がん患者によって、死ぬか死なないかって一番気になるところじゃないですか。それを、はっきりと医者の人たちが、あなた大丈夫、死にませんよって、大丈夫って言われて心強い言葉をいただけて。なので、次の日に迫る手術っていうのは、何の不安もない状態で病院に行くことができたんですね。

岸田 で、手術をされていって、部分切除の手術をされていくというふうな形になります。これはスムーズにいきましたか。

ロイド はい、スムーズにいきました。あと、その前日の、お医者さんからの説明のときに、「あなた左胸にシスト」、脂肪の塊というか水の塊というか、「がんではないちょっとしたバルーンみたいのが左胸にあるから、これもついでに取っちゃいましょうかね」って言われて、そんなについでに取ってもらえるようなものであれば、「じゃあお願いしますね」。この部分切除、これも右胸も左胸も部分切除になるんですけれど。

岸田 で、取ってもらってというふうな形で、そして、その後、吐き気とあります。これは、なんか手術の影響でですか。

ロイド そうですね。手術を受ける前日、夜7時もしくは8時だったかな。夜ご飯を食べた後、一切水も飲んじゃいけない、空腹状態で朝6時に病院に行かないといけないんですね。朝ご飯も、もちろん食べちゃいけないんですね。

ロイド 「歯磨きするときにも、水が体の中に入らないように気を付けてね」とは言われてて。それぐらい水も飲んじゃいけない、何も食べちゃいけない状態、空腹な空っぽの状態で、朝入って、手術が始まったのがお昼で、麻酔から目覚めたのが夕方の4時ぐらいですね。4時、5時。すごい、おなかがぺこぺこだったんですよ。丸2日、食べてない状態なんですね。

ロイド なので、母に持たせてもらった、消化のいいバナナが目に入ったんで、バナナぐらいだったらちょっと食べてもいいかなと思って、1本は全部、丸々食べれなかったんですけど、本当に少量食べて。でも、これは後悔するきっかけになるんですけれど、全身麻酔をしてて、それが抜け切ってなかったんですよ。麻酔が抜け切れてないのに、何か固形物がいきなり空っぽの胃の中に入って、それで体が過敏に反応して、吐き気が止まらなくなって。

岸田 どうされたんですか、そしたら。

ロイド トイレとベッドの行き来をずっとしてて。

岸田 そっか、抜け切らないうちに食べるって、なかなかそういう人は見ないですけどね。

ロイド 本当におなかすいてて、手術終わって麻酔から目覚めて第一声が、「おなかすいた」でしたね。なめてますよね、本当に。駄目です。

岸田 良い子はまねしないでくださいねっていう。

ロイド なので、これから手術を受ける方に、もしエールを送るようなことがあれば、固形物は食べないほうがいいよっていうのは言っておきたいです。

岸田 多分、日本の病院だと、そこら辺、めっちゃ管理されてるから大丈夫なような気はする。

ロイド そっか。多分、温かいお茶とか、それぐらいにとどめておけばよかったんですけどね。

岸田 それは、なってみないとですしね。そして、その後、ご帰宅されて、お母さまも帰国されていくという形になっていくんですかね。

ロイド はい。帰宅が許されたのが、手術から3日目です。

岸田 まだ痛いですよね。

ロイド まだ痛いですよ。全然痛いですし、痛み止めも何か特別な乳がん用の痛み止めとかじゃなくて、その辺の市販で売ってるイブプロフェン、日本だったら何になる、イブプロフェンってありますか。

岸田 イブプロフェンで分かります。

ロイド よかった。そんなものでいいんだ、「それを飲んでたら大丈夫よ」って言われて。

岸田 その後、お母さまがご帰国されてっていったところも下がってますけど、これは。

ロイド 1カ月ぐらい、いたんですね、母が、身の回りの世話をするために。手術して、1、2週間後ぐらいに母が日本へ帰国したんですけれど、いや、まだ、もうちょっといてよっていう気持ちもあって、その辺で、気分がどーんと下がってるんですけれど。これってコロナ禍なんですよ、全てが。日本とドイツを行き来するのもコロナ禍の状態で、病院に通うのもコロナ禍の状態なんで、普通の平常時よりも制限があったんですね。

ロイド 母の場合ですと、コロナパスポートを日本にいるときに申請して、それを英語と日本語の証明書をもらって、それを持ってじゃないと、ドイツに入れないんですね。逆もまたしかりで、ドイツにいる間に48時間以内のPCR検査を受けたりとか、そういうのもやって、やっと日本に帰れる。そんな中で、勝手にあと1週間伸ばして、痛いんだけどとか、それはできないって話になって。

岸田 コロナ禍、そういったところも大変だったんですね、本当に。そんな中、上がっていくことがあります。何かというと薬物療法の必要がなしという判断になったということですね。

