目次

※各セクションの「動画」をクリックすると、その箇所からYouTubeで見ることができます。

インタビュアー:岸田 / ゲスト:阿蘇

【オープニング】

岸田 それでは、「がんノートmini」をスタートしていきたいと思います。本日のゲストは、阿蘇敏之さんです。本日はよろしくお願いいたします。

 阿蘇敏之さんは製造業にお勤めで、CADやCAM、機器やPCを使ったオペレーターとしてお仕事をされています。がんの種類は、精巣腫瘍および腹膜の胚細胞腫瘍で、ステージは2Bから3。告知を受けられた年齢は20歳のときと43歳のときで、現在は48歳。これまでに手術と化学療法を受けていらっしゃいます。

 また、阿蘇さんは現在、がんサロンも運営されているということですが、まずは簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。

阿蘇 はい。私は「おしゃべリバティー」という、交流会をメインとしたがんサロンを運営しています。神奈川県相模原市を中心に開催しており、がんを経験された方や、そのご家族が気軽に集まって話ができる場をつくっています。

【治療】

岸田 阿蘇さんの闘病歴について、簡単に振り返っていただけますでしょうか。

阿蘇 はい。私は1992年10月、20歳のときに右精巣を摘出しました。精巣腫瘍ですね。その後、2015年8月に転移再発し、後腹膜の胚細胞腫瘍ということで化学療法を受けました。年をまたいで後腹膜リンパ節郭清術を行い、その後、昨年には開腹手術の合併症として腹壁瘢痕ヘルニアを発症し、再び手術を受けています。

岸田 20歳の頃、精巣が腫れて大学付属病院に行くと、すぐに手術になったとのことですが、どれくらい腫れていたのでしょうか。

阿蘇 感覚的にはソフトボールくらいに腫れ上がっていました。こぶし大ですね。本当にそれくらい腫れていて、気になってはいたんですが、恥ずかしくて誰にも言えなかったです。

岸田 病院に行くのも、確かに勇気がいりますよね。

阿蘇 そうですね。それだけ腫れていたので大学付属病院に行ったら、すぐに手術することになりました。当時は、精巣腫瘍だろうという見立てでした。

岸田 そのときは、がんだという告知はあったのでしょうか。

阿蘇 いえ。当時はまだ告知義務がなかったので、悪性か良性かという説明はありましたが、「がんです」と直接的に告知された記憶はありません。結果として摘出してもらった、という感じですね。

岸田 その後の経過に「摘出手術、入院、結婚、入院」と書かれていて、かなり気になるのですが、これはどういうことですか。

阿蘇 1992年10月に病院へ行ったのですが、実は11月8日に結婚式を控えていました。腫れには以前から気付いていたものの、恥ずかしくてなかなか病院に行けず、結婚前に行かなければと思って受診したところ、精巣腫瘍と分かりました。医師には、10日後くらいに結婚式があることを伝えたところ、「その日には仮退院できるように進めましょう」と言っていただき、手術から10日ほどで無事に結婚式を挙げることができました。

岸田 バージンロードを歩くとき、痛くなかったですか。

阿蘇 当時の写真を見ると、顔色が青白いなとは思います。ただ、病気のことは参加者にはほとんど伝えていませんでした。お酒も飲めなかったので、ひな壇の前にバケツを用意してもらい、注がれても一口つけて捨てる、ということを繰り返していました。

岸田 それは大変な結婚式でしたね。

阿蘇 そうですね。

岸田 そこから23年後、43歳のときに後腹膜へ再発・転移されたとのことですが、どのように分かったのですか。

阿蘇 お腹と背中の痛みが強くなってきました。最初は市販の鎮痛剤でしのいでいたのですが、だんだん効かなくなり、量も増えてきて、これはまずいと思いました。妻からも「病院に行ったほうがいい」と言われ、内科を受診しました。血液検査と超音波検査を行ったところ、超音波でかなり大きなものが見つかり、外科に回されました。そこで「悪いものがある」と言われ、再発が分かりました。

岸田 そのときは、がんだと告知されたのですか。

阿蘇 はい。ただ、20歳のときの精巣腫瘍との関連については、その時点では特に説明はなく、後腹膜腫瘍として外科手術をする、という話でした。胚細胞腫瘍が以前の病気と関係していると分かったのは、もう少し後ですね。

