性別 | 女性 |
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がん種 | 口・のど・鼻・耳 |
治療方法 | 手術, 抗がん剤 |
ステージ | Ⅱ |
罹患年齢 | 40代 |
目次
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:柴田
【治療】
岸田 はい、それでは、がんノートmini、きょうもスタートしていきたいと思います。きょうのゲストは柴田敦巨さんです。柴田さん、きょうはよろしくお願いいたします。
岸田 早速なんですけれども、柴田さんの紹介をさせていただきたいと思います。柴田敦巨さん、猫舌堂のCEOでございます。
岸田 猫舌堂についてはまた追ってご説明いたしますが、がんの種類は腺様嚢胞がんという、また珍しいがんで、がんになった年齢が40歳、そして今は45歳ということです。当時のステージは2、これは診断時ということで、また変わってきたりとかもしているかもしれません。
岸田 治療方法としては手術、そして抗化学療法、そして放射線療法を行ったというような柴田さんでございます。柴田さん、猫舌堂についてご紹介いただけますでしょうか。
柴田 株式会社猫舌堂です。主にがん経験、がんの治療によって食べることに悩みを抱える人に寄り添って、ような。カトラリーね、カトラリー。
岸田 フォークとかスプーンとかの、がん患者さんとか、お口に障害があったりだとか、そういう人たちでも食べやすいようなものを提供しているんですよね。
柴田 自分たちの食べることの悩みを経験生かして、製品を作って売りながら、本当はコミュニティーを作りたいなっていうふうに思っています。
柴田 1人じゃないよって思えるような空間を作れるように、まずはカトラリーを販売しています。「いいさじ」って名前の。
柴田 いいさじ加減のカトラリーなんですけど、それを販売しながら、今後は食べることに悩みがある方でも気軽に相談に来れるようなコミュニティースペースを作りたいなと思っております。
岸田 柴田さんに、どんな闘病経験をしてきたかというのを紹介していただきたいなと思います。
柴田 2014年の40歳のときに、耳下腺の腫れが大きくなってきた、ということで診察して、良性だろうということで手術をしたんですけども、手術をした結果、悪性、腺様嚢胞がんっていうことが判明しました。
柴田 もう一回リンパ節廓清と、そのときに顔面神経の切断をしてしまうというような手術を行いました。そのあと1月には看護師として復職しました。
柴田 そのときは外来化学療法室という所で働いてまして、同じ部署に復帰をしましたが、2017年の3月、42歳で同じところにまた腺様嚢胞がんが再発しました。
柴田 手術をして、その手術のときに、顔面神経再建術といって、左足のふくらはぎの裏から神経を取って、それを耳下腺、顔面神経に移植、再建をするという手術を行いました。
柴田 そのあと、補助療法として化学放射線治療、シスプラチン1回投与して、IMRTで放射線を33回66グレイの放射線を当てました。
柴田 そのあと半年ぐらいお仕事を休んで、また同じ部署に仕事の復帰をしました。
柴田 仕事をしてたんですけれども、自分の経験を生かして何かしたいなと思って、今年の2月に株式会社猫舌堂を、会社の社内起業チャレンジ制度を使って起業いたしました。
岸田 ありがとうございます。お伺いしていきたいんですけれども、耳下腺に腫れといはどこら辺ですか、具体的には。
柴田 耳下腺、耳の裏ぐらいですね。おたふくかぜができるところです。
岸田 が、腫れてきたんですね。
柴田 もう15年ぐらい前から、何かあるなと思っていたんですけど、手術する前1、2年前ぐらいから、なんか大きくなってきてるなって、じりじりってなんか嫌な痛み、ときどき、きーんっていう痛みがあったりとかあって、人に相談したら、病院行ったほうがいいよって言われて、毎日病院行ってたのに。
岸田 そのときは良性だろうということで手術して、それで結局悪性の腺様嚢胞がんっていうがんを。腺様嚢胞がんというがんは珍しいがんですよね。
柴田 そうですね。希少がんっていうふうに言われてますね。
岸田 リンパ節廓清っていうことは、やっぱり、飛んでたってことですかね。
柴田 診断も兼ねてリンパ節を取るということで、腺様嚢胞がんの中でも悪性度の高いものだったので、もう全部その辺を切って、リンパ節に転移がないかどうかを調べるために、周囲のリンパ節を取って検査したっていう形ですね。
柴田 結果、リンパ節にはがんはいなかったのでステージ2という、そのときは診断を受けました。
岸田 顔面神経も取っちゃうんですね。
柴田 ほんまはそこに、1回手術をしてそのあとだったので、周りはまだ腫れが残っていました。
柴田 腫れのせいでちょっと手術のときに切れて、顔面神経同志を再接着したという手術になりました。
岸田 ありがとうございます。手術を終えて仕事に復帰して、そのあと再発されていると。同じ所にっていうことは、取り残しっていうことですか?