ロイド そうなんです。がん患者、イコール、化学療法、イコール、髪の毛が抜けるっていう、何となく、ドラマとか映画とかの見過ぎなのかもしれないんですけれど、そういうイメージって、多分、多かれ少なかれ、皆さん、あると思うんですね。で、私も覚悟してたんですよ。化学療法が多分、始まるぞと、そうなったら髪の毛も抜けていくんじゃないのかな、そうなったら、かつら、かぶったり、スカーフ巻いたりとか、そういうことも必要になるのかなとか、何となく頭の中でいろんなこと考えてたんです。

ロイド ただ、手術を受けた後、化学療法、必要か必要じゃないかってなったときに、先生が、「あなたの場合、ちょっとユニークだから」っていう言葉を使われて、「ユニークながんだからね、ちょっとより詳しく検査をしてみないと分からないね」って。

ロイド 「その検査の名前って何なんですか」、エンドプレディクトテストっていうものなんですけれど、そういう際どい化学療法が必要か必要じゃないか、よく分からない、より必要な詳しい検査が必要な患者に対して使われるテストなんですけれど、エンドプレディクトテストっていうのがあって、そういうのも全部先生が手配してくれて、2週間、3週間ぐらい、これも待たないといけないんですね、結果が出るのに。その待ってる間がすごく嫌なんですけれど、結果的には化学療法の必要なしという検査結果が出まして。

岸田 そして、その後、また、やりたいことリストというふうなことをいただいています。

ロイド これは、手術が始まる前から、やりたいことリストを五つぐらい挙げてたかな、メモに書いててね。無事に、この乳がん手術から無事に生還できたら、これをやるぞ、これをするぞっていうのをリストを掲げてて、そのうちの一つ、一番上に書いてあったのが、ネコを飼うっていうふうに書いて。

岸田 冒頭にもおっしゃっていた、ネコ。

ロイド それを実行してっていうのが、母が帰った直後、ホームシックになったんでしょうね。今まで1カ月ぐらい、身内の人間がいろいろ世話してて、急にいなくなって。でも、まだ放射線治療とかもこれから始まるっていうのに、腕もなかなか上がらないし、痛みとの闘いで、多分、メンタル病んでるとこのときなんですね。だから、家に何か温かいものを置いときたいって考えたときに、ネコちゃん飼おうかなと思って。

岸田 やりたいことリストで、まずネコちゃんを飼ったというふうなところで、その後、下がっていきます。放射線治療、そしてホルモン療法が始まっていくということですけれども、放射線はどれぐらい続けましたか。

ロイド 放射線治療は、28回、私はやりました。月曜日から金曜日まで、毎日病院に通って、土日はお休みなんですけれど。で、土日終わったら、また月曜日から金曜日、5回やって、それを28回分。なので、1カ月半ぐらいですかね、時間がかかりました。

岸田 そして、ホルモン療法、お薬を飲まれていってといったところかと思いますけれど、その後、リハビリの開始とあるんですけれど、これ結構リハビリ、ユニークなんですよね、ドイツの場合。

ロイド そうですね。ドイツでは、がん専用のリハビリクリニックっていうのがいろんなところにあって、そこで、いろんなタイプのがあると思うんですけれど、私の場合は3週間みっちりコースで自宅に帰っちゃいけない、3週間ずっと泊まりっきりのリハビリセンターに通うことになりまして。

岸田 合宿じゃないですか、それ本当に。

ロイド 合宿です、本当に。リゾートスパみたいな感じですよ、いいように言ったら。

岸田 それはいい。

ロイド 本当に、でも、私はエンジョイしました。食事も朝昼晩、温かいのがちゃんと健康管理されて、健康的な、おいしい朝昼晩の食事も出ますし、余暇もいろんなことがありますし、もちろんリハビリのスポーツだったり、あと何より、そこに集まる、がん患者とのコミュニケーションがとれて、ネットワークが広がるっていうのも利点ですね。

岸田 それって病院から紹介されるんですか、ここに行きなさいみたいな。それとも自分で探すんですか。

ロイド 病院からは、紹介はされなかったですね。私が自分で探すってこともできたんですけど、がんって、そんなに何回もなるものじゃないし、初めてだったんで、そんな知識もない。で、ドイツでは、がんアドバイザーっていう方たちがいて、そういう、がんアドバイザーたち、お医者さんではないんです。

ロイド なので、医師免許を持たないんですけれど、いろんながんについてのあれこれをアドバイスしてくれる方たちがいて、私にアドバイスをしてくださった、心優しい女性の方が、「リハビリっていうものがあるんだけど、興味ない?」って言われて、そこから。

岸田 そこから、そういったところからリハビリを紹介されて、リハビリ3週間コースを行くわけになるんですね。

ロイド そうです。

岸田 これ、自腹とかじゃないんですよね。

ロイド そうなんです。ドイツでは、これ全て保険で賄われます。

岸田 公的な保険で賄われているというふうな。

ロイド だから、ちょっと大げさにいうと、財布持たないで病院に行っても何の問題もないんです。もちろん健康保険カードは持たないといけないんですけど。私は、病院内でお金を払ったことは一回もないです。全部、保険で賄われます。

