中学生で白血病を発症した宮澤さん。周囲の支えにより、さまざまな困難を乗り越えた人生に迫ります。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:宮澤

更新日:2017年10月08日

【宣告】

宮澤 私が中学2年生のとき、今思えば予兆だったのかなと思うんですけど、学校で避難訓練があったんですよ。そのときに、教室から避難していって、校庭にみんなが並ぶわけですね。そのときに、私、人生で初めて貧血で倒れたんですね。

岸田 けど、いますよね。何百人いたら、大体、1人は。

宮澤 私も初めて、その当事者になってしまいまして。その後は問題もなく過ごしてたんですが、とある朝、朝起きたら、とってもだるくて、起きられなくて、今日学校行きたくないな、と思って。言い訳になればと思って、熱を測ったんですよ。そしたら、私、いつも平熱35度台とかで低いんですけど、その日36度7分あったんです。私にとっては高熱なんですよ。やったあ、熱あった、休めると思って。体温計、喜んで持っていって、「熱あったから、今日休む」って言って、また寝たわけです。私は、1日休めれば良かったんですけど、どんどん、熱が上がっていって、その日の夜には、私にとっては高熱の38度をぐんぐん超えてっていう状態で、慌ててしまって。

岸田 けど、38度を超えたら、確かに、ちょっとおかしいですよね。

宮澤 「おかしい、おかしい」って言ってて、初日に近くの町のお医者さんに行って、風邪薬をもらってきて飲んだんです。でも、おかしい。次の日になっても、まだ熱が下がらないので、また同じ病院に行って、そしたら、やっぱり風邪薬を出されるんですが、やっぱり駄目だということで。で、3日目です。

岸田 高熱、続いたんですか。

宮澤 続いたんです。3日目になって、同じお医者さんに行って、うちの母親が、「あまりにせきがひどいんで、先生レントゲン撮ってもらえませんか」と言ったんですよ。先生、自らレントゲン写真撮ってくんなかったんですよ。母が頼んで、ようやく撮ってくれて、肺炎だと分かりました。で、慌てて、隣の市の市民病院に転院になり、1週間入院となりました。そこで入院してるときに、「これはおかしいぞ」って言った先生がいらっしゃいまして、血液検査をしたところ、「ちょっとおかしい」と。じゃあ、骨髄の検査をしましょうってことで、なんか面白い、珍しい検査なんで、病棟中の看護師さんも先生も集まってきて、みんなの前でお尻出して、骨髄の検査をしました。痛いんですよ、あれ。そこで白血病が分かりました。

岸田 じゃあ、骨髄の検査をして分かったわけですけれども、最初にもう、理恵さんに、先生から白血病ですよっていう話があったんですか。

宮澤 実は、今は治療も終えて、もう20年以上たつんですが、一度も先生に白血病ですって言われたことはありません。

岸田 子どもは言われない。じゃあ、どうやって知ったんですか。

宮澤 大学病院に移って、そこで入院しているときに、うちの両親はもちろん知ってるので、母から「実は、あなたは白血病なんだよ」って聞きましたね。「でも、ここの病棟に入院してる子どもたちは、みんな、知らないことだから、絶対、言っちゃいけないよ」って、すごく固く口止めされました。

岸田 同じフロアの人たちは、みんな、分からずに入院してて、・・・。

宮澤 なんかうちの親は鋭いと思うんですが、さすが親だけに。私は、考えちゃうほうなんで、母が、私には言ったほうがいいという判断で、言ったそうです。

【治療】

岸田 どんな治療をされましたか、理恵さん。

宮澤 治療は、その当時だと、化学療法か骨髄移植をするか、あと放射線療法とかありましたけど、でも、大体化学療法か移植かっていうどっちかに分かれますね。どっちにしても、最初は、化学療法で、ある程度抑えるんですよ。それで、抑えるようになったときに、落ち着いてきたときに、じゃあ、いよいよ、化学療法でこの先も行くのか、移植するのかっていう選択を迫られます。人によっては、決められちゃう場合もあるらしいんですけど、私の場合は、ありがたいことに、たった1人の弟が、ちょうど骨髄の型が合ったので2つの選択肢がありました。