岸田 再発後は、全7クールの化学療法を受けられていますが、期間としてはどれくらいだったのでしょうか。

阿蘇 8月に再発が分かり、9月から抗がん剤治療を開始して、翌年の3月末から4月初め頃まで続きました。ほぼ入院生活で、途中に1週間ほどの仮退院を挟む形でした。

岸田 かなり長期間ですね。

阿蘇 そうですね。ほぼ入院でした。

岸田 抗がん剤終了後に、後腹膜リンパ節郭清術を受けられたということですね。

阿蘇 はい。抗がん剤治療後、約1か月の休養期間で体力を戻してから、開腹による後腹膜リンパ節郭清術を行いました。

岸田 「病院から出たくて仕方がなかった」とありますが。

阿蘇 抗がん剤治療が本当につらくて、仮退院で外の空気を吸えることはありましたが、とにかく家に帰りたかったです。その思いが強くて、術後の歩行訓練もかなり気合を入れて頑張りました。

岸田 その後、さらに3年後に腹壁瘢痕ヘルニアを発症されたと。

阿蘇 腹壁瘢痕ヘルニアは、開腹手術のあとに起こることがある合併症です。腹筋を避けて生活していたのですが、試しに腹筋をしてみたところ、みぞおちの下あたりが力を入れるとポコッと出て、力を抜くと引っ込むような状態になりました。まるでお腹の中にエイリアンがいるみたいで、「これはやばいな」と思いました。

 痛みはなかったのですが、ボコボコと動く感じがあって不安になり、主治医に相談しました。すると、腸が出入りしている状態だと言われました。

岸田 腸が出入りしている、ということは、お腹の中から腸が腹筋を突き破って出てきている、ということですよね。

阿蘇 そうですね。皮膚の下の膜の内側で動いている感じです。手術で切った部分の腹筋が、だいたい5センチほど離れてしまっている状態でした。

岸田 完全にぱっかんと開いているわけですね。

阿蘇 本当に、ぱっかんと開いていました。このまま放っておくと、どんどん広がっていくだけだと言われました。今すぐ手術しなくても、7センチくらいまで広がると、腹筋の三層構造をさらに切って寄せて縫い直す必要があり、その間にメッシュを入れる手術になる、と説明されました。話を聞いているだけでも怖かったです。

岸田 それは怖いですね。

阿蘇 なので、体力のあるうちに治療してしまおうと思い、昨年8月に手術を受けました。5センチ開いていた筋肉を切り、寄せて、その間にメッシュを入れるという手術です。

岸田 その手術後、今はもう問題ない状態ですか。

阿蘇 はい。今は落ち着いています。腹壁瘢痕ヘルニアと、精巣腫瘍および後腹膜胚細胞腫瘍の両方について経過観察を続けながら、日常生活を送っています。

岸田 少し話を戻しますが、後腹膜の腫瘍は当初、精巣腫瘍とは別物として見られていたとのことですが、結果的には関係があったのでしょうか。

阿蘇 2015年、43歳のときに腹痛と腰痛で受診し、後腹膜腫瘍だと言われました。その病院では手術が難しいということで、別の病院を紹介されました。そこで診てくださった先生が、「20歳のときの精巣腫瘍が関係している可能性があるのではないか」と考えてくれたんです。もし精巣腫瘍由来であれば、抗がん剤が効く可能性が高い、という助言でした。後腹膜腫瘍として手術をするか、抗がん剤治療を選ぶか、選択肢があると言われました。

岸田 そこで、まず抗がん剤治療を選ばれたわけですね。

阿蘇 はい。正直なところ、当時は抗がん剤について詳しく分かっていなかったので、手術よりは抗がん剤のほうが楽なのではないか、という単純な考えもありました。

 後腹膜腫瘍の手術だと、12時間以上かかることもあり、実際に開けてみないと分からない。十二指腸など、他の臓器に及んでいた場合は、それも切除しなければならない。取り切れなければ閉じる、という説明を受けました。