柴田 そうね。でも先生はもうすごいやっぱり全部取ってくれて、取るところないぐらい取ってくれたらしいです。
柴田 やっぱり腺様嚢胞がんってしつこいんですね。ちっちゃい細胞ですからね、1個ぐらい、ちょんと残っといても、やっぱりね、しぶとくいたんでしょうね。
岸田 手術して、そのときに顔面神経再建術ってあまり聞かないんですけど、さっきふくらはぎがどうこうと言ってましたよね。
柴田 そうです。今度ばかりは、もう顔面神経に隣接する所にがんができてたので、顔面神経を取らないことにはその腫瘍が取りきれないということで。
柴田 取ったんだけども、その取ったところに形成外科の先生が次に手術に入って、ふくらはぎからちょうど接着しやすい枝分かれが合うところの神経を持ってきてくっつけるという処置を受けました。10時間かかったそうです。
岸田 いやそうでしょう、神経は大変ですよね、本当。そのあと化学放射線治療、シスプラチンを1回投与、化学療法として1回投与して放射線治療。33回ってことは、これ33回通って、てことですか。
柴田 そうです。33回なんですけどシスプラチンを投与するときだけは入院しないといけないので、初めの1週間は入院して、それ以外は通院で、月曜日から金曜日、週5回通いましたね。
柴田 あまりにも倦怠感が抜けなかったので、シスプラチンは本当は2回って言われていたのを1回にお願いして、あとは通院で。
柴田 あとはやっぱりなんていうんですか、場所、放射線の場所、当てる所にもよるんですけど、すごくめまいだったり、ずっとその二日酔いみたいな状態が、ずっと続いていましたね。
岸田 それは耐えるしかないって感じですか、当時は。
柴田 そうです。週5回なので、金曜日が来るのが待ち遠しくて待ち遠しくて。
岸田 ある意味、違う意味の花金みたいな感じですね。
柴田 そう、違う意味の花金。家でぐたってなっていましたね。
岸田 その後、看護師の外来化学療法室に仕事復帰して、そのあと2020年の2月に社内起業、先ほどご紹介あった猫舌堂カトラリーの企業ですね。
【困ったこと】
岸田 次にお伺いしたいことが、いろいろ闘病のときとかいろんなことがあったときに、柴田さんが特に困ったことは何でしょうか?
柴田 特に困ったことは食べることですね。あと外見の変化ですね。顔面神経の手術をしているので左半分が動かなかったりして、そのために見た目が変わってしまったこと。
柴田 と、あとはそれによって食べてるときにちょっとこぼれてきたり、痛くてかむのがすごく大変だったり、っていうところ。
柴田 なかなか噛めないのでまる飲みのような食べ方になって、ちょっと胃を壊してしまったりとか。
岸田 そうですね、胃が強くなってきますね。
柴田 強くなってきます。消化能力もすごいですよ。あとは人前で食べたりすると、やっぱりこぼれたりするとなんか、汚いと思われたりしたらどうしようとか、食べてる姿を見られるのがすごく嫌だったので、家族以外の人との外食とか食事会というのはもう一切行けなくなりましたよね。
岸田 そういういろいろ困ったこと、やっぱこの神経取ってるとか、この頭頸部のがんっていうことでいろいろ本当に私生活含め、本当にいろんな大変なことあったと思います。それらどうやって乗り越えるんですか。
柴田 いろいろ自分で工夫したりとかですね。そのうち、顔面神経もだんだん神経が動くようになってきて、そうなると人前で食事はできるようになりました。
柴田 仕事復帰したときはさすがに職員食堂でご飯を食べるのがちょっとできなくて、自分でお弁当かなんか持って行って、個室でこっそり食べていましたが、またそれが時間かかるんですよね。
岸田 そうね。まる飲みしまくってたらいいけどね。
柴田 そう、かまないとってのもあるし。仕事上、交代で食事に行ってっていう感じだったので、自分、遅かったらすごく申し訳ないから、みんなに先に行ってもらって、私が一番最後に、休憩も食事もかねてとらせてもらうっていうようにお願いしたりとか、という工夫をしていましたね。
【工夫したこと】
岸田 生活する上でいろんな工夫したことあると思うんですけれども、教えていただけませんでしょうか。
柴田 まずは外見の変化に関することなんですけど、顔面神経まひにすると、まばたきができなくなって、涙もぽろぽろ出たりとか。
柴田 あとは、私たち仕事をしているときはずっとマスクをしてたんですけど、目がやっぱり人から注目を浴びるところだったので、色付きの眼鏡をかけていました。
柴田 レンズ、オレンジっぽくしたんです。ちょっと濃いめの。そしたら逆に、どうしたんその眼鏡って言われて、逆に人から注目を浴びてしまうっていうような結果になって、失敗なんですけどね。
岸田 教えてください。眼鏡を色つきにしたら目立たないと思ったの。
柴田 本当思ったんです。そうなんです。いや、ほんまに目の中が目立たないと思ってたんですよ。本当に。
岸田 完全に、だって怪しい人やん。普通にね、なんかやってたら。
柴田 でも色つきなんですけどね。これは失敗でしたわ。
岸田 でも、そういう目の障害とか持って、今、色つきの眼鏡されている方もいらっしゃいますから、今となっては結構、普通な感じで見えますけど。当時。