岸田 なんか結構聞きますよね。

宮澤 骨髄バンクとかありますけど、あれは型が合う人がなかなかいないっていうんで。普通の血液型だと、A、B、O、ABだけなんですけど、骨髄の型って、ものすごいいっぱいあるらしくって、同じ兄弟でも、4分の1、両親で12分の1だっけ、25分の1かな。とにかく、なんかすごい少ないらしいんですね。だけど、弟がたまたま私、合ったんですよ。だから、移植することもできると言われました。で、母に自分で決めていいと言われました。私の場合は、移植しても、化学療法でやっても、どっちも確率的には変わらないと言われたんですね。

岸田 当時はね、1990年代のときは。

宮澤 そう、私の場合は。人によって分かんないですけど、私はそう言われました。なので、どっちにしようと迷いました。で、私は、化学療法を選びました。

岸田 それはなんで?

宮澤 移植をした場合、もし拒否反応が出ると、当時はそれでアウトだったんですね。なので、いきなり最後の手段を使ってしまって、アウトになったら怖いでしょう?

岸田 確かに。最後の砦として、残しときたいですもんね、人の心理として。

宮澤 そう、残しておきたかったの。だから、私は、化学療法はつらいの分かってるけれど、でも、頑張れば何とかなるかもしれないしということで、化学療法を選びました。確か、1週間単位で、ある特定のお薬を24時間ずっと刺しっ放しで、点滴入れるんですけど。

岸田 で、抗がん剤をやってたと。

宮澤 抗がん剤を入れ終わる頃になると、ずっと気持ち悪い日々が続くわけですよ。抗がん剤で、吐き気がものすごくって、髪は抜けるし、だるさも、もう半端じゃなくて、足がすごくムズムズしたりとかします。足がもう、どうしようもなくだるくって、母が横でマッサージしてくれてましたね。あとは、もう寝てるのが気持ち悪くて、でも、貧血で起きていられないんです。だから、ベッドを起こして、寄りかかって、一日中過ごしてました。寝るときも、この体勢じゃないと寝らんないんですよ。横になっちゃうと駄目でした。

岸田 何カ月ぐらい入院してましたか。

宮澤 1年半、入院してました。

岸田 当時、なんかやってたこととかあります?

宮澤 テレビとか今は1人1台ありますけど、その頃は、テレビが病棟に1つしかなかったんです。

岸田 ちょっと待って、病棟?

宮澤 病棟に1つです。病棟を出たホールみたいな所にテレビが1台あって、見てました。

岸田 まじか。じゃあ、それ、みんなどのチャンネルするかっていうのを。

宮澤 そうそう。

岸田 医師や看護師さんとは、どのような付き合い方をしていましたか。

宮澤 中学生だったので、一応勉強もしてました。問題集買ってきてもらって。本当はいけないんですけど、9時の消灯後に入院してる中学生たちが集まって、ナースステーションへ行って。インターンの先生がいた時代だったので、その先生たちが教えてくれるんですよ。

【家族】

宮澤 うちは、父、母、弟の4人家族でした。実家とその入院していた所が、電車で1~2時間かかるくらい離れてて、親がちょくちょく来るっていうわけにいかなかったんですね。だから母親がずっと付きっきりで、一緒に病院で生活してるような状態でした。
結局、うちには父と弟しかいないと。弟が、まだその頃、小学校5年生か6年生で、学校の行事でつらい思いをしたりとか、デリケートな時期だったりもして大変だったんですけど、母を私が1人で独占してしまってる状態で。だから、弟はつらい思いもいっぱいしたと思うので、姉としてはとっても申し訳ない気持ちで頭が上がらないですね。

