がん告知によって学校までの電車の中で、ただただ泣いた19歳。だけど、がんの経験は嫌いだった自分を認めることができるようにしてくれました

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:中島

更新日:2018.08.24

告知

岸田 今日のゲストは中島千尋さんです。

中島 はい、中島千尋です。がん種が右上腕滑膜肉腫です。今は看護師をしています。

岸田 ではさっそく。当時、どうやって肉腫ができてるってわかったんですか?

中島 腕がちょっと腫れてたんで。私、 右腕で重たいバッグとかをいつも持っていたので、筋肉がついたのかな? っていうぐらいにしか思ってなくって。で、気がついてから1か月、2か月くらいしたら、けっこう痛みとかしびれが出てきて。これは病院に行ったほうがいいよって親に言われたんですよね。

岸田 まず、どこに行きました?

中島 私、もともと大学病院付属の看護の短大に行ってたんですね。

岸田 そうなんですね。

中島 はい。大学病院の敷地の中に看護学校があったので、そのまま学校の帰りに受診しました。まあ、どこ行けばいいかわかんなかったから。

岸田 うんうん。

中島 大学病院に行けば、とりあえずいいかなっと思って、帰りに軽い気持ちで大学病院に行ったんですね。

岸田 そのとき整形外科に行ったんですか?

中島 うん、整形外科に行って。

岸田 診察して、普通に検査したんですか?

中島 CTとかを撮ったんですけれど、やっぱり整形外科のがんの専門医って、そんなに多くないみたいで。で、大学病院だったんですけど、専門医がいなくって。

岸田 はい。

中島 「なんかできてるけど、ちょっとここの病院だと診れないから、専門の病院を紹介します」って言われたのが、がん専門病院だったので、「え?」っと思って、これはまずいと。

岸田 大学病院でがん告知はなかったんですか?

中島 なかったです。紹介されたがん専門病院に行って、もう1回検査とかして。 1人で行ってたんですけど、「じゃあ、次来るときは説明をするから、おうちの人を連れてきてね」って言われて。で、 告知のときは、家族と一緒に病院へ行きました。

岸田 もうばればれっすよね。

中島 (笑)。でもなんか、がん専門病院って言われたけど、いやでも大丈夫だろう、良性かもしれないしっていう気持ちもあったので。

岸田 あー。

中島 そう自分を思わせてた。大丈夫、 絶対大丈夫っていう気持ちで、告知を受けた感じでしたね。まあ、結果がんだったんですけど。

岸田 右上腕滑膜肉腫ですって言われた その瞬間は、どうでした?

中島 本当にいろんな方が言うと思うんですけど、やっぱり頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなって。部屋を出て廊下でワァーって、すごい泣いて。 そのあとに、お母さんと一緒に学校に行ったんですね。休学の手続きとかしなきゃいけないから。学校までだいたい2時間半くらいあったんですけど、もう電車 の中、ずーっと泣いて、泣いて。で、学校着いて、学校の先生に話したあとに友達とまた話をしたら、またそこでワァーってずっと泣いて。

岸田 そうなんですね……。

中島 はい。もう電車の中でずーっと泣いてて。今思うと、お母さんごめんなさいっていう感じなんですけど。

岸田 え、なんでですか?

中島 泣いてると、なんで泣いてるのか わからなくなってくることないですか?

岸田 あー、あります。でも、それもう小学校の記憶ですけど(笑)。

中島 なんかもう途中からなんで泣いてるのか、わからないまんま止まんなくって。隣にいて、つらかっただろうなって思いますね。

岸田 うんうん。そうですよね。じゃあもうずっとがんだということは受け止められず?

中島 受け止められずに、治療に入って。

岸田 どうやって治療が始まっていったんですか?

中島 友達といろいろ話して、まあ一通り気持ちを整理して、嫌々治療に入った感じですね。

岸田 嫌々入った?

中島 嫌々、まあしようがないかなと。告知されて、先生に「とりあえず4日ぐらい時間あげる」って言われて。

岸田 4日ぐらい(笑)。びみょー!

中島 水曜日か木曜日だったんですよ。 だから「区切りがいいところで、来週の月曜日から治療にするから、その間ゆっくりしてきて」っていうことで(笑)。

岸田 ゆっくりできねえよ、って話ですよね(笑)。

中島 4日じゃちょっと整理できなかったですね。

岸田 けど、がんばって嫌々。

中島 嫌々。

岸田 そのまま月曜日に行って。

中島 月曜日になってしまって、治療が始まったんですよね。

治療

岸田 治療はどのようなことをしたんですか?