 そうした話を聞いて、抗がん剤のほうが、もしかしたら体への負担が少ないのではないかと思い、抗がん剤治療を選びました。

岸田 その判断の背景には、助言してくれた先生の存在が大きかったんですね。

阿蘇 今振り返ると、本当にそう思います。

【大変だったこと】

岸田 阿蘇さん、闘病中はいろいろと大変なことがあったと思いますが、特に何が一番大変でしたか。

阿蘇 一番大変だったのは、やはり抗がん剤治療です。泌尿器科で後腹膜胚細胞腫瘍の生検を行い、細胞を採取して、実際に「後腹膜胚細胞腫瘍だ」と分かってから、抗がん剤治療が始まりました。

 抗がん剤を受けると、血液検査の数値がどんどん下がっていきます。最初は「抗がん剤をやればそれで終わり」だと思っていたのですが、実際はそうではありませんでした。

 抗がん剤で血液の数値が下がれば、それを上げるための薬を使いますし、肝臓の数値が悪くなれば、今度は肝臓を回復させるための薬が必要になります。さらに、吐き気が出るので吐き気止めの薬も飲まなければなりません。

 つまり、抗がん剤治療を続けるために、たくさんの薬を併用していく必要がありました。「抗がん剤をするために、こんなにも多くの薬を飲まなければならないんだ」ということが、想像以上に大変だったと感じています。

岸田 その「大変だったこと」というのは、今お話しいただいたような、副作用の部分も含めて、という理解でよろしいですか。

阿蘇 そうですね。副作用そのものも大変ですし、それを抑えるための薬を使うこと自体も大変でした。抗がん剤の影響で、髪の毛だけではなく、全身のあらゆる毛が抜けますし、それ以外の副作用を抑えるための薬も含めて、全身をケアし続けなければならないというのが、正直つらかったですね。

岸田 特に印象に残っている副作用や、「これはきつかったな」というものはありますか。

阿蘇 一番強く感じたのは倦怠感です。最初に出たのは全身脱毛でしたし、血液検査で好中球が減少してしまい、大部屋から個室に移らざるを得なくなったこともありました。常にだるさがあって、イライラしてしまったり、あとは末梢神経障害ですね。

岸田 末梢神経障害というのは、どんな感覚なんですか。

阿蘇 靴の中に、常に砂利が入っているような感じです。ひどいときは、足つぼマッサージで使うような、小石がセメントで固められた道をずっと歩いているような感覚でした。

岸田 それは痛いですね。

阿蘇 そうなんです。車の運転もしていましたが、オートマ車で信号待ちのとき、ブレーキを踏んでいるつもりでも、気付かないうちに足の力が抜けて、じわっと前に進んでしまうことがありました。

岸田 それは怖いですね。その症状は治るのでしょうか。

阿蘇 末梢神経障害自体は、今も残っています。ただ、運転に関しては徐々に良くなってきていて、今はしっかり踏めている感覚はあります。

岸田 事故などがなければ、ひとまず大丈夫ですね。

阿蘇 そうですね。仕事ではパソコンを使うので、マウスの感度を上げて、少しの動きでも反応するように設定したりして、工夫しながら使っています。

岸田 うまく付き合っていく、という感じですよね。

阿蘇 本当にそうですね。付き合いながらやっていく、という感じです。

【治療費】

岸田 阿蘇さんは、2回大きながんを経験されていますが、治療費についてはどうされていましたか。保険などには入っていらっしゃったのでしょうか。

阿蘇 保険には入っていました。がん保険ですね。アフラックのがん保険です。

岸田 それで、治療費は足りましたか。

阿蘇 保険からの給付もありましたし、日本の制度である高額療養費制度も使いながら治療をしていました。結果的には、その両方で賄えました。

岸田 20歳のときから、もう保険に入っていたんですか。

阿蘇 入っていました。ただ、正直に言うと、当時は自分が保険に入っていることを知らなかったんです。

岸田 え、そうなんですか。

阿蘇 はい。母親の知り合いの関係で、当時のアフラック、アメリカンファミリー生命のがん保険に入っていたみたいなんですけど、僕自身はそれを知らなくて。20歳のときは、その保険を使っていません。