岸田 頭が上がらないですね。すごいです。けど、家族一緒に闘病を頑張ったということもあると思います。「付き添いがいないと、寂しくなかったですか」っていう質問が。

宮澤 母がいないときは、寂しいというか、やっぱり、ストレスたまるじゃないですか。でも、他の人には怒れないでしょう?だから、母に全部、愚痴とか言っちゃうんで、母がいないとストレスたまりますね。

【学校】

岸田 次に学校のこと。学校の遅れとか、授業の遅れとか、心配なかったんですか。

宮澤 退院したのは、私が中学校3年生の9月なんで、みんな、高校受験勉強真っ最中だったんですね。私は、いろいろ考えた揚げ句、もう一回、3年生をやり直そうということに決めました。最初、そのまま3年生になろうと思ってて。私が白血病になった頃の5年後生存率が20パーセントだったんです。ということは、高校を卒業できずに死んじゃうんですよ。私、入院してて、やりたい仕事ができたんですね。自分の病気の経験を生かして、病院でカウンセリングみたいな仕事をしたいと思ってました。今でいう、医療相談室とかのワーカーさんですね。その頃なかったので、まだ未知の世界でしたけど。だから、大学まで行きたいと。高校卒業もできずに死んじゃうと、何もできないじゃないかと。

岸田 道半ばでね。

宮澤 そう。だから、それがあるから嫌だと思って、私、別にどうなってもいいから、何もしないでそのまま死んじゃっていいからっていうことで、学校も卒業しちゃうって初めは言ってたんですよ。だけど、母に「じゃあ、もし生きてたらどうするの?」って言われたんですね。そうすると、そのまま勉強も分かんないまま中学卒業しちゃって、もう、なんかやってく気力がなくなってるだろうと。もし5年以上生きてたら、どうするんだと思って、ちょっと頑張んなきゃなあと思って。

岸田 ちゃんと前向きにやっていくっていったところで。卒業はちゃんとできたんですか。

宮澤 一つ学年を遅らせて、4月からは2度目の3年生をやって、だから、一つ下のクラスに編入しました。修学旅行とかいろいろイベントも参加したりしつつ、勉強もしつつ、翌年の3月に無事卒業しまして、無事高校にも入りました。

岸田 1年下の人たちと一緒に授業をするって、どんな感じになるんですか。

宮澤 ちょっと複雑ではありましたけど、私が入ったクラスが、すごくいいクラスだったんです。すごい仲のいいクラスで、男子も女子もニックネームで呼び合うような仲のいいクラスだったんですね。だから、修学旅行に行くにも、楽しく行けたし、すごくいいクラスで幸せでした。

岸田 髪は? そのときは、もう、ない。

宮澤 はい、かつらで通ってました。だから、修学旅行に行くと、どうしてもかつらとるときあるじゃないですか、どうしようかって迷ったんですけど。私自身が、このクラス、すごくいいクラスだから、言っても、多分問題ないだろうって自分で判断して、担任の先生に「私は、このクラスのこと、みんな信じてるから、先生から言ってください」って話してもらいました。だけど、話した後も、いじめも突かれることも何もなく、普通に生活できて、修学旅行も無事に行って、お風呂もみんなと一緒に、かつらをとって入りました。

岸田 高校行ってから、大学に行きますと。

宮澤 大学も、希望をしていたとおり、社会福祉の学部のある学校に入学することができました。それで、勉強を始めるんですが、2年生になった春に、ちょっと今度、精神的に障害を抱えてしまいます。

岸田 「精神病はがんのせいで?」って来てますけど。

宮澤 それは違いますね。

岸田 そうなって精神科へ通って。けど、ちゃんと3年後には大学を卒業したと。

宮澤 はい、卒業しました。実習行ったりとか、何とか頑張って行きましたね。

【仕事】

岸田 で、2017年。お仕事のところをお願いします。

宮澤 卒業してから入退院を繰り返し、それから、もう仕事なんかとんでもないって感じでいたんですけど。あるときから家を出て、実家は長野なんですけど、千葉に来ることになって、病院が変わったんですね。こっちに来てから通い始めた病院で、すごく私と先生の相性が合ったというか、とっても良かったので、すごく前向きになってきたんです。その先生に会ったおかげで、落ち着いてきて、やっと就職できるまでになって。