中島 私がやったのがアドリアシンっていう薬とイホマイドっていう薬。アドリアシンやって、3週間、4週間空けてイホマイドをやるのが1クール(※1)。 それを術前にやって、手術をして、また術後3クールっていうような治療だったんですね。なので全部で9回ですかね。

岸田 全部で9回?

中島 はい。

岸田 じゃあ術前に1クール、何週間ぐらいですか?

中島 薬が1種類のときは4日で退院できるんです。

岸田 その1クール終わって、手術して。

中島 手術終わってから、2種類の薬を3回やるっていうサイクルでしたね。

岸田 滑膜肉腫っていうのは、だいたいそんな感じでやるんですか?

中島 だいたい、そんな感じなんですけれど、わかってすぐ手術できる人もいるんです。私の場合はけっこう神経とか、 血管とかにくっついちゃってたから。「一回小さくしないとダメだね」って言われて、先にやった感じですね。

岸田 抗がん剤、効きました?

中島 抗がん剤は、たぶんそんなに効いてなかった気がする(笑)。見た目がそんなに変わらなくって、先生もその治療2回やったところで、「あんま変わんないねえ」みたいな感じで。

岸田 えー(笑)。

中島 まあ手術できたからいっかなって。

岸田 手術で、全部一応取り切った?

中島 全部取って。

岸田 何時間ぐらいの手術でした?

中島 3時間か4時間くらいで終わったと思います。

岸田 で、取って、そっからもまた入院生活?

中島 はい。

岸田 それから、無事退院したって感じですか?

中島 そうですね。全部終わって退院して。

岸田 どんな生活を送りましたか?

中島 退院して、最初の治療が終わったあとくらいかな? 大学の文化祭があって。ちょうど髪の毛が半分くらい抜けた状態ですかね。カツラ被ってステージに。

岸田 ステージってすごいですね。

中島 カツラで踊っていました(笑)。

岸田 へえ。 1回目の抗がん剤をやったあとで、ステージをやる余裕があったってことですか?

中島 余裕がありましたね。週2回、3回くらいは外来に行ってたんですけど。

岸田 はい。

中島 空いた時間で、学校行ったり、バイト行ったり、遊んだり。

岸田 けっこうエンジョイ?

中島 けっこうエンジョイしてましたね。

岸田 すごいですね。

中島 はい。友達とも遊んでましたね。

岸田 そうなんですね。

中島 手術が終わって、術後の化学療法やってる途中、元気なときは温泉行ったりとか、プチ旅行とか、キャンプとかけっこう行きました。

岸田 すごいですね!

 

つらかったこと・克服

岸田 次に、身体的につらかったこと、 精神的につらかったこと、どう克服したのかなっていうのをお聞きしたいです。

中島 身体的には、退院しているときは ちょっと体力がなくって、でもなんかやりたいっていう気持ちのほうが強かったので、ちょっと無理にがんばってた感じだったんですけど。入院中はやっぱり副作用がつらかったですね。

岸田 それはどう乗り越えました?

中島 もうとにかく寝てる。動かないみたいな。

岸田 入院中はけっこう寝てたんですね。

中島 はい、寝てる。もう身の置き所がないというか、ただゴロゴロして寝てを繰り返している感じですね。

岸田 寝てるだけって暇じゃないです か? どうしてました?

中島 本当に吐き気とかすごくって、もうなんにもしないっ感じでしたね。ただ ひたすら時間が過ぎるのを待つ。

岸田 なるほど……。逆に、精神的につらかったっていうのは?

中島 やっぱり手術が終わる前くらいまではかなりつらかったですね。「なんで私、病気になっちゃったんだろう」とか、本当にもう入院したくない!」とか、「死んじゃったらどうしよう」とか思った。

岸田 そういうときは、どうされたんですか?

中島 あんまり人に相談しにくくって。 なので日記を書いて心を整理したり、あとはいっぱい泣いて気持ちを入れ替えたりとか、そんな感じでしたね。一回泣くとすっきりして、またがんばろうと思えましたね。

岸田 強いですね! もっとこうしておけばよかったなっていうのはあります か?