岸田 日本とドイツ、また違うなと、そういったとこ思うんですけれども。その後、お仕事に復帰され、そしてフルタイムへの復帰をされていくといったところで、ここはスムーズにいけましたかね、ユミさんの場合は。

ロイド そうですね。ドイツでは、いきなり仕事復帰、8時間労働っていうのは、させられないんですね。自分がそういうふうに働きたいって言ったら、それはいいんですけれど、大体の人は、徐々に段階を追って仕事復帰したいっていう人たちのほうが、多分、多いと思うんで、それも全面的に国がサポートするんですね。私の場合は、最初の1週間は、1日3時間労働、その翌週は4時間に、そして5時間でいって、徐々に時間を増やしていって、体を慣れさせてって、で、8時間労働っていうふうに。

岸田 めっちゃすごいサポート、そういう仕組みがあるんですね。

ロイド そういう段階を追って仕事復帰してる間とかも、あと、リハビリにかかった、この3週間の間も全部、保険で賄われます。なので、お金の支払いは一切する必要ないんです、ドイツでは。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 すごい、全然、カルチャーショック、ありがとうございます。そして、次は大変なこと、困ったこと、どのように乗り越えたかといったところをご紹介していきたいと思います。ユミさんは、手術の影響で右腕が不便になった。そして、また放射線治療のため、毎日病院に、その間、シャワーに入れないといったところを、母親、友人に手伝ってもらったりだとか、通院時は、慎重に運転したり、そして、シャワーでは極力ぬらさないように、洗髪は美容院でということをいただいております。こちらについて教えていただけますか。

ロイド 私、右利きの人間なんですけれど、運悪く右胸にがんが見つかってしまって、なので、右脇傷があって、その影響で腕が上がりにくくなったのも右腕なんですね。だから利き腕が使い物にならないっていう状態になって、それを不便な感じではあったんですけれど。

岸田 ただ、それをご友人やお母さまだったりとか、そういったところで手伝ってもらってというふうなところで乗り越えた。

ロイド そうですね。

岸田 そして、放射線治療で毎日行かないといけないのは、運転とかを慎重にされて行ったっていうことですよね。

ロイド そうですね。私の場合、冬場だったので、ドイツは雪国なんで、12月のクリスマスの直前だったかな。結構、雪に見舞われたときも何回かあったんですけれど、先ほども言いましたように右腕がうまく使えないんで、片手で運転してる感じなんですね、しかも左で。なので、慎重にゆっくり運転してる感じでしたね。

岸田 シャワーで極力ぬらさないようにというのは、放射線でマジックで書かれるところがぬれないようにっていうことですかね。

ロイド そうですね。マジック書かれた後、セロテーブみたいなのも貼られるんですけれど、でも、なるべく患部と、あとマジックで書かれているところは「ぬらさないでね」というふうに言われていたので、でも、シャワーに絶対に入らないでとは言われていないし、1カ月半ぐらいの長い放射線治療の間、一回もシャワーを浴びれないのもどうかなっていうので、こっそり入ってたんですけど、でも、なるべく患部をぬらさないようにしないといけないなって考えたのが、ごみ袋着て、出てる上とかを、この辺はぬらしてもいいんで。

岸田 放射線を浴びひんところをぬらして、それでやったってことですね。

ロイド そういうことです。

【メッセージ】

岸田 ありがとうございます。そんなユミさんの、次、ユミさんからいただいているメッセージはこちらになります。

ロイド 私からのメッセージなんですけれど、Breast Cancer can be overcome! これは、日本語では、乳がんは克服できるぞっていう意味です。本当に、この言葉とおりで、乳がんって宣告されたら、人生の終わりなんだって思う人は、多分たくさんいると思うんですね。だけれど、乳がんになったイコール死ではないっていうのは、私が生きている証しです。

ロイド なので、絶望に見まわれないで、絶望感に覆われないで、希望を持って、絶対に克服できるぞ、絶対に何か道はあるっていうポジティブな考え方、気持ちを持って臨んでいただいたら、手術もきっと無事にうまくいくと思います。乳がんは、世界で一番ラッキーながんなんです。なので、気を落とさずに、みんなで乗り越えていきましょう。

岸田 ありがとうございます。ユミさんから、主治医からもらった言葉を、次はユミさんが次の方に紡いでいくというふうな形ですかね。

ロイド そうですね。これで、みんなにバトンで行ったら、それだけポシティブな感情に包まれると思いますよ。

岸田 ありがとうございます。きょうも本当に、ユミさん、ドイツから参加してくださってありがとうございます。

ロイド ありがとうございます。Danke schön.

岸田 Danke schön.っていう感じで、皆さんも、また、がんノートmini、これにて終了していきたいと思いますけれども、また次回、お会いできたらということを思っております。きょうは、皆さんご覧いただきまして、どうもありがとうございました。Danke schön.

ロイド Danke schön. ありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。

関連するみんなの経験談