岸田 就職したことで、何か変わったことってあるんじゃないですか。

宮澤 中学のときもそうですけど、一般的な生活とちょっと違ったところにいたので、コミュニケーションを取るのがちょっと苦手だったんですね。だから、障害者の訓練のための就職先なんですけど、自分より上の世代のいろんな方と一緒にいるっていうのが、初めてだったんで、苦手で、人間関係にちょっと苦労をしたりとか。仕事の独特の人間関係ってあるじゃないですか、上司と自分とか。職員と自分の立場の違いとか。そういったもので、例えば言葉遣いから始まって、いろいろと一般社会の人間関係って、学生同士とは違うじゃないですか。この年になって、いきなりそういうとこに入ったんで、慣れないことがいっぱいあって、結構注意されたりもしました。

岸田 今の就職先っていうのは、事務関係ですね?宮澤じゃないです、食堂です。NPOの機関なんで、そこで請け負ってやってるという、そこで仕事をしてます。

岸田 じゃあ、昔、自分がなりたかったといったところとはちょっと違うところで、ただ、それでも、自分の居場所を見つけられたと。

宮澤 はい、そうですね。

岸田 すごい、今頑張られてる。「理恵さん、すごい。多くの人の希望になります」って、コメントも来てます。

【恋愛】

岸田 じゃあ、ちょっとだけ深掘りたいことがありまして、恋愛。入院してたら、「誰が好きなの?」とか多感な時期なのであるんじゃないですか。

宮澤 いやあ、もう、すごい好きな先生がいまして。愛想の良くない先生もいる中、その先生は、一緒に遊んでくれて大好きだったんです。

岸田 その後の恋愛では、自分ががんだったことをカミングアウトしましたか。

宮澤 私は常に言ってました。高校のときも片思いはしましたし、大学のときも初めてお付き合いした方もいましたけど、私は内緒で付き合うのとか嫌なんですよ。自分は全部、出せたほうがいいと思ってるので、だから、私はいつもみんな伝えて、それでOKじゃないと駄目ですね。

【過去を振り返って】

岸田 精神的に肉体的につらかったとき、どうやって克服したかっていうのを教えてください。

宮澤 さっき、精神的につらくてリストカットしましたって言いましたよね。その後が、とってもつらかったんですよ。なぜかというと、私は白血病で、皆さんから輸血してもらった血で元気になったんですよね。だけど、精神的に病んだときには、生きてるのがつらくてしょうがない。生きてるのが苦しくて苦しくて、死にたくて死にたくてしょうがないのに、生きてる自分がいて。リストカットすると血が出ますよね。だから、実家にいた頃は、親にものすごくそれを言われて。「あなたは人からもらった血で元気になったのに、なんでそんな無駄な、血を捨てるなんてことをするんだ」と。それに対して、私は「いや、私は別に、輸血してくれとは一度も言ってない」と「私は、こんなに今、死にたくてしょうがないのに、あのときなんで死ねなかったんだろう」って。
命を助けてもらった身なんだけど、今捨てたくてしょうがないって状態になって、その間でものすごい、ものすごい悩んだんですよ。あれはもう、病気で治療してるときよりもつらかったと思います。自分が命あるってことが。