柴田 ほんまに。わざわざ普段しゃべらないドクターが寄ってきて、何言うんかなと思ったら、「どしたん、その眼鏡」って言われ、おもしろかったです。
岸田 そうなりますわ。で、眼鏡を結構そろえたんすよね。
柴田 そろえました。いろいろ買いました。コンタクトができなかったので、まばたきできないので。闘病前からも持っていたのですが、その状態になってやっぱ気になって、いろいろとちょっと。
柴田 自分って眼鏡、もう似合わないと、似合わないんですね。だからもうちょっとなんか、ちょっと違うのを買おうと思ったら、大体同じようなものばっかりそろえてしまったという。
柴田 いろいろ買ってみたけど、どうもこれっていうのが今のところないんですよね。
岸田 まあそういう、ちょっと失敗談もありつつ、それ以外にも工夫したことありますか。
柴田 はい、食べることに関して、やっぱりその食べ物を工夫することも大事だと思うんですけど、スプーンとかフォークとかもすごく食べづらいなっていうものが世の中にたくさんあるなと思って。いろいろと取りそろえたんですけども、なかなかこれっていうのが見つからなかったですね。
岸田 だからそう、こちらの写真もちょっと見せてもらっていいですか。
柴田 はい、たくさん。
柴田 本当に木のスプーンもやさしくて食べやすいんじゃないかと一般的には思われるかもしれないんですけれど、木だとやっぱり滑りにくかったりとか、あと、厚みがあって口の中に入りづらいとか。
柴田 あと、漆器ですかね。スプーンとかでもやっぱり厚みがどうしてもあって、細いんだけどもやっぱり食べにくかったりとか、あと、スプーンやと、ステンレスのやつでも何かちょっと違うなというので、100均だとかいろいろ、あと主人に海外出張の際には、何かスプーン売ってるのがあったら買ってきてとか。
柴田 海外ではどんなスプーンを使ってるんだろうとかっていうので買って来てもらったりとか、いろいろしましたね。
柴田 アジア系ってカレーとか辛い物とかスプーンで食べるんで、薄っぺらいやつがあるかなと思って買って来てもらったんですけど。
岸田 こういういろんなのをいっぱい買って工夫してたということですよね。いいのありました? そんな中で合うなと思ったの。
柴田 ないですね。ちょっと違うんですよね。なんか違うんですよね。
岸田 だからご自身でね。自分、いいやつを作って。すごい。どこら辺がいいんですか、何が違うんですか。
柴田 幅が狭いのと、先に向かって平らなので、口の中に食べ物がすっと入っていくっていうのですね。
柴田 あと軽さ。もう食欲がないときに、一口入れるだけでもものすごく負担だったんで、軽さにこだわったのと。
柴田 あとはフォークとかだったら先っぽが丸いので、口の中がデリケートな感じになってても危なくなく。
柴田 フォークって結構鋭い感じですごく怖いんですけど、そういったところに工夫して。
柴田 麺類がすすれなくなったんです。手術後。なので、ラーメンとか食べるときもやっぱりフォークのほうが食べやすいんで、いい感じの量が巻きつけられて、おしゃれに食べれるというような感じですね。
岸田 量のところも工夫してるんですね。
柴田 そうですね。いろいろ介護用とかで食べやすさを追求したフォークとかスプーンとかあるんですけど、なんとなく介護用っていうのが、なんかね。
岸田 俺、介護じゃねえし、みたいなね。
柴田 そう。自分だけはなんか違うもの使ってるってすごく、なんとなく疎外感だったりとかあって。それやったらみんなが使えるようなデザインで、一緒に食事を楽しめるっていうことをしたいなと思って。
岸田 すごいすてき。ありがとうございます。ぜひ、お求めの方は猫舌堂を検索していただければと思います。
【学んだこと】
岸田 がんの経験から柴田さんが学んだことは何でしょうか。
柴田 やっぱり、「生きることは食べること」です。
岸田 生きることは食べること。どういう意味ですか。分かるよ、あの日本語は一応分かるけど、その裏の意図をね、お伺いしたいので。
柴田 やっぱり食べる喜びがやっぱり生きる喜び、というところが一番かなと。
柴田 毎日やっぱり3回は食事をしますし、食べれなかったら本当に自分ってこのまま死んじゃうんじゃないかなって思ってしまうという経験ですね。
岸田 そうですよね。生きるっていうのは本当に普段、何気ないことかもしれないですけど、それの積み重ねで、食べるのも、1日3回、何気なく食べてるかもしれないですけど、それが本当に大切で、しかもそれが患者さんにとっては楽しみだったりもしますしね。
柴田 そうですね。
岸田 僕、入院中はすごく楽しみだった覚えがありますね。本当に。
柴田 食べれないときでも、大食いのテレビとか見たりして、いつかこういうふうに食ってやると思ってましたからね。
岸田 ほんまに。俺、逆に見てたらおわーってなるから、なんかもう見れんかったな。そっか、そういう本当、生きることは食べることっていうことで。柴田さん、きょうは本当にありがとうございます。どうもありがとうございました。
柴田 ありがとうございました。