中島 もっと看護師さんや先生に、つらいっていうこととか、いろいろ言ってもよかったかなって。

岸田 あんまり言えなかった?

中島 言えなかったですねー。

岸田 なんで言えなかったんですか?

中島 忙しそうだし、足止めたら悪いかなって。

岸田 今、看護師の立場ではどうです?

中島 看護師としては、言ってください って感じです(笑)。なので、自分も言えばよかったなって思いました。

岸田 言ってもいいんですかね?

中島 言ったほうがいいです、絶対! 溜めておくのは良くないですからね。

恋愛

岸田 今、がん経験者とおつきあいをされているんですよね?

中島 はい。

岸田 じゃあ、馴れ初めを教えてください。

中島 簡単に言うと、社会人になってから、病院で知り合いました。なので、彼も発病してから出会いました。

岸田 彼はなんの病気だったんですか?

中島 急性白血病です。彼の治療中も直接会ったりはしていたんですけど、彼の入院治療が終わって、内服治療に切り替わるタイミングでつきあいはじめました。

岸田 じゃあ、退院してから?

中島 退院してからつきあって。

岸田 「抗がん剤終わったから飲みに行こうぜ」的な?

中島 そんな感じですね。

岸田 え? ほんとに?

中島 はい(笑)。

岸田 フランクな(笑)。

中島 感じでした(笑)。

岸田 彼は、抗がん剤がつらいとかいうのはなかったんですかね?

中島 そうとうつらそうでしたね。あと、 私もわかるじゃないですか、吐き気だったりとか。だから、吐いちゃったり、熱だったりとか、そういうの見てるとやっ ぱり……。

岸田 じゃあ抗がん剤が終わって、飲みに行ったりとかしてるときでも、けっこう苦しそうだったりするってことですか?

中島 けっこう元気は元気だったんです けど、つきあいだしたあとに、抗がん剤の内服を1か月やっていたので、そのときはけっこう体調悪くなったりしてたので。

岸田 そのとき、どうするんですか? 介抱する?

中島 いやまあ「お大事にね」くらいですよね。

岸田 おい、看護師(笑)。

中島 (笑)。特にできることはなかったんですけど、「無理しないように」と言うくらいで。

岸田 だけど、自分は彼が病気だったってのは、すごくわかると。

中島 はい。

岸田 がん経験者同士のカップルあるあるとか、あるんですかね?

中島 カップルあるある? いやでも基本は普通のカップルだけど。あ、でもいいなっと思ったのは。

岸田 おっ!

中島 やっぱり、お互い状況がわかるじ ゃないですか。だからなんか、変に「自分はがん患者だから」っていうふうには思わなかったし。あとは、お互いの両親、おうちに挨拶しに行ったんですけど。

岸田 え、それは最近?

中島 はい。一緒に住むってなったときに行ったんですね。

岸田 はい。

中島 で、そのときに病気のことで、反対はされなかったです。

岸田 じゃあお互いのご両親も、どちらもがん経験者っていうことを知ってると。

中島 はい。知ってるから、そこは何も言わないでくれたからよかったかなって。

岸田 逆に苦労してることとかありますか?

中島 たぶん彼はそんなに考えてないみたいなんですけれど、私は異常に彼のこと心配しちゃいますね。

岸田 うーん。

中島 たとえば、ちょっと風邪ひいたり、 体調悪いっていったときに、「再発じゃないかな? 大丈夫かな?」とか、帰り遅かったりとかすると、「大丈夫かな?」 とか。

岸田 たしかにね。

中島 それが、苦労っていうか。

岸田 どっかで倒れてるかもしれないっすもんね。

中島 ねえ(笑)そしたら大変だからね。

岸田 彼は闘病終わってから何年くらい?

中島 1年ちょっとですね。

岸田 ああ、じゃあまだ…。

中島 ちょっと心配かな?

岸田 っていう感じですよね。そっか、そこが苦労するところと、いいところだと。お互いのことを知ってるっていうのはね。

中島 うん。

後遺症

岸田 千尋さんが、滑膜肉腫になった関係で、何か今、後遺症はありますか?

中島 腕はときどきちょっとしびれるくらいで、今は大丈夫です。あとは不妊。

岸田 おお! 大丈夫なんですか?

中島 たぶん不妊になりやすい……。ま あ、まだわかんないですけれど。

岸田10代、20代で抗がん剤をしたら、 不妊になるかもしれない、っていうのがありますね。検査はまだしてないんですか?