岸田 それをどう克服したんですか。そのきっかけとかあったんですか。

宮澤 きっかけはいろいろあったんですが、一つ言うなら、私がリストカットをしてることを「自分勝手だ」と言われたことがあったんです。その方は、私のその傷を手当して、その後に「ちゃんとこれは、周りのことも考えてやったか」って言ったんですよ。リストカットすること自体は、私が傷つくだけだし、私が痛いだけですよね。「だから、別にいいよ。だけど、けがをすると、手当してくれる人が必要だよね。あと手を切ったら、できなくなっちゃうことがあるよね。代わりにやる人のこと考えた?」って言われて、ものすごいびっくりしましたね。私が自分で勝手にリストカットすることで、誰かに迷惑掛けてるって、考えたこともなかったんですよ。そこで、はっと目が覚めて、そうか、私だけがそれによって影響を得てるわけじゃないんだっていうことに、初めて気付かされて、そのときにやっと目が覚めました。それからリストカットやってないです。

岸田 次、後遺症のこと。理恵さんの後遺症、結構、あるんじゃないですか。

宮澤 私としては、特に考えてないですね。精神的な病気のことも、私は、関係ないと思ってます。つながりはないと思ってますし。強いて言うなら、ちょっと悲しんですけど、私、まだ髪が薄いんですよ。少なくて薄くて毛も細いんですよ、分かりますかね。もう20年以上経ってるんですけど、頭皮が見えちゃんですよ。だから、たまに、子どもとかに「なんではげてんの?」って言われますよ。

【キャンサーギフト】

岸田 先ほど、がんになって良かったっていうこともおっしゃっていただきましたけれども、キャンサーギフトとして、がんになって良かったことは何でしょうか。

宮澤 これっていうのはちょっと難しいんですけど、私が今まで生きてきて、夢とかができたのは、白血病を経験したからだからこそと思っているので、夢を与えてもらったことが一番だと思ってます。

【現在の夢】

宮澤 私、もともとは大学まで行って資格を取って、そういう専門の仕事に就きたいと思ってたんです。だけど、ちょっと精神的なほうがあって、とてもじゃないけど今は、もう駄目かなって思ってるんです。だから、中学生の当時の自分には申し訳ないけど、どうもその資格は取れそうにないと。だから、ごめん、その仕事、もうできないや、私って。
だけど、私、その後に、いろいろな人たちと関わる中で、自分の病気とかの経験を人に語るっていう大事なものを知ったんですね。それだったら、今の私でできると思って。私の場合だったら、もともと白血病で苦しんだ経験もあるし、その後に、大学のときから、精神的にもすごく苦しんだって経験もある。あとは、リストカットした経験もある。薬いっぱい飲んだ経験もある。今、そこで、何とか復活してて、仕事に就けるまでになった。その過程がある人はなかなかいないと思うんですよ。がんを経験して、命を救ってもらった人はいると思いますし、つらくてつらくて自殺しようと思った。そういう人もいると思うんです。だけど、それを両方を経験した人って、そうそういないと思うんですよ。だからそれは、私の強みだと思ってます。そういう自分なりの経験したことのメッセージとして、いろんな方にそれを発信していって、それを受け取った方が私のことを聞いて。その人が、自分の人生の中で、自分にとってのこの部分は、じゃあこうしてみようかなって。まさにこの、『がんノート』じゃないですけど、そういうことを伝える。そういう役目を担っていきたいなあと、それが夢ですね。

【闘病中の方へのメッセージ】

宮澤 『ぼちぼちいこう』と書きました。

宮澤 私は、すごい焦ってたと思うんです。早く頑張って資格取らなきゃとか、仕事就かなきゃとかいろいろ思ったと思うんですよ。だけど、いろいろ焦った時期はあったけど結局、資格が取れない、どうしようとか、もう駄目だとか、思ったけど、そんなに焦ることないなと。死ぬのも、焦って死ぬんじゃなくて、後でいずれ死ぬんだから、そのときまで待っていようと思ったみたいに、別に、人生は普通に流れていくから、たとえ、波瀾万丈だろうがなんだろうが進んでいくので、そこはゆっくり行けばいいかなあ、自分のテンポでっていう、そういう感じですかね。

岸田 いい感じで。といった、理恵さんからのメッセージでした。ありがとうございます。

 

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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