岸田 どういう状況だったんでしょう。

阿蘇 親は、僕が保険に入っていることを知っていたと思うんですけど、当時は精巣腫瘍が良性か悪性か分からない段階でしたし、明確な告知もなかったので、「使わなくていいかな」と判断したんだと思います。結果的に、治療費は親が出してくれました。

阿蘇 僕自身もお金は全然なかったですし、保険の存在も知らなかったので、そういう形になりました。

岸田 なるほど。お互いに「分かっているだろう」と思っていた、ということですね。

阿蘇 そうですね。その後、結婚して名義を変えたり、契約内容を見直したりして、今回はきちんと保険を使いました。

岸田 ちなみに、今回の治療で保険会社にその話をしたとき、何か言われましたか。

阿蘇 「20歳のときにも加入していて、そのときに発症されているので、さかのぼって申請されますか」と言っていただきました。

岸田 それはすごいですね。

阿蘇 本当にすごいと思いました。ただ、今回は今回の分だけで大丈夫です、とお伝えしました。なんだか申し訳ない気がしてしまって。

岸田 とても日本人的ですね。

阿蘇 はい、典型的な日本人だと思います。

【工夫したこと】

岸田 では次に、工夫されたことについて伺いたいと思います。写真もご提供いただいていますが、こちらをお見せしてもよろしいでしょうか。

阿蘇 はい。これは抗がん剤治療中の仮退院のときの写真です。全7クールの治療の間、毎回1週間ほど仮退院の期間があったのですが、そのときに撮ったものですね。私は紅葉が好きで、自宅から車で1時間ほどで高尾山に行けるので、娘に運転してもらって出かけました。この写真は、そのときのものです。

 工夫というほど大げさなものではないのですが、気持ちが落ち込んでいるときに、せめて家に帰れたタイミングくらいは気分転換をしたいと思っていました。なので、なるべく外に出て、出かけるように心がけていました。

岸田 外に出られるときは、本当に完全武装という感じですね。

阿蘇 そうですね。ニット帽を深くかぶって、大きなマスクをして、という感じでした。

岸田 それでも、外に出るというのは大事ですよね。

阿蘇 本当にそう思います。

岸田 では、ここで闘病歴をまとめさせていただきます。治療期間は、1992年10月と、2015年8月から2016年4月までの2回。年齢としては、20歳のときと、43歳から44歳のときです。

 手術は、精巣摘出術、後腹膜リンパ節郭清術、そして腹壁瘢痕ヘルニアの手術、合わせて3種類を受けられています。化学療法については、複数の薬剤を用いた治療で、BEP療法、EP療法、TIN療法を実施されています。

 経過としては、再発を1回経験され、現在は経過観察中です。合併症・後遺症としては、腹壁瘢痕ヘルニアと末梢神経障害があり、末梢神経障害については現在も症状が残っているとのことでした。

 また、保険については、アフラックのがん保険に加入されており、高額療養費制度と併用しながら治療費を賄われていた、ということでした。

【がんから学んだこと】

岸田 では最後に、阿蘇さんが、がんの経験を通して学んだことについて伺いたいと思います。阿蘇さんから、こちらの言葉をいただいています。

阿蘇 はい。「今を楽しむ」ということです。

阿蘇 これは本当に、がんという病気を経験したからこそ思うことです。一度目の治療から長い時間が空いて、その間も決して楽しくなかったわけではありませんし、楽しいことがなかったわけでもありません。ただ、転移再発をして、「もしかしたら本当に死んでしまうのかもしれない」と思ったときに、まだやり残したことがあるという感覚とは少し違うのですが、「もっと楽しいことがあっても良かったんじゃないかな」と、いろいろ考えたんです。

 そう考えたときに、先延ばしにせずに、今を、一日一日を楽しんでほしいと思うようになりました。

岸田 先延ばしせずに、ということですね。日常生活に戻ると、ついつい先延ばしにしてしまいがちですからね。

阿蘇 そうですね。

岸田 阿蘇さんは、今はもう先延ばししないと。

阿蘇 はい。宣言します。先延ばしはしません。いろいろ言われることがあっても、気にせずに、楽しみたいと思います。

岸田 すごいですね。見習いたいと思います。本日は本当に貴重なお話をありがとうございました。これにて「がんノートmini」は以上となります。

阿蘇 ありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。

関連するみんなの経験談