中島 はい。

岸田 心境はどうですか?

中島 心境……。検査はしてみたいけど、ちょっと怖いからできない。だから、しないままずっときてるんですよね。

岸田 当時、お医者さんからはそういう話はありました?

中島 もしかしたら、告知のときにされてたかもしれないんですけれど、全然内容を覚えていないんです。結局知ったのは、治療が終わって、1年、2年くらい 経ってからですね。自分が使ってた抗がん剤が、すごい不妊になりやすいので。

岸田 そっか……。そこは、彼も、理解ある感じなんですか?

中島 一応伝えていて、まあそんなに驚くこともなく、そうだよね、みたいな軽い感じでしたね(笑)。

岸田 そこもいいところですよね(笑)。

中島 そうですね。

岸田 お互いがん経験者だと、そういうのも「仕方ないよね」って感じですよね。

中島 はい。

岸田 けど、可能性も全然あって、子どもできてる人もいっぱい、いらっしゃるんで。そこは僕も希望持ってるので(笑)。がんばってほしいなって思います。

中島 はい、ありがとうございます(笑)。

学校・仕事

岸田 なんで看護師になろうと思ったんですか?

中島 中学生くらいのときかな? 小児科の看護師になりたくって。子どもが好きなので、そんな感じですかね、もともとは。

岸田 それで、看護大学に通ってるところに、自分ががんになったわけですよね?

中島 そうですね。

岸田 当時学校はどうしたんですか?

中島 学校は、ちょうど1年くらい治療でかかるので、1年間は行かないって最初は決めてたんですけれど、でもそうすると、通年で単位取らなきゃいけないのとかってあるじゃないですか。

岸田 体力ないながらも、学校にがんば って行ったんですか?

中島 一応は行けました。

岸田 で、翌年ぐらいに、単位取れなかった分とかを、がんばって取ってっていう感じなんですね。

中島 はい。

岸田 で、社会人になって、がん専門病院で働いたと。なんでがん専門病院なんですか?

中島 自分ががんになったことも理由なんですけれど、その前くらいからちょっと、がん患者さんの看護をしたいな、っ ていうふうには思っていたところだった んですね。

岸田 がんになる前に?

中島 はい。ちょうど病院に実習に行ったときに、終末期のがん患者さんを担当させてもらって、がん看護がいいなって思ったところで、自分ががんになったので、がん看護しかないって思いました。

キャンサーギフト

岸田 がんになって得たこととか、得た経験っていうのが何かありますか?

中島 はい。私、がんになる前はあんまり自分のこと好きじゃなくって。

岸田 ほう。

中島 好きじゃない。嫌いだったんですね。でもがんになって、いろいろこう乗り越えてじゃないけれど、自分と向き合って。まあ自分大好きってところまでは、 いってないですけれど、こんな自分でもいいかなって思えるようになったのが、 いちばん良かったかなと。

岸田 そこで、自分をかえりみたっていう感じですかね。

中島 そうですね。あとは、やっぱりがんになってなかったら、今の職場の人だったり、がん友だったり、いろいろ出会ってなかった人もいるので、そういう人に出会えたのも良かったのではないかと。

岸田 そうですよね。がん専門病院で働いて、自分の経験を活かせてるってわけですよね。

中島 はい。

岸田 それが一番、今闘病してる人たちにとったら、けっこう勇気になるんじゃないかなって思いますね。

今、闘病中のあなたへ

中島 「泣くときは泣いて、笑うときは いっぱい笑う。自分で自分をほめてあげる」です。あんまり無理をせず。自分がいちばんがんばってること、わかってると思うので。ちゃんと、自分をほめてあげてほしいなと。

岸田 泣くときは泣いて、笑うときはいっぱい笑う。ほんとに経験がつまった言葉ですよね。

中島 ありがとうございます。

岸田 なので今、闘病してる人たちも、 いっぱい、泣くかもしれないですけれども、その経験がのちのち糧になると思ってがんばっていってほしいですよね。

中島 はい。がんばってください!

 

 

※1 クール……抗がん剤は、投薬期間と休養期間を1セット(3~4週間)として行い、それを1クールと言う。

※本ページは、あくまで経験者の情報を扱っております。そのため、あくまでその方のケースはそうだったということを念頭においてください。そのため、医療情報に関しては主治医や、行きつけの病院、またはしっかり科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。

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